十

 善夫は私との再会をめずらしがって、毎日面倒くさがらずに、海へいったり、蝉獲りに出かけたりした。強い陽射しとは裏腹に、海水は冷たくてほとんど泳げなかった。蝉はモチ竿でおもしろいように何匹もとれたが、白いトリモチから引き剥がすとき羽根がむしれてしまうのが残酷な気がした。うまく剥がれたときは、放り上げて逃がしてやった。それを見ていた善夫が、
「針金の輪っかさ蜘蛛の巣巻いた網で獲るのがいいたって、昆虫採集でもねべしな」
 と、呆れたふうに言った。
 夜は彼のベッドの下に蒲団を敷いて寝た。
「このベッド、どうしたの?」
「君子姉ちゃんがじっちゃに新しいベッド送ってよごしたすけ、お古を譲り受けたのよ」私が寝入るまで、彼はベッドの上からなんのかのと語りかけた。
「カズとおめは、ワの兄弟だすけな」
 むかしと同じことを言った。彼が年かさになっている分、むかしよりはなんだか鼻についた。
「一回(け)、カズに会いにいってよ」
「元気だった?」
「合船場さ帰りてってへってらった。とっちゃもかっちゃも妹ばりかわいがって、カズにつらく当たるんだと」
「帰ってくればいいのに」
「ワもそうへってやった。おめもカズも、家出は得意だはんでな」
「うん。きっとばっちゃは喜ぶよ」
「ほんだんだ。たぶん、もうすぐ家出してくるこった」
 涼しい風が吹きはじめる昼下がりには、ばっちゃが茹でたキビを齧りながら、立体地図の宿題をやった。遅々として進まなかった。
「すたらの、やんねくてもいがべ。勉強なんてのは、中学校からできるようになればいいんだ」
 善夫に言われ、四宮先生からも、やれるところまでやればいいんですよ、と言われていたのを思い出してその気になった。
「映画でもいぐが」
「うん」
 久しぶりに銀映にいった。ちゃんと正面入口から入った。『いつか来た道』という音楽映画を観た。バイオリンの上手な盲目の少年が、白血病で死んでいく話だった。ウィーン少年合唱団が日本までやってきて、病床の少年に『この道』を合唱してやった。みんな泣いていた。善夫も涙を流したけれど、私は泣けなかった。病気や事故や生活の苦しさがもとで人間がどれほど不幸になろうとも、そこに同情や慈善ではないもっと皮膚に近い愛情が絡んでこなければ、私の心は涙に結びつかないのだった。しかし、盲目の少年は、私にそういう愛情を感じさせるにはあまりにも醜い顔をしていた。おそらく映画の中の人びとも私と同じ気持ちではないのかと思った。
         †
 海辺でブヨに食われた膝の裏のくぼみが化膿しはじめたので、ばっちゃに包帯を巻いてもらった。かえってジュクジュク化膿が進んだ。何日目かの夕方、晩めしのあと善夫と風呂にいき、傷を石鹸で洗った。膿が取れ、真っ赤な深い傷になった。ひどく沁みた。湯船に浸かりながら、
「ベッドでいっしょに寝るべ」
 と善夫が言った。いやだったけれど、うん、と応えた。
 ベッドは汗くさかった。善夫は何とも感じていないようだった。彼は床の中でも、しつこく兄弟愛のようなものを語った。そして、私があくびをしはじめると、まじめな顔で学校の教科書を開いた。
「おめがいるすけ、じっちゃは黙ってるども、毎晩九時過ぎると部屋に入ってきて電気消してしまる。いっつも、蒲団さもぐって懐中電灯で勉強すんだ」
 そのときだけ、私は彼のことをつくづく立派なやつだと思った。
「暑いからベッドの下で寝る」
 と言って、足もとの蒲団に移動した。饐えた汗のにおいのせいで眠れなかったからだ。青梅とちがって、タオルケットなどというしゃれたものではなく、厚い掛蒲団一枚だけなのだが、中の綿が撚(よ)って隅に固まってしまっていて、被布だけになった真ん中は、八月半ば過ぎの野辺地では寒く感じた。
 翌日、善夫がバレー部の合宿で何日か泊まりこみに出かけるというので、私は予定を早めて、ばっちゃと帰り支度にかかった。じっちゃが、
「そたらにあわてて帰らなくてもいがべ。古間木のサイドさんところさいってこい」
 と笑う。大恩のある人だから、というようなことを言った。
「また会おうな、キョウ。たまには手紙よこせ。忘れんな、オラんどは兄弟だすけな」
 そう言って善夫はバッグ担いで出ていった。
「サイドさんに電報打ったすけ」
 玄関でばっちゃが言った。気が進まなかった。
 古間木駅に、善郎の手を引いた椙子叔母が迎えにきていた。
「叔父さんは?」
「昼まで仕事してくるてじゃ」
 駅舎の前から、杉の大木越しに三階建ての国際ホテルが見えた。むかしよりもずっと小さく感じた。生まれて初めてタクシーに乗った。斉藤家の暮らし向きのよさが子供心に偲ばれた。国際ホテルの玄関前を、船形の帽子をかぶった軍人たちが往き来していた。タクシーはホテルの右手の踏切を渡り、ひたすら山の手へ真っすぐ走った。桜町の中央公園というところで降りた。記憶していたとおり、舗装されていない松並木の道があった。
「ここで善郎は乳母車から落ちたんだよ。コブは治った?」
 冗談のつもりで、三歳の善郎に尋いた。ふん、という感じで彼は横を向いた。叔母さんも何のことか思い出せないようだった。
 カラン、カランと鈴を振ってアイスキャンディ売りがやってきた。水色のクーラーボックスを載せたリヤカーを牽いている。善郎が買ってくれとせがんだ。叔母は私の分と二本買った。クーラーボックスと同じ水色の、太くて長いアイスキャンディだった。甘くておいしかった。
「ここから岡三沢小学校まで、どのくらい?」
「二キロもあるべか。自転車で十五分ぐれだ」
 昼を過ぎてもサイドさんはなかなか帰ってこないし、椙子叔母さんは趣味の洋裁で忙しかった。どういう原始的な記憶からか、私に反感を抱いているらしい善郎は遊び相手にならなかったので、私は仕方なく外に出て、隣の官舎棟の男の子としばらく遊んだ。顔だけ丸い、へんに痩せて威張りくさったその子に、みんなで公園の便所へ連れていかれ、肝試しみたいに順繰り彼のチンボをくわえさせられた。だれも平気そうだったけれど、私はゲッと吐きそうになった。男の子はゲラゲラ笑った。その様子を遠くから眺めていた年かさの女の子が、私をブランコに誘い、
「こんなに高く漕げる?」
 と得意げにブランコを高く漕いでみせた。スカートが風にめくれ、パンツの股に真っ赤な血が滲みているのが見えた。京子ちゃんといい、この女の子といい、女というものはいつもパンツの股を汚くして生きているのだと思った。
 ようやく帰ってきたサイドさんを囲んで夕食になった。卵焼きとポテトサラダと白身魚の塩焼きだった。叔母さんと善郎はさっさと食事をすますと、襖を開けた隣の部屋で楽しげにジャレ合いを始めた。サイドさんはにこにこ笑いながら、それを眺めていた。得体の知れない隔たった気持ちが、私の腰を浮かせた。この平凡で難解な場所から、早く逃げ出したくなった。
「ぼく、きょうじゅうに帰らないと。あしたの汽車に乗るから」
 一泊の予定を、偽りを言って、立ち上がった。サイドさんはあのときの自転車の荷台に私を乗せて、古間木駅まで送ってきた。あのときと同じように、よいしょ、よいしょ、とペダルを踏んだ。サイドさんだけは好きだった。
「横浜の学校では、ちゃんとやってるか?」
「うん」
「母ちゃんに心配かけないようにしないとな。母一人、子一人なんだから」
「うん」
 彼も私の嫌いな言葉を言った。
「苦しいことあったら、手紙よこすように、母ちゃんに言ってくれ」
「うん」
 国際ホテルをもう一度、目の裏に焼きつけた。サイドさんはホームでいつまでも手を振っていた。列車が遠ざかっていくのが少しさびしかった。
 夜に帰ってきた私を見て、祖父母が驚いた。
「泊まらなかったのが」
「うん。替えの包帯がなかったから」
 取ってつけた理由にばっちゃが笑いだした。じっちゃも笑いながら、
「変わりもんだすけなあ」
 と言った。
 残りの何日かは、子供部屋で夏休み帳を適当に埋めてすごした。じっちゃは新聞や雑誌に屈みこみ、ばっちゃは夕方までホタテの紐通しに海浜へ出ていた。私は町のどこにも出かけなかったし、親戚を含めて見知った顔は一つも合船場に訪ねてこなかった。義一と海で犬かきをしたり、雪の中をいっしょに家出したりした五年前とちがって、毎日が変化のない時間で一律に塗りこめられていて、どうしようもなく退屈だった。早く横浜へ帰りたいと思った。
         †
 じちゃが玄関で手を振り、ばっちゃが野辺地駅まで見送りについてきた。彼女は歩きながら訊いた。
「来年もくるが?」
「わかんない。かあちゃんが決めることだから」
「なんたかた、くればいがいに」
「そうはいかないよ。お金もかかるし」
 知ったようなことを言った。
「金なら、送ってやら」
 ばっちゃのトランクの角が、横を歩いている私の膝の裏にぶつかり、包帯の上からもろに傷口をえぐった。
「痛い!」
 私は邪険な叫び声をあげた。一瞬ばっちゃはキョトンとした顔をしたけれど、すぐにすまなさそうに萎れてしまった。


         十一

「あしたは運動会だよ」
 夕食の卓袱台で言った。
「運動会なんかいけるはずないでしょ。仕事なんだから」
 母がうるさそうに応えた。私はただ、ふだんの授業がないことを教えただけなのだ。毎年この問答を繰り返している。別に催促しているわけではないので、私は母がこなくてもちっとも残念な気はしないし、かえって伸びのびしていられるのだ。
 翌朝起きると、母の姿はなく、卓袱台の上にバターを塗って砂糖をまぶした食パンが一枚、それから例年のとおり三十五円置いてあった。そのうちの二十円を持ち、トレパンのポケットにしまった。紅白の運動帽をかぶり、白足袋を握って外へ出る。食パンを齧りながら、楠町を目指していく。このごろではいつも『鶴乃湯』の柴山くんを誘う。
 柴山くんとは二学期の初日、登校の道でたまたま知り合った。北楠町と鶴屋町陸橋のあいだに鶴乃湯がある。道路に面して焚き口に通じる裏戸があり、かわいらしい柴犬がいつも忠実そうに番をしていた。道を挟んだ空地に薪が山のように積んである。ちょうど登校の時間に、きまってその空地で筋骨たくましい五十年配の男が斧をふるっていた。
 ある日、立ち止まってそれをじっと見ていたら、裏戸から背の低い少年が出てきて、
「あれ、きみ、神無月くんでしょ」
 と声をかけた。見たこともない子だった。
「うん」
「ここ、通り道なの?」
「いつも通るよ」
「じゃ、これからはいっしょにいこうよ。朝、こっから声かけてね」
 裏戸を指差す。
「どうしてぼくのことを知ってるの?」
「千葉くんから聞いたんだ」
「さぶちゃんに?」
「そう。三年生でクラスがいっしょになってさ。よく神無月くんの話をするんだ。猿にやられたこととか、自転車こわしたこととか。いつか神無月くん、昼休みに千葉くんたちとソフトボールしてたでしょ。ずいぶん遠くへ飛ばしてたね。ぼくもあんなふうに打てたらいいなあ」
 ソフトボールといえば、去年の夏、一度テルちゃんに誘われて宮谷小学校の校庭で試合をしたことがあった。サーちゃんや、ター坊や、近所で何回か見た顔も混じっていた。どっからきた、とサーちゃんの弟が尋いた。
「高島台」
 テルちゃんがニヤニヤしながら、
「〈青森の〉高島台からきたんだってさ」
 と、意地悪そうに言った。
「イナカッペじゃん」
「なんだい、その黒い靴下」
「カッコつけんなよ。生意気じゃん」
 口々に罵る。ター坊にバットの先で背中を小突かれ、サーちゃんの弟にふくら脛を蹴られた。サーちゃんは見ないふりをしていた。
「新米、おまえ九番な。ライト」
 とだけ言った。九人の中でいちばん最後に打つ、守るのは右の奥、と教えてもらった。テルちゃんが三番ショートで、サーちゃんが四番ファーストだった。グローブなしでライトを守らされた。運よく打球は一度も飛んでこなかった。自分の番が回ってくるまでのあいだに、ルールはあらかた覚えてしまった。
 ようやく打順がまわってきて、生まれて初めてバットを握ったとき、全身がぞくぞくした。これまで感じたことのない興奮だった。バッターボックスに立つと、
「ギッチョパー、ギッチョパー」
 とはやされた。みんなと逆の位置に立っていることがわかった。福原さんの家で何回か観たプロ野球中継でも、たいていの選手はピッチャーから見て右の打席に立っている。でも左利きの私には、こっちのほうが上手に腕を使える感じがした。一球目のボールを思い切りひっ叩いたら、ボムッ、という手応えがあって、自分でもびっくりするくらいボールが高く舞い上がった。ボールはぐんぐん伸びて、ライトの後ろの生垣まで飛んでいった。
「クソぢから!」
「マグレ野郎!」
 ベースを回っているあいだ、彼らは口々に罵った。ホームインすると、とつぜんサーちゃんに、
「帰れ」
 と言われた。それきり二度とソフトボールに誘われなくなった。そんな話をさぶちゃんにしたら、昼休みのソフトボールの仲間に入れてくれたのだった。
 きょうも鶴乃湯の裏戸から呼びかけると、手回しよく赤い鉢巻して白足袋を履いた柴山くんが出てきた。風呂敷に包んだ弁当を持っている。
「おいなりさんと、鮭のおにぎり。神無月くんの分も作ってもらったからね」
「ありがとう」
 ポケットの二十円は貸本に回そうと思った。
「歯笛、吹けるようになったかい」
「だいぶね」
 登下校の道々、彼に歯笛を教えてもらっていた。奥歯に舌の両側を挟むようにするのがコツで、その形を保ったまま舌を緊張させるのが難しい。柴山くんほどいい音は出ないけれど、それでもふつうに流行歌が吹けるようになった。鶴田浩二の『好きだった』はとくにうまく吹けた。きょうは『バス通り裏』をいっしょに吹きながら歩いていった。



「柴山くんちも、だれも運動会にこない?」
「こられたら、恥ずかしいよ。幼稚園じゃあるまいし。ぼくは授業参観にもこないでって言ってるんだ。恥ずかしいからって」
 私はうれしかった。
 五人ずつで走る徒競争で柴山くんは二等になり、私は四等、さぶちゃんはもちろん一等だった。昼めしは三人で食べた。さぶちゃんは玉子サンドと交換に、柴山くんの弁当箱からおにぎりを一つつまんだ。
「あそこに、すごいデブがいるだろ」
 柴山くんが仲良く弁当を食べている家族を指差した。さぶちゃんがうなずいた。
「台町の高島か。〈高島台〉だもんな、笑えるよ」
 高島の運動着が左右に引っぱられ、隙間から腹の肉が見えている。そういえば鶴乃湯から坂道を登っていくとき、彼が大きな門から出てくるのに何度か出会って挨拶の声をかけたことがあったけれど、いつも無視された。おはようと声をかけられて、おはようと応えないやつがこの世にいると知って、私は肝が冷えた。柴山くんが眉間に皺を寄せて、
「金持ちなのを鼻にかけてさ、しばらくいっしょにかよったけど、やめた。運動も勉強もぜんぜんできないくせに、えばってやがるんだ」
「だから、えばるしかないんだよ」
 さぶちゃんがいつものすがすがしい眼で決めつけた。赤玉白玉の放送が流れたので、三人紅白の帽子にかぶり直し、校庭の真ん中へ走っていった。
 運動会が終わると、校門でさぶちゃんとアバをした。帰りは歯笛ではなく、コロムビア・ローズの『どうせ拾った恋だもの』を合唱しながら歩いた。
「いつも薪を割ってる男の人、だれ?」
「おとうさん。年とってるでしょ。ぼくは遅く生まれた子だから」
「ふうん」
「お風呂入っていきなよ」
 初めての誘いだった。柴犬の頭を撫でながら裏戸を入り、焚き釜の熱でむんむんしているコンクリートの路地から、狭い板の間に上がった。柴山くんに倣って服を脱いだ。パンツを脱ごうとしているところへ、とつぜん腹巻姿の柴山くんのお父さんが飛びこんできて、フルチンになると、小さな木戸を開けてくぐった。大きな浴槽が見えた。
「いこうぜ!」
 柴山くんは木戸を走り抜けて、ざんぶと飛びこんだ。私も同じように飛びこんだ。すでにお父さんは小さな湯船のほうに浸かっている。
「おとうさん、神無月くんだよ」
 ちらとこちらを見たきり、目をつぶって浪曲のようなものをうなっている。柴山くんと二人やかましく笑い合いながら、お湯のかけっこをした。柴山くんのお父さんは洗い場に上がると、何回も腕立て伏せをした。腕と尻の筋肉がもこもこ動くのに合わせて、サツマイモのようなチンボがタイルにくっついたり離れたりした。
「はい、こっちきて!」
 お父さんは柴山くんと私を二人並べて、石鹸を塗りたくった。ときどき彼の胸が私の肩や背中に触れた。ベッドで触れる母の肌とはちがう、疎遠なのに、包みこむような安心感があった。
 その秋の終わり、柴山くんはとつぜん転校していった。川崎のほうで新しい風呂屋をやることになったらしいと、さぶちゃんから聞いた。浪曲をうなっていたときのお父さんのさびしそうな顔を思い出した。お風呂に誘ってくれた柴山くんの気持ちがしみじみわかった。
 秋から冬にかけて、私は一人で歯笛を吹きながら登校した。鶴乃湯の煙突のペンキ文字が消されて、別の風呂屋の名前に書き換えられていた。
         †
 去年四宮先生から代わった担任の高辻先生に率いられて、反町東映へ年の瀬恒例の映画鑑賞会にいった。今年は『米』という映画だった。琵琶湖のほとりで農業と漁業をして暮らしている一家の話で、働き者の母親が生活の苦しさから密漁か何かをして、罪の意識に耐え切れずにとうとう自殺してしまうというストーリーだった。どうして死ななければならないのかよくわからなかったけれども、夜風にさざ波が立つ湖の岸に揃えて置かれたゾウリが哀しかった。
 
         †
 青木小学校から浅間下に帰りつくころ、バットや竹竿を手にした連中が電信柱の陰からバラバラと現れ、私の前に立ちはだかる。肥柄杓をかついだテルちゃんの顔も混じっている。
「なんでおまえ宮小にこないんだ? 嘘八百野郎。嘘ばっかしつくんで入れてもらえないんだろ」
 竹竿でふくら脛を打たれ、バットで背中をどやされる。ドブの水が勢いよく胸にかかる。私には自分がなぜそんなことをされるのか痛いほどわかっている。
「ドン百姓、田舎へ帰れ」
「田植えでもやってろ」
「また嘘ついたら、チンボ切るぞ」
「サー兄ちゃんが生き埋めにするぞ」
 竹竿がシュッとしなる。バットが脇腹に食いこむ。くさくて冷たい水が学生服にかかる。私は両足を踏ん張り、一滴の涙も流さずに彼らの制裁を甘んじて受けた。
 制裁―
 あることがきっかけで私は嘘つきの烙印を捺されてしまい、サーちゃんの手下たちから村八分の制裁を受ける破目になった。それは母の寝物語が発端だった。
「あのオカズ屋のガキ大将ね、あの子がしゃべって飛んだ唾がつくと、そこから腐るんだよ」
 私はしばらくベッドの中でもぞもぞしていた。ふと見上げた天井に冬のゴキブリが貼りついている。この世でいちばん恐ろしい生き物だ。私が身もだえすると、それはぞっとするような早さで隅の暗がりへ疾走していった。やがて母のいびきが聞こえてきた。私は彼女のしわの寄ったまぶたや、うっすらとうぶ毛の生えた唇を眺めながら、サーちゃんの唾のことを考えて眠れずにいた。
 あくる日の夕方、空き地で模型飛行機を飛ばしていたテルちゃんに事実を知らせた。テルちゃんは目を大きく剥いて、それから不機嫌そうなため息をついた。
「みんなに教えてあげてね」
 いいことをしたという満足感で私は胸がいっぱいになった。
 ところが次の日になると、私の笑顔の挨拶に応える仲間は一人もいなかった。密告者を置き去りにして、みんなで楽しそうに遊んでいた。私は庭の檜をズック靴で蹴りつけ、感謝のない彼らの態度を憎んだ。
 母が帰ってきて、いつものようにサーちゃんの惣菜屋へおかずを買いにやらされた。しばらく店の外にたたずんでから、おそるおそる、不潔なものに近づくようにウィンドーに寄っていった。
「これ、ください」
 売れ残ったコロッケを指差した。コロッケなら熱い油で消毒してあるからだいじょうぶだろうと思ったのだ。店じまいにかかっていたサーちゃんのお父さんが、無愛想に奥へひっこんだ。入れ替わりに母親が勢いよく出てきた。私を睨みつけ、
「うちのものには、サーの唾がついてっから、気の毒で売れないね」
 太ったあごを反り上げ、断固とした調子で言った。めったに機嫌を崩したことのない女が不気味な怒りに燃えている。
「食べたら舌が腐るし、飲みこんだらハラワタが腐るよ。へたな仏心出して、お縄になっちゃたいへんだ。なんとしても売れないね」
 私は一瞬のうちにすべてを理解した。母は嘘を言ったのだ。いわくありげに、さも重大な秘密を教えてやるとでもいうふうに母は話した。彼女の言葉に一度も疑いを抱いたことのなかった私の耳に、それは真実そのものに響いた。母が嘘をつくなど、ありえないことだった。でも、人間が蛇やトカゲの毒を持っているという話は荒唐無稽のきわみで、いくら信頼している人の言葉でも、少し考えればでたらめだとわかりそうなものだった。目の奥がキリキリ痛み、いちどきに涙が湧いてきた。
「耳が聞こえないのかい。帰んな、帰んな」
 私はベソをかきながら、いつまでも店先に立っていた。おかずを買いそこねて手ぶらで帰るのはじゅうぶん恐怖に値することだったけれども、それよりいますぐサーちゃんに謝らなければいけないと思った。
「ごめんなさい!」
 私は、その場にいないサーちゃんに向かって、大きな声で叫んだ。
「嘘にもタチのいい悪いがあるからな」
 奥から引き返してきた父親が、母親と顔を並べて無情に言った。
「帰れ、ドン百姓!」
 いつのまに出てきたのか、二人の肩口からサーちゃんの弟が怒鳴った。私はあわてて彼らに背を向けると、暗い道へ引き返した。そうして、涙をこすりながら浅間下の商店街を目ざして走っていった。


         十二

 母はふだんから、近所の子供たちを好かなかった。レベルが低いと軽蔑していた。だから、彼らにまぎれてレベルの高い私が遊ぶのを嫌ったのだ。でも、そんなことがわかったからといって、もう取り返しがつかない。
 以来ずっと彼らの制裁がつづいている。ちょうどたくさんの犬が一匹の傷ついた犬をいびるように、みんなで私を圧しつぶそうとしている。抵抗ができないせいで、傷はいっそう深くなる。自分がいじめられるのはいい。私は母の名誉を守るただ一つの方法は、事実を母に知らせないで制裁を受けつづけることだと覚悟した。口惜しくて、悲しかったけれど、私はそう決めたのだった。
 それは母子の絆にできた最初のほつれだった。私はその夜を境に、枝が幹にすがるような、母に対するゆるぎない信頼をぼんやりと失いはじめた。恨みに思うことはなかったけれども、幼い心に少しずつ貯えてきた感謝の思いや、折に触れて感じてきた濃(こま)やかな愛情が薄れていき、だれでもいい、母から少しでも遠く離れていて、頼りになる別の幹を探さなければという、焦れたような気持ちになった。
 努めて表情に出さないようにはしたけれど、それ以来、母がそばにいるというそれだけのことが耐えがたい苛立ちを引き起こすようになった。父の像が急に大きく膨らみはじめたのも、そのころからだった。しかしどんなに父に憧れていても、彼を懐かしむような言葉を口にすることは厳禁だった。そんなそぶりをチラリとでも見せようものなら、かならず母は目に角を立てて、
「とうちゃんのところにいきたいなら、いってもかまわないんだよ。私にはおまえを止める権利はないんだから」
 と、私の感情を父親か母親のどちらかへ真っ二つに断ち割るように、尖った声で言うのだった。
         †
「キョウちゃんの作文、表彰されたんだって?」
 隣部屋のおばさんが炊事場で母に話しかけている。
「ええ、横浜市から賞状をもらったんですよ。うちのかあちゃんは工場から帰ると、晩ごはんよりも寝たいといつも言う、って書いただけなんですけどね」
「なかなか書けることじゃありませんよ。つづり方兄弟みたいなもんだねえ。でも、最近へんな事件が起きたでしょ。作文の上手な女の子が栄養失調で死んじゃったって、聞きました? その子も母一人子一人だったんですって。『どろんこ天国』って映画にまでなって、五万円という大金が手に入ったとたん、母親の生活扶助は取り消されるわ、あっちこっちから無心されるわ、愚連隊に盗まれるわで、気の毒に、最後は餓死しちゃったらしいじゃないの」
「ですってね。その女の子の作文は、新聞公募の立派なものでしょ。『かあちゃんはチンドン屋』でしたっけ? この子の作文は、市のコンクールに学校が出品した程度のものでしてね、そんなドラマチックな内容でもありませんから、映画化なんかされるはずもないし、まったく心配はいりませんよ。それにしてもタカリ屋って種族は、人を食い殺しても平気なのね。一度の臨時収入ぐらいで、生活保護を取り消しちゃった国も国だけど。……母親は生き延びたんでしょ?」
 口ぶりがどこか冷やかだった。私は、大金をいっぺんにもらって、周囲の金の亡者たちに食い殺されてしまったその女の子を、心から気の毒に思った。
         †
 学校の帰り道、さぶちゃんがランドセルを背負ったまま浅間下に遊びにきた。
「この十字路まで、片道四十分だよ」
「かようの、たいへんじゃん」
「平気だよ。一度、市電にタダ乗りしたことがあるんだ。かあちゃんのむかしの定期見せて降りたら、何も言われなかった」
「アハハハ……」
 さぶちゃんは私のいちばんの理解者だ。
「キョウちゃんが引っ越したから、メンコの相手がいなくなっちゃった。弱いやつとやってもつまんないよ」
「ぼくもあんまりメンコしなくなった。みんな相変わらず空き地でメンコやビー玉やってるけど、よく飽きないもんだね」
「弱いからだよ。強いと上がないから、飽きるしかないもの」
 なるほどと思った。高台の住人であるさぶちゃんは、玄関と道が接しているような浅間下の家並や、ドブを流す石堀をめずらしそうに見つめながら歩いた。
「だれだい、あいつら」
 電信柱の陰からテルちゃんたちの顔が覗いている。彼らは、堂々と胸を張って歩くさぶちゃんに恐れをなしたのか、近づいてこない。
「あいつらいつもぼくを待ち伏せして、竹竿で叩いたり、ドブの水をかけたりするんだ」
 さぶちゃんは胸が痛むような表情をした。私はそうされる理由を言わなかった。正義漢のさぶちゃんの眉を曇らせたくなかったし、何よりも母の名誉を傷つけたくなかったからだ。
「ぶっ飛ばしてやる!」
 さぶちゃんが目をいからせてずんずん近づいていくと、テルちゃんたちは一目散に走って逃げた。
「今度へんなことされたら、青木橋の千葉三郎が仕返しにくるぞ、って言っといて」
「うん」
 大家の玄関脇を抜けていくとき、テルちゃんが二階の窓から尖った眼で見下ろしていた。さぶちゃんが見上げると、テルちゃんの首が引っこんだ。
「さっきのやつじゃん」
「うん、大家さんの子」
「弱っちい感じだ」
 さぶちゃんは、のしのし薄暗い三帖の板の間に入ってきて、好奇心に満ちた目で部屋を見回した。私は窓を開けた。
「いい部屋じゃんか。あ、六球スーパー。うちにもあるよ」
 
 水屋の上のラジオを撫ぜる。六球スーパーどころか、さぶちゃんの家にはテレビだってある。私はベッド箪笥の抽斗を開け、
「もうこのメンコ使わないから、あげる」
「へえ! 千枚以上あるね。でも、いらないよ。ぼくも二千枚くらい貯めたから。また勝負しようぜ」
「うん」
 さぶちゃんはどっしりと腰を落ち着け、ベッドに寄りかかった。私は六十ワットの電灯をともし、部屋を明るくした。さぶちゃんの眼が本箱に向いた。
「キュリー夫人、野口英世、シュバイツァー、か……」
 めずらしそうに一冊一冊引き出しては、ぺらぺらやる。
「かあちゃんが、こんなものばかり買ってくるんだ」
「あれは?」
 彼はベッドの枕もとに置いてあった漫画にも気づいた。
「貸本だよ」
「寺田ヒロオ、スポーツマン金太郎、か」
 
「それ、とってもおもしろいよ。貸してあげようか」
「いいよ。青木橋にも貸本屋があるから、自分で借りて読む」
 さぶちゃんの帰っていく時間を少しでも遅らせるために、私は親切な白髪のお婆さんのことを話した。五円で何冊も借りられるようになったと言うと、さぶちゃんは目を丸くして微笑んだ。
「もう三百冊以上は借りたよ」
 さぶちゃんは感心したように私を見つめた。
「凝り性なんだね、キョウちゃんは」
「K・元美津とか小島剛夕とか、ぜんぜんおもしろくないものもあるよ。平田弘史、臣(おみ)新蔵、白土三平はおもしろい。でもやっぱり辰巳ヨシヒロがいちばんすごいな。幽霊タクシーなんか読んだら、きっとびっくりすると思う。劇画って言うんだ。絵に迫力があるよ」
 
「ふうん、なんでも知ってるんだね」
 さぶちゃんは、卓袱台の上にのっている五十円硬貨を見つめて、
「五十円もお小遣いもらってるの?」
「細かいのがないからって、きょうだけ特別に置いていったんだ。使えるのは十五円だけ。……何か、おごってあげようか」
 五十円玉を手に取り、ドキドキしながら尋いた。
「キョウちゃんが大切に使いな。そんなふうに、気前よく人におごったりしちゃいけないよ」
 私は内心ほっとした。
「そろそろ帰ろうかな。お腹がすいちゃった」
「ご飯食べていきなよ。もうすぐかあちゃん帰ってくるし。ご飯を炊くの、ぼくの役なんだ。いっしょにおかず買いにいこうよ」
「ご飯くらい自分の家で食べなくちゃね。いつかキョウちゃん言ってたろ、ご飯どきに人の家にいっちゃいけないって。ぼく、忘れないよ」
「でもあれは、ひろゆきちゃんちだったから……」
 語尾が口の中で融けてしまった。さぶちゃんは腰を上げずに話しかけた。
「自転車、痛快だったねえ」
「ひろゆきちゃん、どうしてる?」
「塾に通って、中学受験の勉強。お祖父(じい)ちゃんが早稲田でお父さんが東大だから、どうしても勉強しなくちゃいけないんだって。座布団腐らすんだって」
「ふうん、なんだかよくわかんないな。あのこわれた自転車、どうなったんだろう」
「気にしなくていいよ。あんなけちん坊の自転車のことなんか。このごろ、キョウちゃんの気持ちがわかるんだ。イヤなやつさ、あいつは。あれ? おサルの傷、少し残っちゃったね」
 毎日学校で会っているのに、いま気づいたように言う。そのことはときどき母の姿見を覗きこんで、知っていた。西脇所長はやさしい嘘をついたのだった。さぶちゃんは、話すことがなくなってしまった様子で、
「でも、少し離れると、ぜんぜん目立たないよ」
「かあちゃんが、この傷のせいで人相が悪くなったって」
「そんなことないったら。キョウちゃんは、めちゃくちゃ美男子だぜ」
 窓の外が暗くなり、電燈をつけた。沈黙がやってきた。
「じゃ、いくね。今度はぼくんち、遊びにきなよ」
 そいつ飯場の子だろ、と言って、家に上げてくれなかったアッちゃんことを思い出した。
「うん、いつかね」
 とっぷり暮れた道を宮谷小学校の正門まで送っていった。道の途中でさぶちゃんが思いついたように言った。
「ソフトの監督が、キョウちゃんのことを天才だって言ってたよ。ふつうの打ち方じゃないって。このまま野球をやりつづければ、日本を代表する選手になるだろうって」
「ふうん。うれしいな」
「ぼくもそう思う。ぜったいプロ野球選手になってね」
「なれるかなあ……」
「キョウちゃんみたいな子しかなれないんだよ。つまり、天才というやつしかね。キョウちゃんがプロ野球選手になったら、ぼく、いつも応援するからね。野球場にも試合を観にいくよ。楽しみだなあ」
 プロ野球選手―去年の春、映画館で長嶋の四打席連続三振のニュースを見たときと同じように、耳の後ろがザワザワした。それは遠い夢のような話だった。しかし、生まれて初めて、もろ手を挙げて自分の存在を肯定された瞬間、その夢は私の胸の奥深くに棲みついたのだった。
「アバ!」
 さぶちゃんは大声をあげて手を振った。
「アバ!」
 暗い道を帰ってきて、六十ワットの下にぽつんと立った。お米を研いで、おかずを買いにいかなければならない。さぶちゃんを送るついでに、浅間下の商店街で買ってくればよかった。卓袱台に目をやると、置いてあったはずの五十円硬貨がなかった。
 私は転がるように表へ飛び出し、浅間下の交差点めざして走った。三ツ沢坂下の通りまで一息に走り、楠町のほうを遠く見やったけれど、忙しそうに行き交う自動車のヘッドライトしか見えなかった。
 さぶちゃんの輝くような笑顔が浮かんだ。
 ―さぶちゃんが、お金を盗むなんて! 
 そんなことがあるはずがない。でもさぶちゃんが盗ったのでないとしたら、五十円玉はどこへ消えてしまったのだろう。私は肩を落として引き返した。
 三畳の板の間が寒々としていた。床にさぶちゃんの読み差した貸本が何冊か散らばっている。ぼんやりその本をつまみ上げた。チャリン、という涼しい音がして、ニッケル硬貨が卓袱台の下へ転がっていった。私は身もだえするような思いで床にへばりついた。
「あった!」
 みるみる喜びが押し寄せ、五十円玉を握りしめながらごろりと仰向いた。電燈の光がまぶしくて、部屋の明るさが急に増したように感じられた。さぶちゃんの切れ長の明るい瞳が、私を責めるようにじっと見つめている。たまらず立ち上がると、明るい電燈の下の自分の影影が急に縮んでいった。
 ―ごめんね、さぶちゃん……。
 心の中で呟いたとき、これまで自分を支えてきた生活の芯がはっきり意識され、母といっしょに乗り継いできた列車がゴトリと停まった。私の顔は、今度こそ、母から離れていく決意に苦しく歪んだようだった。
                  

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