十三 

 今度のことで私は、母の私に対する生理的に根強い反感をはっきりと知った。彼女と付き合うかぎり、私はその反感と戦いながら、これからもずっと自分をすり減らしていかなければならない。これまで私の生活がいっときでも、手足を動かすように自由なことがあっただろうか? 彼女は押しつけがましかった。山手のブルジョワ学校。そこの生活は楽しくはなく、心の丈にしっくり合っている感じもしなかった。ごはんよりも寝たい、という作文を一つの団体に選ばせたのも、実質的には文章の力ではなく、母の押しつけがましい奇異な疲労が私を拘束していることへの同情だったにちがいない。
 その不自由な生活も、あの夜の名古屋駅のコンコースで終わった。ぎくしゃくと噛み合わずに連続してきた日々は、あの夜を始発駅にしてなめらかに進みはじめた。いまの生活は、自分の意思が導いた結果のように見えて、じつは単に、強いられた生活をうまく捨てられたことで、タナボタで手に入った自由だった。この先は、その自由を奪われないための闘いの連続になるだろう。闘いこそ自由でありつづけようとする者の義務だ。不自由だったときには、その義務さえ望めなかったのだ。
 そんなことを考えているうちに、私は机に首を垂れてウトウトした。すぐに、じっちゃの尖った声に起こされて闇の中に目を開いた。さっきまで、腹を立てるでもなく、言い返しもしなかったじっちゃが、神経質な低い声を搾り出している。
「口固くして、考えなしにしゃべったりしねことだ。そたら、てめかわいいだけの口は開げねほうがいい。わが子は、血まなこになって庇うのがあたりめだ。おめごときがキョウを笑い草にするなんぞ、許しがて。自分の往昔(おうせき)を考えてみろ。長生きしただけの人間が若(わ)げ心を笑うなんぞ、許せることでね。人のもの盗るのは何ほどのことでもねども、人の気持ちをいたぶるのは罪が深えど。やあや! ガキでもあるめに、おめは自分がどういうことをしたかわかってねのが。もうなんも、ふとつも取り返しがつがねんで。おめにあるのは、たんだ見栄だけよ。おめが誇り高げえ人間だってへるなら、場合によっては人に負けてやるのがあたりめだべ。ちゃんと負げることは、大したことだすけな。……神無月さんはえらい人だった。おめにとっつかまって、それこそ、人生狂ってしまったんだ。おめの手にかかって、あの人は死んだんだ」
 佐藤善吉という男は、思うところをしゃべることができたのだった。その断罪の口調は、思わず母のことが気の毒になるくらい烈しいものだった。じっちゃは神無月大吉と自分の娘との結婚のゆくたても知っていたし、また娘を侮辱したいわけでもなく、彼女が夫に捨てられた女であることを知らないわけでもなかった。ただ、彼はこの長女がどこか苦手だったせいで、彼女が若いころには放任しておいたし、自分とのあいだにある愛情の欠如を治療もしておかなかったのだった。
 私は戸を少し開けて覗いてみた。心静かなときには分別と知性をたたえているじっちゃの気品のある風貌が、いまは怒りに燃えていた。ぎっしり生えた白髪のせいか、いつもの広い額がぐっと狭くなって、鬼のようにも見えた。母の後頭部が見えた。彼女はじっちゃの難詰を馬の耳に念仏と聞き流しながら、笑いを浮かべている気配さえした。たぶん、かわいがられた娘であるという甘えから、老いた祖父母の気持ちを深く考えてみることはほとんどしないで、一見人好きのするわが子に対して彼らがまちがった判断をしたにちがいないと思いこんだようだった。
「相変わらず、叱言幸兵衛ですね。どうもこの子は、あなたがたの気受けがよかったみたいで……。あなたがたには、この子の悪辣なところがわからないんですよ。虫も殺さない顔をしてますから」
 今度は、ばっちゃが爆発した。
「勝手に送りつけといて、開けてくやしや玉手箱ってか! いいも、悪いも、なんも期待してねじゃ。この齢になって、玉手箱の中身を確かめてみる気もしね。孫かわいい、それだげだ。そたらにいやなら、ワにくれろ。ジェンコなんどいらね。ちゃんと養ってやら」
「お金はきちんと送りますよ」
 げんなりした声で母が言った。
         †  
 翌朝、母はばっちゃの支度した朝めしには箸をつけず、茶ばかりすすっていた。そして露骨に不機嫌だった。怒りともちがう、憂鬱とも異なった、こういう他人の感情を足蹴にして省みない顔の衣装は、私の十五年の人生の中で何人かのエゴイストに見かけたものだけれど、人間の性癖の中でも私をいちばん憤らせるものだった。反町の崖の家の爺婆、高島台のひろゆきちゃん、浅間下の悪童たち、畠中女史のお兄さん、粟田電器店の主人、宮中の中村専修郎、担任の浅野……。こういう表情だけは、どんなに気持ちが困憊したときも、生涯にわたって、自分にはけっしてできない表情だった。
「とにかく、入学試験のことだけ考えて、自重しなさい。おまえの目標にしてる高校は、ダテや酔狂じゃ受からない学校だからね。どんなきれいごと言ったって、人が気にかけるのは成功だよ。失敗なんかする人間には目もくれない」
 私は、ふん、と言って薄く笑った。
 出発間際に訪ねてきた親戚や知人に向かって、母は息子がいかに長年の苦労の種であったかを口説いた。
「おめもよく口に戸立てねで、くだらねことばりしゃべってられるな」
 じっちゃは舌打ちし、眉を曇らせながら仏間に引っこんだ。ばっちゃは母の杞憂を嗤うようなひとことふたことを客にしゃべり、彼らの腰を上げさせると、私の弁当を作るために台所に引っこんだ。
 私は、母が囲炉裏から土間に降り、去っていくときの顔を見た。その顔の奥に針金のように頑丈な一本の線が潜んでいた。私は、学校の教師や仲間を見るのと同じように、母の顔を初めてはっきりと見たのだった。私はその頑丈な一本の線を見つめながら、これまで自分の生活に影響を与えてきた彼女の生来の対人恐怖から、とっくのむかしに関心が離れていたことを知った。

 一月十六日(土) 雪
 動物でさえ常に服従している厳しい法則がある。害を与えるものからは逃げ去れ、と命じる本能の声に従うことだ。けち臭い虚栄や恐怖から、私に害を与え、不快を与える者は、常に私の魂を凍らせる不吉な存在でありつづける。彼らは私を呪う鬼神から遣わされた使者だ。彼らの地位にどんな世間的な栄光があろうとなかろうと、彼らが世間にどんな恩恵を与えていようといまいと、私は個人として彼らと関係を断つべきだ。
 この厳とした本能への服従は、命を求めて生きる人間の摂理にかなっている。私の内部には、災難を予測する感覚がある。そういう宿命的な加害者に対して感じる嫌悪の情は、生命欲の結果なのだ。たとえ世情の倫理が生命欲を否定する徳義を私に強いるとしても、私は従わない。絶えず嫌悪の本能を信じて行動する。
 危害から免れたその私は、いったいこの暗い部屋からどこへいこうとしているのだろう。ただ机の上で、まるで消えかけた蝋燭のように、危害から免れただけの炎の量で小さくふるえているだけだ。大きな闇が四方からこのかすかな炎を消しにかかっている。でも、炎は残り少ないけれども、その蝋燭はかろうじて存在しているのだ。闇の圧力に対抗して炎を支えているのは、蝋芯を形作る生命欲だけだ。いまカズちゃんがいなければ、この生命欲は消える。彼女がいれば、ふたたび炎は大きく燃え立ち、命の目指す方向が定まるだろう。


 母が戻っていき、数日の憂鬱から回復すると、私はますます規則的な日常に身をひそめた。それは《目立たずに生きる》という一語に集約されていた。
 学校で試験があるたびに、これまで以上に全力で取り組み―全力こそ擬態の最たるものだ。シニカルな怠惰は目立つ―だれの目にもつかないよう、廊下や道の端をうなだれて歩き、祖父母とカズちゃん以外の人間となるべく視線を合わせないようにしてすごした。そして生活の中から抽出された純粋な思いだけを、いのちの記録に掬い取っていった。
 このノートは、たしかに最初はカズちゃんに与えるための日記として書きはじめたものだったけれど、書き溜め、言葉を彫琢するいまとなっては、もはやつづけて彼女に手渡そうとは思わなかった。言葉の禊など、感覚の純化など、とんでもないことだった。表現にあこがれる私にそんな悠長な時間はなかった。体験の前に、まず〈言葉の純化〉だった。
         †
 毎日雪が深かった。散歩の日課は、カズちゃんに逢いにいく土曜日だけにかぎって、ひたすら善司の書棚の本と、買い貯めた詩集を読んだ。そんな日々の中で、詩だけを収めた昭和文学全集初期編という一巻を買ってきて、坂本明子という車椅子の詩人を知った。雪崩の楽章という連作詩に涙を流した。

  …………
  愛はすべてを無視するので
  不具なわたしの体をも ひたすら音を高くしてながれる
  …………
  求めてはいけない
  わたしのなかにはなにもない
  保たれた位置のほど良さ
  一歩近づくとも
  わたしも貴方に望むものがない
  …………
  わが傷める脚は 鹿の角に似て細し
  つめたく 堅し
  傷みてひさしければ
  半人半獣の族(うから)と化したれど
  性を抹消すること かなわず
  灼けつく熱帯の太陽の思慕
  未開の粗き地肌をおもえば
  溢るる生気は恋びとの上をながれる
  褐いろの腕がひらかれ
  大気のなかに抱かれんとするとき
  鹿の角 尖りて
  肉を刺せども
  痛みは陶酔のなかにつつまれ
  醸された美酒の薫りとにおいたつ
  かなしきかな
  …………


         十四

 雪が四日連続で小止みなく降っている。一月二十三日の土曜日、学校の帰りにカズちゃんの家にいき、重油ストーブをつけ、全裸になって蒲団に潜りこんで彼女を待った。思わず寝入ってしまい、性器を口に含まれている気配で目覚めた。目の前にカズちゃんの濡れた陰部があった。彼女のリズムに合わせて私も舌で愛撫した。腹がふるえはじめたので、その腹をさすりながら気をやらせた。
 私は上半身だけ起こしてあぐらをかき、小便をさせる格好で後ろから両脚を抱えて挿入した。カズちゃんはすぐに高潮を迎え、そのまま激しく痙攣をつづけた。私も強く射精した。彼女はしばらく自分の局部を覗きこむ形で痙攣していたが、私の律動に耐えられず飛び離れてうつ伏せに倒れた。抜き去ったときの刺激のせいでもう一度大きく痙攣した。私もうつ伏せに並びかけ、耳もとに囁く。
「愛してる」
 カズちゃんは目をかすかに開き、弱々しくうなずいた。
「青森高校受けることになったよ。三月三日」
 カズちゃんは懸命に起き上がって横坐りになり、目を輝かせて笑った。
「不思議。私の誕生日―」
 すぐ私のものの清掃にかかる。
「初めて知った。五月五日と三月三日、すてきだね」
「ほんと。深い因縁みたいで、うれしい。二月の末までに、青森市内に引越しをすませておくわ。今度も一戸建にする。内風呂はぜったい必要ね」
 母がやってきたことは、二人の生活にはまったく関係のないことなので話さなかった。
「スキー大会、応援ありがとう。ダントツのドベだった。ゴールしたとき、校長先生に尻をバシンとやられた」
「すごくきれいだったわ、キョウちゃん。雪よりも白かった。キラキラ輝いてるの。いい男とか、美男子とか、そんなものじゃない……絶対物」
 面映かったので、乳房を強く握った。
「イタ……。キョウちゃんが大勢の人たちに愛されててよかった。遠くまで聞こえてきたわよ、神無月くーん、けっぱって、って。涙が出ちゃった。……絶対物って、それ自体絶対なわけだから、学校へいったり、職に就いたり、何かの肩書きをつけたりする必要があるのかしら―私、キョウちゃんが見えた気がしたの」
 こっそりとカズちゃんは、生きてるだけでいいってことじゃないかしら、と言った。
「そんなやつの人生は、たいへんだよ。そういう存在の仕方が許されるはずはないから、ちょっかいの出されっぱなしになる」
 カズちゃんはティシューで股間を拭うと、下着をつけて仰向けに横たわり、
「そうよ。だから、ここにいるのよ。キョウちゃんを私だけでなく、もう少し人数を増やして防御するしかないわね。キョウちゃんはできるだけふつうにしてて。じゃないと問題が起こりすぎて、その人数じゃ防ぎきれなくなる。学校とか、会社とか、競争社会はキョウちゃんにはとてもいやなものだから、きっと全うできないでしょうね。いやなのは、キョウちゃんに不必要だからよ。それはそれでいいの。キョウちゃんが大好きなことで、けっして挫折しないように、〈私たち〉ががんばらないといけないわ」
「野球―」
「そう。大好きなこと。ほかに、音楽、読書、詩作、そして女のからだ。あら、赤くなった。キョウちゃんは、特にこの道のとんでもない天才よ。それは大好きだからなの。うんと追究しなさい。私だけが女じゃないんだから。キョウちゃんに世間の道徳なんか効果なし。キョウちゃんは大好きなことにも固執しない。こだわりがないということは、人の目には大好きなことに見えないかもしれない。挫折しても当然だと思われちゃう」
 ワカと同じことを言う。胸が早鐘に打った。
「挫折って?……」
「やめてしまうということ。いま可能性がいちばん高いのは、不運が重なった野球ね。でもそれは、天才じゃないということにはならない。記録が示すとおりよ。ふつうの人が見抜けないのは、そこね。私はキョウちゃんを五年も見てきたの。この目に狂いはないわ。野球をつづけるのは晴れの場でなくてもいい。草野球でも何でもいい。かならずつづけてね。そしてどんな場でもホームランを打ってね。天才なんだから」
 私は、思わず嗚咽した。
「泣かないで。……知ってる? キョウちゃんは歌の天才でもあるのよ。よく平畑のお風呂場で歌ってたでしょ、裕次郎の歌。私、じっと聴きながら、よく泣いてたの。キョウちゃんの声は、じっと聴いてると、涙が出てくる不思議な声なの。きっと私だけじゃないと思う。透き通ってて、深くて、力があって、肌がジーンと寒くなるの。歌もつづけてね。大勢の人を驚かすわ。読書。芸術的なものでも学術的なものでも、他人の本を読むのは一種の勉強ね。英語や数学の延長。勉強は文句なし。青森高校だろうと、東大だろうとどこにでも受かるでしょうね。最後に詩と文章。キョウちゃんは正真正銘の天才よ! いのちの記録ではっきりしたわ。ただ、キョウちゃんは受け入れられるまで時間がかかるでしょうね。関心の基準が独特で、意識が高すぎて、ふつうの人を安心させないの。文学は真実を描かなくちゃいけない。でも、その時代に受け入れられるためには、流行に乗りたがるような凡人性が多少ないと、なかなか大衆に受け入れられないの。大衆は真実なんてものは鼻で笑うし、出版社は大衆に売ってお金を儲けたがるから。でも、ニセモノは歴史が処分してくれるし、ほんものは歴史が守ってくれる。キョウちゃんは真実しか描かないようにできあがってる大きすぎる才能よ。歴史に守られるわ。書きつづけてね」
 カズちゃんは泣きながら私を抱き締めた。
「私は、こんなにすばらしい人を愛したの。生まれてきた甲斐があった。愛してる。死ぬほど愛してるわ」
 カズちゃんは丸めたティシューを持ってトイレへいった。やがて、コーヒーを立てて戻ってきた。
「期待される人間像ってね、非行に走らない人って意味なの。小中高大と秀才で、官庁に入って、とんとん拍子に出世して、最後に袖の下を取るというのが理想型。キョウちゃんの対極にいる人たち。その人たちを避けて生きましょうね」
 枕もとに置いた一杯のコーヒーを、おいしい、と言いながら二人ですすり合う。
「気に入った女の子はできた?」
 私は四戸末子の体形のアンバランスなことを語った。カズちゃんはケラケラ笑った。西舘セツのことを話すとからだを屈めて笑った。イツミちゃんのことを話すと、危険だから手を出さないようにと言った。
「まだ出てこないのね。少し心配。キョウちゃんは言い寄られないかぎり、手を出さない人だから経験が少なくなりそう」
「カズちゃんさえいればいい」
「からだは別。痴漢をしたころの好奇心は、私で満たされて消えちゃったでしょうし、結局、待つしかないわね。私は、女にしては性欲が薄いほうで、キョウちゃんの顔とからだに感じるのだけが、たった一つの性欲と言ってもいいくらいなの。キョウちゃんにしか感じないのよ。きょうもキョウちゃんのオチンチン見てたら、ビショビショになっちゃって、思わずあんなことをしちゃった……。早く私のような女が出てきて、いっしょにスクラム組むのがいちばんいいんだけど、性欲で処理するだけの女というものも経験しておかないと、女を呑んでかかる度量がなくなるわ。キョウちゃんの行動をゆったりさせる心の余裕がね。創作の世界も狭苦しいものになると思う。それに、健康のために性欲を後腐れなく処理するには、からだだけの女がいちばんいいの。私のような女が五、六人出てくれば、キョウちゃんの生活はしっかり安定するけど、それまではどうしてもからだだけの女が必要よ。とにかく、キョウちゃんがせっせと手を出さないと始まらない」
「女の人はいくつぐらいからできるの? それがわからないと、手は出せない。ぼくは小五のときにチンボいじってたら、精液が飛び出た」
「八歳前後なら、じゅうぶんね」
「入るの?」
「ちゃんと入るわ。女のオマンコは広いの。相手に求められたら、そしてキョウちゃんの気分が乗ったらするべきよ。何でも経験しないとだめ。さ、もう一度しましょ。こんなに硬くなってる」
「うん」
 カズちゃんもしとどに濡れていた。
         † 
 一月二十九日の午前に、とつぜんアメリカから君子叔母がやってきた。すっかり大きくなったジェフリーを連れていた。豚のように太った子供だった。じっちゃがにこにこ顔で歳を尋くと、五本の指を差し出した。叔母は私の顔を見つめ、
「ますますいい男になったな。姉からテミもらってね。おまえの様子を見にきた。大した悪さしたんだって?」
 じっちゃばっちゃへの挨拶もそこそこに、私に話しかける。女のくせにあぐらをかいていた。そういえば、サイドさんの家でもあぐらをかいていた。煙草を吸わないのがめずらしかった。佐藤家で煙草を吸わないのは、ばっちゃだけかと思っていた。
「自慢できるほどの悪さじゃないけどね。叔母さんはわざわざ、ぼくがどんな悪さをしたか確かめにきたの? 暇だね」
「生意気だな。おまえみたいなキチガイ、だれも手なずけられない。爺さん婆さんの荷物になる。おまえ、ここの中学出たら、アリカの高校に入りなさい」
 母に頼まれてきたのかもしれない。母は私をもっと遠くへ追い払いたいのだ。
「青森の高校へいくんだ」
「だめだ、日本に置いておいたら、ロクなことにならない。おまえの頭なら、アリカで立派にやっていける」
「なしてキョウがアメリカさいがねばなねってが!」
 ばっちゃが怒鳴った。君子叔母はじろりとばっちゃを睨み、そのまま黙った。ジェフリーはじっちゃの膝に乗って、彼のあごをさすったり頬を強くつねったりしていた。傍若無人な感じがした。
「スミの話ばり信用してるべたって、あれ、ウソシでェ。わがってるべや」
 ホッケとタクアンと味噌汁で昼めしを終えると、君子叔母とジェフリーは、ばっちゃに連れられて親戚回りに出かけることになった。ジェフリーは一口も食わなかったので、
「帰りにパンでも買ってくるべ」
 土間の戸を引きながらばっちゃがぼやいた。私はじっちゃに言った。
「封筒渡してたね、ばっちゃに」
「スミと同じだ。ジェンコければ、親孝行したと思ってんだ」
「金を渡す以外何の用もないのに、一昼夜かけてきたんだね。信じられない。郵便で送ればすむのに」
「おめを養子にでもしたかったんだべせ。あの息子はできが悪そうだすけ。しかし、スミにも困ったもんだ。なんたかた、おめを遠くさやりてんだ。どんだけ憎ぞいんだがなァ」
 じっちゃも同じように考えていたようだった。
「やっぱりおふくろのサシガネかな」
「まぢがいねべ。無視しろ」
 じっちゃが新聞の拾い読みに入ったので、私は部屋に戻って勉強にかかった。窓が雪の反射でまぶしい。夕方まで不得意な社会の問題集を解いた。


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