二十二 

 じっちゃが二人を見送った笑顔のまま、
「青高はむかし青中といってせ、十三高さ入(へ)る県下一の名門だったのよ。椙子の結婚式に出たとき、サイドさんのトッチャに駅まで送ってもらってな、袴さ下駄履いた青中の学生連中が、二本白線の学帽かぶって、みんな胸張って歩いてらった」
 袴に下駄。胸躍る光景だ。ばっちゃが笑った。
「鼻が高けじゃ。浜さ知らさねばなんね」
 じっちゃも歯を見せて、
「あした、サイドさんのトッチャに報告にいぐべ」
 サイドさんのトッチャ? そんな人の顔も知らなかったし、会いにいく理由もわからなかった。
「その前に、もう一足、革靴買わねばなんね。あんべ」
 カズちゃんへのハガキはこの騒ぎが一段落してから書くことにした。ばっちゃといっしょに、まず本町の佐藤菓子にいった。ばっちゃは、売場のウィンドーカウンターに出ていたボッケの母親に合格を知らせた。
「新聞に出るのはあしただこった。文雄ちゃんも商業さいったツケ。いがったニシ」
「ありがと。青高さ受がる人と比べものになんねたって、うれしじゃ。今年は、二十人も高校さいったツケ。イツミちゃんも野高だってよ。みんなキョウちゃんに刺激されたんだノイ」
 初耳だった。ギョロ目のボッケがニヤニヤ笑いながら出てきた。
「やったな、神無月」
「きみも、おめでとう」
「なんもよ、体裁つけただけだ。菓子作るのに学歴は要らねたって、トッチャが高校ぐれは出ろってへるすけ」
 芋菓子とコーヒーを店内の小さなテーブルで振舞われた。ばっちゃには緑茶が出た。
「三樹夫、たいした悪いツケ」
 ボッケが笑いを納めて言う。
「そうだね」
「大ごとでねばいいたって」
「だいじょうぶだよ。かならず治るさ」
 後ろめたさを感じながら気休めを言った。
「ンだな。だども、白血病だって話も出てらど」
「…………」
 山田三樹夫の言葉と微笑が、この世から消えてなくなる―それはあまりにも不自然で、奇怪で、信じがたいことだ。彼は、魔的というのか、幻想的というのか、じつにたぐいまれな何かを備えている。即座に好感を覚えさせる素質というのだろうか。そのうえ考えが活発に動き、感覚もひどくするどい。私には手出しのできない絶望も、その思考と感覚からきているのにちがいない。でも、彼の頭脳の森に深く分け入って、宝捜しみたいに秘密の洞窟を探検してみたいとは思わなかった。自分の存在を激しく揺すぶられて、深く傷つくような気がしたからだ。山田三樹夫がいなくなる―それはもう手の下しようのない、どうしようもないことなのだった。
「あんべ、靴買いにいぐど」
 ばっちゃが腰を上げた。喜びの場では、人の死の話題は片隅に追いやられる。
「しばらぐしたら、また音楽部屋に集まるべ。チビタンクが聴きてってへってたすけ」
「そうしたいけど、ぼくは引越しの準備があるからね。……みんなに会ったらよろしく。ガマにもね」
「わがった。だば」
 本町坂下のクマガイ靴店で、足幅の広い二十五・五センチの素朴な黒い革靴を買った。底に肌色の革が張ってあった。身長百七十一センチ。相変わらずの大足だ。
「もう一度、スキーで走った道をゆっくり見ておきたいんだ。なんだかあのときの折り返し点が、ぼくの折り返し点だった気がする」
「……ンガは、ふんとに変わってるけな」
 城内幼稚園から田圃のほうへ曲がり、人気のない雪道へ出る。長い一本道だ。午前の陽が烏帽子岳の稜線を浮き上がらせている。十五分ほど歩きながら目に収めた。折り返し点までいかなかった。
「腕時計は持ってらな?」
「持ってるけど、はめたことはないんだ。革バンドのやつ。中学に入ったとき、飯場の小山田さんていう人からもらった。万年筆もある」
「ンだな。だば、バリッとしたカバン買わねばな」
「いままでので間に合うよ」
 町立図書館の辻から左折して本町へ戻っていく。新興の住宅街を歩く。ぽつぽつ鮨屋や飲み屋が雑じる。
「野辺地にこなかったら、ぼくは八方ふさがりだった。ばっちゃ、ありがとう」
「ぜんぶ、ンガの手柄だ。オラんどにしたら、神さまが降りできたようなもんだ。……降りできたものは、いつかまだ昇っていぐべ」
 ばっちゃが目頭を拭った。神明宮の灰色の鳥居が見えたので入っていく。簡素な社殿は、ホンザンの又兵衛小屋に毛の生えたようなものだった。ばっちゃといっしょに十円玉を投げて掌を合わせる。
 本町通りに出る。電信柱のスピーカから、まつの木小唄が流れている。ばっちゃはカクト家具店の上空を指差し、
「あのあだりはぐるっと、役場あだりまでカクトの敷地だ」
「イツミちゃんは、野辺地高校のアイドルになるだろうな」
「あのくれめんこかったら、女はカラボネヤミになるべ。おめのカッチャみてにせ。金持ち、貧乏、関係ねんだ」
「ばっちゃはきれいじゃなかったの?」
「若げころは、だれでも見どころあんだ。おどこに惚れたら、そたらことは忘れる。カラボネヤミになる女は、おどごに惚れね」
 要を得た説明だった。ばっちゃはじっちゃに惚れたけれども、佐藤スミは神無月大吉に惚れなかったのだ。家に戻り、カズちゃんに合格のハガキを書いた。
         †
 朝早く、漬物をおかずに玉子かけめしを食わされた。じっちゃは味噌汁をすすっただけだった。
 じっちゃと二人野辺地駅まで歩く。じっちゃは、二つボタンの仕立てのいい黒っぽい背広を着ていたけれど、それは上着だけで、下は織地のちがうよれよれのズボンだった。そこへ中折れの黒い帽子をかぶり、きょうは傘の柄ではなく、洒落た竹鞘の杖を突いていた。老人特有のガニ股が哀れに映る。幼稚園のころの堂々とした姿とはまったくちがうたたずまいだ。青森行きの汽車に乗った。
「サイドさんのお父さんも、やっぱり英語をしゃべるの?」
「うんにゃ、市役所の水道課よ。一昨年(おっとし)、定年になった」
 一度も会ったことのない人に、どうして会いにいかなければならないのかやっぱり理解できなかったが、じっちゃの様子には有無を言わせぬものがあった。彼の正装めいた身なりから察して、何かの行事のときはかならず顔を出さなければいけない家なのだろうと思った。埼玉のサイドさんの家もそういう家だった。
「初めて会う人だよね」
 じっちゃは私の気持ちを察したように、
「なんもわざわざいがねくてもいいたって、年賀状で、おめのこと気にしてらったはんでな」
「その人が?」
「ンだ、サイドさんが教えたんだべ。青森さ出ることがあったら、かならず寄ってけろって書いてあったすけ」
 社交辞令にちがいないと思った。青森駅から車の多い街道に出、固く雪の締まった道を一キロほど歩いた。じっちゃは杖を引きずるようにゆっくり歩き、終始笑顔を絶やさなかった。曲がった脚がつらそうだった。
「だいじょうぶ? 疲れない?」
「なんも、たいしたことねじゃ」
 出不精のじっちゃがこんなにまでして遠出をし、小都会の舗道を苦労して歩いているのが理屈に合わない気がして、人間関係の煩わしさを感じた。
 上り坂の陸橋が見えてきた。じっちゃは、
「古川跨線橋」
 と教えた。
「むがしは、こごから浪打のほうまで見えたんだでば」
 彼はその高架橋の手前から、ごちゃごちゃした住宅街を幾曲がりかして、一度も迷うことなく目的の家に着いた。電信柱に干刈三丁目という表示があった。小庭のついた、どこにでもありそうな平屋だった。
 サイドさんに目もとがそっくりの、少し頬のこけた老人が、謹直な顔で出迎えた。白髪を短く刈りこんでいる以外は、背丈も、巻き舌のような発音も、金歯の位置までもサイドさんとそっくりだった。目に力のない玉子型の顔の女が、くすんだ着物姿で玄関の外に出てきた。歓迎しているふうではなかった。
 まったく知らない人間とテーブル越しに対面して、話しかけられるでもなく、十分ばかり退屈な時間をすごした。それから、じっちゃと父親が、二人だけにわかる話を始めた。父親はよく談じ、口調にユーモアがあった。その様子から、役人としては成功した人なのだろうと思った。二人の話していることは、その場で片っ端からすぐに忘れた。印象深い話は何一つなかった。母親がアルバムを持ってきて、私より一歳上だという少年の写真を見せた。だぶだぶの学生服を着ていた。青高を失敗して、北海道の私立高校へいったのだという。
「歳の離れた末っ子だ」
 その写真を持っていけ、と言う。意図のわからないままポケットにしまった。茶菓子以外の振舞いはなかった。
 帰る前に、じっちゃと、父親と、三人でいっしょに写真を撮った。シャッターを押したのは母親だった。その母親とも一枚撮った。じっちゃともやはり縁先で二人並べて一枚撮られた。帰りに、夫妻がそれぞれ一人で写っている写真を一葉ずつ持たされた。ことごとく意味がわからなかった。ただ、そのあいだじっちゃが絶えず上機嫌だったので、不満は覚えなかった。
 帰りの汽車に乗るとき、じっちゃはホタテ弁当を二つ買った。
「なんぼ茶の好きなワでも、もう降参だじゃ」
 そう言ってじっちゃは中折れ帽をフックに掛けながら笑った。
「まんじゅうぐらい、出してほしかったね」
 すきっ腹にホタテ弁当はびっくりするほどうまかった。
「ホタテって、こんなにうまかったんだ」
「ストーブで焼いて食うのが、いちばんうめじゃ」
「うん、醤油と味の素で、五枚も六枚も食えるものね」
「ンだ。……いつでも遊びにこいってへってらったども、ツマしい暮らしをしてる人のとごさ、あんましいがねほうがいい。きょうは、キョウの顔見せだったすけ、仕方なぐな」
「うん、わかってるよ。……青高の二本白線、見かけなかったね」
「ンだな」
 じっちゃはまた、幼稚園のころ私が雨を仰いで帰ってきた日のことを、大きく笑いながら話した。
「まんず、ふとり、変わった子だすてなあ」
 むかしと同じ感想を言った。
         †
 でき上がって送られてきた写真を見ると、サイドさんの父親と私に挟まれて写っているじっちゃが、いちばん幸福そうに微笑んでいた。なんだかうれしかった。青高に受かってよかったとあらためて思った。
 母から現金書留が届いた。五万円入っていた。合格祝らしい五千円札を挟んだ便箋が一枚入っていた。

 元気ですごしておりますか。母は西松建設をこの二月で辞めて、中村区の岩塚町にある飛島建設という会社に移りました。西松の工事も来年の秋で区切りがつくので、おまえのこともあったし、ちょうど辞める頃合でした。
 五万円のうち、一万円ずつじっちゃとばっちゃに、あとで残りの三万円を内緒でばっちゃに渡しておきなさい。それを引越し代と下宿代に充ててもらいなさい。鼻など高くせずに、重々、刻苦勉励のこと。母より。


 おまえのこともあったし、という言い回しに母の執念深さを感じた。秋がきたら、もうあの場所に帰っても、クマさんや小山田さんや吉冨さんに会うことができないのだ。いつだったかクマさんが、次の現場は名古屋駅の地下街だ、と言っていたけれど、地下や繁華街に飯場は建てられないから、社宅の住所も変わるだろう。みんなどこへいく予定なのか見当もつかない。
 面倒くさいことはせずに、じっちゃに二万円、ばっちゃに三万円五千円をあげた。
「預かっておがい。青森さ一万持ってげ」
「いらない。例のお金がまだ十五万もある」
 野辺地にきてからもう半年の月日が流れた。環境を変えることのなんと簡単なことだろう。私は静かな人になった。分別という静かな強制。恐ろしいけれども、簡単なその法則に慣れるにつれて、私の心はますます静かに固まっていく。




(第二部一章野辺地中学終了)

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第二部二章青森高校へお進みください。