十三

 大家の庭の外れは低い崖になっていて、長屋と福原さんの裏手に接している。崖の上は鬱蒼とした杉林だった。短い丸太を埋めこんだ階段が崖の斜面から杉林へ登っていき、登りきると、林を削った切り通しが杉の秀(ほ)に陽射しをさえぎられながらゆるい坂道になってつづいていた。
 ある日私は、その坂道をたどっていった。坂は意外なほどすぐ終わり、突き当たりに鹿島建設に似た飯場があった。高島台とちがって事務所らしいものはなく、山賊の隠れ家のような感じがした。探検してきたのにはわけがあって、切り通しをときどき上り下りする女の子がとてもかわいいので、その正体を見定めようと思ったのだった。女の子は私よりだいぶ年上に見えた。
 相変わらず私は母といっしょに女風呂に入っていたけれど、その子と母親が仲良くからだを沈めている湯船に、たまたまいっしょに浸かったことがあった。いち早く女の子が上がろうとして浴槽を跨いだとき、私は彼女の股間にはっきりと、バッタの頭のような突起物を見た。大人の女のそこは毛に隠れていて、そのうえ股をすぼめて跨ぐので、見えなかった。あれは何だったのだろうと不思議に思い、それからも風呂へいくたびに、同じように浴槽を跨ぐほかの女の子のそこもちらちら覗いてみた。大小のちがいはあっても、みんな同じものをつけていた。私は自分しか知らない秘密を握ったような気がした。
         †
 共同炊事場で米を研いでいると、崖の上からヤンボーマーボー天気予報の歌が聞こえてきた。そのコマーシャルを高島台の一郎ちゃんの家の庭で聞いたことがあった。なつかしくて、崖の階段を上った。
 小暗い坂をたどって飯場の窓辺に寄っていくと、もみ上げの長い角刈りの男が卓袱台に向かって、テレビを観ながらしきりに箸を動かしていた。壜詰めの海苔を飯に塗りつけては口に運んでいる。もぐもぐ動くあごが頑丈そうだった。男は私の気配に気づくと、顔だけ振り向けて、
「テレビ、観たいか」
 と言った。眉が太かった。
「ううん」
 男は笑いながら立ってきて、作業服のポケットを探ると十円玉をつまみ出し、私の手に握らせた。
「いらない」
「いいから、とっとけ。下の長屋の子だろ?」
「うん」
「東京タワー、連れてってやろうか。できたてホヤホヤだぞ」
「いい」
「年末からだったかな、一般公開は」
「さよなら」
 研ぎさした米のことを思い出して、駆け戻った。
 夕飯のとき、私は十円玉のことを母に告げた。
「〈ほいど〉みたいなことしちゃだめよ。あした、返してきなさい」
 母は汚いものでも扱うように十円玉をつまみ上げ、窓敷居の上に置いた。
 翌日は日曜日で、男の隣にもう一つ床を並べて、仕事仲間らしいのが朝寝をしていた。声をかけると、角刈りの男は、オッ、と言って起き直った。
「かあちゃんが、返してこいって」
 男は私の差し出した十円玉を受け取らなかった。
「そうか。ちょっとかあちゃんを叱ってやらなくちゃな」
 男は寝ている仲間の背中を気にするふうに言った。そうして、きのうと同じ笑いを浮かべながら私のあとについてきた。母に引き合わせると、彼は卓袱台の前にあぐらをかき、
「坊主がかわいらしくてな。十円なんて、どうせチリだ。積もったって山にもならないよ」
 母はふっと微笑んだ。
「現場は、どこなんですか」
「宮谷小の裏手。あの丘に二つばかり市営住宅を建てたら、またおさらばよ」
「私も何年か前、高島台の鹿島建設の現場で賄いをしていたんですよ」
「鹿島か。大手だな。うちは零細だから、賄いのめしが粗末なんだ。どうせタコ部屋みたいなところだから家賃は取られないけど、近くに食い物屋はないし、仕出し屋もないから、腹がへるとけっこう面倒だわ。仲間とめし炊いて食ってる」
 空地の隣に支那そば屋があるじゃないかと思った。
「賄いというのは、あの娘さんの?」
「そう、おたくと同じ母一人子一人というやつ。えらく勉強のできる子らしくて、いつも娘自慢してるよ」
 それから母と男のあいだにどんな会話があったのか、私は知らない。いつものとおり十五円もらうと、貸本屋へ出かけた。出店の戸を引いたとたんに、お婆さんに言われた。
「ボク、三カ月も返してない本があるよ」
「え、なんていう本?」
「暗闇五段」
 
 あっ、と思い出した。いつだったか貸本屋からの帰り道、テルちゃんが寄ってきて、
「ごっそり借りたじゃん。俺にも一冊貸せよ」
 と言って無理やり引き抜いたのが、たしかそれだった。
「だめだよ、あさってまでに返さなくちゃいけないんだから」
「あした返すよ」
 それきりだった。私は恐くなってお婆さんに尋いた。
「延滞料……たまってるの」
「いいんだよ、そんなの。返してさえくれれば」
「わかった。待ってて!」
 私はすぐさま駆け戻り、坂本さんの玄関から大声で呼びかけると、テルちゃんが階段を降りてきて、何の用だという顔をした。
「本を三カ月も返してもらってないよ。すごい延滞料になっちゃった」
 大げさに言うと、
「ああ、あれか」
 彼は謝りもせずに居間を振り返り、テレビの上に置いてあった暗闇五段を取ってきて玄関の式台にポンと投げてよこした。そしてすぐ階段を上っていった。まったく腹は立たなかった。自分が何者であるかを知った瞬間だった。サーちゃんの唾と暗闇五段―私は生涯にわたって、生活の列車を停めたまま、この二つに押しつぶされて生きるだろうと直観した。
         †
 男は毎日かよってくるようになり、一週間もしないうちに三帖の部屋に寝泊りするようになった。私は一人でベッドに寝かされた。
「やめなさいったら。子供が起きるでしょ!」
 ベッドの下の蒲団から母の押し殺した声がするのを、ときどき夢見心地に聞いた。
 母が毎日料理をするようになった。母が作るものは、玉子焼きとか、きんぴらごぼうのような質素なものだったけれども、おかげで私はお使いに出る義務がなくなった。卓袱台の上に、彼女の作ったおかずに並べて、壜詰めの江戸紫が置かれた。男の好物だった。彼はそれに箸を突き立て、飯に塗りつけてはうまそうに食った。ある日、学校から帰って、卓袱台にぽつんと置いてある海苔の壜を窺きこむと、干からびた飯粒が一つ、こびりついていた。この瓶も私を押しつぶすかもしれないと思った。
 日曜日になると、男は私に二十円を与え、めし食ってこい、と言った。私はそのお金をぜんぶ使って支那そばを食べた。店の隅の高いところにテレビが据えてあって、昼はたいていロッテ歌のアルバムがかかっていた。それまでも福原さんの家でスーパーマンや、やりくりアパートを観ていたけれど、私は歌番組のほうが好きだった。朝丘雪路の『星は流れる』や三船浩の『男のブルース』、藤山一郎の『ブンガワン・ソロ』が気に入って、登下校の道でよく歯笛を吹いた。
 母が鏡を覗きこむ回数が多くなった。男が現場に出た昼、母はときどき工場を休んで、姿見に向かって日がな黒ニキビを潰していた。母が爪を立てると、黒い油かすがチュッと出てくるのだ。私はその赤くふくらんだ爪跡に見入った。
 何週間かして、夜になっても男は帰ってこなかった。姿見の表面に真一文字に亀裂が走っている。鏡の中に見える母の目つきが険しかった。私はラジオで巨人広島戦を聞いていた。長嶋がせっかく鵜狩から二十八号を打ったのに、一塁ベースを踏み忘れ、藤井にアピールされて無効になってしまった。それで流れが変わって、大和田の二本のホームランで広島が勝った。
 めずらしく母が電灯の下の卓袱台に向かって本を読んでいる。表紙に『挽歌』と書いてあった。母はぼんやり本を閉じて卓袱台に頬杖をついた。
「おじちゃん、どうしたの」
「あんな酔狂なやつ、追い出してやったよ。手クセが悪いんだから。何でもかんでも質草に持ち出して」
 じっちゃがばっちゃを怒鳴りつけるときの目に似ていた。
「仕方ないねえ。教養のない男は」
 母が吐き出すように言った。
 それからもときどき、切り通しのほうからヤンボーマーボーのコマーシャルが流れてきたけれど、私は崖の道を登らなかった。
 角刈りの男とはその後一度だけ風呂屋で遇った。彼は私を認めると、バツが悪そうに耳の後ろにタオルを使いながら、湯づらに視線を落とした。私はそんな彼を別段憎いとは思わなかった。
 一月ほどして、私は学校を休まされ、母と野毛山へいった。母は朝から憂鬱そうにしていて、一言も口を利かなかった。動物園に向かう坂の麓に毒々しい看板を揚げたストリップ小屋があった。《美女のよろめき! 決定的瞬間!》と赤いペンキでべたべた描いてあった。
「動物園なんて、生まれて初めてだな」
「そんなとこいかないよ。病院だよ」
「病院?」
「いいから黙ってついてきなさい」
 病院の薄暗い廊下はまだ掃除の最中だった。母は受付の看護婦とぼそぼそ短い言葉を交わした。それから廊下の黒くて長いベンチでしばらく待った。
 名前を呼ばれた母は、私といっしょに白壁の小部屋に入った。部屋全体の調度が固光りしていた。私が物珍しげにあたりを見回しているうちに、母は細長いベッドに寝かされ、一言、二言、医者とやりとりをした。それから腰にシーツをかぶせられ、数をかぞえるよう言われた。
「はい、ひとオっつ、ふたアっつ……」
「ひとつ、ふたつ……」
 医者が横目で私を見た。とつぜん、刺すような不安が襲ってきた。私は母の枕もとに立ち、だんだんかすれていく彼女の声を聴いていた。医者がシーツの中を覗きこみ、ガチャガチャ金属を鳴らした。
「痛くないですかァ、だいじょうぶですかァ」
 母はかすかにうなずいた。目をつぶっていた。看護婦が私の手を引いて廊下に連れ出した。ベンチに坐らせ、
「すぐに終わるから、ここで待っててね」
 と言った。そしてゆっくり白い部屋へ戻っていった。
「すみましたよオ。はい、もうだいじょうぶですよオ」
 という医者の声が聞こえ、しばらくしてさっきの看護婦に脇を抱えられた母が出てきた。彼女は三時間ほど別室で眠った。私は廊下のベンチで、看護婦に与えられた『週刊ベースボール』をぺらぺらやりながら、ずっと母を待っていた。長嶋がホームラン王と打点王を獲ったことが書いてあった。
 やがて別室からひとりで出てきた母の両目は、いくぶん濁って見えた。
「何の病気だったの」
 母はそれには答えず、やつれた顔に笑いを浮かべながら、
「ライオンを見にいこう」
 と言った。母に手を引かれて、知らない町の坂道を登っていった。道にはほとんど人影がなかった。最初に目についた喫茶店に入って、母はコーヒーを注文した。私はソーダ水を頼んだ。ストローでちびちび青い水を飲んでいる息子から顔をそむけ、彼女はコーヒーに口をつけずに窓の外を眺めていた。ここにも雑誌があったので、宣伝だけを拾い読みした。ライカM3と並ぶ名機ニコンSP(九万八千円)新発売・時代はいま35ミリへ。小回りのきく軽三輪自動車・ダイハツミゼット。
 そういえば、『やりくりアパート』のコマーシャルで、大村崑と佐々十郎が、
「ミゼット、ミゼット」
 と両手を広げて五回も六回もくどく繰り返していたっけ。青春サイクリング―近郊サイクリングはミヤタ自転車で。ステンレス流し台設置・応募するならいま!(日本住宅公団)。一家に一台・高さ調節自在扇風機を(一万二千八百円)。デラックス時代開幕―トヨタクラウン・デラックス。コカコーラ全国発売開始。積水ポリバケツ15リットル千二百円・東京都家庭用ゴミ容器に指定。 

 それから二人は動物園へつづく長い坂の残りを上った。母は動物園の出口の売店で私にソフトクリームを買って与えた。そうして坂道の薄くて冷たいベンチに腰を下ろし、いつまでも無言でいた。
「動物園はタダだよ。入ろうよ」
「ここから見下ろす景色がきれいなのよ」
 そう言いながら、やっぱり地面を向いたままでいた。私はソフトクリームを舐めなめ母の横顔を見ていた。
「いつかきっといいことがあるからね。……がまんしてね。負けちゃだめだよ……」
 母はとつぜん胸を抱えて、獣のようなうめき声を絞り出した。そうして私の手を握りしめながら、苦しそうに涙を流した。私は、昂ぶった母に何も声をかけずにじっと見つめていた。


         十四

 毎年ひどく寒い一月、二月になると、卓袱台の下にアンカを置き、その上から毛布をかぶせて暖を取っていたけれども、今年は母が奮発して、やぐら付き電気炬燵を買った。卓袱台代わりにもなるし、置き板の上で漫画も読める。
 母は食事の後片づけを終えると、炬燵に足を入れたままうつらうつらするようになった。私もやっぱり眠くなる。漫画を読むことさえ億劫になるので、やっぱり電気炬燵は好きになれなかった。
「少しぐらい寒くても、蒲団にもぐっているほうがいいや」
 私がベッドに戻ると、
「大吉は爺さんにくっついて熊本から朝鮮に渡ったんだって。京城(ソウル)工業専門学校を一番で出て、それから戦争中に日本へ戻って、西松建設に入ったんだよ」
 とつぜん問わず語りに母はしゃべりだし、私を炬燵に招いた。彼女は最近父のことを大吉と呼び捨てにすることが多くなった。その話自体は何度か聞かされていたけれども、私には詳しく知りたいことがほかにあった。
 故郷が遠く離れている母と父が、いつ、どこで、どんなふうに知り合ったのか、そしてなぜ別れることになったのか。母は父とのこれまでのいきさつをちっともしゃべろうとしなかった。問い質したい好奇心はあっても、思い出話をするときの彼女の渋い表情を浮かべると、引いた気持ちになった。
 思い返してみると、私がものごころついて以来、母は父との出会いはおろか、熊本での新婚時代のことも、私が生まれた当時のことも、熊本から東京に出てきて戸山あたりに暮らしたいきさつも、何一つ語ってくれたことはなかった。まるで過去のない人のようだった。
「かあちゃんはいつ、とうちゃんと会ったの?」
 私は親身な答えをあきらめながら尋いた。しかし、どういう風の吹き回しか、この日にかぎって母はぽつぽつと語りはじめた。
「……うーん、あのころはかあちゃん、古間木の軍需工場にいて、機密書類の係をしてたからね」
「キミツ書類って?」
「古間木の軍需工場で、暗号解読の手伝いみたいなことをしてたんだよ。昭和十九年」
「じゃ、古間木で会ったの?」
「そう。大吉とは、働く部署がちがってたし、いつも顔を合わせるわけにはいかなかったしね」
 母の回りくどい物言いにめげずに、一所懸命アタマをめぐらす。なぜ軍需工場で働いたのか、どうしてキミツ書類の係になったのか、またそのせいで父と母にどういう不都合があったのか―やっぱり見当がつかなかった。だから、いま、どういういきさつからここに母子だけで暮らしているのか、その時間の経過を想像することは難しかった。
「部署がちがうって、どういうこと?」
「工場の部署よ。大吉は戦争の終わるころに、熊本の支社から技術社員として派遣されてきた人だったから。入社したあと一級建築士の資格を取ったらしいんだけど、ほんとは建築士になんかなりたくなかったんだって。親の犠牲になったって、しょっちゅうこぼしてた」
 話が逸れていく。私は根気よく問いつづけた。
「何になりたかったの?」
「歌人らしいよ」
「カジン?」
「短い詩みたいなものを書く人。若山牧水にあこがれてた。―しらとりはかなしからずや、そらのあお、うみのあおにもそまずただよう」
「ふうん」
 わけもわからずにうなずく。
「声もよかった。灰田勝彦の『きらめく星座』なんかよく唄ってたね。男純情の、愛の星の色、さえて夜空にただひとつ……」
 細い声で唄いはじめる。母は自分と関わりのない父その人だけの話になると、たちまち饒舌になるのだった。彼女は父のことを、表情ひとつ変えず、頭の切れる人だったと評した。言葉の調子から彼女がいまもどれほど父の能力を高く買っているかわかった。


「でも、金と女にだらしない人でね。それで身を滅ぼしたってことは言えるかな」
 すでに父の人生は終わったとばかりに頭を振る。結局、二人がどんなふうにめぐり遇って、どういう境遇に暮らし、どんな事情で別れたのか、まったくわからずじまいなのだった。
 母は父の容姿の描写はこれっぽっちもしたことがなかった。そこで私は未知の人への思い入れよろしく、空想をたくましくして、骨細の、背の高い、苦み走った好男子を思い描いてみた。想像の中の父は、光沢のある黒みがかった皮膚をして、けぶるような目のあたりに、長い髪が形よく影を落としていた。
 寒さがいよいよ増すにつれて、炬燵の会話も濃密なものになってきた。ただし、それは父の奇妙な素行のエピソードが加わるだけのことで、母との来し方が語られることはなかった。たとえばこんなふうに―
 結婚して私が生まれるまでの二年のあいだ、父はギャンブル漬けの毎日で、よくマージャン仲間を家に連れてきた。そのほとんどが同僚の建築士や労務者だった。母は父に怒鳴られながら、せっせと飯を握り、味噌汁を作った。
「勝ち負けにこだわる人でね」
 清算のときの父の要求は苛烈をきわめた。相手が支払いに窮すると、
「泥棒を捕まえてからだって縄をなえるんだ。いますぐ、金を工面してこい。ぐずぐずしてると、付け馬でついてくぞ」
 と脅し、それがかなわぬときは、
「時計でも、背広でも、金目のものはぜんぶ置いていけ」
 とか、
「社員証を預かっておく」
 と厳しい顔で言った。
「仲間なのにねえ。どういう心持ちだったんだか」
 私にはそのときの父の燃え立つような眼差しが目に見えるようだった。真剣に戦って勝ち取ったものを要求するのはあたりまえのことだ。べつに勝ち負けや報酬にこだわった態度とは思えなかった。契約の真摯な履行を要求したにすぎない。そうでなければ勝負ごとは意味をなさない。
「搾り取ったお金は、ぜんぶ置屋(おきや)で使っちゃったのよ」
「オキヤ?」
「芸者の元締のようなもの」
 正当に勝ち取った金をどう使おうと、それは父の勝手だ。
 あるとき父は、いい人生勉強だ、と切り出して、いやがる母を無理やり鉄火場へ連れていった。礼儀正しく出迎えた男の案内で式台から小上がりへ導かれ、木の賭け札を買い、二階へ上がった。まぶしいほどの白布を敷きわたした盆ゴザを挟んで、ゆったり構えた裕福そうな人たちが、二列に向き合って笑いさざめいていた。一閑張(いっかんばり)の机で背筋を正した座長が一席弁じ終わると、青みがかったタバコの煙の中でさっそく勝負が開始された。
 母は所在なく父の背中を見ていた。ふいに胴元の札師が、三本そろえた指で強く花札を叩いたかと思うと、その手を高々と天に向かって差し上げた。一直線に舞い上がった札が、ピシャッと音立てて天井に吸いつき、そのまま数秒落ちてこなかった。
「おっかなかったよ。震えが止まらなかった」
 ギャンブルでなければ、酒だった。父はよく酒を飲んで遅く帰ってきた。帰ってこないこともあった。酔って道がわからなくなり、よたよたと知らない家の土間に入りこんで、そのまま一夜を明かした。朝、酔いから醒めて下着一枚の格好で胡坐をかいている見知らぬ男に驚いた家の者が、親切に所番地を尋いて、使いをよこした。案内されて父を請けとりに出かけると、丹前を着せかけられた父がチョコンと居間の座布団に坐って茶をすすっていた。
「怪しい者じゃない、一晩泊めてくれと、ちゃんとことわったんだ」
 母は家の者に気を使いながら、ただただ頭を下げた。上着やズボンはどうしたのか、と
 訊くと、
「暑苦しかったから、途中で井戸に放りこんだ」
 とすまし顔に言った。二人のやりとりを眺めながら、家の者たちが人のよさそうに笑っているのが、せめてもの救いだった。
 母の繰り言の中に、父が私をかわいがったという話は混じらなかった。しかし、波をけたててやみくもに進んでいくモーターボートのような彼の人柄に、私はこの上ない好感を抱いた。父に対する淡い印象は、豪宕(ごうとう)を気取ってはいるけれども、すれちがうとかすかにさびしげな風の立つ男―というものだった。
         †
 三年生も終わりに近づいたころ、私は毎週土曜日に置手紙をして映画を観にいくようになった。あんなに夢中で読みふけった日の丸文庫も食傷気味になった。すると同時に、セロファン貼りのやさしいお婆さんのいる貸本屋の狭苦しい土間にたたずみながら、私は野辺地の銀映の暗がりをなつかしく思い出したのだった。
 横浜にきてからは、西口地下街で『赤胴鈴之助』と『スーパージャイアンツ』を何本か観たほかは、年に一度の学校行事で、こぞって教育映画に連れていかれただけだった。『つづり方兄弟』『マラソン少年』『米』―反町東映で観た映画は、どれもこれも、なんだか辛気臭くてつまらなかったし、赤胴鈴之助もスーパージャイアンツも勧善懲悪の筋立てがあまりにわざとらしくて、夢中になれなかった。もっと現代ふうで、それでいてどこか人間くさい、晴れ上がったような映画が観たかった。
 浅間下界隈には一軒も映画館がないので、横浜駅か、保土ヶ谷か、桜木町までわざわざ足を延ばさなければならない。距離にそれほどのちがいはなかったけれど、広くて殺風景な市電道を横浜駅や桜木町まで歩いていくのは退屈な感じで、気が進まなかった。
 九歳の私が目をつけて踏みこんだ映画館の名前は、保土ヶ谷日活といった。いきあたりばったりではなく、並びの何軒かの映画館のスチール写真をじっくり吟味して決めた。
 小人(しょうじん)の入場料金は、ちょうど母の置いていくオヤツ代と同じ十五円だった。横浜地下街より五円安かったけれども、私にとっては大金だった。宇宙人や怪獣ものはあまりに非現実的だし、戦争や動乱ものは政治背景の説明が難しすぎるし、文芸ものは理屈っぽいし、時代劇は科白の意味がさっぱりわからない。そんなものにお金を払うのはもったいないと感じた。
 通路の上壁に、スターの顔写真が掲げてあった。見上げながら薄明るい廊下をたどっていったとき、一枚の写真の前で私は電気に打たれたようになった。短髪の若者の明るい眼が見下ろしていた。石原裕次郎と書いてあった。言うことなしの無頼漢というのではなく、駄々っ子のように、素人の雰囲気さえただよわせながら、八重歯を剥いてさわやかに笑っていた。なぜだかわからないけれども、彼のおおらかな笑顔は私の作り上げていた父のイメージに抵抗なく重なった。
 よく見ると、その顔に見覚えがあった。去年、ドラムを叩く男の看板に惹かれて反町日活に入ったことがあったが、まさにその男だった。あのときは長嶋茂雄のニュースフィルムに感銘を受けて、映画の本編に入ってもなかなか没頭しきれず、男の名前すら憶えられなかった。それに、看板のペンキ絵の顔とスクリーンで動き回る顔があまりにちがいすぎた。廊下で静止している写真には、男の結晶したような美と細やかな性格がすべて現れていた。
 それからというもの、石原裕次郎の出演する映画がかかるたびに、一本逃さず観にいくようになった。明日は明日の風が吹く、赤い波止場、嵐の中を突っ走れ―。それどころか、同じ映画が何週間か連続して上映されているあいだも、土曜日ごとに十五円を持ってかよいつづけた。そして、最終の上映まで繰り返し観ているうちに、主題歌をそっくり記憶した。
 
 石原裕次郎は美しかった。剛(こわ)そうな短髪の顔立ちはするどく逞しいのに、形のいい唇から吐き出されるかすれた柔らかい声が、その精悍さを和らげていた。長い脚を引きずる癖もしっくりサマになっていて、私の趣味に合った。とりわけその面立ちと動きの調和からやってくる無機的で澄みわたった印象は、持ち前の明るさを打ち消す不思議な翳りを帯びていた。不幸の匂いさえした。
 閉館の時間がきて、仕方なく内の闇から外の闇へ押し出されると、私は上目がちに鼻をしかめ、半ズボンの片足を引きずりながら、
「ふざけんじゃねえよ」
 とつぶやき、喉をこするように笑ってみた。たちまちこだまが返るようにスクリーンの感動が甦ってきた。主題歌を口ずさみながら、夜道をたどって浅間下に帰り着くころには、たいてい深夜になっていた。
「何時だと思ってるの。早く寝なさい」
 私は眠気に酔ったふりをしながら、服を脱ぎ捨て、だるそうにベッドに潜りこむ。ベッドに逃げさえすれば、日曜休みをひかえて高島易断の本など読みながらくつろいでいる母は、面倒くさがって叱らないのだ。しかし、息子の遅い帰宅を常々気にはかけているようで、福原のおばさんに、
「最終まで映画を観てくるんですよ。眠くて、電信柱におでこを打って、こんな大きなコブを作っちゃいましてねえ」
 と、笑いながら作り話をしていたことがあった。眠くて電信柱にぶつかりそうになったと、一度だけ私が母に言ったからだ。


         十五

 ガスコンロを点けるマッチを探していたとき、水屋の抽斗の底から赤茶けた写真を見つけた。唇の薄い見覚えのない男が写っていた。年のころは三十あと先、太くふくらんだズボンに、袖をめくった開襟シャツ、オールバックの髪がほつれて、まぶしそうに細めた目に庇のように垂れている。あごを反り上げたポーズで岩場に立ち、左手に和紙、右手に毛筆を持ち、歌でも書き出す風情だ。裏を見ると登別温泉と記してあり、脇に太いペン字で、

 いく五百野(イオノ)こえさりゆかばかなしみのはてなむくにぞ(牧水本歌)

 と書いてあった。薄れかけたインクの文字は母の手ではなかった。牧水本歌の見当はつかなかったけれども、漢字に振ってある『イオノ』というルビの響きが頭に残り、ふるえるような悲しみを覚えた。
 男は父にまちがいないと思った。気取った表情の奥に、無邪気な男だけがそこに安住していられるような澄んだプライドをたたえていた。顔の造りも髪型も、裕次郎とは似ても似つかなかったけれども、裕次郎よりも静かで知的な人物に見えた。私はその写真を、そっと抽斗の奥に戻しておいた。
 母はこの一年ばかり、保土ヶ谷のコウフクジの森とか、自転車屋の二階の小汚い六畳とか、よく口にした。父の下宿は、もしかしたら保土ヶ谷日活の道なりにあるのかもしれない。私は浅間下を抜けていく市電の額に《洪福寺》と書いてあったことをあらためて思い出し、線路沿いの道を歩いていけばかならず父の下宿にたどりつけると確信した。
「大吉には養育費の支払い義務があるからね。ちゃんと居どころをかあちゃんに教えるようにってオカミから命令されてるの。住所を知らせてきたのはいいけど、養育費はさっぱり送ってこないのよ」 
 話のついでに、父と同居している〈芸者上がり〉のサトコという女をおとしめることも忘れなかった。ある夜サトコは泥酔した父を送ってきて、遠慮がちに茶の間に上がった。そうして彼に強いられるまま、母を挟んで川の字に寝た。以来、何度かかよってくるうちにようやく振舞いが図々しくなり、やがて私が生まれて半年ほどして、こっそり父を連れて出ていった……。
「芸者というのは手練手管が半端じゃないし、稼ぎもいいしね。きっと大吉は、女のふところが目当てだったのよ」
 私は、稚い直観から、父はもちろんのこと、父を愛したサトコという女にも、金とは縁遠い、何か頑なで、気高い性質を見ていた。
         †
 灯ともしごろにかかって、町並が明るみ、浅間下の店通りが一本の銀色の線になって走った。裸電球に集まる人たちを避けながら歩いていくうちに、だんだん人影がまばらになり、西陽の射す土の道になった。浅間神社の林を透かして、道の上に太陽が長い冬の条を引いている。神社のふもとの空地で子供たちがフラフープをしていた。電器店に人だかりがしている。近づいてみると、明るい店内に、五、六台のテレビに並んで、白く輝く洗濯機や冷蔵庫が何台も展示されていた。店の外の高いところに据えられたテレビに、相撲中継が映っている。見覚えのある力士が台形の顔を反り上げ、勢いよくまわしを叩いた。
「栃錦!」
 彼の金剛力を示すように、尻に貼りついた絆創膏が筋肉といっしょにコリコリと動いた。
「若乃花!」 
 
 ポケットに十五円があった。私は電器店の並びのパン屋で、甘食(あましょく)を二個とコーヒー牛乳を買った。人混みからドッと歓声が立ち昇った。最後の一口を頬張り、牛乳を流しこんだ。ふと、母に置手紙をしてこなかったことを思い出した。
 きた道を振り返ると、灯りを点した電信柱が心細く連なっている。あごを上向けた写真の男が浮かんだ。私は、長いあいだその男を捜し求めてきたような気がした。とりわけ写真を目にしてからは、痩せぎすで、少し気取ったオールバックの男はだれでも父に見えた。そんな姿を見かけるたびに、何とも言えないやさしい気持ちになり、ぼんやりと目に涙がにじんできた。そして、いまにも父が笑いながらそばへ寄ってきて、
「郷じゃないか。大きくなったな」
 と声をかけてくれるだろうと、じっと心待ちにしていた。そのときには父の顔がすっかり見えて、笑い返すと強く抱きしめてくれるのだ。私は照れながら男の香りをかぎ、骨ばった手ざわりを感じるのだ。そんなふうに想像したときの父と比べた母の像は、急に小さくて不快な、ほとんど厭うべきものにさえなった。
 母はときどき父のことを、〈人でなし〉とか、〈敗残者〉と罵ったけれども、そんなことは信じられなかった。わけても私は、乳飲み子を半年で振り捨てるという思い切った行動に並々ならぬいさぎよさを認めていた。どういう理屈で父の背徳をいさぎよいと感じるのかはわからなかったけれども、ただ私は、男というものは、スクリーンの中のあの若者と同じように、ほとんどみんな何か好みの姿勢を持っていて、そういう姿勢をとりさえすれば天から授かった自分の長所がはっきり人目を惹くのだと信じて生きていくものだ、父もそういう男の一人なのだ、とごく自然に胸に落ちたのだった。
 映画館街の青っぽいネオンが見えてきた。文化劇場の『地球防衛軍』の看板を横目に過ぎ、保土谷日活の前に立つ。スポットライトを浴びた裕次郎の手描き看板が明るくまぶしい。父を訪ねる決意をしなければ、きょう観るはずだった『若い川の流れ』だ。青年の大きな目が中空を見つめている。ガラスケースに歩み寄り、何枚かのモノクロショットを舐めるように見つめた。それから穴場の〈小人十五円〉という入場料に目をやって、深いため息をついた。
 道がまた暗くなった。ここから先へはいったことがなかった。明かりを求めて市電通りのほうへ折れ、オーバーを着て前屈みでやってくる中年の女に洪福寺の場所を尋いた。
「コウフクジって、お寺じゃないのよ。町の名前。お寺は順忍寺っていうの」
 彼女が指差した方角へもう一度引き返す。すぐその寺は見つかった。蒼い木立の中に石の門が沈んでいる。白壁に沿って歩き、大きな交差点に出た。そのまま道なりにあてもなく過ぎて、小さな川に架かる橋を渡った。
 橋のたもとから、めくら探しに自転車屋の店構えを捜しはじめる。軒燈のない家がほとんどだったので、何度も闇に目を凝らさなければならなかった。川沿いにいくつかの街灯の下を過ぎた。そのたびに自分の影が長く伸びて岸へ滑り落ちていくのが心細かった。影法師を映す水面に、ゆっくりと縮緬(ちりめん)のようなせせらぎが動いている。川筋にかたまっている小さな区画に見当をつけ、中の二筋、三筋を左右に見て歩き、もう一度川端に戻って一息ついてから、さらに遠巻きに残りの横丁を詳しくめぐっていった。
 自転車屋は見つからなかった。勾配のゆるい川沿いの坂道に立ち止まり、遠く眺めると、紺色の空の下にぼんやり果てしなく、何百軒もの屋根が並んでいた。
 ―あとどれくらい歩かなくちゃいけないんだろう。このまま歩きつづけて、そしてもし探し当てられなかったら。
 向こう岸を見やると、ちょうど坂のいただきの橋のたもとに、派出所の小さいランプが燈っていた。ゆっくり坂を上り、橋を渡って赤い灯に近づいていった。白くひび割れた掲示板に貼ってある人相書きが眼に飛びこんできた。巡査が外に出て胸を反らした。私は少し離れたところから声をかけた。
「あの、このへんに、自転車屋さんはありませんか」
「自転車屋?」
 それ以上近づけずにいる私に寄ってきて、
「山下サイクリングのことかな。あそこは閉めるのが早いんだ。ここからだとちょっと歩くよ。地図を描(か)いてあげよう」
 警官についてポリスボックスの中に入った。
「自転車屋さんは、そこだけですか?」
「このあたりじゃ一軒だけだな。自転車屋に何か用があるの?」
「はい、とうちゃんに会いにいくんです。そこに下宿してるって、かあちゃんが言ってたから」
「ふうん……」
 鉛筆を動かしながら、もっと事情を知りたそうな顔をした。
「送ってあげてもいいけど、いま相方が警邏中なんでね」
 紙きれを受け取り、お辞儀をすると、そそくさと赤いランプを後にした。
 入り組んだ小路を巡査の描いた地図どおりに歩き、川筋からかなり隔たった場所にようやく自転車屋を見つけた。看板の下の表戸は閉まっていたが、脇戸からうっすらと明かりが洩れていた。覗きこむと、土間に接した階段の足もとが見えた。框のあたりは広々として、じかに店とつながっているようだ。明かりはその店からきていた。
 ―とうちゃんは、よくきたと言って、肩を抱いてくれるだろうか。もし、そうしてくれなかったら……。何も言わずに、冷たく当たったりしたら。
 胸があわただしく拍ちはじめた。初めて父親というものに対面する恐怖に、からだがすくみ、呼びかける言葉が出てこない。母の声が耳の中でこだました。
「とうちゃんのところにいきたいのなら、そうすればいい。私にはおまえを止める権利はないんだから」
 あこがれの父親に一目会うことだけを願って、とうとう彼の住む軒先までやってきた息子が、願いがかなう肝腎のときになって、みすぼらしく尻ごみしていることは許されなかった。
 私は敷居をまたいで土間に入り、階段を見上げた。
「こんばんは!」
 オオ、というドスの利いた返事が、土間につづく店舗のほうから聞こえた。障子を引いて、ゴマ塩の頭が斜めに出た。炬燵にでも入っているのか、肘をついたまま首を伸ばし、面倒くさそうに言った。
「あしたにして。もう閉めたから」
「ぼく、神無月、郷っていいます。とうちゃんに会いにきました」
 男はまじまじと私を見つめ、やがて、むかしから見知っている人に遇ったような微笑を顔全体に浮かべた。
「争えないもんだ、やさしい目してるわ」
 彼は自分にしかわからない感想をもらすことで、父の存在をほのめかした。
「神無月大吉に会いにきました」
「おうおう、しっかりした子だ。大ちゃんソックリだ」
「とうちゃんはいますか」
「ああ、いるよ。―ひとりできたの?」
「はい」
 どこかで父がこの対話を聞いているような気がした。そう考えるだけで、胸が苦しく高鳴り、まともに呼吸ができなかった。私はからだを硬くして、父が階段に現れる気配に耳を澄ました。すると、空耳だろうか、遠く咳払いのようなものさえ聞こえてきて、ぶるぶると膝頭が意地悪くふるえた。 
「どこからきたの?」
「浅間下から」
「ほう、そんなに遠くから。市電にはちゃんと乗れたかい」
「歩いてきました」
「へえ! それはご苦労だったねえ。こりゃ、よっぽどのことだ。おおい、大ちゃん! とんでもないお客さんが見えたぞ」
 彼は肘を突いたままの格好で、二階に向かって大声を投げた。薄暗い階段の突き当たりに灯りの点る気配がして、手すりから男の顔がのぞいた。光を背にした痩せた顔が、数秒のあいだ、私の正体を見きわめるように階段の下を見下ろしていた。私はよく見えない父の顔に笑いかけた。ほつれた髪を額に垂らした細身の影が、ゆっくり階段を下りてくる。いやに太いズボンが一段一段近づいてくるとき、私はすぐさまその熱のない足どりに気づいた。父は土間でふるえている息子の前に立った。うなだれたまましばらく視線を自分の足もとに落としている。そして、髪をかき上げ、何の感情もない目で、
「郷か?」
 と尋いた。しゃがれたさびしい声だった。
「うん!」
 私は笑顔を崩さず、元気な返事をした。
「そうか。……帰れ」
 一瞬、耳を疑った。しかし、顔を伏せたまま立ち尽くしている父の様子から、聞きまちがいではないとわかり、急にからだが冷たくなった。そして、その命令が何か崇高な、幼い頭ではうかがい知れない境地から出てきたもののように思いなおして、あわててうなずいた。
「……ほら、これをやるから」
 彼はポケットを探ると、息子の手をとって硬貨をのせた。出回りはじめたばかりの鳳凰銀貨だった。その真新しい百円玉を握りしめるとき、私はかすかにさびしい心持ちがした。一瞬、私の胸に、ひょっとして父は母の言うようなつまらない人間なのかもしれない、という疑いがよぎった。
「もうくるんじゃないぞ」
 父はそう念を押して、ふたたび同じ速度で階段を戻っていった。父子の再会を気がかりな眼で眺めていた男が、納得のいかない表情で土間までやってくると、父の背中を見送った。彼は痛ましそうに私の頭を撫ぜると、炬燵の部屋へ戻っていった。私はあきらめきれず、父の心変わりを願いながら、その姿が階段の奥に隠れるまで、ずっと視線を当てていた。                  


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