七 

 くたびれた黒袴を着た学生の太鼓に合わせて、上級生たちが退屈な応援歌を連続して唄った。入学式のとき、列のあいだを右往左往していたやつらだった。それがすむと生徒会長らしき男が壇上に登った。
「では、懸案の問題を討議します。長髪の是非に関して、ご意見があったら」
 のっけから議題を抱えた会合らしい。一人の男子生徒が勝手に演壇に駆け上がり、声を張り上げた。
「いつまでも坊主頭じゃないだろう! 断固、坊主頭に反対する。五分刈りなど、封建的教育の象徴である」
「そうだ!」
 ドッと胴間声が呼応する。すでに上級生たちのあいだで、髪型に対する不満が限界点まで高まっていたようだ。
「屈辱的な生活よりも、自由を!」
 くだらない言い回しに私は目を剥いた。壇の下から声が上がった。
「それはきみだけの意見か、学生全体の意見か。俺たちは一致団結の行動を要求し、個人の反抗的な判断はすべて有害であると宣言する」
「寝ぼけたこと言うな。むろん、学生全体の意見だから集まっているんだろう。少なくともこれは闘争だ。戦い放棄して空虚だった俺たちの時間の容器は、ここに中身を得て、閃き、そして沸騰した。下級生も責任の一端がある以上、この封建的な体制に唯々諾々と盲従していていいものかどうか、せめて不満の声や軽蔑の声を発することによって、自分たちの見解を表明する義務がある」
 馬鹿だ。なんというでたらめな言葉の羅列だろう。しかも、たかが趣味的な髪型の話にすぎない。そんなくだらないことを〈封建体制の問題〉にするのか。自由? それが人格を否定されるような精神的圧迫からの解放という意味でなら理解もできるけれども、髪を伸ばすような、日々の生活の本質ではない個人の趣味を否定されることが人格の否定に結びつくとは考えられない。世間でもよく、しゃれた服を着たり、ヒゲを生やしたり、アクセサリーで身を飾ったりといったことを否定されると、人格や個性を持ち出して反駁する連中が多いが、そんなことは人格や個性とはまったく関係のないことだ。
 つづけて駆け上がってきた男に壇上の学生が発言権を譲ると、一人、また一人と押しのけるように同類が押し寄せ、たちまち講堂全体が騒然となった。黒袴どもが学生たちのあいだを駆け回っている。まるで喪服に見える。赤井がこの中にいるはずだ。早く出てきて馬鹿を懲らしめてくれ。
「二年の××です。この重大問題に直面して、あらためて戸惑っています。しかし、もともと私は坊主頭を嫌ってはいません。むしろ、校歌にあるとおり、和協の大道を歩む麗しい象徴として、学生らしい士気を眠らせないために、私は坊主頭を残すべきだと思います」
 坊主頭のよしあしなどどうでもいい。だれかそう言ってくれ。
「そうだ、そうだ! 坊主のほうがさっぱりして、よっぽどいがべ。髪伸ばして、色気出して、何すんのよ」
「そのとおり! わが校の伝統は、看過できない危険にさらされている」
「制服はどんだのよ。封建教育の象徴でねのな」
「そうだ!」
「議事進行! 横道さ逸れるな。髪の話だべ。本題さ戻れ!」
 なんとみすぼらしい論争だ。
「長髪、賛成!」
 だれかが唄うがごとく叫んだ。
「五分刈り、反対! 坊主、反対! 長髪賛成!」
 シュプレヒコールがたちまち集団にいきわたった。聞いていられない。小学生のころ桑子に頼まれて参加した熱田警察署の円卓を思い出した。言葉遣いが高級らしくなっただけで、あれとそっくりだ。
「校長は意見はねのが」
「そうだ、そうだ! 校長、発言せよ」
 校長がいたのか。よく見ると、壇の下の左右の空間に教師連が五人ずつ、折畳みの椅子に座って腕組みしていた。
「なして、おめ、まだ長髪にしてるんず!」
 別の種類の怒声が上がった。長髪についての賛否が論議されている真っただ中で、一人の髪の長い生徒が葬式袴たちの手で引きずり出され、こぶしで顔に一撃を加えられた。あの入学式のときの少年だった。彼は必死で自分の頭の髪を掻き分けて指で示し、情けない声で抗弁した。
「―ここに、傷でできたハゲがあるんです。見てください!」
「ハゲが何だってが! どくろが見えてるわけでながべ!」
 おとなしい下級生を無条件に暴力的な上級生の手に引き渡すこうした校風は、私の目にめずらしく映った。残酷さの中に滑稽味があった。間の悪い不器用な少年は〈革命〉が成就するかどうかの大事のときに、鉄拳制裁を受けていた。あの顔は何週間か青黒いままだ。結論はこれで出たようなものだった。三分刈りにしている私自身は、清潔で面倒のない五分刈りに何の反対意見もなかったけれども、こういった武断的な集団に仲間入りした以上は、できるだけ神妙にしていなければならないような気がした。
「校長、何かしゃンべろ!」
 演壇の脇に立ち並んでいた教師たちの中から、はい、と澄んだ声が上がった。あの白髪の小野校長が、片脚を引きずりながらゆっくり演壇に上がると、卓にうつむいたままボソリと言った。
「諸君らを、信じます」
 それだけ言うと、またもとの足どりで演壇を降りていった。なるほど、馬鹿にはあれでちょうどいい。馬鹿にも信念はある。これでいずれ、校内に短髪、長髪入り乱れることになるだろう。小野校長にとって、そんなものはどうでもいいのだ。目と鼻と耳と口があって、あとは脳味噌があればいい。信ずる、というのは、人が信念どおりに生きることを信じるということだ。うまい言い方があるものだ。なんと頭のいい校長だろう。
 ぞろぞろと生徒たちが退きあげ、朝礼はなしくずしに散会した。いつのまにか古山も木谷も姿を消していた。きょう一日のスケジュールが終わった。思い返すと、おもしろい始業式だった。
 野球グランドの金網から眺めやると、まだ地面はぬかるんでいて、人影もなかった。
 顔に感じる程度の雨が一本道に降っている。正門から関野商店を通って真っすぐ荒川の堤に出、上流へと足を向けた。すぐに土手道は切れ、民家の並びに川の景色がさえぎられた。両側の家々を見つめながら進む。歩いているうちに霧雨が上がった。ふたたび堤が見えてきたが、民家の背後の藪崖がじゃまをして近づけない。にぶく光る川面を遠く眺めながらかなりの距離を歩いたころ、山際の空に半欠けの虹がかかっているのに気づいた。ぼんやりそれを見つめた。ふたたび視線を戻して歩きだし、さらに上流までたどっていくと、芽吹きはじめた緑が息苦しく蒸れている山路に不意に入りこんだ。草の浅く茂った細道から岸辺へ下りた。
 空の大半が閉ざされ、灰神楽のような光が水の一面に降りしきっていた。私は時間を忘れた。何もかもすばらしかった。あらゆるものの中にかぎりない幸福があり、大きな歓びがあふれていた。湿った土から立ち昇るにおいにも、岸の林にも、ひなびた河原の小石にも、その歓びはあった。私は腰を下ろした。そして長い時間をすごした。虹が消え、空がもの憂げに色褪せ、林が黒ずんでいくのにも気づかないほどだった。
         †
 翌日の身体検査のとき、校医から眼鏡をかけるように言われた。ばっちゃが買ってくれた眼鏡をいつもカバンに忍ばせていたけれども、かけたことがなかった。そのまま放っておくことにした。
 夕食のとき、赤井にこの話をすると、彼も近視だが眼鏡はめったにかけないと言う。
「格好悪いすけな。試験のときはかけるけんど。ちょっとかけてみるが?」
 赤井が部屋に戻って眼鏡を取ってきたので、借りてかけてみると、たまたまぴったり目に合って、その瞬間から風景が一変した。野辺地で作った眼鏡よりも度の具合がよく、ミヨちゃんの顔の輪郭を確かめるだけでもじゅうぶん楽しかった。
「ちょっと外に出てみてもいいかな」
「おお」
 ぼんやり見えるのがあたりまえになっていたものが、苦もなく、はっきりした輪郭の像を結ぶ。夕暮の四号線に出た。いつも暈(かさ)に覆われていたネオンサインが、一字一字はっきり読み取れる。線路も車も建物も樹木も、空でさえ、以前は気にもかけなかった微妙な色彩にあふれていた。そして人も―かつては、カズちゃんに似た年格好の女と見れば、目をすがめて後ろ姿に見入ったものだったけれど、いまは類似そのものよりも個別の肉体の特徴を凝視した。彼女たちは、もちろん何の秋波も返さないまま、風のように通り過ぎていく。そうして、それだけのことだった。目新しい感動はすぐに薄れた。輪郭と色彩の鮮明な風景にかえって煩わしさを覚えた。こんな世界に魅力はない。ほんとうに見たければ少し目に力を入れるだけですむ。とはいえ、これ以上視力を落とさないために、机に向かうときは赤井と同じように眼鏡をかけようと決めた。もちろん、野球のときはかけない。
「部活動は勧誘をかけないんですか」
 赤井に訊いた。
「そたらのね。てめで入部しにいぐのよ」
         †
 一週間経って、授業スケジュールにようやく慣れた。一日六コマ。土曜日は四コマ。科目は、英文解釈、英文法、現国、古文、漢文、数T、生物、地学、地理。朝八時四十分の十分間ホームルームから始まり、八時五十分から五十分授業開始、十分の休憩を挟みながら、午前四コマ、十二時四十分終了。昼休み一時間、一時四十分から二コマ、三時半で全授業を終了する。
 授業内容のレベルの高さと、ものめずらしさも手伝って、数学と古文はかならず予習した。英語は気が向いたらやった。そのほかはまったくやらなかった。教師も学生も英語の特別クラスも、まだ取り立てて印象に残るほどではなかった。窓から眺める八甲田山系の姿が美しかった。
 いちばんうれしかったことは、毎日弁当を持たされることだった。母子で交代で作っているらしく、日々のおかずがバラエティに富んでいた。母は昨夜の残り物や、ナムル、チャーシューといった作り置きのおかずに卵焼き、娘はシイタケやレンコンの甘辛煮、ミニハンバーグ、キンピラゴボウ、といった手作りのものが多かった。食の記憶は残らない。最初のうちは感謝の気持ちを言葉に表わしていたが、やがて何も言わず当然のように、一つ返事をするだけで受け取るようになった。
 十九日の週明けになって、野球グランドにちらほらユニフォーム姿を見かけるようになった。五、六人がバットを振ったり、フェンス沿いにのろのろ走っているだけだった。
 最終的なグランド整備は、晴れ上がった二十二日から始まった。私は金網越しに、二人組の選手が石のローラーを牽くグランド均しや、五、六組で柔軟体操やキャッチボールをする軽い練習を見つめた。部員たちの値踏みをして入部を逡巡していたわけではなく、もちろんそんなはずがあるはずがなく、何が何でもこの仲間たちと歩みを始めなければならないという覚悟の臍を固めていたのだった。翌日の放課後も、きちんと眼鏡をかけてその様子を注意深く観察した。列を作って素振りをやりはじめた。どこか素朴でつたない感じがしたが、真剣さが伝わってきた。こんな田舎の片隅にも、懸命に野球をやっている男たちがいる。ここでしっかり野球をやろう。ここが第一歩だ。
 五月の連休は二日から始まる。その前にと思って、翌二十四日、半ドンの土曜日の放課後に野球部を訪ねていった。授業開始から二週間経っていた。 
 葉桜になりかけた一本道を金網沿いに歩き、外れの出入り口からグランドの中へ入っていった。ランニングやキャッチボールの練習中だった。監督らしき男の姿はなかった。ファールグランドに立つ。
 この春初めてのバッティング練習になった。ヘルメットをかぶっている姿を奇妙に感じた。しばらく観察した。いい打球を飛ばしている一人のバッターに注目した。学生服に革靴を履き、学生カバンを提げている私にマネージャーらしき小柄のジャージが寄ってきて、
「見学な? 入部な?」
 梓みちよとヘイ・ポーラを唄っていた田辺靖雄に似ていた。
「入部です。いま打ってる人はだれですか」
「阿部だ。四番バッター。校内では知らね者のいね選手でェ。県でも名の通ったスラッガーよ」
 宮中の本間先輩を何ランクか上げた選手だと感じた。ユル・ブリナーに似ていた。
「あれのおかげで、今年こそ甲子園さ出場でぎるかもしれね」
「そうですか」
 甲子園という言葉は高校野球の切り札だ。ほかのメンバーの打撃も観察する。観察の結果は簡単なものだった。
 ―阿部一人だけのチームだ。
 ただ、阿部という男にしても、ゆるい球を単なるミート打法で外野の頭に飛ばしているだけだ。ミートのたびに常にヘッドアップするのが気にかかるが、大振りではない点に見どころはある。
 守備練習。エラーの少ないのには感心するけれども、どこかドタバタしている。まったくセンスがない。甲子園出場の見こみには根拠がないとわかってきて、私は心の中でため息をついた。野球をするチャンスがあるかぎり野球をやめるな、草野球でもいいからやりつづけろ。カズちゃんに叱咤されるまでもない。私にできることは野球しかない。彼らは野球の達人ではないけれども、野球をするチャンスを与えてくれる仲間たちだ。私にほんとうに野球の才能があるなら、それを世に知らせるために、まず彼らと第一歩を踏み出さなければならない。


         八

 きのう夕食のときに、野球好きの葛西さんのご主人に訊いた。
「甲子園出場の噂が飛び交ってるようですが、ほんとうですか」
「ほんとうですよ。五年ぶりにね」
 彼の言うには、青高は昭和十四年、二十三年、二十六年、三十五年の四回、夏の甲子園に出ているということだった。驚いた。
「じゃ、今年こそという言い方は、謙虚ですね」
「ンだ。たんだ、勉強いぢばんの高校だすけ、甲子園てへっても、はだの人間にはホラにとられる雰囲気があるんです」
「別に、甲子園なんかどうでもいいんです。一定のレベルのチームで野球をやりたいだけで」
「野球部さ入りたいってこどですか?」
 奥さんが、
「私言ったでしょう。忘れたの? マコトちゃんの話だと、神無月さん、小学校中学校と名古屋市のホームラン王だったって。スミちゃんがスカウト追い返したせいで、野球の名門校にいけなくなって、それが大きな心の傷になってるにちがいないって。ふだん、野球のヤの字も口に出さないって」
「勉強がうだででぎるってこどしかアダマにながった。たまげだな」
 赤井が、
「そんだったのが! こたらに遠くまできたんだら、これで心おぎなぐ野球がでぎるべ」
 主人が、
「神無月さん、ぜひ青高の野球部さ入ってけへ!」
「そう決めてます。ただ、こちらで活躍して、プロ入りの話が持ち上がっても、母に妨害されるでしょう。未成年がプロへ進むには親の承諾が必要です。母は百パーセント承諾しません。結局ぼくは高校からはプロにいけないんです。それどころか、新聞で知れたら野球をやめさせられるかもしれない。秘密で何年やれたにしても、高校時代は下地作りの期間とあきらめます。大学も二年生を終わるまで、中退してプロ入りをするじゃまをするでしょうし、それ以前に、一般的な大学なら入学すら許さないでしょう。まんいち許したとして、未成年が大学で野球をするには親の同意書が必要なんです。百パーセント同意しません」
「どうせばいいんですか」
「世間に聞こえた一流大学では、入部を止められ、学問をして卒業することを強いられます。母は東大病です。東大に受かるまで浪人ですよ。浪人したら、野球どころじゃなくなる。ただ、現役で東大に入れば野球をさせてもらえるでしょう。息子が入学できたことで彼女のプライドが満足しますから、東大のクラブ活動と思って目をつぶるでしょう。入部同意書すら要らないと思います」
「高校を出て社会人にいったらどんですか」
「高卒で学歴を終えたりなどしたら、一生精神的にいじめられます。それはかまわないんですが、近づかなければいいだけですからね。ただ、十九歳から社会人野球をやるとしても、やはり二年間はしっかりプロ入りを妨害されるでしょう」
「いやはや、それはほんとの話だべか」
「プロ野球は馬鹿なヤクザ者の集団と信じてますから。この固定観念は動かしがたいんです。そうなってみなければわからないとみなさんはおっしゃるでしょうが、ぼくにはわかるんです。母は東大を神さまと思ってますから、東大に入って二年生で強引に中退するしかない。そのときには二十歳になってますから、二年で中退しても妨害は効かないでしょう。それがプロへのいちばんの近道です。とにかく一年でも早くプロのグランドで野球をやりたいので。……尾崎のように高校中退が理想でしたが、それは叶わぬ夢です。母はスカウトを一回どころか、三回追い返してます」
「ワイハー! かわいそんだ」
「この案も、最近ようやく頭の中でまとまったばかりです。このあいだまでは、野球に関しては、ただぼんやり絶望してました。なるようになれという気持ちでした。もう一度野球をやろうと本気で決意したのも、こちらに送られてからです。青高にきたのも、母が野辺地にきて、名古屋に戻さないと言うので、奥山先生が青高さいけと言ったからです。ぜんぶ偶然の巡り合せですけど、とにかく安住の場所が決まって、ようやく野球の情熱が戻ってきました」
 葛西家の全員が深い安堵の息をついた。
「東大さいぐくれの勉強もせねばまいねな」
 赤井が、きのうまでよりはよほど柔らかい表情で言った。
「はい、並大抵のことじゃありません」
 練習に眼を凝らしている私にオッと気づいたふうに、阿部が走ってきて、私の目の前に立った。
「おめ、この二日練習見てたべ。野球部さ入りてんでねのが」
「はい、そのためにきました。一年五組の神無月と言います」
「歓迎だ。まんず、グランドさあんべ」
 バッティングケージのほうを指差す。私はうなずき、彼といっしょに歩いていった。私よりも二、三センチ背が低い。私の身長はすでに百七十四センチになっていて、足は二十六センチだった。
「ワはキャプテンの阿部。三年だ。部の顧問は相馬先生。めったに顔出さねけんど。さっきのチビはマネージャーの安西」
「相馬先生は知ってます。現国を教えてもらってます」
 相馬は三十あとさきの、感じのいい現国の教師だ。眼鏡の奥のギョロ目がいつも微笑している。彼は授業で私を贔屓にしているので、野球部に入ったとわかったら大喜びするだろう。
「眼鏡をかけてプレイしてもだいじょうぶですか」
「なんてことね。具合悪りなら、ピシッと締まるフレームも売ってら」
 かけないことに決めた。野球をするのに不自由を感じたことはない。私は眼鏡を外して内ポケットにしまった。
「硬式やるの、初めてなんですが」
「守備は軟式よりも簡単だ。弾まねすけ。打つのがチョペッと難し。最初は慣れねかもしれねな。ちょっと打ってみるが? その格好のまんまでいいど」
 彼はホームベースにレギュラーを呼び寄せて、今年五人目の入部希望者として私の名前を言って紹介した。五人! よほど人気のない部なのだ。私は彼らに丁寧にお辞儀をした。授業開始日から二週間も遅れてやってきたので、たぶんへたくそな新兵だろうと軽んじるような眼で見ている。
「レギュラーだけ紹介しておぐじゃ」
 阿部は手振りで十人あまりを一列に並べ、
「まずピッチャー、時田(田宮二郎)、白川(頭師(ずし)佳孝)、守屋(高橋弓子)、キャッチャー神山(小柄な伴宙太)、ファースト一枝(岩間医院)、セカンド三上(牛若丸吉田)、ショート瀬川(神戸一郎)、サード藤沢(二谷英明)、レフト島尾(守屋浩)、ライト今西(西郷輝彦)」
 一人ひとりにお辞儀をし、無理やり知っている顔を嵌めて名前と結びつけていった。それから質問攻めになった。
「眼鏡外してだいじょぶなのな」
「外しても、野球だけはカンでできます。それにバットを振るとズレるし、ピッチャーを見るときフレームに入って不便ですから」
「標準語だな。どっからきたのよ」
「名古屋です」
「色が白れな。ほんとに野球やってたのが?」
「はい」
「いい男すぎるでば、整形が?」
 冗談だ、とすぐにみずから打ち消して、おかしそうに笑う。
「守備位置は?」
「レフトです」
「打順は?」
「四番です」
「ほんとがァ?」
 私の観察したところだと、目の前に立っている選手たちは、幼いころからいままで、たぶん中途半端な野球技術のせいで、いや、技術というよりは希望に満ちた過信のせいで野球に関わり、実のないヒロイズムを大切に保ちつづけている。自分は並よりは野球がうまい、その上、並よりは勉強ができる。たしかに彼らは勉強ができるし、センスがないなりに、真剣に練習し、真剣に野球ができる。その先は? 高校で野球をやめ適当な大学に進学するか、ひょっとしたら名門大学の野球部に誘われて野球を継続する。うまくいってそこまでだ。中途半端なヒロイズム。
 過信でもいい、そのヒロイズムを疑わずに固持して、野球というたった一枚のカードに人生を賭ける態度を示す選手が、見たところ一人もいない。つまり、プロ野球を目指している選手が一人もいないということだ。弱いチームの中でがんばり抜くのは至難の業だ。一人でもプロを目指している選手がいるということを示して、彼らを奮起させなければならない。
「ちょっと、遠投してみましょうか。だれか、五球ほどキャッチボールしてください」
 阿部が引き受けた。二十メートル、三十メートル、五十メートルあたりまで、山なりのボールを投げて部員たちの失笑を買ったが、七十メートルぐらいで阿部を止めて、助走なしで強いボールを二球投げた。ほぼ前進してバックホームする距離だ。阿部が右上や左上に差し出したグローブに浮き上がるように吸いこまれていった。ウホーッ、という喚声が上がった。
「じゃ、センターに向かって投げます」
 バックネットからホームベースまで三、四歩の助走をつけて低い弾道で放った。ボールは白亜の校舎を背景に伸びていき、センターの守備位置のはるか後方の草の茂みに落ちた。みんなポカンとしている。阿部が、おめ! と上ずった声を上げた。
「百十メートル以上いってら! 青森県にあんな肩はいね。おめ、一年生か」
「はい、この五日で十六歳になります」
「名前は」
「神無月です」
「……聞いたこどねな。中学校はどごよ」
「野辺地中学校です」
「あそこは勝ち上がってきたことねべ。野中におめみてのがいだったがな」
「十一月に転校してきたので、ボールを投げたのは八カ月ぶりです」
 貧しい石のベンチ前に立っていた補欠らしき生徒たちが、寄ってきた。胸に水色の《青森高校》というロゴが縫い付けてないので補欠だとわかる。中に学生服が一人混じっている。さっきのマネージャーだ。
「名古屋でスカウトされたべ」
「はい。一つ、二つの高校から」
 ざわざわとさざめく。
 ―なしてそったらのが青高さ?
 というざわめきだ。ここからさきは面倒くさい話になるので、はしょった。
「左肘を手術して、右投げに替えたので、バッティングは左のままです」
「右に替えたァ? 替えてあれだってが。とんでもね話だな」
「利き腕を替えられるもんだべが」
 マネージャーが疑わしげに言う。私が学生服の左袖をまくって、淡いザクロ色の三日月形の傷痕を見せると、阿部たちの顔に露骨な同情がよぎったが、それも真の同情とはちがった、野球選手特有の条件反射にすぎない。私にはよくわかっている。わが身にその災難が降りかからないようにと願うのだ。肘と肩、それこそ野球選手の致命傷だからだ。願いの反射がすめば、心は平生に戻る。日々自己鍛錬に忙しい野球選手には、自分以外の選手の肩や肘に関心を示している余裕はない。
「おめ、名古屋の有名人が?―」
「新聞に小さく載ったくらいで、有名ではなかったです。ただ、小五からずっと四番を打っていて、市のホームラン記録を三回塗り替えました」
 こんなことを話して何になるだろう。阿部が頬を輝かせた。
「ワも騒がれたほうだけんど、格がちがるおんたな。打ってみてけねが。時田、投げろ」
 思わず胸が高鳴った。ベンチに立てかけてあった何本かのバットを手に取る。思ったほど重くはない。いちばん握りの細いものを選んだ。カバンと上着と学帽をベンチに置き、革靴のまま打席に向かおうとすると、新入生らしい選手がスパイクを脱ぎかけた。
「いえ、このままでけっこうです」
 他人のスパイクを履きたくなかった。阿部がヘルメットを持ってきた。
「かぶらなくちゃいけませんか」
「おお、だいぶ前(め)にそうなった」
 安西が、
「三十五年に義務化されました。大学野球やプロ野球はどちらでもいいことになってますが、かぶる人が増えてきてます」
 かぶらずにボックスに入った。時田がマウンドに立つと、全員が守備位置についた。阿部はセンターだった。内外野のファールゾーンに十人ばかりの補欠が控えている。ライトの金網まで九十五メートルぐらい、金網の高さは三メートルほどだった。時田というピッチャーの上背は百八十センチ近くあった。三球ほど投球練習をした。スリークオーターで、ボールがナチュラルにシュートして外角へ逃げていく球質だ。それほど速くないが、もちろん中学生よりはスピードがある。
「へば、いくど!」
 一球外角を見送り、二球目のど真ん中を叩くと、振り遅れたのかボテボテの三塁ゴロになった。左手の親指の付け根がビーンと痛んだ。びっくりした。こんなものがきちんと飛んでいくのだろうか。野球への本格的な情熱がとつぜん頭をもたげた。私は、八カ月のあいだ両掌からすり抜けていたインパクトの感覚を懸命に思い出そうとした。
「硬球を打つのは難しいど! 芯を食(か)ねば、飛ばね」
 一塁手が怒鳴った。同情している声だ。なるほどと気づいた。シュートの曲がりハナを叩こう。


         九 

「へば、次いぐど!」
 時田が叫んだ。
「はい!」
 極端にベースに近づき、二球目の低いシュートボールを上から叩きつけるようにバットを振り抜いた。思いどおり芯を食ったが、大した手応えがなかった。力をこめて素振りをした感じだった。ボールの飛んだ方向がつかめず、思わずセンターの阿部の動きを追った。一歩も動かずにライトの上空を見上げている。彼の視線の先にようやくボールを見つけた。白球が勢いよく右翼手の頭上へ伸びていく。瞬く間に金網をはるかに越えて、白亜の校舎の裾に打ち当たった。
「なんだべや!」
「あったらの見たこどねど!」
「百二十メートルぐれ飛んだんでねが!」
「や、もっといってら!」
 センターの阿部がダッシュで走ってきた。私の前に立ち、呼吸を弾ませて言う。
「おめ、四番打ってけねが! ワは三番にまわる。その肩、もったいねけんど、守備はレフトでいいが」
「もちろんです」
 いつの間にこんなに打力がついたのか、自分でもびっくりするくらいだった。芯さえ食えば、硬式ボールは軟式ボールよりも飛んでいくということがわかった。硬式野球というものに強烈な興味が湧き上がった。
 ―これならやっていける!
「ユニフォームもスパイクも、注文で買えるすけ、こっちで頼んでおぐ。身長は?」
「百七十四センチです」
「よし、何カ月もしねうぢに、七十五、六になるな。からだはワよりわんつか大っきいぐれが。足は?」
「二十六です」
「足もすぐ大っきぐなる。二十六・五を買え。安西マネージャー、わがったな」
「はい!」
「おい、おめんど、都会のホームラン王の実力見たべ。神無月くんは生まれで初めで硬式ボールを打ったんで。それであれだ。何かの縁で青高さきたばって、オラんどにしたらありがてこった。神無月くんを中心にして、本気で甲子園目指すべ! 夏にベストフォーぐれに入れれば、春の選抜も夢でねど」
「ウォース!」
 小柄な安西マネジャーが握手を求めた。女みたいに小さくて白い手だった。
「選抜は優勝しねかぎり、無理だべ」
 何人かが阿部に話しかけている。
「何年かベストフォーつづけでれば、ひょいと選ばれることもあるべ。希望を持でじゃ」
「夏に優勝すれば、そのまま甲子園だたて」
 ドッと笑い声が上がった。明るい声だった。
「じゃ、ぼく、帰ります。あしたから練習に出ます。何よりまず、去年の十月から動かしていないナマったからだを鍛え直すことが先決です。ぼくが用意するのは、グローブとストッキングとアンダーシャツと、それから帽子ですね」
「グローブだげだ。バットは、部にあるやづ使え。てめ用の持ってらってもかまわねけんど、うだでぐ高げすけ、無理すな。ストッキングとシャツとヘルメットと帽子は、二つずつ注文しておぐ。頭は?」
「五十七センチです」
「オッケ。ぜんぶで一万二、三千円かがる。月賦でいいど」
「いま、払っておきます」
 胸のポケットから封筒を出し、二万円を抜いて手渡しした。阿部は肝を冷やした顔つきをしたが、落ち着いてそれを安西に預けた。安西は金を扱いなれているふうに大学ノートに挟んだ。そしてあらためて私を期待に満ちた熱い目で見つめた。
「二十九日の木曜日にはできてくら。それまでは適当に自分に合うユニフォームをロッカーから探して着てへ」
「グローブとスパイクはあしたまでに買ってきます。何足あってもいいので、スパイクは注文どおり購入してください」
「日曜練習は基本、やらね。出てグランド使う分にはかまわねど」
「わかりました」
 青高のスラッガーはそれ以上時間を無駄にすることはしなかった。チームの戦力充実のためだと思いながらも、おそらく強力なライバルを誘ったことを心の底ではもう後悔しているだろう。
「バックホーム、十本ずつ!」
 阿部は私に背中を見せて走っていきながら、仲間たちに叫んだ。ノックの硬く澄んだ音が響きわたり、白球が勢いよく空に舞い上がる。
「オエ、オエ、オエーッ」
 かけ声が聞こえる。安西に、
「このバット、二、三日貸してください」
「ええど、それ重くて、振るやづいねがら」
 私はバットを手に、金網越しにもう一度練習風景を眺めた。まるで公園か何かで遊んでいるようだ。私と阿部が主軸になったくらいで勝てるチームではない。甲子園なぞ遥かな夢だ。見こみのない部員たちの中にいて、たぶん私はヒーローになるだろう。胸に萌すものがあった。それは人に優越する喜びではなかった。井の中で遊ぶことに慣れてしまうかもしれないという不安だった。きびしい継続的な鍛練が必要だと思った。
 葛西さんたちに大口を叩いてしまったが、いまさらどうなるものでもない。東大? 馬鹿な考えだ。東大合格こそ夢のまた夢だろう。テスト生? そんなことを考えたこともあった。もう時効となった夢だ。……でも、万に一つ、何かの僥倖から順風に乗り、野球と真剣に関わるような日がめぐってきたら、そのときは、何もかも擲(なげう)って野球一筋に打ちこもう。とにかくいまは、セイコの野球に没頭すること。それを当面の目標に据えよう。東京大学で二年野球をやって、中退ののちプロ入りを果たす―それはひたすら夢見るしかない。とにかくどんな形でも、二十歳まであきらめずにがんばれば、どれほど苦しい紆余曲折があっても、プロ野球選手となって野球をする夢を果たせるかもしれない。
 取って置きの贅沢な夢。人は贅沢と思わないかもしれない。私にはひそかな大望がある。巨人でも、南海でも、西鉄でもなく、中日ドラゴンズに入団して、中日球場でプレイすることだ。私は中日ドラゴンズを愛している。名古屋をフランチャイズにする中日ドラゴンズを愛するように幼いころから刷りこまれた。しかしこればかりは、ドラゴンズのスカウトがやってこなければどうにもならない。虫のよすぎる夢だ。……それが叶わなければどこにでもいく。野球をすることが究極の夢だから。
 革靴の爪先と横つらにべっとり泥がついている。ひさしぶりに野球をやった喜びの証だ。正門から振り返り、グランドの部員たちの姿を追った。あしたからの仲間たちだった。
 夕方の薄日を受けた堤川の土手に、赤や黄や白の花が咲き乱れている。希望など持たずに装う自然を眺めながら私の心は躍った。……大望は抱かない。緩慢で目立たない歩みだけれど、きょうようやく一歩前進を遂げたと思おう。いずれ手中にするかもしれないものに確実に一歩近づいたのだ。
 私は、野球選手として未来が明るく輝きはじめたときにとつぜん使えなくなってしまった左肘を、他人のもののように感じた。その肘がもう二度と使えないとわかった最初の瞬間の恐怖と絶望が、ふたたび甦ってきた。学生服の上から右腕を大切にさすった。この腕だけはぜったい失うまいと決意した。
         †
 翌日日曜日の午前早く、グローブとバットを買ってくると一家に告げて花園の下宿を出た。堤橋のたもとからカズちゃんに電話する。
「野球部に入ったよ」
「やったァ! その連絡待ってたのよ」
「いっしょに道具を買いにいこう」
「はい! 楽しそう」
 カズちゃんはすぐタクシーでやってきた。
「ユニフォーム一式とスパイクは、マネージャーが揃えてくれるって。その場で金を払ってきた。いつも封筒を持ち歩いてるからね。でも、グローブとバットとスパイクは自分のものでなければだめだ」
「がんばるつもりなのね。うれしい。目が近くを見てない。とても遠くを見てるわ。十二歳のころの目よ」
「ぼくはね、カズちゃん、野球しか得意じゃないんだ。どんな環境でも、どんな精神状態でも、野球だけは夢中になれる」 
「キョウちゃん、いい? これまでの不幸が大きすぎて、もう、何がなんだかわからなくなってるでしょうけど、キョウちゃんは野球の天才なのよ。夢中になってあたりまえ。大好きな野球に邁進してね。堤橋を向こうのたもとへ渡ったら、イシダスポーツという老舗があるわ。そこへいきましょう」
 文明開化のポリスボックスを正面に見て、浮きうきと二人で橋を渡る。
「で、どんな野球部だった?」
「遊んでいるみたいだった。目ぼしいのは、キャプテンの阿部というバッター一人だけ。カズちゃんは身長何センチ?」
「百六十一か二。大女よ」
「じゃ、その人は百七十一か二だな。ぼくのこめかみぐらいだったから。野球選手としては小柄だね。キャプテンなんだけど、県でも有名なスラッガーらしい。少しヘッドアップする癖がある。ただ、ミートを心がけてるのでスイングが小さい。もう一人、時田というまあまあのピッチャーがいるかな。百三十キロくらいのボールを投げる。あとは、箸にも棒にもかからないというわけじゃないけど、ドンくさい」
「いっしょに練習してみたの?」
「練習はしなかったけど、みんなぼくのことをナメてるふうだったから、遠投して見せたり、打って見せたりした。みんなビックリしてた」
「そりゃそうでしょう。神無月郷をだれだと思ってるの」
「硬球って、当たりどころさえよければ、ものすごく飛ぶんだ。初めてバットに当ててびっくりした。ふっ飛んでいく感じ」
「ホームラン打ってみせたのね!」
「うん、大きなやつ。百二十五メートルくらいかな。身長があと五、六センチ伸びて、筋肉もみっちりつけば、もっと飛ぶ。百五十メートル級のやつを打ちたいな。なぜ棒切れ一本であんなに飛ぶのか不思議でしょうがない。でも、その不思議さがいつまでもなくならないから、ずっと野球をやってきたんだと思う。俺の代わりに四番を打ってくれって、キャプテンに言われた」
「いつもどおり、一年生から四番バッターね。でも、そんなチームじゃ、野球をする楽しみだけになりそうね。弱い高校なんでしょ?」
「これまで甲子園に四回出てるらしいけど、まあ、強豪ではないね」
 カズちゃんは春物のピンクのカーディガンを着、首に真珠の二連をつけていた。ときどき彼女を振り返る視線を感じた。得意だった。
 諏訪神社の裏の大きなスポーツ用品店で、一万一千円もする外野手用グローブと、六千円のスパイク一足、五千円の革製の担ぎ袋(ダッフルバッグと言うらしい)、三千円のバットを五本、四千二百円のバットケース、四百円のグリース、八百円の硬球ボールを一個(グローブの寝押しのため)二千円のジャージ二着を買った。バットは小学校のときから使っていた虎印の美津和タイガーだった。バットを選ぶのは、手に取った一瞬で決めた。代金はすべてカズちゃんが払った。私に払わせようとしなかった。
「グローブはプロにいっても大事に使うよ。バットは消耗品だから、これから何百本も買うことになる」
「今度、練習の様子を見にいくわね。試合も仕事を休んで見にいく。たくさんホームランを見せてね」
 買物を終えると、カズちゃんは、就職予定先で少し料理の研究仕事があるから、と言ってタクシーを拾って帰った。私は目と鼻の先の花園の下宿に帰った。
         †
 翌週の二十六日月曜日、授業前の朝のうちに、バットとグローブと革袋を更衣室に置いた。だだっ広い更衣室は練兵舎の陰にあった。雑然とグローブやユニフォームやバットが散らかっている部室を眺めて、気持ちが萎えかけた。
 翌二十七日から、六時に起床し、青高までの三キロの土手道をランニングで往復し(四十分)、下校後、夕食前の六時から二百本の素振りを欠かさずやった。一度ジョギングをしていたとき、山田高校のジャージを着て黙々とうつむいて走る学生にいき遇った。見覚えのある顔だったが思い出せなかった。翌日、夜の机で予習していると、スキー大会で四郎の二着に入った男だったと思い出した。名前はいっさい記憶になかった。その学生とはそれきり遇わなかった。
 放課後三時四十分からの練習には、無帽にジャージを着、新しいスパイクを履き、新しいグローブとバットを使った。練習時の気温はやや冷たく、無風だったが、遠くらかすかに吹いてくる希望の風を感じた。レフトの守備練習を島尾という三年生といっしょにやった。彼は宮中の足立と同じ運命になると思った。五時ごろ、背広姿の相馬が出てきて、新年度のレギュラーのメンバーを発表した。守備位置だけの発表で、打順は部員同士で決めるようにということだった。阿部がセンターであることと、バッテリーの名前が時田・神山であること以外はまったく覚えられなかった。島尾は控えに回され、私がレフトに入った。胸が痛んだけれども、すぐに関心のほかになった。
 レギュラーのバッティング練習をしばらく見てから、相馬は満足げに戻っていった。私に親しげに話しかけることは控えていた。
 グローブの手応えはまだ硬かったが、バットのそれは上々だった。カズちゃんがレフトの金網フェンスに見物にきていたので、流し打ちをまとめて何本かやって合図を送った。カズちゃんは目立たないように手を振って合図を返して寄こした。一本しかフェンスを越えなかったけれども、カズちゃんは頭の上を高く越えていく打球を見上げて、思わず激しく拍手した。



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