十 

 二十八日。放課後、二十名ほどの部員が三々五々固まって着替えている更衣室で、阿部から無番のユニフォームと、何千円かの釣りを渡された。胸に空色の青森高校という漢字のロゴが縫いつけられていた。下ストッキングは白、上ストッキングはロゴに合わせて空色だった。帽子は耳の上を快く締めつけ、新調のスパイクも足にしっかり嵌まった。ついに、八カ月にわたって中断していた野球生活が再開した。私はユニフォームを革袋にしまい、ジャージ姿のままグローブとバットを持ってグランドに出、ピョンピョン垂直に飛び跳ねたあと、股割きのストレッチをした。
 二十九日からしっかりユニフォームを着こんで練習をした。キャッチボール、トスバッティングから始めて、グランド周回、守備練習、バッティング練習、ベーラン、用具後片づけ。三時半過ぎから二時間の練習なので、花園に帰りつくと、六時を十分ほど回っている。そこから二百本の素振り。晩めし。十一時まで学校の復習、予習。六時起床。ランニング。思いのほか早く、宮中時代よりハードな生活習慣が根づいた。予想していた疲労感はいまのところ訪れる気配はなかった。
 五月二日から四日までの休日練習にも、阿部や投げこみのピッチャーたちといっしょに出て、周回、腹筋、背筋、腕立てなどをやった。白川、守屋という三年生ピッチャーの名前と、沼宮内、佐藤、三田という二年生の控えピッチャーの名前を覚えた。
 二日にいっぺん、銭湯にいく習慣がついた。
         †
 五月五日がきて、十六歳になった。
 朝餉のテーブルで奥さんに、食欲がないと言って、味噌汁に玉子を落としただけのものをすすった。
「きょうは、昼食も夕食もいりません。あしたから練習開始で暇なしになりますから、最後の散歩をしてきます。本屋巡りをしてから、おもしろそうな映画があったらそれを観て、七時までには帰ります」
 と奥さんに告げた。ミヨちゃんが、
「早く帰ってきてくださいね。誕生日のお祝いをしたいから」
「そういうの、いりません。帰ってきたら、いっしょにお茶菓子でも食べてコーヒーを飲みましょう。そうしてくれるだけでじゅうぶんです」
 奥さんが、
「こうして見てると、やっぱり野球選手だなあとつくづく思いますよ。いよいよ夏の甲子園に向かって試合が始まるんですね。わくわくします」
「愛知県の野球はトップレベルだべせ。神無月くんは、その名古屋のホームラン王だすけな」
 主人もいきり立つ。
「高校野球でどこまで通用するか、やってみないことには」
「なんも、青森県たらなんてこどねですよ」
 奥さんが、
「部から帰るの、毎日六時ごろですけど、もっと遅くなってきます?」
「場合によっては遅くなると思います。それでも練習を切り上げるのは六時ぐらいでしょう。ここに帰り着くのが七時くらいなることがあるかもしれない。すみません」
「いいんですよ。七時、八時は、宵の口ですから、気兼ねしないでくださいね。私もパートから戻るのは五時半ですから」
「ワダシは九時に蒲団さへるども、なんも差障りね」
 主人が大きくうなずく。サングラスが、
「オラは八時に寝るばって、めし食ったら、部屋さ引っこんでまるすけ、なんも気になんねじゃ」
「私、十時ぐらいまでなら起きてます」
 箸を動かしながらミヨちゃんが言う。
「小学生が何言ってるの。かあさんがおさんどんするから、あんたはちゃんと宿題して寝なさい」
 赤井が、
「神無月、ンガ、衝動的に野球部さへってまったども、大学いってからでも遅ぐながったんでねが?」
「技術はともあれ、筋肉は少しずつでも鍛えないと、ナマるスピードが速いんです」
「ンだども、そったらに野球ばりして、勉強だいじょぶが」
 赤井が自分のことのように不安な表情を浮かべた。
「なんとかがんばります」
「がんばるってへたばって、東大さへるのはヘズネど。あどさぎ考えねで―」
 サングラスが天井を向いて、
「あどさぎ考えでだら、なんもでぎねべ。人間、好ぎだことしねで、何すればいいのよ」
「ワダシもそう思うな。運動音痴の赤井くんには、スポーツの喜びはわがんねよ。赤井くんは勉強一筋に努めなさい」
 主人もにこやかな顔で言う。
「マコトちゃんが言ってらったよ。神無月さんは天才だって」
「なんぼ天才でも、野球と東大でェ。ヘズネべ」
 赤井が私の横顔を見つめる。
「ぼくも不安だけど、とにかくヤケを起こさないでがんばるしかないと思います。じゃ、出かけてきます」
 ふた月ぶりにカズちゃんに逢える。正確には十日ぶりだ。学生服を着、泥を磨き落とした革靴を履いて出た。
 明け方まで降りつづいていた雨はもう上がっていたが、道が悪かった。土手を歩かずにアスファルト道の松原通をいった。藤田靴店という店の前で、見覚えのある眼鏡顔が歯ブラシをくわえてこちらを見ていた。同じクラスの生徒だ。藤田という名前を聞いたことがある。目立たない生徒だ。軽く頭を下げて通り過ぎる。奥野のX路を過ぎて左折し、青高の塀沿いに公民館を目指す。これから幾度もかようことになる道なので、かかる時間と道のりを暗記する。電信柱の表示に桜川六丁目とある。これも暗記する。
「きたよ!」
 滑りのいい玄関戸を開けると、いらっしゃい、とカズちゃんが台所から飛んできた。いいにおいがする。
「シュウマイ蒸してたの。やっと遠慮せずに食事を作ってあげられるようになったんだもの、腕をふるわなくちゃ。何かリクエストある?」
「別にない。カズちゃんの作るものなら何でもいい」
「朝ごはん食べてきた?」
「食欲がないって言って、味噌汁だけ飲んできた」
「さすが!」
 カズちゃんは小鳥の口づけをして、台所へ引き返す。シュウマイを蒸しながら、別のレンジで油を温めている。
「トンカツも揚げるわね。もうお風呂も入れてあるのよ。準備万端」
 キャベツを刻みはじめた。背中で私に語りかける。
「一人だけ別次元のバッティングと守備ね。でもみんなキョウちゃんに刺激を受けて必死で練習してた。キョウちゃんのおかげで青高チームは勝ち進むわ。目に見えるの。キョウちゃんはとんでもなく活躍しなくちゃいけないでしょうけどね。特別な存在でいることは、ときには厄介なのよ。とにかく、からだを鍛えるつもりでやってね。試合に出ているうちに、かならず専門家の目につくわ。いくら田舎でも、だれが見てるか知れないし、何が起こるかわからないんだから。そんなことを期待しなくちゃいけないようになっちゃったキョウちゃんがつくづく気の毒でしょうがないけど、仕方のないことね。とにかく、将来野球をやりつづけるために、からだを鍛えておきましょう」
 私はカズちゃんに笑いかけた。
「そんなに暗い気分じゃないんだ。なんだか、すがすがしいんだ。かえって、高望みとしっかりお別れしたような感じだ。康男の言い方だと、勉強も野球もガキの遊びだからね」
「……悲しいこと言わないの」
「ぜんぜん、悲しくないんだ。ごはん食べたら、映画にいこう」
 カズちゃんは、パン粉でくるんだトンカツをジュージュー揚げながら、
「いこいこ」
「……ぼくがおふくろの給料袋をそっくり落としちゃったこと、言ったっけ」
「初耳よ」
「工場に迎えにいって、本を買いたいって言ったら、ちょうど給料日で、残業の日だったから、ぼくに袋ごと預けたんだ。米とおかずも買ってけって」
「その先は言わなくてもわかるわ。途中で落としたのね。……でも、その話、飯場にキョウちゃんたちがきたばかりのころ、お母さんから聞いたような気がする。どうしても本を買いたいから、給料袋ごとよこせ、ってひったくるように持ってったって。嘘つきねェ。キョウちゃんがそんなことするはずないのに」
 カズちゃんは右足で床をトンと踏んだ。腹を立てたのだ。
「なくしたのはそれだけじゃない。算盤、木琴、ランドセル、学生服の上着まで、どこかに忘れてきた。傘なんか、何十本も―」
「自分は馬鹿だって、どうしても言いたいんでしょう。そんなこと、才能と関係ないわ。つまらないことを忘れる度合いが、ふつうの人より何百倍も強いってことよ。天才のしるしね。さあ、そろそろごはんよ」
 新聞紙にカツを載せて油を切った。二人前の大皿にキャベツとシュウマイとカツを盛り合わせ、練った洋ガラシを皿の縁につけてテーブルに出した。炊飯器から大小の茶碗にめしを盛る。ジャガイモの味噌汁を出して完了だ。塗りのいい漆の箸を添えた。
「食べましょ。自信作よ」
 ウースターソースをかけたカツを齧る。カズちゃんはトンカツソースだ。
「うまい! すごく柔らかい」
「わあ、ほんとだ、おいしい」
 キャベツにマヨネーズをかけて、もりもり食べる。
「なんだかこのシュウマイ、深い味がする」
「缶詰のホタテの貝柱をほぐして入れたの。缶詰の汁と、ごま油と、スープの素を溶き合わせたダシの中に、豚ひき、たまねぎ、小麦粉、塩、胡椒を混ぜ合わせてこねたものをシュウマイの皮で包んで、あとは蒸して終わり」
「やっぱり栄養士だね、手がこんでる」
「ふつうよ。酢醤油で食べる?」
「酢は苦手だ。酸っぱくても食べられるのは、酢豚くらいかな」
「料理と栄養学は、あんまり関係ないのよ。料理は勘」
 額を指差す格好をした。豆粕(かす)のないジャガイモの味噌汁もうまかった。汁かけめしを食いたいくらいだった。めしを三膳も食った。
「さ、居間にきてちょうだい」
 角テーブルの上に、シンプルな円盤状のケーキが置いてあった。十六本の小さな蝋燭が挿してある。カズちゃんはカーテンを閉めて部屋を薄暗くし、私と向き合ってケーキの前に坐ると、マッチで蝋燭に火をつけた。
「ハッピバースデイの歌はなし。吹き消して。いっぺんにね」
 二息かかった。
「十六歳、おめでとう。いつまでも生きていてください。健康でも、不健康でも、若くても、年取っても」
「ありがとう。すばらしい言葉だね」
 フォークで割って口に入れる。単純な甘さが心地いい。
「これも手作り?」
「これは既製品。ケーキなんて一切れしか食べないものでしょう。でも、形だけでも食べてね」
「うん。……この世は不思議なことばかりだ。人間も、人間の運命も」
「不思議って感動するってことでしょう? キョウちゃんは野球が好き、そして私のことも好き、だから、ボールが飛んだり、私がイッたりすると感動するのね。私もキョウちゃんのことが大好き。だからキョウちゃんがホームランを打ったり、イッたりすると感動するわ。でも、キョウちゃんの心のほうがずっと感動的。どうしてこんなきれいな心を持って生まれてきたんだろうって」
 ケーキを一切れずつ食べてから、台所でコーヒーを飲み、二人で寝室へいった。きょうもカズちゃんを隈なく観察し、丁寧に愛撫し、中へ入り、彼女の強い快感の不思議を感じ取った。女神のオーガズムは、激烈で、そして優雅だった。こんな自然で、強烈で、美しい快感の表現をする女がこの世にいるのだろうか。私をうっとりと見上げる女神の頬が少女のように輝いている。
「三十一歳には見えない。年齢って、何だろう」
「人を愛すると止まるものかもしれないわ。キョウちゃんの目に美しく映ってるうちに、年なんか止まってほしい」


         十一

 風呂に入り、何分も抱き合ったままでいた。そして、きょうもからだを洗い合った。
「野辺地のヒデさんという子と、下宿のミヨちゃんという子にキスをされた。興奮しなかった。どうしてだろう」
「私に遠慮してるからよ。ねえ、キョウちゃん、もうくどいことは言わないわ。これを最後にしましょ。女は愛が大事だけど、男は好奇心が大事よ。自由な好奇心がなくなったら男は萎んじゃう。スポーツ、学問、芸術、人間の心とからだ、ぜんぶ同じように好奇心を持ってほしいの。年とって、からだが疲れたとき、好奇心を鍛えた経験がないと心まで萎んでしまうものよ。あたらしい女に好奇心を感じないなら、感じるまで古い私を愛して。でも、新しいものに好奇心を感じたら、愛情と関係なく素直に行動してちょうだい。そうして、古い私は古い好奇心のまま抱いてくれればいいのよ。好奇心を鍛えておけば、古いものへの愛情も少しも古くならないからよ。心が満たされてるキョウちゃんを受け入れるのは、とても気持ちのいいことだわ。もしほかの女の人とそうなっても、私に報告することなんかないの。キョウちゃんは私の心臓だったでしょう。私の心臓がすることはいいことに決まってる」
「でも、報告したら、聞いてくれる?」
「もちろん」
「どうしてもカズちゃんには、ぜんぶ話したいんだ」
「うれしい」
「研究なんとかって言ってたけど、どこかに勤めたの?」
「不定期のアルバイトを決めたわ。女性料理研究家の助手。駅前のグランドホテルで料理教室をやってる四十歳ぐらいの人。ときどきレシピのヒントを考えてあげたりして、手が足りないときに出ていくだけ。夜は遅くならないし、けっこうお金にもなるし、いい仕事が見つかったと思ってるわ。お声がかかるのは週に一度か二度。ひとまずそれでいくわ」
 映画にいくのは取り止めにして、帰り道を兼ねた散歩に切り替えた。
 青森駅までタクシーでいく。駅前にタクシーがけっこう蝟集している。青森のタクシー台数は多く、市民にはポピュラーな存在だ。平たい二階建ての〈あおもり駅〉。左に〈青森りんご〉の雑然とした露店。りんごを木箱で売っている。乗務を終えたのか、店の前を国鉄の制服姿が二人通り過ぎていく。
「このあいだのスポーツ用品店は栄町、きょうは新町。青森探検ね」
 右手へ曲がり、バラックの連なりのような丸青魚市場を歩く。カズちゃんが乾物を何種類か買い、例の鰐革のバッグに入れる。新町通りを歩く。突き出ているのは蛇の目ミシンとナショナルの広告塔のみ、あとはほとんど二階建ての商店街。アーケードはない。自治会堂、千葉洋服店、読売新聞販売店、文房具屋、青森東映。東映まんがまつり。
「小四まで映画をあんなに観たのに、まったく見なくなった」
「昭和二十年代から三十年代にかけて、私もよく映画を観たわ。小学高学年から中学生にかけて。映画情報とか芸能画報という雑誌で目星をつけては観にいった。月光仮面とか七色仮面とか少年探偵団なんかは観なかったけど、美女と液体人間、地球防衛軍、金語楼のおトラさんというのまで観たのよ。戦争映画では、ジョン・ウェインのアラモ、グレゴリー・ペックのナバロンの要塞、チャールトン・ヘストンの北京の55日、スティーブ・マックィーンの大脱走なんかが記憶に残ってる」
「そんなのまで観たんだ」
「もちろん、世に言う名画というのもたくさん観たわよ。風と共に去りぬ、サイコ、アラビアのロレンス、ベン・ハー、旅情、ローマの休日、太陽がいっぱい、オズの魔法使、すばらしきかな人生。この四、五年はあまり観なくなっちゃったわね。古川町のニコニコ通りへいってみましょう。ただ見て歩くだけ」
 中央古川通りへ折れ、人の混雑していない市場のような通りを歩く。露店で老婆や中年の女が、野菜や果物を売っている。荷籠を背負った老婆やミニスカートの若者や子供も通る。カズちゃんの散策癖とテリトリーの広さがわかって楽しい。
「ニコニコ通りと、それと交差するいろは通り商店街が、青森市の中心的な商店街ね。全体で古川市場って言うの。レベルの高い古い町並よ」
「青高合格の報告に、じっちゃといっしょにサイドさんのお父さん夫婦に会いにいったとき、古川跨線橋という高架橋から曲がって、千刈(せんがり)というところへいった」
「よく商店の看板に工藤パンて書いてあるでしょう? 青森の一大企業」
「うん、ついユトウパンて読みまちがえちゃう」
「私もそう。工藤パンは昭和の初めに田名部で創業したんだけど、戦後古川跨線橋のたもとに二階建ての店舗を出したの。私を雇ってる料理研究家が言ってたけど、戦後の市民がよくかよったのが、跨線橋近辺のみなみデパートと工藤パンですって。一階はパン屋さん、二階はレストラン。戦後の食糧難の時代に、子供たちに栄養を補給する大切な役割を担ったのね。でもなんで、サイドさんのお父さんに?」
「いまもってわからない。自慢したかったわけでもなさそうだったし」
「サイドさんに伝わるようにと思ったんでしょう。佐藤家にとって、斎藤家が唯一信頼できる〈親戚〉なのね」
 市場通りの店々の内から、テレビやラジオの音が流れ出てくる。古川一丁目交差点付近の履物店で、運動靴を二足、下駄を一足買う。新鮮な魚菜店ばかりでなく、小間物屋、洋品店などもけっこうあり、食い物屋、飲み屋、喫茶店、パチンコ屋、デラックス劇場というストリップ小屋らしきものもある。細い路地はほとんど飲み屋街になっている。そこに入ると、オンボロの民家もところどころに埋もれたり連なったりしている。第三新興街と言うらしい。意味深な名称だ。とにかく散歩するには絶好の場所だった。
 気持ちのよい風の吹き渡る広い通りに出た。
「写真撮っけど、さすけねがい?」
 とつぜん二人組の女子中学生から声をかけられた。カズちゃんはびっくりして、
「え? さすけ……?」
「うだできれいだカップルだはんで、記念に撮っときたくて」
「いいですよ」
 パチリ。もう一人のセーラー服が、
「町の美男美女というテーマで、校内新聞の特集組んでるんです。こちらは芸能人か何かのかたですか」
「ちがいます。ほら、学帽かぶって学生服着てるでしょう。二人ともただの〈町人〉です」
「その徽章、青高だべ?」
「はい、野球部の一年生です」
「私は従姉。あなたたち、いい写真撮ったわよ。今年の青高はこの人のおかげで勝ち進むから、この顔がドンドン新聞に載るようになるわ。そのときに名前を知りなさい。じゃ」
 すたすたと歩きだす。中学生二人は呆気にとられたようだったが、私が振り返るとペコリとお辞儀をした。
「さすけねがい、て、差支えないですかって意味よね」
「そう」
「青森弁で何かほかにおもしろい言葉ある?」
「かすかだんでねえ。ごちゃごちゃ理屈言うな。野辺地の同級生のガマというやつの口癖だった。それから、会おうよ、の意味の、会うが。好きな言葉だ」
 国道四号線から税務署通りへ折れ、整備された背の低いビル街をかなり歩いて、浜町埠頭へ出た。海。工場。人工の波打ち際。
「これは退屈だ」
「そうね。オシッコして帰りましょ」
 税務署通りを引き返して、浜町稲荷神社でお参り。民家に挟まれた小さな赤鳥居と石灯籠二つ。賽銭箱がないので神社隣のラーメン屋で一杯食って寄付する。ついでに、トイレを借りた。新興の区画で食い物屋はこの一軒のようだ。
 くねくねと歩いて、中央郵便局のほうへ向かう。その先が堤橋だ。
「あら、このへん……」
「どうしたの」
「大門のあたりとそっくり。北村席と同じような営業をしてる家ばかりね」
「ふうん……。赤井はぼくと散歩したとき、堤橋のたもとで別れて、何も言わずにこっちのほうへ入っていったよ」
「恥ずかしかったんでしょう」
 ビルがまばらになると、商店と民家の入り雑じったふつうの町並になった。大きなホテルや病院がぽつぽつ混じる。橋本小学校を過ぎて、国道四号線(奥州街道)に戻った。中央郵便局のそばの衣料品店で、カズちゃんは私の下着の上下を十組ずつ買った。遠く左手に堤橋が見えた。私はタクシーに手を上げた。
「したくなっちゃった。三回も、四回もしたい」
「私も!」
 カズちゃんは明るく応えた。もう一度桜川へ引き返した。
 タクシーを降りて玄関まで歩く道でカズちゃんが言った。
「恵まれない環境の中で不安そうに野球をしてるキョウちゃんを見ると、哀れになることがあるの」
「どうして? こうやって野球をやりつづけることは二人の暗黙の了解だろう」
「そうよ、私はキョウちゃんががんばれるよう、いつまでも応援するわ」
「じゃ、哀れになんか思う必要がないよ。ぼくは不安じゃないし」
「……それは強がりね。私がキョウちゃんを哀れに思うのは、環境が恵まれなくなってしまったのに、野球選手としての才能がもとのままだからよ。せっかく野球を取り戻したのに毎日不安の中で才能を持て余してる―宝の持ち腐れ―じっと考えると狂いそうになるわ。でも信じてる。キョウちゃんは強い心できっと乗り越えるって。いままでと同じようにね。そういう運命の人だって信じてる」
「乗り越えるよ。幸運なんか期待しないで、自力でね」
         † 
 入学してからもうひと月がこようとしている。野球部の練習はもちろん、一日六コマの授業時間割にもようやく慣れた。三日に一度、大太鼓を先頭に上級生たちが埃っぽい廊下を練り歩き、どこと定めずに授業中の教室に闖入してくる。
「団歌ァ、斉唱!」
 すぐさま起立しないと蹴られる。教師も授業を中断し、後ろ手を組んで従う。大太鼓が派手に打ち鳴らされ、上級生たちは腕を振り上げて切腹スタイルに構える。すると、およそ彼らの雄姿に似合わない哀調を帯びた旋律が唄い出されるのだ。

  青高健児われなるぞ 輝く正義名も高く
  知らるる合浦その丘に 白きイラカはギゼンたり
  よしや敵軍強くとも 打てば破れんことやある
  常勝軍のほまれある 青高健児を知らざるや

「凱歌ァ、斉唱!」

  甲田山頭雲晴れて わが軍勝てり ああ勝てり
  降魔のヤイバの閃きに 敵のこうべは地に落ちぬ
  
 歌詞の連なりがほとんど聞き取れない。上級生と教師の歌声に合わせて、ただ口をパクパクやるだけだ。しかし先輩たちが声を合わせる教室には、誇りに満ちた大らかな空気があり、窓の外には八甲田山の麗しい遠景があった。
 放課後、ユニフォーム姿の相馬先生がバックネット前に姿を現した。眼鏡をかけた短軀に空色のユニフォームが意外に似合っている。着こなしている雰囲気だ。
「阿部キャプテンの話だと、四番に決まったそうだね。とんでもない能力だと聞いた。チームの牽引、頼んだぞ」
「はい。がんばります」
 ユル・ブリナーに似た阿部が大声を上げる。
「まずグランド三周! レギュラーは守備練習三十本、バッティング練習二十本、補欠は球拾い。一応、神無月はレギュラーでも新人だすけ、ケージの用意と、もろもろの後片づけはこれまでどおり新入部員といっしょにやってけんだ。―ンガのバット、いいな」
「よければ、どうぞ使ってください」
「折ったら悪りすけ、いいじゃ。紅白戦は、県のトーナメントが近づいてきたら、二試合ぐれやる」
「他校との練習試合は?」
「やらね。弱すぎるはんで、申し込んでくる学校もねじゃ。公式戦のトーナメントは、四試合で四強が決まり、残り二試合で優勝が決まる。六回勝てば甲子園だ。第一戦は七月十三日。けっぱるべ」
「はい!」
 全員でグランドに出て走り出す。からだは軽いが、思ったとおりスタミナがなく、三周目でしんがりになる。情けない。自分のペースで走る土手のランニングと、人と競って走るランニングとはまったくちがう。キャッチボール。三十メートルほどの距離でやる。硬式ボールの重さが快適に手首に反応する。じっくり味わう。グローブの調子がよくなってきた。弾みすぎない。ただ受け方を工夫しないと掌に響く。キャッチボールの相手がグローブを差し出すときに顔をそむけるのが、気分を高揚させる。生き返るようだ。
 守備練習。ノッカーは阿部。ふだんのバッティングとちがってヘッドアップもせず、いい打球を飛ばしてよこす。私と同じ守備位置で練習している島尾が、遠慮がちに私の後方についている。二塁への返球スピードが子供と大人なので、ひどく恥ずかしそうだ。私は彼にレギュラーの未練を持たせないように、バックホームは強いノーバウンドで返した。キャッチャーミットに一直線に吸いこまれる。
「ナイス返球!」
 阿部が叫ぶ。長いあいだ休んでいた肩が一段と強くなっている。
「島尾さんはずっとレギュラーだったんですよね」
「おお、生田と交代交代でな。なも、オラはピンチヒッターでも出られるすけ、気にすなじゃ」
 守屋浩に似た島尾が言う。私はすみませんと頭を下げたが、そのじつ何も気にしていなかった。思い返すと、千年小学校以来野球のフィールドに濃やかな感情を持ちこんだ経験がない。打って、走って、守る、そのことだけを夢中でやってきた。
「フリー! レギュラー、準レギュラー、補欠、全員外野さ回れ。神無月からいげ!」


         十二 

 注目されながらバッティングケージに入る。相馬と安西マネージャーがケージの後ろにつく。ピッチャーは控えの三田。細身で中背。オーバースローの百二十七、八キロ。お辞儀するストレートのみ。二十球のうち、九本しか金網の外に叩き出せなかった。それでも金網を越える者は私しかいないので、みんなボーッと打球を眺めている。
「神業だな」
 相馬が言った。ユル・ブリナー阿部も刺激を受けたのか、レフトの金網に二本、金網の下のコンクリートフェンスに三本打ち当てた。相馬が叫ぶ。
「次、ドンドンいけ!」
 岩間医院一枝、バットの回転がゆるい。外野へ飛ばない。二谷英明藤沢、ライナーを打とうとしてただヤミクモに叩きつけている。伴宙太神山、いける。リストを利かせた打球がゴロにならないでセンターから左へ高く飛ぶ。神戸一郎瀬川、中学生のふんぞり返りスイング。牛若丸三上、関に似た振り方でライト方向へ飛ばす。西郷輝彦今西、典型的なダウンスイング、バットを長く持って内野ゴロばかりを打つ。
「よーし、ベーラン、二回で終わり!」
 相馬はすたすた帰っていった。さすが受験校の部活動だ。一時間半ほどでノルマを終了した。三時四十分から五時まで、長くても五時半で終わりのようだ。
 ―これではこのチームは強くならない。七月の公式戦初戦までのあいだに、並以上のチームにするには習慣的な鍛練を重ねるしかない。しかし、出しゃばってはならない。手本になるように自主鍛練を瞥見させればいい。
 相馬が引き揚げたあと、後片づけをし、制服に着替える。みんな寄ってきた。
「名古屋で何本打ったのよ」
「小五、小六は、公式戦で十本以上です。中一のときは肘の手術をしたので、ゼロ本でした。中二は十何本だったかな、中三は十本だったと思います。四回ともホームラン王で、記録を塗り替えたのは中二までです。ぜんぶ自分の記録ですけど」
「うだでだな!」
「人間でねじゃ」
「天才中の天才だでば」
 阿部がにこにこ笑いながら、
「東奥義塾も、神無月がほしかったべな。なして青高さきたのよ」
 面倒になってきた。
「野中に転校したのが十一月で、入部しなかったので、スカウトはきませんでした」
「十一月!」
「はい、夜遊びをして、島流しされました」
 ドッと喚声が上がった。
「マンジュ、やったのが!」
「やりました」
「その面でやられだら、女泣ぐべ」
 なんと開けっぴろげなやつらだろう。きっと赤井のように、ときどき港へ出かけていく学生もいるにちがいない。私の気分が開放的だと、安心して彼らの好奇心も発動される。案外五組のクラス連中の中にも、さばけたやつがけっこういるのかもしれない。野辺地にも夜這いの風習が残っていると、よしのりから聞いたことがある。
「神無月が打ってるとぎよ、金網さ張り突いて手叩いでるオナゴがいだ。うだできれいだ女でよ、グラマーだった。二十五、六のよ」
 カズちゃんにちがいないと思った。五歳も若く見られている。うれしかった。
「あれも、おめの女だが」
「身に覚えはありませんけど、近寄ってきたら据え膳は食います」
 指笛が鳴った。
「野球と女ってが。まぢげね、天才だでば」
「勉強もでぎるすけ、青高にきたんだべや」
 引き揚げたはずの相馬がヌッと顔を覗かせた。背広に着替えていた。早足で戻ってきたのか、息が上がっている。
「そうなんだよ、神無月は天才なんだよ。勉強もばりばりできる。本人はそれが美的じゃないと思うようで、サボってるがね。阿部、神無月の野球は満点だろ」
 横浜国大出身の相馬は、きれいな標準語を使う。私は勉強をサボっているつもりはなかった。ただ、根本的な頭のキレがないと思っていた。
「大天才だでば。いまプロテスト受げても、軽ぐ受がるべおん」
「いや、スタミナが」
 と私が頭を掻くと、またドッと笑いがきた。 
「きみのような人もいるんだね。教師冥利に尽きるよ」
 打ち解けた会話のせいで、一日の密度が濃くなった。私はボーッと上気したようになった。一人の選手が尋いた。
「神無月、おめ、どこに住んでんのよ」
「花園町の下宿です。こじんまりした三畳間が快適です。ぼくは小さいころから土方の飯場にいて、三畳の勉強部屋を与えられてました。落ち着くんです。三年生の赤井くんも隣の部屋に下宿してます」
「赤井がか! あれ、三年のトップでェ。東奥模試でも三番を下らね」
 別の一人が言った。エースの時田が、
「ワと同じクラスだ。東大さいがねで、京大さいきてってへってら」
 がやがやとなった。相馬が、
「彼は青高の勉強のホープだが、変人だ。北からできるだけ離れて、関西か九州へいきたいと言ってる。よほどこっちでいやなことがあったのかな。神無月、どうだ、何か聞いてないか」
「彼は頭の先から足の先まで勉強家です。最初は押しつけがましいやつだと思いましたが、いまではなかなかいい性格の持ち主だとわかってます。北を嫌う理由は、いまのところわかりません」
「神無月もその気になれば、赤井くらいの成績なんてチョチョイノチョイなんだがな」
 私は意を決したように立ち上がり、
「ぼくは下宿の夕食時間になるべく早く帰らないと、待っていてくれてる人たちにすまないのでこのへんで失礼しますが、みなさんなに溶けこむために言っておきたいことがあります。ぼくは野球しか能がないということです。勉強は要領でやって、ときどきマグレでいい成績をとったりします。頭がいいとよく買いかぶられますが、一度自分は頭が悪いとしみじみ自覚したことがあって、その思いはその日からいっさい変わりません。頭のいい人たちは小さいころから見てきました。そのつど驚いてきましたが、青高が決定打でした。いまのクラスにもとんでもない異能者が何人かいます。先輩たちの中にもたくさんいるでしょう。あなたたちは頭の人なんです。その人たちが懸命に野球をやろうとしている。協力させてください。その形でしかぼくはあなたたちに溶けこめません。異能者の中にいるのは、銃で撃たれるより恐ろしい。溶けこめたらその恐怖は和らぎます。……これから先の話ですが、ぼくは懸命に努力して東大へいこうと思っています。学問のためではありません。東大へいけば、母が野球をすることを妨害する確率がいちばん低いとわかっているからです。プロに結びついているスポーツ対する母の嫌悪と、東大にこだわるモノマニアックな気持ちは、どう説明してもわかってもらえないと思います」
 相馬がやさしい目で、
「わかるかもしれないよ。話してみなさい」
 私はうなずき、この先彼らと軋轢なくやっていくために、一度だけ話しておこうと決めた。
「母は、野球選手を頭の悪いヤクザ者だと信じこんでいます。その信念から野球の名門校のスカウトを二度も三度も追い払いました」
 相馬が、
「中京商業だね。内緒で西沢さんから聞いている」
「はい……むろん、ふつうの高校で野球をやるのは、ただのクラブ活動ですから親の承認は要りません。でも、名門高校にスカウトされたとなると承認が必要なんです。勉強を犠牲した尋常でない練習になりますから。同じ理由で、大学の野球部に入部するのにも親の承認が要ります。プロ野球に入団するのにも、未成年者の場合親の承認が要るんです。どの段階でも親の反対があったらオジャンです。彼女はぼくが野球でだめになったときの保証を考えています。かつて東大生だったという肩書があれば、母はうなずくでしょう。高卒だとか、東大以外の大学では、彼女の保証になりません。つまり、高校でプロに誘われてもぼくは野球選手になれないということです。相馬先生に尻を叩かれなくても、相応の勉強はしています。ときどきマグレも起こすでしょう。最終的にぼくは、東大から中日ドラゴンズに入団することを心に決めています。いまは途中過程です。幸い名門受験校なので、母はぼくが勉強に明け暮れていると信じているはずですし、野球をやっているなどとはこれっぽっちも思っていません。でも野球をしていることを知ったら、何らかの形で高校に働きかけて妨害してくるでしょう。実際のところ、東奥義塾にスカウトされても母は書類を破り捨てたにちがいありません。青森高校でひっそり野球をしている理由がわかっていただけたと思います。東大と同様、県下でナンバーワンの公立高校に属しているかぎり、母はちょっかいを出してこないということです。……愚痴ばかり言ってしまって、すみません。こんな愚にもつかない話をするつもりじゃありませんでした。まだ半信半疑ですが、心に強く思ってることがあります。……十歳のときに夢は決まってました。人生のすべてに、すべての人の人生に目的があります。その目的を知ることで、魂がそれをかなえるんです。人生の目的を知る人間は進むべき道を知ります。慢心じゃありません。確信です。とにかく、この期間にぼくは自分の道を進みながら、青高野球部に貢献したいんです。どうかいっしょに、野球に打ちこんでください。できれば勉強と同じくらい」
 大拍手が起こった。
「神無月! いっしょにやるべ! オラんどを鍛えてくれ」
「おめのおふくろさんて何者だ。そごまで子供の才能をないがしろにしていいもんだってが! 中商にいってれば、いまごろ春の選抜のホームラン王になってたべ」
 カズちゃんにまさるとも劣らない全肯定の人びとだった。たった一つの才能で全肯定される危うさがいつも背中にある。必死で野球をし、必死で勉強しなければ、自分の吐いた言葉から信憑性が失われる。
         †
 学校の時間は思わず知らず流れたけれども、その流れは一様ではなく、授業ごとにいくつかの印象深い結び目のようなものができた。それは教師ばかりでなく生徒のおのおのが、学者といったほうがよいほどの知識と頭の冴えを持っていたせいだった。青森高校というところはじつに一風変わった連中が集まっていて、その外見とは裏腹な、特別な才能にあふれた異能者たちだということが、授業が始まって二、三週間してわかってきた。
 たとえば、古山善猛(よしたけ)。彼は英語の達人だった。辞書を一冊ほとんど暗記していた。新学期に全員同時に買った英和辞典が、すでに手垢と汗でいびつにひん曲がっていた。
「古山、ox の複数形は」
「oxen」
「hesitate の形容詞形は」
「hesitant」
 授業中に派生語をきかれて、彼が答えられなかったことは一度もなかった。もちろん入学以降の英語の成績は全校の一番だった。しかし、もう一人、二組から特別クラスにきている一戸通(とおる)という生徒の能力は古山以上だった。リーディングを当てられると、あらかじめ自分に指定されているわけではない素読の箇所を、天井を見上げながら、まるまる暗誦し切ってしまう。狂気の沙汰としか思えなかった。私の英語の成績は、一戸を抜いて古山や梅田と首席を争うレベルにいたけれど、一戸のような芸当は到底できなかった。
 古山は私の驚愕に気づいて、
「一戸は××塾にかよってんだ。ワもかよってたばって、リーダーも作文も暗記ばっかさせる先生だすけ、やめてしまった。いくら暗記力つけても、応用がきかねばな」
 と冷たく言った。かえってその言い方で、私は一戸の能力は暗記力などというレベルのものではなく、サイドさんのような天賦に近いものにちがいないと直観した。
 数学ナンバーワン、ラグビー部の奥田毅。薄ぼんやりした、出っ歯の眼鏡男。いつも教室や廊下を裸足でぺたぺた歩き回り、暇があるとラグビーボールに唾を吐きかけて磨いている。ラグビー場でも裸足で走っているが、通学のときだけは靴を履いてくる。大きすぎる学生服を着ていて、あごから下がカラーに埋もれている。西沢に当てられると、嬉々として黒板の前に進み出てチョークを握りしめ、かならずだれも思いつかない即興の解き方で正解を仕上げる。彼の口癖は、
「ご笑覧に供しました」
 だった。西沢が目を丸くしてうなる。
「東北大、合格!」
 東北大数学科出身の西沢には、それが最高の褒め言葉だった。
 地学の小田切芳秀。彼は理系万能型で、数学は奥田と常にデッドヒートを演じ、地学と生物は常に学年のトップだった。会話をするとき、かならず人のすぐ間近に寄り、唇を見つめながらしゃべる。いつも微笑を浮かべている。東大出の多野という地学教師は、いつも岩石をポケットに忍ばせていて、授業が始まる前にそれを取り出して掲げる。
「きょうはこれだ。どうだい?」
 小田切は一瞬目にしただけでその名を言い当て、クラスの喝采を浴びる。当の小田切はきょとんとする。賞賛に関して風馬牛なのだ。ある日、気象図の授業のとき、多野の流す天気予報のラジオを聴きながら、すらすらと天気図を描き上げてしまった。またあるときは地層の平面図を見ただけで、断層を含む難解な断面図を美しく描き上げた。その芸当は授業のたびに、多野に命じられて大勢の仲間の前でやりおおせたことだったが、そのつどだれもが声を失い、あごの外れる思いをした。私は、この温和な少年が積み上げてきた専門的な勉強の歴史といったものに、底冷えのする思いで感じ入った。
 現代国語。これこそ私が勉強する必要を感じないほどの得意科目だったはずなのに、英語と同様、首席にはなれなかった。ほかのクラスの小川という生徒が(一度廊下で見かけたことがあるが、相撲取りのような肥満児だった)常にトップだった。
 彼らは自分のことを何とも思っていなかった。異常を異常と思うのは尋常な人間だけで、異常な人間はそんなことを考えたことさえないのだ。つまり平板な学習能力だけではなく、異才とか奇才という常軌を逸した〈魅力〉の持ち主も数多くいるとわかったのだった。タイプはまったくちがうけれども、直井整四郎を凌ぐ化け物がうようよいた。甲斐和子のような努力家もいたけれど、それはたいてい下位成績者で、目につかなかった。私は彼らの気味が悪いほどの能力にただ目を瞠る思いだった。
 最初の生徒集会で感じたとおり、彼らはこれまでの小中学校の仲間たちとはまったく異質な人間たちだった。彼らに比べれば、守随くんも鬼頭倫子も直井整四郎も単なる努力家としてしか思い出されなかった。
 たしかに、異能者たちを目のあたりにすることは感激にふさわしい経験だったけれども、そんな感激も日一日と薄らいでいった。心をふるわせるものは、所詮同胞たちの能力に対する驚きにすぎず、驚きの根底に成績順位に拘泥する競争意識があった。それをなだめるかのように、英語の教師は文法体系を、数学の教師は数と図形の論理を、地学の教師は結晶構造の美を教えこんだが、私にはそんなものに浮かれる気持ちが理解できなかった。私は彼らを相手に競争することで必死だったのだ。
 気配りの利いた国語教師である相馬は、ときどき私の机に寄ってきて、
「すごいね、神無月の国語力は。総合は次席だったけど、論述問題は、たった一人満点だったよ」
 などと慰めたが、私の心は晴れなかった。競争であるかぎりマグレはつきものだけれども、それは一時的なもので、そのマグレを維持することができなければ何の意味もないのだった。私は目標を常に東大に置き、ひたすら勉強に励み、野球に励んだ。


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