十八

 一万円札が発行され、チキンラーメンが出回り、南極基地に置き去りにされたタローとジローが生きていたとか、日本人がミスユニバースになったとか、そんな世間のざわめきとは何の関係もなく、私たち母子の生活はきのうと変わらなかった。
 四年生なった四月、皇太子殿下と正田美智子という人が結婚し、馬車で街中をパレードするのを支那そば屋のテレビで観た。史上初の平民出身の皇太子妃、とアナウンサーが言っていた。平民出身の意味がわからなかった。ミッチーブームとみんなが言ったけれど、何のブームなのかもわからなかった。その話を母にすると、
「神がかりみたいにきれいな人だね」
 ひび割れた姿見を覗きこみながらため息をついた。母の目尻にこのごろ皺が増えた。そのことを彼女はひどく気にしているようだ。
 いつだったか、隣部屋のおばさんが貸してくれた雑誌に、島津なんとかと婚約した皇女貴子という女性の写真が大きく載っていて、私はその厚い下唇がとても気に入り、画用紙にスケッチして枕もとの壁に貼っておいた。それをあらためて眺めながら、正田美智子よりもやっぱりきれいだと思った。
         †  
 しとしと雨が降りつづくころ、野辺地の善夫から米粒のようにこまかいペン字の手紙が届いた。もちろん母は読み聞かせてなどくれないので、彼女のいないときに封筒から引き出して読んだ。

 スミ姉、その後いかがお過ごしですか。親子つつがなく暮らしていることと察します。おととし遊びに きたとき二年生だった郷は、いまはもう四年生ですね。少し引いたところのある子なので、兄のわたくしとしては、ときどき彼の社会生活を不安に思うことがあります。義一は、いっとき田名部の善太郎兄に引き取られていましたが、逃げ戻ってきて、いまでは殊勝に家の手伝いなどして、心健やかに暮らしています。そうなるとやはり気にかかるのは、スミ姉たち親子のこと、父母も二人のことをいつも心配しております。
 わたくし、この春、野辺地高校を卒業し、弘前大学を受けるも不合格。知り合いの紹介で、八戸の書店でアルバイトをしながら、三ヶ月ほどかけて五、六社の追募試験を受けまくりました。二社合格し、最終的に愛知県豊田市のトヨタ自動車に秋期就職することに決めました。豊田市は名古屋市郊外の新設都市で、新たな出発をするには最適の土地と考えます。いわゆるオートメーション工場の現場勤務ですが、張り切って働く所存です。しばらく名古屋市昭和区の英夫兄のところに居候してから、豊田市に向かいます。 取り急ぎ報告まで。

 英夫兄さん一家はもう青梅にはおらず、いまは名古屋という都会にいることがわかった。
 その夜、とぼけて母に尋いた。
「善夫の手紙になんて書いてあったの?」
「高校出て、トヨタ自動車に就職したって。三千円、祝い金を送ってやった」
「ふうん。その会社はどこにあるの?」
「豊田市。名古屋のそばだよ。英夫が名古屋にいるから、しばらく居候するって」
「郁子や法子も、名古屋にいるの?」
「今年の春、一家で移ったみたいだね」
「カズや善司のこと書いてなかった?」
「義一は合船場に戻ったって。おまえより二つ上だから、まだ六年生だね。中学出たら善夫みたいに都会に出て働くんじゃないの。善司のことは書いてなかった。あの子は正真正銘の変人。ストレートで岩(がん)大(だい)に受かったのに、自分の頭のレベルを試したかっただけだなんてわけのわからないこと言って、山形のバス会社に勤めちゃったんだよ。君子が学費を出してやるって言ったんだけど、耳貸そうとしなくてね。いったい、何考えてんだか」
 夜、福原さんの家に夕食に呼ばれて、巨人阪神戦を観た。この試合を天皇皇后両陛下がごらんになっています、とアナウンサーが興奮した声で言っている。野球など好まない母は、早々に腰を上げて、ぐずる私を促した。
 翌日学校で、さぶちゃんから、長嶋がサヨナラホームランを打ったと聞いた。母のせいでその場面を見られなかったのが残念だった。
   
「長嶋と坂崎が五回裏に連続ホームランを打ったところまでは観てたんだけど」
「すごかったぜ。三宅のヒットと藤本のソロで逆転されたけど、すぐに王のツーランで同点。もうすぐ天皇陛下が帰っちゃうっていうぎりぎりのとこで、長嶋が村山からレフト上段に叩きこんだんだ」
「すごすぎるね」
「だろ? キョウちゃんもきっと、いつかプロ野球選手になって、長嶋みたいにホームランを打つんだね」
「そうなれるかなあ」
「なれるさ。天才しかなれないっていつか言ったろう? あんなにすごいバッティングできるやつなんかいないぜ。うんと練習して、野球の名門高校に入って、スカウトされればいいんだよ。契約金、何千万だぜ」
 夏休みに入ったころ、さぶちゃんは私をソフトボール部に正式に入るよう誘った。すぐに入部した私は、最初、サーちゃんたちとやったときと同じように九番を打たされ、五打席で四本のホームランを打った。監督の高辻先生が仰天し、帰りぎわに、
「やっぱりきみは天才だな」
 と言って、ふざけた調子で私の腹にパンチを入れた。まともにみぞおちに食らって少し痛かったけれど、私はうれしくて、ただ笑っていた。
 私はそれから夏のクラス対抗トーナメント大会に出場し、四番を打たされた。打撃成績は、十八打数十七安打、十一ホームランで、もちろん私のクラスは優勝した。打ちそこないの一本は、ライトライナーだった。
         †
 伊勢湾台風がやってくる一月ほど前、
「もう、かあちゃん、横浜にいたくないよ」
 と母が言った。夏休みの宿題帳に顔を埋めていた私はなんとも応えなかった。でもこの四年間を思い返して、横浜を去りたい母の気持ちは痛いほどわかった。
「英夫に手紙を書いたら、名古屋で働いたらどうかって言ってきてね。いつまでもボルト洗いなんかしてられないもの」
 私にしても、いまでもときどきター坊やテルちゃんが、物陰から執念深い眼で見ているのに気づいたりするとうんざりする。サーちゃんの店に近づけなくなって以来、浅間下の商店街までわざわざお使いにいかなければならなくなったし、たまに風呂屋でサーちゃんの一家と顔を合わせるのも心苦しかった。もちろん青木小学校の仲間たちには未練があったけれど、いじめっ子のいない土地へいけるのは魅力的だった。
「かあちゃんは、名古屋にいきたいの?」
「おまえさえよければね」
「ぼくもあんまり、ここにいたくないな」
「だよねェ、いやなことばかりだものねえ。今度も炊事婦(おさんどん)だけど、慣れた仕事だし、気楽にできるからね。大きな浄水場の工事が立つんだってさ。五年は働けるって、英夫が言ってたよ」
「向こうへいったら、ぼくの苗字、変わる?」
「おまえの好きにすればいいよ」
「神無月郷、佐藤郷、カンナヅキキョウ、サトウキョウ……。やっぱり、いまのままがいいなあ」
「そう。じゃ、そうしなさい。いつだって変えられるんだから」
 母は鷹揚に笑った。
「映画観にいこう。いつもおまえがいく映画館に」
「うん!」
 保土ヶ谷日活までゆっくり歩いていった。石原裕次郎の『陽のあたる坂道』がかかっていた。満員で、しばらくロビーで待ったあと、壁ぎわの通路に立って三時間半の映画を観た。いつもの裕次郎らしさがなく、主題歌もないのでひどく退屈だった。母はかすかに微笑んだりして真剣に観ていた。私はこれが横浜で最後の映画になると思い、裕次郎の姿をシッカリ目に焼きつけた。
     


         十九

 二学期早々、運動会があり、全員が徒競走に参加させられた。私は去年と同様四着だった。クラスに内田由紀子という少し痩せ型の女の子がいて、男女混合五十メートル競走に出場して、断然トップでテープを切った。胸を張り、爪先を伸ばして、ひとりだけみんなとちがった弾むような走り方をしていた。
 このあいだ彼女と放課後の週番がいっしょになり、校舎裏の便所掃除をした。コンクリートの小便溜めにブラシをかけ、外周りを竹箒で掃く。汲み取り口のそばの潅木の茂みにゴミが吹きだまっているゴミは特に丁寧に取る。
 そのとき内田由紀子が、汲み取り蓋のそばの土に埋まった笛を発見した。彼女はそれを小枝でほじくり出し、水道の水で洗った。グリコのおまけのようなセルロイドの小笛だった。彼女は口を当ててピーと吹いた。不潔な女だな、と思った。
「神無月くんにあげる」
 彼女はその笛を私に差し出した。少し腰が引けた。
「吹いてみて」
 たじろぐ気持ちを顔に出さずに、私はかすかに唇を接するようにして吹いた。
「ちゃんと吹いて」
 しっかりくわえて吹きなおした。彼女は首をかしげ、一重まぶたを細めて愛しいものを見る眼つきをした。やせた頬に薄っすらとそばかすが浮いている。上品な目鼻立ちだけれども、好みの顔ではなかった。
「うちにこない?」
 掃除道具を物置小屋にしまうとき、内田由紀子は私を誘った。
「いいよ」
 ごはんの支度が気にかかったけれども、ついていくことにした。一日ぐらいサボっても、このごろ機嫌のいい母は許してくれるだろう。
 青木小学校から線路沿いを反町へ下り、ガードをくぐってから、前川くんの写真館のある泉町へ折れずに、道幅の広い松本町へ真っすぐ歩いていった。泉町へ左折すれば、ときどき気まぐれに選ぶ帰り道だった。内田由紀子は広い国道の途中から高台の方へ石段を登っていった。
「きみの家も高いところにあるのか。金持ちなんだね」
「……金持ちというほどじゃないけど」
「金持ちは好きじゃない。でも、内田さんは気取ってないからいいや」
「気取ってるって?」
「ツンと威張ってるんだ。お金と関係なく気取ってる人はいるけど、でもやっぱり気取ってる人は金持ちのほうが多い。一年生のときに住んでた高島台の人たちがそうだった」
「ツンと威張ってるって、顔つきのこと?」
「それもある。でも、それだけじゃないな。うまく言えないけど、自分が人よりすぐれた人間だと思うせいで、人を見下してる感じ。それとも、自分はおまえを見下してるんだって人に知らせようとする感じ。自分を他人となんか比べないで、ほんとに人を見下してる人は、気取ってるように見えない。そんな気持ちを人に知らせないからね。だから、もっと堂々として怖い感じがする」
「うわあ、難しい! でも、それって神無月くんじゃないの。私を見下してる?」
「ぼくは人を見下さない。好きか嫌いかだ」
 階段のいただきに、芝の庭に揺り椅子を置いた小ぎれいな平屋の家があった。やさしそうな家族に紹介され、おとなしい弟の野球盤に付き合い、一家で近所の公園を散歩したあと、夕飯を振舞われた。何を食べているのかわからないほど、味が薄かった。ひろゆきちゃんの家のときと同様、一膳のめしでやめた。
 紹介から夕飯までの間、私はだれにも語りかけられなかったので、こちらからも一言も話しかけなかった。内田由紀子さえ話しかけてこなかった。彼女は父親や母親と何かを話し、笑い合いながら歩き、食べ、私のことを話題にしなかった。何のために内田由紀子が私を誘ったのかわからなかった。
 夕飯のあとで、紅茶というものを初めて飲んだ。うまいものではなかった。内田由紀子は石段の下まで送ってきた。ときどき肩を不自然に寄せたりした。
「うちの人たち、気取ってた?」
「ううん。静かだった」
「神無月くんの雰囲気に圧倒されたみたい」
「雰囲気?」
「そう、神無月くんの雰囲気って、ふつうじゃないの。いっしょにいると何も言えなくなっちゃうのよね」
「学校でも?」
「そうよ、みんなそう感じてるはずよ。……話は変わるけど、神無月くん、田中恵子さんをいつも見てるでしょ。好きなの?」
「好きということじゃなくて、音楽の時間にあの子が『野菊』を歌ったとき、あんまり声がよくて、びっくりしちゃったんだ」
「田中さんはレコードも出してるのよ。プロの童謡歌手だから」
「ふうん、そうなんだ。それじゃうまいはずだ」
「神無月くんもソフトボールがすごいじゃない。みんな、天才だって言ってるわ。私だって取り柄があるのよ」
「なに?」
「足がとっても速いの。今度の運動会でクラス代表戦に出るから見てて。男の子より速いんだから」
 そしてきょう、テープを颯爽と切る内田由紀子の姿を見て、ひどく彼女の存在が遠くに感じられたのだった。便所の笛を吹きながら親しく近づいてきた少女が、翼を生やして遠くへ飛んでいってしまった。福田雅子ちゃんといい、田中恵子ちゃんといい、内田由紀子といい、自分なんか近づくことのできない遠い存在だと感じたのだった。
 内田由紀子はゴールした勢いのまま私に向かって走ってきて、
「どう、速いでしょ?」
「きれいだった。速いっていうより、きれいだった。ずっと忘れないよ」
「なに、忘れないって?」
「名古屋へいくんだ」
「……いつ」
「もうすぐ。今月中だと思う」
 内田由紀子はぼんやりした顔になった。やがて気を取り直したように言った。
「あの笛、持っててね」
 しまった、と思った。あんな汚いもの、もうとっくに捨ててしまった。それより、そんなものを餞別にしようと思う気持ちが理解できなかった。
「うん、大事に持ってるよ」
 理解する必要などない。彼らは、私が近づくことができないのではなく、近づく必要のない人たちなのだ。逆も真だ。だからこそ彼らは、私を誘っておきながら、一言も口を利かないのだ。
 考えてみれば、もの心ついて以来、私はだれとも口を利いたことがなかった。けいこちゃんや彼女の家族とも、ひろゆきちゃんや彼の家族とも、サブちゃんや彼の家族とも、テルちゃんや彼の家族とも……いや、母とも、じっちゃやばっちゃとも、善司や善夫や義一とも、父やサトコとも、口を利いていない。金持ち、貧乏は関係ない。私はだれとも口を利いたことがない! そもそも、口を利くとはどういうことだろう。自分の思いを伝え、理解され、相手の思いを伝えられ、理解する。理解は言葉で表現される。そんなことを人間同士ができるのだろうか。
 とつぜん、孤独な思いが私を襲った。いたたまれないほどの空しさとさびしさだった。そう感じた瞬間、そういう空洞の命なのだから、いつ中断してもいいし、死に方もどうでもいいと思った。胴体が半分になるような死に方でもいい、首が飛ぶのでもいい、けいこちゃんのように、まぐろになってもいい。そう思った私は、十歳だった。あまりにも早すぎる人生への見切りだった。
 しっかり見切ってしまうと、からだが水になったようだった。私は新鮮な再生の感覚に浸された。うれしかった。死が私の命を中断するまで、一生懸命生きようと思った。
 ―じゃまをされたらすぐにあきらめよう。助けられているあいだはがんばろう。自力で何かをしようと思わないようにしよう。わからないことは究めない。わかることだけを楽しむ。気に入った人が話しかけてきたときだけ話す。人を支配しない。権威的な活動の中心へ近寄らない。いじめられたら、いじめられるままにしておく。それでもしつこくいじめてきたら、価値のない命を賭けて殺す。
 猛烈な勢いで頭の中を決意が巡った。


         二十

 九月の半ばを過ぎて、青木小学校のクラス仲間とお別れの挨拶をした。一日の最後の授業の終わりに、私は高辻先生といっしょに教壇に立った。母は廊下で待っていた。教室にはさぶちゃんも、ひろゆきちゃんも、福田雅子ちゃんも、成田くんもいなかった。みんな三年生から別のクラスだった。田中恵子ちゃんも、あれほど親しく寄ってきた内田由紀子も知らんぷりをしていた。拒否する人間は私の人生の伴侶ではない。
 高辻先生が黒板に私の名古屋の住所を書いたが、書き写す生徒は一人もいなかった。逆もまた真なのだ。母と職員室へいった。四宮先生に挨拶するためだ。四宮先生は眼鏡を光らせてにっこり笑いながら私の手を握った。
「みんなにお手紙書くのよ」
「はい」
 どこに宛てて書けばいいのかわからなかったが、返事だけは元気よくした。母が何度も四宮先生に頭を下げた。四宮先生は校門まで見送ってきて、いつまでも手を振った。母は東横線沿いの高台につづく広い石段を登っていき、飯場の跡地に建っている団地を眺めたあと、ひろゆきちゃんの家に寄った。てらてら顔を光らせたママが出てきて、玄関の式台に横坐りになり、例の調子で、さも関心ありげに母の話を聞いた。ひろゆきちゃんは出てこなかった。
「ひろゆきもさびしくなるでしょう」
 心にもないことを言う。
「あの節は、ほんとうにご迷惑かけてしまって、すみませんでした。ひろゆきさんにもよろしくお伝えください」
 さぶちゃんの家にも寄ったけれど、柴門に掛け棒が渡してあった。
「さぶちゃーん!」
 と私は呼んだ。窓が開き、さぶちゃんが顔を出した。
「あ、キョウちゃん、いっちゃうの」
「うん。さぶちゃん、四年間ありがとう。元気でね」
「キョウちゃんも元気でね」
 母はさぶちゃんに深く頭を下げた。この世には、受け入れる階級と、受け入れるふりをする階級と、受け入れない階級の三種類しかいない。階級を人間と置き換えることはできない。なぜなら、さぶちゃんと彼の家族がちがうように、人間と階級はちがうからだ。それに気づかない人間だけが、階級に取りこまれる。
 青木橋から市電を奮発して帰った。真昼の車内はがらんとして、暖かな陽射しにあふれていた。車掌が外の景色を眺めながら、気持ちよさそうにからだを左右に揺らしていた。
         †
 出発まで一週間あったので、母はその夜からゆっくり引越しの準備にとりかかった。ビーダマとメンコ、それから四年間のうちに溜まった本は、母に言われてテルちゃんに寄付した。テルちゃんは、玄関で段ボール箱を受け取るとき、いつになくさびしそうな顔をした。四年間の悪い印象が、それでいっぺんに帳消しになった。
 出発の前日、福原さんの家に呼ばれてお別れの食事をしていたとき、突風が家を揺すった。
「台風がきてるんですって。さいさきが悪いわねえ」
 テレビが超大型台風の上陸を報せていた。
「潮(しおの)岬から紀伊半島を経て、東海地方に上陸」
 と繰り返す。


「この分じゃ、電車は走らんでしょうね。出発を遅らせるしかないですよ」
 ご主人が気の毒そうな顔で言う。
「そうなさいな。台風一過、三日もしたら、だいじょうぶ。それまで沖縄料理を毎日ご馳走しますよ」
 ぺたぺたと舌を鳴らす独特のしゃべり方で、奥さんがうれしそうに賛成する。
「そうしていただければ助かります。部屋を明け渡すのは月末なんですけど、もう蒲団だけ残して、荷物はぜんぶ名古屋のほうへ送ってしまったものですから。食費はきちんとお支払いします」
「いいんですよ、そんなの。当座は物入りでしょうに」
 ご主人や息子たちといっしょにテレビのニュースに見入った。堤防が決壊し、街路樹が折れ、オート三輪が横転していた。荒れ狂う画面と関係なく、宴は楽しく進んでいき、豚の角煮やら、ゴーヤチャンプルやら、いろいろな沖縄料理が次々と出された。
「あしたは日曜日なので、好きなだけ酔えますよ」
 ご主人はうれしそうに焼酎を飲んだ。彼は蛇皮線を持ち出し、なんとかチュという民謡を弾いた。チュというのは人という意味だと言った。
 強い風の中を三畳の部屋に戻った。ベッドに入ると、風はますます強くなり、大粒の雨も混じってきた。私はベッドを抜け出し、爪先立って窓の外を見た。庭の檜が横殴りの雨にたわんで、いまにも倒れそうになっていた。わくわくした。
         †
 九月三十日の午前、引越しトラックに蒲団を載せ終わると、大家の坂本さんに挨拶にいった。奥さんだけがいて、式台に頭をつけて母に深く礼をした。
「いろいろと、四年間、印象深く眺めさせていただきました。おきれいなお母さんと息子さん、二人でいるところを目にするたびに、絵から抜け出たように見えましたよ。貧しい生活をなさっていることがぜんぜん表に現れない、なんとも形容のしがたい不思議な親御さんとお子さんで、いつも感心しておりました。一生忘れないと思います。今後も折があったら、またお寄りください」
 福原さん一家に見送られ、四年間暮らした三帖の部屋をあとにした。母は水色のトランクを持ち、私は手ぶらだった。ふと、母はどういう経緯でこのトランクを手に入れたのだろうと思った。しかし私は、その経緯を一生母に問わないだろうとも思った。そして、きっと、父との結婚当初に買い、父を求めて熊本を出るときに携えていたものにちがいないと思い定めた。
 八時十七分、横浜駅から準急東海一号に乗って名古屋に向かった。出発してまもなく、静岡から先はときどき徐行運転になるというアナウンスが流れた。
 漫画やメンコをあげたときのテルちゃんのさびしそうな顔を思い出した。さぶちゃん、成田くん、福田雅子ちゃん。彼らとは、もう二度と会えないだろう。太いズボンの父や、親切なサトコとも、もう会えないだろう。
         † 
 熱田という駅名を告げるアナウンスに二人同時に目覚めた。午後一時二十分。福原さんの用意してくれた弁当をお昼に食べたきり、私も母もそのアナウンスが流れるまでぐっすり眠りこんでいた。窓の外を見ると、列車はのろのろと昼下がりの陸橋を渡るところだった。私は陸橋の下を見下ろした。どんより濁った水のあちこちに、板切れや得体の知れない塵芥が吹き寄せられている。大きな豚の死骸が、家の軒に寄り添うように浸かっていた。目を遠くやると、茶色い水がどこまでも同じ厚みでつづいていた。
 母はだるそうに棚の荷物を下ろした。
「名古屋はまだ?」
「次だよ」
 母は小さな紙切れを見ながら、
「名古屋に着いたら、八(や)事(ごと)行きの市電に乗って、川原通で降りる、か……」
 と呟いた。
「英夫兄さんのところへいくの」
「そう。しばらくおまえを預かってもらうんだよ。子供を置いてもいい職場かどうかわからないからね。だめなら、アパートを借りなきゃ」
 名古屋駅の周囲には、まったく台風の痕跡はなかった。整然とした広い通りを市電や自動車が走り、大勢の人びとがせわしそうに歩いていた。横浜の何倍も大きい都会に見えた。
 駅裏のガード下の狭苦しいうどん屋で、立ったままきしめんを食べた。平べったい麺の上に油揚げや、ほうれん草や、かまぼこや、かつお節がたっぷり載っていて、支那そばよりもおいしかった。

(次へ)