十八

 内田由紀子は石段の下まで送ってきた。ときどき肩を不自然に寄せたりした。
「うちの人たち、気取ってた?」
「ううん。静かだった」
「神無月くんの雰囲気に圧倒されたみたい」
「雰囲気?」
「そう、神無月くんの雰囲気って、ふつうじゃないの。いっしょにいると何も言えなくなっちゃうのよね」
「学校でも?」
「そうよ、みんなそう感じてるはずよ。……話は変わるけど、神無月くん、田中恵子さんをいつも見てるでしょ。好きなの?」
「好きということじゃなくて、音楽の時間にあの子が『野菊』を唄ったとき、あんまり声がよくて、びっくりしちゃったんだ」
「田中さんはレコードも出してるのよ。プロの童謡歌手だから」
「ふうん、そうなんだ。それじゃうまいはずだ」
「神無月くんもソフトボールがすごいじゃない。みんな、天才だって言ってるわ。私だって取り柄があるのよ」
「なに?」
「足がとっても速いの。今度の運動会でクラス代表戦に出るから見てて。男の子より速いんだから」
 そしてきょう、テープを颯爽と切る内田由紀子の姿を見て、ひどく彼女の存在が遠くに感じられたのだった。便所の笛を吹きながら親しく近づいてきた少女が、翼を生やして遠くへ飛んでいってしまった。福田雅子ちゃんといい、田中恵子ちゃんといい、内田由紀子といい、自分なんか近づくことのできない遠い存在だと感じたのだった。
 内田由紀子はゴールした勢いのまま私に向かって走ってきて、
「どう、速いでしょ?」
「きれいだった。速いっていうより、きれいだった。ずっと忘れないよ」
「なに、忘れないって?」
「名古屋へいくんだ」
「……いつ」
「もうすぐ。今月中だと思う」
 内田由紀子はぼんやりした顔になった。やがて気を取り直したように言った。
「あの笛、持っててね」
 しまった、と思った。あんな汚いもの、もうとっくに捨ててしまった。それより、そんなものを餞別にしようと思う気持ちが理解できなかった。
「うん、大事に持ってるよ」
 理解する必要などない。彼らは、私が近づくことができないのではなく、近づく必要のない人たちなのだ。逆も真だ。だからこそ彼らは、私を誘っておきながら、一言も口を利かないのだ。
 考えてみれば、もの心ついて以来、私はだれとも口を利いたことがなかった。けいこちゃんや彼女の家族とも、ひろゆきちゃんや彼の家族とも、サブちゃんや彼の家族とも、テルちゃんや彼の家族とも……いや、母とも、じっちゃやばっちゃとも、善司や善夫や義一とも、父やサトコとも、口を利いていない。金持ち、貧乏は関係ない。私はだれとも口を利いたことがない! そもそも、口を利くとはどういうことだろう。自分の思いを伝え、理解され、相手の思いを伝えられ、理解する。理解は言葉で表現される。そんなことを人間同士ができるのだろうか。
 とつぜん、孤独な思いが私を襲った。いたたまれないほどの空しさとさびしさだった。そう感じた瞬間、そういう空洞の命なのだから、いつ中断してもいいし、死に方もどうでもいいと思った。胴体が半分になるような死に方でもいい、首が飛ぶのでもいい、けいこちゃんのように、まぐろになってもいい。そう思った私は、十歳だった。あまりにも早すぎる人生への見切りだった。
 しっかり見切ってしまうと、からだが水になったようだった。私は新鮮な再生の感覚に浸された。うれしかった。死が私の命を中断するまで、一生懸命生きようと思った。
 ―じゃまをされたらすぐにあきらめよう。助けられているあいだはがんばろう。自力で何かをしようと思わないようにしよう。わからないことは究めない。わかることだけを楽しむ。気に入った人が話しかけてきたときだけ話す。人を支配しない。権威的な活動の中心へ近寄らない。いじめられたら、いじめられるままにしておく。それでもしつこくいじめてきたら、価値のない命を賭けて殺す。
 猛烈な勢いで頭の中を決意が巡った。
         †
 九月の半ばを過ぎて、青木小学校のクラス仲間とお別れの挨拶をした。一日の最後の授業の終わりに、私は高辻先生といっしょに教壇に立った。母は廊下で待っていた。教室にはさぶちゃんも、ひろゆきちゃんも、福田雅子ちゃんも、成田くんもいなかった。みんな三年生から別のクラスだった。田中恵子ちゃんも、あれほど親しく寄ってきた内田由紀子も知らんぷりをしていた。拒否する人間は私の人生の伴侶ではない。
 高辻先生が黒板に私の名古屋の住所を書いたが、書き写す生徒は一人もいなかった。逆もまた真なのだ。母と職員室へいった。四宮先生に挨拶するためだ。四宮先生は眼鏡を光らせてにっこり笑いながら私の手を握った。
「みんなにお手紙書くのよ」
「はい」
 どこに宛てて書けばいいのかわからなかったが、返事だけは元気よくした。母が何度も四宮先生に頭を下げた。四宮先生は校門まで見送ってきて、いつまでも手を振った。母は東横線沿いの高台につづく広い石段を登っていき、飯場の跡地に建っている団地を眺めたあと、ひろゆきちゃんの家に寄った。てらてら顔を光らせたママが出てきて、玄関の式台に横坐りになり、例の調子で、さも関心ありげに母の話を聞いた。ひろゆきちゃんは出てこなかった。
「ひろゆきもさびしくなるでしょう」
 心にもないことを言う。
「あの節は、ほんとうにご迷惑かけてしまって、すみませんでした。ひろゆきさんにもよろしくお伝えください」
 さぶちゃんの家にも寄ったけれど、柴門に掛け棒が渡してあった。
「さぶちゃーん!」
 と私は呼んだ。窓が開き、さぶちゃんが顔を出した。
「あ、キョウちゃん、いっちゃうの」
「うん。さぶちゃん、四年間ありがとう。元気でね」
「キョウちゃんも元気でね」
 母はさぶちゃんに深く頭を下げた。この世には、受け入れる階級と、受け入れるふりをする階級と、受け入れない階級の三種類しかいない。階級を人間と置き換えることはできない。なぜなら、さぶちゃんと彼の家族がちがうように、人間と階級はちがうからだ。それに気づかない人間だけが、階級に取りこまれる。
 青木橋から市電を奮発して帰った。真昼の車内はがらんとして、暖かな陽射しにあふれていた。車掌が外の景色を眺めながら、気持ちよさそうにからだを左右に揺らしていた。
         †
 出発まで一週間あったので、母はその夜からゆっくり引越しの準備にとりかかった。ビーダマとメンコ、それから四年間のうちに溜まった本は、母に言われてテルちゃんに寄付した。テルちゃんは、玄関で段ボール箱を受け取るとき、いつになくさびしそうな顔をした。四年間の悪い印象が、それでいっぺんに帳消しになった。
 出発の前日、福原さんの家に呼ばれてお別れの食事をしていたとき、突風が家を揺すった。
「台風がきてるんですって。さいさきが悪いわねえ」
 テレビが超大型台風の上陸を報せていた。
「潮(しおの)岬から紀伊半島を経て、東海地方に上陸」
 と繰り返す。
「この分じゃ、電車は走らんでしょうね。出発を遅らせるしかないですよ」
 ご主人が気の毒そうな顔で言う。
「そうなさいな。台風一過、三日もしたら、だいじょうぶ。それまで沖縄料理を毎日ご馳走しますよ」
 ぺたぺたと舌を鳴らす独特のしゃべり方で、奥さんがうれしそうに賛成する。
「そうしていただければ助かります。部屋を明け渡すのは月末なんですけど、もう蒲団だけ残して、荷物はぜんぶ名古屋のほうへ送ってしまったものですから。食費はきちんとお支払いします」
「いいんですよ、そんなの。当座は物入りでしょうに」
 ご主人や息子たちといっしょにテレビのニュースに見入った。堤防が決壊し、街路樹が折れ、オート三輪が横転していた。荒れ狂う画面と関係なく、宴は楽しく進んでいき、豚の角煮やら、ゴーヤチャンプルやら、いろいろな沖縄料理が次々と出された。
「あしたは日曜日なので、好きなだけ酔えますよ」
 ご主人はうれしそうに焼酎を飲んだ。彼は蛇皮線を持ち出し、なんとかチュという民謡を弾いた。チュというのは人という意味だと言った。
 強い風の中を三畳の部屋に戻った。ベッドに入ると、風はますます強くなり、大粒の雨も混じってきた。私はベッドを抜け出し、爪先立って窓の外を見た。庭の檜が横殴りの雨にたわんで、いまにも倒れそうになっていた。わくわくした。
         †
 九月三十日の午前、引越しトラックに蒲団を載せ終わると、大家の坂本さんに挨拶にいった。奥さんだけがいて、式台に頭をつけて母に深く礼をした。
「いろいろと、四年間、印象深く眺めさせていただきました。おきれいなお母さんと息子さん、二人でいるところを目にするたびに、絵から抜け出たように見えましたよ。貧しい生活をなさっていることがぜんぜん表に現れない、なんとも形容のしがたい不思議な親御さんとお子さんで、いつも感心しておりました。一生忘れないと思います。今後も折があったら、またお寄りください」
 福原さん一家に見送られ、四年間暮らした三帖の部屋をあとにした。母は水色のトランクを持ち、私は手ぶらだった。ふと、母はどういう経緯でこのトランクを手に入れたのだろうと思った。しかし私は、その経緯を一生母に問わないだろうとも思った。そして、きっと、父との結婚当初に買い、父を求めて熊本を出るときに携えていたものにちがいないと思い定めた。
 八時十七分、横浜駅から準急東海一号に乗って名古屋に向かった。出発してまもなく、静岡から先はときどき徐行運転になるというアナウンスが流れた。
 漫画やメンコをあげたときのテルちゃんのさびしそうな顔を思い出した。さぶちゃん、成田くん、福田雅子ちゃん。彼らとは、もう二度と会えないだろう。太いズボンの父や、親切なサトコとも、もう会えないだろう。
         †
 熱田という駅名を告げるアナウンスに二人同時に目覚めた。午後一時二十分。福原さんの用意してくれた弁当をお昼に食べたきり、私も母もそのアナウンスが流れるまでぐっすり眠りこんでいた。窓の外を見ると、列車はのろのろと昼下がりの陸橋を渡るところだった。私は陸橋の下を見下ろした。どんより濁った水のあちこちに、板切れや得体の知れない塵芥が吹き寄せられている。大きな豚の死骸が、家の軒に寄り添うように浸かっていた。目を遠くやると、茶色い水がどこまでも同じ厚みでつづいていた。
 母はだるそうに棚の荷物を下ろした。
「名古屋はまだ?」
「次だよ」
 母は小さな紙切れを見ながら、
「名古屋に着いたら、八事(やごと)行きの市電に乗って、川原通で降りる、か……」
 と呟いた。
「英夫兄さんのところへいくの」
「そう。しばらくおまえを預かってもらうんだよ。子供を置いてもいい職場かどうかわからないからね。だめなら、アパートを借りなきゃ」
 名古屋駅の周囲には、まったく台風の痕跡はなかった。整然とした広い通りを市電や自動車が走り、大勢の人びとがせわしそうに歩いていた。横浜の何倍も大きい都会に見えた。
 駅裏のガード下の狭苦しいうどん屋で、立ったままきしめんを食べた。平べったい麺の上に油揚げや、ほうれん草や、かまぼこや、かつお節がたっぷり載っていて、支那そばよりもおいしかった。
         †
「ごめんなさいね、お義姉(ねえ)さん。手紙に地図を入れといたから、わざわざ迎えにいかなくてもだいじょうぶだって、英さんが言うもんだから」
 ミッちゃんが例の拡大眼鏡で斜に見上げるように言う。
「いいんですよ、そんな丁寧なことしてもらわなくても」
 昭和区の伊勝(いかつ)町の丘のいただきにある英夫兄さんの家は、台所と内風呂のほかに六畳と八畳の二間きりで、一帖の玄関から上がった六畳間のほうに、大きな四角い食卓や洋棚を置いて居間と応接間を兼ねさせていた。居間の脇に玉暖簾で仕切った二帖の板の間の台所、居間の隣に、調度がぎっしり詰まっている八畳を見通すことができた。まるで居間だけが生活空間のようだった。そのせいで、部屋数は同じなのに、青梅の社宅よりもはるかに狭く感じた。食卓に貼りついて、象顔の郁子とチンバ目の法子の従姉妹二人が、一年ぶりに見る私たち母子をめずらしそうに眺めていた。キャン、キャン、と八畳から鳴き声がした。
「犬がいるの?」
 ミッちゃんに訊くと、スピッツがね、と答えた。
「ペスよ尾を振れ、なの」
 と法子が言った。私が要領を得ない顔でいると、
「知らないの、『なかよし』の漫画」
 
「知らない」
 二人は私を誘ってペスに餌をやりにいった。八畳間の濡れ縁と黒板塀との間隔は一メートルもなく、その庭とも言えない隙間に、犬小屋なしでスピッツが飼われていて、表の通りに人の気配がするたびにうるさく鳴いた。ペス、ペス、と郁子が呼びかけた。メスのその白いスピッツは、頭を撫ぜる私に妙になついて、ヘっ、ヘっ、と荒い呼吸をしながら尻を向けた。
 夜になって英夫兄さんが帰ってきて、スピッツがまたキャンキャン鳴いた。背の高い叔父は、お辞儀でもするように鴨居をくぐると、
「オッ、きたな。遠かったべ」
 裾の短い半白の髪を掻き揚げ、穏やかな微笑を浮かべながら、母に顔だけで挨拶をした。私のほうはチラリとも見なかった。
「風呂、入(へ)る」
 彼がそう言うと、ミッちゃんは台所に立った。台所の隅が風呂になっているようだ。英夫兄さんは、背広を脱いでステテコ姿になり、風呂場へいった。


         十九

 サンマと焼きナスが並んだ。食卓にホースを引いた小さなガスコンロで、豆腐と白菜と鶏肉を入れた平べったい鉄鍋を煮立てた。鍋の中心に置いたアルミの筒から、ネギの混ざった醤油ダレの香ばしい匂いが立ち昇った。どの料理も急ごしらえのものではないということが、四年間の惣菜生活を送ってきた私にはめずらしく、羨ましい気がした。
「ああ、さっぱりした」
 叔父がフルチンで、玉のれんから居間を覗いた。かぶさった包皮からほんの少しチンボの頭が覗いていた。
「なんです、みっともない。ちゃんと下着と浴衣が置いてあるでしょう」
 ミッちゃんがニヤニヤしながら叱った。
「ホイ、ホイ」
 浴衣を着て戻ってきた英夫兄さんの前に、ビールの大瓶、熱い湯豆腐とネギを盛った小鉢が置かれた。ミッちゃんがアルミ缶から小さなおたまでタレをすくってかける。私はその湯豆腐を食べてみたかった。
「どんだ、アネ、まんず、ここの小学校さ上げるか?」
 ちびちび湯豆腐をつまみながら、英夫兄さんが言う。彼の前に、焼きタラコと塩辛が追加された。私はそれも食べてみたかった。郁子と法子がサンマとナスをおかずに、むしゃむしゃご飯を食べている。私も箸をつけた。
「そうしてもらおうかな。西松の飯場は熱田区でしょ。あっちの学校に上げるのは、仕事に慣れてからでないと。子供と同居していいかどうかも聞いてないし」
「所長さ話通しておいた。問題ねェらしじゃ」
 ビール瓶が徳利に変わった。
「そうは言ってもね……。仕事ぶりを見てもらってからでないと」
「鹿島だば、問題なかったんだべや」
「優良社員よ。とにかく仕事をおぼえるまではここにしばらく預かってもらって、ふた月もしたら飯場のほうに呼ぶことにするわ」
「だば、ひとまず川原小学校さ上げるべ。こいつらとかよわせればいい」
 三十そこそこで大会社の機械主任という肩書きを持つこの叔父は、佐藤家ではめずらしくのんびりとした雰囲気を持った人物だった。ミッちゃんが含みのある眼で彼の横顔を見て言った。
「学校にかよわせながらふた月も預かるとなると、ちょっと責任が重いわねえ。小学校程度の勉強だったら、そのくらい休んでもあんまり遅れることはないんじゃないの? いったん転校しちゃったら、またすぐ転校するのも手続が面倒でしょう」
「四、五年生の勉強は、そういうものじゃないんですよ、ミッちゃん。私も教師の経験があるのでわかるんだけど、この時期は大事な勉強が目白押しなのよ。手続が面倒なくらいで休ませるわけにはいきません」
 大事な勉強? じっちゃの膝でひらがなを身につけて以来、小学校に入ってからも、漢字の書き取りや、算数の宿題をやるくらいのもので、これといった勉強などした憶えはない。少しぐらい休んだとしても何ほどのことがあるだろう。得たものがない以上、これっぽっちも失うものはない。母は二十歳ぐらいのころに、一年ほど代用教員をしていたとばっちゃが言っていた。その程度のもので教師の経験があると言えるのだろうか。そのあとぶらぶらしていたというのだから、四宮先生のような教育の情熱も感じられない。大事な勉強などとよく言えたものだ。―そんなふうに私が母を軽んじた考え方をしたのは、母の物言いにご都合主義の言い逃れのにおいを感じ取ったこともあるけれども、最後のお別れの挨拶をしたときの教室の虚ろな雰囲気を忘れることができず、しばらくは学校という集団に復帰したくなかったからかもしれない。
「そうですか……。じゃ、お義姉さん、手続のほうはお願いしますよ」
「二、三日中にすませます。横浜のほうから、もうこちらの小学校のほうへ連絡がいってると思うから」
「おかあさん、あたし男の子と学校かようの、いやだ」
 母親の顔を見ながら郁子が言う。ミッちゃんはもちろん他人だし、郁子も法子も従妹とは言いながら、他人のように疎遠なものにはちがいなかった。英夫兄さんといえば、なんだか家うちの置き大黒みたいなたたずまいなので、彼と縁につながる母や私は、この先ミッちゃんたちのねんごろな扱いを期待できそうもなかった。
「あたし、連れてってあげる。キョウちゃん、格好いいから」
 一年生の法子が私をまぶしそうに見つめながら言った。従妹二人は食事を急いで切り上げると、隣の八畳へいった。そこには立派なテレビが据えてあって、郁子が紫色のベルベットのカバーを上げてスイッチを点けると、ボーッと画面が灯った。輪郭がしだいにはっきりとしてくる。

  ママ、ママ、ちょっときてママ
  ポチがぞうりをかじってる……

 二人仲良く頭を並べて唄いはじめた。
「キョウ、かっちゃが国体さ出たの知ってっか?」
「知らない」
 そのとき英夫兄さんが食卓で持ち出した話題は、母が県代表で国体に参加して、大回転で一度優勝したことがあるということだった。
「大回転?」
「スキーの種目だよ」
 母が言った。
「こねだのオリンピックで銀メダル獲った猪谷千春ばりだ。オラも長距離で入賞したことはあるたって、優勝はねど」
 母は得意そうに笑っていた。私の頭の中で、母とスキーはまったく結びつかなかった。
「土間の天井板にスキーがたくさん載せてあったけど、あれ、かあちゃんと英夫兄さんが使ったやつ?」
「善司のも雑じゃってら。あれも冬はスキーやったすけ。なあ、キョウ、佐藤家は文武両道だんでェ。みんな金時計だ」
 母が眉をしかめて、
「嘘、嘘、だれも金時計なんかもらってないよ。頭がいいのは、じっちゃと善司だけ。あとは並」
「並はねえべや。キョウがガッリすっど。金時計は、もののたとえだべ。みんな五本指にはちがいながべ。並でねじゃ」
 叔父は長いあごをつるりと撫で、猪口を含んだ。母のあまりにまじめな物言いに、彼は少し気分を害したようだった。
「むかし、むかしの話だよ。そんなことより、おまえ、主任だなんて、大した出世じゃないの」
「入社して十五年も経てば、だれだって主任になるべ。―来年から、また当分、ダム造りさ出かけんだ。こっちの浄水場の工期に合せて、今度は五年ぐれいってくる。十一月から当分会社にいねど」
「安心しなさい。あんたの顔はつぶさないから。さしあたり、郷が厄介かけることになるけど、頼んだよ」
「メシ食(か)へて、学校さいがせればいいだけだべせ。犬ころと同じだ」
「学費と食費は入れます」
「お願いしますね」
 ミッちゃんが身を乗り出して言う。英夫兄さんは一瞬黙ってしまった。
「この子の身の回り品は、二、三日中に届くと思いますけど」
「心配ねェ。足りね分は、ちゃんとこっちゃでやってける」
 英夫兄さんは気を取り直したふうに盃を含み、
「キョウ、オラな、一昨年(おっとし)オゴウチをやっつけたとき、大手柄あげてせ」
「オゴウチって?」
「小河内ダムよ。第六感てやつが働いて、ガケ崩れを察知してな。夜中にぱらぱら雨が降ってたすけ、五十人ばりの地元民やら、現場の作業員やら、間一髪で避難させたのよ。霧雨だったすけ、だれも予知できなかったよんだな。で、東京都から感謝の金杯を贈られたってわげせ。見てか、金杯」
「うん」
 なんだか面倒くさかったけれど、笑顔でうなずいた。叔父はサイドボードを指差し、ミッちゃんに金色の盃を取り出させた。彼はその薄っぺらい猪口を唇にもっていき、酒を含む格好をした。その姿をじっと見つめている私に気づいて、
「なんも、こったら盃、どうでもいいんだ。今回(け)の伊勢湾台風みてなでっけのがきたらおシャカだども、ガケ崩れぐれなら逃げればすむすてな。とにかく、人が横死するのを未然に防いだわけよ」
 照れたふうに言った。テレビの前から戻ってきた法子が尋いた。
「オウシってなあに?」
「犬死よ。ほい、キョウ、一杯いけ」
 英夫兄さんは長い顔に笑みを浮かべながら、私にコップを差し出してビールをついだ。私は何の躊躇もなくその琥珀色の液体に口をつけた。母が、やめなさい、と険しい声でたしなめた。
「いいがら、いいがら、こったらの、ジュースだべに」
 英夫叔父は一風変わった剛直な男に映った。ひょっとしたら、ふだんの父はこういう人だったかもしれないと思った。ただ、もっと立ち居や言葉が洗練されていただろう。私はそのひどく苦い飲み物を平気な顔をして飲み干した。叔父はそれ以上私につがなかった。
「ねえ英夫兄さん、飯場に野球部ある?」
「ある。趣味程度のもんだがな。子供(ガキ)は入れねど」
「入るんじゃなくて、ときどき道具を貸してもらおうと思って」
「オラが買ってやる」
 母が、そんな必要はない、とキッパリ断った。
         †
 翌日から、郁子はマセ腐った顔で私をたえずよそもの扱いし、法子はこだわりなくべたべたと慕い寄ってきた。まだ固まらない子供っぽい筆跡で、アイラブユーと紙に書いて見せたりもする。
 ある夜など、蒲団を並べて寝ている私に覆いかぶさってきて、無理やりキスしたことがあった。私は唾臭いのをがまんしてじっとしていた。郁子が顔をしかめた。
「イヤらしい」
 その郁子にしても、私といっしょに風呂に入りたがり、じっとチンボを見つめて、そこを目がけて手のひらで掬った湯をかけたりする。姉妹二人湯船に浸かって『黒い花びら』や『黄色いさくらんぼ』を合唱するのもいやだった。
 夕飯のあと、一家は一日も欠かさず順繰りに入浴するのだけれど、よほど待ち望んでいる行事なのか、みんな喜び勇んで服を脱いだ。内風呂というのは初めての経験だった。私は湯気の立ちこめた内風呂のにおいが嫌いだった。垢と排泄物の臭いのする湿った空気を吸いこむと、たまらなく胸が悪くなった。野辺地や横浜の銭湯はこんなにおいはしなかった。
 ひろゆきちゃんのママほどではなかったけれども、分厚い眼鏡をかけたミッちゃんも、どこかとり澄ました様子をして、いつも胡乱(うろん)な眼つきで私の行動を見守っていた。そのくせ、英夫兄さんの休みの日など、ステテコに肘枕で横たわっている彼の股間を指でつまんで、おかしな目配せなどするのだった。叔父もニヤニヤ笑って応える。そんなときは剛直な叔父から芯棒が抜け落ちたような気がした。
 あるとき、ミッちゃんが鏡台に見入って顔をいじっているのを目撃したことがあった。その平べったい横顔にはメスの執念のようなものが漂っていて、なんだか妙に不潔な感じがした。母が黒ニキビをつぶしていた姿にそっくりだった。
 毎日の夕餉のテーブルには、トンカツや、目玉焼きを添えたハンバーグや、エビフライ、まぐろの刺身、ハマグリのお吸い物などが日替わりで載った。青梅とはぜんぜんちがっていた。コロッケとか、ポテトサラダとか、せいぜいキャベツの油炒めで飯を食いつけてきた私にとって、その豪華なおかずは、初めのうちはめずらしかったが、実際食べてみるとあまりおいしく感じられなかった。だから、どんなに腹がすいているときでも、ご飯のお替わりをしなかった。
 転校が決まり、登校をあしたに控えた日曜日に、東山動物園へ連れていってもらった。私は虎ばかりを見ていた。ライオンや象やキリンはまだしも見どころはあったが、ハリネズミ、トカゲ、にしき蛇、獏といった珍獣が、うすら寒い檻の中に閉じこめられてぼんやりうずくまり、そのみっともない姿を人目に曝していた。そんなものを見るよりは、狭い檻の中を神経質にいったりきたりしている虎を見ているほうが、よほど気持ちが涼んだ。虎はときどき精力的な往復に飽きて寝そべり、あくびをした。口の中が野生の鮮やかな紅色をしていた。郁子たちは動物など見ないで、アイスクリームを食べていた。
 帰りにテレビ塔の見物に回った。満員のバスに乗った。ムカムカして、しゃがみこんで吐いた。気の毒がって席を譲ろうとする人がいたが、叔父が断った。ミッちゃんがチリ紙とハンカチで床を拭った。郁子たちは迷惑そうな顔をしていた。
 テレビ塔は退屈だった。高いところから見たらきっとそう見えるにちがいない景色が、思ったとおりに見えただけだった。郁子と法子はそんな景色を見るよりも、名物の手相占いに興じていた。塔を出て、松坂屋をうろうろめぐり、柳橋の映画館で長門裕之の『にあんちゃん』を観た。おもしろくなかった。                 

(第一部第三章終了)

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四章 川原小学校 へお進みください。