六十一         

 いままで目をつぶって腕組みしていた千葉が、山口の声を聞きつけて目を開き、坐ったまま胴間声を上げた。
「龍飛はどんだ!」
「あ、それいいですね。ちょうど距離も手ごろだし。あそこは断崖しかない殺風景なところですが、本州の果てだと思うと何か感慨深いものがあると思います。一見しておく価値はあります。わかりました。みなさん、龍飛ということでどうでしょう」
 いいかげん飽きあきしていたクラス連中は口々に、
「賛成!」
 という叫び声をあげた。木谷千佳子の声がいちばん大きく聞こえた。西沢が苦笑いしている。
「いがったな、立派な青年! バスさ乗ったら、うるさく地元自慢するんでねど。〈断崖〉があって〈感慨〉深えなんてよ」
 裸足男の奥田が言うと、教室じゅうが笑いで沸き返った。松岡はあらかじめ下調べしてきたかのようにメモ用紙を開いた。これには西沢が声を上げて笑った。
「青森高校から龍飛岬までは七十五キロほど、バスで二時間弱です。奥州街道に出て、青森駅を突っ切って、油川から県道を陸奥湾沿いにずっと北上して、今別から龍飛岬まで一気です。周辺観光はしません。何か質問はありますか」
「龍飛岬の植生はどういうものですか。樹木や花」
 円卓が、オオ、とガヤついた。松岡は自信ありげにメモ用紙を閉じ、
「俺は中学時代植物クラブだったのでかなり詳しいです。樹木ではシナノキ、イタヤカエデ、草ではオオイタドリ、アマニウなどが生えていましたが、青函トンネル工事関係の建物が林立して、かなり破壊されました。現在はそれらも自生していますが、工事関係者が持ちこんだクローバー、カモガヤ、ブタナ、ススキなどが繁茂しています。シナノキは葉の大きな黄色い花弁を垂らした木なのですぐわかります。ニウは白い傘のような花です。浜のほうにはハマエンドウも咲いてます。岩にこびりついてる黄色い小花の群れはハマハコベ、ポツンと菊のようなエゾオグルマ、びっしり大葉だけのラセイタソウ、ほかにアサガオのようなハマヒルガオ、イブキボウフウやハマボッスの白い小花、青い小花のハマベンケイソウ、紫のハマフウロの小花、赤みがかったオレンジ色のスカシユリ、岸壁に貼りついてるイワテトウキの白い花、ハマナスの赤い花、立原道造の詩で有名なニッコウキスゲのきれいなダイダイ色の花も咲いてます。いまは冬なので、サザンカ、ヤブツバキぐらいしか見られないじゃないでしょうか。きょうは風がないので静かな海が見られると思います」
 私は感嘆した。みんなが立派な青年を見直した表情になった。山口が、
「連れていきたかったはずだ」
 と呟いた。
「ぼくも知らない植物が相当あったよ」
 西沢が満足そうに、
「じゃ、日曜日に。いい旅になりそうだな」
         †
 旅行の朝、校門前に乗りつけたバスの周りに群れている生徒たちに混じって、西沢がはしゃいでいた。ジャブのまねなどして、だれかれになくふざけかかっている。心が全解放されている。山口は持参したギターを盾にして彼に付き合った。
 二日間快晴で、雪は降っていない。真青な空に綿雲が浮かんでいる。
 三十五名。クラスの半分以上が参加したと松岡は喜んだ。古山が、
「こねのは、風邪でもひいたんだべ」
 私はしっくりしなかった。
「二十人も風邪をひいたとは思えないな。猛勉の好意がむだになる。全員くるべきだ」
 そう山口に言うと、
「勉強ウイルスにやられたんだろう。一生風邪をひいてろ。出てこなくていい。風邪を移される。ぽかぽかの炬燵に入って、足りない頭でうんうん勉強してるのがお似合いだ」
 チェーンを巻いていないバスには、温和そうな運転手が一人乗っているきりだった。松岡たちの明るい声が聞こえてくる。武藤が、
「バスガイドはいねのな」
 松岡が、
「あたりまえだべに。観光バスでねんで」
 私は山口に言った。
「藤田と小笠原がきてないね」
「ああ、福島もいない。ほかの女がぜんぶきてるのは、まちがいなくおまえのせいだ。反論するなよ。それに答える理屈を考えるのが面倒くさい。ややこしいことにならなきゃいいけどな。なるべく女から離れてろ。テルヨシは野球部の新人テストだろう。このあいだ講堂で基礎体力検定をしてるのを見た」
「十二月のあいだは、二年生レギュラーが三、四人自発的に参加して、天気のいい日だけグランドの雪を掻いて基本訓練するらしい。ぼくはそういう日は放課後に参加して、ランニングと素振りだけの自主トレをするつもりだ。そのとき小笠原、ユニホーム着てた?」
「シンプルなやつをな。けっこうさまになってた。野球というのは美しいものだ」
 熱いものがこみあげてきた。
「男の中の男のスポーツだよ。美しいにきまってる」
 雪のほとんど消えた舗道から、一人ずつバスに乗りこむ。木谷の紺のスカートの尻からわざわざ顔をそむけて乗っていった奥田が、素足にきちんと中学生のようなズック靴を履いていたので、それが噂の通学用だとわかった。乗りこむ生徒に運転席にいる中年の男がいちいち頭を下げる。私と山口は、ちょうど真ん中あたりの、西沢の前の席に並んで座った。そこにだけはだれも座ろうとしなかったので、山口が率先して腰を下ろした。男たちは全員後ろの座席を占め、女は運転席のそばにかたまっている。会話が充満した。
「マコとミコ、読んだか」
 だれかが古い話をしている。
「わたしに健康な日を三日ください。泣いたじゃ」
「泣ぐか? マコてのは、あの本で大儲けしたらしど。東京の一等地に豪邸建てたツケ」
 デマだろう。陳腐な風聞が普段着のまま、ユーモアの飾りもなく練り歩く。山口が皮肉らしく唇を歪めた。
「アホなやつらだ。あんなふうに、効率と経済にまみれた世間話をしながら、あと五十年も生きて、どうでもいい人生を終わってしまうんだろう」
 後ろの席から西沢が私たちに声をかけた。
「うまいこと言うじゃないか、山口。しかし、効率や経済にまみれた世間話が、人間にはいちばんの麻薬なんだぞ」
 朝飯を食いそこねたのか、女房の手作りらしい弁当をもぐもぐやっている。
「私は東北大の数学科を出てから、青森の民間会社に就職してね。入社して何カ月も経たないうちに、効率と経済まみれの上役とくだらない口げんかして、思わずそいつを殴ってしまった。クビ。それから弘前高校に勤めていた友人に勧められて、遅まきながら教師になるための猛勉をした。効率と経済を軽蔑すると、歩みがのろくなる」
 語りだした西沢に寄ってきた女子生徒のあいだから、尊敬のため息が洩れた。朝から彼はめずらしく上機嫌だった。西沢という教師は基本的に不機嫌なところがあって、質問がある場合は、挙手して口頭発言する形は許さず、授業後に教壇までわざわざ質問を書きつけたノートを持ってくることを義務づけ、途中で質問の主旨を言いよどんだりすると、ノートをやにわに教壇から遠くへ投げ捨て、すたすたと教室を出ていってしまう。私は二度ほどその現場を目撃した。
「小野校長先生は、なして脚を悪ぐしたんですか」
 木谷千佳子が西沢に真剣な顔で尋いた。たしかにそれは月に一度の朝礼のたびに気になるところだった。校長はいつも松葉杖一本でゆっくり演壇に登った。その姿は悲壮感に満ちていたけれども、どこか並々ならぬ孤高の香りもして、私の好むものだった。
「学生時代に、スキーで脚を折ったと聞いている」
「そのぐれでビッコになるべが」
 武藤が自分の膝をさすりながら言う。
「運悪く搬送の途中で吹雪になって、手当てが遅れたらしい。山は恐ろしいぞ。八甲田死の行軍じゃないが、私もスキー仲間と遭難しかかったことがある。雪穴を掘って、一晩じゅう捜索隊を待った。眠ったら確実に死ぬから、おたがいブン殴り合って眠らないようにした」
 そう言って西沢は、私の座席の背をこぶしで叩いた。振り返った私に向かって、彼はニッと笑った。銀歯が覗き、根もとに飯粒がからまっているのが見えた。
 後部座席で、古山がぼんやり外の景色を眺めている。私と視線が合うと、親しげに片手を上げた。私は応えなかった。佐久間との回りくどい友愛表現を見てから、気分的に距離を置いている。古山の隣に異星人小田切が座り、時おりカメラで車内を写していた。古山と離れて同じ後部座席の反対側に佐久間の顔があった。どこを見るともなく、ぼんやりしていた。
 バスはしばらく雪のないアスファルト道を、津軽線のレール越しに海を右に見ながら走っていたが、蟹田を過ぎたあたりで海と別れ、田圃と樹林に挟まれた明るい道に入った。とつぜん、常緑樹の光に包まれたすばらしい景色になった。窓の外を流れていく野づらに、まだらの雪に混じってヤマヨモギの黄色い花があちこちかたまって生えている。とつぜん住宅街を過ぎる。すぐに樹林の道になる。
 ふと野辺地の祖父母のことを思い出した。夏に会ってきたばかりなのに、なぜか胸が痛んだ。ばっちゃの鉛筆書きのひらがなが悲しかった。もう三通になった。いずれ私は彼らを捨てて出ていく。私に捨てられた彼らは萎むように死んでいくだろう。
 武藤が近づいてきて、ギターを貸してくれと山口に言った。山口は渋々ギターを手渡した。武藤は立ったまま荒っぽく絃を叩きながら、ドラ声で唄いはじめた。
「シーラブズユー、イエイ、イエイ、シーラブズユー、イエイ、イエイ……」
 山口は眉をしかめた。いつのまにか武藤の背後に千葉が立って、いっしょに声を合わせている。山口ははっきりした声で言った。
「ビートルズにもくだらない曲はある。そういうくだらない曲が、ビーチボーイズの壮麗な和音を追放した。希代のシンガーソングライターであるブライアン・ウィルソンは、ビートルズが天才を滅ぼしたと言った。明るさを気取ってる音楽は、陽気そうに見えるだけの鬱陶しいものだ。バッハやモーツァルトの本物の憂鬱な音楽に比べれば、つまらない代物だ。ほんとうに陽気な人間は、いつもほんとうに自分を他に開放する人間だから、受容が激しすぎて、ほんとうの憂鬱にいき当たる。それこそ文化だ。つまり、明るい人間はほんとうの文化の創造者になるわけだ。明るさと、受容過多の果ての、うねるような憂鬱こそ文化を創る。―ビートルズにもすぐれた曲がある。選択する耳を持て」
 いつもの山口節が始まった。彼らにとっては初めて見る山口の姿だった。私は痛快な気持ちになって、声を上げて笑った。意外なことに千葉がうなずいている。武藤は目をきょとんとさせ、
「しっかりイヤミ言うんでねの。おめんど、ホモだって噂だど。なあ、千葉」
「知らね」
 西沢が私よりも大きな声で笑った。千葉が山口に言った。
「ジャズ部でペット吹いてるんだども、ギターがいねのよ。入らねが。ウガ、うだでギターがうめって聞いてら」
「だれに?」
「バスさ乗る前に、神無月があっちこっちにしゃべってらった」
「遠慮するよ。勉強が追いつかなくてさ」
「勉強して、なァすってよ。大会さ出られるくれのバンド組むべよ」
 武藤が割って入った。
「そたら女々しいことやらねで、からだ鍛えろ。オラだっきゃ、うさぎ跳びしすぎで、膝カブに水溜まったんで」
「百ぺんも聞いたじゃ。そのうち切断するんでねが」
 奥田の皮肉に女子連が笑い、武藤は白けて、またギターをじゃんじゃんやりながらガナリはじめた。山口がギターを奪い返した。
 野辺地の中野渡が、ハリー・ジェームズが好きだと言ったことを思い出しながら、私は千葉に語りかけた。
「だれのトランペットが好きなの?」
「アート・ファーマー。ジャズでねくても、ペットの名曲は多い。ニニ・ロッソの『太陽は燃えている』なんかもいな」
「エンゲルベルト・フンパーディンクの曲だね。日本では『燃える太陽』という題で園まりが唄ってた。クワンド・カリエンタ・エル・ソ……」
 すでに千葉は目をつぶっていた。わかりません、という表情だった。
 やがてだれが言い出すともなく歌合戦になり、唄い始めを決めかねて次々とマイクが渡っていった。西沢が率先して受け取り、城ヶ島の雨を熱唱した。
「雨は降る、降る、城ヶ島の磯に、利休鼠の雨がふる、雨は真珠か、夜明けの霧か、それともわたしの忍び泣き」
 端正な唄いぶりに、私は思わず胸を締めつけられた。中学一年のとき、社会科の渡辺先生が波浮の港を唄った姿に重なった。
 ―あのころ!
 私は、目標がたった一つだった。そして、大きく変形しているけれど、いまなお一つのままだ。頬がゆがんでふるえた。山口が私の手の甲に手を重ねた。
「何かにオーバーラップさせてやがるな」
 西沢は唄い終わると、照れたふうに、
「つぎ、運転手さん!」
 と言って、生徒にマイクを回させた。運転手はハンドルを握ったままマイクを片手に、
「では、津軽よされ節を」
 フロントガラスに向かって小さく頭を下げ、
「ハア、調子変わりのよされ節、ハア、津軽よいとこ住みよいところ、ハア、厚い人情(にんじょ)のあるところ、旅の鳥でも一休み、一夜泊まりが七八日(ななようか)、ハア、四方の山々花盛り、招く姉コは片えくぼ……」
 いい声でひとしきり謡い上げた。割れんばかりの拍手になった。運転手は照れくさそうにまたフロントガラスに向かってお辞儀をし、マイクを後ろへ戻してよこした。


         六十二

「俺、一曲いきます」
 松岡がボビー・ソロの『頬にかかる涙』を唄った。ボンボンボ、ボン、ボンボンボ、ボン、と自分で前奏を呟きながら唄い出しを計っているのが滑稽だった。見かねて山口が華麗な伴奏をつけた。松岡はギターの音色に乗って気分よく唄い切った。低音で一本調子だった。大きな拍手は山口のギターの腕前に対するものだった。西沢が、
「山口、おまえ、名人だな」
 と感嘆した。
 女たちはみんなマイクを拒否し、投げ渡された先の武藤は急にまじめ面をして、梓みちよのこんにちは赤ちゃんをとつとつと唄った。女子も楽しそうに手拍子を打った。これにも山口は伴奏をつけてやった。私にもマイクが回ってきて、少し悩んだあと、アンナ・マリアの『ひみつ』に決め、
「松岡くんがカンツォーネを唄ったので、ぼくも一曲。アンナ・マリアのひみつ。耳に入ってくるままの発音を片仮名で覚えただけなので、イタリア語の歌詞の意味はまったくわかりません」
 待っていたように山口が張り切って伴奏をつけはじめた。哀調を帯びた見事な演奏に車内が静まり返った。
「ラモレ、ヘン、ボディピュー、デュンベン、ディッシモ、ボルトー、エディピュー、モルトピュー……」
 パラパラと自然な拍手が上がった。
「エデイオティ、ヴォーヨ、ズベライ、ウナン、ティコセグレート、ケサダ、ラファリーチーター!」
 高音にさしかかって声を張り上げたとき、驚いたふうにみんなの視線が集まった。ふだん寡黙な生徒がそんなふうに唄い上げるのが意外だったのだろう。
「うめえな!」
「うめじゃ!」
「プロでねが―」
 指笛まで鳴った。山口はうれしそうにギターを弾きながら、ハミングできれいな和音を作った。
「ヴォイ、トゥサペ、コーゼラモー、ダイ、センザッキエ、デレマイ、セチュウ、トゥーデライ、アンコー、ラディピュー、ゴーノシェ、ライナー、モー!」
 唄い切ると、盛大な拍手が上がった。とりわけ前方の席にいる木谷の拍手がいつまでもやまなかった。木谷は泣いていた。山口も涙を流したまま茫然としていた。
「しかし神無月は歌がうまいなあ。どこから声が出てるんだ。頭のてっぺんか」
 背後から西沢が私の頭を荒っぽくこすった。
「山口こそ天才です。ぼくみたいな―」
「ほい、そこまでにしろ」
 山口が涙を拭い、西沢をまねて私の頭をゴシゴシこすった。木谷が寄ってきて、潤んだ目でじっと見つめ、ぺこりとお辞儀をしてまた戻っていった。猛勉が、
「さあ、次だ次だ」
 マイクが一巡していくうちに、樹木の密集した林道を抜け、今別駅を過ぎ、ふたたび林道を走って三厩(みんまや)という寒村に出た。海が現れた。松岡が叫ぶ。
「三厩湾です!」
 みんなの視線が集中する。西沢が、
「いちいち湾の名前がついてるが、青森市から津軽半島先端までは外ヶ浜と言うんだよ。古来、このあたりは国の辺境とされてたから、外が浜は北海道と並んで流刑の地だった」
 松岡が、
「いまや辺境の地にもアスファルトが敷かれている、したがって俺たちも観光の旅ができる、と」
 頓狂なことを言う。山口が私に、
「野辺地のあたりも流刑地だったんじゃないのか」
 と言って、ニヤリと笑った。すぐに海が隠れ、広大な畑を左右に見渡す一本道になった。単線の線路のように細い道だ。海が隠見し、片側の崖に民家がチラホラ建っている。道肩にかなり深い雪がある。遠くの山並のいただきを新雪が縁どっている。
 海沿いの美しい並木路に出ると、みんながごそごそ弁当を使いはじめた。山口と顔を見合わせる。健児荘の朝めしを完全に消化した胃袋が空腹を訴えている。山口が小声で言う。
「やっぱり関野商店でパンでも買ってくればよかったな」 
「おばさんに弁当を頼めばよかったね」
「弁当は別費ってのがしゃくだ。ああ、腹へった……」
 そう言って山口は、鉄道員を弾きはじめた。
「いい曲だ」
 猛勉がぽつりと言った。あれ以来おばさんは、何ごともなかったように台所で食事の支度をし、適当におさんどんをして、離れへ去っていく。不機嫌でも上機嫌でもない。ふだんとまったく変わらない。丹前を着た亭主も同じだ。彼は学生の前にはほとんど顔を出さず、夜中に食堂でごそごそめしを食っていたりする。
 私は村の景色に目を戻した。ひどく古めかしい面影をとどめているその一帯は、海と畑と遠山の調和がなんとも言いようのないほど美しかった。雪をまだらに載せた畑と海に挟まれたどの一隅にも、都会のにおいが紛れこんできていなかった。
「食べてけんだ。余りものだけんど」
 木谷千佳子がやってきて、恥ずかしそうに山口に新聞紙の包みを差し出した。笑顔のまま私に眼を合わせた。
「ゴッツォ!」
 山口は礼を言って受け取った。
「お、二つ入ってる」
 山口は、仲間の女生徒たちの中へ去っていく木谷の後ろ姿を眺めながら、
「木谷はおまえに食ってほしかったんだよ。目がそう言っていただろ。ああいう目はいいなあ。コンチクショウだけど、一つおこぼれにあずかるぞ」
 大きな握り飯だった。塩鮭が入っていた。
「神無月、これ、一人分の余りものじゃないぜ。女ってのはたしかによく食うんだが、これはでかすぎる。最初から俺たちのために用意してたんだな。ありがたいね」
「どうして弁当を持ってこないってわかったんだろう」
「見回してみろ。食い気と関係なさそうなやつは、俺たちぐらいしかいないだろ」
「しょってるな。カスミでも食うか」
 また西沢が後ろの席から大声で笑った。私は、席についた木谷のボーイッシュな後頭部を見つめながら、その素朴な握り飯の味を噛みしめた。窓の外に寒々とした海。係留されている漁船。切り通しの崖すそに貼りついている貧しげな板小屋仕立ての家。自転車がポツンと置いてあったりするが、大人も子供も見かけない。ゴーストタウンのようにも見える。
 アスファルト道の両側に積雪が目立ちはじめた。車が往来する轍(わだち)の部分だけは雪がなく、乾いている。家々の造りと建材の質が多少いまふうに変わり、建てこみ具合が稠密になった。枯れ草の原にバスが停まった。
「着きました! 龍飛岬です。本州の端っこです。西沢先生からスナック菓子の差し入れがあります。おーい、佐久間、この段ボール箱運んでくれ」
 松岡が立ち上がって言った。目立たないようにいちばん後ろの隅に座っていた佐久間が無愛想にうなずいた。腹に箱を抱えた佐久間につづいて、どすどすとみんなバスから降りた。鈴木睦子は手にポータブルプレーヤーを提げ、眉の濃いギョロ目の女はバレーボールを持っていた。みんな海を見下ろす崖をめざして駆けていった。雪をまだらに残す枯れ草の原に、セーラー服のスカートが揺れる。山口と私も冷たい風を顔に受けながら早足で歩いた。
 岬一面に強い陽射しが降り注ぎ、荒涼とした景色が拡がっている。岩を散りばめた薄茶色の原にはツヤがなく、寒そうに毛羽立っていた。崖に近づくにつれ、低く浮かんでいたトンビが舞い上がり、素早くはばたいてから、なめらかに海のほうへ滑空していった。
 見晴らしのいい岬の突端に立った。出発のときには青く澄みわたっていた空が灰色に変わり、鉛のような雲が低くかかっている。いまにも雨か雪が降り出しそうだ。絶壁のはるか下から遠くぼやけた沖合の水平線まで、雲間から真冬の近いことを知らせる太陽が淡く隈なく照らし、黒灰色の海は見渡すかぎり広がっていた。岬の下の岩の群れに向かって静かな波が打ち寄せている。
 山口と崖沿いの雪の小径を下っていった。切り通しから突き出して宙吊りになっている名の知れない花を見上げながら、なおも下りていくと、大きな岩の隙間をチョークのように白い波が往復していた。
「なんだかよくわからん場所だな。こんなところへくるのは、パーだけじゃないか。神無月は好きなんだろ、こういうとこ」
「まさか。自然の単調なリフレインには永遠を感じない」
「じゃ、何に感じるんだ」
「静止しているものか、急激な変化だ。たとえば樹、星空、道、花火、不機嫌……」
「最後のやつは、無理やりだな。生臭い。人間、でいいんじゃないか」
 崖の上に戻ると、白ブナの密集した林が枯草の向こうに迫っていた。西沢が一人林に向かって草はらの中央に立ち、両手を広げて深呼吸している。彼が片肺しかないことを思い出した。山口が私の心を察したように呟いた。
「猛勉の義侠的精神も、案外、肺が一個しかないことと関係があるのかもしれないな」
「長生きを予測してないってこと?」
「ああ、麗わしきエゴだ」
 山口は西沢に背を向けると、小石を拾い上げ、断崖の空へ放った。私は西沢を見つめたまま、背後に海を意識しながら、風と波の音を感じて立っていた。出会って、知り、別れる。愛さないかぎり、それしかない。
 山口といっしょにブナの林へ入っていった。風のない暖かい空気に包まれた。雪を踏んで短い林を抜け、切り株の畑に出た。畑の端までくると、澄みきった小川が速く流れていた。幅の狭い、深い流れだった。湿った岸辺に沿って、足をとられないよう慎重に歩いていく。流れのゆるやかなところで小川を渡り、細い坂を上っていった。別の畑の柵にぶつかった。柵をくぐり畦道に入る。牧場らしい窪地に建っている大きな納屋が見えた。その先にはアスファルトの道路が走っていて、密生した森が道路の向こう側に広がっていた。
「ここで行き止まりだ。前も後ろも、ほんとに何もないところだな。引き返そう」
 足もとに泉が湧いている。私はしゃがんで泉の底を見つめた。山口もしゃがんだ。もこもこと水が隆起するたびに、砂が吹き上がってくる。透明な湧き水は小川をめざして砂礫の上を流れていた。涙の核、という言葉が浮かんだ。
 岬へ戻っていくと、歓声に混じってボールの弾む音が聞こえてきた。西沢が両脚を大きく拡げたおどけた格好で跳び上がりながら、自分に回ってくるボールを突いていた。運転手も仲間に加わっている。
「どれどれ、俺もからだを暖めてくるか」
 山口は小走りにバレーボールの輪に入っていった。
 枯草と林の境にある小岩に腰を下ろした。ときどき強い風が吹いて、冷えびえとした潮の香を連れてきた。マツムシソウに似た草の花が、地面すれすれにヒュウと吹く風に健気に靡いた。ブナの葉がいっせいに揺れ動きながらざわめいた。冷たい風の中でわけもなく首筋に戦慄が走り、涙が流れた。涙は止まりそうもなかった。
 いつのまにかバレーボールは終わっていた。聞き慣れたフォークダンスの音楽が風の音の切れ間をやってくる。学生帽や、坊主頭や、お下げ髪が不器用に輪をめぐっている。醜くもなく、厚かましくもなく、そして妙に自分の様子を気にしている生徒たちが、ぎこちなく手を握り合ったり、手のひらを打ち合わせたりしている。涙が止まらない。涙に揺れる景色の中で、女たちのスカートが風に激しくはためいた。女たちはまくれ上がったスカートを懸命に押さえた。小田切がしきりにカメラのシャッターを切っている。西沢もごついカメラでパチパチやっている。



         六十三

 仲間に加わらずに、平たい岩にもたれている古山の姿が目に入った。岩の上に佐久間が寝そべっている。古山は風に逆らって文庫本のページをめくっていた。そしてときどき本を下ろし、中空を見つめていた。いつもの笑いはその顔から消えていた。私は涙を拭って微笑んだ。途中で輪を抜けて戻ってきた山口が、私の視線の先を確かめて言った。
「古山の下手な鉄砲は、撃っても、撃っても中(あた)らん。梅津だろ(媚びのある女だ)、花田だろ(太眉のギョロ目)、それから木谷もだ。鈴木は勉強のライバルだし、それでなくてもあの味噌っ歯じゃ、さすがに撃つ気にはならないんだろう。柄にもなく詩人気取りでな、手紙にかならず詩を入れるそうだ」
「だれがそんなことを言うんだ?」
「梅津だ。みんなにしゃべりまくってる。彼女の話だと、手紙自体は噴飯ものだが、詩のほうは西脇順三郎ばりで、けっこういけるとよ」
 フォークダンスの輪の中に、めぐってくる男たちに媚びを振りまきながら踊っている女生徒が見えた。媚態が仮面だとすぐわかった。警戒心がからだ全体にみなぎっていて、熱くもない湯から手を引っこめるような怯懦が仮面の下に隠れていた。
「あの女だな」
 私が指を差すと、山口は、ああ、と答えた。私は言った。
「あの女は、世間体を整えた男が現れるまでは、どんな男にでもいい顔をしつづけるだろうね。将来性のない高校生や大学生には振り向きもしない。恋愛もしない。結婚相手は近所の伊藤さんでも吉田さんでもいいけど、職業は医者か弁護士だな。いや、事業家か政治家か役人かもしれない」
「なるほど、しかし、女はだいだいそういうものじゃないのか」
 私は舌打ちした。山口に対してではなかった。
「男だって、ほとんどそうだ。安定した権力志向にまみれた他人。そんな恐ろしい他人に恋心を打ち明けるなんてことは、討ち死にする勇気がなければできないことだよ」
 古山は相変わらず宙を見つめながら、あたりにさびしげな空気を拡げていた。
「英語野郎は見どころある男ってことか―」
「うん、正直な男だってことさ。正直なんてものは哀れな美徳にすぎないけど、少なくとも討ち死にという冒険を経験できる。写真を切り刻んで冒険を回避するような女々しい男とは人間のスケールがちがう。古山はぼくのおやつのパンと貝柱を食いまくったけどね」
 山口は腹の底から笑いを吐き出した。
 フォークダンスが終わると、女たちは申し合わせてバスケットから手製のクッキーを取り出し、表情たっぷりに男どもに配りはじめた。木谷が近づいてきた。ショールに頬を包んでいる。
「いらねが?」
 白い顔を寒風に染めた木谷は、私と山口にハート型のクッキーをごっそり手づかみで差し出した。山口はヤニさがりながらそれを受け取った。この白い顔に見覚えがある。便所の笛。内田由紀子―足の速い内田由紀子。気づいたとたん、私の心は打ち解け、郷愁に満たされた。
「キャ!」
 強い風がきて、木谷はとっさにスカートを押さえた。押さえた点を中心にスカートがはたはたと巻き上がった。形のいい二本の太腿が目を射った。郷愁の女はスカートを押さえながら、すっかりどぎまぎして、顔をますますまだらに染めた。
「やあ、くるぞ、これは」
 山口が空を見上げた。とつぜんあたりが濃い灰色に閉ざされ、風よりも冷たい大粒の雨が落ちてきた。古山と佐久間が一目散にバスに向かって駆けていく。
「戻れ!」
 西沢の号令がかかった。私は、林に夕暮れの雨が斜めに落ちているのを、名残惜しく目に納めた。
         †
 帰宅すると、玄関でユリさんが、半月早い現金封筒を手渡した。それを見て山口は舌打ちしながら部屋に引っこんだ。ユリさんに鳴らした舌打ちではなく、母の送金を気持ちの悪いものに感じたせいだろう。
 ―不良息子を見捨てないケナゲな母親てか? いい気なもんだ。
 そんなふうに感じたにちがいない。その場で開封すると、おそらく冬支度の足しにしろという意味なのだろう、いつもより一万円余分に入っていた。恐怖の便箋は同封されていなかった。
「きょうはお昼どうしました?」
「クラスメートがおにぎりを差し入れてくれました」
「ごめんなさいね。日曜日に学校の行事があるなんて思わなくて」
 部屋代を渡そうとすると、
「きちんと月末にいただきます」
 と言って食堂へ戻っていった。
 ばっちゃからの荷物が部屋の前の廊下に置いてあった。乾物や下着類を詰めた箱の中にばっちゃの手紙はなく、じっちゃのくずし文字の短いメモが入っていた。

 前省。婆は相変わらず健康なり。爺は先日郵便局の帰りに転んで腰を打ち、この数日寝込んでおったが、漸次快復せり。勉学精励のこと。油断すべからず。草々。

 老人が腰を痛めるといずれ長患いする、といつか坂本の女房が言っていたことを思い出し、チラと不安がよぎった。
         †
 十二月十五日の水曜日に、修学旅行で留守をしている二年生の二階教室を使って、年に一度の実力試験が行なわれた。数学を除いて上出来だった。
 十八日土曜日。雪。日中も零下一度。下旬からという天気予報がはずれて、この一週間ずっと雪が小止みなく降りつづいている。積もるほどではないけれども、雪掻きをした雪がどの家の玄関前にもコンモリと積んである。
 幼稚園で忙しくしているカズちゃんとはしばらく逢っていない。葛西家の二人も、ユリさんも訪ねてこない。山口とは、ときどき彼の部屋でコーヒーを飲んだり、いっしょに雪に傘差して長靴履きで散歩したりする。規律正しい生活だ。小学校のころの清新な気分に戻った気がする。
 今朝七時に、カズちゃんから電話があった。玄関部屋の山口が取り次いだ。
「ありがとう。へんな仕事引き受けちゃってるな」
「玄関住人なんだから電話番ぐらいしてやらないとな。せいぜい一日二、三件だし」
 と笑った。電話に出ると、
「お正月は、山口さんも連れてきて」
「うん! 雑煮が楽しみだ」
「オセチも期待して」
 それだけの電話だった。脇に立っていた山口に伝えた。
「ほんとか! イソベを五個は食うぞ」
「ぼくは雑煮だ。好物なんだ」
「俺のおふくろの雑煮は絶品だぞ。しかし食うチャンスがないな」
「ないね」
 玄関から外を眺めた。細かい雪が降りつづいている。亭主がユリさんといっしょに、昨夜積もった分の雪を掻いていた。亭主はこちらの顔も見ずに頭だけ下げる。ユリさんは、
「あしたから年末まで、四時のおやつに、アパートのみんなにキツネうどん作りますから、学校から帰ったら食べにきてくださいね。夕食は六時半からです」
 と笑顔を向けた。山口とうなずき合い、たがいの部屋に戻って登校の準備にかかった。朝めしを食って、八時に登校。この時期三年生がほとんど出てきていないので、廊下の風通しがいい。ホームルームまで講堂でランニング。ほとんどのクラブ活動が休止しているせいで、ガラガラ。放課後、健児荘に戻って、キツネうどん。裏庭で素振り。晩めし。おでんライス。授業の復習。十二時就寝。
         †
 十九日の日曜日から冬休みに入った。その日に自由参加の東奥日報模試があった。もうこういう試験に参加するのはやめようと思っていたのに、英語と国語だけ受けてしまった。案の定ボロボロのできだった。この時期の高三対象の模試には太刀打ちできない。
         †
 二十六日に東奥日報模試の成績表の返却があり、各科目と総合得点の県下の五十傑までの順位が玄関廊下にも貼り出された。どの紙にも数人から十数人しか載っていなかった。
「どうした、英・国、五十番にも載ってなかったな。俺は地理だけ受けて五百番にも入らなかったけどな」
 ギターを弾きながら、山口が心配顔で訊く。
「どちらも二、三百番台だった。……受験レベルの模試になる時期だからね、高一の力じゃおぼつかない。マグレは利かない。あと二年、必死でやらないとね。敵は東大だから」
「つくづく、厄介な荷を背負っちゃったなあ」
「ああ、気が遠くなるよ。いくら勉強をしてもこれだもの」
「冬期講習出るんだろ」
「出る。あしたの二十七日から二十九日、一月の五日から七日だったね。数Tと英文法と古典文法に出る」
「俺は数Tと現国と地理だ」
 私は自分の器を知っている。競争のための勉強はするけれども、勉強しようとする自分の忍耐力は軽蔑する。そういう器の窓から外を覗くと、仲間のだれもかれもが才知と持久力にあふれた才人に見え、豊かな未来を約束されているように思われる。そのくせ私はどこかで、自分を卑下する心のありようを肯定している。仲間たちの能力に驚くことはあっても、彼らのような能力を持ちたいとは思わない。
 北国に流れ着き、野球に入れこんでからは、奇妙に達観しながら彼らの勤勉を横目で窺ってきた。彼らの努力には、学生らしい生活の素朴な必然があったし、正しい目標があった。しかし私には、本を読み、詩を書くことさえ、素朴な必然ではなかった。私は、木の葉が揺れたり、頬を風が撫ぜて過ぎたり、道をいく人びとが一人ひとり生きていると感じたりするとき、肌が粟立って感動する自分をときどき大した詩人だと思ったけれども、そんなことにしか感覚の動かないノータリンだとも見なしていた。
 そんなわけで、成績の下降はたぶん、頭の悪さに見合った簡単な比例法則のようなもので、勉強量を増やせば回復できると高をくくれるものではないと確信していた。しかしそんな確信をして自得などしている余裕はないのだった。東大が遠のくということは、野球が遠のくということにほかならない。母の危惧に倍する危惧を私は背負っている。いつもの堂々巡りの考えがやってくる。
 ―母は私が東大以外の大学にいくことは、不満に苛まれながらでも結局は許すだろう。私の能力の問題なのだから、許さないわけにはいかない。しかしそうなったら、野球をすることはけっして許さないだろう。二流三流の大学に属したにせよ、学生の〈本分〉を尽くして学問し、卒業後の社会的地位を向上させるように生きることを願うからだ。野球は学生の本分ではないし、成功失敗に関わらず社会的地位は劣等だ。そんなことをするなどもってのほか。
 考えるのが面倒くさいし、考えているうちに恐怖のどん底に落ちる。東大にいくしかないのだ。東大にいきさえすれば、何かの僥倖が起きる。しかし、なぜ東大に? いまさらながら、深い疑問が湧いてくる。
 ―おめの頭ならアガモンさもいげるこった。
 ―自分がいきたいだけだろう。
 じっちゃとテルヨシの言葉が浮かんだ。それはちがう。けっしてそうじゃない。
「親と縁を切る法的な手段て、ないものかな」
「……ない。法的に戸籍上の親子の縁を切る方法はない。対処法はある。この数年、引越しやら転校やら、何やかやで振り回され、つくづく家族と縁を切って独りになりたいと思ったことがあってな、図書館にこもっていろいろその種の本を読み漁った。長い話になるが参考に聞いてくれ。おまえの場合、いくつになっても親が干渉してくる、支配的な態度をとってくるということだろ。子供というのは独自にちゃんと社会生活を送ってる。人生というのはどんなことでも自分で決めて進むことに意義があるし、そこに子供のオリジナルな人生が広がっていきもするんだ。親自身、自分の意思に従って生きてるのに、子供が自由に生きることを否定するというのなら、もうそれは〈親心〉という正常な感情とは言えない。縁を切りたくなるはずだ。しかし、成人しようと、だれかの養子に入ろうと、分籍しようと、法的な手続で親子関係を解消することはできないんだ。しかし〈事実上〉縁を切ることはできる。法的に〈義務がない〉とされてることを実行することなんだ。ただし成人した場合しか実行できないことになってる。残念だが二十歳までだめだ。一つ、親との同居義務はない、二つ、親に会わなければならない義務はない、三つ、仲良くする義務も感謝する義務もない、四つ、親の言うことを聞かなければいけない義務はない。この四つだ。……親を否定する一方で、心のどこかで親の言うことを聞かなければいけないと思ってないか? しかし成人したら、親の言いなりになる必要はないんだ。経済的援助を断る個ともできる。親だから尊重し、大切にすべきだという考え方は、立派だし、常識にも叶ってる。ただその常識は、親も常識的な場合に用いるべきものだ。親が常識を破った接し方をしてくるなら、子供だけが譲歩する必要はない。しかし、いま言ったことは、すべて成人してからじゃないと、おおっぴらには行動に移せないんだよ」
「……二十歳までは親の言いなりってことだね」
「そうだ。反抗すれば島流しを喰らう」
「野球をしてるのがバレれば」
「島流しを喰らう」
「恐ろしいね」
「恐ろしい」
「二十歳まで、こっそり野球をやるしかないんだね。東大にいけば、たぶんエリートのクラブ活動として看過するだろうから、一年でも多く野球をつづけて、一年でも早くプロ野球にいくためには、東大に受かるしかないね」
「悲愴だが、そういうことになる。まず、青高で野球をやるにも細心の注意が要る。プロ野球にいくつもりはないと常に言いつづけなければいけない。そうしないと、いまみたいな超人的活躍をしていれば、プロに食指を動かされて、全国的な話題として盛り上がってしまう」
「全力で野球をやっていてもかまわないんだね」
「プロ志望がないと打ち出してればな。プロ球団が動かないから、マスコミも動きようがない。中央の新聞にはコラム欄に書かれるくらいですむだろう」
「よくわかった。……ぼくは小五からこのかた、マグレを起こしながら勉強をつづけてきた。ボールのコースを見定めるのと同じように、勉強に集中することで勘が働く。むだだと判断したことは蓄積しようとしない。東大合格はその勘に賭けてる。今回の模試の成績が悪かったのは、集中を怠っただけだ。引越し以来いろいろ忙しかったからね。ぼくの頭の悪さを補ってきたのは集中力だけだったから、それを取り戻せば成績は上がる」
「そういうことを言いたい気分なんだな。少し、散歩でもするか」
「うん……」


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