九十一

 女将に、
「どうしてひょっとこ踊りが入ったんですか」
 と訊くと、
「坊主踊りのことやな。あらすじを言うとな、熊野詣でにきた若い美男子の坊さんが、地方役人の家に宿を借りた。うちの耕三さんみたいな人よ。そこの娘に恋慕されて夜這いをかけられ、参拝前の身であるからいまはだめだ、帰りに寄る、となだめて逃げてまう。坊さんは帰りには立ち寄らんかった。娘は怒って大蛇になって坊さんを追いかけ、道成寺の鐘に隠れた坊さんを鐘ごと溶かして焼き殺す、火を吹いてな。坊さんも女も法華経の功徳で成仏する、そういうお話や」
 主人が、
「安珍と清姫やな」
「ふうん、踊りの美しさを見ると、女の恋の執念の表現ではないですね。純粋な恋愛心理の表現です。踊りの芸術として定着したのもそのせいですよ。いろいろな女の姿を踊り分けるという趣向は、執念からかけ離れた、まさに純粋な女心の美しさの表現です」
 仕事を終えた芸妓たちが聴き入っている。
「おーい、お姐さんがた、ごくろうさん。ま、ま、こっちへきて一杯やって」
 主人に言われて五人がやってくる。席の女どもが彼女たちの髪や衣装に触りまくる。惣菜が並べられ、大猪口の酒が振舞われる。
「いや姐さんがた、大した腕前ですなあ。長唄もいい、踊りもいい、三味も太鼓も、笛も鼓もいい。素人芸とはぜんぜんちがいますわ。またときどきお願いしますよ」
「こちらこそよろしくお願いします」
 三味線の中年が応えた。私を見て、
「わあ、噂どおりきれいな人! 安珍やがね」
 化粧の濃い笛の若手が、カズちゃんを見てため息をつく。鼓の中年女が、
「お嬢さんはお人形さんやわ。清姫以上やろ。そちらのおかたも男前やなあ。こうしてよう見ると、賄いさんまでみんなきれいで、まぶしなるわ」
 ユキさんがついと寄って、山口のあぐらへ手を置く。山口が表情を整えておトキさんを見た。山口は明らかに困っている。しばらくしてユキさんはあきらめて席を立っていった。山口は肩で息をついた。おトキさんが芸妓たちの猪口に酌をした。女将がいちばん年嵩の三味線に心づけを差し出した。主人は商売の先行きの不安を口にすることで芸妓たちの同情を引き出し、逆に彼女たちの身の上を安堵させるねぎらい方をする。
「芸は身を助ける、ですよ。あんたがたは商売換えをする心配がない。こちとらは何の芸もないですからなあ。素直に追われていきますわ」
 三味が、
「うまいこと言って。トルコ風呂に転業するって話を聞いてますよ。技芸道振興会なんかとは資本がちがいますものね。女の子たちが大きな力になるんやないですか」
「こいつらは宴席に侍って、その流れで〈あっち〉をすることしかできませんわ。少しばかり年食ってても、電気消せば何とかなりますが、明るい部屋で皺くちゃ腹じゃねえ。若い女を雇って商売始めても、売春そのものが禁止されてますからな。水着穿いた女三助の垢こすりで、客がどこまで満足するものやら。いくら銭湯よりはましでも、蛇の生殺しじゃ結局見かぎられます。まあ、最初はこいつらに協力してもらって、試行錯誤(あれやりこれやり)でいくしかないですな。さあ、おまえたち、外出(そとで)じゃない者は部屋に戻って待機して」
 女将が帳場に控え、着物や洋服の女がポチポチ消えていく。電話で呼び出される者もいれば、化粧をしてただ出ていく者もいる。芸妓たちが帰っていくと、残った女たちは座敷で雀卓を囲んだ。私は主人に、
「電話で呼び出されない女の人は、どこへ出ていくんですか」
「トモヨのいた長屋の待合です。大門や名楽あたりの辻に立ったりはしません。待合のほうが少し値が張ることは客のほうも知ってますから、いまは立ちんぼに食われとる具合で、身入りは少ないです。しかし女たちも働かないと、借金を返せませんからな。ああして麻雀を打ってるのは、自分なりにノルマが足りてるか、気分が乗らないやつらです」
 カズちゃんが帳場の電話でタクシーを呼ぶ。
「さ、山口さん。大事な夜にぐずぐずコーヒーなんか飲んでないで、さっさと上に上がりなさい。私たちが帰れないでしょう。おトキさん、トモヨさん、悪いけど、片づけ手伝わないで帰るわよ。キョウちゃん、いこ。山口さん、帰り支度、ちゃんとしてね」
「わかった。あした何時の飛行機?」
「十二時五十五分。青森着二時二十五分。午後の三時までには家に帰りつけるわ」
 山口が頭を掻きながら廊下へ出て、細い階段を上っていった。おトキさんとトモヨさんが台所に去った。タクシーが到着すると、主人と女将が玄関に見送りに出た。
「あした、空港リムジンが駅前十一時三十五分だから、九時ぐらいには顔出すわね」
「おお」
 父親が手を挙げ、母親が私に頭を下げた。
 タクシーの座席でカズちゃんは、
「芸妓さんたち、キョウちゃん話に引きこまれてた。あんなふうに踊りのこと言われたの初めてだったと思うわ。不思議な世界でしょ? 北村席から一歩外へ出たら別世界だから、気を引き締めないとね」
「うん。山口とおトキさん、ずっとうまくいくといいね」
「……あの運転手さんが言った一期一会かもしれないわよ。そういう覚悟がないと、男と女は抱き合えないし、男同士も深い友情を結べない。キョウちゃんにはいつもその覚悟を感じる。だから私もぴりぴり緊張できるのよ。キョウちゃんは、どの女も一期一会の覚悟で抱く人。だからどの女も離れられないの。……節子さんも離れてないわ。きっと知多から名古屋に戻ってるはず。いつかキョウちゃんが青森から帰ってきて、名古屋のどこかで巡り合えると信じてね」
 真っ白い桜が夜を埋めていた。菅野でない運転手はずっと無言だった。私たちを降ろすと、猛スピードで去っていった。
「すごい逃げ足でしょう? わかった? あの界隈はこんなふうに見られてるのよ。そこの水にどっぷり浸って育った私なんかで、キョウちゃん、満足できる?」
「問答無用だね。好きだ、のひとことだ」
「そういう、男の世界を狭めるような女々しい科白をキョウちゃんに吐かせたくない。もう二度と言わないでね。満足できる、ひとことでいいの。男は女に絡め取られるものじゃなくて、女に喜びを与えるもの。心も肉体もね。ほんとにその男を愛してる女は、心も肉体も縛らない。縛られないで生きることは男だけの特権。女には似合わない。どうしてだと思う?」
「貞節……」
「そういう形の問題じゃないの。単に快楽が強すぎるからよ。だから、一途に愛する男にだけその快楽を捧げなくちゃいけないの。男の快楽は不思議なほど淡いわ。とても清潔な感じ。博愛の根源かもしれない。からだが清潔だと、魂も清潔だって思いたいところだけど、どちらも清潔な男はめったにいない。いれば、そういう男は大勢の女から愛される価値があるの。それがキョウちゃんよ」
 ベッドのシーツに二人で腰を下す。
「安珍と清姫の話をしてるとき、お母さんうれしそうだったね」
「それはそうよ。もう男と縁がないと思ってたマナ娘が、こんなにかわいがってもらってるんだから。……今度松葉会を訪ねるのは、キョウちゃんが大学に入ったときね。大将さんは乱暴者みたいだから、指の一本二本なくしてるかも」
 くすくす笑い、私の唇に唇を重ねる。
「康男がいなければ生きていけないと思っていたころがあったんだ。その気持ちに、滝澤節子のせいでヒビが入った。挙句、康男の将来に―」
「……いいえ、大将さんとキョウちゃんがただの通行人で終わらないことが確かめられたのよ。それが二人の将来。なるようになったの。強く結び合う者同士の絆が、ますます強くなったのは、それぞれが思いどおりに行動したからよ」
 二人で順に排便し、シャワーを浴び、髪を洗った。裸のまま寝室に戻ると、カズちゃんはベッドのシーツを替えた。
「今夜はしないの」
「もちろんするわ。その前に、夜食。おトキさんが残り物でお弁当を作ってくれたから」
「よく食べるねえ!」
 カズちゃんは鼻をしかめて笑い、大きなバッグから重箱を二つ取り出して、コーヒーテーブルに置いた。割箸までつけた豪華な弁当だった。
「山口にも作ったかな」
「もちろんよ」
 ベッドに二人並んで腰を下ろし、窓を開け放って、ライティングされた桜を見下ろしながら食べた。冷えためしに濃い味の魚や肉や煮物がぴったり合い、あまりにうまくて二人無言になった。たちまち食べ終え、並んで窓辺に立った。弱い風が裸の二人の汗を蒸発させていく。
「幸福って、きっとこういうものだろうね」
「ささやかな幸福はね。最高の幸福の瞬間に、キョウちゃんはまぶしいくらい輝くの。バッターボックスよ。きっと偶然見つけた幸福でしょうけど、それだけに痛々しいくらい輝いてる。あそこ以外にキョウちゃんの最高の幸福はないわ。そのほかはぜんぶ、ささやかな幸福と、とてもつらい不幸のまだらの人生。永遠にね。私はそのぜんぶに付き合うわ。つらい不幸が少なくなるように工夫しながらね」
 カズちゃんは私を自分の豊かな胸にそっと抱き寄せた。
「いま、キョウちゃんは野球のことを考えたでしょう。この部屋が一瞬明るくなったわ。すっかりオチンチンが縮んでる。これが証拠なのよ。キョウちゃんを幸せにしてあげたい。私なりに精いっぱいがんばるわ」
 ベッドに戻り、二人で仰向けになって、手をつなぎあった。
「……どんな死に方がいいかな。あ、生き死にのことは言わない約束だったね」
「いいの。……二人いっしょなら、どんな死に方でも」
「殺される死に方でも?」
「ええ」
「見て、カズちゃん」
 私はいきり立っているものを示した。
「すてき―」
 カズちゃんは膝を突いて口に含んだ。
「私のために、いつもこうなってくれる」
 カズちゃんは性器を私の目の前に広げて前屈の姿勢をとった。美しい性器がくっきり見える。
「イカさないようにしてね、こうしていたいだけだから」
 小陰唇を含んで軽く吸う。舌は使わない。クリトリスも吸わない。それでもあふれてくる。両手を乳房に当てる。カズちゃんはこちらに向きを変え、屹立したものに腰を下した。胸を合わせてきて、口を吸う。
「イカせて……」
 そっと動く。カズちゃんもそっと動く。小さい痙攣が数回つづき、膣が狭まり、強く私を抱き締める。本能的にカズちゃんの陰阜が動きはじめる。
「何回かイクから、キョウちゃんもイッて―」
 カズちゃんの打ちつづく高波の中へ私は心地よく射精した。そのままの形で、唇を吸い合いながら、やがて眠りに落ちた。
         †
 四月一日金曜日。六時半に二人で目を覚ました。目を覚ますときは、いつも同時だ。湯船を満たして抱き合って浸かる。からだを洗い、歯ブラシを使い。湯を抜き、シャワーで洗い流す。新しい下着をつけ、新しいワイシャツを着る。カズちゃんは洋ダンスを探り、中国服のような裾脇の少し割れたスカートを穿き、鮮やかな黄色のセーターを着た。
「なんてきれいなんだろう」
 カズちゃんは恥ずかしそうに笑う。
「キョウちゃんに合わせて、自分がだんだんきれいになってきたってわかるわ。七年前よりも顔が若くなった気がするし。どうしたのかしら」
「皺もぜんぜんない。涙袋が魅力的だ。皮膚にはシミ一つないし、手なんかふっくらして少女ようだ。恐いよ」
「このまま十六歳に戻ってくれないかしら」
 思わず私は抱きついた。セーターがチクチクして気持ちよかった。
 カズちゃんは管理人にタクシーを呼んでくれるように電話をし、鰐革の大バッグを提げ、部屋を見回してから、鍵を閉めた。
 まだ八時前なのに、おトキさんと山口が居間のテーブルに差し向かいでコーヒーを飲んでいた。
「あら、お二人さん、どうしたの」
 おトキさんが恥ずかしそうに笑う。
「シッポリ?」
「いいえ。いっしょにお風呂に入り、からだを流してもらい、それから添い寝をしてもらいました」
 山口が頭を掻きながら、私とカズちゃんに向かって照れ笑いした。
「約束を守ったのね。えらいわ、山口さん。おトキさん、別人のようにきれいになった」
「からかわないでください。塗りもの取ったら、ただのお婆さんですよ」


         九十二

 トモヨさんや下働きが降りてきた。
「あら、お嬢さん、郷くん、早いこと。どうなさったんですか」
「目覚めがよくて、びっくりしちゃった。朝から快晴だし、風は気持ちいいし、桜は満開だし、もっと名古屋にいたくなっちゃう。でも帰らなくちゃ」
「ここを出るのは十一時すぎですよね。空港バスが十一時三十五分、搭乗が十二時五十五分」
「そう。ここにくるのちょっと早すぎたわね。おとうさんたちは」
「旦那さんたちはさっき起きたばかりで、お顔を洗ってらっしゃいます。ごはんまであと一時間ほどかかりますけど」
「いらない。きのうのお弁当がまだお腹に残ってるから。キョウちゃんの新学期が四日から始まるのよ。胸がいっぱい、お腹もいっぱい」
「何か食べておいたほがいいですよ」
「じゃ、油揚げ散らした温麺お願い」
「はい」
 着物を着た主人夫婦が顔を出した。
「おお、お早うさん。神無月さん、山口さん、土産買っといたよ。名古屋名物、えびせんと鬼饅頭。配るところがなければ、自分で食っちまいな。和子、今年のこれからの予定は」
「キョウちゃんは、七月まで勉強と野球の練習。トーナメントが七月から始まって、八月に終了。残りの月は、勉強と野球の練習。私は、青高が負けるか、優勝するまで応援。ほかはずっと働きっぱなし」
「働かんでええように仕送りしとるやろ」
「働かないとだめ。キョウちゃんといっしょにつらい思いをしないと、そばにいる意味がないでしょ。試合のときは、幼稚園はなるべく休ませてもらうから、一年の休みは五回か六回ね」
「二年生か三年生でプロに誘われたら、神無月さんは断る、と」
「誘われないと思う。誘ったら、お母さんがしゃしゃり出てきてガチャガチャやるということが、球団側にもすぐ知れ渡るでしょうから。結局東大を受験することになるわ。キョウちゃんの合格が決まったら、東京に一戸建を借りる。大まかなところはそれだけ」
「よし、わかった。山口さんも東大を受験する、と。そして、この二年間は、毎年春と夏には遊びにくる、と」
「はあ、落ちたら、東京の自宅で浪人することになります。そうならないよう、全力を尽くします」
 女将が、
「大学はお二人、とにかく東京大学を受けるんですね?」
「はい。高校三年生の春と夏は、俺は受験勉強がきつくてこれないかもしれません。大学へいったら、神無月は野球漬け、俺はギター漬けで、二人ともしばらくこれなくなるんじゃないのかなあ」
「ほうやろねえ、さびしなるわねえ」
「まだまだ、先の話ですよ。おトキさん、半年ごとに逢おうね」
「はい、お会いするのを楽しみに暮らします」
「大学いったら、東京にときどき遊びにきてくれる?」
「呼んでくだされば、お休みもらって飛んでいきます」
 カズちゃんが、
「あ、おかあさん、悪いけど今度お掃除いったとき、シーツ洗っといてね」
「はいはい」
 トモヨさんがコマ切れの油揚げを載せた温麺のどんぶりを二つ、両手に持って運んできた。油揚げとホウレンソウ、それに蒲鉾を添えたきしめん。うまかった。
「トモヨさん、キョウちゃんは夏にこれなければ冬にくるから、安心して」
「はい、いつまでもお待ちしてます」
「トモヨ、ワシらにもそれをくれ」
「はい。山口さんも?」
「いただきます」
 おトキさんも厨房に立っていった。女たちがにぎやかに座敷に集まってきた。しゃべり合いながら煙草を吸う。性的な話題はいっさい出ず、食べもの、日用品、とりわけ芸能界のことばかりだ。ユキさんも奥のほうにひっそりといて、話を聞いていた。
「グリコのポッキー、おいしいんで驚いた」
「あれ、一本一本作ってるんやて」
「柿ピーっての買ってみたけど、あたしは柿の種とピーナッツは別々のほうがええなあ」
「前田美波里のビューティケイクって、乗りが悪いわ」
「ええ肌ほど化粧品が乗らんいうがね。喜んどき」
「若者たちの田中邦衛ね、めちゃブ男やけど、くすぐるものあるな。山本圭はあかん。年取っても味の出ん顔や」
「佐藤オリエもノペッとしたブスやで。彫刻家の娘らしいが」
「あのドラマ、みんなわざとらしくて嫌いや。外国の探偵もののほうがすっきりする」
 本や音楽や映画の話がまったく出ない。クマさんがむかし、いずれテレビが日本を牛耳るぞと吉冨さんに言ったが、そのとおりになっている。ポッキーにしても、なんとかケイクという化粧品にしても、みなテレビのコマーシャルで頻繁に見かけているものにちがいない。テレビで宣伝すれば、本もレコードも売れるのだろうか。
 しかし、この人たちがベストセラーを作り、服装の流行を生み出し、世論を仕立て上げるというのはまちがいだ。彼らは従うだけで何も生み出せない。大衆の動向を作り出しているのは、大衆と対極にいる人たちだ。私は、この両極の人びとと生きていけない。
 おさんどんが始まる。リクエストした者に温麺も配られる。それにしても、いっしょに生きていけないと思うここの女たちにも心が残る。程度の差はあっても、みんな気の毒な過去を背負っているせいで、どこか常軌を逸している。それが彼女たちに、人間として大切な悲しみを添えている。悲しいだけで、私は愛することができる。ただ、流行にかまけて思索しない女とはいっしょに暮らせない。
 みんなの箸が動いている。人がものを食べる場は華やぐ。シロがものを食べる姿も好きだった。シロはあのバス停からどうやって帰っただろう。ふと気づくと、トモヨさんが私を涙目で見つめていた。私はその顔にうなずき返した。おトキさんと山口は臆することなく見つめ合っていた。
「そろそろいいだろ、山口さん。一曲、神無月さんとやってくれんかね」
「いいですよ。ギターお願いします」
 またばたばたと駆け出す音がする。
「きのうは古めのやつをいきましたから、きょうは新しいところを。……どうだ神無月、何いく?」
「ぼくは演歌も好きなんだ。函館の女。唄えると思う」
 キャーッと座敷から声が飛んできた。父親と母親が拍手をする。
「ワシもトクも、サブちゃんがすきなんですよ」
 山口が、ジャジャッジャ、テロテロ、ジャジャッジャ、テロテロと前奏を激しく弾きだした。すぐに唄う。

  はーるばるきたぜ 函館ェ
  さーか巻く波を 乗り越えて
  あとは追うなと 言いながら
  後ろ姿で泣いてたきみを
  思い出すたび 逢いたくて
  とーってもがまんがー できなかったよー

 嵐のような拍手が起こった。
「こりゃ、ただごとじゃないよ、サブちゃん以上じゃないの!」
「ぜんぜん別の声ですよ。声と思えんわ」
 夫婦で目を瞠っている。ジャジャッジャ、テロテロ、ジャジャッジャ、テロテロ、と山口はわれ関せず演奏に没頭している。私に寄り添うカズちゃんの肩口に女たちが寄ってきた。
「二番カット。山口、三番を唄ってくれ」
「いや、だめだ、おまえがいけ!」

  むーかえにきたぜ 函館ェ
  みーはてぬ夢と 知りながら
  忘れられずに 飛んできた
  ここは北国 しぶきも凍る
  どこにいるのか この町の
  ひーと目だけでもー 逢いたかったよー

「すてきー!」
 一人の中年女が伴奏を終えようとしている山口に抱きつき、首筋にキスをした。私のほうも振り向いたので、カズちゃんが防御するように抱き締めた。
「ああ、ほんとにいい声だ」
 山口が絃に最後の指を叩きつけると、いつものようにあごを上向けて目をつぶった。おトキさんが山口を抱き締めた。トモヨさんが、
「神さまの声ですね」
「そうなの、キョウちゃんの声って、どこから出てくるのかわからないの。サアッとからだを通り過ぎていくときに、どうしても涙が出てきちゃう」
 ほとんどの女が目をハンカチで押さえたり、唇をふるわせたりしている。山口が、
「……演歌も唄えるとは知らなかった。こぶしまできかせてな」
 主人が、
「なんやろなあこれは。楽器やろか。とにかく、声やない。いやあ、驚いた」
 カズちゃんに遠慮しながらも、何人もの手が伸びてきて肩や腕を触る。女将が、
「触られまくりで、まるで浅草のお地蔵さんやね」
「ぼくは、山口の伴奏でしか唄えません」
「ほうやろね。山口さんのギターも神がかりやもの。今度二人できてくれるのは、いつやろな。辛抱強く待っとるわ」
 ユキさんが座敷からやってきて、山口の前に手を突いた。
「いろいろご心労おかけしました。いたらないところが多かったと思いますけど、お許しください。これからは、おトキさんに負けないように女を磨くつもりです。どうか神無月さんともども、おからだいたわって、また元気なお顔を見せてください」
「はあ、またお会いしましょう」
「……和子、そろそろ時間だぞ」
「ほんとだ」
 カズちゃんは走って奥の間へいき、自分と山口のボストンバッグを提げて出てきた。賄いを含め、家の中にいる全員の女が玄関に出た。いっせいにお辞儀をする。
 門まで送ってきたおトキさんは、山口を見つめて唇をふるわせ、トモヨさんはハンカチで目を拭っていた。主人と女将が深く腰を折った。私たちは辻を曲がり切るまで手を振りつづけた。
         †
 青森空港の滑走路が雨に濡れている。雨は上がっている。雪は残っていない。寒い。やっぱり名古屋と十度はちがう。空港玄関からバスに乗らずにタクシーを拾う。
「さあ、何カ月か、スットボケの期間に入るぞ。俺はアタマ作り、神無月は体力作り」
「私は臨機作戦参謀」
 桜川の家の前でタクシーを降り、山口と二人で手を振ってカズちゃんと別れた。青高の事務室に年間教材を受け取りにいく。グランド沿いの一本道を歩きながら、山口も私も精神的に疲労の極みにあることを感じている。
 若い男の事務員が机に向かったまま応対する。
「なに? 新二年生? 遅いなあ。きょう受け取りにきたのは、きみたちだけだよ。あと一日でアウトだったぞ。先月中に教材と各クラスの時間割を貼り出したんだが、そのぶんだと自分のクラスも知らないな」
「すみません。教えていただけますか。山口勲です」
「……山口イサオ、山口、と……きみは十一組。これ十一組の時間割と、教科書と年間行事予定表」
「神無月郷です」
 ほとんど横顔で接していた事務員がこちらを振り向き、
「きみが名選手、神無月くんか! うおう、美男子だな。噂には聞いてたが、こんなにそばで見るの初めてだ。案外大きくないんだね。山口くんのほうが何センチか大きい。神無月くん、神無月郷くんと……きみは四組だ。はい、教材と時間割。今年は少なくともベストフォーを期待してますよ。準優勝、ベストフォーとくれば、来年は選抜で甲子園ということがあり得ますからね」
「はい、がんばります。教室は何階ですか」
「一年生から、三階、二階、一階と降りてくる。勉強が忙しくなるにつれて負担を減らすという考えらしいが、階段の上り下りぐらい、大した負担じゃないよね」
 一本道を帰る。左右のグランドの雪がグチャグチャに融けている。
「この三日間は雨だったようだな。もう雪は降らない。消えてなくなるだけだ。ああ、くたくただ。竜宮城から帰ってきた気分だな。部屋の戸を開けたら、このまま爺さんになっちまうんじゃないか」
「もう少しのあいだ若者でいたいね。しばらく寝てようか」
「そうするか。晩めしはオミット」
「うん。といっても、まだ三時だよ。夜中に腹へっちゃうよ。おばさんに土産を渡したら、散歩に出て、適当にどっかでめしを食おう。寝るのはそれからだ」
「ああ、名古屋でタクシー慣れしちまったから、足腰鍛え直すか」
「めしのあとで、合浦の夜桜を観て帰ろう」
「満開は四月下旬だぜ。まだ蕾だ」
「気配だけでもいいさ」



         九十三 

 夕食の下ごしらえをしていたユリさんに土産を渡した。
「ありがとうございます、ご丁寧に。鬼饅頭……お母さんが送ってきて以来ですね。夫といただきます。二人ともちょっと焼けましたね。楽しく過ごせました?」
「パラダイスでした。名古屋は抜群の土地柄です。住みつきたいくらいですよ」
「でも、山口さんは東京でしょう」
「はい、実家がありますから。あしたから勉強です。きょうは、いまから神無月と合浦を散歩して、晩めしは適当に食ってきます」
「わかりました。いってらっしゃい」
 長靴が足にしっくりくる。
「しっぽり落ち着いてたな。いつものおばさんじゃないぜ」
「ぼくたちが帰ってきたのがうれしいんだよ」
「おまえのご帰還がだろ。……なあ、神無月、俺、罪作りなことをしちゃったんじゃないのかな。おトキさん……。俺は本気だけど、そうそう顔を出せるわけじゃないし、さびしい思いをさせちまう。おまえ、ここのおばさんとどうやってカタをつけるつもりだ?」
「山口、ぼくは、カタをつけないことにしたんだ。カタをつけて人を不幸にしたあとに何が得られる? ぼくは生涯カズちゃん一人だけでも満足だし、カズちゃん以外に何人いても満足だ。だいじょうぶ。おまえに助けられた命をむだ使いはしないよ」
「おまえには知識欲があり、食欲、性欲、睡眠欲もある。むろん生命欲もある。しかしどれにも固執しない。怖いんだ。いつもそれを捨てたがってるフシがある。それは人間としての究極の潔さだろうが、おまえに拘る者には恐怖の種にしかならん」
「余分な枝葉を断ち切って生きつづけるから心配しないで。他人の目で自分を生き直すのが新鮮なんだ。そんな新鮮な人生をやめるわけがない」
 松原通りを藤田の靴屋のそばまで歩き、小路に曲がって原食堂というかなり古い小さな店に入る。五席のカウンター、四人掛けのテーブルが三つ。二人しか坐れない小上がりに陣取る。もともと蕎麦屋のようで、それならばと〈蕎麦屋カレー〉を注文する。山口は中華そばとライス。
 じっくり時間をかけて注文の品が出てくる。ねっとりとした中辛ルーの中に豚肉とじゃがいもがゴロゴロ入っている。赤い福神漬がうれしい。山口の中華そばは大きなチャーシューとメンマとネギ。二人で、うまい、を連発する。私は、
「合浦はやっぱりやめようか。億劫だ」
「やめよう。ふくれた腹を抱えて眠たくなった」
「―ちょっと青高の図書室にいって調べものをしてくる」
「何だ」
「むかしの野球のことを調べる。歴史を知っておきたい。野球選手の義務としてね」
「いい兆候だ。とにかく、野球のことで時間を潰せ。あした、あらためてのんびり散歩でもしよう」
「うん」
 引っ張ってケー、の目撃以来ひさしぶりに図書室に入る。プロ野球コミッショナー事務局の書籍を引っ張り出し、閲覧机で開く。箇条書き的な記載しかされていないので、目に焼きつけていく。
 明治初期、東京開成学校の教師ホーレス・ウィルソンが生徒たちにボールとバットを与え、そのころアメリカで盛んになりはじめていた野球の基本を教える。
 明治六年、東京の開拓使仮学校のアルバート・ベイツという教師が、日本で最初の正式な野球ゲームを行なった。
 明治十一年、鉄道技師の平岡熙(ひろし)が日本最初の野球チーム《新橋倶楽部アスレチックス》を結成した。チームの選手たちは鉄道技師や駅員、外国人技術者であり、結成当時は満足な用具もなく、グローブは手袋、スパイクは下駄だった。
 野球は東京周辺の高等学校や大学にも浸透し、次々とチームが結成されるようになった。とりわけ武道的精神修養の手段として野球を採り入れたのが、東京帝国大学の予科学校である旧制第一高等学校だった。エリートの純粋培養機関という俗界から隔てられた環境の中で、野球は苦行僧のような日常活動として行なわれた。野球部員は座禅を組み、一年じゅう休みのない猛訓練を行なった。
 一高の野球哲学と対極にあったのが明治学院だった。この学校は教師のほとんどがアメリカ人で、日本の教育制度の中でも最もアメリカナイズされていた。練習もくつろいでのんびりしていた。しかも一高の最大のライバルだった。実力は明学のほうがはるかに上だった。
 私はこの項目に強い関心を覚えた。ノンビリ練習していたチームのほうが猛特訓チームより強かったという事実だ。おそらく、技術的に高度なものがあって、体力も、機能も疲弊していなかったせいだろうと思った。
 明治二十四年、両校の試合は暴力沙汰に発展し、日米の外交関係を危うくした。暴力をふるったのは一高だ。外交関係云々より、連続する敗北への遺恨だろう。
 明治三十年代に入ると、大学野球が日本のメジャースポーツの地位についた。早慶明治といった主要な大学が海外遠征に出る。明治三十八年、早稲田大学がアメリカ西海岸を回り、スタンフォード大学、南カリフォルニア大学、ワシントン大学などを相手に七勝十九敗の成績を残した。国内では、年に二度、三試合ずつ行なわれた早慶戦が六万人の大観衆を集め、日本最大の行事になった。これまた両校の激しい対抗意識から、しばしば暴力沙汰を起こし、早慶戦は明治三十八年から二十年間中止された。対抗意識というのは、勝利しなければ暴力に転じる。敗北をそこまで口惜しいと感じない私には理解できない感情だ。理解以前に口惜しいと感じるようにならなければ、私は勝負の世界でやっていけないかもしれない。
 明治四十三年、早稲田大学は訪日したシカゴ大学と三戦し、2対9、4対15、0対20と三連敗、当時早稲田の野球部員だった飛田穂洲に強烈なショックを与えた。彼は口惜しいと感じる人間の典型だ。
 明治四十四年、朝日新聞が野球の害毒と題する連載を開始し大反響を引き起こす。乃木希典や新渡戸稲造も反対論を展開。いわく、勝ち負けにこだわる気持ちが人格の発達を阻害する、身体の発達がかたよる、捕球の衝撃で脳の働きが鈍る、練習後に飲食店に上がって堕落の方向に走っている。人格未発達、頭が悪くなる、堕落する―母の考え方だ。
 読売新聞、国民新聞は野球賛成論。福沢諭吉、安部磯雄、小村寿太郎、嘉納治五郎。集団の利益のために個人を犠牲にする野球は教育の一環である、海外渡航は異文化摂取につながる。バントする心は集団に資する、これぞ教育の成果だ―野球は個人を犠牲にしない。何かの思いちがいだろう。どちらもだめだ。
 論争のせいで野球人気がいっそう高まった。大正四年、朝日新聞はこの人気に乗じて賛成論へ寝返り、全国中等学校野球大会を主催するようになった。高校野球がバントまみれの理由がここにあった。犠牲的精神、それこそスポーツ……ちがう、愛こそ犠牲的精神の華だ。野球の勝負に愛はいらない。技術のぶつかり合いと感動、それだけだ。
 大正八年、読売新聞の記者として働いていた飛田穂洲が早稲田大学の監督に就任。アメリカへの〈復讐〉開始。いわく、練習の目的は保健長生体位向上にあらず、魂の精錬にある。強い魂は難行苦行のうちよりのみ生ずる。流星のごとき快打、天馬のごとき捕球、塁上快隼(かいじゅん)脱兎のごとき振舞は、ひとえに技術的鍛錬のみに負うものにあらず、日常の品行清廉なるをもって生じ、強靭なる魂があってはじめてそれを可能ならしめるのである。学生野球は単なる娯楽にあらず。すなわち学生野球部の本分は試合場にあらず、練習場のみにある。さらに学生野球の目的は、練習場で自ら難行苦行の修行に臨み、球禅一致の真理をつかむことにある。その鍛錬は苦痛であり、虐待でもあるが、絶えざる血涙と汗水が純粋なる魂を生み、真理への到達を可能ならしめるのである。
 この一文で、一挙に巨人軍の、いや、川上哲治を頭目とする日本野球界の思考と体質が理解できた。やはり口惜しがる人間はこういう結果を生む。チームにいてはいちばんいけない人間だ。
 飛田は選手がグランドに這いつくばるまでノックの雨を浴びせた。半死半生の状態で動けなくなり、口から泡を吹くまで練習をやめさせなかった。
「選手は熱愛せねばならぬけれども、運動場裡ではできるだけ虐待せねばならぬ。ある場合は涙をふるいながら痛棒を加える。それがやがて試合に勝つ秘訣であると余は信ずる。試合に負けても泣かないような選手は、精神的に十全と言いがたい」
 諦念がない。あんなに練習したのに、か。母は勝ちたい人だ。口惜しい人だ。そういう人間は人を犠牲にしても省みない。きょうの読書のおかげで、だいぶ見えてきたものがある。彼女は勝ち負けにきわめて関心があり、そしてその不毛を感覚で熟知している。ただ私が勝敗に関心がきわめて薄いことを知らない。
 その後早稲田は何度も優勝を繰り返し、大正十四年、三十六勝ゼロ敗一分けで完全優勝した。再来日したシカゴ大学には、三勝一分けで〈復讐〉を果たした。虚しい。飛田は数々の賞を獲得し、昭和三十二年には紫綬褒章を授与され、天皇の園遊会にも招待された。苦悩を貫き歓喜に至るというドラマチックな飛田方式が大成功を収めたため、ほとんどの監督が彼のやり方に従うようになった。明治学院の独創性と解放性を放棄したということだ。
 かくのごとく、アマチュア野球の精神が国民の心をしっかり捉えたため、プロ野球チームは昭和十一年まで結成されなかった。金のためにプレイするのは禅魂の冒瀆だというわけである。彼らは生活のための報酬を得ていたのであり、観客と自己達成のためにプレイしていたのであって、金のためにプレイしていたのではない。
 外国のプロ球団はすでに来日していた。明治四十三年、大リーグのマイナーの選抜チームであるチーム・アメリカンズが日本の大学チームと十七試合行い、全勝した。大正二年には、ニューヨーク・ジャイアンツとシカゴ・ホワイトソックスの混成チームが旅の一環として訪れ、大学チームと三試合戦って全勝した。大正九年、マイナーとメジャーの二軍混成チーム、ハンター・オール・アメリカンズが来日して全勝した。大正十一年にも同様の混成チームが訪れ、慶應大学とそのOBの混成チームについに一敗を喫した。勝利投手は小野三千麿、スコアは9対3だった。鬼の首。虚しい。チームの絶対的な能力の差は、個人の絶対的な能力とそれを生かす工夫された鍛練の差にある。体力の差ではない。日本人はそれで納得しようとした。天才的な人間の重要性を徹底して信じていない証だ。
 昭和六年、ルー・ゲーリックら当代一流の大リーガーたち(ベーブ・ルースは不参加)を引き連れて選抜チームが来日し、読売新聞主催で大学選抜チームと十七試合を行なった。すべての試合を20対3、22対4、19対1のような大差で全勝した。何をか言わんやだ。
 昭和九年、読売新聞新聞主催でふたたび大リーグ混成チームが来日した。その一員にベーブ・ルースがいた。彼を乗せたオープンカーが東京駅から銀座を通って帝国ホテルまでパレードした際、沿道があふれんばかりの群衆で埋まった。初戦のベーブ・ルースを観るために、神宮球場に六万五千人の観衆が押し寄せた。試合中何度も、ルース万歳! の歓声が上がった。外人の天才が好きなのか?
 ―六万とか、六万五千とか、信じられない数だ。現在のプロ野球のどの球場の収容人員をも超えている。ファールグランドの塀沿いに新聞紙やゴザを敷いて見物した観客を含めてのことらしいが、それにしてもすごい数だし、また、当時の人びとは打球をまったく恐れていなかったということがわかる。
 大リーグチームは十七戦全勝した。ベーブ・ルースのホームランは十四本。そのとき唯一輝かしいできごととなったのは、わずか十八歳の京都出身の剛球右腕、沢村栄治の活躍だった。場所は静岡草薙球場、五回までノーヒット・ノーラン、猛速球と懸河のドロップで、チャーリー・ゲリンジャー、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリックを三者三振に切って取った。唯一与えた得点は、七回にゲーリックに打たれたホームランのみ。その一点で試合に負けた。尾崎行雄が彷彿とする。
 アメリカチームが帰国したのち、十二月、読売新聞オーナー正力松太郎の手で日本最初のプロ野球チーム大日本東京野球倶楽部が結成された。アマチュアがいくら努力しても天才チームには勝てないと身に沁みたのだ。昭和十年、同倶楽部はアメリカに遠征し(背番号は漢字だった)、百二試合を戦い、九十三勝した。一人でも多く〈プロ〉がチームに混入されれば、そういう結果になる。そのとき一アメリカ人の勧めで東京ジャイアンツという名称に改められた。やはりいちばん注目されたのは沢村栄治だった。沢村は大リーグ入りを請われたが断った。いわく、
「ひとことで言うとアメリカが嫌いだ。私は英語が下手だし、米のめしも思うように食べられない。女が威張っているような窮屈な風習の中では暮らせない」
 天才らしい言辞だ。アメリカを恐れたのではない。そして、いよいよプロ野球リーグの創成となる。
 昭和十一年、阪神電鉄につづいてもろもろの企業が球団経営に乗り出し、リーグ戦が開始された。一リーグ制。剛速球沢村栄治、ロシア生まれで日本育ちのビクトル・スタルヒン、慶應出身でカリスマ性の持ち主水原茂、打撃の神さま川上哲治。ほとんどがジャイアンツの選手だった。とにかくプロが誕生した。ほんもののプロは、自分のことをプロプロとはぜったい言わない。アマチュアよりも個人技を愛し、個人技に感動する体質をもっているだけだ。したがって鍛練のレベルは高い。
 昭和十四年、太平洋戦争が始まると野球は日陰に追いやられた。やがてすべての試合が中止され、選手たちは軍隊に入れられた。七十二名のプロ野球選手が戦死した。中にジャイアンツの沢村栄治、名古屋軍の二十勝投手石丸進一も含まれていた。死を免れたのは、水原、川上、スタルヒン等。
 灰燼に帰した国を復興させるため、国民の意欲を掻き立てる手段として、連合軍総司令部は野球の持つ可能性に目をつけた。国民を奮い立てる可能性だ。そしてプロ野球の再開を認めた。アメリカ人はアマチュアを軽視する。彼らのおかげで、プロ野球が日本に根づいた。戦後の野球ファンは大きく様変わりした。新しいヒーローは大下弘だった。彼は自由奔放な男で、酒好き、女好きだった。大ホームランをポンポンかっ飛ばした。国民は感動の何たるかを知った。


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