百二十四

 二回裏。六番、センター高木。背高ノッポ。ユニフォームがあまり汚れていない。ときどき大当たりを飛ばすという口かもしれない。ツーツーからファールで二球粘り、七球目基本どおりの叩きつけるバッティングでサードゴロ。なあんだ。七番ピッチャー柳沢。長身、撫で肩、手首で一振りのタイプだ。怖い。しかし、初球の外角カーブをヘッドアップで大振り。セカンドゴロ。大振りなら心配ない。当たりさえしなければいい。八番、キャッチャー川崎。真ん中高目のストレートを打ち損なってセカンドフライ。ダッシュ。
 ベンチに座って、団歌の演奏を心地よく聴く。余裕からではない。勝利への闘志を掻き立てるためだ。勝ちたくなった。
「長田くん、柳沢はどんな変化球を投げるの」
「速いカーブとゆるいカーブ。あとは浮き上がってくる直球です。変化球の一種と言っていいでしょう」
 私は水を一杯飲んだ。みんな続々と飲む。ベンチ前で円陣を組む。室井に言う。
「変化球を投げさせれば、打てるかもしれません」
「そういえば、一球も変化球投げてこねな」
 金が、
「大した変化球投げられねんでねが」
「長田くんの話では、速いカーブとゆるいカーブ、それとフロートボールだそうです。とにかく、直球を打ち崩さなければ始まりません。内角を捨てて、外角の直球に絞りましょう。カーブがきたらそれも打つ」
 室井はうなずき、
「よし、しばらくそれでいぐが。突破口が開けるかもしれね」
「オース!」
 腰を落として、イグゼー、オー、と声をかけ合い、ベンチへ戻る。みんな決勝にこられたうれしさはとっくに忘れている。周りが期待するような優勝に望みをかけているわけでもない。ただ勝ちたい、運にすがってでも勝ちたい、それだけだ。無欲の勝利などめったに起こらない。がむしゃらに勝ちたい人間しか勝てない。
 三回表。小笠原がブルペンへいかずに、私の隣に座った。
「……まんだ通用しねな」
「まだまだだ。杉山はカーブを投げてればだいじょうぶだと言ったろ」
「アガって、忘れでしまった。勘弁」
「大学で芽が出ればいいんだ。焦るな。いまは根気よく肩を作れ」
「おう」
 背筋を伸ばしてブルペンへ走って出た。
 ツーナッシングから外角のゆるいカーブを叩いた吉岡の打球が一、二塁間を破った。外角打ち成功だ。ただ、なぜ柳沢はゆるいカーブを投げたのか。そんな必要はまったくなかった。試してみたのだろうか。だとすると、とんでもない油断だ。
 ―勝てる!
 金、初球の外角ストレートを強振。ファースト強襲の内野安打。これも外角打ちだ。ノーアウト、一、二塁。山内は内角をすべて見逃して外角の速球を打ったが、4・6・3のゲッツーを食らった。三塁側スタンドから失望のどよめきが湧き上がる。三塁に走者を残して私の打席が回ってきた。ツーアウト。ここはヒット狙いだ。ホームランを打つ必要はない。一点でも取って、ランナーに残っておく。
 トテチテター、トテチテ、トテチテ、トテチテター! 金太郎さん! 金太郎! 金太郎さーん! 
 初球、内角高目ストレートをポール右へ大ファール。ウオー! さっきのホームランもストレートだった。そろそろカーブを投げてくるだろう。速いやつか、遅いやつか。変化球を投げたらきみの負けだ。二球目、外角低目の速いカーブ。ほらきた! 見きわめる。ベースの角を舐めてストライク。しっかり見た。速いけれど曲がりが鈍い。ストレートを打つタイミングと大して変わらない。次もきっとカーブだ。外角ならレフト前へ、内角ならホームランにしてやる。三球目、外角へカーブがすっぽ抜け、クソボール。ツーワン。
 吹奏楽が一瞬やんだ。太鼓の音だけになる。金太郎! 金太郎! 金太郎さーん! 四郎を見る。吉岡が三塁にいるけれども、ツーアウトでスクイズがあるはずもないので、三遊間寄りの深いところに構えている。もう一球外角か? 四球目、内角低目にカーブがきた。肘を畳んでひっぱたいた。よし! 速いゴロで一塁線を抜けた。
「よしよしよし、よーし!」
 私は叫びながら全速で一塁を回った。ホームを駆け抜けた吉岡がこぶしを突き上げてベンチへ走りこむ。背番号4が弾むようだ。私はセカンドベースへ足から滑りこんだ。フラッシュが何発も光る。四対二。さらに貴重な一点。大差負けの惨めさを避けるために一点でも多く挙げておく。それがひょっとしたら勝利に結びつくかもしれない。
 細かい雨が風に乗って流れてきた。雲が動いている。試合終了までもってくれ。室井がショートゴロに倒れた。残塁した私はファールラインを飛び越えてベンチへ戻った。葛西一家を見る。サングラス以外の三人が手を振った。カズちゃんと山口は空模様を見ていた。レフトの守備位置へダッシュ。
 三回裏。九番ライト佐々木が打席に入った。佐々木と杉山だけが二年生だと長田が言っていた。大きな引き締まったからだをしている。
 ―テルヨシ、そろそろ一気にくるぞ。
「油断するなよー!」
 レフトから声を投げたとたん、速い当たりがセンター前へ抜けていった。義塾は青高と同様早打ちだ。初球からどんどん打ってくる。打順がちょうど一巡した。さっき凡退している奈良岡と、三上、ここが危ない。今度はカーブを狙い撃ちされるだろう。そう覚悟したとたん、テルヨシのボールがきわどいコースに決まりはじめた。第一球、外角のゆるいカーブ、ストライク。打ってこない。二球目、膝もとのストレート。ストライク。そうそう、それだ。遅速取り混ぜてのコース取りだ。
「オエ、オエ、オエー!」
 一塁側スタンドの義塾の補欠たちがしっかり声を上げている。三球目、同じ膝もとへカーブ。やばい。一度見切られたコースをつづけてはいけない。奈良岡のがっしりしたからだが弾むように回転してバットが一閃する。カシーン! 打たれた。レフト線だ。佐々木のホームインを防がなくてはならない。スライディングして、クッションする前に押さえる。二塁へ全力の送球をする。奈良岡一塁ストップ、佐々木も三塁ストップ。どうにか、一、三塁に止められた。ノーアウト。三遊間まで走っていってテルヨシに声をかける。
「コンビネーション!」
 小笠原が明るく手を挙げて応える。
 ―明るく振舞うな。もっと本気になれ!
 義塾のブラスバンドが高らかに鳴り響く。踊り子と応援団の派手な動き。三上がバントの構えをしている。おかしい。からだがピッチャーに正対していない。真っ白なユニフォームの背番号7が鮮やかに見える。ストレートが外角高目へいった。チョンと振った。バスターだ。木下の右を抜けてライト線へ転がる。佐々木ホームイン。四対三。金、三塁へ一直線の送球。奈良岡が滑りこむ。セーフ。三上は二塁へ。ノーアウト二塁、三塁。踊り子、ブラバン、太鼓、ブラバン、踊り子、ブラバン。応援団が青高ベンチへ向かってこぶしを突き出す。
 私は空を見上げて霧雨を顔に受けた。さあ、あと五点ぐらいで止めてくれよ。かならず取り返してやる。右投げ左打ちの清藤が、打席でバットを高く差し上げる。自信満々だ。
 初球から内外角へカーブの連投。よし、それでいい。きわどく外れつづける。あっというまにスリーボールになった。四球目、ど真ん中のストレート。よーし、ストライク。見てきたな。満塁にして杉山に掃除してもらうのを期待しているのだ。外角ストレート、ストライク。よし、ツースリー。
「胸もとー!」
 叫びが届いた。内角高目のストレートを叩いて、おあつらえ向きのセカンドゴロ。三塁から突入した奈良岡タッチアウト。ワンアウト一塁、三塁。ここで杉山の登場だ。この男だけはどうしても打ち取っておかなければならない。二割二分のバッターに打たれちゃいけない。第一球、内角カーブ、ストライク。よし。第二球、アウトロー直球、一塁スタンドへファール。よし。あとはインハイだ。三球目、
「よし、インハイ、ストレート!」
 サードゴロゲッツー! チェンジ。すばらしい仲間たちだ。ダッシュ。
 四回表。六番柴田から。
「そろそろ、イケー!」
 初回からにこやかにしていた相馬が、ようやく表情を引き締めて怒声を張り上げた。青高応援団も義塾のスタンドに刺激を受けて調子づいてきた。ブラバンに合わせて団長の両手があわただしく交差する。学生たちが気持ちを一つにして、
「フレフレ、セイコ、フレフレ、セイコー!」
 これが最後だ、これが最後だ、ぜんぶ記憶しておこう。
「シーバタ!」
「シーバタ!」
 初球高目の直球、バットの根っこに当たるピッチャーライナー。三塁側スタンドの高揚と落胆。鈴木睦子がバケツの氷水を新しく入れ替えた。三人、四人と、柄杓で掬って頭にかける。ベンチのコンクリートがびしょ濡れになる。柔らかい霧雨が止んだり、降ったりしている。勝ちたい。勝つのだ!
 木下、初球、セーフティの構えだけ、内角低く外れる直球。ボール。木下はバントのしにくいカーブを柳沢に投げさせる腹づもりだ。二球目、狙いどおり外角へ速いカーブがきた。ハッシと打った。一塁手の頭を越える。木下の足なら三塁打だ。二塁を回るときつまづいて転んだ。あわてて二塁へ這い戻る。笑いとも嘆声ともつかないどよめきが立ち昇る。木下は恥ずかしそうに片手を突き上げた。
 おそらく生まれて初めて四点も取られ、落胆の極みにあるにちがいない柳沢が、まじめな顔で両膝の屈伸運動をしている。来年はまちがいなくどこかのプロ野球チームで投げている男を、弱小青高がいじめている。義塾の応援団と踊り子が動きを止めて、一心に柳沢を見守っている。団旗がスタンドの上段で揺れている。学生たちはリズミカルな手拍子を拍っている。
「踊り子はいらないなあ」
 と私が呟くと、長田が、
「あれはバトントワラーと言うんです。十年前に富山県の滑川(なめりかわ)高校がロングスカートを穿いて、バトンなしで応援を始めました。紺の半そでシャツに白のロングスカート、白手袋に白帽子といういでたちです。来年からは愛媛の松山商業も同じスタイルでやるらしいです。バトントワラーの応援は全国でも東奥義塾だけですが、そのうちもっと広まるでしょう。大学はまだまだでしょうね。今年の春の早慶戦で、慶應スタンドにようやくバトントワラーが登場した程度ですから」
「流行らないことを祈るよ。気が散るので励みにならない。やっぱり応援団とブラスバンドまでだね。できればそれもいらない。もっと静かに野球をやりたい」
 ワンアウト、ランナー二塁。第一打席でホームランを打っている七戸が、バッターボックスに入った。キャッチャーがタイムをとって柳沢に駆け寄り、何やら注意する。初打席でストレートを合わされているので変化球の指示をしているのかもしれない。と思ったが、初球から内角ストレートできた。二球目も内角の速球でたちまちツーストライク。
 ―ストレートをぜんぶ最初から見切っていけ。決め球は、チョコンと合わせられないようにカーブでくるはずだ。次はカーブだ。
 三球目、内角高目ストレート。
 ―え! ストレート!
 七戸、ストライクと踏んでセーフティバント! だめだ、打球が死んでいない。杉山四郎が落ち着いて掬い上げ、ショート前まで走りだした二塁ランナーの木下をちらりと見て牽制してから、一塁へ送球。アウト。木下動けず、ツーアウト、ランナー二塁。キャッチャーの指示はあくまでも速球だった。柳沢本来の姿で投げさせようとしている。もう油断はしない。スローカーブなどけっして投げない。九番テルヨシ。
 ―テルヨシ、おまえにはホームランを打つ力もある。振り回すか、ライト方向へ押しつけろ。いや、何も考えるな。ただ振れ。
 外角の速球。いい当たりのセカンドゴロ。チェンジ。ダッシュ。


         百二十五
 
 四回裏、義塾の攻撃。五番の小笠原から。警戒するのは、この小笠原と、九番の佐々木と、もう一人、三番の清藤だ。この三人が得点を叩き出す要になる。小笠原がバッターボックスに入る。さっきは無理のないスイングで痛烈なショートライナーだった。芯を食えば軽くスタンドに飛びこむ。守備位置を塀ぎわまで下げる。金と山内も下がった。
 テルヨシの持ち球は、最速百四十キロのストレートと、少し曲がるカーブと、ナチュラルシュートだけ。スライダーもシンカーもドロップもない。つまり、勝負球がない。
 初球、外から真ん中へ流れるカーブ。打たれた! 右中間だ。あれよあれよという間に抜けていく。山内が抑えてセカンドへ素早い送球。小笠原滑りこんでセーフ。コールド打線が始動した。六番、ノッポのダウンスイング高木、安全パイ? やっぱりキャッチャーゴロ、犠打になる。室井三塁送球をあきらめ、一塁へ。ワンアウト三塁。七番柳沢、今度は早打ちの大振りもせずに、ツースリーまで粘って、センター犠牲フライ。一点。ついに四対四の同点になった。ツーアウト、ランナーなし。八番、アンコ型のキャッチャー川崎、さっきはストレートを打ち損なってセカンドフライだった。外角カーブ、外角ストレートでツーナッシングから、内角カーブをバット一閃、ライナーが私の前にワンバウンドで弾んだ。
 ツーアウト、一塁。九番佐々木。いやなバッターを迎えた。短打で一番につなげるだけなら、川崎が鈍足なのでなんとか後続を抑えられるだろう。怖いのは長打だ。初球、頭のあたりへすっぽ抜けのカーブ。佐々木はひっくり返った。それでいい。集中力の高い初球打ちを防いだ。あとは、真ん中低目、それから、外、外だ。義塾のバッターはどんな球種でも打ってくる。コース取りでいくしかないんだ。バトントワラーとブラバンがうるさい。二球目、インローのシュート。キン! やられた。左中間だ。深い。山内と追う。ボールが無情に二人のあいだを抜けた。
「神無月、まがせだ!」
「オッケー!」
 塀に達したボールをグローブに収め、方向転換して三塁へ渾身の送球をする。よし、アウトのタイミングだ。
「あ!」
 柴田がはじいた。ボールが転々とブルペンへ転がっていく。川崎大きなストライドでホームイン、佐々木三塁へ。歓声。ブンガブンガ、ドンドン、ブンガ、ドンドン。ライトスタンドが総立ちになっている。四対五。
「ドンマイ、柴田!」
「ドンマイ、ドンマイ!」
 内外野みんなで声を合わせる。柴田のせいじゃない。私のミスだ。なにもノーバウンドで送球する必要はなかった。鈍足の川崎だったのだ。ランナーとクロスしない位置へ、ワンバウンド投げるべきだった。〈いいふりこき〉が出てしまった。
「柴田さん、ごめん!」
 守備位置から叫ぶ。柴田はなぜ謝られたのかわからない顔で手を振る。ツーアウト、三塁。一番奈良岡、内角のストレートを二球ファールしたあと、三球目のカーブを一塁前へプッシュバントした。木下あわてて前進、捕球したけれどもホームにも一塁にも投げられない。テルヨシが奈良岡より少し遅れて、空しく一塁ベースを駆け抜けていった。佐々木生還。四対六。
 ―やるなあ。ツーアウトからプッシュバントか。
 青高ベンチも三塁側スタンドも、みんな感心したように沈黙している。感心しているときではない。気を引き締め直す。
 ツーアウト一塁。二番三上。さっきはバスターだったな。テルヨシ、内角一辺倒でフライに打ち取れ。室井がきっちり内角に構えている。一球目、内角ストレート。タイミングの合ったファールチップ。危い。もう一球同じコースに投げたら打たれる。室井が地面に吸いつくように脚を広げて外角に構えた。そうだ、そこへカーブを落とすしかない。二球目、外角へストレート。いや、スライダーだ! 空振り。偶然にちがいないが、たしかにスライダーだった。今度はカーブだ。ど真ん中でもいい。室井は内角に構える。三球目、顔のあたりから真ん中へ落ちるカーブ。よっしゃ、ショートゴロ。七戸さばいて軽快にファーストへ送球。ダッシュ。
 五回表。二点差。円陣。相馬がさばさばした顔で、
「打つ手はないな。あと四、五点は取られるだろう。ここで取れるだけ取ろうや。あとは八回、九回の踏ん張りだ。小笠原は変えない。おまえ、さっきのスライダーじゃないか?」
「偶然です。わんつか握り浅くしたら、横さ流れた」
「使えるぞ。あと四回、なんとか抑えてくれ」
「同じように曲がるがな」
 室井が、
「無理に投げなくていじゃ! コース重視でがんばるべ」
 応援団、スタンド、ネット裏、外野までザーッと立ち上がり、ブラバンに合わせて校歌斉唱。もう一回唄えるかどうかわからないので、ここで唄っておくのは正解だ。ここで大量点を入れなければ、十中八九敵の校歌を聞くことになる。
 吉岡がゆっくり打席に向かう。アンパイアに礼。彼のかならずやる儀式だ。ホームベースからかなり離れ、バットを長く持っている。内角は叩きつけ、外角は踏みこんで打つつもりのようだ。初球、スピードの乗ったカーブが内角から曲がってきた。すかさず叩く。伸びる、伸びる。ウオォォー! レフト、ジャンプ。届かない。フェンスを直撃したボールが左中間へわずかに方向を変えて転がる。吉岡は俊足を飛ばして三塁へ豪快にヘッドスライディングをした。ウオオォォー! ワアアァァー! ブッブガ、ブッブガ、ドンドンドンドン!
 大男の金が、いつものようにバットを頭上で振り回しながらバッターボックスへ歩いていく。ベンチの叫び。相馬の声がひときわ高い。
「いけェ、いけいけ、いけェー! 初球だ、初球だ!」
 作戦も何もない。ただ打つだけの指示だ。ガシッ! セカンドベースを直撃したライナーが高く弾んで右中間へ転がっていく。ラッキーがやってきた。これも三塁打か。吉岡、打球の行方を見ながらホームイン。五対六。鈍足の金、二塁に止まって自重する。相馬が呆れ顔で笑っている。山内がバッターボックスに向かう。私はウェイティングサークルに走って入り、柳沢のボールを観察する態勢をとる。
「ヤーマ、ウジー!」
 ベンチの真上で応援団長が叫ぶ。
「ほれ、ヤーマウジ、ほれ、ヤーマウジ!」
 高目のストレート、空振り。ウォー、ドンドンドン、ドンドンドン。二球目外角低目のストレート、空振り。太鼓ドンドン、ドドドン、ブラバンが早稲田マーチに変わった。私はあらためて柳沢の顔を見た。長いしゃくれ顔だ。目が細い。しゃくれてなければ西鉄の稲尾に似ている。才能のある顔だ。山内は手に砂をつけ、バットを一握り短く持った。また霧雨が落ちてきた。内角、顔のあたりにストレートがきた。上からかぶせるように大根切り。ガコという音がした。
「いったか!」
 ベンチ全員が首を左へねじ向けて、打球を見つめる。三塁スタンドから女子学生の、キャー! ヒー! という奇声が上がる。トテチテター! トテチテター! 打球を呼び寄せるようにレフトスタンドでトランペットが高鳴る。あっという間に最前列に突き刺さった。
「オーッシャー!」
 跳びはねながら一塁を回る山内の叫び声が聞こえた。金につづいて山内は全速力でホームインし、ネクストバッターズサークルから歩み出した私に向かってこぶしを突き出す。そのまま待ち構えているチームメートに抱きついた。ベンチに飛びこみ、氷水を頭からかけ、鈴木睦子の差し出した水をごくごく飲む。七対六。逆転。いっときの凪ぎ。金太郎コールが始まる。ブルペンからテルヨシが、
「おねげしまーす!」
 ベンチから相馬が、
「神無月、もう一発!」
 ここはランナーを貯めたほうがいいなどという弱気では、柳沢を打ち崩せない。あのボールをミートする集中力は二球目までしかつづかない。柳沢は全球外角に投げてくるだろう。低目を掬い上げるには球が速すぎる。外角高目を狙う。振り出しを素早くしてコンパクトに叩き下ろそう。外の一球はかならず高目にくる。しかも、ハズシの釣り球でくる。たぶん初球だ。外さずにストライクを取りにくることも考えて、吉岡のようにベースから離れて立つ。
 柳沢は振りかぶると、尻の下からボールを握る手が覗くほど腕を引き、美しくそして豪快にからだを回転させて投げこんできた。外角、腰の高さ。オッケー。勢いをつけて踏みこみ、水平に振り出す。タオルを絞るように手首を絞りこむ。少し詰まったが、芯を食った。喚声が爆発する。白球が左中間に伸びていく。打球のスピードはある。入るだろう。
 ―そのままいけ!
 わずかにフェンスを越えたか? いや、越えない。フェンスの上端に当たって撥ね上がった。戸板よりボールが重いのだ。一塁を蹴って二塁へ疾走、足から滑りこむ。オオォォー! ドンドンドンドン。
 次打者の室井に向かって三塁を指差す。何だ? という顔で室井がこちらを見る。三盗するつもりはない。柳沢の気を揉ませるためだ。
 柳沢、セットポジション。リードを大きく取り、牽制球を誘う。一球きた。ベースへ足から滑って戻る。狙いは牽制球ミスだ。リード、もう一球きた。案の定、スピードの乗ったボールがショートのグローブの下を抜けてセンター前へ転がった。ダッシュ。四郎のいる三塁へ足から滑りこむ。柳沢の心臓は早鐘を打っているだろう。
「かっ飛ばせ、ムーローイ!」
「かっ飛ばせ、ムーローイ!」
 ガシュ! 室井の打球が三遊間の深いところへ転がる。まちがいなく内野安打だ。私は手を叩いて生還した。八対六。二点リード。凪が長びく。球場の歓声が鳴り止まない。ベンチの全員とタッチ。相馬が握手しながら、
「金太郎さん、惜しかったな」
「はい。うまく叩いたんですけど―。かえってこっちの展開のほうが柳沢にはショックです。へんな動きをして、室井さんには気の毒しました」
 ベンチじゅうがドッと笑い、木谷や鈴木も声に出して笑った。柄杓の水を飲む。ノーアウト、ランナー一塁。シーバータ! シーバータ! 
「アチャー!」
 これもサードゴロ。四郎、速いボールを二塁へ、室井フォースアウト、二塁の清藤から一塁へ転送。おっと、ショートバウンド、小笠原ハンブル。柴田セーフ! 
 ワンアウト一塁。凪がつづく。柳沢は落としかけた肩を気丈に上げた。封殺された室井がベンチに走り戻ってきて、
「二対ゼロだと思れ! 金太郎さん、三塁指差すすけ、なんだべと思ったじゃ」
「すみません、柳沢を撹乱したくて」
「途中でわがったじゃ。ワもなんたかた犠牲フライ打つつもりでいった。上に飛ばなかったじゃ」
 しかし青高チームもよくあのスピードボールにバットを当てるものだ。何かに憑かれているとしか思えない。七番木下が長身をスックと立てて、初球を待つ。滑って転んで、三塁打を二塁打にしてしまったことがまだ頭にあるはずだ。うなりを上げて速球が真ん中に決まった。速い! 下位打線になると柳沢はいよいよ速い球を投げてくる。下位打線でチャンスを広げられるのは最悪だとわかっているからだ。
 二球目、真ん中高目に浮き上がるストレート。たしかに変化球の一種と言っていいかもしれない。ツーストライク。木下は第一打席にあの速球で三振している。その記憶が一瞬気持ちを萎えさせたのだろう、次のストレートを力なく振って三振した。心なしか、一瞬応援の声が小さくなったように感じた。ツーアウト一塁。
 ホームラン、セーフティバントときた七戸も、木の下に感染したかのようにあえなく三球三振に切って取られた。チェンジ。レフトへダッシュ。
 霧雨が上がった。雲が割れていく。真夏らしい陽射しが落ちてきた。空の奥から、なつかしいうなりが聞こえた。音楽的で、郷愁の響きに満ちている旅の空のうなり。高島台、浅間下、保土ヶ谷。空の奥に明るい市電道が見え、太いズボンが戻っていく階段が見え、三ツ沢につづく坂道の街灯の連なりが見える。


         百二十六 

 五回裏。毎回大量点を入れられそうな気がするのに、なかなか入らない。しかし、きっちり六点取られている。おたがいのエースピッチャーが、六点も、八点も取られているのだ。それなのに両投手とも好投している印象がある。観客も不思議な気持ちがしているだろう。
 右投げ左打ちの清藤がバッターボックスに入った。彼の背後に見えるのは、白一色の義塾ベンチ、黒一色の応援団、青一色のブラバン、赤と黄色のバトントワラー、そして色とりどりの私服の学生たち。青高スタンドより彩りがどぎつい。青高スタンドは淡い。ライトブルーのベンチと応援団の黒を除けば、学生もブラバンも夏服のツートンカラーだ。
 清藤への一球目、真ん中低く外れるカーブ。ボール。いい踏みこみの姿勢で見逃す。二球目、外角のストレート。三塁スタンドへファール。するどい振りだ。しかし、テルヨシの球も切れている。回を追うごとにスピードも増している。百四十キロを超えたかもしれない。三球目、もう一度真ん中低目のカーブ、強烈な当たりのファーストゴロ。守備のいい木下難なくさばいてワンアウト。四番杉山。必要以上に怖がるなよ。外角カーブと内角高目のストレートだ。よし、初球の外角カーブを打ってセカンドゴロ。相変わらず足は速いな。五番小笠原。こいつだ。要注意だぞ。かなりバックする。初球外角カーブ、ストライク。二球目、内角胸もとの速球、ボール。選球眼のいいスラッガーだ。三球目、真ん中低目カーブ、ボール。スライダーを使いたい。無理か。四球目、らら、カーブが真ん中高目に入った。ヒヤリとしたとたん、快音が聞こえてレフトに飛んできた。ボールがお辞儀しながらレフト線へ逸れていく。間に合うか? あきらめてクッションボールにするか? 頭からジャンプ! 捕った! フラッシュ、フラッシュ、喚声が逆巻く。トテチテ、トテチテ、トテチテター! ダッシュ。
 三塁側ベンチ上スタンドの大拍手にグローブを上げる。カズちゃんと山口がピースサインを高く掲げる。同じピースサインで応える。
「神無月、サンキュー!」
 小笠原が抱きつく。
「ナイスキャッチ!」
「ナイス、ジャンプ!」
 ベンチの祝福。鈴木睦子が柄杓を差し出す。一口飲む。また木谷が胸に手を組んで、
「ご苦労さまです」
 と、赤い頬で言う。返す柄杓を受け取りながら鈴木が、
「神無月さんて、何をしてもほんとうにきれいですね」
「そう、ありがとう」
 スパイクの泥をコンクリートに叩きつけて落とす。私が気を悪くしたのかと鈴木がどぎまぎする。
「いつもスタンドのだれに手を振ってるんですか?」
「女神と山口と、もとの下宿の家族」
「女神?」
 六回表。ドンドン、ブガブガ、ドンドン、ブガブガ。突き、突き、突き。テルヨシが打席に入る。このままのできがつづけば、あと三点取れば勝てる。ランナーを貯めて、ドカン。優勝! 胸が轟いた。
 初球、高目のストレート。テルヨシは空を向いてブンと空振りをする。相馬がウハハハと笑う。めくら振りだがタイミングが合っている。
「ホームランが出そうですね」
 私が言うと、ベンチじゅうが笑いさざめいた。
「ホームランてが!」
 カーン!
「ほら、いった!」
 ウオーとみんなベンチ前に飛び出す。レフトの三上が一歩も動いていない。
「でけえ!」
 ぐんぐん伸びて、場外の仕切りネットまで飛んでいく大ホームラン。太鼓と歓声に全身を殴られながら、小笠原は自分の打球の飛んだあたりを確かめるようにしながら、ゆっくりとセカンドベースを回る。どうしていいのかわからない走り方だ。顔が破れるほど笑いながらホームインした。九対六。
「ナイス、バッティング!」
 相馬と握手。テルヨシが頭を掻く。
「まぐれス。あったらに飛ぶもんだってが、びっくりしたじゃ」
 仲間たちにドヤされる。
「ご苦労さまです!」
「ぶったまげホームラン!」
 このチームを優勝させたい! いや、生まれて初めて優勝というものを味わいたい! 小学校でも中学校でも優勝できなかった。
「テルヨシ、こっからが胸突き八丁だ。水を飲んどけ」
 私が言うと、鈴木が柄杓を差し出した。
「小笠原、どのへんよ、内角な、真ん中な」
 七戸に訊かれて、
「わがんね。しっかり見てもわがんねすけ、たンだ振った」
 吉岡われもとばかり振り回して三振。つづく金はガラにもなく選球(せん)に出たが、あっという間にツーナッシング。室井が、
「おんろー? どすたてや、ヅグネ(度胸のない)こどすな、振れじゃ!」
 ガッシッ! ぼてぼての三遊間ヒット。三塁側の内外野スタンドがオーと歓声を上げる。
「オーシ! それだでば!」
 四郎が膝にグローブを叩きつけて口惜しがっている。ドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドン。山内が袖をまくって柳沢を睨みすえる。力が入りすぎている。初球、ファールチップ。ボールはキャッチャーミットをこすってバックネットに転がる。ヤーマウジ、ヤーマウジ。ドンドンドン、ドンドンドン。二球目、真ん中にゆるいカーブ。空振り。小笠原がブルペンへ向かった。三球目、また外角へゆるいカーブ。やられた! ボテボテのセカンドゴロ。4・6・3のゲッツー。いや、山内セーフ! トテチテター! ウオー! ツーアウト、ランナー一塁。金太郎コールが始まる。
「タイム!」
 伝令が走っていって、義塾の内野がマウンドに集まった。敬遠の命令が出たのだ。柳沢が首を横に振っている。三十秒しか話せないルールだ。アンパイアがマウンドに近づき、早く談合を解くように命じる。内野が散った。柳沢は敬遠策を断ったのにちがいない。気力が顔面にみなぎっている。ぜんぶ速球でくるだろう。また四郎の顔が蒼白になっている。
 初球、ど真ん中高目、ストライク。キャッチャーがあわててマウンドへ二、三歩寄っていき、低く低くというジェスチャーをする。わかっていない。速球は高いボールほどうちにくいのだ。外野は三人ともほとんどフェンスに接するように立っている。ギリギリのホームランを金網によじ登って捕球してやるという気構えだ。ネット裏を見た。ミヨちゃんの白い顔が飛びこんできた。いつものように胸前に愛らしいこぶしを握っている。ご主人は私の視線を認めると、
「神無月くん、ぶちかませ!」
 と叫んだ。奥さんはじっと動かず、サングラスは中腰で立ちながら場ちがいの拍手をした。二球目、バットを高く構える。ふりかぶる。投げ下ろす。足首のあたりに低い球がきた。キャッチャーの指示が裏目に出た。バットを繰り出し、捉え、絞りこむ。いった! ブワッと立ち昇る喚声。打球の軌道を確かめてから駆け出す。ボールが雲の切れ間へ上昇していく。一塁を回りながら、白球がスコアボードの真横を抜けて場外に消えたのを確認する。全速走行に入る。二塁手の清藤が、
「みごとだでば、天才!」
 と背中に声をかける。球場全体のどよめきがやまない。三塁を回ろうとするとき、顔色の戻った四郎がさっきよりも大きな声で、
「百五十メートル! 中西太!」
 と言った。私は一瞬スピードをゆるめ、振り向きざま、
「ありがとう! 山田三樹夫がぼくたちを見てるよ!」
 と大声で応えた。歓声が出迎える。相馬が尻をバシン。部員たちと手を打ち合わせる。
 木谷と鈴木が二人で二つの柄杓を持ってくる。一つを頭にかけ、一つを飲み干す。
「ご苦労さまです。すげェです」
 木谷が訛りを出して言った。室井が高いセカンドフライを打ち上げた。チェンジ。十一対六。勝てそうだ。優勝がよぎる。テルヨシに寄っていき、
「丁寧にね」
「オシ! だんだん、タマ速えぐなってきてら」
「たしかに球が伸びてきてる。でも、真ん中ストレートではぜったい勝負するなよ。直球で勝負するには、あと、四、五キロ足りない。来年以降に賭けろ。球速が増せば、おまえは、来年は青森県のナンバーワンピッチャーだし、プロにもいける。欲を出すな。あと三回、優勝のことは考えるな」
 自分の心と逆のことを言って、冷静を装う。
「わがった!」
 ダッシュ。プレイ!
 六回裏。またたっぷりとした霧雨が降ってきた。傘が開く。
 六番、安全パイ高木からの打順だ。ブラバンの響き、応援団の勇ましい演舞、学生たちの波動、バトントワラーの乱舞。初球、内角高目のストレート、ストライク。百四十二、三キロ出ている。ほんとうか? しかし、その程度のスピードは見定めやすい。
 二球目、外角低目へショートバウンド。腕が縮んでいる。小笠原はロジンバッグを握って呼吸を整えた。紗がかかったように霧雨が揺れる。一塁スタンド以外の場内がシンと静まる。三球目、少し外目のストレート。ギン! 合わされた! 右中間だ。オー! という喚声の中、金と山内が懸命に走る。抜かれた。二塁へヘッドスライディング。ついに木下のユニフォームが汚れた。相馬がベンチから身を乗り出す。五点差を危ぶんでいるのがわかる。ブルペンの三田と佐藤が投球に力をこめだした。
 七番、ピッチャー柳沢。カーブの連投、内角高目、外角高目、いずれもボール。ドドドン、ドドン、ドンドンドン! ブンチャ、ブンチャ、高速マーチ、バトンの回転。初球内角から真ん中へ落ちるカーブ。あごを引きガツンと振る。三塁線へファール。フェンスに当たってレフトまで転がってくる。拾い上げブルペンへ投げ返す。守備位置をラインぎわへ移した。不安そうにテルヨシがこちらを見ている。悪い予感がするのだ。思い切り腕を振れというジェスチャーでもするところなのだろうが、馬鹿げたアドバイスだ。そんなことはピッチャー本人がじゅうぶん知っている。
 二球目外角ストレート。空振り。よし、もう一球そこへカーブかスライダーだ。打ち取れるぞ。ツーツー。小笠原は振りかぶって、強く投げ下ろした。外角、かなり高めだ。ボール。ツースリー。とにかくそのまま外角へ変化球だ。四球目、外角低目ストレート。うまく押しつけられた! 速い打球がライト前に転がる。金がホームへ低いワンバウンドの送球をする。すばらしい肩だ。三塁を回った木下があわてて戻る。
 ノーアウト、一、三塁。キャッチャーの川崎がバッターボックスに立つ。白いヘルメットがアンコ型の体躯に似合わない。怖い雰囲気だ。私の前にワンバウンドで飛んできた痛烈なヒットを思い出す。外野フライは打つだろう。木下は足が速い。定位置までの犠牲フライなら確実に一点だ。ヒットを打たれると一点献上したうえに、ノーアウトでランナーが二人残ってしまう。やっぱり五点差で勝てると思ったのは甘かった。
 初球、内角高目のストレート。ストライク。走っている。だいじょうぶだ、そこなら打たれない。二球目、外角低目へ速いカーブ。ストライク。三球目、内角低目のカーブ。ストライク、見逃し三振!
 あっ、一塁ランナーの柳沢がスチール。木下が突っこむぞ。室井投げるな! よし、思い留まった。ワンアウト、二塁、三塁。きょう二安打の好打者、八番佐々木。室井が立ち上がった。敬遠。両スタンドから不満の声がいっせいに上がる。それでいい。このバッターは怖い。ワンアウト満塁。
 一番奈良岡。これまでセカンドゴロ、レフト線シングルヒット、一塁プッシュバントヒット。低目を打たせろ。内野ゴロゲッツーならチェンジ、外野フライなら一点取られて、ツーアウト、一、二塁か一、三塁になる。次が二番の当たっていない三上。ゴロかフライを打たせてどうにか切り抜けられる。厚い雲が上空をすっぽり覆い、霧雨が大粒の雨に変わった。スタンドのところどころで傘が開く。
 初球、すっぽ抜けて、室井が立ち上がるほどの高いボール。握りの浅いスライダーを投げようとしたのだろう。無理をするな、直球勝負でいい。二球目、低いカーブ。ボール。ゲッツー狙いがミエミエになる。三球目、内角低目のストレート、ストライク。なるほどこの奈良岡というやつはいいバッターだ。ボールの見切りがしっかりしている。ダテで一番を打っているのではない。私は守備位置をラインぎわに寄せた。不幸なことに思惑どおりの打球になった。レフト線ではなく、奈良岡は外角のカーブを痛烈なライナーでライト線へ弾き返した。金がスライディングしてファールラインぎわで打球を止め、二塁へみごとな送球をする。アウト! しかしランナー二人生還。スライディングで尻を汚した柳沢がベンチへ駆け戻っていく。仲間たちに背中や肩を叩かれている。ベンチにふんぞり返っている監督とハイタッチ。十一対八。
 ワンアウト、三塁。バッターボックスに入る三上のからだから熱気が発している。それを冷やすように、さらに強い雨が落ちはじめた。傘がいっせいに開いた。すばらしい吹奏楽の響き。立ち上がった学生たちが唄っているのは校歌だろうか。ライトスタンドも総立ちになって唄っている。テルヨシがしつこくロジンバッグを握り締める。
「くれてやれー!」
 私は叫んだ。つづけて山内と金が叫んだ。
「くれてやれー!」
 テルヨシが外野に向かって手を挙げた。初球、スピードの乗ったど真ん中のストレート。ストライク。三上はピクリとも動かない。右へゴロかフライを打ち返すためにカーブを狙っている。二球目、内角腰の高さへストレート、ストライク。テルヨシ、そのままだ。カーブを投げるなよ。スライダーもだめだ。すっぽ抜けて暴投になったら、やすやすと一点をくれてやることになる。三球目、真ん中高目へ全力のストレート。振った。カーブはこないとあきらめたのだ。芯は食ってない。高いセンターフライ。犠牲フライにはじゅうぶんだ。山内はゆっくりセカンドへ返した。十一対九。何という試合だ。三番清藤。いちばん恐ろしいバッター。早打ちしてくれて七戸へイージーなショートゴロ。ラッキー! チェンジ。ダッシュ。


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