十三

 湯の中で彼女を膝に抱き上げ、口づけをし合いながらほとんど動かずに、長く穏やかに交わった。やがてカズちゃんはこらえきれずに自分で動きはじめると、湯の表面に波が立った。カズちゃんは静かに果てて、私にしがみついた。口づけをしたままその姿勢を保ち、また彼女が動きはじめるのにまかせた。彼女が三度目の気をやったときに、私もそれに合わせて射精した。カズちゃんは私の下唇を噛んで、少し大きな声を出した。膝の上で尻が長いあいだふるえた。しばらくのあいだカズちゃんの性器に余韻が留まっていて、刻みこむような脈動が伝わってきた。
 湯船を出て、からだを流し合う。大事に、大事にカズちゃんは私のからだを洗った。石鹸を洗い流して、もう一度湯に浸かる。
 風呂から上がってたがいにからだを拭き合う。カズちゃんは私のものを握りしめ、
「キョウちゃん、私、もっとしたいの。いい?」
「うん」
「後ろから浅く、ゆっくりして」
 蒲団の上に四つん這いにさせた。肉づきのいい臀部に両手を載せ、ゆっくりと抽送を始めた。
「ああ、興奮する」
 その言葉が終わらないうちに、カズちゃんは激しく自分を煽り立てた。蒲団に突いた両手と両膝でからだを支え、白い背中を波打たせながら、尻を勢いよく私の下腹に打ちつけるようにしてふたたびいただきへ突き進んでいく。私も夢中になった。何度も射精を抑えた。彼女は子供を背負う母親のように後ろに回した片手で私の尻をつかんで叫び声を放ち、背筋を大きく反らせた。私は引き抜き、彼女のからだを表にして抽送をつづけた。シーツが愛液に濡れた。カズちゃんは激しく首を振り立て、歓喜の単語を連呼し、全身を硬直させた。そのとたん、すばらしい閃光が走った。するどい多量の迸りが、彼女の充血した腹の奥へ突き刺さった感覚があった。
 二人蒲団に仰向けに横たわり、会話が始まる。
「あしたから初めての中間試験だ。四日間」
「いやに長いのね」
「科目が多いんだ。英文解釈、英文法、現国、古典、古典文法、漢文、数ⅡB、物理、化学、日本史、世界史。十一科目、試験時間は一時間」
「それじゃたしかに四日かかるわ」
「五十分授業、週三十二コマ。月から金まで一日六コマ、土曜日二コマ。とんでもないスケジュールだよ。十一科目を三回ずつ回すとそういうことになるか」
「どうせ、要領よくやってるんでしょう?」
「現国と社会科は、目は開いてるけど聞いてない。化学はたいてい寝てる。切れる教師が一人もいない」
「青高に比べて薄っぺらい生活だと思わないでね。実り豊かな単調さよ。大きな将来が待ってるんだから」
「わかってる」
 もう一度、濃やかに抱き合う。カズちゃんと抱き合う時間は一分でも長引かせたいけれど、きょうの時間が切れかかっている。口づけをし、硬く抱き合い、離れる。服を着、コーヒーを飲み、カバンを持ち、もう一度口づけをし、玄関を出、自転車に乗り、手を振る。私の命に手を振る。
         †
 十月十日から四日間行なわれた中間テストの結果と、十五日と十七日に行なわれた実力テストの結果が、同時に二十日の木曜日に出た。どの科目も校内の平均点が異常に高かった。例えば、数学ⅡB八十七点、英語八十三点、現国七十二点、古文七十五点、物理九十一点、日本史七十七点、というふうに。青森高校の各科目の成績は、総合トップでさえ常に五割から六割前後だった。つまり青高生の目から見れば、大秀才と称されるような生徒がゴロゴロいることになる―最初私はそう思って怖じ気をふるった。私の成績は六百五十人中三百三十番だった。
 しかし妙なことに、つづけて土曜日と月曜日に行なわれた実力試験になると、私は彼らを百点も引き離して首席に跳ね上がった。私の平均点は、中間試験と大差なかった。ただ実力試験は入試対応なので、科目が数学・英語・国語・理科選択二科目・社会科選択二科目の七科目しかなかった。
 この気持ちの悪い結果は教師たちの頭を悩ませた。そして、十月下旬の小試験と呼ばれる進度確認テストでは、現国と英語だけはかろうじてトップを保ったものの、その他の科目が平均以下で、総合順位はやはり学年の真ん中あたりに落ちた。なんとなく浅はかな、機転の利かない、自己満足と自惚れの態度に終始している連中が、なぜ定期試験と小試験のときだけは冬眠から目覚めたように頭が働きはじめるのだろう。私はどうしようもない居心地の悪さを感じた。
「どうしたの、神無月くん、がんばらなきゃダメじゃないの。内申書に響くのは、実力試験や模擬試験じゃなく定期試験なのよ」
 進度テストの成績表返却の日に、松田に言われた。
「自分なりにちゃんとがんばってます。それより、みんな、どうして中間テストや小テストになると、大秀才になるんですか」
 素直な疑問をぶつけた。松田は少しあわてたふうに、
「さあ、ふだんのまじめな勉強が実るんじゃないかしら」
 と答えた。
「じゃ、実力試験は?」
「ああいう大学入試レベルのものは、高校二年生には難しいんでしょう。神無月くんは青森高校で鍛えられてるから」
「べつに鍛えられませんでしたよ。それに、入試レベルでも、校内試験レベルでも、ぼくの平均点はほとんど変わらない。それなのに実力試験だけ一番になるというのは、おかしな現象だと思いませんか」
「さあ、どうしてかしらね。とにかく、まじめに勉強しなさい。見た感じ、あなたは少しまじめさが足りないわよ。苦労してあなたを育ててきたお母さんがかわいそうでしょ。校長先生も心配してるわよ」
 私の転入の事情は承知しているはずなのに、儒教的な説得をする。何よりも、まじめでないと言われる理由がわからなかった。そればかりでなく、入試に直結しない中間テストや小テストの成績が、母や校長とどういう関係にあるのかまったくわからなかった。
 しっくりしないまま校門を出ると、鴇崎が追ってきて、
「神無月くん、悩んどるみたいやね。これ見て」
 旺文社の『数ⅡBの鉄則』という参考書を開いて見せた。期末テストとまったく同じ問題が載っていた。
「何だ、これ!」
「この問題だけやないよ。これも、これも、みんなそう。一題だけ、どっかの国立大の見たこともない過去問を入れとくんよ」
 腰が抜けるほど驚いた。これなら平均点がとんでもないものになるはずだ。百点をとる可能性も高い。
「ほかの科目も?」
「ぜんぶ」
「松田先生はそのこと知らないの」
「どの先生も知っとるがや。自分で指定しとるんやから。松田は旺文社の国語問題精講、石黒は文英堂のシグマベスト解明古文、片平は研究社の新々英文解釈研究」
「いつ指定するの?」
「一学期に、一年間の中間・期末の指定問題集や参考書が配られるんよ。理社もぜんぶ決められとる」
「反則だ。松田はなぜとぼけたんだろう」
「神無月くんに嫉妬したんじゃないの」
「嫉妬? なんで? ぼくは生徒だよ」
「神無月くんができすぎるからやが。種本の参考書を教えてまったら、神無月くんは試験という試験を総なめしてまうやろ」
 つまり、西高の定期試験は、最初から指定されている参考書をもとに作成され、しかも学期ごとにその参考書の出題範囲が決められていて、その中からしか出されないと鴇崎は言うのだった。そんな仕組みも知らず、せっせと教科書と自選の参考書しか勉強しなかった私はいい面の皮だ。
 しかしこれでいい、と私は思った。指定の参考書か何か知らないが、結局は入試問題を集めているものだろう。実力試験と同じような得点を挙げられれば、実質的にはいつも首席なのだと考えればいい。
 私の成績の異常な較差を痛快に思っている教師は一人もいないようだった。指定参考書をまじめに勉強していないか、ふだんの授業を軽視していると判断したのだろう。廊下で挨拶しても、不機嫌に挨拶を返すだけの教師が多くなり、黙って横目で睨むだけの教師も出てきた。しかし、私は頑迷なまでに指定の参考書を購入することを拒みつづけた。懇切丁寧な基本書である教科書や、みずから厳選した参考書があるのに、卑劣な虎の巻をやみくもに暗記するだけの勉強をしたいとは思わなかった。
         †
 十月二十二日土曜日。花の木の家へいくには、西高から八百メートルほど自転車に乗る。五分もかからない。西高と新居との中間にある地蔵院という寺の辻を曲がりこんで、西図書館の裏手に出る。いつも玄関の外の砂利の庭で、サンダルを履いたカズちゃんが出迎えた。彼女がカバンを受け取ると、広い玄関に入る。引き戸つきの下駄箱があり、式台の端に黒電話を載せたキャビネットがある。下駄箱にはカズちゃんのいろいろな種類の靴が並んでいた。私は少し踵の尖った黒のローヒールが気に入っている。大柄な彼女の足が意外に小さいことがわかる。そういう発見もうれしかった。
「二カ月も忘れてた」
 私は黒電話に丸く嵌めこんである番号を手帳にメモした。
「学校はどう、相変わらずもの足りないでしょうけど、がんばってる?」
「もちろん。……頼みたいことがあるんだ」
「なに?」
「原稿用紙を用意してほしい」
「もう用意してあるわ。抽斗に五、六束入ってる」
 清潔なキッチンを横目に廊下を歩く。裏庭を眺める位置にタイル貼りの風呂がついている。二人でゆったり入れる大きさだ。
 カズちゃんは二階に上がって、八畳の洋間のドアを開けた。カバンから持参した何枚かのレコードを取り出して、ステレオのそばのラックに並べる。もう百枚以上になった。
 桜川から持ってきた大きな高級机に、二十ワットの蛍光灯スタンドが載っている。底の深い抽斗を開ける。原稿用紙の包みがいくつか重なっている。長抽斗には文具が一揃いびっしり並んでいた。小さな本立てにノートが十冊も立ててある。
「すごい!」
「好きなときに、ものを書いたり、勉強したりできるわよ。キョウちゃんがいつきてもいいように、私も家にいるわ。スイミングスクールや弓道教室や文化講演会にかよってるのよ。けっこう忙しく暮らしてる」
「弓道?」
「枇杷島の青果市場の裏に、個人教室があるのを見つけたの。あれ、生活のリズムになるし、からだにもよさそう。スイミングスクールもそのそばにあるのよ。キョウちゃん―」
「ん?」
「ごめんなさい。きょう、あれなの」
「いいんだよ、そんなこと。カズちゃんは南極一号じゃないよ」
「それも、私の楽しみの一つなの」
「けっこう刺激的な言葉だね。でも、そう思って抱いたことは一度もないな。コーヒー飲んだら、散歩しようよ」
「うん、どこにする?」
「名古屋といえば、地下街。小山田さんたちの改修工事は終わっちゃったんだよね」
「一年もかからなかったみたい。いってみようか」
「うん」
 カズちゃんはいそいそと一階へ降りた。私も追って階段を降りる。ラフなジーパンと真っ赤なセーターに着替えたカズちゃんと、自転車に乗って笹島に出る。笹島のサイクルショップに自転車をカバンごと預け、名鉄口から階段を下りて、明るい地下街を歩いた。眼鏡をかけて歩く。ガラス張りの店舗や小物の出店がずらりと並んでいるのがクッキリ鮮やかに見える。紳士服、婦人服、始末セールの冷蔵庫、クーラー。ショーウィンドーを覗くカズちゃんのジーパンの尻が大きくて、腰の高さまでふくらんでいる。外人のようだ。彼女はセーターの下はブラジャーだけで、化粧をすっかり落としている。ときどき振り向いて笑う二重まぶたの切れこみが深く、肌は青白い磁器のようで、目を瞠るほど美しい。通りすがりの人びとが好奇心に満ちた視線を投げていく。学生服を着た私は、絶世の美人の姉と歩くような誇らしい気分になる。
「何もないわねえ。要らないものばかり」
「カズちゃん、すごくきれいだよ」
「冗談、ポイよ。いつも飽きずに同じことを言うのね」
 非の打ちどころのない容姿の美しさが生まれつきのもので、その持ち主が自分の美しさを重視していないとき、私は寡黙でいるべきだろうか。地下街からエスカレーターでガード下のアーケードへ昇って、狭いうどん屋に入る。きしめんを食べた。
「横浜から名古屋にきた最初の日に、ここでおふくろときしめんを食べた」
「いつ?」
「七年前、小学四年の秋。伊勢湾台風の年」
「あら、それじゃ、私がキョウちゃんと初めて会った年ね。ふうん、ここで……」
「十歳と二十五歳か。歳が逆でも、ぼくを愛してくれた?」
「当然よ。キョウちゃんが手を出したら犯罪者になっちゃうけど」
「今度は刑務所へ島流しか」
「ううん、流されない。手を出されても、私はだれにも言わないから」


         十四

 うどん屋を出て、駅前にそびえるビルに入る。いま流行りの七十ミリ映画館で、去年山口と青森で観たドクトル・ジバゴをリバイバルで観る。
 カズちゃんはずっと泣いていた。私はもらい泣きしながら、暗がりで涙を流しているカズちゃんを眺めていた。
 映画館を出て、喫茶店で熱いココアをすする。
「細かいところが入り組んでて、難しく感じたけど、なぜか涙が止まらなかったわ」
「山口と青森で観た映画だ。今度も政治的なところはよくわからなかった。ただ、一人ひとりの人間の一途さをあらためてすばらしいと思った」
「ジバゴの目がキョウちゃんに似てた」
「あんなきれいな目はしてないよ。この映画の原作者はパステルナークっていうんだけど、翻訳本をダッコちゃんにもらった」
「ああ、あのさびしそうな人……。どうしてるかしら」
「どうしてるんだろうね。山口は自殺しただろうって言ってたけど」
「死んでないわよ。生きる価値のある人だもの。新しい希望を見つけたと思うわ」
「めったに彼のことを思い出さない。人間の心は、みんなのことを思うことができないようにできてるみたいだ」
「ふつうは、そんな反省なんかしないわ。だれもかれも思っていたら、心がパンクしてしまう」
「うん、そうだね。……その本は難しかったから、途中でやめた。まだ読んでない」
「代わりに私が読んでおくわね。西図書館で」
 柳橋の外れまで歩く。早ばやとオーバーの棚卸しセールをやっている店がある。カズちゃんの目が輝いたので、
「オーバーはいらないよ。学生服が大好きだから、年じゅうこの格好がいい」
「花の木に一着あるけど、もうぜんぜん小さくなってる。やっぱり買ってあげる」
「いらない。ぼくは寒がりじゃないんだ。手袋も襟巻もしない。それに、そんなもの持って帰ったら、母に見咎められる」
「花の木に置いておけばいいわ。お母さんは、オーバー買ってくれないの」
「考えたこともないんじゃないかな。ほんとにいらない」
 耳を立てて、街のざわめきを聴いた。ときおり、三十二歳のカズちゃんの肌を隅なく観察した。信じられないほど滑らかな肌だった。目鼻の造りも、化粧気のない顔の形も、八重歯を潜めた白い歯並びも美しかった。涙がふいに湧いてきた。
「どうしたの? キョウちゃん」
「―カズちゃんはいい人だね。泣きたくなるほど……」
「泣かないで。私も涙が出ちゃう」
 笹島の自転車屋で、手を振って別れた。
         †
 十月三十日日曜日。朝のランニングの冷気を鼻に感じるようになった。十畳板間で三種の神器をするときも素肌に冷たさがくる。
「眼鏡を作りなさい」
 と母が言う。私がときどき眼鏡をかけていることを母は知っている。
「眼鏡は持ってるよ」
「かけてるときも、目つきが悪くて、見ていられないよ。ちゃんとしたのを買いなさい。お金はたっぷり持ってるんだからさ」
 皮肉口調で言う。たしかに少し度が合わなくなってきていた。きょうはトモヨさんのところへいく日だ。新しい眼鏡をかけて、トモヨさんとのんびり散歩でもしよう。
「眼鏡を試すついでに、ひさしぶりに映画を観てくる」
「デキの悪い高校だからって、気を緩めるんじゃないよ。おまえの目標は周りの学生たちとはちがうんだからね」
「映画もけっこう英語の勉強になるんだ」
「どうだか」
 長袖シャツに学生ズボンを穿き、帽子はかぶらなかった。髪が耳にかかりはじめている。そろそろ切りどきだ。
「床屋にもいってくる」
 笹島の自転車店に閉店の七時までの預かりを頼んで百円払った。預かるというよりも、店が営業しているあいだ、ほかの自転車といっしょに店先に並べておくというだけのことなのだが、道端に放置して盗難を危惧するよりは百円で安心を買うほうがいい。
 トモヨさんと名古屋駅コンコースの大時計の下で待ち合わせた。トモヨさんは髪にウェーブをかけ、頬にうっすらと紅を引いていた。彼女はそれだけできらめくほど美しく見えた。大きな目が濡れたように黒々と輝き、淡い朱を入れた爪のせいで、青白い手が百合の花弁のように染まって見える。
「目つきが悪いから眼鏡を作ってこいって言われた」
「私もそんな感じがしてたの。度が少し合わなくなってきてるんだと思う。新しいのを作りましょう。頭痛がするようになったらたいへん」
「トモヨさん、まだ兆候がない?」
「ありません。だいたい、日曜日がうまく危険日に当たるなんてことは、ひと月に一度あるかないかだもの。でも日曜ごとにセックスしてればいつか当たります」
「これからは、月末だけじゃなく、毎週日曜日にいこうか?」
「いいえ。勉強がおろそかになります。しっかり月に一回を守りましょ。きょうは私、穢れの日ですから遠慮しますけど」
 名鉄ビルの中にある床屋に入り、後ろのベンチで待っているトモヨさんに見つめられながら散発した。伸びてきた頭頂の髪を残すように裾を刈った。近眼のせいで自分の顔の細部に焦点を当てられないことに安堵する。健児寮で病み上がりの顔を見て以来、いや、野辺地の手鏡の顔に幻滅して以来、自分の顔は凝視しないことにしている。ときどき鏡の中のトモヨさんを見つめると、満足そうにうなずいた。
 床屋と同じ並びの喫茶店でくつろぎながら、トモヨさんは終始ほがらかだった。そうして真剣な顔でうつむいて、ストローでソーダ水を吸った。美貌というのはこういう顔のことを言うのだろう。
「いやです、じっと見て。もういいかげん見飽きたでしょう」
「ちっとも。ぼくの恋人だということが信じられない」
「私が言いたいこと。床屋さんで鏡の中の郷くんを見るのが恥ずかしかった。散髪屋さんも緊張してましたよ。さ、眼鏡を作らなくちゃ」
「それほど不便はないんだけどね。午後遅くなると、ちょっと黒板が見えにくいかな。作っておくに越したことはないね」
「目が魅力的なのは近眼のせいもあったんですね。せいぜい、顔に似合ったものを作らなくちゃ。縁が目立たないのがいいですね」
 栄までタクシーで出て、松坂屋の眼鏡店で検眼し、ごくふつうの黒縁の眼鏡を注文した。近視は軽度だったが、乱視が少し入っているらしく、六千円ほどかかった。一週間後に取りにきてくれと言われた。
 柳橋の禅という新しそうな店で、手羽先のカラ揚げと味噌カツを食べた。二人で少しビールも飲んだ。薄化粧のトモヨさんの顔がほんのり赤らんだ。
「……静かな生活が始まりましたね。計画どおりとは言っても、長いあいだ野球ができなくなるのはつらいでしょう。名古屋にきたことをほんとに後悔していませんか?」
「後悔も何も、自分の意思が関わってたことじゃないから。後悔って、志のある人間が志が成らなかったときにするものだと思う。ぼくはいきあたりばったり、風の吹くままに生きている男なので、志と言えるほどの立派なものを持ってない。人に押されて、風に吹かれる気分で決めたことだ。でも、どんな気分のときもそれなりに努力する男だから、自分がどうなっていくのかとても興味がある」
「……私には、郷くんが意志のない気分だけの人に見えない。郷くんに出世欲がないのはわかるけど……志がないっていうのは、言いすぎだと思う。野球をやったり、文章を書いたりするのには、とんでもない志が必要でしょ」
「たしかに、自分の適性の実現という意味で、野球には強いこだわりがあるけど、文章はどうかなあ。海のものとも山のものともつかないものには、志というほどのものは捧げられない。ひょっとしたスケベ心は才能じゃないから。―ただ、言葉を追求するのは、ある種の志だね。丹精こめて、つまり言葉を愛して文章を書けば、文章人という社会的な身分と関係なく、それだけで立派な文章人なわけだから、やっぱり立身出世の志は必要ないんだよ。文章人は社会的に成功して達成する身分じゃないからね」
「すてき! そういう、頭と言葉がしっかりつながっている言い方、大好きです」
「あわてて立てた計画だったけど、いまのところ順調だね。このあいだクラスの男に、いくつもりになるだけで東大って合格するのかって皮肉られた。簡単に東大なんて看板掲げちゃったけど、考えると合格の見こみなんて何もないんだ。ここまで順調だっただけで、この先は皆目見当がつかない。それでもちゃんと勉強して、東大へいって、煩わしいことをぜんぶ断ち切らないと」
 トモヨさんはフンと鼻を鳴らし、
「受かります、すんなりと。東大だろうと、ハーバードだろうと。私、郷くんが守随くんに勉強を教えてもらった話を聞いたときにわかりました。郷くんが言うとおり、それが目覚めだったんですね。野辺地、三沢、横浜、名古屋―それまで勉強なんかしたこともなかったでしょう? 勉強は、教室で聴いて覚えるもの、そう思ってたでしょう? どこにいっても、勉強部屋もなければ、机すらなかったはずです。ふつうの子は、小学校に入ったら机ぐらい買ってもらえるのよ。勉強するためにね。その代わりに郷くんは、漫画とか映画とか、とんでもない量をこなしたんですよ。その郷くんがある日、とつぜん、守随くんの家で問題集や参考書を目にしたわけです。そして、何カ月もしないうちに勉強の達人になっちゃった。それもあたりまえですよね。映画や漫画や草花や言葉の記憶の仕方が尋常じゃなかったんですから。その達人ぶりがいままでつづいてるだけのことです。信じられます? 天才だったんですよ。勉強小屋と机を与えられてからの郷くんの快進撃、目に浮かびます。野球をしようと、恋をしようと、寺田さんの見舞いにかよおうと、島流しに遭おうと、片手間の勉強でトップクラス。マグレじゃなく、きちんと東大に受かります。つまらない皮肉なんか気にしないでください。あと一年半のがまん。そうすれば、堂々と野球ができます」
 輝くように笑った。
 もう一度タクシーで西の丸へいき、二度交わり、トモヨさんの呼んだタクシーで笹島へ戻り、自転車で中村図書館へ向かった。映画は観なかった。
         †
 勉強の量をかなり増やしたので、十一月中旬の期末試験の学業成績はおのずから見るべき進歩のあとを示した。百番台になった。修学旅行直前の実力試験は今回もトップだった。中間試験の一頓挫があったおかげで、実力試験の二回連続の好成績が引き立ち、私は押しも押されもしない西高の学業の顔と見られるようになった。定期試験との落差は、仲間たちからは愛敬として微苦笑されるようになった。松田も口をつぐんだ。ただ、相変わらず私を見やるときの苦々しい表情は崩さなかった。母と同様、彼女はあるとき私が生理的に嫌いになったのだ。どうしようもないことだ。
 自由参加の修学旅行が近づいてきた。青森高校と同様、名古屋西高も二年時にすませる方針のようだった。京都、奈良から、広島、徳島と巡って帰ってくる。千年小学校に中国四国が嵩増ししただけだった。参加しないことにした。
 下校どき、研(とき)健一という男子生徒がいやにべたべた私に近づいてきて、帰り道をいっしょにしたがった。成績も個性も暗く沈んでいるのに、松田にいつも、トギくん、トギくんと名前を呼ばれてかわいがられていた。
「トギくん、そこ読んで」
「著者は何を言いたいのかな、トギくん」
「答案集めは、トギくんにやってもらいます」
 うっすら無精ひげを伸ばした頬のこけた顔は、三歳も四歳も年上に見える。私は心の中で、彼の事を松田の〈ヨトギ〉と呼んでいた。
「松田先生から聞いたんやけど、神無月くんも親一人子一人なんやてね」
「ああ、母親だけだよ」
「ぼくも父親だけなんよ。兄弟もいない。片親というのは、なにかとつらいよね」
 ―おまえはだれだ。何歳だ。
 その父親が最近、胃癌で入院したと言う。なんだ、なんだ、まるきり青高の武藤じゃないか。親一人子一人というのは、そしてその親が大病に罹っているというのは、それほど例外的な境遇なのか。
 松田という教師の女らしい趣味が知れた。何やら生活の荷の軽そうな私に、ついつい尖った眼を向けてしまうことも、いつか鴇崎の言った嫉妬からではなくて、ぜんぶその趣味からきているのだとわかった。
「きみは水泳部で、うさぎ跳びで膝を悪くして、自炊をしてるだろ」
「え? ぼくは化学クラブだが。やっぱり変人やなあ、神無月くんは」
 私はニヤニヤ笑った。やっぱりということは、私がそういうふうに教室の連中に噂されているということだ。
「ぼくはね、ただの馬鹿だよ。馬鹿も変人というなら、否定はしないけど。でも、自炊はまちがいないだろ」
「ううん、親戚の家からかよっとる」
 自転車を引きながら菊ノ尾通りを環状線に向かって三分も歩くと、見上げるほど大きなビルの前に出た。マンションかと思ったら、済生会病院という看板が上がっている。
「父を見舞ってやってくれる?」
「どうして? 会ったこともないのに」
「いつも神無月くんのことをとうさんに話しとるんだ。そしたら、そんなすごい人にぜひ会いたいって」
 面倒くさかったが、会ってみることにした。エレベーターで五階へ上がり、湿ったにおいのする個室を覗いた。リューマチ先生がいた。いや、リューマチ先生にそっくりの男が平べったく横たわっていた。掛布団を剥ぎ、天井を見つめている。寝巻きから突き出た脚がレンガ色に萎れていた。
「とうさん、神無月くんだよ」
 男は腕と鼻にからみついたチューブを揺らしながら、首だけもたげて愛想のいい挨拶をした。私は室内に入らずに、挨拶を返した。大部屋ならいざ知らず、こういう辛気くさい個室へは入りたくなかった。胆石で入院した母の病室を思い出していた。
「立派な同級生がおると、健一からかねがね聞いておりました。すばらしい成績だそうで。お母さんとお二人の生活やと、食事やら、着るものやら、こまごまとご苦労なさっとることでしょう」
「ぼくは何ともありませんが、母は気苦労でしょうね」
「できたことをおっしゃる。さすが健一が褒めるだけのことがあります。親というのはその苦労もうれしいものでしてね」
 目に涙を浮かべた。苦手な雰囲気になってきた。
「どうか仲良くしてやってください」
「は?」
「私はまず、あかんです。これに仲のいい友人がいてくれたら心強い。ほんとに、よろしくお願いします」
 そう言うともたげていた首を落とした。
 帰り道で研に尋いた。
「ぼくと仲がよくなると、お父さんはどう心強いんだ。ぼくはきみの後見役じゃないよ」
 それ以来、研は近づいてこなくなった。親しくしてもらいたいふうもない。いったいあの見舞いは何だったのだろうと思った。


         十五

 晩飯のとき、母に、修学旅行はいかないことにしたと言った。
「どうして? 中学校のときもいけなかったろ。いってくればいい」
「時間のむだだよ。千年小学校と同じコースだし、家で勉強してるほうがいい。もう担任には断ったから」
 断ったときの松田の険悪な表情はみごとなものだった。人には心向きや事情があるということをまったく考えたこともないという顔だった。松田は、社会性ゼロね、と呟いたのだ。彼女はまちがいなく、私が彼女に対してそうであるように、私の顔やたたずまいが生理的に嫌いなのだ。山崎さんが驚いて尋いた。
「中学でもいかなかったのか!」 
「そうなんですよ。そのころ、この子は悪い道に走りましてね、頭を冷やすために青森の中学校に転校させたんです」
 所長が微笑みながら、
「何度も聞いてますよ、佐藤さん。女親というのは複雑だ。おれはちっとも悪の道だとは思わないけどね。ま、佐藤さんにとってはワルだったんだから、仕方ないよな。おかげでキョウも頭を冷やして、さっぱりしたんじゃないか。いいんじゃないの、佐藤さん、いきたくないものを無理にいかせなくても。私も高校の修学旅行なんざ、これっぽっちも印象に残ってない。どこをどう歩いたかも忘れてしまった。きれいなバスガイドくらいかな、思い出せるのは」
 社員たちが笑ってうなずいている。所長が、
「佐藤さん、ビール!」
「ケースごと!」
 山崎さんにけしかけられ、母も別天地が開けたような明るい表情で流しに立っていった。コップが打ち鳴らされ、彼らはひとしきり地下鉄の現場話に没頭した。専門用語が飛び交う。そういえば、西松の社員たちは、あまり仕事の話をしなかった。しかし、男同士の話を聞いていてわくわくするのはどちらも同じだ。私は母に、
「青高の古山という友人から手紙がきたんだ。修学旅行列車が名古屋駅に停車するから、ホームに会いにこいって。十一月十三日。ちょうど日曜日だからいってくるね」
「古山くんて?」
「青高の大秀才。ちっともえらぶらない、いいやつなんだ」
 所長が、
「このあいだ遊びにきた同級生も大秀才だったな」
「山口は天才。ギターが本職です。来年の夏も会いにきてくれる」
「来年はここに連れてこいよ。おもしろそうだ」
「西沢先生もくるのかい」
 母が柔らかい声色で尋いた。
「うん。一年生のときのメンバーがデッキに集まるらしい」
「かあちゃんは仕事があるからいけないけど、よろしく言っといて」
「うん」
 夏木陽介の『青春とはなんだ』が始まり、社員たちの関心がテレビに向いた。三木さんと飛島さんが画面の前に椅子を引っぱっていき、どっかと腰を据えた。飛島さんは『若者たち』のときも、きみのゆく道は、と唄いながら、若き血と同じような身構えをする。母がかぶりつきの特権を得られるのは、夜遅い『夫婦善哉』のときだけだ。
「ぼくは青春ものに弱いんだ。どうしても泣いてしまう」
「俺もだよ」
 三木さんがうなずく。飛島さんや三木さんとちがい、所長や山崎さんや佐伯さんがテレビを観ている姿はめったに見かけない。私はこの数年テレビというものにまったく関心が湧かなくなった。最近はラジオも聴かない。
         †
 ホームでの再会は一瞬だった。狭い乗降口に、西沢を囲んで古山や木谷千佳子や鈴木睦子たちが詰めかけ、一人ひとり押し出されるように身を乗り出して握手を求めた。握手の中には藤田や、小田切や、奥田や、佐久間もいた。古山が、
「詩集、サンキュー」
「神無月くんの髪、つやつや!」
 私の長髪を見て木谷千佳子が言った。
「うわあ、ほんと!」
 と女たちが黄色い声を上げた。鈴木睦子の美しい顔も混ざっていた。東大にくると彼女は市営球場のベンチで約束した。私は彼女に向かって、ピースサインを突き出した。彼女は笑いながらまじめにうなずいた。
「ますますダンディになったな」
 猛勉があごを引いて感嘆の身振りをした。
「山口によろしく伝えてくれ。たまには青森に遊びにくるんだぞ。いつも新聞読んでるからな。いまは忍耐のときだ。プロのホームラン王目指してケッパレ」
「はい、ありがとうございます」
 ほかの学生はただ大きく笑っているだけだった。見つめるばかりでいつまでも手を離さない木谷に言った。
「スタンド敷、使ってるよ。青と白のチェック、目が休まる」
「ほつれたら送ってけんだ。編み直してける。青森さ遊びにきたら、かならず連絡ください」
 小さい声で言った。彼女の肩口からいびつな目がひょいと覗いた。小笠原だった。真っ黒く日焼けした顔がゆがんでふるえ、いびつな目に涙が浮かんでいた。私は自分から手を差し出し、固く握手した。
「神無月、ワ、早稲田で野球やるこどにした。理工学部。難しい学部だすけ、勉強ケッパラねばなんね」
「そうか、がんばれよ。東京で会おう」
「野球部の連中から、おめのこど一生わすれねって伝えてけろって頼まれだ。相馬先生からもだ」
「ありがとう。ぼくも一生忘れない。みんなによろしく伝えてね」
 三分もしないうちに警笛が鳴り、列車が動きはじめた。木谷が私の手をギュッと握った。その手がやがて離れた。小笠原が叫んだ。
「また、ぜったい会うべ! 神宮球場だ!」
 西沢が、
「猛勉!」
 と叫び、古山が敬礼の格好をした。女生徒たちがいつまでも手を振っていた。私も大きく手を振った。最後尾の車両が消えてから、母の〈よろしく〉を西沢に伝えなかったことに気づいた。
         †
 十一月二十三日から二十六日まで期末試験。英・国はいつものでき。数学は三十点取れなかった。化学は十点台。日本史、世界史は言わずもがな。
 十一月二十七日の日曜日に、佐伯さんに誘われ、名古屋にきて二度目の散髪にいった。先月末に刈り残した頭頂部分の髪が伸びすぎていたので好都合だった。最初カズちゃんと菅野に送られて飛島寮にきたときに立ち寄った喫茶店のそばに、小さな床屋があった。椅子はたった二つで、白衣を着た背の低い中年男が女房と髪を刈っていた。午前の早いうちだったので、二人の客が退けると佐伯さんと並んで椅子に座った。
「イロ男やなあ」
 私の髪を濡らしながら理髪店のおやじが言った。私は眼鏡をかけ、勇気を出してその〈イロ男〉をしっかりと見た。鮮明に焦点を合わせて自分の顔を見たのは、野辺地以来初めてだった。ホームベース型の輪郭、薄い唇が引き締まり、二重と三重の目がぎらついている。思ったとおりの異相だった。舐めるように見て記憶した。これからは鏡と名のつくものを覗きこむのはやめようとあらためて決意した。中年の男は私の眼鏡を外して鏡の前に置いた。
「じゃ、ハサミを入れますよ。学生ふうにしますね」
 おやじは散髪にかかった。佐伯さんの髪は女房が刈った。二十分ほどで、私の髪はふつうの七三分けになった。小学校のころのなつかしい髪型だった。佐伯さんは慎太郎刈りなので、とっくに終わって雑誌を読んでいる。前掛けを外し、肩の髪を払い、眼鏡をかけ戻した。視界が鮮明になり、三人の笑顔が取り囲んでいるのが見える。髪型だけを見て、自分の顔は見なかった。背中や腹前の髪を払い落とされながら椅子の傍らに立つと、店主がまたしみじみと言った。
「ええ男っぷりや。姿もいい。将来、女泣かせやぞ」
 女房が、
「ほんと、見てるだけでドキドキするわね」
 佐伯さんの笑顔が言った。
「キョウくんはほんとうに無類の美男子ですね。女にしてみたいくらいのミメカタチだ。寮のみんなも、芸能人といるみたいだといつも言ってます」
 私は頭を掻いて、
「色がひどく白いからそう見えるんでしょう」
 床屋夫婦に辞儀をして二人で外に出た。
「コーヒーでも飲んでいきますか」
「いえ、勉強しに図書館へ出かけます」
「そうだったね。キョウくんのまじめさは、いつもぼくの励みになる」
「佐伯さんは毎晩遅くまで勉強してますね。シロと夜の散歩するとき、灯りが見えます」
「ぼくは高卒だから、現場経験を二年以上しなくちゃ受験資格を取れないんだけど、その期間も過ぎたので、あとは筆記試験だけです。何年かけても取りますよ」
「がんばってください」
「はい。夜中の一時ごろ勉強に区切りがつくと、外でちょっとした体操をするんです。キョウくんの部屋の灯りが点いてるので、まだまだ努力しなくちゃという気になります」
 部屋に戻ってカバンに教科書を詰め、シロに見送られて自転車で出かけた。きょうはトモヨさんと逢瀬を果たしたあと、松葉会に顔を出そうと思っていた。八月に転校して四カ月、挨拶が先延ばしになっていた。
 マンションに着くと、トモヨさんがいつものように濃紺のミディスカート姿で玄関に出迎えた。トモヨさんは跳びはねるように喜び、カバンを受け取って、
「また床屋さんへいったのね。すてき」
 抱きついて私の髪を撫でながら耳もとに、
「きょうは、すごく妊娠しそうな日なんです。バックでうんと出してください。郷くんのおつゆが子宮に溜まるように」
 と囁いて、強く手を握った。トモヨさんのいつも白い顔が真っ赤になって、興奮しているのがわかった。北村席の芸妓たちもそうだが、苦界に身を浸してきた女は次元がちがうと思えるほど無邪気だ。哀しみに満ちたこれまでの人生の中で、苦楽の尺度がふつうの人びととちがったふうに進歩し、自分を常識で抑制しようなどという姑息な哲学や、世間的な思惑の入り組んだ内省の必要性など感じなくなってしまっている。だからこそ、子供のように魅力的で朗らかな、一風変わった言動ができるのだろう。こういう女たちに囲まれて育ったカズちゃんも、まったく同じだ。
 敷いてあった蒲団に並んで倒れこんだとたん、トモヨさんはもどかしそうにスカートとストッキングを脱ぎ、唇を寄せてきた。深く吸い、左手の利き指を使う。唇を吸ったまま彼女の呼吸が荒くなり、私の口の中へせっぱ詰まった息を吐いて果てた。ふるえている脚を拡げ、じゅうぶん濡れた空間へ挿入する。
「あ、気持ちいい、すぐイキます」
 正常位のまま抽送して何度か果てさせ、空間の緊縛に耐え切れなくなったところで裏に返す。
「たくさん出すね」
「はい、ください!」
 グイと突き入れ激しく往復する。快感だけではなく、愛情を注がなければならない。でなければ、けっしていい子は生まれないという平凡な確信がある。
「はい、ああ、気持ちいい! 強くイキます、あ、イ、イ、イ、イク!」
 繰り返される強烈な緊縛の中ですぐに射精がやってくる。
「イクよ、トモヨ! 受けて」
 トモヨさんは頭を低くし、尻を突き上げて構えた。さらに抽送を速める。
「ください!」
「イク!」
 強く放出する。腹を両手で引き寄せ、何度も突き入れる。
「気持ちいい! うれしい、イク、イクー! 郷くん、好き、愛してます、あ、あ、イックウウウ!」
 収縮を繰り返す腹を掌で支えながら、イメージできない赤ん坊の顔を思い浮かべる。トモヨさんのからだがようやくうつ伏せに沈んでいく。汗の吹き出ている背中を撫ぜる。
「愛してます、死ぬほど」
 トモヨさんの背中が言う。
「ぼくも、心から愛してる。こんなに感じたんだから、愛にあふれた子供が生まれるよ」
「はい」
 仰向けになり、赤い顔で私を見つめた。
「……幸せな子に育てます」
「少し寝てたほうがいいね。しっかり奥へ入るように」
「だいじょうぶです。入りました。わかるんです。シャワーを浴びましょう。汗びっしょり」
 からだを流し合い、散髪したばかりの頭を洗う。用意してくれた下着をつけてコーヒーを飲む。
「北村席と同じメリタでいれたのよ」
 トモヨさんはパンティだけを穿いている。胸がカズちゃんより少したるんでいる。そのほかはまるきり同じだ。
「和子さんとそっくりだと思ってるんでしょう。いっしょにお風呂に入ったことがあるんだけど、二人で驚いちゃいました。あんまり似てるんで」
 近寄って乳首を吸う。トモヨさんはやさしく頭を撫ぜた。
「かわいい人……」



(次へ)