十九

 ランニングと三種の神器は欠かさずやっている。素振りはカズちゃんの家の庭で土曜日のみ。
 十二月に入ってからの中村図書館でのドラゴンズメモ。
 一日木曜日。
 服部受弘(つぐひろ)。百七十センチ、六十三キロ。昭和十四年、岡崎中学から日大を経て、強肩とずば抜けた強打の捕手として名古屋軍に入団。兵役までの三年間マスクをかぶる。三年目の十六年、七十七試合八本でホームラン王。終戦後、中部日本ドラゴンズに復帰。昭和二十一年、投手に転向。十四勝七敗。翌年、スライダーを開発。二十四年、二十五年と、二十四勝、二十一勝。十五年在籍、百十二勝六十五敗、防御率二・八一。ホームラン三十三本、打率二割三分九厘。セカンド以外の守備をすべて経験。背番号10は永久欠番。現在四十六歳。フジテレビ、ニッポン放送、文化放送の野球解説者。
 二日金曜日。
 野口明。百七十四センチ、六十九キロ。中商から明大を経て、昭和十一年、投手兼捕手として東京セネタースに入団。速球ピッチャー。四年間在籍中、四十九勝四十敗。肩を壊して投手を断念後、六年間大洋西鉄阪急と渡り歩く。十六本塁打、打率二割四分四厘。昭和二十四年、三十一歳のときドラゴンズへ移籍。完治した肩で正捕手。杉下、大矢根ら若手投手を育てた。在籍七年、ホームラン四十四本、打率二割六分一厘。昭和三十年、三十二年、ドラゴンズの監督を務める。現在四十九歳。尾頭橋で喫茶店『シーエヌ』営業。
 三日土曜日。期末試験の成績票交付。英・現・古一位、その他さんざん。クラス八位、校内九十九位。化学クラス最下位。それでも少しマシになってきた。苦情を言われる成績ではない。花の木にいき、素振り。読書。音楽。セックス。五時帰宅。
 十二月四日日曜日。朝方今年初の零下。中村図書館へ自転車で向かう頬が冷たい。昼まで期末試験の数学と漢文の復習。世界史と日本史の暗記。化学はやらず。西の丸へ。
 トモヨさんが妊娠した! マンションの部屋に上がってすぐ、顔をくしゃくしゃにしながら抱きついてきた。
「郷くん、ほんとうにありがとう。とうとう母親になれます」
「医者にいったんだね!」
 エメラルドグリーンのスラックスの腹をさすりながら、
「はい。日増しにからだがだるくなって、席から帰ると外に出る気がしなかったり、急いだりすると、ふっと立ちくらみを感じたりしてたので、もしやと思って病院にいってみたんです。そしたら案の定、ふた月目に入ってるって診断でした。出産予定日は、来年の八月十日ごろだそうです。先月の中ごろに、子種をいただいたんですね。先週、あんなに熱心にしていただいたのがむだになってしまいましたけど、妊娠の心尽くしのお祝いと思って感謝します。北村のご夫婦がとても喜んでくれて、大門にトルコ風呂を出したら、子供が生まれるまで帳場の仕事をするようにと言ってくれました。生まれたあとも、一年ぐらい子育てしてから厨房に復帰すればいいって。そのあとは、子供を保育園に預けながらせっせと働いて貯金しようと思います。あらためて調べたら、やっぱり片親の場合、国からいろいろとたくさんお金が下りて、ぜんぜん生活に困らないんです。それに、来週から北村姓に変わります。安心してくださいね」
 いつになく饒舌だ。わたしは自然の摂理に遵(したが)って生きる者の実力に感動し、黙ってトモヨさんの喜びに同化した。
「子供ができるということが、こんなにうれしくて、こんなに胸がいっぱいになることとは知りませんでした。母親になれる自分が信じられません。天にも昇る気持ちって、きっとこういうことなんだと思います。あの日、塙から北村席に呼ばれてほんとによかった。そうでなければ、郷くんに会えなかった。……郷くんは暗い生垣のそばに光のように立っていたんです。幻だと思いました」
 トモヨさんは私を、人生へ、命のほうへ、しゃにむに連れていく。
「よし、きょうから、セックス禁止。流産でもしたらたいへんだ」
「はい。私もいまが大事な時期だと思います。お腹が落ち着くまでは……」
 来年の夏、三十八歳の母、十八歳の父。
 自分が父親になるという事実がよく呑みこめず、茫洋として考えがまとまらない。ありがたいという気持ち。たぶんそう感じるのは、人間として死を考える義務からしばらく解放され、死を考えない権利を得たと自信を持って言えるからだろう。いや、死ねないという覚悟がありがたいのかもしれない。
 トモヨさんの手まめな味つけのマーボ豆腐丼を食べ、コーヒーで舌を中和してから、小学生のように手をつないでお城の周りを散歩する。十二月の空がお城の上にのびやかに拡がっている。鈍い光が緑地の樹木のまばらな枝々を透かして一面の芝生に落ちている。幸福そうな微笑を浮かべたトモヨさんを包む空や樹木が、いつもとちがう彩りと厚みを持っているように感じられる。点々と咲いている寒椿が芝の緑に映える。
「高齢出産は、障害のある子が生まれる確率が高いと聞きますから、心配です」
「心配いらないよ。玉のような子が生まれるさ。世になく、清らなる、珠のヲノコ」
「桐壺。定時制で習いました。郷くんみたいな男の子ならいいな」
 部屋に戻り、キッチンテーブルでもう一杯コーヒーを飲む。キスをし、玄関へ降りた。
「激しい仕事は避けるようにしてね」
「はい。私のことより、お勉強、がんばってください」
 脇籠にカバンを入れ、飛び乗って、手を振った。サンダルにスラックスのトモヨさんの頭上に、きょうも空のうなりを聞いた。音楽的で、温かみがあって、何とも言えない哀しい響き。母だけを愛していたころの、浅間下の空の響きだ。
 大通りに出ると、急に湧いて出たように人がたくさん歩きだした。二日連続でカズちゃんの家に向かう。トモヨさんのことを報告しがてら、あの机で本が読みたかった。音楽も聴きたかった。西高に向かう市電通りの町並をあらためて見つめる。規矩整然とした商店街だとわかった。商店街と言っても、町外れの、いっこうに流行っていそうにない店の埃っぽい平台に、草履や運動靴を乱雑に積み重ねて売っていたりする町並だった。
 西警察署前から花の木へ折れる。三つ目の辻を左折して、図書館裏の事務所や商家や民家の建ち並んでいる住宅街に到着する。一っ走りという感じだった。砂利の庭で女ものの自転車が光っている。玄関を開けて、トモヨさんが妊娠した、と大声で報告する。読書でもしていたのだろう、ダダダッと二階から降りてきて、
「やった! 生まれるのは、いつ?」
「来年の八月だって」
「さっそく何かお祝いしてあげないと。お腹に子供を抱えて、台所仕事なんかしていいのかしら」
「ぼくもきつい運動はしないように言っといた。来年トルコ風呂が開業したら、レジに回してもらえるそうだよ」
「よかった! おとうさんおかあさんに念を押しといてあげるわ。塙席のほうへも知らせてあげないと。中学校のころ家出して、かくまってもらったことがあったのよ。病院の手配もしっかりしておかなくちゃ」
「まだまだ先のことだよ」
「こういうことって、あっという間にきちゃうのよ。あ、コーヒーいれるわね」
「その前に、ちょっと机に向かいたい」
「向かって向かって。じゃ、私、夕食の買い物してくる。カツカレーにする」
「ごめんね、二日連続できちゃって」
「うれしくて卒倒しそう」
 こんなにはしゃいでいるカズちゃんを見るのは初めてだった。二階に昇ると、机の上にセネカが広げてあった。人生の短さについて。感銘を受けて、言葉ノートにも相当書きつけた本だ。一行のむだもない本だった。序言からすばらしいもので、私は一節を記憶していた。

 ―われわれが知ろうとするのは、何がわれわれを永遠の幸福の所有者にするかということであって、何が俗衆に、つまり真理の最悪の解釈者である彼らに推奨されているかということではない。
 

 私はその紀元前後のローマの〈われわれ〉に自分を重ねたが、自信がなかった。馬鹿はどれほど純粋でも、俗衆だろう。文脈からすると、俗衆は〈われわれ〉に含まれていなかった。われわれとは、精神の特権階級のことで、ひょっとしたら、架空の存在かもしれない。あるいは、ネロの不興を買って毒をあおったセネカ自身の尊称かもしれない。しかしなぜ、これほどの気概の持ち主であるセネカが、権力者のそばにいたのだろう。
 カズちゃんが開いていたページには、

  われわれは短すぎる時間を持っているのではなく、じつはその多くを浪費しているのだ。人生はじゅうぶんに長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。

 という一節だった。詩興が湧いた。ひさしぶりのことだった。原稿用紙を取り出して、
 鉛筆を握る。さすらい、礁(いわ)一、と書いた。

   さすらい
    礁一
  高台はエトランゼの瞳にけざやかに
  ふもとのまちは荒妙に―
  じゃん言葉が
  子らの伸びやかな情緒を扼(やく)していた
  幼いよろこびに径庭のないはずが
  北国から上ったその子はいじめられた
  身ぬちに野心の絶えぬよう
  市街電車の軌道(みち)は
  長くながく 延びていた

    礁二
  陽は照るままに照り
  英雄のようだった!
  学業と運動と
  その子の誇りだった
  養い親は肩身を広くして飯を炊き
  うず高い期待のなかに暮らした
 
   礁三
  いとおしい子よ
  死にも切れぬ身を余瀝(よれき)と観じてが
  ひとり 部屋にこもって
  辞書を繰るちからは残しておけ
  無辺の荒地を走り抜ける夢を輟(や)め
  ようやくに 小さな国へ戻っていけ

    礁四
  いまこそ
  持ち重りする悲しみを葬り
  技芸の自立を思いわたるのだ
  沾(ぬ)れ交じる人びとにやさしくあれと
  初潮のように 書きそめた日と
  さめやらず 書きながらえた日は
  足音たかく去っていった
  目路はるか 凍れる礁をのぞみ
  私は 私の家郷が
  自分の心の中にしかないことを知る


 推敲をせず、これでよしと思った。
「よし」 
 と声に出した。肩に手が置かれた。ビクッとした。
「夢中で書いてたわね。五分も後ろにいたのよ。キョウちゃんは天才よ……ふるえるくらいの天才。神無月郷は歴史に残るわ。いっしょにそばにいられて栄(は)えある命よ。ヨレキって余り者ということね。もう否定しないわ。余り者同士いっしょに生きて、死んでいきましょう。書きたいときに書いて、この机にしまっておいて。ノートはでき上がるつど、やっぱりここにしまっておいて。私がぜんぶ管理する。さあ、カレー作ろう。ヒレカツ揚げてもらったからおいしいわよ」
「じゃがいも、小さくしてね」
「オッケイ! 音楽でも聴いてて」
 私は、いのちの記録の二冊目を机の抽斗に入れた。


         二十

 ひさしぶりに、ほとんど二年ぶりにステレオの前にどっかりあぐらをかく。アンプの電源にスイッチを入れる。カズちゃんが青森で奮発して買った、山水AU111、JBLランサー101、ベルトドライブ式電音DL103。針はグランツ。
 レコード棚のジャケットを探る。野辺地で買った、リトル・ペギー・マーチのLPを選び、A面をターンテーブルに載せる。アンプを傷めないようにボリュームをゼロにして針を落とす。アンプのボリュームを九時の位置へ。
 アイ・ウィル・ファロー・ヒムが流れ出す。大してボリュームを上げていないのに、すごい音量だ。高音の冴え、中音の濡れ、低音のキレ。天国だ。左耳を上にして肱枕で寝転がる。右耳の聞こえが悪いので、この姿勢がいちばんいい。霧の中の少女。若いってすばらしい。可愛いマリア。牛巻坂を登りながら口ずさんだことがあった。A面の最後は想い出の東京。B面の恋を教えてと並ぶペギー・マーチの傑作。オートリターンでアームが戻る。健康な左耳の耳鳴りが激しい。
 アンプのスイッチを切り、キッチンへ降りる。エプロンをしたカズちゃんが生野菜を盛りつけている。ガスストーブが赤い。
「耳を洗ってきた」
「いい音だったわねえ。私は一人のとき、よくジャズを聴くのよ。女性ボーカル」
「クラシックは?」
「あまり聴かない。ショパンとモーツァルトくらいかな。できた! ちょっと早めだけど夕食にしましょう」
 ライスの上に切り揃えたカツを載せ、熱いルーをかける。
「いただきます!」
 うまい。カズちゃんの料理は街の店では食えない。彼女の秘密の味を出せないのだ。
「うまいなあ。プロ以上だね」
「野菜と肉を煮るとき、こまめにアクをとるだけよ。大して工夫はしてないのよ。冷凍肉はだめ」
 と笑う。ライスが大盛り、生野菜まで大盛りだったので、ふん反り返るほど満腹になった。
「うまかった!」
「私も!」
 すぐに食器を片づけ、洗いにかかる。そのかたわらでコーヒーを落とす。こういうところもすばらしい。
「西高はどう? うまくいってる?」
 いつも訊く。
「実力試験一番、定期試験や小試験は百番から三百番のあいだ。その繰り返し。教師たちも、褒めたらいいのか叱ったらいいのかわからないようだ。結局、お叱りの電話がおふくろにかかってきた」
「その定期試験とか小試験ていうの、クセものね」
「試験範囲が一学期の最初に指定されてて、それ用の参考書も配布されてるんだ。ぼくは買わない。そんなのは一種のインチキだからね。山口も戸山で苦労してるかな」
「超名門校はそんなズルしないわよ。山口さん、秀才たちのあいだで驀進中じゃないのかなあ。キョウちゃんは勉強まで独立独行なのね。このままがんばって」
「オーライ」
「モーションかけてきた子は?」
「いない」
「そう。気長にいきましょ。心配なのはトモヨさんの健康だけ」
 片づけを終わり、エプロンを外してゆっくりコーヒーを飲む。見て、と言って、ふくよかな二の腕をまくって力コブを作る。モコリと筋肉が盛り上がる。
「すごい!」
「弓をやってるうちに、こんなになっちゃった。水泳も効いてるみたい」
「よーし、腕相撲してみようか」
「それは無理。腕が折れちゃう」
「カズちゃん、大好きだよ。愛してる」
「私も、何万倍も。こら、もうその言葉は言っちゃだめって言ったでしょう。……キョウちゃん、その言葉は、生まれてくる子供に言ってあげて。もの心つかないうちの愛の刷りこみ。人間のいちばん大切な行動よ。大人の女は子供みたいに言われなくてもわかってるの。だから男のその言葉は、すばらしい愛の営みを生活の挨拶に引き下げちゃう。女はからだがふるえるとき、本能的にその言葉を言ってしまう。挨拶じゃなくて心からの叫びだから、信じて受け取ってあげて。でも、キョウちゃんには似合わない。似合わないことをしたらだめ。その言葉は心の中にとっておくの。女はわかるからだいじょうぶ。ただ黙って、女から愛してると言われていればいいの」
「いつもカズちゃんはそう言うね」
「……昼間の空が色褪せてきて、夕方になるでしょ。その光に照らされて、軒から糸を垂らした小さな蜘蛛がぶら下がってる。空に三日月がほんのり浮かんでたりして。こういうのって、韻文的というのか散文的というのかわかりゃしないわよね。味わいがあるとも言えるし、ないとも言える。キョウちゃんはそういうことに感動する人なのよ。どんなことも観察して、感激する。女の自然な反応にもね。……私はふつうの女よ。平べったい庶民。愛してるのは私のほうだってこと肝に銘じておいて。私にとってキョウちゃんは、歩きがけに目にする自然とか、蜘蛛の巣とかじゃないの。私は生活の中でキョウちゃんを見かけたんじゃない。生活の外の冒険の中で発見して、死ぬほど愛したの。いつも感動してるのは私なのよ。キョウちゃんはそのまま黙っていて。私はいつも愛してるから。そして、キョウちゃんから一歩も離れないし、けっして裏切らない。だから私には愛してるって言わなくていいのよ。わかってるから」
 カズちゃんはけっして架空の私を作り上げない。ただ現実の私を見ている。
 彼女はもう一度コーヒーをいれに立ち、時間をかけて丁寧にいれた。
「お風呂、用意するわね。ここ、七時に出ればいいでしょ?」
「うん」
 するすると裸になる。
「いま、五時。十分ぐらいしたらお風呂にきて。お風呂に入ってから、ゆっくりくつろぎましょう。おもしろいテレビやってればいいけど」
 裸になったのは、私を誘うためではなく、風呂場の念入りな掃除をしてから湯船を満たすためだ。香り高いコーヒーを飲む。私もキッチンで衣類を脱ぎ捨て、風呂へいく。
 カズちゃんは湯を埋めながら、せっせと石鹸棚や鏡を洗っていた。蛇口から湯の出ている浅い湯に浸かりながら話をする。
「妊娠中は、セックスは危ないよね」
「卵子が着床して一月も経ったらだいじょうぶよ。怖いのは感染症と、強くイキすぎること。感染症は清潔にしてればまず心配ないわ。強くイクと、子宮が収縮するの。でもそれも、出産間近でなければだいじょうぶ。どうして?」
「トモヨさんに、生まれるまで禁欲しようって言った。トモヨさんも賛成して、お腹が落ち着くまでは、って応えた。その意味がよくわからない」
「激しく突かないかぎり、何ていうことないの。さっき言ったことを守れば」
 カズちゃんは私の全身にシャボンを立てた。
「私、東京に出たら、喫茶店の勉強しようと思ってるの。将来、小さな喫茶店をやりながらキョウちゃんの一生を支えるためにね。キョウちゃんが野球をやめたあと、ゆっくり詩や小説が書けるように」


         † 
 その夜のいのちの記録―
 
 深夜、青高の図書室で読み差したままだったヘッセのガラス玉演戯を開く。一ページで難解さに意気阻喪し、先送りにする。代わりに、これも読み差していたデミアンを読み終える。初期のペーター・カーメンチントや車輪の下とちがって、自己を模索する告白や主観的な意見がほとんどなく、玲瓏としてのびやかな客観の境地に昇華している作品だった。ただ、あまりにも客観に徹しているせいで、作者の冷たい肌を感じた。
「ぼくたちの心の中では世界を日ごとに更新していかなければならない。さもなければぼくたちは無為の徒に終わる」
 という一節があった。自分のこれからの迂回の生活に歯止めをかけられたようで焦りが湧いたが、かといって素直にうなずくことはできなかった。
 私は有為な克己の快感の中で呼吸するようには生まれついていない。たとえ病気と言われようと、無為の苦悩と悲しみが必要だ。苦悩と悲しみにあふれた私の病的な世界を更新などしたくない。自分が心の中に生来備え持っているもの以外には真実はないと信じている。病んだ心を更新せず、このまま病苦を抱えて足掻きまわりながら、無為の徒で人生を終わりたい。カズちゃんは私の病を癒さずに、受け入れる。彼女以上の永遠の伴侶はない。

         †
 十二月五日月曜日。ドラゴンズメモのつづき。
 坪内道則。百六十四センチ、六十キロ。松商から立大を経て、昭和十一年、大東京軍に入団。ライオン軍、朝日軍、ゴールドスター、金星スターズと転々する。十四年間で本塁打十五本、打率二割五分三厘。昭和二十四年中日ドラゴンズに移籍。一番バッター、センター。三年間在籍中、ホームラン十九本、打率二割八分七厘。千試合出場、千本安打、日本第一号。首位打者一回、盗塁王二回(まるで一番センター中だ)。年間百三試合で、六個の最少三振数。これはいまなお破られていない。昭和二十七年、二十八年、ドラゴンズの監督。現在五十二歳。中日ドラゴンズの一軍ヘッドコーチ。
 六日火曜日。
 杉浦清。百七十三センチ、七十三キロ。中商から明大、明大野球部監督を経て、昭和二十一年、三十二歳のとき中部日本にショートとして入団。その夏に監督兼プレーヤー。昭和二十三年の横浜公園球場での日本初ナイターの勝利監督。二十四年から選手一本に戻る。二十六年に大洋、二十七年に国鉄に移籍して打線の主軸として活躍。八年の現役生活でホームラン百二十五本、打率二割五分五厘。CBCの野球解説者を経て、三年前濃人渉解任のあと、ドラゴンズの監督就任。ドラゴンズブルーのユニフォームにしたときの初代監督。翌年まで監督を務めた。現在五十二歳。CBC野球解説者。
 七日水曜日。
 原田督三。左投げ左打ち。百六十八センチ、六十八キロ。中商から明大、東洋産業を経て、昭和二十三年、外野手として中日ドラゴンズ入団。一年目から主力。二十八年、中日選手初のサイクルヒット達成。二十九年ドラゴンズ初優勝のときは、二番ライトで活躍。三十三年引退。三十四年、三十五年、ドラゴンズのコーチ。現在四十七歳。東海ラジオ野球解説者。

 順調。着々とノートが埋まっていく。でもこの伝説の人たちのだれ一人にも会えないだろう。三年後、四年後に会える人たちのことをノートに書きこまなければならない。
         †
 教室では、なぜか半年遅れのビートルズの話題で持ちきりだった。六月の末から七月頭にかけての三日間、東京の武道館で公演したというあれだ。
「ファンに対する厳戒態勢のせいで、三十五分間の演奏を二回やっただけだったのよ」
 と、アジーア川村が言っていた。リンゴ・スターが、
「俺たちは虫籠の中のビートルズだ」
 と言ったとか言わなかったとか。この公演で上がった利益は一億円で、ビートルズのギャラが六千万、武道館使用料一千万、入場税一千万、ホテル代、警備費などを払うと、公演主催者の儲けはゼロだったとか。よくぞ調べたものだと感心したが、彼らの話のすべてがビートルズの音楽とは関係のないものだと気づいて愕然とした。先日山口からビートルズの『リボルバー』というLPが送られてきたので、さっそくカズちゃんの家で聴いてみて、エリナー・リグビーとヒア・ゼア・アンド・エブリウェアーという曲が気に入った。二曲ともポール・マッカートニーの作曲だった。そのことを話題に出してみようかと思ったが、虚しい気がしてやめた。彼らは音楽に興味がないのだ。私は、ツンボ桟敷にいることがありがたく、彼らから遠く退避して読書にいそしんだ。



         二十一

 ある夕方、学校からの帰り道、鳥居通りの交差点で国語辞典を手に信号待ちしていたとき、横合いにいたセーラー服の女子高生が、スッと近づき私に話しかけた。私はちょうど辞書から目を挙げ、対向車線に停車しているトラックのフロントガラスが、そこだけ夕空をべったり貼りつけたように空の雲を映していて、運転手の顔がわからないのをおもしろく見つめた瞬間だった。
「神無月くんじゃない?」
 自転車に跨ったまま、声の主を見た。ぼんやり見覚えのある顔が記憶の中をさまよい、たちまち像を結んだ。鬼頭倫子(オニアタマ)だった!
「鬼頭さん! どうしてこんなところに……」
「やっぱり神無月くんだった。よく似てる人がいるから、まさかと思ったけど」
 丸いラケットのようだった顔が細面に変わり、二重まぶたが薄く切れこんでいる。青木くんの家で、私の髪を撫ぜながら真上から覗きこんだ目だ。
「信じられないな」 
「私も信じられない。声かけてよかったァ」
「どこの高校?」
「中村高校。庄内川のそばの」
 自分の住みついた土地を知ろうと思って、ときどき自転車で散歩に出るあたりだ。閑散とした町には見るべきものは何もなく、風呂桶を積んだ店や、ガラス戸が土埃で曇った駄菓子屋などが、いやに区画整理の行き届いた広い道路に面して建っている。深い軒庇を差し出して、木をめぐらした垣に囲まれたつまらない住宅が際限もなくつづいている地域だ。川の土手のほうへ近づいていけば、小売の商店はおろか、喫茶店一つないところで、都心から逃げてきたひどく無気力な人たちの住んでいる町のように思われた。
「知ってる。外堀通りの外れにある高校だね。熱田区からだと相当遠いんじゃない?」
 信号が変わったので、大鳥居のほうへ並んで歩きだす。偏平足のガニ股歩きはすっかり影をひそめ、女らしい優雅な外股に変わっている。首をヘコヘコ突き出して歩く癖も消えていた。
「船方から市電で名駅に出て、そこから高校前までバス。朝は七時に家を出るの。遠くても贅沢は言えない。直井くんや甲斐さんみたいにデキなかったから」
「直井からは一度野辺地に手紙がきた。それっきり。……甲斐和子か。彼女はどうなったんだろう」
「向陽高校にいったみたい。井戸田くんは旭丘。みんなすごかったから」
「鬼頭さんもすごいよ。桑子がキュリー夫人だって言ったものね」
「変わらないね、神無月くんは。いまじゃ、胡瓜夫人よ。……神無月くん、たしか、中三の秋に青森へいったんじゃなかった?」
「この春に帰ってきたんだ。編入試験で名古屋西高に入った」
「メイセイか。いいとこね」
「みんなお世辞を言うけど、大した高校じゃないよ」
 鬼頭倫子それには応えず、
「ときどき、神無月くんのこと、どうしてるんだろうって思い出してた。きょうは中村公園を通って帰りたくなっちゃって、鳥居通りのほうまで歩いてきたの。……まだバリバリやってるんでしょ」
「何を?」
「野球」
 私のその後をまったく知らないようなので、面倒のない打ち解けた気分になった。
「休養期間中。大学へいったらまたやるつもり。いまは勉強一筋。守随くんはどうしてる」
 知りたい消息でもなかった。あの夜道で、背中から声をかけたときの、彼のすさんだ眼が浮かんだ。
「熱田高校へいったわ。でも、グレて中退したって聞いた」
「守随くんが……。もったいない」
「私も守随くんも、ただの人になっちゃったのよ」
 あのときも、同じ言葉を守随くんが言った。勉強が不得手になればタダの人、というのはどういう理屈なのだろう。
「人間なんて、もともとただの人じゃない? 酒井リサって、知らない?」
「酒井? 知らない。だれ?」
「ぼくがむかし住んでた飯場の子。けっこう勉強できたんだけど。ほら、夏も冬もズボン穿いてた」
「知らない。……それで、神無月くん、いまどこに住んでるの」
「この先の岩塚。中村高校からだと三キロもないよ。母といっしょに飛島建設という会社の飯場にいる。よかったら、寄ってく?」
 一瞬鬼頭倫子の目が、私の髪を指で梳いたときのような熱のこもった光を帯びたが、すぐに冷めた。
「塾にいかなくちゃいけないから。また今度ね。いつ遇えるかわからないけど、今度神無月くんに遇ったら、きっと寄ってく。じゃ、またね」
 鬼頭倫子は手を振ると、鳥居前の市電の停留所へとぼとぼ歩いていった。私は遠ざかっていくセーラー服の背中をぼんやり見送った。もう二度と会えないだろうと思った。人はどんなに気安く再会を約して別れても、いったん別れると二度と会えない。
 似たようなことはつづくもので、これも学校の帰りに、中村区の北端の枇杷島から日比津公園のあたりまで、一度も回ったことのない区域を自転車で探っていたとき、空に重そうな雲が拡がるやいなや激しいにわか雨が降りだし、雨宿りをするつもりで沿道の蕎麦屋に飛びこんだ。店の奥から出てきた若い女が、
「いらっしゃいませ」
 と声を発したとたん、
「あら? 神無月くん? 神無月くんよね!」
 口紅を引いた顔を驚きでいっぱいにした。私も驚いた。
「山本法子、法律の法!」
「当たり! うれしいわァ、すぐ思い出してくれて。神無月くん、ますます男前になったねェ」
「きみこそ、別人みたいだ」
 先日の鬼頭倫子でも驚いたが、女の顔は変わるものだ。ニキビ面がすっかりつるつるになり、厚い唇も魅力的に吊りあがって、ただならぬ色気を醸している。何人も男を知っている顔だと思った。
「なァに、別人て。まるでむかしはブスだったみたいじゃない」
「しかし驚いたなあ。このあいだは鬼頭倫子に遇うし、きょうはきみか」
「鬼頭? ああ、二年生のときいっしょだった勉強家ね。彼女とはどうだか知らないけど、あたしとの出会いは運命よね。そう思ったでしょ」
 相変わらずだった。私は鼻で笑うふりをした。ノラの一夜の姉たちの会話、帰りぎわの驟雨、彼女に関して色鮮やかに思い出せるのはそれだけだ。
「あの夜の帰りもすごい雨だったね。きみ、ここでアルバイトしてるの? 家、船方じゃなかった?」
「ここ、親戚なのよ。毎年、年末だけ泊まりこみで手伝いにきてるの」
 年末と言われて、もう師走も二十日を過ぎたことにあらためて気づいた。あと数日で今年も終わる。
「天ぷらそば」
「そんな高いものやめたら。ここ、きしめんおいしいわよ」
 奥の調理場で咳払いがした。山本法子は舌を出し、小声で、
「エビがちっちゃいから」
「じゃ、きしめん、ください」
 山本法子はきしめんを運ぶ間も惜しそうに話しかける。
「でもどうしたの、こんなところで、学生服なんか着てすましこんじゃって。青森へいったって聞いたけど、里帰り?」
 あのころの私への執心が感じられない。こんなものだろう。面倒くさかったが、荒っぽく手短な説明をした。
「へえ、そうなんだ。メイセイにいったんだ。神無月くんにしたら、都落ちだね。直井くんとデッドヒートだったもの」
「そうだったね。ぶっちぎられてたけど。もともと勉強アタマじゃなかったし、この高校で分相応だ」
「でも、あたしはうれしいな。おかげでしょっちゅう会えるもの。お家はこのへんなの?」
 また奥で咳払いの声がした。
「叔父さんたら! すごい巡り会わせで、中学時代の恋人に遇っちゃったのよ。もう少しお話させて」
 むかしのテンションが戻ってきた。
「岩塚の飯場に母と住んでる。お母さんやお姉さん、元気?」
「相変わらずがんばってる。あたしもお店に出てるのよ。いつでも飲みにきてね、サービスするから」
「高校は?」
「いかなかった。あたしにはむだ」
 幸いなことに、いくらもしないうちに客がたてこんできた。傘をさすほどの雨脚でなくなっている。山本法子は残念そうな顔で、
「神無月くん、福の神やね」
 彼女が客の応対をしているうちに、きしめんをすすり、席を立った。
「あ、神無月くん、また会おうね。神宮の店は、五日から開けるから」
「うん。きしめんおいしかった。いくら?」
「七十円」
「いつになるかわからないけど、かならずいくよ」
 テーブルに金を置くと、笑いながら手を挙げて表へ出た。
         †
 山口から手紙がきた。神無月郷様という文字が、書道家のような達筆だった。封書なので自由に書いてあった。

 
つつがなくやってるか。ビートルズどうだった。エリナー・リクビーは傑作だぞ。おまえもそう思ったはずだ。人間の絶対的な孤独を唄ってる。見てごらん、すべての孤独な人たちを。いったいどこからくるのだろう。見てごらん、すべての孤独な人たちを。いったいどこに居場所があるのだろう。そう唄ってる。
 さて、俺は相変わらずだ。おトキさんの写真を机に飾って勉学に励んでおるぞ。五十女とは思えない美しさだ。おまえには食傷気味かもしれないが、彼女の〈からだ〉も俺には新鮮な夢の園だ。
 戸山高校は進学率がよく、毎年東大に七十人から八十人受かる。日比谷、都立西に次いで三位だ。俺はこの高校の十番以内を堅持している。ひょっとしたら、冗談でなく、スムーズに東大へいけるかもしれん。おまえは一番を取りつづけなければいかんぞ。気長に、慎重にな。
 おまえは希代の野球選手であると同時に、並外れて大きな芸術家でもある。いずれに関しても一身を越えた使命がある。それを忘れず生きてほしい。
 俺はおまえのこれまでの苦難に満ちた生き方を思い起こし、転校以来四カ月、ともすれば安易な方向に流れようとする自分に鞭打ってがんばってきた。ギターの鍛錬もおさおさ怠りなしだ。将来の本職はこれしかないからな。
 ああ、おまえの声は思い出せない声だ。実際に耳もとで聴いて、ああこれだった、と思い出す声だ。泣くのは来年の夏までお預け。
 何か鬱屈することがあったら、かならず俺に吐き出してくれ。まあ、おまえは何でも自分で解決していくだろうがな。挫折を恐れるなよ。おまえにとっての挫折は、たぶん周囲の人間と同列に見られるところから生まれるにちがいないけれども、とにかく耐えてほしい。芸術家は苦難の道を歩むものと決まっている。おまえがどういう生き方をしようと、おまえが生きてるかぎり、俺は親友かつ後援者だ。多弁無用。
 おまえの詩は、あの河原の土手で聞かされて以来、俺の胸に楔のように打ちこまれている。あの、あせを人よ、というフレーズを口ずさんでみようとすると、たちまち胸がふさがり、どうしても涙が湧いてくる。おまえの詩には、人間を超えたものに対する信仰よりも、人間そのものに対する渇仰(かつごう)が流れている。おまえはいずれ天才として世に名を成すだろう。芸術家の真の栄光とは、その作品に寄せる多くの人びとの純粋な賞賛のもとに、作者の魂が永遠に生きつづけることにほかならない。これは図々しい頼みだが、いつかおまえがその気になったときに、俺だけに贈る詩を書いてくれないか。それをいつも持ち歩くことにする。中原中也の詩を小林秀雄が持ち歩いたようにな。
 会いにきたくなったら、手紙をくれ。何日泊まってもいいぞ。一駅先の吉祥寺に小ぎれいな公園があるし、眼と肺にいい環境だ。青高のときのようにいっしょに散歩しよう。じゃ、夏に、またな。
 畏友・愛しき男 神無月へ                     山口勲



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