十 

 千年の十字路へ出、ヤマモモの枯れた並木に沿って交差点を五つ、六つと越えていった。
「ぼくのふるさとは、たぶん青森だと思うんだけど、康男はどこ?」
「たぶんて、なんや」
「熊本で生まれて、青森で育ったんだ。生まれて半年で熊本を出たらしいから、憶えてない」
「なら、ふるさとは青森やろ。俺は尾鷲(おわせ)や。三重県の下のほう。熊野灘って知ってっか」
「知らない」
「密林みたいなもんや。先祖はそこの樵(きこり)やと。一度墓参りにくっついてったことがあったけど、星がきれいやったな」
 東海橋が見えてきた。橋のたもとの白っぽい柳の枝が、骸骨の指みたいに見える。康男はいつもあの柳のところで運河の水を見下ろしながら、
「アパートには、連れていけんわ」
 と言う。きょうも橋詰の柳の前で立ち止まった。運河を下ると、クマさんが連れていってくれた名古屋港に出る。ほんのり塩辛い香りがする。
「こっから帰れや」
「うん」
 康男は橋を渡っていき、向こうの橋のたもとから岸沿いの坂道へ姿を消した。
 ときどき私は、一分か二分待っていたものだった。川岸をじっと見つめながら、奇跡が起こって康男がもう一度夜の中から姿を現して、手招きするのではないかと思って。でもそんなことは起こらなかった。コンクリートの広い橋は威嚇するように私が近づくことを拒絶していた。
 私はきょうも別れの悲しみに耐えた。そうして、暗く沈みこみそうになる気分に逆らって元気よく踵を返した。
 その夜からピタリと康男は飯場に遊びにこなくなった。学校にはちゃんときていた。私に向ける表情も固くはなかった。
 私はある日教室で、どうしてこなくなったのかと訊いた。彼は頭を掻きながら素直に答えた。
「おまえがでっかいやつだでよ。恥ずかしなったんだわ。正直で、器がでかくて、おまけに変わっとる。歯が立たん。学校のやつらにしても、飯場のやつらにしても、兄ちゃんの取り巻きにしても、おまえほどの変人はおらんで。どこにもおらん。おまえに比べたら、俺なんかカスや。おまえと口利いとると恥ずかしなるわ。……一生護ったるいうても、俺みたいな野郎で、神無月はええんかな思ってよ」
 私は思わず涙をこぼしそうになった。
「いいに決まってるよ。ぼくの友だちは康男しかいないよ。どうしてなのか自分でもよくわからないけど、ぼくは康男が大好きなんだ。康男と友だちでなくなったら、ぼくはもうおしまいだよ」
 康男も目に涙を浮かべ、
「……護ったる。一生くっついとってもええか。俺はこういう野郎やで」
「そういう野郎でなきゃいやだ。ぼくたちは一生離れないよ」
 康男はとうとうボロリと涙をこぼした。
「また、土曜日、いくわ。いっしょに歩こまい」
「うん!」
         †
 日曜日の昼めしどき、原田さんが新発売の森永のインスタントコーヒーをみんなに振舞った。とても高いものらしいけれど、おいしくなかった。
「こんなもの、よく買う気になるなあ」
 小山田さんが顔をしかめて言う。
「初モノはかならず試してみることにしてるんです」
「たしかに、これはコーヒー〈のようなもの〉だわ」
 クマさんがうなずく。それでも小山田さんはぐっと飲み干し、
「世の中、くだらない贅沢品ばかり増えるなあ。所得倍増、か。防衛費をアメリカにまかせて、日本は金余りになるらしいぞ」
「ほんとうに倍増するんですかね」
 吉冨さんもまずそうな顔をする。荒田さんが、
「ウソっぽいな。しかし余ってる金なら、分けてほしいわ」
 その日、小山田さんと吉冨さんが栄までわざわざハイヤーを雇って、映画に連れていってくれた。『新・三等重役』というなんだかドタバタした退屈な映画で、小才をてらったちょび髭の男が嫌いだった。それですっかり眠りこけてしまった。
 帰り道、三人で広小路を歩きながら、食い物屋を物色した。吉冨さんが、
「子供にはおもしろくない映画だったかな」
「寝ちゃって、ごめんなさい」
「まあ、森繁久彌と小林桂樹がじつにうまくからみ合ってるし、加東大介もいい味出してるんだけど、底が浅い感じだね。二度観たくなる映画じゃない。なんせ、原作が源氏鶏太だから」
 吉冨さんも少し不満のようだった。小山田さんが言った。
「中日球場にいってもよかったんだが、まだこの季節、デーゲームは寒いからな」
「今度、日活の映画に連れてってね」
「うん、たしかに日活はいいものを撮る。『にあんちゃん』、『陽のあたる坂道』、『ビルマの竪琴』、それから『州崎パラダイス』。でも、キョウちゃん、えり好みしないで、何でも観たほうがいいぞ。観れば観るだけ目が肥える。そうすれば自然に、駄作と傑作を嗅ぎ分けられるようになるんだ。駄作をたくさん観ないと、傑作にいき当たらない」
「そんな高尚なこと言ったって、わかんないよ、吉冨。まだ小学校五年だぜ」
「いや、キョウちゃんはわかるよ」
 吉冨さんの〈いいもの〉の中で、私の知っている映画は『陽のあたる坂道』しか入っていなかった。そのほかの映画は看板さえ見たことがなかった。
「吉冨さんは、プロ野球選手にはなりたくなかったの」
 柳橋まで歩いて、小山田さんの発案で蛙料理専門のレストランに立ち寄り、薄暗いテーブルで蛙の足の唐揚げを注文した。骨つきの小さな肉のかたまりが、平べったい皿に盛られて出てきた。小山田さんが、
「じつは初めてなんだ。ちょっと気持ち悪いな。何でも経験だ。食ってみよう」
 すでに吉冨さんは前歯でむしっていた。用心して噛んでみたら、鶏肉みたいに柔らかく、思ったよりクセのない味だった。
「けっこうイケますね。もう少しスパイスが効いていればいいけど」
 と吉冨さん。小山田さんは首をひねりながら、
「うーん、悪くはないけど、おいしいというほどじゃないな」
「ロシア料理でも食いにいきますか」
「そうしよう」
 レストランのはしごという格好になった。名古屋駅前まで歩き、ビルの四階の『ロゴスキー』という店に入った。薄暗い神秘的な店内を、民族衣装を着たウェイターたちが歩き回っている。
 小山田さんがコース料理を注文すると、まずライ麦パンが出てきた。バターを塗って一欠け食べる。おいしくない。そのパンを齧りながら二人は真っ黒いビールを飲んでいる。ボルガシチューとピロシキが出る。いわゆるボルシチはシチューというよりもスープで、とても酸っぱかった。ピロシキという長細い小さな揚げパンは、冷たくて、よく味がわからなかった。
 壷焼キノコというものが出てきた。こんがり焼いたパンがふきこぼれる形でカップを覆っている。それをスプーンで突き崩し、中の濃厚なクリームシチューに漬けて食べるのだ。これはうまかった。それから白身魚のソテーが出て、最後にジャム入りの紅茶が出た。
「いい口直しだった。蛙で帰ってたら、後味悪かったぜ」
 と小山田さんが言った。
「たしかにね。ぼくは、キョウちゃんの笑顔が最高のごちそうだった。キョウちゃんはほんとうに美男子だね」
「だなあ、おばさんの顔ともまたちょっとちがうんだよなあ。するどくなくて、いい顔だ」
 二人にしみじみ見つめられて、私は照れくさかった。
         †
 六年生七人と五年生二人のレギュラーだけで固めた練習試合は、四月の初旬から下旬にかけてホームグランドで三回やった。長崎、吉村を中心にして千年小学校は奮起して戦ったけれども、大宝小、旗屋小、白鳥小とつづけて敗けた。
 五年生のレギュラーは私と関だけ。岩間たち残りの五年生は、いつもベンチで大声をあげる役をさせられた。私は一試合に一本ずつホームランを打ったけれども、すべて試合に貢献できないソロホームランだった。一人強力なスラッガーを入れたくらいでとつぜん弱小チームが勝てるほど、野球は単純なゲームではないことを思い知った。よく投げて、よく打って、よく守り、よく走らなければ勝てないのだ。ソフトボールが軟式に変わっただけで、野球がこんなに厳しくなるとは意外だった。
 三連敗に業を煮やした服部先生は、五月からの公式戦に備えて、思い切って六年生の一人を補欠に落とし、五年生を三人にした。守備練習も常に、一塁に関、レフトに私、ライトに岩間がつくようになった。岩間は千年の岩間医院の息子で、物知りぶった嫌みなやつだけれど、野球のセンスはとてもよく、肩もいいので、今年の秋からはエースを約束されている。
 補欠に据え置かれたり、レギュラーを外されたり、定位置から慣れない位置へコンバートされたりしても、口惜しがる野球選手はほとんどいない。野球は先天的な能力を必要とするスポーツだと知っているので、渋々でもその命令に頭を垂れる。排除されたり、軽んじられるさびしさはあるにちがいないけれども、そうされるとかえって胸の内はさばさばして、練習に精を出せる。もちろん嫉妬の感情など湧かない。ただ、さびしさからやめていく選手はいる。このひと月だけで、補欠が四人やめた。練習のつらさが原因でやめていくやつは最初から問題外だけれど、そういう根性なしはまずいない。野球選手は野球が好きなのだ。
「練習試合は、七月末の公式戦が始まるまでしばらく休止。基本練習に精を出すことにする。守備がいくらよくても、神無月一人の打力じゃ勝てん。主としてクリーンアップの打力を鍛えて、しっかり得点能力を上げることにする。先発ピッチャーは長崎と岩間の二本でいく。リリーフ二本は長崎がよく見て抜擢しろ」
         † 
 下水処理場の工期明けが迫ってきたというので、事務所と飯場が商店街の並びの表通りに移った。五年ほどそこに住むという話だった。もとの飯場は撤去され更地になった。酒井さんの家族棟と労務者棟はそのまま残った。
 バラックの造りは隅々までもとのままだった。ただ母子の新しい六畳部屋には、外に開いた窓はもちろん、内に開いた窓もなかった。風呂はガス式になったので、カズちゃんの仕事はだいぶ楽になった。
 日課の素振りは、裏通りに面した吹きさらしのガレージですることにした。ガレージに接して社員寮が建った。寮の裏から民家を縫って百メートルほど歩いた突き当たりは、丈の高い築堤でさえぎられていて、堀川運河の支流が入りこんでいた。築堤の石段を上って見下ろすと、水の流れていく先はなく、堰き止められて丸太用の貯水池になっていた。ここのにおいも大瀬子橋に劣らないほど強烈で、私は二度と近寄ろうとしなかった。
 築堤から半町ばかり離れたところに空地があって、暮れ方になると子供たちのたまり場になった。子供たちはメンコやビー玉をして遊んでいた。私はときどき彼らの遊びを眺めにいった。等分に供出して積み重ねたメンコへ自分のメンコを横ざまに叩きこんで、たった一枚を抜き飛ばすゲームがおもしろかった。ヌキ、と彼らは呼んでいた。仲間に入れてくれるように頼んでみたけれど、賭けるメンコを持っていないので黙殺された。
 その空地にいつも、カッちゃんというおかっぱ頭の中年女が寄りついていた。手に竹の棒を持ち、もんぺみたいなズボンに男物のゴムの短靴を履いて、外股で闊歩している。オブラートのように皺くちゃな顔はぞっとするほど老けていて、紅を塗った唇から黄色い歯が尖って見えるので、人食い人種とか、鬼ババと呼ばれていた。カッちゃんは、メンコやビーダマに無理やり混ざろうとするけれども、仲間に入れてもらえないとわかると、奇声を発しながらおかっぱ髪を振り乱して、棒で手当たりしだいに子供たちを叩いた。
 空地のすぐそばに、同じクラスの錦律子の家がある。大仏のようにいつもうっすらと笑っている足りない感じの生徒で、ときどき男子に擦り寄っていって、筆箱の鉛筆をぜんぶ削ってしまう。図体が丸太のようでのろまなので、みんなからニシキヘビと呼ばれている。彼女の存在を意識するのは鉛筆を削られるときだけだ。ふだんは床の塵のようにひっそりしているので、彼女に気に入られて鉛筆を削られる男子はみんな、おごそかな行事のように黙認していた。錦律子は私のすぐ横の席だけれど、私はいつもしっかり鉛筆を削ってくるので、これまで寄ってきたことはなかった。
 その日はたまたま、三本ほど私の鉛筆の先が丸くなっているのに気づき、
「それ、削ってきてあげる」
 と言って、三本持って帰った。翌日、怖いほど長く尖がった鉛筆をピンクのセルロイドの筆箱に入れて差し出した。礼を言うと、うっすらと笑った。筆箱はその場で返した。錦律子は少しガッカリしたようだった。
「康男は、錦律子に鉛筆削られた?」
「いや。ニシキヘビは気に入ったやつの鉛筆しか削らん」
「ぼくは気に入られてるんだ……。なんだか気持ち悪いな」
「そう言うな。女に惚れられるのは色男の特権や。ふつうの男には、そうそうあることやない。……おまえはふつうやないから、ぜいたくなこと言いたいのはわかるけど、ありがたく惚れられとけ。自分の気持ちだけは相手に見せんようにせえよ。それが男の度量や」
 なんだかいいかげんのような、重たいような言葉だった。以来、私は錦律子のほうを見ないようにしている。傷のある顔を色男とは思っていないし、ありがたく惚れられる度量など、私にはとても持てるものではないからだ。
         †
 日課の素振りのあと、夕食をすますと、折り畳んだ蒲団によりかかってラジオのナイター中継を聞きながら、そのまま眠りこんでしまうのが習慣になった。母に起こされて蒲団を敷くのは、たいてい十一時を回っていた。
 小林さんという労務者が酒井棟から回されてきて一階の寮部屋に入った。隣がクマさんの部屋だった。小山田さんや吉冨さんは二階に住んでいる。
 小林さんは、足のにおいのする部屋にしょっちゅう私を呼びつけ、しきりに痰を灰皿に垂らしながら、奇妙な単語を暗誦させた。
「朝鮮語ォ、一から十。はい! インブク、ブンブク、ブッチン、チャブロク、チーエー、パー、トロリン、ナンボク、トーラー、チャー」
 ずり落ちた眼鏡を押し上げて数え上げる。五回、六回と聞かされているうちに、私はそのでたらめな単語をすっかり覚えてしまった。
「次は会津白虎隊の歌ァ、はい! ミナミ、ツルガジョウ、ノゾメバー、ホウエンアガルー、ツーコクー、ナミダヲノンデー、カツーホーコース、ソーシャホロビー、ワガコトーオワルー、ジュウユークニン……、トフクシテータオルー」
 これも何回も聞いているうちに覚えてしまった。一度彼の吐く痰が私の指に落ちて、あとで嗅いでみたらとても臭かった。
 小林さんは月を経ずして姿を消した。隣部屋のクマさんは、そのひと月のあいだ息をひそめていて、一度か二度、私を呼んでアニタ・ブライアントの『ペイパー・ローズ』を聴かせてくれたくらいだった。
「キョウは人がいいなあ。まるまるひと月、慰みものにされてしまったな。ちょっと頭のおかしい男だから、だれも近づこうとしなかなかったんだが、現場でもあの調子で、とうとう頭領に首を切られちまった」


         十一

 日曜日、事務所の外壁沿いに、荒田さんが細竹と針金で朝顔の垣をこしらえ、種を蒔いた。前の飯場にはなかったものだ。青や白の可憐な朝顔の咲いている姿が目に浮かび、夏が待ち遠しくなった。寮から吉冨さんが出てきて、
「荒さん、案外器用なんですね。世話はどうするんですか」
「朝夕、水をやるだけだ。吉冨、おまえやってくれ」
「え、俺がですか」
「どんな世界でも、雑用は後輩の義務だ」
 その竹垣の道路向かいに、ちっともはやっていない駄菓子屋があって、そこの息子がいつも私の素振りを興味深そうに眺めていた。
 ある日、彼がキャッチボールしようと誘いかけた。熱田高校の一年生だと言う。
「野球部ですか」
「おお、まだ球拾いやけどな。熱田の野球部は名門だがや。ふつうにうまくても、なかなか正選手にはなれェせん」
「熱田高校? 聞いたことないなあ。中京商業なら知ってるけど」
「中商なんか、何千、何万人に一人や。エリート中のエリートやで」
 ちょっと近い距離でキャッチボールやってみたけれど、小学生の私より肩が弱く、コントロールもひどく悪かった。ボールが逸れて近所の窓ガラスを割ったらどうしようとヒヤヒヤした。
 仕方なく私は、千年小学校の校庭に出かけていき、彼にノッカーの名誉を与えた。彼はバックネットを背に裸足になり、勇んでノックした。遠くからでも目立つほど、甲高の大きな足をしていた。私は捕球しては、バックネットに直接当たるように投げ返した。
「おまえ、ショートバウンドの捕り方、うまいなあ。肩もええわあ。何年生や」
「五年」
「信じられん。レギュラーか」
「四番を打ってる」
「五年でか!」
「あの金網も、ぼくの打球でガラスが割れないように取り付けたんだ」
「金網て……嘘やろ。俺、千年の先輩やで。あんなとこまで飛ばすやつ見たことないがァ」
「じゃ、ちょっと投げてみて」
 攻守交替して、五つ歳上の少年にピッチャーをやらせた。コントロールが悪いので、高いのやら低いのやら、なかなか打ちごろの球がこない。ネットに当たった空しいボールをいちいち拾っては投げ返してやる。辛抱強く待って、一球だけ打った。いい角度で高く伸びていき、木造校舎の三階の金網に打ち当たった。
「なんじゃ、あれ! ふつうの飛び方やないで。熱田にもあんなに飛ばすやつおらんわ」
 校舎をじっと見つめたまま立ち尽くしている。それからおもむろに、ぺたぺたと足裏を鳴らしてボールを拾いにいった。走り方からしても、あたかも運動神経がない。補欠どころか、野球部をやめる日も近いだろう。足は大きいに越したことはないが、あの大きな足をスパイクで締めつけるのはたいへんだ。もともと野球選手には向いていなかったということだ。
         †
 英夫兄さんが休暇を取って戻っているとミッちゃんから電話が入り、土曜日の午後遅く母と二人で昭和区の家に挨拶にいった。つくづく大儀だけれども、彼女には従わなければならないと決めている。小さいころから、母の額の皺を見ると、わけのわからない不安が襲ってくるし、逆らったりすればいずれ思わぬ実害を被ることが確実だからだ。
 浅間下に移った夏のこと、虫歯のせいで頬っぺたが腫れ上がり、痛さも耐えられないほどだったので、学校を休みたいと母に言った。
「虫歯ぐらいで学校を休む子がどこにいるの。いますぐいきなさい!」
 怒鳴られ、傘の柄で頭をぶたれた。私は腫れた頬を押さえながら学校へいった。その歯は、短気を起こして指でぐらぐらこねているうちに、いつのまにか抜けてしまったが、歯医者へもいかせてくれなかった母の理不尽な仕打ちは、とうてい教育的な徳義心から出たものとは思えず、その後、年ごとに積み重なっていった嫌悪感と合わさって、根深い恐怖の形で心の底に定着した。
 ふだんはフットワークの悪い母が、親戚めぐりとなると精力を惜しまず出かけていく。ほかの兄弟姉妹たちもその傾向があるけれども、母はひとしおそれが強い。人を疎んじて囲炉裏に根を生やしたじっちゃから学ぶものなど彼女には何もなかったようだ。
「お、ペス」
 玄関番に昇格したペスが、私におとなしく頭を撫ぜられ、足もとでくるくる回った。英夫兄さんが式台に立ち、両手を腰に当てて迎えた。式台と言っても、玄関の戸を開けるとすぐの六畳にくっついている五十センチほどの板敷きだ。それでも飯場よりはましだ。飯場は鞘土間からじかに六畳に上がるのだから。
「キョウ、おがったな。いい色になったでば」
 法子が私の手を引いた。すでに夕食のテーブルが整っている。相変わらず色とりどりのおかずだ。厚眼鏡のミッちゃんがエプロンで手を拭きながら出てきた。母が頭を下げた。
「あの節は、ご迷惑おかけして、申し訳ありませんでした。郷も今度の学校では問題なくやってます」
「いいえ、こちらこそキョウちゃんにつれなくしてしまって、気にしてたんですよ。法子がめそめそ泣いて私を責めましてね」
 英夫兄さんが晩酌の盃を傾けながら、にこにこうなずいた。
「キョウはさっぱりした男だから、なんも気にしてねじゃ。な、キョウ」
「うん」
 気にしていないのではなく、いつまでも憶えていられないのだ。一瞬怒りや疑いを覚えたあとは、すっかり健忘症に罹って、釣糸のウキのように何かの折にピクピクしたときにだけ、都合よく引き上げてみたくなる思い出に変わってしまう。ミースケを殺した正体の知れない犯人、猿の鎖を離したお寺の小僧、サーちゃんのことで嘘をついた母、給料袋を一瞬のうちに持ち去っただれか、浅間下のいじめっ子たち、別れのときに背中を向けていたひろゆきちゃん、みかんを盗ませて逃げたクラスメイト……。しかし、どれもこれも、何日か経てば、無理に釣り上げないかぎり浮かんでこない記憶となる。
「さ、ビール、いげ」
 コップを渡して小瓶を傾ける。一年前のように格好をつけて飲んだ。法子が私の膝にしなだれてきた。郁子が妹の腕を引っ張った。
「おかげさまで、なんとか仕事にも慣れました」
「飯場の男どもは荒っぽいたて、人はいいし、まんざら馬鹿でもねえ。みんな気心知れたオラの配下だ。安心して働けじゃ」
「さっそくご飯にしましょ。その前に、ね、お義姉さん、ちょっと、見てもらえます? キョウちゃんもこっちきて。まだ半年も先のことなんですけどね」
 八畳間に誘う。来年の雛祭りのために買ったとかで、緋毛氈を敷いた雛壇におびただしい数の人形が飾られていた。いちいち雛の名や道具の名を私に教える郁子の得意げな態度が、なんだかムカムカした。母は腕組みしながら見ていた。
「しまうのがたいへんなんですが、夕食のあとですぐやりますから。英さんと話でもしながら待っててください」
         †
 夏休みに入って、ようやく公式戦が始まった。トーナメント初戦の相手は、千年から一キロほど北にある船方小。去年ベストエイトに残った強豪だ。同じ熱田区の中の、しかもすぐ隣の小学校なのに、これまで一度も戦ったことがない。
 南一番町の市電停留所を過ぎ、熱田高校裏から大通りを渡って、愛知時計の塀沿いに歩いていく。
「船方は強すぎて、練習試合の申し込みもなかなかできん。毎年こんなふうに公式戦で顔を合わせるだけだ。みんな頼むぞ。練習試合で負けがこむのは例年のことだから気にするな。今年のほうがチーム力はずっと上なんだ。かならず勝ち進める」
 服部先生が檄を飛ばす。私にも先生と同じような自信があった。
「船方にも勝てるんでにゃあか?」
 関が鼻をふくらます。六年生が苦笑いした。服部先生が関の尻をポンと叩いて、
「その意気だ!」
 ぞろぞろ歩いている六年生は、この四カ月で四人がやめていき、補欠四人を含めてたった十人。レギュラー六人は、エースの長崎、キャッチャー吉村、センター吉田、ショート竹内、セカンド加瀬、サード山辺。五年生は五人の補欠を含めて八人。三人のレギュラーは、レフトの私、ファースト関、ライト兼控えピッチャーの岩間。長崎と吉村以外の六年生レギュラー四人の名前は、きょうしっかり憶えた。この春に十人入部した五年生はすでに八人しか残っていない。ひと月に一人ずつやめていった勘定になる。船方小は五年生だけで二十人近くいるらしい。秋までにぽつぽつ六年生がやめていくだろうから、冬からは五年生八人しかいない。補欠五人全員にレギュラーになる力はない。見たところ、せいぜい二人ぐらいだろう。来年の千年は、もし有能な部員集めが失敗に終わると、凸凹のレギュラーしかいない貧乏所帯を切り回していかなければならないことになる。いまからそんなことを不安に思っても仕方がない。だいじょうぶ。今年、どんどん勝ち進んで野球部の評判を上げれば、きっといい選手は集まるにちがいない。
 リリーフの岩間は長崎より球がのろい。その分、コーナーをつく微妙なコントロールにすぐれている。だから内野ゴロの確率が高い。ショートの竹内は肩が弱いし、山辺は強すぎてよく暴投する。ショートバウンドならいいけれど、高くはずれる暴投はいくら背の高い関でも厄介だ。岩間の出番があればいいと思う。そのときは長崎がライトに回る。補欠のピッチャーにはまず出番は回ってこない。補欠の仕事は、試合中ずっと声を張り上げることだ。
 生まれて初めての公式戦―からだがふるえる感じだ。どんなピッチャーが投げてくるのだろう。速球派か、軟投派か。ホームランのルールはどうなっているのだろう。校舎に越えればもちろんホームランだろうが、校舎に当たった場合はどうなるのだろう。
 長い三階建校舎の下を横切って抜けると、大きな校庭になっていた。千年小よりも背の高いバックネットがある。すでに船方のレギュラー陣が守備練習していた。ピッチャーの姿はない。内野に混じって練習しているのだろう。
「すばらしいグランドだな」
 服部先生が言った。校庭の小石はきちんと拾われ、土もよく整備されている。
「どうだ、神無月、打てそうか」
 先生につられて部員たちがいっせいに外野を眺めやった。ライトとレフトは立木雑じりの生垣になっている。生垣の向こうは、道を隔てた住宅地だった。生垣まで八十メートルから八十五メートル。ほとんど千年と同じ距離だけれど、三階校舎がそびえていない分、狭い感じがする。
「あの生垣を越えればホームランだぞ」
「いけると思います」
「全打席、いっちゃうんじゃないの。俺たちは無理だけど」
 吉村が私の肩を叩いた。
「打ち損ないもありますから、一本か、二本なら」
 監督同士が挨拶をし、千年小が守備練習に入った。足が宙に浮いている。敵チームの目を意識し、思い切り返球する。糸を引くようにボールがセカンドベースに吸いこまれていく。船方ベンチの視線が集まっている。
「ええ肩やなあ!」
 私の後ろについている補欠から声がかかった。十分ほどで練習を切り上げ、三塁側の木製の長ベンチ前に集合する。服部先生のひとこと。
「守備のバックアップだけ気をつけて、全力でいってこい」
 トレパンを穿いたアンパイアの命令でホームベースに整列。頭一つ抜けたやつが一人いる。こいつがピッチャーにちがいない。
「礼!」
 長崎はじゃんけんに勝って、予定通り先行を取った。服部先生の影響で、千年チームはみんな先行有利を信じている。ベンチに駆け戻り、円陣を組む。服部先生が輪の中心に立ち、
「一番関、二番加瀬、三番吉村、四番神無月、五番山辺、六番竹内、七番岩間、八番吉田、九番長崎。勝つぞ。こてんぱんにやっちまえ」
 めずらしく荒々しい語気で言った。
「一回負けたら、終わりだがや」
 グローブをこぶしでパンパンやりながら関が言った。
「そうはならん。今年の千年はちがう。大差で勝つ」
 みんな明るい眼で見交わし合った。


         十二

 ベンチに居並んで腰を下ろす。補欠はラインの後方に立った。守備に散った船方の連中が千年ベンチを馬鹿にしたように眺めている。弱小の一回戦チームだと思っているのだ。私は頭抜けて背の高いピッチャーに眼を凝らした。やっぱりあいつだった。ボールはそれほど速くない。でも、ドスンと重そうだ。緊張感が最高点に達する。脚がふるえている。
「思い切り振っていけ!」
 服部先生が叫ぶ。関が悠然と打席に立った。アンパイアがプレイボールの宣告をしたとたん、初球をライト前にクリーンヒット。さすがシュアーなバッティングだ。味方ベンチからウオーという歓声が上がる。
「よし! 加瀬、バントなんかするなよ、打っていけ」
「はい!」
 やはり初球をセンター前へゴロで抜けるヒット。これまでの練習試合とちがって、みんな初回からのびのびとバットを振る。服部先生の暗示が効いている。つづいて吉村は、ワンスリーから左中間へ二塁打を放った。関がホームインしてまず一点。ノーアウト二塁、三塁。私は脚のふるえがやまないまま、公式戦の初打席に立った。ボックスの中で足踏みをしているあいだに、ふるえは止んだ。狙いは低目の膝もと。
「神無月、一発いけ!」
「一発、一発!」
 二球つづけて高目のどんよりしたストライク。
「どうした神無月、絶好球じゃないか!」
 三球三振に仕留めたかったのだろう。精いっぱい力をこめた速球が脛のあたりにきた。
 ―もらった!
 絞った両肘がスムーズに伸び、ボールを芯で捉えた。たちまち空高く舞い上がり、生垣の向こうへ消えていった。道で弾んで民家の庭に飛びこんだように見えた。
「見てこい! ガラス割れてたら、あとで弁償すると言え」
 服部先生が補欠に命じて走らせた。
「球がお辞儀しとるが」
「ソフトボールみたいやな」
「ほんとにベストエイトなんか」
 みんな口々に勝手な野次を飛ばす。初回に六点入った。あと四点でコールドだ。
 守備についたとたん、敵も野次りはじめた。かけ声だけは一人前で、長崎が一球投げるたびに、いちいち、
「ピッチャー、ノーコンよ!」
 と囃し立てる。二番バッターがまぐれ当たりの左中間三塁打で出たのを、三番がスクイズで返した。お粗末な攻撃だ。長崎は四番と五番をきっちり三振に切って取った。
 二回も私たちは打ちまくった。二回の裏、長崎一塁線を抜く二塁打、関がショートゴロエラーで出塁、一塁、三塁で加瀬のレフト前ヒットで一点、吉村のセンターオーバーの三塁打で二点。これで九点目。服部先生が叫ぶ。
「神無月、決めてしまえ!」
「コールド、コールド!」
 船方も黙っていない。
「バッター、格好だけよ!」
「チビ! ドジョウは二匹おれせんで」
「まぐれもタイガイにしとけや!」
 私は船方ベンチの期待を裏切って、センターの生垣越えにホームランを放った。一打席目よりも大きなライナー性の当たりだった。十一点。二回の裏に船方が二点以上入れないかぎり、コールド成立だ。船方チームが静まり返った。
「ピッチャー交代!」
 リリーフの下手投げが駆け足で出てきて、投球練習を始めた。癖のあるいい変化球を投げる。彼が先発していたら、勝負は長引いていたにちがいない。彼は無難に山辺と竹内をサードゴロに打ち取った。服部先生が複雑な笑いを浮かべて、
「あいつがエースだったんだな。温存しやがって。墓穴を掘っちまった。長崎、ライトに回れ!」
 岩間にお呼びがかかった。彼は二人を速球で連続三振、最後のバッターをどん詰まりのファーストゴロに打ち取って、試合終了。みんなベースカバーを気にするチャンスさえなかった。二回コールド、十一対一の圧勝だ。
 帰り道で服部先生は私を叱った。
「神無月、審判シンセイだぞ」
 二打席目で、顔のあたりのボールをストライクと言われ、ムッとしてアンパイアを睨みつけたことを言っているのだ。関が私の肩を持った。
「でも先生、あれはクソボールだったが。ソフトみたいに山なりにくるもんだで、キャッチャーミットの高さにごまかされて、ストライクって言ってまったんだわ」
「どんなときも審判にタテついたらいかん。いいな、神無月」
「はい」
「どうだ、俺の言ったとおり、今年の千年は強いだろ」
「オー!」
 みんなで鬨(とき)の声を上げる。関が六年生たちの顔を見回しながら、
「きょうのホームラン、ものすげえ飛んだなあ」
 吉村が、 
「九十メートルはいっとるやろ」
「いっとる、いっとる」
 長崎が私の頭をゴシゴシやった。服部先生は満足顔で、
「船方の監督は、神無月の守備を褒めてたぞ」
「守備?」
 みんなが顔を見合わせる。
「左中間からサードへノーバウンドの低い送球をしただろ? たしかに、あれはすばらしかった。バッティングはすごすぎるから、あえて褒めたくないんだろ」
「スポーツマン金太郎やもん、神無月くんは。褒めようがないよ」
 補欠の一人が眩しそうに私を見つめた。彼の言葉に、物知りの岩間がまじめな顔でうなずいた。私は横浜時代その漫画を夜遅くまで読みふけったことを思い出した。服部先生が、
「何だ、金太郎って」
 木田というひょうきん者のその補欠が答えようとすると、岩間が、
「漫画の主人公だが、先生。寺田ヒロオの大傑作。山から出てきた金太郎が、ホームランばかり打つ話です。今度、少年サンデー貸しましょうか」
 こまっしゃくれたことを言う。
「いや、漫画より実際の神無月を見てるほうが楽しい」
「じゃ、きょうから〈金太郎さん〉でいこまい」
 関の提案に、服部先生まで、金太郎さんか、ぴったりだな、と言った。
「先生、小学生って、背番号つけないんですか」
 岩間が尋く。きょうは一イニングを投げさせてもらって零点に抑えたので、すっかりエース気取りになっている。
「ベストフォーに残ったチームは、かならずつけることになってる。まだまだ先の話だ。しかし、幸先いいな。強豪船方に勝ったんだ。ようし、きょうもこれから練習するぞ」
「オー!」
 千年小学校は、とんとん拍子にベストエイトまで勝ち進んだ。ベストフォーをかけて、中川区の八幡小学校と戦ったけれど、長崎と岩間が打ちこまれて負けた。みんなさばさばした顔で帰途についた。服部先生は目を潤ませながら、ありがとう、ありがとう、と何度も言った。
         †
 公式戦を終え、私は九本のホームランを打ち、名古屋市の小学生記録を作った。そのことは新聞の地元版に小さく載っただけで、トロフィーや盾で表彰されるというものではなかった。
 小学五年生で九本という記録を達成したことは輝かしい名誉だということで、朝礼のとき校長先生から褒められた。
「これまでの市の記録を、四本も上回りました。九本という記録は当分破られないでしょう。決勝戦までいっていたら、あと二、三本は増えていたにちがいありません。スポーツはギリシャ・ローマのむかしから、学問や芸術と並んで個人の努力に名誉をもたらすものです。神無月くんの野球に打ちこむ情熱は並々ならぬものだと聞いています。情熱はすなわち、努力に結びつきます。どうかみなさんも、神無月くんの情熱と努力を模範にして、勉強にスポーツに大いに励んでください」
 漫画のようだと思った。いくら一芸に恵まれた結果だとは言え、自分の身に起きたこととは信じられなかった。ホームランを九本ばかり打ったくらいで、人はここまで褒めちぎるものだろうか。私はついこのあいだまで、つまり野球に打ちこんでいなかったころには、ベルトで殴られたり、どぶの水をかけられたりしていたのだ。それが、偶然見つけた才能にこだわり、鍛錬し、その成果を人に示しただけで、こんなに買いかぶられ、待遇まで変わってしまうのは恐ろしいことだ。たしかに野球がなければ、ベルトと、どぶの水が私に相応した人生だったにちがいないけれども、ホームランを打ったぐらいで、ここまで持ち上げられるのも自分に相応した人生とは思えない。もしホームランにそんなに価値があるのなら、持ち上げる人たちは、持ち上げるような面倒な手続をしないで、いっぺんに私を野球だけの人生に連れていってくれなければいけない。それをしないということは、ホームランなど褒めるほどの価値がないということになる。
 価値がないことを、にこやかに、大げさな言葉で褒めたたえている―撫でつけた髪のあいだから透けている校長先生の禿頭が、責任のない善人の象徴のように見えた。
 新聞を見たクマさんと小山田さんと吉冨さんが三人して、また私を名古屋駅前のあのロシア料理店へ連れていき、ボルシチとつぼ焼きとピロシキをおごってくれた。吉冨さんが言った。
「ここからは、長いぞ。とにかく精進だからね。中学を出るまで五年。けがをしちゃいけないよ。けがをしないのも、才能だからね」
「うん」
「高校のスラッガーになったら、もうプロは目の前だ。ぜったいピッチャーをやっちゃいけない。あっという間に潰れる」
 小山田さんが、
「おいおい、気の早いことを言うなよ。まだ五年生になったばかりだぜ」
「才能というのは、周囲がしっかり見守ってやらなきゃいけないんですよ。甘やかすだけで野放しにしてたら、かならず横道にそれるし、致命的な妨害も入る」
 クマさんが、
「せいぜいカバーしてやろうや。あと十年もしたらキョウの姿をカクテル光線の下で見られると思うと、ドキドキしちゃうぜ」
「キョウちゃんの心がけが、一番肝心です」
 吉冨さんの眼がきらりと光った。
「ホームランを打つって、そんなにすごいことなの?」
 私は吉冨さんに尋いた。
「すごいことなんだ。しかも、記録を打ち立てたとなったら、そりゃ、まぎれもない天才だ。かならずその道で生きていかなくちゃいけない。社会の財産になるからね」
「だよなあ、ダイヤモンドみたいなもんだ」
 小山田さんがしみじみとうなずいた。
 翌日飯場では、荒田さんが鶏をつぶし、庭で丸焼きにした。それは文字通り、ほっぺたが落ちるほどのおいしさだった。
「キョウちゃんが、これから〈どえらい〉ことをするたびに、鶏をシメてやる」
 酔ったクマさんが、どれほどすばらしいことを私が成し遂げたかを、母にくどくど説明していたが、
「そうですか。野球ごときで目立っても、大した自慢にはなりませんね。男は、頭が勝負ですから」
 と言ったきり、流しに向かって洗いものをしていた。カズちゃんは私にウィンクして、気にするなというような表情を作った。私は母の態度など気にしていなかった。バットにボールが当たる感触と、外野の頭上に伸びていく一本の直線を思い浮かべるだけで胸がいっぱいだった。
 私が部屋に引き揚げたあと、クマさんと小山田さんが徳利を手に提げてやってきて、何やかや話しかけながら、私が蒲団に入るまで盃を傾けていた。私は生返事を繰り返した。
「男は頭、か。ほんとに、おばさんはコチコチだな。どうしてあんな考え方になっちゃったのかな。これじゃ、キョウちゃん、かわいそうだよ」
「吉冨の言う致命的な妨害ってやつだろ。ま、とにかく俺たちで守ってやらなくちゃな」
 眠気で遠くなった耳に、母をなじる二人の声が心地よく聞こえてきた。


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