三十八

 三月二十九日水曜日。晴。朝冷えこんだが、昼間にはぽかぽか陽気になる。
一度ぐらいソフトボール大会の練習に参加してみようと、河原の練習のあと図書館へ向かわずにカバン携行で西高へ直行した。大会はあしたから二日間の予定。私が顔を出したので、フリーバッティングだけの練習になった。生まれて初めて右打席で打ってみた。ポップフライばかりだった。
「北の怪物って、その程度なの」
 平岩が言う。鴇崎らほかの連中も疑わしい眼つきをしている。
「ぼくは左バッターなんだ。大会では、ちゃんと左で打つよ」
「とにかく打って見せてよ。この目で見なけりゃ信じられんがや」
 うるさいので三本、左で打った。三本つづけてライナーで渡り廊下を越えていった。みんなシンとなったので、
「じゃ、帰るね」
 私はすたすたと自転車置場へいった。苛立ちの芽が双葉になる。適所で野球をやっていれば、きょうの余計な会話と行動の必要はなかった。
 五時まで花の木の西図書館で勉強し、市電路に自転車を走らせる。頬に当たる風がもうだいぶ暖かくなってきた。笹島から太閤通を走る。
 ―やっぱりあの場所に立っている。
 大門の街頭にポツンとたたずんでいる素子に手を振る。彼女は私に気づき、道を渡って走ってきた。二回目の逢瀬だ。
「いま春休み中なんだ」
「いつまで?」
「四月の五日まで。一度映画にいって、うなぎでも食って帰ろう。四月三日の月曜日、午前中に、十時までにはここにくる」
「うわあ、楽しみ! 四月三日月曜日、十時やね」
「うん、かならずくるからね」
「このあいだの月曜日、こんかったね」
「あ、忘れてた。ごめんね」
「ええんよ。忙しくしとるんやろなァって思っとったから」
 中村公園の奥まった小暗い林で後背位のアオカンをする。素子は何度目かの気をやり終えたとき、激しく胴ぶるいしながら間歇的に小便をした。からだが林の冷気で凍えていたのだろう、自然とそうなった様子だった。私は興奮し、彼女が小便をしているあいだに射精した。
 おたがいからだを暖めるために、鳥居のそばの喫茶店に入って、ホットオレンジを飲んだ。ナポリタンを食う。
「素子といると驚くことばかりだ。神社の木の根にたっぷり栄養あげたね」
「アハ、キョウちゃん、へんなことに興奮して、プクーッて大きくなるから、オシッコしながらイキつづけてまったわ。あたし、イクとき、丸くなろうとするでしょ。きょうはそれができんで、苦しかった」
 私は一呼吸置いて言った。
「一年後……来年の春に東京へいくよ。東大を受けるんだけど、もし受かったら、もう名古屋にはたまにしか帰ってこれない」
 素子は一瞬ギョッとした表情になったが、すぐに柔らかな笑いを取り戻して、
「そう、キョウちゃんは東京にいくん? じゃ、それからは、もう年に一回ぐらいしか逢えんようになるね」
「……素子は、ぼくのこと好きなんだね」
「好きやよ。生きてきて、出会った男の中でいちばん好き」
「ぼくが東京いったら、どうする」
 さびしそうにうつむき、
「商売せんと食べていけんし。いややけど、駅裏で立ちん坊するしかないわ」
「北村の娘さんに頼んで、トルコに勤めさせてもらったらどう? 収入は安定するんじゃない?」
「そうやね。トルコなら、どうせ募集かけるから、頼まんでも就職できるよ」
「いつから営業?」
「来年でなかったかなあ。……来年の春まで一年間は、あそこでキョウちゃん待っとるよ。月曜日だけにするわ。これんときは、無理せんでええよ」
「七時まで待ってこなかったら、引き揚げてね」
「わかった。私が商売せんと、家が生活できんようになるから、ほかの日は駅西に立つことにするわ。区画整理で立ち退かされたら、結局トルコに入るやろな。トルコは寮と食事がついとるから助かるんよ。……ごめんね、あれから、二人だけ、お客を取って試したんよ。思ったとおり感じんかった。いままでと同じやった。それで、やっぱり商売しようって決心したわけ。あたし、キョウちゃん、裏切っとらんよね?」
「ぜんぜん。かえって安心した」
 私は心から笑った。素子も笑った。
「東京へいったら、住所を教えてね。たまに手紙書くから。気が向いたら、ハガキでもくれん?」
「ぼくは筆不精だから書かない」
「うん、わかった。じゃ、あたしも書かん。キョウちゃんを煩わせるから」
 なぜか朝からの苛立ちが和らぎ、深い幸福感を覚えた。素子は西栄町まで送ってきた。
         † 
 じっちゃから手紙がきた。一向に音沙汰がないが、つらい思いをしておりませんか、という書きだしだった。

 好事門を出でず、醜聞万里を走る。おまえには気の毒なレッテルが貼られているから生きにくいだろうと慮(おもんばか)る。野球の名声を待つまでもなく、くだらないレッテルなどいずれ剥がれる。おまえの良い点は、見る者が見ればかならずわかるから、自分に自信を持って生きるように。
 
 読みづらい崩し文字だったけれども、どうにか読み取れた。レッテルというのは、中学生のくせに、色ごとで親もとから放逐されたとか、奇人でワンマンの母親の言いなりになっているといったような、たわいもないものだろう。そういった風聞は恥としていつまでも消えないと信じているのだ。古山が送ってよこした東奥日報の連載記事にも、そんなことが好意と同情をもってチラリと書かれていた気がする。じっちゃの澄んだ眼差しと、時おり見せる破顔を思い出した。その澄んだ心で大げさに考えすぎている。
 それでも、ありがたい気がして、返事を書いた。いつまでも私のような半端者を思ってくれることへの感謝と、自分なりに懸命に生きているけれども、未来の方針を貫くために万事に秘密の多い暮らし方をしているので、この先も貼られたレッテルどおりの醜聞にまみれた生き方をすることになるかもしれない、という正直な気持ちを書きつけた。正直に書くことで、やさしい老人の気遣いに応えたかった。秘密とは何のことか、じっちゃにはわからないだろうと思った。ばっちゃによろしく、と書いて、目が熱くなった。
         †
 三十日木曜日。雨模様なので河原には出向かなかった。霧雨でも河原にはこないようにとふだんから菅野に言ってある。
 ソフトボール大会は、降ったり止んだりの小雨の中で行なわれた。十度前後の気温で寒くはなかった。四番打者で出場し、四打席ともホームランを打った。すべて渡り廊下を越えるように狙って打った。レフトを守ったが、力をこめて返球するとだれも捕球できないとわかって、山なりで返すようにした。三塁を守っている平岩がへんにライバル意識を露わにし、ゴロを捕るプレーを華麗に見せようとしていたが、無様なことに送球がほとんどファーストに届かなかった。軟式野球部の四番打者の丹羽も三番バッターで出場したが、力まかせに振るばかりで、ボールは外野の定位置まで上がるか、お辞儀をしてライナーのヒットになるかだった。
 たとえソフトボールでも、ホームランというものはだれにとっても魅力的なもののようで、私の打球が空に舞い上がるたびにドッと歓声が沸いた。二試合入り混じって、同じ時間帯に同じグランドを使うせいで、別の試合のボールが転がってきたり、外野手がフライを追って突入してきたりした。そんなドサクサした中でも、北の怪物の打席になると、ほかの試合が中断されて、グランドじゅうが見入っているというふうだった。勝ち抜き戦ではなく、五回の裏が終わると、勝敗と関係なく、順繰りで対抗クラスを交代していく一試合こっきりのレクリエーション大会だったおかげで、優勝のプレッシャーがなく、私に打席が回ってくるたびに、敵も味方も固唾を呑んで観戦に興じるというふうだった。
         †
 ふたたび私は冬眠する熊のように部屋に閉じこもった。公衆電話からカズちゃんに連絡を入れて、しばらく河原の練習にはジャージで気まぐれに出るからそのことを菅野に告げてくれと連絡する。
 理不尽な転校以来の憤懣が予期せず一挙にきた。せっかくあの森から救い出されたのに、いったい私は何をしているのだ。この遠回りは何のためだ? 一度整理のついた頭が混乱しはじめた。野球とカズちゃんと山口、この〈一つと二人〉と生きていくべき人生が、ひどい迷路にはまりこんだのではないか? 
 人間という人間と顔を合わせたくない気分になった。河原の練習にも出ず、図書館にもいかず、読書に渇(かつ)えていたわけではないのに、煩わしい耳鳴りに悩まされながら活字に没入した。漱石が溜まっていたので、律儀にノートを取りながら読んだ。
 草枕、二百十日、野分。前衛ふうの美文調でなくなり、肩が凝らずに読み進めることができた。高々六十年前の小説かと思うと親しみも湧いた。耳鳴りがうるさい。この耳鳴りの源はどこにある! 私の首吊りだ。首吊りの源は! クソ、たとえ耳鳴りでも、生きて音を聞けるだけマシだと思わなければ、一瞬も目を覚ましていられない。
 草枕は、淡い旅先の雑記と、漱石が得意とする幻想だった。熊本が舞台。有名な冒頭につづいて《人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、絵ができる。住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、絵である。あるいは音楽と彫刻である》と書かれる。この芸術至上主義に私はこの数年疑いを抱くようになった。住みづらいこの世でどのように遁世するかが関心事だ。
 二百十日。短い。これも熊本が舞台。小説の大半が圭さんと碌さんの会話で成り立っている。漱石の権力批判。阿蘇山での遭難話。
 野分。才気のない目立たない作品。
 シロが、悲しげな顔で毎日窓辺までやってくる。かならずいっしょに散歩をしてやる。母に頼まれれば風呂の掃除をして、ついでにシャワーを浴び、インコに水と餌をやり、食堂の床や三階棟の廊下を掃除する。それ以外の時間はひたすら本を読んだ。
 古本屋からすべての新書を運び切った。長編虞美人草にかかる。
 二人の女に優柔不断な態度しか見せられない、後ろ暗い〈やさしい〉男、小野。人間を冒す毒。いっぽう、女好きしない、豪放で真実味にあふれた男、宗近。構図は簡単だ。物語の末に近いあたりで宗近が小野に放った真摯な科白が響いた。
「……まじめとはね、きみ、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたってまじめじゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて初めてまじめになった気持ちになる。安心する。……ぼくはきのうも、きょうもまじめだ。きみもこの際、一度まじめになれ。人ひとりまじめになると、当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる」
 しかし……そううまくはいかない。板ばさみはいつの世も簡単に解消しない。
 ときどき、読書に疲れると、数学の教科書を舐めるように検分し、章末の練習問題を納得がいくまでじっくり解いた。そうして深夜には、疲労で目がニチャつくまで詩稿を練った。詩は書かなかった。
 山口へ便りを出すことも忘れ、信じられないことに、カズちゃんのことさえ思い出さなかった。母や社員たちは、私が閉じこもっているのを、最終学年を控えての集中的な予習と勘ちがいして、バラックの部屋に近づいてこなかった。彼らは朝食と夕食のときだけヌッと青白い顔を出す私を見て、
「最初から飛ばさないほうがいいぞ」
「東大にトップで受かる気か」
 などとやさしく諌めた。山崎さんだけは片目をつぶって、
「溜まってるんじゃないか」
 と、だれの目にもそれとわかるからかい方をした。母が渋面を作った。


         三十九

 四月一日土曜日。苛立ちが収まらない気分のまま、ジャージを着てひさしぶりに河原の練習に出、その足で笹島に向かった。カバンごとサイクルショップに自転車を預け、名古屋駅前から船方の家に電話を入れた。面倒な手続を省いて女のからだを蹂躙したいという気分だった。こんな気持ちになったのは初めてだった。欲望を解消できるかどうか、解消した結果どうなるか心許なかったが、とにかくいってみることにした。
「わあ、ちゃんと電話くれたのね! うれしい。神宮前の改札で待ってまーす」
 電車に乗ると、自分の背が周りのほとんどの乗客より頭一つ高いことに気づいた。しかし百八十センチ前後で打ち止めだろう。あとは筋力だけだ。
 一時過ぎ、神宮前の改札で待っていた法子とタクシーに乗る。濃いめの化粧をしている。
「ジャージに運動靴なんてしゃれてるわね」
「あさ、ランニングした格好のまま、矢も楯もたまらずやってきた」
「うれしい。毎日からだを鍛えてるのね」
「うん、それだけじゃなく、庄内川の河原で名城大付属の連中と野球の練習もしてる。毎朝二時間くらい。おふくろに内緒でね」
「どうして?」
「野球をさせないために連れ戻されたから」
「ふうん、かわいそう……」
「うん、その程度のレベルだね」
「つらいでしょう」
「いや、うまく秘密が保たれてるから、つらくはない。ただ、なんだかブスブス腹が立ってる。お母さんたちは?」
「オリエンタル中村で買い物。それから神宮商店街で買出しして、お店で下準備。きょうは私、お店のお手伝いお休み。おかあさんにがんばってって言われちゃった」
「船方まで歩けば遠いかな。宮中のころ、ときどき歩いたよ」
「宮中からは一キロ、神宮前からは二キロ。タクシーだと六分ぐらいで着くわ。初乗り料金百円でオーケー。家の前まで入ってもらうから百二十円かな」
 運転手の背中が、そのとおりです、と言う。
 東門の前から熱田駅前の交差点に出、左折して、旗屋、本遠寺と通って白鳥橋へ。堀川を渡り、左折してすぐに船方。降りるとき運転手に二百円を渡した。律儀に八十円のオツリを渡される。それを法子に渡した。法子はめずらしそうに受け取った。
 信号を渡り、ふた筋目の細道を突き当りまで歩く。愛知時計の工場の巨大な建物と塀。
「ここよ」
 眺めるほどでもない玄関の松の植えこみを横目に三和土の土間に入る。上がり框に並んで腰を下す。素足の膝をさする。丸いふくよかな膝が進んで開いた。法子はスカートの下に手を導き、強く抱きついた。パンティに触れると、汗ばんでいて熱い。股ぐりから指を差し入れたとたん、細く切ない声が上がった。しっかり濡れていた。セックスを始点にしないと、男と女の関係はセックスを終点にする希薄なものになる。終点が愛であるかどうか知るためには、なるべく早く始点を出たほうがいい。蹂躙どころか、もう頭が考えを開始している。
「恥ずかしい。私、お風呂入っちゃうね。神無月くんは?」
「ぼくはいい」
「ベッドに入ってて。真ん中の部屋よ」
 冷えびえとする洋間の寝室に入って、見回す。机や書棚が見当たらない。ベッドの脇にガラスのコーヒーテーブルがあり、横壁に鏡台、反対側の壁に置時計やこけしの蒐集品を載せた洋箪笥があるきりだ。全裸になり、枕もとを小物や縫いぐるみで女らしく飾り立てたベッドにもぐりこんだ。
 シャワーの音が聞こえる。化粧を落とし、髪を洗い、秘部を洗っているのだ。トモヨさんや節子の母親や素子に接して以来、カズちゃん以外の女と交接することに悖徳(はいとく)の思いがない。特別なことではなく〈日常〉と感じるようになっている。交接すると決まったとたん、下心のあるなしといっさい関係なく、頭もからだもロボットになる。愛のある女かどうかは考えないで、からだも心もロボットにしないと、新しい女は抱けない。節子の母親のときも、その感覚に流された。
「お待たせ」
 豊満なからだが生まれたままの姿で入ってきた。胸ははちきれるほどで、大きな尻につづく脚が長い。陰毛は淡かった。
「どう、きれい?」
「きれいだ……」
「生まれたままよ。処女膜がないだけ」
 脇にもぐりこんできて横たわった。シャワーの水気がまだ残っていて、脇腹に冷たく触れる。こうして裸身を接していることに、何の違和感もない。
「……神無月くんの、見せて」
 法子という女がロマンチックでないのが私を安心させる。訪ねてきてよかったと思った。
「どうぞ、小さいよ」
 法子は身を起こして正座し、おそるおそる私の性器に触った。亀頭の縁を指先でさすったり、陰茎を握ったり緩めたりする。掌の皮膚が柔らかい。すぐにみなぎってきた。
「わ、なに、これ、怖い!」
 利き手で法子の陰阜をやさしくなぜた。腿を開かせ、指をみぞに差し入れてクリトリスの大きさを測る。大きい。女の性器を指で探るとき、野球の両翼を測るのと同じような気分になる。
「ああ、神無月くん、そんなことするの? 自分でしか触ったことのないところよ」
「その男は触らなかったの」
「このあいだ言ったでしょう? ただ突っこんだだけ」
「……お姉さんが言ったとおり、法子はほんとうにウブなんだね。きょうが二度目なら、まだ痛いかもしれないよ」
 小指を差し入れ、入口のそばを探ってみる。
「ツ……。ほんとだ、少し痛い。半年以上も前なのに」
「だいじょうぶ?」
「うん、ちょっとこわいけど、神無月くんとならがまんできる」
「きょうは危ない日?」
「だいじょうぶだと思う。……明かり消していい?」
「だめ」
 法子は脚を伸ばして仰向けになった。胸に手を組んで目をつぶっている。均整のとれた真っ白い肢体だ。腹がふくよかな丘を作っている。淡い陰毛の中ほどに、みぞの端が見える。どうしても細かく見るのが礼儀だという気持ちになる。
 腿を押し拡げると、たちまち、からだの美しさとは異なる複雑な褶曲が現れる。いつも感動するコントラストだ。観ているだけで膣口からしずくが沁み出してくる。小陰唇は長く、左右の発達の具合がわずかにちがっている。みぞのいただきに、包皮から半分頭を覗かせたクリトリスが光っている。ほとんどの女と同じ構造だ。すぐに忘れてしまう。初めて教えてもらったカズちゃんのものしか思い出せない。
「恥ずかしい……」
「舐めるよ」
「はい、舐められるの、初めて……」
「うんと濡れれば、入れたときの痛みも少なくなると思うから」
「わかった」
 小陰唇を口に含み、吸い上げるようにする。片方ずつ交互にそれをしたあと、クリトリスの包皮だけを上から舌で押す。何回かそれを繰り返す。小刻みに法子の腿がふるえはじめる。
「気持ちいい?」
「うん、とっても気持ちいい。自分でするよりズッといい」
「一度イクと、うんと濡れるよ」
「はい……」
 人差し指を膣に差し入れ、柔らかく往復しながら、クリトリスを舐め上げる。小陰唇が固くなってきて、クリトリスの包皮が後退した。肛門をさすり、丸く現れたクリトリスを舌で押し回す。
「イキそ……」
 舌先でクリトリスの包皮の内部をこそぐように、強く突き回す。クリトリスが急に固く膨張した。
「あ、もう、イク、ウウ、ウン!」
 私は尻を両手でつかんで持ち上げ、性器全体を口に押し当てた。法子は上品にビクンビクンと陰阜をはね上げる。
「……みっともなかった?」
「どうして? 自然なことだよ」
「一人でするときは、こんなに早くイケない。神無月くんの舌、とても柔らかくて、すごく感じる」
「もう、一人でしないほうがいいよ」
「でも、いつも神無月くんがいてくれるわけじゃないでしょ?」
「そうだね」
「……ときどき会ってくれる?」
「ひと月に一回なら」
「ほんと? うれしい!」
 法子は無言のまま手を伸ばして、また私のものを握った。
「さっきより固い……」
 こわがるように手を離した。
「ぼく、東京へ出るから。いずれ、まったく逢えなくなる」
「東京へいくの? じゃ私、どこか東京のお店で働く」
「東京へは、女神といく」
「だいじょうぶよ、神無月くんのそばにいるだけだから」
「入れるよ」
「はい……」
 ゆっくり、一気に奥まで入れる。まったく痛がらない。そのままじっとしている。
「少し動くよ。痛かったらやめる」
「はい。……ああ、神無月くんが入ってる、うれしい!」
 口づけをしながら、浅いところで抽送を繰り返す。
「痛くない?」
「うん、とっても気持ちいい」
 膣口が緊迫しはじめる。深すぎないように突き入れる。
「あああ、気持ちいい、すごく気持ちいい」
 壁が締まりはじめる。おや、と思った。けっこうベテランなのではないか。呼吸が速くなってきた。
「はあ、はあ、なんかくる、恥ずかしい、オシッコかな、いいの? オシッコしちゃっていいの?」
 ベテランではない。ひどく敏感な体質なのだ。
「いいよ、しちゃえばいい」
 往復のスピードを速くする。周囲の壁がさらに迫ってきた。早く射精することができそうだ。
「オシッコしちゃう、オシッコしちゃう、あ、熱い、オシッコ出ちゃう、ああ、気持ちいい! 神無月くん、気持ちいい! だめ、もうだめ、ぜんぶ出ちゃう、ウーン!」
 弱い快感の中で私も迸らせた。からだを離し、法子を見下ろすと、眉間に愉悦の表情を浮かべながら、形のいい腹と脚を痙攣させている。小便は漏れていなかった。唇にキスをし、乳首を含んだ。痙攣という共通の反応を除けば、女の快楽の表現は不定だ。共通の反応にも不定の表現にも目と耳を凝らしたくなるのは、カズちゃん一人しかいない。法子がぼんやり目を開いた。
「何がなんだかわかんない。なんかすごすぎて。……なんて言ったらいいの? ここが、なんだか、私じゃないみたい」
 陰阜に小さな手を載せた。
「オシッコしてなかったよ」
 トモヨさんのような愛液も飛ばしていなかった。
「ほんと? 何だったんだろ。でも今度したら、ほんとにオシッコしちゃうかもしれない」
 大道でできない卑猥な会話をしている自分たちを、私は自然界の単純さを眺める目で眺めた。光よりも先に闇があるという単純さだ。男と女しかいない空間でなら、人はこんな幼児のような会話をしながらも、崇高な愛を確かめることができるし、一瞬の火花を散らす快楽を愛情の極みだと確信することができる。しかし、愛する相手でなければ、確信する行為は虚しい。たわいのない小暗い会話で終わる。


(次へ)