五十四

 鳥居のある登山口から平坦な道を西へ進む。蜜柑畑の中を大きな駐車場に出る。看板に山上公園まで三千五百メートルと書いてある。曲がりくねった山路を歩く。水野が、
「島流しは十五歳か」
「そう。初体験も同じ年。幸不幸は部屋の壁だけが知っているみたいな、孤独でずたずたの中学三年生だった。それを救ってくれた心やさしき女性が、ぼくの女神だ。十五歳も年上の人だ。当年、三十三歳」
 私と出会ったときは二十五歳だったカズちゃんも、あれから八歳年をとった。胸に迫るものがあった。
「おばさんか」
 水野は年上の中年女に誘惑される少年という安直な構図を想像したようだった。
「彼女は化身だ。二十歳そこそこにしか見えない絶世の美女だけど、それは付録だね。と言ってもわからないだろうな。実家は駅裏で北村席という置屋をしてる」
「俺の家と同じヤクザな商売だ。金はあるだろう」
 水野は知ったようにうなずく。カズちゃんの天衣無縫が伝わらない。彼女に会わせるしかない。
「筆下ろしをしたいなら、北村席の女を紹介してやる」
 水野はクレージーキャッツのまねをして腰砕けの格好をし、
「ホラふくなよ、天才くん」
「ホラじゃない。世の中は人が思うほど悪意に満ちたものじゃない。ぼくの愛する女神の実家はそういう商売をしている。性欲の発散場所を見つけられない男どもを気遣って、真剣に面倒を見てくれる商売だ」
 水野は瞳をきらきらさせ、
「興味はあるが、怖いし、金もない」
「金の心配はしなくていい。きょうの帰り、女神のところに寄って、置屋へ連れてってもらおう」
 水野が眉を吊り上げ、
「女神を祀っている妾宅があるということか」
「ああ、おふくろにバレたら、また名古屋退去かもしれない」
 しゃべってしまうと、つまらない。
「やっぱり遠慮しとこう。女神の作るめしを食わせてくれ」
「わかった」
 木の間から雨空しか見えない。傘を差して犬を連れた女が散歩している。山と名がついていても、丘みたいなものだから、民家もかなりある。
 山上にたどり着く。山並の向こうに、折々、空と地に架け渡すような光が閃く。それ以外に眺望がないので、ベンチに坐って、水野の母親が持たせたという握りめしを食う。
「うまい。女が心をこめて作ったものは、何でもうまい。ぼくは梅干が苦手だけど、おいしいと感じる」
「女って……」
「小学生も、婆さんも、女だ」
 水野が私の腕を握って、公衆便所へ連れていった。
「見せろ!」
 小便が溜まっていたところだったので、ちょうどいい具合の大きさになっていた。二人並んでじょろじょろやっていると、水野が横合いから覗いてきて、
「うん、いいものを持ってる。カメさんがでかい。それは平常時のサイズか? 小便したくてそうなったんじゃないのか」
 私はうなずき、
「そのとおり、小便したいと伸びる」
「それにしても、立派だな。勃起すれば十四、五センチはある。日本人としては上の部類に属する」
 と水野が分析顔にうなずいた。そのときも水野は、陰毛を抜いて私の顔の前に突きつけた。ふだん、放屁さえ人間の生理として許さないと言っている潔癖症の男にしては、風変わりな行動だ。
「よくわかった。たしかに真っすぐだ。だから、女に見せてやれって」
 やがて雨が上がって、雷が去り、眺望が開けた。水野が、
「おお、美しい!」
「それ、黒澤の『生きる』の科白だな」
「ばれたか」
 彼は遠く指差し、
「揖斐川、長良川、木曽川。木曽三川。この全体が濃尾平野。もっと晴れてれば名古屋市も見える。遠くに白く見えるのは、恵那山、伊吹山」
 合羽を脱ぎながら言う。
「校歌に唄われてる山か。すばらしい。山の公衆便所に小便をしにきただけかと思ってたよ。歩いた甲斐があった」
 多度大社へ回る十五キロの一周コースを放棄して、山を降りる。
 私は彼に心を許して、カズちゃんのことを詳しく語った。妊娠しているトモヨさんや、文江さんのことはグロテスクに感じられると心外なので言わなかった。水野はひどく感動して、しきりに髪の分け目をいじっていた。空を睨んで歩きながら、ひとことも発しなかった。あだっぽい話が嫌いなのかと思って、野球の話に切り替えたが、彼の表情はさらに固くなるばかりだった。ただ、ぽつんとひとこと、
「おまえは超弩級の天才だ」
 と言った。霧雨がまた流れてきた。二人、合羽をはおる。
 午後二時半、名古屋駅到着。人混みへ戻ってきた。タクシーで花の木の家にいった。水野は緊張しながら、私が呼びかける玄関を見ていた。戸が開き、カズちゃんが出てきた。
「キョウちゃん、いらっしゃい! あら、西高のお友だち?」
「うん、気の合う友人だ。気を許しすぎて、カズちゃんのことほとんど話した」
「うれしい! 私もいよいよ公認ね」
 水野はカズちゃんのあまりの美しさに、涙目になっている。
「神無月が言ったより、きれいだ」
「あら、ありがとう」
 カズちゃんは水野に会釈した。水野はぴょこんとお辞儀を返した。私は、
「うまいめし、食わせてくれない?」
 女神はにっこり笑い、
「北村席から届けてもらう。私の腕は三文判だけど、席の賄いさんの腕は実印だから」
「水野、まだ童貞なんだ」
「まだ女の墨をつけてなかったの? オシッコするだけの飾り物だったんだ。ちゃんと墨つけて、いい字を書かないと。わかった?」
 露骨な物言いに、ボーッと聞き惚れている。ふと気づき、
「はい!」
 勢いよく返事をする。そうして、彼女に案内されるままに家の中を見て回った。
「ふーん、これが神無月の机か。ステレオ、原稿用紙。まいった!」
 髪の分け目をいじりながら言う。
「おまえは、何者なんだ……」
 カズちゃんが水野に向かって人差し指を振りながら、
「こら、何者なんて詮索はいいから、ただ惚れなさい。あんた、キョウちゃんのこと十分の一も観てないわよ。この先一年足らず同級生でいるくらいじゃ、爪の先程度しかわからないかもね。わかったら、男なら自殺したくなるし、女なら心中したくなるから」
 カズちゃんは北村席へ電話を入れた。
「あ、おトキさん、じつはね……キョウちゃんが西高の友だちを連れてきてね……多度山までいってきたらしくて……」
 手っ取り早く要領を得た話をしている。
「そう、お願いしたいの。学生だから、お腹いっぱいになるもの。え? アサリ? 深川丼、いいわねェ。それから、豚汁。豆腐とかネギとか、具をたくさん入れて。サランラップしないとこぼれるわね。よろしく。菅野さんいるんでしょ? きてくれるって? ありがとう。待ってる」
 そう言って、電話を切った。コーヒーをいれる。
「水野くん、私のことは秘密にしてね。怖いお母さんに知れたらたいへんだから」
「墓まで持っていきます」
「オーバーね。でもその意気よ」
 やがて、タイヤが砂利を噛む音がして、菅野が玄関戸を開けた。
「神無月さん、友だちができたって? ようやくですね。めでたいなあ。やあ、あんたが西高生か。お嬢さんの後輩だ」
 水野が驚いて、
「え、カズちゃんさんは西高出身ですか」
「二回生。大先輩よ。カズちゃんさんはやめなさい。カズちゃんでいいわよ」
「神無月が西高にきた大きな理由はそれだったのか」
「西高に欠員があったからよ。すべて偶然」
 菅野がガハハハと笑う。
「じゃ、私、戻ります。冷めないうちに食ってください」
 式台に丼を置き、平盆を持って車へいく。
「また、日曜日お願いね」
「ほーい」
 多度山で握りめしを一個しか食っていなかったので、ひどく腹がへっていた。私はガツガツと箸を使い、あっという間に食い終えた。水野の箸使いがのろい。まだアガっているのだ。やがてひとこと、
「これはうまい。名人だ」
 盛んにあごを動かしてアサリを噛みしめ、豚汁をすすりはじめる。私は居間の縁側に出て、庭の花を眺めた。キンレンカの黄色い五弁の花びらに霧雨が降りかかっている。そこへカズちゃんが、パイナップルの切り身を載せた皿を持ってきた。水野もきた。三人ぼんやり、雨の庭を眺めた。カズちゃんが、
「よく、キョウちゃんに近づく気になったわね。あまり親しくすると、毎日驚かされることになるわ。ふつうの神経ならたまらないわよ」
「だいじょうぶです。肝を据えました」
 カズちゃんがうなずきながら、
「近づいたあとは、自分を磨く根性が肝心ね。キョウちゃんは、なぜ人が近づいてくるかなんてことは考えようともしない人だから。ただ近づいてくるのをぼんやり眺めてる。人が去っていくときも同じ。だからみんな、おいそれと近づけない人間に思い思いの気持ちで近づいてきて、勝手に去っていく。そんな中で少しでもマシな人がいたら、私たちがよくしてあげないとね」
 水野がうなずきながら、
「神無月は、野球をいつから始めたんだ?」
「生まれて初めてソフトボールをやったのは、小一だった。もう十年以上前だね。考えたら長いなあ。……何げないきっかけでやった野球でも、やりつづけてきた理由がこのごろわかるんだ」
「どんな理由だ?」
「野球が、夢のように現実離れした楽しいゲームだったからなんだ。何ごとも、夢のようなことは、ただ少しやってみただけでやめちゃいけない、と気づいたのは、いろいろな転機で、命懸けで救済してくれた人たちがいたからだ。励まし、叱るなんて生やさしいレベルじゃない。命の救済そのものだ」
 水野はカズちゃんをチラリと見た。
「プロ野球選手になることは幼いころからの夢だったなんていう模範解答は空しい。ただの立身出世が非現実的な夢のはずがない。そんなことを夢だと思ってたぼくは、十五歳のある時点から、一途なこだわりを持たない、将来に夢を求めない平凡な人間になってしまったと嘆く破目になった。その確信だけが、野球しかできない、アタマもよくない自分を誠実に生かしめようとするたった一つの根拠だと悲しく思ってしまった。立身出世に対する絶望というやつだ。ちがうんだ。いまも将来もない、野球そのものが夢だったんだよ。夢のようなことをやるには、普段の生活にはない新しい感動に慣れなきゃいけない。その感動に、ぼくのくだらない病気が反撥する。単純な夢の感動を忘れて、複雑な不安や苦しみに価値を置きたがる病気だ。シンプルな夢に没頭することで、アホな病気を打ち負かさなきゃいけないのにね。……いまはそんなことさえ考えないようにして、ただ夢のゲームをやりつづけられるように、根気よくからだを鍛えてる」


         五十五

 水野は、私が異様に明るくこうした理屈を話して聞かせたのを、どう解釈したものかとしばらく考えているふうだったが、
「神無月の病気というのは、楽観的な夢を見る生活よりも、自分を疑いながら生きる悲観的な生活に価値があると考えてしまう病気のようだな。それはちがうよ。どっちも、主人でもないし召使でもない。夢は夢、苦しみは苦しみ。どっちも価値がある。神無月はそれを比べて云々するような馬鹿じゃない。自分を疑うことを忘れて、愉快さばかり追いかけるような人間なら、とっくに王様みたいな鼻持ちならない人間になってるよ。とにかく夢は夢で楽しんで、悩ましき現実は現実で究めながら暮らせばいいじゃないか。で、ほんとうに鍛練してるのか、この忙しい勉強期間中に」
「時間は探せばいくらでもある」
 カズちゃんが、
「夢を追ってもいいし、悩ましい現実生活に没頭してもいいし、それはその人の性格に引っ張られた生き方だから仕方がないこと。ただ、自分に与えられた才能を忘れちゃいけないわね。才能というのはどんな生き方の中でも、いちばん効率よく使える力でしょ。それを発揮しなければ、なんでそんな力を持って生まれてきたのかわからなくなっちゃう。だれも、キョウちゃんがどんな深刻な生き方をしようと、浮きうき夢の中で遊んでいようと、ぜんぜん気にしてないのよ。思うまま、その大きな才能のままに生きてほしいだけ。そのうえで、地位なり、名声なりの付録がつくんだったら、みんなで喜ぶでしょう。私たちに楽しい生活をさせてくれたということになるわ」
 水野が歯を見せて笑った。
「カズちゃんがまともな人間だとわかるな。夢だろうと何だろうと、神無月が活躍するのがうれしいんだよ。実際の話、神無月は悩み多き現実生活でも活躍しっぱなしだ。俺たちにはどっちがどっちだか、ぜんぜん区別がつかない」
 カズちゃんとうなずき合う。ニヤニヤしながら、またしゃべりだす。
「CBCニュースに映ってたぞ。困った顔して、何かしゃべってた。校長が、かんかんに怒ってるところも映ってた。取材のガード堅し、神無月選手ってな。おまえの声も校長の声も消されて入ってなかったが、うれしかった。みんな喜ぶんだよ。庶民なんてそんなもんだ」
 そのニュースをネタに、先夜も所長たちが酒盛りをしたばかりだった。私は自分の小才の人生が、何やら騒がしい、危険なもののほうへさらわれていく予感がして恐ろしかったが、彼らが喜んでいる姿を眺めるのはうれしいことだった。思わず深夜に三十分も三種の神器をしてしまったくらいだ。
 大学野球。プロ野球。未知の危険の恐ろしさを知るためには、いままで危険な目に遭った経験を必要としない。未知だというだけでひたすら恐ろしい。恐ろしさに備える継続的な鍛練でしかそれを吹き払えない。才能があろうとなかろうと、とにかく夢のように楽しい野球をやりつづけ、喧嘩をするときのように、死ぬ気になって、すべての打席に立つのだ。そうしたらみんなに手放しで喜んでもらえるだろう。そのとき私は、バッターボックスで大往生するのだ。カズちゃんが水野に、
「キョウちゃんにはキョウちゃんだけの夢に対する〈裁き〉みたいなものがあって、そこには何の妥協もないし、言いわけもないのよ。野球をするか、しないか、つづけるか、やめるか、だれも口を挟めないキョウちゃんだけの戒律があるの。自分を生かすことと、自分を愛する人を喜ばせることが調和しなくなったら、野球をやめるという戒律。その戒律をしっかり守って野球をやろうって決めたのね」
 私は多度山から眺めた山並の美しさへ話柄を変えた。
         †
 水野以外のクラスメイトと親しい交友はなかったが、度の強い眼鏡をかけた竹内という顔の長いにこやかな男とは、よく帰り道がいっしょになり、とりとめのない世間話をした。フォークソングクラブの一員だと信也が言っていた男だ。
「十月の文化祭できみたちと唄うようにって、信也に言われたよ」
「聞いとる。神の声だって言っとった。田島と原が、五曲ぐらいやろうぜって張り切っとった」
 田島というのはアーモンド形の色白の顔に丸眼鏡をかけた、一度も笑ったことのない無愛想な男で、歌など唄うようには見えなかった。原は四角い色黒の顔にいつも薄ら笑いを浮かべている男で、これまた歌を唄っている様子を想像できなかった。二人とも交渉を竹内にまかせて、私に近づいてこなかった。
「練習はしないよ。曲目だけ聞かせてくれれば、一人で練習する」
「それも聞いとる。こっちで合わすでええわ」
「金原は歌がうまいの」
「ジョーン・バエズばりだわ。田島はデュエットも二曲ぐらい考えとるみたいやで。いつでも夢を、と……何だったかな」
「デュエットは、二人で練習しなくちゃいけないな。ぼくはソロを二曲以上唄うと、ひどく疲れるんだ。だから、ソロは二曲までって伝えといて」
「わかった」
 勉強の話に切り換えて、数学と理科が苦手だ、と言うと、
「神無月くんは野球は天才やし、絶世の美男子やから、そんなのは大事の前の小事だがや」
 とわけのわからないことを言い、馬面のあごを伸ばして笑った。
 もう一人、本田という物腰の柔らかいにこやかな男がいて、よく机に寄ってきては、
「英語の勉強の仕方教えてくれん?」
 とか、
「きみのような人が東大に受かるんだよね」
 とお世辞でない調子で言ったりした。ある日、本田は唐突に、
「藤猛(ふじたけし)って知っとる?」
「知らない」
「日系三世のアメリカ人なんやけど、リキボクシングジムからデビューして、いまんとこ十三連勝。十一勝目は、東洋王座に挑戦して、笹崎を一ラウンド四十五秒でKOしてまった。この記録は永久に破られないだろうって言われとる。それから三戦して、十四勝二敗十二KO。黒星二つは外人にやられたんやけど、ボディが弱くてさ、そこ打たれると腰が引けちゃうんよ。だから早いラウンドで決着つけないと危ないってわけ」
 いやに細かく語る。
「でもすごいね。おなかが弱いってのも、愛嬌がある」
「うん、でもボクサーとしては致命傷だから、砂を詰めたバスケットボールでおなかを鍛えとるんやて。ソニー・リストン級のすっげえハンマーパンチでさ、だいたい二ラウンドか三ラウンドでKOしてまうんよ。東洋に敵なしで、今年の四月に世界チャンピオンのサンドロ・ロポポロに挑戦して、二ラウンドKOでぶっ倒しちゃった。一度見ておく価値はあるよ。ボクシング観が変わると思う」
 ボクシング観もなにも、私はボクシングというものすら見たことがなかった。寮に帰って、山崎さんに尋くと、
「ああ、知ってる。ジュニア・ウェルター級の、ポール・タケシ・藤井な。アメリカ海軍上がりの日系人だ。おっそろしくパンチ力のあるやつで、グローブの上から当たっただけでも相手がぶっ倒れちまう。あんなの見たことないな」
 すると三木さんが、
「オッカヤマのおばあちゃん、か」
 つられて社員たちが口々に、
「ヤマトダマシー!」
「勝っても、かぶっても、オシメよ!」
 と騒ぎだし、食堂じゅうが大笑いになった。どうも藤猛は試合に勝つと、そんな言葉を絶叫するらしい。ぜひ見てみたいものだと思ったけれども、何日か経つうちに忘れてしまった。
 さらにもう一人、いつも私の後ろからくさい息を吹きかけるあの紀尾井が、私の化学の成績が悪いのに同情して、背中をつつき、
「中間試験で百パーセント出る問題を教えたるわ」
 と、首に生温かい息を吐きかけながら言った。私は振り向かずに、
「いいよ、定期試験は問題にしてないし、化学は受験科目でないから」
 と答えた。彼は加藤武士や金原に伍する理系の秀才で、数学はたいてい武士を抜いて学年の一番だったし、物理や化学も三番を外さなかった。ただ口がくさいのでだれも近寄っていかない。いつも教室や校庭では孤独な雰囲気ですごしていた。人に注目されたい気持ちはあるようで、ノート代わりに新聞の折込をホッチキスで閉じて使ったり、ズボンのベルトは、本人いわく道端で拾ったというワラ縄を締めていたりした。あまりにもわざとらしいので、私はもちろんのこと、だれも見ざる聞かざるを通していた。
 あとはだれ一人印象に残らなかった。いつも教科書に顔を埋めている女が、私の机に近づいてきて、一重まぶたの丸顔で覗きこみ、
「青森から編入してきたんやてね、信也先生から聞きました。青森の五所川原は父のふるさとです。一度いったことがあるけど、寒かったわ」
 と言いながら、机から突き出した私の肘に恥骨を押しつけた。後ろからだれかに押されたわけでもないので、意図的だとわかった。見上げるとおかしな微笑を浮かべている。グリグリと肘に力をこめてやると、びっくりして去っていき、それきり近寄ってこなかった。
         †
 一学期の期末テストで、四百番台から五百番台すれすれにまで落ちた。順調に落ちてきたという感じだった。数Ⅲと化学と物理は十八点と十五点と三十三点、世界史と日本史は十一点と十九点、古文でさえ六十七点、かろうじて現代国語と英語だけは九十八点と百点で首席を守った。その二科目だけはなぜか勉強しなくても高得点を挙げられるからだった。
 クラスでは下から数えたほうが早い成績だったので、いつも最下位の横地という生徒に仲間扱いされ、親しい口を利かれた。竹内の言うところだと、横地は私と並ぶ美男子の双璧と囁かれているらしかった。睫毛の長い、つぶらな瞳、美しい唇、まろやかなあごの輪郭。とうてい太刀打ちできる美しさではなかった。男っぽい声を出さなければ、女と見まがうような美貌だった。双璧という評価はまちがっていると竹内に言うと、同じ美男子でも横地には〈霊妙さ〉がない、と難しい言葉を使った。その横地が馴れなれしく語りかけてくる。
「俺も山田中学じゃ、学年の一番やったんやで。秀才の転落ゆうやつやな。おまえもガッカリしとるやろ」
「別にガッカリしてないよ。実力試験で盛り返すから」
「ここまで落ちたら盛り返せんやろ。気分なおしに麻雀せんか。打てるんやろ?」
「まったくだめ」
「野球がプロ並みなら、麻雀ぐらい弱くてもええわ。あさっての体力テストは午前中で終わる。そのあと、うちでやろまい。教えたる」
 鈴木トオル、杉浦正樹、住田栄一という初めて見る顔がどこからか現れて、鈍才特有の謙虚な笑顔で親しみを表現した。
「初めて見る顔だな。どこに隠れていたんだ?」
「ちゃんとおったで。おまえの目につかんかっただけやが」 
 学年の常時下位二十人の鈍才組だと忌憚なく言う。痩せ顔のやさしい目をした杉浦が、
「神無月は岩塚やろ。西栄町から太閤通りに出る角にある床屋が、俺んちや。いつでも頭刈りにこいや。俺、耳クソ取りの名人でな、耳クソだけは客のリクエストでやったっとる」
 と言った。住田が、
「免許なくてもええんか」
「客がリクエストするんやから、しょうないやろ。ちゃんと白衣着てやるで」
         †
 七月十日の月曜日は、年に一度の体力テストの日だったので、トレパンで登校した。あらかじめカズちゃんに連絡して河原の練習はお休みにしてあった。
 まず体育館で身体測定。視力、右0・7、左0・6、身長百七十八・九センチ、体重七十八・五キログラム。そのあと検査室を移して、肺活量六千二百cc、握力右五十二キログラム、左六十八キログラム。
 それから校庭に出て、懸垂、五十メートル走、砲丸投げ、遠投、走り幅跳び、千五百メートル走の順番で測定を受けた。懸垂三十六回、五十メートル走五秒七、砲丸投げ十五メートル五十一センチ、肩に注意して投げたソフトボールの遠投は九十八メートル、走り幅跳び五メートル六十九センチ、千五百メートル走六分十一秒。
 翌日、信也がホームルームで発表したところによると、千五百メートル走が全校最下位で、あとのすべてが一位ということだった。とりわけ、五十メートル走と遠投は飛び抜けたトップで、全国高校生の中でもナンバーワンではないかと言った。千五百メートル走はトップから二分も引き離された最下位だった。
「どういうからだしてるんだ、神無月は」
「スタミナがなくて、瞬発力があるんです。ホームランを打つには、それでじゅうぶんです。スタミナは一、二年かけて少しずつ付けていきます」
「遠投がすごいが、硬式はどれくらい投げるんだ」
「百二十から百三十のあいだです」
 軟式野球部の丹羽が、ヒエーッと叫んだ。
「それ、プロでも五本指に入るんとちゃう?」
 信也が、
「いや、日本じゃなく世界レベルだろう。しかし化け物にも愛嬌がある。肺活量があるのに、千五百メートル走が亀さんだとはな」
 信也がワハハハと笑うと周囲が雷同した。私は山口の懸垂四十回を思い出して、二年余りのうちに二の腕に数倍の力がついたことを心から喜んだ。


         五十六

 体力テストのあと、横地たちといっしょに名古屋駅から名鉄で上小田井というところまでいった。横地の家は庄内川の支流である新川の土手沿いに建っている大屋敷で、在の地主だと一目でわかった。山田中学校まで五百メートルもないと彼は言った。彼は私たちを母屋へは連れていかず、離れの小屋に上げた。小屋はいびつな三角形をしていて、それぞれの面に窓が切られていた。机も書棚もなく、雀卓しか置いていなかった。最初は麻雀の基本書を読みながらの見学を命じられた。
 横地は麻雀の手だれだった。ほかの三人が〈上がって〉牌を倒したとたんに、複合役を一発で見取って、私に預けた基本書に書いてあるとおりの〈符〉と〈得点〉の計算を信じがたい素早さで行なった。自分が〈上がった〉ときは、ゆっくりと説明をして他人に確認のチャンスを与えた。
 二ゲーム目に参加を許された。私は当然のことに四人に比べれば信じがたいほどのズブで、パイの積み方や、手もとに持ってきて並べる方法、選択して捨てる理屈、〈役〉の作り方や得点の計算もまったく要領を得ないので、彼らに注意を受けながら何が何だかわからないうちに戦い終えていた。それから二回戦わせてくれたが、もちろん横地は四回戦って四回ともトップだった。私は三回とも最下位で、頭を使うゲームの才能不足をしっかり確認した。
「横地は異常な能力だね」
「おまえの野球ぐらいか?」
「野球は身体能力だから、比較にならない。でも、練習でどうにもならないという意味では同じくらいだね。麻雀プロになったらどう」
「うれしいこと言ってくれるがや! 俺、高校出たら、電々公社に勤めるんやけど、そこでがっぽり稼いだるわ」
「ひと財産築けるよ。ここまで強いと、麻雀がつまらなくなるだろう」
「そろそろ、なっとる」
「頭いいんだから、勉強もすればいいのに。もったいない」
「無理やわ。杉浦も床屋になるしな」
「おお。俺は手先が器用だでな。理容師コンクールで日本一になったる」
「鈴木は?」
「北大いきたいんよ」
「いけるか!」
 杉浦が叫ぶ。
「住田は?」
「名大」
「十浪しても無理やろ」
 横地と鈴木と杉浦が声を合わせて笑った。私は、
「いけるさ。二科目得意科目を作ればね。ぼくも英語と国語を九割取って東大に受かろうと思ってる。あとの科目は二割取れればいい。九、九、二、二、二。英語が百二十点、国語が百二十点、数学が八十点、理科百二十点、社会百二十点、計五百六十点満点。その割合で得点すると、英国で二百十六点、数学十六点、理社四十八点、計二百八十点でちょうど五割だ。百番以内で合格だろう。数・理・社をもう少し取れれば、首席合格も夢じゃない」
 紀尾井に言ったのと同じようなことを言う。確信があった。
「そこまで考えとるんか」
「一度考えて、二度と考えない。あとは、微調整だけだ。社会科をクソ暗記し、英・国を十割に近づける」
「ええなあ、能天気で。東大がだめでも、野球があるもんなあ」
「東大に受からなかったら、野球はない。浪人のときにプロから〈ドラフト外〉の誘いがあったら考えるけど、そうでないかぎり、野球とはおさらばだ」
 杉浦が真剣な顔で、
「神無月は百パーセント受かるて信也が言っとったで。河合の東大オープンが全国二番やったって。英・国は一番やったそうや」
「ほんとかや!」
 横地と鈴木も真剣な顔になった。
「なんで、中間、期末がああなるんや」
「学校が決めた出題範囲を知らないからだよ。でも、英・国はトップを保ってるからだいじょうぶ。きみたちは出題範囲を知ってるのに、なんでそんな成績なんだ?」
「勉強せんからや」
 杉浦が私の肩を叩き、
「俺たち、名西から東大合格者とプロ野球選手が出るのを見れるんやで。ラッキーなめぐり合わせやなあ。しっかり頼むで」
         †
 十七日月曜日。学校の帰りに、ドラゴンズメモを完成させるつもりで中村図書館へ。きょうは井上登から。彼の背番号51は小学生だった私の目にハッキリ焼きついている。
 井上登―右投げ右打ち。百七十三センチ、七十四キロ。ずんぐりと言うより、ガッチリ。岡崎高校から昭和二十八年十九歳で名古屋ドラゴンズ入団。二十九年には俊足巧打の二塁手としてリーグ優勝に貢献。日本シリーズ第七戦で決勝三塁打。三十年から三十三年まで四年連続でベストナイン。左殺し。シュート打ちの名人。三十六年から二塁を高木守道に譲り一塁に回る。三十七年南海へ移籍。中心打者として活躍。今年、中日復帰。現在三十三歳。ここまでホームラン百十一本。打率二割六分。無冠。背番号は憶えているが二塁手だったことは憶えていない。
 岡嶋博治―右投げ右打ち。百六十八センチ、七十二キロ。立命館大学を中退して昭和二十八年十九歳で名古屋ドラゴンズ入団。井上と同年齢同期か。三十一年には牧野茂からショートの定位置を奪い、三十二年から三塁手に定着。あの巨人コーチ牧野がもと中日ドラゴンズのショートだったとは知らなかった。三十三年、三十四年と盗塁王。三十六年河野旭輝と交換トレードで阪急に移籍、一イニング三盗塁の日本記録を作る。四十年サンケイ、今年東映と転々する。中日時代は三年連続四球王でもあった。現在三十二歳。目に親しんだ選手にちがいないのだが、まったく憶えていない。
 森徹! 右投げ右打ち。百七十三センチ、九十五キロ。早稲田大学から昭和三十三年中日ドラゴンズ入団。三十四年ホームラン王。三十七年濃人監督に中日を追われる。その後大洋ホエールズに四年、東京オリオンズに三年と転々する。本塁打百八十九本、打率二割五分一厘。思い入れはあったけれども、簡略にメモをとった。
 板東英二―右投げ右打ち。百六十八センチ、体重不明。甲子園のヒーロー。徳島商業から昭和三十四年中日ドラゴンズ入団。
そろそろ飽きてきた。今年九年目。去年まで六十二勝五十四敗。現在二十七歳。
 河村保彦―右投げ右打ち。このあいだメモをとったキャッチャーの河合保彦とまちがえそうだ。百七十七センチ、六十九キロ。多治見工業から昭和三十四年中日ドラゴンズ入団。板東と同期。憶えている。スッとした顔。バタバタ投げる投手。今年九年目。六十二勝六十六敗。二十七歳。

 疲れた。あと八人、写真と文章が載っているが、次回にしよう。
 思いついて、韓国の高校総覧を借りて読む。ソウル高専という学校は存在せず、日本人居留民のために一九○九年に設立された官立京城中学校(六年制)という日本人のみの男子校が存在した。韓国一の名門校で、京城帝国大学の合格者の大半をこの学校の出身者が占めていた。神無月大吉はまぎれもないトップエリートだった。ただ、二十代の前半を西松建設ですごしているところから、大学には進んでいないものと思われた。母はたぶん中学校という呼称を好まなかった。それで、高専と潤色したのだろう。返すがえすも情けない虚栄心だ。
 父の一家が韓国に移り住んだ理由を考えてみた。江華島事件、日鮮修好条規、日本人の韓国移住、日清・日露戦争の勝利、日韓併合。それで韓国は日本の一部になった。一九一○年から一九四五年、その三十五年間の日本統治時代に父たちは移り住んだのだ。政府の奨励があったか、移住の規制が緩やかだったのだろう。物資は豊かで、空襲もないいい時代だった。移住したくもなる。大工であったあの横浜の爺さんは、いい給料取りだっただろう。父が二十歳のころのソウルは百万人都市で(そのうち日本人は十七万人)、写真で見るソウル駅舎は東京駅にそっくりだった。
 おそらく父は京城中学校の建築科を十八歳で卒業したのち、ソウル市内の西松建設に就職した。そこで働く数年のうちに一級建築士の資格を取得したのだろう。建設会社は中国人や韓国人を強制連行・強制労働させたにちがいないので、敗戦国となった終戦後はほうほうの体で帰国したのではないか。
 図書館を五時半に出る。ふと、月曜日だと気づき、大門の辻に立っているはずの素子のことが閃いた。とたん胸が疼いた。三月、四月、五月と三度逢ったきり、もう二カ月余り顔を見ていない。足を急がせた。いた! とたんに涙があふれ、口約束に芯が通った。
 ―カズちゃんとこの女を伴侶にする。三人で上京しよう。
「素子!」
「キョウちゃん!」
 首にかじりついてくる。口づけをする。
「毎週いたの?」
「うん、六時まで」
「もうこんな馬鹿なことはやめな」
「やめん。ハチ公のつもりやから。月曜日だけやもの」
「そこでコーヒー飲もう」
「うん!」
 目についた喫茶店に入る。カバンの底から一万円札をつかんで取り出す。六十枚数えてテーブルに置く。
「何、これ」
「月曜日は立っているだけで客はとらないんだろう?」
「うん。三時間ぐらいキョウちゃんを待ちながら足の運動して、駅裏にいく。客がつかんように、物陰に隠れとる」
「ふだん、駅裏の客は何人ぐらい?」
「多くて二人」
「実入りは?」
「一人二千円」
「東京へいくまでもう客をとっちゃだめだ。一度でもほかの男と寝たら、ぼくに対する裏切りと見なすよ」
「……うん、もう寝ん。それで、このお金を?」
「そう。ぼくはひょんなことでお金をたっぷり持ってるんだ。使い切れない。まず、五十万。客がゼロや一人の日もあるわけだから、これで半年は賄える。この金を家の人に半年間、適当に分けて差し出すこと。二千円、四千円、ゼロ円と渡していけば、六日間で一万二千円。ひと月五、六万円程度ですむ。二月まで五十万で足りるだろう。はい、ほかに十万円。これで喫茶店や映画館で時間を潰せば半年もつ。うまくやるんだよ。この金は返さなくていい。と言うより、これから一生、ぼくたちは金の貸し借りをしない。あげるか、もらうかだ。人に見つからないように、いつもバッグに入れとくんだよ」
「はい! ほんとに東京についてってええ?」
「ああ、素子に心の底から感動したんだ。ぼくはこうと思ったら貫く。感情まかせに杜撰な判断はしない。その判断に人生を賭ける。女神にはかならず報告するからね。ぼくに手抜かりがあったときは、かならず彼女が穴埋めする。そうなってるんだ。ぼくは絶えず複雑な事情を抱えてるから、手抜かりもある。でも安心していてね。まちがいなく東京に連れていく。それまで、毎月一回、月末の月曜日にここで逢おう。そしてコーヒーを飲んだり、旅館にいったりしよう」
「うれしい! 私、二月まで、映画観たり、喫茶店で本読んだりする。そして、月末の月曜日にあそこに立っとる」
「都合がつかなくて、これない日もあるだろうから、そのときは、六時になったらさっさと帰るんだよ」
「うん!」
 そのまま喫茶店の前で小鳥のキスをし、手を振って別れた。自転車を飛ばして帰った。食堂へいき、酒宴にまぎれてめしを食った。


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