2002.10月インタビュー



「最新作の風と喧噪はどういう気持ちでお書きになったのですか?」

会津純一を葬るべきだと考えました。自分の中にある最終章を書いたという気持ちです」

「というと?」

「序章が『五百野』で間章が『牛巻坂』、『誘惑』、そしてこれが終章ということです。順不同で書いていますが、大絵巻を意識しての上です。『風と喧噪』は会津の脳髄を抽出しました」

「『風と喧噪』の表紙のデザインも人間の細胞の核のようなイメージでしたね」

「表紙のデザインの方とコンタクトを取っているわけではないので偶然でしたが、そのように読み取ってもらって大変嬉しく思います」

「今、『冬蛾』という作品を書かれていると前回のインタビューでお伺いいたしましたが、進捗状況はいかがですか」

「いま、5回目の最終推敲に入っています。最も思い出深い時期を今まで書かなかった理由を探る気持ちで書いています。たぶん、人から最も助けられた時期が芸術作品として実るかどうかが疑問だったからだろうと思います。でもその時期にも意外と自分の足で歩いていたことが確認できました。書かずに済まされる人生の一部などあり得ないということです。人はアクセントをつけて生きていますが、そんなものは存在せず、どんな時期もアクセンチュエイトできるということです」

「アクセンチュエイトってどういう意味ですか?」

「強調する、つまり・・・。芸術作品として抽出できる・・・」

「ああ、わかりました。先生がいつか言っておられた「現瞬を生きる」っていうことですよね。先生は謙遜してなにか教訓のように言ってましたが、先生は常に現瞬を精一杯生きてこられたのでしょうね。わたしにはちょっと残念ながら真似できませんが(笑)。そういう人間には常にその瞬間、瞬間がアクセンチュエイトだから、翻っていえば、強調がないと言えますね。やはりそのようなテンションが保てない私のようなものは「ああ、あの頃はよかったな、とか、若かったな、とか輝いてたな」なんて甘い感傷に浸りがちです」

「でも、僕は、人間はその様に生きねばならないと思っています。そういう挑戦を次の作品でもう一度するつもりです。題名は『青春の光輝あまねき』にしようと考えています。早稲田時代の交友の悲喜こもごもをすっかり書ききるつもりです。きっと僕の友人たちが一番待ち望んでいた作品になるはずです」

「ところで、どのくらいのペースで本を読んでいるんですか?また最近読んだ本で面白かった本はありますか?」

「本を読むペースは、予備校の仕事をしている関係で、二日で一冊。大部のものだと一週間で一冊のペースです。最近面白かったといえば、シュニッツラーなどのロシア短編集ですかね」

「どういう点が面白かったのですか」

「死を見つめる真面目な作品が多い。それは僕の作品のテーマにも一致しています」

「私も是非読んでみたいです」


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