2002.12インタビュー
「今。書いている『冬蛾』について教えてください」
「はい、題名を『ブルー・スノウ』と変えました。青森時代の古い友人が雪のことを書いてくれと昔言ったことがあって、書き終えた途端にそのことを思い出したんです。そしたら象徴的な意味ではなく、きっちりと雪の百態が描けた作品になったなぁと急遽『ブルー・スノウ』という題にしました。はまったと思います」
「いい題名ですね。でも、先生の作品でカタカナの題名は珍しいですね。というより、初めてでしょうか・・・」
「カタカナの題名には抵抗があったんですが、今回に限っては、『ブルー』という言い回しに意識しなかった深みが加わって、一見して内容に期待の持てる題名になったと思います」
「もう、完成しているということですか?」
「はい」
「私も是非はやく読んでみたいのですが、内容について聞いてもよろしいでしょうか?」
「この作品は、これまでの九作に無意識に抜け落ちていた、多分それまで重要でないと誤解していたせいかな、中学から高校にかけての四季を僕なりの手法で書いたものです。書きながら自分の人生にとってきわめて重要な時期であったことを痛感しました」
「重要な時期とは?もっと具体的に聞いてもよろしいですか?」
「ええ、自分の人格形成に決定打を放った時期だということです。この時期に希望と忍耐の重要性を知りました。なぜ今まで書かなかったのか不思議なくらいです。おそらく書けなかったのでしょう。その二つは、年齢が熟さないと書けないものなのかもしれません」
「先生の作品は私小説的な作品が多いと思われますが、私小説に対するこだわりみたいなものがあるのですか?」
「全くありません。私小説を書いているつもりがないので・・・。人生のプロットを拾っても、僕は「私」のことを書いたことがないのです」
「というと?」
「常に≪人間≫を書きます。≪人間≫とはどうあるべきか?どう生きれば悔いがないか。だから、ほとんど想像一本槍で書いていると言っても過言ではありません。「私」と誤解を受けるのは、人間のことを書きすぎるからだと思います。つまり、参考資料としての≪人間≫が存在すると思われしまうわけです。でも僕は人間らしい生臭い≪人間≫を言わば捏造します。彼らは僕の経験の範囲内では僕の周囲に存在しないし、主人公自身は僕ではありません。したがって、私小説ではありません。ひょっとしたら僕はもっとかっこよく生きていたかもしれません。しかし、かっこよさは芸術ではないのです」
「かっこいいって随分しょった言い方ですね(笑)。どういう点がかっこよかったんですか?」
「外面的に光を添える生き方ということです。内面を黙殺し、外面を飾るということです。期待される人間像ということですよ。芸術的観点からすればもっともみっともない生き方ということです。この世にはかっこいい人が溢れているでしょう。彼らは模範にはなっても光にはなりません。芸術作品の登場人物は光を与えなければいけないと思うんです。こういう人にはなりたくないけれども、こういう人には救われるという人物像です」
「そう言えば、『あれあ寂たえ』に先生の18歳の頃と21,2歳の頃の写真が載ってましたが、確かにかっこよかったですよ(笑)」
「かっこよく見せようと振舞っていましたから。まあ、外見ばかりでもなく肩書きということもですよ」
「学歴とか、社会的資格のことですか」
「そうです。それを心頼みとして輝くということです。それは少なくとも芸術的生き方ではありませんし、芸術家が生み出す人物の生き方でもありません」
「現役で東大に入ってますよね。もしかして、中退もそのせいですか?」
「意識下にはあったかもしれません。でも、その頃はまだそれ自体も美学として捕らえていました。でも美学は光ではないんです。『棄てる』という気持ちすら捨てないと輝き始めません。棄てたことがわかると鼻につきますからね。『みっともなく失ったんだ』じゃないと、どこかに作為が匂いますよね」
「実に『川田拓矢』らしいご意見ですね。感無量です!!」
「ハハハハ・・・・(大笑)」
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