2002年6月インタビュー


「今、どういうものを書いているんですか?」

「僕は、牛巻坂のあの少年から脱しきれないところがあって、彼の半生をつづれ織り式に書いてゆくこと、つまり一生彼のことを書いていくということになるんですが、それがいつも変わらない仕事です。今、その少年の中学時代から高校時代にかけての時代を書いています」

「それは嬉しいですね。是非、あの会津純一の青春時代のことが知りたかったですから」

「『冬蛾』という題です。いつもの通り暗めの題ですが、結構明るく書けているんですよ」

「暗いなんて、とんでもありません。川田先生の題のつけ方は、独得で重みがあっていつも驚かされます」

「それはどうもありがとう。今度の作品は原稿用紙三百枚から五百枚くらいの大作になりそうです。来年の四月頃に発売できたらいいなと思っています」

「それは楽しみです」

「先生は、日頃どのようなことを考えながら書いているんですか?自分の作品に対する総体的な構想といったものはお持ちですか?」

「一人の人生を、自分のこととは限らないが、丹念に一筆一筆塗り重ねていって、最後に点描のような美しい油絵を俯瞰するというのが、作品の全構想です」

「なるほど・・・。ちょっと話が反れますが、先生の言葉を聞いているうちに、昔ニューヨークの美術館で見たモネの作品だったか(マネだったか忘れましたが)『睡蓮』という絵画を思い出しました。とても大きな絵で点描で描かれているため、最初、あの有名な『睡蓮』だと気付かなかったんです。少しずつ後ろにさがりながら眺めているうちに突然美しい情景が現れたんですよね。とても素晴らしいものでした。絵画と文章というのは違うものですが、先生が著わしたい抽象的イメージがよくわかったような気がします。それでは具体的に読者に伝えたいものって何ですか?」

「愛、友情、その二つ。たった二つです。知性人の嫌うもの。それでいて知性の及ばないもの、普遍的なもの―」

「それはまさに現代の日本人が忘れかけているものといえると思いますが、現代の日本の文壇や賞の傾向からみると、残念ながら、評価されにくい分野ですよね。正直申しますと・・・。でも西洋の古い作品群は多くそのテーマを扱っていますよね。ちょっと大袈裟な言い方かもしれませんが、日本人である、ということが先生の枷になっているということはありませんか?」

「人間としてどうのこうのはないです。ただ、仕組みとして文学界へデビューするのに祭りに参加する前提が必要だということ、文学界が流行の幻に捉われていて、純朴な作品、長く魂の救済に付与しそうな作品を≪二流≫といして切り捨てている傾向、そういったものを悲しく見ているという気分はあります」

「驚くほど、正直な意見ですね。流行は幻。そうかもしれませんね。それにお金に付随することが多いですし・・・。その金に付随する流行が芸術の手段としても文章に大いに反映される傾向は残念なことだと生意気ながら私も思います。話は戻りますが、つまり、知性としてのアンチ・テーゼとしての、愛、友情というものを考えていらっしゃるわけですね」

「そこまで、大仰なものではなく、それしか書けない器であるというだけのことで・・・」

「愛と友情がテーマの先生の作品でも、あわや受賞という機会は結構ありましたよね。処女作『牛巻坂』なんかほんと惜しかったですよね。でも私は、あの十年前が文学界でも過渡期だったんじゃないかなと密かに思っているんです。あと5年早かったらという気持ちは正直はあります。『五百野』でも「群像」で、今は亡き後藤明生先生にで「回想記」とか「自分史のジャンルに属する」なんて評価されて惜しくも次点でしたよね。そんな文学界に対しての感想はありますか?」

「別に何も・・・。全く関心が湧きません。ただ、自分の作品に対しての彼らの反応なら言いたいことがあります。私の作品はフィクションで、それぞれ百パーセントの創作なのですが、自伝と受け取られてしまうところがあります。ある意味でそれは、自分の技量を誇るべきことでもあるし、私が本来的に抱えている悲劇でもあると思っています。現今の文学界の人々に私の嘘を見破ってもらえない、という意味でね」


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