2003年11月インタビュー
「早稲田を舞台にした新しい小説をお書きになっているとか・・・。今日は、『友達』をテーマにお話を伺いたいと思ってやって参りました」
「ああ、いいですね。ちょっといつもとは毛色が違いますね。そうだなぁ、友達とは、高じた趣味みたいなものですね。腐れ縁で慣れ親しんできたので、肌身離せない。それがあるので、死にきれない。ぼくをこの世に留め置いてくれる<延命装置>のようなものかな。いろいろな言い方はできます。ありがたいとか、貴重だとか、生き甲斐だとか。でも、そういう受け身の表現では言い足りないところがある。もっと積極的な、こちらから働きかけて、磨き上げて、愛して、身を捧げるというところまでいく・・・・・。やっぱり、趣味と言う言葉が一番合っているな」
「随分、情熱的な意見ですね。そんな風に思える友達がいらっしゃるのは羨ましいです。いつごろそういうお友達と出逢ったんですか?」
「大学時代です。早稲田で二人。東大に一人。それぞれがもう、一家を成しています。
友が我より偉く見える日よ。・・・・
やっぱり、友は自分より偉くあって欲しいですね」
「それ何ですか?」
「・・・・花を買いきて妻と親しむ
啄木のうたです。でも、ぼくは啄木と違って、やっぱり友達は自分より偉くあってほしいと思うんです」
「なぜですか?先生に<普通>はなんていうのは失礼ですが、普通は、『こいつには負けたくない。こいつにだけは、それは、やつは俺の友達だからだ』。なんて言っちゃてる人が多いですよね(笑)。先生は、どうしてそんなふうに思えるのですか?」
「甘えられるから。甘えられない友なんて、友じゃない。最大限に甘えて、自己解放して、それを許してもらって、逆に自分の腕も広げておく。彼らが飛び込んでこれるように。でも、ぼくの場合、甘えさせてもらうのが主だったですね。彼らが飛び込んできたことはあまりない。救けられてばかりです」
「どうしてそうなるんでしょう?」
「才能ある人間だが、この世では栄達を遂げられないと彼らが見切っていたからでしょう。ぼくは大学時代から学業をそっちのけにして、女と同棲しながら売れない詩や小説を書いていましたから。いまも売れませんけど(笑)。それが彼らの目にとてつもなく清新に映った。あれほど彼らがぼくにやさしく接したのは、あの当時、ある種の悲哀と高貴さが、ぼくのからだに漂っていたにすぎません。でも、その錯誤も彼らにとっては青春であり、共に語った荒々しい思想、ともに行なった情緒的で破壊的な活動、そういうなつかしい青春のひとこまひとこまが過大評価されて、それがいまなお彼らの脳裏に、大切に、永遠を匂わせながら残っていると思います。転じて言うと、逆にそれだけが唯一、ぼくが彼らに返報できるお礼かもしれません」
「・・・・・。ちょっといいですか。『全き詩集』のうたを思い出しました。
・・・・・・しかし 君よ
いく夜さの夏をかぎりに
友情を薄くしないでくれ
君の笑顔に諌められ
僕の胸は ますますふくらむのだ
君にとめどない愚考を捧げ
倦むことのない語らいのうちに
生きのびたいと願う僕は―
先生は、いつまでも変わらず一貫した情緒体系をもっていることにいつも驚かされるし、素晴らしいことだと素直に思います。でも、これは先生の癖かもしれませんが、今みたいな逆説的な言い方をいつもなさりますね。私は本当に先生には天分があると信じていますが・・・」
「それは神のみぞ知る、です。だれが裁決を下すことでもないのです。ぼくが生きてこれたこと、それは彼らの力があずかることろ大であった、と、一方的に愛情を注がれたぼくが彼らに感謝の言葉を捧げているだけです。ぼくたちの誰かが死んだら、残された者の一人が葬儀委員長を務めること、と約束し合っています。そのことがぼくたちの友情の深さを表しています。深さばかりでなく、平等性を信じるために、ぼくは彼らを想いつづけます。彼らはひとかどの人間ばかりですから、充実した、あるいは慌しい生活の中で、ぼくのことを忘れてしまうことが多いかもしれません。だから、ぼくが彼らのことを想いつづける」
「胸が熱くなります。なにか悲愴な感じもしますけど・・・」
「悲しいことはない。友情は歓ばしい。彼らが生きているから、ぼくも生きていける。いま書いている『光輝あまねき』もそれを描きたいがために着手しました」
「それはとても楽しみです。どうしてそのような題名をつけたんですか」
「青春を謳歌する人間同士が友情という好ましき<幻>に輝かしく絡みあう時代をイメージしてつけました。登場人物はぼくを含めて、いま言った二人を主とし、それにまつわる人間模様を思い通りに書いていきます。強烈な印象を残している男女をパノラマのように羅列し、具体的に行動させ、抽象的に思索させます。実話ではなく、真実話なので、思い通りでないといけません。二人の友人には、文句を言わせない。彼らはこれまでのように許してくれる。彼らはぼくの思いの深さを知り、この本を抱いて泣くでしょう。友であってよかったと」
「いいですね・・・。早く完成させてください」
「来年の春から夏にかけて、かな」
「最後に友情というものについて一言、お願いします」
「記憶ちがいかも知れないけど、維摩経の第一義は『友情こそ佳けれ』ではなかったでしょうか。これ以上の言葉は見当たりません」
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