2003年9月



「先生、こんにちは。もう、9月だというのに、真夏のような暑さが続いていますね。先生は暑さは苦手だと聞いていますが、大丈夫ですか」

「家にひきこもっています」

「ハハハ(笑)。ひきこもって、執筆以外で何をしているんですか?」

「音楽を聴いています」

「そういえば先生は、オーディオ雑誌に載ったことがあるほど、立派な音響機器をお持ちですね。それでは、今日は先生の音楽遍歴をお聴きしてもよろしいでしょうか」

「はい」

「それでは、いつ頃から音響に凝りだしたんですか?」

「小学校6年生からです。私は飯場に暮らしていたんですが、土工の一人にステレオ装置を買ってもらったんです。当時は60年代ポップス花盛りの時代で、ニール・セダカ、コニー・フランシス、ポール・アンカ、ロネッツ・・・あとはもう一直線でした。それと平行して、歌謡曲や演歌やクラッシックを聴いていました。中学に入って、『音』に目覚め、ジャズに深く傾倒するようになりました」

「だいぶいろいろな音楽をお聴きになっていたようですが、ソースはどうやって手に入れていたんですか?」

「すべてレコードです。さもなければ、リールデッキレコーダーで、ラジオから直接録音しました。こまごまと大変なお金がかかりました」

「レコードはすべて自分で買っていたんですか?」

「はい。というと語弊があります。僕はおこずかいを一円ももらっていなかったので、土工たちの誰彼と遊山に出かけるたびに目に付いたレコード店に入り込んで、ねだっていたのです。テープレコーダーだけは、社会科の勉強をするという口実で、母に僕の同級生の電器店で買ってもらいました。1963年当事で2万5千円もしました。東芝カレッジエースというテープレコーダーです」

「初めて聴いたレコードのことを憶えていますか?」

「憶えています。ベルト・ケムプフェルト楽団の『ティル』でした」

「音楽に目覚めたきっかけになる曲は何ですか?」

「ニール・セダカの『悲しき慕情』です。それは小学校5年のとき、近所の東海高校の学生の窓から流れ出てきました。覗き込むと、リールデッキが回っていました。それは完全に目覚めた時期であって、本当はもっと古いんです。6歳の時、青森の野辺地の母の実家で、叔父が鉄針レコードでローズマリー・クルーニーの『カム・オン・ア・マイハウス』をかけていたのを聴いて感動したのが最初です。結局原初体験にジャズがあったという事です。だからすんなりとポップスに入っていけたんだと思います」

「『カム・オン・ア・マイハウス』はジャズなんですか?」

「正真正銘のジャズボーカルです。日本では江利チエミが歌って、ポップスと思われているようです。パット・ブーンなどはその当時のポップスで『砂に書いたラブレター』を歌っていました。それも鉄針で聴きました」

「何かの本で読んだんですが、当時蓄音機は、とても高価なもので、普通では手に入れにくかったという事ですが・・・」

「そうです。それは母の妹がアメリカ人に嫁入りしていて、その関係で、直接アメリカから送られてきたゼンマイ式蓄音機でした」

「そうなんですか・・・」

「5年生になるまでの間、僕は街角から流れる歌謡曲ばかりを聞いていたように思います。その中で叙情的なものばかりを記憶に積み重ねていったような気がします。例えば島倉千代子、フランク永井、朝丘雪路、ほとんど商店街のスピーカーから流れ出てきた、あまり流行らなかったものばかりです。そういう経験の積み重ねが小学校高学年になって、一挙に抒情ポップスに結びついたのだと思います。奇跡的に名曲ばかりが生まれた時代でした。それもラッキーだったと思います。自分の過去の歴史を辿って、それらの曲はすべて集め尽くしました」

「最初の音響機器から今の機器に至るまでの遍歴をお聞かせください」

「まず最初は、さっき言いましたが、土工が買ってくれた『ゼネラルステレオ』と『東芝カレッジエース』というリールデッキから始まり、それが、高校1年まで続きました。やんごとなき事情で、高校2年のとき、リールデッキは質屋に入れました。その後、長い空白期間があって、大学1年のときに『ナショナル・テクニクスSC1400』というセパレートステレオ、それを29歳まで使いました。音に不満で、また針替えが面倒で、30歳の時にやはり『ナショナル・テクニクス』の最高級セパレートステレオに変えました。それでも音に不満で、セパレートステレオは卒業し、それからは毎年と言っていいくらい、アンプやら、スピーカーやら、専門店に出かけては買い換えていきました。例えばスピーカーは、『タンノイ』『ヤマハ』『オーディオテクニカ』、名前は忘れましたがイギリス製のものなどを使ってみたりしました」

「どうやって製品を知ったんですか」

「ステレオ雑誌からです。そして、ある日ついに、春日部のある専門店で、『JBL4344』(スピーカー)と『ジェフローランド』のモノアンプに巡り会ったわけです。これは理想の組み合わせでした。その後はこの組み合わせに一切変更はありません。コードも『アインシュタイン』など最高級のものを使っています。プリアンプは『ジェフローランド・コヒレンス』です」

「はあー。ずいぶんお高いものなんでしょうが、値段を聞くと野暮になるので、聞きませんが、あえて一つだけ教えてください。私の場合、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、一メートル2800円のコードを買いましたが、その『アインシュタイン』って一メートルいくらだったんですか?」

「3万円です」

「・・・・・。機器の話はここまでにして、ソースの話を聞かせてください。レコード、CDなどはどのくらいお持ちですか?」

「意外と少なくて、各々200枚くらいずつです。もう聴かないだろうというレコードやCDの<結晶化>を行うので、つまり人にあげたり、捨てたりするので、これまでの分を計算すれば恐らく3、4000枚ぐらいずつになっていたと思います」

「最近の曲でいいのを紹介してください」

「最近ってどのあたり?」

「そうですね。ここ10年で、お願いします」

「ほとんどありません。ジャズもポップスも、ロックも、もちろんクラシックも遠のむかしにピークを終えました。それぞれの峰を指摘したほうがいいと思います。ジャズは50年代、60年代の大御所でおわり。外国のポップスは60年代の奇跡の時代でおわり。クラッシックはモーツアルトの時代でおわり、例外はラフマニノフくらいでしょうか。彼は20世紀まで生きましたから。ロックはクィーンとピンク・フロイドでおわり。日本の場合、演歌・歌謡曲は90年代でおわり。ただポッフスは80年代の松田聖子を頂点として、今なお時折、驚くような名曲が出来上がっているようです。ただごく最近は全く不作です。沖縄音楽などを入れて頑張っているようですが。とにかく音が悪い。いわゆる機械音でなんの奥行きもありません。かといって整った音ではなく、音の均衡がバラバラなんです」

「たしかに、松田聖子のバックの生オーケストレーションは美しくて迫力がありますね。そのあとにその10年あとくらいの曲を聴くと、全部バックの音が機械音になっていて、急に薄っぺらい音に感じます。ボーカルがいい声なのにもったいないなと思うことがあります」

「レコードの時代が終わったせいでしょう。ラジカセやウォークマン音楽になってしまったんです。ソース作りが杜撰になったということですね。ところで音の美しさと、音楽の美しさの違いは何だと思いますか?」

「私は音がいいなと感じるポイントは打楽器ですね。バックのドラムの音の響きと切れのよさが判断基準になっています。もちろんメロディーラインは重要なんですが、音のよさが必要条件になっていて、まず音がよくないとメロディーに入っていけませんね。メロディーの美しさの判断基準は口では言えない感覚ですね。音のよさ、メロディーの美しさ、リズムの快適さ、ボーカルの声質がすべて一体化して、音楽の美しさが感じられるんです。先生はどうですか?」

「私なりの耳の歴史があります。幼い頃からメロディー一本槍でした。それは再生装置が貧しかったからです。それを改良していくにつれて、音そのものに目覚めました。そして、音質が良くなければメロディーは最高度に生かされないということに気付いたんです。電子音にまみれたラジカセ音楽を聴いているかぎり、総合的な音楽の美しさに気付く若者は増えていかないでしょう」

「私がはじめて地元のジャズ喫茶で『音』というものに触れた時、五感の一つである耳をいかにおろそかにしていたのかを実感しました。これまでは歌詞ばかりを聞いていたんです。昔はビートルズをよく聴いていたんですが、音というものを意識してから、意外にも、ソースの悪さに気付いてしまい、今では全く聴かなくなりました。ことにドラムの音はひどすぎます。録音バランスもよくありませんね。、どうせ食べるならおいしいものを食べたい、どうせ聴くならいい音に触れたい、笑うなら、本当に面白いところで笑いたい、人と付き合うなら、本当に気のあった人たちだけとつき合いたい、つまり人間の動物的感覚を十分に発揮して、十分に感受したいという一種自己流の哲学のようなものまで芽生えてしまいました」

「なるほど。感覚的に遠慮なく生きたいということですね。僕が音楽の美しさとはと、あなたに問いを発した時、そういう意見を予想していたんです。つまり、感覚の十全な満足ですね。メロディーだけでもだめですし、音質のよさだけでも駄目で、それが総合されて感覚のすべてに響き渡らないと音楽が美しいとは感じないと言うことです。僕もあなたも音の大切さに気付いた時、商店街の遠くのスピーカーから聞こえてくる(よさそうな)メロディーから脱皮して、音楽そのものの美しさに気づいたわけです」

「音楽は、書物と違って知性の準備は必要ないのですが、やはりいい音を鳴らす装置つまり<魔法の箱>の準備は必要ですね」

「その通りです」


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