2004年10月インタビュー

「先生、おひさしぶりです。新しい小説の進捗状況を教えてください」

「ついに、最後の推敲を仕上げました。苦しい二年間でした。今回は7回以上も最初から書き直したかな。途中、書きたいことじゃないんじゃないかと思った時期があった。根が詩人なので言葉の連結が気になって、一から十まで連結しきっていないと失敗だと感じてしまう。苦しかった」

「題名は前におっしゃっていた『光輝あまねき』ですか」

「そうです。途中『デラシネ』という英語の題も考えました。『根無し草』という意味なんだけど、響きが好きで独得だと思っていたのですが、ある先人がこの言葉をよく使っているそうで、もともと考えていた題に戻しました」

「『光輝あまねき』って、確か早稲田大の早慶戦の時に歌う『紺碧の空』にででくるフレーズですよね。『♪ 紺碧の〜 そら〜 仰〜ぐ 日輪  光輝 あまね〜き 伝統〜 の〜 もと〜 ♪』 思い出すだけでなんかわくわくする歌です」

「そうです。よくわかりましたね。歌が青春の象徴という時代がありますからね。飲むたびにまわりの連中がこの歌ばかり唄っていたので、この歌がそのままぼくの青春のイメージになりました。すでにこの題名が決定した時点で彼らのことを書こうという気持ちがあった」

「今回の作品も早稲田大を舞台にしたものなんですか? たしか、『風と喧噪』も早大生が主人公でしたよね」

「正確に言って、前回も今回も大学は書き割りで舞台ではありません。舞台はあらかた大学の外です。『あまねき』という以上は、様々な性質の学生たちをその書き割りの外の舞台で、活躍させたかったということです」

「あまねきってどういう意味ですか?」

「カーッと(先生が両手をいっぱいに広げる!)広がっている。あまねくだから、光が強い力で躍如としている様です」

「澄み切った青空みたいなイメージでしょうか」

「そう。その青空を背景に光が遍満と輝いているんです。それは一人の光ではありません。みなが一体になって発する光です。その光たちが作品の中心人物です」

「それは楽しみですね。話は少し逸れますけど、偶然、最近『風と喧噪』を再読させていただいていたのですが、あの作品は、小説という形式をとってはいますが、詩を散文化したという感じをうけました。つまり、韻文的散文といいますか、よき意味でアバンギャルド的な印象を新たに受けました。なかなか話題にはなりませんが、いままでの小説にはない新しいものを感じます。意欲作というか問題作だなーと」

「あの作品は、『神経樹的詩』のような小説になったと思っています。結果的にそうなったんだけど」

「醒めた見方をしてしまうと、あの主人公は『精神病だ』と一言で片付けられもするんですけど、だれでもそんな要素をもっていると思うんです。人間である以上は・・・。ドストエフスキーは『考えることは人間しかかからない病気だ』と言ったそうですが、その『病気』をとことんまであの主人公に集約して追求させた、みたいなものを感じるんです」

「病いを書いたつもりはないですが、書くこと自体が病気ですからそう感じるのも無理はありません。私が病気だからではなく、書くという行為が自然と病人を生み出したんでしょうね。『風と喧噪』においては、自らが生やす神経に絡めとられる自分を描きましたが、今回は、周囲の人間たちの神経に絡め取られる自分を描いたということかな」

「というと、この『光輝あまねき』では、10代後半から20代前半の若者が中心人物になると思うんですが。70年代の若者ですよね。奇しくも先生は、その年代の若者たちに触れるお仕事をなされていて、先生たちの世代と今の世代で決定的な違いみたいなものを感じますか?」

「ええ、感じます。社会という抽象的なものにぼんやりと反発し、個々の人間の具体的な精神には徹底して受動的だったという事です。現代の若者はこれが全く逆転しています。現代の若者は社会というぼんやりとした抽象的な権威に隷従し、恐怖し、個人の光ある具体的な精神にはそっぽを向きます。身近にいる肉質を嫌って、遠い漠然とした趨勢に憧れること、これが真の友情を求めながらもそれを得られない元凶だと思う。他人の精神に感動し、自分をあるべき姿に変容させるエネルギー・・・、まさにそれはエネルギーなんです。現代の若者はこれに欠けている」

「厳しいご意見ですね。でも私も残念ながらそう思いますね。自分も含めてですが、場面場面でちょっと違うなと思うときでも、怒るエネルギーを使いたくないですよね。嘘でもへらへらしている方が、無難にその場が切り抜けられるというか・・。でもよく考えると、本心はお前たちと違うけど、自分は『大人』だから合わせてやってんだみないな事を考えながら、それに慣れてしまうと、自分の本心みたいなものさえ不透明になって、実体がなくなっていることに、はたと気づくんです。そのとき、『まあ、いいか』と曖昧に流して、自分自身にもへらへらしちゃうんですよね。でもそのときに漠然と感じる空しさの代償はきっと大きいでしょうね」

「はい、本当の『大人』として振舞っていないからだと思う。それは自己保存の幼児的本能です。大人は反発し、影響を与え、受け、変容します」

「その『変容』と言う意味をもっと詳しく聞きたいのですが・・・」

「人にはアイデンティティーがあります。それは人のレイゾンデートル(存在理由)です。つまり、自分の生命の『核』となるものです。その『核』を大切に維持しながら、他人の核と溶解しあう。それが変容です」

「なるほど、では、面倒くさいから他人にただ合わせているのとは全く違うんですね」

「もちろんです。変容によって他人の核との接触を図るんですから。限りなく愛に近いですね」

「・・・・。超現代的若者風に言えば、どうして他人と接触しなくちゃいけないのか? という問いが遠くから聞こえてきそうですね」

「うん、人は他人を愛し、愛されることでしか生きていけないから、接触しなくちゃいけないんです。変容のエネルギーはまさに愛するエネルギーなんです」

「んんー。非常に単純で心に響くご意見ですね。この単純な意見を言える人間はなぜかあまりいませんよね。言わないのか、言えないのか、はわかりませんが、結局こういうことを言えるのはやはり芸術家だけなんでしょうね。こういったご意見は、世間に毒されている人たちに冷笑されがちじゃないかなと感じるんですが、どうですか?」

「あんまりないなー。不思議と。きっと命がけで喋っているからじゃないかな。それを感じ取ってくれるんでしょう。教室の外でもぼくは同じことを喋っているんです。相手が生徒だろうと、飲み屋のおやじだろうと。幼い子供に対してもそうです。悪意だけで拒絶する人はいますが、まずぼくの作品を読んでいないので、気にかけないことにしています。世間といっても有象無象の人ごみは苦手ですが、いったん知己となった人間には偏見と恐怖を持たない」

「それでは、現代の若者に欠けているのはそのレーゾンデートルの自覚ということになるんでしょうか?」

「自覚はあるでしょう。ただし、レーゾンデートルの在り処(ありか)が精神ではなく、物質になったんでしょう。十分、存在理由を感じながら生きていると思いますよ。しかし、彼らが感じている存在理由はぼくたちの世代には恥ずかしいものと映るはずです。『光輝』というのは精神が発するものであって、物質が発するものではないからです」

「金ってことですか?」

「金、家、もの、貯金、装飾品、土地、そういったもの」

「いつかもこんなインタビューしましたね」

「まことにこのインタビューは首尾一貫してますね(笑)」

「先生の50代の世代も同じなんじゃないですか?」

「どういう意味で?」

「若い時はものに拘らず、理想に燃えていても、年老いて、時が経てば、結局金と家、権力―。今の若者は、ありし日の『若者』の通過点を通らずして、行き着く先に、たどり着いてしまっているというか。ちょっと皮肉に言いすぎですか・・・」

「いや、全く。でも、ぼくたちの若い時代は、『物に拘ること自体恥である』という感覚が定着していたんです。その『恥』の経験を経ている人は、そういう老人にはなっていないでしょう。たとえ、やむを得ず、君の言う『そこ』にたどり着いた老人がいたとしても、現況を恥ずかしがりながら生きているはずだ。この『恥の経験』というのはとても重要で、その経験をしないで一足飛びに子供から老人になる人は、まったくぼくの世代の人間とは異質な人々です。『恥の経験』とは一種の鍛錬で、『恥』の筋肉が出来ているといってもいい。その筋肉はなかなか衰えない。筋肉のない、もやしのような世代とは自ずと別種なわけです」

「先生の若い頃は、70年安保の風潮に押されて、よくフォークソングの世界みたいな、ラッパズボンで、貧乏同棲して、長髪、ひげのスタイルで・・・。貧しくとも若き日の青春! みたいなものが『流行』だったんじゃないですか? つまり、その『恥の概念』そのものが流行っていいますか・・」

「君の言う70年代の若者のイメージはたぶん、テレビの影響だと思うけど、もちろん、たしかに君の言うような流行にのる人種もいたでしょうが、そういうかたちばかりで中身が空っぽなイメージは虚像にすぎないな。つまり、生活スタイルや服装の傾向は残された映像で追えるけど、そのなかの精神構造までは、追えないということだよ。その精神の濃さだけをぼくは記憶している。厳密に言うと僕自身やぼくの周りには、そういうスタイルの人間はほとんどいなかった。風俗から遠かったのかもしれない。学生運動については僕は深く係った事がないから、無責任なことは言えないけれども、一部の友人を見る限り、恋愛と等価値だったように見えた。つまり女を取るか、運動を取るか、というぎりぎりのところで生きてた。命がけだったんだよ。実際に白昼の殺人の現場も目にしたし・・・。流行とは一言では片付けられないものがあるね。だから、運動の挫折が人生の挫折みたいに捉えられた時期があった」

「『私が棄てた女』(映画の題名)に出てくる『挫折派』ってそういうことだったんですね。なんか実感がわかなかったんですけど、やっとわかりました。それでは、逆に今の若者のよさはありませんか?先生の嫌いな妥協論的質問になってしまいますが・・・」

「僕は、若者を見捨てている気持ちはありません。むしろ若者に期待しています。抵抗が、物質的豊かさという抵抗が・・・・」

「抵抗って何に対する抵抗ですか?」

「抵抗っていうのは、オームの法則の、あの抵抗のことなんだけど・・・・。通りにくさ。狭隘感。それ(漠然とした環境)を無視してうまくすり抜けられないという意味なんだけど。僕たちの頃は社会情勢に狭隘感を感じていたわけだ。今は、物質的豊かさの中での精神性の不足、希薄さが、狭隘感になっていると思う。
 そしてもう一つ。肉質から遠い、バーチャルな夢想まで経験と取り違える危険にも晒されている。つまり、テレビやインターネットの影響で、『情報の氾濫』なんていわれているけど、ちっとも氾濫じゃなくて、逆にそのせいで狭隘になっているということ。ブラウン管のなかや、パソコンの情報ががすべてだと思ってしまう危険。それは、実はものごとの一部でしかないということに気付きにくいんだ。もしかしたら、一部でさえないかもしれない。君がさっき言っていた70年代の若者のイメージのようにね。では何をすれば一部的、もしくは仮想的情報から脱出できるのか。それは経験しかない。自分自身で経験することだ。だから肉質から遠いと言った。でも、この狭隘感こそが、鍛錬の道具になりうる。僕たちのころよりもっと高い精神性にたどり着ける可能性がある。結局はどんな時代も若者はすり抜けて自分自身の精神に辿りつかなければならないわけだ。その高みは、僕たちの時代ほど必然的ではないので、容易ではない努力が必要だ」


「バーチャルな世界に溺れて、大好きな物質まで要らなくなったりして・・・。怖いですね(笑)。ホラーですね」

「今回の作品の中では、登場人物たちは、きっちり経験しています。それぞれの頭と目と足で。今みたいに複雑な情報網がない分、自分の経験と、精神の追求が自ずと必然化していたんだね。追求のエネルギーが寄り集まって光を発する。それが『光輝あまねき』という題名に集約されているみたいに読者が感じてくれればいいな。
 あの頃、さまざまな事情で、僕は無為に暮らしていた。ただ、詩を書くことだけは頭にあったんだけど。そんな無為な僕を芸術家と認めて『あいつは特殊だ。寸鉄だ』みたいに、一種のサロンのようにかばってくれた集団があったんだ。救われたんだ本当に。この救済を書くことは当時から意識してて、よく原稿用紙を持ち歩いている様子を『悲しい性だなぁ』なんて友人に茶化されたこともあった。
 ぼくの小説は経験談的私小説に捉えられて、よく『これって事実ですよね』っていわれるけど、ほぼ7割は虚構。救いの神の彼らを、単なる群像に仕立てないで、虚構の中で個性ある人間としてどう描き切るかが、今回の賭けだった。『私』が主人公であってはいけない。だから苦しんだとも言える。途中で投げたくなったものそれです。思い出と作品は全く別物ですから」


「ありがちな青春記とは、また違ったものが読めそうですね。先生の作品は読み手のこちらの想像を越える展開、意識の流れがあるのでいつも新鮮に感じます。先生の作品を読むと、いかに自分が偏見に満ちた狭い世界で生きているか、いや、自分の世界を狭くしているのかを実感するんです。世界というのは行動範囲の広さということではなく、逆に行動範囲を広げようとする焦りから来る自分へ自ら課した規制といったものかもしれません。人間はもっと自由で豊かだということをいつも教えられる思いです」

「ありがとう。今回の作品も、必ず期待に添えるものだと思います」

「きょうは、お忙しい中、ありがとうございました」


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