百五

 二十一日の水曜日の昼に、節子からアパートに電話があり、
「正看の試験、合格しました!」
「やったね、おめでとう!」
「異動願いが通って、自動的に東京の住所も決まりました。中央線の武蔵境という駅の南口から歩いて十五分くらいのところにある、上島荘というアパートです。住んでる人のほとんどが看護婦だそうです。すぐ目の前に、武蔵野赤十字病院があります。土、日、祝日と、創立記念日の五月一日がお休みです。詳しいことがわかったら、和子さんに連絡をとってお知らせします。三月の半ばに上京しますけど、四月ぐらいにはどうにか落ち着くと思います。……十一日に二十五歳になりました」
「おめでとう」
「おめでたくありません」
「ハハハ、正看の合格のことはカズちゃんに知らせた?」
「あとで電話します。まずキョウちゃんに知らせたくて。じゃ、一応ご報告まで」
「ほんとにおめでとう。文字どおり石の上にも三年、苦あれば楽ありだったね」
「……石の上にも七年です。ごめんなさい」
「たいへんな七年だったね。ぼくのほうこそごめんなさいだ。遠回りさせてしまった」
「そんな……キョウちゃんに再会しなければあのままだったと思います。心から感謝してます。ああ、あとは東京へいくだけ」
「山口は西荻窪だし、横山という青森から出てきた友人も阿佐ヶ谷に住んでる。ぼくもカズちゃんも素子も中央線沿線に住むことになると思う。いつも節ちゃんのそばにいるよ」
「ほんとですか? うれしい」
「訪ねる回数はいままでよりもずっと少なくなると思う」
「そんなことちっともかまいません。じゃ、仕事に戻ります。さよなら」
「さよなら」
 ひさしぶりに宮宇へうなぎを食いにいく。昼食どきなのでかなりの客がいる。小座敷に上がる。部屋の隅の十四インチのカラーテレビから、キンキロウ、キンキロウとアナウンサーが連呼する声が流れている。スマタキョウという温泉地で三十九歳の在日韓国人が十三人を人質に立てこもったと言っている。テロップに金嬉老と名前が出た。借金の返済のもつれから暴力団員二人をライフルで射殺したあと、逃走先のフジミヤという旅館に籠城したらしい。こんなものが中継される時代になったのだ。
「考えすぎならいいんだけど、これからの時代は、想像が軽んじられて、ドキュメンタリーが尊重されるようになるかもしれないね。真実を追求するフィクションよりは、事実重視のノンフィクション。芸術がすたれていくだろうね」
「夢がなくなるのね」
「うん。資料さえあればいいから、心が遊ばなくなる」
 カズちゃんがいればそういう会話がすぐできるのにと思った。
 鬼の形相をした男が銃をチラつかせながら〈観衆〉に向かって怒鳴りつづけている。私は切ない気分で画面を眺めた。窓からライフル銃を突き出して警官隊を威嚇するこの金嬉老という男は、何年も復讐の怒りに蹂躙されて生きてきたのだと思った。怒りばかりがあって、一度も悲しみに冒されたことがないように見えた。悲しみは怒りを消し去る。一見正義に似ている復讐の正体は、怒りの形で人に恐怖を与えようとする自尊の虚栄にちがいない。それを捨て切れないのは、わが身の無能をあきらめ切れない人間の醜いサガだ。争いに加わることをあきらめ、無能の器にこの世の人事から抽出した悲しみを蓄えて生きないと、からだのすべてが醜悪な虚栄の体液で満たされてしまう。
 八坂荘に戻ると、サイドさんの手紙が共同の郵便受けに入っていた。分厚い封書だった。驚きよりもなつかしさが先にきた。

 お元気の様子、折々の新聞等で拝見してうれしく思っています。そんな郷に手紙を書きたいと思い、母ちゃんからおまえの住所を聞きました。あのころ小学生だった郷がもう大学にいく齢になったのかと思うと、感慨無量のものがあります。一昨年おまえが日の出の勢いで全国紙を飾りはじめたころ、あれほどの悲運にもめげず、よくぞここまで復活したものだと空恐ろしい気がしました。母ちゃんから私どもに音が聞こえてこなかったところをみると、やはり彼女はあの変わった性格で、おまえの開運を喜んでいなかったか、あるいはまったく知らなかったのでしょう。
 あらためて考えると、みんなで何の展望もなく、おまえを無責任に突き放したことがわかってきて、もちろん傍観した私もその一人なのですが、だれもかれもこぞって無計画だったとつくづく反省しないではいられません。あれ以来、おまえの遠島に関係した人たちの後悔は並たいていなものではないと察します。私も遠くから眺めていただけの自分を反省し、おまえにすまないことをしたと心から恥じ入っています。
 言いわけをするつもりではありませんが、私はおまえの母ちゃんから、かくかくしかじかなので野辺地へ送りますと、まるで寝耳に水みたいな電話をもらったとき、そんなことをしてはいけない、すぐ中止するようにと諫めたのです。子を導くのは本来親の義務だと信じていたし、親以外の人間の力には余ることだと思ったからです。それですぐに名古屋に飛んでいきました。駅前のホテルのロビーに母ちゃんと担任教師を呼び出し、なんとか説き伏せようとしました。しかし、学校側と彼女とのあいだで、話はすでに決まっていました。私は彼らの腹案の追認者にすぎなかった。私なりに精いっぱい努力した、と言っても、空しいものがあります。人は何かヘマをやると、かならず自分の努力を持ち出すものです。後悔先に立たずですが、この手紙に私の包まぬ気持ちを書いて、おまえに許してもらいたいと思います。度量の広いおまえのことだから、もうとっくに許してくれているとは思いますが。


 私は机に腰を下し、参考書や問題集を片づけて、あらためて便箋に目を落とした。人が許しを請うときは、節子のような誠実な人間でないかぎり、かならず相手の非もじょうずに言及するものだ。私を教え諭す文面になるにちがいないと思った。

 この世では善良な性質のほうが、悪辣な性質よりも、えてしてその強すぎる自尊心のせいで、平凡な人たちに害を与えるのです。神無月郷はじつに純粋な人間だ。それはもちろん長所だけれども、同時に欠点でもある。性格がそういうふうに純粋にできているものだから、人生も純粋な現象から成り立っているようにおまえは思っている。そして裏表のある人間を軽蔑している。人間のすることは、かならず純正な目的を持っていなければいけないと思っている。ところが、人間というものは弱い矛盾した存在なのです。人生のあらゆる変化、あらゆる魅力、あらゆる美は、陰と日向からできているという理屈を言うつもりはありません。ただ、日向だけ、陰だけでは、おもむきや奥行きがない。私は、おまえが愚かしいことや邪道に陥ることをしたとまったく思わなかったし、いまも思っていない。平凡な人間にはまねのできないことをしたと思っている。ただ、平凡な人間のつくる陰の部分も受け入れる度量を持ってほしいのです。権威的な立場の人間を行動で糾したおまえは、まぶしいほどきらめいていた。なんという十五歳かと思いました。顔つき、口ぶりからして、あの教師におまえほどの覚悟があるはずはない。おまえはあのとき、考察よりも経験の人として踏み出したのだと思う。人は年齢を重ねると、考察(そんな体のいいものではなく、常識)ばかり信じて、経験は信じなくなる。それどころか、軽蔑するようになる。万人に保証された先人の知恵を重視するようになって、自分独自の経験への信頼を失っていくのです。おまえの最終的な黙従は、私としては悲しいことは悲しかったが、理を説いても詮のない人には負けてあげようという、年齢を超越した気高い諦念を感じました。人間的な開花と見えました。おまえはやはり、私の見こんだとおりの男だった。ただ、天才的なすばらしい開花の時期のあとにくる灰色の時代を、この先きっと甘受することになるだろう、と胸が痛みました。ところがこうして復活してくれた。
 私はもうじき四十五歳になります。おまえの三倍に近い。それだけ長く生きてきたせいで、大した人物をこれまで何人か見てきた。おまえはその中でも筆頭クラスの人物に思われる。おまえはこれから雄飛するにちがいない。才能があり、しかも経験豊かな若者が、少しばかりの挫折で世の片隅に埋もれてしまったなどという話は聞いたことがない。自分を信頼し、一歩一歩しっかりと足もとを踏み固めて進みなさい。ヤケを起こさないこと。それが成功への道です。その種の成功は、おまえの目標にする成功とは相容れないかもしれないが、おまえの信念を全うする「力」を持つためには、公的な、ある意味、俗な成功が必要なのです。社会という大げさなものではなく、自分自身に対するいっさいの義務を忘れずに暮らしなさい。その頭脳と情熱と、人を愛する心があれば、どのような分野においても、きっと成功を収めることができるだろう。過去の偉人たちの衣鉢を継ぐことができるとまで言っても、さしつかえないと思う。
 最後に―野心を忘れずに。おまえの野心のなさ、ある意味寛大さは底抜けで、権威というものには徹底して縁がなさそうだ。野球選手になりたい? そんなものは趣味の範囲で、野心とは別物です。人は人を牛耳りたいものです。社会的な権威を望まないおまえの鷹揚さは、私にとって驚異であり、心を癒してくれるものでさえありました。登竜門をくぐり、社会的に出世して、と考えるのが広い意味での野心です。
 こういうことです。おまえには、世間並の成功というものを毛嫌いしているふしがあります。おまえはそうではないと言うかもしれませんが、おまえの一連の行動をかんがみて、私にはそう見えます。おそらくかけひきが面倒か、嫌いなのでしょう。たしかにそういう気持ちをハッキリ前面に出すと、人間らしい、単刀直入の人生は手に入りますが、せっかくの器を余したもったいない生き方になってしまう。これからはおまえという人物に値するような、おまえにふさわしい名誉を与えてくれるような、そうした野心的な生きかたを選びなさい。野心はおまえの年齢では、とくにおまえのような天才的な能力の持ち主には美徳なのです。逆に言うと、能力に恵まれながらまったく野心のないことが、おまえのたぐいまれな「悪徳」でした。その悪徳を、周囲の人たちが毛嫌いしたのです。つまらない憂き目を見たものです。
 おまえの前途は多難だと思います。おまえの中には、俗人を反発させるものがあります。この先も嫉妬や中傷につきまとわれるにちがいない。おまえがどれほど純粋な振舞いをしようと、俗人はきっと憎しみの眼で見るにちがいない。もし彼らがおまえを好いているようなふりをするとすれば、実際はおまえを裏切るためでしょう。それをさせないために、ぜひ野心を持ちなさい。
 私は、おまえのようにハンサムでモテる男は、不幸だの野心だのには縁がないと思っていた。しかし、不幸には縁ができてしまった。いや、考えると、小さいころからおまえは一般の子よりも不幸だった。それでも、そんなものをまったく気にしないで健気に生きているおまえはすてきに見えた。不幸がいつもおまえを大人にしてきたのです。
 しかし、野心は? 野心は外見を飾る名誉欲とはまったく別のものです。野心こそ人を大人にします。才能のある人間に値する純粋な野心は、妬みや、仲間同士の争いや、人を蔑もうとする悪念から身を護るためのものです。浅ましい悪念ほど、野心のない者を苛むものはない。天才を恵まれた者は、人一倍野心を持って、守りを固くしなければなりません。凡人なら見逃してもらえるところを、天賦のある者はそうはいかないのです。若いころに何かの本で読んで胸を打たれ(たしかドストエフスキーか、トルストイだったかと思います)まだぼんやり覚えている言葉があります。正確ではありませんが、今回のおまえの状況にぴったり当てはまるので、思い出しながら書いてみます。
「自由な社会に住んでいる人びとの中から、最も神経質な、短気で興奮しやすい、才能ある、しかしほかの者よりずるさと用心深さの欠けた人々が選び出される。しかも、そういう人びとは特に社会にとって危険でもなければ罪があるわけでもない。それなのに彼らは流刑地などに監禁され、そこに何カ月も、何年も実りのない境遇に置かれ、衣食住を保証されながら抑留される」
 というものです。おまえがそんな境遇に置かれたとは思いません。抑留されていたとも思いません。しかし、本来的な野心に欠けているおまえが「選び出され流された」ことは事実です。もちろん、おまえは犯罪者ではありません。正常な人間が、環境を移されただけのことです。新しい環境を受け入れ、実りある花を咲かせることこそ、気位の高いおまえの真骨頂だと思っています。花を咲かせるためにこそ、純粋な野心を忘れずに。
 私が自分なりの反省を踏まえながら言いたかったことは、これだけです。たぶん、もう、おまえに手紙は書かないでしょう。いつの日か、再会を心待ちにして。さようなら。くれぐれも元気で。
 郷へ                              斉藤善蔵


 思ったとおりの手紙だった。ただ、親愛にあふれる手紙だった。英語を教えてもらっていたころ、私はサイドさんに対する尊敬と思慕をいくらかでも伝えたいと思っていた。その気持ちがいつのまにか彼にも通じて、いま、この、心のこもった手紙を彼に書かせたのだろう。子供ほど歳のちがう高校生に向かって、効率よく生きるための人生の指針まで示唆したのも、その親愛の情あってこそのような気がした。
 しかし、野心が防御壁を作るものだとは知らなかった。サイドさんは私を買いかぶっている。ここまで私を高く買ってくれる人に、ノーと言うのは難しい。でも言わなければならない。そうしないと、私は、彼がこうだと思う人間に、こうだと信じる人間にかぎりなく近い存在になってしまって、それ以外の生き方ができなくなる。
 その夜、私は自分にしては長い手紙を書いた。


         百六
 
 拝復。
 励ましのお手紙、心を引きしめて読みました。すべてのことにうなずくことができました。ぼくはあのころ、中学生としてよりも、人間として思いどおりに生きたかっただけで、それがぼくの好む信念か信念でないか、自分でもよくわかりませんが、順調に生きたいとも生きたくないとも思っていなかったのです。あの流謫のとき、母からの荷物には〈忍〉の一字をしたためた便箋が挿してありました。私はがんらい耐え忍ぶ性癖なので、言わずもがなの訓戒と判断して破り捨てました。
 名古屋に戻ってきて一年半が経ちました。母との角逐もなく、つつがなく暮らしてきました。幸い、小学時代に芽吹いた野球の才能を世に認められ、この先、その才能にかまけて生きる見こみが立ちました。母の嫌う才能です。したがってこれを発揮するためには、母の好む権威的な集団に籍を置かねばなりません。その事情は新聞諸誌を読まれてご存知のことでしょう。もちろんそういう集団に籍を置くだけのことで、その場所でぼくは権威を目指す鍛錬をしないつもりです。
 結局、よくわからないのです。ずっと野球選手になりたいと思ってきましたし、勉強で目立ちたいと思ったときもありました。野心というのは、きっと、周囲の人たちの都合に合わせ、彼らを満足させながら、つつがなくそれを実現することなのでしょう。ぼくは、ただ性急に、一人前の男として認められ、一日でも早く独り立ちしたいと願っただけでした。そのためには、周囲の人たちに逆らうのも仕方ないし、望んでいた協調とは逆の方向へ進むのもやむをえない、と考えました。そうやって自分を叱咤する気構えのことを、勇気だと思っていました。一瞬一瞬を思いどおり自然に振舞うことこそ、人間的な完成だと信じていたのです。
 なるほどぼくには、自分を抑え、周囲の人たちの心に合わせながら希望を実現しようという知恵がなかったかもしれませんが、かえってそのことが、人間らしく生きようとする気持ちを持続させることになったのだと思います。大勢の人に冷笑されても、少数の人には支持される。そういう生き方をすることこそ、ぼくの野心です。叔父さんの言う野心とちがって〈悪意に対する盾〉となる機能は備えていません。ぼくが理解している〈まともな〉人間になるためには、叔父さんのおっしゃるような、名誉に満ちた人生の成功は要りません。ぼくの直観が大声で叫ぶのですが、ぼくには世に出て身を立てるような、万人に認められるような成功は収められないでしょう。ひとかどの人物とか、マシな人間というものにぼくはなれないのです。ぼくを天才と見るのは、叔父さんの買いかぶりです。その言葉は、叔父さんにお返しします。天才とは、一本道を脇目も振らず進む人のことです。叔父さんのような語学の天才には、この先けっして遇えないでしょう。
 いまこうして生き永らえて机の前にいるのが不思議な気がします。なぜここにいるのか、その原動力が自分にあることはもちろんわかりますが、ぼくがここにいることが実際だれにとって利益になるのか、それが一向にわかりません。時間が経つにつれて、いかなる環境にも慣れなければならないということはわかってきましたが、その不思議な感じにはなかなか慣れることができないままでいます。
 ばっちゃも、じっちゃも、ぼくを慈しんでくれました。ぼくのしたことのやさしい事後承諾をしてくれたのです。〈事〉が起こるのは、その人の性格に導かれた結果でしょうから、やさしい〈事後〉承諾は、性格がもたらした経験をそっくり認めてくれる最大のもてなしということになります。こんなふうに自分を認めてくれる人びとの中で、いつかその平安に耐えられなくなって自発的に動きたくなるまで、それともあのときのように、だれかの手でまた別の環境に放りこまれるまで、この環境の中で静かにしていようと思います。そろそろそういう生活が気に入りはじめているのです。
 お手紙ありがとうございました。終生大切に持っています。このように心のこもった手紙は、もう二度と、だれからももらえないでしょう。小学校以来、父親以上の愛情を注いでくださった叔父さんに、心からお礼を申し上げます。いつの日か〈野望を遂げる〉のとは別の形で、大恩に報いられる日がくることを願っています。
 敬愛する叔父さんへ    郷


 ほんとうは、胸のどこかにもっと単純な気持ちを表わそうとする意思があるのに、その単純な気持ちを隠したくて、こましゃくれた言い方をしてしまった。そう考えると、一行一行がわざとらしい、だれの心にも響かない文章のように感じられてきた。とにかく、厚意には応える、悪意は黙殺する。このままあした投函しようと決めた。
 カズちゃんが、オーバーを買いにいくから、好きな色は? と電話で訊いてきた。
「くどいようだけど、いらない。身が引き締まらなくなるから」
「わかった。厚手の下着を五組用意しておくわ」
 古文の助動詞の総復習にかかった。それを終えると、英単語のトレーニングペーパーを深夜までやった。
         †
 一週間、勉強につぐ勉強。昼めしは環状線沿道の食い物屋にいき、夜に吉永先生のきちんとした弁当箱の差し入れ。めしと便所以外はいっさい部屋から出ない。
         †
 二月二十八日水曜日。午前十一時ごろ西高の卒業式を覗きにいく。体育館の後ろのドアからそっと入って、父兄の中に紛れこんだ。教師たちは前方の演壇に座っていたので、気づかれなかった。講堂内に三百人ほどの学生が折り畳み椅子に座っていた。二割程度が男子生徒で、ほとんど白襟セーラー服の女子生徒だった。下級生のブラバンが後方に控えている。たまたま加藤武士が答辞をやっているところで、
「この三年間のことを思い出すと……ほんとうに、あっという間の三年間だったと思います……きょう、この日を出発の日として、後ろを振り返らず、前だけを向いて……社会に出ると苦しいことも……」
 などと歯の浮くようなことを土橋校長に向かって言っていた。私はまたそっとドアを押して出た。校歌は聴けなかった。
 二十九日木曜日に、カズちゃん以外の女たちに出発の電話をした。トモヨさんはどっしりした声で、何も気にかけずしっかりがんばってきてください、と言い、節子は小鳥がさえずるような明るい声で、いってらっしゃい、四月にお会いします、と言い、文江さんは毎日祈っとるよ、年に一回でも逢いにきてや、と言い、法子は神無月くんが受かったらすぐ上京して家を探します、と言った。素子には仕事にさしつかえると思って連絡しなかったが、彼女は私をしっかり見守っているという確信があった。
 夜に、この数週間いっさい勉強のじゃまをしなかった吉永先生と、お別れのセックスをした。
「三月いっぱいで退職することを願い出て受理されました。三月の末に上京します。家が決まったら、その近くの病院で、准看の資格を活かして、しばらく看護婦をしようと思っています。和子さんと連絡をとり合いますから、キョウちゃんの住所はわかります。落ち着いたら手紙を出します」
 と言った。先生が準看の資格を持っていることをあらためて思い出した。
         †
 三月一日金曜日。快晴。十度。風強し。北村夫婦と、おトキさん、直人を抱きかかえたトモヨさん、菅野、素子、文江さんに新幹線ホームに見送られて、カズちゃんと二人ひかりに乗りこむ。素子は花の木の留守番。ドア口でおトキさんに大きな弁当重を二つ渡された。十一時三十一分、名古屋駅を出発。私は学生鞄一つ、カズちゃんは大きなボストンバッグ一つと、鰐革の大袋一つ。
 生まれて初めて乗る新幹線。座席が狭く、窓が小さい。駅舎と大小のビルの街並をグイグイ抜けると、景色が平たくだだっ広くなる。速い。雲を浮かべた空が青い。稲田や畑や蒲鉾型のビニールハウスが見え、山並が見える。速度がゆるむ。家並が群れる。豊橋。
「四カ月近くかかっちゃったけど、運転免許を取れて一安心。車庫つきの家を借りなくちゃ。キョウちゃんの友だちや知り合いが訪ねてくるでしょうから、一軒家がいいわね」
 ホテルや旅館に泊まるのはいいが、善夫に会っておけ、と出発前に母が電話してきたので、会うことにした。彼女は宿泊先の名前と電話番号は尋かなかった。
「だれでも気にかけることには頓着しないのね。不思議。息子の所在場所なんかどうでもいいみたい」
「頓着するのは、結果と体面だけだよ。これで独裁性がなければいちばん扱いやすい人間なんだけどね」
 浜松でおトキさんのお重を開ける。カツ、大エビフライ、シュウマイ、焼鳥、ガンモドキの煮つけ、ポテトサラダ、カブとキュウリの糠漬け。
「名人ね。おいしい」
「ほんとにうまい」
 一時五分、品川に着いてすぐ、駅のホームから高円寺の床屋の二階に下宿している善夫に電話を入れた。おまえから連絡ありしだい、高円寺駅に迎えに出ると言う。
「お母さんて、面倒なことばかり押しつけるわね。それになんて無責任なんでしょう。キョウちゃんが有名人だってことをほんとに知らないのかしら。新聞記者に見つかったらどうするの。すぐ帰っていらっしゃいね。義夫さんには、勉強しなくちゃいけないって言えばいいわ」
「うん。でも、新聞記者には赤門で見つかるだろうな」
「上っ張りが学生服だけだと目立つの。そんな格好、キョウちゃんしかいないわよ。トレンチコートを着てって。持ってきたわ。受験会場では眼鏡もかけること」
 品川から三十円の切符を買い、緑色の山手線で渋谷へ向かう。初めて乗る東京の電車。
「次は……」
 聞き取りにくい奇妙なアクセントのアナウンス。十五分で渋谷着。降りる。駅舎を出ると、しだれ柳が植えられた駅前広場に忠犬ハチ公が鎮座している。めずらしそうに見上げる子供たちや、待ち合わせの若者たちのそばに寄っていって銅像を見つめる。このチョコンと腰を下した姿で、帰らぬ主人を待ちつづけたのかと思うと胸にくる。人びとはそれほど群れてはいないが、停車しているバスや自家用車は多い。生まれて初めて目にし、耳にする〈東京〉の喧騒だ。
 オレンジ色の都電がゆき交う通りを歩いて右折し、ガードをくぐる。見返ると長い坂が昇っている。
「道玄坂よ」
 左折する。百メートルも歩かないうちに東急インに到着する。カズちゃんは警戒の神経を張りつめて、フロントで出された宿泊者名簿に北村耕三・トクと書きこんだ。鍵を受け取って部屋に入る。七階七○二号室。暖房がムッと効いている。カズちゃんがすぐに切った。
「ハチ公前の通りは明治通り、いま歩いてきた道は神宮通り。椙山のころ、友だち五、六人と一週間ぐらい東京見物にきて、いろいろ回ったのよ。新宿、池袋、渋谷。そのつど一泊してね。駅の右手の交差点から昇ってる坂道は道玄坂、左手の交差点から東西に走ってる道は玉川通り」
 大窓、ダブルベッド、造りつけの長机、ソファつきテーブル、もちろんトイレとタブ式の風呂がついている豪華な部屋だ。私たちの荷物は、大きな革袋とボストンバッグ一つ、学生カバン一つ、それにカズちゃんの小さなハンドバッグが加わる。
「十万円の餞別、飛島の社員が届けてくれたんだけど、使って」
「カバンの底に足しときなさい」
「来月から、カズちゃんのお父さんが毎月十万ずつ送金してくれるし、貯まってしょうがないよ」
「学生になったら、すぐなくなるわよ。学生生活ってお金がかかるのよ」
「ふうん。じゃ、いってくる。高円寺には、どうやっていけばいいのかな」
 カズちゃんは小さな路線案内図を拡げ、
「お母さん、ほんとに東大に受かってほしほしくないんじゃないのかしら。こんな余分なことをさせて。今度という今度はほんとに頭にきたわ。何が東大よ!」
「怒らない、怒らない。カズちゃんもぼくもわかってたことなんだから」
「……そうね。これに負けたら、またキョウちゃんのせいにされちゃうし、プロ野球にいくのも遅れちゃうから、必死で合格しないとね」
 涙を浮かべている。
「だいじょうぶ、安心して。かならず受かるから」
「安心してるけど、どうしても腹が立って。……渋谷から山手線で新宿に出て、総武線で高円寺ね。三十分かからないでしょう。はい、このマフラーして、コートを着てって。いつも二、三万はポケットに持ってなさい。財布は持たないほうがいいわ。落とすから」
 コートを着、腰までの丈のある白黒のチェックのマフラーを巻く。カズちゃんが素子と二人で編んだものだ。わざと荒い編み方をしてあるので、のぼせず、適度に暖かい。
 高円寺駅。改札に降りるバカ長い階段。善夫が迎えに出ていた。中学三年のあの十月以来だ。だいぶ老けこんでいた。前歯が虫食われている。へんな緑色のベレー帽をかぶっていた。北口に高円寺銀座商店街というアーチ看板がチラリと見えた。南口のロータリーに出る。人混み。右手に大きなトリアノンというネオン看板。左折して、高円寺駅前商店街というアーチ看板の下をくぐる。
「イロ男になったな。三年前(め)と同じ人間だべな」
「うん」
「野球、大した活躍してるツケ。ドラフト、ドラフトって騒がれてら」
「うん。人目につかないようにしないと」
「いづの間にそっらふうになったのな。姉も言わねがったし」
「むかしからぼくの特技は野球しかなかったよ」
 野球のことはそれで終わりだった。
「勉強もずっと学校の一番だツケ」
「ときどき外したけど、ほとんど」
「なして、おめみたいなのが佐藤家に生まれたもんだべな」


         百七 

 商店街の低い町並を夕焼けが染めはじめている。喫茶店、パチンコ屋、布団屋、和洋品店、総菜屋、蕎麦屋、小物雑貨店、カメラ・時計店、眼鏡屋、隙なく軒を列ねている。商店街を抜けて突き当たった街道沿いに善夫の下宿する床屋があった。店脇の戸口から二階への階段を昇る。短い廊下の片側に、たった一室だけの四畳半があり、いき止まりが洗面所と便所になっていた。四畳半に机はなく、壁にくっつけて平べったい書棚が一つ置いてある。日本の詩集がずらりと並んでいた。
「やっぱり将来は、ものを書くの?」
「書がね。んにゃ、書げね」
 芸術家への羨望が書棚を飾っている。善夫が気取って訊く。
「萩原朔太郎をどう思(おも)る」
「嫌いだ。言葉のリズムが感覚に合わない」
「生意気なこど言うな」
「中原中也と比べれば一目瞭然だ」
 ベレー帽をかぶった虫歯男と文学の話はしたくなかった。詩集に並べて仏教書も何冊か並んでいた。善夫は私の視線に気づいて、
「教団仏教には興味がねたって、自分なりに信じるものはある。絶対的なもの、だな。キリスト教みてな奇跡的なものでねェ」
 キリスト教は奇跡を核心にしていない。奇跡は愛の一環だ。善夫は私を促して、廊下から内階段を降り、仕事をしている床屋の夫婦に挨拶させた。私のことを甥とだけ伝え、受験する大学のことも、野球のことも言わなかった。私が辞儀をすると、二人は無愛想にうなずいた。善夫が彼らと親しくないことがわかった。人は忙しすぎると変わり者になったり、気難しくなったりする。いつも生活のことを考えているからだ。
 善夫は、腹はへっていないと断る私を食事に連れ出し、車の多い道路沿いの喫茶店でナポリタンを食わせた。自分は〈ホット〉を飲んだ。彼は窓の外を見やりながら、この道路は青梅街道というのだと教えた。ナポリタンは花屋よりケチャップ味が濃くて、まずかった。善夫には悪いと思ったが、ほとんど残した。漫画がたくさん置いてあり、サラリーマン風の男がそれをぺらぺらやりながらコーヒーを飲んでいた。店内にヴィッキーの『待ちくたびれた日曜日』が流れている。
「一次は、あさってが?」
 ベレー帽を脱いで尋いた。二十代半ばの頭から強(こわ)そうな白髪がチラホラ突き出ている。
「うん。三日が一次試験、発表は五日。二次試験は六日と七日。発表は二十日。二次試験の終わった七日に名古屋に帰る」
「一週間が。きょうは早退けしたども、あしたっから毎朝七時に飯田橋さ出かけるすけ、うぢに泊めるのは無理だ」
「わかってる。寮の人たちの餞別を使ってホテルとったから、だいじょうぶ」
 母は善夫に、泊めてやってくれ、とでも言ったのだろうか。受験料三千円を佐伯さんに届けさせたきり、どこに泊まるのかとも聞いてこなかったところをみると、たぶんそうだろう。断られるに決まっている。断られた私が旅館かホテルに泊まることは最初からわかっていたはずだ。それを忙しい善夫が探すべくもない。
 ―母はどこまで深く謀ったのだろう。カズちゃんがいなかったら私は……受験どころか、路頭に迷っていたかもしれない。しかしさすがの母もそこまでは考えていなかったろう。カズちゃんのことなど知るはずがないのだから。結局、私のふところが常に暖かいと踏んで安心していただけの話だろう。彼女が謀ったのは、善夫に会うために私が受験直前の時間をむだ遣いすることだ。
「東京は、そこらへん歩ったら、食い物屋はごろごろある。残業か泊まりのとき以外は晩めしは付き合ってける」
「いや、会社の人たちが餞別をたくさんくれたから、ホテルで食う」
「ンだが。洗濯は小まめにやれ。すぐ溜まってまるど」
 善夫は、祖父母のことや、母のことや、野球のことをまったく話題に上(のぼ)せなかった。ただ、私が野辺地へ送られる何年か前に、ホームランの新記録を打ち立てて、新聞の片隅に載ったことを思い出したように言った。
「そうへれば、ちゃっけころに野球で新聞さ載ったこどがあったな」
 この善夫は、その野球を奪われた私に連れ添って野辺地へいったのだった。夜汽車の中で、青森へいったら野球で活躍しろ、とまで言ったはずだ。彼にとって私は、この三年間名古屋から一歩も出ず、ただ三つ年をとり、受験期を迎えて上京してきただけの甥にすぎなかった。しかし、すべて遠いことだ。そんな話を持ち出して、彼が私の何かを見直すわけではない。みんな自分のことで余儀なく忙しかったのだ。他人の消息など、もともとなかったも同じだ。
 店を出ると善夫は煙草に火を点けた。そして駅に向かってまた商店街を歩いた。
「おめも、変わったな」
「まともになった」
 私は何も変わっていなかった。善夫はかつて、オラんどは兄弟だんで、と言った。いまも同じことを言うだろうか。私はむかしからそんなことは思ったこともなかったので、たとえ言われてもうなずかない。私は変わらない。変わったのは彼のほうだ。
「この店のワンタン、うめんだ」
 商店街口の倶知安という店でワンタンメンを食わされた。半分も食えなかった。腹のへっていた善夫はその残りと、餃子を一皿食った。
「じゃ、結果はおふくろからいくと思うから」
「おお、ケッパレじゃ」
 ふたたび商店街の奥へ去っていく善夫に頭を下げた。
 ステンレス色の東西線に乗って吉祥寺に出た。そこから井之頭線に乗り換えて終点の渋谷までいった。どちらも満員だった。何人かのオーバー姿の男が、慣れたふうに吊革をつかみ、週刊誌を開いて読むともなく読んでいた。長年のあいだに身についたポーズのようだった。
「遅くなったのね」
「遠回りで帰ってきた。満員だった。食い物のハシゴをさせられて、腹いっぱいだ」
「そう。私は食べるから、キョウちゃん、コーヒーでも飲んでて。よかった、とにかく帰ってこれて」
「素子、ちゃんとやってるかな」
「電話しといた。私たちが帰るまで残業して時間を潰すって」
「さびしいんだね」
「それはそうよ」
 レストランでカズちゃんがビーフカレーを食べているあいだ、私はコーヒーを飲んだ。
「ほんとにお母さんもどういうつもりかしら。受験生に時間がないことがわかってないのね。いいえ、わかってるはず。でも意識はしてない。成功を望んでるとハタに思わせてる東大受験まで無意識に妨害するとしたら、ふるえるほど恐ろしいわ。野球と天秤にかけているのかもしれない。野球をしないよりは、東大に受かるほうがマシ。でも受かるのはシャク。……考えすぎね。とにかくお母さんて、いき当たりばったりの人なんでしょう。いき当たりばったりの独裁って、怖すぎる。このカレー、まずい。あしたは外に出て、おいしいものを食べましょ」
 エレベーターに乗るためにロビーに出ると、フロントに山口が訪ねてきていた。夏に長髪だったのが精悍な慎太郎刈りに変わっている。
「あら、山口さん!」
「よう、お二人さん!」
「よくここがわかったね」
「北村席に聞いたよ。いよいよ、あさってだな」
「早稲田の政経、どうなった」
「受かった」
「おめでとう!」
「学費を払いこめば、めでたく早稲田政経学部の学生さんだ」
「払ったんだろう?」
「払った。オヤジに払っとけって言われてね」
 頭を掻く。三人でロビーのベンチに坐る。
「かえって自信がなくなったよ。おまえは東大に受かるようになってる。俺はちがう。しかし、おまえと二人で東大いくのが本願だ。落ちるわけにはいかないから、粘り腰でいこうと思うけどな。ひさしぶりだ。会いたかった」
 私の目に涙が浮かんだ。それがすぐに山口に感染した。
「半年は長い。いろいろあったろう。俺にはなかった。なんせ、生徒会長までやらされたからな。そんなやつには、何も起こらん。おまえの積もる話は追々聞く。ま、ここまでついにきたんだ。おたがい最善を尽くそう。発表は見にいってやる。受験番号は?」
 内ポケットから受験票を出すと、山口はメモした。
「実物も写真も、じつにいい男だ。結果はおふくろさんに電話を入れる。恐いおかただから、のちのちのためにゴマをすっとこう。帰ったら、結果など待たずに早めに上京の準備をしておけよ。今度会うのは、おまえの家探しのときかな。じゃ、和子さん、こいつをよろしく頼みます」
「はい」
 山口は私たち二人と握手をして帰っていった。
「さ、あしたは下見よ。お風呂に入ってさっぱりしましょ」
 二人で大きなバスタブに立ち、スポンジでからだを洗い合う。
「東大受験て、ひょっとしたらすごいことかもしれないわね」
「受けるのはだれでもできる。ぼくは、ただの模擬試験のつもりでいく。ふだんどおりに試験を受けると思えばなんてことはない。英・国は得意、理科はふつう、数学と社会は苦手というふうにね。ふだんの結果が出れば受かる。野球のホームランと同じ。苦手なコースにはあえてこだわらない。ホームランが打てなくなる」
「なんだか納得!」
 カズちゃんに指の腹で揉むように頭を洗ってもらった。全裸でベッドに入った。唇を合わせる。
「だめよ。九時までには寝ましょうね」
「うん」
 輾転としてなかなか寝つかれなかったが、いつの間にか眠りこんだ。
         †
 池袋から丸の内線に乗る。一次試験会場の本郷を見にいく。新大塚、茗荷谷。臙脂色の袴を穿いた女たちが乗りこんできた。
「お茶の水女子大ね。卒業式みたい」
 後楽園、本郷三丁目。下車。狭いホームから、狭い階段を上がって、広い通りへ出る。
「本郷通りね」
 雑然とした、親しみのない背の低いビルが長々と連なっている。市電が走っているのが救いだ。歩き出す。ちらほらと古本屋や喫茶店が見えはじめ、ようやく右手に生垣の常緑の立木がかたまりで迫ってくる。
「スダジイ。みごとな枝ぶりだ」
 信号を渡って、じっちゃが常々言っていた赤門(あがもん)までやってきた。
「これがアガモンか。軽薄な門だな」
「北の門へいきましょう。そっちが正門らしいわ」
 しばらく鬱蒼とした立木に沿って歩く。
「―これは荘重だ」
 石造りの正門から入り、折り重なる黄色に圧倒される。法学部の建物を左右に見て、黄葉する銀杏並木の中を安田講堂に突き当たる。春先に葉の色が変わるとは知らなかった。講堂を見上げると首が痛くなるほど高い。茶色い石のかたまり。振り返ると、中央食堂というバカでかい食堂がある。林立するタテカンの中を母子連れが散歩している。学生がチラホラ。
「こんなところでは食べないわよ」
「当然」
 講堂の裏手に理学部の建物が並んでいる。右へ折れ、いわゆる三四郎池へ。池泉回遊式庭園の小規模なもの。小森の中にある池とも言えない小さな水溜り。ここも紅、黄、緑に囲まれている。鯉が泳いでいる。水鳥が数羽。
「鳥はあまり知らないんだ。カモはわかる。白鳥やオシドリも」
「私も、ハト、カラス、ムクドリぐらいしか知らない。あそこに止まってるのは、カワセミでしょう。はい、そこまでね」
 構内全体を歩きだしたら迷路だとわかる。医学部の建物を左右に見て、赤門へ回る。門を出て、小さな信号を渡り、もう一度正門方向へ歩いて左折し、もり川という定食屋を見つける。
「よさそうね」
「よし、ここで昼めしだ」
 混雑しているせいだろう。レジで注文と会計をすませてくれと言われる。変わった方式だ。店内を見ると、空いた席がいくらもあるのに、相席させられている。混んでくることを見越しているのかもしれない。
「ここじゃ食えない。出よう」
「出ましょう」
 大通りに出て、
「この街並が好きじゃない。駒場へいってみようか」
 駒場は二次試験の会場だ。池袋へ戻り、新宿から渋谷へ出て、井之頭線で二つ目の駅で降りる。駒場東大前。名前のとおり、改札からつづく広い階段を降りた目の前が東大の正門だった。まるで大学の敷地へ電車を乗り入れている格好だ。権高くて、嫌味な感じがした。
「赤門はいやだったけど、こっちは少しマシかしら」
 巨大な石柱に挟まれた大小の新品の板門に、菊のような鉄の紋を打ちつけてある。背が高すぎ、無意味に威張っている。
「これまた権威的だ。菊?」
「菊じゃなく、カシワとオリーブの混合デザインよ。一高の校章」
「ふーん。時計台がチンケで、アンバランスだ」
 カズちゃんは思わず笑い出し、
「ここで野球をするのよ。少しは気に入ってあげなさい」



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