二十二

 四月四日木曜日。快晴。二人の出勤に合わせて、ジャージを三組ダッフルに入れて阿佐ヶ谷に帰る。駅の売店でスポーツ紙を買う。私に関する長い記事が載っていた。

   
野球神 大フィーバー
        神無月にホレた! 
 
四月三日、九時、日本じゅうが待ち望んだ北の怪物がついに東大球場に現れた。一年半の雌伏期間を終えた〈美しすぎる怪物〉神無月郷(18)が、ユニフォーム姿も凛々しく東大球場に初の御目見えをした。
 農学部正門に紺のブレザー姿を現した神無月は、群がる報道陣を早足で漕ぎ抜けて、球場ゲートから部室に飛びこんでいった。そしてすぐにユニフォームに着替えてグランドに飛び出してきた。淡いグレーの青森高校時代の無番のユニフォーム。穏やかな陽射しの下、プロ野球関係者を含む約五百人のファンの前で、ついに怪物スマイルがはじけた。フラッシュがしきりに瞬き、盛大な拍手が上がった。
 キャプテンの克己捕手を相手に、ゆるやかなキャッチボールから、徐々にスピードを上げたキャッチボールへと移っていき、その迫力に観客を感嘆させる。克己の要請があったのか、とつぜんライトポールを指差し、ノーステップの遠投(八十三~八十五メートル)五本、左中間を指差し、ツーステップの左中間ネットへの遠投(百十メートル越え)五本で観客のド肝を抜いた。彼の強肩はあまねく知られていたことだったので、すばらしいパフォーマンスになった。観客は熱狂した。
 だれもを仰天させたのは、それにつづけて行なわれたフリーバッティングだった。ピッチャー五人を控えさせ、まずセンター方向へのライナー五本で腕慣らしをし、つづくピッチャーが投げた五球すべてをレフトへ打ち上げる。うち三本がホームラン、二本がレフトフライ。つづく三人のピッチャーが投げた十五球のすべてを左・中・右とまんべんなく外野上段のネットに打ちこんだ。ほとんどが百三十、四十メートルを超えるホームランだった。圧巻! 神無月は打ち終えてニッコリ笑った。ホレた! だれもがホレた。北の財産が、日本の財産になった瞬間だった。
 「スタミナと二の腕の力がないので、がんばって鍛えようと思います」
 とは、練習初参加後の彼の愛嬌あるコメントだった。
 十歳で野球を始め、たちまち五年連続愛知県ホームラン王、かつ三冠王、高校一年時青森県二季連続ホームラン王、かつ三冠王。この異常な天才に話題が沸騰するはずだと身近な人びとは思ったが、どうしたわけかこれといって騒がれもせず、彼は巷の片隅に逼塞した。それからひっそりと謎の多い神秘的な人生を送ってきた。
 東大に至るまでの道を細かくたどると、ある意味過激なほどドラマチックな人生とも言えるが、彼を流浪の土地に閉じこめた原因は、すでにわれわれのほとんどが把握しているし、それについて書かれた記事も多い。しかし、それは親族に関わる厄介な問題なので、ここであらためて喧々すべきではない。マスコミ人として自粛する。ともあれその才能と美しさが、さまざまな紆余曲折の中で今日まで保存され、抽出されたことはわれわれの幸とするところである。彼が野球に戻ってきてくれてほんとうによかった!
 もう、われわれは彼を手離してはならない。放浪する者は魅力的だとは言っても、そろそろ彼を野球の世界に定住させなければならない。彼の人生を曲折させた責めの一端は、野球の神である彼を大物扱いせず、崇拝もしなかったわれわれにあるだろう。もっと彼のことで大騒ぎしなければいけなかった。いまさら騒いで崇拝して見せても、神無月に深甚の謝意を表することは叶わない。
 しかし、神無月郷よ、われわれは、今後は常に、もろ手を挙げてきみを応援する。ただただホレて応援する。もうだれもきみの行く手をじゃましない。どうかこのまま順調に成長しつづけ、望みのプロ球団へ進み、思う存分日本プロ野球界で羽ばたいてくれたまえ。


 遠い記事だ。最終的に意思決定するのは表立って擁護する者ではない。母のような木陰や岩陰に潜む人びとだ。私は常に彼らから逃避しながら、愛ある者と一体化して、自分の存在の奇跡をまっとうしなければならない。群体としての孤立無援こそ、私の命のあり方だ。
 阿佐ヶ谷の部屋に電話がついた。机の本立ての脇に置いた。ラジオを点ける。霞が関に超高層ビルが完成、外人力士の高見山が入幕、ここでも相変わらず遠いニュースを流している。
 九時。十四・六度。ランニングに出る。南阿佐ヶ谷往復。ダッフルをかついで下宿を出る。微風。南阿佐ヶ谷から本郷へ。赤門前の万定(まんさだ)でカレーとオレンジジュース。
 腹が下りだしたので農正門守衛所横のトイレに入ろうとすると、
「こらこら」
 と警帽かぶった中老の警備員に呼び止められた。
「すみません、野球部の神無月です。便所をお借りしたいんですが」
「お、神無月選手! 失礼しました。どうぞお使いください」
「登校するたびにお借りしていいですか。下宿先の設備が整っていないもので」
「どうぞ! 毎日でもお使いください。ただ、東大球場のロッカールーム奥にもございますよ」
 あそこは一度覗いたが、清掃が行き届いていない。
「仲間の前では、ちょっと……」
「ハハハ……」
 清潔な水洗式和式便所。軟便。巻紙を手洗いの水に浸して丁寧に拭う。便所から出て礼を言うと、
「ご活躍をお祈りしております。衛所には警備員が交代で務めますが、気楽に用を足せるようにみなに伝達しておきます。私は南と申します」
「ありがとうございました」
 背番号8のユニフォームを着てグランドに出、喝采を浴びる。スタンドに一般の見物と報道陣がびっしり。村迫たちはきていなかった。
 東大野球部の概略を克己にメモを渡されて教えられる。

 毎日午前中全体練習、午後は授業または自主練習となっているが、授業重視なのでどちらで汗を流してもよい。土日祝日および長期休暇中も同じ。全体練習は、ウォーミングアップ、キャッチボール、守備練習、打撃練習の順で行う。リーグ戦のあいだは課題のある選手のみ練習。
 年間スケジュールは、十一月中旬新チーム発足、秋季オープン戦、十二月下旬から一月上旬にかけて自主トレーニング、二月から三月にかけて春季合宿、春季オープン戦、四月から五月にかけて春季リーグ戦、春季新人戦、六月国公立戦、夏季オープン戦、七月京大戦、前期試験期間は自主トレーニング、八月夏季合宿、七大戦、九月から十月秋季リーグ戦、十一月上旬、秋季新人戦で終了。


 目の回る忙しさだ。私は合宿を含めそのほとんどに出ない。日々の自主トレとリーグ戦以外は春季新人戦のみ。
 きょうは三種の神器、素振り百八十本、ポール間ダッシュをゆるめに三本やった。午後出の選手たち数人と口を利くようになる。横平、臼山、中介。鈴木睦子はじめ女子マネージャーたちは、フィールドのあちこちの隅に目立たないように控えていた。白川という前髪の長いマネージャーが親しく声をかけてきて、
「俺、チーフマネージャーの白川。主務とも呼ばれるけど、それで呼ぶのは勘弁ね。チーフでお願い。野球経験なし。だから野球には口出ししない。東大野球部は、原則として学生マネージャーの手で運営されてる。部の運営を一手に担ってるわけね。たとえば、部の諸経費の会計、用具の購入、試合や遠征の手配、外部への営業、広報など多岐にわたってる。男子マネージャーは一誠寮に入って、選手たちと寝食をともにしなくちゃいけないことになってる。俺一人だけどね。女子マネージャーは、いま言った仕事に加えて、東大球場で試合があるときのアナウンスなんかもする」
 克己がうるさそうに白川を押しよけ、
「金太郎さん、フリーバッティングはどうする」
「リーグ戦前の何日かでまとめてやります」
「打ちたくなったら言って。ケージ出すから」
「はい。ありがとうございます。でもたいへんでしょう」
「簡易スタンドだから、五、六人ですぐ組み立てられるよ」
「あしたは少し打ちます」
 私は、部室と金網のあいだの隘路に魚網のように折り畳んであるケージを眺めた。二年前、青高に寄贈されたケージより貧弱だ。二時に上がる。
 帰路、大将で天津丼。永島慎二の家の斜向かいの銭湯『天徳泉』でタオルと石鹸を買ってひとっ風呂。井戸水を沸かした熱い湯。フルーツ牛乳。幸福。午後三時から朝の四時までやっているめずらしい銭湯だった。発見。
 机に戻り、買い溜めしてあった新刊書の制覇にかかる。

・どくとるマンボウ青春記(北杜夫)
・不信のとき(有吉佐和子)
・愛(御木徳近)
・Dの複合(松本清張)
・三匹の蟹(大庭みな子)
・影法師(遠藤周作)
・火垂るの墓(野坂昭如)
・竜馬がゆく(司馬遼太郎・全五巻のうち一巻立志篇のみ)

 どくとるマンボウ青春記からかかる。戦争直後の旧制高校時代の放埓を描いたエッセイ。シリアスな部分にうなずく。―自己を高めてくれるものはあくまでも能動的な愛だけである。人生は棒に振れ、しかし一日はもっと大切にすべきだ。
 ユーモアの感覚にはついていけず、打ち止め。目がくたくたになって寝る。
         †
 四月五日金曜日。晴。朝ラン前日に同じ。大将でオムライスを食って出かける。
 東大球場はきょうも、スタンド、記者連中ともに満員。スパイクを青高時代のものに戻す。しっくりきた。リーグ戦が始まったら東大のスパイクに戻せばいい。
 両手の絞りの感触を取り戻すために、五十本打つ。ライトライナー二十本、センターライナー二十本、レフトライナー十本。無番の補欠たちが球拾いに十人ほど立ち並んだ。
 センター奥で素振り百八十本。二塁への滑りこみを十本、レギュラー全員でやる。三種の神器、ポール間ダッシュ強めに一本。
 鈴木睦子たち女子マネージャー三人が、一時間以上ファールグランドと外野塀ぎわの小石拾い。睦子はときどき立ち止まって私の練習風景をじっと見つめていた。きょうも数名の選手と口を利く。磐崎、大桐、三年の風馬。みんな気さくな連中ばかりだが、大桐は時おり顔に冷笑的なものをただよわせる。二時に上がる。
 人けのない高円寺の式台に汗まみれのユニフォーム一着を届ける。大将でホレタマ定食を食い、天徳泉の湯に浸かって帰る。
 三匹の蟹。前衛小説は傑作か駄作か判断がつかない。虚実混じり合い、人を惑乱させるような文章はじつに苦手だ。私が苦手だということは、この種の小説に水が合う読者が多いということになる。数十ページで打ち止め。
 寝ようかなと思ったところへ、節子と吉永先生からつづけて電話が入る。とりつけたばかりの受話器を耳に当てる。二人ともカズちゃんに勧められて電話をつけたということだった。たがいに声を聞くだけで満足し、取り立てて約束もしなかったが、吉永先生は七日の日曜日に、節子は八日の月曜日の東大の初授業を終えたあと出かけていこうとひそかに決めた。リーグ戦に入ったら、おそらくほとんど逢えなくなる。


         二十三

 六日土曜日。曇のち晴。ランニングから登校まで昨日に同じ。ただ、排便は農学部三号館の三階でやってみた。水洗なのはよかったがペーパーの質が粗かった。
 観客や記者やカメラマンの数が減った。それにつれて部員たちの動きが生きいきとしてきた。人目がないときに生きいきとなるのはいい傾向だ。人目があるときにわざとらしく活性化するのはスケベな名望欲のなせる業だ。きょうは部室で着替えるとき、セ・パ同時開幕の話題がしきりだった。まだ目が外に向いている。他人の野球は忘れなければならない。克己が、
「セはデーゲーム、パはナイターだ。打者の目玉は、セが長嶋と王、パは野村だけか」
 塁手の水壁が、
「目ぼしい新人はいないな。明治からいった高田ぐらいじゃない?」
 鈴下監督が入ってきて、
「プロ野球の話なんかどうでもいい。ヨソごとだ。この何日か金太郎さんを見てわかったろう。野球は打って得点することが本質だということだ。俺の願いは、もっと打ってください、もっと走ってください、もっとどんどん点を取ってください、だ。きみたちを何年か見てきて悟った。きみたちが喜ぶのは、ほとんど打って点を取ったときだけだとね。この一週間、金太郎さんのフリーバッティングを見るたびに、きみたちの目が爛々と輝いたのがその証拠だ。そうなんだ、それが野球の本質なんだよ。喜ぶ時間が長ければ、大したことを成し遂げるだろうという気がする。しかし漫然とバットを振ってるだけじゃだめだ。有効な鍛練をしなくちゃな。金太郎さんは素振り百八十本をやり終えるまでは誰も寄せつけないだろ。なぜ百八十本なのかの理由を知ったら驚くぞ。私はきょう聞いた。内、中、外、高、中、低、三掛ける三、計九コースきっちりイメージしながら、姿勢もそれに合わせて二十本ずつ振るんだそうだ。外角低目を振るときのしゃがみこむような格好は異常だろう? 背筋が冷えたよ」
 みんな口々に、
「百八十本振ってるのも知らなかった」
「ボーッと見惚れてた」
「あの雰囲気は近寄れないよな」
 横平が、
「外角低目は、踏みこんで打つスイングもしてたぜ」
 鈴下監督は微笑み、
「走りこみも、筋トレも、すべて私たちの学習に繰りこむべきだ。いずれ金太郎さんは業を煮やして、私たちに声をかけてくるさ。それも学習しよう。まずはバッティングの向上をきっかけに、走塁、守備、すべてのレベルを上げていかなくちゃな。とにかくまずバッティングだ。よし、きょうもいくぞ!」
「オー!」
 みんなグランドに出て、三々五々ダッシュしていった。私はフェンス沿いにカエル歩きを一周したあと、ブルペン前で立ち上がり、有宮と台坂の投球練習を見つめた。助手が審判役をしていた。また一塁側のブルペンへカエル歩きでいき、村入(むらいり)の投球練習を見つめた。私に見つめられるだけで彼らは異様に緊張してコントロールを乱した。
 カメラマン以外、スタンドはひっそりとしている。黙々とフェンス沿いにジョギング十周。左利きの横平と五十メートルキャッチボール三十本。きょうまででレギュラーのほとんどの名前を記憶した。
 帰りがけに大将できょう二食目。親子丼。美味。
 竜馬がゆく。―よき友は拝跪(はいき)してでも求めねば、か。おもしろい。しかし資料的な知識を細かく読み切れず、深夜の二時で打ち止め。
          †
 翌七日日曜日。日本晴れ。丸ノ内線の車中で遠藤周作の影法師。短編。読了。ここまで四冊。ようやく四冊目にして感覚と嗜好に引っかかった。
 フリーバッティング三十本。遠投代わりに守備練習(二塁返球とバックホーム)をしっかりやる。三種の神器百回ずつとポール間ダッシュ一本。ちらほらまねる連中が出てきた。
 監督の要望で、マウンドの前に車座になった仲間たちに、六コースの素振りを披露する。体高を低くした外角低目の打ち方を強調する。手首の使い方や、振り出しの瞬間のスピードの乗せ方はうまく伝えられなかった。みんな、スイングスピードと風切り音に驚嘆するばかりだった。臼山と横平は私の踏みこみをじっと見つめていた。
 鈴下監督に眼鏡を渡される。さっそくかけてみる。魔法のようなかけ心地。繊維質のゴムが耳にも後頭部にも食いこまない。ゴムの締まり具合を確かめながら首を振る。耳の上部と後頭部を快適に締めつけて痛まない。縁が透明なプラスチックレンズなので視界が広い。使うチャンスはあまりないだろうが、いざというときの不安はなくなった。
「ありがとうございました!」
「どういたしまして。利用するチャンスはなかなかないと思うけど。はい、眼鏡を返すよ」
 昼前に練習を上がる。ブレザーにダッフル担ぎ、球場をあとにする。睦子が手を振ったので振り返した。
 池袋から吉永先生に電話する。出なかったら高円寺へユニフォームを預けにいこうと思っていたが、幸い先生は在宅していた。東上線に乗り、遠藤周作の文庫本を開く。影法師以外に見どころのある作品にぶつからない。雑読。一時少し前、上板橋駅の改札に、若紫のタイトスカートを穿いた吉永先生が出迎えた。見映えのいい顔になっている。顔もからだも小さい。ダッフルバッグを見つめて、
「野球道具?」
「うん、面倒だけど持ち歩いてる」
 南口を出て、商店街を真っすぐ歩く。先生はいつものように弾むような歩き方だ。電器屋、鮨屋、玩具屋、とんかつ屋、お茶屋、本屋。南口銀座の名のとおり、あらゆる店が揃っている。
「買物に便利そうだね」
「そうなの、洋服屋さんまであるから、とても便利。新聞見ました。すごい騒ぎですね。キョウちゃん、すっかり有名人になっちゃいました」
「一過性のものだよ。リーグ戦が始まってひと月もすれば静かになる。近くの病院に勤めたって?」
「ええ、家から歩いて十分。花岡病院というの。名前のとおりきれいな病院よ。金土は一時までの診療で、日曜も良心的に受け付けてる。見ていきましょ。キョウちゃんは学校とか病院とか公共の建物が大好きだって、和子さんが言ってたわ」
「うん、へんだよね、集団が嫌いなのに」
「ブラスバンドみたいな集団は好きでしょ? 秩序が好きなのね」
「ふうん。秩序と言うより、器の中の青春かもしれない。入れ替わり立ち替わる思い出の宝庫……。きょうは休み?」
「非番の日よ。日曜は隔週の交代勤務なの。祭日はお休み」
 商店街からちょっと曲がりこむと、古風な洋館ふうの病舎が見えた。牛巻病院の二倍もある。スロープを上がって玄関に入る。
「きれいな病院だなあ」
 広いロビーだ。黒革のベンチが五つも並んでいる。それぞれのベンチに十人以上の患者が座っている。しみじみ見回していると、
「やっぱりこういう建物が好きなのね。ここは内科、小児科、整形外科、皮膚科、婦人科の総合病院なんです。私は内科。新米だから、ほとんど下働き」
 吉永先生は受付の看護婦に挨拶して、私を導きながら一階の廊下を往復する。採光の効いた明るい廊下だ。どの診察室にも明るく蛍光灯が点っている。突き当たりのT字の廊下の一部が広い空間になり、内科だけ独立した診療棟になっている。
「いいところに勤めたね」
「大学出の看護婦がほとんどいなかったから、ラッキーでした。お給料は八万円もあるんですよ。西高の三倍」
「ようやく専門の知識が活かされたね。せっかくの給料だ、大事に使わなくちゃ」
「はい。二階、三階は入院病棟だから、見なくてもいいです」
 病院を出て商店街に戻り、国道まで歩く。いい風が吹いている。
「ああ、幸せ。ホッとする。世間の女の人には、この感じ、わからないだろうなあ」
「どういう感じ? ぼくといると安心なの?」
「ええ、ちょっと説明が難しいんですけど、まず、キョウちゃんは生まれつきのスターです。スターというと、世俗の血統書つきか、競争に勝ち抜くことが生甲斐の叩き上げの人ばかりでしょう? そういうスターは、スターになることそのものと、スターでありつづけることが目的だから、愛情の独占欲や、物質欲、名誉欲といったいろいろな欲望が強いし、保身に汲々として不誠実です。ホッとしません。キョウちゃんのような、何の身分も階級もない、競争で揉まれて叩き上げたのでもない、愛情の独占欲も、物質欲も名誉欲もない、素直で、大らかで、誠実な、才能あふれるスターって、まずいないと思うの。そのスターを分かち合って愛することができる。どうして分かち合うことになるのかというと、一人ではキョウちゃんが受けるべきじゅうぶんな愛を捧げ切れないからだし、一人ではキョウちゃんのあふれる愛をお受けし切れないからです。もちろん独りで捧げて独りでお受けしろとキョウちゃんに命令されたら、命懸けでそうしますけど、あっという間にペシャンコになっちゃうでしょうね。だから、やむを得ずキョウちゃんを分かち合うんじゃないんです。私たちもペシャンコにならずに生きられるだけの荷を背負って生き延びるためです。みんな、キョウちゃん遇った瞬間にそれがわかるんです。みんなでこの人から愛をいただき、みんなで愛を捧げようって。キョウちゃんはそういう私たちに心から満足してます……ホッとするんです」
「愛情の分業だね」
「ほんと、それがピッタリ」
 私を部屋に上げると、吉永先生の表情がもっと明るくなった。敷きっぱなしの蒲団、机を囲む調度の貧しさに心が安らぐ。机上にきちんと黒い受話器が置かれている。
「いいな、ぜんぜん散らかってない」
「部屋の中にいると、机にしかいないから。キョウちゃんのいのちの記録、和子さんに送ってもらいました。感想はありません。そんなものを超えてます」
「ホームランくらい?」
「見たことがないので、よくわかりません。十三日の土曜日に見にいきます。かならず打ってくださいね」
「うん。初日はホームランだけを狙う」
「お昼ごはんは春の魚よ。ウスメバル。刺身、煮付け、骨とアラの味噌汁。一時間ぐらいかかるわ」
「その前に」
「はい! さっきからたいへんなことになってます」
 先生が蒲団の脇に腰を下ろすのを確かめ、その居ずまいを眺める。小さい。ピンクのカーディガンを脱ぎ、若紫のタイトスカートを脱ぎ、ブラジャーとパンティだけで横たわる。私が服を脱いだまま黙っているので、不安そうに見上げてくる。私の表情のない目を見て、戸惑ったように身をすくませた。
「カズちゃんも、トモヨさんも、素子も、節子も、文江さんも……もっともっとたくさんの女を愛してる。これから先もたくさんの女を、愛されるかぎり、同じように愛せる。そんなことってあり得るんだろうか」
「あり得るわ。キョウちゃんだから。愛されることを心から喜んで、無条件に同じように愛し返せる人だから。愛情は一人ひとりに返す程度が変えられるのがふつうです。キョウちゃんがぜったいそうしないから、私たちは安心して、ほんとに安心してキョウちゃんに抱かれることができるんです。だれにも不満はないわ。みんな死にたいくらいうれしいの」
 下着を取る。大きな胸、尻、薄い三角形の陰毛、豊かな太腿、形のいい脛。
「きれいだ……」
「太ってるでしょう」
 私は陰毛を掌でなぜた。毛先が柔らかく押し返す。
「キクエのお腹の肉は服の外から見たのとちがって薄いんだ。肥り肉(じし)に見えるのは、腰と尻の大きさのせいだ。きれいなからだをしてる」
「ほんと?……」
 愛らしい。腰のくびれに下着のゴム痕が薄くついている。キクエは受け入れたがって股を開いた。私はカズちゃんや法子よりも豊かな胸をつかみながら、ゆっくり挿入した。
「ああ、キョウちゃん……」
 すぐに快楽の鼓動が伝わってくる。肩を抱き、乳首を吸う。キクエはじっとこらえている。早く果てまいとしているのだ。こらえる脈動が強くなる。
「こんなに早く……恥ずかしい……」
「恥ずかしくないよ。ぼくを愛してる証拠だ」
 両脚が何かの足がかりを見つけようとするように、一瞬大股開きに極限まで伸びた。ぶるぶる痙攣が腿を揺らしている。なかなか収まらない。射精する。その瞬間、先生のからだが私から離れて上方へ大きくいざり、枕の上に背中が乗る格好になった。脚ばかりでなく、からだ全体がぶるぶる振動している。白い半眼がどこを見ているのかわからない。そのうちよだれまで出てきて、私は重大なことがおきたのではないかと恐ろしくなった。蒲団に引きずり戻して、ひたすら痙攣の鎮まるのを待った。やがてキクエは細い黒目をパッチリ開け、さわやかな顔で、
「愛してる、キョウちゃん、死ぬほど気持ちよかった」
 早い回復だ。この八カ月で、達し方と回復の仕組みがすっかり変わってしまったようだ。起き上がって、私のものを大切そうに口に含む。シーツが彼女の体内から流れ出した精液と愛液で光る。
「……精液って、こんなに出てくるんですね。いままで気づかなかった」
 キクエはティシュを箱から大量に引き抜いてシーツを拭いた。


         二十四

 メバルの刺身は歯応えがありすぎて苦手だったが、煮付けは絶品だった。
「食材もいいんだろうけど、味つけが抜群だね」
「ありがとう。八坂荘のころは、よくキョウちゃんにお魚料理を作ってあげましたね。楽しかった。いまはおたがい忙しいし、住むところも離れてるから、こんな機会はめったにないけど、いっしょに食事をするときはかならず手料理を作りますね」
 机に積んである医学書を見つめた。
「キクエが努力する人間でうれしい。努力すればほとんどのことを成し遂げられる。それを見ているのは快適だ。ぼくは残念ながら、もともと努力家じゃない。新しいことに挑戦する生産的な人生を歩めない。たまたま身に備わっていた才能を見せることでしか、人に生甲斐を与えられないんだ。そのための努力は欠かさないけどね」
 キクエはにっこり笑って、
「キョウちゃんは野球以外のこともしっかり努力してます。楽々とやってるので、そう見えないんです。たしかにキョウちゃんは、努力してる姿を見せるというやり方では人に生甲斐は与えられないかもしれない。人が努力する姿は、自分もやってみようという気力を与えますから、大きな影響力を持ってます。でも才能に感動する人は、努力の有無に関係なく、才能を愛する性質を持った人だけです。そのほかの人は、嫉妬を胸の底に抱えながら、その人たちにつられて拍手します。キョウちゃんは彼らの生甲斐にはなりません。でもそれでいいと思います。万人を感動させることなんてできないんですよ。自分愛してくれる人だけに感動という愛を返せれば、人間としてじゅうぶん生産的なことをしたことになります。安心してください」
 改札まで先生に送られ、三時過ぎの電車で帰る。池袋から山手線で高田馬場に出て、東西線で高円寺へ。カズちゃんにユニフォームを預け、アイロンの利いた一着目のユニフォームを受け取る。三人で広い風呂に入り、〈日曜特別ステーキ〉をごちそうになって阿佐ヶ谷に帰る。
         †
 八日月曜日。晴。十・九度。風なし。南阿佐ヶ谷駅往復。八時半から開いているありん堂の赤飯と海苔巻を買ってきて食い、グローブとジャージと運動靴を入れたダッフルを担いで初授業の駒場へ。
 丸ノ内線の車中で、先日山口が上着のポケットに押しこんであったメモを見ながら、履修届で提出する予定の授業時間割表を暗記する。英語とフランス語は届出をする以前に受講の意思を受験票に書きこむことになっている。授業時間割は数日前にハガキで通達されている。まず文Ⅲは、すべて百五分授業、五限まで受講可能。私の一週間の予定表は、月曜日の二限十時二十五分から軟式野球(私の場合出席任意とされている)、三限一時からフランス語未修(クラス、時間割ともに決定)、四限二時五十五分から世界史概論、火曜日三限科学思想史、四限英語(クラス、時間割ともに決定)、五限四時五十分から教育学、水曜日二限庭園学、三限万葉集論考、五限美学、木曜日一限八時半からスポーツ身体運動科学(受講免除)、二限フランス語未修、三限西洋近代文学史(たぶんサボるだろう)、金曜日二限英語、三限ロシア語。
 軟式野球の授業に出てみた。学生課で訊いて、駒場第二グランドに集合。集まった学生は二十人ほど。助手の指示で、更衣小屋でジャージに着替え、運動靴を履いてもう一度グランドへ。グランドと言っても、背の低い金網のバックネットがあるきりの楕円形の〈運動場〉だ。フェンスの代わりに高さ幅ともに二メートルくらいの土手が囲んでいる。桜の木に縁どられているが、もうほとんど散っている。土手の向こうは、ライト側は小森、その向こうはテニスコートになっているらしい。レフト側はまばらな林。彼方に高層ビルがいくつか見える。
 福島という教授の命令で全員その土手の上を二周させられた。福島教授は私の脇について走りながら、
「きみほどの人が、なぜ東大なんかにくる必要があったのかね。高校からプロ野球にいけただろう」
 と言った。私は彼に好意を持った。
「東大に進む以外に野球をする逃げ道がなかったんで。未成年者は親の承認がないかぎり、プロも引き受けません。東大に入って成人に達しさえすれば、あとは中退しよう卒業しようと、母は手出しができなくなるでしょう。プロ側も有力者と結託してゴリ押しできる。それからは自由な野球生活に入れます」
「東大でなくてもよかったろう。強い野球部のある大学なら」
「東大が虐待の道具にされて、ぼくがそれに耐えたとだけ言っておきます」
「じつに興味深い話だね。まあ、軟式野球の授業を楽しんでください。何回休んでも、きみの単位は与えるよう言われているから、安心しなさい」
「ありがとうございます」
 その日福島は、学生をグランドに車座に坐らせて、その中心に立って、審判のジェスチャーの仕方を講義した。
「雨が降ったら、そこの小屋でスコアブックのつけ方を教える」
 そのあとは大籠に入れたグローブを配球し、キャッチボールを十分ほどしただけで解散になった。私は肩を使わないようにして、手首で軽くピンポンだまを投げるようにしながら投げた。それでも相手はボールを捕まえるのに四苦八苦していた。福島はつまらない騒ぎを嫌って私を紹介しなかった。
 一時からクラスの入学記念写真を撮った。都合のいいことに、初授業のフランス語の開始どきに時計塔のある一号館玄関前で撮ることになっていた。クラス分けは未修外国語で行なうので、集った男女についていけば授業教室に迷わずいけるというわけだった。私はフランス語未修8Dというクラスで、学生数は四十人ほど。二列目の右端に立たされた。寄り集まった者同士だれも口を利かない。のろのろした退屈な撮影会だった。カメラマンだけが張り切っていた。そのままのろのろ一号館の一○六教室に入った。十分もしたころ、金縁の眼鏡をかけ、あごヒゲを生やした細身の男が入ってきて、張りのある低い声で、
「こんにちは」
 と言った。ザワザワしていた学生たちは居ずまいを正し、謹んで拝聴する顔つきになった。彼らの様子からするとこの男は相当な有名人らしく、すでに本人を見知っている顔つきをする一団もいた。男は、自分は一昨年から教養学部で助手としてフランス語を教えている波佐見ですと自己紹介をし、脈絡もなく何の教育的含みも持たない留学譚を枕にして講義を始めようとした。それはユーモアも温かみもないただの自慢話だった。
 講義自体もその調子で、フランス語に関するもったいぶった知識開陳と、留学先で感銘を受けた風光譚に終始した。授業の最後に彼は、副教材として与えたフローベールの『ボヴァリー夫人』を訳出してくるようにという信じがたい宿題を、自発的に手を挙げた数名の学生に二ページずつ課した。
 ―なんだ、このつまらないコケ脅しは! まだだれもフランス語のイロハも知らないんだぞ。手を挙げるやつらもやつらだ。いったい、どういうつもりだ?
 二時四十五分に授業が終わると、私はダッフルを担ぎ、世界史概論の授業をオミットすると、急いで電車に飛び乗った。新宿から池袋へ、池袋から本郷へ。
         †
 きのうと一転して、東大球場にものすごい数の報道陣がたむろしている。五日後の明治戦に対する意気ごみでも訊きにきたのだろうか。無作為にマイクを突き出しながら取り立ててだれにインタビューするという様子もなかったが、私の姿を認めるといちどきに殺到してきた。
「明治対策は立てましたか」
「浜野をどう打ち崩しますか」
「池島は?」
「やはりホームラン狙いですか」
 その二人とも見たこともない選手なので、突き出されるマイクの束の前で首をひねりながら黙っていると、克己が助け舟を出した。
「東大はまだ小学生チームです。打ち崩すもなにも、一勝することが念願です。神無月はまだ新米ですから、大学野球について何も知りません。今年から私が主将です。私に尋いてください」
 すぐにマイクの矛先が克己に代わり、
「主将就任の経緯を教えてください」
「監督から幹部は自分たちで決めろと言われていました。秋のリーグ戦が始まったあたりから三年生全員で話し合い、最終戦の十日ぐらい前に決まりました」
「前主将から学んだことは?」
「何を言われてもブレない強さです」
 私はそろりそろり鈴下監督のほうへ歩み寄り、
「二人のピッチャーの特徴を教えていただけませんか」
 監督はニヤリと笑い、
「池島は右のオーバースローの本格派、浜野も速球派。おととし立教戦でノーヒットノーランをやってる。浜野は主将だ」
 レポーターがつづける。
「理想のチーム像は?」
「打っていくチームです。神無月の加入と、監督の檄で、その方針が定まりました。守りは当然の基本としてこれまで以上に鍛練しますが、打撃力を数倍に伸ばす方針でみんなが同じ方向を向きました。だれが抜きん出てもおかしくないチームを目指します」
 別のレポーターがとつぜん監督に向かってマイクを突き出し、
「優勝に必要なことは何だと思いますか」
「……優勝は遠いです。でも、チームが一丸となって打棒をふるえるようになれば、Aクラスは近づくと思います」
 鈴下監督にマイクの群れが移動してきたので、私はチームメイトの中へ紛れた。
「全国高校野球二年連続三冠王の神無月選手がチームの一員となりました。彼の加入についてひとこと」
「チームとしてはうれしいことですし、もちろん期待もしています。彼の入部によってみんなが刺激を受け、切磋琢磨し、野球選手として成長できたらなと思っています」
「春季の目標を教えてください」
「勝ち点二です」
 きょうはいっさい練習をしなかった。あしたは一日休養を取りたいと監督に告げ、部室で着替えてダッフルを担ぐ。記者たちの目を盗んで農正門に向かう。鈴木睦子が追ってきた。
「神無月さーん!」
「よう、鈴木さん」
「やっと口が利けました。三月十日の合格発表の日から一カ月。長かったです。私、神無月さんのそばで暮らせて、ほんとに幸せです。いま、南阿佐ヶ谷に住んでます。発表のあと帰省したとき、健児荘の羽島さんから山口さんの住所と電話番号を聞いて、ご実家に電話したんです。神無月さんが阿佐ヶ谷に下宿を決めたって聞きました。それで……」
「南阿佐ヶ谷にしたんだね。ランニングコースだよ。南阿佐ヶ谷を往復してる」
「いつかいっしょに帰ってくださいね。できれば……」
「そのときは寄っていくよ」
「はい!」
 暮れなずむころ、武蔵境駅の南口にたたずむ。名鉄神宮前と似たバスロータリー。左手に、巨大なピンを載せたボーリング場と網に覆われたゴルフ練習場。ロータリーの先にはしだれ柳の連なる殺風景なアスファルト路が真っすぐ延びている。ロータリー脇の三菱銀行の隣が書店になっている。節子に本を買っていってやろう。平積みから書棚に戻された少し時期外れの本がいいだろう。
 七冊買った。まぼろしの邪馬台国、行為と死、私をささえた一言、ヘンな本、天皇ヒロヒト、華岡青洲の妻、徳川の夫人たち。私はその中の一冊も読んでいなかったし、読もうとも思わなかった。節子が患者や医師たちとの話題にのぼせるのに、少しでも役に立てばいいと思った。
 巨大なボーリングのピンを見上げながら武蔵境通りを歩く。朝から食っていない。ようやく腹がへってきた。交差点を渡ると、角地に巴屋という蕎麦屋がある。夕食はここにするか。松屋を右手に見ながらまばらなビル街を歩く。空地が多い。
 石鳥居に杵築大社という額看板があったので、入りこんでみる。鳥居の左右に屋根つき燈篭を据えたふつうの神社だ。大黒と恵比寿の二福神を祀ってあると書いてある。樹木に覆われた短い参道に入る。参道の突き当たりに、さらに小さい石鳥居があり、赤い拝殿が隠れるように建っていた。屋根に緑青が吹いている。鈴を鳴らす紐が垂れている。右手の小さな池のほとりに上り階段があったので登っていく。小さな社殿が小藪の中に鎮座している。大ケヤキが空に伸びている。
 通りに戻る。右手に聖徳学園高校、聖徳学園中学校、聖徳学園小学校、左手は小ビルとマンションと住宅の連なり。交差点に出て、血液センター前から左折して直進。赤十字病院の大きな敷地にようやくたどり着く。中村日赤よりはるかに大きい建物群だ。大小五棟建っている。ここまで二十分。病院の生垣に沿って進む。上島荘が目の前にある。二階の角部屋。階段を上り、コンクリートの廊下を進んで、チャイムを押す。
「はーい」
 ドアが開く。
「キョウちゃん! いらっしゃい。いま病院から帰ったばかり」
 高く盛り上がっていた髪型が、黛ジュンのような短髪になっている。
「よけい目が吊り上がって見える。かわいい猫みたいだ」
「猫が好き?」
「大好きだ。おふくろが飼ってた猫以外はね。犬みたいにおふくろだけに忠実だった」
「キョウちゃんが飼ってたことはあるの?」
「うん、小さいころ野辺地で飼ってたけど、目玉を刳り抜かれて殺された。幼稚園の帰りに肩に飛び乗ってくる猫だった」
「……かわいそうに」
「本を買ってきた。当分退屈しないよ。最近の本ばかりだけど、一応きちんと選んだ」
 本の入った紙袋を渡す。節子はダッフルも受け取る。
「ありがとう! もっと本を読まなくちゃって思ってたところだったの。時間を見つけてがんばって読むわ」
「外食してから、ボーリングをしよう」
「わあ、初めて」
「ぼくもだよ」
「上がって。コーヒーを飲んでから出かけましょ」


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