二十二

 部屋に戻って紐を解くと、付録本がたっぷり入っていると思ったのは誤りで、塵取り組み立てセットの厚紙キットと、たった一冊の付録本が入っているきりだった。フランダースの犬という本だった。聞いたことのあるような題名だった。
 私はこれまで、教科書に載っている断片的な文章のほかには、ほとんど小説らしいものを読んだことがなかった。志賀直哉の清兵衛と瓢箪、芥川龍之介の蜘蛛の糸、宮沢賢治の風の又三郎ぐらいは読んだ覚えはあったが、活字の奥にある意味が捉えられず、どれもこれもぼんやりとした印象しか残らなかった。横浜にいたころは、母の買ってくるキュリー夫人とか野口英世といった偉人伝や、貸本の漫画本を丁寧に読みこんだけれど、それは活字が詰まっていたが、意味の詰まった小説ではなかった。もし小説と呼べるようなものがあったとすれば、青木小学校の夏休み課題で読んだトム・ソーヤの冒険だけだった。でもそれを読んだときも、まとめて飛ばし読みして、トムとベッキー・サッチャーがキスをする場面をドキドキしながら何回か読んだ程度で、すぐに飽きてしまった。つまり私は、小説というものを一度もまともに読んだことがなかった。
 私はその粗末な小冊子のページを開いた。そのとたん、鮮やかな一行が目に飛びこんできた。
『ネロとパトラシェはこの世によるべのない身の上だった』
 胸を刺し貫いた。何度もその書き出しを読んだ。それから一息入れ、少しずつ読み進んだ。止まらなくなった。真夜中過ぎにようやく読み終えた。身をよじって泣いた。涙が止まらなかった。本を読んで涙を流すということ―それは私にとって軽々しくは考えられない、何かこれまでの人生を揺るがすような事件だった。
         † 
 翌日の昼休みに、選挙の結果を知らせる校内放送が流れた。加藤雅江ではない、下級生らしい声だった。加藤雅江が当選したということだろう。
「生徒会長、三組、井上博。副会長、四組、加藤雅江。会計、二組、布目陽子……」
 教室のみんなが固唾を飲んだ。
「書記、一組、神無月郷」
 オーと喚声が上がった。康男が唇をゆがめて笑い、教室じゅうを眺めわたした。守随くんは手のひらが破けるほど拍手していた。私は悲しいのかうれしいのかわからないような気持ちになっていた。選ばれたことはうれしかったけれども、その結果待っている秀才たちとの義務的な会合がわずらわしかった。
 さっそくその週末に第一回目の生徒会が開かれ、私は練習中の校庭からユニフォーム姿のまま呼び出された。私は憮然とした表情で黒板の裾に立った。コの字にしつらえた机に各クラスの学級委員たちが座っていた。守随くんも鬼頭倫子もいる。生徒会長の井上が黒板の前に進み出て挨拶し、加藤雅江が立ち上がって、開会を宣した。井上が黒板の前の机に座った。
「では、議題を求めます」
 私はおもむろにチョークを手に取った。ハイ、ハイ、と手が挙がる。
 ・毎朝各クラスもち回りで校庭の小石拾いをする
 ・学生服の第一ボタンをきちんとはめる
 ・学校にお金を持ってこない
 ・自転車通学の禁止
 ・貸し出し図書を期日までに返さない人に罰を与える
 鬱陶しい議題が次々に飛び交う。いちいち黒板に書く。私も一応意見を求められたけれども、その場で思いついただけのような話し合いに参加するのが億劫だったので、黙ってうつむいていた。紙くさい議論に没頭する彼らまでが、紙でできているように思えてきた。
「神無月くんには意見がないようですから、議事を進行します」
 井上が軽蔑したような口調で言う。濃い眉毛が迫っている中心のあたりに、いかにも気難しそうな皺が寄っている。井上はスポーツも得意で、去年の運動会では走り高跳びで一メートル二十センチも跳んで優勝した。ベリーロールとかいう跳び方だった。選挙演説の舌も滑らかだったし、みんなの噂だと、守随くん、鬼頭倫子に次いで勉強もできるらしい。つまり、先生たちが一目も二目も置いている立派なやつということだ。四年生まで彼と同級だった守随くんが言うには、
「井上は気分屋だがや。一日に何度も機嫌が変わるもんだで、あいつの前ではみんなびくびくしとる」
 彼に馴れ親しんでヒイキしてもらうために、金魚のフンみたいに一日じゅうくっついているやつもいるらしい。私の見たところ、彼はふだんからリーダー扱いされているせいで、見くびられるのを極端に嫌うようだった。私はこういう険のある顔をしたやつを見ると、むかむかして、わざとぶっきら棒にしてやりたくなる。
「何も思いつかないのに、意見なんかあるわけないよ。……ぼくは、こんなつまらないこと、考えたことがない」
 黒板を指差す。
「つまらないこと―」
 しまったと思った。あらためて全員の顔ぶれを眺め回すと、桑子をはじめとする五、六人の教師を後方に控え、机に陣取った勉強家らしい顔が目を丸くしてこちらを見ている。守随くんは困ったような微笑を浮かべていた。鬼頭倫子の眼は少しさびしそうだった。私は勝手に昂ぶって、そして勝手にガッカリしてしまったという感じがした。すぐ目の前に副会長の加藤雅江の顔があり、いつもの一本気な表情を忘れ、どういうわけか私を惚れぼれと見つめている。
 井上が席を立ってきて詰め寄った。
「みんなに選んでもらった責任はどうするの。学校の委員としての責任は」
「選ばれたのは、字を書くためだよね。それが責任でしょ。ちゃんと黒板係は務めようと思うけど、それ以上のことをするのはごめんだ」
 桑子がいかにも私の態度に感服したというふうに、こちらを真っすぐ見た。彼は教師連を振り向き、
「要領の悪いやつですな、神無月は。ほんとにすみません。どうでしょう、率直に言って、神無月には部活の予定のないときだけ出てもらうというのは。いま彼は、昨年につづいて名古屋市のホームラ王を突っ走ってるんですよ。白鳥戦だけで三本。この調子でいけば二年連続でキングをとるのは確実ですし、ひょっとすると、千年小学校は彼に大いにあずかって、いよいよ今年こそ準決勝にコマを進め、さらに市内優勝、いや市内どころじゃなく、その余勢で県大会までいくかもしれませんよ」
 教師も生徒も桑子の話に惹き入れられ、希望に燃えた笑みを交わし合った。そして彼が口をつぐむと、笑いを収めてひっそりとなった。ホームラン王はまだしも、優勝までは信じられないというふうに、微妙な目で桑子を見つめている教師もいる。去年はたしかに、公式戦五試合で九本のホームランを打ったけれども、結局千年小学校は春も夏も予選トーナメントで敗退し、ダークホースの前評判を裏切っていた。桑子は先生たちに向かって、大きくうなずきながら言った。
「服部先生も私と同じ意見でした。いや、それでなくても、こうやってゴリ押しをする神無月を見てると、どうも野球のことで気もそぞろの様子で、とうてい書記の役目なんか果たせませんわ。せっかく当選したことですし、役職だけは残しておいて……」
 クラブ指導に熱心な服部先生はこの会合に出席していない。
「でも、そんな例外を許しちゃうと」
 井上が〈きかん気〉らしい眉を桑子に向けた。
「お願いします」
 桑子はしおらしく彼の前にも頭を下げた。
「賛成!」
 という加藤雅江の声が上がった。
「私が書記をやります。神無月くんは冬に野球がお休みになったら、戻ってきてもらえばいいです」
 それをきっかけに、いっせいに元気のいい拍手が湧いて、私は奇跡的にその場で放免ということになった。
「神無月。いまから練習にいっていいぞ。例外を認めてもらったんだから、それ相応の責任を感じてくれよ」
 戸惑い顔でいる教師たちを尻目に、桑子は私の背中を叩いて廊下へ押し出した。振り返ると、尖った井上の眼とぶつかった。加藤雅江が口もとを固く結び、何やら祝福を送るように、私に向かってVサインをして見せた。私はうなずき、校庭へ駆けていった。
「ようし、金太郎がきた。フリーバッティング!」
 まるで私が生徒会を抜け出してくるのを予測していたように、服部先生の高らかな声が上がった。
 翌日の日曜日、日比野小学校との公式試合があった。なぜかいつもよりボールがゆっくりと見え、私はホームランを二本打った。二本目のホームランを見届けてセカンドベースを回るとき、ショートの少年にわざと足を引っかけられ、つんのめって転んだ。立ち上がると、
「バカヤロ!」
 という罵声が聞こえた。痩せて小さい少年だった。
「なんだと!」
「ラリッとんなよ」
 ほんの一瞬のことだったので、そのやりとりはだれにも気づかれなかった。私はさりげなくユニフォームの土を叩いて落とし、全速力で走りだした。そして、その細い顔をした少年の顔をしっかり記憶に焼きつけた。
         †
「雪村いづみが外人と結婚したんやって。スケベやなあ」
 野球部の連中の大笑いに、意味もわからず私は笑いを合わせた。雪村いづみの大きな口をイメージしたからだった。連中の表情を見ると、彼らもだれかの口まねをしているだけで、よく意味がわかっていないようだった。なぜみんな、よくわかりもしないことを口にするのだろう。岩間ほどではないけれども、どこから仕入れてくるのか知らないが、周囲の仲間たちはよく世間のことに関心のアンテナを張りめぐらしている。
 このごろ私は、自分はこの世の中にまったく関心のない馬鹿に生まれついたではないのか、と真剣に思うようになった。考えてみれば、野球に関心を持ったのも、勉強をする気になったのも、偶然人から誘われたからだ。もしそうでなければ、世間のことはただぼんやりとその存在を感じているだけだったにちがいない。そう思うと何か寒々しい気持ちになって、私はキャッチボールをしている肩の力が抜けていくような気がした。 
 四月の初旬から七月の半ばにかけて、千年野球部は、稲葉地、表山、富士見台、名北、昭和橋と予選トーナメントを勝ち進んで、ベストフォーに残り、ついにもう一つ勝てば決勝進出というところまできた。初戦の白鳥小を含めて六試合を、エースの岩間と控えの五年生リリーフ二人で乗り切った。いよいよ二週間後に準決勝、そしてそれに勝てば、八月十三日の日曜日に、テレビ塔下のエンゼンル球場で決勝だ。私はすでに五試合目の名北戦で十号を放ち、ここまで去年を大幅に超える十二本のホームランを打っていた。そしてほとんどの試合で、チームを勝利に導く得点を叩き出した。

 怪童ふたたび名古屋市の小学生記録を塗り替える

 そんなふうに地方版に一年前よりも大きく載ったとき、飯場じゅうが去年にもまして大騒ぎになった。母はその記事をチラリと見ただけで、今年も知らんぷりを決めていた。


         二十三

 轟音を上げながら平畑の往来を疾走していたダンプカーが、一台、二台と姿を消しはじめ、陽射しが本格的な夏の強さになった。乾いた光が安普請のアスファルト道にあふれ、目がくらむようだ。
 三年にわたった下水処理場の工事がとうとう終わり、五年住む予定だった仮住まいの事務所と飯場は一年ほどでとり壊されて、工事中の新幹線の高架橋沿いに移った。移ったといっても、二度目の飯場から歩いて二分ばかりの同じ平畑町内だったから、仮転居のときと同じように会社のトラックで五、六回往復したくらいで、半日もしないうちに引越しは終わってしまった。
 新しい事務所と飯場も、相変わらず錆止めを塗った鉄棒が〆の字に架けわたされたバラック仕立てだった。酒井さんの労務者棟と同様、よそ目にはみすぼらしい感じで、家というよりは大きな掘立て小屋といったところだった。それでも、トタン屋根を葺き替え、ところ剥げしたブリキ壁全体を黄緑のペンキで塗り直し、土埃のせいですっかり曇りガラスみたいになっていた窓も新調されて、事務所や寮棟はピカピカになった。
 小山田さんと吉冨さんがぞろりと連れてきた土方たちが、日盛りに半日のやっつけ仕事で、一戸建ちの小屋を組み上げてくれた。食堂の裏の空き地に、新しい事務所に接するように、母のための六畳と私のための三畳ができあがった。二間きりの室内の壁は、もちろんベニヤ板だった。でも母の六畳には三十センチ幅の縁側が、私の三畳には半坪の三和土の玄関がついた。酒井棟の二本指の後藤さんが、四角い厚板を木目が出るように抱き合わせて、背の高い本箱を造ってくれた。母の部屋には、その余った材料で一枚棚をこしらえた。玄関の外は笹庭になっていて、雑草を照らす夕方の光が水蒸気のように揺れている。クマさんがその庭にトネリコの幼木を植えた。土を掘り返し、根を固めるのにじっくり時間をかけた。
「花屋に売ってたんで驚いたよ。めずらしいだろ。バットを作る木だぞ。キョウにぴったりだ。二年ぐらいしたら、きれいな緑の花がつく。ほかに夾竹桃とツツジでも植えるか。いい垣根になる」
 荒田さんの朝顔は、事務所前に移し変えた。彼がジョロで水をやると、熱気の中で萎れていた葉がぴんと広がった。夕暮れの藍色が濃くなった。
 勉強部屋の三畳間は、母の部屋と木の襖で仕切られていて、大きさといい天井の低さといい、気持ちにしっくりくる大きさだった。贅沢に百ワットの電灯が吊るしてあった。道路側の大きな窓を開けると、下駄屋が目の前だった。店先に大小の真新しい下駄が並んでいる。店の中から森山加代子の『じんじろげ』が聞こえてきた。
 原田さんと畠中女史が、
「よいしょ、よいしょ」
 と声を合わせながら、事務所からスチール机を運んできた。玄関から三畳間に机を押し上げるとき、女史のブラウスから、腋(わき)毛の剃り跡が点々と見えた。鉄錆のにおいとチンボ立ちを思い出した。
「畠中さんが使っていた机だよ。まだほとんど痛んでない」
 いままで私は机というものを持ったことがなかったので、飛び上がるほどうれしかった。
「ぴたっと収まったわ。左は窓だし、理想的な勉強部屋になったわね。うんと勉強してね」
「うん。すごいなあ、ひきだしがスルスル開くよ」
 スチール製の机は、まるで部屋の主であるかのように大きく三畳部屋の大半を占めていた。畠中女史はニコニコ笑いながら、
「キョウちゃんの成績がよくなったって、おばさんから聞いたから、何かプレゼントしようと思ってね。所長さんにおねだりしたら、一も二もなく賛成してくれたの」
「所長はおばさんのファンだからね。鶴の一声で、さっそく小屋建てしてやろうということになったんだ」
 平畑界隈は熱田区の中でも開発が遅い地域だったけれども、この何年かのあいだに重箱のおせちのようにだんだん家並が埋まって、特に商店の立ち並ぶ道筋は外装を整えながら変身していった。事務所の玄関に面した通りを挟んで、正面には立ち呑みもさせる堀酒店、左隣りには母に気に入られた八百清、事務所の右手の小径を挟んで、私の小屋と向かい合わせに下駄屋、寮部屋と食堂の裏は、トネリコを植えた小笹と雑草の空き地になっていて、その隅に下駄屋の板材が井桁に積んである。井桁の向こうには五、六軒の民家が並んでいた。
 町内の人たちから私は相変わらず、〈飯場の〉キョウちゃん、と呼ばれていた。飯場は掃き溜めだと常々母は言うけれども、私はそんなふうに思わなかった。私は飯場というものをほかの世界とは比べものにならないユートピアみたいに感じていたので、近所の人びとはその別天地で暮らす羨ましい男どもの代表である私を愛でて、気軽に声をかけるのだと信じていた。
 今度の工事では、六番町から道徳にかけて数百メートルの新幹線の高架橋をかけ渡すことになっていた。三年後に開通予定の東海道新幹線が走る日までこの現場にいて、何カ月か汚水処理場の最終調整をしたあと、名古屋駅の地下街拡張工事にかかるのだ、とクマさんが言った。
「この分だと、キョウは名古屋で中学も高校もいくことになるな」
 食堂で中日スポーツの個人打撃成績に目を凝らしていた私は、
「野球の強い高校にいくんだ」
 と応えた。クマさんは天井を見上げ、
「それだと、中商か、大府か、名電工だな」
 と言った。
         †  
 登校のとき、高架橋の下で、小山田さんや吉冨さんのヘルメットに混じって、赤銅色に焼けた上半身を剥き出して作業をしている土方たちをよく見かけた。汗を光らせながら重たい資材を担ぎ上げたり運んだりする荒くれた男たちに、私はいつも強い畏敬の気持ちを抱いた。
 糊の効いた灰色の作業服を着た社員が、地下足袋に半裸の土方よりも、外見上支配的な地位に立っていることは、だれが見てもはっきりしている。とにかく身なりと風情がちがうからだ。
 でも私の目には、社員と土方とのあいだに何の人間的な隔たりも見えなかった。いちばん偉いと言われている所長はちがった。彼はただの飾りで、現場の支配権はないように思われた。彼は前線の現場への出番がほとんどなく、出動したとしても見廻りくらいの役回りで、めったに事務所の革椅子から離れることはない。彼は土方に人間的な影響を与えられない。いくら土方たちが会社から給料をもらっているといっても、人間的に信頼できない監督の下では情熱的に働けない。
 だから、工事がうまくいくかいかないかは、幹部社員の土方と仲良くできる能力しだいということになる。でも、その能力も土方たちの作業のはかどり具合に大きく左右されるのはまちがいない。つまり土方の能力しだいということだ。おたがいの能力が釣り合っていなければ、建設工事は成り立たない。きっとそのことが、敏感な子供の目にはっきり見えて、彼らが人間的に平等な存在に感じられたのだろう。
 この二種類の男たちを区別するいちばん大きなちがいは、社員は社員寮に、土方は労務者棟に住み、社員は所長が食事をする飯場でめしを食い、土方は土工頭が食事をする飯場でめしを食うということだった。そんなふうに住み分けを強いられている理由は、学歴のある将来の幹部候補生と、無学で出世の見こめない下働きの作業員を差別するためのようだった。地位のちがう男たちが馴れ合ったのでは、苦労して入社した学歴の高い者たちにしめしがつかないし、仕事の能率の上で支障をきたすということなのだろう。
 しかし、人間的にも仕事の能力の上でも平等な彼らにとって、住み分けは形だけのことらしく、土方たちは社員たちといつも親しく付き合っていた。それもそのはずで、工事にまつわる危険は、社員だろうと土方だろうと同じで、地位の高い低いも月給のちがいも問題ではなく、工事に伴う共通の運と、足並そろえた夜なべや重労働だけが肝心なものだからだ。そんなわけで、エリート社員たちと労務者たちをつなぐ蝶番はいつもしっかり両者を結び合わせ、たがいの気風がたがいに影響を与えて一枚岩になっていた。
 仕事で一枚岩になっていない時間は、どちらかといえば土方たちの影響力のほうが強く、社員たちの生活態度は豪放で開けっ放しなものになった。でも、どれほど感化し合っても、いったん仕事となると彼ら全体の緊張した足並が乱れることはなく、どちらもそういう階級意識のない交流の自由さを、仕事をするうえでの潤滑油にしているようだった。
 酒井棟の労務者たちはほとんどが流れ者で、一、二年もするとよその現場へ移っていく身軽な男たちだった。事務所の食堂にふらりとやってきて、遠慮なく一杯ひっかけると、すっかり打ち解けて愛想がよくなり、頭も働きだして、冴えた弁舌を披露してみせる。大ざっぱな社会批判から、同僚や上役に対するささやかな悪口まで、おもしろおかしく話して聞かせる。
「××は考えが堅苦しすぎる。世の中なんて、花見をするみたいな気持ちで、悠長に生きてればいいんだ。そうすりゃ、石部金吉や意地の悪い人間はいなくなる」
 とか(野辺地のじっちゃの言うことと似ていた)、
「新聞なんかには何も書いてない。書いたら売れないからな。役人と同じで、何も言わないことが肝心なのさ」
 とか、
「学歴、学歴とお偉方は言うが、一理ある。学歴そのものはさておき、学問は大事だ。辛抱して何かやる性根を鍛えるのは、簡単な一般常識じゃない。やっぱり学問だよ。学問を修めた人間が偉くなるのはあたりまえだ」
 といった具合に。
 母は黙っていた。渡り鳥たちのそういった話ぶりから、彼女の掃き溜め説はたちまち影が薄くなった。彼らが風采に似合わず、人間そのものや世間をよく知っていることがありありと覗えたからだ。口数はけっして多くないけれど、最小限の描写は的確で、用が足りていた。彼女には意外なことだったろう。
 ―なんて頭がいいんだろう!
 私は子供心につくづく感心した。やがて彼らは酔いが回ると、わけのわからない理屈をこね回したり、互いに自慢話をしかけ合ったり、子供だと思って私に意味のわからない質問を吹っかけたりした。
「無限小は存在するが、無限大は存在しないんだ。なぜかわかるか」
 とか、
「権力っていうのは、本人が意識するしないにかかわらず、他人を殺すことのできる力だ。ボクちゃんはどう思う?」
 そんなことも総じて、彼らの印象を好ましいものにした。
 土方たちは事務所の連中からは、悪意からではなく、親しみから、表立ってバカ呼ばわりされていた。そして陰では、機械いじりの腕や、現場作業の手ぎわよさや、物造りの器用さや、とりわけ博打などの名人気質をこっそり誉められていた。
 私は、エリート扱いをされている社員たちが土工連中を見つめるそのまじめな視線から、どんな人間にもかならず知恵や取り柄というものはあって、肩書や外見だけで見くびることはできない、ひっそりと暮らしている純粋一途で頭のいい人間は、地上にちりばめられた星のようなもので、もしその星が明るく瞬かなければ、この世は遠近のわからない暗闇に支配されるだろうという、たぶん人間の本質に関わる発見をし、そしてそれを幼い心にしっかりとしまいこんだ。


         二十四

 オールスター第一戦が中日球場で行なわれることになった。
 観にいきたい、と母に言うと、なぜか機嫌よく五百円くれた。たとえささやかでも新聞に名前が載って、近所の人たちのあいだで彼女の株を上げてやったので、ボーナスのつもりだったのかもしれない。
 バスと電車を乗り継いでいった。一時間も前に着いたのに、もう当日切符はぜんぶ売り切れで、入りそびれた客だけが球場の周りをうろうろしていた。途方に暮れていると、恐持ての中年の男が近づいてきて、
「千円、三塁側内野B席」
 と言う。これがダフ屋というものだなと思った。
「帰りの電車賃と、五百円しか持ってません」
 と言うと、
「五百円でええわ」
 ずるそうに笑った。どうしてもオールスター戦を観たかったし、ここまできてあきらめて帰るのも空しい気がしたので、仕方なく入場切符と五百円を交換した。ほんとうなら小人二百円で入れるのに、五百円も払うのが辛かった。
 ところが、せっかく切符を手に入れていざ球場内に入ってみると、三塁側の内野席の通路にまで客があふれていて、どの入口からもスタンドに入ることができない。隙間のない人垣に無理やりからだを突っこみ、なんとか入口の階段のてっぺんまで上がると、かろうじてグランドが見えた。そのままスタンドの最上段まで登っていったが、ここも人垣の中の立ち見だった。こんなにぎっしり観客の詰まった中日球場を見たことがなかった。擂り鉢の底のように小さいグランドを見下ろした。試合開始直前のセレモニーをやっていた。歓びが胸に昇ってきた。
 しかし、そこまで苦労してスタンドにたどり着いたのに、当の試合はつまらなかった。杉浦、ミケンズ、土橋、稲尾とつないだ投手陣をセリーグがまったく打てず、完全試合をしたばかりの国鉄の森滝が四回に打ちこまれて、結局三対ゼロでパリーグが勝った。MVPを獲った広瀬の決勝打が糸を引くようなライナーだったことと、稲尾の投球フォームが美しかったこと、そして長嶋の守備がダイナミックだったことだけが印象に残った。
 いや、もう一つ印象深いことがあった。広瀬の打ったライナーのファールボールが、一塁側内野席に立っていたスタンド監視員の女性の顔を、真正面から直撃したのだ。鈍い音が三塁側まで聞こえてきた。彼女はもんどりうって通路の階段へ転げ落ちていった。その女がその後どうなったか知らない。新聞にも載らなかった。きっと死ぬほどのけがではなかったのだろう。
         †
「名古屋が本場所に昇格したらしいですよ」
 晩めしのあと、吉冨さんが切り出した。
「金山体育館か。去年天井の窓が破れて、ひどい雨漏りしたってニュースがあったろう。あそこはもともと飛行機の格納庫だったんだ。客が集まると空気が薄くなるんで、酸素を入れて、冷房なんか効かないから氷の柱を立てる。オンボロ体育館だ。そんなんで、よく昇格したなあ。まあ、めでたしめでたしだけど、金払ってまでいく気はしないね」
 と荒田さん。
「柏戸、大鵬か。今度優勝すれば、どちらも横綱ですね」 
「どっちかっていえば、柏戸よりは大鵬だろう。二十一歳の横綱は史上最年少らしいぞ。いままでの最年少はだれだったんだ」
 小山田さんの問いかけに吉冨さんが、
「照國、二十三歳。戦後五、六年したころじゃなかったですか」
「柏戸だって綱を取れば二十二歳だろ。どっちも大したもんだわ。栃錦は引退したし、若乃花もめっきり衰えたし、いよいよ柏鵬時代の到来か」
 去年守随くんに教えられてから、ときどきテレビで相撲を観るようになって、大鵬はロシア人の血を引く文句なしの美男子だと知った。若乃花も渋くていい顔をしているけれど、大鵬はそれとは種類のちがう西洋人形ふうの美形だ。それにも増して、相撲が強い。イカやタコみたいにからだが柔らかく、相手がどれだけ強くぶつかってきても、うるさく突いてきても、色白の柔らかいからだで受け止めて、得意のすくい投げか下手投げでひょいと土俵に転がしてしまう。入幕以来、喉輪で突いてくる柏戸だけは苦手にしていて、これまで三勝七敗と負け越している。柏戸のほうがやっぱり一枚上だと言われる。私はそう思わない。からだが固い柏戸は、引き相撲をされるとすぐにばったり手を突いてしまうし、きれいな投げ技がない。それにここまでの勝ち数がまったくちがう。でも、近いうちに二人同時に横綱に昇進することが決まっているらしい。守随くんの言ったとおり、ブームは作り出されるということだろう。
 小山田さんが、
「中日(なかび)にでも観にいってみるか。キョウちゃんもいくか」
「うん」
「先輩がいくなら、みんなでいきますか」
 吉冨さんの提案に、荒田さんは首を振った。
「暑いのは苦手。俺はいかない」
 仕事に一段落ついた母は、彼らの言うことになど耳を傾けず、帰りがけのカズちゃんと夢で逢いましょうを観ている。
「きれいな主題歌ねえ」
「アメリカの古い曲らしいですよ」
「そうなの。中嶋弘子さんもきれいねえ」
 これにはカズちゃんは返事をしなかった。画面を見ると、その司会者の女はコリーのようにとんがった顔をしていた。 
 結局当日は、小山田さんも吉冨さんも仕事の都合でいけなくなって、吉冨さんからもらった前売りの自由席券を手に、午後遅く一人で金山体育館へいった。とにかく大鵬が見たかった。
 大入りだったのでほとんど空いた席がなく、土俵からはるかに遠い最上階まで登って観た。オールスター戦とまったく同じ具合になった。土俵が丸メンコのように小さく見える。それでもスポットライトが明るく土俵を照らしているせいか、荒田さんの言ったようなオンボロの感じはなく、豪華な箱庭を見ているような気がした。もう四時半を過ぎていて、取り組みはあと七、八番しか残っていなかった。対戦ごとの仕切りの間が長くて、じりじりした。見たいのは大鵬だけなのだ。
 岩風、北の洋、房錦、佐田の山、栃ノ海と聞いたことのある名前がつづき、とうとう大鵬の番になった。館内が割れんばかりの声援に満たされる。屋根の房と力士の皮膚の色が鮮やかだ。大鵬が美男子なのかどうか、顔もからだも小さすぎてはっきりしない。ただ相手の力士よりも首から上が小振りだった。きっとテレビで知っているあの顔なのだろうと思った。入口でもらった取組み表を見ると、このあとにも、北葉山や、柏戸や、若乃花、朝潮などの対戦があるのだけれど、この取組みを観たら帰ろうと思った。だから大鵬の対戦相手の名前さえ、記憶に残らなかった。仕切りをするたびに、大鵬の白い大きなからだが少しずつピンクに染まっていく。立ち会いのときにはほとんど真っ赤になっていた。不思議なものを見る感じがした。
 帰ってきてみんなにその話をしたら、吉冨さんが、
「栃錦も、仕切りごとにからだの色がだんだん変わっていくことで人気があったんだ。大鵬は色が白いから、もっときれいだったろうね。見たかったな。大鵬は勝ったの?」
「勝ったと思うけど、ぜんぜん憶えてない」
 みんな信じられないというふうに、声を出さずに笑った。
         †
 原田さんが尊敬する岡本所長は、四十格好の東大出の一級建築士で、愛想のいい笑顔とは裏腹に、いつも他人と距離を少しあけておくような態度をとる人だった。彼が遠く離れているときは、茶色っぽい醒めた顔つきと、首のところまでボタンをかけた制服と、だぶだぶのカーキ色のズボンと、それと組み合わせに履いている大きな黒革のブーツだけが目立った。もともと地金がよくて、上に立つべき人間だから上に立ったのだという様子ぶりに、私はなかなか親しめなかった。
 原田さんをのぞいた社員たちは、岡本所長をどこか敬遠しているふうで、いっしょにしゃべったり酒を飲んだりしているところを一度も見たことがなかった。何より所長が食堂に腰を落ち着ける姿を見たことがなかった。彼はいつも、ワイシャツに黒いベストを重ね、事務所の大きな椅子に座っていた。昼食には弁当を用意していて、それだけは食堂に持ってきて食べた。母が味噌汁やお茶を用意した。
「訓戒まじりじゃ、酒の味も極上といえないからなあ。飲み相手は、いくらか軽っこくてはしゃいだところがないと、悪酔いしちまう」
 と小山田さんが言っていたことがある。私は、別に岡本所長のことを嫌いではなかったし、嫌いだと思うほどの関心もなかったけれども、何かの拍子で彼がそばに寄ってくると、その目の動きから自分がぜんぜん視野に入っていないような感じがしたし、かえって視線を向けられたりすると、自分が虫眼鏡で見つけられた昆虫みたいな気がした。
「東大というのは、もともと頭のいい人が、座布団が腐るほど勉強しないと入れない大学なんだよ」
 母は心の底から尊敬したような声で言う。座布団が腐るという言い回しは、東大に関してよく耳にするたとえで、私にはいまひとつ現実味が感じられなかった。
「ぼくも東大に入れる?」
「……さあ、ときすでに遅しじゃないの。もっと小さいころから勉強一筋でないと」
 母の言葉に当てはまるのは、守随くんや鬼頭倫子のことにちがいなかった。土方たちの質のいい頭とはまったくちがう種類の頭のよさというものに、ちょっぴり興味が湧いたけれども、母のありきたりな言葉を反芻しているうちに、急にその興味も醒めた。
 ―野球をするのにそんなもの関係ない。ぼくは中京商業から中日ドラゴンズに入り、そして、ホームラン王になるんだ。
 しかし、名古屋にきてからというもの、母にかぎらず、だれもかれも何かことあるごとに、東大という言葉を口にした。
「原田さんはゲンエキのとき、東大の一次試験に通ったんだって。大したもんだね」
 とか、
「岡本所長は東大の建築科出身で、一級建築士を持ってるんだよ」
「じゃ、とうちゃんといっしょだね」
「大ちがいだよ」
 どこがどうちがうのだろう。あるいは新聞をパラパラやりながら、
「アサヒガオカから、今年東大に五十人も入ったんだって」
 などと言ったりする。千年小学校の先生や同級生たちでさえ、
「守随や鬼頭は将来、東大にいくだろう」
 というふうに、並すぐれて頭のいい人間の未来を象徴する代名詞として、よく東大を引き合いに出した。そのたびに私は、見知らぬ権威に対する原始的なあこがれといったようなもののせいで、胸がドキドキした。そして、〈ゲンエキ〉とか、〈一級建築士〉とか、〈アサヒガオカ〉とか、その正体がどういうものかはわからないまま、遠いところにある頭脳(あたま)の登竜門として、東大という固有名詞を記憶した。そして、東大がおそらく日本中の勉強家の最終的な目標になっていて、守随くんや鬼頭倫子のような大勢の秀才たちが、毎日せっせと勉強するのは、結局、東大に入りたいからなのだという結論に達した。私は母に言った。
「クマさんも吉冨さんも荒田さんも、東大にいってないけど、とても頭がいいよ。酒井さんの飯場の人たちだって、すごく頭がいい。でも、東大にはいってないし、いかなくたって、ちっとも不便じゃないみたいだ」
 母は一抹の恐怖心のようなものを眉間に閃かせて、
「不便じゃないだけで、それ以上の便利なものは手に入れられないだろう?」
「じゃ、東大にいくと、便利なものが手に入るの?」
「いちいち神経にさわることを言う子だね。お金だって、名誉だって、ハナグスリだって、ぜんぶ手に入るんだよ」
「ハナグスリって?」
「袖の下だよ。べつにそんなもの、あてこむわけじゃないけど」
「ふうん。プロ野球選手も、お金と名誉が手に入るんだから、東大と同じだね」
「野球なんて、ヤクザな商売だ。なんせアタマじゃなくて、あてにならないカラダが資本なんだからね。おまえの考え方はマトモじゃないよ。そういうのを負け犬の遠吠えって言うんだよ」
 私は自分の考えをぜんぶ否定されたような気がして、心がざらつき、何もしゃべりたくなくなってしまった。


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