五十二

 イボ男はまたむっつり黙りこんだ。光本はつづけた。
「きょうものすごいものを見てしまった。五打席五ホームラン。軟式ボールだけどね。打ったボールがグニャッとつぶれて、揺れながら飛んでいくんだ。最後に監督命令で、みんなの前で二本だけパフォーマンスをしてくれた。全力で打ったんだ。ボールが割れたよ。恐ろしかったなあ。そのはずだ、いま話題の神無月くんだからね。神無月くんは、体育が必須だってんで、遊びで軟式野球をとってるんだ。まいったよ」
 男はキラリと横目を光らせ、
「知ってるよ。初対面じゃないから。でもイヤミだな。そこまで野球がすごいなら、東大になんかくる必要ないだろう。どっかの野球大学で、野球だけやってりゃいいんじゃないの?」
 光本が、
「必要がなかったのは、東大まできて、ハイ終了みたいな俺たちだろう。やっぱり、新聞配達してるくせに、新聞読んでないんだなあ。神無月くんはね、ぜひ東大にくる必要があったんだよ。どうしてなのか、だいたいの事情は新聞を読めばわかる。そこを攻めるのはおかどちがいだ。曲解だよ。そのダメ押しの証拠みたいなのを、きょう見せてくれるってこの人たちが言うから、楽しみにしてるんだ」
 イボ男は、またケッと吐き出し、
「野球以外に何かあるの? たかが文Ⅲで、才能もへったくれもないんじゃないの」
 山口は苦笑いし、
「ほんとに悲しい男だね、あんたは」
 カズちゃんがため息をつくと、光本もため息をついた。イボは調子に乗り、
「悲しいのはそのイロオトコだろ。このあいだもそうだったが、今回も女連れだな。女にちやほやされてヤニ下がってるようじゃ、男もおしまいだ」
「お、別の方向からきたか。とことん情けないやつだ」
 素子が、
「一度でも、おしまいになってみたら?」
 山口がカウンターをバチンと一発叩いて笑った。よしのりが、
「おい、あんた、きょうこそ追い出されないように口を慎んだほうがいいぞ。怨みもない人間に喧嘩を売ってどうするんだ」
 山口が、
「たしかに神無月は知識や教養はからきしだ。もともと興味がないからね。アタマに憶えこませた知識や教養は、野球選手上がりには付け焼刃だと強烈に自覚してるんで、敬して遠ざけてる。興味も、野球と女と友情に限定されてる。神無月の本質は子供だから、興味のないことには振り向かない。しかしアタマを使って考えることは本気だし、知識や教養と関係なく天才特有の結果を導き出す。声も、身振りも、笑うことだって、泣くことだって、それは神無月自身だし、神無月の本質だし、神無月の感情の成りゆきだ。それはあまりにも感動的なんで、人を動かす。ただし動かされるのは選ばれた人間だけだ。選ばれないのはつらい。しかし、自分だけ選ばれようなんてのは虫がよすぎる」
 よしのりを盗み見ながら言う。それから山口は気のないふうに店内を見回した。カウンターに肘を突いて、酔いを募らせながら私たちの会話を聞いていたイボ法学部が、たまらず立ち上がった。
「そんな野郎に選ばれたくなんかないよ。おまえら、つくづく呆れた野郎たちだな。おセンチなことしか頭にないのか。おい、そこのイロ男。野球大名人。えらく買われたもんだな。それほどの男なら、何か身になることでもしゃべれるだろ。だいたい、口が利けるのか」
 酔漢特有の馬鹿げた尊大さを見せる。カズちゃんが、
「どうしたの、この人」
 素子はカズちゃんの腕にすがった。
「早くキョウちゃんの歌が聴きたい」
「そろそろやるか」
 山口が言う。私は向き直って男を半眼で見つめた。それから視線を下ろして、ビールグラスを握っている二十四歳の男の手を見つめた。私ほどではないが、長い労働のせいで節くれだっていてさびしかった。私は静かに語りかけた。
「あなたは、話の様子と暇な時間の使い方からすると、学生運動すらやってないですね。経験はただ一つ。ぼくの野球と同じで、労働だけ」
「おいおい、神無月! 目が怖いよ。落ち着け。相手にするな」
 よしのりは私の致命的な短気を知っている。ただ今回は彼の勘ちがいだ。私は笑ってよしのりに手を挙げた。
「喧嘩をするつもりなんかぜんぜんない。手の節くれだってるところがぼくとそっくりなんで、ちょっと興味を持った。……なぜぼくをここまで侮辱するのか知りたいけどね」
「おまえはカッとなると脇目を振らないからな。―爆発しないでくれよ」
 イボ男はよしのりの言葉の効果で、少し気後(おく)れしたように、
「……学生運動のような実際の政治活動には、のめりこまないようにしている」
「じゃ、シンパの演説ですか。ご意見の口が達者なだけですね」
「ほう、大きく出たな。じゃ、きさまは何か、この混迷する社会に対して、自分なりの意見を持っているのか」
 カズちゃんが私の腕に手を置き、
「キョウちゃん、もうそんな話は切り上げて。時間のむだよ」
 山口が両手を後頭部に回して組んだ。
「ちょっと待て。聞き捨てならないな。おい、神無月、あとは俺が引き受けてやろう。さっさとすませて早く唄おうや」
 私を気づかって微笑んでいる。光本がその微笑をこわごわ眺めている。男が、ヘッと言った。
「あんたに引き受けてもらいたくないな。俺はこのイロ男の意見が聞きたいんだよ」
 私は、
「わかりました。意見を言うことは自分に厳しく戒めてるし、くだらないと思うことに対してはこれといった意見もないですが。―混迷、でしたね? いつの世にもはびこる退屈きわまりないメディア表現だと思います。どうしてもあなたは、テレビに映し出されるような暑苦しい社会現象のことが忘れられないようですね。自分でそんな世界へ実際出かけていったことなんかないんでしょう? 自分が会ったこともない大勢の人間と、頭だけでしつこく関わりたがる人は、自分の利益を考えることにひたすら真剣な人ですよ。他人に関わるのも勤め向きでやってるだけで、命賭けでない。十把ひとからげで他人をどうこう言いたがるのが動かぬ証拠で、だから大勢の他人の思惑が気になって、すぐ疲れてしまう。お勤めですからね。疲れますよ。それがあなたの苛立ちのもとです。過剰な運動か病気からくる倦怠以外、人間には疲労の原因など存在しない。人はめったに疲れないんです。ぼくの場合、そういう生ぬるい疲労は、それにふさわしい人にまかせておけばいいという考えです。ただ、静かに生きてる人間はかならず何かを守ろうとして命賭けですから、へたに十把にからげて関わると痛い目に遇いますよ」
 私は容赦のない率直さで言った。
「言葉がもったいない! もうそのへんでいいだろう」
 山口が声を高めると、光本が肩をビクッとさせた。よしのりはとぼけたふうにビールの栓を抜いて、自分のコップについだ。
「立派なご意見じゃないか。自信満々なんだな。社会を自分の単純な理屈で仕切れると思ったら大まちがいだ。たわごとは馬鹿相手に言え。十把ひとからげの人間たちにうるさく関わって、救済の方策を探ることこそ学問だし、命賭けで生きてる人間を救う哲学だ。なぜなら社会の人間は、その救済を命賭けで待っているからだよ。きさまは、そういう哲学以外の何かを守ろうとして、命賭けで生きてるってわけだろ」
 私は彼の隣の椅子へ移動して、彼の手首を強く握った。
「なんだなんだ、暴力か」
「ちがいます。そんなことしたら、リーグ戦に出場できなくなります。よく聴いてほしいからですよ。あなたは頭が悪い。まずもって平凡な人だ。世間の人間はあなたの言うような救済を待ち望んでないし、そんな不明の闇のような哲学で救われることもない。ぼくも含めて、彼らは政治や制度によって救われるんじゃなくて、愛や友情によって救われるんです。あなたのような頭の悪い人がいくら徒党を組んだってだれも救えない。理由はわかるでしょう、臆面もなく正論ばかり口にしているからですよ。正論なぞ、それぞれが胸の中で了解していればいいことで、口に出して言うのは頭の悪い証拠です。愛と友情は口に出さなきゃならない。口に出すのに正論より勇気が要るからです。ぼくが何に命を賭けているかって? べつに命を賭けるほどのあては見当たらないけど、自分のための命はいらないですね」
 私は手を離した。男はひざを組み替えて、もう一度、へ! と吐き出した。
「なら、死んじまえばいいじゃねえか」
「いまのところ他人のために役立っている命だから、それができないんです。労働以外で人の役に立ったことのないあなたにはわからない」
「俺がモテないってことか? これでも―」
「わかりますよ、どこにでも物好きはいますからね。ぼくにしてもそうです。しかし、その人たちの役に立ってますか。自分をかわいがらずに」
「意味がわからんな」
「命をくれる人に、命をあげるということです。全員にまるまる一つをあげられないから、ひとまず生きていて命を分配する。くどいようだけど、自分のための命は要りませんからね。愛ある者同士の、愛あるあいだの命のやりとり。その意味だけで、人は自由です。あなたの言う社会というものが、神に起源するものか、人間の作り出したものかは知らないし、それがどんな方向へ動いていくものかもわからない。確実なのは、社会が混迷していようといまいと、愛し合う人間の集団があるということです。その中で、だれでも、人に強制されない身に合った自由を工夫して楽しんでる。生半可な解放の主張などというものが、大勢の人間の幸福を生み出すためにどんなに無力なものか、いくら頭が悪くてもわかるでしょう」
 山口は痛ましい表情をしていた。目が潤んでいた。
「まだこいつには神無月の親切心がわからないみたいだな。仕方ない、神無月、いつものようにボーッとしておけ」
 山口はケースからギターを取り出した。よしのりが言った。
「あんた、やめなよ。さっきまで俺と話してたんだろ。なに絡んでんだよ。みんなでじっとがまんしてやってるのわかんないの? 神無月と議論したって、かなわないよ。よく苦しむ人間は、よく人生を知ると言うだろ。そういう人間は、何ごとにつけきちんと批判できるんだよ」
「傷の嘗め合いか。身の毛がよだつぜ」
「なんだと!」
「でなけりゃ、友情ごっこだ」
 よしのりは思わずカウンターから身を乗り出したが、仕事柄自分を諫めるように男の顔から視線を逸らした。男はひるまず、まるで少年のように顔をこわばらせている。レジ係の上品な部長が首を伸ばして、
「どうかしましたかァ?」
 と遠くから声をかけた。
「何でもありませーん。議論白熱でーす」
 よしのりは手を振った。カズちゃんも手を振った。山口が、
「おまえという男はいつでも、無理やり捻じこんでくる他人に本能的にやさしい態度を見せる。その必要も理由も認めていないくせに、それ以外の反応を思いつかないんだな。しかし、この男もなんでおまえに喧嘩を売るのかなあ。おまえの静かさが気に入らないんだろうな」
 カズちゃんと素子は〈議論〉のあいだじゅう、安心したようにニコニコ笑っていた。彼女たちは私の異様な落ち着きを見て、私とイボ男とのあいだの裂け目の大きさに気づいている。私が言葉だけの鞘当てで気分がささくれることはないと知っているのだ。
 光本は、私の話が理想に流れるせいで、信じかねるような眼つきをすることもあったけれども、私の語調が誠実だったので、目立たないようにうつむいてビールをちびちびやっていた。
 よしのりも知っていた。爆発を予感させるような脅しをイボ男にかけても、ほんとうに私が爆発するとは思っていない。私が爆発するのは、かならず相手が先走りの行動をするときだ。言葉で喧嘩を売られるかぎり、ふつうの人間が堪忍袋を破裂させるような危ういところでも、私はぜったい爆発しない。たぶん私はもの心ついた第一歩で、不気味に広い尺度みたいなものを与えられてしまい、その尺度に合わせれば、一般の人間のいきり立つ理由など、神経の枝にもかからないくらいつまらないものになってしまったのだろう。そう思うと私の心はほのぼのと安らいだ。
「冷静だよ、神無月は。俺みたいな、ちまちま欲に迷ってるやつは、泣いたり叫んだりうるさいもんだ」
 男がよしのりの言葉をせせら笑った。私はその不快な笑いを圧しつぶすように静かに言った。
「それこそ、このあいだあなたの言った、〈よくない笑い〉ですよ。意味のあることをしゃべったようでも、ただ熱が高くて、うわごとを言ってるようなことって多いんです。あなたは、愛を語るのは書生っぽだって言ってましたが、きっと書生っぽの言葉だけがうわごとじゃない。愛するというのは、熱にうかされた戯(ざ)れごとじゃなく、健康で冷徹な行為だから」
「疑いもない卓見だ」
 光本がポツリと言った。するとまた、男が最後の力をふり絞って、
「親がかりどもは言うことがちがうな。愛だとか友情だとか、甘ったるくて聞くに堪えん。人間が生きてきた歴史というのは、もっと乾いてスペクタクルなものだ」
 私はじっと男を見つめ、
「それも、うわごとですね。その歴史の中に、あなたはいますか」
「そりゃいるさ。俺は庶民の一人だし、一人ひとりの庶民の歴史が積み重なって、長大な歴史になっているんだからな」
「いわゆる広角的な視野というやつですね。なかなかその覚悟には到達できない。もっと視野を拡げるために、その眼鏡を魚眼レンズに替えたらいかがですか」


         五十三

 男が椅子を蹴って立ち上がった。
「きさま! 表へ出ろ!」
 よしのりが、
「やめとけ! 神無月に暴力を仕掛けちゃいけない。神無月は見かけよりはるかに短気だよ。ほっぺた殴り合いの喧嘩なんて、ヤワなことじゃすまないぜ。あんた、ヤバいことになるよ」
「執念深い男だなあ。よほどぼくが気に入らないことを言っちゃったんだろうな。しかし、たしかにこの想像たくましい人物の言うとおり、傷の嘗め合いかもしれない。友情ごっこかもしれないね。なるほど混乱や不正を許さないのは革命思想かもしれないけれど、イデオロギーにわれを忘れれば人は過ちを犯す。理解し、思いやり、そして愛することこそ革命思想だ。それを忘れると人は堕落して、人間性を失う」
「ええい、うんざりした。もうこの店には二度とこない!」
 靴を鳴らしてレジに向かった。
「おとといこい! 早く配達所の四畳半に帰って寝ちまえ!」
 よしのりの怒鳴り声を背に、法学部はレジに金を叩きつけるようにして出ていった。よしのりは山口に笑いかけながら、氷の上にスミノフを注いだ。
「えらく脅かしたもんだね、よしのりさん。あれじゃだれだって逃げ出すよ」
「助かったよ、よしのり。長距離マラソンにようやくケリがついた」
「キミオと熊谷のこと、野辺地で知らないやつはいないぞ。あんなふうに脅したのは、おまえに暴力をふるわせないための予防線だ。おまえはもともと、限度というものを感じる想像力が欠けているからな。きょうにしても、しゃべりすぎだ」
「たしかにね。自分に対して感じる恐怖はそれだ」
 カズちゃんが、
「ちゃんとお金を置いていくだけの常識はあるのね」
 山口が、
「飲んだら払う。世間のルールに小心なだけだな。あの男は今度こそ二度とこない。どうしても神無月の歌を聴き逃す運命みたいだな」
「男同士の議論て、言葉をきちんと選んでやり取りするのね。楽しかった。なんだかあの人も怨めなかったわ。小物だけど」
 カズちゃんが言うと、素子が、
「うん、花火みたいやった。男って、言葉でしっかり喧嘩できるんやね。……キョウちゃんの目、怖かった。あたしたちの前で、あんな目をしたこと一度もあれせんも」 
 白髪の部長がレジからよしのりを手招きしている。
「ちょっと、絞られてくるわ。クビかもな」
「横山さんをクビにしたら、店がつぶれるよ」
「知ってる。それより山ちゃん、早くギターいこうよ。三十分はむだしたぜ」
「オッケー」
 カズちゃんと素子がハイタッチして喜んだ。よしのりがレジに向かった。山口と私は今夜もジュークボックスの前に立った。よしのりが部長の前で、小言を喰らいながらしきりにうなずいている。
「あの様子じゃ、小言を喰らうのも初めてのことじゃないな」
「でも、部長さん、呆れてるふうじゃないよ。笑ってる」
「横山さんはラビエンのスターだからな。で、神無月、きょうは何いこうか」
「そうだな、ポール・アンカの『パピー・ラブ』いこう。知ってるよね」
「あたりまえだろ」
「たまには英語の歌を唄いたくなった。唄い出しのand they の and は but の意味だからね。and と but は互換性がある」
「そうだったのか。これまで謎だったんだ。ようやくわかったよ。じゃ、いくぞ」
 山口の美しい前奏が始まる。騒音の中にとつぜん紛れこんできたギターの響きに驚いて、前回と同様店内が静まり返った。

  And they called it puppy love
  Oh, I guess they’ll never know
  How a young heart really feels
  And why I love her so
  And they called it puppy love
  Just because we’re in our teens
  Tell them all, please, tell them it isn’t fair
  To take away my only dream
  I cry each night my tears for you
  My tears are all in vain
  I’ll hope and I’ll pray that maybe someday
  You’ll be back in my arms once again
  Someone help me, help me, help me, please
  Is the answer up above
  How can I, oh, how can I tell them
  This is not a puppy love
  Someone help me, help me, help me, please
  Is the answer up above
  How can I, oh, how can I tell them
  This is not a puppy love
  This is not a puppy love
  Not a puppy love…

 私が唄い終わりと同時に山口は演奏をフェイドアウトさせていき、顔を上げた。われに返ったように店内のいたるところから喝采やら、指笛やら、足を踏み鳴らす音やらが立ち昇った。光本が真っ赤な目をして憑かれたように拍手している。カズちゃんは夢みる眼差しで首をかしげ、素子の目からはいまにも涙がこぼれ落ちそうだ。哀切なメロディが胸を打ったのだ。レジから戻ってきたよしのりは唇をへの字に結び、うん、うん、とうなずいている。
「びんびんハートにきたぜ」
「声が天から降ってきたぞ、神無月。おまえの歌はいつも……おまえの歌だけは……」
 山口が絶句した。
「メロディが超絶だったんだね。それと山口の天才的な伴奏だ」
 私たちがカウンター椅子に腰を下ろすと、厨房から無骨そうな料理人が出てきて、
「これ、店から」
 唐揚げと果物のオードブルがテーブルに置かれる。
「ありがとうございます」
 彼は、うん、と素っ気なくうなずいて厨房に去った。私はよしのりに、
「結局これ、よしのりのふところに響くんだろ」
「響かない」
 部長が早足でやってきて、
「こんなすばらしい歌と演奏には、謝礼を出すのがあたりまえです。専属として出演していただきたいのですが、当店はまだその種のシステムが整っておりませんので、当座は飲食代無料ということでご勘弁ください。いずれオーナーに諮りまして―」
「そんな形では、ぼくは唄いませんよ。喉のスタミナがないし、いろいろ忙しいから」
「はい、もちろん山口さんとご来店くださったときだけでけっこうです。とにかく、ステージの製作をオーナーに諮ります」
 勝手に話を進める。光本が、
「この人たちが言ってたこと、わかったよ」
「何が?」
「……人間のスケールだ。その才能も付録かもしれん。ゾッとする」
 カズちゃんが、
「ね、人生捨てたもんじゃないでしょう? 知らない世界を知るのはいいことよ。生きてるのが楽しくなったでしょ」
「あたし、キョウちゃんといると、毎日楽しい」
 素子がよしのりを見上げてうれしそうに言う。よしのりは素子のグラスにビールをつぐ。
「山口はどんな曲でもドラマチックにアレンジしてしまうんだね」
「途中からおまえの声に合わせたんだよ。作曲したポール・アンカに二人で敬礼だな」
 よしのりが、
「ま、そのへんにして。山ちゃん、もう一曲、頼む」
「きょうはこれで満杯」
 光本が、
「冷たい水の底に沈んでいくみたいだった。寒いんじゃなくて、からだが冷たく澄んでいく感じだ」
 素子が、
「ほんとに、いつ聴いても悲しい不思議な声やわ。ずっと聴いていたい。いつから二人で唄うようになったん?」
 山口と私は顔を見合わせ、
「高一の十月だったかな」
「ああ。それから、猛勉のバス旅行」
「アンナ・マリアの、ひみつ」
「忘れられないな」
 光本が山口やよしのりの目を気づかいながら、
「神無月くん……一つ、尋いていいかな」
「うん」
「自分のために命はいらない、という……あれが、どうも俺には」
「自分主体で生きることに美を感じられない、という意味だよ。結局、食べたり、飲んだり、セックスしたり、寝たり起きたりで、自分主体に生きちゃうんだけどね。……意識だけは抵抗してる。病的な博愛主義者だと思わないでよ」
「まさか。ただ、とてもわが身に引きこんでは考えられなくてね。意識だけでも、と言っても……それも不可能だな。どういう精神の持ちようで、そんなふうになったんだ」
 カズちゃんが光本にやさしい笑顔を向けて、
「本人は意識さえしてないのよ。自分じゃ説明できないでしょうから、私が説明するわね。博愛主義者だと思わないでと言ったのは、自分の言葉を感激屋さんのものと思わないでほしいということなの。世の中には、自分が博愛主義であることに本気で感激してる人がいるから。キョウちゃんは八方美人の博愛主義者じゃないけど、完全な愛他主義者よ」
「すごい才能の個人主義者(インディビジュアリスト)だとは認めるけど、どうして完全な愛他主義者(アルトゥルイスト)だなんて言えるんですか」
「この八年、ほとんど毎日キョウちゃんを見てきたからよ。私はキョウちゃんを批判しない。批判なんかで、キョウちゃんが完全だという信念に達したんじゃないの。……打たれたの。キョウちゃんは無垢な人よ。無垢の中に完全がそっくり含まれているの。……私はキョウちゃんに対して申しわけないことがあるの。それは私がキョウちゃんを愛しているということ。完全というのは、愛すべきものじゃない、ただ完全として眺めるべきものなのよ。愛は人間を平等にすると言うけど、私は心の隅でさえ自分がキョウちゃんと平等だなんて考えてないの。肩を並べようなんて考えたことがないの。キョウちゃんは天使なのよ。天使は人を憎むことができない。そして、自分に愛を向けることもできない。私たちのようなふつうの人間に、すべての人を恨まないとか、自分を愛さないなんてことができるかしら。私はよく、自分にそう問いかけてみるのよ。もちろん、できないわ。それは不自然なことだもの。人はかならず自分を愛して、人を憎むものよ。さっきの学生さんのようにね。自分を愛さずに、すべての人を憎まないなんて、私にはできない相談だけど、キョウちゃんはできるの。完全な愛他主義者って、そういうこと」
 山口が泣いている。カズちゃんはつづけた。
「キョウちゃんはだれとも比べられない人間よ。人に対する侮辱や恨みを超越してる。自分を愛せないなら、せめてだれかから愛されることがキョウちゃんの幸福になるわ。でも自分に向けられた愛情なんか、キョウちゃんに何の興味があると思う? そういうキョウちゃんを愛したからには、同化するしかないでしょ? キョウちゃんの〈いらない命〉を私たちが一方的に引き受けるの。これでわかった?」
「……はあ。神無月くんに出会ったという事件は、口を拭ってすませられることじゃないということですね」
「愛したならね。そうでないなら、捨てればいいだけのことよ。キョウちゃんには痛くも痒くもないことだから」
 よしのりがしたり顔で、
「ちょっかいさえ出さなきゃいいんだよ。特に暴力ね。倍にも三倍にもしてやり返されちゃう」
 頓狂なことを言う。素子が、
「馬鹿じゃないの。でも、みんな、楽しいわ」
 私たちと顔を見合わせて笑った。
 その夜、大して飲みもしないのに具合の悪くなった私に付き添って、山口と光本は高円寺に泊まった。
「ウォッカが効いたのね」
 女二人の手で蒲団に寝せられ、コンニャクのようなアロエの実を口に押しこまれた。酔った耳にしばらく男二人と女二人の賑やかな会話が聞こえていた。耳鳴りは混じらなかった。
「俺は、神無月くんに心中を誓う!」
 と光本が叫んでいた。
「口だけだ。自分が異常でないかぎり、神無月の異常さをじっくり味わえば気が変わる」
 と山口がせせら笑った。そこから聞こえなくなった。夜中に一度、枕もとの洗面器に戻した。また、カズちゃんにアロエを飲まされた。
 翌朝、寝ている私を残し、出勤する女たちに連れ立って二人の男は帰った。山口が光本を連れ去った格好だった。口だけの心中を誓わせたくなかったのだろう。いつまでも気持ちの悪い酔いが残っていた。間歇的な吐き気に苦しめられながらうとうとした。


         五十四

 午後二時に起きてシャワーを浴び、本能のように東大球場へ出かけていった。監督、スタッフは早めに引き揚げたのか、姿がない。選手たちはみんないた。無番の練習用ユニフォームに着替えて一時間余り塀沿いにゆっくり走った。ポールの下で吐き、胃液を搾り出した。部室裏の水道で口をすすぎ、ようやく吐き気が治まった。足が軽くなった。ふたたび走り出すと、心配した連中が後ろをついてきた。克己が、
「金太郎さん、だいじょうぶか」
「はい、昨夜は羽目外して、二日酔いです。思ったとおり、ランニングで吐き気が吹き飛びました」
 みんな芝に腰を下ろし、ストレッチに入る。バックスタンドで応援団とバトンガールたちが演舞の型の練習をしている。
「バトンが四人に増えましたね」
 大桐が、
「黒屋と上野のリーダーシップだ。ぎこちないけど、楽しみが出てきた。きのうはブラバンと応援団が練習してた。迫力があったぞ。この三年、応援なんてさびしいもんだったからな。神無月がきたおかげだよ」
 横平が、
「打ってくか、金太郎さん」
「いや、みんなの打撃を見せてください。気づいたことを言います」
 白川はじめ女子マネージャーたち全員が走り出てきて、手帳を手にする。補欠たちもケージ後ろに控えて姿勢を正す。レギュラー、準レギュラー二十人のバッターに五打席ずつ一巡り打ってもらう。マネージャーたちは、コースと高低、打撃結果と私の感想を記録する。投手は五人、速球のみ一球ずつ、一人のバッターに投げる。一人のバッターは五人のピッチャーのストレートを一球ずつ連続で打つ。ボールは勘定しない。弱点を本人に報告すると白川が言う。
 総じてすばらしい進歩を示していた。準レギュラーを含むすべてのバッターが中距離以上の打球を飛ばした。とりわけ横平、克己、水壁、臼山が長距離打者に育ってきた。準レギュラーにもめぼしい選手がチラホラ見えはじめた。しかも、次順の打席を待つあいだも、彼らは腕立てと腹筋背筋鍛錬に精を出していた。応援団とバトンガールたちも、バッティングのあいだじゅう黙々とパフォーマンスをしている。二十人のフリーバッティングが終わると、女子マネージャーたちが部室の冷蔵庫から絞りタオルを取ってきて配る。睦子が、
「毎日、一定のスケジュールでやってます。次はベーラン一周、五回です」
 黒屋が、
「八時半から、自由練習開始、十一時からスケジュールに入り、一時終了、監督、コーチたちが帰った二時から同一スケジュール。四時終了。そのあと自由練習。どちらのスケジュールに参加してもいいし、自由練習だけに参加してもいいです」
「スケジュールって?」
「グランド三周、五十メートルの全力キャッチボール二十投、素振り五十本、二組に分かれて、部室でウェイトリフティング組とグランドで筋トレ組、三十分で交代、さっきのやり方でフリーバッティング一巡、休憩、ベーラン五周。フリーバッティングには五人の投手は強制参加です。五人は毎回ちがいます」
「なんだかみんな上半身がガッチリしてきたね」
 中介が、
「金太郎さんが出てきたときは、タイミングの学習をすることになってる。十本打って見せてくれ。有宮、台坂、五球交代で五スイングずつ、ボールは勘定しない」
「オーケイ」
 一、三塁側のファールグランドに部員がびっしり居並ぶ。ネット裏にレギュラーが陣取る。ストライクはすべてホームランを打つようにスイングしなければならない。打ち損じたときも正しいスイングをしていないと、タイミングの学習はできない。二人合わせて十六球投げ、ストライク十球のうち、七本ホームランを打ち、三本打ち損なった。打ち損ないはライトフライ二本、セカンドゴロ一本だった。遠く外れたボールは六球。それに対しても、ボールからかなり離れたコースをしっかり空振りのスイングをして見せた。
「サンキュー! 金太郎さん」
 中介が叫ぶ。すでに選手たちはタイミングだけのスイングに入っている。
「ウェイトリフティングしてきます。白川さん、セッティングお願い」
 部室へいき、ユニフォームの上半身を脱いで、三台のうちの一台に仰向けになる。生まれて初めてバーベル棒を握り締める。白川が四十キロの円盤を入れる。胸に抱え下ろす。何ということもない。
「二の腕はこれで鍛えるしかないですからね。ぼくの前腕は強いからいまのままでいいと思う。ダンベル訓練は要らない」
「ベンチプレスやってると、前腕も自然と鍛えられちゃうよ。神無月は体重八十キロぐらいだよね」
「うん、身長もそのくらい」
「筋肉マンなら、最終的に百二十から百五十までもっていく。野球は、筋肉マンはかえってダメで、やりすぎると、しなやかな筋肉が硬くなっちゃう。二の腕だけを鍛えるつもりなら、練習に出てきたときに、一回二、三分でいいよ。八十キロ以上は禁止。持ち上げは十回まで」
「了解。白川さん、何学部?」
「教育学部。身体教育学。一誠寮が根城で駒場の北寮が出城。香川の農家の一人息子だ。家が貧乏でね」
 最初の情報以外は要らない。
「もう就職決まったんでしょう」
「フリーカメラマンで出世することを狙ってる。少し出世しないと、しがらみから脱することができない」
「よく意味がわかりませんけど」
「しがらみを断ち切らないと田舎を断ち切れないということだよ。運転席の床に穴の開いた、緑のペンキを塗ったトラックから逃げられないということだよ。サラリーマンや学者は目指さない。いい子ちゃんはしがらみを脱し切れない」
 なにか悲しかった。それ以上聞かないことにした。睦子が入ってきた。
「わあ、四十キロ。私、二十キロでした。みんな五十キロでがんばってますよ。臼山さんが七十キロを持ち上げました」
「徐々にね」
 四十キロを十回上げて終了。秋のシーズンが終わるまで、週に一回、五十キロ十回で通そうと決める。睦子がおしぼりを持ってくる。上野と黒屋が入ってきて、
「白川さん、鈴木さん、音楽室で応援団とバトンの合同練習です。ブラバンも参加します。七時まで。それできょうは解散です」
「ほーい」
 みんな出ていき、一人きりになった。からだを拭き、平服に着替えてグランドに出る。オレンジ色の夕日が目に暖かい。シルエットになった仲間たちが勢揃いしてバットを振っている。彼らの悲しみが寄せてくる。あらゆる悲しみには深くて複雑な理由がある。どれほど推理しても、どれ一つとして探り当てることはできない。感じるだけだ。出会ったばかりのころの彼らには、悲しみを感じなかった。いまは感じる。私はしみじみと満足してグランドをあとにした。
 腹が減っていたので、正門前のルオーという喫茶店に入った。表が窓ガラスから見通せる席に座り、カレーとコーヒーを注文する。メニューが飲み物とカレーとアイスクリームしかない店だったからだ。肉とジャガイモがゴロリと大きいカレーが出てきた。うまかった。コーヒーもうまかった。食べ終えて、立ち上がろうとすると、トントンと窓を叩かれた。睦子だった。勘定をすませて外に出る。
「七時までじゃなかったの」
「その場で振り付けを工夫するのはたいへんなので、ブラバンの曲目をバトンさんたちに配布して、ちょっとさわりを演奏してみて終わりました」
「睦子のアパートに寄っていこうかな。約束のカレー食べてないから。ごめんね」
「うれしい。きょうも偶然火曜日です。いま食べたばかりでがっかりかもしれないけど、もう一度カレーを作ります。食べてくださいね」
「食べる。いまもお替りしようと思ったくらいだったから」
 車内灯の明滅するムッとする地下鉄で南阿佐ヶ谷までいく。
「買い溜めた古本を読み切ろうと思って、ランニングと読書と外食にかまけてたら、約束がすっかり先延ばしになっちゃった。おかげで、駒場であんな形で会えるというボーナスをもらったのはラッキーだった―。あの日の驚きは一生忘れない」
「私、約束してくれる神無月さんの気持ちがうれしいだけで、実行するしないは気にしてません。毎日こうして神無月さんのそばにいられて、幸せです」
         †
 南阿佐ヶ谷駅前から肩を並べて歩く。見回しても、商店街らしきものが見つからない。独立した惣菜店すらない。
「買物はどうしてるの」
「阿佐ヶ谷駅まで出て買ってます。こういうところって、ただの乗り継ぎ駅だから、周りはほとんど住宅地なんです」
 細道に入ると、人けはなくなる。睦子は腕を組んでくる。
「こんなふうにしてるの、ほんとに夢みたいです」
「うれしいな。……ぼくのそばにいることが夢だなんてね。ぼくでよければ、いつまでもいっしょにいるよ」
「神無月さんは私の理想なんです。どんな困難を乗り越えてもいっしょにいたい人です」
 睦子は明るく輝く瞳で私を見上げた。
「ぼくのことを理想だと思ってくれて、ほんとにありがとう。ぼくの理想は……よくわからないんだ。好きな野球をすること、好きな友と語らうこと、好きな女と言葉やからだを交わし合うこと、好きな本を読むこと、好きな詩を書くこと。……そういうのって理想と言うんだろうか。ただの欲張りな趣味じゃないだろうか」
 睦子が微笑んでいる。
「……睦子のようにどんな困難を乗り越えてもという信念があれば、理想と言えるだろうね。―うん、ぼくもそうだ。だからかろうじて理想と言えるかもしれない。ぼくはたしかにそう思って生きてきたから。ただの寝太郎の趣味じゃない。ありがとう、少し自信が湧いてきた。ぼくはいつも、寝太郎くさい自分を愛されるとき、詐欺を働いてるように感じてたんだ」
 やっぱり微笑みながら、
「私のたった一つの願いは……そういうふうに悩んだり、疑ったり、悩みや疑いを解決するために深い言葉を話したりする神無月さんと、いつまでもこうしていることです。神無月さんには信念も理想も必要ありません。生きている姿がそのまま、私の理想ですから」
 福寿ハイツの鉄階段を上る。鉄階段―鶴田荘、葵荘、上島荘。カズちゃん、節子、文江さん、そして、睦子。
 一帖の沓脱ぎの右が立派な下足棚、左が便所。上がって右手がガスレンジ四つを置いた大きなキッチン。かわいらしいテーブルが置いてある。シンクの向こうはすべて明るい窓だ。キッチンの外れのアコーディオンドアを引いて中を覗くと、タブ式の風呂になっている。廊下はなく、キッチンに並行するように六畳二間がつづいている。仕切りは折り畳み式の清潔な板戸だ。道側に大きなガラス戸が立っている。一つの六畳間に横長の大机。机の上に本が散乱している。もう一つの六畳間は寝室のようだ。鏡台と炬燵の姿が見える。
「すてきだ。三万円くらい?」
「そう。ぴったり。さっそくカレーの用意をします。奥の六畳でテレビでも観ててください。新聞はテレビのそばにあります」
 寝室にいくと、二十インチくらいのカラーテレビが置いてある。点ける。共同アンテナの画像がきれいだ。切抜きの穴だらけのスポーツ新聞が畳んである。切り抜いた部分は私に関する記事に決まっている。押入れから敷布団だけ取り出し、寝転がる。夕方のニュースをやっている。数学より難解な情報だ。文化大革命やら、アセアンやら、心臓移植、あしたのジョーまで。そんなものに張るアンテナがない。張るふりもできない。キッチンへいき、睦子の背中を見つめながらテーブルに腰を下ろす。
「コーヒーメーカーは? フィルター式のでもいいけど」
「ありません。今度用意しておきます」
 おたまでアクを取っている睦子を後ろから抱き締める。
「神無月さん……」
 振り向かせて唇を吸う。
「火を止めて。蒲団へいこう」
「はい」
 私はその場で自分の服を脱ぎ、睦子も立たせたまま全裸にする。美しい三角形を撫ぜる。寝室へいき、敷布団に横たわる。胸をさすり、乳首を含む。
「きょうは、きちんと最後までしようね」
「……はい」
 睦子はうなずき、起き上がると、まだ慣れない手つきで私のものをつかみ、口いっぱいに頬張った。舌も使わず、ゆっくりと顔を上下させる。かわいらしい。怒張の度合いが急に高まってきても、このあいだのようには吐き出さない。私は睦子の濡れた溝に指をゆっくり上下させながら、クリトリスの膨張を待つ。勃起してきた。
「すぐにイカないように、こらえて」
 股間に屈みこみ、小陰唇、膣口全体に舌を使い、ふくらんだ核を吸い上げる。
「か、神無月さん、もう……」
「こらえて」
「ウン、ウン、ううう、だめ、神無月さん、もうだめ!」
「いいよ、イッて」
 ウーンとうめいて、先回と同様、ふるえが爪先まで一直線に走った。あいだを置かずのしかかって挿入し、彼女の口を口で塞ぎながら腰を動かした。まったく痛がらない。長くアクメをこらえたせいで異常なほど潤っている。膣も緊縛し、きっちり抵抗がある。
「ああ、神無月さん、だめ、だめ! 気持ちよすぎる、どうしよう、ああ、どうしよう」
「いっしょに気持ちよくなろうね。どうにもならなくなったら、イクって言って」
「はい、イク」
「だめ、さっきよりももっとがまんして」
 浅く深く激しく往復する。ビクビクと壁が脈打って狭くなる。一挙に収縮してしまうのをこらえている。
「ああ、イク、もうイク、あ、ああ気持ちいい! がまんできない」
 大きく引くようにこする。
「ああ、イキます、いっしょにお願い、いっしょにイッてください、あああ、イク、イクイク、イクッ!」
 グンと陰阜が突き出されると同時に私も吐き出した。腰を逃がさないようにしっかり押さえ、律動を伝える。
「あああ、うれしい! イク、イク!」
 律動のたびに恥骨を突き上げ、膣を堅く締めて応える。
「ああ、好きです、愛してます、あああ、イク!」
 抜いて、痙攣する腹を腹に密着させ、しっかり抱き締めた。唇を強く吸う。
「好き、好き、愛してます!」
 しばらく睦子の律動に付き合って腹をぶつける。睦子は力を振り絞って痙攣し終わると、私の首に何度も口づけをする。
「……こんなに気持ちいいなんて……狂ってしまいそう」
「狂ってもいいから、明るいままでいてね」
「シーズンが終わるまで、狂いません。私は、神無月さんのそばにいられれば、もう何もいらないんです。愛してます、一生、愛しつづけます」



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