四十

 サイドさんはときどき、好奇心に燃えた目を私にじっと注ぎ、英語のことについてしつこく質問した。
「将来、日本人は英語をしゃべる民族になると思うか」
「スタディとラーンのちがいは?」
「バックネットはバックストップ、ナイターはナイトゲームと言うのが正しい。じゃツースリーは、英語では何と言う?」
 そのすべてが小学生の私にとってわかるはずもない質問だった。でもサイドさんの真剣な表情から察するところ、そういう知識や推理はみんな大事なことのように思われた。
「わからない」
 そのつど私は呟くような返事をした。でたらめな答え方をすれば、きっとこの天才にきつくなじられるだろう。こんな調子で一週間も過ごさなければならないのかと思うと、うんざりした気分になった。
「英語は五年、ロシア語二年、アラビア語三年、フランス語とドイツ語は四年でマスターした。キョウも将来、語学をやるか?」
 私はその年数を頭の中で足し算してみて、サイドさんのことを大した精力家だと思ったけれども、まねをしたくなるほど興味深い仕事だとは思わなかったし、世界中の方言よりも日本語を使いこなすほうが大事だと感じた。
「英語くらいは、ね」
「くらい? 英語がいちばん難しいんだぞ。そのうえ、語学は毎日勉強したって、ものになるかどうかわからない。しかし、ものにするためには、毎日やらなくちゃいけないときてる。まあ、英語だけでもやる気があるのはいいことだ」
 私は毎日、午前のうちに庭の草花へ水をやる〈仕事〉をしたあとは(善夫は風呂掃除をしていた)、名古屋から持ってきた誓いの魔球を寝転びながらぺらぺらやり、善夫や二人のいとこたちといっしょに椙子叔母の用意した昼めしを食べ(彼女は一日じゅう趣味の洋裁に没頭しているので、昼めしといってもたいていは片手間でできる漬物にごはんだけか、インスタントラーメンだった)、腹がくちるとまた畳にごろりと横たわって、夏休み帳をやった。
 毎年中途半端になる夏休み帳を、今年にかぎって私がまじめにやっているのは、去年の夏、図画も工作も日記帳もいっさいやっていかなかったせいで、桑子に竹竿の柄でしたたかに頭のてっぺんをやられたからだった。お仕置きされたのは、私と康男と木下だけだった。名古屋に帰ったら、一日がかりで図画や工作もやらなければいけない。図画は適当にそのへんの風景画を描くとして、工作はどうしようか。チリ取り、本立て、犬小屋……。どれもこれも自分には作れそうもない。もっと簡単なものを思いつくしかない。そんなことを考えていると、私はぐったりするほど憂鬱になった。
 午後の日盛りになると、従弟たちはたいていプールへ泳ぎにいった。するとかならず私は、ミシンがけにいそしむ叔母の目を盗んで、ぶらぶら近所の森に出かけた。街道を外れた鎮守の大藪から、木立を分けて森に入りこむ。たちまち目が覚めるような緑一色の景色に包まれる。蝉の声がやかましい中で、はしばみ、ハコ柳、クサノオウなどの葉が入り混じって、濃く淡く、いろいろな模様を染め出している。
 樹木のあいだを抜けていくと、入間川の河原のほうへ向かって崖が垂直に下り、色とりどりの葉が絨毯のように川に沿って散り敷いている。ゆるやかな流れの表面から湿った温かい蒸気が立ち昇り、水の音がやさしく聞こえた。森の中では感じなかった風が頬にひんやり当たった。見上げるとまばらな枝のあいだから、リンドウのような青い空が見えた。
 ある日の帰りがけに、ふと竹薮に刈られた竹筒が転がっているのが目に入り、これを工作の宿題に利用しようと思いついた。のこぎりで節のあたりを切り落とし、筆立てにするのだ。あとは筒に彫刻刀で適当な模様を彫っておけばいい。バットとボールがいいだろう。
 一足先に善夫が入間を去る日、私は彼に小説について質問した。
「小説って、どういうもの?」
 善夫は非現実化とか知覚とか、何か難しいことを長々としゃべった。ときどきカタカナが混じった。私はもう一度聞き返した。
「だからよ、理屈でねくて、人間の気持ちを切り取ったもんだ。だすけ、人の小説を読むときは、理屈をわかろうとするんでねく、気持ちを感じるのせ。めし食うとき、理屈考えるか? このめし、うめェなって、感じるだけだべ。小説を読んで、気持ちを感じるのを異化(いか)作用ってんだ」
 頭の中にもうもうと霧が立ちこめたような気がした。
         †
 母の言ったとおり、サイドさんのことが、混じりけなしの語学の天才だと思えてきた。しょっちゅう英語で電話をするし、私たちとするふだんの会話にも、ときどき独り言のように外国語が混じる。丸い顔を載せたふくよかなからだ、少しの無駄もなく動く眼。親しげに話しかけるくせに、人慣れない雰囲気が全身にただよい、見るからに頭の切れそうな感じだ。頭の中に何が詰まっているのだろう。私はまぶしい気持ちになった。
「すごいね、叔父さんて」
「何が?」
「外国語をいくつもしゃべれて」
「すごいことなんかあるもんか。努力の成果だよ。俺は学歴がないから、馬鹿にされないように、一生懸命勉強するしかなかったんだ」
 そういうことじゃない、と私は思った。原因があって、努力があって、結果があるような、そんな簡単な話ではない。馬鹿にされないように頑張るだけで、二つも三つも外国語ができるようになるなら、だれだって頑張るにきまっている。能のある人というのは、どうして自分を小さく見せたがるのだろう。だから能のない人も、彼らのまねをして謙虚ぶるのだ。
「たくさん勉強しないと、すぐに人に追い抜かれてしまうからね。高校のころはお山の大将だったけど、世間に出ると、できるやつがわんさかいてさ、今度こそ追いつかれるんじゃないか、追い抜かれるんじゃないかって、恐ろしかった」
「でも、通訳の試験には、ぜんぶ受かったんでしょう」
「そうだけど、やっぱり努力の成果だよ。試験に落ちる人ってのは、能力がないんじゃなくて、さぼり癖があるんだよ。それを他山の石としていつも自分を戒めた。そうすると人よりちょっと試験運がよくなる。実力なんてものうわべだけのもので、当たり外れがあるからね。とてつもなくできる人だって、うぬぼれてると落第することがある。落ちたって別に恥じゃないけどさ。いつも一生懸命やってるかどうか、それが問われちゃうよね。うぬぼれない心と、がまん強さがあって、そのうえに正しい野心があれば、人間はたいていのことができる」
 それを聞いていた叔母は、
「サイドのアダマはすごいかも知れねけど、ウダツは上がらねな。進駐軍を勝手に辞めてから、給料のいい芸能事務所の誘い断って、わざわざ苦労して国家試験受けて、やっと法務省の下働きにありつく人だおん。〈がまん強い〉べせ」
 いつもの意地悪な口調が回復している。
「芸能人なんかにペコペコできるわけないだろ」
「なして」
「彼らはいさぎよくない。必死で生きてるふりはしてるけど、やることぜんぶ、金の絡んだ泥仕合だからね」
「がまん強く、〈正しい野心〉があれば、その中にいてもなんとかなるべ」
 唇をへの字にして嫌味を言った。叔母が口で言うほどサイドさんの能力を認めていないのは確かだった。サイドさんは何やら反論を試みたけれど、そんなジェスチャーは叔母の勝ち誇った視線に押し戻された。私はムカムカした。
 翌日からサイドさんは三日間の公休を取った。
「たまには、ドンと休みを取って、浩然の気を養わなくちゃな。キョウに少しでも英語を教えてやりたいし」
 一日目、サイドさんはずっと部屋にこもり、秋葉原で買ってきたステレオのキットを床に並べて、ハンダ鏝(ごて)片手にアンプとスピーカーを組み立てていた。
「キョウ、ちょっとおいで。聞きぞめだ」
 夕方遅くなってから、私を書斎へ呼びつけると、できたてのモノラルスピーカーで、チャイコフスキーの『悲愴』という曲を聴かせてくれた。スピーカーの大きさのわりには音圧のない、かぼそい音だった。私にはそのメリハリのない曲のどこがいいのかサッパリわからなかった。私はもっといい音のするステレオを持っていることや、ポップスというすばらしい分野のあることを教えてあげたかった。
 とにかく、調達した部品で電気器具を組み立てるのは、サイドさんの得意技だった。箪笥にのっかっているラジオも、客間に据えられたテレビも、彼が何週間もかけてコツコツと製作したものだった。作り上げた作品は、気前よく一家の娯楽に供していたけれど、ステレオだけはだれにも触らせず、大切そうに自分だけでいじったり眺めたりしていた。
「叔父さんは、ポップス聴かないの」
「よく聴いたよ。レコードもたくさんあったけど、蓄音機といっしょに善司にみんなやっちゃった」
「その蓄音機って、手でゼンマイ巻くやつ?」
「そう」
「聴いたことある。『家においでよ』とか『砂に書いたラブレター』とか。あれ、君子おばさんの贈り物だと思ってたけど、叔父さんがあげたものだったの?」
「うん。ローズマリー・クルーニー、パット・ブーンか。ほかにも、五十枚以上やったんじゃなかったかな。ドゥーワップよりはロック、ロックよりはポップス、ポップスよりはジャズが耳に馴染むね」
「ジャズ! 飯場のクマさんて人が言ってた。ビリー・ホリデイが最高だって」
「ボーカルだね。オレは楽器のほうが好みだ。いまはジャズよりクラシックのほうがいいな。年とともに趣味が変わってきた。情熱的なラテン音楽や、イタリアのカンツォーネも好きになった」
「カンツォーネは、ポップスだよ」
「ああ、そうだな。イタリアのポップスだ。トニー・ダララの『コメプリマ』なんか特にいい」
 そう言ってサイドさんは、
「コメプリマ、ピュディプリマ、タメロ、ペラビータ、ラミャビータ、ティダロ……」
 と高らかに唄いだした。私は、ポップスを教えてあげたいなどと一瞬でも思ったことを恥ずかしく感じた。そうしてその日の夕食後から、とつぜん四日間の特訓が始まったのだった。
「さあ、英語の勉強をしようか」
 食卓から私を書斎へ拉致したときのサイドさんの丸い顔は、お世辞にも柔和とは言えなかった。
「英語なんか、ぜんぜんわからないよ」
「そりゃそうだろう。しかし、英語くらいと言ったじゃないか。あんまり幼いころに外国語に触れるのは、かえって日本語も危なくなっちゃって逆効果だけど、一定の年齢を超えたら、そうだな、だいたい七、八歳を超えたら、外国語を始めるのは早ければ早いほどいいんだ。とにかくやろう」
 まず、アルファベットをA(エイ)からZ(ズィー)まで連続で二十回唱えさせられた。それから、一文字、一文字の発音をそれぞれ三十回。
「エイ、エイ、エイ……。ビー、ビー、ビー……。スィー、スィー、スィー……」
 次に、動物の名前が英語で書かれた絵本の暗記を強いられた。初日は一つの動物だけだった。P、I、G、E、O、N。生まれて初めて覚えた英単語は、ピジャン(PIGEON・ハト)だった。
「ピー、アイ、ジー、イー、オウ、エン。ピジャン」
 それも三十回言わされた。すでに十時になっていた。ようやく解放のときになって叔父さんは言った。
「小学生になってすぐ善郎にやらせてみたが、ノリが悪くてね。あいつに語学のセンスはない」
 サイドさんは自分の分身に教える気はなさそうだった。何ごとかと書斎の戸から覗きこむ二人の息子を、彼がわざとらしい笑顔で見返すとき、その目に憐憫の色が浮かんでいるようだった。つまり彼は、ついに親族の中に教えがいのある子供を見出したというわけだった。私は、尊敬の気持ちまで芽生えはじめているサイドさんの熱意から、あっさり引き揚げるわけにはいかなかった。


         四十一

 二日目の特訓は、善郎と寛紀が表に出払ったころを見計らって開始された。一挙に二十個に増やした動物の名前を覚えさせられた。そしてその日も、夜遅い口答試験になんとか合格した。
「思ったとおりのがんばり屋だ。将来が楽しみだぞ」
 私は自尊心を甘くくすぐられた。
 三日目。夕食のあと、正確な発音の習得にかかった。発音記号の正確な発声の仕方をきのうのように繰り返して暗記し(発音記号表を前に一時間以上)、それからもっぱら「l」と「r」と「θ」の舌使いを訓練した。合計三十分。やっと解放されて、布団に入り、眠りの中へ引きずりこまれていく瞬間に、とつぜん襖が開き、ぎらぎらと目を剥いたサイドさんが、
「l!」
 とか、
「r!」
 とか、
「θ!」
 などと鋭く囁くのだった。ふだんの温和な人柄に似合わない血走った目が睨みつけているので、私はあわてて布団から首をもたげ、彼の発音に合わせて復唱した。眠いなどと言おうものなら、頬でも張りかねない眼つきだった。これが十五分おきくらいに何度か繰り返された。私はこの異常にまじめな教師の情熱に怯えて、必死で眠い目をこじ開け、まじめな表情を作って鸚鵡返しに応えた。
「ようし、いい調子だ。まちがいなく語学の素質がある。中学にいったら、ラフカディオ・ハーンを読むぞ」
 サイドさんは何気ない調子で言い、満足そうに襖を閉めた。従兄たちは、知ってか知らずか、静かな寝息を立てていた。
 あくる日、みんなでバスに乗って入間川へ泳ぎに出かけた。たとえ気の合わない子供たちや、悪口屋の叔母さんといっしょにいても、英語の勉強から解放される喜びのほうがずっと大きかった。
 水に入るのは野辺地に里帰りして以来だった。木陰で叔母さんの手製の海水パンツを穿いた。ふと膝の裏に目をやると、あの夏ブヨに刺されて化膿した傷が、まわりの皮膚よりも白いくぼみになっていた。痛いな、とばっちゃに癇癪を起こしたときのヒヤリとした気持ちが蘇ってきた。考えてみると、あれから三年も二人に会っていないし、手紙も出していないのだった。
 狭い谷からモミの木陰を抜けてくる入間川は、凍えるほどの冷たさだった。水が岩の上を舐めるように流れている場所からザンブと飛びこむと、一瞬からだが金縛りになった。サイドさんと椙子叔母さんは普段着のまま、風のない蒸し風呂のような岸辺で監視役を勤めていた。私は早めに水遊びを切り上げ、木陰に横たわった。草の冷たさをこころよく背中に感じているうちに、うとうと眠りこんだ。
 短い夢の中で、ベーブ・ルースと英語で何かしゃべっていた。ルースは、低目を打つときは思い切り手首をかぶせるように、と言った。彼がしゃべっているのは英語ではなく日本語だった。私は夢の中で思わず笑った。目覚めると、寛紀が握りめしを食いながら、何かおどけたふうに英語をしゃべりかける父親に向かって、意味もわからないのに大声で笑っていた。
 その日川遊びから戻ったあと、サイドさんはほとんどつきっきりで、これまで学んだ発音記号と、動物単語の復習を強いた。それがすむと彼は、きょうで自分の休暇が終わるので、あしたから彼の書斎で勉強するようにと言った。
         †
 サイドさんが出勤してから、一人で書斎に入った。大きな机だった。机をめぐる壁に埋めこまれた書架には、外国語の本や辞書がぎっしり並んでいた。
「アクセントに気をつけて、勘で発音しちゃだめだぞ。エルは前歯の歯茎に舌を押し当てる、アールは少し舌を引く、θは舌の先を噛む」
 名古屋に帰るまであと二日間ある。その二日間、彼の教えたとおりに反復練習することを命じられた。つるつるした机を撫ぜながら、
ンティーター、ありくい、ンティーター、ありくい。ザード、とかげ、ザード、とかげ。……ライサラス、さい、ライサラス、さい」
 懸命に発音し、意味を暗記した。そのうちだんだん楽しくなってきて、どうかすると、自分がまだ小学生で、英語の勉強なんかしなくてもいい年齢なのだ、ということをふと忘れた。机の上にゆらゆら影が動き、驚いて窓の外を見ると、大きな揚羽蝶が陽射しの強い庭を横切っていった。私はまぶしい光を見つめながら、
「スウォうぉロウテイル、あげはちょう、スウォうぉロウテイル、あげはちょう」
 と大声で言った。
 名古屋へ帰る日の朝、サイドさんは、
「勉強は独学が基本だよ。これをあげるから、中学に入るまでにやっておきなさい」
 と言って、フリガナつきの簡単な英会話の本をくれた。私は、半年のうちにぜんぶ暗記してしまおうと思った。
         †
 リサちゃんと分団の先頭を歩く。薄陽がときどき翳って、空気がヒンヤリと感じられるようになった。児童公園の大銀杏がすっかり黄ばみ、マテバシイやタイサンボクの緑もくすんでいる。
 校庭に着くと、もう藤本今朝文(けさふみ)のノッポ姿が運動場を闊歩していた。六年生の二学期から転校してきた生徒だ。彼の住んでいる二番町はほとんど小学生がいないので、今朝文は一人で登校してくる。彼は日本人と黒人の混血で、縮れた髪が額にぺったり貼りつき、あごが三日月みたいにしゃくれている。勉強はできないけれども、のろまな感じはしない。それどころか、小利口な敏捷さみたいなものを感じる。歳はみんなよりも二つ年上だ。転校して二、三日のあいだは殊勝におとなしくしていて、それほど目立たなかったけれども、この一週間ほどは、三枚目を気取って、藤田まことや白木みのるのまねをしたり、昼休みの校庭でハンドテニスや馬乗りなどして、けっこう活発に動き回っている。
 今朝文の片足は極端に短い。加藤雅江よりも短い。トラックに轢かれて危うく切り落とされそうになったのを、母親が医者に泣きついて繋(つな)げてもらった、と本人が言い触らしている。この種の話は、私の破傷風と同様、尾ひれがつく。とにかくそのせいで長いこと寝こんで、青木くんみたいに年を食ってしまったようだ。今朝文は短い脚を前方に跳ね上げながら、ぴょんぴょんと器用に動き回る。たいていの生徒は彼のゆく手を妨げない。
 リサちゃんをもっと不幸にしたのが今朝文だな、と思う。きびきびと明るく振舞っているけれども、それは残酷な運命を忘れようとする強がりだろう。たまたま野球部のランニングで、今朝文のおんぼろアパートの前を通りかかったとき、
「このへんぜんぶ、もうすぐ取り壊されるんやて」
 と岩間が言った。
「どうして?」
「新幹線の通り道らしいわ」
 岩間の言葉に、みんな足を止めてじっくり通りを見やった。人通りの少ない一本道に貧しげな灰色の建物が立ち並んでいる。商店が一軒もない。なくなっても仕方のない町並に見えた。木田ッサーがにやにやしながら、
「ようけカネもらって、きれいな家に移るって、今朝文が言っとった」
 縦長の老朽化したアパートは雑草の生えた空地に面していて、板壁の裾にいろいろなゴミが吹き溜まっている。壁際に生えた毛深い棕櫚の梢が二階のベランダまで黄色い触手を伸ばし、室内を覗きこんでいるようだ。棕櫚の根もとに女がしゃがみこみ、首を反らせた赤ん坊をおぶって洗濯していた。
 いつか今朝文が教室で貧血を起こしたとき、赤ら顔の母親らしい大きな女が迎えにきて、手を引いて帰っていったことがあったけれども、彼女は日本人だった。唇の上と濃い眉の上に、イボのようなホクロがくっついていた。
 今朝文は自分のことを人に話さなかった。秘密をにおわせる影がいつも彼の長い睫毛にただよっていた。だれから話しかけられても、いったんは疑うようなとぼけた態度をとるくせに、自分から話しかけるとなると、顔じゅうを不気味な笑いでくしゃくしゃにする。そしてよく徹(とお)るハッキリした声で、ケッケッケと笑う。彼は私の後ろの席だ。気が向くとちょっかいを出す。
「指相撲しよまい」
「やだね」
「おまえ、寺田の子分か」
「ちがうよ」
「じゃ、そのうち俺が副番になったる」
 うるさがって黙殺すると、島倉千代子の『からたち日記』のメロディで、
「きょうも、元気よ、おならがクーサイ……」
 などと、下品な鼻歌を口ずさみながら遠ざかっていく。混血児(あいのこ)で脚が悪い―たしかに今朝文は可哀そうなやつなのだが、木下と同じで、だれも彼のことを気の毒に思わない。それには理由があって、彼は退屈すると、やにわに組みついたり、くすぐったりして、悪ふざけをしょっちゅうしかけてくるからだ。康男もよく今朝文からちょっかいを出されていた。でも康男は、たぶん同情という意味で、今朝文には一目置いていて、彼がどんなに腹立たしいことをしても苦笑いしながら許している。えらそうに肩を叩かれると、友好的な顔でうなずき返してやったりもする。私も康男と同じ態度で押してやろうと思うのだけれど、大きな黒い顔を見ると、どうしても邪険にしてしまう。
 彼はときどき後ろから私の脇の下をくすぐってくる。そのやり口は妙にしつこい馴れなれしいもので、否応なしに振り返らせるつもりなのだ。
「やめろよ!」
 振り向きざまに不機嫌に言うと、それがゲームの終了で、がんらい気の弱い彼はすぐにおとなしくなる。そのまますんでいればよかったのだが―
 ある日私は、性懲りもなくくすぐってくる今朝文に業を煮やし、
「ほんとにしつこいな、いいかげんにしろ!」
 と叫んで彼の腕を振り払おうとした。その拍子に左肘が今朝文の机の角に激しくぶつかった。反動で私は椅子から滑り落ちた。腕全体が麻痺したようになり、たちまち飛び上がるほどの痛みがきた。
「ごめんな、ごめんな」
 肘を抱えて丸くなっている私の背中にかぶさるようにして、必死に謝る。彼なりに野球選手の肘がどれほど貴重なものかわかっているのだ。
「いいからあっちへいけ!」
「なんだ、この黒んぼ野郎!」
 今朝文に寛容な康男も、さすがにこのときは見とがめて駆け寄り、屈みこんでいる今朝文の頭を後ろから思い切り蹴飛ばした。それでも収まらずに胸を蹴り上げる。首筋にパンチが入る。今朝文は、机にしがみついたまま、反抗もしないで耐えていた。


         四十二

 それ以来、肘の具合がおかしくなった。近い距離でキャッチボールをするときはそうでもないけれど、遠投したり、コントロールを定めて強いボールを投げたりすると、肘の奥にこらえきれない痛みが走った。思わずしゃがみこんでしまうほどの痛さだった。
「どうしたんや、金太郎さん」
 関が不審顔で訊いてきた。私は救いを求めるような気持ちで、痛みの原因を説明した。
「折れたか、ヒビが入ったかもしれんで」
「痛くて、腕が振れないんだ。肘の奥でゴリゴリ変な音もするし……。手のひらを開いたり握ったりするだけでも、痛くてたまらない」
「バットも振れんのか」
「うん。でも、フォロースルーを右手だけですれば、なんとか振れる」
 関は悲しげにうなずいた。
「折れて、ネズミになったのかもしれんぞ」
「どういうこと」
「関節の中で軟骨のカケラが暴れるやつ」
「軟骨? それ、いつかなくなるの?」
「なくならん。いつまでもネズミみたいに関節の中で走り回るんだが。手術せんと……」
「手術しないと、どうなるの?」
「……ネズミやったら、自然に治ることはあれせんと思う。ようわからん」
 校庭の景色が急に灰色になり、ぞっと寒気がした。私はすぐ最悪の考えをめぐらした。
 ―終わった。もう、プロ野球の選手にはなれない。
 私は帰宅すると、畳の上でわざと二十回も三十回も腕立て伏せをした。痛みを確かめるように、深く肘を畳んでみたり、素早く伸ばしてみたり、ヤケっぱちな気持ちで、左手一本で体重を支えてみたりもした。痛みを反復させることで、関節そのものの感覚がなくなってしまう奇跡を願いながら、同じことを何度も繰り返した。肘は刺すように確実に痛んだ。
 何日もしないうちに、ボールを投げるどころか、バットを握るのもやっとになった。野球部は休まなかった。投げたり振ったりするたびに肘を押さえながら顔をしかめる私を見て、服部先生や部員たちが心配顔で寄ってきた。服部先生は整骨院にいくことを勧めたけれど、
「だいじょうぶです。ちょっと筋をちがえたぐらいだと思うから」
 の一点張りで通した。初めての経験だったけれど、整骨で治るはずがないという確信があった。
 今朝文はたえず後ろの席から、困ったような黒い顔で、
「ごめんな」
 を繰り返した。いくらか持ち合わせていた彼に対する同情はとっくに消えうせ、私は謝罪の呼びかけを怨みの心で無視した。すると今朝文は、腹の中では自分の過ちを悔やんでいるにちがいないのに、
「なんや、その態度。おまえってそんなにえらいんか。プロ野球の選手になれるかどうかも、まだわからせんが」
 と、逆に毒のある蔑みの言葉を口にするのだった。
 毎日眠りが浅くて、雀がトタン屋根を歩く足音で目が開いた。肘を屈伸してみる。痛い。考えるのは肘のことだけで、ほかのどんなことに気持ちを移してみても、いつのまにか同じところへ心が戻ってしまう。肘が痛みだした瞬間から、時間が進むことも戻ることもしないで、馬鹿ネジのように頭の中で空回りしている。
 授業は上の空だった。教室の窓が翳るたびに、私は、希望が手の届かないところへ飛んでいってしまったことばかり考えた。ボールを投げられないグランドへ出ていくことに何の意味もなかった。
 でも放課後になって、教室の椅子から立ち上がったあとは、痛みの現実が待っているグランドへ戻っていくしかなかった。グランドで幸運なことなんか起こるはずがない。私は服部先生にしばらく球拾いをさせてくれと申し出た。バッティング練習も控えることにした。少しでも肘を使わないようにして、一縷の望みをつないだ。
 それなのに飯場に帰りつくと、私は、自分の痛いところをわざと突いて疼かせてみたいというヤケな気持ちを回復させて、せっせと腕立て伏せをつづけた。楽しい思い出は敵だった。きらびやかな過去を忘れるために、私はひたすら現在(いま)の中で、脂汗をかきながら自分を痛めつけつづけた。
 何日もうだるような残暑がつづいたあと、嘘のように痛みが消えた。朝、いつものようにわざと肘をくの字について寝床から起き上がったとき、ツンとくる違和感がなかった。胸をとどろかせながら飛び起きて、腕立て伏せをした。痛まなかった。それでも半信半疑で、深くからだを沈めて肘を曲げたり伸ばしたりした。まったく痛まなかった。
 庭に出てバットを振ってみる。手首を利かせ、左肘をしっかり押し出してフォロースルーをとる。やっぱり痛まなかった。あまりにもスッキリ回復してしまったので、悲しい現実に引き戻される前の、嘘くさい小康状態なのかもしれないと疑った。疑いながら、喜びを押し隠せなかった。
 晴ればれとした気分で登校した。花壇から乾いたさわやかな香りが立ち昇っていた。校舎を囲む緑が眼に沁みるようだ。遠くからぼんやりとしか聞こえてこなかった仲間の声や教師たちの声がハッキリ聞こえる。
 私は康男の眼をはばかりながら、今朝文にやさしい笑顔で言った。
「治ったよ。もうぜんぜん痛くない」
「ほんと?」
 思わず椅子から立ち上がって、私の表情を目で探る。
「うん。自然消滅」
「そうかあ!」
 あれ以来いつもおびえながら、教室や校庭で縮こまっていた今朝文の喜びようは異常なほどで、ごわごわした学生服の腕を広げて私を抱きしめようとした。私は気持ち悪くて、からだを逸らした。今朝文は康男のほうへ長い睫毛を振り向け、するどい視線に睨み返されると、うなだれて腰を下ろした。
 昼休みに今朝文は私を校舎裏へ連れていった。彼は足音を立てないように気取って歩いた。悪いほうの足に意識を集中している様子が哀れだった。
「俺、クルマにひかれて……。聞いとるやろ」
 今朝文は校舎の塀にもたれながら、妙にまとまりのない笑いを浮かべた。いつかの成田くんに似ていた。
「聞いてない」
 私は今朝文の足もとを横目で見つめた。
「気ィ使わんでもええて。みんな知っとることだで」
 今朝文は、いつかリサちゃんがしたのと同じように、ズボンをたくし上げて脚を見せた。それはまるで削げ落ちた肉をもう一度あわててくっつけ直したような、気持ちの悪いコブだらけの肉塊だった。そして一方の脚よりもずっと小さかった。
 リサちゃんといい、今朝文といい、なんでこんなみっともないものを見せたがるのだろう。もし自分がこんな脚をしていたら、恥ずかしくて半ズボンは穿けないし、人前で泳げないし、だれかといっしょに風呂にも入れない。片脚が短いから、走れないし、野球もできない。不幸の穴埋めだと思われるのが癪なので、勉強して仲間に勝とうなんてぜったい思わない。そんなからだで、たとえ勉強していい成績を取ったって、ちっともうれしくない。もちろん、女の子には絶対話しかけない。そう思ったとたん、私は無性に恥ずかしくなった。
 ―今朝文には、そんな、自分を軽蔑するような意気地のない考えはないみたいだ。やっぱり外見のとおり、ぼくよりもずっと大人なんだな。
「ごめんな、ひどい目に遭わせちゃって……」
「いいんだよ、とにかく治ったんだから」
「いい選手になってな。俺、ずっと応援しとるから」
 今朝文はきょろきょろとあたりを見回した。もっと打ち解けて話をしたいのに、康男がどこからか見ていると思うと気が気でないようなのだ。
 放課後になり、私はユニフォームに着替えるのももどかしく、仲間のいるグランドへ走っていった。
「関、キャッチボール!」
 関を相手に遠投の距離をだんだん伸ばしていく。
「もう、ええんか!」
「すっかり!」
 肘の奥のほうに気味の悪い痛みの核があるような気はするけれども、とにかく強く腕を振り下ろしても、投げ出すふうに肩を回転させても、刺すような痛みはぶり返してこない。フリーバッティングもまったく障りがなかった。ボールはいつものように校舎の屋根まで飛んだ。服部先生や仲間たちも、頼みの綱が頑丈になって戻ってきたのを見て、始終ニコニコしていた。
         †
 藤本今朝文は、修学旅行も間近い秋に、何の前ぶれもなく姿を消してしまった。結局二カ月も学校にいなかった。木田ッサーが言ったように、たくさんお金をもらって、どこか遠くの新しくてきれいな家に移ったのかもしれない。
 それからも彼の転校のことはまったく話題にのぼらなかった。そんなことよりも、十月に横綱に同時昇進した大鵬と柏戸のことや(守随くんの予言どおり柏鵬(はくほう)時代がやってきたのだ)、長嶋が夏のスランプをはね返して首位打者とホームラン王を獲ったことや、川上監督になって一年目の巨人軍が六年ぶりにセリーグの覇者となったことなどで、クラスの話題は持ちきりだった。
 久しぶりにランニングで今朝文のアパートの前を通りかかると、あの古びた建物の姿はなく、ブルドーザーが黒い更地の上を走り回っていた。剛い毛に覆われた棕櫚の梢で、あてのない細い葉が風に吹かれていた。
         †
 酒井さんの棟に接するもう一つの家族棟に、五十歳くらいの色の白い宮本善行(ぜんこう)さんというトラック運転手が、同じように色白の目のパッチリとした奥さんといっしょに住んでいた。奥さんのほうは善行さんに輪をかけた美肌で、頬の血が透けて見えるほどの薄い皮膚をしていた。二人とも笑うと金歯が見え、それが彼らの美しさを幾分損なっていた。
 宮本さんはクマさんのダンプ仲間だった。酒井さんの飯場で賄い手伝いをしている奥さんは、ときどきリサちゃんと庭の夾竹桃に水をやったりしていて、私を見かけるとかならずやさしい笑顔でお辞儀をした。リサちゃんも彼女のまねをして、わざとらしく大人っぽいお辞儀をした。リサちゃんの話では、
「宮本さんたちは青森の大湊というところから出稼ぎで出てきたんよ。神無月くんのお母さんが同郷のよしみとか言って、何回か食堂に呼んでお話したらしいんやけど、おとなしい夫婦で何も話してくれん言うとった」
「かあちゃんが、リサちゃんに?」
「ううん、うちのおかあさんに。ときどき賄いの手伝いにきてくれよるから。私は神無月くんのお母さん苦手や。すぐ勉強のこと訊きよるし、いつも神無月くんの悪口言うし」
「どんな?」
「能もないのに、野球ばっかしよるって。やっぱり嘘つきや。新聞に載ったこと知っとるくせに」
 大湊は野辺地のすぐ北の町なので、なつかしい気分になった。お月さま組のころ、夏の盛りに恐山へバス旅行をして、大湊の海沿いを走るバスの窓から、長い波が列になってしゃあしゃあ砂浜に押し寄せてくるのを見た記憶がある。海と散在する民家のほかに何もない町だった。
 宮本さんは建設労務者に似合わない、ほんとうに抜けるように白い顔をしているせいで人目につく存在だったけれど、何かのおりに事務所で宴会が開かれるときなど、途中で目立たず座を外してしまうような人だった。彼ら夫婦は、だれともこれといった親しい付き合いをせず、母のような同郷の人たちとも特別なよしみを通じないで、二人きりでひっそりと暮らしているので、彼らの名前が社員たちの口に上ることはめったになかった。私も道でいき会えば挨拶をする程度で、口を利いたことはなかった。
 一度、宮本さんが、指のない後藤さんに連れられて事務所に遊びにきたとき、小山田さんたちが社内野球に参加しないかと誘った。そのときも宮本さんは、
「野球は嫌いじゃありませんが、年寄りの冷や水ですから」
 と、金歯を光らせながら気弱く断っていた。
         

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