第一部


一章 城内幼稚園





         一

 見上げると、天窓の開いた天井に太い梁が渡り、じっちゃの寝間の鴨居の上で柱時計の振り子が揺れていた。床一面に黒光りする板が敷きつめてあって、一帖ほどの細長い囲炉裏が目の前にある。自在鉤に吊るした鉄瓶が、シュンシュン鳴っていた。
 ばっちゃの寝間と子供部屋を仕切る柱に、日めくりの暦がぶら下がり、一九五二年と読み取れる。暦の下にダルマ印の薬袋が垂れ下がっている。板間の隅の仏壇とは別に、その上方の天井近くに紙垂(かみしで)を下げた神棚が打ちつけてある。
 板間は十八畳、じっちゃの寝間は六畳、客間を兼ねたばっちゃの寝間は十畳、子供部屋は六畳だ。じっちゃの寝間の脇戸から土間まで縁側が通っている。縁側の雨戸はたいてい閉められていた。
 板間から一段低く土間が走っていて、板間とは六枚の戸障子で仕切られている。土間の上に天板が渡され、スキーや、大工道具や、ストーブの煙突や、用途の知れない大小のガラクタが置いてある。そこへはハシゴをかけて上る。土間の途中に跨げるほどの高さに、板間の縁側から渡し板が架けられ、薄明るい台所に通じている。台所の袖には、水を溜める大甕が置いてある。甕の脇が勝手口になっている。
 架け板の向こうに土クドがあり、突き当りの仕切り戸を開けると、薪を積んだ納屋になる。納屋の出口近くに落とし便所がある。じっちゃはこの距離を厭(いと)い、たいがい縁側で小用をすませる。納屋の戸の外は、広い畑だ。トウモロコシとジャガイモとニンジンを栽培している。肥料は人糞だけだ。
 畑の外れに背の高いスモモの樹が立っている。畑はスグリの生垣で仕切られ、その外に細道が走り、道の一段下は草地だ。ところどころに肥溜めが掘られているので、虫取りなどで踏みこむのはひどく危険だ。草地の向こうは、鉄条網で仕切られた見渡すかぎりのリンゴ園になっている。
 土間を戻ってもう一方の外れの突き当たったところが出入り口で、玄関はない。戸の外がすぐ道だ。新道という名がついている。向かいの数軒は平伏した古い藁葺き屋根の家が並んでいて、それぞれに洞穴のような戸口が開いている。合船場と付き合いはない。その並びと杉山商店とのあいだに葱坊主の生えた空地があり、そこに切られた私道を通り抜けると野辺地中学校に出る。杉山商店は野菜、果物、干し魚、清涼飲料水などを売っている。
 商店の左は、ばっちゃの友だちのハナちゃんのいる横山家、その並びはこんもり庭木の植わった名も知れぬ旧家、その家の塀に沿った辻を曲がって突き抜けると、やはり野辺地中学校に出る。旧家の先は、大通りの郵便局に出るまで一軒の家も知らない。目を戻して右手を見る。平伏した藁葺きの群れの右は、和田電気、その右に水を汲んだり洗濯したりする井戸がある。踏切までの向かい筋はこれだけ。和田電気のガラス戸はいつも閉まっていて、商売をしているふうはない。本店は新町にあると聞いたことがある。
 合船場の右隣の大造りの二軒の名は知らない。その向こう隣は、井戸に向かい合う田島鉄工だ。豚を飼っている。ばっちゃと淡い付き合いがある。この先が踏切。合船場の左隣は杉山という家で、名前しか知らない。それに隣接する数軒は家の前を通り過ぎたことしかない。その隣は大ガラス四枚戸の山田畳店、空地、ヤジ煙草店とつづく。ヤジには駄菓子やメンコも売っている。痩せた婆さんが店番をしている。小道を挟んで角鹿(つのか)精米店。この店の二階で、毎年祭囃子の練習をする。その先は大通りまで殺風景なトタン家がつづく。もちろん名も知らないし、付き合いもない。
 右の踏切を越えると、浜坂が野辺地湾へ下っていく。左の郵便局を越えると新町の繁華街になる。どちらも未知の領域で、三歳の私の生活環境は、踏切から郵便局までの、じつに狭い範囲だ。ばっちゃといっしょに人を訪ねたこともない。私の安住の地は、じっちゃの膝だ。私は彼のたくましいあぐらの中にすっぽり収まり、頭のてっぺんにチクチク髭を感じながら、彼といっしょに新聞を眺めている。煙草のにおい。
「ばかやろう解散か―」
 とじっちゃが言った。私はじっちゃの指示を辛抱強く待っている。彼の太い指の命じるままに平仮名だけを拾い読みするのだ。
「だば、これは?」
「める」
「よし。これは?」
「なくなった」
「よし。だば、これは?」
「について」
「よし」
 上機嫌な息づかいが私の頭をやさしく包む。
 私はじっちゃの自分に対する愛情の強さに喜びを覚えながらも、こっそり気がとがめている。私と同じような事情でここに預けられている従兄の義一(よしかず)が、横座にうずくまって耳をそばだてている。彼は人がしゃべっていることなら何でも聴きたい、見ているものなら何でも見たいという性質なので、ときどきわざとらしいあくびはするけれど、気を逸らしているわけではない。彼はどこであくびをするのも同じだと思っているから、ほんとうに眠いときでも、仔細らしく耳を立てているときでも、自然の要求にしたがっているという格好をする。
 義一は、二つ年下の私がじっちゃに対してなにか馴れなれしすぎるところがあると感じながらも、黙っているのがいちばんだと心得ているらしく、あくびをしないときには、ただ恨めしそうな目つきで私を見つめている。じっちゃの寝部屋に勝手に入って、箪笥の上の真空管ラジオを聴く特権も、私だけに与えられている。善夫も善司も、もちろん義一も許されていない。私はよくそのラジオで、『笛吹童子』や『オテナの塔』を聴いた。
 いつか義一と二人で縁側の拭き掃除をしていたとき、
「ウガ、早すぎるじゃ。もっとゆったとやねば、ワが叱られるべに」
 肘で突いて責められた。私は義一を嫌いではなかったけれど、そばにいると得体の知れない緊張を強いられるという意味で、ひどく煙たい存在だった。
「じっちゃ、ワも」
 しびれをきらした義一がじっちゃの腕に甘えかかり、私を押しのけてあぐらの中心に移ってこようとする。じっちゃは義一が垂らしている青洟(ばな)を見て、眉根に深い皺を寄せた。
 じっちゃは潔癖症なのだ。たとえば、彼の頭は地肌の透けた白髪でかろうじて覆われているけれど、十日に一度は新町へ散髪に出かけ、朝夕、馬毛のブラシで歯を心ゆくまで磨きたて、けっして自分の箸や食器をばっちゃに洗わせない。齢をとるとともに飲食についてはとても気難しくなり、自分専用の食器でなければ飲み食いしなくなった、とばっちゃが教えてくれた。
 じっちゃには癇癖もある。一度だけ、じっちゃのベッドでいっしょに寝たことがあったけれど、彼の脚に足を挟みこもうとしたら、グイと荒く蹴られた。生理的な拒絶は、理屈がないだけに恐ろしかった。人肌に接触することが生来嫌いなのか、それとも、昼間遊び回って汚れている子供の足などに触れたくないということだったのか。そんなわけだから、じっちゃは、義一が洟を拭ってビロードのようなツヤを出しているドテラの袖口や、年じゅうその顔に飼っている疥(はたけ)が気に入らないのだった。
 とはいえ、じっちゃには、ほんとうに清潔好きなのか疑わしいところもあって、かならず夜中に起きだして、縁側から庭に向かって小便をする習慣があった。滲みこんだ小便のしずくで板が腐食して、そこだけ掘れてささくれていた。小便の落ちかかる庭先に、藪イチゴが自生していた。ときどき食欲に負けて大粒のをもいで食べると、信じられないほど甘かった。
 裏の畑は私の唯一の遊び場だ。甘酸っぱいスモモの実を拾って食い、高い幹に止まった蝉を竹ざおに塗った鳥モチで獲り、にんじんを引き抜いて泥をズボンで拭いぬぐい食った。そのせいで寄生虫が湧き、ある日、便所でしゃがんでいたとき、肛門のあたりでうごめく虫を新聞紙でつまんで引きずり出したら、ストンと便壷に落ちて、猛烈な勢いでのたうった。二十センチほどもある不気味に大きな虫だった。
「ワも、字、覚えてじゃ」
 義一にそんな意欲のないことは、一家のだれもが知っている。じっちゃはキザミを一かけ煙管に詰めると、
「おめのほうが郷(きょう)より二つも上だたて、なんぼ教えても覚えねべに。どたらにカボチャ悪いんだか」
 と、にべもない。ばっちゃが鼻水をすすりながら囲炉裏の灰を掻いた。義一は上がりかけたじっちゃの膝からにじり下りると、心にもないお愛想を使った恥ずかしさから、むずかしい顔をして頑なに押し黙ってしまう。ふだんの彼はなかなか小才の利いた頭の回るやつだということを、私はよく知っている。カボチャは悪いどころではなく、目端が利いて、物を作るのも、絵を描くのもうまかった。
 ばっちゃに聞いたことだけれど、じっちゃはシベリアから引き揚げてきてから長いこと蒸気機関車の罐(かま)焚きをしていたが、四十の坂を越えたころ、だれにも相談しないで仕事を辞め、囲炉裏の上座に根を生やしてしまった。以来、新聞と、時事雑誌と、ときおり漢詩に目を落としながら、日がな自在鈎の前で暮らしている。彼が立ち上がってする大事な仕事は、柱時計のネジを巻くことと、ストーブの煙突掃除ぐらいだ。それでも近所の人たちからは知恵者として持ち上げられ、わずかな礼金を取って代書屋のようなこともしていた。士族の出であることを彼がとりわけ自慢にしていたからだ。
 浜の商家から下働きに入ってすぐ、じっちゃの〈お手〉がついたばっちゃは、小さなからだで次々と八人の子を産んだ。ざっくばらんで、とても陽気な、多少愚痴っぽいけれども、浮ついたところのない、辛抱のきく女だった。じっちゃが仕事を辞めたあと、仕方なく道に面した十畳の寝間を出店に改造して、煎餅屋を始めた。それでコツコツ貯めてきたへそくりが底をついた。育ち盛りの子供たちが、順繰りに南部煎餅の荷商いに出された。善太郎、英夫、善司、君子、椙子(しんこ)―。長女である私の母だけは、体裁が悪いと言って頑として拒否しつづけた。彼女が華美好きで怠け者だったという話は、すべてばっちゃから聞いたし、長じて他の兄弟姉妹から聞いた。結局煎餅屋はうまくいかず、三年もしないうちにやめた。出店は板塀を打ち直されてもとの寝間に戻り、じっちゃは相変わらず炉端に坐ったままだった。それからというもの、ばっちゃの心向きは一変し、夫婦のあいだに何か根深い敵対関係といったものができあがった。
 そのころに、私も義一もこの家に預けられた。私の記憶は、三輪車からじっちゃの膝へ飛んでしまったので、預けられたという事実を知らず、年の近い人びとを兄弟だと思って育った。義一は、長男の善太郎に置き捨てられた子だと知ったのも、ずっとのちのことだった。
「金曲(かなまがり)からきた嫁でせ、亭主の世話もしねで贅沢ばりして、東京さいきて、東京さいきてって、いっつもへってらった。なしてあったら女を追っかけていったもんだか。肝(きま)焼げる」
 と、ばっちゃが近所の茶飲み友だちに語っていたことがあった。下北(しもきた)の実家に帰った嫁を追って出ていった善太郎からは、もう五年のあまりも消息がなかった。
 私の母はいわゆる出戻りで、嫁入り先の熊本から、あの三輪車の東京を経て、息子といっしょに野辺地に帰ると、すぐに職を求めて外へ出ていってしまった。十三湖あたりで小学校の教師をしていると聞かされていた。十三湖がどこにあるか見当もつかなかった。
 義一と私が預けられている佐藤家は、じっちゃの自慢どおり、町でたった四軒しかない士族の家系だった。ばっちゃの話だと、合船場という屋号は、南部藩の師範代をしていたじっちゃの父親が、明治維新後に造船所を営んだ名残だということだった。その話は、士族の商法という言葉とともに何度も聞かされた。
「酒飲みでせ。酒ばりくらって、なんもかもなぐしてしまったんだ」
 佐藤家には、私たち二人の孫のほかに、還暦を迎えてまもないじっちゃ、彼よりは六つ七つ年下のばっちゃ、高校二年生になる三男の善司、小学五年の末っ子の善夫がいた。野球部で忙しい善司の姿は時分どきにしか見かけなかったし、遊び盛りの善夫もたいてい表へ出ていて、私の周りには義一と祖父母がいるきりだった。
 佐藤家のほかの兄弟姉妹については、顔も知らなかったし、大して耳に親しくもなかった。次男の英夫(英夫兄さんと呼ばれていた)は、名古屋の建設会社で機械科の主任をしていて、三女の椙子は斉藤(サイド)さんという進駐軍の通訳官に嫁いで古間木の官舎にいて、四女の君子もこれまた進駐軍の軍人と知り合って結婚しアメリカのユタ州にいる、という話だった。
 外に出ていった人たちの消息は、ほんのときおり話題になるだけだったけれども、佐藤家の生計のほとんどすべてが彼らの送金で成り立っていることは子供心にもわかった。君子叔母さんは去年、善司に蓄音機を、私にブリキの飛行機を送ってよこした。善夫と義一の分は忘れたようだった。善夫は善司と共有で蓄音機を使わせてもらい、私は飛行機など興味がなかったので義一にくれてやった。じっちゃのベッドの枕もとにある真空管ラジオも、君子叔母さんからの贈り物だった。
 善夫は私より八つ上、善司でさえ十四しかちがわなかった。だから私は、義一を含めた彼らを血を分けた兄弟だと思って育ったのだった。じっちゃが自分をかわいがるのは、たとえば、一月に一回ぐらい大きな丸いビスケットを買ってきて自分だけに与えるのは、いちばん年下だからだと納得していた。ところが私や義一が祖父母のことを、じっちゃ、ばっちゃと呼ぶのに、善司や善夫は、とっちゃ、かっちゃと呼ぶので、やがて自分と義一の置かれている立場がうっすらとわかってきた。
 善司はよく、私と義一に命じて相撲をとらせた。義一はいまいましいほど真剣な様子で、目をギラギラさせて飛びかかってきた。善司は脇から半畳を入れながら、しごく満悦の体だった。私は善司の周囲の者に感染するような明るい笑顔が大好きだったので、全力を出して義一と闘った。そして一度も負けたことがなかった。
 いつも近所の連中と遊び回っている善夫は、たまに、自分の都合から、モチ竿持たせて蝉獲りに連れていったり、竹籠を担がせて林檎盗りに従わせたりすることはあっても、めったに二人の甥に声をかけようとしなかった。声をかけたとしても、懐中電灯を持って便所へついていき、彼が排便しているあいだ少し離れたところから便器のあたりを照らす役目を仰せつけるだけだった。目を光らせながら、
「人のクソ見たら、カラスになるど」
 とわけのわからないことを言うのも、癇に障った。
 義一は、善夫が土間の天井に隠しているメンコやビーダマをこっそり持ち出し、私を誘って遊んだ。それが度重なるうちに、義一の顔に何か気がかりな表情を見て取ったこともあったけれど、私は頓着しなかった。おそらく善夫は、いたずらの責めを義一ひとりにかぶせて、陰でいじめていたのにちがいない。義一がこれっぽっちもそのことを私に告げ口しなかったのは、きっと口に出すのがシャクなほど善夫のことを嫌っていたか、それとも、私に対する一家ぐるみの贔屓を考えると、私に洩らすことで危うい目に遇うことを恐れたかのどちらかだったろう。私は口の軽い子ではなかったので、彼にそう思われるのは悲しかった。


         二

 いつ入園したかもわからない、大きなクロスの尖塔をいただくカトリック系の幼稚園に通っていた。城内(じょね)幼稚園といった。しばしの記憶の眠りからふたたび目覚めると、私はじっちゃの膝から一足飛びに、にぎやかなワラシたちの集団の中に紛れこんでいた。
 幼稚園へは合船場から子供の足で十分ほどで着いた。雪のない季節はズックの短靴をはき、雪の季節はゴム長をはいてかよった。新道を出ると新町の大通りと落ち合う十字路があって、そのまま道なりに渡った先が城内につづく細道になっていた。
 十字路の角に、三島平五郎ちゃんの床屋があった。平五郎ちゃんはたった一人の通園仲間だった。これといって目立ったところのない男の子だったけれども、北国にはめずらしい太い眉の下にドングリ目を填めこんだ鳶色の顔をしていた。平五郎ちゃん一家は何年もしないうちに、もと憲兵だった父親の首吊り自殺を境に零落し、いずこともなく立ち去った。そういえばときどき、幼稚園の帰り道、彼にさよならをしたあとで、店のガラス窓越しに、鬱々として客の髪を刈っている父親の顔を眺めたことや、夏の一日、店先の縁台に片あぐらをかいて頭を抱えこんでいる男の姿を、何か周りの人とちがった色合いで見つめたことがあった。彼はまるで自分の存在を忘れたみたいにじっと地面を見つめ、四六時中その縁台に貼りついていた。
 幼稚園の玄関に大きな下駄箱があり、式台を抜けると、埋め木細工のだだっ広い遊戯場が展(ひら)ける。遊戯場の奥まったところには、学芸会や音楽会用の一段高い舞台があった。
 毎日私はあの幼稚園で何をしていたろう。小動物のように仲間とじゃれ合って遊んだ覚えはない。仲間の顔もほとんど思い出せない。無口な、いつもまっ黒い修道衣を着ていた中年のみちこ先生、もう一人、平服の、たえず愉快そうにしゃべりまくる女先生―彼女の形のいい反った鼻と、匂い立つように美しい微笑が浮かんでくる。
 お昼寝は私の秘密の時間だった。おやつの熱いミルクを飲み終わり、大広間の板敷きにみんなで並んで横たわると、みちこ先生は園児たちの顔や腹の上を跨ぎながら寝顔を検分して廻った。
 薄地のロングスカートが立てる風の気配が近づくにつれて、小刻みに拍つ心臓の鼓動! 私はスカートが顔の上を跨ぐときに薄目を開けてそこに見たものを、ハッキリと思い出すことができる。それは、生暖かい薄明かりの中で静かに舞う、彼女の謹厳な顔と似ても似つかないなまめかしい大揚羽―むっちりした白い腿に貼りついている黒い下着だった。
 生来、ものごとを強く心に刻みつけようとする気質の私にとって、たしかに黒い蝶は幼い性意識を目覚めさせたけれども、彼女の股間に潜む何か生臭い、暖かい闇にどうしても馴染めなかった。痛切な探究心を拒絶する不潔な感じがあった。そこで、私はもっと親しみのある清潔な性の対象を求めはじめた。
 同じ幼稚園にけいこちゃんという、頬のふくらんだ猫目の小柄な女の子がいた。いつも笑顔を絶やさず、どこに瞳の焦点を合わすというのでもなく、ぽかんと開けた口からのぞく下歯が唾液で濡れて光っていた。少し頭が弱そうに見えた。彼女は私以外の園内の男の子たちに人気がなかった。天使のような作為のない笑顔を信じられずに、バカと呼んで片づけようとするのだった。
 お遊戯のとき、私は彼女の耳もとに囁いた。
「おチンチン、見せ合うべ」
 けいこちゃんはうれしそうにうなずいた。じつはきのう、うさぎやのようこちゃんに同じ提案をして、手痛い裏切りに合っていたのだった。からだの大きいようこちゃんは、私の手を引いて便所へ連れていき、
「おめから見せろじゃ」
 と言った。私がパンツを下ろして腰を突き出すと、ようこちゃんはフンと言ってしばらく見つめてから、自分のパンツを目にもとまらぬスピードで上下させた。そうして慌しく大広間へ駆け出すと、
「キョウちゃん、スケベなんだよう!」
 と大声で訴えた。私は死ぬほど腹を立て、ぶん殴ってやると決意して、遊戯場へ走り出た。何人かの仲間が寄ってきて、
「スケベ、スケベ」
 と罵った。私はこぶしを振り上げ、彼らを追い回した。ようこちゃんは遠くのほうからこちらを窺いながら、平気な顔で仲間たちと積み木遊びをしていた。
「先生さようなら、みなさまさようなら」
 挨拶がすむと、けいこちゃんと手をつないで帰り道を急いだ。ときどき顔を見合わせて笑い合う。本町から警察署のほうへ折れ、金沢(かねざわ)海岸づたいに進んでいく。彼女は浮き浮きと弾むように歩き、ときどき、濡れた歯を私に向けた。
 さびしい海岸の外れに、そこだけ軒のかたまっているところがあり、中に見上げるように大きな白い土蔵が建っていた。けいこちゃんは慣れた足どりで、その建物の壁に沿った隘路を入っていった。草の生い茂る庭に突き当たった。一面イラクサやタチアオイで青ばみ、きらきらと光る葉の波立つ反射のせいで、浅い水の中にいるようだった。庭の向こうに立派な二階家がそびえている。
「おしっこ―」
 けいこちゃんは何のためらいもなくパンツを引き下ろすと、私に向かってしゃがみこんだ。真っ白い小便(ゆばり)が飛んできた。しぶきが短靴にかかる。私は首をかしげて覗きこんだ。柔らかそうな、白いのっぺらぼうが見え、けいこちゃんのお尻からしずくがポタポタ垂れていた。思わず触れようとすると、
「キョウちゃんも、ね」
 けいこちゃんは一途な目で見上げた。あわてて半ズボンを下ろした。ようこちゃんのときには酸漿(ほおずき)のようにしぼんでいたものが、けいこちゃんの目の前で恥ずかしく腫れ上がり、苦しそうに空を向いていた。おしっこは出そうもなかった。けいこちゃんは大きく目を見開き、みるみる頬に赤い色を染め出しながら、手を伸ばした。指が宙をただよって近づき、それから遠ざかった。そしておもむろにパンツをおなかまでしっかり引き上げると、庭の草を一つかみちぎって束ね、
「こうして、ね、こうして、ね」
 と言いながら、いきり立った私の分身を、こまかく草の先を震わせるように愛撫した。心臓が激しく打ち、耳の栓がとれでもしたように、あらゆる物音がはっきりと聞こえた。
「ケイコー」
 不意にガラス戸が涼しく滑る音がして、彼女の名前がのびやかに呼ばれた。
「ハーイ」
 けいこちゃんはゆっくり草の束を投げ捨てると、あごを上げ、声のほうに向かってやさしい返事をした。けいこちゃんに似た美しい顔が、二階から見下ろしていた。笑っているようだった。
         †
 私だけが入園するのでは義一がかわいそうだということで、彼も一年間だけ最年長組で通園することになった。私が四歳で、彼は六歳だった。彼は、幼稚園でも、やっぱり洟を垂らしながらおとなしかった。わざと馬鹿に見せているのかと思うくらい、いつもぼんやりしていた。お陽さま組のくせに、図体の小さい彼は、なるべく私のそばに寄ることを避け、いつも遊戯場の端にひっそりと退避していた。
 じっちゃの特訓のおかげで、お星さま組、お月さま組、お陽さま組全員の中で、平仮名をすらすら読めるのは私だけだった。私は入園早々、自他ともに許す城内幼稚園の紙芝居屋になった。みちこ先生の命令で、月に一度、みんなの前で大太鼓を叩きながら、平仮名ばかりの紙芝居を読んだ。義一が上目で見ていた。年に一度の器楽合奏大会でも、私は園児たちの真ん中に立ち、バチを下から上、上から下へとこすりつけるようにして大太鼓を叩いた。義一はいつもカスタネットだった。
 神童(シンド)と持ち上げて私の活躍を喜んでいるのは先生たちばかりで、幼稚園での私はいつも反感の目に囲まれて満たされない思いだった。最年少のくせに、常に行事の中心に抜擢され、それに増長して好悪の感情をあまりにも露骨にさらけ出すせいか、羊のようにおとなしい主知派から遠ざけられて、〈主情派〉の孤独に甘んじていたからだ。三島平五郎ちゃんでさえ、通園をともにするだけで、おはようとさよならの挨拶以外はひとことも語りかけなかった。
 じっちゃはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、三日に一度は大きなビスケットを買ってきて、覗きこむように笑いながら私の目の前に差し出した。そしてかならず軍隊話をしてくれた。それはいつも晴ればれとした教訓で締めくくられた。
「能のあるなしははっきりわがる。だども、用いる用いねは、わがままでバカな人間が勝手に決めるもんだ。おめが用いられるのもバカが決めたことだ。それに嫉妬するのもバカだけんど、それにうぬぼれるのもバカだ。あがいたらマイネど。人間シャカイのチツジョだけ守って、人目など気にしねで、好ぎに暮らせばいいんだ。なんも、ちゃっこくまとまることはねんで。この世の中、桜狩りするみてに、のんびりした気持ちで生きていけばいいんだ」
 雨の降った午後、幼稚園から空を見上げながら帰ってくる私を、傘をさしたじっちゃが迎えにきたことがあった。彼はいとおしそうに孫の濡れた頭を撫でた。
「グイと空見上げて、のしのし歩ってくんのよ。惚れぼれしたじゃ。ひとり、変わった子だすけなあ」
 以来彼は、雨空にあごを上向けながら悠々と歩いて帰ってきた孫の様子を、だれかれかまわず得々と語り聞かせた。彼はそのできごとをとても気に入っていたから、話しながらいつもからだを揺すって笑うのだった。
 そんな私に、それまで反感を抱いていたはずの義一だけが近づきはじめた。帰り道、私が平五郎ちゃんとさよならしたとたんどこからともなく現れて、弱々しく腕を引くようになった。
 義一との付き合いにはほっとするような慰めがあった。手先の器用な彼は、ことあるごとに、昆虫網とか、鉄メンコとか、ゴム銃などを作ってくれた。彼は絵を描くのが抜群にうまく、彼なりに胸に秘めている親愛の印に、クレヨンで描いた戦艦大和や、ダルマの絵をそっと差し出したりした。ダルマの脇に書き添えられたへたくそな象形文字みたいなものの意味がわからず、じっと見つめていると、
「おまじないだじゃ」
 と教えた。
 野辺地のような小さな町にも映画館が二軒あった。一軒は新町の郵便局に隣接する銀映で、たいていは現代ものを、もう一軒は平五郎ちゃんの床屋の斜向かいにある野辺地東映で、時代劇ばかりをかけていた。一度も入ったことがなかった。たまたま善司に銀映に連れていかれ、ひめゆりの塔という戦争物を観たことがあった。さっぱり意味がわからなかった。
 義一の得意技の一つに、その銀映の裏の換気窓から薄暗い通路へ忍びこむというのがあった。磨りガラスの窓はかなり高いところに切られていて、引き戸になっていた。彼はノコギリとナイフで竹の太筒に足がかりを刻み、一本バシゴにしてよじ登った。いつのまに義一がその太い竹を手に入れてハシゴを作っていたのか不思議だった。
 義一が窓に到達して引き戸の内へ這いこむと、私も彼に倣ってハシゴを少しずつ登っていった。バランスをとって登るのがとても難しかった。よほどうまくやらないと、クルリと竹が回って滑り落ちてしまう。窓までたどり着いて、通路に飛び降りた。
 その日の映画の題名は忘れたけれど、銀映にはめずらしく股旅ものの時代劇がかかっていた。私たちはいちばん前の列の暗い座席に座って、スクリーンを見上げた。銀幕の向こうの人びとの話す言葉は、もの思わしげで難しかったけれど、彼らの歓びや苦しみや、障害を乗り越えていく心意気や、彼らの記憶の中に住んでいる涙の核のようなものはしっかり伝わってきた。どういう成り行きからか、主人公に斬りかかった悪漢が斬られた勢いで、断崖から足を踏み外し、絶叫もろとも谷底へ吸われていった。みるみるゴマ粒のように縮んでいく姿が哀れで、私は思わず涙を流した。義一はそれを恐怖の涙と勘ちがいして、
「なんもおっかなくねじゃ。バッタやるべ」
 とやさしい声をかけた。スクリーンの前でバッタをやりだしたとたん、何人かの客が立ち上がって怒鳴った。義一は館員に見つかったものと誤解して、必要以上にあわてふためき、座席のあいだの通路を駆け上がると、半纏(はんてん)を着たモギリのいる正面玄関から韋駄天走りに逃げ出した。私も驚いてあとを追った。新道に走りこんでようやく足をゆるめたとき、義一が睨みつけて言った。
「人にしゃべるんでねど」 
「なしてしゃべるのよ!」
 私は、隙あらば注進におよぶような人間だと義一に見られていたことが、いまこそはっきりわかって、地面にしゃがみこみたいほど落胆した。ここしばらくの彼の接近は何だったのだろう。
「叱られるのは、ワだすてな」
         †
 じっちゃの膝でうとうと除夜の鐘を聴いていた。善夫と義一はとっくに降参して子供部屋に引っこんでしまった。そろそろ、ばっちゃが若水を取りに浜へ下っていく時刻だ。今年は善司がついていくことになった。若水取りのあと、浜坂をのぼって新町の八幡さまへ回り、ミタマに年越しの報告をしてから、家に帰ってきてクドに火を焚きつける。善司はそこでお役御免になる。それからばっちゃは火を絶やさないよう、夜っぴて囲炉裏のかたわらでごろごろするという段取りだ。それでも私たちが起きるころには、ばっちゃはきちんと立ち働いている。いったい、いつ彼女は眠るのだろう。
 ばっちゃと善司がお水取りに出かけて三十分もしたころ、遠く汽笛が立てつづけに鳴った。
 ポッ、ポッ、ポーッ! ポーッ! 
 鋭さを増して鳴り止まないので、私はじっちゃの脛を蹴って表に飛び出した。大粒の雪がひっきりなしに落ちてきて、睫毛にへばりついた。
「事故のよんだな!」
 障子を引いて土間に降りたじっちゃが、家じゅうに響く声で言った。私はなぜか浮き浮きして、新道の踏切に向かって駆けだした。雪に埋めこまれた銀色のレールが海沿いに野辺地駅のほうから新道を横切り、千曳(ちびき)へ向かって曲がりこむあたり、貨物列車が闇にそそり立って、真っ白い息をシューシュー吐いている。
「ワラシだ、ワラシ!」
 制帽かぶって黒合羽着た男たちがカンテラを提げ、遮断機のない踏切のあたりを右往左往している。
「こったら夜中に、轢死体(まぐろ)あづめるの、コトだでば」
 〈まぐろ〉という言葉がじかに胸にきて、浮き立っていた気持ちが吹き飛んだ。ばらばらと何人か警官がかけつけてきた。真冬なのに額に玉の汗を浮かべている。
「なしてグランドのほうから渡ったのな!」
「踏切の鐘、聞こえたべや!」
 矢継ぎばやに譴責の声が上がる。蒸気の立ちこめる中、髪の乱れた女の人が大きく目を瞠って佇んでいた。足もとの雪に赤い血が妖しく散っている。だれの声にも応えず、肩をすぼめてうつむいたまま動こうとしない。地面に永遠に凍りついてしまったようだ。
 いつの間に起きてきたのか、ダンボ帽かぶった義一が、私の背中に貼りついて洟をすすりながら、ぼんやり女の人を見ている。じっちゃも善夫も立っている。駆けつけたばかりの野次馬たちが、亡霊のようにぼうっと線路の土手を埋めていた。
「味噌屋のかっちゃでねが? ……轢かれたのは娘だおんたな」
 頭の上でじっちゃが言った。私は睫毛の雪をこすった。そして、いつか庭から見上げた女の人に焦点を合わせた。すると、あのときのおぼろな笑顔と、ケイコーというやさしい声が甦ってきた。
「お水取りの帰りだこった。―中学校のグランドから登ってくれば近道だたて、ちょんどカーブになってるすけ、危ねんだ」
 じっちゃの言葉の切迫した調子が幼い心を恐怖で揺すぶった。きっと取り返しのつかないことが起きたのだ。
「けいこちゃん、死んでしまったの?」
「そんだべおん……痛わしいことだじゃ。たしか、一人娘だったんでねが」
「マグロって、なに?」
「すたらこと、大っきな声で言わねんだ」
 私はすがりつくように、乏しい薄明かりに浮かぶじっちゃの顔を見上げた。彼の息が凍って、白く、湯気のように見えた。私は彼の顔から、線路の向こう、野辺地中学校のグランドを包む闇の中に静まっている不吉な雑木林へ視線を移した。けいこちゃんの濡れた歯と、薄白いのっぺらぼうが浮かんだ。しきりに落ちてくる新しい雪が眼の中に溶けこみ、絶望の涙で押し出された。
「あった、あった、首だ! だいぶ損傷してらい!」
 土手の下から太い声が上がった。するどい叫び声を上げて雪の中に倒れるけいこちゃんのかっちゃの姿を、私ははっきり見た。田島鉄工のオンジが、長靴鳴らして駆け寄った。
「キョウ、あっちゃ、あっちゃ」
 義一が目を輝かせて何かを指差した。雪をかぶった笹の陰に、おっかない雪下駄(ぽっくり)が片一方、転がっていた。義一はおそるおそる近づき、瀬踏みするようにチョンと蹴った。コロコロ、と澄んだはかない音がした。

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