四十三

 修学旅行を数日後に控えた大雨の日、食堂じゅうが大騒ぎになった。宮本さんが警察に捕まったという。
「人をひいちゃってさ。即死だって」
 クマさんが血相を変えている。宮本さんの白い顔と、犬のように潤んだやさしい目を思い出した。小山田さんも真っ赤な顔で、
「宮ちゃんに非はないんだ。傘差してよろよろ自転車こいでた爺さんが、車の前に倒れこんできたんだってよ。八十の爺さんが大雨の中、なんで自転車なんかこいでたんだ」
 荒田さんが不安そうな顔で言った。
「賠償金は? 保険、入ってるんだろ?」
 クマさんがますます声を大きくして、
「ダンプの運ちゃんが、そんなものに入ってるわけないだろ! 棟梁が当座の葬式代だけは出してやるって言ったそうだ。賠償金までは払えないってよ。八十の爺さんといっても、おそらく、賠償金を払うとなると、百万、二百万じゃすまないぜ。四百万とか、六百万とか。払えなきゃ、どうしたって交通刑務所に入るってことになるんだろう。奥さんかわいそうだよ。子供もクニに何人かいるらしいし」
 奥さんのやさしい笑顔が浮かんだ。クマさんがやるせなさそうに飯台をさすった。
「これだから大型車はいやなんだよ。左前がよく見えないんだから」
 吉冨さんが首を振りながら、
「八十のジジイにそんな大金払わなくちゃいけないの?」
 荒田さんが、
「さあ、とにかく人身事故は金がかかるからね。宮ちゃん、どうなるのかな。なんとかしてやれないかな」
 小山田さんが腕をこまねいて、
「何もしてやれないさ。しかし黙って見てるわけにもいかんだろ。少し金集めようや。クニの仕送り分ぐらいはさ」
 さすがの母も冷静な表情を崩して、上の空で皿を並べていた。
 義捐金を届けてから幾日もしないで、宮本夫婦が姿を消したという話でふたたび食堂が騒がしくなった。
「気の弱い人だから、よほど身にこたえたんだな。逃げ切れるわけないのに。これで宮ちゃん、ほんとの犯罪人になっちゃったぜ」
 小山田さんの憤懣に、荒田さんはけろりとして、
「俺が二人を名古屋駅まで送っていったんだよ。交通刑務所に入る前に、子供に会っておきたいって言うからさ。またすぐ帰ってくるよ。でも、もし逃げるんだったら、俺たちの工面した金で逃げられるだけ逃げてほしいけどな」
 と明るい顔で言った。
 修学旅行の出発の朝、数日つづいていた雨が上がって、厚ぼったい雲の切れ間から明るい陽射しが落ちてきた。母から五百円持たされた。
「無理に使うんじゃないよ。土産なんかいらないからね」
 言うまでもない。私は金の使い方を知らなかったし、旅先で買いたいものの見当もつかなかった。
 角張った水色のカバンを提げて集合場所へいった。国際ホテル以来、ずっと母が使ってきたものだ。みんなリュックサックか、小振りの丸っこいボストンバックを持ってきていたので、きまりの悪い思いをした。康男はわざわざ校庭までやってきたけれど、旅行にはいかないと言った。ほかに四、五人の生徒も顔を出さなかった。その中には、木下と桑原も混じっていた。
「いかねえやつらは貧乏人やろ。俺はちがうで。ガキのくだらん旅行に付き合っとれんでよ。京都、奈良くんだりまで、何しにいく気や。いきたくもないところへいって、見たくもない寺や仏像見て、おろしろくろもないやつらと何日もいっしょに暮らす義理なんかないわ。兄ちゃんたちと麻雀打っとったほうがずっとええ。きょうは、おまえを見送りにきたんや」
 康男の冷笑の中には、いつもまっとうな批判がひそんでいる。だから胸の中でクサすだけではおさまらないで、それがつい口に出る。ひねくれた根性で悪口を吐き出すわけではないので、どこか乾いた理屈が通っていて、私は思わずうなずいてしまう。
「ぼくもいくのやめようかな」
 旅行は四日間で、京都、奈良から、岡山、香川を駆け足で巡る。桑子が藁半紙に刷った金刀比羅宮とか、栗林公園とか、宮島とかいう名前を眺めてみても、大しておもしろい見ものもなさそうだ。
「おまえはやめる理由があれせんが。修学旅行をくだらんと思っとらんやろし、おもしろないやつと雑魚寝するのも苦でないやろ?」
「うん……」
「神無月は、なんも思っとらん。野っ原みたいな男やで」
 康男の言うとおり、私には周囲の人間の考えや習慣に対する積極的な批判というものがなかった。たとえあったとしても、いつか康男に横浜のできごとをしゃべったように愚痴の形でしか表現できないし、たいていは口に出すのも面倒くさくて胸に収めてしまうので、批判も何も、それ以前に関心そのものがないのと同じだった。結局自分はバカだから、康男みたいに身のまわりに不足を感じないのだろう、バカだから不足があってもその理屈を考えつかないのだろう、とこのごろ私は本気で思うようになっていた。このバカという感じは、子供なりに深くさびしい諦念で、自分を韜晦して結局は人から大きなかさばりに思われようとする卑しい気持ちではなかった。康男はクラスの列に雑じって、千年の市電停留所まで送ってきた。道々、守随くんと何やら話していた。         
 名古屋駅から八輌編成の修学旅行専用列車に乗った。カメラ狂の桑子は、各クラスの生徒がプラットホームに整列して待機しているときからパチパチやっていた。私は守随くんと向かい合わせに座った。
「寺田がな、神無月をよろしく頼むって言っとったわ。短気起こしそうになったら、止めたってくれって」
「短気?」
「喧嘩のことやないの。神無月が短気なのだれも知らんやろ、って得意そうにしとった」
 思い当たる節がないでもなかった。キヨシと本部陽子のことにちがいない。五年生になったばかりのころ、登校のために千年公園に集まっていたとき、分団でいっしょのキヨシという六年生が、こっちをいやな目で見ながら、
「飯場には凶悪犯が集まるんだってさ。警察につかまりそうになると、別の飯場に逃げていくらしいわ」
 と、聞こえよがしに言った。私は突進していって、無言でキヨシにタックルした。押し倒し、頭や顔に何度もげんこつを食らわした。
「いいかげんな嘘をつくな! 今度でたらめ言ったら、キンタマひねりつぶすぞ!」
 私の剣幕に恐れをなして、だれも止めに入らなかった。キヨシが泣き出したので私はさっさと分団から離れて裏門を入った。一部始終を康男に話すと、
「ようやった。あんなカス、ぶち殺してもええで。よう言うやろ、あんな野郎は殺す価値もないってな。じゃ、殺す価値のあるやつって、善人のことか? まさかな。なら殺す価値しかあれせんのが悪人ということや」
 告げ口屋の本部陽子のときは、もっとひどかった。胡瓜顔の不細工な本部は、平畑の駄菓子屋の娘で、どちらかと言えば無口な、目立たない生徒だった。
「ホンベさんの赤ちゃんが風邪ひいた、そこであわててシップした」
 と、わけのわからない歌でからかわれるくらいの、教室のミソッカス的存在だが、一つ悪い癖があって、周囲にきょろきょろ流し目を使い、何かあるとすぐ先生に告げ口をしにいく。教室の後ろのほうの席に、いつも風に揺れているような、たよりない、顔色の悪い女の子がいて、クラスの連中ばかりでなく、桑子も、ある意味高橋弓子以上に目をかけてやさしく扱っていた。彼女には大便を漏らす持病があった。授業中にプーンとへんなにおいがしてきたら、かならず彼女の粗相のせいなのだ。みんな気の毒に思い、気づいたらトイレに連れていってやるのが仲間内での暗黙の決めごとだった。
 それがある日、昼休み中に起きた。
「だァれ、このにおい。クッサイがね! あたし先生に知らせてくる。保健婦さんも呼んでくるわ」
 本部はにおいの出もとがわかっているのに、周りの生徒たちの顔色を窺いながらわざとらしく教室の戸を引いた。あわてて学級委員の鬼頭倫子が立ち上がり、その女の子をトイレに連れていった。私は走っていき、廊下から校庭へ出ようとしていた本部陽子の腕をつかんで、無理やり引き戻し、
「あんな意地の悪いこと言って恥ずかしくないのか。あの子はお腹の病気なんだ。だれでも気づいたときに、便所に連れてってやるのが決まりだったろ!」
 怒鳴りつけて教室へぐいぐい引っぱってきた。そのときもやっぱりみんな私を恐がって止めに入らなかった。
「そんな決まり、知らんわ。病気なら、学校にこなければええがね!」
 手を引っ張られながら本部陽子は悪態をついた。
「クソッたれ! おまえみたいな女は、ぶん殴るしかないな」
 私は本部陽子を壁に押しつけ、下っ腹に思い切り膝蹴りをぶちこんだ。
「痛い、痛い」
 大げさに叫ぶのが憎たらしくて、屈みこんだ頭にもゴンとこぶしを打ち下ろした。それでも足りず、横腹を思い切り蹴った。
「やめろ、神無月! ケガさせちまうぞ」
 康男が背中にやってきて、腕を取った。
「こんなやつ、どうなったっていいんだ」
 すきを見て本部はゴキブリみたいに素早く逃げ出すと、さっそく職員室に告げ口にいった。桑子は放課後私を呼びつけ、
「話は鬼頭から聞いた。女子と小人(しょうじん)は養いがたしと言うだろ。でもなァ、女子と小人に手を出しちゃいかんぞ」
 と、小声で叱っただけだった。康男が短気と言ったのは、きっとそのことだろう。言葉と理屈を使って人を説得する力があれば、つまりバカでなければ、そんな短気を起こさなくてすむのだ。康男の暴力は短気ではない。悪ふざけをした今朝文を蹴ったのだって、私に対する友情を証明しようとしたからだ。キヨシや本部陽子のようなやつらには、康男ならけっして暴力は振るわずに、怒鳴りつけるだけでその醜さを叱るにちがいない。
         †
 クラスメイトの笑い声の中でなんとか保っていた私の浮いた気持ちも、最初の目的地の京都に着いて観光バスに乗り換えたころから、だんだん沈みこみはじめた。彼らは楽しそうに、バスガイドから回されたマイクを手に、上を向いて歩こうやらスーダラ節やらコーヒー・ルンバみたいなつまらない歌を唄いまくっていた。私は沈んだ気持ちのまま、いつか康男に教えてもらった小林旭の『十字路』を唄った。不思議なくらい高い声が出た。桑子が感嘆したようにじっと耳を傾けていた。

  あきらめて あきらめて
  もう泣かないで
  お別れの お別れの
  口づけしようよ
  ああ 深い 深い
  深い霧の中
  すみれ色の灯が一つ
  ともる十字路

 スケジュールどおりに金閣寺から銀閣寺と巡り、石舞台古墳や、名前を覚えきれない寺の参道や、鹿がうようよいる林をバスガイドの旗に牽かれて歩いているうちに、ますます気分が重くなっていき、案内役の爺さんが広沢池のほとりであげる大声も、摺り寄ってくる鹿も、観光客でごったがえす土産屋も、くだらない出し物に見えてきた。康男の言ったとおり、何もかもおもしろくなかった。
 桑子は、生徒の引率などそっちのけにして、あたりかまわず写真を撮りまくっている。たいてい景色や町並や仏像を撮っているようだったけれど、人を撮るときはきまって高橋弓子を中心に据えた。レンズが向けられるたびに、彼女は〈しな〉のあるポーズをとった。ときどき別クラスの列から、リサちゃんが手を振った。私が応えると寄ってきて、
「お風呂がイヤだけど、加藤さんが、遅くなってからいっしょに入ってくれるって」
 と言った。脚の悪い二人の女が夜遅く風呂に入って、からだを流し合っている姿を想像すると、ひどく悲しい気持ちになった。
 旅館の夕食は、全校生徒が神妙に大広間に打ち揃って食べた。めしは小盛りで、味噌汁も味が薄くてしまりがなく、おかずはなんだか人工的な甘口のものばかり。わいわいしゃべりながら食べる飯場のめしのほうがずっとうまかった。ここでも桑子は張り切って高橋弓子の写真を撮りまくっていた。
 消灯の合図があってだいぶ経ってから、徒党を組んで忍びこんだほかのクラスの連中の手で何人かの男子が目に胡椒を入れられるという不愉快きわまりない事件があった。疲れて寝こんでいた私もやられた。
「クソ! ばかやろう!」
 と叫んで飛び起きたけれど、どこにも人影はなく、仕方なく深夜の手洗い場にいって、ひりひり痛む目を根気よく洗った。守随くんの話だと、目つぶしは千年小学校の伝統らしく、生贄になった生徒はあきらめなければいけないということだった。朝になってから聞いた話では、蒲団に犬の糞をなすりつけ、そのまま畳んで押入に投げこんでおくといういたずらをやった生徒もいたらしい。そんな話をみんなで笑いながら聞いているのが解せなかった。


         四十四

 二日目も、一日中ぞろぞろ歩いた。古い屋敷、出店の立ち並ぶ湿った土の道、寺や神社の奥で油光りしている仏像、長いだけの山寺の石段、人気のないアスファルト路。どこにもかならず、桑子みたいに肩からカメラを垂らした人びとが群がっていた。
 くだらねェ、と言う康男の声が聞こえるような気がした。たしかに、そんな風景はこしらえものめいていて、どれもこれも、もう一生見ることはないだろうと思えるくらいつまらないもので、どうしてこんなものを見るために大勢の人が浮き浮きやってくるのだろうと苛立った。いたるところに錆びついた時間だけがあって、見物のほかには人の気配がちっともしない。でも、こんなつまらない場所でも、康男といっしょにきたらどんなに楽しかっただろうと思った。
 三日目、私は通りすがりの茶店みたいなところで、丹塗りの箸を一膳買った。母への土産のつもりだった。五百円だった。そんなものを母が喜ぶはずのないことはわかっていたけれど、使い切りたかった。私には机の抽斗に二千円ほどのヘソクリがあった。ぜんぶクマさんや小山田さんからもらった小遣いの残りを貯めておいたものだった。帰ったら、この五百円を足してコニー・フランシスのLPを二、三枚買おうと計っていたけれど、どうせそっくり残して帰れば取り上げられることがわかっていたので、使ってしまうことに決めた。
 帰りの列車を待つ京都駅のホームで、宮本さん夫婦を目撃した! 学校の制服を着た二人の女の子を連れていて、どちらも中学生ぐらいに見えた。夫婦に似て色白で、利口そうな目をしていた。彼女たちは少しもおびえているふうはなかった。
 宮本夫婦は青森に帰ったはずなのに、どうしてこんなところにいるのだろう。荒田さんが言っていたとおり、夫婦はどこかへ逃げるつもりで娘たちを青森まで迎えにいき、観光見物と偽って京都に出てきたのかもしれない。夫婦はもう青森へも名古屋へも戻る気などなく、このまま子供たちを連れて逃亡先を探しながらさまようのだろう。いや、それなら娘たちが制服を着ているはずがない。
 宮本夫婦と娘二人は私の目の前を通って、ホームの階段を降りていこうとした。一瞬声をかけようかと思ったが、思いがけなくからだが震えてきて、声を出すことができなかった。クラスメイトの肩口から眺める二人の女の子の表情は、相変わらず柔和だった。ひょっとしたら、宮本さんはお別れ旅行のつもりなのかもしれない。奥さんと子供たちはこの旅のあとで青森へ帰り、宮本さんは名古屋で降りて警察に出頭する。そうしていつか、子供たちは母親から事情を知らされる。両親そろってまじめな働き者だから、たとえ先々の生活で苦しい目を見ても、娘二人はすさんだり、恨んだり、悲しんだりすることもなく、力を合わせて暮らしていくだろう。
 私は遠くから四人の背中を見送りながら、名古屋に帰っても、彼らに出会ったことはだれにも、もちろん母やクマさんたちにも、ぜったい言うまいと心に決めた。ふと、リサちゃんの姿がほかのクラスの生徒の群れの中に見えたけれど、彼女は宮本さん一家に気づいていないようだった。
 名古屋に戻ってからも、印象に残る騒動が持ち上がった。桑子が女風呂に闖入してパチパチやったことが、新聞種になったのだ。彼はそのとき撮ったものも含めて、旅行中に撮影したすべての写真を何の悪気もなく教室の壁に貼り出した。高橋弓子を中心にした女子ばかりに熱心だと思われていた彼は、案外ほかの写真もたくさん撮っていて、景色や建物はもちろん、男子生徒の集合写真や個人的なスナップもかなり混じっていた。私の写っている写真も五、六枚あった。
 女風呂の写真は、女生徒たちが湯船から何人か首を突き出して笑っている程度の他愛のないもので、彼に何の下心もなかったことがすぐに知れた。壁の写真を見た男どもは大はしゃぎだったが、一部の女子生徒から苦情が出て、しばらく学校じゅうがその話題で持ち切りになった。
 一週間ほどして、岩間が教室に新聞を持ってきてみんなに見せた。
「桑子先生、危ないところだったみたいやで」
 PТA免職を迫る、という見出しの脇に《熱血先生の心意気》と副題がついていた。
「生徒たちの思い出を豊かなものにしようと思ってやっただけのことです。他意はありません。もちろん自費でアルバムを作ってやるつもりです」
 と桑子のコメントがつづいていた。その日のホームルームで、桑子自身がそのことを話題にした。彼に言わせれば、
「くだらん〈すったもんだ〉があったが、話を聞きつけた新聞が美談として記事にしてくれたんで、学校を辞めんですんだわ。PТAなんてのは、野暮な質問ばかりするつまらないやつらでな」
 ということだった。騒ぎ立てた女子仲間への義理立てか、高橋弓子も鬼頭倫子も杉山啓子も表情を固くして黙っていた。
「桑子は本気でアルバムを作るつもりやで。つくづく要領悪い野郎やな。ついでに男風呂も撮っとけば、大した騒ぎにならんですんだのによ。これ、意地でも剥がさんつもりやが」
 一週間も壁に貼ったままの写真を見つめながら、康男が唇をゆがめて笑った。  
         †
 去年の日本シリーズは、第二戦の途中で浅沼稲次郎が殺された臨時ニュースが入ってきたせいで中継が中断した。大洋対大毎だったせいもあって、それっきり興味がなくなってしまった。今年は実力者同士の巨人と南海が戦うことになったので、小山田さんや吉冨さんたちといっしょに、じっくり食堂のテレビで観た。
 初戦、巨人はスタンカに完封されて、対南海戦日本シリーズ九連敗になった。野村のパンチショットだけが鮮やかに目に残った。あれでよくボールがスタンドまで飛んでいくものだ。短く持ったバットを腰の前で素早くなぎ払うようにして振るのだ。あの打ち方は山内のシュート打ちと同じくらい難しいもので、いくら練習したって身につけられるものではない。プロはちがう。ぼくはまだまだだ。
 今年も巨人の日本一は無理かと思っていたら、それから二連勝した。南海の一勝二敗で迎えた第四戦、三対二で南海リード。巨人の攻撃も九回裏ツーアウトになって、藤尾がファーストファールフライを打ち上げた。これで二勝二敗だと思った瞬間、寺田がポロリと落とした。びっくりした。でも、ピッチャーがスタンカだし、たいしたことにはならないだろうと思った。ツーアウト一、二塁。長嶋のサードゴロで今度こそ万事休すと思ったら、小池がハンブルエラー。満塁。信じられなかった。
「こういうのって、なんか、もうぜったいダメって感じだね。百パーセント、サヨナラ負けでしょ」
 吉冨さんがあきれたふうに言う。
「スタンカも、よくがまんしてるよな。勝たせてやりたくなったぜ」
 と小山田さん。スタンカが宮本に投げたツーワンからの外角ストレートは、だれの目にもストライクに見えた。
「お、勝ったじゃないか」
 と小山田さんが言ったとたん、吉冨さんが大声を上げた。
「ええ!」
 主審の円城寺はボールと判定した。信じられないことが三度重なった。一生目にできない光景だ。文字どおり、悪いことが三度あった。鶴岡監督が猛然と抗議に飛び出す。当然だろう。もちろん判定はそのまま。審判の判定がひっくり返るなんてことは、金輪際あったためしがない。スタンカはマウンドに立ち尽くして黙っている。広島の長谷川なら、マウンドを駆け下りてきて、アンパイアをグローブで殴りつけていることだろう。
 気を取り直してスタンカが投げた外角高目の直球を、エンディ宮本はライト前に打ち返し、二者が生還した。サヨナラ。南海はせっかく勝っていたゲームを失った! スタンカは宮本がサヨナラヒットを打ったとき、ホームのバックアップに走ると見せかけて円城寺に体当たりを食らわせた。
「スタンカの気持ち、わかるなあ」
 荒田さんが言った。寺田はそのあとの第五、第六戦にホームランを打った。でも、そんなことで汚名返上にはならず、チームの勢いも戻ってこなかった。結局、巨人が四勝二敗で優勝し、川上監督は就任一年目で日本一になった。
「寺田はクビか、トレードだろう」
 小山田さんが言った。巨人の優勝はうれしかったけれど、五試合も投げたスタンカが気の毒な気がした。それよりも、寺田でさえ三本もホームランを打ったのに、長嶋が一本しか打てなかったことのほうがつまらなかった。
         †
 晩めしのあとで、クマさんが喫茶店に誘った。彼が父親だったらどんなにいいだろうと思っていると、彼は夜空を見上げて、上弦の月、と言った。花王石鹸のマークのような月が浮かんでいた。
 オレンジの明るいドアが、カランカランと鳴った。めずらしくクラッシックがかかっている。嫌いなベートーベンだ。学校の音楽室でいろいろ聴かされて気に入ったのは、モーツァルトだけだった。
 クマさんはレコードを聴きながら、なんだかもじもじしていた。私は夕暮れの表通りを眺めてアップルパイを食べるのがうれしく、クマさんが何か言いたそうにしているのに気づかなかった。彼はスタイニーを注文し、深々と椅子に背をもたせた。まじめな目で見つめる。
「……キョウには気分転換が必要だ。いやなことは忘れちまおう」
「平気だよ。もう、なんともない」
「そうか―。あした、里帰りすることになった。キョウもいくか?」
 飛び上がるほどうれしかった。何年も前から、クマさんがクニに帰るときはいっしょに連れていってもらうと決めていたのだった。
「うん! 約束だもの」
「あしたは休日だけど、あさっての土曜は学校休むことになるぞ。いいのか」
「だいじょうぶだよ。帰ってきたら、夕方の練習にだけ出るから」
「そうか、キョウがいってくれれば心強いや。……女に会いにいく。半年ぶりだ」
 クマさんは照れくさそうに笑った。私も笑った。
「かあちゃんに言わないと」
「お、そうだな」
 食堂に戻ってそのことをクマさんが母に伝えると、
「すみませんねえ、いつも。父親代わりをしていただいて」
 と母が頭を下げた。声のトーンが低く、それほど感謝しているふうもない。息子があさっての半ドン授業を休みにするのを快く思っていないようだ。
「父親代わりなんて、そんな大それたもんじゃないよ。キョウと旅ができて、こっちこそうれしいんだ。一泊のとんぼ返りであわただしいけど」
「お墓参りですか」
「もうちょっと大事な用かな」
 クマさんは不機嫌そうに笑った。母は察して、
「そういうことなら、かえってお邪魔じゃないの。大事なお話をしにいくんでしょう?」
「いや、キョウにいてもらったほうが気楽なんだ。こいつがいると、なんだかのびのびするんでね」
「熊沢さんはよくても、あちらさんのお邪魔になるんじゃ」
 私は不愉快な気持ちを抑えながら、話の雲行きを心配した。クマさんは少し大声になり、
「気遣いのいらない女だよ。キョウも気に入るだろう。少なくとも、いま流行りの三種の神器とか、家つきカーつきババア抜きなんてことは考えもしない、さばけた女でね。やっと月賦でテレビを買ったぐらいが贅沢の仕納めで、ほんとに欲のないやつだよ……。とにかく、二日間キョウをお借りしますよ」


         四十五

 背広にきっちりネクタイを締めたクマさんは、急行〈しなの〉の座席で、いつもよりも引き締まった美男子に見えた。髭の剃り跡が青々とし、三つボタンのチョッキなんか着て、なかなか押し出しがいい。彼はそのまじめな格好で、谷啓のガチョーンやら、坂本九のモウシワケナイやら、相変わらずいろいろな芸人のまねをして私を笑わせた。
「キョウは、ケラケラ気持ちよさそうに笑うな。こっちまでうれしくなる」
 私の笑いが収まり、会話が途切れると、クマさんはワイシャツの腕を窓敷居に置き、ふっと外の景色に目をやって、思いを馳せる顔になった。
「この七、八年で、乗り換えなしで長野にいけるようになった。五時間か。むかしは夜行で一晩かけていったもんだ」
 クマさんは松本駅で二人分の駅弁を買った。城を描いた包み紙に〈月見五味めし〉と書いてある。
「ゴミめし……」
「ゴモクめしと読むんだ。うまいぞ」
 甘辛い鶏そぼろごはんの上に、海老や錦糸卵や山菜が載り、うずらの玉子が満月のように置いてあった。
「おいしい!」
「だろ。この駅でかならず買って食うんだ」
 いっしょに弁当を食べ終わると、クマさんは座席に凭れて腕を組み、眠る体勢になった。私もまねて固く目をつぶったけれど、自然に開いてしまう。仕方がないので、彼が眠っているあいだ、窓から平野が青く広がる景色をおとなしく眺めてすごした。急にまぶしい陽射しがなだれこんできて、私たちの座っている側の乗客はあわててカーテンを引いた。
 長野駅に降りたとたん、クマさんの表情がいっそう固くなった。彼は駅前の売店で私に野球帽を買い与えた。
「まだ日差しが強いからな。そこいらで、ソバでも食うか。山菜ソバがうまいぞ」
「これ以上食べたら、おなかパンクしちゃうよ」
「俺も腹いっぱいだ。ソバは別腹と言うが、さすがにな」
 丸っこいバスがゆらゆらこちらに向かってくる。
「あれを運転してたの?」
「あれは路線バスだ。俺が乗ってたのは観光バス。もっと大きくてバリッとしたやつだ」
 その路線バスで、三十分ばかり、山の手へ向かって走った。町なかの青黒い並木を過ぎて広い街道に出ると、一面に広がる田の向こうの山がきれいな黄葉に燃えている。ブリキの看板を貼りつけた商店、校庭のだだっ広い学校、土蔵造りの警察署、お寺、そしてまた学校。乗り合わせた数人の客もぽつりぽつりと消えていき、途中からクマさんと二人きりになった。私は運転手の静かな首筋に、むかしのクマさんの後ろ姿を重ね合わせた。
 終点に近い山間(やまあい)のバス停に降りた。崖沿いの停留所の下に大きな川が流れている。
「千曲川だ」
「いつも話してた川?」
「ああ」
 川岸の砂地の中に、ごろりとした川原石がむき出しになっていた。
「おっかない感じだね」
「そうか? 雨が降るとけっこう暴れるからな」
 クマさんは満足げにうなずいた。岩肌をなめてゆったり流れる川の水は真っ青で、峡谷を吹きわたってくる風を溶かして冷たそうだった。
「二十分くらい歩くぞ」
 川に沿った道を歩きはじめた。草の繁みの隙間から黒く湿った土が見える。小鳥の声に混じって、クマさんの靴がキュッ、キュッと鳴った。
 やがて落葉松(からまつ)林の切り通しに入った。二人の足音に驚き、小鳥がチチッと枝の中ではばたいた。片側の崖は松や若い樅(もみ)の茂みで、もう一方の道の肩から杉の群れに覆われた斜面が昇っている。杉の根もとに菖蒲や黄色い野生のチューリップが咲き、木群れをハゼや山漆が点々と薄赤い模様に染め出していた。道端の草の中にところどころ白いエゾギクが見える。ホタル草も固まって咲いている。ひんやりとした山道に人影はなく、かすかに射してくる光に花の色だけが鮮やかだった。
「このあたりは、春にはホトトギスがいい声で鳴くんだ」
「ふうん」
「まじめな話をしにきた―」
「うん」
 林の中でクマさんの情熱がにおい立った。しきりに鳥の声のする切り通しを抜け、大きな橋を渡った。空から渓へ流れこむ光線の中を、ときどき葉が金粉のようにきらめきながら落ちていく。
「名古屋に出てこい、俺といっしょに暮らしてくれって言う。信州信濃のソバよりもわたしゃあんたのそばがよい、と」
 橋を渡り、もっと小暗い林に入った。雨水の轍(わだち)のある砂っぽい道を歩く。
「あれはネムノキだよ。サヤエンドウみたいな実がなってるやつ」
 私の指差すネムノキの枝から芭蕉の葉が垂れていた。糸杉の巻き上がった葉や、刈られて時間のたった松も見える。
「あの百合みたいなだいだい色の花は、ワスレグサっていうんだ」
「キョウは草や木もよく知ってるんだな」
「青森のばっちゃが散歩のときに教えてくれたから、自然と覚えた」
 ばっちゃはほんとうに草や木の名前をよく知っていた。私が指差すものは、たちまちその名を口にした。
「信州は青森と似てるか」
「似てる。でも、青森よりきれいだ」
「うれしいこと言うじゃないか」
 野球帽の庇を上げて、重なり合った木々のあいだから白く輝いている空を見上げた。ほの暗い林に目を戻す。草の底にぽつぽつ傘を広げたキノコが、きれいな小石のように見える。
「俺は西松に入る前は、信濃観光というところでバスの運転手をしてたんだ。観光バスはよっぽど腕がよくないと雇ってもらえない。そのわりに給料が安くて、仕方なくそこを辞めて名古屋に出た」
 私はクマさんのおどけた目を見つめて、わけがわかったふうにうなずいた。
「うん。結婚資金を貯めるためだね」
 クマさんは微笑しながら、
「手をつけた女とは、結婚しなくちゃいかんからな」
 林が尽きたところに小橋が架かっていた。橋の下のハコヤナギの茂みのあいだを浅瀬がちょろちょろ流れている。振り返ると、太陽はちょうど林の後ろへ沈んでいくところで、白樺の枝がくっきりと浮かび上がっている。小橋を渡り終えた先に、意外なほど広い空地が開けた。木槿(むくげ)の生垣をめぐらした小さなアパートが建っていた。アパートは霧のような夕日に包まれていた。クマさんはつかつかと歩いていき、角部屋のドアを叩いた。
「はーい」
 明るい声がして、クマさんより背の高い女が戸口に出てきた。花柄のエプロンをしている。二十代の半ばくらいで、目のやさしい、カズちゃんに似た下ぶくれの顔をしていた。
「コブつきできたよ。こいつが手紙に書いたキョウだ」
 クマさんは私の頭を撫でながら言った。一瞬彼女の顔に同情の影が走った。
「神無月郷です。よろしくお願いします」
「まあ、行儀のいいこと。こちらこそよろしく。遠藤房子です」
 彼女は気さくなお辞儀をした。
「きょうはご馳走よ。すき焼き」
 天井の低い六畳間のテーブルに、葉の大きなミズヒキの赤い花が活けてある。隣の部屋の鴨居には、制服を着たクマさんと房ちゃんがバスのボンネットの前に寄り添って立っている写真が掛かっていた。金色の額縁に収められていたクマさんは、腰に片手を当て、胸を反らしたポーズで気取っている。父の写真に似ていた。そういえばあれっきり父の写真を見かけないけれど、いまどこにあるのだろう。クマさんはテーブルに落ち着くと、ネクタイを外し、はだけたシャツから胸毛をのぞかせた。彼は私の顔を横目に見ながら切り出した。
「な、房ちゃん、そろそろ名古屋に出てこいよ。会社には話を通しておいた。きちんと社宅を用意してくれるってさ」
「あら、だしぬけ! どういう風の吹き回しかしら。正式のプロポーズ?」
 クマさんは私の顔を見てニヤニヤ笑った。
「そういうことだ。永すぎた春にしたくないからな。式はあっちでゆっくり挙げようや」
「うれしい。今月中にさっそく退社願いを出さなくちゃ。信濃観光バスも痛手でしょうね、私みたいなベテランがいなくなると」
「しょってやがる」
 房ちゃんは目を見張ってクマさんを睨んだ。そんな彼女の顔はとても美しく見えた。
「共働きはしないぞ。子供が生まれたらたいへんだ」
 クマさんはテレビを点けた。房ちゃんが唇を一文字に結んだ。
「とにかく節約して、お金を貯めなくちゃ」
 永すぎた春って何だろうと思いながら、私は電波の悪い画面をぼんやり見ていた。房ちゃんは台所に立っていってビールの栓を抜いた。コップを三つ持ってきて、私にも少しだけ注ぐ。
「キョウちゃんもお祝いしてちょうだい。お仲人さんのつもりで」
「お仲人って?」
「見届け人、愛のキューピッド」
「わかった。じゃ、乾杯!」
「乾杯!」
 私は二人のコップに自分のコップを打ち当てると、大人びたふうにグイと飲んだ。房ちゃんはにこやかに笑うと、また台所に立っていき、料理の支度にかかった。鼻歌を唄っている。
「いい声だろ。あの声に、カックンとやられてな」
 ビールを含みながらクマさんが笑った。
「声だけ?」
 台所からツヤのある声が飛んできた。
「おいおい、まじめな仲人を前にして、きわどい話はよせよ」
 クマさんはいつものように曲がった鼻をつまんでコキコキ鳴らし、黒目を寄せておどけて見せた。
「ねえ、永すぎた春って、どういうこと?」
「何年か前の映画の題名だ。川口浩と若尾文子。結婚前の付き合いが長すぎると、結局結婚できなくなっちまうってことだ。せっかく好き合っているのに、そりゃいかんだろ」
「いかん」
 クマさんと房ちゃんが声を合わせて笑った。
 牛肉と山菜をいっぱい入れた鍋を囲んで、楽しい夕餉になった。肉は苦手だと私が言うと、房ちゃんはシラタキや豆腐やキノコを、玉子を割った小鉢に何度も盛ってくれた。窓の網戸の向こうはまだうっすらと明るかった。夕映えの中に、ぼかしをかけたような紫の稜線が浮かんでいる。
「仲間の運転手が、八十の爺さんをひき殺しちゃってな。人身保険に入ってなかったから悲惨なことになった。会社側は知らんぷりの半兵衛よ。冷たいもんだ」
「宮本さん、帰ってきたの?」
 とぼけた顔で尋いた。
「それが帰ってこないんだ。裁判所から呼び出し掛けられてるんだがな。逃げ切れればそれに越したことはないけど、家族持ちだから、一生逃げつづけられんだろう」
 わざわざ宮本さんの消息を知らせることはない。消息といっても、ただ京都駅で見かけただけなのだ。
「やっぱりトラックは危ない。いつまでもやる仕事じゃないな」
 クマさんは鍋に箸を突き立てながら、会社の人事に対する不満めいたことをしばらくしゃべっていた。房ちゃんはやさしい顔で、うん、うん、と相槌を打った。
「おえらいさんの送迎運転手がもうすぐ辞めていくんだけど、その後釜が俺に回ってきそうなんだ」
「よかったじゃないの。あなたはもともと運転の腕があるんだし、小型なら右も左もよく見えるから、事故の心配はないしね」
 クマさんはたちまち相好を崩して私の頭を撫ぜた。
「給料も上がるぞ。なんだかんだ言っても、とにかく稼がなくちゃいかんからな」
 私をじっと見る。私は、うん、とうなずいて笑った。
         

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