三十七

 ホテルの玄関に水原監督が立っていた。お辞儀をする。
「金太郎さんとお茶でも飲みたくなってね。ちょうど出かける姿が見えたから、しばらく眺めてた。きみの背中はやさしいねえ! ああやって人に寄り添ってきたんだね。目が熱くなった」
 ラウンジのボンジュールというラウンジ喫茶のテーブルに向き合って座る。
「監督はお出かけにならなかったんですか」
「高松の実家といっても、もう親戚しかいないんだよ。家族は東京にいる。―金太郎さんとむかし話がしたくてね」
「偶然きょう、太田と監督の破天荒な人生の話をしてました。太田は監督のことを正義漢で、一本気で、思いやりの深い人だと言ってました」
「それはどうかな。冷酷な人間かもしれないよ。おととし引退した土橋は、私のことを血も涙もない人間だと言ってた。私は、選手時代はパッとしなかった男でね。巨人の監督時代に、十一年で八回リーグ優勝させ、そのうち四回日本一にしたもんだから、名が売れちゃった」
「東映も、尾崎のころに一度日本一になりましたね」
「ああ、怪童尾崎くん……。金太郎さんのような大天才だった。ボールがうなりをあげて飛んでくるんだ。昭和三十七、三十九、四十、四十一年と二十勝を挙げて……肩がボロボロになってしまった。私のせいだ。きみは尾崎くんと対戦したいらしいが、無理だ。彼のボールはもう走らないから、登板させてもらえるかもわからない。……金太郎さんは不遇な子供時代を送ってきたようだね」
「いまとなっては、不遇だったかどうかどうもよくわからないんです。記憶の底をしつこく流れてるんでしょうけど、そのしつこい記憶のおかげで、いつも静かな気持ちでいられますから……。不遇というよりも、きっとすばらしい経験だったんだと思います」
 水原はうなずき、コーヒーを一口すすった。
「とんとん拍子に人生が進まないと、希望があきらめに中和されて静かな人間になる。私も生まれて百日も経たないうちに両親が離婚してね、金太郎さんとは逆で、父親についていったんだ。父は水原というクリーニング屋の入り婿になったから、私も水原姓を名乗った。義母に馴染めなくて、つらい毎日を送ったよ。そんなころに野球を覚えた。野球をやってなかったら不良になってたな」
「ぼくは野球をやってたのに、不良になりました」
「……きみは義俠の人だよ。ぼくの言う不良とは何も為さない無気力の人間のことだ。そのころのことは村迫くんから聞いてよく知ってる。きみを不良と呼んだ人たちの気が知れない。……私は静かな気持ちで、自分には野球しかないと信じて、高松商業に進学し、二度も甲子園の優勝を経験した。大して複雑な人生事情も持たない人間が野球に打ちこんだ結果だ。ふつうの野球人のたどるコースだよ。金太郎さんは、そういう同輩が野球の名門校で何の妨害もなく青春を謳歌してたのと同じ時期に、北の果ての受験校で悩みに悩んで暮らしながら、めきめきと野球の頭角を現しはじめたんだね。そこできみは他の人間と一線を画した。まねのできない人間に仕上がった」
 私は素直にうなずき、
「人間同士の軋轢のない野球人生にあこがれながら野球をやってました。ついこのあいだのことですが、いまとなってはなつかしいです。監督は高松商業からどうして慶應にいったんですか」
 水原監督はコーヒーを飲み干して、もう一度二人分注文し、
「ライバルの高松中学に負けまいとして、高商に慶応からコーチを招いてね、その人の引きで慶應にいった。慶應ではピッチャーと三塁をやった。そのころ起きたのが、例のリンゴ事件だ。早稲田のスタンドから投げこまれたリンゴを何ということもなく、ひょいとスタンドへ投げ返したんだよ。その試合が早稲田の逆転負けになったもんだから、頭にきた早稲田の応援団がグランドになだれこんで大騒ぎになった。それがマスコミに煽られてバカでかい問題になっちゃってね、早稲田は一シーズン出場できなくなった」
「どうしてスタンドからリンゴなんか投げこまれたんですか」
 水原監督は清潔な前歯を見せて笑いながら、
「その試合は八回まで八対七のシーソーゲームでね。リンゴにかぎらず、試合のあいだじゅうひっきりなしに物が投げこまれてたんだ。ストライク、ボールの判定が覆ったり、アウト、セーフの判定が覆ったりで、おかしな試合だった。八回裏に、岡という慶應の選手が二盗してセーフのコールが出たとたんに、早稲田の高須というやつの抗議でアウトにひっくり返った。私は猛然と塁審に詰め寄って抗議した。判定はひっくり返らなかったけど、その態度が憎かったんだろう、私が九回の守備につくと、早稲田の応援席からゴミに混じってリンゴの芯が飛んできた。私はそれをグローブで捕ってバックトスで投げ返した。試合は九回裏に慶應が二点入れて、八対九対で早稲田の敗北に終わった。で、頭にきた早稲田応援団が、慶應ベンチや応援席になだれこんで大乱闘になったというわけだ。警官隊まで出動する始末だったよ。私の謹慎か早稲田チームの謹慎かでもめたが、結局、早稲田の野球部長が辞任することで落着した」
「それで退部させられることに?」
「いや、その翌月に麻雀賭博で検挙されたからだよ、ハハハハ」
 愉快そうに笑うと、新しいコーヒーに口をつけた。もっとむかし話を聞きたくなった。
「よく言われる巌流島の対決って何ですか」
「私の二つ年下に、高松中学から早稲田に進んだ三原くんがいてね、四国では私にノーヒット・ノーランを喰らっていたんだが、神宮では彼がホームスチールを喰らわせた。どっちが武蔵か小次郎かわからないが、百七十センチ程度のチビ同士がその歴史上の人物にたとえられてね、山口県の巌流島を香川県に持ってきて、巌流島の対決とやったわけだ。彼は私より二年早くプロにいって、私より三年早く巨人軍の監督になった。そのころ私は巨人軍の選手だった。彼は私を使おうとしなかった。大した選手じゃないから仕方がないことだったが、内心忸怩たるものがあったよ。昭和二十四年にシベリア抑留から帰国したあとも使ってくれなかった。しかしチームメイトたちが、巨人軍の功労者である水原をなぜ使わないと反発してね、三原排斥運動を起こして私を監督に押し上げたわけだ。その後三原くんは西鉄の監督になった。私と三十一年の日本シリーズで対決し、これまたマスコミが巌流島の決闘と書きたてた。その年も、長嶋の入団した三十三年も三原くんにやられた。彼はよく言えば頭が切れる、悪く言えばサカシラな男だ。三十三年はまず巨人が三連勝して王手をかけた。第四戦の前夜にパラパラ雨が降ったのを幸い、三原くんは中止を申し入れた。これがなぜか通っちゃったんだな。私はしつこく抗議したんだがだめだった。巨人の球団代表が同意したんだからしょうがない。三原くんは、第一戦と第三戦で負け投手になってる稲尾くんを休ませたかったんだよ。それからあの、神さま仏さま稲尾さまの四連投四連勝だ」
 私は小学三年生の秋、浅間下の福原さんの家の白黒テレビでほんの一瞬観た日本シリーズの映像を思い出した。むろんそんな経緯があったことなど知るよしもなかった。巨人の三連勝すら知らなかった。野球は私の生活の中心になかった。
「第四戦は豊田くんに二本ホームランを打たれて負けた」
 水原監督の記憶の糸の手繰り出しが楽しい。
「長嶋さんが二出川塁審に、ファールだファールだと抗議してたのは―」
「第五戦だね。九回表を終わって、巨人が三対二で一点リードしてた。代打で出てきた小渕くんが三塁線に打った打球だよ。二塁打になった。あれは長嶋くんが悪い。ベースをはるかに外れた打球に、動物みたいに飛びついちゃったもんだから、二出川さんが思わずフェアだって錯覚しちゃったんだよ。人間が捕れたんだからフェアだろうってね。長嶋くんは動物だよ。黙って放っておけば当然ファールと判断されただろうに、犬か猫みたいに飛びついちゃって。そのあと関口くんがタイムリーを打って同点になった。そして十回の裏に稲尾くんのサヨナラホームランだ。第六戦も三原くんの悪知恵にやられた。先発メンバー表は前日までに提出することになってる。それを当日になって三原くんが変更を要求してきた。突き指をした玉造くんの代わりに花井くんを入れると言うんだ。コミッショナーまで呼んで話し合いさ。私は、卑怯なまねをするな! と三原くんを怒鳴りつけたんだが、馬耳東風でね。結局また三原くんの申し出が通った。それで試合開始が四十分遅れて、先発の藤田くんはリズムを狂わしてしまった。一回表ツーアウトから豊田くんのショートゴロを広岡くんがエラーして、そこへ中西くんが一発パカーン。それを稲尾くんが守りきって三勝三敗」
 ピンセットでつまみ上げるように語る。恐ろしいほど細かな記憶だ。
「やっぱり、宮本武蔵は三原くんだよ。相手を刺激するような言動は武蔵のものだ。刺激される小次郎が馬鹿だね。彼のことはいつ思い出しても、あまりいい気持ちはしない」
「……第七戦も憶えてるんですか」
 おそるおそる訊いた。
「はっきりとね。うちは堀内庄くんが先発だった。初回ワンアウトから花井くんがフォアボールで出て、豊田くんがライト前ヒット、中西くんのライトオーバーのスリーラン。思い出すだけでため息が出るよ。……その稲尾くんも二、三年前から衰えが目立ってきて、たぶん今年で引退だろう。藤尾くんとエンディ宮本くんは五年前、広岡くんは三年前に引退したが、長島くん、王くんは最後の花を咲かせてるし、国松くんもがんばってる。金太郎さんにとってはなつかしい人びとだろうが、これからはライバルというより見送る人たちだ。なつかしがっていっしょに遊んでるわけにはいかないよ」
「はい。坂崎という五番打者はどうなりましたか。背番号19」
 碁打ちのような記憶力の持ち主の水原監督は、ふっと天井を見上げ、
「おととし引退した。19番をつけてたのは三十六年までだよ。三十九年まで8番、それから東映に移ってきて3番をつけてた。なんで金太郎さんは坂崎なんかを憶えてるのかなあ。パワーのあるバッターだったが、からだが硬くてね、速球が打てなかった。ホームランも三十四年の十五本が最高だ。その年の天覧試合で、長嶋くんと連続ホームランを打っている」
 さぶちゃんの笑顔を思い出した。彼はその話をしたとき、私に野球選手になれと言ったのだった。
「……野球のおかげでぼくも救われました。野球がなかったらどんな人生なっていたかと考えるとふるえます。いま自分がここでこうして偉大な監督と野球の話ができる時間の中にいることを、心から幸運だと感じています」
 水原監督はこういうところで、そうかね、などという鉄のシャッターのような言葉で会話を断ち切る人間ではなかった。
「私が金太郎さんから聞きたいのは、そういう謙虚で模範的な言葉じゃないんだ。騙されていい気になる人間も多いだろうけどね。きみはだれの目から見ても天才だ。野球という単品だけの天才じゃない。人間のふくらみがちがう。幸運に恵まれてるだけじゃ、そういうふくらみはできない。私は天才の心を知りたいんだ。金太郎さんの過去の闇の中に隠れている苦しみと悲しみについて、また、どうやって野球への情熱を継続してきたかについて、個人的な思い出を聞きたいんだ」
「―ぼくを愛してくれる人たちを見出したことが救いでした。いまもそうです」
「だろうね。聞きたいのはそういう話なんだよ。初めて遇ったときから、金太郎さんは私にとって愛しい人間だった。どんな願いも聞き届けてやりたいし、どんな苦境も庇ってやりたいと思ったんだよ」
「彼らを父親や母親の代用品にして救済されているわけではありません」
「きょうの背中を見ればわかるよ。愛情があふれていた。同伴者を護る背中だった。並んで歩いている人も、金太郎さんに迷惑をかけまいとする必死の背中だった。……金太郎さんがどんな厄介な人間関係に苦しむことになろうとも、私は守り抜くよ。たとえ私の名誉が危殆に瀕したとしてもね。金太郎さんが悲壮な気持ちで葬り去った過去に、私は涙を禁じえない。過去が鎧になって全身を武装しているんだ。顔にも、背中にも、雰囲気にも秘密の鎧が貼りついてる。難攻不落の強さでね。しかしその鎧は、愛情という内実を雄弁に語って、水際立った輝きを発している。金太郎さんのその鎧をすべてとまではいかなくても、一ひら一ひら剥いで、愛情の秘密の一部にでも触れてみたい。ときどき触らせてもらいたいんだよ。……金太郎さんが抱えている過去はまだまだある。金太郎さんを庇いながら入団式の会場に連れてきて、そしてひそかに連れ帰った男性、名古屋できみを保護している人たち―いますぐ語らなくていいんだ。楽しみがなくなるからね。私はその人たちを認める。その人たちの仲間でありたいと思っている」
「もったいないです」
「もったいないことなどない。きみは、ズンベラボウの人間たちの中で輝くダイヤだ。ダイヤはだれだって大切にしたい。私は金太郎さんを護る彼らの仲間になりたいんだよ。わかってくれるかね」
「はい。ありがとうございます」
「何か面倒なことでも起きたら、この私が世の中に対して多少の力を持っているということを、その力を自分の好む人間のために喜んで使うつもりでいるということを、そして私がきみを愛しているということを忘れずにいてほしい。―機会があったら、名古屋のその保護者たちの家に遊びにいっていいかね」
「ぜひ! その人たちにも会ってもらいたいし、女性たちにも会ってもらいたいです」
「わかった、約束しよう。私は五十九歳だ。何ほどもない余生をむだにすごしたくない。人間の宝である天才の人生にくみして生きたい」
 水原監督の部屋の前まで送っていき、静かな、やさしい笑顔に深く頭を下げた。


         三十八

 四日は午後から強い雨になって、後半の練習中止。五日、六日とやはり午後から雪が降って、昼めし後の練習が中止になった。その六日に、
「小山オーナーの視察です」
 朝食後、ドアを叩いた榊がそう言った。思わず太田が直立した。
「ミズノの久保田さんもお見えになってます。オーナーがお誘いしたようです。喜春ホールへいらしてください。それから、東大の鈴下監督以下、神無月さんのもとチームメイトのかたがたが夕方いらっしゃると連絡がありました。一泊して、神無月さんの練習の様子を見てから帰るそうです」
「そうですか! じゃ、夕食は彼らといっしょにとります」
「わかりました。あしたは練習があるんで今夜は飲めませんね。五、六人で見えられるそうですから、レストランのほう、予約しときましょうか」
「酒は弱いこと知ってますから飲まされません。七時から日本料理店の予約をお願いします。たしかありましたよね」
「はい、うずしおという店があります。予約しときます。じゃ、ホールのほうへすぐきてください」
 榊はほかの階の選手たちへ告げるために去っていった。ユーモリストで舌鋒するどい小山球団オーナーの渋面を思い出した。
「太田、球団オーナーを憶えてるか」
「はい、しっかりと。打撃に専念しろと言われました」
「ジャージはまずいな」
「でしょう」
 ブレザーに着替えてホールへいく。一軍選手たちと報道陣が勢揃いしていた。みんな背広を着ている。水原監督や村迫代表といっしょに演壇下のテーブルにいた小山オーナーが私に手を振り、久保田さんは最敬礼で迎えた。ストロボが花火のように焚かれる。少し遅れて別のホテルから二軍選手たちもこぞってやってきた。進行係はいなかった。気楽な会合のようだ。空いている丸テーブルに適当に座る。小山オーナーは立ち上がり、咳払いを一つすると、
「すこぶる順調だったキャンプが雨と雪に祟られ数日頓挫していると聞き、居ても立ってもおられず、のこのこやってきました。堅苦しい話はしない。貶す材料がないので、褒めるだけ。明石市長より電話で感謝の言葉をいただきました。二月一日より観光客が続々参集し、市の経済が大いに潤っているそうだ。昭和二十四年から三十四年の巨人軍キャンプのときでさえ、ここまでの金は落ちなかったと、まあ、下世話な話もしていた。天馬効果であることは明らかだが、彼に引っ張られてチーム全員に覇気が満ちたせいでもあると私は思う。覇気ある人びとの進軍は多少紳士的でなくなる。下品とまでは言わないが、律儀にセオリーを守る戦いぶりではなくなる。しかし上品になりすぎると、どっかの球団みたいに冷やっこくなって、人間らしい生気がなくなる。品なぞなくなってもいい。紳士たる前に勝負師であれ。金太郎さんは、こと野球に関しては情け容赦のない冷やっこさを持っている。彼を見習って、あんまり上品にならないようくれぐれも自重するように」
 会場がドッと沸く。
「温かく、生気にあふれたまま、強くなってほしいんだよ。今年が前代未聞の転機だと思っている。強くなって、一気に突っ走ってくれ。テーブルの隅にちょこんと座ってる〈あんちゃん〉はミズノの久保田さん。知る人ぞ知るバット作りの名人だ。彼にバットを作ってもらいたい人は、自分の足で岐阜の養老工場まで出向いて相談するように。値の張るバットなので、球団は支援しない。神無月くんの使ってるバットは久保田さんが製作したものだが、神無月くんはきちんと実費で払ったぞ」
 また爆笑。
「めしはどうだ。最高のものを食わせるようホテル側には言ってある。うまいものをたっぷり食って、練習でしっかり疲れてくれ。素人が心配する疲れというやつは、プロのからだのためにはいいんだ。そのための食い物だ。まじめに食うように。じゃ私はいろいろ回るところがあるので、これで失敬」
 首脳たちと演壇を降りて去っていった。私は久保田に近づき、頭を下げた。
「すばらしいバットを作っていただき、ありがとうございました」
 私についてきた太田が、
「私、神無月さんから一本プレゼントされました。言うことなしの使い心地です。練習でパカスカ打ってます。今度しっかり寸法を取ってもらうために岐阜にいきます」
「どうぞ、どうぞ、いつでもいらしてください。太田さんの手に合ったものをしっかり作りますよ。神無月さん、キャンプ初日は、私のバットですばらしいパフォーマンスをしてくださったようですね。ありがとうございます」
「はい、ぼくもパカスカ打ちました」
 選手たちが久保田に寄ってきた。熱心に質問し、メモをとっている。
「じゃ、久保田さん、今後もどうかよろしくお願いします」
「もちろん。来年度分は、秋ごろから作製にかかります。活躍をお祈りしております」
         †
 七日金曜日、曇。午後二時、この二日間の振替え練習から早めに戻ると、新庄百江から電話が入った。
「希望どおりになりました! トモヨ奥さまが抱き締めてくれました」
「そう、よかったね。二十二日の土曜日が打ち上げだから、最終週は二十二日に泊まるようにすればいい。二十三日にいっしょに帰ろう」
「はい。ほんとにありがとうございました」
 電話を切った。遅れて戻ってきた太田に、
「おまえ、どこに住んでるの」
「西区の堀越です。昇竜館」
「堀越と言われてもわからないな」
「稲葉地の東です」
「稲葉地? 飛島寮のそばだ」
「飛島寮と言われてもわかりません」
 たがいに笑い合う。
「とにかく、最終日いっしょに帰ろう」
「はい、うれしいです。門限は十一時です」
「門限まで、北村席に寄っていけ」
「はい」
 ベッドに備えつけてあるラジオを点けて、簡易テーブルに向かう。いのちの記録を開ける。すぐに書き出す。

 どんなに体裁をつけようとも、倦怠は自己愛にすぎない。このごろ、すみやかに自己愛を消し去ることができるようになった。ただ、消し去るためには常に、人と人の言葉に酔っている必要がある。

 ラジオから流れ出ている曲が耳に留まり、手が止まる。
「いい曲だ。ヴィッキーだな。ホワイトハウスって歌ってる。たぶん白い家という題名だろう。あした買いにいこう。いや、名古屋でゆっくり買おう」
「……そう言われてみると、いい曲ですね。よく、これだと見つけられますね」
「別に見つけようとしなくても、耳が待ち構えてるからね」
「神無月さんはしょっちゅう自分の人生はマグレだと言いますけど、一つでもそんなことがあったんですか」
「一つどころじゃない。ぼくの人生はぜんぶマグレだ。マグレをいくつ足しても、トータルで完璧なマグレ。でも、人生の醍醐味はやっぱり、そのマグレという一事にかかっているんじゃないかな。一瞬の花火」
「花火って、マグレですか」
「大輪にならない反応はマグレじゃない。平凡なものだ。連鎖しなかったり、いびつな爆発に終わったりね。ただ、化学反応の奇跡的な連鎖があんなきらめく大輪になるのは異常だと思わないか。二度と同じ形の花輪はないわけだから正常ではない。人間のからだも科学的な反応物でできてる以上、火を点けられれば何らかの反応をするのはあたりまえのことだ。でも、異常な爆発になるのはマグレだね」
「そういうふうに気持ちの決着をつけてれば、ぜったい威張りたくならないですね。俺も何でもかんでもマグレに思えてきたなあ。人間のちがいなんて、マグレを威張るか威張らないかのちがいで―」
「奇跡的な爆発なんかでマグレを起こす必要のない人たちがいる。マグレなんか要らない人たちだ。独自の思考の経路を築いて、精神的な何ごとかを成し遂げた人たちだ。彼らは威張りもしなければ嘆きもしない」
「学者ですか?」
「学者がただ学問をするだけのままなら、先達の知識を継承してるにすぎないので独自じゃない。彼らの発見には知識の連鎖のマグレが必要になる。その花火は、あとにつづく好事家を楽しませたり、社会に貢献したりする。マグレの必要のない人たち―芸術家だよ。ただし独自の思考ができるホンモノのね。ホンモノの芸術家こそ、マグレでなく人生を堪能して消費する人たちだ。彼らは学術的な発見をして好事家を喜ばせたり、社会貢献をしたりするために生きているのじゃない。目撃者のいない自己燃焼のために生きてる。ぼくは目撃者を必要とするマグレ組だ」
「精神的な何ごとかって?」
「思考をつかさどってる得体の知れないものが精神だ。感情、気分、知性、ひらめき。そういうものを駆使して人間の正体を探ろうとする人たち。人間に正体なんかあるはずがない。それを必死で探ろうとするのは不毛な活動だ。それに命を捧げる人たちが真の芸術家だと思う。ぼくが疑問に思うのは、芸術家に後天的な知識が必要かどうかということなんだ。いまどきの本を読むと、もろもろの学術、流行、風俗といった、どうでもいい知識と娯楽のことばかり書いてある。人間の感情や気分のことはほとんど書いてない。まるで、ものを知らない、流行に疎い人間をこの世から爪弾きしたいみたいだ。知識や娯楽で人間は探求できないし、救済もできないのにね。そんなものではなく、心の充足で人は救われると思わないか? 芸術家の感情や気分や知性やひらめきを追体験してね。ぼくはときどき思うんだ。いつかぼくのようなマグレまみれの人間でも人の役に立つことがあるんだろうか、人の心に充足を与えることができるんだろうか、もしそうならうれしいって」
 太田はため息をつき、
「神無月さんが生まれたことが最高のマグレです。そのマグレに満足しない人間はいません」
「ありがとう、そんなふうに言ってくれて。ぼく自身の最高のマグレは、野球に才能があったことだ。その中でも、たくさんホームランを打てる能力があったことだ。だから、なんとか〈美しい〉ホームランを見てもらって、人びとに心から満足してもらいたいと思ってる」
「勝ち負けは?」
「試合は勝っても負けてもいい。しかしそれじゃチームのためにならないだろう? だから、契約金も給料もどうでもいいと言ったんだ。自分も観る人も楽しめる野球をさせてもらえるだけでじゅうぶんなんだから。でも、ホームランをたくさん打てば、チームのためになるチャンスも増える。勝つことが多くなると思う。それはぼくの関心事じゃないけどね」
「個人タイトルはどうします?」
「業績だね。マグレの結果だ。その結果に満足してくれる人が一人でもいるかぎり、いただいておこうと思う。ぜひともほしいという気持ちはない。尋かれれば獲りたいと答えるけど、それは社交辞令だ。どう突き詰めたところで、所詮、自己満足だからね。ぼくの自己満足が感染して自分も満足するような人たちは、ぼくを愛してくれる人たちだ。たとえば太田、ぼくがホームラン王を獲ればうれしいだろう」
「はい」
「そういう人はぼくの業績を心から喜んでくれるだろうけど、それ以外の記録好きの人たちは、ひたすら感嘆して尊敬心を湧かせるだけだ。尊敬なら別にされなくていい。窮屈な気持ちになる。それが気詰まりでないのは権力者だけだ」
 太田は顔を真っ赤にして、
「俺、ぜったい神無月さんといっしょに野球をやりつづけますよ。野球をするときだけでも、そばを離れませんよ。俺、ギラギラしたくないんです。神無月さんみたいに飄々としていたいんです」
「そう、じゃ、自分の仕事を通して人を喜ばせる探求をすればいい。終わりがないから疲れるぞ。疲れるとボンヤリする。それが飄々の正体だ。ちょっと散歩してくる。太田はきょうも特打だろ」
「はい。三時から五時。水谷則博に投げてもらいます」




         三十九

 出かけぎわにフロントで呼び止められ、吉祥寺から転送されてきた茶封筒を渡された。中身を開けると、ヒデさんの葉書とミヨちゃんからの封書だった。ラウンジの空いたソファに座り、ヒデさんの葉書から読んだ。

 キャンプ地でのご活躍、毎日東奥日報で報道されています。毎回、一行、神無月さんの詩が添えてあります。胸をえぐるような一行です。
 目がくらむほどの順調さは、郷さんならではのことです。これまでの不運の反動にちがいないと感じて涙が流れました。
 あと一年と少し。早く会いたくてたまりません。勉強怠らずやっています。ご安心ください。愛する郷さんへ。秀子


 ミヨちゃんからの手紙は、活字のように整った文字だった。

 毎日神無月さんのすばらしいホームランの記事が新聞にあふれています。そして写真の下にかならずダイヤのような一行詩が書きこまれています。
 散歩する神無月さんに群がる地元の人たちの大騒ぎも書いてありました。見知らぬ人たちの声援を重荷に感じてしまう神無月さんのことですから、しばらくはサービスにこれ努めながらつらい思いをなさったでしょうが、結局人びとの好意に感謝して微笑んだ顔が想像できます。
 わたくしごとですが、おじさんが、自分から言いだして、浅虫の養護施設に入りました。傷痍軍人として公費で老後を面倒見てもらえるよう本人が申請して、それが通ったのです。何年ものあいだ、昼間ひとりで留守番をするのは、きっとつらかったにちがいありません。それ以上に、わが家に経済的な負担をかけるのが心苦しかったのでしょう。おじさんらしい決断です。月に一回、家族で見舞いにいっています。ときどき、おじさんは神無月さんのことをなつかしそうに口に出します。
「鈴みてに、やさしくて澄んだ声してらったな」
 そういう話をされると、私もサッと肌が粟立ち、涙が湧いてきます。
 おじさんを誘って、浅虫の温泉に一泊してきました。私はおじさんと相部屋にしてもらい、おかあさんたちとは別部屋にしました。
 もう四年も葛西家に下宿人を置いていません。おじさんばかりでなく、おとうさんやおかあさんにとっても、神無月さんのインパクトがどれほど強かったかわかります。容姿、雰囲気、しゃべる内容、すべてがすばらしいものでした。また涙が湧いてきます。
 来月、青森高校を受験します。三年後には神無月さんのおそばで暮らします。一生離れません。愛されるためではなく、神無月さんのおそばで暮らすためです。
 神無月さんの悲しみのにおいに気づいているのは、たぶん私だけではないでしょうけど、そのにおいを心から愛しているのは私だけだと思います。淵のように深い眼差し。静かな、固まった、もう習慣となった物思いが、神無月さんの眼差しの中身です。それこそ神無月さんを愛する私の好きなものです。私はその眼差しが大好きで、神無月さんを追いかけつづけました。
 こんな理由、神無月さんを私のように愛する人たち以外のだれに話してもわかりっこないので、もちろんだれにも話しません。神無月さんに対する好みも、神無月さんを思う心も、私だけのものです。自分で管理して、自分で大事に育てていこうと思っています。
 またしばらくお便りしません。ご返事不用です。お元気で。さようなら。
 愛する神無月郷さまへ            美代子


 何の目立った建造物もない寂しい町並を歩く。粉雪のようなものが落ちてくる。からだを濡らすほどではない。これなら午後の練習をもっと長くやってもよかったかなかと思うが、連日零下に近い温度なので、やっぱり無理をしなくて正解だったとも思う。
 薄っすらと湿った街路を、ときおり車が通る。明石公園に入り、池の傍らのベンチの水気を手で払って横たわる。静かな水面が目の前にある。淡い水色の空が低い。まれに傘を差した散歩者が通る。買い物籠下げた老婆がチョコチョコ歩いていく。離れたベンチでぼうっと池を見入っている若者もいる。別の肉体と別の人生があるのを不思議に感じる。節子と別れて神宮の鳥居を出たときも、道ゆく人を眺めながらそう感じた。
 ふと、粉雪の舞う空を背景に自分の爪を見る。きれいに切ってある。定期的にこういうことをやる気持ちとはどういうものだろう。あの老婆もこの若者も、まちがいなく同じことをする。それでも肉体はちがい、思いもちがい、人生がちがう。その齟齬を慈しんで愛し合うことが、ちがう人生の落合だろう。個人の肉体や才能を誇り、鍛えることなど、落ち合う作業を怠れば簡単にできる。
 私は水原監督に単に気に入られているのではなく、人間性を含めて愛されている。感謝することはもちろん、才能を発揮する形で返礼しなければならないと思う。感謝と返礼に費やす人生のなんと有意義なこと! からだじゅうに活力がみなぎる。
「お! 神無月じゃないか」
 一軍ピッチャーの伊藤久敏と二軍ピッチャーの井手峻だった。傘を差している。私は立ち上がり、頭を下げた。伊藤が、
「そんなところに寝てて、風邪ひくぞ。なんだ、背中濡れてるじゃないか」
 井手が爬虫類でも見るように私に視線を当てる。
「井手と俺は、おととしの同期なんだ。俺はドラ二、井手はドラ三。ドラ一はだれだったっけ」
「大場でしたね」
「ああ、大場隆広か。一軍で投げたことあったか?」
「初年度に三イニング投げて三点取られた。それっきりだね。万年二軍」
 井手は他人のアラを克明に憶えている。いやなやつだ。伊藤が傘を閉じた。井手は閉じない。伊藤が、
「神無月くんのおかげで、今年は正夢を見られそうだ。なんせ、宇宙的に弱い東大を優勝させた男だからな」
「六大学には目立ったピッチャーがいないからね。プロのピッチャーは、何と言っても全国区だから」
 井出の口調が尖る。丸顔でドングリまなこの伊藤が口をゆがめて、
「それも打っちまったじゃないか。神無月くんに皮肉を言うと、板東さんみたいにえらい目を見るぞ。神無月くんには全国区も地方区もないよ」
「まだオープン戦も始まってない。大きなことは言えんさ」
「そのとおりだと思います。心します」
 伊藤久敏が、
「……神無月くんの謙虚さに助けられたな。ま、せいぜい井手も東大の先輩に追いつくようにがんばるんだな。新治(にいはり)さんは九勝挙げたぞ。東都リーグで十四勝挙げた俺でさえ、プロにきたら、虎の子の一勝だ」
 新治。大洋で四年投げて去年退団したサラリーマンピッチャー。眼鏡をかけた学者肌の風貌を思い出す。井出が、
「新治さんはラッキーだったんだろう。しばらく腰掛けるつもりのプロで九勝もできて。今年から大洋漁業のサラリーマンに復帰した。いずれ重役になる」
「おまえだっていずれドラゴンズのフロントに入るんだろう? 腰掛けじゃないか」
 私は井出に、
「何しにプロにきたんですか。野球じゃなく、サラリーマンとしての出世ですか」
 伊藤があわてて、
「おいおい、いくら天馬の神無月くんでも、先輩に対して失礼はよくないよ」
「腹蔵なく申し上げることで、これからのお付き合いはスムーズにいくと思います。井手さんの遠投力はどのくらいですか」
 井手はそっぽを向いて黙っている。
「プロとしてはきっと弱いほうなんでしょう。今後野球をやるからには、セカンドへのコンバートの方向で努力なさるべきです」
「モリミチさんがいるぜ。俺はどうだ?」
「左の速球派は重宝されます。いずれ十勝以上挙げられるようになるでしょう。怖いのは肩や肘の故障です。一巻の終わりです。練習が怖い。ぼくは練習のバックホームで左肘をやられました。中一のときです」
「……それから右投げに変えたんだったね。大したものだ」
「尾崎行雄も左投げを右投げに変えたんです。それなのに、投げすぎで、たった一つの財産を失ってしまった。水原監督が自分のせいだって後悔してました。伊藤さんも練習で投げすぎないように気をつけてください」
 彼も掌で水を払って腰を下ろした。
「プロの練習ってのは、そうはいかないんだよ」
「プロで長生きしたいなら、何だって直訴できます。ぼくは、練習のバックホームは三本までって田宮コーチに断ってます。ピッチャーは、試合で絶えずバックホームしてるようなものです。東邦高校から三年前に入団した北角富士雄さんは、肩を壊して来季絶望だと聞きました。たった三年で」
 傘を差して立っている井手が、
「新人のときに六勝もあげたやつだったのにな。俺は、肩は弱くはない。ふつうだ。ただ腕にシナリがないんで速球が投げられない。九割がカーブだ。もう肘にきてる。じつは本多さんから、外野をやらないかって言われて、いま外野の練習をやってるんだよ。もう少しプロにいたいからね」
「そうですか。がんばってください。いっしょにプレイしましょう」
「そう願いたいね」
「しかし、肘をやられたら、ピッチャーはもちろんですが、外野もできないんじゃないですか。ぼくはそうでした」
「肩は致命傷になるが、肘は自然治癒することが多い。投げはじめは痛みがあっても、投げているうちに慣れてしまうという治り方だ。国鉄の金田さんなんかもそうだ。きみの肘は別種のものだったんだろう」
「神経にカルシウムが沈積するという病気でした。いまでも肘の痛みをトコトン確認してみたい気になることがありますが、怖くてできません。左手の腕立ては十回ぐらいで止めてます。その程度なら痛みません。おっしゃるとおり自然治癒したんでしょう。二十回やる勇気はありません。……一度だけやったことがありますけど」
 伊藤が、
「片手腕立て? ……超人だね」
 彼らと公園を出て、ホテルに戻る。ロビーにいた菱川が私たち三人に気づき、
「おーい、神無月さん! コーヒー飲むなら、仲間に入れてよ」
 ラウンジでコーヒーを飲む。井手たちの三年先輩の菱川が、
「今年巨人からトレードできた江藤さんの弟、使われるのかなあ。使われるとしても代打だよな」
 井手が、
「代打だろうと何だろうと、使いたいからトレードで獲ったんですよ。四試合に一回ぐらいは出ると思いますよ」
 伊藤が、
「水原さんの引きもあったんじゃないすか。慶應だから。省三さんは二塁手でしょ。巨人じゃ土井さんの控えで出番がなかったし、うちでもモリミチさんの控えになるわけだ。代打ですね」
 菱川は、
「だれがきても、とにかく太田と島谷がライバルだよ」
 井手が、
「菱川さんはどうなんですか」
「俺はまだまだ人からライバル視されるほどじゃない。勉強中」
「六年目でしょう。そろそろ焦ったほうがいいんじゃないですか」
「勉強中と言ったろ。神無月さんをな」 
 ライオン顔の江藤慎一が、バッグを提げて玄関ドアから入ってきた。私たちの席に加わると天真爛漫な笑顔で、
「三十二歳、脂が乗っとるばい!」
 ふだんとちがって底抜けに明るい。酒もかなり入っている。
「大阪までいって、トルコばハシゴしてきた」
 松尾と同じだ。九州人はトルコのはしごが男の証なのだろう。井手が、
「またですか。相変わらず豪傑だな」
「おう、英雄、色を好む。そういえば金太郎さん、入団式で森徹にあこがれとったいう話ばしたそうやな」
「はい、彼のホームランボールをキャッチして以来、生粋のドラゴンズファンだと言いました」
「それば聞いて、胸が痛んだばい。森さんは濃人に追い出されたんぞ。森さんは早稲田時代に立教の長嶋や杉浦と並んで神宮を沸かせた人気者やったし、三十四年には三十一本打って、ホームラン王と打点王になった人ばい。それこそ昇り竜の三十六年に、濃人が監督でやってきて、とことん彼を嫌ったさ。ときどきおるったい、生意気でもない大選手ば生意気だちゅうていじめるやつがな。現役のころに小物だったやつに多か。濃人はワシの恩人でもあるけん、あまり悪くは言いたくなかけんが、あれは目に余った。で、森さんは翌年大洋に出された。大洋ではしばらく桑田武といっしょに主力打者で活躍したばってんが、何年もせんうちに故障してしもうた。結局オリオンズに出されて、そこでもけっこうホームラン打っとったばってん、また濃人がオリオンズに監督でやってきて、森さんをホシてしもうた。ついとらんばい」


         四十 

 私はムカムカしてきて、
「その悪人は、どうなりました? ただですんだんですか」
「ただではすまん。ロッテにいく前の三十八年に総スカンば喰ろうて、中日をクビになった。ワシなんか濃人が監督しとった日鉄二瀬からの子飼いやけんな、へいへい従うしかなかったとたい。中日に引っ張ってくれたのはありがたかったばってん、その代わりに生え抜きの森さんば追い出すちゅうのはキチガイ沙汰ばい。……ワシは別の意味で水原さんとうまくいっとらんばってんが」
 伊藤や井出がうつむいた。私や太田が説明を求める眼を向けると、江藤は、
「水原さんは悪人でなか。潔癖で短気な熱血漢たい。ワシは自動車整備工場の社長もやっとうばってんが、この会社が自転車操業でうまくいっとらん。借金取りが球団本部にやってきたりしてな、それが監督の逆鱗に触れたとたい。結局、来年はロッテの濃人に引き取られるかもしれんな。皮肉な話ばい」
「江藤さんが野球に情熱を注いでるかぎり、そんなくだらないことで水原監督が江藤さんを手離すことはあり得ませんね。ドラゴンズの屋台骨ですから。王の三冠王を止めたプライドを持ってください。ぼくの直観ですが、水原監督は江藤さんのことを人間的に高く買ってますよ。監督の江藤さんを見る視線でわかります。つまりお二人はうまくいってますよ。彼は大きい人です。ただ……江藤さんに商売は似合いません。せいぜい監督が違和感を覚えるなら、それだけでしょう。すみません、きのうきょうの新米がえらそうなことを言って」
「いや、よう言ってくれた。ありがとう、金太郎さん。今年はガッシリ協力体制でいこうじぇ」
「はい! しかし、そんなやつがまだプロ球界にいるなんて、なんとやら世にはびこるだな」
 菱川が首を振りながら、
「金太郎さんは怒るとたいへんなことになるって本多コーチが言ってた。雰囲気でわかるんだそうだ。なるほどね。でも喧嘩はしないでよ。この世界では喧嘩が命取りだから」
「どの世界でもそうです。島流しを喰らいます。島流しの時間はもったいないので、野球がいやになるまでは喧嘩はしません」
 伊藤が井手に、
「何だか次元のちがう話だな」
 江藤が、
「雑魚に大魚は理解できんたい。せいぜい、足を引っ張らんようにせんばな。じゃ、ワシはいくわ。やあ、腰が疲れた」
 江藤は伊藤と井出をギョロリと睨みつけると、廊下をひょいひょい早足でいってしまった。菱川が、
「すごい人だなあ。……あのバッグの中身は何だろうな」
「コンドームじゃないですか」
 井手が笑えない冗談を言う。伊藤が、
「あんなこと言ってたけど、どこかで汗を流してきたんだと思いますよ。ノートに向かって、一日じゅう各チームのエースピッチャーの球種やコースの研究をしている姿を見たことがあります。去年のキャンプで旅館が同室だったんだけど、とにかく研究熱心でしてね、練習が終わると道草食わずに真っすぐ部屋に戻って、その日の練習で気づいたことを何でもノートに書くんです。軽く一時間二時間は机に向かってましたね」
 井手は、さあいくか、と伊藤を誘って立ち上がり、これまた廊下のほうへいってしまった。私は菱川に、
「太田、がんばってますよ。いまも第二球場で特打です」
「知ってる。島谷と一試合交代で、オープン戦から出られることになったみたいだな。あしたから一軍の練習に参加するらしいぞ」
「そうですか。あさっての紅白戦をいっしょにやれますね。菱川さんは?」
「勉強中」
 さっさとエレベーターへいってしまった。フロントで手紙を渡される。トシさんからだった。部屋に戻って手紙を読んだ。

 なつかしいキョウちゃん。お元気ですか。ケガや病気をしておりませんか。私はとても元気です。福田さんもしごく元気です。
 法子さんもがんばって仕事をしています。一週間に一度は、御殿山に遊びにきてくれます。性根の据わった、やさしいお嬢さんです。和子さんとは、二、三日にいっぺんはおたがいに連絡を取り、近況を報告し合っています。高円寺のみなさんはラストスパートだそうです。
 山口さんは練習の鬼です。ときどき福田さんや私が様子を見にいって、お食事などを作ってあげますが、構わないでくださいと言われます。
 離れてみて、キョウちゃんという人がつくづくわかるようになりました。どういう道を選んでも、キョウちゃんはその名前を輝かせる人でした。それは、これまでの大きな不幸の中から、ほんの少し幸福だったころよりもずっと輝かしい姿でよみがえったからです。このまま輝いていてくださいね。
 実際キョウちゃんという人は、輝きだけの人ではないのです。たとえその幸福が途切れ、輝きが消えたとしても私たちを奮い立たせる人なのです。和子さんはいつも、キョウちゃんが生きていてさえくれれば私も生きられると言っています。キョウちゃんはそういう人なのです。命の泉なのです。
 いまの私には、私が生きているあいだだけでもキョウちゃんが生きているという希望しかありません。せめてその希望だけは持たせてくださいね。もう私には何ほどの寿命もなく、ほんの少し向こうにお墓しか待っていないんですから。
 毎日、新聞とテレビに目を凝らしています。明石での初日の華々しいご活躍の様子が伝わってきています。ますますのご活躍をお祈りしています。
 くどくどしいですが、ほんとにケガと病気に気をつけてください。東京の試合に遠征してこられるのを心待ちにしています。キョウちゃんに逢えると思うだけで、からだじゅうが生きいきします。うれしいことです。
 最愛のキョウちゃんへ                     トシかしこみ


 特打から戻った太田がグローブとスパイクにグリースを塗りはじめた。だいぶ年季の入った代物だ。グローブというものは手入れして大事に扱えば何年でも使える。新しいのより使い古したものほど手にシックリくるし、使い古して愛情の滲みこんだグローブとは別れられなくなる。
 フロントから客がきているという電話が入り、ジャージのまま降りていくと、鈴下監督を先頭に、克己、中介、大桐、横平、白川マネージャーの六人がロビーにたたずんでいた。
「監督! みんな!」
「神無月!」
 一人ひとりと握手し、抱き合う。鈴下監督はハナから泣いている。ラウンジの喫茶部のテーブルでくつろぐ。全員コーヒー。キョロキョロとあたりを見回す。窓ぎわのテーブルで新聞を読んでいる小野と葛城を発見し、克己が、
「あの人たち、ドラゴンズの選手だよね」
「はい、小野投手と、葛城選手です」
「オーラがあるなあ。さすがプロだ」
 大桐が、
「ファンクラブ二十七人、全員きたらたいへんなことになるからな、少人数できた」
「二十七人も!」
「ああ、まだまだ少ない。分担で、神無月郷のいくところ津々浦々、応援に出かけなくちゃいけないからね。こっち、雪降ってるんだなあ」
「明石は、冬場は寒いらしいんです。いまみんな、何やってるんですか」
 克己が、
「休暇だよ。卒業式は中止だし、監督・スタッフ含めて、ただただお休み」
「大桐さんと中介さんは、旭化成とマツダ自動車でしたね」
「おお、よく憶えてるなあ!」
「克己さんは横浜国大受験、横平さんは研究室に入るんじゃなかったですか」
「まいった! スポーツ選手の頭じゃない」
「学問以前の羅列的記憶力というやつです。これで東大に受かりました。すみません、白川マネージャーの進路は憶えてません」
「そりゃそうだ、カメラをやるとしか言ってないもん。朝日放送の報道部に決まった。本社は大阪だから、いずれ金太郎さんの独占取材にいくことがあるかもしれないよ。黒屋と上野がおまえによろしくと言ってた。今年は、やつらも獅子奮迅の活躍をしないと、せっかくでき上がった東大野球部の伝統を守れないからな」
 カメラをバッグから取り出して、パチリパチリやりはじめる。相変わらずだ。鈴下監督があらためて私の手を握り、
「会いたかったよ、金太郎さん。しかし、金太郎さんはどこへいってもさびしそうにしてるなあ。ま、私としては、それがなつかしくてしょうがないんだがね。ほとんど毎日、テレビで金太郎さんの情報が流れるよ。商店街の散歩も、練習風景も、食事やミーティングの様子も、ぜんぶ観た。輝いてる。天馬金太郎と一年間すごせたことへの感謝で胸がいっぱいになる。何度も泣いた。水原さんはやさしくしてくれるか?」
「監督と選手という身分を越えて、人間として愛してくれています。名古屋の家に遊びにくると約束しました。みなさんも名古屋での観戦のときは、泊まってください」
「おお、いくいく」
 克己がうれしそうに言う。
「何人でも泊まれます。大挙してきてください」
 横平が、
「監督の愛情はわかったが、選手間ではどうなんだ。あれだけ練習でパカスカ打つと、嫉妬されていじめられたりしないか」
「すぐれたプロ野球人は、根に堅固な矜持があるので潔く降参します。そして、もろ手を上げて賞賛します。さっぱりしたものですよ。自信がなくて、野球そのものに怠慢な選手は、遠からず球界を去っていきます。そういうことは見ないようにしてるんです。じゃ、日本料理の店にいきましょうか。瀬戸内料理を食いましょう」
 うずしおの戸を引くと、カウンターに、ホテルの泊り客らしい三人の家族連れがいて、オッと驚いた顔でこちらを見た。子供は小学生のようだ。彼らから離れた大テーブルの席に、袋入りの箸が七つ置かれている。小太りのマスターと、徒弟のような白衣姿の青年二人がカウンターの中から挨拶する。家族連れが私に寄ってきて握手を求め、
「きょう福山からきました。息子が神無月選手の大ファンで、どうしてもと頼まれて、五日間の休暇をとってこちらにきました。あいにくの天候で練習を観る機会はありませんが、こうしてお会いできたのが何よりです。紅白戦を観て帰る予定です」
「ぼくの勘ですが、あしたはスケジュールではお休みの日になってますけど、練習をやるんじゃないですかね。あさってもね」
「ほんと!」
 少年が母親と手を取り合って喜んだ。少年はいつも持ち歩いているらしい色紙を差し出した。
「お願いします!」
 楷書のサインを書き、名前を尋いて、××くんへ、昭和四十四年二月六日と書き添えた。家族三人はレジをすませ、平身低頭しながら帰っていった。鈴下監督が、
「じつにいい雰囲気だな。サインする姿がサマになってる」
 マスターが、
「芸能人顔負けですね。きらきらしてます。ところで、この会席は好きなだけ飲み食いしてもらうようにと、水原監督から仰せつかってます」
「そうですか! 榊さんから水原監督に連絡がいったんですね。ありがたいな」
 鈴下監督が笑って、
「それじゃ遠慮しないことにしよう。マスター、郷土料理をたっぷり食わせてください」
「承知しました。コースでなく、五、六品、一つずつまいりましょう」
「小ジョッキ一つ、大ジョッキ六つください」
「はい」
 白衣の青年が運んできた生ビールで乾杯する。もちろん小ジョッキは私だ。
「水原監督は、金太郎さんの父親のような気持ちでいるんだね」
「それ以上です。幼いころからの境遇が似ていたようで、シンパサイズしてしまったんですね。優勝させてあげたい」
「私みたいにね」
 大桐が、
「監督、残念だけど東大の優勝はもうないですよ。俺たちはありがたいことに、孫の代まで語れる幸運をいただきました。これからの東大は抜け殻です」
 ナマコが付き出しで出た。うまい。
「お椀代わりです」
 立派なサザエのつぼ焼き。お椀代わりの意味がわからなかった。お椀の吸い物の代わりだろうか。たしかに椀物は出てこない。
「二軍に井手という東大出の選手がいます」
 鈴下監督が、
「ああ、農学部の井手峻だな。おととしドラ三で中日に入った。東大で四勝したっていうんで、中日のスカウトが注目したってことだけど、二十一敗もしてるのに注目も何もないよね。東大という話題性だ。十一秒台の足を見こまれて、今年は外野に転向の話が出てるそうじゃないか」
「一軍に入りこめる余地はありませんね。何やら安心しきってる男です。野球はからっきしなのに、どうしてプロになれたんだろう」
 鈴下監督が、
「彼の前の年に、大洋に新治というやつが入団して、東大もプロになれるってんで話題になったんだ。それにつづけというわけだったんだろう。話題作りでプロにさせられた気の毒な男だが、本人は将来フロントに入るつもりで入団してるから、選手でうまくいかなくても気楽なんだよ。野球に情熱があるわけじゃない。気にするな」
「はい。いっしょにがんばりましょうなんて思わず言ってしまいました」
「それが金太郎さんの持ち味だよ。分け隔てがないんだ」
 中介が、
「俺はそれで大いに救われた。そいつは救われないな。肩書目当てだから、金太郎さんとは別人種だ」


         四十一

 白身魚、青魚、アンキモ、柔らかい歯応えのイカ、貝類の刺身盛り合わせ。よければどうぞと、広島の酒も四合瓶で二本出される。彼らはうまそうに飲んだ。
「去年はすばらしい一年間でした。ぼくも孫に語ります」
 監督が、
「やんちゃな金太郎さんに孫が何人できることやら」
 横平が、
「相変わらずそっち方面は盛んなの?」
「はい。でも、あいだを置くことは新鮮です。みなさんは?」
 鈴下が、
「俺たちに振るような話じゃないんだよ、金太郎さん。みんな〈まとも〉だよ。金太郎さんの恋愛事情を見てるのが楽しいんだ。水原さんも同じようなことを言ってたな。こいつらの中にも、金太郎さんがその方面で窮地に立ったら、いつでも出ていくと言ってる司法試験組もいるぞ」
 白川が、
「芸能記者はやばいから、気をつけろよ。優勝会のときのような記者はいないか」
「姿を消しました。明石にも現れません」
「何をしても謝ればすむと思ってるのが大手マスコミだ。あることないこと書かれないように、ふだんの行動は慎重にな」
「はい」
 そんなやつの行跡を耳に入れたら、ワカや康男はどう報復するだろう。闇から闇へ葬るにちがいない。恐ろしくなった。カレイの煮物。うまい! 全員でうまいを連発した。
「牡蠣の素揚げ、フロフキ大根でございます」
 四合瓶が二本追加された。
「素揚げって何ですか」
 横平が愉快そうに、
「衣をつけないで揚げることだよ。金太郎さんの質問、大好きだ。臼山が、神無月は女に見えることがあってドキッとすると言ってたな。俺は神無月といちばん長くキスしたぞって、ところ構わず自慢するんだ」
「臼山さん、どうなりました」
 監督が、
「弁護士の必要があるときはいつでも出ていくって言ってるのが臼山と台坂だ。まだ司法試験浪人真っ最中だがな。野球で出遅れたから、一、二年かかるかもしれん」
 サンマの土鍋炊きこみ飯が出てきた。大桐が、
「こりゃ、ゼツだ!」
 とうなった。克己が、
「臼山たちの一次試験が五月の半ばに終わるから、そのころ後楽園で金太郎さんの試合があったら観にいこうということになってる」
 大桐が、
「ファンクラブは、自発的な全球場巡りが基本だから、関東から西の球場は、一回ずつぜんぶいく。後楽園、神宮球場、川崎球場、中日球場、阪神甲子園球場、広島球場。それぞれ、五、六、七、八、九、十月だ。六班で行うことだから、一人、年に一度、どこかの球場に一回いけばいい。それほど大儀なイベントじゃない。それぞれの球場用の小さな応援旗、メガフォン、応援服、鉢巻などは四月までに仕上がってくる。野球部OB、東大有志たちから九十万円以上の寄付を集めたからな」
「ぼくのすることは?」
「シーズンオフに、一度だけサイン会を開いてほしい」
「わかりました」
「そのときにも、運営費の一部を寄付で集めようと思う」
 中介が、
「新車発表のときなんかに、テレビ宣伝に出てもらえないか」
「運転できないし、将来する気もありませんよ」
「それは関係ないんだ。ただ車の横に立って笑ってくれればいい」
「それで中介さんが助かるなら」
「俺も会社も助かるよ」
 横平が、
「そうなったら中介、二階級特進ぐらいになっちゃうんじゃないか」
「なる。しかし、それが目当てじゃない」
 みかんと生クリームのシャーベットが出てきた。そのとき、水原監督と村迫と榊がニコニコ入ってきて、私たちのテーブルを眺めるカウンター席に坐った。すぐに足木マネージャーがつづいた。
「あ、水原監督、ごちそうになってます」
「金太郎さんのお仲間たちへの当然の心尽くしです。会席最後のお茶をごいっしょしていいですか」
 水原監督が辞儀をすると、全員立ち上がり、ぜひ、と礼をした。鈴下が、
「どうぞ、こちらのテーブルのほうへ」
 四人はお辞儀をしながら、私たちと同じテーブルに移ってきた。村迫代表が名乗り、榊渉外部長が名乗り、足木マネージャーが名乗った。私は、
「村迫さんと榊さんは、ずっとこちらにいらっしゃるんですか」
「地元のおえらがた相手の雑用が多くてね。榊くんはあと一日二日で引き揚げます。足木マネージャーはもちろん最後までつきっきりですよ」
 榊が辞儀をしながら、
「私は九日の紅白戦を見たあと、北陸地区の下見に出かけます」
 マスターが、全員に鯛茶という味わいのある吸い物を出した。村迫が、
「鈴下さんには電撃入団のとき、お世話になりました。おかげで、ドラゴンズも中日新聞も、抜群の経営状況にあります。来季の神無月さんの年俸は、長嶋茂雄を抜いて球界ナンバーワンになるでしょう。東大野球部のほうにはいくばくかの賛助金を寄付させていただきました」
 鈴下が、
「まことにありがとうございます。有意義に使わせていただきます。個人的にも観戦券やら何やらご配慮いただきありがとうございました」
「当然のことです。こちらのみなさんは、東大野球部の先輩がたですね。いずれも優秀なかたたちなのでしょう。何かご要望がございますか」
 大桐と中介が顔を見合わせ、大桐が足木マネージャーに、
「ぶしつけなお願いですが、私どもはツアーで、六球場すべて、金太郎さんの試合を観て回るというファンクラブを立ち上げました。できれば、わずかなりともご支援をいただきたいのですが」
「すばらしい。上と図りまして、それ相応の支援金を送らせていただきます。この名刺の電話を回して、近いうちにクラブの住所をお知らせください」
 村迫は大桐に名刺を手渡した。水原監督が、
「私はこの神無月郷という青年をいたく気に入っています。野球選手としての才能と気概はもちろんですが、人間性の純粋さ、内に秘めた正義心、時おり見せる獰猛さ、深い思索力、すべてです。何よりもなつかしい人間だと感じさせるのは、その原始性です。出会えてよかった。私は金太郎さんを全力で護ります。ご安心ください」
 六人の男の目に涙が浮かんだ。足木マネージャーも目を充血させ、
「毎日、心を洗われる思いなんです。どれほどのファンがつくか空恐ろしい。そのときに神無月さんの行動や精神の自由を奪ったり、生活に不都合が生じたりしないように警戒を怠らないのが首脳部の仕事です。その点もご安心ください」
 村迫が、
「遠方から人を訪ねるというのは、並大抵の精力じゃありません。最大級の好意の証です。神無月さんに最大級の好意を与える人間を、私どもは放っておきません。選手間でもそうです。いつも目を光らせています。この青年は誤解されやすく、虐げられやすい。しかしひとたび理解され、愛されれば、意気に感じ、異常な能力と神性を発揮します。したがって、神無月さんに好意を与える人間は、神無月さんの生きるエネルギーになります。虐げられれば、すべてを捨ててしまおうというところまで意気阻喪してしまいます。これは脆弱というのではなく、すべて神無月さんの天性のなせる業なんです。マスコミにしてもそうです。その気配のある個人や集団は徹底して排除する策をとらせていただきます」
「心から安堵しました! 金太郎をとことん育て上げてください」
 鈴下がテーブルにくっつくほど頭を下げた。
 散会するころ、白川が一同をカウンター前に立たせ、自動シャッターで記念写真を撮った。うずしおの店員たちもカウンターの中に立って、写真の一員になった。
         †
 翌八日土曜日。曇。朝零下になる。八時バイキング。田宮コーチが全員にきょうのスケジュールを告げる。予想したとおり、水木と練習を休んだ埋め合わせのために、きょう一日夕方まで目一杯の練習になった。
 十時からウォーミングアップ。ひたすら緩急をつけて走る。合間に三種の神器。鈴下ら六人は午前の練習風景を満足げに見届け、昼ごろ、私に気遣って声をかけることなく、ひっそりとスタンドから姿を消した。水原監督の計らいで、午前に回した私のバッティング練習を見たあとだった。私は彼らの前で二十本打ち、十三本ホームランを打った。横平たちの歓声と拍手が耳に残っている。一塁スタンドのすぐ上に、うずしおで会った三人家族の顔があった。私は子供に向かって帽子を取った。子供は跳びはねて手を振った。
 十一時四十五分。ロッカールームでアンダーシャツを着替え、ホテルの売店の弁当を一人で食う。浜野に先導されて室内練習組がシャツを替えにきたが、早めしを食っている私を訝しがり、よう、と声をかけるぐらいですぐ出ていく。二軍から上がってきた田中勉という男を初めて見る。ほかに、食堂でしか見かけない門岡、若生、水谷寿伸。だれ一人とも親しくなれそうもない。
 私のロッカーに十七本のバットがパラフィンに包まれて立ててある。足木マネージャーが久保田名人から送られてきたのを置いたものだ。
「まだ十七本ありますからね。きょうまで使った三本のバットは太田くんにでも差し上げてください」
 そのとおりにした。きょうから一軍の練習に合流する太田はそのバットを持ってやってきた。私は自分用に新しい三本のバットを抜き出し、パラフィンカバーを剥いだ。
 十二時十五分、ランダウン。十二時半、内外野ノック。五本二塁へ、三本本塁へ。
 一時、みんなホテルへ昼めしに戻る。スタンドもめしになる。私はロッカールームの鏡の前でスロースイング。丁寧に六コース。いつのまにか菱川が並びかけてスロースイングをしている。
「俺……惚れました。きょうから金太郎さんと呼ばしてもらいます。弟子にしてください。何でも言うとおりにします」
「菱川さんはサボらなければ無敵です。三十本打てると思います」
「ほんとですか!」
「はい、太田と島谷と三人、レギュラーに食いこめるでしょう。とにかく野球という遊びに夢中になってください」
「オス!」
 彼にも三本のバットを進呈した。彼はバットを握り、真っ赤な目で感嘆し、五回すばらしいスイングで振って見せた。
「じゃ、一つ、参考スイングを」
 外角低目のレベルスイングをして見せた。
「つんのめらずに、からだを低くして踏み出した足でがんばるんです。打率は軽く一割は上がるでしょう」
 菱川はまじめに私の格好をなぞった。数本で苦しそうな表情になる。
「こんなきつい練習をしてたんですか」
「二十本も振ると、腰がつらくなりますが、そのうち慣れます。次に、内角高めの手首の押し出しをやりましょう」
「お願いします」
 右肘を右肩へ引き寄せ、左掌をゴッと押してやる。十回やって見せた。菱川はまねをして十回振った。
「これもきつい!」
「だいじょうぶ、やっぱり慣れます」


         四十二

 二時、フリーバッティング。私は午前にすましているので、五本打って上がり、四時まで仲間のバッティングを見守る。菱川、江島、伊藤竜彦、千原、きょうの午後から一軍に参加している太田。あらためて、彼らが〈打てないバッター〉ではないことを確認する。しかし〈かなり打てるバッター〉は、レギュラーを除けば菱川と太田だけだった。ホテルに帰らずに観察しつづける。
 四時。千原と太田の特打、日野と島谷の特守。特打から上がってきた太田が、
「あしたも一軍で特打です。あさって紅白戦に出られます」
「よかったね、ほんとに。ついに実力発揮だ。ただ、バットの出が不安定だから、スイングが波打ったようになる。インパクトまで素早く持っていくように心がけてね」
「はい。バットの出を安定させるにはどうすれば?」
「グリップの位置を意識しなくなるまで素振りをするんだ。高すぎず、低すぎず」
「がんばります。二軍にいってたった一週間ですよ。ウォンタナ商店街のカメラの前で神無月さんが推薦してくれなかったら、こんなに早く一軍に上げてもらえませんでした。ありがとうございます。ぜったい顔を潰さないようにします」
「だから、太田の実力だって。ぼくはおまえを中学から見てるんだよ。この目に狂いはないよ。菱川さんといいライバルになった」
「あの人の打球、すごいっすねえ」
 五時半、夕食。六時半、太田と散歩に出る。明石公園の外堀沿いの勾配を延々と北へ昇り、古びた住宅地を縫っていく。
「いつもこうやって第二球場へいってたの?」
「はい、公園の外を歩いていってました。園内の遊歩道の草の土手からいくこともありましたけど、ズルしてるみたいでやめました。少しでも鍛練したほうが自分のためになりますから」
「人のためになるんだよ」
「はい、そうでした」
「これじゃ公園の外を一廻りすることになるね」
「仕方ありません。二軍は少々のことはがまんしなければ」
「でもきょうから一軍だ」
「はい、うれしいっす。二軍生活、一週間ですみました」
 第二野球場到着。金網のバックネットがあるきりのただの草野球場だ。土の質も芝生の質も第一球場とはまったくちがう。もちろん観客席らしきものはない。フェアフィールドの扇形のフェンス部分と、バックネットの基盤部分だけがコンクリートになっている。ほかは金網だ。三塁ベンチ横に二メートルほどの看板のようなスコアボードが立っている。たしかに両翼のフェンスに80と書いてある。豊かな緑の中の野球盤だ。
「守備練習にしか使えそうもないね」
「はあ、軟式の試合ならどうにかできそうです」
「とうとう脱出したね」
「はい! 別世界の第一球場へ」
「もっと別世界の中日球場が待ってるよ」
「はい!」
 公園の中を通って繁華な通りへ出、コーヒードリッパーと挽き豆を買う。
「靴ずれはもういいの」
「二日で完治です」
「足、何センチ?」
「二十八・五センチです」
「じゃ、ぼくのは小さいな。二十七・五センチと二十八センチだから。明石には二十八センチを二足持ってきたから、一足あげよう」
「神無月さん、気を使わないでください。もうじゅうぶんですから」
 本屋に入る。藤原定家の明月記抄と背文字が目に入るが、手に取らない。宮仕え役人のただの日記だろう。奥深いことは書いてあるにちがいないが、私の〈奥〉とは関係していない。実朝のお師匠さんだと思い出して少し心が動いたが、頭を振り、むかし読みさしたスウィフトのガリバー旅行記を買って書店を出る。原民喜の訳。しばらく夜の退屈から免れる。太田は週刊誌を一冊買った。
         †
 太田と交代でシャワーを浴び、ガテマラを二人分いれる。
「部屋での素振りはあまりしないようにしよう。絨毯が傷む」
「はい、夜は静かに本でも読んで、寝てしまいましょう」
「あした、バッティングピッチャーやってくれる?」
「え? いいですよ」
「五メートル近づいて十球、次にマウンドとホームベースの中間から三十球投げてほしい。ぼくのタイミングを考えずに、肩を壊さない程度に力を入れて」
「わかりました。速球対応ですか?」
「タイミングを狂わされても眼を離さない訓練だ。実戦での間合いに慣れる」
「なるほど。ときどき変化球も投げてみましょうか」
「そうして」
 彼が週刊ポストを読みながら寝入ってから、コーヒーをもう一回いれ、ガリバー旅行記を読む。高校時代に読みさした第三回から始める。浮遊島ラピュタの項。
  
 1 変てこな人たち
 私が家に戻ると間もなく、ある日、ホープウェル号の船長が訪ねてきました。それからたびたび彼はやってくるようになりましたが、いろいろ話し合っているいるうちに、私はまた船に乗ってみたくなったのです。これまで私はずいぶん苦しい目にも遭いましたが、それでもまだ、海へ出て外国を見たいという気持ちが強かったのです。
 そこで私は、一七○六年八月五日に出帆し、翌年の四月十一日にフォート・セン・ジョージ(インドの港)に着きました。それからトンキンにいったのですが、ここで私は船長と別れて別の船に乗り、十四人の船員を連れて出帆しました。…………

 船は暴風雨に遭い、それを脱したかと思ったところで二艘の海賊船につかまった。一艘の船長は日本人だった。彼はガリバーの命を助け、食料を与えて小舟で海へ放した。五つ六つの無人島を廻り、発見した鳥の卵や、日本人に与えられた食料で飢えを凌ぎながら生き延びる。最後の島を彷徨していたとき、上空から島のような物体が頭上に近づいてきた。島の斜面で人間らしきものが動き回っている。彼らに合図すると、鎖で引き上げてくれた。

 ウトッときたので、本を閉じてベッドに入った。
         †
 二月九日日曜日。五時半起床。晴。四・二度。太田は寝ている。早朝の寒さの中で机に向かう。コーヒーをいれて飲みながらガリバー旅行記のつづきを読む。

 私がその島へ下りると、すぐ大勢の人びとが私を取り囲みました。見ると、いちばん前に立っているのが、どうも上流の人びとのようでした。彼らは私を眺めて、ひどく驚いている様子でしたが、私のほうもすっかり驚いてしまったのです。なにしろその格好も、服装も、容貌も、こんな奇妙な人間を私はまだ見たことがなかったからです。
 彼らの頭はみんな、左か右かどちらかへ傾いています。片目は内側へ向き、もう一方は真上を向いているのです。上着は、太陽、月、星などの模様に、提琴(フィドル)、横笛(フリュート)、竪琴(ハープ)、喇叭(トランペット)、六弦琴(ギター)、そのほか、いろんなめずらしい楽器の模様を雑ぜています。それから、召使の服装をした男たちは、短い棒の先に膀胱をふくらませたものをつけて持ち歩いています。そんな男たちもだいぶいました。これはあとで知ったのですが、この膀胱の中には、乾いた豆と小石が少しばかり入っています。…………

 島民は膀胱で作った器具で耳と口を叩き合って意思疎通するが、そうしないと、いつも深い考えごとに熱中している彼らは口も利けないし、他人の話を聞くこともできないからだ。金持ちは自分を覚醒させておくために叩き役を雇っている。地球儀や数学の器械に囲まれた王に謁見したが、学問的な考えごとに夢中で、問題解決に一時間ほどかかった。叩き役の侍童がそれからようやく王の目と口を叩き、ガリバーに気づかせた。王は語りかけるが言葉がちんぷんかんぷん。こちらの言葉も通じないので相互理解が不可能だ
(叩き役は通訳をできないようだ)。
 食事になった。ほしいものを指差しながら、その名前を叩き役に確認し、スムーズに会食できた(抽象物でなければジェスチャーで意思疎通ができる)。
 ジェスチャーで言葉を教える学者がつき随い、二、三日でおおよそ身についた。この島の名前がラピュタであることも知った。
 数学的計算で、変てこな服を作ってもらった。計算ミスだと言う。
 病気になり、五、六日引きこもった。その間に言語の習得をした。
 この国の人びとは数学と音楽しか理解できないことがわかってきた。ものわかりが悪く、理屈の筋が通らず、むやみに反対ばかりする。心配性で、いつも地球滅亡のことを危惧している。
 島は天文学者たちが磁石で動かしている。島の経済は下界の税金で成り立っている。滞納する人びとにはそれ相応の威嚇か攻撃をする。
 いつも考えごとをし、数学と音楽にしか関心のない彼らは、ガリバーを馬鹿にして相手にしない。不愉快なやつらだと思う。筋の通った会話ができるのは、女、商人(商人がいたのか)、叩き役、侍童だけ。この国にも飽きてきた。王に頼んで紹介状をもらい、バルニバービという下界に降ろしてもらった。

 現代文明に対して冷笑をこめて比喩的に書いていることはわかるが、あまりにも余剰解釈を求めすぎていて、意識が散漫になる。比喩が突飛すぎるのだ。著者の言いたいことはたぶん、学者と芸術家はこの世では〈使い物〉にならないくせに、やたらと人を馬鹿にする、ということだろう。前提も結論もまちがっている。誠実な学者や芸術家は、一途で情熱的なので、人を馬鹿にする暇を持たない。経済社会に資することは少ないかもしれないが、終局人間全体に大いに貢献する。
 一時間ほど読むうちに、きょうもウトウトしてきたので、本を閉じてベッドに入り直す。気に入らない本だが、今回は読みさしたくないので、数日中に読み切る決意をする。一時間の仮眠。
         †
 七時半、太田に起こされる。うがい、軟便、シャワー、歯磨き、洗髪。
 紅白戦。プロとしての初めての試合になる。バイキングの食事中に、宇野ヘッドコーチからベンチメンバーの発表があった。
「両軍総監督水原茂。先攻紅組三塁ベンチ、紅組監督は私宇野光雄、先発ピッチャー田中勉、中継ぎ若生、浜野、小野正一。先発キャッチャー木俣、控え高木時夫、ファースト江藤慎一、セカンド江藤省三、ショート伊藤竜彦、サード太田(おもしろい。彼はがんらい三塁手だったのだ)、ライト葛城、センター江島、レフト菱川。後攻白組一塁ベンチ、監督田宮謙次郎、先発ピッチャー伊藤久敏、中継ぎ板東英二、小川健太郎、山中巽。先発キャッチャー新宅洋志、控え吉沢岳男、ファースト千原、セカンド高木守、ショート一枝、サード島谷、ライト伊熊、センター中、レフト神無月。打順は各々の監督が適当に決めてください。試合開始十時。隔週の紅白戦二試合には、プロ審判の研修生を六人呼んであります。ベンチには五人ずつ二軍選手を入れる。さらに交代要員が必要となった場合は、スタンド見学の二軍選手から補充する。紅組の一塁コーチはカールトン半田コーチ、白組の一塁コーチは太田コーチ。水原監督は一試合まるごと三塁コーチを務める。重労働なので、ときどき長谷川コーチと交代する」
 さっそく紅白の組に分かれ、打順決めになった。二軍から呼んだ井手と、一軍の堀込がそれぞれ両組のスコア係になった。井手は田宮コーチに告げられたとおり、打順をスコアカードに記していく。
「先攻紅組、一番伊藤竜、二番江藤弟、三番葛城、四番江藤兄、五番木俣、六番菱川、七番太田、八番江島、九番田中勉」
 次に宇野ヘッドコーチが堀込に、
「後攻白組、一番中、二番高木、三番千原、四番神無月、五番島谷、六番伊熊、七番新宅、八番一枝、九番伊藤久敏」
 田宮コーチと宇野ヘッドコーチがホテルのメモ用紙に書いたメンバー表を交換した。田宮コーチが、
「なお、ペナントレースが始まってからのサインは、次回の紅白戦のあとで水原監督から指示があるが、紅白戦のサインはなし。選手同士で相談して出し合う分にはよろしい。すべからく個人の判断で、好きなように打って守ってくれ」



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