二十二

 風呂から上がって、みんなでコーヒーを飲む。主人のスクラップブックを眺める。

    
神無月Tシャツ断トツ売り上げ
 栄にある東海地区最大規模の百貨店松坂屋で神無月シャツが売れに売れている。この十日から五階ほぼ半分の空間を使って、中日ドラゴンズ選手のTシャツとタオルを売り出した。Tシャツは神無月の崩しサインを胸のロゴにしたもの、タオルはシンプルな8の字をロゴにしてある。どちらも鮮やかなダークブルーで染め抜かれている。目を引くのは人気選手約二十名の関連商品が並べられたコーナー。ユニフォームに始まり、ウィンドブレーカー、野球帽、Tシャツ、タオル、マスコット人形、キーホルダー、ステッカー、イヤリング、箸、ネクタイまである。
 とりわけ、Tシャツの売れゆきがすごい。他の選手は棚の高さまでびっしり積まれているのに、神無月のそれはスカスカ。店員に聞くと「彼のTシャツは売れてしまって、きょうはそれしか残っていません」と言う。ユニフォームも五十着売り出した神無月のコーナーは一枚もなし。
 さて、ホームラン製造機として急激に名を馳せたことで、先月から始まった製造も配送も間に合っていないというのが実情である。シーズン終了後にどれほどの売り上げになるのか、予想するだに恐ろしい。

「まさか、こんな商品、だれも買ってないですよね」
 みんな薄く笑ってうなだれた。

    
天馬が止まらない! 開幕三試合で八本!
       
連発&激走 スタジアムが神無月郷の遊び場と化した
 中日ドラゴンズ神無月郷外野手(19)が、打って走ってチームに貢献した。広島三連戦に四番レフトで出場し、四打席連発を含む十四打数十一安打十九打点。一節の本塁打数は球団新、プロ野球新となり、さらに三番江藤とともにダブルスチール、プロ野球史上初のダブルアベックホームランも記録した。
 打席に入れば、いまやスタンドから金太郎コールが鳴り響く。バッターボックスで全身が発光して見える恐ろしいほどの集中力から、光線のようにホームランが放射される。まだ三試合を消化したにすぎないが、二位江藤と五本差の八本。冗談ではなく夢の百号が見えてきた。
「八十本という高い目標を設定してるので、ホームラン王争いは頭にありません」
 とはインタビューでの言葉である。
 このまま躓きがなければ、いや躓きがあったとしても、昭和三十九年の王貞治の五十五本は、オールスター前後に確実に超えるだろう。シーズン百発超えすら見えてきた。この鬼神のごとき跳梁に日本のみならず世界が注目しているという表現は、けっしてオーバーではない。


 主人と菅野が二度目の見回りに出るころには、カズちゃんたちも、賄いたちも、トルコ嬢たちも、ほとんどねぐらに引き揚げた。座敷の縁に私の寝床の蒲団が敷いてある。キッコと優子が、私と話をしたそうにテーブルで茶を飲んでいる。優子が、
「三日間、お仕事で球場にいけないんです」
「いつでもチャンスはあるさ。一年は長い」
「はい。このごろ少しずつ野球がわかってきました」
 キッコが、
「うちも。特にプロ意識というのがわかってきた。プロというのは、失敗が許されんて覚悟しとる人のことやね。アマチュアは失敗しても慰めてもらえる。プロは失敗すると叩かれる。失敗を一度でも少なくする、それがプロなんやと思う。そのためには毎日練習するしかないんやね」
「そう。練習は自分にとって必要なばかりじゃなく、他人への義務でもあるんだ。プロは全知全能を傾けて練習し、失敗を減らさなくちゃいけない。十回のうち、たった三回しか成功しないで、三割打者だなんて威張ってるのは恥ずかしいことだ。十回成功して、初めて究極のプロだ。それが可能だと思って練習する。ぼくもわかってきたことがある。そうやって究極に近づいていく個人をファンがどんなに褒めちぎっても、彼らが最終的に望んでるのはチームの勝利だってこと。ぼくが何本ホームランを打ったって、チームが負けたら、心の隅に不満が残る。それが積み重なっていったら、ファンは振り向かなくなる」
 優子が、
「分け隔てなく、何でも話してくれるんですね」
「ほんとに不思議やわ。自分がどんな仕事をしとるか忘れてしまいそうや」
「このところキッコちゃん、お店よくサボってるんです。まだ百万円以上バンス残ってるのに、だいじょうぶかしらっていうくらい。いままでの自分をすっかり消したくなったって言って。私、悩んでるキッコちゃんを見てられなくて、百江さんやメイ子さんに相談したんです。すぐ、みんなでカンパすることに決まって。素子さんなんか十万円も出してくれて、あっという間に八十万円集まりました。こういう性格の子だから、最初のうちは、放っといて、ってプンプンしてたんですけど、結局、ありがたくお受けするって言ってくれて。お嬢さんにも旦那さんにも話して、四月いっぱい働いて二十万円あまりを完済したら、五月からアイリスに入ることになりました。中村高校の夜間にもかようことになったんですよ」
「すてきな話だね! 感激だ。トップクラスのトルコ嬢だったのに、お父さん、よく許してくれたね」
「キッコちゃん、神無月さんとのこと旦那さんとお嬢さんに打ち明けたんです。私も初耳でした。旦那さん、お手がついたんだったら仕方ないって。お嬢さんなんか、あんたキョウちゃんをなめてたんでしょう、キョウちゃんを襲うなんて身のほど知らずもいいとこよってきつく叱ってました」
「仕事ことを忘れることが多なってまって、商売にならん」
「心をどこかに置き忘れていた仕事だったからね。心が戻ってきたんだから、仕事のことは忘れて当然だ。忘れないのがおかしい。ところでそれ、いつの話?」
「おとといです」
「ふうん……だれもオクビにも出さなかったね」
「五月までキョウちゃんに言っちゃだめよってお嬢さんに言われてたんですけど、やさしそうな神無月さんの顔を見ていたら、つい口が軽くなっちゃった」
 キッコが、
「あ、神無月さん、もう十一時半」
「寝なくちゃ。少しでも寝ておかないとたいへんだ。あした九時出発だから」
 二人立ち上がり、お休みなさい、と言って、人けのない階段を上っていった。
 灯りを豆燭に落とし、パンツ一枚になって蒲団にもぐりこんだ。昼寝をしたせいで眠れない。立っていき、鴨居に掛かっているブレザーのポケットから文庫本を二冊取り出して蒲団に戻る。結局一ページも読まなかった本だ。浮雲は甲子園遠征のときに読むことにして、艸木鳥魚をめくる。
 小題だけの章立て。柚。文章がぎこちなく、比喩も滑る。衒学的な雑学が鼻につく。とうがらし、かまきり、と読んでいって、ようやく眠気が襲ってきたのを幸い、読み挿して夢路へ赴こうとするが、やっぱり眠れない。昼寝は厳禁だ。これからはどんなに疲れていても、本格的に眠りこむ午睡はやめよう。
 野球のことを考える。……三点ビハインドで、ノーアウト、先頭打者。カウント、ワンスリー。チームのために何ができるか。ホームランを打ってもチャンスは広がらない。次のボールは? 見る。百パーセント見る。ストライク。ツースリー。それでもホームランは狙わない。次のボールは? ストライクならば打つ。ボールならば当然見逃す。くさいコースは……打つ。なるべく叩きつけるように打つ。
 そんなことを考えているうちに、待望の眠りが訪れた。
         †
 四月十五日火曜日。トモヨさんに揺り起こされる。七時半。カチカチに小便勃ちしている。トモヨさんは早業で私のパンツを下ろし、口に含む。すぐにパンツを引き上げ、
「さ、オシッコして、お風呂へいってください」
 廊下に出ると、賄いたちにテントを目撃される。ソテツが菜箸を握ったまま目を瞠る。トモヨさんが、
「みんなの目の毒です。早く」
 帳場でカズちゃんと主人夫婦が歓談している。素子やメイ子や千佳子もいる。睦子は昨夜のうちに帰ったようだ。金魚の世話をしてから、ゆっくりやってくるのだろう。早足で廊下を過ぎようとすると、パンツの尖りを見た主人が、
「お、ご立派」
「三日ぶりの小便勃ちです。小便までの命」
 女四人が高らかに笑う。便所で屈んで小便をし、湯殿に入る。熱い風呂が入れてある。浴槽に沈み、ウーンと思わず息が洩れる。
 きのうのつづきを考える。プロ―アマチュアにはできないことができる職人。ビーンボールのような危険球を打ち返す方法はないか。ない。避けるしかない。敬遠ボールならまだしも、ビーンボールは対処のしようがない。アマチュアにはできないこと……ビーンボールに痛くないように当たる技はどうだ? 不可能だ。うまく逃げる。それだけでじゅうぶんだ。
 高橋一三。明石の親睦試合でドラゴンズは彼から四本ホームランを打っている。江藤、太田、私。スクリューボールが苦手と言った高木も一本打っている。金田、堀内、高橋一三、城之内を打ち崩し、十八対十一の乱打戦を制したことを思い出した。私は城之内を打てなかった。でも、オープン戦では後楽園の右中間看板に打ち当てる満塁ホームランを打った。しかし、あれは彼らにとって手馴らしのオープン戦だ。本気を出していない。勝たせておいて、あとで毟り取る。ギャンブルでもよくある手だ。よくよく心して挑まなければならない。個人記録? 打率五割、八十本塁打を達成したバッターは世界にいない。そのことだけを頭に置いておけばいい。
 トモヨさんの用意した下着に替え、ジャージで座敷の食卓にいく。女たちが朝の連続ドラマを観ている。信子とおばあちゃん。直人が走り回っている。キッコと優子がいる。
「キッコ、優子、おはよう」
「おはようございまーす」
 百江が顔を覗かせ、
「バッグにユニフォーム一式とスパイク、グローブ、帽子、眼鏡、それからタオルを詰めておきました。玄関に置いてあります」
「ありがとう」
「バットは持っていきます?」
「ホームのときは持ってかない。球場のほうに三十本ぐらい置いてもらってるし、ロッカーにいつも三本は常備してるから」
 トモヨさんが、女たちといっしょに食卓についた直人に食事をさせる。こんにちは、という睦子の声が玄関に聞こえる。居間の主人夫婦とカズちゃんたちがいらっしゃいと応える。案外早くやってきた。座敷の食卓に坐る。
「きょうは家の周りズラッとすごいですよ」
 主人が、
「菅ちゃんがきたら、ハイエースでとっとといこまい」
「さ、私たちもごはん食べたら、とっとと出勤。さっき菅野さんから電話があって、きょうは中日球場に、節子さんとキクエさんといっしょに、文江さんもくることになってるから、グルッと回って拾ってくるって。文江さんは野球初めてでしょ。千佳ちゃん、ムッちゃん、よろしくね。やさしく解説してあげて」
「はい!」
 アイリス組が箸をとる。カズちゃん、素子、メイ子、百江、天童、丸。主人が、
「浜野が先発を買って出たみたいですよ」
「……ONに内角高目で攻められるかな」
「ははあ、ONに対しては、厳しいインコース攻めはしないという不文律がありますからね。万が一、球界の宝にぶつけでもしたら何をされるかわからないですもんね。去年のバッキーみたいに」
「王さんは、少し外角寄りにツボがあるんです。浜野さんは気迫はあるんだけど、球が素直だから、外角にスーッと投げると……きょうが彼の野球人生の正念場だな。外角を投げるなら、高低と〈曲げ〉でいくしかない。でも……あまり曲がらないし」
「巨人はアトムズ戦二勝一敗。きのうは倉田から渡辺秀、新人の吉村につないで勝ってます。吉村は八回に四対ゼロの負け試合に出てきて、長嶋の左中間逆転打で四対五のサヨナラ勝ちをさせてもらってます。拾いものの一勝です」
「だれですか、吉村って」
「さあ……オープン戦で野村にホームランを打たれたというくらいしか」
 主人も、新人という以外は知らないようだ。中日スポーツの一九六九年版の選手名鑑を見る。吉村典男(まれお)、二十五歳、百八十センチ、七十三キロ、岐阜県立中津商業―日大―リッカーミシン、ドラフト四位、下手投げ、沈むシュート、カーブ。三振を取る力投型ではなく、タイミングを外して料理する逃げこみ型。何の役にも立たない鬱陶しい情報だ。大分だけではなく岐阜にも中津があるのかと思った程度だ。


         二十三

 食事を後回しにし、池のほとりに出て、内、中、外、九つのコース二十本ずつ素振りをやる。しょっちゅう実戦のボールを見て習慣になっているせいか、実際にボールがなくてもインパクトをしっかりイメージするという感覚が身についている。打ち崩すのが難しい本格派のピッチャーにあまり当たっていないからかもしれない。片腕立て左右二十回。三種の神器は球場でやることにする。トモヨさん母子が手を振りながら飛び石を歩いていく。
「いってきます」
「いってらっしゃい! 試合のあと、文江さんのところにチラッと寄って帰るよ」
「わかりました。遅くなります?」
「ならない。あしたも早いから」
「そうですね。おケガのないようにがんばってきてください」
「うん、じゃあね。直人、バイバイ」
「バイバイ」
 アジの開きと納豆と味噌汁で、ドンブリ一膳半。とっくに食事をすまして制服に着替えていたカズちゃんたち六人は、茶をすすり終え、一人ひとり私の頬にキスをすると、座敷の女たちが観ているテレビドラマを横目にあわただしく出ていった。
 ゆっくりトイレにしゃがんだ。汗をかいていたので、もう一度シャワーを浴び、尻を洗って下着を替える。新しいユニフォーム一式を身につける。
「これからは中日球場へこの格好でいくことにします」
 北村夫婦に言う。睦子と千佳子がピンクのプリーツスカートで正装した。主人はチェックの茶色い背広を着た。紺のスーツ姿の菅野といっしょに節子たちもやってきた。暖色のスラックスに厚手のセーターをはおり、あでやかに着飾っている。文江さんは辛子色のゆったりとしたツーピースだった。節子が、
「門の前すごい人だかりよ」
「無視、無視」
 ダッフルを肩に、菅野について門を出る。報道陣がマイクを持って押し寄せてきた。カメラを担いでいる連中もいる。顔の横にマイクが突き出される。
「女性ファンの数が増えてると聞いてます」
「まだ男性やチビッ子のほうが圧倒的多数でしょう。でも女性ファンが増えるのはいいことです。彼女たちが恋人や知人を誘って球場に観戦にくることで、さらに大勢のファンの獲得につながりますから」
「好調の秘訣は?」
「そんなものありません。練習のみ」
「ライバルと意識している選手は?」
「だれかと競いたいと思ったことはありません。感動的なプレイする先輩たちをひたすら尊敬しています。彼らのような実績を積み重ねてきた先輩たちすべてに対して、恥ずかしくないプレイで応えることをいつも念頭に置いています」
 至近距離でビデオが回っている。
「ビーンボール対策は?」
「必死で避(よ)けます」
 松葉会組員が道をこじ開ける。私はマイクに向かって、
「セ・パ二リーグ制になったのは昭和二十五年。塁間は二十七メートル四三センチ一ミリ。百三十試合の規定打席数は四百三」
「何でしょうか、それは」
「プロに入って覚えた知識の復習です。現在、頭の中は、校庭の野球を卒業するための知識でいっぱいです」
「きょうの意気ごみを」
「全力でぶつかります! すみません、急ぎますので」
 ハイエースのドアをスライドさせてダッフルを放りこみ、二列目に乗る。主人は助手席に、文江さん、節子は私の隣、睦子、キクエ、千佳子は三列目と、五人つづけて乗る。走り出す。
「すっかりスーパースターですな」
「スーパースターというのは、何かを起こす雰囲気の持ち主のことでしょう。測り知れない何か。遠慮したいですね。自分にも器以上の何かを期待してしまう。ホームラン小僧でじゅうぶんです」
「野球小僧ということこそ、神無月さんを特別にしとるんですよ。……野球はチームプレイとは言え、エースと四番はやっぱり天性のモノですな。育てるものじゃない」
 菅野が、
「いまのプロ球界では、ドラフトで獲って育てるということしかできないでしょう」
「ドラフトでも天才は拾えるけど、ほとんど不作やな。たとえば四年前の第一回ドラフトで入団した百三十人くらいの中で、天才といえるのは、堀内、木樽、長池、藤田平、鈴木啓示だけ」
 菅野は、
「みんな才能ありと目されて、夢を持って入団してきたのにね。本物の才能を持った人はかぎられます。夢と才能は別物です。真の才能というのは夢のことじゃありません。努力のことです」
 文江さんはキョトンとして聞いている。千佳子が主人に、
「どうしてドラフト制度なんかできたんですか」
「いままでどおり自由競争をつづければ、一、契約金の値上がりに歯止めが利かなくなって球団の財政を圧迫する、二、甘い汁を吸おうとして選手の周りによからぬ連中が集まってくる、三、自由競争だと人気チームや資金力のあるチームが戦力を独占してしまう、といった理由やね」
 菅野が、
「神無月さんはそんなこととはまったく関係のない例外です。人気チームでもなければ、カネで釣られたわけでもない。正真正銘の野球バカです。有能な選手は神無月さんを見習うようになりますよ」
「なれんやろな。有能さのレベルがちがう」
 文江さんが、
「自由競争って何やろ」
「ドラフトみたいな籤にかけるんじゃなくて、自由にあの手この手で球団同士競争して、狙いをつけた選手を獲得することです」
「人気のある巨人さんがいちばんお金を出したら、鬼に金棒やね」
「そうなんですよ。長嶋は十一年前、歴代最高の千八百万円でした。それ以来、巨人でなくても五千万円というチームはざらになりました」
 節子が、
「十一年も経ってるんだから、キョウちゃんはもっと高くてもよかったわけなのね」
「はい。水原監督は七千万を持ちかけたんです。球団がケチで六千万にされてしまいました。そのお詫びに来年は一億円以上を出すと言ってるんです。先日小山オーナーがおっしゃったのはそういうことです」
 菅野は浮きうきと答えつづける。睦子が、
「神無月さんは、お金なんかいくらあっても同じでしょうね。野球ができれば何もいらないんですから」
「恐ろしいくらいそのとおりです。そういう人でなければ私も心中する気になりません」
 主人が、
「日本のプロ野球界はチマチマ金勘定ばっかりで、選手に対する敬意に欠けとる。どうせ出すなら、ドンと出さんとあかん」
 キクエが、
「高給をとるということは、技能のうえでチームの中心と見なされてるということですよね。でも、人間的にもチームに影響を与えなくちゃ中心選手と言えません。中心選手が率先して精神的な範を垂れれば、チーム全体も範に従うんです。企業はその点を給料に査定しません」
 菅野が、
「そこは企業の儲けもんということになるわけですね」
「はい。中心選手というのはただ打てればいい、投げれればいいというものじゃないわけでしょう。チームの鑑となることを求められてると思うんです。あいつを見習えと言われる存在になるということです。プレイはもちろんのこと、ふだんの言動においても。キョウちゃんの偉大なところはそこです。江藤さんたちは見習いました。野球選手の中には大金に目がくらんで、株や不動産や商売に手を出したりする人はけっこういると聞いてます。いま仕事に打ちこむことより、将来安定することを願うからです。そういう人ではチームを引っ張っていけません。江藤さんたちは初志に戻りました。とんでもないショックを受けたんだと思います。ショックを与えてくれた人を見習うことは一種の心中ですよね。私が言いたかったことは、企業から敬意を受ける必要なんかないということです。ビジネスライクに、その企業の金勘定の範囲で能力給を出してくれるだけでいいと思います。お金なんかで人間的価値を計れませんから。もともとそこに対してお金が支払われているわけじゃないんです。人間的なショックを受けたチームメイトから尊敬され、愛されるだけでじゅうぶんです」
 菅野が、
「それが神無月さんの野球をやるエネルギーでしょうね。幸いなことに、ドラゴンズのフロントは企業人の中の例外のようですよ。商人根性を捨てて、選手たちに深い敬意を払ってます。もちろん中産球団相応の金もね。それでも、神無月さんの場合、金が自分たちの敬意に見合わなすぎると気づいたようです。それで億の金を……」
 キクエは、
「そういうことなら、お金も敬意も遠慮なくいただけばいいですね」
 主人が呵呵大笑した。私は菅野に、
「中日球場の諸設備について少し教えてくれませんか。まず収容人数は三万五千人ですよね」
「はい、昭和三十年の拡張工事で外野席を増設して、三万人から五千人増えました。二十一段が三十七段になったんです」
 主人が、
「その年から大改造に入ったんやったろ。ダッグアウト、記者席、放送室、特別席なんかやな」
「そうです。翌年には中央スタンドが大改装されて、バックネットが支柱梁(はり)連結タイプから吊り下げ式に換わり、大食堂も新設されました」
「大食堂なんてあるんですか」
「正面ゲートを入ってすぐのところですが、ベンチ裏の選手用食堂より大きいです。一般の人に声をかけられるので、開場したあとは選手はいきません」
 主人が、
「このあいだ投げた田中勉、いいピッチングやったな。去年かおととし、野村が新聞に苦手なピッチャーとしてコメントしとった」
 野球のことしか頭にない。うれしい。私は、
「どんなコメントでした?」
「田中は本格派のピッチャーで、ストレートが走るうえに、スライダーは打てない。真っすぐに近いスライダーで、ベースの手前でシュッと逃げていく」
 ホームベースの横へりからバッターボックスの前ラインまで九十センチもあるのだ。ボックスの前方に出れば曲がる前に打てる。大打者にしては恥ずかしいコメントだ。カーブが苦手な理由がわかった。
「ふうん、そんなボールを投げるんですか。田中さんは孤独な人で、あまり口を利いたことがありません。ぼくはあのダイナミックなピッチングが好きです」
 九時二十五分、中日球場の正面ゲート前の駐車場に到着。巨人戦なのでふだんに倍する人びとでごった返している。みんなで人混みの中へ降りる。正面ゲート近くに、ラーメン竜、食事処ますだ、喫茶軽食マサといった看板が見える。むかしからあったにちがいないけれども、きょう初めて見る気がした。《球場内敷地へのダフ屋の立入を禁ずる》というタテカン。これもいままで気づかなかった。よく周囲の環境が目に入るようになってきている。私に気づいたファンたちにからだじゅうを触られる。
「開場は十一時ですけど、早出特打ちも終わって、もうレギュラーたちは練習してると思います。正面の関係者入口から入りましょう」
 主人が、
「いいんですか?」
「たぶん。だめだったら、そこいらへんの喫茶店で時間を潰してください」
 人混みを分けて入口に入ったとたんに、警備員が飛んできて、頭を下げる。
「神無月選手、おはようございます!」
「こちら、ぼくの身内です」
「わかりました。いま特別入場者カードをお持ちします」
 走っていく。すぐに二人の女子従業員が駆けてきて、
「これを首にお掛けください」
 紐のついたカードを全員に手渡す。
「どうぞご自由にご見学くださいませ。ご見学のあとは、ここに戻ってきていただければお席のほうへご案内いたします」
「ワシらのうち三名は年間予約席なんだが、残り四人はまだ切符を買っとらん」
「ほかのかたもなるべくその近くにお席をお取りいたします。席料のほうは、球団の広報へ申請いたしますので、ご心配無用です。ではいってらっしゃいませ」


         二十四

 緑の壁の廊下を歩きだす。廊下で選手たちとすれちがう。全員知り合いなので、頭を下げ合う。小川が通りかかり、
「おお、北村さんと美人連、いらっしゃい。きょうは緊迫した試合になりますよ。楽しんでってください」
 スパイクを鳴らして、室内投球練習場へ向かう。
「小川さん、広島に居残ってたんだけど、ちゃんと間に合って帰ってきたな。あ、ここがロッカールーム。入ってみる?」
 女たちがとんでもないと手を振る。
「じゃ、ちょっと待っててください。着替えてきます。そこらへんをウロウロしてて。顔見知りばかりだと思うから」
 ダッフルを持ってロッカールームに入ると、千原と葛城が着替えていた。
「おはようございます!」
 葛城が、
「おはようす。島谷と江島が早出でやった。徳武も張り切ってる」
「そうですか」
 黙々と仕度をする。千原が、
「去年ドラフト外で入った日野って知ってるよね? 一枝さんの控えで四十試合ぐらい出たんだけど」
 知っていたが、さあ知りません、と答えた。注目に値しない選手だったからだ。
「そっか。そいつも特打ちやってた。省三さんもいた」
「きょう出るんですか」
「代打だね。クリーンアップも含めて、きょうはめまぐるしく替わるぞ」
「どうしてですか」
「長嶋がすぐ引っこむからさ。ぜんぜん当たってないし、休養させなきゃいけないからね」
「なんで長嶋に合わせるんですか。お客さんがますますつまらなくなってしまう」
「それはそうだけど、これ見よがしに飛車落ちで戦われたら、こっちもしゃかりきになれないんじゃない? それならうちもB級戦力で戦えってわけ。去年まではそうしてた。水原監督はしないかも」
「しませんよ。模倣は最も誠実なお世辞です。水原監督は巨人にお世辞は使わない。序盤で大差がついたら、ドラゴンズも飛車角金銀ぜんぶ引き揚げるかもしれませんけど」
「たしかにね」
「しかし、チームプレイの巨人が聞いて呆れる。それじゃ長嶋のワンマンチームじゃないですか。思いっ切り大差勝ちしましょう」
 私の言葉に千原は痛快そうに笑った。ユニフォームに着替え、スパイクを履き、グローブとバットを持って廊下へ出る。主人たちが江藤や中たちと親しげに話をしている。
「おお、きた。バッティング練習ば観にいきましょう」
 千佳子が、
「え、いいんですか」
「よかよか」
 細い通路を通って、みんなでぞろぞろダッグアウトに入る。文江さんが、
「すてき、男の職場!」
 グランドに三十人ほどの報道陣がうろうろしている。半田コーチが、
「ひゃー、美人さん! ようこそ」
 長谷川コーチが、
「特別見学ですね。ケージの外のその丸い輪のあたりから観れば安全です。撮影してもいいですよ」
 睦子がにこにこカメラを掲げる。驚いたことに、節子もキクエも持っている。主人と菅野は興奮した面持ちで、太田と菱川が打ちこんでいるケージを見つめる。二人が気づいて走ってくる。
「いらっしゃい、みなさん。江藤さん、神無月さん、早く打って見せて」
「よっしゃ、金太郎さん、いくばい」
 田宮コーチがめずらしそうに女たちに近づいて、太田の説明を聞いている。そして、彼女たちをケージの後ろまで連れてきた。
「ここからごらんなさい。ちょっと怖いですよ」
 江藤と並んで打ちはじめる。新人の水谷則博と三年目の大場隆広だ。どちらも左腕。
「ちょっと汗流させてくれ」
 小川がマウンドのピッチングネットの後ろに立つと、水谷と大場が引き下がり、私のケージに対面した。外野から小野が走ってきて江藤と対面するケージに入った。ふたたび打ちはじめる。
「キャー!」
「怖―い!」
 女たちがフラッシュを光らせながらはしゃぐ。二人で高く、低く、ホームランを打ちこむ。看板に当て、場外へ打ち出す。野球というすばらしいスポーツに人生をまるごと浸すことができる喜び。菅野が、
「すげえ迫力だ。スピードと音がちがう。スタンドからじゃわからないし、テレビだったらますますわからない」
 主人は、
「……感激や。こういうすごい人たちに美しい野球場が与えられて当然や」
 高木や一枝がスタンドを指差しながら、女たちにあれこれ解説している。江藤省三がやってきて、兄のケージに貼りつく。私はケージを出て、
「省三さん、こんにちは」
「よ!」
「きょうは?」
「代走ぐらいでしょう。シーズンの小手始めじゃないのかな。伊藤竜さんもそうだろ」
 兄もケージから出てきて、
「省三、おまえ、三塁の先発や」
「ほんと!」
「二打席打てんかったら、太田か葛城さんと交代。がんばれよ」
「うん!」
 二十七歳の少年が三十二歳の大人に全幅の信頼をこめてうれしそうにうなずく。すばらしい兄弟の図。
「こちらが北村席のかたがたばい。挨拶しとけ」
「こんにちは! いつもお話伺ってます」
 全員にこにこ頭を下げる。主人が、
「お兄さんよりやさしい顔しとる」
「まだ根性入っとらんけんな」
 兄は苦笑いした。
 十時半ごろになって水原監督がグランドに出てきた。
「これはこれは、北村さんと菅野さん、お嬢さんがたもようこそ。きょうは長嶋が一、二打席で引っこむでしょうから、江藤くんと金太郎さんも二打席で引っこめようかとも思いましたが、ペナントレースが終わるまでは手を抜いちゃいけないと考え直して、全力でいくことにしました」
 主人が、
「そうしてもらわないと、観てるほうもつまりません」
「選手はたくさん使いますよ」
 文江さんがしずしずと歩み出て、
「先日はどうも。私、野球場で野球を観るのは初めてなので、目を皿にして勉強しようと思います」
「どんな形でも書道に役立てばいいですね」
「はい」
 島谷がやはり外野から走ってきて、女たちにぺこりとお辞儀し、
「ぼく、島谷といいます。新人です。きょうはサードの控えです。お噂、太田からいつも聞いてます。いずれおじゃまさせていただきます。じゃ」
 また走っていった。太田が柔軟をしている姿が塀ぎわに見える。こちらに向かって手を振っている。睦子が、
「あ、太田さんだ」
「じゃ、ぼくも走ってきます」
 主人が、
「ワシらも戻って、席に着かさせてもらおうか。じゃ、監督、みなさん、ネット裏から応援させていただきます」
「は、またいずれ、ぞろぞろ押しかけます」
 五、六人で鏑木コーチのもとへ走っていく。二十五メートルダッシュを三往復、ポール間のジョグを三往復。
「きょうのランニングはここまでにしましょう。息遣いがすっかり安定してきましたね」
「そうですか、うれしいです」
 両腕立てに入る。ゆっくり五十回。腹筋背筋五十回。
 観客席が瞬く間に埋まりはじめた。球場の雰囲気が広島とはガラリと変わっている。子供の数が急に増えた。彼らの甲高い喚声がフィールドに響く。
         †
 ジャイアンツのバッティング練習。長嶋に注目しようと待ち構えていたが、出てこなかった。王もあまり打たなかった。両チームの守備練習も終わり、中日球場のウグイス嬢のさわやかな声が空に上がる。日本一美しいアナウンスだと確信する。スターティングメンバーの発表。
「たいへん長らくお待たせいたしました。ただいまよりペナントレース公式戦、中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツ第一回戦を開始いたします。両チームのスターティングメンバーを発表いたします。先攻の読売ジャイアンツ、一番センター高田、センター高田、背番号8、二番ショート黒江、ショート黒江、背番号5」
 王、長嶋、国松、末次、滝、吉田、高橋一三とアナウンスしていく。
「対しまして、後攻の中日ドラゴンズ、一番センター中、センター中、背番号3、二番セカンド高木、セカンド高木、背番号1」
 江藤、神無月、木俣、江藤省三、菱川、一枝、浜野の順。
「審判は、球審富澤、塁審は、一塁谷村、二塁鈴木、三塁原田、線審は、ライト山本、レフト田中、以上でございます」
 江藤が、
「富澤さんは野球そのものの経験のない審判第一号で、ボールをマウンドのピッチャーに投げ返しきれんほどやから、ファールやボール交換のたんびに、ボールをキャッチャーに手渡しよる」
 板東が、
「厳格な人で、だれも近寄れん」
「どうきびしいんですか」
「立ち姿が美しくないやつは審判失格だゆうて、しょっちゅう後輩を叱るらしい。あの一塁の谷村さんは、富澤さんより年は上でも審判は後輩やから、よう叱られたんやろ。両脚を開いてビシッと立ちながら構える。谷村さんは、昭和三十三年の魚津戦で三塁塁審をやっとった人や」
「板東さんが延長十八回を投げ抜いたというあれですか」
「ほうや。ワシはその前に肩と腰をやられとってな、痛み止め打っても効きゃせん。セットポジションになると、谷村さんの顔が見える。気の毒そうに見とった」
 江藤が、
「そんな肩で、ようプロでやってこれたな」
「プロにきたら、肩だけやない、肘もやられたわ。がまんの天才やったんやな」
 私は心からうなずき、
「ほんとにそう思います。ぼくなら、尻尾巻いて逃げてます。プロ野球のピッチャーというのは、肩と肘をやられても投げつづけられる天才ばかりです」
「やられないのも才能なんやけどな。健太郎なんか、ビクともせん」
「ありゃ、大のつく天才たい。いまも裏で投げとるばい」
「ぼくは外野守備やってるだけでも怖いです。腕立てと全身筋トレを欠かさないようにしてるのはそのためです。返球のときは、これで終わってもいいという覚悟で腕を振ります」
 江藤が、
「あの強肩は大リーグにもおらんやろ。世界一たい。いつも惚れぼれ見とる。モリも達ちゃんも返球を受けるときは危険を感じる言っとった」
「でも、ピッチャーをやったら、一発で終わります」
 江藤が、
「考えたら、ピッチャーは気の毒なポジションたいね。ご愁傷さまや」
「なんやそれ、心がこもっとらん」
 板東が眉をしかめると江藤は大笑いする。板東もつられて笑う。大したものだと思った。そんな悲劇に見舞われても笑っていられるのだから。
「黒江と国松に気ィつけんといかんばい」
「フリーで当たってましたね。浜野さん、わかってるのかな。フリーも見てなかったようですけど」
「ありゃ、何も見ん。ただ押せ押せや。打たれて勉強するしかなか」


         二十五

 ベンチ気温十八・七度。場内アナウンスが流れる。
「ただいまより昭和四十四年度中日スタジアム開幕試合に先立ちまして、東海ラジオ放送野球解説者、大矢根博臣さまによる始球式を行ないます」
 まず一塁ベンチが、それからスタンドがどよめく。三塁ベンチは川上監督はじめ、全員がつまらなそうに見つめている。
「聞いとらんぞ!」
 江藤に顔を向けられた中が微笑む。知っていたようだ。曲がった肘で投げつづけたあの大矢根だ。
「大矢根さまは、昭和二十九年より三十五年にかけて中日ドラゴンズにおいてエースピッチャーとして活躍した大選手でございます。昭和三十一年には球団記録となる四十回三分の一連続イニング無失点を達成され、三十二年には球団史上二人目となるノーヒットノーランを達成されております。通算防御率一・九九も球団記録でございます。このたびの開幕試合にあたり、小山武夫中日ドラゴンズオーナーの懇請を快く承諾してくださり、始球式に駆けつけてくださいました。なお、大矢根さまに対しますバッターは、当時チームメイトであった中利夫選手、キャッチャーは吉沢岳男選手が務めます。どうぞ拍手をもってお迎えくださいませ」
 拍手と大歓声の中、内野スタンドとライトスタンドの仕切り通路から、線審に付き添われて中肉中背の背広姿が歩み出てきた。小川が、
「中さん、いつ話がきたの」
「きのう」
 ニコニコ笑いながらバットを手にバッターボックスに向かう。ベンチ裏からレガースをつけた吉沢が出てきて、ホームベースへ走っていった。マウンドまでやってきた大矢根は塁審の谷村からボールを渡された。中と吉沢がそれぞれのボックスでまじめに構える。
 背広姿が振りかぶったとき、はっきり思い出した。中日球場で見たことがある! 小学五年、真夏の日曜日、中日―広島戦ダブルヘッダー。横に小山田さんがいた。大矢根はカクテル光線の下で投げていたので、第二試合だ。たしか中日が二連勝した。
 中はかなりスピード豊かなボールをしっかり空振りした。大矢根に女性係員から花束が贈呈される。そのあと、大矢根と中と吉沢が固く握手した。郷愁のかたまりのようなものが胸に迫った。
 ドラゴンズのメンバーがグローブを手にベンチを飛び出し、浜野がマウンドに登る。
「よし、いくぞ!」
 全員声をかけ合いながら守備に散っていく。守備位置でのキャッチボール。私から中へ、中から菱川へ、菱川から中へ、中から私へ、中へ、菱川へ、ボールボーイへ。スタンドを見回す。鈴なりの満員。わずかに旗が揺れている。高田が打席に入る。
「プレイ!」
 富澤の乾いた声。内野陣が腰を落とす。この一瞬の彼らの姿が美しい。私はライン寄りに守備位置を変えた。
「オー、ワ、オー、ワ、オー」
 レフトスタンドが妙なうなり声を発している。ジャイアンツファンの群れだ。Gマークの旗が何本も振られる。
「ヒッパレー、高田、ヒッパレー、高田」
 という叫びも聞こえる。初球、内角高目ストレート。さっそく三塁側内野スタンドへ極端なファール。巨人打線にかぎらず、高目で勝負していこうとするのはいい傾向だ。低目は目から遠いので距離をとりやすい。高いところから目に近づいてくる球は距離をとりにくく、捉えたと思っても詰まってしまうことが多い。コースさえまちがわなければ、きょうの浜野はいける。二球目、真ん中低目ストレート。三塁線に痛烈なライナー、すれすれファール。長嶋以外に低目はだめだ。三球目外角ストレート、一塁スタンドへファール。四球目内角高目ストレート、フラフラと三塁ブルペン前にフライが上がる。江藤省三少し走って、楽々キャッチ。ブルペンの高橋一三が肩を怒らせて見つめている。
 二番黒江、小さい。ずんぐりしている。いつ、どこからきたんだっけ? 選手名鑑の記憶を探る。鹿児島高校、立正佼成会。今年で六年目。昭和四十年イースタンリーグ首位打者。四十一年、ドラゴンズとの首位攻防戦で小川から三塁打。浜野、ワンツーから外角低目へ小さいカーブ。ショート一枝へ強いゴロ、難なくさばいてツーアウト。
 三番王。私は左中間へ、中は右中間へ移動する。浜野は勇気を持って内角胸もとを攻める。初球見逃し、ストライク。二球目、同じコースをバックネットへファール。三球目内角低目へカーブを落とし、見逃し、三球三振。浜野が吠える。みっともない。走ってベンチへ戻る。
 一塁スタンドの鉦太鼓が始まる。ネット裏前列に小山オーナーたちの姿があるのに気づいた。大矢根がいっしょに観戦していた。手を振らないことにする。集中。
 一回裏、中がバッターボックスに入る。
「ヨ!」
「ホ!」
「ソリャー!」
 いつものコーチたちの声。長嶋はセーフティバントを警戒して、どっちつかずの守備位置をとる。
 初球外角高目すっぽ抜けのストレート、二球目内角高目ストレート、ツーボール。三球目外角低目ストレート、ストライク。四球目内角低目ストレート、ボール。高橋のストレートが暴れている。中、じっくり見て、ワンスリーからフォアボールで出た。
 一塁スタンドからパラパラと拍手。鉦太鼓。静かなものだ。ライトスタンドも塗り固めたコンクリートのように静まっている。固唾を飲んで見守っているという感じだ。中日ファンは静かだ。だれもが巨人戦を連勝街道の試金石と見ている。勝たなければ彼らの心はざわめかない。
 高木、初球低目のカーブをレフト前にヒット。中、二塁ストップ。ようやく少し興奮した歓声が上がる。笛、太鼓、一塁スタンドとライトスタンドでドラゴンズの球団旗が打ち振られる。私はヘルメットをかぶり、江藤に並んでネクストバッターズサークルの脇に立つ。尻ポケットのお守りを確認。
「スクリューを投げませんね」
「ここからやろ。まずセンター返しするわ」
 江藤はマスコットバットを放ってバッターボックスに向かう。ノーアウト一、二塁。サードゴロとショートゴロが最悪だ。初球、二球目と内角高目のストレートを見逃し、ワンワン。三球目、外角低目のシュートを手首を返さないあの打法でレベルに打ち返す。痛烈な当たりのピッチャーライナー。捕りにいった高橋のグローブを弾き一塁前に転がる。高橋あわてて追いかけ、素手で拾い上げて王にトス。セーフ! 水原監督の腕がぐるぐる回っている。ホーバークラフトの中が、三塁を蹴ってホームに向かう。王あわてて転送。いい肩だ。クロスプレーになる。富澤の両手がサッと広がった。ウオーッという歓声。高木が三塁に滑りこむ。ゼロ対一。
「始まりましたヨー!」
 半田コーチの声。
「そりゃ!」
「いけ!」
 ベンチから小川が、
「金太郎さん、まず一本いっちゃって!」
 バックネットを振り返る。テレビカメラの下、中段あたりに七人がいる。前列に小山オーナー、村迫がいて、そのほかドラゴンズフロントの見知らぬ顔がある。ヘルメットの鍔(つば)をつかんで合図を送ったつもりになる。それを見てネット裏全体が盛んに拍手する。
 ノーアウト、一塁、三塁。一塁に江藤、三塁に高木。膝もとに落ちてくるスクリューを狙おう。私には投げてくるだろう。まちがってもゴロは打たない。ゲッツーになる。
 初球、膝もとの落ちるシュート。少しゆるい。シンカーか? 
「ストライー!」
 吉田孝司が得々と強い球をピッチャーへ返す。背の高いキャッチャーだ。
「いまのがスクリューですか」
「ちがうよ」
「もっと遅いんですね」
「…………」
 なんだコノヤロという顔で睨まれる。二球目、外角低目へスピードボール。見逃せばボールだが、踏みこんで、叩く。長嶋の頭をライナーで越え、ぎりぎりファールゾーンに落ちた。残念がるベンチの嘆声。
「くそボールやで。選球眼悪いな」
 選手名鑑。神戸神港高校。五年目。去年までほとんど二軍。川上監督お気に入りの〈叱られ役〉。臆病者だな。
「目でなく、バットで打ってますから」
 吉田がえらそうなのは、たぶん川上監督のお気に入りだからだ。
 ツーナッシング。三球目。真ん中高目へ外す速球。蟹のような平べったくなったからだからストレートが飛び出てくる。ボール。冨澤が、ボ、と小声で言った。ツーワン。
 ハタと閃いた。さっきのシュートがスクリューだったのではないか。シンカーとスクリューは、ストレートの腕の振りとおなじ球道でくるので、縦に落ちるシュートと見分けがつかない。ちがいはスピードだけだ。どちらもかなり早いうちに、バッターボックスのフロントラインあたりからストライクコースを外れて落ちるが、ベースの角にかかるとストライクの判定になる。真横に変化することはないので、デッドボールの危険はまずない。ベースに近く立たないと高橋はスクリューを投げる気にならない。ホームベースに寄り、ボックスのフロントラインへわずかに移動する。
 四球目、強い腕の振りでボールを宙に投げ出すようにしたので、とっさにオープンスタンスにする。高目のボールのコースから膝もとへ曲がり落ちてきた。絶好球になる。スピードに合わせて少し振り遅れるように、引っぱりを利かせてスイングする。右中間へ舞い上がった。どこまでも昇っていく。中日球場のスコアボードはセンターのわずか右寄りにある。ぶつかるかもしれない。ボールはさらに上昇して、スコアボードの時計塔のてっぺんで弾んだ。ドオォォ! という歓声。森下コーチとタッチ。王の祝福の声。
「ナイスバッティング!」
「ありがとうございます!」
 轟音のような歓声が止まない。子供たちが大きなホームランに熱狂している。高木はホームインしたとたん、おどけたふうに額に手をかざしてスコアボードを眺めている。江藤が水原監督とタッチしながら走り抜ける。長嶋が、
「サプライズ、サプライズ!」
 と甲高い声を上げながら、私がサードベースを踏むのをしっかり確認する。立ち止まり水原監督と固い握手。抱擁。
 逆境は順境では修復できない命を復活させる。私は死んだも同然だったけれども、一部の人間たちにそう思わされていただけだ。死ねば彼らの勝利だった。私は命を回復した。命に未来や過去などない。あるのは何度も繰り返されるいまの命だけだ。過去や未来を思うつらさに固執すれば、命にたどり着けない。
「金太郎さん! 中日球場の最長不倒だ!」
「はい! ありがとうございます!」
 尻をポーン。このポーンで野辺地中学校の野月校長先生をかならず思い出す。ウグイス嬢が、
「神無月選手、今シーズン第九号のホームランでございます」
 バックネットに向かってピースサイン。みんなに囲まれてベンチへ。ブルペンから走ってきた浜野が尻に強烈な回し蹴りを入れた。田宮コーチが険しい顔で、
「浜野、金太郎さんをぶっ壊す気か。ブルペンへ戻れ!」
 徳武が、
「神無月くん、きみはまさに超人だ。考えられない化け物だ」
 長谷川コーチが、
「超人で、化け物で、守護神だよ」
「護られてるのは、ぼくのほうです」
「おっと、褒めたら褒め返されるんだった。付き合いづらいなあ」
 江藤が、
「そう言わんといてください。褒められるのが苦手なんやけん。ばってん、これで精いっぱいうれしがっとるとですよ」
 五番木俣、調子づいて、高低かまわず振り回して三振。
「省三、ぶっ叩け!」
 六番江藤省三、二球バックネットへファールしたあと、長嶋への高いファールフライ。長嶋、ショートの黒江を指示してしゃがみこむ。黒江捕ってアウト。徳武が、
「あれ、長嶋のポリシーなんだよ。フライを捕る格好は美しくないから人にまかせるって」
「ショートはたいへんですね。ファールフライまで捕らされるんじゃ」
「基本、わがままな男なんだね」
 三番手に控えているベテランの水谷寿伸が、
「ダテ男だよ。しかし、浜野の野郎、金太郎さんのケツを思い切り蹴りやがったな。どさくさに紛れたつもりなんやろうが、ありゃ目についたな。水原さんの目が光ったぜ」
 そう言って、ブルペンの山中と交代しにいった。
 ゼロ対四、ツーアウトランナーなし。七番菱川が打席に入った。半田コーチがネクターのタブを開けてヌッと私に差し出した。
「飲みたければどうぞ」
「飲みたいです」
 一息に飲み干す。菱川が外角の速いシュートをいいタイミングでファールする。
 ―長打が出るな。
 二球目内角低目のカーブ、ボール。三球目、真ん中高目渾身の速球、見逃し、ストライク。次だ。三球目、菱川は外角へゆるく落ちて逃げていく〈スクリュー〉をジャストミートした。あっという間に王の頭上を越え、ライト線へ転がった。大きなからだがすばらしいバネで走る。二塁へ足から滑りこむ。彼はすべてが美しい。一塁ベンチに向かって片手を突き上げる。ベンチ全員が拍手する。内外野の声援が合わさり、うねりはじめた。鉦太鼓がかしましくなる。
 八番一枝。初球真ん中低目ストレート、見逃しストライク。二球目外角スクリュー、ドラゴンズベンチの防御網へファール。ツーナッシングから、内角ふところへ入ってくるカーブを引きつけて、クルリとからだを回転させた。
「うまい!」
 ゆるいライナーが長嶋の頭上を越えてポトリとレフト前へ転がる。末次が走ってくる。ホームに突入する菱川をあきらめ、セカンドへゆるい送球。油断だった。勢いをつけて一塁を回った一枝が二塁へフックスライディングをする。黒江タッチ、セーフ。一枝も菱川と同じようなガッツポーズをした。スマートなからだにあまり似合っていないのが愉快だ。いつのまにか五点取っている。浜野がホームランを打つぞと言わんばかりにバットを振り回して打席に入ったが、一球振っただけで見逃し三振。


         二十六

 二回表、ドラゴンズのキャッチャーが吉沢に代わった。吉沢は張り切ってセカンドへ送球する。木俣より少し山なりだ。胸が温かくなる。温まった胸が痛む。木俣の交替の理由はわからないが、勢いが乗りかかったところで杜撰な三振をしたからかもしれない。
 ヘルメットのヒサシを深くかぶった長嶋がバッターボックスに入る。あごを引くための工夫だと中から聞いた。
「長嶋、一発頼むぞ!」
 ナーガシマ、ナーガシマ、のシュプレヒコール。初球胸もとのストレート。ボール。胸もとはだれも打てない。二球目、うまく真ん中低目のカーブを打たせてショートゴロ。指を広げて走る独特の走法。一塁から三塁ベンチへ引き揚げるスピードも速い。ものすごい躍動感だ。凡打まで美しく見える。
 五番国松。フルカウントからファールで粘って結局フォアボール。浜野はよほど投げづらかったのか、歩かせてホッとしたような顔をした。国松は強肩俊足と聞いているが、遠投する姿も盗塁する姿も見たことがない。いつもライトからセカンドへゆるく返球するだけだ。眼鏡を光らせ、少しリードを取ったりしながら、ホワンとしている。
 早打ちの末次、初球内角低目のカーブを打ってサードゴロ。体重移動をあまりせず、コンパクトに振る打法がガッシリしたからだに似合わない。見ていてなぜかしっくりこない。打球は江藤弟から高木、江藤兄と渡ってダブルプレイ。末次はのそのそとベンチに走り戻り、ライトの守備に出ていく。立ち居といい、背格好の雰囲気といい、華(はな)のなさは巨人の中では特筆ものだ。ベンチに戻って腰を下ろすと、吉沢に話しかけられた。
「私は大矢根とずっとバッテリーを組んでたんですよ」
「そうですか。それで始球式のときバッテリーを組んだんですね」
「はい、彼が十九歳で二十九年に入団した年から二十五歳で西鉄へ移籍するまで七年間ずっとです。八十四勝のほとんどに付き合いました。私は二十一から二十七にかけて脂の乗り切ったころでしてね」
「ぼくが五歳から十一歳か。二十九年から三十五年。昭和三十五年のオーダーを思い出せますか。ぼくはしっかりは思い出せないけど、言ってみます」
「どうぞ。神無月さんが思い出せないところを埋めてみましょう」
 二回裏。水原監督が言ったとおり、長嶋が引っこんだ。サードの守備にセカンドから滝が回った。セカンドには土井が入る。それだけで客足が少し退いた。よほどの長嶋ファンだ。
「中、高木」
 ネクストバッターズサークルの高木の背中を見ながら言う。
「高木さんはまだスタメンじゃありません。代打で出はじめたころです。二番は本多さんでした」
「中、本多ですね」
「はい」
「井上、森、江藤、前田ときて、七番……」
「よく憶えてますね。七番三塁は岡嶋さんか横地さんです」
「岡嶋は憶えてるけど、横地という人は知らないなあ」
「大柄の目立たない人で、そのころ阪神に移籍して、五年前に引退しました」
「そうですか。八番は吉沢さん」
「はい」
 中が打席に入る。ワンツーから真ん中低目のカーブを打ってセンター前ヒット。高木の初球に、すかさず盗塁。アウト。
「え?」
 中日ベンチがどよめく。太田が、
「中さんでも、三分の一以上失敗します」
「そんなに!」
「五十盗塁したときも、十五回失敗してます」
「長嶋の一年目は? 相当走ってるよね」
「三十七回成功して、十回失敗です。最近はほとんど走りません」
 高木、ツーナッシングから内角高目のストレートを左中間へライナーでソロホームラン。
「高木選手、今季第二号ホームランでございます」
 跳びはねて水原監督とタッチし、次打者の江藤にヘッドロックされた。このところ私以外の選手は監督の抱擁をオミットしている。三塁を走り抜けるリズムと崩すと思ってか、それとも相手チームの揶揄を避けようと思ってかのどちらかだろう。水原監督もそれにきちんと対応している。ゼロ対六。ピッチャー高橋一三から渡辺秀武に交代。アンダースローの重い速球。特徴はそれだけ。たぶんサンドバッグ状態になる。
 江藤ワンワンから内角カーブを叩いてレフト中段へソロ。ゼロ対七。私、ノースリーから外角高目に外しにきた速球を踏みこんで叩いて左中間鉄塔下にソロ。ゼロ対八。三者連続ホームラン。アベックホームランも四度目だ。
 背番号33の吉沢、二球目の外角カーブを打って当たり損ねのセカンドゴロ。土井堅実にさばいてツーアウト。吉沢はベンチに戻ってくるときしきりに手を振っていた。渡辺の重いボールが三十六歳の掌に響いたのだろう。姿がどうにも物悲しい姿だ。
 江藤省三、ツーツーから外角高目のストレートを引っ張って左中間へ好角度のライナー。兄から打ち方を学んだのだろう、外角球にヘッドだけを投げ出す格好がよく似ている。惜しいところで高田に好捕される。押っつけてもセンターライナーだったか? フライが打てればもっと打率が上がる。
 三回表、サード江藤弟から太田に、ショート一枝から島谷に守備交代。浜野続投。七番滝、キャッチャーフライ。八番吉田、ピッチャーゴロ。九番渡辺三振。浜野の一勝が見えてきた。
 三回裏、巨人のキャッチャーが森に代わった。センターも桑田武に代わっている。きょうは両チームとも交代がめまぐるしい。菱川、またもやライト打ち。国松の頭上を越える二塁打。一枝、外角シュートを流し打ってファーストライナー。浜野、一球胸もとに投げられるや、君子危うきに近寄らず―真ん中のストレートを三球見逃して三振。野球が嫌いなのか。
 中に代わって代打江島。中と交代するとは! この男に期待するものがそこまで大きいのだろうか。ふと、江島が私や太田と同い年だと気づいた。去年のドラフト二位。新人で三試合連続ホームランを放ったほどの男が、なぜ控えに回されたのだろう。キャンプのときにも同じことを考えたことがあったけれども、結局、打率が低すぎるという結論になった。二割五分までは才能で打てるという話をよく聞くから、二割そこそこの彼にはバッティングの才能がなかったということだ。
 江島サードゴロ。考えた結果の打ちそこないではなく、何も考えない結果のミスショットだった。太田や菱川の努力を見習わなくてはいけない。努力しない人間は、プロ野球から去るべきだ。次の打席もだめだろう。葛城さんに代わったほうがいい。チェンジ。
 四回表。そろそろ何かが起こるころだ。巨人は一番から。高田に代わって守備に入った桑田。エイトマンだ! アブランケンソワカ。木田ッサーのあこがれの男。バットのヘッドを重そうに振り抜くスイングを憶えている。スイングの力感も、足に故障が多いことも阪神の藤本に似ていた。新人長嶋のホームラン王を奪い、三年後には打点王を奪って三冠を阻止した男。三原大洋の優勝の立役者。おととしまで九年間にわたって平均二十五本のホームランを打ちつづけ、とつぜん別当監督に嫌われて使われなくなり、大喧嘩して大洋を去った。去年巨人に拾われた。以来ほとんど使われず、野球生命を終えたも同然になっている。さびしすぎる。
 桑田はツースリーからかフォアボールで出た。四回にしてそろそろ浜野の限界か。桑田に威圧されたわけではない。ボールが走っていないのだ。責任回数を投げさせる必要はない。そんなことをしたら、せっかく開いた点差が縮まる。それにしても往年のスラッガーの腑甲斐なさ。三球見逃し、四球ファール。八球目でフォアボール。八球のうちには、一球や二球打てる球があったはずだ。あえてフォアボールで出ようとする気持ちが悲しい。だるまのような図体が一塁ベース上に立つ。入団同期の江藤と何やら話をしている。やさしい江藤が話しかけている。
 長嶋がベンチのいちばん前に座り、片脚を膝に載せて組んでいる川上監督としきりにうなずき合っている。川上監督はドッカとふんぞり返っている。
 ―猛特訓、勝つことが至上命令、厳格で冷徹、哲のカーテン。
 そんな評判にふさわしくないダラケた格好だ。そこへ長嶋は話しかけているのだ。美しい図ではない。
 ふんぞり返るのは力以上に自分を見せようとするからだろう。それは現役時代のふんぞり返りすぎる無様なアッパースイングに現れている。遠くへ飛ばすホームランバッターに対する劣等感だ。形勢不利になるとしきりに貧乏ゆすりをして苛立ちを隠さないのも、厳格さや冷徹さからはほど遠い。いずれにせよ、晴朗な野球人ではない。川上という男は自分の言葉に哲学的な含みを持たせて盛んに他人を批判するけれども、彼の胸中には有能な者に対する恐怖心があり、それをごまかすために、人生哲学に見せかけて他人を批判するのだと私は確信している。批判の心の奥には、自分を打ちひしいできた人間に対する怨嗟があるにちがいない。根本的には長嶋とうまくいかないはずだが、どういうことなのだろう。長嶋が目上の人間に従順な気質を本来備えているからだろうか。
 川上のほうも長嶋を放任してかわいがっているように見える。これもオープン戦の宿で同室したとき中に聞いた話だが、川上は長嶋がとやかく言わなくても自分で自分を鍛える男だと見抜き、ほかの選手のように厳しく管理する必要はないと考え、首につける縄をうんと長くしてその範囲内で自由にやらせることにした。それが川上の長嶋飼育法だということだった。やはり〈飼育〉の気持ちはあったのだ。ただ長嶋に関してだけは管理至上主義者にならなかったようだ。いずれにせよ、川上も長嶋も、だれとも仲良くなれない、〈勝ちたい〉男だと私は見ている。
 二番黒江。インローに投げればさっきと同じようにゲッツーが取れる。浜野は吉沢のサインに首を振り(たぶん内角シュートだったはずだ)、外角低目に力いっぱいストレートを投げた。痛烈なライト前ヒット。桑田を打ち取らなかった報いがこれだ。浜野はプレートを蹴って口惜しがっている。どこに口惜しさの矛先を向けているのだ? 吉沢はポツネンと立っている。水原監督はベンチの奥で動かない。五回終了まで投げさせる気だ。温情ではなく、懲らしめのつもりなのだ。ノーアウト一、二塁。三番王。
 ―王は内角攻めだぞ。全球内角だ。少しでも外角へ浮気したらオダブツだ。
 一本足の立ち姿が安定している。ギュッと巻いたゼンマイのようだ。初球内角カーブ、ストライク。二球目内角ストレート、高速スイング、猛烈なファールチップ。王の目がギラリと光る。顔を見るな、コースだけ見ろ。ファールチップごときにビビるな。浜野はセットポジションから、明らかに外角高目へ外しにいった。
「アチャー! 外角か」
 カーンといい音がし、打球が独特の軌道で高く上昇する。フラッシュが瞬く。浜野が振り返り、膝を突いた。看板を越えて場外へ飛び出した。歓声、怒号、拍手。巨人チームが全員ベンチ前に並んだ。王は跳び上がって牧野三塁コーチとタッチ、女のようなひらひらした手の振り方で花道を走り、ホームベースをそっと踏むと、半身に構えた川上監督を先頭に順にタッチしていく。三点が十点に思えた。少なくとも巨人ベンチと巨人ファンはそう思っているようだった。三対八。
「王選手、今季第一号ホームランでございます」
 四番、長嶋に代わって土井。滑稽だ。これで巨人はザッツ・エンド。初球セーフティバント失敗。二球目三球目と外角へボールにするストレート。吉沢さん! 外す必要などまったくないですよ。打たせればいい。ワンツー。バッティングチャンス。せっかく外角を投げつづけたのだ。ここで外角へ曲がる球だ。スライダー。長谷川コーチに稲尾二世になれるとおだてられたスライダー。まだ未習得だったか。じゃカーブでもいい。とにかく自己学習の機会だ。学習しないかぎり、あなたは打たれつづける。打たれるピッチャーはだれも助けられない。水原監督は何点取られても責任回数を投げさせるだろう。
 ああ、内角にいった! ハッシと三遊間を抜かれる。私の前に転がってくる。苛立ちをぶつけるように二塁へ思い切り投げ返す。同じコースへ球種を変えて投げるという思考ができないのか! 仕方がない、一人出したらゲッツーを狙え。
 五番国松。きょういちばん危ない男だ。浜野も本能的に怯えている。さっきのようにフォアボールで出せば、苦手意識が固着する。国松は細身に見えて、意外と下半身がガッチリしている。百八十センチ、七十七キロ。上背も体重もある。すっくと立った構えから素軽いスイングで長打を飛ばす。たぶん、弱点は全コースの高目だろう。胸より上。吉沢さん、お願いだ。高目を要求してください! 初球、外角低目ストレート、ピクリと国松のグリップが動く。ストライク。低目はぜんぶだめだ。二球目、同じコースへカーブ、打たれた! 打球が上がらない。センター前へ抜けていった。
 ノーアウト、一塁、二塁。川上がえらそうにガニ股で出てきて選手交代を告げる。末次に代わって相羽。相羽? むかし高校野球で聞いたことがあるようなないような。ま、どうでもいい。名鑑の記憶を手繰る気もしない。相羽なる男は粘りに粘ってフォアボールで出た。浜野はとっくに限界を過ぎている。水原監督はこうなったら無理にでも五回まで投げさせて勝利投手の権利を与えることに決めたようだ。それまでに八点以上取られて潰れれば、未熟者の自殺というわけか。いや、どうにでも七点までで抑え切って、一勝させ自信をつけさせることが重要だと考えているのかもしれない。大温情。
 ノーアウト満塁。七番滝。初球カーブを引っかけてセカンドゴロ。4―6―3のダブルプレー。土井生還、国松三塁へ。よし! それにしてもなんで初球を? この滝という男は近いうちにクビだろう。アタマが悪い。得点差とピッチャーの崩れ具合を見れば、たとえ三振を喰らってもツーストライクまで全球を見ていくつもりでないといけなかった。四対八。巨人はこれで絶望的。浜野も危ないが、勝利は手に入れられるだろう。
 八番森、片手打ちのダウンスイング野郎だ。低目は打てない。ああ、それなのに! 初球から胸の高さのストレートを投げてライトへ打ち返された。国松生還。五対八。吉沢さん、あなたの出場機会は大幅に減りましたよ。古巣を離れてウロウロしているうちに、インサイドワークの直観を失ったんですね。でも、いつか遊びにいきます。しみじみと語り合いましょう。
 ツーアウト、ランナー一塁。九番渡辺にピンチヒッター林。初めて見る大柄な左バッター。初球を流し打ってレフト前ヒット。私は二塁へゆるいワンバウンドで返した。
 一番、桑田にピンチヒッター森永。バットを胸に引き寄せて構える。この種のフォームの選手は内角の掬い上げ一点張り。外角攻めが効くのは一目瞭然だ。そのくらいは浜野も見て取れたようで、ツーツーから外角低目ストレートで空振り三振。ようやく四回表が終わった。


         二十七

 四回裏。高橋明が登板する。担ぎ投げのオーバースロー。ピシッと手首を打ち下ろす静かなフォーム。
「だれ?」
 私がだれにともなく呟くと、江藤が、
「五、六年前のエースよ。ずっと不調やったばってん、去年復活して九勝挙げた」
 太田が、
「持ち球はナックルとカーブ」
 高木、カーブをバットの先に引っかけてレフトへのハーフライナー、アウト。それでもしっかり捉えて打っている。江藤カーブを芯で捉えてレフト前ヒット。私は外角高目の遅いストレートを無理やり引っ張って、右中間フェンス直撃の二塁打。ワンアウト二塁、三塁。吉沢バントの構えから一、二塁間へバスター。江藤生還。私は三塁へ。吉沢はアウト。五対九。太田、センターフライ。
 五回表、ドラゴンズのキャッチャーが吉沢から新宅に代わる。もう今季の吉沢の出場はほとんど望めないだろう。二番黒江、六球ファールで粘ったが内角ストレートで三振。浜野が吠える。みっともない。三番王、胸もとにすっぽ抜けた高目のカーブを振ってきょう二つ目の三振。浜野が天を仰いでまた吠える。何に対して凱声を上げているのか不気味だが、単なるパフォーマンスとも思えないので、心底巨人に敵愾心を燃やしているのにちがいない。このまま勝てば、新人初年度に巨人戦で初勝利という輝かしい記録を打ち樹てることになる。それに対する祈りの叫びかもしれない。土井、ファーストゴロ。
 スリーアウト、チェンジ。攻守交替。スタンドを見上げながら駆け戻る。ルールは小学校の校庭と同じだ。しかし、薄緑の芝生! あこがれの中日球場! 私は現実にその球場で野球をしている。生まれて初めて知り合った選手たちと親しく口を利き合いながら、大好きな野球をしている。これはほんとうのことだろうか。彼らに伍して球界を闊歩しているなんてことが現実だろうか。夢だ―そう思えば心が安らぐ。球場も、選手の顔も、すべて願望が作り出した夢だ。淡くはかない人生に一瞬与えられた夢なら、それが醒めるまで貪欲に味わい尽くそう。
 五回裏。高橋明続投。菱川、大きなライトフライ。九番浜野に代わって伊藤竜彦。中京商業出身、江藤と同じ十一年目、百七十六センチ、七十キロ。権藤時代の生き残り。前田益穂がロッテに移籍したあと、徳武がくるまでサードを守っていた。それから外野に回され、長打力がないせいで完全な控えになった。伊藤は外角ストレートを二球、内角カーブを二球しっかりと見逃し、フォアボールを選んだ。手柄は手柄だけれども、一球も打ちにいかなかったのは解せない。日野が代走で出る。
 きょうはこれまででいちばん長い試合になるだろう。一番江島。三振。代走で出た日野も走らない。代走で出される意味は何だ? 足で引っ掻き回し、短打で生還する足があるということじゃないか。長打で生還する足ならだれでもある。ボーッと突っ立ってちゃだめだ。リードを大きくとるなりして、掻き回さなくちゃ。
 高木、センター前ヒット。ワンアウト、一、二塁。江藤、センター右へヒット。日野生還。日野は参加することに意義ありだったようだ。これも監督の温情。五対十。私は敬遠気味のフォアボールで出される。ワンアウト満塁。新宅サードライナー。ツーアウト。太田が打席に入る。めずらしく水原監督がコーチズボックスから、
「太田!」
 と呼びかけ、肩の力を抜くような仕草をする。太田はうなずき、ゆったり構える。オープン戦男で終わってほしくない。当確の菱川がベンチ前に出て、緩やかなスイングをしながらネクストバッターズサークルへいった。
 太田は差し上げたバットの先を見上げた。構える。二球つづけて胸もとのシュートにのけぞった。構える。次はカーブかナックルだ。読みやすい。太田も読んでいるだろう。三球目、内角の低目に落ちてきたナックルを滑らかなスイングで掬い上げた。いい角度で舞い上がる。レフトの相羽が追わずに見上げた。太田は跳びはねながら一塁ベンチへ喜びのこぶしを突き出す。一塁ベースを回りながら森下コーチと乱暴なタッチ。ドスドスという独特の走り方で二塁ベース、三塁ベースと回り、水原監督とやさしくハイタッチ。立ち止まり、自分の尻を指差す。ポーンと叩いてくれとリクエストしているのだ。水原監督は音がするほど叩いた。スタンドの笑い。太田はまた跳びはねながらホームインした。菱川が抱きつく。
「太田選手、今季第一号のホームランでございます」
 私は彼の両方の尻を握った。
「ヒャアー!」
「いいケツしてる。おめでとう! プロ公式戦第一号がグランドスラムだ。やったね。菱川さんといっしょに当確だ。江藤さんと木俣さんとぼくたち三人でドラゴンズの五本柱になるんだ」
「はい! うれしいっす!」
 五対十四。高橋明に代わって新人の田中章というピッチャーが出てきた。お初だ。名前すら知らなかった。背番号10というのが変わっている。スリークォーターから百四十キロ台の速球、変化球は小さいカーブ、小さいシュート、小さいスライダー、ひととおり投げる。コントロールがじつにいい。ネクターをうまそうに飲んでいる太田に、
「田中はドラフト何位だったの?」
「二位です」
「一位はだれ?」
「有名な島野です。ほら、巨人に入る予定だった浜野さんが、浜と島をまちがえたんじゃないのって言った」
「ふうん、浜と島をまちがえんたじゃないかって本気で言ったんだね。どこまでも傲慢な人だろう。世にはばかるよ。もう、彼上がっちゃったの?」
「傲慢浜野、ここにおるぞ! おまえこそ、憎まれんもせんくせに世にはばかるだろ。聖人君子づらではばかるなんてのは、ずるいやつのすることだ」
 シャワーで濡れた髪をバスタオルでゴシゴシやりながら言う。
「ぼくは憎まれないうちにサッサと姿を消しますよ」
「切ないこと言うな。おまえに去られたら、中日ピッチャー陣は自殺ものだ。俺はおまえの聖人君子づらが気に入ってるんだよ。はばかってほしいんだ。しかし、俺にあんなことを言わせたのは巨人が悪い。俺を取るってほんとに言ってたんだからな」
「弱いチームに入らなくてよかったですね。巨人から一勝、確実ですよ」
「サンキュー! おい、あいつを見ろ。ああいうピッチャーは打ちにくいんだぞ。小さく早く曲がる変化球はなかなか打てない。見ててみい」
 浜野の予想に反して、菱川は三球つづけて三塁スタンドへファールを打ったあと、ライトへ大飛球を打ち上げた。国松が塀ぎわで長いからだを伸ばして好捕した。浜野の姿はすでになかった。
 六回表、江藤や伊藤竜彦や板東と同期の水谷寿伸(ひさのぶ)が登板。田中章とまったく同じタイプで、スリークオーターからのカーブ、スライダー、シュートが持ち球。ただ、田中章よりはからだが一回り大きいので、なんとか見分けがつく。キャッチャーは新宅から高木時夫へ交代。これまたお初。九年目のベテラン選手。口角に年寄りくさい皺の寄ったチンマリ顔は、キャンプ以来会食のときも目に入らなかった。話しかけられたこともない。日大時代には、〈八時半の男〉宮田とバッテリーを組んでいたという。
         †
 四時五十分。長い試合が終わった。七対十四でα勝ちした。勝利投手浜野、初勝利。水谷は国松と黒江のソロのホームランだけに抑えた。ドラゴンズは六、七、八回を田中章にみごとに九人で抑えられた。内野ゴロ五つ、内野フライ一つ、外野フライ三つ。私は内角高目のスライダーを強引に叩いて、ファースト王へのフェアフライだった。一塁を回ってベンチへ引き返すとき、王の左手と握手した。鉄のように硬い掌だった。初めて見せる笑顔で、王はもう一度、
「ナイスバッティング」
 と言った。
「王さんこそ! あの軌道はみごとでした」
 巨人軍一行は川上監督といっしょにさっさと引き揚げた。私はバックネットの北村席七人に向かって帽子を掲げた。彼らは立ち上がって拍手をした。それに釣られて大歓声が湧き上がった。一塁側スタンドにも鳴り物混じりの歓声が上がる。
 対巨人一回戦とあってか、最前列に球団フロント陣に混じって白井社主の顔もあった。すでに大矢根は姿を消していた。私はもう一度一塁スタンドに帽子を振った。
「神無月イ!」
「天馬ァ」
「金太郎さん! すてきィ!」
 報道陣が一塁ベンチ前に押し寄せてきて、水原監督に勝利の弁を迫った。
「開幕四連勝おめでとうございます」
 監督は快く応える。
「ありがとうございます。たしかに四つ勝ちました。しかし、広島に二十六分の三、巨人に二十六分の一の引っ掻き傷をつけたにすぎません」
「まだ気が早いでしょうが、優勝についてはお考えになっていますか」
「キャンプ以前から考えていますが、はるか先に見える淡い光です。その光が強烈な現実味を帯びてくるかどうかはまったくわかりません。とにかく一度優勝したいのは確かです。そのために、チーム一丸となって最大限の努力をいたします」
「ジャイアンツはいかがでしたか」
「強いに決まってますよ。胸を借りたんです。全力でぶつからないととうてい勝てる相手ではありません。もう二戦あります」
 私にマイクを向け、
「初めての巨人戦の印象は?」
「きょうのジャイアンツは全力を投入していません。長嶋さんが一打席で引っこんだのが残念です。体調を崩されたのでしょうか。王さんの場外ホームランの弾道はみごとでした。田中章投手のクセ球を打つことが課題として残りました。以上」
 私はベンチへ去った。報道陣の輪の中に残っていた水原監督が、
「金太郎さん、あしたも同じ時間だよ!」
「わかりました!」
 ロッカールームの廊下に、普段着に着替えた高木時夫の老け面が立っていた。
「中日球場あるかぎり、あそこにホームランを飛ばす選手は出てこんやろう。いっしょにプレイできて光栄やった。あしたもがんばろう」
「はい、ありがとうございます。じゃ、あした」
 二十人に余るチームメイトがロッカールームで着替えをしていた。私が入っていくといっせいに拍手が起こった。私はお辞儀をして着替えにかかった。中がいたので、
「早い交代でしたね」
「水原さん、巨人の采配に怒っちゃってね。こっちもレギュラーをぜんぶ引っこめるかという話が出たんだけど、王も出てることだし、デモンストレーションは私だけにしましょう、ということになってね。あしたも長嶋が出てこなければ、うちも途中からクリーンアップ総取っ替えになるかもしれないよ」
 一枝が、
「水原さんは耐えると思うぜ。長嶋だってほんとうに体調が悪いのかもしれんし」
 中が、
「そっちの可能性のほうが高いな。でもあした出てきたら、きょうの試合は飛車落ちでドラゴンズの力を試したってことになるね」
 伊藤竜が、
「角も落とす予定だったんじゃないの」
 江島が、
「焦らし戦術ですか。それともナメてたんですか」
 千原が、
「シーズンの長丁場で勝てるって自信があるんでしょうね。とにかく水原監督を怒らせちゃいましたよ。あしたはEK砲中心のレギュラー一本でビシッといくでしょう」
 徳武が、
「こりゃ、まったく出番はなさそうだな」
 私はジャージに着替え、ユニフォームとスパイクをダッフルに詰める。
「いやな話ですね。常に長期的展望が先行して、肝心の目の前の試合そのものが後回しというのは。野球人のすることだと思えない」
「そうだ!」
「そのとおり!」
「徹底的に打ちのめすぞ!」
 青森高校が彷彿とした。
「江島さん、自分のからだにパワーがあることは忘れて、腰で打つバットスピードだけにまかせたほうがいいと思います。そうすれば二十本はいくでしょう」
 葛城が、
「俺たちは?」
「葛城さんも徳武さんも道を極めた人です。オープン戦でお二人のホームランをこの目で見てます。完璧でした。何の欠点も見えません。ときどき実戦でお手本を見せながら、後進に懇切丁寧にバッティングを教えてあげるべきだと思います。あれ、島谷さんは?」
 中が、
「木俣といっしょに、バット振りにあわてて帰ったよ」
「巨人の末次もそうですが、島谷さんは前を大きく振れば、菱川さんや太田みたいなホームランバッターになれます。でも、前を小さく、するどく振り抜くのが、島谷さんの哲学かもしれませんね。じゃ、あした九時半過ぎに入ります。失礼します」
「オース!」


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