五十八 

 バッティング練習をする前に、全員で鏑木と塀沿いにゆっくり二周。鏑木は私に並びかけてしゃべった。
「初めてお会いしたときは、あ、美しい少年がいる、あれが天馬かと感動しました。そういう感動の仕方はまちがってました。池藤さんも、科学的に解明できない身体能力だと言ってましたが、そういう感動の仕方もまちがってます。たたずまいにせよ、筋肉せよ、精神にせよ、私は神無月さんのすべてを解明する必要などないと思ってます。存在そのものが奇跡なんですよ。奇跡は謹んでお受けするしかない。褒められると神無月さんは不機嫌になるとは聞いています。しかし、讃えずにはいられない」
「ありがとうございます。いろいろ欠点の多い人間ですが、そう言ってもらえると愛情を感じて、ファイトが湧いてきます」
「欠点ですか……。社会性の欠如だとか、親族に対する関心の薄さだとか、神無月さんが自分でも口に出し、世間もいい気になって陰口を叩いている欠点のことですね」
「それだけじゃないんです。ぼくは愛情乞食でもあります。友人や女がいないと生活をさびしく感じるんです」
「天真爛漫な人間の特徴でしょう。頑固な独立独歩の人間は枷を嫌って、冷酷に振舞います。神無月さんは、男でも女でもつきまとう者を温かく包みこむ。それも総合して、私は神無月さんを人間の奇跡だと思っています。きょうもすばらしいホームランを見せてください」
「はい、ぼくはいつも全打席ホームランを狙ってるんです。たまには短打狙いに切り替えることもありますが、たいていはホームランを打とうと思って打席に立ちます。たった一つの持ち味ですから」
 鏑木は少し走りをのろくし、
「……野球に関しても、人間としても、神無月さんには、これといった持ち味はありません。持ち味とか取り柄とかいうものは、つまらないものの中の一つの輝きでしょう。すべてが輝いている人にそんなもの見つかりませんよ。さあ、バッティング練習に入ってください。きょうは私、十球ほどバッティングピッチャーをやらせていただきます。だいぶ練習したんです。小便球ですがコントロールはいいんですよ。池藤さんも投げます」
 四時半。みんなでバッティングケージに向かった。
         †
 狭いファールグランドにも一応ブルペンはある。芝を剥いで、そこだけ長方形の剥き出しの土になっている。この位置にファールのライナーが飛ぶことはめったにない。カットしたボールがときおり強いゴロやライナーになることはあるけれども、ブルペンキャッチャーのそばでボールボーイがグローブを手に控えているので、まず直撃される心配はない。
 一塁側ブルペンで森中が、三塁側ブルペンでは小川が投げている。森中のストレートを観察する。百三十七、八キロ。速いカーブのスピードとそれほど差はない。
 スターティングメンバー発表。中日ドラゴンズはバスの中で半田コーチが発表したとおり。大洋ホエールズは、一番ショート関根、二番ファースト中塚、三番センター江尻、四番サード松原、五番レフトジョンソン、六番ライト近藤和彦、七番キャッチャー伊藤、八番セカンド近藤昭仁、九番ピッチャー森中。球審岡田、一塁平光、二塁山本、三塁鈴木、レフト柏木、ライト筒井。
 試合開始。中がバッターボックスに入る。三塁側スタンドが盛り上がる。ベンチのするどい声。
「さ、利ちゃん、いこ!」
「ヨー、ホイ!」
 初球、力のないカーブ、しっかり叩いてライナーのライト前ヒット。さっそく大量得点の気配だ。高木ワンワンからカーブの落ちぎわを叩いてレフトへ四号ツーラン、江藤胸もとのストレートを反り返って打ってレフト看板上の防御金網へ九号ソロ、私内角低目のカーブを掬ってライト場外へ二十五号ソロ、三者連続ホームラン。まず四点。木俣真ん中高目の速球を叩きつけレフト前へゴロのヒット、島谷三振、一枝内角シュートを流し打ってセンター前へ詰まったヒット、太田真ん中高目のシュートをレフト上段へ四号スリーラン。七対ゼロ。小川三振、ツーアウト。打順一巡して、中外角シュートを三遊間へヒット、高木スローシンカーをレフト前ヒット、江藤フォアボール、私外角高目のシュートを左中間中段へ高く舞い上がる二十六号満塁ホームラン、十一対ゼロ。木俣サードゴロ。
 初回に十一点取ったので、水原監督は二回から、ピッチャー以外のメンバーを私も含めてすべて入れ替えた。キャッチャー新宅、一塁千原、二塁伊藤竜、ショート江藤省三、三塁徳武、ライト菱川、センター江島、レフト葛城。しばらく観客がざわついたが、小川のすばらしいスピードボールやら、人を食ったようなスローカーブやら、硬軟とり雑ぜた快投のおかげで、興味の対象が二回以降の投手戦に移り、最後まで客足は退かなかった。江藤弟はこれまでも常にベンチにいたのだが、いちばん奥の隅にいてだれとも口を利いたことがなかった。オープン戦のホームラン以来、ただひっそりと目立たない場所で息をしている。兄はどんな気持ちでいるのだろうか。
 大洋のラッキーセブンの応援がドンチャン始まったころに、太田と連れ立って柴田のオバチャンのところへ茶を飲みにいった。オバチャンは満身に喜びを表わし、うまい玄米茶をいれてくれた。川崎ガールズも姿を現し、あしたは夜食の弁当を作ってくると先回と同じことを言った。太田が、
「食う気力があればいいんですけどね。ホテルに戻るとグッタリですから」
 うまい断り方をする。
「残してもいいんですよ。少しでも味わってもらえれば」
 一人の女の太田を見る瞳が輝いた。ちんまりした目に付け睫毛をしている。太田は付け睫毛に、
「会食場で食べたいので、やっぱりいりません。お気持ちだけありがたくいただいておきます」
 もう一人の女が私を見た。
「ぼくはいいですよ。夜は食えません」
 私は素っ気なく言った。江藤もやってきて、
「オバチャン、ワシにもお茶」
「はいはい。いいんですか抜けてきて」
「水原さんが総取っ替えしたけん、暇になったっちゃん」
 顔の造作の小さい付け睫毛が、
「太田さんのツーランと神無月さんのグランドスラム、三塁スタンドはお祭り騒ぎでした。私たちも思い切り叫んじゃった」
 オバチャンが、
「あんた、どっちのフアンなの」
「ドラゴンズでーす!」
 江藤が、
「大洋の人たちも給湯室にくるとでしょ」
「まずきません。こっちは三塁側ですから。アウェイの選手も、こんなに親しくする人はいなくて、そこの戸の外で立ったまま、背中丸めてうどんやラーメンすすってます。江藤さんたちみたいに話しかけてくる人はいませんね」
「今年のワシらは壁がないけんな。去年まではこうやなかったろう」
「はい、そこに立ってモソモソ食べてましたね」
 太田が、
「二人は大学生ですか」
「はい、二人とも調布学園女子短大の二年生です」
「俺は高卒です」
 よしのりを思い出し、思わず笑った。豊満な女が、
「神無月さんは東大ですよね」
「くだらないな。日本の学歴信奉社会を尊重するような物言いはやめましょう。AよりBのほうがすぐれているとか、劣っているとか、そういう考え方自体意味がない。人には持ち場があって、その持ち場で幸福を感じているかぎり、その人は比較を越えて絶対的に安定した存在なんです」
 太田が、
「すみません、神無月さん」
 オバチャンがパチパチ手を拍った。江藤が、
「金太郎さんにしゃべらせると、かならずこうなる。脳味噌搾らんと相手できん」
 付け睫毛が、
「ものすごく頭が切れるんですね。……野球選手に比べて大学生なんてゴミみたいなものです。太田さん、ほんとですよ」
「金太郎さんは、純粋で宝石みたいな心を持っとる。頭が切れるのは付録やけんどうでもよかばってん、美しか心はだれでも持てるもんやなか。ワシャ、この男に心底惚れとるばい」
 太田が、
「俺もですよ。惚れた男に野球を認めてもらえてよかった」
 付け睫毛がプッと噴き出し、
「そういうベクトルですか?」
「ベクトル?」
「野球がうまいから惚れたという方向の矢印じゃないんですね?」
 江藤が、
「ちゃう、ちゃう。逆矢印。ドラゴンズの連中はみんなそうたい。惚れこんだら幸い野球もすごかった。ここにくるドラゴンズの連中にその手のこと聞かしゃったら、おもしろか話が出てくっとやろう」
 オバチャンが、
「いいわね。まず惚れることから始まるなんて」
 江藤はおばちゃんの私に当てる眼差しを見咎め、
「女が金太郎さんに惚れると、男より切なか思いすっぞ。さあ、油売るんは店仕舞いにして、そろそろ戻らんば。オバチャン、お茶ありがとう。若者ども、いくぞ」
「はい!」
         †
 初戦を十二対ゼロで勝った。ヒットは松原と近藤和彦の各々二本ずつ。小川が被安打四でシャットアウト。三勝目を挙げた。これで三本柱が仲良く三勝を挙げたことになる。
 二回から大洋は平松が三イニング、山下五イニングとつないで、散発八安打、菱川の三号ソロ一本に抑えた。入れ替わった八人全員が一安打ずつ放った。弟の省三もセンター前に打ったが、兄は一瞬拍手しただけだった。一枝と中がベンチで省三と握手していた。
 十一点取られるまで森中を投げさせた別当監督の意図がわからなかった。四点取られたところで平松にスイッチすべきだった。野球は理詰めの将棋のような投了をしてはいけない。理詰めでないところに思わぬ僥倖(まぐれ)が転がっている。だから、何点差あっても逆転を狙って最善を尽くさなければならない。その努力を怠るせいで、ほとんどのチームが五分の星を残すために齷齪することになるのだ。
 ロッカールームで短いミーティングがあった。水原監督が、
「一回裏の大洋の杜撰な攻撃で、フロント、選手ともに誠実さに欠けていることがわかった。関根三振、中塚三球目をレフト前ヒット、三番の江尻が初球をボテボテのセカンドゴロ。ゲッツー崩れで残った江尻を一塁に置いて、松原がこれまた何の考えもない初球打ちでサードゴロ。不誠実すぎる。相手チームに〈戦う誠実さ〉が見られない場合、勝敗が決したらすぐに控えメンバーとそっくり入れ替えるということをやってみようと思って、きょうみたいなことを敢行したが、これからはやりません。不誠実な相手は容赦せずレギュラーメンバーで叩くことにしましょう。きょうは勝ったのはいいが、後味が悪いね。どの試合にも個人タイトルがかかっている。タイトルは集積物であって、一試合もおろそかにできないものです。ふだん三割を打っている打者が、ヒット一本足りなくて三割を切ったらどうなる? 何百万、何千万と年俸がちがってくる。それを考え、あしたからはいつものメンバーで試合終了までいきます。きょうヒットやホームランを損した人も、盗塁を損した人も、あしたからせっせと取り戻してください。何点でも取れるだけ取り、勝てるだけ勝つという基本姿勢に戻りましょう。以上」
 勤勉で聞こえるトレーナーの池藤が、
「どの球場にもせっかくトレーナー室があるんですから、せいぜい私どもを利用してください。ペナントレースは七カ月の長丁場です。春秋のキャンプ、オープン戦を含めたら十カ月にもなります。春先は好調でも徐々に疲労が溜まってケガのもとになることはわかってますね。練習前、練習中、試合前、試合中、試合後、いつでもいいです。選手のコンディションに応じて、疲労回復や、リハビリ、ケガ防止等を目的にして、マッサージを含むケアをいたします。私どもに声をかけて、マッサージベッドに横になるだけでいいんです。丁寧に対応いたします。私どもはみなさんの体調管理に全力を注いでいます。これを無視しては、みなさんのパフォーマンスの向上は図れませんよ。とりわけベテランのかたは心に留めておいてください」


         五十九

 十時を回っているので、オータニ内の食事処は閉じている。特別に設えられた宴会場でバイキングを食うか、ルームサービスで、ハンバーグライス、カレーライス、サンドイッチのいずれかを届けてもらうかしかない。シャワーを浴びたあと、電話でハンバーグライスのルームサービスを頼んだ。円柱帽が緊張した様子で届ける。親しく口を利いてはいけないように教育されているようだ。
「ほかにルームサービスを頼んだ人は?」
「監督、コーチのかたがたです」
 礼をし、ワゴンを押して去る。ハンバーグライス。ふつうのうまさ。独りの食事が詫びしい。食い終わって、太田の部屋に電話する。不在。バイキングにいっているのだ。夜は食わないなどと強がりを言わずに、川崎ガールズに弁当を作ってもらうべきかな、とふと考える。いや、ソテツ弁当ほどうまい弁当はない。あしたの夜はバイキングにいって適当につまんでみよう。
 牢獄の花嫁を読み切る。二時を過ぎていた。切れ者の塙江漢老人が殺人の容疑をかけた羅門塔十郎の謀りごとで、逆に自分の息子が殺人者に仕立てられるというありきたりなプロット。羅門なる極悪人は、国主を暗殺して亀山六万石を乗っ取ろうとしている国家老大村郷左衛門の手先だった。国主の血筋の者を一人殺すごとに指を一本切り取り、郷左衛門に千金で買い取らせる。そこを塙老人に嗅ぎつけられたという寸法。
 息子と許婚が無実の罪に問われて捕えられる展開のもどかしさにしきり焦らされる。塙老人が羅門に切られ、牢獄から救出された息子と許婚に見とられて絶命するエンディングが気に食わなかったが、それまでの羅門追及の捜査過程がサスペンスに富んでいたので最後まで飽きることはなかった。
 吉川英治という作家の武家社会に関する該博な知識に驚く。おそらく彼は、野球のことも、音楽のことも、映画のことも、海外詩のことも、草木のことも知らないだろう。しかし作家は、自分の専門分野以外のことについて博識である必要はない。専門以外に詳しく知っていることがあると、人は弱いもので、それを不適切に作品の中で利用したいという誘惑に駆られる。そんな知識を見せつけられると読者はぎくりと立ち止まり、作品の趣旨を忘れてしまう。吉川英治という作家にはそれがない。山本周五郎に似ている。作家は人間を描くのだから、人間に深く関わる本質的な問題について知っていなければならない。彼も周五郎も知っている。とにかく文章がいい。一言半句に目を凝らしているだけで退屈しない。この先、吉川英治を旅のお供にするのはいいアイデアだと思う。たぶんアイデア倒れになるだろう。三時就寝。
         †
 四月三十日水曜日。十時起床。どんよりとした曇天。気温は二十度を越えている。一人清水谷公園を走る。公園内の空地で素振り、三種の神器、シャドー。
 ホテルに戻って、うがい、ふつうの排便、シャワー、歯磨き、洗髪。ロビー地下の『にいづ』で早めの昼めし。鰻重の特上と、もりそば。二時まで午睡。
 対大洋第二戦。六時。ベンチの気温は十八・九度。島田源太郎というピッチャーと初めて対戦する。ダッグアウトから投球練習を見つめる。いわゆる担ぎ投げだ。去年の最高勝率ピッチャーだと長谷川コーチが言う。それはすでに調べてある。
「昭和三十五年の大洋優勝のときの主戦投手だよ。そのあと肩を壊して、六年間低迷。クビになりかけたこともあったけど、リハビリを根気よくやって去年復活した。力まかせの速球とカーブだけだったのが、ゆるい球で微妙なコースをつくようになってる」
「担ぎ投げですね」
「ああ、上半身投げね。じつは、稲尾も村山も江夏も担ぎ投げだ。一概に悪いとは言えないんだが、肩や肘を壊しやすい」
 一回の表。中、高木、江藤、私まで、レフト前ヒット、レフト前ヒット、右中間二塁打、ライト前ヒットの四連打でたちまち三点。木俣フォアボール、菱川ライトライナー、太田ショートフライ、一枝サードゴロ。尻つぼみ。
 中日の先発は小野。太田がサードに回り、島谷はベンチ、ライトには菱川が入った。そのメンバーで一度の交代もなく最終回まで戦った。
 一回の裏、近藤昭仁三振。近藤和彦セカンドゴロ、小兵重松レフトへ一号ソロホームラン。松原私の前にゴロのヒット。一回の表にレフトを守っていた当て馬の新人ピッチャー井上幸信が、一度も打席に立たずに林健造に代えられる。林三振。チェンジ。私はベンチに走り戻ると、すぐ長谷川コーチに訊いた。
「左ピッチャー対策なんでしょう? 右バッターを右バッターに代えて、何か意味があるんですか。最初から林を入れとけばいいじゃないですか」
「仰せのとおり、何の意味もない偵察要員だよ。そういう無意味なことをして、複雑なことをやってるつもりの監督がけっこういるんだ。三原がハヤらした」
「主力選手が遅刻したとか、あるいは下痢でもして、たまたま打席に立つのが間に合わなかったというなら、穴埋めという意味でわかりますけど」
「そのとおり!」
 ベンチ全員が拍手した。ベンチのバットスタンドの横に腕組みして立っていた水原監督が、
「私は一度も当て馬をしたことがない。金太郎さんに軽蔑されずにすんだ」
 そう言ってコーチャーズボックスに向かった。昭和二十年代に巨人の選手だった宇野ヘッドコーチが苦い顔で、
「水原さんが東映に去った年に、川上がさっそく当て馬をやった。岩尾孝幸って新人ピッチャーだった。稲尾と同じ大分の別府緑丘高校から三十六年に巨人に入って、一球も投げずに翌年引退していった。投げ下ろしの本格派だったんだけどな……。さっきの井上もきっとそうなる。悲しいね。当て馬なんかするやつは鬼だな」
「鬼退治!」
 十四年も野球をやってきた事情通の小野が、大声を上げるとバッターボックスへ走っていった。そして、なんと初球をひっぱたいてライトスタンドに放りこんでしまった。鬼退治! 鬼退治! と叫びながら、みんなで迎えに出た。四対一。きょうこそ別当監督はここで主戦ピッチャーに代えるべきだった。
「別当という人は、何を考えてるんだろう」
 私が呟くと、葛城が帽子を取って頭を掻きながら、
「たしかにここはピッチャー交代だよね。別当さんは勝つことよりも育てることに熱中する人なんだよ。大毎の監督時代は、俺や山内や榎本を根気よく使って育ててくれたし、近鉄では整理対象選手だった弱冠十八歳の土井を四番に据えて使いつづけた。素質を見抜く眼力がすごいんだ。見抜いたとなると、周囲の雑音を気にしないで使いつづける。大洋にきてからも、桑田を排除して松原を使いつづけ、桑田に近いスラッガーに育て上げた。彼はどのチームでもそうなんだ。勝敗を度外視して選手を育てる」
「打たれても打たれても、投げつづけさせるわけですね」
「まあね。島田の場合も、去年ようやく温情実ってカムバックした」
「そうですか。しかし、去年の力はもう彼には……」
 一枝が、
「他人の考えてることなんて理解できないよ」
 温情空しく島田源太郎はサンドバッグになる。中が右中間の三塁打、高木センター前ヒット、江藤バックスクリーンへ十号ツーラン、私右翼場外へ二十七号ソロ、八対一。さすがの別当監督も堪忍袋の緒が切れたのか、小走りに出てきて島田からボールをひったくると、ピッチャー交代を告げた。
「大洋ホエールズ、ピッチャー島田に代わりまして、山下、ピッチャー山下、背番号12」
 フェンスの金網を越えて男が四、五人グランドに飛び降り、一塁ベンチへ走りこもうとして大洋の選手たちに取り押さえられた。怒りの抗議だ。男たちは警備員数人にポール下の通路に引っ立てられていった。逃げ回りながら鬼ごっこをする男たちもいて、騒ぎはしばらく鎮まりそうもない。
 私はこれ幸いと、給湯室の脇の職員用便所へ小便をしにいった。廊下奥の選手用便所はくさすぎる。川崎球場のベンチは冷えるので小便が近くなる。きのうも一度くさいほうへ飛びこんだ。ただ、いくら冷えるとはいえ、試合中にこうなるのはめずらしい。きのうきょうと、それだけ緊張感のない試合だということだ。照明塔の鉄柱の脚がトイレの窓から見える。柴田のオバチャンが鉄塔の下のコンクリートの土台に腰を下ろして煙草を吸っている。
「オバチャン!」
 私は大声で呼びかけた。オバチャンは思わず煙草を足もとに投げ捨てて踏み潰した。トイレの窓から手を振っている私を認めると、童女のように素直な笑顔を浮かべた。
「神無月さん、ちょっと給湯室へ回って。お弁当こしらえてきたから」
 廊下から給湯室へ回ると、川崎ガールズはいなかった。スタンドの応援に出ているようだ。
「はい、お弁当。食べてすぐ寝たらだめよ。胃にもたれるから」
「ありがとう。ホテルのルームサービスは味気なくて」
「そうでしょうね」
 押しいただくように受け取った。予想どおり大きな弁当箱だった。これを食ってグッスリ寝よう。
「一回から待機してたのよ。お茶飲みにきたらあげようと思って。きのう、遠慮してるってわかったから」
「ありがとうございます。器はあしたお返しします」
「捨ててちょうだい。使い捨ての竹箱だから、いくらでも売ってるわ」
「わかりました。こちらに遠征でくるたびに一回でいいですよ。ぼくもそうそう顔を出せるわけじゃありませんから」
「そうですよね。忙しいところ、足を止めさせてごめんなさいね」
「とんでもない。騒ぎは治まったかな」
「ああいうファンがときどきいるのよ。そろそろ落ち着いたみたい」
「かわいさ余ってでしょう。生粋の大洋ファンですね。じゃ、いきます。また顔を出せるときに、チラッと顔を出します」
「試合前の練習のときでいいですよ。私はナイターのときは、二時からここに詰めてるから。デーゲームのときは朝の九時からいます」
 私は返す足をふと止め、
「柴田さんは、どういうお仕事をしてるんですか」
「球場内の雑役。掃除がほとんど。選手たちの食事の注文の受け継ぎをするようになったのはたまたまね」
「たしか、球場立ち上げのときからいらっしゃるんですよね」
「そう、もう十五年選手。大小十二年生まれのお婆ちゃんよ」
 母より一歳下だ。
「四十七歳ですか。ご主人は?」
「だいぶ前に別れました」
「お子さんは?」
「息子が一人」
「女手一つというやつですね。ぼくもそうです」
「そう? お母さん、苦労したわね。親孝行しなくちゃ」
 週刊誌などは読んでいないようだ。安心する。
「そうですね。息子さんは二十四、五?」
「いま二十三。大学で知り合った人と在学中に学生結婚して、いまは小樽で大学職員をやりながらつつがなくやってます。二歳の子供もいるのよ」
 にこやかに笑った。口調にも物腰にも闊達さが感じられ、少し下がり気味の目もとに何とも言えない愛嬌がある。とにかく笑顔が素朴だった。
「きれいですね」
「やだ、神無月さん、からかわないの」
「じゃ、グランドへいきます」
「はい、がんばって―」
 柴田のオバチャンは反射的に手を振った。早足でロッカールームに引き返し、弁当をダッフルにしまう。ベンチに戻って江藤に、
「柴田のオバチャンから弁当もらいました」
 太田が、
「ほんとすか。じつは川崎ガールズも面倒だなって思ってたんですよ」
「タコは女の気持ちを汲めんけんな。夜の女ばっかりが女でなかぞ」
「はあ」
「金太郎さんみたいに無制限ちゅうのも考えもんやがのう」
「遠征ごとに一回って決めました。オバチャンも生活に彩りが増すでしょう。騒ぎのあいだに給湯室脇の便所へいったんですが、窓の外でオバチャンが煙草吸ってたんで、つい声をかけたんです。そしたら、弁当持っていきなさいって」
「よかよか。それが金太郎さんたい。きのう金太郎さんにトロンとした目ば向けよったけん、やっぱりそういうことやったとね。残さず食わないけん。付き合うなら、よか目ば見らしぇてやりんしゃい。オバチャンはよか人やけん」
「はい。試合の進行状況はどうなってます?」
「木俣が粘りに粘って、五球目をレフトに放りこんだ。山下はワンアウトも取れんと、平松に交代させられた」
 平松がピッチング練習を終えかけている。木俣はベンチの後ろでバヤリースを飲んでいた。
「木俣さん三号ですね。九点か」
 なぜか気分が浮きうきする。高木が、
「あ、また客が飛びこんで、マウンドに走ってった。ほれ、警官が出てきた。あらあら通路まで逃げていっちゃったよ」
 一枝が、
「ここで平松はないだろ。九対一だぜ。使いどころをまちがってる。別当って、案外選手のこと考えてないんじゃないか」
 次打者の菱川は平松の初球にバットを折ってサードゴロだった。太田の打席。どん詰まりのショートゴロ。一枝三球三振。平松はすごい。たしかにこんなところで使うのはもったいない。
 二回裏。六番江尻セカンドゴロ、七番伊藤勲三振、八番松岡三振。ベンチに戻って太田に、
「松岡って?」
「さあ、ちょっと待ってください」
 パンフレットをペラペラやり、
「松岡功祐、四十一年のドラ一ですね。百七十センチ、七十六キロ。三年目のここまで二割チョイ。ホームラン二本」


         六十

 三回からの中日打線は平松を相手に凡打を繰り返した。私はひたすらシュートを狙い、サードライナー、ショートゴロ。九回三打席目にようやく外角高目のシュートを捉え、高く舞い上がってぎりぎりバックスクリーン前に落ちる二十八号ソロを打った。平松が許したヒットはその一本を含めて中のセーフティバント一本きりだった。
 大洋は三回から反撃を開始し、松原三号スリーラン、六回に近藤昭仁、和彦の連続二塁打で一点、八回にはまた松原の四号ツーランで追い上げた。そこまでだった。
 十対七で勝利。小野は五回までの責任回数を無失点で投げ抜き、四勝目。ドラゴンズの勝ち頭になった。七失点はすべて継投した水谷寿伸の自責点だった。水谷の使い方はこれで仕方がない。中日はピッチャーを浪費できない。 
 しかし、なぜ平松を先発させずにあんなもったいない使い方をするのか。平松をどんなふうに育てようとしているのか。別当監督に対する葛城の共感に満ちた説明では解決できない謎として残った。
 帰りのバスで江藤が、
「十五試合終わったのう。十四勝一敗か」
 太田が、
「連勝は六でしたね。昭和二十九年の西鉄が開幕十一連勝を記録してます。二十試合終わった時点で、十四勝五敗一分け。このあと五試合で五敗しなければ、それより勝率は上になります」
「全敗はせんやろう。豊田、関口、大下、中西の時代か。あんな芸当、自分らもできると思わんかった。何もかも金太郎さんのおかげたい。ばってん、二軍がしっかりせんば、あと三年もせんうちに戦力が底をつくやろう。タコや菱のような有力株はおらんのか」
「水谷則博の調子がいいみたいですけど、竹田はいま一だし、井出さんは転向の訓練中だし、バッターは三好も堀込さんも終わった感じですね。竹田はスピードだけは一流なんだけど」
 小川が、
「よほどのスピードがあっても、コントロールつけないとプロでは使いものにならん。プロなんだから適当にスピードがあるのはあたりまえだ。結局、来年以降の新人に期待するしかなかとね?」
 博多弁で締めくくった。太田が、
「二軍選手は早くいい結果を出さないと、球団から見かぎられます。俺、キャンプで二軍から脱出できてよかったです。一軍のハイレベルな人たちといっしょにプレイしたり、遠征したりできるのがまだ信じられない。このラッキーを大事にします」
 高木が、
「ほんとうに大事にしろよ。知識より実践だぞ」
「はい」
 私は江藤に、
「あさっての移動は、どういうふうになるんですか」
「富山は電車でいくと八時間以上かかるけん、羽田から飛行機でいく。それやと、ニューオータニを午後の一時に出て、羽田までバスで四十五分、搭乗手続に時間がかかったとしたっちゃ、二時前後の便に乗れるやろう。富山空港まで一時間ちょい、そこからバスで名鉄ホテルまで三十分。四時ぐらいには着くな」
「どんなに時間がかかっても、三時間でいけるんですね」
「ほうや。三日は、朝めしを食って、チェックアウトして、九時半出発。富山県営球場までバスで十五分や。十時からバッティング練習。十一時に広島がやってくる。一時試合開始。試合終了後は、金沢へ電車かバスで移動たい。翌日も翌々日も同じ。福井の試合が終わったら、カキュウテキスミヤカニ飛行機で羽田へ飛ぶ。ニューオータニに戻ってくるんは夜遅うなるな」
 太田が、
「広島チームは俺たちよりラクに移動できるんでしょう」
「いや、ちかっぱ、きつい。山越えてこれんけんな。前の晩にバスで出発して、ずっと寝てくるんやろう。往生たいね」
「ビジターチームも試合収入はあるんですか」
「アメリカはな。七三や。日本は、ビジターはビタ一文出ん。おまけに試合費用はぜんぶビジター球団の負担ばい」
 バスのあちこちで、監督、コーチ、選手たちの楽しげな声がする。ほとんどの話題がきょうの試合のことか、連勝のことか、北陸遠征のことだ。富山の、あるいは金沢や福井の球場や、町並や、名物の食い物や、風光の思い出話だ。ほとんど連中が北陸遠征経験者なので、聞き役はいない。みんな率先してしゃべる。女の話をする者はまったくいない。後ろめたい気分になる。
「お、十時二十分か。あしたのためにきょうも食って、寝るばい」
「へーい!」
 ホテルのフロントに、ビジター用とホーム用のユニフォームが一式ずつ届いていた。百江が気を利かせて外山の分を送ったようだ。五階八号室へ戻る。全裸になる。きょうのユニフォームはそれほど汗で湿っていないが、下着といっしょにホテルのビニール袋に入れ、段ボール箱に放りこむ。バスタブに湯を溜めながら、頭をしっかり洗い、湯を止めてゆったり湯船に浸かる。
 からだを拭き、下着を替えてベッドに腰を下ろす。手の爪を切る。足の爪も切る。白い大きなハンカチで包まれた弁当を机にもっていき、開く。薄竹の箱の半分をプラスチックの緑の笹で仕切り、半分にめし、半分に焼肉ふうのタレを塗ったステーキ五切れ、半切りのゆで卵二切れ、きんぴらごぼう、手作りメンチ、菊のおひたしまで入れてある。楽しい気分になり、添えてあった割り箸でつまむ。主食惣菜すべてゆっくり処理し、テーブルに備えてある氷水を飲み干す。なんとも言えずうまい弁当だった。竹箱を洗面所のゴミ籠に捨て、ホテルの歯ブラシで歯を磨き、ベッドに仰向けになった。からだの奥に響くほどの脈がある。不規則なその音を聴いているうちに、ウトッとなった。
        †
 五月一日木曜日。八時半に目覚め、テレビを点ける。奈良和(ならかず)モーニングショー。新幹線の三島駅開業。ド・ゴールフランス大統領辞任。天気予報。きょうは三十度近くになると言っている。ほんとうか? タイメックスは十八・七度。カーテンを広く開けて空を見上げる。青く、まぶしい。とつぜん腹が冷えてトイレに駆けこむ。快い下痢便。この気温なら三十度になることはない。うがい、シャワー、歯磨き。最近洗髪するとフケが出るようになったので、しばらく頭を洗わないことにする。ジャージを着、江藤を電話で誘ってロビーに降りる。
「二十五度くらいになるそうたい。アンダーシャツなしでいくかのう」
「そんなことできるんですか」
「ベストの形をしたやつがあるばい。腕が涼しくてよかぞ」
「二の腕が裸というのはちょっと……。ぼくは似合いそうもないので、やめます」
 木俣や新宅たちが、窓ぎわのテーブルで新聞を覗きこみながらガヤガヤやっている。江藤が、
「何かあったんね」
 二十五歳、四年目の新宅が、
「阪急が開幕十三試合連続ホームランという記録を作った。昭和二十五年の大映の十二を抜いて、パリーグ新記録だそうや」
「二十試合ぐらいいくんやないか。うちは?」
「阪神の若生にやられて、七試合目でストップしたやないけ」
 方言が出る。新宅は島根県出身だ。北陸遠征を楽しみにしているだろう。木俣が答える。
「そうだったっけ」
 高木が、
「しかしすごいな。その記録」
 木俣が新聞を読み上げる。
「一試合目からいきますよ。まず岡村、二試合目は阪本と長池、三試合目矢野、四試合目大熊と矢野、五試合目岡村、六試合目山口と長池、七試合目岡村と長池、八試合目岡村と矢野、九試合目長池、十試合目森本と長池、十一試合目矢野、十二試合目岡村、十三試合目ウィンディと矢野」
 中が、
「たしかに二十試合ぐらいいきそうだね」
 一枝が、
「そろそろ野村の天下も終わって、新しいホームラン王が出てくるんじゃないの」
 ゾロゾロと朝食場所へ移動する。私と江藤はホテルの庭園へ出て、ガーデンラウンジという店でナポリタンを食うことにした。浜野がポツンと一人でやってきた。
「いっしょにいい?」
「よかよ」
 浜野もナポリタンを注文する。
「ぼんやりと昔話をさせてもらえる雰囲気を二人は持っているんでね。何の下心もないですよ。ただ、話をしたくて」
「勝手にすればよか。聞いちゃるけん」
「はあ。……俺、小さいころ運動会が好きでね。徒競走に自信があったからじゃなく、昼の弁当が食いたかったからなんだ。みんなが梅干弁当を持ってくる中で、俺だけが三段重ねのお重だった。家が裕福だったということじゃない。それにはわけがあって……。俺の生まれる三カ月前にオヤジが病気で死んで、オヤジは三菱重工の工場長をしてたんだけど、その縁でオフクロが工場の社員寮の飯炊きになって、姉二人と寮で育った」
 小さな目で私の顔を見る。
「おまえと同じ境遇だよ。おまえが法政戦に勝利したあとのインタビューで、社員寮の人たちに語りかけたとき、俺、思わず泣いた。……その寮のコックが俺をかわいがってくれてね、モモちゃん、きょうは何が食いたいとかならず尋いたもんだ。このコックが野球好きで、将来野球選手になったときのためにと言って、ほとんど毎日、肉料理やら、オムライスやら、チキンライスなんか作ってくれた。運動会となると、ガキ大将は仲間におごってやらんといかんと言って、お重を渡された。おい食えと仲間に食わせるのがいい気持ちでね。……将来野球選手になったときとコックが言ったのは、小四のとき姉が高校野球を見せに連れてってくれて、それから俺は生意気な夢持っちゃってね、それをしきりにしゃべったからなんだよ。甲子園にいって、六大学に進み、阪神に入るってね」
「なんや、巨人やなかったんか。そんなことより、プロにいくのには甲子園も六大学も余計やろうもん。ただ高校からプロにいけばいいだけのことやろう」
 浜野はそれには答えず、すぐに大学野球の話へつなげた。
「法政のときに巨人志望に変わったんですよ。まあ、そこが俺のセコいとこですよ。親方日の丸、寄らば大樹の陰。ま、それは勘弁してください。だれも神無月みたいな一貫した人間でいられるもんじゃない。その話は措(お)いといて」
「措いとかないでください。属する集団を転々と変えて、本来の目的からしばらく遠ざかることがぼくには信じられない。ぼくは中商からプロ野球へいくつもりだった。その考え一本で、大学など考えたこともなかった。でもその道を母親に妨げられた。あなたは何のじゃまもされてない。高校からプロへいけたはずです」
「ま、聞いてよ。……おふくろが生活費を切り詰めて買ってくれたグローブがきっかけで、小学校高学年から本格的に野球をやりはじめたんだ。中学時代にちょっと名が知れて、倉敷商業に引っぱられた。強豪の倉敷工業にいくつもりだったけど、わざわざ俺を口説きにきてくれた野球部長の熱意にほだされたし、おふくろも倉商にいきなさいと言うんでね。倉商では番長をしてた」
 番長? 野球をやりながら? 話に脈絡がなくなってきた。ただ喧嘩をよくしたというだけのことではないのか。母親がなぜ倉商にいきなさいと言ったのかもわからない。野球部長の情熱にほだされてか? わが子の倉工にいきたいという情熱はどうなるのだ。胡散くさい。
「倉工からは誘われなかったんですか」
 これまた私の質問には答えず、
「野球と喧嘩で俺の名前は県下に知れわたってね。二年生の秋、野球部員二人と自転車漕いで市内へ繰り出した。喧嘩をしにいったんじゃなくて、空気銃を撃ちにいったんだよ。学生がライフル持って歩いてるって通報されてね。補導員に捕まって脂を搾られた。翌日が甲子園をかけた米子南との決勝なんで見逃してもらった。家に戻ったら、ケネディ暗殺のニュースだ。高度経済成長のど真ん中、元気な時代。さあやるぞって活気に満ちてた」
 なんだこの適当な展開は。アタマが悪いのか。肝心なところを隠している。隠して、どうでもいい話をしている。しかし、どれほどヨモダ話でごまかしても、先が読める。弱い倉商野球部を強くして倉工以上にしたという苦労譚だろう。私は意識して話の腰を折った。
「幼いころの環境は同じでも、親子関係の温かみがちがいます。浜野さんのお母さんはいっさい行く手をさえぎらなかった。たとえ倉工に誘われなくて倉商に進んだとしても、とんとん拍子の野球人生じゃないですか。ぼくがもしそういう恵まれた立場だったら、さっさと高校を中退してでもプロにいったでしょう。寄り道なんかしなかった。ぼくは幸福な思い出話には関心がないんですよ。甲子園にいけた、いけなかったくらいが最大の悲喜劇で、一度も野球を途絶させられるような危機的な挫折を経験したことのない人生で、どれほど野球がうまくなったとしても、どれほど周囲から引き上げられたとしても、大して自慢できることじゃない。どうせ倉商は甲子園へいって―」
「いや、いけなかった」
「じゃ、なぜ大学へいったんですか。プロテストでも受けるべきだったでしょう」
「おまえといっしょで、おふくろが広島カープのスカウトを追い返した」
「へええ! またなんで」
「これからの世の中は何をやるにも大学へいって勉強しなくちゃだめだと、そのスカウトを諭したそうだ」
「眉唾ですね。中学高校のスカウトならいざ知らず、そんな話で球団の使命を帯びて突撃するプロスカウトは諭されませんよ。その学歴至上主義的な諭し自体まちがってるし、あなたがお母さんの言葉を納得したのは、学歴尊重の気持ちがあなたにもあったからでしょう。野球でだめになったときに、大学でも出ておけばというスケベ心がね。だから大学もきっちり卒業してる。お母さんの言った〈勉強〉もしないでね。お母さんも大学さえいってくれればよかったんですよ。勉強させたかったわけじゃない。だから大学で野球をするじゃまをしなかった。大卒資格で野球選手になってほしかったからでしょう。とにかく大学に進学したいちばんの理由は、甲子園にいかなくてもプロから誘われるほどの力量が高校当時はなかったということでしょう。大学にいって、ようやくプロに注目されるだけの力がついて、今度はあわよくば巨人に入りたいということになったんです。阪神へいきたいという初志はどうなったんですか。そこが自分のセコいところと自嘲してみせても、ちっとも共感できませんよ。おまけに約束を破って自分の権威主義を満たしてくれなかったゲス野郎たちを、逆恨みで見返してやろうとする。そもそもゲスだから約束を破ったんです。見返す価値なんかないですよ」


         六十一

 江藤がナポリタンを噛むのを忘れて、
「浜野、金太郎さんは全身全霊こめて語っとるんぞ。ひょっとしたら、おまえの詳しい事情も知らんと好き勝手なことをしゃべっているのかもしれん。金太郎さんは口のきつか男やけんな。びっくりしたろう? ばってん、大筋のところは当たっとろうが。……おまえのころの岡山は、倉工と岡山東商業の二強時代やろう。倉商はそれほどプロには注目されとらん。ばってん、広島のスカウトがきたちゅう話は信用したる。お母さんにしても、たしかにそういうことをスカウトに洩らしたにちがいなか。ただ、そのスカウトはお母さんに説得されたんでなか。プロ球団は即戦力としてほんとにほしいとなったら、徹底した攻勢ばかける。そのスカウトは、注目してます、くらいのことをチラッと言いながら、ただお母さんの話を聞いとっただけで、将来おまえが化けたら採りたいというのが本音やったんやろう。野球も学問も才能の世界たい。親なら才能のあるほうの道へ進ませるのが当然やろうもん。それなのに、大学で勉強せいとおまえのおふくろさんは杓子定規に言ったわけたい。無試験で入れる大学へいけちゅうのは、学問で大成してくれちゅう意味ではなか。まだプロにいけるほどの芽が出んから、こつこつ野球ば楽しみながら、将来のために学歴でもつけてくれちゅう意味やろうもん。世の親となんも変わらん。たいしたこと言っとらん。明治大正のころから親ちゅうんは、みんな同じことを言う。六大学にいかせたがったちゅうことは、肩書としても名が通った大学にいけちゅう意味やったろうもん。倉商の監督が明大OBだというのも縁故になったろうしな。金太郎さんのおふくろさんのごつ、名門大学へいけ、野球はするな、そういう親やったらどうすると? 金太郎さんは死にもの狂いでそこば凌いだんやぞ。野球ばやるためにな。だからプロにいくと決まったら、要らん大学はすぐやめた。……甲子園とか明大とか神宮というステイタスに魅かれるところに、ワシも何かおまえに不純なものを感じるばい。不純なやつはモノにならんぞ。せっかくプロ野球選手になれたんやろう。もっともっと野球に打ちこまんば。おまえはこれからの中日を背負わんといかんのやぞ。十勝程度のピッチャーになったらいかんばい。いずれにせよ、すべてをさっぱり吹っ切って、肩を消耗しない鍛錬を一生懸命やりながら、有力打者を打ち取り、各球団から勝ち星を挙げる名ピッチャーになるしかなか」
 浜野は深くうなだれ、
「……きびしいなあ」
 ヤケな最後ッ屁でもひって去るかと思っていた浜野が去らない。
「浜野さん、ぼくに共感を持ってくれたことは感謝します。幼いころからの境遇がそっくりだと言いたかったんでしょう。でも、社員寮で暮らしたということが同じだけで、ぼくとあなたはまったくちがいます。あなたは恵まれた人です。幼いころから支援が多く、曲折していないという意味でね。あなたは義俠心が強く、高校時代から勧善懲悪を旨とする荒くれ者だったという話も聞いています。しかし、ほんとうのヤクザ者と付き合ったことがありますか? その種の話はやめたほうがいいです。素人の暴力は、たとえ命を張っても、ただの喧嘩ごっこにすぎません。義俠は暴力とはかぎらないんです。人に和し、人を愛し、人を守ることこそ義俠です。その意味で、人間はほんとうのヤクザ者でなくてはいけない。ぼくはヤクザ者であろうと努力しています。そういう人たちに囲まれて暮らしているからです。……あなたがぼんやりと昔話をしたかったのは、自慢話をしたかったんじゃなく、ぼくや江藤さんと俠気をかよわせたかったからですよ。安心してください。ぼくも江藤さんもオトコです。どうか俠気をかよわせてください。あなたが中途半端な権力欲を捨てさえすれば、友人にもなれると思っています。ただ、菱川さんや太田のような純粋さがほしいんです。世間は純粋さを嫌います。それを恐れず、純粋な野球人であってほしいんです。曲折していない分、純粋な野球人になれる可能性は大きいはずです。大手を振って純粋に生きるためには、不純な人をも感嘆させる手柄を上げなくちゃいけません。二十勝ピッチャーになってください」
 私はひとしきり、ナポリタンに精を出した。江藤も私と同様、ソバのように掬って食った。浜野は麺をじょうずにフォークで巻いて食った。神経に障った。
「二十勝といっても、登板機会がなあ」
「四、五十回はありますよ。半分勝てば二十勝です」
「そう、簡単に言うな。一振りのホームランとはちがうんだ」
「たしかに。じゃ、三分の一勝てば十五勝です。三回のうち一回勝てばいいんですよ。それくらいはできるでしょう」
 江藤が笑っている。
「四時からバッティング練習か。三時出発。ホテルは練習設備がなかけん、めしの算段しか思い浮かばん」
 私は、食い終わってもなかなかテーブルを去ろうとしない浜野に、
「浜野さんはぼくより二つ上ですね。昭和三十四年、ぼくが初めて軟式野球をやった小学四年の秋、あなたは小学六年。小学四年のときに転機って起こるんですね。あなたの思い出話を週刊誌で読みました。小学四年のとき、お姉さんに高校野球を観に連れてってもらってる。そして野球人生のコースを夢見た。ぼくより大人ですね。ぼくは、プロ野球選手になりたいとしか思いませんでした」
「そのとき姉に言われた。野球ってチームプレイだからおもしろいわよって」
 またわけのわからないことを言いだす。彼は人の話をまったく聞かない。
「それが転機ですか? 野球に感動したわけじゃないんですね?」
「野球はよくわからなかった。格好いいと思ったな。高校から大学、大学からプロ野球というコースがな」
「ということは、そのときまだ野球をやっていなかった?」
「ああ、おふくろにねだってグローブを買ってもらってから野球部に入った。千円のグローブだ」
「最初はたいへんだったでしょう」
「投げるだけだから大したことはない」
「すぐピッチャーをやらしてもらえたんですか」
「肩がよかったからな」
 それは信じ難い。動きに敏捷なところがないので、たしかにピッチャーしかないかもしれない。そして中学で目立って倉商から誘いか。地肩はどう見ても強くない。倉工や岡山東商からスカウトはこなかっただろう。彼の青春は小学校ではなく倉商から始まったわけだ。どうしても倉商の話をしたくて座を立たないのにちがいない。江藤が食い終えて、ゲフッとげっぷをした。私も最後の麺をフォークで掻いて口に入れた。コーヒーが三つ出てきた。
「倉商ってどういう高校だったんですか?」
 浜野はコーヒーをすすりながら、うれしそうに話しだした。
「野球専用のグランドがないんだ。ただの校庭だな。学生たちがファールゾーンでしゃがんで見物してる。周りはイグサと田んぼ。だれも野球部なんか特別扱いしてなかった。一年生の仕事は、先輩の打ったボールの捜索だ」
 二流のチームにいて一年生から目立った選手ではなかった?
「湿地帯のイグサの中に入るとたいへんだったよ。見つけられないと怒られる。どうせ探すのに時間を食うならと、一計を案じた。イグサの中に一升瓶に入れた水を隠しとくんだ。当時は、水を飲んではいけないというのが鉄則だったからな。ユニフォームの前が濡れてたりして水を飲んだことがばれると、先輩にボコボコにされる。で、一升瓶にストローを挿して仕込んどいたんだ」
 底まで飲めるほど長いストローがあるのか。江藤が、そんなことしか思い出がないのかいという目で、浜野の大きな鼻を見つめる。浜野は延々としゃべる。
「その水をほかのやつに盗まれちゃうんだよね。しょうがない。イグサを掻き分けて、泥水に目いっぱい息を吹きかける。ボーフラが浮いてるからね。そこを一気に飲む。少しはボーフラを飲む。ボーフラは雑菌だらけだから抵抗力がつく。いまの子ならぜったいからだを壊すな。あとはケツバットがつらかったな。スライディングパンツ二枚穿いて、タオルも入れて備える」
 いいかげんにしてくれと言いたくなった。私はまた意識して話の腰を折った。
「スライディングパンツって何ですか」
 江藤が、
「女のガードルみたいなもんたい。スライディングしたときに多少痛くない程度のものでな、別に穿かんでもいい。動きづらいけん。あんなもの少年野球のころからしとったらキンタマが育たん。金太郎さんのを見てみい。よう育っとるぞ。このごろは、キンタマを護るファールカップ付きゆうのも売っとる。ますます動きづらい。流行や。ときどき打席で股ぐらをモコモコいじっとるやつがおろう。みっともない。ワシャ、ヘルメットでさえみっともないと思うとるほうやけん。―きょうは、そろそろおまえ先発か」
「いえ、伊藤久さんです。俺は北陸でしょう」
「十五戦やって、まだ一勝やったら心細かろう」
「はあ。でも巨人戦なのがせめてもの救いです。神無月にケツ叩かれそうだな。じゃ、俺いきます。話聞いてくれてありがとうございました」
 立ち上がり、江藤に頭を下げもしないで去っていった。しかし助かった。得々と思いつくままにしゃべる人間もいることを知った。嘘くさくなければまだ辛抱できるが、嘘くさいとなると耳を覆いたくなる。
「きつかったな」
「はい。話にとりとめがなくて。思い出話ってあんなものかもしれませんが、江藤さんにしても、中さんにしても、筋立った話になりますからね。彼は特別ですね」
「長嶋タイプかもしれん。長嶋ほど抜けとれば、かえって愉快なんやけどな。さ、昼めしまで時間を潰そうや」
「はい。ロビーで新聞を読みます」
 江藤はマッサージを呼んであると言って自室に戻った。ロビーの窓ぎわのテーブルに置いてある新聞を手に取って、きのうの結果を見る。巨人対アトムズ、十対三。堀内九回完投、一勝一敗。敗戦石戸、ゼロ勝三敗。ホームラン巨人高田二号(簾内)。
 隣のテーブルで、小野が一人で新聞を読んでいたので、
「小野さん、スダレウチって、どういうピッチャーですか」
「スノウチって読むんだ。右のスリークォーター、速球なし、大きなカーブ、スライダー、フォーク。まだ二年目だ。去年は一勝挙げただけ」
「ありがとうございました。そっちのテーブルにいっていいですか」
「いいよ」
 向かい合って新聞を繰る。阪神対広島、四対五。勝利大石一勝一敗。敗戦伊藤幸男一勝一敗。ホームラン、阪神西村一号(白石)、広島衣笠二号(伊藤)、三村二号(伊藤)。
 阪急対近鉄、六対五。勝利大石清三勝一敗。敗戦鈴木啓示三勝二敗。ホームラン、阪急ウィンディ一号(鈴木)、矢野五号(鈴木)。
 ロッテ対西鉄、一対三。勝利益田二勝一敗。敗戦成田一勝二敗。ホームランなし。
 打撃三十傑は見ない。
 四月二十七日の対広島二回戦で、長嶋が七回に二塁打を放ち、三千塁打達成と小さい記事がある。過去の塁打記録が書いてある。興味がない。子供のころ、よくこんなものに目を凝らしていたものだ。野球は数字ではない。一瞬の高揚だ。窓の外でフラッシュが光った。
「じゃ小野さん、失礼します」
「あ、それじゃ」
 部屋に戻る。掃除とベッドメイキングが終わっている。シーツもバスタオルも片づけてある。掃除人もプロだ。プロの無関心というのはすばらしいものだ。机の引き出しを開けると聖書が入っていた。興味なし。電話が入る。トモヨさんだった。
「あ、郷くん、忙しいところごめんなさい。お知らせ」
「なに」
「山口さんから連絡ありました。五月三日と五日に、新宿の日本青年会館で、クラシックギターコンクールの一次予選、二次予選、本選があるそうです。結果をまたこちらに知らせるということですから、旅先で時間ができたら電話ください」
「わかった。直人は元気?」
「ものすごく元気。みんなも元気です。素子さんはあした、富山の名鉄ホテルに入ります。金沢と福井も予約が取れてますからご安心ください」
「うん、じゃ、みんなによろしく」
「はい、北陸シリーズは今回特別にテレビ放送があるそうですから、みんなで応援してます。がんばってくださいね」
「うん、がんばる。じゃ、さよなら」
「さよなら」
 幸福と緊張に酔いながら、甲斐がいしく立ち働くおトキさんの姿が浮かんだ。なんだか無性にうれしかった。
 十二時まで二時間余り仮眠をとった。何とも知れず不安な夢にうなされている気がして目覚めた。耳鳴り。日光を透かすカーテンが死の色をしている。ひさしぶりに襲ってきた憂鬱な気分だ。原因はわからない。いや、原因はない。
 歯を磨き、顔を洗って、めしを食いに出る。食欲はないが、食っておかなければいけないという不安がつきまとう。会食場ならジャージでいいが、ほかへいこうと思い、ブレザーを着る。みんなと顔を合わせない確率が高いザ・スカイというビュッフェにいくことにする。十七階。エレベーターで最上階まで一気に上る。絵の具を流した模様の絨毯が敷かれた廊下を進んでいくと、店名を書いた丸板の看板が出ている。十一時半から一時半・ランチという貼紙がしてある。
 入ってみると、バイキングだった。地上をはるか下に見下ろしながら一時間かけて三百六十度ゆっくり回転する店だ。景色は間近に庭園の緑、その外縁に高層ビル。品載せしてある中央フロアの部分は回転しない。品載せテーブルから自分の好みの惣菜を取ってくる。和牛のハンバーグ、ポークソーセージ、焼きソバ少々、ホットケーキ、コーヒー。これでじゅうぶん。
 食い終わると少し憂鬱が晴れていた。人に会わなかったことも大きい。耳鳴りはついに固着したが、聴き耳を立てなければ気になるほどのものではない。部屋に戻り、ユニフォームに着替える。きょうは帰ったら荷物整理をしなくてはいけない。
 ロビーに降りると、ユニフォームの群れを抜けて江藤が寄ってきた。
「どこにいっとったと? 捜したばい」
 目を剥いて心配そうな顔をする。
「十七階のザ・スカイ。バイキングでした」
「ワシも下でバイキング食った。あんな話をしたあとで、人に会いたくなかったとやろが。顔に書いてあるばい」
「江藤さん……ありがとう」
「なんば言うちょる。きょうは三十号の大台やろう」
「はい、できれば」


         六十二
 
 第三戦。大洋の先発は池田重喜(しげき)。オープン戦以来二度目の顔合わせだ。太田が、
「俺と同じ大分の出身です。津久見高校。百七十八センチ、七十四キロ。ドラ四で入団して二年目。去年五勝五敗。今年田淵にプロ入り第一号ホームランを打たれました」
「もう一人ブルペンで投げてるガタイのいいサイドスローは?」
「高橋重行。八年目。ふつうの速球と曲がりの大きいカーブの二本立て。たまにシュートを投げるけど、調子がいいと、一日じゅうシュートできます」
 これでしばらく関東とお別れかという気分で、スタメン発表を聞く。
 大洋ホエールズ、一番セカンド近藤昭仁、二番ライト近藤和彦、三番センター重松、四番サード松原、五番ファースト中塚、六番レフトジョンソン、七番キャッチャー伊藤勲、八番ショート関根、九番ピッチャー池田。
 中日は、一番セカンド伊藤竜彦、二番ショート一枝、三番ファースト江藤、四番レフト神無月、五番センター中、六番サード太田、七番ライト菱川、八番キャッチャー新宅、九番ピッチャー伊藤久敏。高木と木俣はベンチスタート。伊藤竜彦と新宅の試運転のためだろう。
 球審松橋、大きなお腹、ドングリ目玉のマッちゃんだ。ストライクをコールするとき高々と手を天に突き上げ、二本の指先をくるくる回す。右バッターには右指、左バッターは左指という懲りようだ。塁審は、一塁福井、二塁原田、三塁太田、レフト谷村、ライト田中。大谷と谷村はまちがいやすい。水原監督に眼鏡を毟り取られたほうが大谷だ。谷村のほうが審判としては出場回数がはるかに多く、年齢もずっと上だ。大谷は水原監督にやられて以来、コンタクトレンズをしていると長谷川コーチが言っていた。
 八回裏まで新宅と伊藤久敏を除く全員が、大洋もジョンソンと関根と池田を除く全員がヒットを打った。十一本と七本のヒットを打ち合い、八対六と中日がリードして九回表になった。
 その間、伊藤竜彦四打数二安打、三振一、打点二。中二打数二安打、フォアボール二、打点一。江藤三打数一安打(レフト場外へ十一号ソロ)、三振一、四球一、打点一。私は池田から四打数三安打(内角低目のスライダーをライト照明灯の桟に打ち当てる二十九号ツーーラン、ライト場外へ三十号ソロ、レフト前ヒット。六回から代わった高橋重行の外角高目のシンカーを捉えきれず、空振り三振。真っすぐ突き上げたマッちゃんの右手がクルクル回った。ついにプロ入り初三振を喫した)、打点三。太田四打数一安打。菱川四打数一安打、四号ソロ、三振一、打点一。
 九回の表、高橋重行は、太田レフト前ヒット、菱川三振、新宅ショートゴロ、伊藤久敏三振で零点に抑えた。
 九回の裏、中塚右中間の二塁打、ジョンソンサードゴロ、伊藤勲の左中間を抜く二塁打で一点、関根三振、ピッチャー高橋のライト前ヒットで一点(またこれだ!)、いま一歩のところで八対八の同点にされた。伊藤久敏に代わってマウンドに上がった田中勉が近藤昭仁をセカンドゴロに打ち取って、延長戦に入った。
 十回表、伊藤竜彦三振、中サードフライ、江藤フォアボール、私外角高目の棒球を引っ張って右中間へ初のスリーベース。中を意識して全力疾走した。風を切る音も呼吸の音もなく、無音の中を走った。江藤生還して一点。その一点が決勝点になった。島谷ファーストライナー。
 十回裏、田中勉は、近藤和彦、重松、松原と三者三振に切って取り、たった十三球で勝利投手になった。勝ち頭の小野と並んで四勝目。九対八の僅差勝ち。盗塁は両チームで中塚の一個だけだった。
 給湯室へいく暇はなかった。ただ、私が決勝三塁打を放って三塁ベース上に立ったとき、中日ベンチ上方の通路付近のスタンドで川崎ガールズが跳びはね、その横で盛んに拍手するオバチャンの姿があった。
 ベンチ前のインタビューは避けられなかった。フラッシュに炙られながら、オバチャンたちに手を振る。
「放送席、放送席、決勝のスリーベースを放った神無月選手です。三連勝、おめでとうございます。開幕六連勝、負けを一つ挟んで九連勝、ゆくところ敵なしの状態になってきました!」
「はい、打線が噴火しつづけてます。もっと欲張って、できるかぎり連勝したいと思います」 
「十六試合で三十本のホームラン、ほぼ一試合に二本のペースです。前人未到の記録に向かって進みつづける神無月選手ですが、この歩みが止まることがあるんでしょうか」
「当然あります。きょう、高橋重行投手から初三振を喫しました。ぼくがいちばんボールに当てにくいと感じるコース、外角高目です。しかも変化球でした。これからはあそこをどんどん攻められると思います。そうなると、一試合に一本どころか、二試合に一本、三試合に一本といったペースにまで落ちることも大いに考えられます。各チームとの対戦も、あしたから二廻り目に入ります。そろそろ、牛耳られはじめるでしょう」
「北陸シリーズ、期するところはございますか」
「打てるだけ打ち、勝てるだけ勝つ。ぼく個人としては、風光の美しい土地で散歩をすることが楽しみです。ぼくは幼いころから旅が身に滲みついています。住み慣れた土地を離れて新しい土地を受け入れる。一瞬一瞬の新鮮さに触れることがうれしいんです―幸いなことに、そういう職業に就くことができました」
「北陸は風光明媚なだけでなく、食べものもおいしいですよ」
「そうですか。瀬戸の明石焼きのような名物も食べてみたいですね」
 手帳を構えた記者たちから笑いが上がる。中の一人が明るく、
「富山の押し寿司、石川の香箱(こうばこ)ガニ、福井の越前そばがお勧めです」
「覚えられません。とにかく、寿司、カニ、そばですね。入団以来、毎日毎日、野球専門用語に攻めこまれるようになったので、そういう言葉にほっとします。その三つの食べもの、ぜひ経験してみます」
 ベンチの仲間が笑いながら聴いている。インタビューアーが、
「神無月選手でした。ありがとうございました。水原監督、どうぞこちらへ!」
 ゆっくりとマイクの前にやってくる。
「いかがですか、好調ドラゴンズを率いるご気分は」
「タッチされる手が腫れ上がっています。気分のいい腫れです。チーム年間最多本塁打を狙います。まだ歴代二百本を打ってるチームはないんじゃないですか?」
 アナウンサーはイヤホンに神経を集めて外部からの情報を聞く。
「ございません。昨年の巨人の百七十七本、昨年の阪急の百五十四本がトップツーです」
「二百五十本を狙います。コーチャーズボックスでそんな夢を見ながら、せいぜいタッチしつづけますよ」
「神無月選手に関してはどのようなご感想を?」
「彼は中日ドラゴンズにとって、いわばジャンヌ・ダルクのような存在です。ただし、革命を達成したあと火あぶりの刑には処せられることのないジャンヌ・ダルクです。固陋な球界に、自由で溌溂とした空気を吹きこんだ英雄であり、その野球の能力は鬼神の持ち物です。鬼神は崇められるべきです。彼に関する感想や意見はございません。彼は、ベテラン、新人、関わりなく好影響を与えています。おかげで破壊力がとてつもないものになっている。その攻撃力を信頼するピッチャー陣も、失投を恐れない思い切った投球ができている。その思い切りで、伊藤久敏くんは、九回三分の二、自責点八の投球鍛練をしたようなものです。防御率一点程度でしょう。何ほどのものでもない。いまのドラゴンズと戦うチームは災難だとしか申し上げようがありません」
「ドラゴンズ主催の北陸シリーズに向けて、意気ごみをお聞かせください」
「この大洋戦からの長期遠征を含む九連戦は、毎年のことながら、体力的に相当きついものです。阪神さんの死のロードにも見るように、移動転戦の労力はかなりなもので、たどり着くつどヘトヘトというのが実情です。しかし、それはプロ球団のすべてが背負っている宿命ですし、観客の前でそんな気配をおくびにも出さずに戦うのがプロというものです。川崎も、北陸各球場も、さて舞い戻っての後楽園も、その一環にすぎません。どのような状況のもとであれ、最高の試合をお見せしたい、そして勝てるだけ勝つ、それが一年を通しての意気ごみです」
「ありがとうございました」
 私はフラッシュに射られながら、もう一度オバチャンたちに手を振った。
         †
 五月二日金曜日。七時起床。十六・六度。快晴。うがい、ふつうの排便、シャワー、歯磨き、軽く洗髪。
 汗の滲みたビジター用のユニフォーム三式と、アンダーシャツ、下着、タオル、読み終えた本を段ボール箱に容れる。北陸へ持っていくダッフルには、三日間着たジャージ、グローブ、スパイク、運動靴、特殊眼鏡、帽子が入っている。新しいワイシャツ、使い残したバスタオルとタオルが数本、いのちの記録はスポーツバッグに入れ、音の悪いバット一本(第二戦で平松からサードライナーを打ったときイヤな音がしたバットだ)を添えて段ボール箱といっしょにフロントに出した。使えるバット二本を納めたバットケースと合わせて、荷物は二つ。
 八時。名古屋から着てきたワイシャツにブレザーをはおって、一階広間のバイキングの朝食にいく。あちこちのテーブルで仲間たちが歓談しながらめしを食っている。適当に和風の惣菜を盛り合わせて、いちばん離れたテーブルにつく。同席の江藤と太田は握り鮨とチャーシューを取ってきた。
「これじゃ足らん。富山に着いたら食いに出るぞ。たっぷり詰めこまんといけん。まず押し寿司やな、金太郎さん」
「はい」
「俺もいきます」 
 部屋に戻り、出発まで、いのちの記録。

 文明社会が高度化していくせいで、人びとの心が〈高度に〉変化していき、愛や友情という〈より高度な〉人生の主題が〈低度な〉文明の中に置き捨てられていく。私には生きやすい時代になった。進化する文明が力説するほんとうらしくない主題に置き捨てられながら、傍流の人間として、低度な自分の時代の中で、ほんとうらしいものといっしょに生きられる。グランドと愛する人たち―超然と孤独でいられる逼塞場所も確保した。
 文明の光を遮る手をかざしながら、思い煩わずに、安らかな気分で歩いていこう。主流でないからこそ、人びとのひそやかな体験、不安、湧き上がる愛情、つかの間の夢想などを材料にして、私なりの人生地図を思い描くことができる。それは部分図かもしれないけれど、努力して貼り合わせていけば、人生の全みちのりにつながる一本道をたどることができるだろう。
 午後一時。ニューオータニの玄関前から送迎バスが出発する。ホテルマンたちが居並び、いっせいに礼をして見送る。数百人のフアンが手を振る。選手たちも手を振り返す。
 羽田までぼんやり見慣れない景色を眺めながらいく。弁慶橋、日枝神社、ここまでは見慣れている。新橋、浜松町を経て、品川へ出て京浜運河沿いを走り、大井の交差点から国道357号線に乗る。フェンスと立木の路。長いトンネルを抜け、羽田空港国内線到着ターミナルでバスを降りる。車の波。空港ロビーは報道陣とファンの波。
 二時十五分、ANAと尾翼に書かれた白と青のツートンカラーのプロペラ機に乗った。真ん中三列、両脇二列の、六十人を収容できる中型飛行機だ。乗客たちは私たちに一瞬驚いた表情をするが、すぐに無関心になる。スチュワーデスが飲み物の注文を尋いて回る。断り、すぐ目をつぶって寝にかかる。眠れない。女たちの言葉が浮かぶ。
 ―死ぬほど好き。
 カズちゃんにその言葉を言われる以前、映画館の闇の中で聞いたことがあった。保土谷日活。裕次郎の『若い川の流れ』というカラー映画と併映のモノクロ映画だった。夜霧に消えたチャコ。筑波久子という女優が狭い畳部屋で横坐りになって身をよじりながら、年上の女友だちに、あの人のことが死ぬほど好きなのよ、と悲痛な声で言った。衝撃を受けた。その短い告白に、詳細を尽くせない秘密がぎっしり詰まっていると感じた。これは男の表現ではない。女特有のものだ。そう感じた。横浜から名古屋に転校する直前だった。
 カズちゃんに同じ言葉を言われて以来、多くの女から頻繁に言われるようになった。やっぱり女しか言わない言葉だった。
 私〈ごとき〉矮小な悲しい者に向かって言われることで、死ぬほど、という言葉の真実味や価値が薄くなったと感じたわけではない。人はだれしも自分なりの悲しみを抱え、悲しいだけで冷たい人になる。そういう人間の救済の言葉として、ますます真実味と価値が濃密なものになった。言葉は生きていた。ただ、生きた言葉を受け取る身に罪悪感が生まれた。矮小な悲しい者を評価する人びとがいなければ、罪悪感が生まれるいわれもないのだ。


第五章 出陣 終了

第六章 北陸遠征へ進む

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