二十八

 田宮コーチが神宮球場に向かうバスの中で、
「大リーグ七球団動く、動向注視、と今朝の新聞にあったが、どんなに動いても金太郎さんは動かない。安心してくれ。やつらは見物にくるだけだ。せいぜい楽しんで帰ってもらおう」
 水原監督が、
「金太郎さんは、大リーグに興味ないの?」
「ありません。外人の女は鼻の穴が大きくて嫌いです」
「なんだ、女ですか」
「毎日暮らすとなったら、大事な問題です」
 車内に笑いが弾ける。
「野球そのものはどうだ?」
「鼻の穴と同じで、からだが大きすぎて、華麗さがありません。ホームランと速球と肩の強さには感心します。それから球場の静けさ。あれで個々の選手が美しければ、心は動きます。でも、大もとがベーブ・ルースですから」
 ふたたび笑いが弾けた。江藤にヘッドロックされた。
 球場到着。ファンたちが声をかぎりにバスに呼びかける。シンプルな明治神宮野球場の白い表示がなぜか仰々しく感じる。朝から引きつづき快晴。布の切れ端のような雲が浮かんでいる。ベンチ温度二十六・七度。湿気なし。風少々。初夏が間近にある。
 大学時代にじっくり見なかった球場をきょうはじっくり見る。両翼九十一メートル、中堅百二十メートル。ネット裏と内野席全体に指定席として、赤・青・黄のプラスチック製の椅子が設置されている。かつては両翼百メートルだったせいでラッキーゾーンがあったらしいが、いまはその面影はない。今年から外野フェンスと危険防止金網とのあいだに広告パネルを差しこむようになった。神宮球場の歴史では初めてだ。
 コカ・コーラ、三菱カラーテレビ、日動火災、ヤクルトジョア、YOKOHAMA、アキレス靴、ホクセイサッシ、キリンビール、といった文字が並んでいる。ほかには、スコアボード下に、第一生命とシチズン時計の看板があるきりだ。
 両軍の練習が終わるころ、夕刻の気配が降りてくる。照明塔の光輝。外野スタンドの空が真赤に焼けて、雲と縞目を作っている。大学野球のころは、外野に近い内野スタンドの端のほうに空席が目立ったが、そこにもギッシリ人が埋まっている。夕焼けを背景に、センターの一段高いところに、十五回まで表示のあるシンプルなスコアボード。ふつうの球場は、得点ボードはクルリと回転して表向きになるが、神宮球場の場合、012345…とかかれたロールが回転して出る。
 対アトムズ五回戦。観衆三万一千。これでもほぼ満員。ウグイス嬢のスターティングメンバー発表。先攻中日ドラゴンズ、中、高木、江藤、神無月、木俣、菱川、島谷、一枝、小野。島谷はサードだ。選手名ボードがスルスルと回って次々に表示される。後攻アトムズ、一番からセカンド武上、センター福富、レフト高倉、ライトロバーツ、ファースト豊田(あの豊田泰光だ。もう三十四歳になった)、キャッチャー久代、ショート西園寺、サード丸山、ピッチャー藤原。ポジションと名前のあいだに少し間を空ける独特のアナウンス。球審は竹元。長嶋の幻のホームランの一塁塁審だ。オープン戦だったか、セカンドベースのあたりで口を利いたことがある。審判の顔は、パリーグの露崎さんとセリーグのマッちゃん以外ほとんど記憶できない。
 笛と太鼓の質素な応援。応援団の人数は少ない。テレビカメラの位置を確認し、ラジオ中継席を見上げる。ネット裏最前列に二十人ほどの外国人が雁首を並べている。一塁側ベンチを見る。ベンチの両脇がカメラマンシートになっている。両サイド合わせて十人ほど。
 眼鏡をかける。整備された、広い、色彩鮮やかなフィールド。鈴なりの観客。赤い夕焼けのさらに上空に、漆黒に近い紺青(こんじょう)の空がある。その空から降ってくるカクテル光線。
 二十七試合目。野球場のすべてに馴染んだ気がした。校庭の遊びではない、きちんとした野球をする場所。ここに立っていることにまったく違和感はない。ここに自分はいるべきだと感じる。カクテル光線に照らされる私の姿が、商品として観客に称賛されることがあたりまえに思われる。
 夕空の赤が幻想的な薄紫に変わった。ダッグアウトのいちばん前に立ち、投球練習をする藤原の球筋を観る。小さなシュート、小さなカーブ、大きなスライダー、百四十二、三キロのストレート。きのうは五打数一安打だった。ヒットを量産するのは難しい。ましてやホームランは量産できない。とまれ、一日一日、一本でも多くヒットを打とう。一本でも多くホームランを混ぜて。
 中が打席に立つ。初球のシュートを打ってレフト前へ地を這うヒット。高木の二球目に盗塁。高木三振。江藤初球のストレートをセンターオーバーの二塁打。塁上に仁王立ち。中生還して、まず一点。私は外角遠目のシュートを見逃してノーツーのあと、極端にボックスの前に出、ストレートか変化球か判別のつかないボールをバックスクリーンの後方へ放りこむ。四十七号ツーラン。水原監督とタッチしながら、
「きょうは全打席狙います」
「よろしく!」
 三対ゼロ。木俣レフトオーバーの二塁打。菱川三振。ツーアウト。島谷左中間へ六号ツーラン。五対ゼロ。
「ビッグイニーング!」
 半田コーチの甲高い声。太田コーチがつづいて、
「ピッチャー、ぜんぜんタマきてねえぞー!」
 一枝フォアボール。小野右中間の二塁打。ベテランピッチャーのバッティングはほんとうにすばらしい。一枝長駆還って六対ゼロ。中ライト中段へ目の覚めるような三号ツーラン。八対ゼロ。高木ショートゴロ。
 二回表、江藤バックスクリーン直撃の十八号ソロ。九対ゼロ。ピッチャー、藤原から緒方勝に交代。中背。六年目。中継ぎとして登板数は多いが、六年間で一勝しか挙げていない。カーブ、シュート、ストレート。平凡なピッチャー。
「バッター、四番神無月、背番号8」
 熱泉のように沸き上がる喚声。三塁側スタンドでかしましく笛が鳴る。体操教師の使う笛だ。緒方の表情に恐怖がある。田宮コーチが、
「ピッチャー、ビビッてもしょうがないよ! ラクになりなさい!」
 緒方、久代のサインにうなずき、初球胸もとへストレート、ボール。棒球。
「止まって見えますか?」
 久代が声をかける。皮肉の調子ではない。意図はわからない。
「動いて見えますが、棒球です」
 二球目、自信を持って投げこんできた外角の速いシュートを叩き上げる。バックスクリーン左へ四十八号ソロ。十点。
 木俣レフト前へポトリと落とす。菱川三振。二打席連続だ。しかし振りに迷いがない。三打席目から爆発する気配だ。島谷センター右へヒット。一枝一塁線を抜く三塁打。二者生還。十二点。小野ライト前ヒット。一枝生還、十三対ゼロ。中ライト前ヒット。ワンアウト一、二塁。高木ショートフライ。きょうは菱川と高木が当たっていないように見えるが、嵐の前の静けさだろう。江藤ライト前へ抜ける強烈な当たり。小野還って十四点。ツーアウト一、二塁。私、顔の高さの外角棒球を打って左中間中段へ四十九号スリーラン。十七点。木俣レフトへ大きなフライ。チェンジ。
 こうなると観客の興味は勝敗ではなく、中日が何点取るか、私が何本ホームランを打つかに移る。三回表、緒方から村田元一に代わった。二度目の対決。一打数一安打、センター前ヒット。美しく豪快な投球フォーム。むかしの準エースだ。四球が少ないことで有名だ。それがアダになるだろう。菱川ライト前ヒット、ようやくきょう一本。島谷セカンドライナー、一枝サードゴロゲッツー。昭和三十四年に王に第一号ホームランを打たれたことで有名な十三年選手、村田元一が生き延びた。中が、
「彼は王に一号だけじゃなく第二号も、おととしは三百号も打たれているんだよね。ある意味、節目男だな」
 四回表、小野見逃し三振。きょう二本のヒットを打っている小野はこの先けっしてバットを振らないとわかる。中レフトフライ。高木三遊間ヒット。彼もきょう初ヒット。ベンチから盛んに拍手が上がる。水原監督がホッとした顔をしている。ほら、菱川と高木の爆発が近づいてきた。江藤一塁の頭上を抜く二塁打。高木長駆生還。十八点。
「金太郎さん!」
「金太郎!」
 ドラゴンズファンの声援の中、村田振りかぶって初球、外角低目シュート、ボール。太田コーチの声。
「元一、見切られてるぞー!」
 二球目、同じ外角低目にカーブ、ボール。森下コーチが、
「ああァ、ツーボール、次甘くいったらイカレるで!」
 三球目、緒方と同じ外角の速いシュートをきっちり掬い上げ、スコアボードの真ん中に打ち当てた。ちょうどイニング番号七のあたりだった。百六十メートルは飛んだろうか。歓声が、
「ホオォォォ!」
 という長大息に変わった。五十号ツーラン。王の四打席連続にこれで三度並んだ。二十対ゼロ。ファーストベースを蹴るとき、豊田が、
「何点取りゃいいの。もう鼻歌も出ねえよ」
 と嘆き、セカンドの武上がグローブを口に当てながら、
「もういいんじゃないの!」
 と怒鳴った。サードの丸山が、
「頭がチクチクするなあ」
 と意味不明のことを言った。水原監督とハイタッチ。
「三十点いけそうです!」
「最多得点いこう! 阪急の三十二点だ!」
「はい!」
 ベンチ前で握手攻め、抱擁の嵐。ウグイス嬢のアナウンス。
「神無月選手、第五十号のホームランでございます。昭和二十五年の松竹小鶴誠の五十一本、昭和三十八年の南海野村の五十二本、昭和三十九年の巨人王の五十五本に次いで、史上四人目の五十号本塁打達成でございます。四死球を挟まず、一試合で四打席連続ホームランは、神無月選手今シーズン三度目でございます。一度目は広島市民球場、二度目は中日球場、三度目はここ神宮球場でございます。なお、なお三度の達成はもちろん、二度の達成も日米プロ野球史上初でございます」
 広島球場と同じように四方のスタンドにヘルメットを振る。内外野の観客が立ち上がり惜しみない拍手を注ぐ。木俣レフトライナーでチェンジ。
 五回表、菱川センターライナー、惜しい。そろそろだな。島谷ライト線二塁打、一枝フォアボール、小野見逃し三振。中レフト線三塁打。島谷と一枝が還って二十二点。高木センターフライ。
 六回表、江藤左翼場外弾防御ネットへ十九号ソロ。二十三点。
「百五十メートル級やろう。人生でいちばん飛んだばい!」
「やりましたね!」
 抱き合う。次打者の私は、内角低目の変化球らしきものを叩いて右翼場外へ五十一号ソロ。防御ネットを越えたので、百七十メートルはいっている。甲子園場外の希望が見えてきた。二十四点。
「神無月選手、五打席連続ホームラン、日本新記録達成でございます。なおこれは世界新記録でもございます。また、一試合二度のアベックホームランは、四月十二日の対広島開幕戦につづいて、プロ野球タイ記録でございます。なお江藤神無月両選手のアベックホームランは公式戦十六度目となります」
「神か、悪魔か、とにかく人間ではありません!」
 という放送席の声が流れてくる。大喝采と怒号の中で木俣が打席に立つ。土を噛むサードゴロ。サードハンブル。内野安打になる。木俣は一塁ベース上で明るく手を叩いて喜んだ。菱川バックスクリーンへ八号ツーラン。ついに爆発した。二十六点。
「ただいまの菱川選手のホームランをもちまして、チーム一試合本塁打十本となり、日本新記録達成でございます」
 ピッチャー安木に交代。太田が、
「じつは、神無月さんはもういろんなホームラン記録を樹立してるんですよ」
「そうなの?」
「連続六試合本塁打、月間最多十五本、新人開幕戦一本、新人シーズン最多本塁打、ぜんぶ軽く超えてます。ほかに一イニング二ホームランのタイ記録。もっともっとあるんでしょうが、思いつきません」
「思いつかないのなんて、どうでもいい記録だよ。とにかく、ホームラン王だ」
 敗戦処理の安木が力投する。変則二段モーション、大きなカーブ。とまどって島谷空振り三振。一枝空振り三振。小野、〈男は黙って〉見逃し三振。
 七回表、中三塁前にセーフティを決める。高木の初球に二盗。目標が三十二得点に切り替わった。高木粘ってフォアボール。江藤フォアボール。ノーアウト満塁。
 ベンチが大騒ぎになる。観客席はそれに輪をかけてドンチャン騒ぎになる。バックネットを振り返る。外人たちがしきりにメモをとったり、額を寄せ合って話したりている。テレビカメラを見つめながら、ヘルメットをかぶり直す。初球、頭から曲がり落ちてくる大きなカーブ。曲がりハナがわからず空振り。まったくかすらなかった。
「ウオー!」
 という喚声が響きわたる。私の空振りがめずらしいのだ。このカーブを打たないかぎり苦手意識が残る。ゆるいカーブなので、ソフトボールの要領でいくことにする。ボックスギリギリまで下がる。真ん中へ曲がり落ちてきたところを打つ。久代が私の足の移動に気づいた。
「なるほど、そうきましたか」
 彼は思わずヒントを言ってしまった。カーブは打たれる、ストレートも打たれると考えれば、内角をえぐるシュートしかない。ボックスの後ろラインへにじり下がる。安木がセットポジションに入るのに合わせて、そのままマウンドに近づくように移動する。二球目、やはり腰のあたりへ食いこんでくるシュート。曲がりハナを力いっぱい叩く。低いライナーで伸びていく。上昇する。
「ロケットー!」
 森下コーチの叫び。打球はあっという間にライト上段に突き刺さった。五十二号。あふれ返る喚声の中で森下コーチとタッチ。一塁手の豊田泰光が掲げた右手とハイタッチ。
「来年は解説で褒めちぎってやる!」
 今年で引退のようだ。二塁手の武上とロータッチ。ショートの西園寺が、
「永遠に破られんぞ!」
 三塁手の丸山が帽子を取り、何も言わず深く礼をした。水原監督とぶつかるように抱き合う。ホームベースまでベンチ全員が迎えに出ている。菱川、高木、一枝のキス。中がまさかのキスを額にする。江藤と太田が抱きかかえて歩く。三十点。
「神無月選手、六打席連続ホームラン、日本新記録の更新でございます。もちろん世界新記録の更新でもございます。同時にチーム本塁打記録も更新でございます」
 冷静だったウグイス嬢の声が上ずっている。ネット裏の外人たちが立ち上がって手を叩いている。


         二十九

「バッターラップ! バッターラップ!」
 竹元の甲高い声。木俣が走っていく。レフト前ヒット。菱川ショートゴロゲッツー。島谷ライトフライ。
 八回表、ピッチャー交代。三年目、期待の浅野啓司だ。眼鏡のおとなしそうな男。ストレートはいいが、変化球は平凡。シンカーは遅めのシュートと思えばいいだろう。水原監督がパンパン手を叩いている。三十二点を超えてほしいのだ。一枝センター前ワンバウンドのヒット、大拍手。小野見逃し三振。中左中間の二塁打。三十一点。大歓声。高木三遊間ヒット。三十二点。ついにやった!
「中日ドラゴンズの一試合得点三十二点は、昭和二十五年阪急軍が対南海軍戦で記録した得点に並ぶ日本タイ記録でございます」
 観衆が観戦よりも拍手に忙しい。江藤深いライトフライ。私、チーム得点新記録を防ぐための敬遠。木俣セカンドフライ。チェンジ。ここまで、ドラゴンズの攻撃が平均して十五分ほど、アトムズが七、八分なので、三時間強。時計は九時三十五分。
 九回表、菱川右中間の大きなフライ。期待と失望の大歓声。島谷に代わって太田空振り三振。大きなため息。一枝サードゴロ。球場じゅう落胆のうなり声。すべての攻撃が終わった。
 アトムズは九回の裏まで高倉の五号ソロを含む散発三安打の一点のみ。二塁打も三塁打もなく、高倉以外の二安打は豊田と久代のシングルだった。小野は九回三十人を相手にしただけの経済的なピッチングで六勝目を挙げた。
 私はマイクを何本も突きつけられ、九時五十分の時計を見つめながら、きょうの夜の大信田のことを思った。
「世界新記録達成、日本タイ記録達成おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
「鬼神の仕業としか思えません」
「ハア、取りつかれてるようです」
「目標は百本ですね」
「それを口に出してもおかしくなくなりました。当面、五十六本の達成を目指します」
「ファンにひとこと」
「あしたも取りつかれます。応援の催眠術にかかってるようなものです」
 水原監督と小野にあとをまかせ、大歓声と拍手を浴びながらロッカールームへ引き揚げた。全員が温かい拍手で迎えた。江藤が、
「敬遠、しばらくのあいだ増えるばい」
「どういうことですか」
「王の五十五号たい。巨人戦までにあと三本打っておかんばいけん」
 葛城が、
「ほかのチームが敬遠をやるかなあ」
 徳武が、
「ほかのチームにも巨人ファンはいるだろ」
 水原監督が戻ってきて、
「だいじょうぶだ、あしたの試合も入れて、広島戦、大洋戦と七試合もある。五十六本打っておけば、露骨な敬遠はない。きょうの敬遠は、浅野が臆病になっただけのことだ。それよりも、六打席連続ホームラン、おめでとう。未来永劫にだれも破れないだろう。金太郎さん本人でさえ、もう達成できないと思う。才能と幸運の産物だ。きょうの場外ホームランの推定飛距離は百八十三メートル、江藤くんは百五十七メートルだそうだ。いま二人の飛距離を出せる野球選手は日本にいない。すばらしい。ネット裏の外人たちは、あしたの午前に名古屋の球団本部を訪ねて、金太郎さん獲得を打診するそうだ。一度小山オーナーに撥ねつけられたのに懲りないようだ。ドラゴンズ球団に譲渡の意思のないことが、こんどこそハッキリした形で表明されるだろう。球界を一国にたとえれば、金太郎さんは国の象徴、つまり天皇だ。天皇を失えば、球界は崩壊する。そこまで主張すると小山さんは言っていた」
 中が、
「天皇どころじゃない。太陽です。太陽を失えば、国どころか地上の生命が失われます。みんなも感じてるとおり、金太郎さんは天上の人です。金で売り買いするなんてもってのほかだ」
 賛同の拍手がロッカールームに爆発した。長谷川コーチが、
「ベーブ・ルースの国でも、喉から手が出るほどほしいか。当人が、女の大きい鼻の穴が嫌いだからいかないと言ってると教えてやったら、腰抜かすかな。あしたの先発は健太郎、リリーフ伊藤久。ここを締めて、広島へいくぞ」
「よっしゃァ!」
         †
 夕食を終え、十一時十分前に部屋に戻った。ユニフォームを脱ぎ、きのうの分と合わせてビニール袋に詰めた。シャワーを浴びようとすると、ノックの音がした。ジャージを着て、ドアに出る。
 小さなバッグを小脇に抱え、ゆったりとした暖色のフレアスカートを穿いた大信田が微笑しながら立っていた。
「いらっしゃい」
「厚かましくきてしまいました」
「とんでもない、とてもうれしいです」
「私こそ天にも昇る心地です」
 ポニーテールを下ろし、長い自然な髪を肩に垂らしている。形のいい唇に、少し濃い紅を塗っている。額や頬や口もとを観察する。カズちゃんより七つ八つ若いはずだが、少し老けて見える。しかし愛らしいことには変わりはない。引き入れてドアを閉め、ごく自然に両肩に手を置き、赤い唇に軽くキスをする。大信田は目をつぶって素直に受けた。心に決めてきたようだ。吐息に歯磨粉の香りがした。ソファに腰を下ろさせ、私はベッドにあぐらをかく。
「五打席連続ホームラン、おめでとうございます」
「六打席連続です」
「まあ! 巨人―広島戦のテレビ放送を九時五分前までしかしていなかったので、途中経過しか知りませんでした」
「そんなことより、きょうはびっくりしました。偶然は大事にしたいですね。……この二カ月の消息をいろいろ話してくれませんか。その前に、いまシャワーを浴びようとしていたところだったんです。いっしょに入りましょう」
「……どうぞお一人で。私は入ってきましたから」
 化粧を落としたくないのだろう。道の上で大信田が息を呑んだ顔を反芻しながら、その場で裸になる。大信田は今度も息を呑んだ。
 からだを拭いて裸のままベッドに戻ると、大信田はすでにベッドに入って背中を向けていた。勃起するまでに時間がかかりそうな気がした。
「見て。こんなに小さいんだ」
 大信田は顔だけ振り向け、
「まあ、かわいい! 子供のものみたいですね。でも、清潔な天使のような人だと思ってましたから、小さいことは気になりません。……なんだか、先のほうがへんですけど」
「ハハハ、どこを一つとっても、ぼくは正常な部分がないんです。……唐突ですが、ぼくは、不機嫌と、意地悪と、嫉妬を習慣にする人間とは付き合えない」
「……私はちがいます」
「わかってます。そうじゃなきゃぼくとは巡り会わない。ぼくと巡り会う人間には共通した特徴があるんです。とても大きな特徴が」
「どういう?」
「ものごとに明るく打ちこむ―」
「明るく?……」
「仕事、勉強、食事、遊山、ギャンブル、セックス。どんなことも、侘びしくならずに明るく微笑みながら励む。ものごとの盛りを楽しんで、これでじゅうぶんという満足の表情をする。あなたもきっとそうです。きょうの思い切った行動からわかります。人間的に耕された深い落ち着き―そういう人は、一目遇ったときにわかる。ぼくの周りには、男も女もそういう人間しかいない」
 掛布に並んでもぐりこむ。腰が触れる。
「……彼らは得体の知れない世間を怖がりません。世間を怖がらずに明るく微笑んで励む人間しか、そういう豊かな落ち着きは持てない。世間ではなく、愛する者の心は怖い。愛する者は、人間的な堕落に眼を光らせてますからね。不道徳は人間的な堕落じゃありません。大勢の人に足並を揃えない反骨です。人間的に堕落しないための大切な反骨です。人間的な反骨以外は、恐怖の対象になりません。……だからぼくは、もともとぼくたちが恐れていないのに、いい気になって意地悪や嫉妬や不機嫌で怖がらせようとする道徳的な人たちのあいだでは、まっとうに生きられないんです。世間道徳を見かぎると、生きづらくなります。だから不道徳な人間は助け合わないと―助け合ってくれますか?」
「はい! 私も不道徳合格ですね」
「うん、たっぷり」
 強く抱き合う。
「あなたのことを話してください。……いくつですか?」
 大信田は私の胸に手を置き、
「二十八です」
「八つ年上か」
 二月に二十六になった節子より二つ上。キクエやイネより三つ上だ。同い年の女は周りにいない。
「二十六で子供を産んだとすると、結婚したのは二十四か五ですか?」
「それは子供の父親と知り合った齢です。二十五で妊娠して、捨てられました」
「認知されてないんですね」
「はい」
「この国はその種の福祉が充実してるから、子育てには不自由ないだろうけど、世間体を気にしたり、片親であることに孤独感を覚えるような気の小さい子だと、将来つらいかもしれませんね」
 私は掛布をはいだ。大信田は少し横を向いて胸を手で隠した。隠し切れないほど豊かだった。肉づきのいいあばらから尻へ視線を下ろす。大きく張っていた。きちんと仰向けると、臍は少し出ていて、陰毛は薄かった。まだ血が入らない。掛布を戻した。
「妊娠三カ月目? 四カ月目? 捨てられたのは」
「二カ月目です」
「知り合ってすぐということ?」
「はい。志賀島へ観光旅行をした九大生グループの一人で、三つ年下でした」
 黙って語らせる。
「その後どうなったか知りませんし、知りたいとも思いません」
「別れた男に未練は?」
「好きでしたけど……」
 添いかけ、胸を揉む。あ、とため息を洩らす。陰毛を指先で回すように撫で、中指を割れ目に滑らせて陰核の大きさを測る。小さい。というよりも、指に触れない。小陰唇も短い。性器自体が湿っている程度で、濡れてはいなかった。まったく開発されていない肉体だろう。それでも指でその確認をすることで、しっかり血が入った。私は掛布を剥いで、そそり立っているものを示した。
「あ……」
 大信田は食い入るように見つめている。
「触ってみて」
 大信田は、こわごわ亀頭の縁を指でなぞった。
「形が信じられないほどきれい! ……これ、入りますか?」
「入ります。あなたが濡れていれば簡単に。……名前を教えてください」
「ナオ。奈良の奈に、鼻緒の緒」
 じっと亀頭を見つづけている。
「舐めたいんですね?」
「……はい」
 奈緒はそっと茎を握ると、舌先でチロチロ亀頭の割れ目や周囲を舐めた。そして含もうとしてすぐにあきらめた。
「もっと口を大きく開けてみて」
 入らなかった。乳房が自由になっていたので、乳首をつまんで愛撫した。少し心地よいようだった。押して寝かせ、脚を開いて性器を観察する。
「恥ずかしい……」
 不思議な形をしていた。皺ばんだ茶色い小陰唇が円く開いている。大陰唇に沿って縦に伸びているのではなく、まるで亀頭だけを待ち構えるように直径四、五センチの円形の入口を形作っている。上部で輪が終わるところに、たしかに包皮があったが、クリトリスの姿はまったくなかった。本で読んだことがあった。陥没クリトリス。見るのは初めてだった。たしか、オナニーの習慣がつかないので性というものに疎くなるが、もともと膣のすぐそばにクリトリスの台座が埋まっている構造から、膣の感覚が異常にするどいと書いてあった。
「ぼくのこと、好きですか?」
「はい。バスで初めて遇ったときから……気がへんになるくらいでした。―これ」
 ベッドの下のバッグを取り上げ、財布を出して、折り畳んだ新聞写真を見せる。インタビューのときの私の写真だった。薄く笑っている。
「いつも眺めてます」
 また大切そうに畳んで財布にしまい、バッグをベッドの下に置いた。
「ほんものにはめったに逢えないでしょうけど、平和台でゲームがあるときには逢えます。オールスターの第三戦が平和台であります。観にいくつもりです」
「来年のオープン戦もある。チャンスがあれば逢えます」
「はい。私の出張のときと合わせると、年に二、三度は逢えますね」
「遠く離れているという切なさも生きるエネルギーになる。何かの都合であなたが名古屋や東京に出てきたときにも逢えるかもしれない」
 いじるクリトリスが存在しない以上、愛撫が心もとないが、口づけをし、安心させるために性器全体をこすってやる。少し反応があったので、屈みこみ、円い小陰唇に舌を入れる。かなり濡れてきた。その男はこの形に恐れをなして、子供まで産ませておきながら逃げたのかもしれない。
「危険日?」
「だいじょうぶな日です。コンドーム持ってきたんですけど―」
「いい。真皮を触れ合えない関係なんて考えられない。入れるね」
「はい……」


         三十

 小さい輪に亀頭をはめる。輪投げのゲームのようだ。子供を産めたということは、この輪も伸びるということだ。真剣な目を見つめながら、ゆっくり挿入する。思ったとおり、狭くて潤いのある空間だった。
「……大きい……ああ神無月さん、すごく気持ちいいです」
 予想どおりの反応だ。目が閉じられる。動かしてみる。すぐに脈動が始まった。
「あ、初めてです、こんなに気持ちいいの初めてです」
 異様に敏感だ。脈動が激しくなり、口を求めてきた。
「ああ、うれしい、こんなに気持ちいいものなんですね、うれしい」
 奥を連続的に突き、引き戻して上壁をこする。
「神無月さん、ごめんなさい、ちょっと抜いてください、オシッコ洩らしそう」
「ジョーッて出しちゃうつもりになって」
「はい、でも、あああ、ほんとにオシッコしちゃいます」
 往復を激しくする。
「出ちゃう、出る、ああああ、オシッコ出るううう!」
 ガクンと跳ね上がった。尻をつかむ。猛烈に緊縛し、跳ねつづける。緊縛と摩擦が激しくなり、がまんできない。
「奈緒、イク!」
「ああん、気持ちいい! クウウウッ!」
 そっと抜き、ぽっかり口を開けた小陰唇にティシュを押し当てて、跳ね上がる腹をさすってやる。
「ああん、神無月さん、ククク!」
 揺れる胸をつかんで吸う。
「ヒ! ククク! クウウウ!」
「イクと言ってごらん、ラクになるから」
「ああああ、イク!」
 抱き締める。腹をぶつけてよがる。尻をさする。
「と、止まらない、アクク、イク!」
「自然に止むから安心して」
 口を吸ってやる。尻を間歇的に痙攣させながら、徐々に落ち着いてきた。
「ああ、好き! 神無月さん、大好き!」
 しがみついてくる。しっかり抱き締めてやる。長い口づけをする。少しあごのほうへ流れた口紅をティシュで拭いてやりながら、
「よかった。女が悦ぶのを見るのがいちばんうれしい」
「じぶんがこんなふうになるなんて、知りませんでした。……九大生はすぐ出してしまいましたし」
 じぶんでしっかり口紅を拭い落とす。
「からだが敏感で、やさしければ、女は満点。それ以外のつまらないことを目指してる女が多すぎる。パンティをチラッと見せても、その奥のものが鈍感ならどうしようもない」
「私、きのうまで、どうしようもない女だったんですね」
「開発されてなかったからね。きょうからほんものの女になった。九大生とはこうならなかったの?」
「早かったし、とても小さくて、包茎で……」
「愛情があればそれでもだいじょうぶなんだけどね。男に愛情がなかったんだね。……奈緒は博多で育ったの?」
「はい。香椎(かしい)という町です。大むかしの歴史をよく研究される町で、お宮があったり、万葉集の歌碑があったり、城跡があったりします。香椎宮の菖蒲はきれいですよ。千八百年も生きてる綾杉というご神木もあります。香椎駅は国鉄と西鉄の分岐駅なので、町は小さくありません。繁盛してる商店街も多いです。食べ物はおいしいですよ。コロッケ、アジフライ、ローストビーフ、ビーフカレー」
「アハハハ、おもしろいね、奈緒は」
「へんなこと言いました?」
「いや、ぜったい食べ物を挙げると思ったから」
「あ、土地の名物もあります。塩豆大福、果肉ゼリー、博多ラーメン、明太子、高菜」
「それも食べものだね」
「あ、フフフ」
 口づけをし、胸に滑り降り、乳首を含み、臍、繁みへと降りて、ひょっとしたらと思いながら、陰核の包皮を舌で押してみる。
「あ、そんなこと、うれしい」
 包皮の奥で一、二ミリ硬くしこって盛り上がってくる。しこり方でアクメが近いとわかる。達しないうちに、裏に返して四つん這いにし、後ろから挿入する。
「あああ、神無月さん、またさっきの感じになりました……!」
 すぐに膣が達したので、指で包皮を押し回しながら抽送する。
「ウク、ウク、あああ! 神無月さん、イク!」
 クリトリスと膣で同時に激しく達した。緊縛と弛緩を繰り返しながらあわただしくうねる。尻が私に向かって際限なく跳ねる。無言で達しつづける。私はそれを見ているだけでじゅうぶん満足したので、射精をしないで抜いた。奈緒を置き捨てたままシャワーを浴びにいった。
 戻ってくると、感謝に満ちた赤い顔が私をひたと見つめていた。
「何とお礼を言っていいか。ありがとうございます、神無月さん」
「女が何十人もいるよ」
「百人でも。きっと私のように神無月さんを大好きな女の人たちでしょう」
「うん。ぼくも彼女たちが大好きだ。みんな気を使って、マスコミに知られないようにしてる」
「もちろん私もそうします。マスコミは有名人を餌にしますから。私はこのままでじゅうぶん幸せです。大吉に悪いので、子供ができないように注意します」
「そうだね、そうしたほうがいい」
「あさっては夜に出発ですか?」
「いや、午前中。あしたの夜もくればいい。食事しよう。時間が決まったら電話する」
「はい。かならずきます。……愛してます。……ごめんなさい」
「謝ることはない。愛されることはぼくの糧だから。ずっと心に懸かってた女の人と抱き合えてうれしい」
 キスをする。微笑み会う。少し反り上がった口角が愛らしい。
「じゃ、私、戻ります。五分で帰れますから。あしたの夜、電話待ってます」
「うん、待ってて」
 奈緒は短い愛らしい下着をつけ、橙色のフレアスカート姿になると、バッグを抱え、もう一度キスをして出ていった。戸の外へ見送らなかった。
 こういう人生模様にどういう意味があるのかわからない。かぎりのある一生を自分なりの感覚に従って形作る。あちこちで出会った人びとを巻きこみ、ささやかなドラマを創造する。私が創る人生模様は、人びとが最高と思うものでもないし、理想と思うものでもない。私が、これなら自分にふさわしいと思うものにすぎない。ふさわしいと思えば、それが理想の現実になる。
         †
 六月十五日木曜日。七時起床。曇。十七・五度。うがい。ふつうの軟便。うれしい。シャワー、歯磨き、洗髪。思いついて、腿を高く上げて足踏み百回。けっこういい運動になるとわかった。
 爪切り。耳垢取り。フロントに北村へ郵送する荷物を預けてから、バイキングへ。どのテーブルも賑わっている。太田と菱川のいる窓ぎわに席を取る。江藤や徳武、伊藤竜彦たちと中央のテーブルにいた小川が、
「お、ご当人がきたな。六打席連続ホームランより大リーグが新聞種とは悲しいね。ホームランを一面にしてるのは中日スポーツだけだ。いつも金太郎さんは、のんびりツンボ桟敷でめし食ってくれてるんで、俺たちもホッとするよ」
 小川が新聞を持ってくる。中日球団フロントがヤンキーズ、ドジャーズ、ジャイアンツ等と会談、と書かれていた。浜野が別のテーブルから、
「あえてツンボ桟敷にいたがる変人だ。俺ならとっととアメリカへいっちまう」
 江藤が、
「義理と人情はなかとね?」
「ないない。欲だけある」
 泣き虫男が露悪ぶる。私は、
「江藤さん、王は何本ですか」
「七本。きょうはたぶんアトムズバッテリーに妨害ば受くるぞ。秒読みの金太郎さんに真っ向勝負の喧嘩は売らん。ポンポンポンと三本いかれてしまうけんな。王貞治はプロ野球選手の永遠のあこがれやけん、しばらくは庇い立てするにちがいなか。金太郎さんの前にランナーば溜めんように俺たちには全力でくるやろうし、金太郎さんは歩かすやろう。露骨な連続敬遠でないかぎり、コミッショナーも何も言わん」
 小川に、
「きょうは小川さんですよね。またサクサクお願いします」
「おう、きょうは石戸石岡のダブルストーンだろうから、こっちもサクサクやられるぞ。投手戦になるかもしれん」
 私は、
「石戸は初対面か。どんなピッチャーかな」
 太田が、
「いつか言ったと思いますけど、チビタンク、酒飲み、目つき悪し。サイドハンド、きついシュート」
 菱川が、
「神無月さん、石戸とは三月二十六日のオープン戦で戦ってますよ。河村の次に出てきたピッチャーです。ジャクソンが死んだ試合だったから、そっちに気を取られて忘れちゃったんでしょう」
 小川が、
「ジャクソンか……。かわいそうだったな。ま、とにかく、石戸はリリーフでは怖くないけど、先発で出てくると別人になる。シュートだけじゃなく、スライダー、シンカー、ナックル、みんないい」
 木俣が、
「金太郎さんのライト場外の推定距離が出とるぞ。着地してから転がりなしの落下地点まで、百七十八から百八十三。マントルの百九十三メートルというのは伝説で、実際の計測値は百七十二メートルとギネスに載ってる。それも転がった距離を入れてらしい。金太郎さんのホームランも巻尺で計ったわけじゃないが、野球史上世界ナンバーワンの飛距離ということだな。相手ピッチャー、だれだった?」
 菱川が、
「村田元一」
 一枝が、
「気の毒にな。ま、名前が残ったからよしとするか」
 小川が、
「ニューオータニにトレーニングジムができたんだ。サウナもついてる。いってみるかな」
 五、六人が立ち上がったが、私は部屋に戻った。
 活字に飢えている。ブレザーに着替え、フロントでタクシーを呼んでもらう。運転手に書店に連れていってくれるように言う。街筋はわからないが、文教堂という書店の前で降ろされる。しばらく路上で待つように運転手に言い、バカでかい店内へ。膨大な書物群の中から、結局ベストセラー本を二冊買う。河崎一郎著、素顔の日本、石川達三著、青春の蹉跌(さてつ)。
 ホテルに戻り、さっそく元アルゼンチン大使河崎一郎の書いた本を開く。
 室町・戦国から江戸期に至るまで、闘争に明け暮れた十四世紀ないし十七世紀の三百年間に日本人の性格が形成された(そんな短期間に? 詐欺っぽいな)。面と向かっては丁寧で控えめにし、たとえ隠すものが何もなくてもベールをかぶって秘密めかす(個人差があるだろう。河崎が出会った範囲内の人間を見ての判断だ)。相手の洞察力を信じていないので、フリを通す(同上)。暴露は相手の冷笑と軽蔑に結びつくと固く信じている(同上)。家庭教育の根幹は、暴露によって〈人さまに笑われないこと〉である(母を偲ぶ)。笑われることは高レベルの恥である(そうだったのか)。したがって機会があれば、自己を暴露した人間を笑って辱め、手痛く傷つけようとする(川上監督だな)。このような伝統的な習慣と精神統制のもとに、日本人の独立精神は摘み取られていく(習慣と統制にやられる人間だけだ。全体論にしてはいけない)。家庭も共同体もすべて、この摘み取りのもとに徹底的に組織化される。
 内容を人間不信のヨモダ話と見切って雑読しつづける。一見するどい舌鋒に思えるが、深い思考のない総括好きの詐欺本。さらに読み進めていくと、自民党批判からユダヤ人批判、果ては日本人の体格批判までずらり。とにかく批判、批判、批判。本を閉じた。著者自身だけを例外とする誇張した一般化はまっぴらだ。
 青春の蹉跌は広島に回すことにした。


         三十一

 二時半。ルームサービスで五目そばをとって食う。
 三時。ユニフォームを着て、運動靴を履く。スパイクとグローブとタオルをダッフルに詰め、帽子をかぶり、二本入りのバットケースを提げてフロントへ降りる。このユニフォームは送り返さずに、まんいちを考えてあした広島へ持っていく。
 玄関前のファンのプロムナードを通ってバスに乗りこむ。ファンを黙殺することに慣れることがプロの証だとは思わないけれども、ファンはこの習慣を咎めないとわかっているので、サイン帳のないファンは黙殺する。バスは大型二台。ファンを窓越しに見下ろす形になる。この構図にはどうしても慣れない。後ろめたい。選手バスの冷たい窓を見上げた遠い日の記憶が甦るからだ。あのときの彼らは知らんぷりをしていた。いまの私は微笑みながらファンたちに手を振る。
「高木さん、昭和三十四年のセンバツの決勝の相手、中商でしたよね」
「そう。三対二で負けた」
「そのときの中商から、だれかプロにいきました? 県岐商は高木さんだけですね」
「うん。中商からだれかプロにいったかなあ。中商のピッチャーが平沼という名前だったことは憶えてるけど。彼、たしか、何年かして東京オリオンズにいったな」
 太田がパンフレットをめくりながら、
「平沼一夫は中京大から西濃運輸へいって、三十九年にオリオンズに入団してます。中京大時代は四十五勝一敗、最優秀投手三回、ベストナイン三回選ばれてます。オーバースローの速球派です」
 小野が、
「その選手が入団してきたとき、私はまだオリオンズにいたよ。私は翌年大洋に移り、去年中日に移ってきた。平沼くんのその後は知らないけど、一度も一軍の登板はなくて、去年引退したんじゃなかった?」
 太田がパンフレットと関係なくバスの天井を眺め、
「今年、森徹さんが結成したグローバルリーグに入ってます。東京ドラゴンズというチーム名です。四月の開幕から五月までベネズェラで試合してます。週刊誌にはドサ回りの田舎芝居と書かれてました」
 車中に哀感がただよった。菱川が、
「青田はデイリーに、独立愚連隊とか長屋の野球と書いてましたね」
 私は、
「日本の野球でクビになった人が瀬戸際に立たされて、ギリギリの状態で野球をする。精神的に強靭ですね。中商からプロは? なんて訊いた自分が恥ずかしいです」
 江藤が、
「プロ野球ちゅうのは、ほとんど大卒や社会人の世界たい。いつの時代も、高校からプロにいくのはほんの一握りばい。だいたい、野球の名門高校からプロ野球ゆう図式はハナからなかったっちゃん。野球少年が勝手に作り出した夢ばい。木俣にしても、中商から中京大にいって、そっからドラゴンズにきとる。もろに中商からきたのは、三十四年の同期の伊藤竜彦、三十七年の山中巽、今年の水谷則博。もう一人、おととしの伊熊博一。顔も知らんやろう。いちおう一軍なんやが、年に十五、六試合、代打で出よる。練習グランドの隅にいつもおるばい。この十年でたった四人やぞ。ほとんどが大学か社会人からきたやつばい。利さんやモリミチみたいな高卒で活躍する選手はめずらしか」
「ぼくは小さいころから夢を見てたんですね。中商にいけばプロ野球にいけるものと思ってた。野球の名門を渡り歩いただけではプロには入れない。ますます今回の入団はラッキーだったということですね」
 中が、
「才能が運を引っ張ってきたんだね。天馬も運がなければプロ野球に着地できなかった」
「人生はやっぱりすべてマグレですね。その数が多いことを人は才能と言うんでしょう」
 水原監督が、
「森くんが中日を辞めたのは濃人くんとの確執が原因だと聞いている。その後、大洋、東京と移ったようだが、東京に濃人くんが監督で就任すると彼は起用されなくなって、それが原因で引退に追いこまれた。東京ドラゴンズには、素行が悪かった選手や、上にたてついた選手もいたようだ。上も下もないという気でいれば、確執は起こらない。私なら森くんをクビにしなかったよ。昭和三十六年のドラゴンズ……中、江藤、森でクリーンアップを打たせたでしょうね。それから八年経って、木俣くんが台頭し、金太郎さんが現れたわけだけれども、それでも森くんは三十四歳、立派に六番を打てました」
「まっこと、そんとおりたい」
 江藤が思案顔で窓の外を見た。
 外苑のイチョウ並木を眺めながら神宮球場到着。大学時代の私を育んだ帆立貝の形をしたフィールド。二シーズンだけ暮らしたなつかしい棲み家。ロッカールームで運動靴をスパイクに穿き替え、特殊眼鏡をかける。
 アトムズ対ドラゴンズ六回戦。曇り空。ベンチの気温二十一・九度。立錐の余地もない満員。彼らはみんな、六打席連続ホームランの男を観にきている。あわよくば五十五本を目にしたいと思っている。ウォーミングアップ。鏑木に見守られながらダッシュ。三種の神器。バッティング練習。白球が舞い上がるたびに、スタンドから歓声が涌き上がる。マグレの人生。一度でも多くのマグレを見せるのが私の生甲斐であり、使命でもある。
 アトムズの守備練習中にロッカールームで水原監督が、
「うちはここまで登録抹消選手が一人もいない。健康そのもののチームだ。ひとえに、春先に無理な練習を強いなかったコーチ陣のおかげです。きょうは三回まででレギュラーを全員交代します。控えメンバーの総合力を最終的に知りたいからね。結果次第では、広島三連戦と大洋三連戦のうち一戦ずつそうするつもりだが、結果が出なければきょうかぎりです。ちなみに、二十五日の中日球場の巨人戦からは、全員こぞっての交代はありません」
 みんな軽食をとりはじめる。球場売店で買った串カツや唐揚げやシューマイ。枝豆を齧っている者も多い。すべて足木マネージャーが用意する。私には太田が自分の分といっしょに神宮名物〈ウィンナー盛り〉を買ってきてくれた。いける。田宮コーチが、
「三回まで、中、高木、江藤、神無月、木俣、菱川、太田、一枝、小川。五点ぐらい取っておいてくれ。四回からの打順は、葛城、伊藤竜、千原、江島、島谷、徳武、新宅、江藤省三、小川」
 球審は水原監督に眼鏡を毟られた大谷。応援の笛太鼓が響く。両ベンチ脇にカメラの列。酒仙石戸のブルペンの投球練習を見つめる。一球も直球が混じらない。ボールボーイが定位置につき、グランド整備が始まる。ライン引きが終わると、スタメンが発表される。
 六時十五分プレイボール。球場が静まり返る。
「ヨ!」
「イヨオ!」
「ホウ!」
 三塁コーチャーズボックスの水原監督、パンパン、一塁コーチャーズボックスの森下コーチ、パンパンパン。宇野ヘッドコーチが、
「四六ちゃん、酒っ気抜かれたら打てません! シュート曲げすぎないでね」
 中、二球目をショート右へゴロ。西園寺二塁ベース付近で追いついて素早く送球。間一髪セーフ。
「ヨシャ!」
「トリャア!」
 高木、中の様子を窺い、初球外角カーブをウェイティング。ストライク。中走る気配なし。二球目シュートを引っ張って、レフト前へライナーのヒット。
「よーし、つながった!」
 笛、笛、太鼓、太鼓。ダグアウトの屋根で大きなドラゴンズ球団旗が揺れる。初めて見た。江藤初球センター前へゴロのヒット。水原監督が中に向かって左腕を回す。福富バックホーム。中、足からホーム突入。セーフ! 高木三塁へ、江藤も二塁へ。ノーアウト二塁、三塁。一対ゼロ。
「四番、レフト神無月、背番号8」
 ドッと上がる喚声。一回だけ素振りをくれてバッターボックスに立つ。
「よしゃ、金太郎さん! 雰囲気いいぞ!」
「さあこい、金太郎さん!」
「魔神、打てェ!」
 シャッターを切る音が響きわたる。俠客を感じさせる顔つきの石戸は、江藤の危惧していた敬遠の気配など微塵もなく、正々堂々と投げこんできた。外角胸の高さのストレート。ぬるい。まず一発だ。思い切り振り抜くと、ボールはバットの先端に当たってファールグランドに転がった。シュートだった!
「すごいだろ、石戸さんのシュート」
 キャッチャーの加藤が大谷から受け取ったボールを得意そうに石戸に投げ返す。久代と加藤、どちらが主力キャッチャーなのだろう。どうでもいい。
「さ、金太郎さん、ツーベースでいいよ、ツーベース!」
 そのシュートを打つと決め、ボックスの右前隅にいざる。ちょっとした内角球でもからだに当たる位置だ。気づいた加藤と石戸は、やはり内角腹のあたりのスライダーを投げてきた。黙って見逃しても死球にはならないと見切ったけれども、怖がっているように腰を引いて見逃す。効果的なジェスチャーになったはずだ。ストライク、ツー。
「ハイヨー、大きいのに切り替えてもいいよ!」
 次はかならず外角に投げてくる。
「ボールボール、投げないとヤケ酒飲むことになるよ!」
 声を上げつづけているのは太田コーチだ。加藤が私の足の位置を懸命に探る。前方定位置に立つ。三球目、初球とほぼ同じコースへストレート。たぶんシュートになる。確信を持って踏みこみ、芯の内側で詰まるように強振する。外へ逃げていくボールを真芯で捉えた。真芯はまずい! 打球が左中間へ伸びていく。あとはお辞儀をするだけだ。高倉と福富が追う。抜けた。高木ホームイン、江藤も背中を丸めてホームイン。私は二塁ベースへ滑りこむ。太田コーチの言ったとおりになった。轟々たる喚声。三対ゼロ。
 大顔の石戸、二塁の私をするどい目つきで睨みながらセットポジション。四角くて円い奇妙な顔だ。赤黒い。木俣、初球真ん中高目のスライダーをポンと打ち上げる。左中間中段へ七号ツーラン。五対ゼロ。アトムズベンチの動きがあわただしくなるが、交代はないようだ。菱川ワンツーからライトフェンス直撃の二塁打。太田ツーツーから内角シンカーを掬い上げて、レフトスタンドギリギリの六号ツーラン。よほどうれしかったのか、森下コーチに抱きつき、水原監督にも抱きついた。迎えに出た私にはまたキスをした。先発の小川がブルペンでグローブを叩いて祝福している。七対ゼロ。半田コーチは、ビッグイニングの声もなく、バヤリースの配給に忙しい。
 ついにピッチャー交代。酒仙はワンアウトも取れなかった。大男の石岡。内気そう。佐藤製菓のボッケに似ている。オープン戦と公式戦の記憶が混ぜこぜになっているが、とにかく二度目の対戦になる。カーブでカウントを稼ぎ、高目の速球で勝負してくるステレオタイプ。ときおり混ぜるスローカーブがクセモノだ。先回と同様、カウント稼ぎのカーブを打とう。
 一枝、私と同じ狙いのカーブを打って三遊間のヒット。小川、ファースト豊田の前へバント。ベンチが沸いた。今シーズンドラゴンズ初の犠牲バントだったからだ。小川はベンチ前で得意げにコサック踊りをして見せた。半田コーチがベンチ前列の連中の肩を叩いて大笑いした。ワンアウト二塁。中、一塁線を抜く二塁打。一枝還って八点目。中、高木の初球に何気なく三盗。結局、高木、ファールチップの空振り三振。外野フライを狙った正しいスイングだった。ツーアウト、三塁。江藤、みごとにセンター前へライナーで抜けるヒット。中還って九点。私、初球内角低目のカーブをライト最上段へ五十三号ツーラン。十一点。木俣、フェンスギリギリのレフトフライ。
 一回裏、武上ショートゴロ。福富三振。高倉サードゴロ。小川スイスイ。
 二回表、菱川センター左へ九号ソロ。十二点。太田レフト前ヒット。一枝レフトライナー。太田めずらしく盗塁。アウト。ドタドタした走り方に場内が沸く。小川、レフト前段へ二号ソロ。ホームベースでコサック踊りをする。球場内に爆笑の渦が巻く。十三点。
「いけいけいけ、もっといけー!」
 中、三塁前にセーフティバントを決める。
「おーし!」
 盗塁の気配なし。高木ライト前ヒット。中、猛スピードで三塁へ。スタンドが沸きに沸く。ツーアウト一、三塁。江藤ノーツーまでボールを見逃す。三球目、真ん中低目ストレート、ボール。ノースリー。
「ボールでーす! 石岡ちゃんストライク投げられません」
「シャー、いけ、慎ちゃん!」
「思い切っていけ、思い切って!」
「次いっちゃうよー!」
 四球目、ど真ん中、キンタマの高さ、ガツ! みごとに振り抜く。センターへ高く舞い上がる。足りるか?
「ウォォォー!」
「いけー!」
「入れー!」
 バックスクリーンの裾に舞い落ちる。二十号スリーラン。
「ウォォォ!」
「シャァァァ!」
「フゥゥゥ!」
 スタンドばかりでなく、ベンチからもこんなに声が出ているとは知らなかった。十六対ゼロ。
 つづく私は、右翼ポールを巻く五十四号ソロ。打席に入ると私の耳には音が聞こえなくなる。打ち終わると音が甦る。十七対ゼロ。
 菱川右中間へいい打球を飛ばすも、ロバーツの回転レシーブにやられてようやくチェンジ。


         三十二

 二回裏、ロバーツ、バックスクリーンに一直線に飛びこむ七号ソロ。十七対一。豊田フォアボール、加藤フォアボール、西園寺レフトフライ、丸山セカンドゴロゲッツー。
 三回表、太田ライト前テキサスヒット、一枝一塁線を抜く二塁打。太田ドタ足で長駆ホームイン。十八対一。小川三振。長谷川コーチが、
「大リーグの連中は、小山オーナーのガンとした拒否に全面降伏したそうだ。二、三日京都奈良を観光して帰るらしい」
 田宮コーチが、
「頼みの綱は太かったな。うれしいなあ。おい、みんな、金太郎さんが人さらいにやられなくてすんだぞ!」
 ウオー! とベンチが拍手で沸いた。
 三回終了を待たず、三巡廻ったということで、中に代わって葛城がバッターボックスに入った。ファーストライナー。二塁から飛び出した一枝が、豊田から武上への送球でタッチアウト。
 三回裏、小川を除いてメンバーすべて入れ替えの発表を聞いても、スタンドのだれも立ち去らなかった。どう入れ替えようとメンバー全員が打ちまくるので、どこまで得点を重ねていくか興味が尽きないのだ。ただ、フラッシュの数が極端に減った。
 石岡の代打に無徒(むと)というチビが出る。ブルペンでは安木が投げている。無徒どん詰まりのピッチャーライナー。武上センターフライ。福富三振。
 アトムズは四回表から安木、浅野とつなぎ三回ずつ投げた。ドラゴンズの後発メンバーは二人を打てず、打者十九人、一安打、無四球、得点ゼロに抑えられた。一安打は江藤弟のセンター前ヒットだった。十八対一。一点も取れなかった後発メンバーに、広島戦と大洋戦の出場権は与えられなかった。客は最後まで帰らず、小川の打者三十四人、散発五安打、四球二、自責点一のほぼ完璧なピッチングに拍手喝采した。小川五勝目。
 八時半。派手な試合がたった二時間十五分で終わった。インタビュー焦点は、広島戦に持ち越された五十五号タイ記録と五十六号新記録に集中した。
「広島でどちらも達成します」
 と約束して、インタビューを打ち切った。大リーグの話は水原監督が引き受けた。
 ロッカールームで宇野ヘッドコーチから、あしたの羽田行きのバスは午前十一時だと告げられる。
「自由行動! ひさしぶりに遊んでこい! 朝の十時までにはホテルに戻れよ」
「ウィース!」
 ユニフォーム姿でぞろぞろホテルへ帰るバスまで歩く。人波。警備員と松葉会組員の数が増えている。彼らは背中で人垣を押して私たちに道を作った。
「神無月ィ! 広島まで新記録を観にいくぞ!」
「江藤、おまえも五十五本打てよ!」
「いい余生をありがとう!」
「水原ァ! これ夢やないやろな!」
「夢です。いい夢を見てください!」
 水原監督が叫んだ。二十八試合、二十四勝三敗一分け。たしかに現実より夢に近い。
         † 
 ホテルの部屋に落ち着き、シャワーを浴び、下着を替え、ブレザーを着る。スパイク、グローブといっしょに、きょうの試合で汚れなかったユニフォーム一式とジャージをダッフルにしまう。残りの新品バットは一本だけ。広島には三着のユニフォームとともに、新しい三本が届くことになっている。汚れた下着、汚れたタオル類、第一打席の左中間ヒットでかすかにヒビの入ったバット(いま気づいた。よくこれで二本もホームランが打てたものだ)を、ロビーへ降りてフロントに預ける。報道陣がウソのようにいない。廊下にもロビーにもドラゴンズの面々の姿がないので、夜の街に出払っているとわかる。赤坂はもともと芸妓の町だ。夜の遊興を兼ねた飲食店には事欠かない。監督たちは常にルームサービスでおとなしくしている。
 十時までやっている中庭の『なだ万』にいく。山茶花荘という名がついている。ここなら奈緒と落ち着いて食事ができる。着物を着た女の案内で掘炬燵の個室に通される。店のレジから都市センターホテルへ電話を入れてもらう。電話を代わり、自分の名を告げ、大信田奈緒を呼び出す。なだ万にいることを教え、すぐくるように言う。九千円のディナーコースを二人前頼む。
「大信田さんというかたがきたら通してください。十時半くらいまでならだいじょうぶですね」
 女将らしき女に言う。
「はい、十時までのご注文がおすみですので、十一時くらいまではよろしゅうございます」
 壁の時計を見ると九時半を回っている。糊の効いた割烹着姿の中年男が色紙を手にやってきて、
「ようこそいらっしゃいませ、神無月さま。私、店長兼料理長の城山と申します。じつは中学生の息子が神無月選手の大ファンでして、万一チャンスがあったらぜひサインをもらってくれと以前から頼まれていたもので。お願いできますか……」
「はい、いいですよ」
 私は色紙とサインペンを受け取り、楷書でサインし、男の子の名を尋いた。
「一平です」
 城山一平くんへ、と書き添えた。
「こんな貴重なものをいただけて……ありがとうございました。お料理とお飲み物は当店持ちということで―」
「サービスはお気遣いなく。何年にもわたってお伺いするお店ですから、気楽にいきたいんです」
 二万円の料金を前払いした。
「領収書は要りません。球団のほうにも請求なしということにしてください。どうか内密に。ビール一本だけサービスしてください。グラス二つ」
「ありがとうございます。ごゆっくりどうぞ。おじゃまはいたしません。いまビールをお持ちします。広島で新記録を達成なさること、心よりお祈りしております」
「ありがとう。がんばります。なるべく五十六号は中日球場で打ちたかったんですが、無理ですね」
「そうでしょうね。巨人戦以外を放送するのはフジテレビだけですが、大洋―中日とアトムズ―中日の二カードです。ほかのチームとの中日戦は放送しません。広島市民球場での試合をテレビで観るのはあきらめて、ラジオで聞きます」
「はい、よろしく」
 着物の中老の女と並んで深々と頭を下げる。彼らが去って、十分もしないで奈緒が駆けつけた。きのうより薄い口紅をつけ、小さなイヤリングを垂らし、さわやかな色合の服で清楚に着飾っている。淡い空色のブラウスとスカートが目に涼しい。
「こんなに早く、びっくりしました」
「ホテルの夕食は食べてませんね」
「はい。お腹をすかしてました」
「女性を食事に誘うなんて気持ちになったのは生まれて初めてです」
 ビールが出てくる。乾杯する。
「マスコミだけは気をつけて。奈緒の人生が終わってしまう。ぼくの人生は、終わりそうなところを救われたので、それ以降はつけ足しだからいつ終わってもいい。終わったらその後の人生に付き合ってくれる人たちが何十人もいるしね。奈緒はちがう。ぼくと付き合う必要はない」
「いまと同じようにお付き合いさせてください」
「もちろん。そういう気持ちなら、ぼくに付き合う人たちが、みんな奈緒と付き合う」
 前菜が運ばれてくる。
「トウモロコシ豆腐、小松菜の煮浸し、かぼちゃの擂り流し汁でございます」
 品出しをするとすぐに引き退がる。奈緒は品よく箸とスプーンを使う。
「ぼくは社会のしきたりが嫌いなので、野球場の外では孤立する。気取ってるわけじゃないけど、孤高の雰囲気を保っていないと社会的なしきたりに引きずりこまれる。引きずりこむ人は、よかれと思ってそうする。冠婚葬祭、パーティ、懇親会、テレビ出演、映画出演、トークショー、種々の授賞式。よほど義理のある人たちからのものでなければ、そういう申し出は受けない。そういうことにまみれると、財界や政界や芸能界に近づくことになって、最愛の人びとをたとえうわべでも捨てなければならなくなる。うわべが積み重なれば実質になる。超然とした人間なら、だれも手を出してこない」
「ドラゴンズの方たちも?」
「彼らは手を出されるほうだ」
「お造り三種盛りでございます」
 新鮮な刺身が出てくる。ワサビ醤油で食う。
「バスガイドに年齢制限はあるの?」
「ありません。西鉄観光バスにも七十歳近いかたが二人います。経験豊富なので話がおもしろく、年配の団体客に好評です」
「じゃ、息子さんが大学にいくまで博多だね」
「はい。息子が九州以外の大学にいっても、博多にいるつもりです。西鉄に骨を埋めます」
「煮物でございます。アスパラ饅頭餡かけと、揚げアナゴでございます」
 饅頭にスプーンを使いながら、
「どれもこれも初めて食べるものばかり。高いお店でしょうね?」
「たぶん。ぼくも初めてのものばかりだ。雰囲気を買うんだね。味は絶品だから、よしとしましょう。みんなぼくにおごってくれるんで、ぼくがおごるチャンスがなかなかないんだ。いろいろなところから清水みたいにチョロチョロ湧きつづけるお金だから、どうにかして使わないと」
「遠慮なくおごられます」
「研修はあしたまでだね」
「はい。あしたの夜一泊して、あさっての午前、飛行機で博多へ帰ります」
「しばらく逢えなくなるけど、おたがい辛抱しようね」
「はい、一生の伴侶だと心に決めましたから、つらい気持ちにはなりません」
「蟹とトマトのサラダでございます」
「わあ、おいしそう!」
 酸味が効いていて、実際うまかった。
「……神無月さんのセックスって、欲望にまかせてしているように思えないんです。きのう二度目のとき、神無月さんは出しませんでした。男の人は出したくてセックスをするものだと思ってましたから、不思議な気がして」
「ぼくは、自分と交わることで女が幸福に浸っている姿を見ると、それだけで満足するんです。こんな自分が役に立ってるという満足感。その満足の前には、自分の性欲なんか二の次になる。女が強く反応してぼくの射精を引き起こすときは、素直に従う。射精が女の強い悦びを引き起こすと知ってるから。でも過度の悦びは女の健康を害する。愛する女の健康を害さないためには、途中でも抜くし、射精もしない。きのう後ろからしたとき、奈緒は無言で痙攣しつづけて気を失いかけてた。でも、途中で抜いたのを知ってたのは、意識があったからだね」
「ええ、不思議に思いました。……どんな人間もまねできません」
 金網と熾(おこ)った炭火を入れた木鉢を持って二人の仲居が入ってきた。
「黒毛和牛の網焼きでございます。食べやすいようにカットしてございますから、お好きな焼き具合でお食べください。こちらがタレでございます。よろしければお使いください」
 五徳の上に網を載せ、換気扇を点けて出ていった。ゆっくり焼き、柔らかい肉を味わって食う。
「西鉄とオープン戦をして帰られたあと、神無月さんについての報道記事や雑誌記事を調べられるだけ調べて、念入りに読みました。東奥日報まで取り寄せました。いまも定期購読して、神無月さんの記事や詩を読んでます。詩はノートに書き写してます。そういう記事を読むたびに、信じられない気持ちになります。自分をかわいがる人間なら、とっくにめげて、ふらふら巷をさまよってます。神無月さんは自分がかわいくない人間なんだと気づいて、ふるえました。……そして、どうしようもなく愛するようになりました。神無月さんはどんなときも野球をやりつづけ、勉強をしつづけました。でも、自分の満足のためではなく、すべて私のように神無月さんを愛する人間のためだということがわかったんです。愛されることは、自分をかわいがらない神無月さんには奇跡なのでしょう。このまえの高校生の事件にしてもそうです。自分がかわいくないので、意地悪をする人間をすぐに許してしまう。神無月さんは意地悪をされることがあたりまえなので、愛されると奇跡だと思って感謝せずにはいられないんです。一生お慕いします。神無月さんの心こそ、人間の心の奇跡です」
 私は奈緒の手をとり、
「ありがとう。ぼくはただの面倒くさがりなんだよ。意地悪を許さないと、いろいろ面倒なことになるからね。ぼくの面倒くさがりもいっしょに愛してほしい」
「はい」
「きっちり腹がへってきたね」
「ええ、ごはんがほしくなりました」
 タイミングよくめしがきた。
「お食事でございます。こちらのお櫃が春野菜の炊き込みごはん、こちらがお赤飯、赤だし、香の物でございます。二十分ほどしたら、デザートのメロンをお持ちします」
 奈緒が私に赤飯を盛った。
「私の勘ですけど、お赤飯が好きでしょう?」
「ピンポーン」
「赤飯と聞いて、目が輝きましたから」


         三十三

 デザートの皿が下げられたころ、店主の城山が仲居二人とやってきた。三人で深く頭を下げる。
「ぜんぶうまかったです。ごちそうさま」
 奈緒も、
「ごちそうさま。ほんとにおいしかったです」
 城山はもう一度丁寧に礼をし、
「サインありがとうございました。今度いらっしゃるまでに、息子に礼状を書かせてフロントに預けておきます」
「女の人を呼び出したりして驚いたでしょう」
「はい。女性を同伴なさる選手はひとりもおりませんから。しかし、それだけに私どもが信頼されているとわかって、うれしく思いました。水原監督も、神無月さんがひょっとしてここに女を連れてくるかもしれないが、そういう女は例外なく女神だから、丁重にもてなすようにとおっしゃってました。神無月さんはただの女には惚れない、ただでない女はこの世にまれだ、この世の人でなければつまり女神だと」
 奈緒は戸惑って、
「私は〈ただの〉バスガイドです」
 城山は、
「貧乏神の肩書は貧乏だし、福の神の肩書は福です。神さまが人間社会で暮らすためには肩書が必要ですから、どんなものでも付けます」
「ひょっとして、水原監督のルームサービスもここから?」
「はい、だいたい、なだ万からでございます」
「そんな気がした。食の好みもこの店と響き合ったんですね」
「監督はここに直接食べにいらっしゃるときは、いつも神無月さんのことばかりおっしゃってますよ。わが子のように思っているが、それは畏れ多いことだ。あんなにかわいらしくても彼は神なんだよ、ぼくは拝むだけだって。近々、かわいらしい神さまと少年野球の指導に出かけるのが楽しみだとおっしゃってました」
 中日ドラゴンズの仲間についてこの半年で得た情報は、過去十年より多い。そのすべてが胸に沁み入ってくる。かつてのあこがれと現在の感謝がほどよく混ざった溶液の中に私は浸されている。
 清水谷公園の前から紀尾井坂へ出、坂道を登って都市センターホテルへ奈緒を送っていった。
「夜間観光のときはご両親が?」
「はい、アパートから歩いて数分のところですから、仕事のあとで連れて帰ります。昼の仕事のときも預かってくれてるんですよ。哺乳も食事もつつがなくやってくれてます。半年ほど前に授乳期は終えましたから」
「……たいへんだね」
「私はそうでもありません。母はたいへんだと思いますが、生甲斐にしてくれてるようです」
 ほかにほとんど口を利かず、手をつないで歩いた。ホテルの玄関前の通りのイチョウの木の下で握手をする。
「きょうはごちそうさまでした。夏、お待ちしています。これ、西鉄観光バスの職場の内線番号と、大吉と暮らしているアパートの電話番号です。夜の観光案内がないときは、アパートにいます」
 紙切れに書いたメモを渡す。私は手帳に挟んだ。そのついでに、一枚破って、ひとこと書いた。
 ―一つの幸福が砕けて散っても、もっと幸福な欠けらが集まってまた一つになる。
 奈緒はじっと見つめ、みるみる涙をあふれさせた。
「……一生神無月さんの女でいます。じゃ、帰ります」
 背中に声をかけた。
「今度はオールスターで」
 奈緒は振り向き、
「はい。くれぐれもおからだに気をつけて。さようなら」
 手を振りながら玄関ドアに入っていった。
         † 
 五月十六日金曜日。曇。
 ブレザーを着こみ、ダッフルを肩に、スポーツバッグとバットケースを両手に提げて玄関に出る。従業員たちが二列に立ち並ぶ。きょうもスロープ下のロータリーに数百人の人だかりがある。フラッシュの光とシャッターの音。黄色い声と野太い声を背に受けながら羽田空港行きのバスに乗りこむ。
「神無月さーん、す、て、きィ!」
「健太郎! 中年の希望だ!」
「高木さーん、愛してる!」
「一枝ァ! 入団のときからフアンだぞ!」
「浜野、十勝はしろよ! 明治の顔潰すな」 
「中ァ! 膝大事にして長保ちしてくれ!」
「江藤ォ! ミスタードラゴンズ! 六十本いけ」
「木俣ァ! 野村を超えろ!」
「太田さーん、いつも応援してます! 走る格好かわいい!」
 奇特な女もいるものだ。
「菱川ァ、神無月につづけ!」
「小野! 頼むぞ救世主!」
「江島! 将来のクリーンアップ、期待してるからな!」
「水原さーん! ダンディよォ!」
 ほとんどの名前が呼ばれる。硬軟の声援の使い分けに田宮コーチがニヤつき、
「ドラゴンズもついに全国区だな」
 十一時。日本航空のプロペラ機に乗る。定員四十四人なので貸し切り状態。機内でだれからともなく引退話になった。中西、稲尾、杉浦、尾崎ときて、主に昭和一ケタ生れの選手たちのことがさびしい調子で語られた。板東が、
「引退などというきれいな言葉使うとるけど、じつはどんな選手もいずれはクビになるんや。金田かて、巨人に入った四十年にはついに二十勝が途切れて、三振も百しか取れんかった。いずれ百四十キロも投げられなくなる。能力が年俸に見合わんようになったら、クビを切られて当然や」
 中が、
「引退というのがオブラートみたいな言葉だということはわかってますよ。でも、私たちはまだクビが確定したわけじゃない。クビを通告されるまで、ボロボロになるまでがんばるしかないでしょう。最後まで戦い抜きましょうよ。からだの自由が利かず、地団太踏みながらがんばる男の姿も捨てたもんじゃありません」
 板東は、
「ええこと言うわ、利ちゃんは」
 私は、
「引退を野球選手の死だとすると、死者の命は生きる者の記憶の中にあります」
「さすが神さまは、人間の利ちゃんよりええこと言うわ」
「キケロの言葉です。死者は生きてるときに大勢の命を救ってます。その数が勝利の数です。一人が死ぬことより、ずっと重要なことです。ボロボロになるまでやらなければ大勢の命は救えません」
「そのとおりや。……俺たちに比べりゃ、審判はええなあ。五十八歳の定年まで働ける。あの人たちの給料はだいたいどんなものなんや」
 板東独特の奇妙な関心の持ち方だ。太田が手を挙げ、
「日雇いの出場手当てですから、月給とか年俸といったものはありません。審判の給料は十二球団の拠出金から出てるんです。拠出金から審判給料を引いた残りが、機構職員や公式記録員などに分配されます。一軍公式戦の場合、球審三万四千円、塁審二万四千円、線審一万四千円、控え審判一万七千円。オールスターや日本シリーズになるともっと高くなると思います。二軍戦は、どのポジションでも一律二千円です。すごい格差ですが、有料観客動員を基本とするプロの世界ですから仕方ないですね。途中あるいは定年で引退すると、五十八歳になった時点から、年額百四十二万円の野球年金が支払われます」
 小川が、
「くだらんことよく知ってるな。バカが」
 これも小川独特の褒め言葉だ。
「あのう……」
「きたきたきた!」
 私が手を挙げると、みんなが拍手して喜ぶ。
「遠征に奥さんが帯同してはいけないんでしょうか」
 水原監督が、
「いいんだよ。みんな恥ずかしくてそうしないだけだ。申し出てくれれば、球団はちゃんと部屋を用意します」
 江藤が、
「照れくそうて、そぎゃんこつできんとよ。翌日打てんかったら、何ば言われるかわからん」
 一枝が、
「何も言わないよ。妄想するだけで」
「よけいタチが悪か」
 コーチ陣がガハハハと笑う。水原監督が、
「ここにいないから言うが、本多くんの武勇伝はとみに有名だ。映画俳優並の美男子だからね。なぜかこれが許されるんだな。生活感がないので、ねちねちした感じがしないからだろう」
「奥さん以外の女を帯同したんですか」
「そこまではしない。港を訪ねるだけだ。金太郎さんのように女神が帯同したり、訪ねてきたりするわけじゃない」
「申しわけありません」
「だれにも迷惑かけてるわけじゃない。翌日の試合に響くこともない。神さまは、夜の時間を女神といっしょにすごすと決まってる。みんな尊重してるよ」
 中が、
「何も恥ずかしがることはないよ。金太郎さんはどんなことをするにも不潔感がない。みんな安心して見守ってる」
 好意的な笑い声が上がった。菱川が、
「俺たちとはもともと体力がちがいますしね」
 監督が、
「広島はお休み?」
「はい。訪ねてくる人はいません」
「じゃ、初日に五十五号だね」
「がんばります」
 十二時三十五分広島空港到着。タラップを降りる。ひと月前、名古屋から電車を乗り継いで広島駅にたどり着いたときの緊張感が甦ってきた。開幕戦に臨んだあの武者ぶるいを思い出しながら、飛行場の彼方に霞む長閑(のどか)な山並を目に焼きつける。名古屋から遠く、東京から近い街。交通の便がよかろうと悪かろうと、降り立つ場所が繁華であろうと辺鄙であろうと、東奔西走の野球生活の緊張の糸はたるまない。
 今回はタクシーではなく、広交観光と胴体に書いてあるバスに乗る。四十五人乗りの大型。フロントガラスに〈中日ドラゴンズ様〉と貼紙がしてある。このバスで十九日まで往き来するようだ。荷物をバスの腹に投げこむ。
 市街電車のレールが参差(しんし)する街路を三十分ばかり走って、世羅別館到着。館の裏の広い駐車場で降り、荷物を担って狭い玄関前から三々五々ロビーへ入る。相変わらず荘重なロビー。窓の竹格子を見たのがきのうのことのようだ。壁に掛かっているだれが描いたかわからない石榴の弾けた絵も同じだ。報道陣の入館規制が緩んだようで、うろうろしている記者たちの数は先回の倍にも増えている。
「いらっしゃいませ、中日ドラゴンズさま!」
 黒服の男女二人が丁寧な挨拶をする。今回は宇野ヘッドが名簿を確認して一括サインをした。フロントに届いていた小さな箱荷物を受け取る。バットとユニフォームなどの衣類はあらかじめ部屋に届けてあるので、フジのマスターが送ってよこした新しいスパイクだろう。空けてみるとやはりそうだった。送る必要はなかったのにと思い、そのまま箱を閉じる。今回も同じ二階の一号室だが、江藤と共同部屋ではない。江藤が、
「このあいだの晩めしは、社主とオーナーがきて宴会やったな。あれは気が重い。年に一度やけんどうにかがまんできるばってん、そうでなかりゃあ付き合いきれん」
「鏑木さんも紹介されました。あれからもうひと月経ったんですね」
「ひと月しか経っとらん。ペナントレースは七カ月やけん、気が重うなるばい。……ばってん、金太郎さん、気が重うなるのはいつもやったらの話たい。いまは先の長かことがうれしか。金太郎さんといっしょに野球ができるけん」
「ありがとうございます」
 みんな各自の部屋に荷物整理に向かう。
「ワシは風呂でもいってくるっちゃ。あの大浴場は気持ちよか」
「俺たちもいきます」
 太田と菱川が立ち上がった。
「神無月さんは?」
「ぼくは夕食までぶらぶら本を買いにいってきます。食事は宴会場しかないんですよね」
「それとルームサービスな。一人で食うのはさびしかろう。いっしょに食わんね。あしたあさっては街に出ろう」
「はい」



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