四十六

 江島たちが打ちこみをやっているのを眺めながら、江藤、高木、中と四人で、飛んできたボールを捕球するためのグローブを持って塀沿いにランニング。やはり飛んでくる。芯を食い損ねたゴロの打球だ。いちいち立ち止まって捕球する。しかし、大飛球も頭上を越えていく。特に千原がライトへいい打球を飛ばしている。
「ええ調子や。あいつらが当たりだしたら、水原さん悩むぞ。いや、菱とワシが悩むな」
「水原監督は悩まないでしょう。監督は努力の成果より、先天的な素質を好みます。努力家はたまに使うでしょうが、常には使いません。努力家のたたずまいにファンを沸かせるスター性がないからです。江藤さんや菱川さんが故障で休養しているときか、スランプになったときだけ使われるんじゃないですか」
 高木が、
「相変わらずきついことを言う。俺が故障したらだれがくるんだろう」
「伊藤竜彦さんでしょう。江島さん、千原さん、伊藤さんはどんぐりです。ただ三人とも弱小球団にいけば、主軸を打てる人たちです。中さんは慰めてあげましたが、ドラゴンズにいるかぎり、未来はありません。きょうの散歩、伊藤さんはいませんでしたね」
 江藤が、
「竜彦は日野と相部屋やろ」
 中が、
「ふう!」
 とため息をついて塀の裾にあぐらをかいた。私たち三人もそうした。中は、
「日野は腐ったリンゴだな。竜も危ないぞ」
 私も細く息を吐きながら、
「腐ったリンゴだろうと、腐った汁を押しつけられるリンゴだろうと、どちらも二流ですね。小学校以来、どんな集団でも二流のレベルは大同小異で、彼らのほとんどが努力家じゃない。そこは基本なので考える必要はないです。人間はやさしい生きものです。どこにも人間のやさしさが転がってる。プロはきびしいと言っても、とてもやさしい人たちが多い。二流でも、努力家なら目をつける人が多いんです。でも、彼らの努力は見せかけだと思うようになりました。たしかに、やさしさは人が愛し合うときは、不可欠な要素でしょう。でも、勝負の場には要らない。勝負の場で愛し合う必要はありませんからね。野球の場に愛情があるとするなら、それは、最初から基準に足りない人を基準にまで引き上げたいという寛容の感情です。勝負の場ではじゃまになる感情です。別当監督が贔屓という愛をもって育てた選手が頭角を現したとよく聞きますが、どの程度の角(つの)ですか。松原という選手を見て感じました。筋肉が硬くて、不器用で、生涯に一度、三割打てるか打てないかの中堅バッターです。寛容はその程度にしか役立ちません。寛容は自己愛に近い。自己愛というのは自分を満足させる感情です。たしかに桑田も成績は松原と似たようなものです。ただ、桑田は二十五本を八年間打ちつづけた男です。努力とは無縁の天才です。けっして中堅ではありません。チームに残すとすればどちらを残しますか。すでに角のあった桑田に決まってます。別当監督は努力家が好きだったんですよ。それは劣った者に未来を期待する自己愛の反映です。劣った他人を包みこむ慈愛じゃありません。努力家は人格も柔らかいですから、御しやすい。期待されていることに発奮して努力するでしょう。ある程度は所期の目標を達成するかもしれませんが、勝利に貢献するほどの達成度ではない。そういうチームに将来はありません」
 江藤が、
「ワシらはたまたま敗北しとらんから、まあ、敗者として包みこまれることはなかが、それと関係なく愛し合うとる」
「はい。泣きたいほどみんなで愛し合ってます。愛する人間になびきたいという、おたがいの気持ちのまま愛し合っています。能力を認められ、何の制約もなく放し飼いにされてます。ぼくの生きていく場所はここです。上昇しようと、衰えようと、みんな中堅ではない人たちです。おたがいに身をまかせられます。でも、愛を感じるときは、その能力に感じてるわけじゃない。水原監督もぼくたちに感じている愛はそれではないはずです。才能を知ったときには、たしかに感激するけれども、それとまったく関係ないところから愛が湧いてくるんです。かえすがえす、愛の源は才能じゃないとわかります。愛する理由はひたすら、愛する人のたたずまいにあって、才能の発見はそのおまけです。監督は最初にぼくたちのたたずまいに愛を感じ、それから才能を発見したという順番です。別当監督は相手のたたずまいではなく、努力という自分の好みに感激して、贔屓という自己愛を投影したんです。相手そのものを愛したわけじゃはなく、自分の好みを愛したんです。好みに合わなければ、島田源太郎をサンドバッグにしたような残酷な仕打ちも平気でやります。そういう考え方では、才能を発見するというオマケにも出遇えないでしょう」
 中が、
「愛した結果、才能を発見できなかったら?」
「愛の強さは変わりません。オマケがないだけです」
「たしかに、才能があるから愛されるというのは、さびしい気がするね」
「その順番の人が世間には多すぎます」
 高木が、
「何だかやる気出てきたあ! 三振しても、エラーしてもいいような気がしてきた」
「はい、愛されてるし、天才ですから」
 江藤が、
「よっしゃ、いっちょ打ってくるばい!」
         †
 試合開始四十分前に、オバチャンの給湯室に五、六人で押しかけ、肉うどんライスをとって食った。オバチャンも初めて自分も肉うどんをとって、うれしそうに私たちといっしょに食べた。川崎ガールズはとんと見かけなくなった。
 六回まで平松と小川の白熱する投げ合いになった。七回から両チーム四点ずつ取った。延長十二回時間切れ引き分け。すべてホームランの得点だった。ドラゴンズは七回表に私を一塁に置いて木俣の十号ツーランと、十二回表に江島を一塁に置いて一枝の七号ツーラン、大洋は七回裏に伊藤勲の十二号ソロ、七回裏にジョンソンの一号ソロ、十二回裏にロジャースの二号ソロと、高橋重行の代打江尻の四号ソロだった。
 スリリングなゲームだったが、全体的に淡々とした投手戦に感じられた。小川は八回、九回と田中勉の継投を受け、田中は十回、十一回、十二回と水谷寿の継投を受けた。平松は木俣にツーランを打たれたあと、平岡のリリーフを九回まで受け、平岡は十二回まで高橋重行の継投を受けた。失敗しようと思って継投を命じる監督はいないが、結果として両監督ともに失敗した。観客は六本のホームランを堪能した。
 中六打数ゼロ安打、三振二、凡打四、高木五打数一安打、凡打四、フォアボール一、江藤四打数ゼロ安打、三振二、凡打二、フォアボール二、私六打数三安打(右翼線二塁打、センター前ヒット、ライト前ヒット)、凡打三(センターフライ、レフトフライ、ファーストゴロ)、木俣四打数二安打、三振一、凡打一、フォアボール一、打点二、菱川一打数ゼロ安打、三振一、フォアボール一、菱川に代わった江島三打数一安打、三振一、凡打一、太田三打数一安打、凡打二、フォアボール二、太田に代わった千原一打数ゼロ安打、三振一、一枝六打数二安打、凡打四、打点二。中と江藤が打てない日は勝てない。中の六ゼロは初めて見たし、江藤の四ゼロも初めて見た。
 延長十二回まで戦ったのに、六時から始まった試合が八時四十分に終わった。インタビューはなく、バスの中で反省会。水原監督の静かな声。
「まず、中くん、きょうはいいところがまったくなかったね」
「はあ、平松に食らった二つの三振は、高目のストレートにやられて完敗でしたが、あとの二人に凡退したのは、油断からくる打ち損じです。気持ちを引き締めます」
「平松くんとの対戦で緊張して、ホッとしてしまったんだろう。平松くんはそういうピッチャーに成長したということだ。江藤くんも二三振だね。継投のピッチャーもやっぱり打てなかった。四球二つはえらいと思うが、金太郎さんがレフトフライを打ってしまって、つなげなかった。ライト前ヒットでつないだときは、木俣くんがショートゴロだった。これも、平松くんがいなくなってホッとしたからだ。七回に同点ツーランを打ったのはさすがだったけどね。打ちづらい高橋から打った一枝くんの十二回ツーランはさすがだ。カーブだったね」
「はい、内角低目の」
 一枝が目をキラキラ光らせる。彼が少年たちにサインしていたとき、座右の銘として〈意気〉という文字を書き添えていたことを思い出した。
「これからもよろしくね。渋い打撃に、玄人好みの守備。きみのファンは多いんだよ。ところで、今度平松くんと対戦するときは、二、三点でも取っておかないとね。彼が交代したあとに後遺症が出るから」
 私は、
「中さんは山本アンパイアに高目をストライクにとられて苦しんでました。アコーディオンの効果がなかったみたいです。江藤さんはシュートを打つと決めてたので、こういう結果になりました。ぼくは左バッターなので、シュートは捨てていけますから二安打打てましたが、右バッターは胸もとにえげつなく食いこんでくるシュートには悩まされると思います。平松は左肩の開きが早くて、腕がそのタイミングで連動してくるときには打てます。高目のストレートもバッターボックスの前で叩けばなんとかなります。シュート以外はぜんぶそのタイミングです。シュートのときだけ、スリークォーターの右腕が少し遅れて出てきます。ボールが見えにくいんです。とつぜん肩口から飛び出てきます。そのときは百パーセントシュートなので、思い切り左足を開けばいいと思います」
「サンキュウ!」
 江藤が叫んだ。
「いやあ、やつのシュートは俺も金太郎さんも前の対戦でホームランしとるんやが、今回は特別磨きをかけてきよった」
 高木が、
「達ちゃんのホームランは?」
「外角カーブ。平松のカーブは飛ぶんだ。軽く合わせたら、ライトスタンドへいっちゃった。九十五メートルくらいのホームランだろう」
 江島が、
「俺もカーブをライト前へ打ちました。シュートは怖くて、打てる気がしません」
 田宮コーチが、
「太田も一本打ったな」
「低目のストレートをセンター前です。あのシュートはまだ無理です。神無月さんのヒントを聞いたあとでも、打てる気がしません」
 水原監督が、
「金太郎さんの二安打は?」
「ヒットも凡打も、ぜんぶ外角のカーブです。ライト線の二塁打は、平松の右腕が遅れて出てこなかったので踏みこみました。センター前ヒットも同じです。センターフライは真ん中のカーブでしたが、下を食いすぎました」
 森下コーチが、
「千原、高橋重から三振食らったが、打ちにくいか」
「いや、そうでもないんですげど、大きなカーブを思わず見逃してしまいました」
 高木が、
「俺は平岡から一本、あとは完敗」
 一枝が、
「監督、俺一塁へ駆けこむときふくらはぎやっちゃったみたいで、ホームラン打って回るときもビリビリきてたんですよ。軽い肉離れだと思うんですけど、二週間ぐらい大事とらせてください」
 池藤が、
「診てみたんですけど、一週間もあればだいじょうぶじゃないですかね。ただ、ふくらはぎはこじらせると長くなるんで、ウォーキングなどで三週間ほどかけて万全を期すべきだと思います。二軍にも私の弟子で腕のいいトレーニングドクターがいますし、マシンも整えてありますので、リハビリは安心です」
 中が、
「修ちゃん、しっかり治せ。ふくらはぎはこじらせると怖い。たまには二軍を覗いて、いい先生やってきなよ」
 水原監督が、
「一応、十日間、登録を外しておきます。それ以降はいつでも復帰していいから、安心して治しなさい。島谷くん」
「はい!」
「これはチャンスだよ。一枝くんをしのぐ活躍をして見せなさい」
「はい!」
「そうそう、そういうふうに元気よくね」
「はい! 一枝先輩、ありがとうございます」
「おまえのためにケガをしたんじゃないよ」
 バスの中に和んだ笑いが満ちた。江藤が、
「修ちゃん、治りかけのときのストレッチは慎重にやれよ。経験者は語る。ワシも二年目にヘッドスライディングでジャンプしたときにやられて、二週間かかった。一塁は飛びこむんやなく駆け抜けるちゅうことば学んだんは、今年になってからばい。間に合いそうもなかときも無理せんことにした」
「金太郎さんから学んだんですね。〈闘将〉返上の種明かしがそれだな。無理しないでホームランをパカスカ打ってくれたほうがチームのためになります」
 中が、
「慎ちゃん、私みたいに身軽ならヘッドスライディングも考えていいけど、とにかく危ないからやめなよ。いつもヒヤヒヤしてたんだ。今年はやらないから安心してる。手首の骨とか頚椎やられちゃうんだよ。私もなるべくやらないように心がけてる」
「おお、自重する。自分だけのからだやないけんな。金太郎さんと長く野球やるためのからだやけん」
 水原監督が、
「私のためのからだでもあるよ。少なくとも六十五まではやるつもりだからね」
「オス!」
「オース! 六連覇」
 菱川が叫んだ。


         四十七

 その夜の最終便で一枝は発った。高木と菱川と島谷がタクシーで空港まで送っていった。私と江藤と太田は、江藤の部屋でルームサービスをとった。カツカレー。太田が、
「神無月さん、ひさしぶりに、ホームランなしでしたね」
「うん。ちょっと足踏みしそうな感じがした。しばらく打率に精を出そうかな。六割台になっちゃったから」
「学校の試験みたいな話しぶりですね。七十点切っちゃったからがんばらないとやばいって感じ。聞いてて相槌打つのに困りますよ。そういえば、山口さん、ギターコンテストで優勝したんでしたね」
「うん、気にしてくれてたんだね。ありがとう。日本でいちばん難しい大会で優勝したようだ。いまごろ八月のイタリアに向けて猛練習してるだろう」
 江藤が、
「さすがやのう。金太郎さんと心中するやつは、どんどん成功していきよる」
「成功や挫折で人生にケリがつくなら、そんなラクなことはないですが、そうでないところが苦しいですね。……からだに流れる血というやつです。それが成功も挫折も忘れさせてしまう」
「金太郎さんの血はどんなものや」
「ボンヤリした血です。暗くも明るくもない血です。成功や挫折を素直に喜んだり悲しんだりできない。ただボンヤリしてしまう」
「厄介な血やのう。やっぱり人間の血やないな。そういう血が苦しいんか」
「はい、人間を馬鹿にしてるみたいで」
「神さまなんやけん、よかよ。ワシらは気にしとらん」
 太田が相手にしない口ぶりで、
「はい、ぜんぜん。勝手に苦しんでください。何をしようと、俺たちは神無月さんが好きですから。このカツカレー、うまいすね」
「おお、うまか。ばってん、外で食うラーメンのほうがうまか。来月のアトムズ戦は、赤坂ラーメンの食い歩きたい」
「二軍は女性ファンからの夜食の差入れ多いすよ。女性ファンにしてみれば、モノになるかもしれない、モノになりそうもない、半々の気持ちでしょう。井手さんなんかよく差入れされてましたね」
「将来のフロントやけんな。ばってん、あいつは女に手を出さん。そぎゃん勇気もなかくさし、こっそりやる才覚もなか」
「俺もフアンに手を出す気はないすよ」
「レギュラーは忙しかけんな」
「はい。神無月さんなんか、足木さんに預けたファンレターを見る暇もないでしょう」
「ファンには申しわけないんだけど……。五百通渡されたら五百通、千通渡されたら千通読んでしまうタチだから困ったことになる。このあいだも数十通きたうち、菅野さんに手伝ってもらって三通だけ読んだ。つまらなかったので、返事は書かなかった。残りの手紙は永久に封印だね。よほどの事情があるなら面会にくるはずだから」
「たしかにな。ベーブ・ルースと病気の子供みたいなドラマはめったになかろうもん。ああ食った食った。トレーニングルームで汗流してから寝るばい」
「俺もいきます」
「ぼくは、もう寝ます」
「おお、じゃ、あしたな。公園は七時半」
「はい、失礼します」
 部屋に戻ってシャワーで汗を流した。あしたの夜は吉祥寺に回るとトシさんに告げてあるので、フロントに預ける荷物の整理をする。あさっては名古屋だと考えただけで、気持ちが安らぐ。新しいユニフォームをソファに延べ、赤と黒継読。十一時半就寝。
         †
 五月二十二日木曜日。七時、荷物をフロントに出し、ラウンジでコーヒー。七時半、きのうのメンバーに、浮かない顔の伊藤竜と能天気な顔の日野が加わり、ランニングに出発。半田コーチも参加。薄曇。
 公園の入口を入ってハナミズキを横目に、すぐ左のコースをとる。松や楓の庇をくぐって走る。小池に出る。水面から花海棠が突き出して咲いている。岸辺にも細木の花海棠が群れて咲いていた。葉桜の岸辺を歩く。太田が、
「神無月さん、ひさしぶりに花の名前、お願いします」
「レンギョウ、キンシバイ、チューリップ、クリスマスローズ」
 ドッと拍手。木俣と島谷が大笑いしている。島谷も参加したのだ。江藤が、
「チューリップだけはわかっとたい」
「だれでもわかりまーす」
 と半田コーチ。ドクダミも混じっている。天然に近い植生なのだろう。
「木はほとんど楓ですね。紅葉を見せるためでしょう。これは藤棚です」
 淡い紫色の花穂が垂れている。
「きれいやのう」
 すぐ左手にニューオータニがそびえている。きのうと同じコースに戻っている。別の新しい段々を昇る。かなり長い。いき止まりのいただきになったので引き返す。きのうと同じ段々にいき当たったので、登らずに下り坂のほうへ進む。坂道に短い階段が何本も分岐している。みんないちいちそれにぞろぞろ昇っては降りる。かなり汗をかいてきた。
「こりゃ、ええトレーニングになるのう」
 半田コーチは割愛して歩いている。江島が、
「広いと思ってましたが、西本願寺よりかなり狭いです。ここは坂の上り下りと、階段がミソですね。足腰の鍛練にはもってこいです」
 急な段々を一気に駆け下り、入口へ戻った。これには半田コーチも走ってついてきた。
 サツキでわいわい朝食。日野と伊藤竜の姿はなかった。中が、
「竜は日野なんかと意気投合する性格じゃないんだ。日野はクセモノだな。金太郎さんに教えまで乞って、熱心ぶっちゃってなあ。きょうもだらだら走ってたね。竜は内外野を器用に守って、前田が抜けて徳武がくるまでは正三塁手だったんだ。去年はあっちこち守りながらほとんど全試合に出たし、ホームランも十本打った。三十八年からは7という背番号までもらって期待されてたんだが、今年は太田、島谷がきたし、菱が驚くほど伸びて、金太郎さんまでドッカリ座っちゃったから、ほとんど出番がなくなってしまった。それで腐ってるんだろう。腐ってもしょうがないのにね。熱心に明るくやってないと、声がかかるはずがない。江島や千原と同じくらい可能性のある男なのに、惜しいな」
 みんな自滅していくのだと思った。熱心に明るくという姿勢は、厚遇の裏づけがなければ難しい人間もいる。木田ッサー。厚遇の裏づけがないのに、明るく熱心だった。彼には才能がなかった。それだけに情熱的な振舞いが憐れだったけれども、その心持ちは理解できた。彼の道化は無能な自分を引き立たせるための必死の足掻きだった。しかし、才能があると自分でわかっているのに、いっときの厚遇を得られないばかりに達成の情熱を失うという心持ちは、エイトマンになれますようにと祈っていた木田ッサーに輪をかけて憐れだ。そんなに小さな自己信頼だったのだろうか。日野や伊藤竜彦には、木田ッサーにはあった自己実現の祈りすらない。あるのは、才能という濡れ手を信頼して、何かの拍子にくっついてくるかもしれない泡を期待する怠けた欲心だけだ。私の小中学校時代の恥ずかしい欲心だ。
「求めて得られないときは、欲心を捨てて、ひたすら好きなことに没頭しながら、天運を待つしかないですね」
 私が言うと、江藤が、
「スカウトのこと思い出しよったな、金太郎さん」
「はい。天運尽きたと思ったので、半ば絶望しつつ、好きなことに没頭しながら計画通りに生きていましたが、名古屋の八坂荘に村迫さんがやってきたとき、天運がもう一度巡ってきました」
 太田が、
「まいったなあ。その言い方だと、野球を一年半中断して、受験勉強したのが好きなことみたいに聞こえるじゃないですか。好きなことなんかじゃない。人の心を気遣って、さらりと好きなことと言ってしまうのが神無月さんのやさしさだ」
 島谷が、
「それに比べると、俺はラクな人生の中でグズグズ言ってたんだなあ。反省しないと」
 江島と千原がうなずいた。
 部屋に戻ってシャワーを浴び、きょうまで着たジャージと汚れ物をダッフルに押しこむ。スパイクを入れ替える。すべての手順が板についてきた。赤と黒読了。
 いのちの記録。

 学術的な知識を散りばめた小説の文章作法が気になる。考えてみると、吉川英治でさえその作法だった。資料集めに時間をかけたような、専門知識を羅列する書き方。しばしその博識に感動し、そこから人生の〈知恵〉の片鱗でも学ぼうとする。でも、手に入るのは、堅固な人生の要諦ではなく、結局浮薄な知識のための知識にすぎない。しかもそのどれもこれもが興味のない知識だ。私の頭は、興味のないことに関する知識を吸収する余裕がない。そんな知識を応用しても参考になり得ない身近の具体的な人事や、それにまつわる興味の発動と、その結果の処置に齷齪している。ガラクタの知識で立ち向かおうとしても、お手上げになることは目に見えている。
         
 一時まで仮眠を取る。
         †
 玄関前の人だかり。カメラの群れ。警備員と松葉会組員の厳重警固。この一連の光景を日々の習慣の一部と捉えられるようになった。ひさしぶりに時田の顔を見かける。ホッとして目礼する。時田は目礼を返してすぐに顔を逸らす。
 ―来月は康男が名古屋に帰ってくる。
 フアンたちに手を振る。私ごときの人間はもっともっと頭を低くしなければという気持ちがいつもある。母から享けた本能的な人間恐怖の血だけは克服できない。江藤たちも手を振っているけれども、恐怖からではなくサービス精神からだ。包みこみ、応える精神だ。
 川崎球場へ。バスで五十分。レギュラーたちがのんびり会話している。長谷川コーチが最前列から振り向き、
「きょうはたぶん二枚看板の一枚、山下がくる。たぶん完投狙いだ。九回戦にして初対決になる。オープン戦でも投げてこなかった。巨人キラーで、ほとんど巨人戦で投げるからね。巨人からもう二勝挙げてる」
 私の隣席の太田が、
「松山商業から近畿大学、三年前のドラ一。百八十センチ、七十五キロ。スリークォーターとアンダーハンドを混ぜてきます」
 小川が、
「いまピッチングコーチをしてる秋山と瓜二つの投げ方だ。切れのいいストレート、カーブ、シュートでカウントを整え、決め球はナックルに近いシンカー。右や左に揺れて沈んでくる」
 江藤が、
「ありゃなかなか打てん。好かん」
 後ろの席から一人の男がやってきて、ペコリと辞儀をし、
「神無月さん、ありがとうございました。きょう二軍戦のあと、名古屋から飛んできました。神無月さんの推薦のおかげで、きょうベンチの控えに入ることができました」
 じっと顔を見ても思い出せない。少しエラの張った、目の大きい誠実そうな顔をしていた。江藤が、
「土屋たい。なだ万で達ちゃんに言っとったやろ、凋んでほしくない選手やて」
「あ……」
 近くで見るのは初めてだった。こんな顔をしていたのか。
「それば長谷川コーチに伝えた」
「土屋紘(ひろし)です。夢みたいです。ほんとにありがとうございました。神無月さんの顔を潰さないように一生懸命頑張ります」
 もう一度辞儀をして、後部座席へ戻っていった。太田が、
「おととしのドラ一、二十五歳、百七十七センチ、七十五キロ。長野臼田高校から駒澤大学、電々東京」
 長谷川コーチが前席から振り向いて、
「コントロールのいい重いストレートを投げると言ってくれたそうだね。見直してみたんだよ。たしかにそのとおりだった。ただ、コントロールのよさを後生大事にして、ズバッと勝負にいかないんで、けっこう当てられるピッチャーでね、当てられればヒットになる確率が高い。で、二軍戦で防御率の悪さで筆頭クラスだった。そこでさ、ボール一つ、二つ外すつもりでズバッといってみろって投げさせてみたんだ。七回シャットアウトしちゃったよ。三振十二」
 水原監督が、
「バッターの目から見ないとわからないこともあるから、金太郎さん、これからも気になる選手がいたら進言よろしくね」
「はい」
         †
 先発オーダー発表。中、高木、江藤、神無月、木俣、菱川、太田、島谷、浜野。私は山下の話を頭の中で反芻して思わず言った。
「巨人に強いなんてのは、何の自慢にもならない。こてんぱんにノシてやりましょう。一回ノーアウトでピッチャー交代です」
「オーッシャ!」
 菱川が田宮コーチに、
「ナイター中継って六時からですよね」
「うん、それか六時半。七時からはまずない」
「ドラゴンズの得点は、ほとんど一回で取り終わってるから、全国にドラゴンズの強さが伝わってないんじゃないですか」
 私は、
「ドラゴンズの強さを実感できるのは、球場に足を運んだ人たちの特権ですよ。その攻撃ラッシュを観たくてやってくる人が多くなったから、どの球場も開場直後から満員なんでしょう。おかげで楽しく野球ができます。一回からこてんぱんにやっつけましょう」
 水原監督が、
「金太郎さんがめずらしく燃えてるね」
「はい、首位キラーというならまだしも、最下位に近い巨人キラーであることがどれほどの価値があるんですか。それをもったいぶって温存して、いまごろぶつけてくる。コッパみじんにしてしまいましょう」
 中がめずらしく大声を上げた。
「ヨシ、ヨシ、ヨーシ!」
 先発の浜野も蛮声を上げて、中と調子よく握手した。


         四十八

 粉みじんにした。初回、中、初球のカーブをひっぱたいて一塁線三塁打。高木、二球目の高目ストレートを叩いてセンター前ヒット、中ホームイン。ジジむさい顔をした山下の顔が瞬く間に少年の泣き面になった。彼の球は走っていて、ベンチから見るとストレートがホップするのがわかる。しかし、ドラゴンズの戦意は〈しゃらくさい〉ものに対して高揚する。
 江藤、外角へするどく落ちるカーブを掬ってセンターオーバーの二塁打、高木長駆ホームイン。私、初球の低目のスライダーをライト照明塔の一番下の電球に当てる五十九号ツーランホームラン。神無月はスライダーに弱いという新聞記事を読んだにちがいないと思っていたので、備えていたとおりのゴルフスイングをした。一塁ベースを駆け抜けながら森下コーチとタッチ。
「怒りのイッパーツ!」
「はい!」
 水原監督と両手ハイタッチ。
「計測不能だ! 世界最長不倒!」
「マントル!」
「ミッキー・マントル!」
 と叫びながらみんな抱きついてくる。
「百八十メートルか!」
「百九十だろう!」
 冷静に怒鳴り合っている。半田コーチが最敬礼しながら、捧げるようにバヤリースを差し出す。田宮コーチが、
「つづけ、つづけ!」
 高木が、
「きっちり引導渡せ!」
 木俣、内角のシンカーを叩きつけてレフト線二塁打。菱川、外角低目のカーブをライト前ヒット、木俣どたどた生還。太田、外角カーブをバックスクリーンへ十号ツーラン。島谷、レフト前ヒット。別当監督はベンチを出る気配はない。なんと浜野が低目のシンカーを掬い上げて、レフトスタンドへ今季一号。三塁で止まって水原監督にお辞儀をし、ゴシゴシ頭をこすられた。浜野はこぼれるように笑った。あれが彼本来の笑顔だろう。
 打者一巡、全員得点、九対ゼロ。ノーアウト。山下は明らかに泣いているのに、やはり自愛の男別当監督は動かない。島田源太郎のデジャブ。まだテレビ放送は始まらない。球場に詰めかけた観衆は大喜びだ。
 中が右中間に三塁打を放つ。スックと三塁ベース上に立つ。二本目。まだ山下が投げる。高木が高いライトフライを打ち上げた。犠牲フライ、十対ゼロ。ようやくワンアウトだ。江藤、シンカーを掬って左翼ポールぎわにライナーで打ちこむ二十三号ソロ。十一点。私、浮き上がるストレートを叩いて右中間二塁打。木俣、左中間へ高々と十一号ツーラン。十三点。
「ただいまの木俣選手のホームランにより、チーム一イニング安打数十三となり、これは昭和二十一年、阪急ブレーブスが一イニング十二安打を記録して以来、十八年ぶりの新記録達成でございますが、一昨日すでにドラゴンズが樹立しております。またチーム一イニング十三得点は、昭和三十六年、南海が十二得点を記録して以来八年ぶりの新記録でございます」
 轟々たる喚声と拍手。ついに山下から右の本格派の淵上に交代。ここまで試合開始から十分。喚声の渦巻く中、菱川がライトへ大飛球を打ちあげた。江尻と中塚が塀に貼りついて打球に接近していく。距離が足りないか。足りた! 二人が差し出したグローブのはるか上を越えて、五メートル半の金網の向こうにポトリと落ちた。菱川にはめずらしい短距離の十三号ソロ。
「ただいまの菱川選手のホームランをもちまして、一イニングの安打数十四、得点十四ともに、日本プロ野球記録を更新いたしました」
 痙攣のような拍手と喚声。太田、レフトオーバーの二塁打、島谷、サードライナー、浜野サードフライ。十四分にわたる攻撃だった。
「あらためまして、太田選手のヒットにより一イニング十五安打となり、日本プロ野球記録の更新でございます」
         † 
 二回からドラゴンズは十一安打を放って、木原、岸、竹村という二線級をことごとく打ち崩し、三点、二点、零点、零点、二点、一点、四点、二点とさらに十四点を加点し、二十八対二で勝った。ホームランは二回以降、江藤二十四号、木俣十二号、中六号、島谷七号、高木十一号。私は敬遠ぎみの三連続フォアボールのあと、例の広島の懲罰を思い出したのか、岸は飛び降り自殺でもするような真っ青な顔でストレート勝負をしてきた。そして、私に満塁六十号を打たれた。ライトの防御網を越える場外ホームランだった。
 一試合二十八得点は、昭和十五年の阪急の三十二点に次ぐ歴代二位、昭和二十五年の大洋とタイ記録だと、足木マネージャーに知らされた。これでドラゴンズは一位と二位を独占した。
 浜野は七回までを一人で投げ切り、打者二十六人、被安打四、三振二、四球一、失点二、自責点二。近藤昭仁二安打、中塚一安打、伊藤勲一安打。失点は四回の中塚のツーランだった。八、九回と土屋が継投し、打者七人、被安打一、三振三、自責点ゼロ。みごとな一軍デビューを果たした。浜野は山中と並ぶ三勝目を挙げた。
 試合は九時二十八分に終わった。インタビューは十分間のみ。それも浜野、土屋、太田、島谷の四人で終始したので苦がなかった。時田と、帰りの通路の人混みの中でひそかに握手した。彼は誘導するふりをしながら、私を見ないように一瞬握り返した。バスで水原監督は、
「浜野くん、三勝目おめでとう。みなさん、いろいろな新記録はきょうで忘れてください。巨人戦からまた新たな出発です」
 と言ったきり、終始笑顔でひとことも発しなかった。コーチたちも満足げに談笑していた。さすがに選手たちは疲れた様子で、ぼんやり窓の外を眺めている者が多かった。
 十一時十分前にニューオータニに戻った。玄関でフラッシュに射かけられ、喚声の雨に打たれる。厳重な警護の中、ロビーにたどり着くと、選手たちはめいめい鍵を受け取り、ユニフォーム姿のままダッフルを肩によろよろと自室に戻っていった。一般客たちが拍手で見送った。私は、監督、コーチ連に挨拶をし、
「これから知人の家にいき、一泊してから名古屋に帰ります」
 水原監督が、
「ゆっくりハネを伸ばしなさい。マスコミは、六十号だ八十号だとうるさいだろうが、気にしないようにね。じゃ中日球場で」
 と応えて握手した。コーチたちもポンポンと肩を叩いた。
 部屋に戻り、ユニフォームと下着を脱ぎ、シャワーを浴びてブレザーに着替えた。フロントに出す荷物をまとめていると、ジャージ姿の江藤、太田、菱川がきた。
「見附の駅前まで、ラーメン屋を探しにいくけん、いっしょにタクシーでいこ」
「ありがとうございます。きょうは疲れましたね」
「おお、疲れてぼんやりしとる。腹いっぱいにして寝る」
 太田が、
「やっと帰れますね。三十二得点の記録は巨人戦で破りたいなあ」
 菱川が、
「無理だ。ピッチャーがちがう。次の日は少年野球の指導だから、いい土産にしたいですね。十点は取りましょう」
 三人に運ぶのを手伝ってもらい、フロントに大荷物を差し出す。鍵を返し、チェックアウトして身軽になる。
「破竹の快進撃、ホテルの従業員一同、心から祝福いたしますとともに、こういう年に巡り合わせた幸運を噛みしめています。優勝が東京地区で決まった場合、当ホテルで祝賀会を催させていただくことが社の方針として決定いたしました。ビールかけも考慮中です。ではみなさま、六月三日にお待ちしております」
 フロント、ロビーの従業員全員が頭を下げる。一般客が拍手する。握手を求めてくる老人もいる。玄関の人だかりが退いていなかったので、タクシーを裏口に呼んでもらい、赤坂見附の駅へ向かう。
「ギラギラ光る雲に乗って進んどるごたる。少し息苦しかけんが、夢の中やと思えばええやろう」
「二連敗ぐらいすれば、呼吸しやすい風が吹いてくるんですがね」
 菱川が、
「フロント係が言ったように、こんな年に巡り合うとは考えたこともなかったです。入団六年目、幸せすぎて、息苦しいどころか、息ができません」
 太田が、
「俺は、神無月さんといっしょにいればこうなるだろうと感じてました。ただ、神無月さんがプロに慣れる二、三年目だろうと……。今年とは思わなかった」
「金太郎さんにはプロもアマもなか。ピッチャーとバッターがおるぎりたい。それが、ワシらが金太郎さんから学んだ〈目〉だっち。その日好調なピッチャーにはやられ、不調なピッチャーは打つ。好調なピッチャーの失投は打ち、不調なピッチャーでも絶妙なボールにはやられる。それぎりたい」
 一ツ木通でタクシーを降りる。
「じゃ、金太郎さん、二十四日、三時に中日球場でちびっ子指導やけんな」
「了解。じゃ、失礼します」
 三人に辞儀をして見附駅に入る。十一時二十五分の荻窪行に乗る。ブレザー姿に眼鏡をかけてうつむいているので、だれにも気づかれない。一駅で四谷。十一時三十六分の中央線高尾行鈍行に乗り換えて、二十五分で吉祥寺に到着。ちょうど真夜中の十二時。なつかしい空を嗅ぎながら歩く。
 玄関に灯りが点っている。戸を引くと、
「お帰りなさい!」
 トシさんと、雅子とサッちゃんが走り出てきた。三人と抱き合い、交互にキスをする。
「ただいま」
 雅子が、
「もうすぐ法子さんもきます。下着をつけずに駆けつけるからって」
「すごいやる気だね」
 サッちゃんが、
「もちろんよ! 私、ほぼ半年ぶり。気を失うほどしてほしい!」
 雅子がブレザーを脱がせながら、
「私はふつうにしてもらったら感じすぎるので、少しずつ楽しみます。菊田さんとすると郷さんはすぐ終わってしまうから、私たちを楽しんでから、菊田さんで決めてくださいね」
「美人揃いの四人相手か。がんばる!」
 トシさんが、
「はい! みんなすぐ終了ですから、がんばらなくてもだいじょうぶです」
 あらためて三人とキスをする。雅子が、
「食事の用意をしてあります。お腹すいたでしょう」
「すいた。三人、妖しいほどきれいだね」
 雅子が味噌汁を温めながら、
「法子さんはほんとにお人形さんです。女でも惚れぼれします」
 サッちゃんが、
「あの人は、会うたびにきれいになるわ。秘訣はって訊いたら、夢の中でキョウちゃんに思う存分抱かれるんですって。シーツが濡れるくらい。私も二、三度あったわ。お医者さんに訊いたら、実際に強いオーガズム経験のある女にしか起こらないことで、男の夢精と同じだって。女も夢精することがあるんですって」
「私もありました」
「私も」
「だからみんなホルモンが出て、きれいなんだね。―サッちゃん、ほんとにひさしぶりだね。独りっきりでさびしくしてたろう」
「ぜんぜん。離婚したあとも、堂々と買い物にもいくし、園にもいくの。天馬の親戚らしいって、名物おばさん扱いよ」
 三人に抱かれるようにして食卓につく。好物のキンキの煮つけと、イカ、タコ、アオヤギ、トリガイの刺身と、キャベツの油炒めと、ウインナー炒めと、トン汁が出てくる。どんぶりでモリモリ食うのを三人で微笑しながら見ている。サッちゃんが、
「六十号、おめでとう。ベーブ・ルースに並んだわね。五十九号の推定飛距離は、百八十六メートルですって。ぜんぶ世界一よ」
「十メートルは下駄を履かせてるな。いずれにしてももう二度と打てない距離だ。マグレは一度でいい。とにかくからだが大きくなったんだ」
 私は箸を置いて、上半身裸になって見せた。
「すごい! 筋肉隆々。白さはいっしょ」
 サッちゃんが寄ってきてすがりついた。
「東大に入学以来、かなり鍛えたからね。ボールが驚くほど遠くへ飛ぶようになった」


         四十九

 食べ終えると、玄米茶が出る。トシさんが、
「山口さん、あれから二つのコンクールを総なめ。レコード会社が押しかけてるようだけど、九月まで待ってくれと言ってるみたい」
「当然の結果だね。イタリアも入賞すればいいな。しばらく東京で活躍することになると思う。おトキさんもうれしいだろうね」
「それはもう! でも、こっそり身を引きたいなんてことを言ったりもするんですよ」
「そんなことしたら、山口は終わっちゃう。よくおトキさんに言っといて。いっしょにいることでやっと生きていける人間同士というのがある。山口とおトキさんはそれだ。ぼくたちと同じだ。ぼくが怒ってたと、くれぐれもおトキさんに言っといてね」
 トシさんは微笑んでうなずき、
「かならずそう伝えます」
「今度から、遠征の最終日で移動のないときは寄るようにする。たいていこの時間になっちゃうけど。翌日の昼にゆっくり帰る」
「今度の試合は?」
「東京遠征は、六月の四、五だけど、五日は新幹線で大坂移動だからこれない。十三日から十五日の巨人戦だね。十五日の夜にくる。待っててね」
「はい!」
 全員で声を揃える。
 カラリと戸が開いて、すぐに法子が入ってきた。
「わあ! 神無月くん、逢いたかった!」
 私の顔にかぶさるように長い口づけをする。
「がんばってるみたいだね」
「東京もあと半年、七カ月。ほんとうにがんばらないと」
 トシさんが、
「あれ以上がんばるの? 銀座の有名な××よりも居心地のいいすばらしい店だって、新聞に出てたわよ。いろいろな有名人が飲みにきてるんでしょう?」 
「有名ぶって鼻持ちならない人たちばっかり。神無月くんの態度を見てよ。日本一の男なのにこの謙虚さ。爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ。でも、お金を落としてくれるから適当におだてて絞り取らないとね。お客とデキちゃった女の子には、お店を辞めてもらってる。風紀が乱れて店の品がガタッと落ちちゃうの」
 ホステスたちの顔が思い出せない。名前も薄っすらとしか覚えていない。
「地元の議員とできた子もクビにしたけど、そういうふうにきびしくしてると、自然と女目当ての有名人がこなくなっちゃったわ」
 サッちゃんが、
「いいことよ。お店が清潔になるでしょう」
「ええ。とにかく、まだまだがんばる」
「よしのりの女はまだ勤めてるの?」
「敦子さんはよしのりさんと別れて、お店を辞めたわ」
「どうして?」
「さあ、詳しくは話してくれなかった。よしのりさんが毎晩愚痴ばかり言って気が滅入っちゃうって話は一度したことがあったけど。どこにいったかわからない。よしのりさん、一回お店に尋ねてきたけど、さびしそうに帰ったわ」
「……そう。今度こそよしのりは立ち直れないな。放浪の旅にでも出ちゃうんじゃないかな。……あ、そうだ、法子、誕生日のダイヤモンド針、ありがとう」
「何かしてみたかっただけ。レコード針じゃ味気ないわよね。来年はもっとちゃんとしたものを贈るわ」
 トシさんが、
「今年の冬までに、各部屋の冷暖房を整えておきます。それがプレゼント。とくに暖房は室外に重油タンクを取り付けた北国ふうのものにします」
「私はこの家の留守番をきちんとします。それくらいしかできません」
「じゅうぶんだよ。元気なからだがいちばんのプレゼントだ」
「私も元気なからだをプレゼントします」
 サッちゃんがペロッと舌を出した。法子が、
「いずれ落ち着いたら、私、ぜったい神無月くんの子供を産むわ。人生最大の宝もの」
 一人残らずニコニコ顔になる。
「サッちゃん、お金に困ってない?」
「私、資産家なのよ。お金が余って困ってる」
 雅子が、
「私、あんなにいただいてしまって……」
 法子が、
「もらっておけばいいの。神無月くんは、お金をどうしていいかわからない人なのよ。芸能人やスポーツ選手は、お金を車やお酒や女に湯水のように使って、結局スッカラカンになってしまうけど、神無月くんは、人にあげたり、預けたりするだけ。かわいらしいでしょう? 幸子さんだって相当神無月くんに貢いだけど、そのお金、抽斗に入れっぱなしだったのよ」
「知ってる。まんいちのときに使ってほしかったけど、キョウちゃんて、まんいちのことが起こらないんだもの。自分でどんどん運命を切り開いてっちゃう」
「まんいちの危険はいつもある人なの。だから、幸子さんも、菊田さんも、とてもいいことをしたのよ。私たちは神無月くんといっしょに生きてく人間だから、何をしてあげたっていいの。これからも、したいことをしてあげましょ」
 法子も食事に加わる。雅子が、
「お風呂を熱くしてきます。食事のあとでゆっくり入りましょう」
 サッちゃんが、
「その前にみんなトイレにいっておかないと」
         †
 五人でのんびり風呂に入った。私とトシさんと法子が湯に浸かり、洗い場に雅子とサッちゃんの二人。
「トシさんの仕事は順調なの?」
「順調よ。このごろはマンション入居なんかの大口が多くて、手数料がたくさん入ってくるわ」
 法子が、
「マンションは建設ラッシュですものね」
 トシさんは、
「そろそろ私も来年あたりから荻窪の店を改造することを考えないと。隣の民家が売り家になったから、まずそこを買い取ってから」
 雅子が、
「私は勉強オンリー」
 サッちゃんが、
「福田さんを見習って私も勉強しないと、頭がナマっちゃうわ。ぼちぼち翻訳の仕事を始めなくちゃ」
「たしか七月六日は、立教大学の翻訳科の口頭試問だよね」
「よく覚えてるゥ! 九月から授業開始。そこから二年」
「そして名古屋の外資系の会社に就職」
「うまくいけばね。東京で就職してもいいかなって思ってる。あの家はキョウちゃんを待つ家だし、他人に家守をまかせたくないから」
「カズちゃんも喫茶店のほかに、大衆食堂を新しく建てることになった。そろそろ取りかかるんじゃないかな。みんな忙しくしてるよ。人はやむを得ないことで自分を忙しくしておかないと、あっという間に怠け者になってしまうからね」
 雅子が、
「郷さんの抱負は?」
「ホームランを打ちつづける。そして、運命に翻弄されずに、全うする」
「すてき」
 法子が、
「野球選手になって本を読む時間が減ったでしょう?」
「自分なりに時間作って読んでる。最近の本はおもしろくない。本の破壊は、世界の破壊だね」
 湯船のトシさんが、
「東奥日報の連載が、小学、中学ときて、とうとう島流しのところにかかりましたよ。百回連載と副題をつけて、いま二十回目。日曜特集でやってるんですけど、神無月さんがずっと時の人でいつづけてるせいで、全国レベルの当たり記事になってるようです。短い詩と、記事の背景の風景写真、人物写真。東奥日報はすごい精力で神無月さんのその時代の写真を見つけてきます。中央の新聞が転載することも多いみたいです。神無月さんを全国に知らしめた最大の功労者は東奥日報ですね」
 湯殿のサッちゃんが、
「それこそ忙しくしている人たちの典型ね。忙しくないと、人はいい仕事をしないわ」
 雅子と二人でからだを流し終える。私は湯船から、
「行動の忙しさばかりでなく、頭の中の忙しさで成功した三年寝太郎の例もあるよ。どうすれば灌漑を成功させて村を旱魃から救えるかを考えつづけて、とうとう成功させたって話。あれは、三年寝ていた男が山から岩を転がして川を堰き止め、そのせいで流れを変えた川の水が村を潤すといったお伽話じゃなく、実在の人物がいるんだ」
 雅子とサッちゃんが私たち三人と交代して湯に浸かる。トシさんと法子が私の前と後ろを洗う。法子が、
「おもしろそう。どういうお話?」
「山口県の大内氏の家臣、平賀清恒という人が戦いから落ちのびて、ある村で百姓をしてた。水不足で悩んでた農民たちに助けを乞われて、日夜思案を重ね、ついに佐渡金山から得た砂金で富を築き、それで灌漑工事をして村を救った」
 サッちゃんが、
「佐渡の砂金は公金だから持ち出せないはずよ」
「何度も金山に出かけて、ワラジの裏にくっついた砂金を貯めたというんだ。あり得ないことじゃない。とにかく彼は、寝太郎さまと呼ばれたそうだ。そういう人も忙しい人に含めよう」
「もう、神無月くんといると楽しい!」
 法子が尻に抱きついた。
         †
 なつかしいパジャマを着た。しばらくキッチンでコーヒーを飲んでから、うなずき合い、五人で寝室にいく。三組の布団が敷かれている。五人全裸になり、私は真ん中の蒲団に仰臥する。右に豊満なトシさんの脂の乗ったお腹と、左にサッちゃんツヤのいいふくよかなお腹。三人の両脇の畳に、雅子と法子が横坐りに控える。サッチャンの股を拡げる。ギザギザした膣口に舌先を当てながら舐め上げる。
「ああ、ずっと忘れてた感触。気持ちいいわ、あ、キョウちゃん、オマメちゃんに触ったらすぐイッちゃう。待って、もう少し待って、ほかのところを……ああ気持ちいい、いいわ、もう、オマメちゃんを……あ、あああ、イク!」
 なつかしい激しい痙攣だ。この声で四人の準備が整う。トシさんの股間を舐める。
「おお、気持ちいいこと、お尻が勝手に動い……あ、イキそ、がまんがまん、負けてなるものですか、あ、だめ、うーん、キョウちゃん、好き! イク!」
 開いたクリトリスの蕚(うてな)からわずかに液体を出しながら、腰を何度も突き出す。私が横たわると、トシさんが落ち着くのを待たずに雅子がすぐに跨る。深く腰を下ろして大きく往復し、数秒で激しく気をやって離れる。セイセイあえいでいる雅子を横目に、法子が跨る。
「あ、だめ、神無月くん、気持ちよすぎる、イッちゃう、イッちゃう、ううん、イック!」
 法子を脇へどけ、仰向いているサッちゃんに浅く入れる。
「わ、ビリビリする、気持ちいい! キョウちゃん気持ちいい! 好き好き、死ぬほど好き、イク、イキます、イク!」
 射精が迫る。トシさんが大きく脚を開いて受け入れる。
「ああああ、キョウちゃん、 キョウちゃん、愛してる、イク!」
 ヤスリから硬さが取れ、連続のアクメが亀頭を柔らかくこする。強く吐き出す。柔らかいヤスリに律動を強いられる。
「うれしい、ああ、だめだめ、もうイケない、もうイケない、だれかお願い!」
 サッちゃんが肘で起き上がって肘と膝で四つん這いになり、尻を突き上げた。入れて落ち着く。
「ああ、キョウちゃん、好き、愛してる、イクわね、ううう、イク!」
 シーツに愛液が二筋連続で飛んだ。そっと抜いて、仰向けにしてやった。色白の腹が並んで伸縮する。法子が四つん這いになり、
「出したばかりのほうがいいわ。私が好きなときに離れられるから。入れて」
 律動を終えた性器を挿入する。
「ああ、夢よりずっとすてき! 感じる、感じる、神無月くん、愛してる、好き好き、死ぬほど好き、イク、イクイク、イク! ああ、ごめんなさい、お腹が苦しい、抜くわ、抜くわね!」
 前のめりに倒れこむ。尻が何度も弾む。雅子がいざってきて私のものを口いっぱいに含んだ。茎も睾丸も舐める。
「郷さん、ありがとう。お腹がスッキリしました」
 四人のあいだに仰臥する。四つの白い生きものが上を向き、下を向き、横を向いて、私の両脇の二つの蒲団で妖しくうごめいている。妖しさがしだいにやさしさに変わっていき、手足が絡みついてくる。


         五十

 私はだれにともなく言う。
「こんな薄暗い男に拘らせて、ごめんね」
 トシさんが私の胸をポンと叩き、
「真に手本となる男は、女を誘惑してその力を実感しないものよ。安心して生きていてね」
 サッちゃんが、
「影があってこそ、男の理想的な全体なのよ。女ごときの生理に関わって生活の一部を削られてることを後ろめたく思うなんて、理想的な全体を持った男のすることじゃないわ」
「削られてる意識はないんだ。女ごときとも思ったことはない。自分が後ろめたい生活を送ってると感じたこともない。ただね、真の手本とか、全体と呼べるほどの男であるためには、薄暗い秘密を完璧に守らなければならない義務があると思う。なぜ秘密なんだ、と考えることはさびしいけどね。性はどんな人間にとっても薄暗い秘密だ。だから秘密を持つことが問題なんじゃないだろうね。だって、世間の人たちはそんなこと大っぴらに話してるもの。大っぴらにできるのは、きっと、少数を性の相手にしてるからだね。問題なのは、多数を相手にする濃厚な秘密は、そういう人たちの嫌悪感を引き起こすということなんだ。彼らはぼくを許さないだろう。息を潜めて、復讐する絶好の機会を窺ってるよ」
 法子が、
「彼らって、飛島のお母さんのような人たちのことね。お母さんとはどうなったの?」
「息子を苦しめたいという基本姿勢が、なんだか腰砕けになっちゃったみたいだね。でも油断はしてない。一番警戒しなくちゃいけない人間だから」
 トシさんが、
「秘密の生活はキョウちゃんを苦しめてるの? 怖いの?」
「幸福にしてくれてる。怖くもない。ただ、女は? とよく考える。幸福だろうか、怖くないんだろうか、そんな気持ちにさせるぼくを許せるんだろうかって」
 雅子が、
「きょうみたいに、いっぺんに大勢の女とセックスする問題ですか? それとも、セックスをする女の数が足し算すると多いという問題ですか? どちらも、神無月さんがもしそれを求めていれば大きな問題ででしょう。世間の嫌悪感に曝されて当然の、男の風上にも置けない男です。でも、女のほうが求めて、何の違和感もなく、少しの不幸も感じていないなら、そもそもそういう形は問題になりません。あとは、形だけを嫌悪する人たちを警戒して、徹底した秘密厳守を心がければいいだけのことです」
 法子が、
「ほんとにそうよ、神無月くん。こういう、見えない〈彼ら〉の気持ちをまじめに予想しながら会話してるほうがおかしいわ。彼らにはこちらから進んで会いにいかないかぎり一生会わない。秘密にする必要すらない人たちに囲まれてるんだもの。水原監督も江藤さんたちも、私たちと同じ目をしてたわ。和子さんたちも、菊田さんたちも。女のことでさびしい気持ちになんかならなくていいのよ。神無月くんよりも幸せだから」
 自分の言葉に納得した法子がいちばん早く眠りに就き、次に私の意識がなくなった。そうして全員ぐっすり眠りこんだ。
         †
 五人同時に目覚めた。七時半。雅子とサッちゃんが台所に立った。排便し、シャワーを浴びながら歯を磨き、洗髪する。雅子の用意した下着と白帯の浴衣に着替え、みんなで楽しい朝食をとった。小田原のアジの開きと、目玉焼きと、板海苔と、オロシ納豆と、なめこの味噌汁。オーソドックスな取り合わせ。美味。
 雅子がテーブルに新聞を置いている。
「十八日の中日スポーツです。あとで切り抜くんです」
 飛行機の中で目にした見出しだ。
     
   
 神無月王越え栄光の56号 孤高のランナー
        
打率6割8分0厘 打点116

 私が花束を右手で差し上げて笑っている写真が一面を飾っている。食後の玄米茶を飲みながら、雅子がそんな記事を熱心に切り抜く姿を思い、しみじみした気分で見つめる。
「郷さんの尊敬する東映の尾崎行雄さん、四月十三日の阪急二回戦以来、登板がないんです。六対五で高橋直樹をリリーフして、八回、九回と投げたんですけど、長池にサヨナラホームランを打たれて負け投手になりました。もうひと月以上、ぜんぜん投げていません」
 思わず目が痛くなった。雅子はスクラップブックをめくり返していき、私が尾崎の背中に頬を当てている写真を示した。涙がこぼれ落ちた。
「尾崎はおととしあたりから、肩がボロボロなんだよ。指のマメはしょっちゅう破れるし……でも、ぼくと対戦したときはほんとに速かった。復活だと思ったんだけど……」
 私はサッちゃんの差し出したハンカチで涙を拭い、
「森徹のホームランと尾崎の速球がぼくをプロ野球にあこがれさせた。森徹は濃人監督とうまくいかずに気の毒な去り方をした。尾崎はもう玉砕しちゃったようだから、周囲の人たちの意見と関わりなく、自分で進んでやめるだろう。ぼくの胸を躍らせた選手がどんどんやめていく。つらいな」
 法子が、
「その人たちの分もがんばってね。第二第三の神無月郷が、神無月くんを胸躍らせて見てるわ。その人たちのために玉砕するつもりでがんばって」
「うん。尾崎のように全力投球する。そういう野球選手しか子供たちに感動を与えられない」
 十時。私は立ち上がり、浴衣を脱いだ。居間で、三人の前でブレザーに着替える。雅子が、
「お送りした着物、着てくれてます?」
「ときどき。着物となるとあればかり着る」
「また冬にお送りします。……今度ここにいらっしゃるのは、六月十五日の夜ですね」
「うん、元気でいてね。くれぐれもからだに気をつけて。トシさんは水泳をつづけてるんでしょう?」
「はい、週三回かよってます。脂肪率と新陳代謝と血液の若さで、四十八歳と診断されました。私のことは心配ありません」
 サッちゃんが、
「私はもともとスイミングをつづけてる。福田さんもかよってるんでしょう?」
「ええ、菊田さんのクラブに週一回。それだけでもやっぱり体調が良くなります」
 サッちゃんが、
「来年は万博の年。キョウちゃんといっしょにいってみたかったけど、プロ野球選手はそれどころじゃないし、あきらめるわ」
 トシさんが、
「来年のいつ?」
「三月の半ばから九月の半ばまで半年間。アジアで最初の万博なの。ミーハーみたいだけど、見てみたいわ。大阪の千里塚というところに、七十七カ国の展示会場ができるんですって」
「まるまるシーズン中だな」
「キョウちゃんはいかなくていいの。世間のイベントなんて女のものよ。仕事人の男には似合わない。それでなくてもだれよりも忙しい身でしょ」
 私は微笑しながら、
「あまり自覚はないけどね。サッちゃんはよく、ぼくが背負うものが重すぎてつぶれるんじゃないかって心配してたけど、忙しければだいじょうぶかな? もう心配してない?」
「心配してる。でも、むかしキョウちゃんに悪さしてた世間が味方についたから、当分だいじょうぶ。あとは私たちの心がけしだいね。キョウちゃんを窮地に追いこまないように」
 トシさんが、
「そのとおりよ。男女のことって、世間はすぐ牙を剥くから」
 私は、
「世間の人たちはきっと、セックスの単純な運動と複雑な快楽という因果関係そのものに不潔感を抱いてるんだろうね。その異常な組み合わせが恥ずかしくて、子作りに励むなんて言葉でイイ子ぶって蓑をかぶる。快楽なんか経験したことはありませんという顔をする。子孫を残すという言葉で、セックスの目的を非現実的な快楽ではなく、具体的な子孫繁栄の方向へ逸らしてしまう。勉強をしたり、スポーツをしたり、商売をしたりするのは、ぜんぶ競争による利潤というカチンとした具体的な目的のある快楽だから、セックスもそれと同じレベルにしたいんだろう。セックスだけは快楽という非現実的な単一の目的しかない。それではもの足りなくて、大義を掲げたくなるんだね。そういう恥ずかしい行為を一人の相手じゃなく多数の相手とすることで、不潔感と嫌悪感がピークまで高まる。……一晩寝て起きたら、そんな考えにまとまってた」
 法子が、
「寝てるあいだもずっと気にしてたのね。かわいそう」
 女しかいないこの家では、性的な言葉も表現も自由だ。私はしゃべりつづける。
「愛の結晶という概念は、ぼくも魅力的だと思う。セックスをしているとき、快感が訪れるまでのあいだ、愛の行為をしていると感じる。快感が訪れ、その結果子供ができるというのは、想像を超えた神秘だ。愛の結晶と呼ぶにふさわしい。でも、子供は体外受精でもできる。子孫を残すことは生物の無意識の本能だからね。体外受精はどう見ても愛の結晶じゃない。純粋な生物科学的結合だ。そういう無機質なことを〈清潔〉だと誤解して悦に入ってる愛のない人もたくさんいる。つまりそういう人は有機的な愛の行為を必要としない。男女のすばらしい機能がすべて反応し合って、快感が訪れる。その行為の結果おたがいの快感の目的を達成したとき、愛の結晶ができるできないに関わらず、自然と、愛してるという言葉が口から出る。それが不潔なら、愛というものはきわめて不潔なものだということになる」
 トシさんが潤んだ目で、
「キョウちゃん、ありがとう……すてきな言葉」
         †
 雅子とサッちゃんとは玄関で手を振って別れ、法子とトシさんに東京駅まで見送られる。吉祥寺駅から中央線東京行の快速に乗る。すいた車内。三人並んで腰を下ろす。眼鏡をかける。窓の外の空が高い。藍色のツーピースのトシさんと、ピンクのセーターとフレアスカートの法子が光に映える。祖母と孫ほども歳がちがうのに、母子のように見える。
「トシさんも法子も仕事をほっぽってまで、ありがとう」
 法子が、
「私はきのうやり残した帳簿づけだけ。それが終わったら、五時からミーティング。たっぷり時間はあるわ」
「トシさんは?」
「私は部屋決めの腕がいいから、マンション業者は私の営業時間に合わせてくれるの。ふだんは九時に店を開けてるけど、こういう日はそれどころじゃないわ。キョウちゃんといっしょにいるのがいちばん大事」
「ほんとにそう。ものごとには優先順位というのがあるのよ。……最近、ふと思ったんだけど、神無月くんて、悲しい目に遭っても、微妙なツキで回復してしまうんだなって」
「どういうこと?」
「たとえば、お母さんへの意趣返しと、野球へのこだわりのせいで、無理やり東大を受けて合格したでしょ。合格自体は神無月くんにとってうれしいことでも何でもない。どちらかと言えば、悲しいことかもしれないわ。でも、今年、東大の入試が中止になったでしょう? 去年無理に東大に入ってなかったら、いまプロにいないわけでしょう」
「そうだね! 手立てがなかったね。どうにかプロ入り直前までこぎつけたとしても、おふくろとすごいスッタモンダがあっただろうな。……結局、中日が手を引いてたかもしれない。ゾッとするね」
「いまの記録もなかったわ。遡ればそういうことばかりだったと思うの。肘の手術に失敗したけど、右投げに替えることができた、青森に送られてかえってそこで伸びのび野球ができた、いやな受験も母親への反感と野球への情熱をエネルギーにしてクリアできた。私たちが幸運なのは、神無月くんの幸運のおかげよ。ただ、私は神無月くんの幸運に慣れないようにしてるの。その幸運はすべて神無月くんの並でない努力のおかげだってわかってる。基本的に不幸な人だから、いつなんどき、どんなに努力しても報われないような災難が襲ってくるかもしれない。そのとき神無月くんのぜんぶを受け入れられるように、常々準備しておかなくちゃいけないって」
 トシさんが、
「私もいつもそういう気持ちでいます。思いどおりに生きたいと考えてる人だから、いつ障害物に突き当たってもおかしくないって。世の中はなかなか思いどおりにはさせてくれません。病気やケガのことも心配してます。人一倍懸命に生きていれば、そういう障害にも突き当たります」
「和子さんはそれがよくわかってる人だから、少し安心ね。ああ、早く今年が無事に終わってくれないかなあ。このあいだまで、デッドボールが怖くて仕方なかったの。もうそれはだいじょうぶみたいだけど」
「もう、ぼくに危ないことは起こらないよ。このまま年をとっていくだけ。人から理不尽な攻撃を受けて反応するのはやむを得ない行動だし、仕事仲間との不和は好き嫌いの問題だから、どちらも努力の範囲内だ。どっちにしても運命が変わるほどの不幸じゃない」
 トシさんが、
「心からそう願ってます。このあいだの殺人予告騒ぎ。あんなに簡単に収まると思わなかった。模倣犯が出てくるんじゃないかって、心配で心配で。爆弾を投げつけられたり、硫酸をかけられたり」
「心配しすぎだよ。予想したレベルで不幸はやってこないって、サマセット・モームも言ってる」
「えらい人が何と言おうと、神無月くんは規格外だから、どんなことわざにも当てはまらないわ」
 十一時三分、新大阪行ひかり。ホームの別れ。握手をし、抱擁する。
「名古屋までどのくらい?」
「一時間四十四分」
「雑誌は?」
「いらない。寝ていく」
 トシさんが、
「来月、十五日の夜、待ってます」
「元気でいてね」
 ドアが閉まり列車が走り出す。二人でトコトコしばらく追いかける。手を振る。たちまち遠ざかった。


         五十一

 一時十分前。二週間ぶりの名古屋。こちらも快晴。気温もほとんど同じ。腕時計は二十六・四度。駅からぶらぶら歩いて、一時に牧野町の北村席に着く。着物姿の主人夫婦と菅野の笑顔が玄関に出てくる。
「お帰りなさい!」
「九連戦、ご苦労さまでした」
 ドヤドヤと一家じゅうが集まってくる。トモヨさんの陰に千佳子と睦子もいる。三人にキスをする。金曜定休の丸が座敷へ手を引く。
「ゆっくりなさって」
 千佳子と睦子がブレザーを脱がせ、靴下を脱がせる。いつものとおりパンツ一枚とランニングになってのんびり卓につく。ソテツがすぐにコーヒーと茶菓子を出す。菅野が、
「でっかいホームラン打ちましたね。照明灯が割れて客席の人たちにバラバラ降ってきたそうですよ。とっさに真下の観客は逃げて助かったんですが、運悪く横に飛び散った破片で頭にケガをした人が二、三人いたらしいです。ただ、車のヘッドライトと同じで、割れても粒状になるので、突き刺さったりはしないんですって。コブができたくらいですんだみたいです。中日球団側が治療費すべて面倒を見たということですが、破片が当たった人たちは、日本最長のホームランでできたコブだ、名誉の負傷だと喜んでいたそうです」
「正確な数字は出ましたか」
 コーヒーをすすりながら尋く。女たちが愛らしく目に映る。千佳子が、
「出ません。ライナーだったので、百八十メートル以上は確実に飛んでるという話です」
「六十号も百六十メートルくらいですって」
 睦子がうれしそうに言う。主人が、
「日本の野球の常識を変えたというわけにはいかんのです。打てるのが神無月さんだけですから、非常識のままです」
 菅野が、
「川上監督にはまたやられました。神無月選手のバットは飛びすぎる、製造元を調べよと今月の十日にコミッショナーに提言し、よほど影響力のある人なのか、バカ正直に連盟の調査部が動いて、ミズノの久保田五十一さんのところまでいって十本ほど持ち帰り、材質、反撥係数まで調べたんです」
「久保田さんに対する侮辱だ」
「まったく。それで、他社の製品と変わらないということがわかりました。合成バットよりは多少折れやすいという慎ましい欠点までわかり、ほとんど折らずに使っている神無月さんの高度のバッティング技術まで明らかになったんです。久保田さんのバットはアオダモの一木作りで、製法も丁寧で、一本一本長時間かけて作るせいで、非常に高価であることも発表されました。早稲田大学野球部の谷沢や、十数人のプロ野球選手、社会人の球団にも卸していたんですね。久保田さんは腹を立てるどころか、神無月さんの名誉が守られてよかったと語ったそうです」
 主人が、
「川上は赤っ恥をかいたというわけです。それでも、ミズノから神無月さんが受け取ったのちに本人の手で何らかの工夫が施されているかもしれない。この目で当日のバットを実見するまでは納得しないと言い張ってるそうです。そこへ百八十メートルですからね。もう、疑心暗鬼の固まりになってるわけですよ。きょう、読売球団より、神無月選手のバットを調査した件について深く陳謝するという謝罪文が各紙に掲載されました」
「そんなことがあったなんて、ぜんぜん知りませんでした。しかし、読売球団が責任をとることはないでしょう」
「川上は国民的英雄ですからね、彼に責任をとらせるわけにはいきません」
「英雄であるからには、何か実績があるわけですよね。何ですか?」
「うーん、第一期巨人黄金時代の中心選手、打率三割七分七厘、年間最少三振六、千五百安打、ドジャーズ戦法、取材規制〈哲〉のカーテン、管理野球、エトセトラ」
「ウンコみたいなものばかりですね。あ、お父さん、五十六号のご褒美を小山オーナーからいただきました。ぼくには宝の持ち腐れですから、どうぞお父さん使ってください」
「何をおっしゃる。せっかくのプレゼントを」
「じゃ、菅野さんどうぞ」
「やや、とんでもない!」
 主人が、
「神棚に飾っておきますよ。いずれ直人が大きくなったら、誕生日にでもプレゼントすればいいでしょう」
「そうだ、二人に訊きたいことがあったんだ。カメラマン席を飛び越えてグランドに入ることはまず不可能なのに、試合後にワーッと報道陣があふれ出すでしょう。あれはどこから出てくるんですか」
「ははあ、考えてみれば不思議ですな」
 睦子が、
「カメラマン席や記者席は、一般の人は入れない通路でベンチ横につながってます。神宮球場がそうでした」
 菅野が、
「さすが六大学のマネージャー、よく見てるなあ」
 主人が、
「とにかく今年の中日は強い。まちがいなく優勝やろう。これまでもほとんどAクラスのチームだったけど、ここぞというところで二位か三位になる。今後中日がこれまでの巨人のような一流チームになるためには、連覇を経験する必要がありますな。二年連続シーズン優勝を達成することができれば一流、もちろん三年連続日本一なら超一流、言うことなしです」
「つまり、勝ちグセですね」
「はい。優勝した次の年に優勝するのがいちばん難しいんです。選手に慢心があるし、プレッシャーもある。優勝の翌年には、ほかのチームはターゲットを優勝チームに絞ってくるので、エースとの対戦も多くなる。その中で勝っていくのはとても難しい。そういう困難を乗り越えてまた優勝すると、選手たちにはこれ以上ない自信がつく」
 菅野が、
「でも、いまの中日は、そういう教訓が生きるようなふつうのチームじゃないですよ。ピッチャーの柱が増えたら、三連覇はおろか、四連覇も五連覇もしちゃうんじゃないですか」
「ワシもそう思う。まずは二連覇や」
 トモヨさんに、
「そろそろ、直人を迎えにいく?」
「はい、いってきます」
「ぼくもいく。いい天気だ。散歩。牧野公園にブランコとシーソーがある。帰りに直人を遊ばせてやる」
「ゆっくりしててください。車で迎えにいってきます。帰ってきたらみんなでいきましょう。ベンチに坐ってるだけでもいい気分です」
「じゃ、直人が帰ってきたら、おやつにそうめんでも食って出かけるか」
 女将が、
「ソテツ、みんなの分も用意して。私も食べたいわ」
「はい」
 トモヨさんが、
「天ぷら残ってたでしょう。それも出してあげて」
「はい」
「その前に、風呂入っとく」
「下着とジャージ置いときますね」
         †
 直人を恐るおそるブランコに乗せてやる。
「もっと、もっと」
 と要求するが、怖くて大きく揺すれない。横と後ろに睦子と千佳子がつく。ブランコから滑り台へ。よちよち階段を滑り口まで登り着くのが一苦労だ。滑り降りるときも、湾曲した台から落ちないように手を差し伸べながら警戒する。それが終わるとシーソーへ。対面してただ上下に揺すってやるだけ。砂場にしゃがむと、犬の糞がないかどうか目を凝らす。砂場を飛び出し、叫びながら走り回る。トモヨさんはスムーズに身動きできないのでベンチに坐っている。直人はときどき、数秒だけ母親のもとに戻ってくるが、またすぐに走り去る。遊び疲れるということがないようだ。
「機械仕掛けのお人形さんみたい」
 睦子が目を細める。丸が、
「トモヨ奥さんもきれい。……素ちゃんが言ってました。子供にむかしの写真を見せられないような母親は失格だって。トモヨ奥さんは何枚か塙席のいい写真を持ってるけど、自分は母親になっても、蜘蛛の巣通りの写真しか持ってないから見せられないって」
「東京の写真がたくさんあるじゃないか。でも、蜘蛛の巣通りだってぜんぜんかまわないよ。子供の関心は、母親がどんなに愛らしかったかだけだ」
 直人は木切れを拾い、ツツジやモッコクの低木を叩いて回っている。
「子供がほしいのって素ちゃんに訊いたら、そりゃほしいけど、キョウちゃんへの愛情が薄れるのが怖いって」
「写真が見せられないとか、ぼくへの愛情が薄れるとか、狭い考え方だな。子供は母親の人生と関係なく生きられる。素子だって知ってるはずだ。それにぼくへの愛情が薄れるんじゃはなく、関心がほかへ広がるだけだ。トモヨさんを見てればわかる。ぼくへの関心は出遇ったころと変わらず強い」
 トモヨさんが、
「そうですよ、まったく同じです。母親の過去の仕事を人目が悪いと思うなら、隠せばいいでしょう。隠すのは大切な生活を守るためですから、卑怯なことじゃありません。私は隠すことに決めました。ずっと北村で賄いをしてきたことにします。そうするようお義父さんお義母さんにも勧められました。写真は隠しません。若いころの女は輝いてますから。結局、子供を産むうえで心配なのは経済的なことだけ。貧乏は子供の心ではなく、親の心を捻じ曲げちゃうから。子供は貧乏に強いんです。なんとも思ってないと言ったほうがいいかしら。産んでしまえばいいんですよ。子供は生きてさえいれば、どんな環境にも耐えます。独りで十人の子を育てるお母さんなんて、むかしはいくらでもいました。子供なんて、ニキビみたいなものです。女は愛する男がいれば強く生きていける。子供に裏切られようと、先立たれようと、愛する男を失うよりはずっとマシです。男の愛がないと、お金やものにばかりこだわるようになって、その欲が子供の心に反映します」
 睦子がトモヨさんの腕に抱きついた。丸と千佳子は微笑みながらうなずいた。直人は相変わらず走り回っている。千佳子が、
「太閤椿商店街後援会というのができたみたいで、神無月くんを呼んで激励会を開きたいと北村のお父さんに言ってきたみたいです。シーズンオフなら一日ぐらい顔を出してもいいと本人も言うだろうが、それ以外の活動はいっさいお断りする、蝶よ花よともてはやされることを徹底して嫌う人だから、穏便な後援活動をしてほしい、と諭したんです。すばらしい顔でした」
「だいたい、後援会って、何をするの」
「パーティ、球場での応援、現役中の生活支援、旅行費や宿泊費の寄付、野球用具や生活用品の寄贈、引退後の生活支援、つまり一生経済的な面倒を見るということです」
「ありがた迷惑だ。球場で応援してくれるだけでいい。そんなにお金が余ってるなら、順繰り少年たちを招待する優待席を設けたり、太閤椿少年野球チームでも作って支援してやったほうがいい。その子たちも球場に応援にくるだろうしね。子供たちに未来の夢を見させてやるんだよ。でき上がったぼくを支援しても何の意味もない」
 トモヨさんが、
「お義父さんに伝えておきます。あしたは少年野球の指導ですね」
「うん。中日球場にレギュラーが何人もくる。賑やかなことになりそうだ」
「和子お嬢さんと素子さんもいくそうですよ」
「私たちも」
 睦子が手を挙げた。
         †
 素子とキッコと百江が賄いに混じってせっせと夕食のテーブルを整える。五十六号記念と、先延ばしになっていた誕生会を兼ねた。五月十五日生れのソテツも、私と並んで食卓についた。大小のプレゼントがステージに積まれた。主人が、
「チャラチャラしたものやめろって言いましたから、ほとんど役に立つものばかりですよ。ワシはスパイクを磨くシーム皮と皮手袋、おトクは靴下、ほかの連中は文房具が多かったな。シャープペンシルが何本かあると思います。手帳、これは何冊あっても神無月さんには役立ちます。ノートはムッちゃんが贈ったからよしと。原稿用紙というのもありましたな」
「それにしてもお父さん、みんなにどういうプレゼントか聞いたんですか」
「はい、要らないものはじゃまになりますから」
「そんなものありましたか」
「けっこうへんなのがありました。茶器セット、包丁セット、台所洗剤、洗濯洗剤、洗濯ばさみ、庭箒木、蠅取り紙。たぶんそういうのは、和子へのプレゼントのつもりなんでしょう。オルゴールなんかも入ってますが、これは机でも枕もとでも置いておけば慰めになるでしょう」
「来年からはプレゼントはやめましょう。義務になってしまいます」
「そうですな。ワシらだけにしますか。大物をね」
「車とか、やめてくださいよ」
「まさか。ヒゲ剃り程度ですよ」
「あ、電気カミソリ、いまのものでけっこう重宝してます。なんせヒゲが薄いんで、いい音がしません」
「長嶋くらい濃かったら、剃り甲斐があったでしょうがね。青いあごというのは神無月さんらしくない。来年はもう一つ高級なやつをプレゼントしますから、飾りで持っていてください」



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