十九

 ふとダッコちゃんは腰の尿袋を確かめ、溜まった中身を捨てるために床頭のブザーを押した。
「ぼくが捨ててきてあげようか」
「郷くんはお客さんだよ。気遣い無用。ときどき自分でやってみようとしても、どうも導入口をはめたり外したりがうまくいかなくて。気の毒だけど、看護婦さんにやってもらうことが多いんだ」
すぐに中年の看護婦がやってきて、何の躊躇もなくダッコちゃんの寝巻きをまくり上げると、彼の萎んだチンボから奇妙な形のチューブを外した。先っぽを脱脂綿で拭い、袋を持ち去る。そうして二分もしないうちにまた戻ってきて、もう一度脱脂綿で茶色いチンボを拭い、手際よく袋とチューブを繋いだ。看護婦もダッコちゃんも、少しも恥ずかしそうでなかった。
 自分一人の手柄じゃないんだから、協力してくれたみんなにいつも感謝してなくちゃいけないよ」
 看護婦がいなくなると、すぐに話題がもとに戻った。
「うん、わかってる」
 私はダッコちゃんのことはとても尊敬していたけれども、彼に向かっていると、いつも何か言いようのない堅苦しい気持ちを強いられてつらかった。どことなく説教をされている感じ、朝礼や試験のときみたいな緊張した感じ。はっきり言えないけれど、どうしても取り除くことができない遠慮した気分がいつも私の胸にわだかまっていて、心を開いて話し合うことができないという気がしてくるのだ。それもこれも、ダッコちゃんへの強い同情心に縛られているからにちがいなかった。
「クマさんなんか、野球もできないのに手伝ってくれたし、みんなで割り勘して右用の高級グローブを買ってくれたんだ」
「郷くんがそこまで努力したから、みんなでプレゼントしてくれたんだよ。じゃ、ぼくからもプレゼント」
 水屋の上の小さな本立てに手を伸ばし、
「これ、パステルナークというロシアの詩人が書いた小説だよ。ドクトル・ジバゴ。少し読みにくいかもしれないけど、とてもいいものなんだ。もう少し大きくなったら、がんばって読んでみて」
 私が入院した日からずっと彼の床頭にあった、見覚えのある水色の本を差し出した。
「ありがとう……」
「名作だよ。革命の中での、インテリゲンチャと国家体制とのアツレキを描いて、鬼気迫るものがある。ララという女性との美しい恋愛も描かれてる。パステルナークはスターリニストじゃないものだから、国外で出版しなくちゃいけなかった。そして、せっかくノーベル賞が決まったのに、国の圧力で辞退させられてしまった」
 私にはダッコちゃんの言っていることが皆目わからなかった。装丁や題名の雰囲気からすると、その本は、原田さんや小山田さんがときどきくれる雑誌や単行本よりも難しい本であるのはまちがいないような気がした。
 入院していたころから私は、ダッコちゃんの知的な雰囲気にはどうしても馴染めなかった。私自身、どんな人間のことも、豊かな感情とか、言動の自由さなどを基準にして評価する性質だったので、自分の感情か想像力が奮い立つような刺激を受けないかぎり、相手の人柄も、考えも、何もかもほんとうに自分のものにできたという感じになれないのだった。ダッコちゃんは恋愛もと言った。それは恋愛が主題の飾りになっていることを示す言葉だった。心が二の次に扱われているということだった。私は、この本はきっといつまでも読まないだろうと思った。
「ドクトルって、お医者さん?」
「そう、詩人のお医者さん。ララは……ちょっと説明が難しいな」
「読んでみようかな。難しそうだけど」
 心と逆のことを言った。
「郷くんは何にでも挑戦する子だね。ぼくも郷くんに負けないようにもっともっと努力して、せめて松葉杖一本ぐらいで歩けるようにならなくちゃ」
「そうだよ。頑張ろうよ! マーメイド号の堀江謙一みたいに。やれば何だってできるんだから。ぼくはきっとプロ野球の世界で有名になるよ。そうして、いろんな記録を塗り替えてやるんだ」
「有名になることにこだわらないほうがいいね。有名になれば幸福になれるわけじゃないんだから。一生懸命生きること。自分の値打ちを認めてもらえないのはつらいことかもしれないけど、むやみに偉くなろうとするのをやめて、地道に努力して、精いっぱい生きるのがいいんだよ。もし自分が名声を与えられるのにふさわしい人間なら、死んだずっとあとだって、その名声は星みたいに消えないで残る。あのキリストでさえ、生きていたころは大した有名人じゃなかったんだよ」
「キリストって、十字架の?」
「そう」
 私は、ダッコちゃんの言うキリストの苦難が、どういうふうに野球選手の努力や浮き沈みと似ているのか理解できなかった。生きているときにぜんぜん目立たなくても、他人の目を気にしないで一生懸命がんばりつづければ、死んでから有名になる、だから生きているうちは無名に甘んじて、死んでから有名なるように生きなさい。
 ―生きているときはだれにも知られないで、努力ばかりしつづけて、死んでから有名になった野球選手なんか聞いたこともない。ダッコちゃんは、何かちがう仕組みの世界で暮らしている人たちのことを言っているのだろう。
 ダッコちゃんは松葉杖を両脇に挟みこみ、ズズッ、ズズッと足を引きずりながら二階の階段まで送ってきた。私が、じゃ、と言って降りはじめると、
「大学、やめちゃった。秋になったら、クニに帰ることにした」
 朗らかな声で私の背中に言った。
「え? 帰っちゃうの!」
 私は足を止めて振り向いた。
「うん、そろそろ自宅で療養できる自信がついたからね。このままずっと入院していても家族の負担になるだけだし―。あまり実入りのいい商売をしている家じゃないんで、近所の子供たちに勉強でも教えれば、多少は家計の助けになると思う」
「働かなくちゃいけないの!」
 こんなからだになってまでも、一家のために働かなければならないというのはどういうことだろう。からだが利かない不幸な人間を追いつめるような、そんなに差し迫った貧乏な生活など、私には想像できなかった。私はダッコちゃんの晴ればれとした顔を見つめながら、口惜しいような、もどかしいような気持ちになった。
「できることがあるうちは、甘えた気持ちになっちゃいけないんだよ」
「秋になったらって、いつごろ帰るの」
「さあ、決めてないんだけど、それほど先のことじゃないよ。クマさんたちや、あのからだの大きな女の人によろしくね」
 カズちゃんのことらしかった。
「うん。もう会えないんだね―」
 私は水色の本の表紙を見つめながら言った。
「手紙があるよ。受付の人に住所を預けていくから。ぼくからも出すよ。からだが不自由になるとね、感覚でなく、頭が自由になるんだ。静かすぎて夜が恐いなんてことがなくなる。これはいいことだよ」
 眼鏡の青年が感慨深げに口にする言葉の意味を、今度は少しだけ理解できた。その表情から、たとえからだが不自由な生活の中にいても、何か人間としてとても充実した心を保っていられるのだと、彼が本気で言おうとしていることもわかった。
         †
 九月の新学期が始まってまもなく、ようやく左手の指の痺れが取れて、思いどおりに動くようになった。
 ちょうどそのころ、康男の露払いの伊藤正義(まさよし)が、指を何本か切断したという噂が広まった。エノケンが、ダッソとかいう病気で片足を切断したという話が世間をこわがらせていた時期だった。そういえば、最近康男のそばに彼の姿を見かけなくなったと思っていたところだった。康男が首をすくめて言った。
「掃除のとき、ワーッと机を後ろへ押していくやろ」
「うん」
「あれで指挟んでまってよ。……骨肉腫いうらしいわ。おそぎゃあな」
 私はからだじゅう電流が走ったような感じがして、自分もそんなふうになったらどうしようと思いながら、自由を回復した左手の指をじっと見つめた。すると、梅雨どきの手術室で経験したあの絶望の瞬間が、異常なまでに鮮やかに甦ってきた。私はお古になった左肘をカクカクと動かしてみた。まだ少し痛んだ。
 正義の場合、指だけではすまなかった。彼は乾いたつやの悪い唇をしながら、三角巾で腕を吊るして、しばらく元気ぶって登校していたけれど、十月に入ったとたん、
「腕を切ったらしいで」
 と、また校内中に噂が広まった。骨肉腫がテンイしたのだという。
「指の次は、腕か。今度はどこや?」
「首やろ」
「首は切るわけにはいかんが」
 みんな恐怖を押し隠しながら、そんなふうに冗談にまぎらして笑い合った。高島台で破傷風にかかったときの、西脇所長の冗談を思い出した。私はテンイという言葉の致命的な響きを、やっぱり左肘をカクカクと屈伸させながらしっかり記憶に刻んだ。
 その月の終わりに、片腕になった正義がレフト側のグラウンドの隅で康男といっしょに並んで、シャツの片袖をぺらぺら風に揺らしながら、野球部の練習風景を眺めていた。なんと気丈な男だろう。腕一本切り落とす手術は、気力ばかりでなく、体力的にも相当な消耗を強いるはずだ。よく学校にこられるものだ。
 私は興味をそそられ、フライを取るついでに康男のほうへ走っていった。ギョッとした。笑顔で迎える康男の傍らに、正義のグロテスクな顔が立っていた。獅子舞いのお面か何かのように、顔のあちこちが瘤で盛り上がったその顔は、あまりにも恐ろしげで、長く見ていることができなかった。それもきっとテンイのせいなのだろうと思った。
 それから何週間も経たないころ、 
「残念なお知らせがあります。一年C組の伊藤正義くんが、一昨日亡くなられました。病名は骨肉腫、最後は癌細胞が脳にテンイして、ついに助かりませんでした。肉腫のような悪性の癌は、若者の場合、進行が早いのだそうです」
 校長先生が、朝礼で短い報告をした。みんなで一分間の黙祷を捧げた。私は目をしっかり閉じ、あの獅子面を思い出しながらうなだれた。いくらタコ入道でも、あんな恐ろしげな顔で人生の最後を締めくくりたくはなかったろう。
 一日、伊藤正義の噂で持ちきりだった。正義のことをよく知りもしない連中まで、骨肉腫、骨肉腫とうるさかった。先生たちは何ごともなかったかのように、ふだんどおり坦々と授業をした。
 私は正義の獅子面を思い出すたびに、憐憫と同時に、ぞっと寒気を覚えた。放課後の部室でも、骨肉腫とかテンイという単語が飛び交っていた。岡田先生は正義の葬式に出かけたとかで、練習には顔を見せなかった。
「きょうは早めに解散や。一年生、片づけ!」
 号令をかけた与野が寄ってきて、
「あのデカ、死んだな。あいつとは一回キャッチボールしたことがあってよ、いいスピードボール持っとったで。岡田先生に教えたったら、本格派のエースに仕立てるか言うて何度か誘いにいったようやけど、とうとう入部せんかった」
 と、いっしょにベースを運びながら言った。いつのまに正義がそんなことをしていたのか不思議な気がした。
「与野さんが部に誘ったんですか」
「家が近所でな」
 帰り道、康男が沈んだ顔で大瀬子橋のたもとで待っていた。飯場までいっしょに歩いた。スパイクがカチャカチャ鳴った。このごろでは学生服を布袋に入れ、ユニフォームを着たまま帰る。朝はユニフォームを布袋に詰めて登校する。スパイクも入れられるように、大きなタオル地の袋をカズちゃんに作ってもらった。
「アホ入道、死にやがった」 
 康男はポケットからビールの小瓶を取り出し、奥歯で栓を開けると一気に飲み干した。
「入道は康男のこと大好きだったんだよ。いつもくっついて歩いてたから」
「あんなやつでも、死ぬとチビッとは悲しなるもんやな」
「そうだね……」
 指を切って、腕を切って、とうとう切るところがなくなって死んだ。そう考えるだけで私は憂鬱になった。コブだらけのグロテスクな顔が浮かんできた。しかし、伊藤正義には悪いと思ったけれども、ふだん話すこともなかった人間が死んでも、想像力だけで心から悲しくなることはできないのだった。
 事務所の前で手を振って康男と別れた。カバンと袋を勉強小屋に放り入れ、庭でしばらくシロの頭を撫でていたとき、急にダッコちゃんのことが気になりだした。
 ―あっという間に死んでしまった伊藤正義や、胴体真っ二つの男より、計画と希望を持って生きているだけ、ダッコちゃんのほうがマシなんだろうか。


         二十

「ダッコちゃんのお見舞いにいってくる」
「また?」
「退院して、クニに帰るそうなんだ。これで最後だよ」
 ―どうしてダッコちゃんのことが気になるんだろう。もらった本も読んでないし、会いにいったって、何も話すことがないのに。
 病室を訪ねると、ダッコちゃんのベッドがきれいに片付いていた。私の古巣のベッドには、腰に袋を垂らした初老の患者が横たわっていた。枕もとのトランジスタから、ボビー・ビントンの『涙の紅バラ』が流れている。彼に似合わなかった。
「ここにいた人は、退院したんですか?」
「さあ、私がきたときは、もうだれもいませんでしたよ」
 私は階段を下りて受付へいった。
「ぼく、不随者病棟の篠崎さんと同室だった神無月郷ですけど。篠崎さんはいつ退院したんですか」
「きのうの午後、いえ、おとといだったかしら」
「住所を教えてください」
「さあ、うかがっておりませんが。担当の者に訊いてみましょうか」
「お願いします」
 受付の看護婦は電話を取り上げた。そうですか、と一回うなずいて話が終わった。ダッコちゃんは、帰郷先の住所をだれにも知らせていないことがわかった。
 病院からの帰り道、千年の交差点を渡りかけたとき、ふと『土田基督教教会』という白塗りの看板が目に入った。蔦をからめた門口のたたずまいに魅かれ、深い考えもなく入っていった。ダッコちゃんと最後に交わした会話が頭に残っていた。
 二十人ほどの人たちを前に、黒い服を着た外人の会師が、少し高い教壇からあまりうまくない日本語で声高に話しかけていた。私は座らずにじっと突っ立ったまま、彼の様子を見守った。天国というものについて説いているらしかった。話の内容はひどく難しくて、そのうえ古風な言い回しで説明するので、何の意味も汲み取れなかった。死後の世界というものに私は興味を持っていなかった。何かを成し遂げる場所はこの世にしかなくて、その場所で、その何かのためにがんばることこそ大事なのだと思っていた。
 説教を聞いているうちに、私は最近中学生の勉強室で聴いたばかりの〈抽象〉と〈具体〉という言葉を思い出した。抽象名詞、抽象画、抽象芸術……。冷たい感じ、失敗のないように検算をしている感じ。人を教え諭す牧師というのは、きっといつも深い抽象の世界にいるせいで、胸の中の温かい具体的な想いが、冷たく洗練された抽象語に変わってしまうのだろう。
 牧師が急所の言葉らしいものをしゃべると、大勢の人たちが胸に手を組み合わせて、ぶつぶつと祈りの文句を唱えた。そのすきに牧師はブーと鼻をかんだ。祈りつづける信者たちの服装はきちんとしていて、ものごとに動じない雰囲気があった。仲間同士仲がよさそうで、説教の合間にふとおたがいに顔を見合すときなど、じつに愛想がよかった。ただその礼儀正しい態度には、どこか冷ややかで、人を寄せつけないものがあった。
 ―こんな人たち、見たことないな。
 祈るという行為は信者たちにとって、何かもともと必要な、生活に欠かせない習慣のようだった。祈ることで彼らは自分を捧げる儀式に浸りながら、イエス・キリストと一つになろうとしているようだった。私には、それが何か真剣さのない、もったいない時間のように思われた。キリストと一つになることは、こうして儀礼的に寄り集まらないでも、自分の心の内部でできることだった。
 彼らは、ダッコちゃんとはぜんぜんちがう雰囲気をただよわせていた。私は、ダッコちゃんが私に住所を知らせないで去ったのは、無関心や裏切りではなく、もったいない時間をすごすなという、精いっぱいの誠意だったのではないかと思った。
 ―きっと、ぼくがこれから野球や勉強で忙しくなることを考えて、手紙を書くようなもったいない時間を使わせないようにしたんだ。ぼくの手紙はきっと、ここにいる信者たちみたいに、ダッコちゃんへの同情と、祈りと、礼儀でいっぱいになるだろうから。そんなつまらないものは、ぼくにも、ダッコちゃんにも必要のないものなのだ。
「聖歌、××番!」
 会師が厳かに命じた。信者たちはあわててページをめくった。オルガンが鳴り、太い声や細い声が、てんでばらばらに弾けた。調子の外れた胴間声も聞こえる。
 歌が終わったあとで、黒い帽子を持った女が、
「お心づけをお願いします」
 と言いながら回ってきた。灰色の服から枯れ草のようなにおいが昇ってきた。私がためらっていると、
「ほんの少しでけっこうです。五円でも、十円でも」
 とその場から動かない。
「すみません。持ってないんです」
 私は顔を赤らめて答えた。お金を求められるとは思いもしなかった。女はやさしい微笑を浮かべ、
「いいんですよ。次の機会で」
 と言って、ほかの人のほうへ移動していった。私はそっと踵を返して表へ出た。
 一日、しみじみとさびしく、夜遅く寝床に入ってから、ダッコちゃんからもらった『ドクトル・ジバゴ』を開いてみた。思っていたとおり一行も意味がわからなかった。 
 ―これで、ダッコちゃんとは一生会えないんだな。
 キリストも生きていたころは無名だった、とダッコちゃんは言った。死んだあとで有名なるというのは、生きているときにすばらしい生き方をしたからこそのことで、そういう生き方をしなければ名は残らないわけで、さもなければ、たとえ生きているうちに名を挙げても、やがて忘れられてしまうのだ。ダッコちゃんは私にとっての有名人で、永久に私の胸に残るだろう。
 それからしばらくして、ダッコちゃんのことはあまり思い出さなくなった。それでもときどき、長身で、黒縁の眼鏡をかけた、動作が緩慢で陰気臭いけれども、それだけにかえってやさしい感じのするなつかしい姿を思い出すことができた。するとかならず、私の胸に淡い喜びのようなものが湧き上がってきた。
         †
 十月の末に、奇妙な試験があった。
 青山先生の国語の授業中に、白衣を着た保健婦が教室にやってきて、
「いまからクラスいっせいで、ちょっとした小テストを行ないます。これは学期試験とは関係のない生活調査用の簡単なものです。心理テストみたいなものなので、通知表とは関係ありません。気楽な気持ちでやってください。試験時間は五十分です」
 明るい顔で言って、青山先生にうなずきかけた。授業が中止になり、みんなでぞろぞろ音楽室へ連れていかれた。桑原は廊下の壁を相手に、
「ファイティング原田、ラッシュ、ラッシュ」
 と言いながらシャドーボクシングのまねをしていたけれど、河村千賀子も天野も清水明子も、なぜかいつもとちがう強張った表情をしていた。音楽室の机につくと、保健婦の手で七、八ページの『××式メンタルテスト』という表紙の小冊子が配られ、すぐに、
「はじめ!」
 の合図がかかった。
 ―何だ、これ。
 細かい足し算、引き算、図形がびっしりと並んでいる。問題の指示どおりに五分ほどやってみると、保健婦の言ったとおりひどく簡単だったので、私は鉛筆を置いた。あまりにも簡単すぎるので、これはたしかに勉強の成績とは関係ないな、といつもの打算を働かせたのだった。それでなくても、このごろの私は勉強そのものに、そしてその結果の成績そのものに、中学へ入った当初ほど価値を認めていなかった。それが、ふだんの試験より重要でない試験となればなおさらだった。私は鉛筆を指で弄びながら、周囲の観察にかかった。机に屈みこんでいる清水明子の後頭部を眺めた。ポニーテールをゆさゆさ振りたてながら、懸命に何か書きこんでいる。ときどき髪をかき上げる指が赤ん坊のようにふっくらしている。
 ―まじめなやつだな。どうしてこんなつまらない試験を夢中でやってるんだ? 後藤ひさのは? 天野は? 河村千賀子は? 加賀美は?
 みんなうつむいて熱心に取り組んでいた。鉛筆の音が絶え間なくしている。桑原までせっせと鉛筆を動かしていた。なんだかいつもと様子がちがう気がした。後藤ひさのの脇腹を指で突っつくと、邪険に振り払われた。一段落ついたのか、清水明子は疲れた様子で窓の外に横顔を向けた。
 ―どいつもこいつも、よっぽど試験が好きなんだな。学期試験と関係ない生活調査って言ってたじゃないか。……でも、こんな足し算や引き算が、毎日の生活とどういう関係があるんだろう。問題のできが悪いと、生活の仕方がなってないということになるんだろうか? そう思われるのはちょっとイヤだな。
 仕方なくまた五分ほど問題を解いてみた。あまりのつまらなさに、今度は完全に鉛筆を置いた。そして頬杖をついてみんなの様子を眺めたり、窓の外を眺めたりしながら時間をつぶした。五十分という試験時間は、おそろしく長かった。
         †
 何日か経った夕方、飯場にスモールティーチャーが訪ねてきた。母が勉強小屋にいた私を呼びにきた。まだユニフォーム姿だった。
「忙しいときに、いったい何だろうね。おまえ、学校で何かしくじったの?」
「べつに」
 母と私は、まるで父兄面談のような格好で山田先生と向かい合った。カズちゃんがせっせと炒めものをしている。いいにおいがする。
「担任の、山田と申します。なんだ神無月くん、まだユニフォーム着てるのか」
 山田先生が硬い笑顔で言う。
「すみません。いつもこうなんですよ」
 時分どきに仕事を中断させられた母は、妙にイライラした感じで飯台をさすりながら言った。スカウトに対面したときの格好だ。
「ご用向きは何でしょう。ごらんのとおり忙しいので、手短にお願いします」
「お時間は取らせません。じつは……申し上げにくいのですが、先日、公式に知能テストを行いまして」
「は? ええ」
 母の目が吉報を期待するように輝いた。
「……神無月くんの結果に、私ども驚きまして。ひどく低い数値が出ましてね。ま、低いといっても、普通を少し下回る程度のものなのですが、ただ、ふだんの成績があまりにも優秀なので、これはおかしいということになって―」
 山田先生は丁寧な物腰で、母のほうにからだを屈めた。カズちゃんが一瞬手を止めて振り向いた。
「どういう意味でしょう?」
 たちまち母の顔から血の気が引いた。
「や、お気を悪くなさらないでください。神無月くんがこれだけの学習効果を上げているということは、ひょっとしてご家庭で、本人の能力を超えたスパルタ教育がなされているのではないかと、一同、そんなふうに……」
 母は鷹のように眼光を鋭くして、山田先生の目をまともに見つめた。
「能力を超えたとは何です、失礼なことを! この子の頭の良さは折り紙つきですよ」
「……それはわかっておるつもりでしたが」
「つもり? わかってないでしょう。この子が三歳のころ、当時、私ども親子は事情があって、一とき東京に住んでいましたが、そのおり、たまたま健康優良児か何かのコンテストに駆り出されて、近くの保健所で知能検査を受けたんです。一時間ほどいろいろなテストをされて、結局八歳児の知能だと判定されました。三歳の子が八歳ですよ」
「はあ、それは、まことにどうも。私どもとしましても、ただ……」
 ぺこぺこと上半身の動きが盛んになる。ふだんのゆったりとした立ち居とちがった彼のあわただしい動作は、私を不安にした。カズちゃんは少し怒ったふうにせかせかとまたしゃもじを動かしはじめた。中華鍋がわざとらしくガチガチと鳴った。
「この子の知能が高いと言われても、ちっとも驚きませんが、低いと言われるのは心外です。郷! どうしたの、何かあったの!」
 母はすごい剣幕で私を睨みつけた。カズちゃんが炒めものの手を止め、どういう態度をとったものかわからないふうに縮こまった。私はひどい羞恥心に苦しめられながらニヤニヤ笑った。初めて経験する異様な脱力感だった。
「メンタルテストって書いてあったけど、知能試験だなんて知らなかった。こりゃ、カックンとやられちゃったなあ。だって、学期試験と関係ない生活調査だって保健婦さんが言うから、メンタルテストって生活調査の意味だと思っちゃった。だから、適当に五分か十分やって、あとはよそ見してたんだ。みんなまじめにやってたけど、バカじゃないかと思った。でも、みんな試験の意味がわかってたんだね。すごいなあ、ぜんぜんバカじゃないや。メンタルって、知能のこと?」
 山田先生は申しわけなさそうにうなずいた。
「やあ、ほんとにやられちゃったなあ! チョイサット」
 私は人に褒められたりすると、たちまち胸を張りたくなるたぐいの少年だったけれども、誤解されたり、軽蔑されていると感じたりすると、相手に合わせてわざと愚か者らしいおどけた振る舞いをしがちな性格でもあった。 
「生活調査だって? ほんとにそう言ったの?」
「ほんとだよ」
「騙したんだね。コスイやり方だ」
 ギロッと山田先生を睨む。彼はとぼけたふうに目を細め、
「それは、生徒を緊張させないように……」
「いいえ、姑息なやり方ですよ」
 先生は意味もなく深呼吸して鼻をふくらませた。
「おまえにしたって、何もそんな改まった雰囲気のときに、わざわざ格好つけてよそ見なんかする必要ないでしょ。みんなみたいにまじめに受ければよかったでしょ。なんて子だろう、親に恥をかかせて」


         二十一

 私にとってこういう難詰は、予想もできない一種の悪夢のように思われた。私は、自分で思うほどは気位が高くなく、ほかの人たちの能力と自分のそれとを比較して、彼らの価値を決定するということはしなかった。ときには、私は自分がだれよりも優れた者になれるかもしれない、勉強にしたって、少しがんばれば一番になれるかもしれない、などと思うことはあったけれども、その本来的な意欲も情熱もない希望をまともに実現させようとは思わなかった。
 私はスモールティーチャーの顔を見た。たしかにいつもの高成績を、能力を超えたなどと言われるのはひどい侮辱だったし、また精神的な拷問でもあった。しかし、私は何も言わなかった。からだ全体がただ一つの、ぼくは馬鹿じゃない、という考えで凝り固まったようになっていた。
 ―康男は? 

 女の口調には気安い落ち着いた感じがなく、息をつかせることがなかった。私は母を嫌悪すると同時に、自分のことも嫌悪しないわけにはいかなかった。彼女の最後の言葉は恐ろしいものだった。
「取り返しのつかないことしちゃったねェ。しようがない。自分が好きでバカと決めたんだから、バカと思われながら生きていきなさい」
 母は私をあからさまに傷つけることで、自分が息子をどれほど期待していたかを素直に表現した。おかずの支度をし終えたカズちゃんが母に近づき、
「おばさん、堪忍してあげて。キョウちゃんは頭がいい子よ。そんなことぐらい、顔を見ればわかるでしょうに。学校の先生って、頭が悪いのかなあ。サボって受けたのに、普通の子ぐらいの知能指数が出たわけでしょう。ちゃんとやれば、軽く二倍、三倍になったんじゃないかしら」
「わかってますよ、そんなこと! ただ、肝心のときにこの子は、こういうヘマをやっちゃう人間なのよ。どうしてこうなんだろう」
「そうですね、キョウちゃんよりずっとバカな人からバカと思われちゃうのは、なんだか口惜しいですね。でも、ふだんのキョウちゃんを見てれば―」
「人は数字を信用するのよ。ただ、この試験のやり方は、ずいぶん下品なものだね!」
 カズちゃんがいくらとりなしても、一向に母の不機嫌は収まらなかった。
 翌朝、私はふだんどおりの時間に家を出た。うららかな秋日和だった。堀川のインク色の川面に空がきらきらと反射し、アスファルトは白く輝きわたっていた。それなのに私はガッカリ気落ちしていて、柔らかい陽射しの通学路で出会う人びとみんなが、
「あの子は、頭が悪いんだよ」
 と言っているような気がした。
 私は宮中の校門をこっそり入って、職員室の網ガラスを覗きながら歩いた。七、八人の先生が、ぼんやり煙草を吸ったり、書類に屈みこんだり、互いに挨拶をし合ったりしていた。そのとき何人かの先生と目が合ったので、私はひどく肩身の狭い思いをしながら、何も気にしていない振りをして上の校庭へ登っていった。
「馬鹿が、何をしに学校へきたのだろう」
 と思われているような気がした。教室ではだれも私を観察している気配はなかった。授業は相変わらず簡単で、退屈なものだった。私が英語や国語の質問に答えると、いつもと同じ賞讃の眼差しが私に注がれた。みじめな思いがだんだん消えていった。
 私は自分が相当な人間だと思い返そうとした。実際、自分があまりに易々といつもの地位を回復することができたのが不思議に感じられた。私は深く安心し、教室の窓の景色に目を移した。民家の板塀の上に色あせたヒマワリの花がいくつものぞいていて、道を見下ろしていた。背の高い柿の木には、まだ熟していない実がたっぷりついていた。その梢の上に、高い、広い青空があった。教室に目を戻すと、清水明子の眠っているような横顔が黒板を向いていた。ふくよかな白い頬が日光を吸収して、大福餅のように見えた。
         †
 十月七日。快晴。宮中の校庭に集合。
 神宮前から名鉄に乗って、南区の桜に向かう。敵は本城中学校。右投げに替えてから初めての練習試合だ。そして私には、中学生になって初めての試合でもある。公式戦は勝ち抜きなので、もう宮中に参加資格はない。これから先はぜんぶいわゆる消化試合になる。でも、ほとんどの学校がその運命なのだ。スタメンはたぶん、思い出作りの三年生がほとんどで、下級生からレギュラーに抜擢されるのは二年生の本間と、一年生の私だけだろう。デブシや関たちは来年待ちだ。
 電車に乗りこんだとたん、三振王の王がとうとう開眼してホームラン王になったという話題で持ちきりになった。何カ月か前の大洋戦、一番打者で出た王は、ホームランを含む五打数三安打の活躍をした。ただ、そのときのバッターボックスの姿勢がとても奇妙で、右足をからだのそばに高く引き上げ、片足だけの猫背になってじっとピッチャーの投球を待つという形をとったのだ。とにかくそれ以来、王はすごいペースでホームランを打つようになり、とうとう三十八本打ってホームラン王になった。打撃コーチの荒川が王にこの打法を伝授したのだという。吊り下げた和紙を本物の刀で切り落とすところが週間ベースボールに載っていた。そういう練習を畳が擦り切れるほどやった、と書いてあった。
「王はこのぶんだと、来年は三冠王になってまうで」
 関が言う。
「いや、首位打者はやっぱり長嶋やろ」
 デブシが異を唱える。私もそう思った。それほど遠くないうちに王は三冠王を獲るかもしれないけれど、首位打者は簡単にはいかない。ひょっとしたら長嶋だって危ない。それにしてもあの一本足打法はすごい。あんなバランスをよくとれるものだ。本間がフリーバッティングでまねをして打ってみたけれど、一本も外野まで飛ばなかった。
 岡田先生が電車の中で、七人のスターティングメンバーの名前を告げた。やっぱり本間と私を除けば、ピッチャーの与野を筆頭にぜんぶ三年生で固めていた。初めて聞く名前の補欠まで入っている。
「二年は本間、一年は金太郎。毎年残り三試合は全員三年生でいくんだが、この一試合だけは下級生を出す。ひとまず先例を作っておかなくちゃな」
 桜駅を降りて、工事中の新幹線の高架をくぐり、国道を渡って呼続(よびつぎ)公園野球場に出る。
「この球場は硬式用のグランドだ。両翼が九十メートルしかないうえに、外野の向こうがすぐに民家だから、十メートルの高さのネットを張っとる。軟式をやるやつには、つらい距離だ。百メートル越えのフライを打たんかぎりホームランにならん」
「それ、ぜったい無理やが」
 デブシがため息をつく。
「さすがの金太郎も、今回は三塁打止まりかもしれんな」
 関が太田と二人でうなずき合っている。私は先生の言葉を耳に留めながら、いまの肘で百メートルは無理だなと思った。御手洗が、
「金太郎さん、一本いってや!」
 と背中を叩いた。
「ミートを心がけるよ。まだ左肘で押し出すのは無理だ」
 私はこの試合で右の遠投力を試したいと思っていた。バッティングは少しでも勘を取り戻せればいい。ほんとうに三塁打が打てるなら、もう満点だ。
 呼続球場は手入れの行き届いたグランドだった。でも野球場と呼ばれるには少しもの足りないところがあった。まずスコアボードがなく、ホームベースの後ろに高い金網のバックネットがそびえているきりだった。外野のコンクリート塀は人の身長ほどで、すぐ向こうに民家が建てこんでいる。だからゴルフ場のようなネットがぐるりと張りめぐらされているのだ。グランド自体はかなり広い。センターの塀に百二十メートルの表示がある。さすが硬式野球場だと思った。
 両チームとも守備練習のみで、バッティング練習はなし。本城中、宮中、それぞれ十分ずつ。私はできたての鉄砲肩を何本か敵チームに見せつけた。彼らの目がそれに釘づけになっているのがわかった。     


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