百八十五

 六月三十日月曜日。八時起床。きょうも朝から雨。ひどく蒸す。朝食をとらず、フロントにタクシーを頼み、九時にチェックアウトした。従業員たちの見送りを断り、ダッフルを担いで玄関に出る。二人の警備員が立っていて、立ちはだかる人波を防ぐ。松葉会の組員たちの姿はなかった。傘を差したファンに囲まれ、タクシーがくるまでのあいだ余儀なくサインする。従業員たちは少し離れたところから見送っていた。礼をすると、彼らも深く礼を返した。
 タクシー運転手は、人当たりのいい謹直そうな中年の男で、無理な愛想を使って話しかけてくる気配はなかった。
「吉祥寺、井の頭公園口へ」
「はい。丸井の前あたりでいいですか」
「ぴったりです」
 最小限の言葉で通じ合う。三宅坂から首都高に乗り、高井戸を降りるまで十五分。雨の高速道路は退屈だ。十時五分。高井戸から十五分もしないで吉祥寺駅に着いた。ニューオータニからは四十分ほど。料金を尋くと、二千二百円ですと言うので、三千円を受け取ってもらった。
「ただいま!」
「お帰りなさい!」
 この世のどこにもない架空の時間が始まる。雅子が式台に走り出てくる。ダッフルを受け取り、
「詩織さんから電話ありました。お昼ごろにいらっしゃるそうです。菊田さんは四時に早く上がってきます。三十分ぐらいテレビを観ながら待ってください。すぐおいしい朝ごはん作りますから」
「テレビはいいや。この新聞を読んでる」
 挨拶の口づけをし、テーブルの上の新聞を手に居間に入る。東京吉祥寺御殿山という架空の場所。
 野球記事。高校野球地方大会の結果と、きょうの組み合わせ。興味なし。昭和三十六年第四十三回大会の思い出コラムが片隅にあった。目が吸い寄せられた。

 王者浪商に決勝で敢然と立ち向かった和歌山桐蔭
 当時のチームを率いたOB監督の松嶋正治は、尾崎行雄(現東映フライヤーズ)の投球を見てため息をついた。
「これは話にならん、ノーヒットノーランを食らうかもしれん」
 おまけに捕手は大塚弥寿男(現ロッテオリオンズ・昭和四十年度ドラフト一位)、二塁に住友平(現阪急ブレーブス・同年ドラフト三位)、三塁大熊忠義(現阪急ブレーブス・昭和三十九年入団)、左翼には高田繁(現読売ジャイアンツ・昭和四十二年度ドラフト一位)がいた。
「尾崎の球はスピードに加えて重みがあった。打っても後ろにしか飛ばん」
 一対ゼロで浪商が勝ち、優勝した。
「六回やった。六番の中谷が詰まりながらもセンター前にポトン。やれやれと思いました。ヒットは三本出たかな」
 実際の内容は松嶋の述懐を上回る善戦だった。桐蔭のエース森川勝年は浪商打線を七安打一点に抑え、内外野も懸命の守りで彼を支えたのである。飛田穂州は、
「そのむかしの和歌山中の面影を偲ばせるものがあった。願わくば名門の復活を念じたい」
 と奮戦を称えた。かつて第七回、第八回と夏の大会を連覇し、第四回の選抜も制した和歌山中の強さは、学生野球の父である飛田の脳裡に刻まれていたのである。

 尾崎の記事は、いつ、どんなものを読んでも楽しい。あの決勝戦で尾崎はたしか十三個の三振を奪っている。その十一月に浪商を中退してプロ入りしたのだった。浪商の一点は内野安打で三塁走者が還ったものだった。
 私の記事もあった。アトムズ戦のホームランコースのようだ。

 右・左・左・中 これぞ広角ホームラン打法だ! 
 神宮球場、六月二十八日、二十九日。対アトムズ十一・十二・十三回戦。中日ドラゴンズの神無月郷外野手(20)が剛柔二刀流で鬼神の力を見せつけた。
 剛―第一弾は十一回戦初回、豪快なスイングでライトスタンド最上段の上に張られた防球柵へツーラン、第二弾は九回、左中間前列へ技ありのソロ、第三弾は十二回戦九回、左翼中段へ一直線のスリーラン、第四弾は十三回戦四回、バックスクリーン左へこれまた一直線のソロ。いまの神無月にどんな秘策も通じない。ランナーがいないときには、十回に五回ほどやさしい目で打ち損なってくれるが、ランナーがいるとすべてのピッチャーを蛙に見立てて睨みつける蛇になる。飲みこみ率ほぼ百パーセント。
 柔―豪快なホームランだけではない。二塁打二本、短打一本、犠牲フライ二本、四球の直後の盗塁一と、きっちり仕事をしている。これを神無月の最大の魅力と言う専門家もいる。
 常にパワー全開、全球勝負の神無月の打撃にファンは沸きに沸く。百号まであと八本と迫った。オールスター前の九試合で確実に達成するだろう。ファンは二百号の夢を見る。しかし百号でも、千年、いや永遠に破られない記録になる。

「お待ちどうさま」
 ネギ入りの卵焼き、サンマの開き、ナメコの味噌汁、板海苔、キュウリの糠漬けを盆に載せて持ってくる。箸をとって味噌汁から。じつに美味。雅子はニコニコ笑って見つめている。笑い方に女っぽいシナがある。出会ったころにはなかったものだ。二膳お替りした。
「きれいな人! 光ってます」
 ごちそうさまを言って箸を置き、膝の奥を探る。
「穿いてませんから、お好きにどうぞ」
 架空の時間がつづいている。まったく制約のない家。北村席でもこうはいかない。襞の湿り気を避け、柔らかい土手をさする。
「ツルツルで気持ちいい。今度は七月末。二十八日のいまごろ」
「ひと月後ですね。……ああ、気持ちいい」
 スカートをまくり、幼女の性器を見下ろす。
「かわいらしい。すぐしよう」
「はい、朝からグショグショです。こういう日の下着は、黒っぽいシミがついて洗濯がたいへん。最初から穿かないようにしてます」
 行為も会話もすべて架空だ。雅子はテーブルのティシュを引き抜いて手に握ると、畳に手を突き尻を向ける。愛らしい小陰唇がはみ出し、かすかにクリトリスの頭が見える。見ているうちにしっかり勃起した。しばらく架空の中に生きる決意をする。襞全体を舌で愛撫する。
「あ、あっという間にイッてしまいます、う、イク、イク! あああ、いま入れてください!」
 ズボンを下ろし、挿入する。
「すごい! ああ、気持ちいィィ! イクイクイク、イク!」
 往復する間もなく雅子はすぐに達し、激しい痙攣をする。熱い膣が芋虫のように蠢いて陰茎を間断なく締めつける。迫る。
「あ、イクんですね、ください、たくさんください! ああ、イクイク、イク! うううん、イク!」
 吐き出し、律動を終え、雅子が股間にティシュを当てると同時に引き抜く。ほとんど運動していないのでまったく疲れていない。雅子は短いあいだに疲労困憊している。息も絶えだえに、
「愛してます、死ぬほど愛してます―」
 私は感謝をこめて雅子の腰と尻をさする。やがて回復した雅子は、ティシュを大量につまみ、畳に飛んだ愛液と精液を拭う。それから私を風呂へ連れていき、全身を洗う。
「きょうはこれから何戦かしなくちゃ」
「がんばってくださいね。私は後片づけをしてから、買い出しです」
「詩織がきて、一戦交えたら、みんなでいこう」
「はい」
 詩織がもうすぐくるとわかっているので、雅子はきちんと服をつけた。私は全裸のままキッチンテーブルについた。コーヒーが出る。
「詩織さんにすぐしてあげるつもりでしょ?」
「そう。溜まってるはずだから」
 雅子が、
「何をがまんできても、これだけは無理ですものね」
 居間に移動して、十二時からベルトクイズQ&Qを観る。きょうから始まった番組のようだ。品のいい増田貴光の司会。出題の声は矢島正明。紅白一対の対戦者が十点ずつを賭け合って早押しクイズに答えるゲーム。
「賭け点どうぞ」
「十点」
「十点」
「巾着切りとは往来で人さまの懐中を掠め取る人のことですが、それでは板の間稼ぎとはどういう場所で」
 いち早く白の男性。
「銭湯!」
「そうです、正解です。では掛け点どうぞ」
「十点」
「十点」
「赤のかたもう少しリラックスしてどうぞ。では第二問」
「離婚した場合、女性はある期間を経過しないと再婚できないことになっています。さてその期間とは」
 いち早く白の男性。
「六カ月」
「正解です」
 持ち点三十点で、五人勝ち抜くか、百点に到達すれば百万円に挑戦するルールのようだ。くだらない。
 玄関に詩織のおとないの声がした。傘を畳む音がし、
「雨、すごいですよ」
 キッチンに入っていき、雅子と挨拶している。二人で居間にやってきて私の裸身を見て、
「わあ、天然!」
 私は立ち上がる。
「ほしい?」
「見ちゃったら、もうがまんできない。雅子さんはもうすましたんですか」
 雅子は笑ってうなずく。
「じゃ、すぐください」
 詩織は眼鏡を外し、スカートとパンティだけを脱いで下半身を曝した。私のものを含んで可能な状態にすると、
「前戯はいいですから、すぐ―」
 雅子の目の前で、テーブルに肘を突く。すぐに突き入れる。
「あ、気持ちいい! 神無月くん、すごく気持ちいい! う、イク! イク、イク! もう一回、はああ、イク! 好きよ、好きよ、神無月くん愛してる、ああん、イクウウ!」
 数度繰り返されるアクメの緊縛を心地よく思いながらも、射精の感覚が昇ってこないので抜き取り、後ろから抱き締め、硬直する裸の腹をさすってやる。これで二人の女が落ち着いた。雅子が、
「若い人のよがり声って色っぽいですね」
「そうかな。ぼくはみんないっしょに聞こえる」
 詩織が振り向き、私のものを清潔にする。
「詩織さん、きょうは泊まっていけるんでしょう?」
「はい……まだ、とっても気持ちいい」
 詩織は横坐りになってうつむいている。
「ゆっくり吉祥寺を散策しよう」
「お帰りはあしたの午前ですか」
「うん」
「詩織さん、お腹すいてるでしょう。そうめん作ります」
「ありがとう」 
 ようやく回復して下着とスカートをつけた詩織にそうめんが振舞われる。
「おいしいタレ。……きちんとイクのは、夜までお預け」
「これできちんとじゃないの?」
「もちろんしっかりイキましたけど、いつものように手順を踏んでしてもらったら、冗談でなく腰が抜けるほど強くイッてしまいますから、それに比べたら……」
「私はなんとか最後まで辛抱できますけど、菊田さんは、白目剥いて気を失っちゃうので最後のグングンはどうかしてほかの人に受けてもらわなくちゃって言ってます」
 野球とセックス。架空のできごと。いずれ霧になって消える。だから真剣に、微笑ましい気分で聴く。


         百八十六

「買い出しは一人でいってきますから、詩織さんと散歩してらっしゃい」
「そうする」
 コーヒーを一杯飲んでから、詩織と雨の吉祥寺を歩く。雅子は留守番。井の頭公園へのメイン出口の南口ではなく、繁華街の広がる北口を目指す。街が住宅地から商店街に変わる。腕を組んでいる詩織が、
「和子さん、お元気」
「うん。今度、食堂もやることになったから、とんでもなく張り切ってる。建築士と細かいところを詰めて、上ものを建てて、開店は八月に入ってから。素子と千佳子は七月中に運転免許を取る」
「みんな着々ですね。羨ましい」
「詩織はまだ学生なんだから仕方ないよ。だれでも本分を尽くすことが大事だ」
「はい」
「詩織は眼鏡をかけても、人形みたいにきれいだね」
「ありがとう。コンタクトが合わなくて、眼鏡に戻したんです。福田さんも菊田さんもとってもきれい。五十歳六十歳を越えているようにはぜんぜん見えない。神無月くんに遇ってから、年をとらなくなっちゃったのかもしれない」
「彼女たちは掛け値なしで若い。白目を剥くほど強くオーガズムを感じられるのは、ふつうの人の何倍も若い証拠だ」
「世間の奥さん連中が老けてるのは、それが足りないか、そうなれないせいだって、このごろ確信を持ってるの。イクとすごく若返りホルモンが出るんですって。生理的にイクこと以外に、興味を持って勉強することと、恋愛をすることと、睡眠をきちんととることでも同じことが起きるみたいです。神無月くん、ひさしぶりに法子さんも抱いてあげなさいよ。法子さん老けちゃいますよ。私、外でお茶を飲んでますから」
 詩織は私の腕にすがりながら、上機嫌にキョロキョロしている。北国から上って以来ずっと渋谷のあたり住んでいるせいで、遊びに出るといってもごちゃごちゃした新宿か池袋くらいしかない。ビルが密集していないこうした都会風景が新鮮なのだ。
 アーケード街のサンロードに入ると、いっそうキョロキョロと見回しはじめた。サンロードは雑然とした賑やかさと明るさのあふれる通りで、往来はいつも人でごった返している。歩いている人びとはみな若い。学校をサボっていると明らかにわかる中学生や高校生も目につく。詩織にはこの若やいだ光景がめずらしいのだ。
「吉祥寺って新宿や渋谷より落ち着いてるけど、それでもやっぱり賑やかなんですね」
「お上りさんみたいなこと言うね」
「実際お上りさんですから。便利そうな街。なんでもここですませられそう」
「賑やかで便利がいい?」
「そりゃ―」
「人が少なくて、不便さが少しはないと好きになれないな。ヨイショと生きられなくなる」
 園山勢子にしゃべったようなことを言う。
「何にヨイショと生きるの?」
「何でも。孤独と不便さに親しみ、その中でヨイショと生きる充実感が大切だ」
 詩織は微笑したが、どこか不満そうだった。喧騒と便利さへの信仰を否定されたからだろう。私は往来の真ん中で詩織の胸をつかんだ。
「キャ! やだ、神無月くんたら。信じられないことする」
「喧騒と不便さの中での充実感。一瞬楽しい感じがしなかった?」
「しました。でも、みんなに見られて、楽しくないわ」
「だれも見てないと思えばいい。現実に彼らは見てないんだ。ぼくにも気づいてない」
「ほんとだ、日本一有名な人にだれも気づかない」
「極端なスタンドプレーさえしなければ、人はめったに気づかないものだよ。自分のそばを通りすぎる人をきちんと見ていないからだね。だめだよ、蚊帳の中の賑やかさや便利さにあこがれちゃ。蚊帳の外にいたってちっともさびしくないし、中にいたってちっとも自由じゃない。楽しさというのは、自分の安心する環境で充実して暮らすことだ」
「はい……」
 サンロードを抜けると、賑やかな雰囲気はとたんに失せる。五日市街道を越えたあたりからは、もうまったくの住宅街だ。アーケードから数百メートルしか離れていないのが信じられない静けさだ。
「御殿山とそっくり」
「むかしからの家が多くて、集合住宅の建設ラッシュが押し寄せてこないんだね。アーケードの店も古そうなのが多かったし、あまり人や店舗の入れ替わりの激しい街じゃないんじゃない」
「そんなふうなこと聞いた覚えがある。お店もほとんど変わらないって」
 サンロードを戻っていく。途中の郵便局を左折し、法子のマンションに向かう。詩織が、
「ふうん、法子さんこんなすてきなところに住んでるのね」
「御殿山に近いところにと思って、武蔵境からあわてて越してきたんだ。うまい具合に掘り出し物があったらしくて、即決したようだ。御殿山からは少し遠いところになっちゃった。ふうん、このあたりはほとんどマンションだな。道の狭い、固い雰囲気の町並だ。いいね」
 道を渡って、吉祥寺図書館のほうへ。
「ここ、コーポ矢島。三階の五号室。角部屋だ」
「いいところ! 目の前に図書館もあるし、神泉よりいい環境」
「神泉にはしばらくいってないな」
「暇を作るのがたいへんなお仕事に就いちゃったんだもの、仕方ないわ。いいの、私ぜんぜん気にしてないから。法子さんだって、めったに逢えないんでしょう? じゃ、私、そこいらへんの喫茶店で時間潰してます」
「いっしょにいこうよ。せっかくきたんだし」
 詩織はうれしそうにうなずき、
「いいんですか!」
「充実し合う人数は多いほどいい」
 ブザーを押すと、パタパタとスリッパの音がして、ドアが開いた。
「わあ! 神無月くん! 詩織さんも! 入って、入って」
 スリッパを二対揃える。
「すてきなお部屋。キッチンが広い! 六畳の和室に、十畳の洋間。ふうん、きれいに整頓してありますね」
「そう? ほったらかしてるだけよ。埃はたかってないわよ」
 詩織が、
「清潔に保って、ほったらかし。いいですね。整理整頓だけが楽しみなんて生活、いやですよね」
「そうね。いまコーヒーいれるわ。雅子さんはお留守番?」
「そう。掃除、洗濯、買出し。四時過ぎに菊田さんがくるよ」
「ごめんなさい、この二週間、御殿山に顔を出してなかったから」
「法子の領域じゃないよ。酔族館のほうはどう?」
「繁盛してます。あと半年がんばって店仕舞い。高いお値段で売れそうよ。ウワモノも内装も人材も居抜きでご進呈。買い手は決まってるの。銀座の高級クラブの女性オーナー。気が早くて、もう三人も見習いの女の子を送りこんでるわ。この一年で客層が変わっちゃって、有名人が押しかけるようになって、そういうの性格に合わないから少し気が滅入ってたの。神無月くんに逢えて気分転換できる」
 一人ひとりちがった器でコーヒーを出す。
「どうしよう。神無月くんを見てたら濡れてきちゃった。神無月くん、すぐ抱いてくれる? 四カ月近くしてないから、神無月くんとセックスする気持ちよさをすっかり忘れちゃった。詩織さんはもうすませたの」
「はい、つい、さっき」
 詩織がぺろりと舌を出す。
「でも、し足りないでしょう? いっしょにしましょう。積もる話はそのあと。ベッドは気取ってていや。六畳にお蒲団敷きましょ。机と本の部屋だから少し狭いけど、雰囲気が出るわ」
 法子と詩織は顔を見合わせてクスクス笑う。法子はコーヒーに口をつけるのもそこそこに、服を脱ぎ落として全裸になった。私たち二人も倣った。詩織が、
「私、オシッコしてきます」
 法子は六畳に駆けこみ、押入から蒲団を引っ張り出すと、机の脇にみっしり二枚の蒲団を敷いた。私は法子の尻をさすった。法子は一瞬動きを止めてうなだれた。振り向いて私を押し倒して咥える。トイレから戻った詩織は私の顔に跨って花びらを広げる。三人ともためらいがない。数秒で詩織の気をやらせて脇へどけ、法子を騎乗位で挿入させる。
「あああ、ひさしぶり、神無月くん、信じられないくらい気持ちいい! うん、うん、イクイクイク、イク! ああ、愛してる、愛してる、イクイク、イク! もっともっと、うんん、イクイク、イクウ! はああ、イッちゃう、イッちゃう、イクウウ! 好き好き好き、イグ!」
 飛んで離れた。
「詩織、おいで!」
「はい!」
 私に覆いかぶさり、口づけをしながら、膣口だけで亀頭を探り当て、深く挿し入れる。
「大きい、あああ、神無月くん、気持ちいい、愛してるわ、死ぬほど好きよ、あああ、イク、だめだめ」
 陰阜を激しく動かしながら、
「まだイカない、まだまだ、あ、だめ、あああ、強くイッちゃう、イッちゃう、だめ、だめ、だめえ、あああ、好き好き、あ、イク、イッちゃう、イッちゃう、愛してる、イックウウ!」
 飛び離れた。法子が覆いかぶさってきて、詩織と同じように膣口でしっかり咥えこんで腰を落としたとたん、
「う、郷さん、イク!」
 ひと声呻いて連続のアクメに入った。
「あ、またイク、郷さん! イクイク、イク! うう、イク! わわ、ふくらんだ、もうだめ、ふくらんだらだめ、気失っちゃう、郷さん出して出して、いっしょに、いっ……ううう、だめえ、イックウウ!」
 ガクリとからだを預けてきた法子の豊満な上半身を抱きしめながらドッと放出する。瞬間、法子はみずから離れて脇へ転げたので、いき場を失った精液が私のあごに向かって飛んだ。二筋、三筋、斜めに飛ぶ。法子と詩織はそのことに気づかないで、ひたすら思い思いの痙攣に身をまかせている。枕もとにティシュが見当たらない。二人とも焦って、一刻も早くオーガズムに浸りたかったのだ。私はおそらく性機能が単純にできていて、そこまでの快感を求めることがないので、そんな求心的な気分になることはまずない。でも、そういう情熱を一度でも持ちたいと思った。
 欲望の退いた二人で私のからだを拭き、交互に私のものを舐めて清潔にすると、詩織は法子の用意した新しい下着を穿かせた。法子は濡れそぼったシーツを新しいシーツに敷き直す。腕をたがいに触り合いながら横たわる。詩織が、
「ごちそうさま、神無月くん。どんなごちそうよりもおいしかった。法子さん、だいじょうぶ? 完全におかしくなってたわよ」
「ごめんね。プーッとふくらんで、グンておツユを出されると、いつのころからか気が遠くなるようになってしまって。気を戻したあとは、からだがいつまでもジーンと痺れてて、天にも上る気持ちなんだけど。菊田さんも同じことを言ってたわ」
「みんなが危ないときに受けてあげてるうちに、どんどん敏感になっちゃったのね。でもいいことよ。神無月くんはそういうイキ方をうれしがるわ」
 私は部屋の様子を確認した。三方の壁の二面が書棚で埋まっている。残る一面には大きな机が置いてあるので、自由に動き回れるスペースは二畳もない。その書棚に本がぎっしり詰まっている。詩織がしみじみ見ている。
「法子さん読書家ね。哲学書まで……」
「神無月くんのすてきな詩を読むために、せっせと読みはじめたの。活字って、すごい世界ね。現実的じゃないけど、人間のあるべき姿を誠実に書いてくれてる。このごろは神無月くんの心の世界が少しわかるようになったわ。まだほとんど謎だけど。……きっとそのせいね。お店にどんな有名人がきても、ヘッ、という気持ちになっちゃう。みんなお金があることを自慢したい人たちばっかり。神無月くんのような深々とした心がないの。ほう、なかなか、と思えるところがちっともないの。お話してると、心が乾涸びていくようよ」
「たとえばどんな人がきたの?」
「南小路欣右衛門。黒マスクして、サングラスかけて、南小路だ、顔見たいか、って」
「殴ってやりたいですね」
「だれも見たいと言わないものだから、自分でマスクと眼鏡を外して、どうだ、いい男だろう、金も力もある色男だぞって言うの。小さいからだで、チンケなやつ。ああいう人たちは銀座のママさんにおまかせするのがいちばんいいわ。名古屋に戻ったら、お金持ちでないお客さんを楽しませてあげるようなお店にするの」
 詩織が、
「応援するわ。和子さんもそうだけど、名古屋でお店を出すなんて、神無月くんのそばにずっといるいちばんいい方法ね。私もやっと人生の最終目標がはっきりしたの。大学出たら、中日ドラゴンズの広報部の試験を受けて、ウグイス嬢を目指すことにしたんです。もうこの目標は変わらないわ」
「わあ、いい考えね!」
「ほんとにいい考えだ。ぜひ実現に力を貸すよ」
 法子が、
「みんな、目標は一つね。あとは、神無月くんの子供を産むか、産まないかがサブ目標」
「私は産みませんけど、神無月くんの恋人たちは大奥みたいなものでしょう? 子供は何人いてもおかしくないわ」
「産む産まないは女の心しだいよ。神無月くんの心を煩わせることはないわ。もともと子供というのは父親の跡を継がせるものでしょうけど、神無月くんの何を継ぐのかしら。まさか、お金じゃないでしょう。家系や身分でもないわね。偉大な神無月くんから受け継げるものなんか何もない。じゃ、産まないとなると、女としてのさびしさが残るわ。結局、妊娠は成り行きまかせということでいいんじゃないかしら。できちゃったら、神無月くんとの愛の証として育てるということね。私は最初からそのつもりなの。神無月くんの人生をまねさせるなんて無理。かわいらしい子を、神無月くんだと思って育てる、それだけ」


         百八十七

「法子さん、きょう、お仕事は?」
「私はママだから八時出なんだけど、週に一回ミーティングがあるときや不定期に面接のあるときは、五時に出ることになってるの。男子スタッフは四時から入って、いろいろな準備。女子スタッフは五時に入って、いろいろな準備。六時開店、十一時半閉店。チーフが信頼できる人だから、経理の心配をしないですんでるわ。チーフは新しい店でも重宝されるでしょう」
 私は、
「ミカジメはどうなってるの。名古屋に戻ったら、松葉会の人たちが守ってくれることになってるから心配ないけど」
「住吉会さんに最初五万円払いました。和子さんから電話がかかってきたとき、そのことを訊かれて、五万円払ったという話をしたら、なんとかしてあげると言ってくれて」
「牧原さんを頼ったんだな。五万円は大きい」
「詳しいことはよくわからないんだけど、ほんとに次からいっさい取らなくなって、最初の五万円も返して寄こしたの。すぐに和子さんにお礼の電話をしたら、熱田の松葉会さんに連絡をして、そこの組長さんに荻窪の住吉会事務所に話を通してもらったということでした。和子さんが言うには、松葉会さんと住吉会さんは親戚関係にあるんですって」
「家の仕事柄、カズちゃんはをそういうことをよく知ってるんだろうね。来年の内田橋の開店も、心配いらないと組長さんに保証してもらった」
「ほんとにありがとう、神無月くん」
「北村席のお父さんに聞いたことがあるけど、銀座のバーやクラブは、ふつう三万円から五万円、一般の水商売の店は二万円払うんだってね。ミカジメはテキヤ系暴力団の最大の資金源だから、取立てがきびしいんだ。北村席の経営する店のような大きな風俗店は、売り上げの一パーセント程度を納めるのがしきたりなんだけど、松葉会が受け取ろうとしないので、月に三十万くらい払って、ほかにときどきツケ届けもしてる。松葉会は全国の球場やホテルにぼくのガードマンも派遣してるんだ。無料でね。すべて組長の牧原さんがぼくを気に入ってやってることだ」
 法子が、
「寺田くんの見舞いのご恩返しでしょう」
「そう。なんて義理堅いんだろうね」
 詩織が、
「そういう話って、宝石みたいに非現実的。任俠の世界ね。一般の人はぜったい信じないし、認めない」
「だから、マスコミに知られないようにみんなで努力してる。いちばん努力してるのが牧原さんと康男だ」
 法子が、
「警察には私たちを守る力がないので、ヤクザという集団が警察の代理人みたいにして出てきたのよ。警察は守ってくれないどころか、庶民いじめが得意だから」
「ほんもののヤクザは、清水の次郎長や国定忠治ですね」
「ええ、そう。むかしの人は進んでお礼をしたので、ヤクザは生きていけたの。でも最近の人たちはお礼をなかなかしたがらないから、ちょっと強引に見えても出張して集めるようになったんです。そういう生計の立て方に何の問題もないはずですけど、あくどく見えるんでしょうね。荻窪の駅前の人たちもみんな、いくばくかのお金を払ってますよ。お客さんが暴れたりしたら、警察は何の役にも立たないもの。私は神無月くんの話から、ヤクザがそういう人たちだって知ったの」
「目からウロコ。ぜんぜん怖い人たちじゃないってことですね」
「でも、最近はお金ほしさに政治家みたいな悪さをするヤクザも多くなってきたから、みんながみんないいヤクザというわけじゃないのよ。老舗のヤクザはまずだいじょうぶ。彼らが切った張ったをするのは、義理人情に欠けた人たちがターゲット。相手は同じヤクザ仲間が多いわね。マスコミや政治家をターゲットにすることもあるみたい」
 詩織が、
「法子さん、詳しいんですね」
「名古屋の飲み屋街でスナックの手伝いをしてたとき、地元のヤクザをたくさん見たわ。義俠の世界に詳しくなったのはそのせいよ。ほんもののヤクザでなくても、場所が場所だから、ヤクザ気質の人もたくさん見た。私が最初に恋した神無月くんもそういう気質の人よ。……長くそういう気質の人たちを見てきて、そこへ、ひょいと神無月くんが現れた。ヤクザそのものだった。ヤクザってこういう人なのよ。松葉会の人たちが気に入るのもあたりまえ。神無月くんがそういう人たちに守られてるのは、とてもうれしいし、神無月くんも周りの私たちも、この先安泰だなって思う。彼らは全力で危険から守ってくれるから。私たちのことはどうでもいいの。危険になることなんかまずないわ。神無月くんが守られてることが大事よ」
「でも、平凡な人たちには知られちゃいけないんですよね」
「そう。ヤクザ的な人間がこの世には必要だということをぜんぜん理解できないから。私たちのちょっとした言葉や行動が、事態を悪化させないように気をつけなくちゃいけないの。神無月くんがふつうの気質の人間だったら、私たちは生きていけないわ。何もかも引き受けるヤクザだから、こうやって生きていられるの。詩織さんがヤクザを怖くないって思ったのは、もともと神無月くんを怖がってなかったからよ」
「最初に教室で神無月くんの横顔を見ていたとき、ほんとに、ものごとに動じない静かな雰囲気がしたの。それでいて命懸けで生きている感じがしたんです。それって、ヤクザの本質だったんですね」
         †
 御殿山に戻り、一時間ほど四人で談笑する。法子はそのまま店に出るためのドレス姿だ。トシさんは少しでも仕事をしておくと言って、四時過ぎに電話をかけてきた。
「十時ごろにいきます。今度逢えるのはたぶん、四カ月先の十月ですから……きょうどうしてもお顔を見ておきたい」
 四人で井の頭通りの黒ねこへいく。去年の十一月に素子と、それから師走に法子一家と訪れた店だ。地下へつづく短い階段を降りて、古民家ふうの黒格子の戸を入る。靴を脱いで赤絨毯に上がる。寄ってきた白ワイシャツに黒ズボン、黒蝶タイの男に、飛びこみだけど、と断ると、たちまちカウンター席がざわめいた。
「ウソだろ、神無月だぜ!」
「なはずないだろ」
「ほんものだって!」
 黒服が、
「あの……神無月選手ですか?」
「はい」
 カウンター席の給仕をしていたもう一人の男子店員が、パッと明るい表情になって奥へ走り、主任格の風采の男を連れて出てきた。赤いネクタイをし、黒いスーツに身を固めている。
「いらっしゃいませ! 吉祥寺にお住まいとは伺っておりましたが、ついにご来店いただけました。光栄です!」
「去年の十一月と師走に伺ってるんですよ。入団前でしたが」
「それは何のお気遣いもせずに、失礼をいたしました。お気を悪くなさらずに、今後ともご贔屓のほどを」
「そういうことじゃなく、この店のうまさをよく知ってるという意味です。自慢の季節料理をお願いします」
「承知しました。私、店長の××と申します。さっそく不躾なお願いをして恐縮ですが、のちほど色紙にサインをいただけますでしょうか」
「いいですよ」
「ありがとうございます。どうぞこちらへ。お部屋にご案内いたします」
 カウンターの客が意味もなく握手を求めてくる。一人ひとりしっかり握る。
「感激ィ!」
「硬ェ!」
 女性客は真っ赤になって手を握りながらうつむく。
「大ファンです―」
 ふるえている。黒服たちも次々と握手した。黒スーツ姿の店長は、スカートに前掛をしたあの不思議な身なりの仲居二人を同行して個室へ案内した。神無月と聞いて、個室の戸を開けて首を伸ばす客もいる。赤い絨毯の廊下を歩いて、黒ずくめの調度で整えた明るすぎない照明の洋室に入る。この店に和室はない。仲居が茶をいれた。詩織が、
「赤と黒!」
 雅子が、
「こんな店があったなんて知りませんでした」
 法子が、
「吉祥寺でいちばんの高級割烹店よ。おかあさんが酔族館の売買手続に上京したとき、神無月くんに連れてきてもらったの」
 私はしゃちこばってテーブルの傍らに立っている男に尋く。
「そのときはクエ鍋を食べたけど、いまはその季節じゃないよね」
「はい、この季節のお魚は、鰹と鰻でございます」
 四人を見回しながら言う。
「まかせます。適当に持ってきてください」
「はい。お飲み物は?」
「生ビールの中ジョッキを四つ」
「かしこまりました」
 生ビールがすぐに出てきたので、乾杯。
 それから一時間余り、ひたすら食い、ときどきジョッキを傾けて、しゃべり合った。鰻の蒲焼、鰹・ウニ・イカの刺身盛り合わせ、季節野菜のカラスミバター焼き、季節野菜の揚げ浸し、ぼたん鍋、雑炊、へぎ蕎麦、桃と枇杷。たらふく食った。
「ごちそうさまでした。こんなごちそう、生まれて初めて。吉祥寺を見直しました」
 雅子が私に言う。詩織も、
「ほんとにおいしかった。渋谷や新宿では、こういう料理は食べられないわ。猪なんて初めて食べました」
「ぼくも」
「淡白な味で驚きました」
 法子が、
「私は二度目。精が強いから、からだがほてってくるわよ。きょうは仕事でよかった。動き回って発散することにするわ」
 雅子が、
「……今夜はたいへんそう。だいじょうぶかしら、詩織さん……」
「若いですから平気です。まかせてください。でも、ここお値段がすごそう」
 法子が、
「これだけおいしければ、いくらだろうと文句はつけられないわね」
「へぎ蕎麦、うまかったね。へぎって何?」
 詩織が、
「木枠で作った四角い容れもののことを〈へぎ〉というの。蕎麦のつなぎは小麦粉じゃなくフノリ。だから少しヌルヌルしてる。口あたりと喉越しがすばらしいんです。関東の盛りつけとちがうところは、漬物やキンピラゴボウがたくさん添えられるところかしら。新潟名物のお蕎麦です」
 色紙を持った店長が白髪の板場頭を連れてやってきた。
「料理長の××でございます。腕をふるわせていただきました」
「グウの音も出ないほどの絶品でした。あなたの技を伝えていけば、この店は二代、三代とつづくでしょうね」
「ありがとうございます。そのお言葉を励みに精進いたします。神無月選手にお会いできるなんて考えもしませんでした。……あの、小学校二年生の孫が大ファンでして、できれば私とツーショットを。孫の自慢の種にしてやりたいので」
 店長がすでにカメラを構えている。
「わかりました」
 私は立ち上がり、料理長に並びかけて肩を抱えた。パチリ。
「ありがとうございます。鳥肌が立ちました。感謝します」
 店長が敬礼しながら色紙とペンを差し出した。二枚ある。一枚には黒ねこさんへ、もう一枚には、
「これは料理長のお子さんにですね」
「はい、一馬、とお願いします。一の馬。天馬と呼ばれる神無月さんの馬と一字重なってるせいで、熱狂的なファンになったようです」
 一馬くんへ、と書いた。私は法子を手で示し、
「こちら、荻窪の酔族館のママさん」
「はあ! どうりで見覚えがあるように感じていました。文春のグラビアで拝見しましたので。実物のほうがずっとおきれいですね」
「折があったら飲みにいってあげてください」
「喜んで。敷居の高いお店だと思っておりましたから、どうも足が向きませんでした。清水の舞台から飛び降りたつもりで参ります」
「そんなに高くないんですよ。安心してみなさんで飲みにきてください」
「かならず参ります。スポーツ選手は精をおつけにならなければいけません。今度いらっしゃったら、深海魚のアブラボウズの煮つけをお出しいたしましょう」
「よろしく」
 法子は、
「こちら、東大野球部のマネージャーをしていた上野詩織さん。去年の優勝の縁の下の力持ち。この人も週刊誌で見たことがあるはずよ。卒業したら、中日球場のウグイス嬢になる人だから、よく顔を覚えておいてくださいね。それから、こちらは私の友人で、荻窪の不動産屋さんに勤めてる福田さん」
「神無月さんの吉祥寺のお家を管理していて、神無月さんが東京に帰ってきたときには身の回りのお世話をしてます。よろしくお見知りおきを」
「は!」
 二人同時に頭を下げた。レジで二万一千円払った。



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