六章 宮中学校





         一

 朝食のあと、母は小皿にマスクメロンを一切れ載せた。大分の荒田さんが送ってきたのだと言う。かぶりつくと、甘くてみずみずしかった。福原さんの家で一度だけ食べたことがあった。
「きょうは忙しくて、出られないからね」
 そのほうが私はうれしい。子供にとっていちばんありがたいのは放っておかれることだけれど、親がそう心得ているとはかぎらない。いつまでも忙しくしていてほしい。
「卒業式だぜ、おばさん。きょうぐらいいってやれよ。めしのことなんか心配しないでいいよ。そんなものどうにでもなるんだから」
 小山田さんの反っ歯のあいだからテーブルに飯粒が飛んだ。
「そうですよ、卒業式くらいはね。子を持つ者の義務じゃないですか。昼めしなんか外ですませますよ」
 めずらしく原田さんが小山田さんの肩を持った。いつも彼がおとなしく食卓にいたことを忘れていた。スカウトの件以来、彼は小さくなっていた。
「いいんです。私がいないほうが、この子もかえって気楽でしょ。それに、着ていくものがありませんよ」
「衣装くらべじゃないんだから、何を着ていこうとかまわないよ」
 吉冨さんが母の横顔を睨んだ。
「それをうるさく問題にする人が多いから、いきたくないんですよ」
 みんな口をあんぐり開けて黙ってしまった。
 寒の内から春先のように暖かい日がつづいている。路のそこかしこに草の花が咲き、その花のあいだにツクシが見え隠れしている。きょうにかぎって六年生だけ、分団ではなく自由登校になる。
 途中でいき合ったリサちゃんのズボンにアイロンの線がピンと入っていた。母親といっしょに歩いていたので、挨拶だけして通り過ぎた。大股に歩いて校門を入った。錆びたバックネットを眺める。この校庭を歩くのもきょうで最後かと思うと、少しさびしい気がする。康男が寄ってきて、
「見ろ、うじゃうじゃおるわ」
 康男が校庭にたむろしている親子を顎で指した。このあいだ桑子が社会科の授業で言っていた。
「昭和二十一年以降に生まれた子供のことをベビーブーマーという。とくにおまえたち二十四年生まれの子供は、二百七十万人もおってな、この記録はもう破られんと言われとる」
 そのとき鬼頭倫子が、
「ベビーブーマーが子供を産む年になったら、記録は破られるんじゃないですか」
 と言うと、桑子は教卓に手をついて考えこみ、
「理屈からするとたしかにそうなるが、経済の問題、社会的風潮の問題、恋愛とか家族愛などという人間の気質の問題……そういったものがいろいろと関係してくるんだ。俺は破られないと思う」
 自信のなさそうな声で言った。
 千年小学校には、六年生までぜんぶ合わせると、千人あまりの生徒がいる。その中から卒業生二百二十人と、送別委員に選ばれた五年生十人が講堂に集まった。開式の辞を桑子がものものしい声で読み上げた。太く静かな声。あごの剃り跡が目に涼しい。これまで何度か卒業式の予行演習をしてきたけれど、この声を聞くたびに、自分たちの担任が千年小学校の代表なのだと誇らしい気分になった。後部席の一部と左右の壁際に三百人以上の父兄が控えている。
 教頭先生の祝辞。オルガンが鳴り響く。君が代斉唱。蛍の光。卒業証書の授与。校長先生が壇上に昇ってくる一人一人と握手をする。五年生代表の送辞。生徒会長の井上が六年生代表で答辞を読み上げる。父兄たちが目にハンカチを当てている。
 校歌『鶴の翼』斉唱。歌い終わったとたんに、『仰げば尊し』の伴奏が流れる。姿勢を正して並んだ仲間たちが、思い入れたっぷりに大声で歌いだす。涙を流している女子までいる。高橋弓子もその一人だ。康男は腕組みしたまま、苦虫をつぶしたような表情で目をつぶっていた。教頭先生の修礼の言葉。閉式の辞。これも桑子が読み上げた。朝から始まった長々しい卒業式がようやく終わった。
「それではみなさん、担任の先生方の指示にしたがって、白鳥(しらとり)町の宮(みや)中へ向かってください」
 井上が張り切った声で言う。後部扉がぜんぶ開け放され、光が流れこんできた。その光に惹かれて、ぞろぞろと人の波が動きはじめた。式場に入ったときにはきちんと列を正していた仲間たちが、卒業証書を収めた筒を手に校庭にばらばらと散っていく。
 きょうは給食がない。このまま中学校の見学に繰り出す。父兄は見学にも入学式にも参加しないという恒例にならって、さっさと帰宅してしまったので、運動会みたいな親子の食事風景は見られない。ほとんどの子が昼めしを食べないで、中学校への行進に備える。バックネットのあたりを私が名残惜しげに歩き回っていたら、康男が近づいてきて、ジャムパンを半分に割って差し出した。
「ありがとう」
 さっそくむしゃむしゃやる。守随くんと鬼頭倫子が寄ってきた。
「宮中は遠いで。こっからだと、三十分はかかる」
「私は船方だから、千年小より宮中のほうが近いの」
 康男がパンを噛みながら、まぶしそうに二人を見ている。守随くんや鬼頭倫子は中学へいってもきっと秀才なんだろう。
 行進開始。正門に下級生担任の先生たちが並び、別れの拍手をする。校長先生と教頭先生は列の端で見守っている。一組から五組まで、クラスごとに二列になって進んでいく。
 平畑の通りへ曲がると、先生たちも門もようやく見えなくなった。二百人の生徒の声が道いっぱいにあふれる。どの声も楽しそうだ。クラスの列に高橋弓子はいない。卒業式のあとで家に帰ってしまった。杉山啓子が列の真中をおとなしく歩いている。白い顔が明るい陽射しの下でとてもきれいだ。高い鼻が、きょうにかぎって気にならない。
 熱田区の小学生は、半分は堀川の西の日比野中学校へ、半分は堀川の東、熱田神宮のすぐそばにある宮中学校へ進学することになっている。桑子の話だと、日比野中も宮中も、むかしは一学年が五百人もいたマンモス中学校だったそうだけれども、三年前の伊勢湾台風を境に生徒数をいくつかの学区へ均(なら)したせいで、千年小学校の生徒は日比野中ではなく宮中に通うことになったということだった。それでも本人の希望で、どちらの中学校へ進んでもいいことになっている。
 桜の季節だ。私は椙子叔母が仕立ててくれた、胸にペン差しとフラップがついたワイシャツに、カシミヤドスキンの学生服を着た。岡本所長からお祝いにもらったパイロットの万年筆をワイシャツの胸に差した。
 今朝早く所長は、私の部屋ではなく、縁側から母の六畳を覗いて、進学祝いの万年筆を彼女に手渡した。すぐに母は板襖を開けて三畳の部屋にやってきて、
「ちゃんとお礼を言ってきなさい」
 と命令した。私に渡してくれれば面倒はなかったのに、所長はすでに事務所に戻っていた。私はすぐに事務所までいって、
「ありがとうございました」
 と言いながら、深くお辞儀をした。所長は血色のいい顔にいつもの冷ややかな笑いを浮かべ、
「しっかり勉強して、旭丘か明和に入って、将来はかならず東大にいきなさい。お母さんが喜ぶよ。私の息子も東京の日比谷高校というところに通っている。東大に百人以上も受からす高校だ。若いうちぐらいは名門に属してないと、ただの人になっちゃうからね」
 と言った。気軽そうに語りかけるなかに、何か尊大なものが感じられた。その表情からすると、旭丘や東大は、人生を変えてしまうほどの神通力があるようだった。
 カシミヤドスキンなるものの正体が何であるか、それが母の自慢するようないい生地なのかどうか、そんなことはいっさいわからなかったけれども、たしかにほかの生徒のものと比べて高級そうなツヤが、生地の奥にどんより沈んでいるように見えた。神宮前の学生服専門店でこの服を買うとき、
「てらてら光ってる服は、たいがい安物なんだよ」
 母は店先で私に向かって盛んにそんなことを言っていた。たぶん、彼女の選んだ学生服はその店でいちばん高いものか、少なくともいちばん高い部類に入るものなのだろう。横浜にいたころから、母がものを買うときは、その品の質を確かめたうえではないようだった。けちなくせに、高いという理由だけで、よけい手に入れたくなるのだ。彼女がものを買うときの基準はいつも値段本位で、高ければ高いほど理屈抜きにその品物が洗練されているように思いこみ、そのくせ洗練の具合などを見分ける力などないのだった。このあいだあつらえた入れ歯にしてもそうだ。
「二十万もするんだよ。死ぬまでもつね、この入れ歯は」
 歯をニッと剥いて見せる。高ければ質がいいにちがいないと思いこんでいる。もちろん母はけっして浪費家ではない。それどころか、いつも金遣いには露骨な慎重さを発揮する。康男はいつか母のことをシブチンと言ったけれども、それは当たっていて、彼女にとって、金というものは評判の高いものを買うためのもので、それ以外の何ものでもない。人の機嫌をとったり、くれてやったりする金は、むだ金と呼んでいる。母は金の有効な使い方を知らない息子の無能を心配して(康男にしてみれば、そういう考え方こそ、金の持つほんとうの意味を知らない無能なのだけれど)、私に金を与える気などまったくない。私にとって、金にまつわる母の生活も、そんなふうに生きている彼女自身も、このごろではまったく関心の外になった。


         二
 
 桑子の大声が行列の前になったり、後ろになったりする。一人ひとりの生徒に別れの言葉をかけているのだ。
「美術部にでも入って、しっかり絵を描け。無理して勉強なんかするんじゃない」
 桑子が最初に声をかけたのは横井くんだった。横井くんは薄ぼんやりした視線を桑子の青い髭に当て、何を励まされているのかよくわからないような表情をした。
 守随くんに近づいていく。
「おまえはオッチョコチョイだから、気をつけないと車に跳ねられるぞ。得意の勉強にしても、いつまでも塾に頼ってられないから、自分なりに根をつめてやることを覚えないとな。油断していたらほかの生徒に抜かれるぞ」
 守随くんはニヤニヤしていた。そして桑子が列の先にいってしまうと、舌を丸めて道の肩に唾を飛ばした。次は、往復ビンタを食らわした木下だった。
「いつも斜に構えていると、おいてけぼりにされちまうぞ。もっと気持ちをゆったりさせて、人と仲良くするように心がけろ」
 木下は感激した様子で、はい、と激しくうなずいた。あんなに反抗していたのに、木下は桑子が好きだったんだな。
「キュリー夫人、おまえは、このままでいい。ふつうにやっていれば、中学でもすぐ一番になれる。からだが丈夫じゃないんだから、クラブをやるとしたら文系がいいな」
 これは鬼頭倫子だ。キュリー夫人という呼び名は初めて耳にした。そういえばそんな感じがしないでもない。彼女は心得たふうにやさしく笑いながら、鶏みたいに首を突き出して歩いている。青木くんの家で私の額をさすったときの思いつめたような表情はかけらもなかった。私の番になった。
「短気起こして喧嘩なんかするなよ。おまえは寺田じゃないんだからな」
 桑子が私にかけた言葉はそれだけだった。野球のことも勉強のことも言わなかった。私は拍子抜けがして、隣を歩いている康男の顔を見た。
「野球のアルバムは、もらえないんですか」
「あれは俺だけの宝物だ」
 康男の番だった。しかし桑子は、康男に声もかけずに、別の生徒のほうへずんずん歩いていった。
「……何も言わないんだね」
 私はびっくりして桑子の背中を見つめた。
「ええがや。桑キンタン、あれでけっこう俺に気ィ使ってるんだが。おまえは寺田じゃない、か」
「ちょっとひどいよね。あんな言い方だと、ぼくも康男も、しょっちゅう喧嘩してるみたいじゃないか」
「ふん、よう見とるわ、桑子は」
 最後に桑子は、あの内気な鉛筆女の錦律子に寄っていった。桑子のしゃべりかける声は聞こえてこなかった。それから彼はクラスの先頭を悠々と歩いていて、もう列に戻ってくる気配はなかった。
 この冬に造り直したばかりの大瀬子橋の歩道を渡る。歩道の幅が少し広がり、欄干が頑丈になっている。真新しい厚板が生徒たちの重みでみしみし鳴った。車が通るたびにアスファルトの車道に白い埃が舞い上がる。両岸にコンクリートの堤がつづいている。まばらに植えられたソメイヨシノに縁取られた川面をじっと見つめていると、水ではなく橋が流れていくように見えた。長い筏を曳いた船が波を立てて下ってくる。横波を受けて、護岸にへばりついている泡まみれの塵芥(ゴミ)が揺れた。筏を追うように一艘のダルマ船が七里の渡しへ向かって下っていく。
「クセェな」
「あのポコポコ上がってくるの、メタンガスやで」 
「あ、浣腸サック!」
「浣腸サックでにゃあが。衛生サックだが!」
 叫んだ生徒の頭を桑子が叩いた。みんなの笑い声が上がった。その白いふわふわした物体は、ほとんど毎日どこからか流れてきて、大瀬子橋を渡るときにかならず目についた。
「衛生サックって、なに?」
 康男に尋くと、笑うだけで相手にしてくれない。私はもう一度川面を眺め下ろし、そのゆらゆら浮かんでいる薄っぺらいゴムの袋を見つめた。
 木之免(きのめ)町から白鳥町に入る。国道一号線の向こうに神宮の森が見えてきた。もう三十分は歩いた。康男が、
「こんなに遠いと、金がかかるで」
「東海橋からだとバス通になるね。歩いたら一時間はかかるから」
「ニセ定期作ったる。本物と変わらんように作れるでよ。神無月にも作り方教えたるわ」
「ぼくはいいよ。バスに乗らないから」
 一号線を渡って細い道へ入りこんだとたん、また堀川に突き当たった。向こう岸に小屋掛けした製材所が立ち並んでいる。小屋の中に、上がったり下がったりするノコギリが見える。インク色の水の上にびっしり材木が浮かんでいる。
「水に浸かった木は腐らないのかな」
 私の呟きに岩間が、
「水や泥に浸かった材木は、無菌状態になって腐らんのや。アク抜きにもなる」
 と得意げに答えた。柳が立ち並ぶ川べりの道は、片側町になっていて、その中ほどに木造の二階建て校舎がそびえていた。校舎の塀から咲き揃った桜が道にせり出している。
「行進やめ!」
 桑子の号令が上がった。各クラスにも停止命令がかかる。
「これが宮中だ。三階建て校舎は上級生用で、おまえたちは平屋の校舎に入ることになっとる。東に熱田神宮、北に白鳥公園。いい環境だろ」
「堀川がくっせえが」
 木下の声に鬼頭倫子が明るく応えた。
「気のせいよ。ここは筏置き場だから、におわないのよ」
 桑子は、ウン、とうなずき、
「卒業式は熱田神宮の文化殿でやるんだそうだ。白鳥山には、俳句の松尾芭蕉もきたことがある」
「なにやらゆかしスミレぐさ、やろ」
 岩間が得意げに言った。
「とにかく立派な中学校だ」
 桑子が目を細めて校舎を見上げている。彼の頭のてっぺんが薄く禿げかかっているのに初めて気づいた。岩間が堀川を指差しながら解説する。
「あそこに架かっとる細い橋、あれ叶(かのう)橋といって、名古屋でたった一つの吊橋だ。筏の上を歩き回っとるやつは、筏師といって―」
 みんな岩間を無視した。
「整列!」
 先生たちの指示で正門前に並んだ。二百人以上が校舎の外塀をぐるりと囲んでいるので、列の最後尾が見えない。
「前進!」
 とたんに門の中から拍手の嵐が押し寄せてきて、びっくりした。いつのまに待機していたのか、五十人ほどの中学生たちが、正門から校庭まで桜並木の下に二列になり、真っすぐな花道を作って新入生を迎えた。男子は全員坊主頭だった。入学したら坊主にしなくてはいけないとあらかじめ聞いていた。でもそれが列をなすと壮観だった。女子もみんな、おかっぱとまではいかないけれど、毛先だけを整えた短い髪型だった。
 一人ひとりに、おめでとう、と笑顔で声をかけられ、なんだか照れ臭い。縦長の校庭に入りこむと、ほうぼうで、
「解散!」
 の声が上がり、隊列が崩れた。千年小学校の半分ほどしかない狭い校庭を、三階建ての大きな木造校舎がL字形に囲んでいる。渡り廊下で繋げた平屋の校舎を合わせるとコの字形になる。校庭のあちらこちらに、ほかの小学校の生徒たちが固まっている。
「あしたは入学式だ。できるだけ見学しておけ」
「校庭は、これだけですか」
 鬼頭倫子が桑子に尋いた。
「こっちは朝礼とテニス部用だ。野球部や体育用の校庭は、あの石段を登った上にある。下級生用の校舎もそこに建っとる。見てこい」
 階段のある斜面には、ツツジとサツキがびっしり植えられていて、上と下の校庭を仕切る崖になっていた。白やピンクの色がにおい立つようだ。斜面のてっぺんに桜の樹が等間隔に並んでいる。思わず走りだした仲間のあとについて、私も上の校庭へつづく石段を駆け登った。康男が肩を揺すりながらのろのろついてくる。
「康男、早くきてみなよ。広いよ!」
 階段のとっつきにバックネットがあり、下の校庭の何倍もある運動場が展がっていた。宮中の誇る野球部のグランドだった。一塁側は崖の斜面、三塁側とライト側に長い木造校舎が平伏している。レフトの後方には、蒲鉾みたいな三棟のプレハブ校舎が生垣沿いに並んでいる。桑子の言った立派な建物というのは、四教室分しかない二階建ての小ぶりな鉄筋校舎で、バックネット裏の角地に建ち、三塁側の木造校舎へ渡り廊下でつながっていた。ガラス窓を覗くと、どうも教室用の棟ではないようで、ステンレス製の机の上に、ビーカーやフラスコが並んでいた。
「桑子もいいかげんなこと言いよって」
 康男が笑った。私はがっしりしたバックネットに近づき、そこからライトまでの距離を目測した。八十メートルほどのところにスレート屋根の部室があり、短い渡り廊下でライトフェンス代わりの木造校舎につながっている。校舎の向こうはまばらな立ち木の生垣になっていて、民家の屋根がのぞいている。生垣まで九十メートルぐらいか。センターの後方に、木造校舎に隣接して体育館があり、あの屋根に弾ませるには百メートル以上の打球を飛ばさなければならない。レフト側は狭く、プレハブ校舎まで八十メートルあるかないかだ。右バッターが少し大きな当たりを飛ばせば校舎を越えるだろう。
 ―すごいな、このグランドは。宮中はおととしの名古屋市の大会でベストエイトに進んでいるし、ここで活躍できれば、もう一度中京商業からスカウトがくるかもしれない。
 ひょこひょこと加藤雅江がポニーテールを揺らしながら階段を登ってきた。
「わあ、広い!」
「宮中にソフト部はないよ」
「うん、知ってる。ただ、上の運動場が見たくて」
 雅江は涼しげに前髪をかき上げた。
「ほんとに広いよなあ」
「思う存分野球できるね。私はテニスでもやろうかな」
「……無理にスポーツはやらないほうがいいんじゃないかな。中学の練習って、小学校よりはかなりきついと思うよ」
 雅江はハッとした表情で私を見つめた。
「ありがとう。でも、何かスポーツをやって、からだを鍛えなくちゃ。鍛えれば、この足にも筋肉がついてくれるかもしれないし」
 スカートの上から右脚のふとももをさすった。私は目を逸らした。
「とにかく、お互いがんばろう」
「やさしいね、神無月くんて。じゃ、さよなら」
 康男が私の肩を叩いた。
「けっこう美人やないか。よう見ると、杉山よりきれいやな」
「うん。かわいそうだね」
「ほやな―」



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