二十八

 正月になるとかならず、母の心に守銭奴のような貪欲がきざしてくる。今年の正月も、小山田さんたちからもらったお年玉を母にすっかり巻き上げられた。軽く二万円を超えていた。
「中学生お年玉は、四、五人からもらったって、せいぜい千円がいいところだろ。それでじゅうぶん。ほら、千円やるから」
 今年はとうとう口ごたえをした。
「一万円くれないかな。買いたい本や参考書もあるし、ユニフォームだって膝のところが擦り切れてるから」
「ほんとうに必要なときは、ちゃんと買ってやる。いままでだって、そうしてきただろ」
 学生服や帽子のことを言っているのだろうか。それならたしかにそうだ。ほんとうに必要なものだから。しかし、それ以外のものは? あの封筒をなくした夜の漫画雑誌を最後に、少なくともこの数年間の記憶にはない。
「でなけりゃ、いまここにおまえは生きてないだろ。はい、千円」
 そうして、またいつものように埼玉のサイドさんのもとへ追い立てられた。母がすでに用意した片道切符と、着替えと、椙子叔母宛ての封筒を持たされた。封筒の中には、ささやかな食費が入っている。
         † 
 昼下がりの上野駅のホームに、薄茶色の背広を着た善夫が待っていた。
「バリッとしてるね」
「二級ボイラーマンだ」 
「資格取ったの?」
「ああ。飯田橋の日本医大という病院さ勤めてる。いまネ、特級の国家試験の勉強をしているのサ。特級取ったら主任になれるからネ」
 言葉がおかしい。語尾に苦労しているようだ。悲しいことに微妙な訛りを隠せない。
「その言葉、なんか善夫らしくないよ」
「やっぱし、そう思うか。だども、ズーズー弁は馬鹿にされっからな」
「だれも馬鹿にしないよ」
 山手線で池袋に出た。西武新宿線に乗り換え、所沢経由で入間に向かう。
「小説は書いてないの」
「そんな暇、ねェ。読むことは読んでるけんど」
 善夫は電車の窓から力のない視線を空へ向けた。残念そうな顔はして見せても、いまの環境にそれほどの悩みがないことはすぐわかった。彼の視線の先の晴れわたった冬空に凧が揚がっている。書くというのは、きっと暇なときにすることではないだろう。暇がなくても書かなければならない。いや、たぶんそんな義務感もなく、書いてしまうものにちがいない。
「サイドさん、手ぐすね引いて待ってるど」
「どういうこと?」
「役所の休みを余計にもらったツケ。おめを鍛えるんだと。特訓よ。あの人は勉強が趣味だすけな」
 これまでなら怖気をふるっていたところだけれど、勉強に免疫ができた中学生のいまは、なぜかファイトさえ湧いてきて、
「そんなの、平気だよ。ドンとこいだ」
「君子もくるど。英語漬けになら」
 興味もないブリキの飛行機をもらって、義一にくれてやったことを思い出した。
「ワはおめを届けたら帰るすけ、会わねですむ。君子は苦手だじゃ。すぐアメリカ、アメリカってへってよ。でねば、金、金だ」
 入間の家に到着し、椙子叔母さんに挨拶してすぐ、サイドさんの書斎で英会話の特訓が始まった。会話用の薄いテキストを与えられた。
「Would it be all right to ask you something ? ちょっと質問してもいいですか。ハイ、日本語も」
 テキストを見ながらたどたどしく英語をしゃべる。
「Would it be all right to ask you something ? ちょっと質問してもいいですか」
「What do you mean by the Liberty Bell ? 自由の鐘とは何のことですか。ハイ」
「What do you mean by the Liberty Bell ? 自由の鐘とは何のことですか」
「ワット、ドゥユーじゃない。ワジュ、ワジュ、ワジュ、ミーンバイ。ベルじゃない、ベオ、ベオ」
「ワジュ、ミーンバイ、ザ、リバティ、ベオ」
「よし。How long have you been thinking of that ? どのくらい前からそのことを考えていたのですか。ハイ」
「How long have you been thinking of that ? どのくらい前からそのことを考えていたのですか」
「シンキンゴブ」
「シンキンゴブ」
 中学校ではぜったい習わないような珍しい形の文章を唱えながら、しゃにむに暗記させられる。
「英語は疑問文を征服すれば、あとはなんとかなる。ふだんの会話で思わず口をついて出るのは疑問文だからね」
「What can this be? これはいったい何ですか」
「What can this be? これはいったい何ですか。……このcanて、どういう意味? できる、じゃないの」
「いったい、という意味だ。疑問の強調だ」
 とにかく理屈抜きで覚えろと言われた。
 夕食のテーブルが整うまで、口の中がカラカラに渇くほど暗誦を繰り返した。あまりのつらさに、最初のファイトがしぼみかけ、こんなやりきれないことは早くやめて名古屋へ帰ってしまいたい、とつくづく思った。でも、サイドさんの真剣そのものの顔を見ていると、なんだかおっかなくなり、天才の特訓のクモの巣から脱出することは到底できないと観念した。
         †   
 翌日になっても善夫は帰らなかった。善郎や寛紀とキッチンテーブルで書き取りや算数のドリルをやったり、いっしょに犬小屋を作ったり(犬なんか飼っていないのに)、それに飽きるとみんなで打ちそろってテレビを観たりしていた。しかし、夕方になって、
「あした、君子くるな。だば、ワは帰るじゃ」
 と言って、晩飯も食わずに帰っていった。
 どうしたことか、椙子叔母はくだくだしい身の上話を私に仕掛けてこなかった。私の関心のない応答ぶりから、打ち明け甲斐のなさを感じ取ったのだろう。あまり近づいてもこなかった。
 寛紀はいつもにこにこと愛想よく笑いかけてくるけれど(私といっしょの蒲団で寝たいと言い出したほどだ)、善郎は私と顔を合わせると、瞬きもしない眼を当ててくる。
 ―こいつ、いやな感じだ。
 勉強の合間に私はサイドさんに言った。
「寛紀は愛想がいいけど、善郎はなんだか無愛想だね。赤ちゃんのときぼくにコブを作られたのを、まだ恨んでるのかな」
「あいつらは、どっちもカボチャが悪い。佐藤家の血を引いたら、もっとできるはずなんだが。椙子も、おまえの母ちゃんも、女学校じゃよくできたそうだ。……俺のカボチャに似たのかもしれないな」
 と見当はずれなことを言った。
「叔父さんが頭悪いなんて!」
「実際がどうだか、だれにもわからんさ。勉強に関するかぎり、自分は馬鹿だと思って打ちこむ心がけがいちばん大事だ。自惚れちまったら、それっきり進歩しない。自信の根拠なんて心細いもんだ」
 サイドさんは自分の飛び抜けた能力の拠りどころを、劣等感に駆り立てられた努力という、聞く人を安心させる理由へもっていこうとした。気に入らない子供たちや女房のことをしゃべる声には、どこかトゲトゲしいところがあったけれども、私に向かって勉強の話をするときはやさしい調子でしゃべった。
「でも、叔父さんは、ドイツ語も、フランス語もすごいのに」
 サイドさんは深いため息をついてから、まるで勉強の同志を諭すように言った。
「俺はね、飛べないニワトリみたいなもんで、生まれつきにぶい頭を持った男だったんだが、社会に出たらまぐれ当たりで一級通訳官にまで出世してしまった。そんなわけで、ニワトリの分際もわきまえず、ひどく自惚れが強くなってしまってね。何ごとにつけ、独りよがりの生き方をするようになった。独学で何ヶ国語に挑戦しても、だいたいうまくいくんで、いっそう自惚れに拍車がかかってね。俺は飛べるって思いこんじゃった。馬鹿さかげんが手のつけられないものになったわけだ」
「それって、天才ということでしょ……」
「いや、そうじゃない。俺はいやしくも通訳だぞ。通訳は、話を通じさせる役目だ。最低限、母国語に通じていなければ役立たずだ。日本人のくせに、俺の日本語はいまもってオシャカなんだよ。日本語を聞いて外国語に変換するのはスムーズにいくが、外国語から日本語へ換えるのが、とんでもなくへたくそだ。日本語がへたくそだというのは、日本人として根本的な教養に欠けているということだ。秀才ぞろいの同時通訳官にも、そういう人間は多くてな。とにかく日本語に長(た)けなくちゃダメだ。大事なのは日本語だ」
 その日、二人の息子たちは、夕食もそこそこに、テレビの前にちょこんと坐って『鉄腕アトム』を観ていた。サイドさんがそれを眺めながらため息をついた。
「どこがおもしろいんだろなあ。この漫画は、アメリカのNBCと年間三億円で放送契約を結んだんだよ。商品価値が相当あるってことなんだろうけど、俺にはわからん。あっちじゃ『ストロボーイ』という名前で放送されるそうだ。くだらん」
 私も『少年』で連載されているころからこの漫画にまったく胸が躍らず、たとえ貸本屋で少年を立ち読みするときも、そこだけ飛ばし読みしていた。
 翌日、アメリカのユタ州のソルトレークシチーから、君子叔母がやってきた。ジェフリーという名の三歳になる子供を連れていた。私は一目で彼女が嫌いになった。理由はその目つきだった。佐藤家の人たちはほとんど鋭い目つきをしているけれども、じっちゃや英夫兄さんの眼差しには、その鋭さの中に慈しみのようなものが感じられる。もちろん椙子叔母にも曲がりなりにもそんな温かみがある。でも君子叔母の、人を値踏みするような強い視線に突き当たると、私はつい目を伏せてしまう。それに彼女の陰気な表情も気に入らない。母に似て整った顔立ちはしていても、母よりも男性的で猛禽のようにいかつい。そのいかつい表情を保ちながら、人の話には加わらずに、いかにも馬鹿にしたように口の端に薄笑いを浮かべている。
 サイドさんも私と同じような気持ちらしく、カローラで羽田に迎えに出て家に連れ帰ったことを除けば、君子叔母になるべく近づかないようにしていた。次女と三女、姉妹で茶を飲みながら、日本の天気や道路事情や物価などについておしゃべりがつづいているあいだ、彼はこっそり庭に出て盆栽や鉢植えの花をいじったりする。私は庭に出るわけにもいかず、二人のそばでテレビを観ていた。君子叔母が話しかけてきた。
「キョウ、おまえ、大した頭がいいらしな。高校出たらアリカさこい。タ・ユニヴァーシティさいかせてやる。永住してタで結婚しろ」
 突拍子もないことを言う。何十年もアメリカで暮らしているせいか、東北弁の混じった日本語もかなりヘンだ。ジェフリーというガキも、手のつけられないほど行儀が悪い。昼寝している母親の顔をわざと踏んで歩いたり、私が彼の英語を聞き取れないと、私の顔につばを吐きかけたりして始末に終えない。善郎たちをあごで使って、庭に置きっぱなしの自分の玩具を取ってこさせたりもする。
「Do that!」
 命令口調で言う。すると君子叔母がすぐ飛んできて、
「Could you do that?」
 と言い直しを命じて、従わないと顔を思い切り平手打ちする。そしてそのあとで、
「これがアリカの教育」
 と得意げに周囲を見回すのだ。
「べつに、アメリカなんか、いきたくないよ」
 サイドさんが庭から戻って、聞き耳を立てている。
「視野広くしねば、ダdaメよ。サンフランスコのディズニーランドはくだらねが、ネダのラスヴェveガスはすばらしい。昼間から何千ものニーオン灯って、街ぜんぶ宝石みてにきらっきらっする。ニーオンの光いきいき、元気な広告の光いきいき。アリカのほんとの姿よ。ソートレイクティもきれいよ。マーモン教のヘッド・テンプル。マーモン教はズリアルの子を連れて歩いたモウルがもと。街は広い、広い。ふつうの人は呆れるよ。ゆらゆら揺れる、蜃気楼だじゃ。通りが広いのは、果てしね平原を渡ってやっとたどり着いた人たちが、街を作ったからネ。オゴソカよ、イカメシよ。マーモンチャーチみてに。オラはマーモン教徒でないがネ。ねえ、サイドさん、ッド・テンプルは、日本語でどう言うんだべ」
 そういうのって、視野が広いと言うのかなあ、と思いながら、私はうんうんと生返事をしながら聞いている。問いかけられたサイドさんは、
「総本山」
 と答えたきり、また盆栽の手入れをしに庭へ退避していった。
「かあちゃん、元気か」
「うん」
「オラ、おまえのかあちゃん、きらい。わがまま女。会いたくない」
 どっちもどっちだと思った。椙子叔母があわてて、買い物にでもいかないかと誘った。
「いがね。日本の物価、アリカの十倍。五十倍のこともある。針一本、買いたくね」
「じゃ、おめ、一日じゅう家にいるってが」
「That depends. 歌舞伎座はいきて。皇居にもいってみて」
「叔母さん、一度野辺地にきたことなかった?」
「ある。昭和二十八年の二月。おめが幼稚園さ入る年」
「井戸で洗濯した?」
「したこった。おめやカズの下着洗った覚えがある。おめのかっちゃは好きでねたって、おめはめんこくて、こましゃくれてて、てめの子にしてと思ったくれだ」
 井戸端にしゃがんで、盥に洗濯板を渡して、手の切れるような水でごしごしやっていた彼女の姿を思い出した。
「いつか、アメリカに遊びにいくね」
「いつでもこい。なるべく永住するつもりでな」
 サイドさんは五日目の特訓の終わりに、ゴールズワージーの『林檎の樹』とヘミングウェイの『老人と海』という原書をくれた。
「中学を終わるころまでには老人と海を読んでおきなさい。辞書をしっかり引いてね。林檎の樹は古い英語で書かれてて難しいから、高校いっぱいかかってもいいし、もっと先でもいい。キョウはよく寝るようだけど、寝床に親しむのは頭が鈍るもとだ。睡眠も度を越すと、頭の働きを重たくして脳みそを腐らせる。じゃ、今年の夏も待ってるからね」


         二十九

 二月も半ばを過ぎ、急に暖かい日がつづきはじめた。このあいだまで厚いオーバーを着て猫背で歩いていた人たちが一皮脱ぎ捨て、顔を上げて行き交っている。
 第三回の実力試験で、鈴木尚を抜いて二番になった。直井とは十一点差だった。平均点も九十六点になり、周囲の視線が変わってきたのがわかった。スモールティーチャーが、ある日下駄箱のところで、
「いつかはすまなかったね。きみは、万能の天才だよ。もう先生方は、みんなわかってるから安心しなさい。あのテストの意味をこれからはきちんと生徒に伝えるようにと、校長からお達しがあった。ほんとうにすまなかった」
 と言った。私は笑ってうなずいた。忘れていたようで、忘れていなかった。どこか心にしこりを残していたので、心底うれしかった。この話は母に告げなかったが、カズちゃんには彼女の帰りぎわに裏庭で話した。彼女は、
「あたりまえよ。何をいまさら」
 と言って、私を抱きしめた。
 新学期が待ち遠しい。いよいよ本格的なレギュラー練習と公式戦が始まる。左肘の痛みはなく、バットを握った感触も完璧なので、思い切りフリーバッティングができる。右腕のコントロールもほぼ正確になってきた。キャッチボールや遠投も楽しみだ。
 春休みに入ってから、毎朝六時、事務所から宮中の正門まで、片道二キロの道のりを往復するようになった。退屈しないように、毎回なるべく知らない道筋を通った。目に入るものすべてに目を凝らすつもりで走る。とくに石段の多い寺や神社を見かけると、駆け登って境内に入りこみ、薄暗い木立の中で柔軟体操をし、それが終わるとゆっくりとあたりを散策した。古そうな家並も一軒一軒、足をゆるめて観察した。
 生垣の向こうに巨木がこんもり枝葉を拡げ、その隙間から母屋が垣間見えるような邸宅にいき当たると、私は足を止めてしげしげと眺め入った。どうしてそんな古いものに魅かれるのかわからなかった。
 初めて見る商店街に出る。朝早いのにほとんどの店が開いている。電柱のスピーカーから、ザ・ピーナッツの『ふりむかないで』が流れている。ちっとも胸に響かない歌。『スーダラ節』がはやっていたときにも、どうしてこんなつまらない歌が流行るのだろうと不思議に思った。ふと、自分の耳が悪いのかもしれない、きっと頭がトロいせいだ、と本気で感じてゾッとした覚えがある。特に、あの山田先生の件があって以来は、大勢の人が感銘するものに共感できないときにはそう感じた。でもいまはちがう。自分の感覚を信じようという勇気が出てきた。
 何通りか道筋を変えて走っても、最後は伏見通りの文房具屋を折れ、宮中の正門につづく堀川沿いの道に入ることになる。川端の景色は毎日見慣れているのに、岸辺の柳や、民家の前栽や、校舎沿いの木立に、日ごとの変化が感じられて飽きなかった。
 この何日か、堀川の水がぬるそうに見える。岸の柳はまだ葉のない赤茶けた枝を垂らしているけれども、よく見ると、その一本一本の枝に、無数の瘤のような芽が盛り上がっている。校舎の生垣をなしている桜の樹から花びらの群れが吹き飛ばされてきて、堀川の黒い水面に散りこぼれる。筏が花びらを掻き分けるように漕ぎ下っていく。船頭の使う竿がきらきら光る。少しスピードを上げて引き返す。
 この一年間に打ったホームランはたった一本だった。しかも練習試合で。記録は公式戦しか残らない。だから、0本ということになる。今年は何本打てるだろう。
 八百清の前までシロが迎えに出ていた。事務所まで並んで全力疾走する。ちょうど腹がへってきて、みんなと朝めしになる。母が料理したときは、塩鮭と糠漬けと味噌汁くらいだが、カズちゃんが手伝うと、かならずだし巻き玉子がつく。甘じょっぱくてうまい。めしのあと、裏庭で柔軟体操。トネリコに、いつかクマさんの言っていたとおり、きれいな緑色の花が咲いている。机に向かって三十分、モンテクリスト伯を読む。図書室に四回延長願いを出した。長い小説だったけれど、あと数日で読み終える。女の浅ましさと、復讐の爽快さ。この小説と、レ・ミゼラブルは痛快冒険小説の金字塔だと思う。いつか、ドン・キ・ホーテも読もう。一日三十分、こつこつ読めば、どんな長い小説も読み終わる。
         †
 始業式の朝礼のとき、何人かの先生の異動報告があった。中に岡田先生が混じっていた。びっくりした。ちょい待ち草以外の野球部監督に親しみが持てるだろうかと、心配になった。ふと思い出して、下級生の中にあの辮髪ありがみちこの大きな姿を捜したけれど、見つからなかった。口ほどにもない。キ印っぽいふりをして、ふつうの女だったんだな。いろいろ思い直して、高蔵女子中学へいったのだろう。拍子抜けした。
 二年C組に決まった。三塁側の平屋校舎。渡り廊下にいちばん近い教室だ。担任は理科の近藤正徳先生。あの直井整四郎と甲斐和子が同級になった。沸き立つものがあった。
 髭の濃い近藤先生は出席表をひと通りめくり終えると、バッタのような菱形の顔を上向けて、うーんと腕組みをした。
「直井に神無月に甲斐か。すごいクラスだな」
 張り出した眉の下に、人のよさそうな金ツボまなこが光っている。近藤先生は勘ちがいしている。直井と甲斐は勉強のプロだけれども、ぼくはちがう。野球が本職の、勉強は試験のときに徹夜で暗記するだけの素人だ。直井はオールラウンドな成績優秀者だ。私には社会科という不得意科目がある。それでかならず総合点を引き離される。成績だけ見れば私も、直井や甲斐と同様秀才と見られていいはずなのに、そんなふうに仲間が見ている気配はない。これまで褒めてくれた教師も、スモールティーチャーただ一人だ。
 直井のライバルは、甲斐和子と鈴木尚と井戸田務だということになっている。私の成績は彼ら三人に優っているし、一年生の通知表も、社会科と技術家庭だけが4であとはぜんぶ5なのだから、何も気後れする必要はないのだけれど、小学校以来の評価も考え合わせると、やっぱり下地のある秀才たちと、叩き上げの自分とのあいだには、いわく言いがたいミゾのようなものがあるように感じる。それだけに、勘ちがいとは言え、近藤先生の感嘆が耳にやさしく響いた。
 直井整四郎は当然のように学級委員長に選ばれ、もう一人の委員には、全校女子のナンバーワン甲斐和子がなった。二人は教壇で挨拶した。直井の顔と小さく引き締まったからだをあらためて間近に見て、私はわくわくした。
 ―怪物、直井整四郎か。
 キョロリとした二重まぶたの目に、太い黒縁の眼鏡をかけ、思ったより明るく気さくな様子で、教室の連中を注意深く見回している。一見したところ、近づきがたい秀才というよりは、日焼けの似合わない、頭の大きい幼児体型のちびだった。彼はしゃかしゃかと動き、オハイオ州(おはよう)とか、さよオナラとか、くだらない駄洒落を飛ばし、どちらかといえば、おしゃべり小僧のいでたちだ。でも、授業中の彼の顔は青黒くこわばっていて、軽薄な雰囲気は微塵もない。彼は、英・国も数学も、社会科や理科までも、噂以上におそろしくできた。先生たちからどんな質問をされても、答えに詰まるということがない。抜群の記憶力の持ち主で、それに機転の利いた説明を加えることも多い。
「直井、ワーテルローの戦いとは?」
 質問したのは、あごに傷のある中村専修郎だ。
「はい、一八一五年六月、イギリス・オランダ・プロイセン合同軍が、エルバ島を脱出したフランス皇帝ナポレオンを破った戦いで、ナポレオンの最後の戦争として知られています。ナポレオンは敗戦もつらかったでしょうが、夏場のタムシもつらかったでしょう。いつも胸に手を入れていたのは、タムシを掻くためだったと横光利一が書いています」
 みんなキョトンとした顔で直井の話を聞いている。ノラの女たちほどの深みはないけれども、その軽妙な応答もまた私の感嘆の種だった。直井の舌の滑らかさは、知ったかぶりの岩間とちがって、この上なく上品なものに思われたのだった。
 親しみやすそうな男だとわかっても、クラスのだれも彼に自分から近づこうとはしなかった。私にしても、格別その風采に惹きつけられたわけでもないのに、彼をしょっちゅう見ていなければならないような、それでいてそばに寄っていけないような奇妙な圧迫感を覚えた。
 私には、直井の軽やかな挙措にまとわりついている知的な香りが、ひどく好ましく感じられた。それこそ飯場暮らしの私にとって、嗅いだことのない洗練された香りだった。ときどき私は、意識して直井の机のそばを通り過ぎた。彼がただよわせている知性のにおいを嗅ぐためだった。守随くんや鬼頭倫子のスケールを一回り大きくしたにおいがした。彼らを熟し、発酵させると、たぶん直井のにおいになるだろう。
 直井に比べて、甲斐和子はまったく印象の薄い生徒だった。横浜の福田雅子ちゃんに似た豊頬の顔に、中学生らしい長めのおかっぱ髪を垂らし、いつも微笑むように口の端を上げている。ふだんは目立たないけれど、ふと気がつくと、たいてい自分の机でじっと教科書に目を落としている。これといってでしゃばったところもないので、だれかの想い姫にでもなれそうな感じには映るけれど、目がひどく小さい分、そういうことには縁遠い勉強家のイメージが強かった。彼女は始業と終業の号令以外はほとんど口を利かず、教師の質問にもぼそぼそと答える。だからといって暗い雰囲気はなく、別教室へみんなを誘導したり、ホームルームで発言したりする段になると、張り切った言動をする。つまり、伝説負けしているごくふつうの女の子で、気の毒なことに、直井と比べてあまりにも生彩に欠けていた。
 今年も康男や、守随くんや、鬼頭倫子といっしょのクラスになれなかった。酒井リサちゃんも、加藤雅江も、杉山啓子も、関をはじめとする野球部の連中さえいない。それどころか、一年生のとき同級だった清水明子や、加賀美幸雄、河村千賀子、天野俊夫もほかのクラスに去り、後藤ひさののだぶだぶセーラー服もどこかへいってしまった。でも、あの桑原のはしこい姿をまた教室に見つけたときには、心底ガッカリした。彼は例のイエッサイドゥーを連発して、初日からみんなの目を惹いていた。そんな桑原もやがて、直井に引きずられて勉強色の濃くなったC組の空気に馴染めず、教室の隅に撤退し、だんだん無口になって忘れられていった。
 近藤先生は授業のたびに、小山田さんに似た出歯の口をもぐもぐさせながらへんな雑談をして、そのいかつい顔に似合わない気遣いでみんなを和ませる。
「鼻汁(はな)を強くすすると、喉に落ちる。おまえたち、よくやるだろう。その鼻汁はバイキンだらけなので、飲みこんだらいかんぞ。チリ紙に吐き出せ」
 とか、
「煙草の吸殻をたくさん集めて、それをタライの水に漬けておくと、こげ茶色の液体ができる。そこへずぶりと足を浸せば、水虫が一発で治る」
 などとまじめな顔で言う。それでも、授業中にうるさくしたり、習ったことの質問に答えられなかったりすると、
「チョト、いらっしゃい」
 と教壇へ手招きし、おそるおそる進み出た生徒の側頭部にぐりぐり拳骨をめりこませる。いくぶん手加減をしてくれるので、みんな愉快そうにそれをやられている。
 二年C組の教室は、粗末な屋根があるきりの短い渡り廊下で鉄筋校舎の音楽室や理科室とつながっている。一年生のバラック時代とちがって、ほとんど移動の手間がない。下の校舎へ出向いていくのは、男女別の技術家庭の授業のときだけだ。ときどき窓から、上のグランドでやる体育の授業の声が入ってくるけれども、うるさいというほどではない。
「みんな、見てみろ。この教室は環境バツグンだな」
 チョークを止めて運動場を見やった近藤先生につられて窓の外へ視線をやると、上の校庭を縁取る桜の花が満開だった。グランドと平屋校舎のあいだに作られた花壇には、薄紫の勿忘草(わすれなぐさ)の花が咲きそろっていた。
 新学期が始まって何日も経たないころ、直井整四郎が私の机に近づいてきて、
「きみ、寺田くんの友達だって?」
 と、好意のこもった目で訊いた。
「うん」
「野球、すごいんだってね。ぼくは野球のことはあまり知らないけど、勉強とスポーツを両立させることは難しいというのはわかる。少なくともぼくは難しい。どんなふうに毎日すごしてるの?」
 ―両立? なんてありきたりな言葉だ。平凡な言葉には平凡な考えしかくっついてこない。スポーツも、勉強も、読書も、映画も音楽も、全部いっしょにやるものだ。何と何を調和させるというものじゃない。そうやって人は何気なく生きているのだ。
「さあ、考えたこともないけど」
「さすがだね。一年生のとき、寺田くんからきみのことをよく聞かされたんだ。おまえいつか神無月に抜かれるぞって。ぼくは抜かれないよ。いい成績をとりつづけるのは簡単じゃない。学校の勉強だけじゃ、ぜんぜん足りない。塾に通って、勉強のやり方を知っている人に教えてもらわないと、頭打ちになってしまう。塾にはライバルもたくさんいるし、勉強の中身もちがうし、学校で教わらないことだってどんどん教えてもらえる。神無月くんもぼくの塾にきたらどう? 紹介してあげるよ」
 眼鏡の奥の目がきらきらしている。直井はハッキリと、塾のおかげで自分はほかの級友たちに抜きん出た存在になっていると言った。ある意味それは謙虚な言葉に聞こえる。彼なら、塾など通わなくてもやっていけるだろう。それにしても、どこまでありきたりなんだろう。これじゃ、ちっとも化け物じゃない。
「いいよ、紹介してくれなくても」
「きっちりライバルとして戦おうよ。いまのままだと、ハンデもらってるようで、気分が悪いんだ」
 ふと、直井が自然な標準語を話しているのに気づいた。ひょっとしたら彼も山本法子と同じように、東京からきた転校生なのかもしれない。
「ほかの子に紹介してあげたら? 甲斐さんとかさ」
 直井は、ちょっときて、と言って、私を廊下へ連れ出した。そのとき、ちらっと甲斐和子を目で捜すようなそぶりをした。
「甲斐さんはとっくに、別の塾に通ってる。このクラスの成績優秀者で、塾にいってないのは神無月くんぐらいじゃないかな」
 直井の怪物のイメージどんどん崩れていく。きょう朝礼で校長先生が言っていた〈小さな親切〉を率先して実践するつもりでもないんだろうが、もっと怪物らしく超然としていてほしかった。
「ぼくは貧乏だからね。それにお金を出してまで……」
「しっかりした教育を受けるのには、お金が必要だよ」
 どこかで聞いたような科白だ。
「母が納得しないだろうね」
「そんなに高くない。ふつうの塾の半分くらいだと思う」
「半分でも、金は金だ」


         三十 

 直井は考えこむ顔で、
「熱田神宮のそばの英語塾なんだけど、自転車持ってる?」
「うん」
「自転車で通えば、交通費はかからないよ」
「そういうことじゃなくて、一円の月謝も母は出さないということだよ。というより、ぼくがいきたくないんだ。英語も国語も得意だし」
「うん、いつも一番だね。でも、いまのうちだけかもしれないよ」
 いやな言い方だ。
「いまのうちだけじゃないと思う。親戚の通訳の叔父さんに、小学校のときから英語を習ってきたから。英会話も少しできるし、英語で書いてある本も、辞書を引きながらなんとか読める。ラフカディオ・ハーンの『雪女』、ヘミングウェイの『老人と海』……」
 反発する気持ちから大げさに言った。直井は自分の話をつづけるために、私の話が終わるのをじりじりしながら待っているようだ。将来性の垣間見える原人を説得したくて、すっかりそれに注意を奪われているのだ。
「言いたいことはわかるよ。〈いまの〉神無月くんの英語や国語にはだれだってかなわない。でも、きっとそのうち、だれかが、ひょっとしたらぼくかもしれないけど、コロッと逆転しちゃうかもしれない。だって、塾では学校よりずっと難しいことやってるから」
「逆転されたら、されたでしょうがない。もっとがんばるしかない。学校より難しいっていったって、せいぜい中三の勉強をしてるだけでしょ。高校生の勉強をしてるわけじゃない」
「とにかく、覗くぐらいしてみなよ。八時に校門で待ってるから」
 なんて押しつけがましいやつだろう。面倒くさい。
「きょう?」
「善は急げさ。クラブが終わったら、いったん家に帰って、ご飯を食べて、ひとっ風呂浴びてから出てくるよ」
「じゃ、覗くだけ」
 仕方がない。一回だけ付き合ってやろう。
「そうしなよ、いけばその気になるから。じゃ、八時に」
「じゃ、正門でね」
 すたすたとチンパンジーのように両腕を振って去っていく。
         †
「学校で一番の子に、塾にいかないかって誘われた。見学にいってくる」
 酒盛りを始めた社員たちに混じって遅い晩めしを食いながら、忙しそうにしている母に言った。酒の肴に焼いているホッケの干物の脂と煙にむせて、母はいつもの、ヘッシ、ヘッシというくしゃみを立てつづけにした。
「塾なんかいかせてやる余裕はないよ」
 予想通りの反応だ。焼きあがった魚を皿に移し、また新しい魚を網に載せた。たちまち脂のしたたる音が弾けた。シロが戸口でステンレスのお碗に鼻を突っこみ、味噌汁めしを一心に食っている。私はシロがものを食べている姿が大好きだ。自分だけのことに没入している彼を見るのが快いだけでなく、彼が健康でこれから何年も生きられると感じるのがうれしいのだ。
「キョウちゃんは塾にいかなくてもだいじょうぶでしょ」
 カズちゃんが魚をひっくり返しながら言う。
「しつこく誘われたから、一回だけ付き合ってやろうと思って」
 小山田さんが険しい目で、
「塾なんかいく必要ない。勉強の基本は独学だ。そんなことより、野球だろ」
 原田さんが異を唱える。
「野球第一はよしとして、小さいうちの独学ってどんなものですかね。私は近所の塾にいきましたよ。十人足らずの生徒しかいない小屋掛けの塾でしたが、京大を出た先生に、一人きりの勉強じゃ気づかないようないろいろなことを教えてもらいました」
「ある程度学校で教えてもらってるんだから、あとは独りでがんばるのが、ほんとうの勉強だろ。人から教えてもらうばかりじゃ、余分な知識が増えるだけで、自分なりのアイデアが湧いてこない。勉強というのは想像力を鍛えるもんだ。人に気づかせてもらってどうする」
「小山田さんが言うのは、学問の話で―」
「学問と勉強と、どこがちがう。キョウちゃん、いま成績はどうなんだ」
「学年の二番」
「ほら見ろ、これが独学の成果だ」
 原田さんは黙った。吉冨さんがいい気味だという顔でへらへら笑っている。カズちゃんが少し胸を張った。
「とにかく、約束したから、いってくる。吉冨さん、自転車借りるよ」
「オッケー。ライトは点かないぞ」
「だいじょうぶ」
「ヨシノブちゃんみたいに誘拐されんなよ」
 何のことかわからなかった。
「何言ってるんですか、貧乏人の子なんか誘拐されませんよ。会社の自転車なんだからね、パンクさせるんじゃないよ」
 めしを途中にしてあわてて追ってきたシロが、ガレージから引き出した自転車にじゃれついた。しゃがんで頭を撫でてやる。
「長生きしろよ」
 シロは湿った鼻面を私の手のひらに擦りつけた。
 ゆったり自転車をこいでいく。生暖かい風が頬に当たる。杉山薬局から加藤雅江の家を過ぎて、大瀬子橋を渡る。板敷きの歩道がカタカタ鳴って気持ちがいい。いつもより堀川においが弱い。四月の陽は傾いているけれども、まだ水の上に燃え残っている。空に接している水平線に、愛知時計の工場群のぼんやりした輪郭が浮き出ている。
 木之免町の路地を抜けるとき、卓球部の石田孫一郎に遇った。背中を丸めて、しきりに四角いラケットを振っている。私の右隣に坐っている内気なやつだ。切手集めが趣味だとかで、ときどき机の下で大事そうに切手帖を開いて見せる。講釈が長いので、いつも無視する。いっしょに切手を買いにいかないか、と誘われたこともある。もちろん無視した。
「よう」
 短く声をかけてきた。目だけで応えて通り過ぎた。
 宮中の正門まで自転車だと十分もかからない。直井が手を振っている。こざっぱりした灰色のポロシャツを着ている。洗いざらしの袋をかぶっているように見えた。
「こっから五分もかからないよ」
 いっしょに漕ぎ出した直井の自転車は、がっしりとした年代物だった。何の数字か、ハネ除けに『5』という番号が白いエナメルで書かれている。前籠にノートと筆箱が放りこんであった。直井が話しかける。
「神無月くんは、図書室によくいく?」
「ときどきね。小説を借りることが多い。もう十冊くらい読んだかな」
「図書室って神秘的だよね。棚に並んでる本がみんな、秘密を抱いて静かに息をしてるんだ。何年も、何十年も」
「何の秘密?」
「本を書いた人の秘密だよ」
「書いちゃったら、もう秘密でなくなるんじゃない?」
「そりゃそうだけど、秘密にしておきたいことを思い切って書くから、名作になるんだよ」
 気取ったやつだな、と感じた。それでも、何かさすがだとも思った。
「きみと同じテニス部の加藤雅江―」
「うん、去年同じクラスだった。きれいな人だなあ。宮中でナンバーワンじゃない? 何でも努力するし、気取らないし、とにかく満点だね。見ていて涙が出そうになることがあるよ。そういえば、神無月くんのこといつも話してる。きっと好きなんだね」
「女は苦手だ」
 直井は雅江の脚のことを言わなかった。
「ところでさ、寺田くんに聞いたんだけど、神無月くんは飯場に住んでるんだって? びっくりしちゃったよ。ぼくも飯場なんだ。神宮前の線路の向こうの、堀田というところなんだけど、そこの事務所にとうさんが勤めてる。とうさんとかあさんとぼく、三人で飯場暮らし」
 へえ、と思った。飯場暮らしは、宮中のなかでも私ぐらいだと思っていたので、意外な気がした。
「何年くらいになるの?」
「まだ、三年くらいかな」
「いままではちがうところにいたの?」
「いろいろ。とうさんは一級建築士だから、あちこち転勤するんだ」
 たちまち保土ヶ谷の父の顔が浮かんできた。
「ぼくのとうちゃんも、一級建築士だったんだって。いまはいないけど……」
「ふうん。お母さんと二人か」
「そう。……建築士なら、社宅をもらえるんじゃないの」
「ううん、運河築堤の短期の現場だから、臨時の飯場掛けしてるだけ」
「じゃ、それ終わったら、またどこかへいくの」
「うん。あと二、三年でね。こっちの高校は転校してるかもしれないな」
「チクテイって、なに」
「堤防の建設や修繕。伊勢湾台風の後始末だね。そのうち昭和区の天白に移って、庄内川の築堤の長期仕事になるらしいけど。どっちにしても、もう大学生になってるね。―神無月くんのところは何ていう会社?」
「西松建設」
「ぼくのところは清水建設。どっちも大手だね」

  涙のォ オォォォォ おわりのひとしずく
  ゴムのかっぱにしみとおる
  どうォォせ おいらは ヤン衆かもめ

 とつぜん直井が唄いだした。
「何、それ」
「なみだ船。知らないの、北島三郎」
「知らない」
「いいよ、演唄って。『王将』みたいな、いかにも人生堂々ってやつは苦手だけど」
「ぼくはポップスしか聴かない」
「ぼくもときどき聴くけど、演歌のほうがずっと好きだな。水原弘の黄昏のビギンなんか最高だ。雨に濡れてーた、たそがれの街、あなたと逢った、初めての夜」
 だんだん直井の印象がよいほうへ変わりはじめた。なるほどこんな性格なら、康男とへだてなく口を利けたはずだ。きっと康男も安心して話しかけただろう。
 熱田神宮に沿って下る伏見通りの坂道から、黒々と茂っている宮の杜の西側を走り、森後町の入組んだ住宅街へ曲がりこんだ。
「五分くらい遅れちゃったかな。ここの先生は、明和高校から東大の英文科を出た人なんだ。ぼくも明和にいって、とうさんと同じ東大の建築科を目ざすつもり」
 道のはずれの袋小路になった一画に、壁につたを這わせた二階建ての家が見えた。垣根のない庭に建てられた物置のような小屋に、煌々と灯りが点っている。母屋の二階からさびしげなピアノの音がした。
「先生の奥さんは、ピアノ教室をやってる。東京芸大。すごいよね。いま聞こえてる曲はショパンのプレリュード四番」
 直井は自転車から降りるとき、何かあこがれるような顔で、ピアノの音がやってくるほうへあごを上げた。それから前輪に鍵をかけると、小屋のある庭へ入っていった。耳障りな学歴礼賛さえなくなったら、直井もいいやつなのにと思った。
「途中から入室しても叱られないんだ。早退(び)けも自由」
 そっとガラス戸を引いた直井に導かれて、いちばん後ろの席に坐った。細長い教室だった。三人掛けの長机が十脚ほど縦に並んでいる。そのすべての席が男女の生徒で埋まっていた。だれも遅れて入ってきた者に注意を向けない。
「ゼイ、リブ、オン、ザ、ハドソンリバー」
 四十歳くらいの長髪の教師が、眼鏡を押し上げながらへたくそな発音で読み上げる。生徒にわかりやすく聞こえるように、わざとそういう発音でしゃべっているのかと思って耳を澄ました。どうもちがうようだ。軽妙に舌を巻いている気分らしい。Rの発音を意識しすぎているせいで、『リバー』が『ウバー』に聞こえる。Rはあまり舌を巻いてはいけないとサイドさんに教えられた。ハドソンもDがほとんど聞こえないはずなのに、ハドソンとはっきり言う。それに、声が小さい。からだ以外の何かに頼って生きている人に特有の弱々しい声だ。飯場の男たちとはぜんぜんちがう。こういうのをインテリというのかもしれない。彼が手に持っている本は、学校の教科書ではない薄手のもので、表紙に何やらこまかい英語の題名が書いてあった。                     



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