二百三
 
 七月五日土曜日。四時起床。休暇二日目。きょうもしっかり雨。きのうよりも雨脚が強い。あしたの阪神戦はだいじょうぶだろうか。昨夜は夕食後のビールを少し飲みすぎ、座敷の窓際に蒲団を敷いてもらって早めに寝た。
 だれも起きていない北村席を出て則武の家にいき、ジムトレを三十分したあと、二階の書斎の机に向かう。七時、私が帰ってきていることに玄関の履物で気づいたのか、カズちゃんとメイ子がチャーハンとシバ漬けを持ってきてくれた。
「何時に帰ったの?」
「四時半。七時間寝たよ。爽快。きょうは少し五百野を見ておく。午後のおやつぐらいには北村席に顔を出すよ」
「根詰めちゃだめって言ったでしょう」
「ザッと見ておくだけだよ。ほとんどでき上がってるから」
 メイ子が、
「お昼はアイリスに食べにいらっしゃいますか?」
「たぶん」
「いらっしゃらなかったら、店の者に何か持たせて寄こします」
 昼までかけて、五百野の序章のを推敲を終えた。八月に中日新聞に渡す分だ。
 一時にキッコが森料理長の作ったカツ丼を持ってきた。思わぬ美味だった。
「生理が終わったばっかりなんよ」
 食後の玄米茶をいれながら横目で言うので、おたがいに下半身だけ裸になって風呂場で交わった。小陰唇が少し腫れていた。ふだんより潤いが少なかったけれども、キッコはたっぷり声を上げて愉しんだ。私も厚い小陰唇に綿のようにくるまれながら快適な放出をした。
「アイリスの店舗拡張の話、どうなった」
「来年の春の予定やったけど、隣の寿司屋さんが来月で店じまいする言うてたさかい、そのあと地鎮して、アヤメが完成したらすぐ着工やて。そのとき二週間ぐらい休業するらしいわ。給料ちゃんと払ってくれるんよ」
 カツ丼の器を洗い、紙袋に入れて立ち去ろうとする。キスをして玄関へ送り出した。
「毎日、学校たいへんだろうけど、がんばってね」
「なんでもあらへんわ。四年も辛抱できん。来年じゅうに大検とるつもりや」
「科目は?」
「十科目」
「うへ!」
「だいじょうぶ。受かったら、再来年名古屋大学にいく。……愛しとる」
「ぼくも」
「どもならんくらい愛しとる。うち、幸せや。じゃ、いくね。バイバイ」
「バイバイ」
 これから何十年もいっしょにいられるのに、どんな短い別れもさびしい。
 ふたたび机に向かう。次章の推敲。五、六行でも進んでおく。
 三時を回り、下駄を履き、傘を差して大門町あたりへ出かける。書いているうちに、母を迎えにいったアメリカさんの町並が浮かんだからだ。モザイクタイル―幼い自分をあのころの風景の中へ連れていく。
 傘の雨音を聴きながら西へ歩き、環状線に出る。古びた材木店の斜め向かいに十階建ての中村区役所と喫茶店があり、裏手に年代ものの高層マンションが建っている。石の建物はさびしい。歩道橋を渡る。入りこむ道をまちがえると大門通りを外れてしまう。それでもいいと細道を直進する。
 若宮町。民家とアパートしかない。左折して道を一筋、太閤通へ近づける。民家のあいだに文具店があってめずらしい。右折して進む。やはり民家とアパートだ。花街らしくなってこない。しかしこの道でいいと確信しながら進む。うどん製麺長崎屋本店。老舗だろう。ランニングのときは何とも思わなかったが、歩くと遠い。高見教育研究所と書かれたビル。どういう教育の研究をしているのだろう。民家、アパート。
 賑(にぎわい)町。道が細すぎる。右折してもとの道筋へ戻る。名楽町。少し広い路になった。天神社? 1から13まで番号の打たれた倉庫が並んでいる。倉庫の陰に朱塗りの社が見えるが、入口らしきものはない。民家の家並を直進。トタン屋根や雨ざらしの板塀。不気味に古い家々が現れる。どうもちがう。大門通りを通り越したようだ。このままだと鳥居通に出てしまう。いったん太閤通に出て、素子の立っていた大門の辻から入りこむことにする。東奥日報の連中を連れて山口たちと歩いた道が見つけられない。つい先日も菅野と自転車で走った道なのに。
 大門電停あたりの辻から右折して、隘路に入る。人が二人ほどしか通れない道をクネクネと歩く。トタン塀の家、豪壮な二階建ての家。わけがわからなくなる。小森に包まれた赤鳥居の社に出る。天神社社務所。迷路にはまりこんだ。もう一度太閤通に出て、大門の電停に戻る。さっきの辻は太閤通七丁目の辻だった。節子を見つけ、素子と出会った場所なのだが、花街への入口ではなかった。
 あった! 《祭・大門》のアーチ。商店の町並を三筋いく。接骨院、生花店、呉服屋、学習塾、飲み屋、割烹店、時計店、女性用洋服店、肉屋、釜めし屋、鮮魚店、何でも揃っている。原色の目立つ露地へ右折。まるみや。古着と玩具を売っている。すぐ脇に、先日見た大門小路というのがあるが、自転車が置いてあって、人二人の幅しかない隘路の奥が窺えない。自転車に並べて『わんすもあ』という箱看板が置いてある。電柱には『小梅ちゃん』の看板。その店は入口のすぐ脇なので宣伝の意味が薄い。スナック『きらく』、カラオケ喫茶『白龍』、店のドアを除いた前面にツタを絡めているのが不似合いだ。二階のベランダの桟は錆びている。向かいは近代的な四階建てマンション。ここにアメリカさんはいない。
 早くタイルにたどり着かなくては。大門電停からもう三十分以上も歩いている。歩を進める。かつて遊郭だったと思われる二階楼が現れる。板壁の赤ペンキが剥げている。駐車場。ごくまれに、ふつうの民家が雑じる。『より路』、『高木屋食堂』、板金『小杉』、スナック『喜春』、『山一カーテン』……。
 花街に踏み入ることができない。羽衣もシャトー鯱もない。そうか、日赤のたんぽぽ薬局から真っすぐ椿町に向かう道筋だった。鵜飼病院から一筋ずれた道だ。大門のアーチから五筋いかなければならなかった。いつも菅野に車で連れてきてもらっているので、徒歩の感覚では見つけられなかったのだ。面倒くさくなってきたが、もう二筋奥の通りへ移動する。ついにあった! パラダイス、ニュー令女、インペリアル・フクオカ、銀馬車、ふぁーすと、令女プール、そして羽衣、その裏手にシャトー鯱。名古屋の誇る大門トルコ街だ。廃屋の二階楼がポツポツ現れる。眺め上げながら帰る。商店や喫茶店や駐車場の雑じったふつうの通りになる。一本道を見通すと、やはり横浜のアメリカさんの街にはまったく似ていなかった。傘に雨音が回復してきた。よく歩いた。
 えさき書店という店先の広い古本屋があったので、足休めに立ち寄る。じっくり店内を見て廻る。ノーマン・メイラー『裸者と死者』(大いに興味あり)、三島由紀夫『美徳のよろめき』(気が進まないが)、伊藤整『氾濫』(裏切られそうなので買わない)、深沢七郎『楢山節考』(題名にたじろいだので買わない)、原田康子『挽歌』(つまらないだろう)、石原慎太郎『太陽の季節』(いちおう読んでおく)、源氏鶏太『三等重役』(寝転んで)、石坂洋次郎『石中先生行状記』(青い山脈ふう?)、日本戦没学生手記編集委員会編『きけわだつみの声』(心めげないように祈る)、正木ひろし『ある殺人事件・法医学への挑戦』(おもしろそう)、フランクル『夜と霧』(重すぎる事実も感受しなければ)、桑原武夫『一日一言』(旅のお供)。笠信太郎『ものの見方について』(これは青高時代に挫折した本だったので無視)。
 合計十冊買った。店主の婆さんは大喜びで、二千五百円から五百円も値引きし、頑丈な紙袋に入れてくれた。ずっしりした紙袋を提げて歩く。
 中島町。環状線に出る。信号を渡って、駅西銀座のゲートをくぐる。いつものランニングコースだ。このまま進めば椿神社に出る。大柄なビルの雑じらない、名古屋一の商店街らしい商店街。包装用品店があったので、厚手のビニール袋を五十枚買う。星野秀孝にプレゼントしよう。椿神社到着。あかひげ薬局を正面に見て左折。神社に隣接する百江の家を左に見て数歩、アイリスの賑わいを眺めながら通り過ぎ、コメダコーヒーを左折。たしかに、アイリスと百江の家のあいだの奥まったところに寿司屋の暖簾がかかっていた。則武のわが家にたどり着く。四時五十分。二時間に近い散歩だった。
 さっそく居間のソファに沈んで、原田康子の『挽歌』を開く。一ページ読んで、薄っぺらい内容を悟ったので、雑読にかかる。
 片腕に障害を抱えた若い女の不可解な恋愛話。自分と浮気をした男と、その男の妻(すでに医学生と浮気している)との三つ巴。男と妻に同時に魅かれるという女の心理構造がよくわからない。男と自分の浮気を妻に、妻と医学生の浮気を男にほのめかし、同時に妻への憧憬を妻当人に告白するという心理構造もわからない。罪悪感の補償作用か、それともよほどの有閑人か? 浮気するほどの妻が、女の告白がもとで自殺してしまうという非現実を笑う。
 伊藤整が大絶賛したのはどういうわけか。同郷人への過剰な思い入れだろうか。没落貴族という中古モラトリアムへの嗜好が鼻につく。霧に包まれたロマンの街釧路? すべてがわざとらしい。伊藤整の氾濫を買わなくてよかった。
 三等重役にかかったところで、カズちゃんとメイ子が帰ってきた。
「ちっとも顔を出さないんで、おとうさんたち残念がってたわよ。ソテツちゃんなんか泣きそうになってた」
「五百野の推敲をしてから、散歩に出た。古本買ってきた」
「独りでのんびりしたかったのね。たまにはこっちで晩ごはんもいいでしょ。きょうは夏の鍋よ。水炊き」
「あ、好物だ」
「何読んでるの?」
「挽歌、ザッと読み終わった。これから源氏鶏太の三等重役」
 メイ子が、
「挽歌って、聞いたことあります。読んでませんけど」
 カズちゃんが、
「十年以上前のベストセラーよ。西松の飯場にいるころ読んだわ。〈魂〉のない本。思索も感覚も陳腐。三等重役は、サラリーマン生活をおもしろおかしく書いてるだけ。映画にしやすい娯楽小説ね。森繁を有名にした映画」
「映画化されたの?」
「そうよ。私が十八、九のころ。新・三等重役は二十代の真ん中へんかな」
「とにかく読んどこう。カズちゃん、めしができるまでのあいだ、何かテープ流しといて。ブレンダ・リーとか」
「オッケー」
 すぐに、隣の音楽部屋からブレンダ・リーのアイ・ウォント・トゥ・ビー・ウォンティッドが聞こえてきた。三頭重役にかかる。
 三十五個の短編。前社長の奈良は戦後の公職追放にかかり、泣きっ面に蜂で脳溢血で再起不能になった。平社員の桑原が社長になる。非現実的な設定が気分をくつろがせる。南海産業桑原社長と秘書の若原くんと浦島太郎課長の人間的な交流のオハナシが始まる。接待、宴会、恐妻、浮気、社内恋愛。昭和二十年代後半の風俗小説。私の社会意識の空白期である野辺地、横浜時代の世間事情。のんきなサラリーマンの口を借りて、女性観、結婚観などが語られる。 
「いかん、何もいかん、オールいかんのである」
 という台詞回しがおもしろい。関西弁がいっさいないのでいい。宮仕えの仕組みをどう知ったところで馬鹿らしいといえば馬鹿らしいが、そこはかとない人情が基底に流れていて、カズちゃんの言う〈魂〉というほどのものを求めなければ、どの編も温かい気持ちで読める。このシリーズを旅のお供に持っていこう。
 めしに呼ばれたので、音楽部屋にいき、テープレコーダーのスイッチを切った。キッチンへいく。鍋が細かい泡を立てて煮えている。三人揃ってテーブルにつく。メイ子が電気釜からめしを盛る。
「遠征のお供になりそうな気楽な本だ。シリーズで買っといて」
「はい。ほかに新・三等重役、新・三等重役続、新・三等重役続々の三冊よ。源氏鶏太はほかにもたくさん本を書いてるから、全集を買っとくね。講談社から出てるわ」
「映画では、だれがだれの役をしたの」
「三等重役は、奈良前社長は小川虎之助、桑原社長は河村黎吉、浦島課長は森繁久彌、若原くんは小林桂樹」
「知ってるのは森繁と小林の二人だ」
「見たら、知ってる顔かもしれないわよ」
「お嬢さんの記憶力って、すごいですね」
「若いころに観たから印象深いのね。新・三等重役は、設定がぜんぜんちがって、会社名もKK世界電器って言うの。社長外遊中に森繁の沢村専務が留守を預かるという格好。社長の鬼塚は加東大介、秘書は女で章子という名前。新珠三千代。まじめ社員八代は小林桂樹。シリーズで四本撮られてる。それに調子づいて社長シリーズになったのね」
「森繁が嫌いだから、観たことがないなあ」
「アクが強いと言うより、わざとらしい俳優よね。で、五百野は、少しは進んだの?」


         二百四

 メイ子の手で取り鉢に盛られた鶏の腿肉、手羽肉、豆腐、油揚げ、白菜、水菜、にんじん、ねぎ、えのき、しめじをポン酢に漬けて食う。めしが進む。
「来月渡す序章を書き上げた。これまで書いたものに手を加えただけだけど、記憶の箱の底を覗きこむようにしながら言葉を一生懸命探した。その記憶を定着するためにね」
「ふつうの人間とちがって、キョウちゃんは記憶に蓋をしてこなかったから、探しやすかったでしょう」
「うん。でも、長く底のほうにしまっていたせいで、四歳から九歳の記憶が発酵してトロトロ融けていて、実体がなくなっている感じなんだ。その乾電池の液漏れみたいな記憶を書きつけてるうちに、たどって戻っていく場所が自分にはないんじゃないかって思いだした。そんなものを無理に見つけようとしてくたくたになった。いまいる場所は確実にあるんだけどね」
「どちらも大事な場所よ。むかしの場所は見つけようとしてもなかなか見つけられないというだけのこと。記憶しようという意識がないころにたまたま出遇ったものだからそうなるのね。それをつかまえて、文字に定着しようとするのは、つらくて、めまいがするみたいな作業でしょう。芸術的なデフォルメをするからよ。表現するってそういうことかもしれないわね。とにかく書いて、気になる記憶を表現して、お別れするの。書くのはお別れの儀式。書き終えても、ボンヤリ自分を包んでいる原始的な記憶はそのまま消えずにあるから、お別れしたことだけを胸に刻んで、一つひとつ新しい記憶を表現するエネルギーにすればいいの。キョウちゃんは芸術家よ。芸術家のどんな記憶もデフォルメされているからノンフィクションにならない。だいじょうぶ。真実を描く立派なフィクションになるわ。芸術家でない人の真っ正直な自伝は、そのトロトロの場所を避けて通るから、想像力が入りこむ余地がないのね。ただの羅列になっちゃう。それはもう芸術作品と言えないものよ。私の愛する芸術家さん、とにかく根を詰めないで表現してね。芸術は命懸けの長丁場の仕事だから、のんびりやることよ」
 メイ子が私に、
「記憶がトロトロになってるということは、表現しようとしても捕まえられないってことですか?」
「表現したいという気持ちは頭にあるけど、それがいま生きてる事実より大事なことなのか、言葉を探してるうちにわからなくなっちゃうってことだね。でもそれはぼくの感覚の問題だ。どんなにわからなくても、表現するというのは、記憶していることをそのまま書くことじゃないから、言葉を探しながら想像の世界を書くしかない。でも、その世界が現在の世界より重要だということじゃないんだ」
 カズちゃんが、
「比較できるものじゃないわ。作り上げた過去もきびしく存在する現在も同じくらい大事よ。人はそれをエネルギーにして生きてるんだから」
 自分の中にあったはずの幼い主観が見つからず、ただ記憶の穴倉から逃げ出そうとする感じだ。こういうときに人は、真率な言葉を失った〈客観描写〉とやらをするのかもしれない。事実を羅列して、解釈の下駄を他人に預けるやり方だ。自分に貼りついているじっちゃや、ばっちゃや、母や、父や、岡本所長や、浅野や、野球や、友や、女たち。そういう拭えない記憶のぜんぶを表現する努力を捨て去ったあとに残るのは、〈客観的〉なやり口で作ったつるりとした、自分ではない人間の一代記だろう。そんなものは書きたくない。
「難しいですね」
「うん。人は難しいことをがんばってやらなくちゃいけないと思う。ごはん、お替わり」
「はい」
「水炊きって、おいしいもんだね。エアコンがあるから、汗をかかずに食べられるし、夏の鍋もオツだ」
 メイ子は私にめしをよそうと、カズちゃんと自分の茶碗にも二杯目のめしをよそった。
「水炊きで精がついたら、したくなった」
「大歓迎で。私もメイ子ちゃんももう危なくないから」
 メイ子が、
「いつもしてもらえて……なんかみなさんに悪いみたいです」
「悪くなんかないわよ。みんな適当に隙を見つけて、キョウちゃんのお情けをいただいてるんだから」
 二人は後片づけをすると、小便をしにいった。私も全裸になってカズちゃんの寝室の蒲団に横たわった。やがて二人は寝室を覗き、私の屹立したものを見て、そそくさと服を脱ぎ捨ててしなだれてきた。メイ子は私のものを握って含み、カズちゃんは寄り添い、情熱的な口づけをしながら胸をさする。
 私はメイ子の脚を広げ、性器に口を寄せる。舌先に神経を集める。包皮から硬い頭が覗きかけたところで吸い上げる。
「あ、すみません、イキます、あああ、イク、イク!」
 痙攣する腹をなぜる。
「あああ、気持ちいい……」
 すぐさま挿入し、浅い上壁をあわただしくこする。
「あ、気持ちいい、ああ、気持ちいい」
 深く突き入れ、激しくピストンし、浅く深くを繰り返す。
「す、すごく気持ちいい、もう、だめです、熱い」
 カズちゃんがメイ子の手を握った。
「メイ子ちゃん、そんなに気持ちいいの、とってもいいの?」
「もうだめです、イッちゃう、イッちゃう、あああ、イクイク、イクイク、イク!」
 思い切り引き抜くと、愛液が真っすぐ前方へ飛んだ。カズちゃんが私のものを宥めるように咥える。メイ子が腹を絞る。
「ああ、イク、イク、イク! イクッ!」
 達するたびに、ピュッ、ビュッと飛ぶ。カズちゃんが指に受けて舐めた。
「甘じょっぱい」
 私もまねて舐めた。
「ほんとだ、甘くて、しょっぱい」
 カズちゃんがメイ子の横に並んで脚を広げた。カズちゃんの唇を吸いながらゆっくり挿入する。たちまちカズちゃんだけのうごめきに包みこまれる。動く。
「愛してるわ、キョウちゃん、ああ、とても気持ちいい、すぐイクわね、あ、イク、ううん、イク!」
 柔らかい蠕動にまかせる。もう一度ゆっくり動きだす。
「ああ、止まらなくなる、あああ、あ、イク! キョウちゃん、抜いて、もう一度メイ子ちゃんにしてあげて、待ってるから、ウウン、イク!」
 抜いて仰向けになると、メイ子が懸命に跨ってくる。
「あん、いい気持ち、好き好き、愛してます、あああ、気も……イッ、イク、イクイクイク、イク! 好き好き好き、イク! ああ、イク、イク! ううん、もうだめです! イク!」
 転げ落ちる。カズちゃんがキスをしながら覆いかぶさり、指で私のものをつかんで大切に膣口に含ませる。ゆっくり降りてくる。さっきにも増してすごいうごめきだ。迫る。
「好き、死ぬほど好き、キョウちゃん、大好きなキョウちゃん、イキます、ああ、イク! あ、大きくなった、キョウちゃんもイクのね? うれしい、イッて、あ、イクイク、イクウ!」
 発射する。カズちゃんはグッと腰を落として咥えこむ。
「ウウン! 愛してる! イク!」
 カズちゃんの口を吸いながら三度、四度と律動する。
「あああ、キョウちゃん、死ぬほど愛してる、強くイク、ウックウウ!」
 連続のアクメが始まる。私を抱き締めて離さない。腹を何度も打ちつける。
         †
 私を真ん中に、両脇にカズちゃんとメイ子が横たわる。カズちゃんが、
「メイ子ちゃん、すっかりほんものね」
「はい。こんなすばらしいことを知らないで、一人前の顔しながら何年もいきずりの男たちとやってました。好きと言いながらイケるなんて、結婚してたころにもなかったことです。もう思い残すことはありません」
「何言ってるの、あしたにでも死ぬみたいに」
「ほんとにそんな気持ちです。信じられなくて」
「また三日もしたら、したくてたまらなくなるわよ。でも、いつでも待つ気持ちが大切ね」
「はい。からだというより、神無月さんのことが好きで好きで仕方がないんです」
「あたりまえよ。好きとからだは別。好きだという気持ちは毎日抱いていられるけど、からだの快感は待つしかないの」
「はい、いつまでも待ちます」
「操を堅くしてね」
「はい、神無月さん以外の男なんて、目に入りません」
「自分がいちばん愛されてるって自信を持ってね。キョウちゃんは卑屈な女が嫌いだし、その自信がないとキョウちゃんのことを愛してるって心から言えなくなるから」
「はい」
「キョウちゃんの女はみんな、愛されてるって自信があるの。キョウちゃんのことが死ぬほど好きだし、キョウちゃんが愛してる女にしか勃たないってことも知ってるから。むかしメイ子ちゃんのお店にきた男たちは、愛される資格のない男たちよ。だれにでも勃つというのは、だれも愛していないのと同じ。だれも愛せない男は、だれにも愛されない。そんな男は、女のからだの扱い方も知らないの。キョウちゃんは自分が選んだ女にしか勃たないし、愛撫もしてあげない。愛しい人に愛された以上は、いつも愛撫に応える気持ちで待ち構えていなくちゃいけないのよ」
 カズちゃんが微笑んでいる。
「私がこんなことを言うのは、あなたが生まれて初めて怖がらずに、キョウちゃんの愛情に全力の愛情で応えてるからよ。そのあなたを褒めてるの。愛情がないと、自分かわいさから、思い切り正体を曝け出そうとしないもの」
 すでに勃起が回復しはじめている。チラッとメイ子が見た。私はメイ子をやさしく抱き締め、四つん這いにさせた。
「それ、感じすぎて……」
「これがキョウちゃんなの。何でも応えると言ったでしょう。思い切り自分の正体を曝け出して」
「はい」
 突き入れる。
「……や、気持ちいい! どうしよ、やだ、ううう、イッちゃう、あああ、イクウ! やだやだ、気持ちいいい! イク!」
 引き抜く、
「カズちゃん、出すから、お尻」
「はい」
 挿入したとたん、
「う、出る!」
「私も、イク!」
「愛してるよ、カズちゃん」
「私もよ、あ、イク、イク、う、イックウウ!」
 クリトリスを押し回す。
「あああ、キョウちゃん、うれしい、イ……ク!」
 痙攣する腹を抱き締める。カズちゃんは大げさな発声はしないが、その分膣を固く締めつけて応える。メイ子が静かに横たわって痙攣している。
 快楽の名残の脂汗が滲んでいる乳房を私の腕に押しつけながら、カズちゃんが言う。
「あした千佳ちゃんたち、名古屋大学の学生集会に出るらしいわ。学生運動の歴史について、というテーマですって。散歩がてらいってきたら」
 もう一つの腕はメイ子が握っている。
「学生自治会の催しだな。あしたは阪神戦だ」
「六時からでしょ? 学生集会は十一時からよ。見てきたらどう? 何でも経験しておくべきよ」
「うん。学生運動というのはこれまでツンボ桟敷に置かれてきた分野だから、少しばかり興味はあるんだけど、聴衆としては会場に入らないでおこう。言葉が相手を有効に刺さない弓矢みたいに飛び交うだけで、現実味の薄い会合になるのは目に見えてるからね。ドアのそばでチラリと見たら、一時間ぐらい構内を歩くだけにする。雨が降ってほしいな。名大は緑がきれいだから」
「降ったら試合が中止になるわよ。集会が終わったあとムッちゃんたちと北村に戻ってお昼食べて、ゆっくりしてから球場に出かければいいわ。千佳ちゃんが、名古屋大学は全学連に入ってないから、気楽に参加できるって言ってた。全学連て何?」
「そう言えば、いつだったか林に教えてもらったな。全日本、学生自治会、連合。ミンセイとかカクマルとかいろんな党派があるらしい。山口かよしのりにも聞いたことがある。東大と立命館が最大手の加盟大学で、全学連予算の分担金のほとんどをその二大学が払ってるんだって」


         二百五

 メイ子の肩を抱いてやると、三十二歳の彼女は私の手が触れている部分に全身の神経を集中する。少女のようだ。人のよい素朴さと肉体の反応の落差が激しい。メイ子は感覚を逸らしながら懸命にしゃべる。
「なんかへんな感じですね。会費払って政治運動をしてるのって」
「結束するためには仕方ないんだろうね。徒党を組むというやつだ。政治は複雑すぎてぼくにはわからない。一生知らずに死んでいきたい世界だ」
 カズちゃんが、
「人を支配する仕組みって、どうしても複雑になるわね。実行者と、お手伝いと、じゃまする人と。……この世の仕組み」
「プロ球団や暴力団の階級構造だって複雑だ。一人ひとりの人間は単純なのにね。でも詳しく知りたい世界だ」
「北村席やアイリスもそうよ。お金を払う人と払われる人がいる集団はどうしてもそうなるの。国も同じ。どちらかが不満だと、争いが起こる。キョウちゃんのように単純に生きててくれる人がいると、つまらない複雑さの中で暮らしてる人はとっても安らぐわ」
「単純思考と単純作業。それで人を幸福にできるならうれしい。野球もセックスも対症療法だね」
「いいえ、根本療法よ。この世が複雑になるのは、わがままな一人ひとりがみんな幸福になりたいからよ。そのせいで複雑になっちゃった仕組みに囲まれてるけど、その人たちを救う方法はとても単純よ。自分の幸福を考えない神さまのような人が、幸福になりたい人に幸福を与えること。単純だけど、そんな人はめったにいない。いたら感謝して、全身全霊で愛して、護ってあげないといけないわ。……疲れて死んじゃうから」
 両側から二人の女が腕を取って抱きついた。カズちゃんが、
「そろそろ雅江さんのところにいってあげるころでしょう?」
「……オールスター明けの土日を考えてた」
 カズちゃんは壁のカレンダーを見て、
「土日は川崎の大洋戦ね。平和台から飛行機で戻ってくるのは二十三日だから、二十三、二十四の水木しかないわね」
 二十三日は、下通とのピンポイントのデイト日だ。
「無理だな。二十三日は帰ってくるのが、たぶん遅くなる」
「そうね、ちょっと無理ね。二十四日の木曜日だと、雅江さんの都合がつかないでしょうしね」
「大洋戦の仕度もあるしね」
 カズちゃんはまた日程カレンダーを見つめ、
「八月十七日の阪神戦最終日が、ちょうど日曜日。でも、夜遅くなるわね。それ以降の土日はずっと無理。思い切ってオールスター前のウィークデイにいったらどうかしら」
「すぐ大洋戦だ。やっぱり無理だね」
「うん、わかった。事情を話して、この十三日の阪神戦の終わった翌日に、則武に呼んどいてあげる。飛んでくると思うわ。十五日の朝、ここから出勤すればいいんだから。……雅江さんを避けてるわけじゃないんでしょう?」
「それはない。じゃ、そうしてね」
「あした、集会は何時だった?」
「十一時。千佳ちゃんもムッちゃんのマンションから出かけるって」
「わかった」
 メイ子の寝息が聞こえてきた。メイ子の手を外して私の腰に置かせ、カズちゃんと両手を握り合って眠った。
         †
 七月六日日曜日。七時起床。雨音は聞こえない。晴れた。寝床でグズグズする。
 七時四十五分、寝床の中でカズちゃんたちの出勤の物音を聞く。今年じゅうアイリスは土曜も日曜も休まない。
 ジムトレのあと、うがい、軟便。爪切り、耳かす取り、髭剃り。シェイバーを少し深く当てられるようになった。歯を磨きながらシャワーを浴び、ミズノの新しいジャージを着る。用意してあるキッチンパラソルのめしを食う。スクランブルエッグと厚切りハムステーキ。白菜の浅漬け。らっきょ。シジミの味噌汁。美味。
 金原に電話する。母親が出て、小夜子さんをと言うと、こちらの名前も尋かずにすぐに金原に代わった。
「いまのお母さん?」
「うん。やさしそうやったろ。母親は娘の恋人にやさしいから」
「恋人ってわかるんだ」
「女の直感でね」
「十一時からの学生集会を覗こうと思うんだけど、いっしょにいかない? 例の二人の名大生に会わせたいんだ」
「いく。うちにきて。朝ごはん食べてって」
「食った。タクシーでいこう。名古屋駅の表口、十時半」
「きょう試合やないの?」
「うん。六時から」
「……する時間あれせんね」
 切なそうな声だ。
「ある。いまなら」
「やっぱりうちにきて。うちで、しよ」
「お母さんたちがいるだろ。則武にきたら?」
「見せたいんよ。神無月くんを」
「……口、軽くない」
「ぜったい」
 ジャージのまま自転車に乗って金原の家に向かった。家族に挨拶をし、セックスをしたらすぐ帰ろうと思った。花の木から回って、金原の家の玄関に着いた。ブザーを押す。金原によく似た顔の平べったい二十代半ばの女が出てきた。私の顔を見たとたん、
「え! あの、あの……」
「神無月と申します」
「ヒャー、やだ、おかあさん、神無月選手よ、あの有名な神無月選手!」
 金原が式台に走り出てくる。
「神無月くん!」
 金原について出てきた少し肉付きのいい母親が口に手を当てて絶句した。彼女もやはり平べったい顔をしていた。
「神無月くん、上がりゃあ」
「うん、十時ぐらいにいったん着替えに帰るね。集会は十一時からだから」
「わかった」
 狭い居間に通される。食事が終わって、一家でテレビを観ていたようだ。
「こんなジャージ姿ですみません。外出するときは着るようにとスポンサーに言われてるもので」
 母親が、
「ええんよ、そんなの。ほんとやったんやね、小夜子の言っとったこと。高校のクラスが同じだゆうことは、小夜子の写真見て知っとったけど。ええ男やなあ! まるで人形やが」
 姉が畳に手を突き、
「ゆかりと申します。小夜子をよろしくお願いします」
 私も礼を返した。母親も頭を下げ、
「母の、ちえと申します。神無月さん、小夜子とは……」
 小さい目を細める。
「高校のころからお付き合いしてます」
「と言うと……」
「はい。ぜんぶ」
「へええ!」
 金原がコーヒーをいれてきた。
「すごいがや、小夜子、よかったなあ!」
「関係ないがね。私が好きなだけやもの。見返りを期待したらあかんよ。私は高校までで用済み。あとはフリー。神無月くん待ち」
 私はコーヒーをすする。金原が母親に釘を刺す。
「近所の人やお店の客に自慢したらあかんからね。マスコミがすぐ嗅ぎつけて、神無月くんが身動きできんようになってまう。もう、遊びにきてくれんよ」
「自慢なんかせんよ。いまも信じられんくらいやも。自慢するの、もったいないわ」
 姉が、
「……小夜ちゃん、抱いてもらわんでええの? ひさしぶりに逢ったんでしょ。私たちはちょっと買い物にいってくるで、抱いてもらい。そのあとで駅までいっしょにいって、大学いけばええが」
「……うん、そうする」
 母親が、
「神無月さん、うちらのことは気にせんとまた遊びにきてやってね」
「はい」
 二人が買い物袋を提げて出かけると、金原の勉強部屋にいった。
「危ない日」
「ううん、たっぷり出して」
 勉強机の上に慎ましく写真が立ててある。文化祭のときに花屋で撮った写真だ。私に並びかけて首をかしげている。
「さっきお母さんが言ってた写真だね。こんな写真あったんだね」
「原くんか田島くんが撮ったんやなかったかなあ。……おかあさんたち、うれしそうやった。家族孝行はこれ一回。もう家には呼ばん。……恥ずかしいけど、神無月くんが玄関に顔を出したときから濡れとったんよ。パンティびっしょり。早よ舐めて」
 もどかしそうに服を脱ぎ、パンティを脱ぐと、ベッドに仰向き、大きく股を開いた。きれいな無毛の性器が茶褐色の小陰唇と大きなクリトリスを覗かせている。私も全裸になり、口で覆う。
「あああ、気持ちいい!」
 いつものようにクリトリスが隆起してうごめく。
「ああ、イキそ、イクね、神無月くん、イク!」
 私は性器を屹立させながら仰向く。旅館のときと同じように、彼女はまだ痙攣が止まないうちにシックスナインの形をとり、ふるえながら私のものを懸命に含む。私も膣口を舌先で舐めてやる。尻が跳ね、もう一度達する。彼女はその儀式を済ませると、足のほうへいざっていき、足首をつかんで亀頭を膣口にはめこむ。彼女の好きな手順だ。
「ああ、すごくええ、好きや、好き、愛しとる!」
 結合の感触を大切に確かめるように尻を上下させる。
「あ、がまんする、まだイカん、ぜったいイカん、好きよ、神無月くん、大好きよ、ああだめ、だめ、イクイクイク、イク!」
 金原は快感の閾値を超さないように腰を止め、強い痙攣をこらえながら、グイと背中を反り返らせる。見慣れた彼女のアクメの形だ。やがて力が緩み、新しい快感を求めてゆっくり腰が動きだす。
「やばい、今度イッたら止まらんようになる、あああ、イク! 止まらん止まらん、苦しい、神無月くん、苦しい、イック、イック、イック!」
 そしてあの目覚ましい感覚がきた。子宮口が亀頭をさすりはじめる。唇で弄ぶように亀頭の先を舐める。陰茎に強すぎる緊縛を感じ取る。生殖器以外ではめったに感覚できない対話だ。愛の言葉をどんな手段よりも饒舌に語りかけてくる。思わず吐き出した。
「あああ、気持ちいいい! イク! イック! うううん、イクイクイク、イックウ! 愛しとる、死ぬほど好きや、好き好き、愛しとるウウ、やばいやばい、止まらん、も、もうだめ、死んでまう、あああ、またイク、イック! きょうは抜かんよ、抜かんよ、このまま死ぬ、死んでまう、あああイグウウウ!」
 やっぱり金原はこらえ切れずに飛び離れて仰向きになり、蛙の形に腿を拡げて、白い陰丘を突き出しながらスキーン液を飛ばす。なんと野生的な姿態だろう。快感が激しいときのキクエがときどきこの形になる。跳ね狂う下腹に耳を当てる。何も聞こえない。




進撃再開その23へ進む


(目次へ戻る)