四十三 

 ジャンケンに勝った日比野中が後攻をとった。両チームのスタメンの名前がセンターボードで、くるり、くるりと返っていく。ペンキで塗った名前がみるみる乾いて、鮮やかな白文字に変わっていく。チームメイトの眼がそれに吸い寄せられたまま動かない。女性アナウンサーの声がメンバーを紹介しはじめた。
「先攻、名古屋市立宮中学校、一番、ファースト関くん、二番、ショート高須くん、三番、センター本間くん、四番、レフト神無月くん、五番、キャッチャー中村くん……」
 その声を、中日球場のウグイス嬢の声に重ねて聞いた。なぜか耳に甦ってきたスターティングメンバーは、ドラゴンズではなく巨人軍のものだった。
『一番、ファースト与那嶺、二番、ショート広岡、三番、センター藤尾、四番、サード長嶋、五番、レフト坂崎……』
 私には野球しかない。静かな水に波が立ちはじめた。
「九回表まで攻撃できる。あせらず、無心でいけ!」
 和田先生は肩を怒らせ、まじめな顔で、いつもと同じような檄を飛ばした。記録がかかっている私は、とても無心ではいられなかった。
 ―あと一本でタイ。二本で新記録。
 そればかり心に唱える。これが達成できれば、のっぴきならない前途が目の前に開けるような気がする。
「日比野の四番××、あいつ来年中商にいくらしいぞ」
 本間が、ベンチ前でキャッチボールをしていた先発の今に言った。みんないっせいに、ショートを守っている男に視線をやった。私はまた水のような悲しみに襲われた。その中商で私は一年生から四番を打つはずだったのだ。和田先生がじっと私の横顔を見ていた。
「××は二本しかホームランを打っとらん。金太郎の敵じゃないぞ」
 微笑みながら私に声をかけた。
 ―悔やんでも仕方がない。泣き叫んででも自分の意志を最後まで押し通さなかった自分が悪いのだ。押し通していれば、いまごろは中京中学で……。いや、もう考えるのはよそう。とにかく、一本でも多くホームランを打つように努力しよう。
 西の地平線から、切れ目なくつながったねずみ色の雲が湧きはじめた。雲のあいだに青空の隙間が見える。空がぐんぐん低く降りてきて、大粒の雨が地面を打ちはじめた。
「天気雨だ。すぐ上がる」
 和田先生が言った。甲子園とそっくりのサイレンが鳴った。
「整列!」
 雨の中を走っていく。
「礼!」
 敵チームが守備に散った。和田先生の言ったとおり、雨はたちまち上がり、深い青空が広がった。芝生も鮮やかな緑になった。
 日比野のエースピッチャーは、中学生には珍しいスリークォーターだった。たくみに平衡をとって足を跳ね上げる投球フォームが、大洋ホエールズの秋山に似ている。かなりスピードもある。
「あれだな、やつの武器は」
 和田先生があごで指した。キャッチャーのミットにドロップが斜めにストンと曲がり落ちた。
「すげえ!」
 太田がため息をついた。あんなの打てっこないが、と御手洗が呟く。
「手を出さなければ、なんとかなる」
 和田先生はみんなを見回しながら眼鏡を押し上げた。
 ―そうだ、直球に絞り切れば、一本はいける。一本はいけるけど、新記録は難しいかもしれない。私は深く息を吸った。
「プレイボール!」
 主審が叫んだ。スピーカーから柔らかい声が流れる。
「一番、ファースト、関くん」 
「いけ、いけ、いけェェェ!」
 ベンチの声に励まされて、関が張り切ってバッターボックスに立った。初球、胸もとのホップボールが、目の覚めるような音を立ててキャッチャーミットに吸いこまれた。関があわててのけぞった。投球練習のときよりずっと速い。武器は二つ、速球とドロップだ。
「ナイスセン、ナイスセン」
 外角低めにドロップ。ぎりぎりストライク。さすが決勝まで駒を進めてきたピッチャーだ。緩急の差がすごい。三球目、内角低目へシュート。ストライク。
「うへ、シュートもあるのか」
 本間がベンチから身を乗り出した。四球目、もう一度胸もとへ速球。たまらず関はヘッドアップしながら空振りした。速球を打つしかない、と私は決めた。つづく太田はピッチャーゴロ、本間はショートゴロ。二人ともなんとかバットに当てただけ。あっという間にスリーアウトになった。全員守備位置へダッシュしていく。
「今、ど真ん中へいけ!」
 和田先生の大声が聞こえてくる。今は言われたとおり、一番バッターの一球目に、ど真ん中の直球を投げた。出会い頭に合わせられた。鋭い打球がレフトに飛んでくる。私はそれを大事に拝み取りしようとして、グローブの土手に当てて前へ落とした。一瞬、目の前が暗くなり、私はあわててボールを拾い上げると、何を思ったか、ピッチャーへ思い切り返球した。これを見たランナーが猛スピードで二塁へ向かう。不幸中の幸い、今がノーバウンドで受け取ったボールを素早くセカンドに送球して、間一髪タッチアウト。
「悪―い!」
 私は今にグローブを振った。胸が太鼓のように拍っている。
「ドンマイ、ドンマイ!」
 今が笑顔で振り向いて叫ぶ。センターの本間からも同じ声が聞こえてきた。危うくピンチを逃れたことに気をよくしたのか、今は得意のカーブで後続を二人とも三振に切って取った。
 二回、三回、四回と、敵味方ともに凡打をつづけ、試合は膠着状態になった。息が詰まりそうだ。暑い。グランドを囲んでいるスタンドが、芝生と入り混じってゆらゆらと揺らいで見える。拭っても、拭っても、汗が額から流れ落ちてくる。目の中に入らないようにしきりにタオルを使う。
 五回の裏に日比野は、フォアボールをきっかけにヒットエンドランを決め、四番の××が右中間へ二塁打を放って二点を入れた。その××をバントで三塁に進め、六番の犠牲フライで還した。三対ゼロ。北山中と同じ展開だけれども、決勝戦だけに絶望的な点差に感じた。
 六回表、先頭打者の本間が、得意の左手だけで叩きつけるスィングでセンター前にヒットを打った。私の打順だ。エラーの後ろめたさがいつまでも胸に残り、私はそれまで二打席つづけて三振していた。速球を待つアイデアが裏目に出ていた。日比野のピッチャーは私にはなかなかストレートを投げてこなかった。ドロップ、ドロップ、シュート、カーブの連続で、たまに直球を投げても、顔のあたりのボールになるやつだ。
 ―低目だけを振ってやろう。それが変化球だったら、もうごめんなさいだ。
 一か八かの決心をし、しっかりと地面を踏みしめながらバッターボックスに近づいていった。打席に立つ前に、尻のポケットからタオルを取り出して、もう一度、顔の汗を拭いた。
 ―新記録どころじゃないぞ。このぶんだと、タイ記録も危ない。
「一点でも返していこう! や、二点でもいいぞ、金太郎!」
 和田先生はホームランを期待している。私は形ばかりに自信満々の表情でうなずいた。きょうはまだベンチから〈金太郎さん〉の合唱が上がっていない。
 一球目。やっぱりドロップできた。見逃す。判定はストライク。
「見てけ、見てけ」
 デブシの声。このまま見ていたら、たちまち三振だ。コントロールのいいピッチャーなのだ。手を出しても出さなくても、あっというまに追いこまれる。
 ―低目と決めたんだ。足のあたりでも振ってやる。
 私のまぶたの裏に鮮やかなイメージが浮かんだ。九十二メートルのフェンスの向こうへ低いライナーのホームランを打ちこんで、からだを傾けながら一塁を回る背番号8の姿だった。高く振りかぶったピッチャーが腕を振り下ろした。白いかたまりがスピードを上げてやってくる。クン、クン、と区切りをつけるように近づいてきて、膝の前で急に大きくなった。
 ―打てる! 
 思い切り叩いた。
「ヨッシャ!」
「いったァ!」
「いただきィ!」
 ボールの行方を見ると、低い打球が九十二メートルのフェンスを目指して飛んでいくところだった。ライトライナーか? 頼む、伸びてくれ! 無理か! 二塁打かもしれないと見切って、走るスピードを上げた。本間も全速力で走っている。ライトが動きを止めて空を見上げた。途中から浮き上がるように高さを増していったボールが、フェンスをはるか越えて、人がまばらに坐っているスタンドに突き刺さった。目の前を輝かしい閃光がよぎった。私はついさっき頭に描いたイメージどおりに、からだを斜めにして一塁を回った。
 ―九本。タイだ。
 九回までに、あと一本。そう思いながら三塁ベースを回ろうとしたとき、つまずいてけんけんをする格好になった。味方ベンチにどっと笑い声が上がった。観客もスカウトたちも笑った。あの中に押美はいない。
 狂喜した和田先生が、先頭切ってホームに出迎えた。チームメイトに腕を握られる。背中や頭を叩かれる。腰に抱きつくように飛びついてくるやつもいる。まったくいつもと同じだ。
「よっしゃ、逆転して引き離すぞ!」
 勝算の立った和田先生が興奮して叫んだ。六回。三対二。勝てるかもしれない。望みが出てきた。
 しかし、今から崎山、野津、とつないでこらえていた一点差が、八回の裏に日比野の四番××の左中間ランニングホームランで三点に開いた。これで勝負はほとんど決したとみんな思った。仲間たちの興味は、私の新記録だけになった。しかし私は、もう新記録などどうでいいような気がしてきた。押美が見ていないのだ。
 九回表、日比野はクローザーの速球ピッチャーに代えてきた。
「こいつのほうが打ちやすいで……」
 デブシが呟いた。私もそう思った。先頭打者の関がファースト強襲の内野安打で出ると、高須がゆるいゴロで三遊間を抜いた。ノーアウト一塁、三塁。つづく三番の本間が初球をセンターに打ち上げ、犠牲フライで関を返した。二点差になった。ワンアウト、ランナー一塁。ひょっとしたら―。新記録と優勝。希望がふたたび湧いてきた。
 ホームランしか狙わないと決めて、バッターボックスに入った。敵のピッチャーにもそれがわかっている。ゲッツーを期待して初球から低目をつく。外角低目へ、ボール。二球目内角ワンバウンド、ツーボール。私が低目に強いことを知らない様子だ。三球目内角膝もと、スリーボール。一球もストライクを投げない。ノースリーまで見逃す。バットが届くところを待っているのが空しい。バットにボールを乗せられないほど低すぎるので、手の出しようがない。宮中ベンチが口々に罵る。
「敬遠かや、きたねえぞ!」
「ホームラン打たれても、同点やろ!」
「新記録がおそがいんか!」
 四球目、逆転のランナーを出したくなかったのだろう、足首のあたりにストライク狙いのストレートがきた。ノースリーから打ちにこないと信じたバッテリーの油断だった。思い切り掬い上げると、ボールは一直線に伸びていって、フェンスすれすれに飛びこんだ。同点ホームラン。ベンチから悲鳴のような歓声が上がった。
「やったー!」
「バンザーイ!」
「信じられんわァ!」
 歓声が逆巻く。なぜだろう、ダイヤモンドを回るとき、あの目のくらむような閃光はもうよぎらなかった。もっと柔らかく圧力のある光の一本道が見えた。その道を見つめながら、ベンチの華やかな祝福にも私は上の空だった。道の上を静かな風が吹いているようだった。山本法子が立ち上がって拍手していた。その姿に心の底から喜びを感じた。
 ―だれに引き上げられなくてもいい。ぼく独りで野球選手への光の道を進んでいく。
「やったな金太郎。新記録おめでとう!」
 和田先生が目を潤ませている。関やデブシたちも、おめでとうを連発しながら、まるで優勝したように舞い上がっている。ベンチの上で二つ、三つ、フラッシュが光った。準決勝まではこのフラッシュは焚かれなかった。
「よし、金太郎につづけ。優勝するぞ!」
「オー!」
 私もいっしょに鬨(とき)の声を上げた。みんな優勝を疑わなかった。私は優勝の日の熱田球場のすべてを記憶に留めようと、ベンチからぐるりとスタンドを見回した。大きな喚声が上がった。デブシの打球が右中間を抜けていくところだった。足の遅いデブシがつんのめるように三塁にヘッドスライディングした。セーフ。まだワンアウトだ。逆転されようとしているのに、日比野のピッチャーは少しもあわてていない。瞬間、遠く未来へ貫く光の道の途上に暗く断裂したが谷が見え、かぎりなく長い破線の先におぼろな光輝が見えた。これから先、私に幸福を与えるのは、幸福を待ち望みながらする努力の歓びかもしれない。それもすばらしい人生だ。生きていく価値がある。
 ―太田、好きなように打て! スクイズなんかするな。
 私は心の中で叫んだ。好きなように打つために、毎日努力するのだ。太田は大振りをして打ち損ない、三塁フライを打ち上げた。和田先生はスクイズのサインを出さなかった。顔をくしゃくしゃにして笑っていた。すばらしい。私は拍手をした。みんな拍手した。ため息をつくものはだれもいなかった。次の高田も大振りして三球三振を食らった。


         四十四

 九回の裏、日比野の八番バッターが右中間を抜く二塁打を放った。九番のバントで三塁へ進む。百パーセント、スクイズしかない。さよならのランナーがホームに滑りこむ姿が目に浮かぶ。そして予想どおりになった。敗戦が決まった瞬間、みんなそれぞれの守備位置で満たされた顔をしていた。三年生はこの上なくいい思い出ができたと思い、一、二年生は未来があると思ったからだ。私もそう思った。未来はある。この光の一本道が見えているかぎり、何年かかっても幸福な未来にめぐり会えるだろう。
 全員ベンチへ引き揚げ、用具をまとめて通路へ出ようとしていたところへ報道記者たちが寄ってきた。和田先生がマイクを突きつけられ、敗戦の弁を求められた。
「みんなよくやりました。最善を尽くしたので悔いはありません」
 和田先生は溌溂と応えた。私にもマイクが向けられ、新記録に対する感想を求められた。
「ほんとにうれしいです。来年はもっと打てるよう努力します」
 二人の男が名刺を手に寄ってきた。
「名電工業の××と申します。新記録おめでとうございます。いずれ、来年の夏以降、お話をお伺いしにまいります。勉強も大秀才だそうで、すばらしいですね。わが校は工業高校とはいえ普通科も設けてございます。勉強に励むこともじゅうぶん可能です。ところで神無月くんは、こちらの資料によると、左投げ左打ちなってるんですが」
「去年、左肘を手術したので、右投げに替えたんです」
「それは! ……ふうむ、そんなことができるんですね。なんと言えばいいか、尋常でない努力をなさったんでしょうね。それであのすごい肩ですか。信じられないな」
 彼はしみじみと私の右腕を見つめた。
「中商の××と申します。押美からかねがねあなたのことは聞いてます」
「そうですか。押美さん、元気ですか」
「はい。彼は今年から陸上の専任になりました。くれぐれもきみによろしくと言っておりました。いやあ、聞きしにまさる天才バッターですね。あの低目をホームランするんですから。プロだって、なかなかあのコースをライナーでスタンドに持っていけません。しかも、軟式ボールですよ。物理的な理屈を超えてる。……静岡にも、中学生レベルを超えた加藤初(はじめ)というピッチャーがいます。きみと彼を獲得できたら中商も磐石なんですが。来年はじっくり交渉させていただきます」
 加藤ハジメとはだれのことかわからなかった。
「どちらの高校でも、母を説得さえしていただけるなら、そこへいこうと思います。ぼくは野球をやりたいだけですから。ぼくの唯一の希望は、中日ドラゴンズの選手になることです。どうか夢をかなえさせてください」
 二人のスカウトは眼に力をこめ、真剣な面持ちでうなずいた。和田先生が目を潤ませている。中商のスカウトが私の掌を握り、
「おまかせください。お百度参りをします。関西のPL学園もきみを狙ってるという噂があるんです。そこまで競合すれば、さすがにお母さんの気持ちも動くでしょう。お母さんのことは、押美から重々聞いています。……一年かけて、何度でも足を運びます」
 名電工のスカウトも肩に手を置き、
「きみの希望をかならず叶えます。全力でぶつかります。毎日野球をしていられる場所へあなたをさらっていきますよ。うちや中商さんのような名門校がスカウトに出向いて、これまで親族に断られたことはありません」
「期待しています」
 二、三人の新聞記者たちがしきりにメモをとっていた。新聞の力で母を動かすことはできないだろう。クマさんたちの力でも無理だ。正常な人間が、異常な人間を屈服させることはできない。
 帰り道、デブシや太田たちの顔に、せいせいしたような笑いがあった。きょうの晴れ舞台が野球選手としての彼らの〈シメ〉だったのだ。本間が、
「もう一生、俺に破竹の進撃も優勝もないだろうなあ。きょうをかぎりに、俺の野球も終わってしまった。あとは神無月に託すよ」
 これまでのはち切れるような希望や、何も恐いものはないという自信がすっかりなくなって、本間のからだつきが老人のように縮んでしまったように見えた。
「神無月先輩、来年こそ優勝ですね。すげえなあ、中商と名電工」
 一年生の野津が、まだ試合の興奮が残っているキンキンした声で言った。
「ほんとにいけるといいな」
 私は元気よく応えた。関が、
「いけるて。そして、甲子園や。俺、バンバン自慢するでな」
 宮中の正門に、疲労して生暖かく湿ったからだが寄り集まった。
「きょうはゆっくり休め。またあしたから練習だ。守備はもちろんのこと、打って勝てるように打線をもっと鍛えないといかん。神無月一人のチームでないようにせんとな。金太郎一人が炸裂したって、結局最後の詰めが利かんからな」
 濃い眉を上下させながら和田先生が言った。本間が殊勝な様子で、
「俺たちはきょうで引退する。あとを頼むぞ。野球は打って勝つのが基本や。神無月を中心に打線を強力にして、来年はぜひ優勝してくれよ。神無月、いつかかならずドラゴンズを優勝させてくれ」
「はい。入団できたら、きっと」
 デブシが、
「昭和二十九年からもう九年も優勝しとらんもんなあ」
 上級生の崎山と今、それから高須も、本間といっしょに進み出て、下級生に握手を求める。最後に和田先生と握手し、深く辞儀をして去っていった。和田先生は事後報告のために、正面玄関から人の気配のある職員室へ姿を消した。私と関は、デブシや太田たちと別れて、いっしょに帰った。
「神無月くん、ここまで連れてきてくれて、ありがとな。千年のときもそうやったけど、ぜんぶ、神無月くんのおかげや」
「そんなことないよ。野球の大好きな人間に、野球の神さまがご褒美をくれたんだ」
「優勝できなくて残念やったけど、俺はこれで満杯や。新聞記者、スカウト、すごかったなあ。これからはああやって神無月くんは暮らしていくんだね」
「どうかな。ラッキーや好意をはねつけると、徹底的に運がなくなるんだ。またスカウトは追い返されると思う。そして、二、三回の拒否で勧誘中止。将来、テスト生か何かでプロに挑戦するつもりだ」
 たとえきょうの手柄が新聞に載ったとしても、何も変わらないだろう。新聞を読む人たちも、地方の一少年の活躍など、何カ月か経てばすっかり忘れてしまう。私はひたすら努力をつづけて、僥倖を待っているしかない。
「小学校、中学校と、何度も新記録を打ち立てたんや。これで終わってまうなんてことあれせよ」
「うん。努力さえしていれば、だれかが迎えにきて、連れ出して、大舞台に引き上げてくれると思う。そのときは、人生最後のラッキーだと思って、もっともっと努力するよ」
「えらいなあ。……泣けてくるがや」
         † 
 草加次郎が吉永小百合に脅迫状を送りつけた話でテレビは持ちきりだ。人びとの話題になるのは、異常な人間や、犯罪者や、スポーツ選手や、芸能人のことばかりだ。きっとこんなふうに、大むかしからきのうまで時が流れてきて、きのうと同じようにきょうもあしたも流れていくということだろう。勉強とベースランニングの単調な昼も、ポップス音楽とラジオ講座の夜も、きのうと同じようにきょうも過ぎていく。
 ホームランの新記録が、新聞の地方版に大きくとりあげられた。職員室で和田先生がインタビューを受けている記事が載っていた。不世出の大天才とまで書いてあった。小山田さんが歯を剥いて、
「いよいよ、ドラゴンズが近づいてきたな、キョウちゃん。あと三、四年もしたら、メンタマ飛び出るような契約金ひっさげて、プロの球団が続々とやってくるんでないの」
 カズちゃんが頬を赤くして目を潤ませた。母は背中を向けたまま何も言わなかった。吉冨さんがその背中に声をかけた。
「おばさん、そろそろ認めてやったらどう? もうおばさんの力じゃ止められないところまできちゃったよ。この秋過ぎたら、来年の夏にかけてうるさくなるよ。楽しみだな」
 ほかの社員たちもしきりに新聞を覗きこんでいる。たしかに小山田さんや吉冨さんの言うように、将来に対する明るい兆しを予想することに何のためらいもないはずだ。
 母の頑迷さは、おそらくスカウト間に噂として流れているにちがいない。だから、彼らがやってきて、ほうほうの態で帰っていくたびに、いずれ小山田さんたちはすっかりあきらめるだろう。そして、遠からず、何も言わなくなるだろう。
         †
 私は実際以上に万能な人間であるかのように、何かを代表する人間であるかのように母以外の人びとから言われるようになった。自分の来しかたを知っている私は、そんなふうに思ったことはない。そう言われるのは、たまたま野球というスポーツに秀でていたからというだけのことで、人が何と言おうと、自分もほかの人と同じように、一皮剥けば、平凡で、並以下の能力しかないくせに、名誉欲にたけた人間だとわかっている。だから、口でどんな醒めたことを言おうと、この一度きりの人生で能力以上に成功したいと、思ってきた。
 生活に没頭している人間には、めざましい印象が次から次へ暇なくやってくる。たとえ最初の印象がどんなに深く刻みつけられても、あとからやってくる印象が前のものを弱めてしまう。私のホームラン記録も例外ではなかった。クマさんや小山田さんたちとしゃべったりするとき、そのことを忘れない愛情に包まれて私は透明に輝いたけれども、教師やクラスメイトのそばにいるときは、無関心の闇にまぎれて不透明にくすぶるようになった。
 たちまち夏が過ぎ、秋がきた。
 ある日こっそりと小山田さんと吉冨さんが小屋にやってきて、申し訳なさそうに言った。
「二人のスカウトが一度ずつきだんだけどさ、けんもほろろにおばさんに追い返されちまって、俺たちが口出しするチャンスもなかったよ」
 吉冨さんがまんざら空元気でもなさそうにうなずき、
「これで三回もきたんだ。日参は来年からだ。気長にいこうや」
 私の胸の中にはいつも悲しみの滓(おり)がよどんでいたけれども、しだいにそれが胸底へ沈殿していき、逆に明るい決意の芽が沈殿した滓から萌(きざ)しはじめた。
 ―野村や山内のように、高校を出たらプロのテストを受けよう。テスト生だってホームラン王になれるのだ。
 そう心に決めただけで、私はかなり安らかな気分になり、ふたたび学校の勉強に打ちこめるようになった。
         † 
 飯場の庭でヨメナの花が枯れはじめるころ、母の具合が悪くなった。彼女は後片づけをカズちゃん一人にまかせ、ほとんど毎晩、八時ごろに隣の部屋に上がってきた。ふだんより三時間も早かった。疲れたときによくやる癖で、炬燵テーブルの表面を指先でしきりにトントン叩く音が、隣の部屋まで聞こえてきた。ときどき、カズちゃんがやってきて、縁側から声をかけて上がり、母の背中をさすっているようだった。
 朝めしのとき、私は関心もなく訊いた。
「どうしたの?」
「胃のあたりが刺しこむんだよ。束にした針にドンと突かれるみたいな、太ォい痛み」
 流しに向かって背中を丸めている母は、疲労の色が濃くて、話し方もひどく間延びしたものだった。夜遅く襖を開けて、机にいる私に、
「もう、かあちゃん、だめかもしれない。思い当たるふしがあるんだよ。……横浜にいたとき、胃潰瘍だってお医者から言われたことがあってね。それが癌になっちゃったのかもしれない」
 などと大げさなことを言った。そんな日が二、三日つづいた。岡本所長や原田さんが母の六畳にちょくちょく顔を見せるようになった。
「ただの腹痛じゃなさそうだね」
「強情張らずに、医者にいきなさいよ」
「盲腸だったら、手遅れになるよ。英さんも、小河内ダムの現場で、やばいことになっただろう。盲腸は遺伝病だっていうからな」
 必要以上に心配そうな口を利いた。
 そんなある日、下校道で待っていた康男と連れ立って帰ってくると、カズちゃんがあわただしく寄ってきた。
「たいへんよ! お母さん、さっき救急車で運ばれたの」
 私は落ち着いたふうに尋いた。
「何の病気?」
「さあ、もう、とにかくお腹が痛いって」
「病院は? また労災病院?」
「熱田神宮のそばの白鳥内科ってところ。緊急入院だから病院を選べなかったみたい。いま原田さんと所長さんがいってる」
「そのうち見舞いにいくよ」
 私は素っ気なく答えた。
「いやでしょうけど、いってあげて。病気のときは心細いものよ。なんなら、いまから畠中のお姉さんに、いっしょにいくように頼んであげようか」
「いい。きょうは康男に聴かせたい音楽があるから」
「じゃ、大将さんといっしょにいけばいいじゃない」
 私は無視して小屋に引揚げた。私にしてみれば、母が何かの危機に見舞われて当然だという感じがしていた。


         四十五

 康男が唇を歪め、
「いかんでええんか」
 と訊いた。
「うん」
 それからひとしきり、私は康男にテープレコーダーを聴かせてすごした。曲名や歌手の名前や、聴きどころをしゃべりまくる。
「いまのはボビー・ビントンはのブルー・ベルベット。涙の紅バラのほうがいいな。ただ悲しい感じがするだけじゃなくて、曲を盛り上げていくやり方がドラマチックなんだ。じゃ次は、ジョニー・ティロットソンのキューティ・パイ。こういう速いリズムは、エディ・ホッジスのほうがずっといいんだけどね。特に恋の売りこみはいいよ」
 康男はまじめな顔でうつむいている。音楽にいっさい関心を示さないで、ときどき、例のすがめるような目で私を見つめた。
「どんな親でもな、神無月―」
 私はさえぎって、
「気にしなくていいって。康男がいるから病院にいかないわけじゃないんだ」
「わかっとる。でもよ、どんなにイヤなやつでも、親は親だで。あの女が言うとおり、病人は心細いもんや。見舞いぐらい、いったらんとあかん。俺、帰るでよ。ぜったい、いったれよ」
 私は返事をせず、千年小学校の正門まで送って出た。手を振って戻ると、母の部屋で猫がうるさく鳴いている。私は舌打ちし、カズちゃんに猫めしをもらいにいった。
「キョウちゃんの気持ち、わかる……。またスカウト追い返したりして、ひどい人。キョウちゃんの人生のじゃまをしようとしてるのね。でも、こういうときは、いっとき忘れてあげて。復讐はよくないわ。キョウちゃんらしくない」
 私は応えなかった。その夜、原田さんの報告で、母の病気は胆石だとわかった。私は原田さんに、そう、とひとこと言って、小屋に引き揚げた。
 何日も見舞いにいかなかった。やがて、母の不在に慣れ、彼女の病気のことも忘れてしまった。カズちゃんがいてくれるだけで、満足だった。おかずはうまかったし、何よりも食堂が明るくなった。
         †
 宮中の秋季行事で、県境の稲武町へ野外学習に出かけた。クラス編成のバスでいった。カズちゃんに買ってもらったリュックにカズちゃんが作った弁当を詰め、関とキャッチボールをしようと思ってグローブとボールも入れ、おまけにタオルやノートも持参しなければならないというわけで、リュックはずっしりと重たくなった。
 バスを降りてからは、康男を捜し当て、ほかのクラスの連中といっしょにぞろぞろ名倉川の河原まで重い荷物を背負って歩いた。康男は手ぶらだった。太井平ハイキングコースというらしかった。
 岩だらけの河原に着いて、リュックを下ろしたとたん、あまりの身の軽さに笑いだしてしまった。康男もつられて笑った。カズちゃんの握ってくれたシャケとオカカの握りめしを、康男と分け合って食べた。うまかった。近藤先生がカメラを持ってきていて、記念写真を撮ってやると言う。康男はさっと去っていった。直井と粟田が両側から親しく肩を寄せてきて気持ちが悪かった。二枚目を撮るとき、図々しく桑原も寄ってきた。結局、関とキャッチボールはしなかったし、野外学習らしきものもしなかった。
 帰りに竹細工の工芸所に寄り、竹とんぼを作った。私は参加しなかったが、なぜか康男は一人熱心にプロペラを削っていた。考えると、康男がこういう小旅行に加わるのはこれまで一度もないことだった。
         †
 十一月二十二日だった。ランニングとトスバッティングだけの練習をすませて早めに帰ると、社員たちが食堂でぼそぼそやり合っていた。心臓が不吉に鳴った。母のことかもしれない。食堂にはクマさんはじめ、いつもの顔が揃っていた。
「どうしたの?」
「ケネディが撃たれた。こりゃ、死んだな」
 母のことではなかった。私はほっとした。
「ベトナム撤退問題で、地雷を踏んじゃったか」
「宗教クーデターじゃないの」
「初めての衛星中継が、とんだことになったな」
 何年か前に、浅沼稲次郎という政治家が短刀で刺し殺されたときも、私は偶然吉冨さんたちといっしょにテレビの前にいた。ついこのあいだ、社会科の授業で、ニューフロンティア政策とか、キューバ危機とか、中村専修郎がわけのわからないことを言っていたけれども、彼のいつもの質問に直井が、
「フルシチョフに働きかけました。ケネディは米ソ和解の立役者です」
 と、得意げに答えていた。
「ケネディ大統領が暗殺されたの?」
「ああ、頭を撃たれた。即死だろ」
 小山田さんが反り返って腕組みをした。
「武器商人とマフィアの結託かもしれませんね」
 原田さんが一家言らしきものを言った。とんでもなく揺れる画面がテレビに映っている。焦点の定まらないカメラが群衆の足もとだけを映し出す。何度もその映像をくりかえし見せる。
「足ばかり映して、何が何だかちっともわからないわ」
 カズちゃんが菜箸を手に、もどかしそうな声で言った。アナウンサーが、その画面のことを、たまたま路上でビデオカメラを回していた通行人が、ケネディが撃たれたと知ってあわてて遊説車の背後を追いかけながら撮影しつづけたものだ、と言っている。ケネディ大統領の姿はどこにも映っていなかった。
 そのとき事務所から、足音荒く所長が入ってきた。
「テレビどころじゃないだろ。親を何だと思ってるんだ! もう入院して一週間だぞ。いますぐいってこい!」
 カズちゃんがあわててガスレンジの前へ戻った。
「あした、学校の帰りにいきます」
「いますぐいきなさい! ひょっとしたら手術をしなくちゃいけないかもしれないというのに、とんでもない親不孝者だ。熊沢くん、この鬼っ子を病院へ連れてってくれ」
 クマさんは車庫のほうへ出ていった。勉強小屋でユニフォームを学生服に着替え、すぐにクラウンの助手席に乗った。いつものいいにおいがする。
「母ちゃんも所長も、自分たちのことを棚に上げて薄情なやつらだ」
「所長もいっしょになってスカウトを追い返したの?」
「そうなんだ。なぜだかわからんが憎いんだな。憎くてじゃましたいんだな。もう、そうとしか思えねえや。いい死に方しねえぞ。胆石なんてのは、気長に薬を飲めば溶けてなくなる。手術なんかする必要はないんだ。俺も石ッ気があってさ、長野にいたころ一度やった。オーバーなこと言いやがって。すぐに退院だよ。一週間もかかってるのは、これを機会にいい休養をしてるんだろう」
 片手でハンドルを回しながら、クマさんは苦々しい顔で煙草に火を点けた。開けた窓から冷たい風が入ってきた。
「赤ちゃん、大きくなった?」
「こないだのきょうじゃ、まだ大きくなんないよ。キョウみたいな子に育ってくれりゃいいけどな」
 熱田神宮の駐車場に車を停め、境内を抜けて白鳥古墳の麓からヨモギの生えた坂道を登っていった。坂の途中で、藪の中の平屋から少年たちの喚(おめ)き声が聞こえた。女みたいに甲高い声だ。竹刀を打ち合う音がする。あんなまねはぜったいできない。同じスポーツと言っても、武道というのは野球のような架空のゲームとはちがって、実生活に直結した荒ごとだ。何の魅力もない。坂道のいただきの小暗い敷地に、古ぼけたモルタル造りの病院が建っていた。
「化けもの屋敷みたいだね」
「そうだな。お似合いだよ」
 母は、大部屋ではなく、個室に寝ていた。私は彼女が所長にどれほど大切に扱われているかを知った。薄手のカーテンを透かして、街灯の柔らかい光が差しこんでいる。影のようにそっと病室に入っていくと、母は苦々しい表情を浮かべてベッドから起き上がった。古い肌色の寝巻きを着ていた。やつれた様子だった。彼女はすぐにいかめしい顔つきを取り戻して私を見た。
「とうとう、きたかい」
「元気?」
 心にもないことを尋いた。母はあらたまった様子で表情をさらに引き締め、
「元気のはずないだろ。なぜ、早く見舞いにこなかったんだい。かあちゃん、大変だったんだよ。痛いし、苦しいし、転げ回ったんだから」
 私は何も答えないで、こういう場所でどう受け答えをしたものか見当もつかずに、ただ棒杭みたいに立っていた。
「だいじょうぶだよ。ちゃんと薬を飲めば、そのうち石は消えるから」
 クマさんから聞いたばかりの知識を言った。
「しらじらしい。一週間もかあちゃんのこと、なんとも思わなかったのかい」
「病院は好きじゃない。何も治してくれないから。病気は自分で治すしかないんだ」
 母は私の態度に生理的にイヤなものを感じたようだった。自分に対する冷静な批判ととったのだろう。そんな生易しいものではなかった。純粋な嫌悪だった。彼女は息子の顔から目をそむけ、眉根に不機嫌な皺を寄せながら窓の外を見た。
「日が暮れるのが早いねえ。……あっというまに一週間経っちゃったよ」
 そう言って深いため息をついた。
 追いかけるように所長と原田さんが見舞いにきた。タクシーできたと言う。二人はベッドの枕に立って母を見下ろした。
「わざわざありがとうございます。入院のお世話をしてもらったうえに、お見舞金までいただいて、お礼の申し上げようもございません」
 母はベッドで深く頭を下げた。
「どうなの、具合は?」
 所長は後ろからさし覗く格好で、馴れなれしく母の肩を揉んだ。白髪染めをした彼の頭が異様に黒い。全身に悪寒のようなものが走った。クマさんが憮然とした表情で、母の傍らのスツールに腰を下ろす所長の様子を眺めた。
「ゆっくりさせていただいています。こんなにのんびりできたのは、この数年で初めてのことです」
「病院食は、まずいんじゃないの」
 母の顔を覗きこむように言う。
「とんでもない。おいしいです。食べたとたんに、栄養がからだの隅々までいきわたっていくような気がします」
「健康になるには、うんと食べないとね。健康は食にあり。もう痛みはないの」
「はい。お医者の腕がいいんでしょう、強い痛みはなくなりました。この数日は雑誌を読んだり、窓の景色をぼんやり眺めたり、せいぜいくつろがせていただいています」
 愛想笑いをする母の目尻に深い皺が寄った。私は身震いした。
「そりゃよかった。病中に遊びあり、だね」
 言い回しがいちいち気取っている。それが正しいかどうかもわからない。忙中閑ありの記憶ちがいだろうと思った。通りかかった中年の医師が部屋に入ってきて、廊下ではよく聞こえなかった所長の科白を軽口か何かと誤解して微笑んだ。
「どうかよろしくお願いします」
 所長に頭を下げられて、笑顔を精いっぱい作りながら、
「なに、飲み薬で本復します。手術の必要はないでしょう」
 と言った。そうして一礼するとすぐに部屋を出ていった。その背中を見送りながら原田さんが言う。
「おばさんが帰ってこないと、飯場は収拾がつきませんよ」
「戻ってくるまで、収拾なんかつけなくていい」
 所長はハンカチを出して、汗もかいていない額を拭いた。
「この子、ちゃんとやってますか」
 原田さんに母が言った。
「適当にやってるようです。子供に申し分のなさを求めても無理だし、願ったり叶ったりというふうにものごとはいかないものですよ」
「きちんと、食べてますか」
「キョウちゃんは食べることに関心が薄いみたいで、めしどきにはあまり見かけないな。おばさんとちがって、カズちゃんは手際が悪いんだ。家事向きの世話が得意じゃないんでしょう。だから、キョウちゃんも食堂にきにくいのかもしれない」
 そんなことは一度もなかった。おかずのうまいめしはきちんきちんと食いにいくし、カズちゃんの手際が悪いなどということもぜんぜんなかった。この男はなぜありもしないことを言うのだろう。ただ相手の気分に合わせてものをしゃべることが、気の利いた人間のすることだとでも思っているのだろうか。クマさんもこの野郎という顔で原田さんを睨みつけている。
「ぐずぐずしてるようだったら、叱ってやってください。この子は何ごともさっさとできないタチですから」
「親を見殺しにすることは、いずれ、さっさとやるんじゃないか」
 岡本所長が冗談ぽい顔で私を見ながら言った。いつのころから彼が私のことを憎く思うようになったのか知らないが、悪意のある冗談だった。私は、そういう下世話で、わざとらしい人びとの低俗さを軽蔑していたので、何を言われても大して苦しい気持ちにはならなかった。馬鹿が、と頭の中で唱えて、それで終わりだった。



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