四十九

 トラックは市電のレールに沿って走った。運河に貼りついたさびれた町のほとりに、大きな樹が何本か立っていて、その陰に隠れるように鉄格子の窓のある建物が見えた。
「少年院だな」
 そういう施設があることは、だいぶ前に康男から聞いた覚えがあったけれども、いざ目にしても何の思いも動かなかった。私にとってそれは風景のように、ちらりと見て通り過ぎるだけのものにすぎなかった。
「こういうのは、かならず町の端っこに建ってるもんだ」
「あそこにいけばハクがつくって、康男が言ってた」
「それは大将の思いこみだな。ハクなんかつかん。出たあとの人生がつらい。知り合いが長野の少年院に入ってたけど、いまだに後ろ指を差されて生きてる」
「かわいそうだね」
「まあな。でも中にいるあいだは、あんまりかわいそうでもないんだ。決まった規則を守ることを除けば、ゆるい仕組みでな。勉強や運動の時間割もだいたい学校と同じだ」
「ふうん」
「子供だって、つい大人と同じ悪いことをしちゃうときがあるからな。法律がかばってやらないと」
 町は小さくて、すぐに外れまできた。ふたたび人家が途切れた。クマさんはトラックのスピードを上げた。周りに家のないつるりとした坂道が見えてきた。坂のふもとでトラックを降り、草に縁どられたゆるやかな坂道を登っていった。
 坂の途中から犬たちの鳴き声が聞こえてきたので、いただきの向こうに収容所のあるのがわかった。私はクマさんといっしょに足を速めた。見晴らしのきく坂のいただきに立つと、運河の岸辺に茶色く色づいたケヤキの林が見下ろせた。林の途切れたところに、板塀に囲まれたL字型の建物が立っている。コンクリートの壁が冷たい影を投げ、鳴き声はその中から聞こえてきた。二人は道を早足で下って建物の入口へ近づいていった。曇り空が運河の水面に淡く照り返している。大人の背丈ほどのススキが銀色の穂をなびかせて、どこまでもつづいていた。収容所の脇に守衛用の粗末な小屋があり、中に四、五人の男たちがたむろしていた。
「飼い犬を取られたんだが」
 きょう何度目かの同じ言葉を言った。
「証明書、お願いします」
 クマさんはポケットから保健所でもらった紙片を引っ張り出した。男たちはそれを引き伸ばして読んだ。覗きこむと、名シロ、種類雑、形中、毛色灰白、と書かれていた。青服を着た一人の男が私たちの先に立って犬舎に入っていった。コンクリートの床全体に大量の水が撒かれている。糞尿のにおいが鼻にきた。
「すごいな、こりゃ。鼻が曲がるぞ」
「これでもましなほうですよ。夏はもっとすごい」
 通路の両側に鉄格子が嵌まり、十ばかりの区分けされた檻になっていた。格子の中でいろいろな種類の犬が吠えたりわめいたりしている。どの犬もずぶ濡れで、毛がからだに貼りつき、こじんまりして見える。糞尿を洗い流すついでに、まとめてホースの水をかけるのにちがいない。憐れっぽく格子のあいだから鼻先を突き出している犬もいれば、何かを達観してじっと坐っている犬もいる。図鑑か何かで見るような血統のよさそうな犬も混じっている。引取り手がなければやがて殺されることになっているすべての犬の顔が憐れに見えて、胸が疼いた。
 私は懸命にシロを捜した。見つからなかった。クマさんと隘路を往復して、もう一度最初の檻から目を凝らして捜しはじめた。
「あれじゃない?」
 二番目の檻の奥の隅に寝そべっている茶色く汚れた背中が見えた。
「……かもな」
 見つからなかったはずだ。白い毛並が茶色になっている。自分の運命をすっかり受け入れたシロは、ほかの犬のように吠えもわめきもせず、汚い檻の隅にノソリと寝そべって、人の気配に顔を上げようとしないのだった。あの明るいシロが、こんなに深いあきらめの感情を表現するとは思いもよらなかった。
「シロ!」
 私の声に茶色い背中がピクリとふるえ、顔だけがこちらを振り向いた。ぼんやりと私を見つめる。その目にみるみる喜色が浮かんだ。クマさんが感極まった声をあげた。
「おお、シロだ、シロだ! まちがいない」
 シロは立ち上がると前足を踏ん張り、ウォーンと長く鳴いた。係りの男が鎖を持って檻に入ろうとしたので、
「ぼくがいきます」
 私は素早く檻に入ってシロを抱き上げた。ものすごいにおいがした。学生服の胸にべとべと茶色い汚物がついた。ほかの犬が救いを求めて足もとにまとわりついてくる。私は後ろ髪引かれながらも思い切って振り払い、檻の外に出た。
「シロ、だいじょうぶだったか」
 私はシロの両脇を高く抱え上げて、全身を眺めた。どこにも傷はなかった。ただ糞尿と汚水にまみれているだけだった。
 クマさんは出口のところで一食分の餌代を取られた。
「食べても食べなくても、形式のものでして」
 薄暗い犬舎から出ていくと、曇っているはずの空がまぶしいほど明るかった。守衛小屋の脇のススキの穂が、秋の陽に輝いている。シロはじっと私に抱かれていた。ただ見上げるだけで、いつものように顔を舐めてこない。ほんの少し彼のからだがふるえているのが胸に伝わってきた。
「うんともすんとも言わないな。怖くてボケちまったか?」
「あの檻に入ったとき、このまま殺されるってすぐにわかったんだね。頭のいい犬だから、男らしくあきらめて、からだが石みたいになっちゃったんだ」
「なるほど。動物でもそういうことがあるか」
「静かな犬も何匹かいたでしょ。ああいう犬、ぜんぶ助けてあげたかったな」
「…………」
「鳴いて飛びついてきた犬も、かわいそうだったけど」
 私は絶望へ無理やり追い立てられていく彼らの心を思いやることができた。車輪に押しつぶされて道端で死んでいる犬や猫を見て感じる、あの残酷な興味の雑じった憐憫からは遠いものだった。
「出会ったやつにぜんぶ情をかけてたら、収拾がつかなくなっちまうぞ」
「うん……」
「キョウのそういう気持ちはわかるけど、同情に流されてできることなんてかぎられてるからな。人間、なんでもかんでも引き受けられるわけじゃない」
「うん、もう考えないことにする」
 あとは飯場に帰るだけだった。まだ十分な日射しがあったけれども、空気は冷えかけていた。シロを抱いて坂道を登った。頂上からもう一度雑木林を見下ろすと、いびつなL字形の区画のずっと向こうに、幅の広い運河が青みをおびて光っていた。シロは私に抱かれたまま顔を伏せ、まばらな林の暗がりも、恐ろしい野犬収容所の建物も見ようとしなかった。シロはトラックに乗っても、私の腕の中でうつむいていた。メンチカツをちぎって与えると、そのままの姿勢でがつがつ食べた。三枚ぺろりと平らげた。
「やっぱり、ちゃんと餌やってねえな」
「食べなかったんだよ。それにしても、くさいね。助手席が汚れちゃう」
「かまうもんか。シロが生きてるにおいだ。ありがたいじゃないか。ほかのやつら、みんな殺されちゃうんだから……。においも何もなくなっちまう」
「クマさんて、いい人だね。頭もいいし」
「照れくさいことを言うな。ただの運転手だよ」
 飯場に帰ったときには真っ暗くなっていた。
「シロを取り返してきたぞ!」
 クマさんの声に、食堂からカズちゃんが飛び出してきて、茶色く濡れそぼったシロの頭を手のひらで撫でた。泣いていた。シロはきょとんとしていた。窓から畠中女史の顔が覗いている。女史はやさしく笑っていた。
「キョウ、すぐに洗ってやれ。カズちゃん、やかんに湯を沸かしてくれ。それから金盥も用意して」
「はい」
 私の腕から下ろされると、シロはまたウォーンと長い声で鳴いた。だんだん元気を回復してきたようだ。いつもの目の輝きになっている。尻尾を小刻みに強く振る。
「おいくらほどかかりました?」
 母が出てきてクマさんに尋いた。
「大した金じゃないよ」
 何千円もかかったはずだった。何回か私は、クマさんが千円札混じりの金を出すのを見ていた。
「悲しかったな、どの犬も、何の害もなさそうなかわいいやつばかりでね」
「ほんとにすみませんでした。これからは気をつけます」
「気をつけなくたっていいんだよ。いままでどおりでいい。向こうも杓子定規の商売だから、形さえ整ってれば手を出さんだろ。ほい、鑑札取ってきたよ。首輪を買ってつけてあげて」
 クマさんがトラックに乗りこむ背中を見送り、カズちゃんと私は早速、近所の金物屋へ首輪を買いに出かけた。急に彼女の手を握りたくなって、強く握った。握り返してきた。
「カズちゃんが生きてる」
「キョウちゃんも」
 大盥に熱い湯を張り、カズちゃんといっしょにシロを事務所の前で洗っていると、小山田さんたちが仕事から帰ってきた。
「お、シロ、どうした? 行水か」
 私はきょう一日の出来事を話した。小山田さんも吉富さんもびっくりして、あらためてシロの顔を眺めた。
「そんな災難に遭ったのか、たいへんだったな、シロ」
 シロは顔にかかった湯をうまそうにぺろぺろなめた。
「野犬収容所でウンコまみれになってたんだ。もう少しで殺されるところだった」
 私は少し誇張して言った。シロが死んでいない喜びをそうやって確認したかった。
「かわいそうにな。ちょっと目がうつろじゃないか」
「犬取りにやられると、神経が参っちゃうんですよ。俺も子供のころに経験がある。なんとか連れ帰ったのはいいんだけど、それからは憂鬱な犬になってしまってさ。シロ、おまえはそんなに弱くないよな」
 吉冨さんが小さな友の前にしゃがむと、彼はうれしそうに吉冨さんに跳びついた。吉冨さんはびしょびしょのシロの頭を撫ぜた。小山田さんが、
「しっかり洗ってやらんと。ホースの水じゃぶじゃぶかけてさ。だいじょうぶ、犬は寒がりじゃない。ちゃんとバイ菌を落とさないと病気になっちゃうぞ。からだじゅう嘗めまわすからな。吉冨、石鹸とってこい」
 吉冨さんは、風呂場から石鹸を二つも三つも持ってきた。みんなでシロの全身に石鹸を塗りたくり、泡を立てた。仕上げにホースの水をかけると、シロはうれしそうに水先を噛んではしゃいだ。雑巾でしっかりからだを拭った。
 翌日、歯を磨きに庭に出ると、つやつやときれいな毛並になったシロが、真新しい首輪をつけ、枯れ草の上で惰眠をむさぼっていた。
「おい、シロ―」
 呼びかけると、シロは私のほうをチラリと横目を使って見た。お体裁に尻尾を振って見せる。いつもとちがってうれしそうに飛んでこない。吉冨さんの言ったとおり、たった一度の経験が彼を思慮深い男にしてしまったようだった。でも、そんな犬らしくない思索に冒されてしまったら、この先だれにもかわいがってもらえないぞ。
「シロ!」
 つづけて呼ぶと、彼はうるさそうに立ち上がり、すたすたと食堂のほうへ歩いていってしまった。


         五十

 浄水場と堀酒店のあいだにある広い空地で、正月がくるのを待ちかねたように子供たちが凧を揚げている。草の枯れた地面は解けきらない霜柱のせいで白っぽく見える。上空にはかなり風があるらしく、凧糸がピンと張っている。子供たちの中にカッちゃんのおかっぱ頭がある。いつものように黒ゴムの短靴を履き、手に竹棒を持っている。カッちゃんは空を見上げながらはしゃぎ回っていた。
 私はこれまで、凧揚げも、独楽回しも、羽根つきもしたことがない。それどころか、クリスマスのケーキを食べたこともなければ、七五三もどういうものか知らないし、誕生日さえ祝ってもらったことがない。もちろん夏の浴衣も、祭りの法被も着たことがない。ないない尽くしで、世の中の行事は、ただ私の目の前を素通りしていく。
 大晦日の夕方、リサちゃんが、
「お父さんから」
 と言って、例年通りお年玉を届けにきた。どうせ母の手に渡るものだけれど、一応中身を覗いて見た。一万円が一枚入っていた。
「すごいね、これ」
「リサの成績が上がったお礼だって」
「お礼? 何かリサちゃんの成績が上がるようなことしたっけ」
「影響というやつよ。神無月くんを見てて、うんと励みになったから」
「中統どうだった?」
「学年の十一番。三県の二百二番」
「すごいな、ぼくとほとんど変わらないよ」
「嘘! 甲斐さんに聞いて、知ってるんだから」
 母が近づいてきて愛想よく笑いかけた。
「脚の具合はどうなの?」
 リサちゃんは硬い生地の長ズボンを穿いていた。
「もう、すっかりいいんです。前よりは傷もだいぶきれいになって、突っ張る感じがなくなりました」
「よかったわねえ。あんた勉強ができるそうだから、この子のいいライバルになってやってくださいな」
「ライバルだなんて、私、神無月くんの足もとにもおよびません。ときどき、勉強を教えてもらえたらいいなって思ってます。ネ、神無月くん」
 リサちゃんはニコニコ笑いながら私を見つめた。これまでの消極的な感じがすっかり消えて、笑顔も自然になり、ちょっぴり美人にさえ見える。母が一瞬きつい視線で、リサちゃんの上気した顔を見つめた。
 大晦日から正月の三ガ日、毎年飯場はひっそりとなる。今年は西田さんがチキンラーメンをどっさり買いこんで居残った。飯場に彼と母と私の三人になった。母が唐辛子をきかせた厚揚げとコンニャクの煮物を炊いて、三人で夕飯を食べた。
 NHKの特集番組で、吉展(よしのぶ)ちゃん事件の犯人の電話を録音したものを声紋の鑑定家が分析していた。春から何度もテレビに流されてきた声だ。東北訛り、五十歳前後、などと言っている。若い声なのにとあらためて思った。
「そんな年寄りの声に聞こえないけどな。しゃべり方が速いから、二十七、八から、三十二、三だよ」
 前回のときと同じように私が言うと、母は、
「専門家の言うことだから、まちがいないのよ」
 と決めつけた。西田さんがチャンネルを回した。今年の十大ニュースとやらで、黒四ダムの完成、新千円札の発行、ケネディ暗殺、松川事件の無罪判決などといったことを放送していた。西田さんは仲間がいないと、からっきし無口だし、母は息子と同じように世間の出来事には興味も一家言も持たない人間なので、筒ストーブに手をかざしながら黙っている。とんでもなく居心地が悪かった。
「西松も、黒四にはいってるんでしょ」
 母がようやく口を開く。
「ええ、そうですね」
「今夜は冷えますね」
「雪になるかもしれませんよ」
 ふと台所の窓を見ると、さっきまで青かった窓に、みぞれが斜めに降っている。それきりまた三人黙って、紅白歌合戦を見た。
「モノクロ放送では、最後の紅白です」
 宮田輝が言う。紅組の司会は江利チエミだった。審査員に中西太がいたけれど、こんな場所に彼のような偉大な選手がいるのはおかしな感じだった。
「この中西って、どういう人?」
 西田さんが私に尋く。
「すごい人だよ。ライナーで百五十メートル級のホームランを打ったし、ファールチップしたあと、焦げ臭いにおいがしたって話は有名だよ」
 野球をやらない西田さんは、私の説明がよくわからないようだった。
 弘田三枝子の悲しきハートから始まり、最初の何人目かで、直井の言っていた北島三郎が出てきた。北島が唄ったのはなみだ船ではなかった。吉永小百合は信じられないほどへたくそだったし、橋幸夫も、フランク永井も、三橋美智也も、みんな聞いたことのない歌ばかりを唄った。坂本九の見上げてごらん夜の星をという歌は、胸を打つ美しいメロディだった。
 来年が東京オリンピックの年だというので、ゲストの渥美清が聖火ランナーの格好で出てきた。あまり好きな俳優でないので笑えなかった。着物の似合わない倍賞千恵子の下町の太陽、学生服姿の舟木一夫の高校三年生、白いふわふわドレスを着たザ・ピーナッツの恋のバカンスとつづく。スパーク娘の園まりを見ようと、ウトウトしながら何とかがんばっているうちに急に眠たくなり、一人で部屋に戻って冷たい蒲団に入った。寒さのせいで、小屋の梁のきしむ音が聞こえた。天井の薄いベニヤ板に染みがあって、目を凝らすと、カズちゃんのあそこの形に似ていた。いままで忘れていた、つやつやと光る茶色い皺を思い出した。ズキンと下腹が疼いたけれども、眠気のほうがまさって、いつのまにか眠りこんでしまった。
         † 
 元日の朝、昨夜から降っていたみぞれまじりの雪がやみ、湿っぽくて冷たい陽が窓から射してきた。屋根ですずめが歩き回っている。ほかには何の物音もしなかった。
「三日ほど入間にいってくるからね。たまに顔出さないと椙子がへそ曲げるから。きょうあすは、餅を焼いて、イソベにして食べなさい。二、三日したら、そのへんの蕎麦屋さんが開くでしょ。二千円置いてくからね。味噌汁を鍋一つ作っておいたから、ご飯にかけてシロにあげてちょうだい。冷蔵庫のものをぜんぶ使ってくれてけっこうですって、西田さんに言ってあるから、適当に作ってもらいなさい」
 隣の部屋から母がとつぜん言った。わかった、と私は弾んだ声で応えた。母はオーバーをはおったスラックス姿で、そそくさと出ていった。彼女の後ろ姿がなんだかシャレっぽく見えたのは、年の暮れに珍しくパーマをかけた髪が丸くまとまっているせいだった。
 母の出かけたすぐあとに、事務所の郵便箱に年賀状が届いた。私宛のものが五、六枚雑じっていた。
 直井整四郎から、
「しっかり勉強していますか? おたがい旭丘か明和めざして頑張ろう」
 デブシから、
「金太郎のホームランと俺の適時打。力を合わせて来年こそ優勝だ」
 加藤雅江から、
「たまには大ざっぱなことでもいいですから話しかけてください。陰ながらいつも見守っています」
 山本法子から、
「すっかりごぶさた。冷たくしないでたまには遊びにきてね」
 意外なのは、一年生のとき副委員だった河村千賀子からのものだった。
「クラスが変わってさびしくなりました。お元気ですか。いつもグランドのユニフォーム姿をすてきだなと思いながら見ています。癸卯元旦」
 癸卯が読めなかったし、意味もわからなかった。
 中に康男からの賀状が雑じっていたので、びっくりした。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。元旦」
 男にしては細いペン字で、それだけ書いてある。かぼそい文字だけれど、一つ一つが大切に書かれていた。アパートの住所も三号室という部屋番号も、きちんと書いてある。うれしさがじわじわと湧き上がってきた。あの喧嘩の秋以来、私は毎年欠かさず康男に年賀状を出してきた。番地などこまかいことはわからないので、夜道を送りがてら、康男の問わず語りで『第二上山アパート』を耳に記憶し、橋のたもとの電信柱で確かめた『港区新船町』という宛名をいつも書いた。賀状が送り返されてきたことはなかった。そうして五年目の今年、とうとう彼から年賀状が届いたのだった。
 康男が年賀状を書くなんて、どういう風の吹き回しだろう。丁寧な字で書いてあるところを見ると、ぼくだけに出したんだな。部屋の番号まで書いてあるんだから、遊びにこいって意味にちがいない。
「いるか」
 クマさんの曲がった鼻が勉強小屋の窓を覗いた。
「あ、クマさん。どうしたの」
 風呂敷に包んで提げていた重箱を差し上げ、
「おせちだ。キョウは煮しめが好きだからな。煮しめのほかに、かち栗と、昆布巻と、クワイをどっさり入れてきた。いいおやつになるぞ。きょうから母ちゃんいないんだろ」
「知ってたの」
「今朝、カズちゃんから電話もらった。顔見てきてくれって」
 框に腰を下ろして蓋を開ける。
「わあ! うまそう」
 私はさっそく、干しニシンを巻いた昆布巻をつまんで口に放りこんだ。
「おせちなんて、生まれて初めてだ。うまいなあ」
「だろ。房ちゃんの手作りだからな」
 クマさんはニヤつきながら、自分もクワイを一つつまんだ。
「康男から年賀状がきたよ。びっくりしちゃった」
「そりゃよかったな。どれ、大将はどんな字を書くんだい?」
 クマさんは康男の文字をじっと眺め、
「やさしい手だ。大将はこういう気持ちの男か。女みたいにキョウに惚れてるな」
 そう言うと、内ポケットを探って、お年玉袋を差し出した。
「あれ? きのうもらったじゃない。忘れたの」
「二回に分けたんだ。キョウの〈事情〉がわかってるからな。どうせ母ちゃんに巻き上げられちまったんだろ。カズちゃんの分も五千円入ってる。夕方、俺んちにこい。房ちゃんのハンバーグを食わしてやる」
「このお年玉持って康男の家にいってくる。何かおごってやるんだ」
「そうか。きょうは、どこの店も閉まってると思うけどな」
「そのときは、クマさんちでハンバーグを食べる」
「ああ、大将も連れてこい。そういえば、レコード針が減っちゃったって言ってたろ。サファイアを三本ほど買っといた。ほれ」
「うわあ、半年はもつよ。ありがとう」
 クマさんが帰ると、入れ替わりに西田さんがやってきた。
「きなよ、ラーメン二人前作るから」
「うん。これ、食べない? クマさんの差し入れ」
「お、うまそうだな。昆布巻きを一つもらうぞ」
 口に放りこみ、噛みしめ、うまいと言って笑った。玄関を出て、シロにひと種類ずつ味見をさせてやる。残りを西田さんに預け、
「これ、食べてて。残ったら、机に置いといてくれればいいよ」
「サンキュ。食いきれないから、皿に盛って冷蔵庫に入れとくよ。重箱は洗っとく」
 庭のとねりこの枝にかすかに雪が残っている。揺すると、ぱらぱらと落ちた。人気のない台所で、西田さんはガスレンジに鍋をかけ、中指で眼鏡を押し上げながら丁寧にラーメンを茹でる。
「お湯を注ぐだけじゃ、味わいがないからね。ちゃんと水から煮立てて、ねぎとかキャベツとか、玉子も入れるんだよ」
 無口な西田さんがへんにはしゃいでいる。包丁でキャベツと長ねぎを切って麺の上に投げこみ、煮立ったところで二個の玉子を落とす。とろ火にかけた鍋がこまかい泡を吹きはじめる。ダシ粉を注ぎ、アクを取る。
「オッケー、完了」
 ラーメンを二つのどんぶりにあけ、煮えた麺と玉子を上手に柄杓ですくって取り分けた。大盛りだ。
「おう、シロもお待ちかねだ」
 おせちでは物足らなかったのか足もとにシロもやってきて、行儀よく尻を落としている。西田さんは冷えた味噌汁でシロにもメシを作り、麺も少し載せてやった。
「うまいや! このラーメン。名人だね」
「そうか、うまいか。学生時代から作り慣れてるからな。こんなもんでよかったら、毎日作ってやる」
 シロはあっというまにガツガツ飲みこんでしまった。西田さんは、私と二人きりでいるのが退屈なのか、麺を噛みながら、
「きょうから《改正建築基準法》が施行されるんだよ。高さ三十一メートル、階数は九階までという制限が消える。高層ビルがバンバン建てられるよ。東京を手始めに、ニューヨークみたいな摩天楼がにょきにょきだ。新幹線開通、そしてオリンピックだ」
 などと語った。私は、ふうん、と言っただけだった。西田さんはもう一杯シロにめしを作ってやった。


         五十一

 小屋に戻って、クマさんのお年玉袋を開けて見ると、五千円札が二枚入っていた。セーターの上からジャンバーを重ねて着て、洗ったばかりのズック靴を履く。
 食堂でテレビを観ていた西田さんにことわって、事務所から表通りへ出た。空が黒ずんで見える。また雪でも降ってきそうだ。千年の交差点から、がらんとした道を東海橋目ざして歩く。
 ―一日遊んで、ぜんぶ使ってしまおう。名古屋駅まで市電で出て、名鉄百貨店で福袋を買い、それから屋上レストランにでもいこう。タルタルソースのエビフライ。二人で食べたらどんなにうまいだろうな。それから神宮前に戻って、日活の正月映画を観る。待てよ、吉永小百合の光る海じゃなかったかな。つまらない。そんなのより東映の宮本武蔵一乗寺の決闘のほうがいい。名古屋駅前の新しい映画館で見ることができるし……。
 私は興奮していた。柳の木が近づいてきた。つい最近まで青々としていた葉が落ちて、ツルだけが枝垂(しだ)れていてさびしそうに見える。あの橋を渡って運河沿いに下れば、年賀状の住所にアパートがあるはずだ。夢中で歩いてきたので、額が汗ばんでいる。私は東海橋の真ん中まできて足を止め、欄干にもたれて額を風に吹かせた。川面を遠く見渡す。港に近い河口なので、広々として、運河というよりは海のようだ。水が幅広い光の帯になってゆっくり流れていく。川沿いの道にスレート屋根の倉庫が立ち並び、光の当たり具合で建物のへりが切り落とされたように見える。
 ―突然いったら、気を悪くするかな。家に誘わないのは事情があるからだとクマさんも言ってたし。でも、所番地をちゃんと書いてよこしたんだから、ぼくの顔を見てもあわてることはないだろう。それどころか、大歓迎してくれるかもしれない。
 護岸に潮の跡がくっきり刻まれている。大きな穴から、排水が流れ落ちている。潮の退く時間らしく、露出した狭い砂地に、いろいろなゴミが打ち寄せられて溜まっていた。瀬戸物のかけら、錆びた針金のもつれ合った束、板クズ。その上に脚の長いきれいな鳥が舞い降りた。風に乗って腐った葦のにおいが昇ってきた。
 広い道路を反対側の橋詰へ渡り、倉庫の壁に沿って新船町のほうへ下っていった。小道を何回か曲がったあとで、裕福そうな民家の立ち並ぶ界隈に出た。家並からぽつんと離れて、平屋のアパートが建っている。砂利を山形に積んだ空き地を背景に、その建物だけがひっそり沈んでいて、周囲の家と等級がちがう感じがした。
 アパートに向かい合って、品のいい住宅が思いおもいの壁の色を見せて並んでいる。ほんの幾筋か向こうに、年中じめじめしている運河が流れているのに、あたりには清潔なにおいがした。剥き出しの戸口を五つ並べているアパートは貧しげだったけれど、生活に打ちひしがれているという感じはなかった。私はその清潔な空気を吸って、なんとなく幸福な気分になった。
 一番端の戸口の脇に『第二上山アパート』と大きな看板が貼りつけてある。五つの戸の外はすぐ道路だった。どの戸の裾にも、風で吹き寄せられた泥が溜まっている。五軒つづきの棟割には、表札のついた戸のほかに所帯の仕切りがなく、アパート全体が一つにまとまって暮らしている家族のように見えた。
 横つづきの長屋の真ん中の戸柱に、『寺田』とボールペンで書かれた厚紙の表札が貼ってあった。ドアを叩くと、奥から男の子の返事が聞こえて、小さな顔がドアの隙間にひょいと現れた。おでこの丸いところが康男に似ていた。弟だろう。
「ぼく、神無月というんだけど」
「知っとる。兄ちゃんからよう聞いとるで」
「康男、いる?」
「おらん―」
「そうか。きょうは、おごってやろうと思ってきたたんだけどな」
 私はポケットのお年玉袋を握りしめた。弟は扉を半開きにして部屋の中を振り返った。半畳ほどの玄関の奥が、外からの光に照らし出された。炬燵にあたっている女の顔が見えた。細面が康男に似ていた。母親だろうと思った。
「どうぞ、入って」
 弟がドアを大きく開けると、薄暗い六畳間の真ん中に派手な柄の蒲団をかけた炬燵が据えられていた。三十くらいの男と母親が向き合って坐っている。食い散らした食器や、新聞雑誌のたぐいが卓の上に散らばっている。部屋じゅうがじくじく湿っている感じだった。 炬燵の男がニヤつきながら、私に関心を示すような視線を当てた。
 ―ぼくがくるまで、この三人は何をしていたんだろう。
「康男がいないなら、ぼくは帰ります」
 玄関から出た。弟が戸口の外に追って出て、深刻そうな声で言った。
「……あんちゃん、危ないんや」
 胸がドキンと鳴った。
「危ないって?」
「ヤケドしてまってよ」
「死ぬかもしれんぞゥ」
 まだ開いているドアに男の顔がニュッと覗き、黄色い汚い歯が見えた。奥の炬燵にいた母親がこちらを向いた。憔悴しきっていた。弟はドアを閉めた。
「おとといな、金井とドンドコ焚いとって、ズボンに火ィついてまったんよ」
「あいつか! どうして火が……」
「火ィ大きくしようとして、シンナーぶっかけたら、一斗缶が爆発して……」
「…………」
「転がって消そうとしたんやけど、なかなか消えせんでな。両脚まっ黒焦げ。救急車で運ばれて、いま意識不明の重態なんよ」
 怒りが難詰になってほとばしり出た。
「金井は火を消そうとしなかったのか!」
「服脱いで、はたいたらしいけど」
「だれがシンナーかけたんだ!」
「金井……」
「金井か! 金井はどうなったんだ。金井も燃えたのか」
「手ェ、ちょこっとケガしただけ」
「くそォ!」
 私は激しくふるえはじめた。康男が死ぬ! 康男が死んでしまう! 心臓が裂けていくようだ。
「あの野郎、あのとき殺しておけばよかった!」
 自分でも意外な大声が出た。弟が名を呼ばれて部屋に引っこむと、入れ替わりに母親が出てきて、深々と頭を下げた。
「せっかくきてくださったのに、とんだことで。神無月くんのことは、いつも康男から聞いとりました。あんな悪い子によう目をかけてくれて、ほんとになんとお礼を言ったらええか。ありがとうございます」
 目の下に青黒いクマができ、顔全体が心労のせいで渋紙のようにくしゃくしゃになっている。口紅の剥げた小さな口は、微笑を絶やさないように開けたままだった。康男に似た小粒な歯が見えた。
「病院はどこですか?」
 一刻の猶予もならなかった。
「千種の牛巻外科。遠いんですよ。いままで私と長男がついてたんやけど、今朝から尾鷲の祖母に看てもらってます」
「ぼく、いまから病院へいきます」
「まだ意識が戻らないんですよ。せっかくいっても、無駄足になるかもしれん」
「失礼します」
 私は母親に背を向けると一目散に走りだした。一気に東海橋を渡り、通りがかりのタクシーを捜しながら走った。元日なのでタクシーどころか自動車そのものもあまり通らない。すぐにあきらめ、千年の交差点を目ざしてそのまま駆けつづけた。チクサ、ウシマキ、チクサ、ウシマキ―ウシマキ? いつか石田孫一郎と切手屋へいったとき、牛巻スタンプという看板が出ていた。きっとあのあたりが牛巻だ! 
 千年の交差点に出た。市電に乗ろうかと一瞬思ったが、熱田駅前から牛巻とは反対の名古屋駅方面へ曲がってしまうことにすぐ気づいた。市電ではあそこへいけない。
 道なりに平畑の事務所の前を駆け抜け、クマさんの社宅を過ぎて、加藤雅江の家から大瀬子橋、宮の渡し、内田橋まで呼吸正しく駆けつづける。このまま走れば切手屋には確実にいけるけど、〈牛巻外科〉にはどうやってたどり着けばいい? 
 そのことを何も考えずに走ってきたことにようやく気づいた。足がのろくなった。千種区の牛巻といっても、きっと広いにちがいない。病院はあの切手屋のそばにはないかもしれない。でも仕方がない。このまま走りつづけよう。あの坂を越え、切手屋にたどり着いてから考えよう。
 伝馬町までスピードを上げて走った。胸が苦しくなりだした。もう走れないという気がしてきた。でも立ち止まったら、康男は死ぬかもしれない! 涙がぼろぼろ出てきた。からだじゅうの水が涙になって流れ出すようだ。康男といっしょにすごした幸せな日々が次から次へと頭に浮かんできた。死に目という言葉が、恐ろしいほどの実感をともなって胸に迫った。
 神宮の東門まできたあたりで、とうとう息ができなくなり、膝に手を突いて喘いだ。呼吸を整え、ゆっくり駅前のロータリーまで歩いていく。タクシーを拾おう。千種区と一口に言っても広い。めくらめっぽう訪ね回ったって、牛巻外科という病院へちゃんとたどり着けるか心もとない。神宮小路の電信柱に、吉永小百合の光る海の大看板が立てかけてあった。看板の向こうから、思いがけない人物を見かけた。山本法子の母親が大きな買い物袋を胸に抱えて、路地の入口へ入っていくところだった。名鉄の踏切が見えた。駅の大時計はとっくに一時を回っていた。もう少しだけ、もう少しだけ走ろう。切手屋の前からだってタクシーを拾える。
 何本も電車が踏切を過ぎる。目の前の踏切はいつまでも開かなかった。ラジオの講座で聴いた、あたら不帰の客に帰す、という言葉が浮かんだ。惜しい命がこの世から失われるという意味だった。涙が乾き、康男の死の予感が強い確信に変わりはじめた。ようやく踏切がきしりながら上がった。私はまた足を励まして青白い風の中へ走りだした。軒の低い商店街の道がそのまま幅の広い坂になって、ゆるやかに空に昇っていた。孫一郎と自転車で走ったのは夜だったので、この町並に記憶はないけれど、あのいただきの向こうはたしかに牛巻なのだ。
 ―康男が死ぬなんてことがあるはずがない。康男はぜったい死なない!
 たどり着いた坂のてっぺんから見下ろした麓の十字路に、白壁造りの四角い病院が見えた。信じられないことに、屋上に《牛巻外科》という看板がかかっていた。私は深く息を吸うと、ふたたび勢いよく走り出した。孫一郎の切手屋は、渡るのに何十秒もかかりそうな大きな交差点を眺める位置に建っていた。牛巻外科の建物が十字路の反対側の角地をほとんど占めていた。信号を走って渡った。病院の玄関脇に、桜の古木が頑丈そうに立っていた。そこだけ土で囲まれた根方に冬の草が生えている。もう一度呼吸を整えた。
 短い石の階段を上って玄関ドアを押して入った。式台の向こうが一段高いリノリウムの廊下で、正面が受付になっていた。式台に並べて置いてある緑色のスリッパを履いて上がる。薬品のにおいが鼻にきた。受付の看護婦たちは二、三人の外来を相手に忙しそうなので、しばらく立って待った。
 見回すと、受付に並んで診察室のドアがあり、その前が大きなロビーになっていた。診察室に向かって黒皮の丈長のソファが五、六脚置かれ、大きなガラス窓からさっきの桜の木が見えた。ソファの背後と窓に挟まれた広い空間に、白黒テレビが据えられている。テレビに面して、丈長のソファと直角に短いソファが何脚か並んでいる。正月だというのにかなりの数の患者たちがそれぞれのソファで名前を呼ばれるのを待っていた。受付の中から、愛想のいい看護婦がガラス戸越しに顔だけで挨拶した。私は寄っていって尋いた。
「寺田康男の部屋はどこですか。おととい、ヤケドして入院した」
「寺田さんね。二階の八号室です。個室になってます」
「助かるんでしょうか?」
「まだ何とも言えませんけど。……ご親族の方ですか?」
「友人です」
「いまのところはどうにか……。あとは、心臓さえ強ければ」
 よかった! 康男は生きている。私は一礼すると、受付脇の階段を上っていった。八号室は二階の外れから一つ手前にあった。寺田康男という墨字の名前がケースに差してあった。ドアは開いていた。覗くと衝立の仕切りが見えた。
「こんにちは……」
 衝立の陰から返事があって、太った老婆が顔を出した。納戸色の着物にエプロンをしている。
「はいはい、どちらさんでしょう」
「神無月郷といいます。康男の友人です。さっきヤケドのことを聞いたばかりで……。駆けつけてきました」
「そりゃ、おおきに、ありがと。ワシも尾鷲から今朝がた着いたところでなも、きのうとつぜん呼びつけられたもんで、何がなんだか、とにかく驚いとるんだわ。怪我病気に正月も盆もあれせんで、しょもないけどな。きょうあすに意識が戻らんと、かなり危ないんやそうな。……まだ気ィ戻さんのよ。ささ、どうぞ入ったって」
 私はおそるおそる衝立の陰に回り、ベッドの上の奇妙な物体に目を凝らした。顔全体に厚く白い薬を塗られていた。目と唇だけが塗り残されている。肩口から、包帯を巻いた太い棒が二本、バンザイをするように突き出ている。康男の両手だった。蒲団全体が蒲鉾型にふくれ上がっている。
「ドーランみたいでしょが。ヤケドの薬やわ。康、おーい、ヤッちゃんや、友だちがきてくれたで」
 老婆は病人の耳へ口をつけて呼んだ。
「ときどき声かけたったほうがええんやて。おーい、神無月くんて人やよ」
 康男はかすかに呻いたように思われた。
「ありゃ、不思議なもんやなあ、さっきまでピクリともせんかったのに」
 老婆は思わず目を瞠った。白い顔の口のあたりにぽっかりと黒い穴が開いて、丸くなったり歪んだりする。康男の命をつなぐ空気穴だ。
「手もやられたんですね」
「手ェと顔は、たいしたことないのんやわ。足がのう……。医者は、命は助かっても足は切らんといかんかもしれん言うとる」



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