五

「じっちゃの船は、戦艦大和?」
 義一が瞳を輝かせて言った。
「バガけ、時代がちがうべに」
 たちまち義一はシュンとしてしまった。
「ウマ作って、迎え火、焚(た)げ」
 ばっちゃが言ったので、義一と二人して割り箸を細かく折り、ナスやキュウリに突き刺してウマを作った。ご先祖さまがそのウマに乗って帰ってくるのだ。帰ってくるご先祖さまの顔も名前も知らなかった。裏庭へ出て、ウマをきちんと並べ、割り箸の残りで小さな火を焚いた。
 だいぶ暗くなって、ばっちゃが台所から引き揚げてきたころ、だれかが引き戸を開けて土間に入ってくる物音がした。私は走っていって障子を開けた。両手に土産をいっぱい抱えた母が、笑いをこらえながら立っていた。
「かっちゃ!」
 微笑が彼女の顔のまわりを飛び交っていて、まばゆかった。敷居を上がって明かりのほうへやってくると、土間の暗がりでつつましく見えた彼女の小さなからだが、生地のひらひらした萌葱(もえぎ)色の夏服で包まれていて、私は一瞬のうちに、ぼんやりした記憶に残っている彼女でないことを見て取った。
 土産は、季節には早すぎる首掛けの手袋だった。太い毛糸で手編みした頑丈なものではなく、市販されている機械編みの薄っぺらい代物だった。私は何か物足りない気がしたけれど、満身で喜びを表すことに忙しかった。
「時間がなくてね」
 母は私の不満のにおいを敏感に嗅ぎ取って、すまなさそうに笑った。そんなあたりまえの言いわけまでが、母の口にかかると、なぜか特別の意味を持っているように聞こえた。
 善夫と義一への土産は、二人まとめて箱詰めのチョコレートだった。善夫はそれを持ってさっさと子供部屋へ引き揚げようとした。義一がさびしそうにその背中を流し見た。いつにも増して、義一のしょげかえった顔が気にかかった。
「キョウにもやるんで」
 じっちゃが善夫に声をかけた。善夫は首だけで渋々うなずいた。私は義一の手前、母にまとわりつくことをしないで、じっちゃの膝に凭れながら彼女の口もとを見ていた。
「じっちゃのお土産は?」
 母は水色のトランクから、茶封筒を添えた小さな箱を取り出した。封筒の中身はお金にちがいなかった。
「トランジスタラジオ。安物ですけど」
「安いたって、いまどき贅沢なもんだべ」
 母は満足そうなじっちゃの横顔をしげしげと見つめた。
「善司には?」
「グローブ。進駐軍のアメリカさんにもらったの」
 母は同じトランクから使いこんだ焦茶色のグローブを取り出した。善司はそれを得意そうに左手にはめて、こぶしをパンパンと叩きこんだ。
「ばっちゃは?」
 母はじっちゃのと同じ茶封筒を差し出した。
「それもオヤジにやったらいがべせ。オラだっきゃ、なんもいらねんだ。すたらチャラチャラした格好して。土産買う金あったら、もっとキョウの身になるもの持ってきたらどんだのよ」
「くだらねこと言うな!」
 じっちゃが声を荒らげた。額に血管が浮き上がり、いつもの癇癪玉が破裂しそうだ。
「すみません……」
 母はばっちゃに頭を下げた。私はその場をとりつくろおうとして精いっぱい笑顔を作った。善司も義一も、ばっちゃに気兼ねして、母から微妙に遠ざかっているようだった。善司が母に、あねちゃ、とやさしい声色で呼びかけた。
「なに」
「カズとキョウが、こねだ、家出してよ」
「家出?」
「偶然、古間木で下ろされてせ」
 それをきっかけに、じっちゃが二人の武勇譚を笑いながら語り、和やかな気配につられて善夫も部屋から出てきた。私が思ったほど、彼らは心の底からばっちゃに気を差しているわけではないのだった。険しい空気がほぐれていった。話は、行方不明になっていた山下清が鹿児島で見つかったとか、永井荷風の大金の落し物をアメリカ兵が届けたとか、他愛のないものに移っていき、そのうち、母とばっちゃとのあいだで、生まれてすぐ名前もつけられずに死んだ次男のことが話題になった。
「遠忌(おんき)するだば、もう何十年になるんだがなあ」
 難しいおくり名がやりとりされ、ばっちゃが涙ぐんだ。やがて、じっちゃを除いたみんなの腰が上がった。
 暗い夜道をばっちゃの提灯に導かれていった。隣近所の人たちが挨拶しては追い越していく。私は母の掌にすがって歩いた。それはひんやりと冷たかった。
「かっちゃ」
「うん?」
「いつ帰るの」
「あした……」
「ふうん」
「お盆明けまではいられないのよ」
「今度は、いつくるの」
「いつかなあ。正月かな、それとも、また来年かな」
「ワもいっていい?」
 勇気を出して尋いた。そして真剣な顔で母を見上げた。彼女はさりげなくあらぬほうを見つめ、
「だめよ。かあちゃんの仕事は、とっても忙しいんだから。おまえの面倒なんか見てられないもの」
 最後通告に聞こえた。
 ―あしたもあるのだ。少しずつ、あせらずに、お百度を踏むような気持ちで頼みこんでみよう。
 常光寺の境内が目の前に迫ってきた。ばっちゃが方丈で和尚さんから閼伽(あか)桶をもらって墓地へ入った。
「相変わらずここは、ご住持さん一人で切り回してるんですね」
 母の他人行儀な口の利き方が気にかかった。どうして訛りを出さないのだろう。私にはそれが、ばっちゃたちを切り捨てるための平凡な都会気取りに思われた。
「そんだこった。伴僧(ばんそ)もいねば、小僧もいね。ちゃっけ寺だ」
 地割をされた大小の墓の前は、くつろいだ気分の人たちでいっぱいだった。そんな彼らの中に立ち混じって、母だけが美しく輝いていた。
 墓の前に順繰りに掌を合わせたあと、拡げた新聞紙に腰を下ろし、木立の陰から射してくる月明かりの下で赤飯と煮しめを食べた。ばっちゃが高野豆腐をえり分けて皿に盛ってくれた。
「粗末な墓だじゃ。いつか新しぐしねばな」
 ばっちゃが言った。草の香に混じってかすかに母の香水の匂いがした。
 ワラシたち四人が蒲団に入ったあとも、母は遅くまで祖父母と話しこんでいた。小学校とか、仕送りとか、サイドさんという言葉が聞き取れた。私はこっそり立っていって、障子の破れから母の細い首を眺めた。やがて母の影が寝間に入ってきた。私は目をはっきり開けて、蒲団を敷いて潜りこむシルエットを見つめた。
 翌日の午前に、いろいろな親戚がきて茶を飲んだ。じっちゃは会話に交じらず、不機嫌そうにみんなの話を聞いていた。午後になって、私はだらだら内臓が溶けて流れ落ちるような下痢をした。帰り支度をする母を目の隅に感じながら、何度も便所にかよった。善司の部屋の蓄音機から、島倉千代子の歌声が流れていた。

  赤く咲く花 青い花
  この世に咲く花 かずかずあれど
  涙にぬれて つぼみのままに
  散るはおとめの 初恋の花


「おなかが治るまで、帰らねで」
 歌声に耳を傾けていた母は、困ったような笑みを浮かべた。
「無理言わねんだ」
 ばっちゃがいらいらした声で言った。じっちゃは黙って煙草を吹かしていた。善夫も義一も、部屋にこもったきり出てこない。
「姉、またな」
 善司がユニフォーム姿であわただしく出ていった。
「じゃ、かあちゃんいくからね。元気にしてるんだよ」
 土間に立った母の背中が、私に置き捨てられていく者のせつない気持ちを呼び起こした。私は障子にとりすがり、あらんかぎりの声で呼びかけた。
「連れてって! ワも古間木さいく!」
 息をひそめて様子を窺っていた善夫が、たまらず子供部屋から飛び出してきた。
「バカけや!」
 私の腕を取って、部屋に引きずりこもうとする。私は障子にしがみついた。
「連れてって! きっといい子にしてるから!」
 自分でもどうして叫んでいるのかわからなかった。玄関の戸を引こうとしていた母が後ろ髪引かれるように振り返った。
「ワもいく! 連れてって!」
 私はもう母ではなく、私を捨てていこうとする全世界に向かって叫んでいた。
「連れてってやれ―」
 煙管の頭をはたきながら、じっちゃが言った。ほっとしたように、ばっちゃも口を合わせた。
「連れてったらいがべ。一人(ふとり)こいるより、張り合いがあるこった。いたらいたで、ママ食(か)へるほかにも楽しみがあべせ。苦しくなったら、返してよこせばいいんだ」
 ばっちゃはあきらめ顔だったけれど、気が滅入っているふうでなかった。子供部屋の破れ障子から、義一のギョロ目が覗いていた。


         六

 不気味な記憶の隙間がある。そのあと自分がどうなったのかいっさい憶えていない。入園して一冬を越した覚えがあるから、五歳の夏だったはずだ。ということは、私は城内幼稚園をお月さま組でやめたということになる。じっちゃの膝と同様、気がつくと私は国際ホテルの廊下をうろついていた。
 古間木の駅前にある国際ホテルは、部屋数も少なく、宿泊所というよりは駐留軍相手のダンスホールみたいな娯楽営業をしていた。ホテル内のスピーカーからはいつも英語の歌ばかりが流れてきたし、制服を着た軍人たちの口からは、プレスリーとか、ロッケンローという単語が飛び出してきた。ダンスの控え室のような部屋には、十四インチの白黒テレビが置いてあった。ホテルの従業員同士で交わされる言葉に東北訛りはなかった。私はその遠く聞き覚えのある標準語にすぐ馴染んだ。
 母は帳場に立つのが本業だったが、人手が足りないと酌婦のようなこともさせられていた。そして、カーキ色の軍服を着た大柄の男たちを相手に、酒をついだり、笑ったり、肩を抱かれたりしていた。そんな張りつめた日々の中で、吸いつけない煙草も覚えたようだった。
 私は母が戻ってこないあいだに眠りにつき、カーテン越しの朝日で目覚めると、すでに母のいないベッドで、善司の送ってよこした民話の絵本を見たり、ビール瓶の王冠をセーターの胸に嵌めたり、独りでメンコをしたりしながらすごした。それから、母の姿を求めてホテルの中を歩き回り、たいていは人影のない廊下や部屋を探検するだけで、空しく部屋に戻ってくるのだった。
 あるとき大ホールを覗くと、奥の壁沿いに置かれているビリヤード台の上に紅白のボールが載っていた。入っていって、つるつるするボールを撫ぜた。すぐに男たちがやってきて、楽しそうに玉を突きはじめた。アロハを着た小柄な黒人と、英語の流暢な年寄りの日本人だった。二人はすっかりゲームに気を奪われていた。奥のピンボールマシーンの脇にもう一つドアがあったので、私はそこから戸外へ出た。手入れのいい芝生の上で、軍服姿の若い男が寝転んで顔に本を載せていた。彼の足もとに小さな人工池があった。覗きこむと、大きな金魚が泳いでいる。水に手を差し入れ、金魚に触ろうとした。
「郷、だめよ!」
 二階の窓から母が顔を出して、するどい声で叱った。寝ていた軍服が首をもたげて、何か英語で明るく言った。母は聞き取れないふうに首をかしげた。
「カワイ、ねえ」
 妙なアクセントの日本語を発しながら起き上がると、私のそばにやってきて、肩口からいっしょに金魚を見つめた。彼はポケットから棒チョコを出し、英語で何か説明すると、それを私の手に握らせた。
「ママさん、フォウトウ、とりましょ」
 軍服は窓の母にシャッターを押す手つきを示した。
 母子は彼に導かれてホールの控え部屋へいった。彼は花瓶を背にした大きなソファに私たちを並べ、友人に持ってこさせた縦長のカメラで写真を撮った。

         †
 昼のあいだ、青い目をした将校や兵士たちが廊下といわず階段といわず入れ替わり立ち代り大股でいきかい、私と目が合えば、にこやかにウィンクをし、頑丈そうな腕時計をはめた手を差し出して、ガムや棒チョコをくれた。ときには、やっぱり青や茶色の目をした子供たちが、好奇心に満ちた顔で母子の部屋に入ってきて、
「さいざんす、さいざんす」
 と叫びながら、革靴のままベッドの上で傍若無人に跳びはね、床に寝そべって絵本やメンコをめずらしそうにいじくり回し、ひとわたり点検し終わると、飽きあきしたという表情で廊下へ走り出ていった。でも、そんなふうに一人ひとりが開放的で、面倒くさい感情のやりとりがなく、自分のよろこびのためだけに行動していることを無意識に了解し合っているという雰囲気が、いつも私の気持ちを明るくした。夜になると、ベッドと革張りのソファと鴨居にかかった衣桁だけの部屋で、ダンス音楽やにぎやかな人声を遠くに聞きながら、ピーナッツ入りのヌガーチョコレートを食べた。
 ある夜、たまたま寝ないで待っていた部屋に、首をがっくり垂らした母が二人の女に支えられて入ってきた。ベッドに横たえられると、部屋じゅうがビールの臭いでいっぱいになった。一人が片息の母の背中をさすっているあいだ、一人が絞ったタオルで額を冷やした。
「かあちゃん、病気なの?」
 私はすでに目に涙を浮かべていた。
「酔っぱらっちゃったのよ」
 女たちはなんでもないというふうに手を振り、笑いながら戻っていった。薄暗い部屋に母と私だけがとり残された。私は枕もとのスツールに腰をかけ、荒い息をする口を見つめた。
「洗面器、郷、洗面器」
 母が苦しそうな声で命じた。あわてて風呂場へ走った。恐ろしい呻吟の声が聞こえてくる。駆け戻ってそっと口もとにあてがった洗面器に、母は顔をねじって黄色い酸っぱいにおいのする液体を吐いた。あの池の金魚のようにパクパク口が動いている。一瞬、母は私を嫌っているのだ、という確かな思いが押し寄せてきた。
 ―だからかあちゃんは、一日のほとんどをぼくから遠ざかり、ぼくを忘れるために無理をして働き、そしてとうとう死にそうになって運ばれてきたのだ。かあちゃんがぼくを嫌うようになったのは、ぼくがあんなにわがまま言って古間木までついてきたせいだ。帰ろう。また野辺地に帰って、じっちゃとばっちゃのそばで暮らしながら、いつかかあちゃんが迎えにきてくれるまで、じっと待っていよう。
 母の耳の脇に白髪が何本かほつれていた。それはまるで死の象徴のように思われた。恐怖が私を包みこんだ。私はスツールから立ち上がり、母の腕にとりすがると、枕もとに顔を寄せて、大きな声で呼びかけた。
「死なないで、かあちゃん! 死なないで。ごめんなさい、かあちゃん、死なないで! ぼく、野辺地に帰るから」
 細いうめき声が聞こえた。母は眉根に皺を寄せ、赤く濁った目を開けると、
「帰らなくていい……」
 と細い声で言った。私はぼろぼろ涙を流しながら、死なないで、と何度も繰り返した。
         † 
 その秋のことも、冬のこともまったく憶えていない。どこで暮らしていたのかさえ、記憶にない。それどころか、翌年のまる一年間が記憶から消し飛んでいるのだ。つまり、私の中に、五歳の後半と六歳のほぼ一年間が存在しないということだ。


(第一部第一章終了)

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