二十一

 夏休みが終わり、二学期が始まった。夏期実力テストの結果は、甲斐和子を抜いて三位だった。直井は三十五点差で一位だった。二位は鈴木尚。英語と国語は今回も学年のトップだった。もう第一回目ほどの感激はなく、これ以上成績を上げようというファイトも湧かなかった。なぜこういう好成績が取れるのかは、自分に深く問いかけなかった。とにかく取れたのだ。
 ―どうもふつうに勉強してれば、三番か、二番は取れるな。勉強さえしていれば十番を下ることはないだろう。
 大した勉強の努力もしていないのに、試験用紙を前にしたときの自分の頭の回転と、強い記憶力に、なぜか根拠のない確信を抱いたのだった。数年前、守随くん君の家で覚えた確信に似ていた。右投げに替えた猛特訓のきびしさに比べれば、学校の勉強など何ほどのものでもないと感じた。
 タイガーバットに硬式用のグローブを差してかつぐ。長期間の特訓がたたってか、この数日、腰が猛烈に痛んで、素振りの練習ができない。今朝もなんとか教室にたどり着いたけれども、立ったり座ったりがつらくて、朝礼のあと教室に戻って、机に手を突いたままなかなか腰を下ろせないでいた。私の様子をスモールティーチャーが教壇から見とがめ、すぐに職員室に走って岡田先生に連絡した。岡田先生は授業中にやってきて、きびしい顔で病院へいくよう命じた。
「右投げの練習の疲れが出ただけです。すぐ治ります」
 彼は承知しなかった。まだ授業が始まったばかりなのに、彼が指定した伏見通りの町医者へいった。長く待たされて、レントゲンを撮った。何の異常もなかった。強度の筋肉痛ということだった。治療もしなかった。
 宮中へ帰って、弁当を使っていた岡田先生に報告すると、彼は心からホッとしたふうに微笑し、
「ほんとにつらい練習だったんだな」
 と、まじめな顔で言った。
 その日の放課後から、野球部の練習に合流した。岡田先生は、私の二カ月にわたる奮闘を部員の前で発表した。
「一日も欠かさず、右投げの練習をして、とうとう完成に近い域までもってきた。信じられるか? ほぼ二カ月で、左投げを右投げに改造したんだぞ。そのせいで、いま金太郎さんの筋肉はぼろぼろだ。腰にきちゃってる。きょうはキャッチボールだけして帰ってもらおう」
「守備練習も、少しやらせてください」
「そうか? じゃ、まず、俺とキャッチボールだ」
 岡田先生は真っ先にキャッチボールの相手に立った。ゆるゆると間隔を広げていく。手首だけの軽投から、全力投球に移る。
「おう、速い! 金太郎さん、速いよ!」
 部員たちは目をらんらんと輝かせて、二人のキャッチボールに見入った。訓練の成果をいち早く見せようとする功名心のせいで、岡田先生の胸のあたりにボールが収まらないことが多かったけれども、尋常でないスピードは仲間たちを驚嘆させるのにじゅうぶんだった。たまに送球が逸れてグランドに転がると、デブシや大島がうれしそうにそのあとを追いかけていった。
「すげえ球やが。ピッチャーやってみたらどうや」
 岡田先生に代わったデブシが腰を落とし、キャッチャーミットで私のボールの感触をあらためて確かめようとした。岡田先生はすぐに首を振り、
「いや、このままレフトをやれ。いちばんボールが飛んでくる守備位置だし、その肩ならいままで以上にバックホームが効く。内野とちがってあわてずに動けるから、へんに肩や肘に負担がかからん。ピッチャーなんかやったら、せっかく作り上げた黄金の腕を壊してしまう」
 私は、もともと、コントロールが肝心なピッチャーとか内野に興味はなく、返球の的の大きい、肩が見せ場の外野以外はやらないつもりだった。だから岡田先生の提案を一も二もなく受け入れた。
「ようし、守備練習!」
 待ちに待ったノックを受けながら、私は自分の返球がセカンドやホームベースに低く吸いこまれるように伸びていく軌道を、信じられない気持ちで眺めた。肩のいい人間の投げたボールがこれほど低く遠くまで届くということを、私はいままで知らなかった。強肩と言われた左のときでさえ、もう少しボールは高い軌道を描いた。私は、悪夢だとあきらめようとした苦しい現実からやっと解放され、その反動で別の浮世離れした夢を見ている感じがした。この夢が永遠につづくようにと祈った。
「ナイス、返球!」
 仲間たちがひっきりなしに賞賛の声を上げる。硬式用の堅いグローブは、捕球網のところが案外柔らかくしなるので、ボールを捕り損なうことは一度もなかった。
         †
 中間テストの成績が返ってきた。英語と国語だけが満点で、ほかはまあまあ、社会科だけは平均点以下だった。総合成績はクラスの五番まで落ちたけれども(学年では百番以下にちがいない)、とりたてて深く思うことはなかった。小学生時代を考えれば、これでも上出来のほうだ。また冬の実力試験で盛り返せばいい。
 日曜日。朝の食堂で、マリリン・モンローが死んだことが話題になっていた。自殺だとか他殺だとか、みんなでわいわいやっていた。私はその名前に記憶があった。たしか古間木の国際ホテルで、ノーリタン、ノーリタン、とリフレインする静かな曲がダンスホールにかかっていたとき、カウンターにいたホステスの一人が曲に合わせて、
「脳たりん、脳たりん……」
 と小さな声で歌っていた。それから、臨時移転の社員寮にしばらく住んでいた小林さんが、部屋の壁に彼女の写真を二枚貼っていた。一枚はまくれ上がっているスカートを押さえている有名な写真、もう一枚は白いネグリジェを着たヌード写真で、足にスリッパをひっかけ、膝の上にハンドバッグを置いていた。からだの美しさがすべてだと自惚れているような、どこか頭の悪い感じがした。


「ダッコちゃんを見舞ってくる」
 母に告げた。
「ダッコちゃんて?」
「いっしょの部屋に入院してた人」
「ああ、あの半身不随の……」
 霧雨の中を傘もささずに労災病院まで歩いていった。雨に濡れた町が大理石のように輝いている。ダッコちゃんの静かな笑顔が浮かんだ。
 病室を見舞ったとき、ダッコちゃんはベッドに横坐りに足を投げ出し、上半身をねじるようにして枕もとの花をいじっていた。彼は花のにおいを嗅ごうとして、眼鏡の顔を花瓶に近づけた。私はダッコちゃんがそういうことをするのが意外だったので、しばらく様子を眺めていた。ダッコちゃんは私に気づくと、花瓶からあわてて顔を離し、幼い友に向かって照れたふうに微笑した。
「いらっしゃい。ああ、だいぶ濡れてるね」
 ダッコちゃんはタオルを差し出した。
「―うれしい報せがあるんだ」
 私は坊主頭の水気をタオルでしごいた。
「肘のこと?」
「左肘のことじゃなく、右腕のこと」
「え? どういうことかな」
 私はダッコちゃんの枕もとのスツールに坐って、右腕でボールを投げられるようになったいきさつを、最初に計画を思いついたときのことから、あれこれ身振りを交えながら話した。
「そうか、よくやりとげたね」
「一度、女の人と見舞いにきた男の人がいたでしょう? 少し鼻の曲がった」
「ああ、やさしい人だったね」
「うん。ダッコちゃんのこと、いいやつだって褒めてた。あの人、クマさんていうんだけど、あと小山田さんとか、吉冨さんていう人たちが毎日キャッチボールの相手をしてくれて、もうほとんど正確に、強く投げられるようになったんだ。シロって犬まで球拾いをしてくれてね。野球部の先生に報告したら、びっくりしてた」
「だれだってびっくりするよ。左が使えなくなったから、右に変えるなんて。―考えたらたしかにそれしかない気もするけど、左手を切断でもしないかぎり、簡単に浮かぶ発想じゃない」
「切断したのといっしょだよ。ダッコちゃんだって、きっとそうすると思う」
「野球選手ならね。ぼくもこの脚を見捨てないで、なんとか鍛えて使うしかない。代わりがないものね。……郷くんの努力を見習わなくちゃ」
「左よりも右の肩が強いってわかって、うれしかった」
 その喜びはダッコちゃんに伝わらなかった。
「みんなが協力してくれてよかったね。だれかの協力がなかったら、もっともっと時間がかかったと思うよ。クマさんたちは、ほんとに郷くんのことが好きなんだね」
 ダッコちゃんは目もとをほころばせ、新しく息づいている私の右手をめずらしそうに握った。
「中間試験、失敗しちゃった。でも、ぜんぜん口惜しくないんだ。試験なんか、もうどうでもいいって感じ」
「だめだよ、そんな捨てた気分は。スポーツも勉強も、どちらもしっかりやらなくちゃ」
「もちろん、ちゃんとやるよ。いい成績をとるのって気分がいいし、つまらないことで負けたくないしね」
「つまらないことかな、勉強が―」
 ダッコちゃんの目が光った。
「勉強がつまらないって意味じゃなくて……。ぼくには野球がいちばんで、勉強はその次に気にすればいいことだから。とにかく、ぼくにとって、まず野球がいちばん。右腕をしっかり鍛えて、それからコントロールをつけること。コントロールはまだまだ時間がかかるかもしれない」
 私は少しうつむきかげんになって言った。ちゃんと右腕で投げられるようになったということだけで、ほんとうに私は胸がいっぱいだった。それに比べたら勉強のことなんか二の次、三の次なのだ。私は退院してからも、けっして勉強をサボっていたわけではなかった。バットを振ったあとはかならず中学生の勉強室を聴いていたし、ことばノートをかたわらに置きながらかなりの本も読んでいた。
 ただ私は、勉強というハードルを跨ぎ越えたぐらいで満足しているわけにはいかなかった。自分が達するべき頂上まで、きちんと登りつめるのでなければ、承知できなかった。いくら勉強机で成功しても、空の下のフィールドで成功しなければ満足できなかった。逆に、たとえ勉強机であくびが出たり、眠りこけたりしたとしても、そのことで自分の価値を少しも失うことはないのだった。
「郷くんの言いたいことはよくわかるよ。どれほど野球を大事に思っているかってこともね。ただ、その人が思い決めて打ちこむものに、重い、軽いはないんだ。あれがだめだからこれ、というふうに、人のすることは用意されてないってこと。とにかく、どっちもがんばっていこうね」
「うん」
「で、右手で投げた具合は、どんなふうなの」
「ただ投げられるようになっただけじゃないんだ。右のほうが速いんだよ。シューッと浮いていく感じ。野球部のみんなもびっくりしてた。コントロールは頼りないんだけど、自分でもびっくりするくらい、矢のような送球ができるんだ。バッティングだって、右手の筋肉が強くなってきたから、いままでよりもうまく流したり、引っ張ったりできるようになった。引っ張るのは腰の回転だけでも調整できるけど、流すのって、右手をうまく使わないと難しいから。そうだなあ、東映の張本なんかがナンバーワンかな。ぼくの場合、左中間にもロングが打てるようになったのはうれしいな」
 私は浮ついた声でまくし立てた。ダッコちゃんは目を白黒させ、私の言っている理屈がわからないのに、輝くような微笑の合いの手を入れた。彼が微笑むたびに、私の心は明るくなった。私は彼の微笑に合わせて大声で笑った。
「うれしそうだねェ。入院してるとき、そんなふうに笑うことは一度もなかったよ。それが郷くんのほんとうの笑顔なんだね。見ているだけで、ぼくも生き返ったような気持ちになる」


         二十二

 ふとダッコちゃんは腰の尿袋を確かめ、溜まった中身を捨てるために床頭のブザーを押した。
「ぼくが捨ててきてあげようか」
「郷くんはお客さんだよ。気遣い無用。ときどき自分でやってみようとしても、どうも導入口をはめたり外したりがうまくいかなくて。気の毒だけど、看護婦さんにやってもらうことが多いんだ」
 すぐに中年の看護婦がやってきて、何の躊躇もなくダッコちゃんの寝巻きをまくり上げると、彼の萎んだチンボから奇妙な形のチューブを外した。先っぽを脱脂綿で拭い、袋を持ち去る。そうして二分もしないうちにまた戻ってきて、もう一度脱脂綿で茶色いチンボを拭い、手際よく袋とチューブを繋いだ。看護婦もダッコちゃんも、少しも恥ずかしそうでなかった。
「自分一人の手柄じゃないんだから、協力してくれたみんなにいつも感謝してなくちゃいけないよ」
 看護婦がいなくなると、すぐに話題がもとに戻った。
「うん、わかってる」
 私はダッコちゃんのことはとても尊敬していたけれども、彼に向かっていると、いつも何か言いようのない堅苦しい気持ちを強いられてつらかった。どことなく説教をされている感じ、朝礼や試験のときみたいな緊張した感じ。はっきり言えないけれど、どうしても取り除くことができない遠慮した気分がいつも私の胸にわだかまっていて、心を開いて話し合うことができないという気がしてくるのだ。それもこれも、ダッコちゃんへの強い同情心に縛られているからにちがいなかった。
「クマさんなんか、野球もできないのに手伝ってくれたし、みんなで割り勘して右用の高級グローブを買ってくれたんだ」
「郷くんがそこまで努力したから、みんなでプレゼントしてくれたんだよ。じゃ、ぼくからもプレゼント」
 水屋の上の小さな本立てに手を伸ばし、
「これ、パステルナークというロシアの詩人が書いた小説だよ。ドクトル・ジバゴ。少し読みにくいかもしれないけど、とてもいいものなんだ。もう少し大きくなったら、がんばって読んでみて」
 私が入院した日からずっと彼の床頭にあった、見覚えのある水色の本を差し出した。
「ありがとう……」
「名作だよ。革命の中での、インテリゲンチャと国家体制とのアツレキを描いて、鬼気迫るものがある。ララという女性との美しい恋愛も描かれてる。パステルナークはスターリニストじゃないものだから、国外で出版しなくちゃいけなかった。そして、せっかくノーベル賞が決まったのに、国の圧力で辞退させられてしまった」
 私にはダッコちゃんの言っていることが皆目わからなかった。装丁や題名の雰囲気からすると、その本は、原田さんや小山田さんがときどきくれる雑誌や単行本よりも難しい本であるのはまちがいないような気がした。
 入院していたころから私は、ダッコちゃんの知的な雰囲気にはどうしても馴染めなかった。私自身、どんな人間のことも、豊かな感情とか、言動の自由さなどを基準にして評価する性質だったので、自分の感情か想像力が奮い立つような刺激を受けないかぎり、相手の人柄も、考えも、何もかもほんとうに自分のものにできたという感じになれないのだった。ダッコちゃんは恋愛もと言った。それは恋愛が主題の飾りになっていることを示す言葉だった。心が二の次に扱われているということだった。私は、この本はきっといつまでも読まないだろうと思った。
「ドクトルって、お医者さん?」
「そう、詩人のお医者さん。ララは……ちょっと説明が難しいな」
「読んでみようかな。難しそうだけど」
 心と逆のことを言った。
「郷くんは何にでも挑戦する子だね。ぼくも郷くんに負けないようにもっともっと努力して、せめて松葉杖一本ぐらいで歩けるようにならなくちゃ」
「そうだよ。頑張ろうよ! マーメイド号の堀江謙一みたいに。やれば何だってできるんだから。ぼくはきっとプロ野球の世界で有名になるよ。そうして、いろんな記録を塗り替えてやるんだ」
「有名になることにこだわらないほうがいいね。有名になれば幸福になれるわけじゃないんだから。一生懸命生きること。自分の値打ちを認めてもらえないのはつらいことかもしれないけど、むやみに偉くなろうとするのをやめて、地道に努力して、精いっぱい生きるのがいいんだよ。もし自分が名声を与えられるのにふさわしい人間なら、死んだずっとあとだって、その名声は星みたいに消えないで残る。あのキリストでさえ、生きていたころは大した有名人じゃなかったんだよ」
「キリストって、十字架の?」
「そう」
 私は、ダッコちゃんの言うキリストの苦難が、どういうふうに野球選手の努力や浮き沈みと似ているのか理解できなかった。生きているときにぜんぜん目立たなくても、他人の目を気にしないで一生懸命がんばりつづければ、死んでから有名になる、だから生きているうちは無名に甘んじて、死んでから有名なるように生きなさい。
 ―生きているときはだれにも知られないで、努力ばかりしつづけて、死んでから有名になった野球選手なんか聞いたこともない。ダッコちゃんは、何かちがう仕組みの世界で暮らしている人たちのことを言っているのだろう。
 ダッコちゃんは松葉杖を両脇に挟みこみ、ズズッ、ズズッと足を引きずりながら二階の階段まで送ってきた。私が、じゃ、と言って降りはじめると、
「大学、やめちゃった。秋になったら、クニに帰ることにした」
 朗らかな声で私の背中に言った。
「え? 帰っちゃうの!」
 私は足を止めて振り向いた。
「うん、そろそろ自宅で療養できる自信がついたからね。このままずっと入院していても家族の負担になるだけだし―。あまり実入りのいい商売をしている家じゃないんで、近所の子供たちに勉強でも教えれば、多少は家計の助けになると思う」
「働かなくちゃいけないの!」
 こんなからだになってまでも、一家のために働かなければならないというのはどういうことだろう。からだが利かない不幸な人間を追いつめるような、そんなに差し迫った貧乏な生活など、私には想像できなかった。私はダッコちゃんの晴ればれとした顔を見つめながら、口惜しいような、もどかしいような気持ちになった。
「できることがあるうちは、甘えた気持ちになっちゃいけないんだよ」
「秋になったらって、いつごろ帰るの」
「さあ、決めてないんだけど、それほど先のことじゃないよ。クマさんたちや、あのからだの大きな女の人によろしくね」
 カズちゃんのことらしかった。
「うん。もう会えないんだね―」
 私は水色の本の表紙を見つめながら言った。
「手紙があるよ。受付の人に住所を預けていくから。ぼくからも出すよ。からだが不自由になるとね、感覚でなく、頭が自由になるんだ。静かすぎて夜が恐いなんてことがなくなる。これはいいことだよ」
 眼鏡の青年が感慨深げに口にする言葉の意味を、今度は少しだけ理解できた。その表情から、たとえからだが不自由な生活の中にいても、何か人間としてとても充実した心を保っていられるのだと、彼が本気で言おうとしていることもわかった。
         †
 九月の新学期が始まってまもなく、ようやく左手の指の痺れが取れて、思いどおりに動くようになった。
 ちょうどそのころ、康男の露払いの伊藤正義(まさよし)が、指を何本か切断したという噂が広まった。エノケンが、ダッソとかいう病気で片足を切断したという話が世間をこわがらせていた時期だった。そういえば、最近康男のそばに彼の姿を見かけなくなったと思っていたところだった。康男が首をすくめて言った。
「掃除のとき、ワーッと机を後ろへ押していくやろ」
「うん」
「あれで指挟んでまってよ。……骨肉腫いうらしいわ。おそぎゃあな」
 私はからだじゅう電流が走ったような感じがして、自分もそんなふうになったらどうしようと思いながら、自由を回復した左手の指をじっと見つめた。すると、梅雨どきの手術室で経験したあの絶望の瞬間が、異常なまでに鮮やかに甦ってきた。私はお古になった左肘をカクカクと動かしてみた。まだ少し痛んだ。
 正義の場合、指だけではすまなかった。彼は乾いたつやの悪い唇をしながら、三角巾で腕を吊るして、しばらく元気ぶって登校していたけれど、十月に入ったとたん、
「腕を切ったらしいで」
 と、また校内中に噂が広まった。骨肉腫がテンイしたのだという。
「指の次は、腕か。今度はどこや?」
「首やろ」
「首は切るわけにはいかんが」
 みんな恐怖を押し隠しながら、そんなふうに冗談にまぎらして笑い合った。高島台で破傷風にかかったときの、西脇所長の冗談を思い出した。私はテンイという言葉の致命的な響きを、やっぱり左肘をカクカクと屈伸させながらしっかり記憶に刻んだ。
 その月の終わりに、片腕になった正義がレフト側のグラウンドの隅で康男といっしょに並んで、シャツの片袖をぺらぺら風に揺らしながら、野球部の練習風景を眺めていた。なんと気丈な男だろう。腕一本切り落とす手術は、気力ばかりでなく、体力的にも相当な消耗を強いるはずだ。よく学校にこられるものだ。
 私は興味をそそられ、フライを取るついでに康男のほうへ走っていった。ギョッとした。笑顔で迎える康男の傍らに、正義のグロテスクな顔が立っていた。獅子舞いのお面か何かのように、顔のあちこちが瘤で盛り上がったその顔は、あまりにも恐ろしげで、長く見ていることができなかった。それもきっとテンイのせいなのだろうと思った。
 それから何週間も経たないころ、 
「残念なお知らせがあります。一年C組の伊藤正義くんが、一昨日亡くなられました。病名は骨肉腫、最後は癌細胞が脳にテンイして、ついに助かりませんでした。肉腫のような悪性の癌は、若者の場合、進行が早いのだそうです」
 校長先生が、朝礼で短い報告をした。みんなで一分間の黙祷を捧げた。私は目をしっかり閉じ、あの獅子面を思い出しながらうなだれた。いくらタコ入道でも、あんな恐ろしげな顔で人生の最後を締めくくりたくはなかったろう。
 一日、伊藤正義の噂で持ちきりだった。正義のことをよく知りもしない連中まで、骨肉腫、骨肉腫とうるさかった。先生たちは何ごともなかったかのように、ふだんどおり坦々と授業をした。
 私は正義の獅子面を思い出すたびに、憐憫と同時に、ぞっと寒気を覚えた。放課後の部室でも、骨肉腫とかテンイという単語が飛び交っていた。岡田先生は正義の葬式に出かけたとかで、練習には顔を見せなかった。
「きょうは早めに解散や。一年生、片づけ!」
 号令をかけた与野が寄ってきて、
「あのデカ、死んだな。あいつとは一回キャッチボールしたことがあってよ、いいスピードボール持っとったで。岡田先生に教えたったら、本格派のエースに仕立てるか言うて何度か誘いにいったようやけど、とうとう入部せんかった」
 と、いっしょにベースを運びながら言った。いつのまに正義がそんなことをしていたのか不思議な気がした。
「与野さんが部に誘ったんですか」
「家が近所でな」
 帰り道、康男が沈んだ顔で大瀬子橋のたもとで待っていた。飯場までいっしょに歩いた。スパイクがカチャカチャ鳴った。このごろでは学生服を布袋に入れ、ユニフォームを着たまま帰る。朝はユニフォームを布袋に詰めて登校する。スパイクも入れられるように、大きなタオル地の袋をカズちゃんに作ってもらった。
「アホ入道、死にやがった」 
 康男はポケットからビールの小瓶を取り出し、奥歯で栓を開けると一気に飲み干した。
「入道は康男のこと大好きだったんだよ。いつもくっついて歩いてたから」
「あんなやつでも、死ぬとチビッとは悲しなるもんやな」
「そうだね……」
 指を切って、腕を切って、とうとう切るところがなくなって死んだ。そう考えるだけで私は憂鬱になった。コブだらけのグロテスクな顔が浮かんできた。しかし、伊藤正義には悪いと思ったけれども、ふだん話すこともなかった人間が死んでも、想像力だけで心から悲しくなることはできないのだった。
 事務所の前で手を振って康男と別れた。カバンと袋を勉強小屋に放り入れ、庭でしばらくシロの頭を撫でていたとき、急にダッコちゃんのことが気になりだした。
 ―あっという間に死んでしまった伊藤正義や、胴体真っ二つの男より、計画と希望を持って生きているだけ、ダッコちゃんのほうがマシなんだろうか。



(次へ)