四十九

 十一月十八日火曜日。快晴。九・二度。ルーティーンのあと、菅野と日赤までランニング。
「きのう柳街道の一部を歩いたんですが、これといって見どころはなかったです」
「退屈な細道ですよ。佐屋街道の烏森から柳橋までの一部ですね。中村区から中川区にかけて、伊勢神宮の〈柳の荘〉があったので柳街道と呼ばれてるようです。街道の途中にある笈瀬の名前も、御伊勢からきてます」
 帰り着いて、夕方まで牛巻坂。
         †
 夕食の座敷がきょうも団欒の場所になった。食前にビールと茶。直人を抱いた幣原が明るい顔で混じっている。カズちゃんが、
「あした、阪神電鉄社長といっしょに兵庫県知事も出席するようよ」
 菅野が、
「野田忠二郎と金井元彦ですね」
「そうなの? 気が重いでしょうけど、これで表彰は一段落。がんばってきて。式は一時からね」
「うん。楯と賞金と賞状を受け取るだけだから。あとは写真撮られて終わり。表彰されるたびに、一本ずつ鎖で縛られていくみたいだ」
「そうでもないわよ。政治家みたいないいかげんな人たちももらうものよ。そんな根拠のないもの、鎖でも何でもないでしょう? 気楽にいきなさい。あしたは暗い顔で帰ってきちゃだめよ」
「うん」
 菅野が、
「また帰りに、額縁を買いましょう」
「そうだね。つまらないものはせいぜい飾り立ててやらなくちゃ。東京から帰ったらたいへんだよ。ホテルからぜんぶ送り返すからね」
「はい。大きさに合わせて額を買って収めておきます。屋敷内の賞状もぜんぶファインホースのほうへ移します」
 メイ子が、
「ふだん何気なく褒められてもストレスを感じる人ですから、公然と褒められたらたいへんなストレスでしょう」
 カズちゃんが、
「耐えるしかないの。野球選手でいる以上は」
 主人が、
「褒められることに耐えるというのも、またすごい話ですなあ」
「職人はみんなそういう要素を持っていると思いますよ」
「天才の職人はな。どの分野でも天才はそうやろね。これはもう、がまんするしかないわ」
 千佳子が、
「日本シリーズのスコアブックをこのあいだより細かくまとめました。神無月くんが凡打した球種とコースは、まず、外角シンカーでサードフライ。これはシゲボールですが、次の打席でセンター左へシングルヒットを打ってます。外角シュートでサードゴロ。足立です。外角シュートでレフトフライ。戸田です―」
「やっぱり外角の変化球だね。もう今年はこれでじゅうぶんだよ。自分もそのへんのところは大体つかんだし、特に外角の高目を一生懸命素振りすることにしたから。よく調べてくれてありがとう。来年は、相手が研究するのに輪をかけて、へっぴり腰も鍛えるつもりだ。また凡打コースが出てきたら教えてね。ところで名大はいつから冬休み?」
 睦子が、
「十二月二十八日から一月七日までです。十月二日から後期授業開始となります。一月八日から後期授業再開です」
 私は、
「学期が三つあるんだから、前期後期より、一、二、三学期のほうがスッキリしてるのにね。四月から七月、十月から十二月、一月から三月、その三つなんだろう?」
「はい、東大のときもそう感じました」
「とにかく十二月二十八日から冬休みか。そこからはみんなでゆっくりしたいな。カズちゃんは?」
「二店ともお休みは二十八日からよ。一月五日まで」
「菅野さん、師走の二十五日に王さんにきてもらい、二十七日に久保田さんにきてもらうことに決めてしまいましょう。それぞれ一泊することを頭に置いて。お父さん、お母さんよろしくお願いします」
「ほいほい、了解」
「十二月二十一日にクマさんに会いにいきます。ファインホースの社員に言って、信濃観光バスの熊沢さんの住所と電話を突き止めさせてください。そのバス会社にいなくて突き止められなかったらいきません。カズちゃん、クマさんの名前は?」
「重文(じゅうぶん)、シゲフミ」
「菅野さん、聞いた?」
「はい、熊沢重文。私は茂文。同じ発音です」
「ほんとだ! どこかクマさんに似てると思ったら、そういうことだったのか」
「そういうことだったんですね」
 二人で声を上げて笑う。
「十二月二十日はCBCトークショー、二十三日は千年小学校講演です。それぞれ日程や時間の確認と、向こうへの連絡をお願いします」
 菅野がせっせとメモをとる。千佳子や睦子も懸命にとっている。
「時間を縫って椿商店会のタニマチ会に出ます。年にたった一回、お父さんの顔を立てるチャンスですから」
「それはありがたいですな。しかし気を使わなくていいですよ」
「それじゃあまりにも失礼です」
「そうですか。じゃ、二十九日くらいがいいですかな」
「はい。一時間程度にしてください。大晦日は、紅白歌合戦を観終わったら、栄生の竹井に年越しそばを食いにいってきます。約束しましたから」
 菅野が、
「そうでしたね。忘れてました。二人でいってきましょう。帰ってきたら、あらためて北村で年越しそばを食うと。起きていられる人たちだけで」
「そうしましょう。ソテツそばはどうしても食わないとね。お父さん、年末年始のトルコは営業するんですか?」
「ほかの店はやってますが、うちはむかしからやりません。名大と同じ、二十八日から七日まで。その時期は客層がひどいんですわ。たまにしか遊びにこれない地方客、年末年始の出勤サラリーマン、一人で留守番の妻帯者、酔っ払い。がっついてハメを外す客が多いので、来年からはお盆も十日から二十日まで休むことにしました」
 菅野が、
「毎日新聞の『今年を振り返って』の記事は、年末二十八日の日曜版に載ります」
 主人が、
「切り抜いときます。五百野のおかげで中日新聞の売り上げが大幅に伸びたそうで、謝礼と言って五百万の報奨金が振りこまれとりました」
「そういうものはぜんぶ、北村系列四軒のお店の諸設備費と、従業員の福利厚生に回してください。ファインホースや滑り台にもお金がかかるでしょう。ここの宴会費だって馬鹿にならない。どんどん使ってください。とにかく、年が明けたら、一カ月、ゴロゴロ寝て暮らします」
 夕食が始まる。今夜はまず鉄板焼きだ。ホタテ、イカ、タコ、クルマエビ、トウモロコシ、ピーマン、ナス、タマネギ。次に牛ロースが出てくる。タレがじつにうまい。めしがほしい人にはめしが出る。麺類は、自家製醤油ラーメン、味噌ラーメン、きしめんの三種から選ぶ。スパゲティは、ボンゴレ、タラコスパゲティから選択。最後はズワイガニの鉄砲汁で〆た。直人はトウモロコシとナス少々、牛ロース少々、味噌ラーメン少々、ごはん少々。みんなとことん満足した。
 トモヨさん母子とイネの四人が風呂へいき、主人と菅野が見回りに出かけ、雀卓と花札の座布団が整えられる。残りはテレビ組。カズちゃんたちも加わる。CBCテレビ肝っ玉母さん。提供カルピス、資生堂。モノクロの戦争未亡人ものだ。千鶴も同部屋の三上といっしょに楽しそうにテレビ組に入った。私は千佳子と睦子を縁側に呼んで、しばし中村区の歴史ネタで歓談する。もちろん睦子の独り舞台になる。
「中村区は熱田台地の西側の低地帯にあって、縄文時代は海だったんです。平安時代は則武荘などの荘園がたくさんありました。中世には市なども立って繁栄し、戦国期には稲葉地、岩塚、米野などに城が築かれて小豪族が割拠しました。その後織田氏の支配下に入りました。中村区からは豊臣秀吉、加藤清正を輩出しています。江戸時代には、東部は堀川に沿って問屋や倉庫が多く建てられて尾張藩の台所になり、西部は穀倉地帯でした。明治以降は明治四十一年に中区と西区に分割され、昭和十二年の十区制施行によって、西区の一部を割いて中村区が誕生しました。その後名古屋駅が開設されたせいで、名古屋の交通の要所になって、東側は経済活動の中心地になり、西側は英傑ゆかりの土地として史跡が多く残される地域になりました」
「ふうん、なんだかカサ張りの大きな区だなあ」
「豊臣秀吉はよく尾張の片田舎中村郷の生まれと言われますが、当時中村郷は東海道が真ん中を通っていて、かなりの往来があったので、けっして片田舎じゃなかったんです。宮の宿(しゅく)から桑名宿までの海路も東海道の一部で、海路を街道に指定されたのは名古屋だけです。船を嫌う人もあるし、海が荒れることもあるので、東海道の脇街道の佐屋街道が作られました。中村区では烏森から岩塚までほぼ一直線の道です。ところどころ松並木があります」
「烏森って?」
 菅野も同じ地名を口にした。
「岩塚の東にある豊国通の東一帯ですけど、近鉄の烏森駅を佐屋街道が通ってます。岩塚から庄内川を渡って、対岸の万場(まんば)から街道がずっとつづきます」
「万場の忠太郎?」
「長谷川伸の瞼の母ですね。あれは滋賀県の番場(ばんば)です」
「知らないことがないね。このあたりの有名な中村遊郭だけど、どんなふうにしてできたものなの?」
「尾張藩の七代藩主の徳川宗春という人は、幕府の質素倹約令が気に食わなくて、芝居や歌舞音曲を奨励した変人だったんです。大須に芝居小屋や遊郭を建てて一大歓楽街にしました。大正時代に遊郭を移転することになって、移転先が中村と決められました。三年かけて三百メートル四方の田畑を整地し、一九二三年に開業しました。整地のときに土砂が必要になって、採掘した場所が遊里ヶ池になり、その後埋め立てられて日赤病院になりました」
 私の知っている知識もある。
「名古屋の変人文化の集約点が駅西というわけか。気に入るはずだ。睦子に圓生の落語をカセットデッキごとあげるよ。江戸文化を研究するにはもってこいだと思う」
「お借りするだけにします。大切なものですから」
 コーヒーを持ってきたソテツに訊く。
「キッコの大検の発表は?」
「十二月九日です」
「来年から千鶴もソテツも高校にいくんだね」
「はい、千鶴ちゃんは来年から中村高校の夜間、私は再来年名古屋西高校受検。来年の四月から、毎週土曜日、河合塾にかよって一生懸命勉強します」
「受かるんだよ」
「はい」
「努力をする人は、いつか期待以上の存在になるからね。そのとき視界が展けるんだよ」
「視界?」
「人生を一本線で見通せるようになる。どうしてその線の上にいていろいろな人間やものごとに出会ったのかがわかるんだ」
 合船場の日々を遠くに感じる。しかし、ときには、ついきのうのように感じる。私が育った魔法の土地。たぶん私に輝く未来を約束していた美しい魔法の土地。まさか線の先に試練が待ち受けているとは―。あのとき祖父母の言葉にもっと耳を傾けていれば、周囲の景観にもっと目を凝らしていたら、美しさの源を理解していただろう。でも教訓は、壁を越えるまでは得られないのだ。
 母に連れられて私はその線から外れて近道をした。自分の欲望から、祖父母を捨て、叔父や従兄弟を捨てた。ズルをした。それが事実だ。事実は変えられない。一本線をじっくり歩いて目的地にたどり着く努力を怠った。坦々とした人生に光を添えるためには、耐えるべきときは耐えなければならない。ごまかしから光のある人生は生まれない。ごまかさない努力を積み重ねれば、輝かしい真実に巡り合える。苦しみに耐え、たゆまぬ努力をして、初めて人間として勇敢な行動をとれる。


         五十

 睦子が、
「山口さんのリサイタルの切符とりました。練馬区の豊島(としま)公会堂。十二月二十四日と二十五日の二日間あるんですが、二十四日のイブのほうです。初演のほうが、緊張感が伝わってきますから。二十五日の王さんにも、二十七日の久保田さんにも会えます」
 千佳子が、
「リサイタルには水原監督もくるのよね。舞台に引っ張り上げられなければいいけど」
「山口はそんな下品なことはしないよ」
「名古屋公演は三月ですって。オープン戦の季節ね」
「案外バシンとうまくはまるかも」
 直人とカンナを寝かしつけて戻ったトモヨさんが、
「話すチャンスがあったら、山口さんとおトキさんによろしくね」
「はい」
 トモヨさんに遅れて離れから戻ってきたイネも混じってテレビを観る。ソテツやカズちゃんたちもテレビの前に坐ったので、途中から私たちもしばらく観る。おデブの京塚昌子が切り盛りする蕎麦屋大正庵のオハナシ。頑固、人情、涙。無意味にケンカし、無意味に涙を流す。猫跨ぎのホームドラマ。どんなにぶつかり合っても陰湿にならない家族関係というところが救い。顔を知っているが名前を思い出せない映画俳優がごろごろいる。ダンプかあちゃんでも見た長山藍子は、ふとしたところが加藤雅江に似ている。美人だが、セックスアピールはない。女たちの背中に肘枕で寝そべり、宣伝も含めて五十数分ぜんぶ観てしまった。
 九時。キッコや主人たちが帰ってきたのと入れ替わりに、一家に別れを告げて則武へ帰る。夜道でカズちゃんが、
「……素ちゃん、今夜泊まる?」
「ううん、読まないかん本がたくさんあるから」
「そう」
 私は素子にキスをして、アイリスの前で別れた。
「キョウちゃんがどこかに出かけるというと、すぐさびしそうになっちゃうんだから。さ、あしたの支度」
 百江が、
「はい。焦げ茶のスウェードの上着と、ワンタッチネクタイ」
「少し赤っぽいやつね」
「臙脂がいいですね。朝、席のほうに運んでおきます」
         †
 十一月十九日水曜日。六時起床。快晴。四・一度。ひさしぶりにうがい。軟便、シャワー、歯磨き。ジムトレと素振り、ほか一連の鍛練合わせて一時間。新聞。村山実が阪神の監督に就任したこと以外、めぼしい記事なし。二人を送り出して、八時から菅野と日赤までランニング。北村で朝めし。トモヨさんの机で牛巻坂のメモ、原稿用紙に二枚ほど走り書きをし、畳んでジャージのポケットに入れる。その直後、忍んできたイネと交わる。机の裾に蒲団を敷いた。
「だいぶしてなかったね。つらい思いをさせた」
「なんもよ。……奥さんがいってらっしゃいて、へってくれて」
 イネはできるだけこらえて激しく達しようとする。もしやと思い、私は射精の感覚を殺しながら素早く抽送した。
「ウクク、イグ、神無月さん、好ぎだ、イグウ!」
 イネは二度つづけて高潮に達し、それでじゅうぶん満足した様子だった。私は安心して引き抜き、長い口づけをして帰した。そのあとですぐトモヨさんが入ってきて下半身を曝したので、後背位で心置きなく射精した。トモヨさんは声を上げて何度も痙攣した。
「ごちそうさまでした。郷くんが出さなかったってイネちゃんが耳打ちするので、飛んできました。イネちゃん、危ない日だったようで、とても感謝してました」
「なんとなくそんな気がしたから」
「スーパーマンですね。さ、お昼を食べましょう。そのあとしっかり身づくろいして」
 十二時半、菅野の車で名古屋観光ホテルへ。フラッシュが瞬く。二十人ほどの報道陣に囲まれ、中規模の特別室へ。
「オオ!」
 という歓声が上がる。ここにも腕章をした十人ほどの報道陣。正装した阪神電鉄の幹部社員数人、花束を抱えた着物の女性が一人、マイクの前に司会者一人、女子係員二人。表彰用のテーブルがそれらしくしつらえられている。
 時を経ずに、フラッシュの中、二人の重立った老人が奥の部屋から現れ、交互に私と握手する。二人とも六十代の半ば。着席してたがいに自己紹介をしたのち、しばらく歓談する。といっても、相手の話にうなずくだけだ。
 茶が振舞われる。フラッシュが止まない。やや温顔の兵庫県知事の金井元彦が(エラを張らせるとじっちゃの顔だった)、
「五百野、愛読しております。凄絶な文章力に感銘いたすことしきりです。私、神戸生まれなのですが、終戦直後からほぼ一年間、青森県知事を務めました。春から真冬にかけてすべての四季を経験いたしました。あなたの描写力に富んだみごとな文章を読んで、あの時代を克明に思い出したしだいです。名著です。書物になりましたら、兵庫県すべての図書館に備える所存です」
「ありがとうございます」
 阪神電鉄社長野田忠二郎が、
「私のモットーは《和》です。あなたの精神もまさにそれで統一されているように思われます。グランドを駆け回る姿を拝見するたびに、そのきびしさと、融和の精神にひしひしと打たれます。私は野球についてはあまり詳しくなく、その手の話は恥ずかしくてできませんが、一目瞭然のホームランの偉大さはわかっております。あのホームランを目にして、この人物を顕彰せねばならないとすぐさま決意しました」
「ありがとうございます」
「場外への通過点のパネルを設置し、あなたのミニチュアの銅像を台座に載せて距離の記録と日時を刻印した記念碑は、正面入場口の右手に設置しました」
「どうも」
 フラッシュが激しい。金井が、
「あなたは噂ほどマスコミをないがしろにしませんね。親会社を新聞社とする中日ドラゴンズは、むかしから〈中日新聞一家〉という雰囲気で、マスコミのことなど気にしない気風でしたからね。あなたのマスコミ嫌いも難なく受け入れられたんでしょう。しかし、あなたはマスコミを邪険にしない」
 野田が、
「門前で怒鳴られて追い返されたという新聞人の話もチラホラ入ってきますよ。よく聞くと、怒鳴られたほうが悪い。媚びず、黙殺せず。神無月さんは天真爛漫に振舞っていらっしゃるだけですよ」
 記者から質問がきた。
「一日の練習時間はどのくらいですか」
「おおよそランニング一時間、筋肉鍛錬四十分、素振り二十分、合計二時間。休息日もあります」
「あなたはすごい人です。特別な人です」
「何がですか?」
「ホームランを打つこと、あなたの才能です。われわれには無理です」
「簡単なことです。バットが教えてくれます。バットの勢いに乗って、ボールをつかまえて……楽しむんです。そう、それだけです」
 拍手が湧く。
「執筆時間は」
「練習後の数時間。書かない日のほうが多いです」
「場外ホームランの球種は何でしたか」
「フォーク、ど真ん中でした」
 司会者が、
「そろそろ表彰式を始めようと思います。どうぞご準備ください」
 白布を垂らした長テーブルの背後に関係者がずらりと並んだ。会場のスピーカーからワグナーのタンホイザー序曲が流れ出る。
「まず阪神電気鉄道株式会社取締役副社長××より、金一封三百万円が贈呈されます」
「おめでとう、そして、偉大な業績に感謝いたします」
 礼をして、小切手の入った熨斗袋を受け取る。握手。ストロボ。係員に手渡す。
「次に阪神電気鉄道株式会社常務取締役××より、記念像が授与されます」
「おめでとう。あまりの美丈夫なので驚きました。あなたのおかげでプロ野球が美しく輝きます」
 バットを振り出す格好の、台座つきの黄金製の立像。礼をして受け取る。握手。ストロボ。フラッシュ。係員に手渡す。
「つづきまして、兵庫県知事金井元彦より、記念品目録と賞金三百万円が贈呈されます。なお記念品は、神戸ユーハイムより季節ごとのバウムクーヘン詰め合わせセット、あしや竹園特産黒毛和牛セット、万寿庵より天津甘栗三キログラム、さくらやよりいちぢく羊羹二十本、明石伍魚福より明石だこのやわらか旨炊き三キログラム、かね徳より淡路島いかなごきく煮五百グラム、白鷺陣屋より塩味饅頭五十個詰めでございます」
「おめでとうございます。実際にお会いして、あなたの魅力に圧倒されました。生涯にわたって応援します。ホームランを打ちつづけてください」
 礼をして目録と熨斗袋を受け取る。固い握手。ストロボとフラッシュの連射。係員に手渡す。音楽が止んだ。
「いよいよ阪神電気鉄道株式会社代表取締役社長野田忠二郎より、表彰状が授与されます」
 礼をし、背筋を伸ばして聴く。

   
表彰状
    最長不倒記録達成者
           神無月郷 殿   
 あなたは昭和四十四年度日本野球機構セントラルリーグ公式戦において、阪神甲子園球場の右翼場外へ推定飛距離百八十八メートルの本塁打を放ちました。これは当球場開闢以来最長不倒の記録であり、今後長く破られることがないと思われる燦然たる記録であります。その栄誉を讃えるとともに、たゆまぬ身体鍛錬と強靭な精神力で日々坦々とホームラン打ちつづけ、さらなる高みを目指そうとする姿勢に尊敬の念をこめ、ここに表彰いたします。
 昭和四十四年十一月十九日
 阪神電気鉄道株式会社 代表取締役社長 野田忠二郎


 深く礼をして表彰状を受け取る。固い握手。ストロボとフラッシュの連射が止まない。係員に手渡す。
「最後に、今年度ミス兵庫××による花束贈呈でございます」
 カズちゃんの十分の一も美しくない女から礼をして花束を受け取る。恥ずかしそうに差し出す手と握手。ストロボとフラッシュ数発。係員に手渡す。それぞれがもとの位置に着席する。ふたたびコーヒーとケーキが用意される。野田が、
「ご足労おかけして申しわけありませんでした。あなたをつつがなく顕彰できたことはわが社の誇りです。表彰を拒否する可能性もあると聞いておりましたので」
「ご足労なさったのはそちらです。わざわざ兵庫県から足をお運びいただき、ありがとうございました。選手納会や年間授賞式等の緊密なスケジュールが詰まっておりまして、この日を指定させていただきました。申しわけございませんでした。野球に関する表彰は極力受けるようにしています。自分が何者かが明確になりますので」
 金井が、
「聞きしにまさる謙虚な人だ。それでいて人一倍情熱のかたまりときている。役人も政治家もすべからくこういう気持ちでいないとね」
 ほとんどの記者たちが立ち上がり、報道編集のために各自の本社支社へ戻っていく態勢をとる。明石のウォンタナで見覚えのある図だ。一人二人のデンスケとカメラが残った。
「百二十メートルが大ホームランの時代は遠くなりましたな」
「百五十メートル級を叩き出した王選手は革命児だったが、百八十メートルとなったら別次元でしょう。……フォークですか」
「杉下のフォークは一度だけかすられたことがあったそうです。昭和二十九年、うちの真田重男。しかし神無月さんなら打つだろうな」
「杉下が阪神の若返りを図ったんでしょう? 去年中日に帰る前の最後の仕事が、江夏の獲得」
「ストレートが高めに伸びたら打てないというのがこれまでの常識だったけど、神無月さんがひっくり返したね」
「百六十キロで伸びてきたら打てません」
「山口高志というのが百六十キロを投げるらしいね」
「百六十八センチか。ちょっと逡巡するな」
 金井が、
「五百野は確実に芥川賞、あるいは直木賞の候補になると思いますが」
「受ける資格がありません。謹んで辞退します。出版人や文学者や評論家が推薦するような作品はもっと価値の高いものです。作文書きのぼくが受賞したのでは、それ以前に受賞した、あるいは授賞しなかった光輝に満ちた天才たちに申しわけない。後者の例としては啄木や太宰治がいます。彼らにどうやっても申しわけが立たない」
 記者たちがざわめいた。
「そこまで決意が堅いのなら、かならずそういうふうになさるでしょう。そのこととは関係なく、いつの年度でもよろしいですが、おん作を神戸新聞に連載していただくことは?」
「年限を設けないという前提で、かつ、何度も言いますが、ぼくの書くものは芸術作品ではなく、子供の作文だということを承知したうえでということならお引き受けします」
 意味のわからない笑い声が上がる。電鉄社長と配下、県知事と配下、入り混じっての歓談が十分ほどつづき、いくつかの手が入り乱れる最後の握手が終わると、司会者の声が上がって散会となった。しつこく十数人の人びと握手をした。四、五人の係員が、私の受け取ったすべてのものを駐車場へと運ぶ。


         五十一

 菅野が待っていた。
「ああ、すんだ」
「お疲れさま。あしたは下呂です。蕎麦でもすすっていきましょうか」
「帰りましょう。急に疲れてきた。ゴロッとなりたい。そこにある小切手、お父さんに渡してください」
「了解」
「その一部もファインホースのプール金に加えてください。事務所の設備にどんどん手を入れて、職員が働きやすくしなくちゃいけませんよ。サボリ屋は首を切って、まじめな人だけ残す。ぼくは野球を長くやることに決めたから」
「はい! 球団事務所からきてしばらく勤めてくれてたかたは、球団に帰りました。だいじょうぶです。残った連中も仕事のできるやつばかりですから。……熊沢さんはどうも信濃観光に勤めていらっしゃらないようですよ」
「そう―。会いたいと思っていれば、いずれ会えるだろう」
「額縁買って帰りましょう」
「うん」
「あしたはドラフトですね」
「戸板は?」
「とうとう新聞に大きく名前が出ましたよ。中日は一位指名を予定してるようです」
「他チームは?」
「三位までには名前すら出てません」
「よし、来年も楽しく野球ができる。小川さん、小野さん、星野さん、戸板の四本柱に、水谷寿伸さん、伊藤久敏さん、土屋さん、水谷則博の四本支柱。いけるいける」
         †
 十一月二十日木曜日。八時起床。曇り空。六・六度。
 気まぐれに首から上の点検。鼓膜に風穴の開いている右耳、ほぼ聴力なし、左耳、はっきりした金属の擦過音。目、昼間でも裸眼では野球をするのが難しくなってきた。鼻、異常なし。歯、浅間下以来痛む歯はなし。あの虫歯は幸い乳歯だったので抜けてしまった。
 牛巻坂のメモをジャージのポケットから出して机に置く。人の一生は〈儲け口〉を探すことに費やされるというものだ。推敲はいずれ。
 ジムトレのみ、ゆっくり三十分。素振り、一升瓶、ランニングなし。シャワーを浴び、乱れ籠に用意してあった長袖の下着をつける。今年初めての長袖だ。朝食を終えたカズちゃんたちを見送る。食欲なし。ソテツにキツネきしめんを作ってもらうつもり。
 コーヒーを一杯飲んで北村席へいく。玄関横に犬小屋ができ上がっている。まだ犬はいない。猫といっしょではなく犬だけを買うことにしたようだ。金魚がいるからだろう。菅野が居間で直人に登園前の本を読み聞かせている。
「何の本ですか」
「犬の本です。どろんこハリー」
 トモヨさんが、
「四歳用だからまだ早いんですけど、犬の絵本がほしいというもので。外国の翻訳本です」
 直人は真剣な目で挿絵を見つめている。風呂が嫌いな犬の話のようだ。
 ソテツがリクエストどおりのきしめんを運んできた。キツネ、ホウレンソウ、蒲鉾。主人が、
「宗近棟梁が知り合いの動物病院から子犬をもらってくれましてな。雑種のオスの和犬です。病院の玄関に箱に入れて捨ててあったそうです。雑種はからだが丈夫で、人や環境に馴染みますからな。棟梁の家に見にいったら、秋田犬に似たかわいらしいやつでした。生後三週間ぐらいで、まだ視力が定まっていないので、あと三週間ぐらいしたら連れてきてくれるそうです」
「小さいうちは庭で遊ばせとけばいいですね。一年もしたら散歩に連れていかなくちゃいけない」
「はい、みんなで分担してやりますよ。何かいい名前ありますか」
「ジャッキ……」
 思わず言うと直人が私を振り向いて、
「ジャッキ!」
 と叫んだ。
「変わった名前ですな」
「三歳か四歳のころ、野辺地で祖父が飼ってた犬です。いまのいままで忘れてました。……死んだとき、スモモの木の下に埋めました。ミースケも」
 死んだ理由も憶えていた。寒さに耐え切れずに夜鳴きするジャッキにじっちゃが薪を投げつけたのだ。薪はジャッキの頭に命中した。女将が、
「ジャッキ。ええ名前だがね」
「ジャッキ!」
 と、また直人が叫ぶ。
「うんとかわいがってやるんだぞ。叩いたらだめだよ」
「かわいがる!」
 菅野がトモヨさん母子を送って出た。
 ふと、ソテツと千佳子の間隔が開いていることが気にかかったが、口に出さなかった。
 ―柄にもなく何をいい気になっている、ポルノ男優ほどの逸物でもないくせにオダテに乗って息巻きやがって、相手をしてもらえるだけラッキーだと思え。
 そんな自嘲的な気分のまま、一人ひとりとの間隔を考えだしたら、頭が気持ち悪く混乱してきた。生活の清新な心持ちも濁りはじめる。頭を混乱させずに、清新な心持ちのまま気兼ねなく応対できる女は数えるほどしかいない。義務を感じないで本能を捧げられる女たちだ。その数人がいるだけでも、オスとしてラッキーなことだ。
 菅野とトモヨさんが戻ってきたので、しばらく一家の人びとと居間で歓談する。菅野が温泉ガイドブックを広げ、
「太閤通の本屋で買ってきました。水明館は創業三十年の老舗和風旅館です。バカッ広い敷地に建ってます。立派な日本庭園もありますよ。いまは紅葉の季節ですね」
 ソテツが昆布おにぎりを二つずつ握る。
「露天風呂つきの和室もありますけど、ふつうの五人定員の和室でないですかね。四、五部屋」
 小便をし、小バッグに下着とタオルを入れ、ラフなブレザーを着、柔らかいローファを履く。慎重を期して昼前に新車のほうのクラウンで出発。門前に一家に見送られる。
 柳橋に出、江川線で秩父通から環状線に乗って黒川まで。そこから空港線で小牧を通過して、国道41号線をひたすら進む。路の両側が民家と田畑と草むぐらに縁どられた道路。さっそく退屈する。
「黒川から白川街道まで一本道です。一時間三十分。眠くなったら寝てください」
 空と雲と山並とときおりの信号しかない道だけれども、案外眠くならない。細流をいくつか渡る。田圃と畑。菅野がポツリと、
「濃尾平野は広いですねえ」
「日本はほんとに広い」
「さすがにこのあたりは走ったことがありません。地図は頭にありますけどね」
 近づくようで近づかない山並、丘の連なり。大きな川を渡る。
「木曽川です。いつかきました。この近辺じゃありませんでしたが」
 緑が深まり山路に入る。道の両側は背高の藪のみ。
「いまの小橋の下を名鉄広見線が走ってました」
 橋の下の溝はすべて緑に覆われていたので、ふつうの小森と思って見過ごした。
「飛騨川と国鉄高山本線に沿って走ってます」
 藪の中なので見えない。
「下呂でゴルフをする場所は水明館から近いんですか」
「車で二十分です。下呂カントリークラブ。プロゴルファーはこないですね。プロ大会が催されたこともありません」
 見渡すかぎりの田畑の中に美濃加茂市街の標示板が出た。並んで高山・下呂の標示。雄大な木曽川を渡る。
「可児(かに)市と美濃加茂市に架かる中濃大橋です。今年できたばかりです。約四百メートル」
 渡って美濃加茂市。かなり大きな繁華な市街だ。
「両市とも名古屋のベッドタウンの一つです」
 町が途切れるともなく途切れると、ふたたび田畑になる。
「いま高山本線の高架を渡りました」
 また繁華になる。街並が両側に展開する。細流をいくつか渡り、また山路に入る。空に黒味が増す。話したり、キョロキョロ景色を見たりしているうちに、あっという間に一時間三十分が経った。
「白川街道に到着しました。ここから一時間十分ですね」
 しばらく走り、ウトッとなるが、すぐに眠気が醒める。
「少し休憩しましょう」
 寂れた信号で右折し、一回転ループして蛇行する飛騨川を渡る。眼下に河原の絶景が現れる。下りていく道がないので『しまおおはし』を渡りつづける。たもとの道端に車を停め、ソテツのおにぎりを頬ばる。うまい。目の前に××産業株式会社の飯場がある。さっき河原で砂利を採っているショベルカーを見かけた。おにぎり二つたちまち平らげた。
 もとの信号へ引き返す。橋のたもとで降り、草むらで二人して立小便。もう一度乗りこみ、山路に迫る深山を見上げて走り出す。
「ソテツちゃん、きれいになりましたね」
「はあ、いつでも嫁にいけますね」
「……それはちょっと酷でしょう。いまの状態で新しい男が脇にできるなんてことは考えられないですよ」
 山裾の幸福そうな民家の群れ。右は飛騨川の流れ。川から離れ、川を渡り、離れ、ふたたび出会う。スズキのショールーム。草むぐらの彼方に山が迫る。飛騨川? 去年、バスが転落した川か?
「菅野さん、飛騨川って……」
「はい、去年の八月でしたね。名古屋から乗鞍岳に向かった観光バスでした。この国道41号線です。十五台のうち二台が土石流にやられて、百何人か死にました。白川街道に入る少し手前に、天心白菊の塔という白い三角錐の慰霊柱が建っていたんですが、気づかなかったでしょう」
「はい」
 大きな橋を渡る。飛騨川と密着して走りはじめる。
「右手にあるのが名倉ダムです」
 何列もの石壁がそびえている。深山に入る。左側に絶壁がつづく。いつ崩れ落ちてきてもおかしくなく思える。切り通しの裾をコンクリートで固めた断続的な長いトンネル。時速百キロから百十キロ。二車線なのに対向車線に車がいないとわかると、後続車がどんどん追い抜いていく。
「安全運転。預かってる命が特別ですから」
「菅野さん、きょうはありがとう」
「何ですかそれは。やめてくださいよ。私は神無月さんの恋女房だという自負がありますから」
「はい、ぼくも思いは薄くありません」
「うれしいな」
 二十分ほど過ぎ去る景色をぼんやり眺める。うとうとしてきて、しばらく眠りこむ。ふと目覚めると、地蔵野洞門の長いトンネル。
「もう下呂市に入ってるんですが、下呂駅までは三十分くらいあります」
 うとうとしながら目をときどき開ける。下原ダム。うとうと。
「神無月さん、このあたりは中山七里です」
 橋を渡る。
「何ですか、それは」
「さっき通った金山から、もう少し先の帯雲橋(たいうんはし)までつづく渓谷のことです。奇岩が多いことで有名です」
 奇岩よりも流水の蒼さが目に沁みた。
「この三原の先の帯雲橋を渡ったたもとのT字路で左折します。最後まで国道41号線のままです。あと十分ちょいで水明館に着きます」
 左折して、大岩のあいだをいく紺碧の流れを見下ろしながら走る。下呂市街3kmの青看板標示。
「そこのガソリンスタンドでガソリンを補給します」
 ついでにまた小便をした。屈伸運動。空は低いままだ出発。道の左はゆるやかに水を流す砂利と小石の河原、右は立木の緑、そのあいだに嵌めこまれた古民家。ゆくてに一段と高くそびえる鉄柱に掲げた歓迎下呂温泉の巨大な看板。通過。森林を背にする民家が稠密になってきた。ところどころに稲田。枝分かれする路に郷愁がある。川面をよく見ると魚がゆらゆら泳いでいる。指差すと、
「岩魚ですね」
 何でも知っている。雨がぱらついてきた。灰白色の空。
「山の天気は変わりやすいといいますが、この程度ならだいじょうぶでしょう。もうすぐ街だし」
 ふたたび退屈な道がつづく。下呂温泉の大小の看板が立てこみはじめる。
「不思議だなあ。空と海と山と川と建物と町。それを眺めてそこに暮らす人間。この世にはそれしかない。……あたりまえか」
「そういう感想はあたりまえでないです。町と町をつなぐのは道。口に出してみると新鮮ですね」
 街なかへ向かう分岐路が見えてくる。
「言葉の効果だね。お、歓迎下呂温泉のアーチ」
 そちらへ折れ、アーチをくぐる。
「行き先にドラゴンズの仲間が待ってなければ、ぜったい走らない道だね」
「走りません」
 民宿や温泉宿ふうの建物が平地や台地に固まりはじめる。柳並木の繁華な町になる。旅館が林立する。温泉街だ。細道の奥にチラと小さな石鳥居が見えた。飛騨川の浅い流れに架かる長大な橋を渡る。水明館の象牙色の建物二棟が川向こうに見えた。
「着きましたね」
「はい!」



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