十

 仲居の一人が、
「どうぞ、お茶菓子をお召し上がりください。福口味(ふくこうみ)と申しまして、当館オリジナルのブランデーケーキです」
 小フォークで口に含む。
「うまい!」
 菅野も笑顔でうなずく。女将は、
「ありがとうございます。角上楼の者どもが手間ひまかけて煮た丹波の黒豆を、地元でとれた新鮮な玉子と牛乳に混ぜて焼き上げ、少量のブランデーを滲みこませてございます」
「ほんとにうまい。帰りに土産に買って帰ります」
「直径十五センチほどの丸ケーキでございます」
「それを五個。一個の値段は?」
「千百円でございます。もちろんサービスさせていただきます」
 私はすでにポケットに忍ばせてあった五万円をテーブルの上に置き、
「歓待されるのは好みじゃないですが、その好意に応えることは好みです。角上楼のかたがたへの感謝のしるしです。裸ですみませんがお納めください。壁に芸能人等のサインが掲げてないので安心しました。心意気を感じます」
 一同深く辞儀をした。さっそく広い階段(材はヒノキだそうだ。廊下の杉と使い分けている)を登って二階へ昇っていく。階段の上がり框の柱に大きな振り子時計、その右に仙台箪笥。通し廊下の鴨居に横長の扁額。萩の間へ案内される。中庭を見下ろす豪華な和室だった。大硝子戸の前に庭に向けて丸脚の籐椅子が二脚置いてある。仲居が一とおり案内して回る。ガラス戸以外はすべて戸障子と襖、中庭の眺めも質素で心地よい。
「庭の向かいの部屋は、一階も二階も会食のお食事処です。会食になさいますか」
「いえ、部屋にお願いします」
 菅野が、
「半島の先まで車でどれくらいでしょうか」
「田原街道を南へくだって二十分かからないと思いますが、車でいけるのは恋路ヶ浜駐車場までです。そこからは歩きになります。ここを三時に出れば、恋路ヶ浜から伊良湖灯台まで往復しても、五時には帰ってこれますね。夕食は六時半ころにご用意します」
「恋路ヶ浜ってどのくらいの長さなんですか?」
「千メートルほどです。あとは岩磯になります」
 女将と老爺に見送られて出発する。空の青さが重く澱んでいる。圧力を感じる。しかし家々が路肩に接して建っていないうえに建物が車道から遠くにあるので、歩道を含めた道がだだっ広い。空の圧力が軽減する。住宅地を過ぎればかならず田畑と、ビニールハウスと、工場や倉庫だ。時おり森や丘の裾がせまるときのほかは、道はどこまでも広い。ちょくちょくメロンの看板が目に入る。このあたりはメロンの産地なのかもしれない。海が見え隠れする。
 十五分もかからずに恋路ヶ浜駐車場に着いた。菅野が、
「やっぱり近かったですね。そんな気がしたんですよ」
 五十台ほどゆったり駐車している。駐車場へ進入する道の片側に、食い物屋が七、八軒建てこんでいる。どの店も魚介を食わせる店だ。駐車場の端に南国ふうの樹が植わっていたので菅野と近寄っていく。椰子の樹二本。傍らに〈柳田国男と椰子の実〉という巨大な石板碑。その左手に石枠に吊るされた鐘がある。
「何だ?」
「ああ、幸せの鐘ですね。恋路ヶ浜は恋人たちの聖地と言われてます」
「何か古来の言い伝えがあるんでしょう。幸せの鐘……未来の幸せを願って鳴らしてみませんか、というわけか。現在の幸せを軽く見てるな。感謝が足りない」
「……砂浜を歩きますか」
「やめときます。ペタンとした砂浜はちょっと。野辺地のような砂利浜がいい。……でもどんな浜でも、遠くから見る波はいいなあ。波頭が好きだ。白い波頭のない海は砂浜といっしょで、のっぺらぼうだから」
 草の崖に切られた遊歩道を灯台に向かって歩いていく。途中の岩だらけの浜に目を奪われる。十分ほどで、その浜の途中に立つコンクリートの建造物に突き当たった。
「なあんだ」
「ここにあるから見にきたくなるんでしょうね。庄内川べりにあったらだれも見ない」
「アハハ、そんなところにあったら、子供の探検場所ぐらいにしかならないですね。川じゃ使い途がない。海の船の航行安全を図るための懐中電灯だから。……菅野さん、あの島は何だろう」
 前方にポコンとふくれ上がっている島を指差した。
「神島ですね。蛸で有名な。三重県の南端ですよ」
「三重県の神島? ……ああ、三島由紀夫の潮騒か……たしか歌島という名で書かれてた。タコ漁。新治がタコ漁で得た給料を袋ごと落としてしまい、それを初江が拾って新治の家に届けた……」
「はあ、そうでしたね、それから二人はドンドン近づいて……。オリンピックの年に映画を観た覚えがあります。吉永小百合と浜田光夫。潮騒というのはいつの時代の小説ですか」
「いつだろう。昭和二十年代ですね」
「一度読んでみます」
 車へ引き返す。私は、
「描写の達人の三島が、潮騒だけはわざとと思えるくらい男女関係をつたなく書いてるんです。清純なものが凛々(りんりん)と伝わってくるので名作にはちがいないんですが、金閣寺の描写の緻密さには到底およばない。全体をきれいごとで、はしょってるんです」
 菅野は運転席に乗りこみながら、
「小難しい小説を書くことで有名な三島由紀夫が、どうしてそんな荒っぽい純愛小説を書いたんですかね」
「さあ……うわべだけの恋愛感情を〈記す〉だけで、具体的なことは〈何も書かない〉と決めたんでしょう。川端康成の……ぼくにとってはですけどね……不潔に感じられる伊豆の踊子という小説が、純愛小説として大成功したのに驚いて、追随したんじゃないのかな。三島も伊豆の踊子を不潔に感じたと思いますよ。仮面の告白という同性愛小説を書いた男ですからね。でも、川端は三島を世に出してくれた恩人なので、その気持ちは口に出さなかったでしょう」
「〈何も書かない〉というのは、セックスそのものも、それにまつわる情愛の機微も書いてないということですね」
「そうです。ギリシャ時代に書かれたダフニスとクロエ的な、波乱万丈、ハッピーエンドの純愛小説を書きたかったという話も聞いたことがありますから。たしか青高の相馬先生じゃなかったかな」
「ダフニ……」
「ギリシャのロンゴスという人が書いた恋愛小説です。実際に読んだことはありません」
 退屈な景色に戻る。大小の壺や甕を垣根のようにぐるりと並べている家がある。意味がわからないので退屈。椰子の並木が沿道につづくのは意味がわかりすぎるので退屈。
「そのあたりに芭蕉の句碑があるようですよ。矢印が出てます」
「いいです、見なくても。上っ面の知識はありますから。何という名前だったか忘れたけど、名古屋で米商人をしていた弟子の俳人が、商売上の不正を働いてこのあたりに流されたんです。その男を訪ねて伊良湖にいったときに一句詠んだんですよ。菅野さんも知ってるんでしょう? 地元の人間ですから」
「はい、鷹一つ、ですね」
「そうそれ。見つけてうれし、いらご崎」
「……神無月さん、思い立ってやってきて、よかったですか」
「うん、北村席にいるのがいちばん退屈でないって、少しずつ確かめていく感じが何とも言えない」
「……この道、退屈ですねえ。ああ、うれしくてしょうがないなあ」
 思わず声を出して笑い合う。菅野は車にスピードを乗せた。
 四時半前。車を角上楼の駐車場に入れると、小走りに女将が出てきた。今度は黒前掛けに黒ズボンの足もともしっかり見た。黒足袋に赤鼻緒の草履。ピンクのお仕着せのブラウスにじつによくマッチしていた。
「どうでしたか、半島の先っぽは?」
「すばらしかったです」
「さ、ごゆっくりなさって、お風呂にでも入ってください。お申しつけしだいお食事の準備をいたします」
 菅野が、
「きょうは、お客さんは?」
「五組ほどいらっしゃってます。本館に二組、別館に三組。土日でも十組はいらっしゃいませんね。ぜんぶで十室しかない、少しお値段の張る料理旅館ですし、経営はかつがつでいいというのが先代からの方針ですから」
 私は、
「角上というのは?」
「上村(うえむら)というのがこの旅館の主の姓です。屋号はカクジョウ。大正時代に遊郭から始めました」
 茶屋ではなく、まさに遊郭だった。
「昭和の初めに料理屋へ、それから旅館へと転業して、こつこつ今日までがんばってまいりました。ではごゆるりとおくつろぎください」
 女将は小板に鎖で留めた鍵を置いて去る。二間つづきの部屋を見渡す。広い。八畳には大きな角テーブルが置かれ、十畳には別敷きの十センチほどの高さの畳にすでに蒲団が二組敷いてある。古風な調度は立派すぎて、いちいち見つめていられない。ふつうのホテルに備えてあるようなものはすべてある。
 一階の風呂を見にいく。ヒノキ枠に黒タイル貼りの落ち着きのある浴室だった。廊下の途中になつかしい横長の洗面場がある。足もとに菱タイルが貼ってある。牛巻病院に康男を見舞ったとき、これと似たような洗面所で彼が歯を磨くのを見た。別館への通用口もあったが開けなかった。部屋に戻り、二人並んで浴衣を着、持参した風呂道具を持ち、鍵を閉めて風呂へいく。脱衣場で、
「うお、神無月さん、背中と肩が盛り上がってきましたよ。ふくらはぎもすごいな」
「菅野さんも、全体に筋肉がつきましたね」
「この数年で別のからだになりました。うれしいです」
 湯は熱すぎず、首まで浸かると全身の筋肉を解きほぐされるようだった。湯船を出て背中を流し合った。
「そのこすり具合最高です。力持ちなのに不思議だなあ。私は
「めし前にそのあたりを散歩しましょう」
 風呂を出たところで仲居に遇ったので、夕食は六時ぐらいにと頼んだ。部屋に戻って着替え、鍵を預けて散歩に出た。板造り、トタン作り、寂れた家並を歩いていく。野辺地の新道を歩いているようだ。
「野辺地はこんな感じです」
「ほう……」
「そこの神社に入ってみましょう」
 畠神社。鳥居の下にイチョウの落ち葉が黄色く散り敷いている。
「一本だけみたいですね。立てカンがあります。樹齢百五十年か」
 燈籠、狛犬、社殿、ありきたりの神社だ。引き返す。
 例の巨大な駐車場、洋菓子シャンゼリゼ、トタン屋根、瓦屋根。裏通りに入り、民家に紛れて、森永カルピス、福江ミルクセンター、天野自転車店、石川洋裁店、小塚商事、看板のない理髪店、赤い郵便ポスト、涸れかけた免々田(めめだ)川。名無しの橋を渡る。向こう岸の土手を歩きながら家並を見返す。あの夜の保土ヶ谷のようだ。戻る。旭屋。蕎麦屋か? 暖簾が下がっていない。モルタルの新築の家が並ぶ。千年平畑も野辺地もそうだが、一軒新築すると、風邪が流行るようにあたり一帯が新築になる。杉江学生服店。まちがいなく遊郭跡と思しき建物。廃屋になっている。角上楼のほうへ曲がる。新築モルタル、新築モルタル、大勝堂電気店、広い空地に電気製品の廃品の山。錆びついている。電気製品のゴミ捨て場か? 大木整体研究所、廃屋になっている。私は、
「家もゴミも新しいものに取って代わられて、ただ捨てられてるだけだ。古い北村席で生き直したくなりますね」
「夕食、魚料理といっしょに牛肉は食いたくないですね。フグもいらないな。特別追加注文ができると仲居が言ってましたけど」
「新しいものや高いものはやめて、お糸路とかいうスタンダードのままにしましょう」
 丸一鮨、遊郭ふうの廃屋。ヤマザキパン、茶屋ふうの廃屋。タカラ増改築という看板(たぶんもと大工)、遊郭ふうの廃屋。山吉弁当仕出し、繁盛している。材木工場、下痢便のにおい。広い駐車場。××××後援会事務所。広い空き地。スナック理香。また広い駐車場。潮音寺。八脚門と二体の仁王像。門の屋根瓦の両端に鯱が向かい合っている。遊郭街のそばにはかならず寺がある。墓地。広い空き地。通学路の標識。古民家の連なりの向こうに角上楼が見えてきた。楼の板塀が焦げ茶色に塗られていることがわかる。新しいモルタル家の群れを抜けて帰着。時分どきなので女将や重立った仲居たちの姿はない。黒服の老爺がいた。
「お帰りなさいませ」
 応接室脇のフロントで鍵を受け取り、
「このあたりはかつて、角上楼を中心とする花街だったんですね」
「はい、福江町はむかし渥美半島唯一の港町として栄えたところで、昭和の初期から色町としてたいへん賑わいました。商人や漁師がたくさん訪れたものでね。ただ先代が遊郭商売に嫌気が差し、料理屋に転業しました。多くの遊郭に仕出しをする商売に将来性を見たんでしょう。やがて遊郭も時代の流れとともに廃れていき、私どもの仕出し屋商売も下向きになって、きちんと旅館業に鞍替えしました。いまではふつうの住宅街に私どもの旅館がポツンと残っているようなさびしい現実があります」
 菅野が、
「それでも廃業に追いこまれずにここまでがんばってるんですから、大したものだと思いますよ。愛知県の料理旅館と言えば、だれもが角上楼の名前を挙げます。へこたれずにやってください」
「はい、ありがとうございます」
 私は、
「ひょっとして、あなたはここの……」
「はい、当館の二代目、上村でございます」
「そうですか。この宿は従業員に上下関係なく、みんな同じ服装なんですね」
「はい、そんなものはお客さまの接待に何の関係もありませんから。お客さまには上下がございます。国民に貢献なさってるかたは当然上ランクです。お客さま全体のご接待に差はつけませんが、心の中ではそう思って接するのが礼儀だと思っています」
「今回はかなり接待の差をつけてますよ」
「野球界の天皇ですから当然のことです。神無月さんこそへこたれずに、いつまでも球界の星でいらしてください」
「がんばります」
 菅野が、
「牛肉はいりません。フグもけっこうです。質素な、ライナーのホームランのような料理でお願いします」
「承知しました。ただ、フグのおいしいところは食べていただきます」


         十一

 立派な萩の間に戻る。十畳間に炬燵が用意してある。十四インチの白黒テレビがあることに気づく。点けずに庭を見下ろす。菅野が、
「めしのあとは別館の大風呂へいきましょうか」
「そうしましょう。タイル風呂かもしれない。目先が変わります」
 浴衣に着替えた頃合、失礼しますと言って、女将といっしょに二人の仲居が盆を捧げて入ってきた。私たちは八畳の角テーブルについた。一人の仲居が一合徳利を二本載せた盆を置く。それぞれ青森の田酒と福井の黒龍だと言う。私は酒の味がわからない。女将が、
「地元の魚介を一とおり食べていただきます。その前に、ヤマイモのすり流しです」
 もう一人の仲居が盆を置く。冷やした薄杯に流しこんだヤマイモにオクラが添えてある。とろみのあるヤマイモをツルッと呑みこむ。食感だけだが〈開始〉を感じる。次の仲居が入ってきて、
「アサリの手毬寿司、枝豆、焼いたヤングコーン一つ、モズク酢、豚の角煮でございます」
 酒もつぐ。菅野が、
「こりゃ、酒の当てにうれしい!」
 女将が破顔する。仲居が入れ替わる。私は、
「給仕が入れ替わり立ち代わり、殿様気分になりますね」
 仲居が、
「殿様以上です。天皇ですから」
 重厚な長い木皿に載せた刺身を目の前に据える。女将が、
「生のキャベツと茹でアスパラはモロミ味噌か塩で、小葱のフグ巻きはポン酢で、白ミル貝、鯛、赤貝は醤油か塩でお召し上がりください」
 盃を含みながら少し時間をかける。
「すごくうまい!」
 思わずうなった。女将と仲居がホホホと笑い合う。菅野が、
「こりゃホームランでしょう」
「主人も、ホームラン打者のマネージャーにホームラン料理を頼まれたよ、と言ってました。いまの言葉を聞いたら大喜びします」
「よくマネージャーとわかりましたね」
「いっしょに走ってる菅野さまのお写真を何度も拝見しました。神無月選手の右腕と書いてありました。もう三年間もつきっきりでお世話してるそうですね」
 盃をクイッとやり、
「世話はしてません。お手伝いしてるだけです。お手伝いが生甲斐なんです。人生で出会った最高の人間ですから」
「すばらしい人にはなかなか出会えないものですものね」
 仲居が入れ替わる。二合徳利を一本持ってきた。女将が、
「私のふるさと千葉県のお酒、福祝(ふくいわい)です」
 菅野が一口含み、
「辛口で、ただ素直にうまい酒ですね。でも酒はここまで。神無月さんは酒に弱いですから」
 新しい仲居が殻に入った牡蠣を、
「真牡蠣の蒸し焼きでございます」
 女将が、
「岩牡蠣は夏場が旬でして、十二月からは真牡蠣が旬になります。レモンを搾ってお召し上がりください」
 牡蠣は苦手で、と言えなかった。生臭みがグッときた。呑みこんだ。表情に出さないように猪口を傾けた。菅野が大声を上げた。
「うまい!」
 私も満面の笑みで応えた。女将が敏感に察して、
「神無月さん、牡蠣はだめのようですね」
「はあ、あまり」
「ホホ、言ってくださればお出ししませんでしたのに」
「いや、お気遣いなく。筋肉よりも舌を鍛えないと」
「いいえ、好みはどうしようもありません」
「そうか、神無月さんは牡蠣が苦手か。覚えておこう」
「ごはんはまだだいじょうぶですね」
「まだまだ序の口です」
 仲居が一巡して最初の女と二番目の女が鍋と具とカセットコンロを持って入ってきた。
「保美豚(ほうびとん)の南蛮鍋でございます」
「ルイビトン?」
 一座が大笑いになる。具係りの仲居が口を押さえて、
「ホウビトンです。渥美半島のブランド、保美の豚を用いてます」
 カセットコンロを点けて鍋を載せたもう一人の仲居が、
「角上楼のすぐ西が保美町です。病気を防ぐ薬をいっさい使わないで伸びのび育てられた豚です。水菜、白葱、豆腐、エノキ、ニンジンの上に肉を載せ、蓋をして蒸らしながら火を入れていきます」
 女将が、
「煮上がったら、細かく砕いた実山椒を振りかけていただきます」
 菅野が、
「このイワタニのカートリッジコンロは今年の大ヒット商品ですね。四千円前後で買えますし、なんせホースがいらないんですから。うちでも二台買いました」
「北村席は?」
「埋めこみ式のガステーブルです。ホースに足を引っかけると危ないですよね。そろそろ買うでしょう。二万円台の高いやつもありますけど、大テーブルなら一万円ぐらいのものでいいんじゃないかな」
 女将が、
「じゃ、私はほかのお客さんのところを回ってきますから、あなたたちしばらくお願いしますね」
 女将が出ていくと、仲居たちは口が軽くなり、
「うちのコンロは二万円なんですよ。それが十台あります。いま高度経済成長真っただ中と言いますけど、菅野さん、高度経済成長って何ですか?」
 正しい眼鏡で菅野は教養人と見なされた。彼は確実に期待に応える。
「簡単に言うと、国が前の年よりも一割多く儲けを出したら高度経済成長と言います。昭和三十年からそれがつづいてます。神武景気、岩戸景気、オリンピック景気ときて、いまはいざなぎ景気。まだまだつづくと言われてます。しかし、こと経済に関しては、いつか反動があると思って、精神的に備えながら暮らしているほうが賢明ですよ」
 煮上がって小鉢に盛られた肉と野菜に実山椒を振りかけて食う。
「絶品!」
「ゼツ!」
 女たちが拍手する。一人が、
「三Cって言うでしょう? カラーテレビ、クーラー、カー。みんな高いものですよね。カラーテレビやクーラーまではなんとか月賦で手に入りますけど、車なんて高嶺の花ですよ。どうにか手に入れた人でも、せいぜい大衆車のパプリカまで。それも何年もの月賦でしょう」
「つらいことに、やっと手に入れたトヨタパプリカにはクーラーがついてないときてる。それでも自動車はあこがれの的ですよね。現在クーラーがついてるのは、トヨタクラウンとプリンスグロリアだけです。タクシーの車種はほとんどトヨタクラウンなのはそういう理由もあるんです。私はもとタクシー運転手ですが、クーラーの効いた車に乗ってるだけで仕事の疲れを忘れましたからね」
 私は、
「冬は寒かったでしょう」
「どんな車もそうですね。厚着をするしかありません」
 そこへ館の主と仲居が盆を捧げて入ってきた。
「冬野菜の炊き合わせです。カブ、蓮根、長ねぎ、大根です。あっさりと炊き合わせて柚の香りを少々まとわせてあります。いまから三品お持ちします」
 主が去り、私たちが箸を取り上げたとたん、女将が戻ってきた。飯櫃を抱えている。
「焚き合わせを食べながら少々お待ちください。フグの珍味を食べ終わったら、あとの二品でごはんにしましょう」
 野菜の炊きあわせを掻きこむように食い終え、私は二合徳利に手をやった。菅野が、
「だめだめ、そこまで」
 と言って徳利を奪い、自分の猪口についだ。女将が、
「神無月さんはすばらしい美男子ですが、女の人がうるさいほどでしょう」
「うるさくありません。おとなしくて、おもしろ味のない人間なので、女性は寄ってきません。何より野球で精いっぱいで、それどころではありません。ぼくを美男子と言うのは見解の相違というやつで、顔の形も目鼻立ちもへんです。ブサイクです。中学三年のときに、ぼくはつくづく鏡を見て自分を見放しました。いまなお自分がブサイクだと確信してます。まれにこの顔に先天的に魅力を感じる人がいれば、美男子と言ってくれるでしょうけど、感謝する以外に応えるすべがありません。……顔の外だけでなく中の脳味噌もへんです。鏡を見たり、排便をしたり、心臓の音を聴いたり、頭を働かせてみたり、眠くなったり……生を実感するのが最も恐怖です。夢でないと痛感するからです。眠りから目覚めたり、人と会話したり、野球をしたり、ものを書いたり、唄ったり、そういうときは生を実感できないので怖くありません。なぜそういうことができるか謎なので、夢の中にいる気持ちになるからです。こういうことを考えるアタマはへんです。まれにこのアタマに先天的に魅力を感じる人がいれば、天才と言ってくれるでしょうけど、感謝する以外に応えるすべがありません」
 みんないっせいに笑いだした。菅野が、
「わかってくれましたか。私はこの人のそばに一生いて、しゃべったり動いたりする手伝いをすることが生き甲斐なんです」
 拍手が沸いた。主が盆を捧げて入ってきた。
「楽しそうにやってますね。笑うチャンスを逃がしてしまったみたいですね。さあ、自信作をお持ちしましたよ」
 仲居の一人が、
「神無月さんはとんでもない変人なんですよ」
「遇ったとたんにわかりましたよ。いつも新聞やテレビで細かく知っているつもりだったのに、まったく知らない人に出会った感じがしましたからね。最初の質問が、このあたりはかつて色町でしたか、だったんですからね」
 ふたたび笑いと拍手が沸いた。主は小鉢三つを私と菅野の前に置いた。
「一番目の鉢は福松葉と申しまして、天然トラフグの身と皮と昆布の和え物です。ふだんは刺身で食べるフグをあえて昆布締めにしたものです。食感抜群ですよ。煮切ったお酒、酢を少々、みりんを軽く垂らして和えてあります。その割合は門外不出の秘伝です」
 口に入れて噛む。菅野が、
「ほう、いい食感だ。フグの身に弾みがあって、皮はコリコリだ」
「昆布がすごく効いてて、おいしいな!」
 みんなに見つめられながら、一箸、一箸、いとおしむようにゆっくり平らげる。
「二番目は、ミル貝の塩辛です。汐美留(しおみる)と申します。使うのは、貝殻からはみ出すほど大きな水管の部分です。こんがり焼いた肝と合わせてあります」
 菅野が口に入れたとたん、
「こりゃあ―」
 私は、
「うまい! 噛み心地も、肝の効き具合も文句なしだ!」
 と応じた。女将と主が顔を見合わせてうなずき合う。仲居たちもたがいに微笑み合う。この〈職人〉たちはほんとうに、人においしいもの食べてもらうことを喜びと心に深く観じて、日々たゆまず精進しているのだ。プロ野球選手とまったく同じだ。私はトロリとした残りツユまであごを上げて飲んだ。
 三つ目になった。女将がめしをよそった。
「最後は、鯛そぼろです。朧海(おぼろみ)と申します。素材は旬の紅葉鯛で、水揚げされたばかりのものです。茹でた紅葉鯛をそぼろにして、山椒の実を散らしてあります。ごはんに載せてお食べください」
 女将が、
「夏は桜鯛で作るんですよ」
 めしを口に入れた瞬間、二人無言になる。鯛から滲み出る味と、噛み潰した山椒の香りだけでめしがグイグイ進む。あごを動かしながら目が熱くなった。涙が頬を伝った。最後の一粒まで平らげ、
「ごちそうさまでした。どれもこれも感動しました。人を喜ばせる……。ぼくとまったく同じ気持ちで毎日生きていらっしゃるんだと思いました」
 女将たちが目にハンカチを使う。菅野も目を手で拭いながら、深く頭を下げた。主が掌の土手で頬をこすり上げ、
「励みになるお言葉、ありがとうございます。涙まで流していただいて、感謝の言葉もありません」
「こういう味は受け継げるものとは思いませんが、心意気だけは伝承できるんじゃないでしょうか。叶うかぎり後進を育ててほしいですね」
「かならず育てます。私もあと十年は現役でいると思いますので、かならず育てます。私が先代から受け継いだ当時の経営情況は廃館に近い状態でしたが、なんとか夫婦で案を出し合い、試行錯誤を繰り返し、少しずつ手を加えて、今後に生き残れる旅館として再生させました。このがんばりをやめるわけにはいきません」
「その意気です。ぼくも思い立ったらここにやってきて、刺激にしたいと思います」
 女将が、
「菅野さんが神無月さんに人生を捧げたくなった気持ちがよくわかります。うわべだけの言葉を決しておっしゃらない人ですから」
 黒いお仕着せのポケットにハンカチをしまい、
「さ、デザートをお持ちしましょう」
 仲居たちを促す。
「いや、いまから風呂にいってきます。デザートはテーブルに置いといてください。風呂上りに食べます」
 主たちは深く辞儀をして引き揚げた。

     
         十二

 タオルと下着を持ち、二人で一階へ降りる。別館への土の通路を歩く。冬の花が咲いている。寒椿、枇杷の白花、ヒイラギの白花、水仙の白ラッパ、ピンクのエリカ。階段を上る。かなり手入れをしてあるのはこの棟のようだ。飾りつけの備品が多い。館内はこの上なく静かだ。耳鳴りが聞こえる。ポツン、ポツンと置かれた行灯に照らされた回り廊下の光沢がすばらしい。中庭に向かって背凭れの反った椅子が何脚か並べてある。庭を見下ろすテラス席という案配だろう。その椅子の上に横たわる猫に遭遇。杯と白の美しい毛並をしている。抱き上げると顔を舐められた。ここにも和箪笥、柱時計がある。〈カブトビール〉の銘が入った鏡がめずらしい。菅野が、
「戦前に愛知県だけにあったビール会社です」
 白い暖簾を弾いて大浴場に入る。大きいと言っても、十人が浸かれる程度の檜風呂だった。私たちのほかに人はいない。
「タイル風呂はないですね。浸かるだけで上がりますか」
「いや、頭を洗わないと」
「そうだった。神無月さんは頭に汗をかくんだった」
 二人首まで浸かる。大硝子の窓から、福江の町並の乏しい灯りが見える。その向こうの三河湾は闇の中だった。菅野が、
「渥美半島に温泉はないんですよ。しかし、ほんとに湯質がいいなあ」
「心地いいですね。なめらかで、まろやかで」
 湯から上がり、肩を並べて洗髪。私は、
「おたがい慎太郎刈りだから、髪洗いがラクですね。四年前に出会ったころも短髪でしたっけ?」
「そうですよ、慎太郎刈り。神無月さんは高校一年で、坊主頭でしたね」
「はい、中一からずっと。慎太郎刈りにしたのは西高にきてからです」
「菅野さんはいつから?」
「十二、三年前、太陽の季節という映画を観てからです。正確には慎太郎刈りじゃなくて裕次郎刈り。新太郎は前髪が短すぎます。それ以前はギトギトのポマード髪でした。丹頂チック。聞き覚えがあるでしょう?
「あります」
「運ちゃん帽が汚れて困りました」
「ふうん、菅野さんも裕次郎映画を観てたとはね」
「三十代の半ばです。あのころは小学生から中年まで、男はみんな裕次郎の影響を受けました」
 風呂から戻る。窓を開けて風呂上りの風を肌に当てる。九時十分。タイメックスを外気に曝すと、四・六度。
「ほー、冷える」
「炬燵、炬燵」
 八畳の長卓の上にデザートが用意されている。冷やしぜんざい、スイカとメロンの切り身、サクランボ二粒、ミルク寒天。竹製のスプーンとフォークが添えてある。欄間の透かし彫りや欄間窓の組子障子を見上げながら、一つひとつ味わう。口の中が涼しい。ふと小さな竹籠がテーブルに置いてあるのに気づいて、開けて見ると、笹竹の上に握り飯が二個と厚切りのたくあんが二切れ入っていた。達筆の墨字で半紙が添えてある。

   神無月さま 菅野さま
 心ばかりですがお夜食をご用意させていただきました。
 よろしければお召し上がりください。
 田舎の朝は寝坊助です。ごゆっくりお休みください。
                      角上楼 主人


 二人、ため息をついた。
「一生懸命生きてて、いい目を見るときはありがたくちょうだいしようね」
「はい、ありがたく」
 竹籠を持って十畳の炬燵へいき、テレビを点ける。
「名古屋で映るテレビはみんな観れますね」
「菅野さんは疲れてるはずですよ。眠くなるまでテレビを観たら、グーッと寝てください」
「神無月さんは?」
「菅野さんが寝たらすぐ寝ます」
 1チャンネル東海テレビ、黄金のスパイ作戦、5チャンネルCBCテレビ、夫よ男よ強くなれ、6チャンネル名古屋テレビ、検事霧島三郎。平幹二朗と大空真弓の検事霧島三郎にする。大企業の裏金、殺人、単純すぎ。身近な親切男が犯人、単純すぎ。テレビはよしにして、おにぎりとたくあんを食う。美味。茶を飲み、炬燵を消して、二人蒲団に入る。ひんやりするが、やがて暖まってくるとわかっているのでうれしい。菅野が眠れなさそうにしているので話しかける。
「菅野さんは何本くらい裕次郎映画を見ましたか」
「十本は観ましたね。ストーリーは荒唐無稽なんだけど、小林旭の映画よりはマシだと感じたので、タクシーを流してる合間によく映画館に寄りました」
「荒唐無稽は措(お)いといて、たとえば主題歌で印象に残ってる映画はありますか」
「紅の翼、鷲と鷹……。神無月さんは?」
「鉄火場の風」
「へえ、知りませんね」
「最果てから着た男というさびしい歌で映画が始まるんです。……しかし鷲と鷹はいいセンスだなあ。―海の男はゆく強者(つわもの)はゆく、波が騒ごうと笑ってゆくが、夕陽が燃えりゃなぜか泣ける、遠い雲間にまことの幸が、あるんだゆこうよ海を越えて」
「すばらしい……。二番もいけますか」
「はい、二番までしかない歌ですから。―海の男はゆく星を求めて、さすらいの旅路どこまでつづく、陸(おか)でなくした心の星を、探そよはるかに波間の彼方、気ままにゆこうぜ海を越えて」
 菅野は指で涙を拭った。
「悲しいですねェ……気持ちのいい悲しさだ」
「菅野さんが印象に残った歌ですよ。菅野さんも悲しい人なんですね。だからウマが合う」
「はあ、神無月さんのお母さんのようにウマの合わない人間だったらと思うと、ゾッとします。人生のほとんどを失うことになるところでした。うれしいです。……何が悲しいんだかわからないんですが、悲しい気分でいると心が安らかになります」
「怒りとか、怨みとか、後悔とかのどんよりした水よりも、澄んだ水の中にいるような気分になるからですね。……いつだったか菅野さん、映画はあんまり観ないと言ってたことがあったけど、けっこう観てますね」
「いやあ、ほんとにごくたまにしか観てなかったですよ。裕次郎にしたって十本ぐらいです。いったい裕次郎ってどのくらい映画撮ってるんですか」
「さあ、百本近い……とんでもない数だと思いますけど、ぼくは伊勢湾台風の年に名古屋にくる少し前に観た『世界を賭ける恋』で、実質、裕次郎映画は卒業してるんです。いや名古屋にきた直後だったかな。そこまではぜんぶ観たと思ってましたが、中村図書館の映画雑誌で調べて、ポツポツ抜けがあることがわかったんです。すると、名古屋にきてから観た映画もだいぶあることに思い至って、何が何だか、観たと思いこんでいた年代まで前後してしまいました。懸命に思い出してみると、高島台にいた小一のころは映画を観てないんですよ。だから、太陽の季節も、狂った果実も、乳母車も、勝利者も観てないことになる。でも観た覚えがある。映画を観たのはぜんぶ小学二年以降の浅間下時代なので、どういうわけなのかいっさいわからない。錆びたナイフ、陽のあたる坂道、明日は明日の風が吹く、青梅で観た素晴しき男性、青梅はそれ一本きり、また保土ヶ谷に戻ってきて風速40米、赤い波止場、嵐の中を突っ走れ、そこまでは確実に観ました。たぶん、名古屋にきてから、神宮前日活のような、一、二年遅れでやるリバイバル館で、見逃した映画を埋めていったのかもしれない。いや、そんなに神宮前にいった覚えはないなあ。紅の翼は英夫兄さん一家と柳橋で観たような……あれは一年遅れの上映じゃなかったのかな。でも正月映画だった気がするな……」
 菅野の規則的な寝息が聞こえてきた。とつぜん、横浜で裕次郎映画以外もかなり観ていたことを思い出した。地球防衛軍、美女と液体人間、杏っ子、あン時ゃ土砂降り、赤胴鈴之助、月光仮面、スーパージャイアンツ、少年探偵団、千羽鶴……。私も目をつぶった。
         †
 十二月十二日金曜日。五時半起床。曇。二・七度。菅野はまだ寝ている。そっと起き出し、内風呂の洗面台で歯を磨く。下痢便。替え下着を持って風呂に入る。シャワーの調整の仕方を飲みこめないので、ぬるい湯を桶に掬って尻を洗う。下着を替え、ブレザーを着て一階に降りる。廊下にも玄関にも人はいない。館用の草履を履いて散歩に出る。きのうと逆方向へ歩く。空が雲って低いだけで、やはり空き地の多い同じ景色だ。新築の商店が多いところが多少ちがう。電気屋、花卉店、仕立て屋、青果店、呉服屋、プロパンガス店、魚屋、洋品店、建材店。その中に、ふつうの民家や、遊郭を改造したような二階家や、廃屋が混じる。空き地の多さがただならない。むかしはもっと遊郭や長屋や商店がビッシリ立ち並んでいただろうと想像できる。角上楼へ戻ろうとして、切り通したような坂道を登る。崖の上に錆びついたトタンの家が多い。
 小森に入る。十二月なのに噎(む)せ返るような緑だ。森ではない。どの家も大木を生やしっぱなしにしているのだ。背の高い椰子の木を三本突き立てている家もある。坂のいただきの適当なところで引き返す。
 渥美郵便局。前の空き地になぜかパトカーが停まっている。ほかの車に紛れて律儀な停め方だ。郵便局や飲食店にはよく警察官立寄所と表示をしてあるが、犯罪抑止効果を狙っているだけで、実際に立寄ることはめったにない。立寄るとしても警察OBやボランティアがやっていると聞いたことがある。このあたりはひどい田舎なのでほんとうに立寄っているのだろう。横道に入る。こんなところに巨大な温室が二棟。いや、三棟、四棟。
 おう、モルタル住宅やアパートの群れに囲まれた広大な畑。緑の葉がたった一列、地を這っている。この時期収穫できる秋植えのジャガイモかもしれない。公団のような建物が四棟。棟のあいだに児童公園と駐車場。……見ている。何のために。記憶するために。記憶してどうする。どうもしない。記憶するつど、最も嫌いな別れを心の中で告げる。
 道の外れから山並を見晴るかす。右折。また団地。新築の家々。立木が規則正しく植えられている。新興住宅地だ。廃屋は一軒もない。畑と森の道へ曲がる。墓地。トタン造りの家々。振り返る。どの家にもテレビアンテナが立っている。左折する。旧家の群れに入った。見覚えのある道だ。迷わずに帰ってこれた。道路が直行していないので、歩いているうちにもとの場所に戻ってきたという具合だ。旅館玉川、喫茶アップル、そして不気味に巨大な駐車場。車は数台しか停まっていない。細道へ入る。女将と菅野が玄関に出る。六時半。一時間歩いていた。
「心配しましたよ。起きたらいないんですから。散歩とは思いましたけど、せめてひとこと声をかけていってくださいね」
「ごめん、心配かけて。早く目が覚めちゃったから、そのへんブラッとしてきた」
 厨房から朝食を準備する小気味よい音が聞こえてくる。女将が、
「お食事は?」
「八時に」
「承知しました」
「昨夜はお世話さまでした」
「いいえ、こちらこそ楽しい時間をすごさせていただきました。主人も、またきてくださるかしらと、そればかり申しておりました」
「きっときます。オフに菅野さんといっしょに」
 心細い気持ちで応えた。こだわりをもって生きればうまくいくだろう。旅にこだわり、旅先にこだわり、会話にこだわり、風景にこだわる。そうすれば約束を果たすことができるだろう。
「チェックアウトは何時になさいますか?」
「九時にお願いします」
「はい。そのときにお土産をご用意いたします」
 部屋に戻り、二人籐椅子に座って庭を眺める。木立の中で鳥がさえずっている。曇り空に映える緑は濃い。
「散歩、収穫がありました?」
「まったく。家があって家がないような、自然があって自然がないような散歩だった。この旅館に入らないと、界隈に人がいるということが確認できない。この宿にしか人とものを求められない。すごいことだね。ここにはいつまでも客がきて、表へ出ずに居ずっぱりになるよ。あの灯台と砂浜じゃ、ここから出ていく必要がない。色気がぜんぜんちがう」
 菅野は煙草に火を点けた。煙を吐き出し、
「遊郭がこれほど手のこんだ造りがふつうなら、こういうところで遊ぶ女郎買いはよっぽど贅沢な道楽だったでしょうね」
「まちがいなく。少なくとも角上楼はそうだったと思う。上級商人や網元なんかを相手にしてね。一般の遊郭は居ずっぱりの場所じゃなく、立ち寄ってすぐ出ていく場所だったはずだから、ここまで豪華な造りにしても意味がない」
「宿泊代も料理代金もむかしから高かったということですね」
「と思います。だからこそ料理旅館としてやってこれた。金満家の数はむかしから少ないところで一定でしょうから。女を買う代金が華美な部屋の宿泊代金に取って代わった……。経済が傾いたら、取って代わるもののない小さな遊郭は生き残れなかったんですね」
「なぜ、経済が傾いたんですか」
「昭和四年の世界恐慌です。そこからすぐ二、三年で日本もやられました」
「ははあ、大学は出たけれど、ルンペン時代というやつですね」
「はい、とりわけ農村漁村がやられました。角上楼はそういう状況の中でじょうずに生き延びたんです」
「にわか金満家はいつの時代もちゃんといますからね」
昨夜とちがう若い男子従業員と女子従業員が朝食を運んでくる。無言でせっせとテーブルを整えていく。説明が始まる。手短に頼みたいが、無理だろう。男の従業員が、
「土鍋で炊いたごはんです。女将さんのご実家である千葉県の棚田米を使ってます。おかずはこちらから、イカ刺し黄身おろし、海苔の佃煮、ホウレンソウの胡麻和え、ナスの煮浸しです」
 交互にしゃべっていく。
「大根とニンジンとトマトのサラダ、アオジソのドレッシングをかけてございます」
カセットレンジに火が点き、
「鶏団子のツミレ鍋です。豆腐、水菜、ニンジン、しめじが入ってます」
「味の干物の焼き魚でございます」
「ダシ巻き玉子です。お替わり自由です」
 ようやく櫃からめしが盛られる。
「あおさ海苔と豆腐の味噌汁でございます」
「お漬物、キュウリ、大根、山芋です」
「最後にフルーツ入りヨーグルトでございます。お食事のあとのお口をサッパリさせてくださいませ」
 緑茶を置いてようやく去っていた。緑茶を飲むタイミングがわからない。菅野は最初から飲んだが、私は放っておいた。
「こういう饗応を喜ぶ人が多いんだろうけど、ぼくたちアヤメ派はね」
「カツ丼もりもりですもんね。北村席のごちそうも、ぜんぶに箸を出すことはありませんし、それがまた気楽です」
 私たちは二杯目からは手盛りで、適当に箸を繰り出しながら三杯めしを食った。
         †
 服を着、ボストンバッグを持って待合室に降りる。コーヒーが出る。主と女将がやってくる。福口味五包みの紙袋、ほかにもう一つ紙袋を差し出す。
「福松葉と汐美留、二包みずつ入れておきました。どうぞ名古屋のみなさんと召し上がってください」
「どうも、何から何までありがとうございました」
 人なつこいあの猫もやってきた。猫を抱き上げ、館主夫婦と握手する。彼らは菅野とも握手する。
「ほんとにほんとに、お待ちしてますからね」
「はい、お約束します」
「私もついてきます」
 玄関に出て記念撮影。主夫婦と昨夜の仲居五人がカメラの前に並んだ。撮影すんで、七人全員と握手。車に乗りこむところまで見送りにくる。猫も玄関敷居に腰をおろして見送っている。
「来年もつつがなく、ご活躍のほど」
「ありがとうございます。応援よろしくお願いします。おにぎりごちそうさまでした。書きつけひとこと、うれしかったです」
 菅野が、
「この味を守ってください。商売繁盛を祈ってます」
「はい、がんばります」
 女将が、
「神無月さんの笑顔は百万ドルです。励まされます。来年、首を長くしてお待ちしてます」
「顔面神経痛にならないかぎり、かならず」
 みんなの笑い声に手を振って出発。十軒に一軒は廃屋の色町を去っていく。
「しばらく田原街道を走らずに近道をいきます。十分くらいで田原街道に合流します。さあ、くつろぎの家に帰りましょう」
「はい。……くつろぎの場所があるのに、外に出たがるのはどうかしてますね」
「狭い場所でくつろいでいても多少の圧迫感はありますからね。広い外に出て深呼吸したくなるんですよ。その繰り返しでようやく生きていける」
「気が散って飽きがくるのが早いのは広い場所のほうですね。結局、角上楼にいる時間のほうが多かった」
「くつろぎませんでしたけどね。なんとなく飽きたし……。飽きがこないのは、狭さ広さと関係なく、人間ということでしょうか。好きな人間だけを確保して、つまり精神的な安らぎを確保して、肉体の健康のために物理的に狭い広いのチェンジを心がけるのが快適に生きるコツなんでしょうね」
「……菅野さんの言葉を聴いてると、くつろぎの素がよくわかります。まじめにものを考え、まじめに感じ、まじめに表現する。……ありがとう」
「こちらこそ。好きな人間の定義が決まりましたね」
「はい」
 まだパトカーの停まっている郵便局を通り清田小学校に出る。この位置関係だったのか。高木東という信号で田原街道に合流。左右のビニールハウスの群れを縫っていく。筋を引く雲を浮かべた灰色の空の向こうに山並がある。振り返ると道の果てに山並がある。車はいつも山から山に向かって走っている。
「田原街道というのは国道259号線の一部なんですが、三重県の鳥羽市から愛知県の豊橋市に至る道路です」
「じゃ、海も」
「はい、鳥羽港から伊良湖港までです。看板で気になるところがあったら、チョコチョコいってみましょうか」
「いいですね。一軒一軒の家がでかいなあ。家ってのは本来このくらい大きいものなんだろうなあ。畑や田んぼに釣り合うように」
「なるほど」
「海沿いの道も少し走ってみましょうか」
「ほい」
 石神の信号から左折する。三十メートルもいかずに鉄柵に突き当たる。子供たちの俳句が看板の形で貼り並べてある。

  あいさつで みんなが笑顔 まほうだね
  いのちはね 一つしかない宝だよ
  「それはだめ」 少しの勇気で変わるんだ

 
 子供に文章という道具を与えると、子供心の吐露ではなく、大人世界の倫理の手段にしてしまうようだ。海沿いに走り出す。海が見えるというだけで、ふつうの家並だ。二階建ての民家、畑、ビニールハウス、草地、棕櫚や椰子の樹。左折してさらに海に近づいてみる。家々は別荘の観を呈する。藪崖と海に挟まれた堰堤のアスファルト路に出る。海は空と同じ色の板だ。堰堤を巡って別荘地の中をもとの街道に戻る。泉小学校、シェル石油。
「給油していきましょう」
 小便。缶コーヒー。目の前の邸宅を見て、庭に樹木を植えるのは家に化粧をしているのと同じだと気づく。山や海も、動植物も、人間も、文明の生産物も、地球の化粧の粒子と考えればあたりまえのことだ。給油を終え、菅野の一服も終わり、走り出す。海を見渡せるカーブにきた。きのうこの松並木の地点を通過したことを憶えている。復習は要らない。海だけを眺める。渚と海辺の家々が垣間見える。海以外すべて山並に囲まれる。
「あ、ここから渚へくだっていきましょう。いや、ただの〈海の家〉だな、やめましょう」
 馬場草(ばばぐさ)口。
「ここから左へいけば県道2号線です。この幹線に戻るのが面倒なのでやめましょう」
「三河田原駅のそばでしたよね」
「はい、その駅を見たらすぐ戻りましょうか?」
「お願いします」
 民家のほとんどない海沿いの崖道。崖は森や大藪になっている。白谷(しらや)の信号を右折。一帯が田原生コンの工場設備。背の高い藪に挟まれた道を南へくだる。桜の枯木に囲まれた滝頭公園。キャンプ場という標示もある。衣笠小学校。右折。勘でハンドルを切っているのだろうが、窺い知れない能力を感じる。三河田原駅到着。モルタル、瓦屋根、改札一つに駅員一人、駅前がすぐ道路で、ロータリーもない小さな駅だ。その狭い空間に豊鉄タクシーが二台、フラワーパーク行バスが一台停まっている。
「しかと見ました。そろそろ十時です。いきましょう」
 田原街道に出る。菅野の横顔に、
「風車の店、もうすぐでなかったですか? 杉山というところ」
「はあ、そうでしたね。よく憶えてるゥ」
 十五分ほど走る。エンジンからの発熱のおかげで車内は寒くない。
「たしかこういう景色だったけど、見つかりませんね」
 さらに五分。杉山南の信号。つづけて杉山の信号。
「おお、ありました!」
 菅野が右手の風車を指差す。対向車と後続車を確かめ、ハンドルを切って広い駐車場へ入れる。私たちが二台目。菅野は大きくうなずき、
「まちがいない。渥美半島は土地が安いんですよ。喫茶店一軒の敷地じゃないでしょう」
「喫茶店そのものの敷地もバカッ広いですね」
 入口まで颯爽と歩き、〈定休金曜日〉の札を見て、二人大笑いする。駐車場の向こうの広大な畑を眺めてから車に戻る。出発。
 十時半紙田川を渡る。大崎を左折して国道23号線に入る。国道の番号がコロコロ変わることを菅野が伝える。朝早かったせいかウトッときて、眠ったり覚めたりする。しっかり意識が戻って窓外を見る。
「よほど疲れてたんですね。蒲郡市に入りましたよ」
「どのくらい寝てました?」
「四十分くらいです」
「ボートレース場は?」
「もうすぐです。そろそろ昼めしにしましょう」
 レース場を横目に通過する。
「ここから南を走るコースで帰ります。247号線。吉良吉田あたりで目ぼしい店に入りましょう」
 二十分もかからず吉良吉田。福長(ふくちょう)という日本料理店に入る。五十年の老舗であることをお品書きで知る。小座敷に上がる。でたらめ崩しのまったく読めないサインが三枚ほど貼ってある。老舗がこういうことをしてはいけない。コース料理はやめ、単品でサワラの西京漬けの焼魚、味噌ヒレカツ、どんぶりめしを注文。ふつうのうまさ。ムカゴと菊の吸い物がついてきた。
 十二時三十五分、出発。名鉄西尾線の線路を渡り、古風な町並をいく。矢作川を渡る。岸辺の緑と家並の風情がすばらしい。
「この河口までが渥美湾、松大橋を渡った西は知多湾です。ここは碧南市。北へずっとのぼっていきますよ」
 すべての知識がうれしい。浦衣(うらごろも)大橋まで六キロを十分でひとっ走り。橋を渡り、広々とした田園地帯に出る。
「半田市です。知多半島の首根っこ。ここから国道366号で国道23号線まで、大府市を通って十五キロ、三十分でのぼります」
「ぼくの崩しサイン、わかりにくくないですか」
「る、や、キ、でしょう。すぐわかります。さっきのはひどかったですねえ。ひらがなでも振らないと、まったくわからない」
「楷書に戻そうと思ってるんです」
「臨機応変がいいです。束になってこられたときは崩しでないと」
「サインそのものを訝しくも思います」
「それも臨機応変に。ほんとうに喜ぶ人には書いてあげてください」
 国道23号線に出る。一時十七分。角上楼を出発してから四時間を超えた。市電に出会う。
「堀川沿いに走る市電大江線です。いよいよ名古屋ですよ。名駅まであと三十分あまりです。これ以上堀川には近づけないので、この大江線をたどって堀川沿いに内田橋までいきます」
「内田橋!」
「はい」
 五分も走らずに内田橋のたもとに出た。眼鏡をかける。水族館の八分どおり完成した姿が見える。内田橋を渡る。橋の半ばから遠く大瀬子橋と宮の渡しが見える。かすかに加藤雅江の家の楠木まで見えた。北詰から左折して宮中に向かう。カニ料理甲羅を過ぎ、本遠寺前の白井文具店を左折して宮中へ。閉鎖した正門。ここから名古屋駅まで二十分とわかっている。
「錦橋の東詰まで一気にいきます」
「はい、二時には北村席ですね。みごとです」



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