十三
佐藤は太い眉を吊り上げ、唇を引き結んでしっかりワインドアップし、腕を強く振って外角へシュートを投げてきた。踏みこんで叩く。左中間芝生席へ一直線。ウォー! 内角膝もとへカーブ、右翼場外。ウォー! 外角シンカー、センターフェンスへ一直線。ウォー! 内角もものあたりへするどいスライダー、ファーストゴロ。水原監督が、
「よし、それだ!」
と叫ぶ。もう一度確認するようにするどいスライダー、ファーストライナー。菱川が、
「ようし、神無月さん、そのボールの練習いきましょ!」
私は、
「それをあと二球お願いします」
十センチほどピッチャーに近づき、スライダーを待つ。切れのいいスライダーが膝目がけて曲がってくる。曲がりはじめたところを強く叩き上げる。右翼はるか場外へ。
「ウッホー!」
歓声、拍手。その場所から踵を五センチほど後ろへずらし、最後の投球を待つ。スピードの乗ったスライダーが曲がってくる。腰を入れて思い切り打ちひしぐ。スコアボードへ白線を引いて伸びていき、右上の角に衝突した。
「佐藤くん、もう何人かに投げて研究しなさい。打たせようとしなくていいから。ただのバッティングピッチャーなら、われわれ監督、コーチだってできるんだからね。佐藤くんのあとのピッチャーは、門岡くんと若生くんが投げなさい」
私はベンチに退がり、小川としゃべる。
「渡辺司というピッチャーは第二球場ですか」
「ああ、いまのところ使い物にならん。タフなんだけど、スピードがない。肩を鍛えて来年以降だな。則博は肩が強くなってきたぞ」
「土屋さんはどうなってるんですか」
「第二球場。球が重いって言っても、それだけじゃなあ。クニから戻ってきたら、へんに太っちゃっててさ。水原監督にしてみれば、覚悟がないってんで二軍いきを命じたんだけど、しばらく出てこれないだろう」
中がチョンチョンと右足でタイミングをとりながらバッティング練習をしている。きょうも安らぐ。
フリーバッティングが終わり、観客もピッチャー陣も控え選手も審判団もこぞって引き揚げていく。監督コーチ陣と、私と帰路を共にする野手たちが残った。特打と特守を命じられた選手はだれもいなかった。私は森下コーチに、
「特守を百本お願いします。あしたからもお願いします」
「オーライ! 四時半くらいまでやるか。きびしいぞ」
「はい、がんばります。江藤さんたちはどうぞ引き揚げてください」
「なんばゆうちょっとね」
江藤たちも監督コーチたちもトレーナー連中も居残って見物することになった。森下コーチへのトス役は木俣が買って出た。彼の脇にボールの入ったケースが置いてある。私はショートの守備位置についた。私の後ろには後逸球を受けるために太田と一枝と谷沢が散らばった。谷沢がいることにびっくりした。セカンドに高木、三塁に菱川、木俣の後方のファールグランドには中と江藤と江島が立った。まずは正面三十本、捕球して二塁や三塁に送球する。高木と菱川は木俣に返球する。木俣は江藤たちのたむろするあたりへ転がして返す。そこにもボールケースが置いてある。いつもなら控えたちが持って帰るずっしり重い籠だ。
「ヘイ!」
「ホイ!」
森下コーチと声をかけ合いながら打球を処理する。やがて打球がセカンドベースからサードベースまでの範囲で左右に散りはじめる。捕れる範囲だが、後逸が増えてくる。
「捕れるぞ! ハイ!」
「オリャ!」
前傾、ボールに向かって走り、グローブを差し出し、捕球する。矢継ぎ早四十本ノックになる。ジャッグルしたり、まったく捕球できないことが何度も起こる。
「捕りにいけ!」
と井上コーチ。
「飛びつけ!」
と杉山コーチ。
「だらしねえぞ!」
と長谷川コーチ。
「ハイ!」
「さ、こい!」
呼吸が荒くなってくる。
「さあ、あと十本! これ以上は故障するからやめとけ!」
「まだまだ、あと三十本! 一塁送球します!」
一塁へ江藤が走る。
「マトモに投げなしゃんな!」
「サイドスローでゆるいワンバン!」
「オケ!」
右、左、真ん中、捕球して一塁へワンバウンドで送球。そろそろ守備位置に戻るのがきつくなりだし、捕球し損ねて膝を突いたり腹這いになったりする。喚声や笑い声が上がる。私はエイと立ち上がり、
「あと五本! 一塁へふつうの送球します!」
「ヨシャ、谷沢代われ!」
「ホーイ!」
谷沢がショートの後方から一塁へ駆けていく。江藤がミットを渡す。私の息が上がっているので、森下コーチは正面のゴロを打ってよこす。ノック一本ごとに中と江島が一塁へ走りはじめた。捕球してはふつうの力で一塁へオーバースローの送球をする。
「ヒェー!」
谷沢の悲鳴。森下コーチの蛮声。
「ラスト二球! ランナー危ないから走るな」
「オス! こい!」
腰を落として捕球し全力送球。谷沢は一球弾き、最後の一球はミットを引いてからだごと逃げた。ウィンドブレーカー姿の水原監督やコーチ陣や選手たちが大声で笑う。私は汗みずくでドタッと仰向けになり、雲のない薄青い空を見上げた。江藤がカメラマン連中といっしょに駆けてきて抱き起こす。
「あした太モモにくるったい」
「なんの、なんの」
フラッシュの中を走り戻り、帽子をとって森下コーチに敬礼。
「ありがとあした!」
「ウス、後ろに一球も逸らさなかったのはさすが。あしたも百本やるか?」
「火水木にします」
ドッと笑いが上がる。みんなと園内を歩いて帰りながらクールダウン。水原監督が、
「がんばったねえ。あしたは休日だ。ゆっくり休みなさい」
「はい、意外と早くバテたので、キャンプ中にもっと体力をつけるようにします」
森下コーチが、
「連発でノック受けると、左右の散らしを入れて七、八十本が限界なんや。ゆっくりやっても百二、三十本。それを二百本、三百本やるチームもある」
水原監督が、
「巨人だね。サディストの集まりだ」
少しふくら脛と腰が張っている。腿はだいじょうぶだ。太田が、
「内野の捕球姿勢で捕ったので、めちゃくちゃ疲れたでしょう」
「なんの、なんの、全身の運動になった。あしたの筋肉痛が楽しみだ」
鏑木が走ってきて、
「ホテルでマッサージしましょうか」
「自然治癒、自然治癒」
†
シャワーで汗を流し、ジャージに着替える。ラウンジで夕食前のコーヒー。谷沢、戸板ら新人たちがベテラン投手陣に混じって、あしたの休日に特打特守を申し出た話をしている。谷沢が、
「ぼくと西田と金山が、昼食抜きで、特打ちをやることになりました」
小川が、
「杉山コーチがついてくれるのか」
「第一球場のコーチのかたたちは全員出てきてくれるという話です。自発的に練習する選手にコーチがついててやるのはあたりまえだと水原監督がおっしゃったそうで」
「中日のコーチは技術指導をしないぞ。訊きにいったら何かしゃべるだけ。金太郎さんのまねしちゃだめだと言われたろ」
「はい。天馬くんのように何本も柵越えを狙っちゃだめだ、彼はラクなバッティングピッチャーの球は打とうとしないし、狙わなくても自然に柵越えしてるんだから、実践型の門岡と若生を投げさせるから、球筋やストライクゾーンを確認するつもりで打ちなさい、って」
戸板が、
「特守は特打のあと、新人ピッチャー四人です。ぼく、松本、渡辺、渋谷。セカンドとショートの位置で二人ずつノックを受けます」
小野が、
「五十本超えるときついぞ」
「何本も連続でぜったい捕れないゴロに飛びついたりするのは、実戦を想定していないのでむだだと思うんですけど」
するどいことを言う。こちらの席から江藤が、
「無駄なノック思わんと、球ぎわを鍛える〈野球的〉筋トレと思えばよかろうもん。無理して肉離れを起こさんようにせんば」
やがて小川と小野が、各チームのエースピッチャーの話をしだした。江夏が三振に拘っているのをどう思うかという話題になる。渡辺が、
「三振より打たせて取るピッチングのほうが、アウトカウントを取るには効率的だと思います。時間短縮で味方をラクにしてやって、守備機会が増えることで観客が守備者のプレイを楽しめますから」
小川は、
「最高のパフォーマンスだと言う人は多いな。でも、三振を取れるピッチャーは三振を取ったほうが美しいね。実際、味方だってそっちのほうがラクだよ。動かなくていいんだからさ。ただ、最低、三球必要になるけど」
小野が、
「エースの条件は三振も含めて、アウトをたくさん取れることですよ。だから、三振に拘ろうと拘るまいと、きっちりアウトを取れる回数が多ければエースです」
小川は、
「そのうえで先発完投できるやつが大エースだよ。勝利数は十五勝以上、それも五年間はつづけないとな」
小川と小野は、その条件をこれから満たす可能性の高いピッチャーとして、阪神は江夏、大洋は平松、ヤクルトは松岡、ドラゴンズは星野を挙げ、巨人と広島は一人もいないとうなずき合った。小野が、
「それでも巨人はいつも首位争いをするんです。投手力や打撃力じゃなく、伝統の威力とONへの敬意で縮み上がらせて、相手の自滅を誘うチームですから。せっかくドラゴンズが叩いてもほかのチームが勝手に転ぶので、常に優勝候補の筆頭にいるんです。うちも転ばないようにしましょう」
みんなメールへ向かった。私は和風弁当を買って自室に戻る。暗い濠と木立を眺め下ろしながら食う。時おり車のヘッドライトが通り過ぎる。群青の空を見上げ、遠い日の熱田神宮を思い出す。
ジャン・クリストフを少し読む。祖父がクリストフにするナポレオン戦争の話。じっちゃ! しかし、この物語の祖父と野辺地のじっちゃは明らかにちがう。じっちゃは既成権力と成り上がり者に対して尊敬の念を抱いていない。
身辺の自然描写、人間描写、食べること、唄うこと、室内の火影、母親の愛、満ちあふれる精気。やさしく美しく錯綜する経験―クリストフは生活の中で、生きる喜びを感じるようになる。曙、一、読了。九時に近い。
ドアがコンコンと叩かれる。開けると谷沢が立っていた。二十二歳の愛想皺の多い顔がまじめに引き締まっている。
「……谷沢さん、どうしました」
「さんづけはちょっと。呼び捨てでお願いします」
「年上の人にそれはできませんよ。呼び方は自然にしましょう。で、何でしょう?」
「バッティングについて少しお話をお聞きしたいんですが」
「いいですよ。人に語るほどの技術論は持ってませんけど」
「論なんかどうでもいいです。ああするこうする、だけで」
室内に招き入れ、ソファに座らせ、ガテマラをいれた。
「うちのオヤジもドリップでよくいれてます」
「クニはどちらですか」
「千葉の柏です」
「千葉は長嶋選手のふるさとですね」
「巨人の城之内、ロッテの木樽もそうです」
うれしそうに言う。
「谷沢さんも小さいころからスポーツ万能だったんでしょう」
「いや、大して。実家がスポーツ洋品店だったので、スポーツには馴染みやすくて、スキー、テニス、陸上といろいろやりました。習志野高校二年のとき、短い区間でしたが、東京オリンピックの聖火ランナーをやりました」
「すごいなあ、やっぱり万能だ。それで野球もやってたわけでしょう」
「はい、外野と控えピッチャーでした」
「ぼくはたった一つ、野球しかできません」
「その一つが神の域ですから、何もほかのスポーツを手探りする必要がありませんよ。……本を読んでたんですね。文章も書く。すごいなあ。ぼくたちにはそんな素養はありません。……五百野はすばらしい小説です」
黙っていると、谷沢はコーヒーを一口すすり、
「ああ、うまいですね。……あの、初日の会食のときに、水原監督から声をかけられたんですけど、その第一声が『きみは金太郎さんと距離をとってるようだけど、バッティングのことを訊きたくてウズウズしてるだろ』でした。はいそうですって答えたら、キャンプ中に訊きにいきなさい、仏さまのようにやさしい男だから何でも答えてくれるよって」
「何でもというわけにはいきませんけど、小さいころからこうしてきたという経験談なら……」
「それでじゅうぶんです。その一つでも学んで帰ります」
十四
谷沢はしばらくうつむいていたが、思い切ったふうに、
「……ぼくは神無月さんにとってイヤな人間ですか?」
「え?」
「いえ、菱川さんに脅されました。神無月さんはイヤだと感じた人間には冷たいぞって。で、この数日グスグズしてたんです。庄内川原でいっしょに練習したときの神無月さんの表情にそんな雰囲気がありましたし」
そういう気持ちがいくぶんあったと言えずに、私はあわてた。
「じっくり話すまでは、だれのことも判断しません。がんらい好き嫌いのない人間なんですが、ただ、努力を嫌う人は肌に合いません。谷沢さんはちがうようです。きょうのぼくの特守のときの真剣さでわかりました」
「ぼくは人一倍努力する人間ですし、とんでもない努力家も大勢見てきました。そのぼくも、きょうの神無月さんの特守には驚きました。毎日ウォーミングアップからずっと神無月さんを観察していたんですが、運動量が尋常じゃない。人の二倍は動いてる。そこへきょうの特守志願です。……プロをつづけたいなら、そのために何をやればいいか自力で見つけなくちゃいけない、神無月さんはそれがわかっている人だ、こりゃ思い切って話を聞きにいったほうがいいと思いました。神無月さんはプロ野球のバッターです。プロのバッターであるために、神無月さんがいちばん心がけてることは何ですか」
「バッターであるためと言うより、プロ野球選手として最も大切に思っていることは、野球への情熱を失わないことです。自分は野球をしなければ生きていけないと、自他と約束することです。そこから必然的に派生してくるのは、肉体と技術の鍛練です。たった野球一つにおいても、総合的な能力を得ることは至難です。学校の科目に得意不得意があるのと同じように、野球にもそれがあります。ぼくの場合、いちばんすぐれた能力はバッティングで、その他の能力は並です」
「や、それは―」
「並だという意識は変わらないんです。プロ野球選手として最も大切な心がけの話はしました。だから谷沢さんの希望どおりバッティングの話だけをしましょう」
「お願いします」
「まず、振り出しのときに左右の肩をできるだけ同じ高さに保とうとすること」
「レベルスイングをするためですね」
「そうです。左手首を一瞬寝かせることで両肩の高さを平行にするんです。江藤さんに指摘されて初めて、自分がそうやって肩の位置を保ってることに気づきました。本能的にやってきたことですが、他人にも参考になることだと思います」
「神無月さんの手首の〈寝かせ〉のことは、昇竜館で太田さんに聞いて知ってました。だれもまねできないと言うので、やってみましたが、そのあとの絞りこみが難しくてできませんでした」
「そうですか。ダウンに振り下ろす前の〈遊び〉ですから、両肩が平行になりさえすればレベルスイングの必須条件でないかもしれません。バットの軌道はダウンになったり、レベルになったり、アッパーになったりするんですけど、ぼくはすべてダウンからレベルへ持っていきます。インコース、アウトコースのどんな高さでも、レベルに振り抜きます。結果はアッパースイングと同じになります。つまり打ち上げですね。ボールの中心より下を叩くので打ち上がるわけです。ただ左肩を落として打ち上げようとする人は、上下左右に変化するボールの一点を探し当てて衝突させようとしますが、ぼくは肩を平行にして面で捉えることで左右の変化を吸収しようとします。上下の変化はからだを上下させることで吸収します。すべてバットを水平に振るための工夫です。水平面でボールの下部を叩けば、浮き上がる回転を与えられます」
「顔の高さの内角は?」
「窮屈ですが、肘を畳んで水平に振ります」
その格好をして見せる。
「アウトコースの低目も、からだを沈めてレベルに振ります」
「屁っぴり腰打法」
「はい。でもインコース低目だけはゴルフスイングをして点で捕まえます。ゴルフクラブの斜面のようにバットに角度をつけて打ち上げる」
「その角度をなかなかつけられません」
「ボールをバッターボックスの前のほうで捕まえれば打ち上がります。足を移動させるんです」
「神無月さんの足の移動は有名です。でも、前に出て、デッドボールが怖くありませんか」
「内角高目を予想して立つときは、常にデッドボールに備えてます。だから顔にくるボールを見切れるんです」
「昨シーズンは、胸にかすった死球が一つだけでしたね。肩の平行と、水平面での中の衝突……至難ですね。マスターできそうなのは肩の平行だけです。ほかに心がけてることはありませんか」
「技術でもコツでもなく、まさに心がけですが、毎打席ホームランを狙うということです。当てにいくだけでもホームランになるような速度でスイングすること。そのための総合的な筋肉鍛錬は欠かしません。背筋、腹筋、前腕筋。バーベルとダンベルはやめました。筋肉が硬くなって、からだをしならせにくいような感覚があったので」
「つまりスイングスピードを増す鍛練ですね。うまく筋肉が鍛えられてもその連動には先天的なものがあるので、なかなか速く振れません」
「連動は、素振りあるのみです」
「なんとか努力してみます」
「神宮で対戦したころから感じてたことですが、谷沢さんのスイングはダウンアッパーが完成してます。ぼくから学ぶものなど何もないと思います。身長もあるので、パワーもだいじょうぶでしょう」
「そんなふうに立ててもらうのは本意じゃありません。畏れ多いですし、モンスターに常人が褒められてるようで。神宮の神無月さんは化け物そのものでした。いまは巨大化した化け物です。……神無月さんからは学べないと常々いろんなかたから聞いてます。でもぼくはあきらめずに学ぼうと思うんです。神無月さんの目でぼくのバッティングを見て、気になる点はありませんか」
口角の皺に誠実さが滲んだ。
「フォロースルーのとき、片手を離すのはよほど不可避的にスイングが流れてしまうようなときだけにしたほうがいいですね。当たりどころがよければホームランになりますし、全体的にシュアにはなりますが、ユル打ちの癖がつきますから。しっかりしたインパクトと絞りこみが軽視されます。そうなったらマトモなバッティングはできません。振り切ったあとでおのずと手が離れるのが自然です」
「目が覚めます……」
「利き手を押し出すだけで離してしまう選手が多いですからね。押しのパンチだけではなかなか距離は出ません」
「そう言えば、中日のかたたちに片手打ちの選手はいませんね。一見そう見えても、きっちり絞りこんだあとで片手を離してます」
延々と話がつづきそうだ。私はお替わりのコーヒーをいれてやり、自分の分もいれた。
「ただ成功するだけでもたいへんなプロ野球の世界で、大成するための条件は何だと思いますか」
「さっきも言いましたけど、一つの技能に絞って群を抜くことです。ぼくの場合、長打に有効な筋肉に力をつけることと、鍛練の情熱ですね。中堅として成功するだけでいいなら、細かい要素のいくつかを平均的にこなせるだけですみます」
「細かい要素というのは?」
「足の速さ、プレイの敏捷性、遠投力、送球スピード、打球の飛距離、まだまだいろいろあるでしょうね」
「どんな要素も平均的で満足してしまったらいけないということですね。突出しないと……。ぼくは平均的で満足はしてませんが、突出は難しいな」
「高木さんは守備一本で突出してますよ。そのほかいくらでも突出の要素は考えられます。チャンスにきわめて強いとか、出塁率が高いとかね」
「神無月さんはすべて突出してますね」
「何度も言いますけど、ホームラン以外は並です。去年はぼくのホームランに引っ張られた形でほかの選手の能力も高揚して、そのおかげでぼくのほかの要素も恩恵をこうむったとわかってます。ぼくはホームランという一本道をいくために、もっとパワーをつけようと思ってます。食って体重を増やすこと。あと五キロはほしい。ホームランを打つことが基本ですが、今年は四死球も含めてじゅうぶん対策を練られてくるでしょうから、本数は三分の一くらいに減ると思ってます。そうそう打たせてもらえるものじゃない。出塁を多くし、走ってチームに貢献することを目指します」
「……神無月さんてポンポンホームランを打つだけの天真爛漫な、感覚一辺倒の人じゃないとは思ってましたが、そこまで深く考えてるとは知りませんでした。鍛練の人で、思索の人で、慈愛に満ちた人。周囲の人たちが神と言うのがよく理解できました。……ぼくは七十五キロ、百七十九センチです。長打力をつけることがきっと一本道になると思います。もっと体重を増やすところからまず出発しなくちゃいけませんね」
「はい、八十キロはほしいですね。大学通算打率三割六分零厘、三割九分六厘という高打率で首位打者を獲った実績の持ち主です。もともとシュアである目標は達成してますから、新しい目標は長打力になりますね。食うことと、三種の神器、ランニング。腰を鍛えるにはたゆまず素振りをするしかありません」
「三種の神器、いつもやってます。部屋でも。……片手腕立てがなかなか」
「毎日三回から五回でいいですよ、何年にもわたる長丁場ですから」
「―きょうはほんとにありがとうございました。あしたから晩めしのあとで球場にバット振りにいきます」
「がんばってください。ぼくも気が向いたらいきます」
谷沢はドアを出て丁寧に辞儀をし、廊下を去っていった。
私は急に走りたくなり、バットを持って一階へ降り、裏口から濠端へ出て公園内に入った。息が白い。タイメックスはマイナス一・四度。剛ノ池の岸を周回しはじめる。園灯がまったくない遊歩道を走る。空と池の反映でようやく道の表面がわかる。千畳芝でひさしぶりにコースを定めながら素振り百八十本。そのまま太鼓門まで駆け戻り、濠端をホテルへゆっくり歩く。
そろそろ十一時。五歳のころ、この時間に私は何をしていたろう。憶えていない。寝ていたからだ。十歳、同じ。十五歳、ギラギラ起きていた。本を読み、詩を書いていた。二十歳、キャンプ地の球場のそばの濠端を歩いている。夢見心地でもなければ、ギラギラもしていない。そのあいだに挟まる細かい深夜の時間をいろいろ思い出す。ひろゆきちゃんの家の宗教者たちの集会、三畳の板の間のベッドに積んだ貸本の消化、中学校の定期試験の勉強、牛巻病院、青森高校、健児寮、太宰治。時間の記憶を埋めていくとまるで寝ていなかったように思えてくる。からだの底から疲労感と倦怠が湧いてくる。
ホテルの裏口に到着。エレベーターに乗る。明るい気持ちを掻き立てる。明るく生きなければならない。部屋のソファに座る。部屋の照明を消し、机の灯りだけを点ける。
最近怒ったことは? ない。思い切り笑ったことは? ない。いまいちばん食べたいものは? ない。野球をする以前に好きだったものは? 漫画、裕次郎映画。野球に没頭して以後は? むろん野球、そして音楽。野球以前と野球以後はずいぶんちがうか? 質問がボンヤリしていすぎる。正体の知れないものを解明できるはずがない。いずれにせよ私は、二十年間のあいだに何らかの理由で大半の感情を失い、その精神的な後遺症の中で生きている。
それは肉体にも現れる。もの心ついて以来の下痢便、常に低く高くざわめいている耳鳴り、(他人に宣告された)頻脈。私はそれらとともに生き、野球をしてそれらを忘れる。
†
二月六日金曜日。六時半起床。快晴。零・四度。全身筋肉痛。とりわけ尻の下部とふくら脛。腰は許容範囲。ルーティーン。軟便。休日なのでランニングにベテラン組は参加せず。私、太田、菱川、秀孝、戸板、谷沢の六人でくり出す。太田が先導する。私は彼の背中につく。太田が振り返って、
「痛くないすか」
「痛いけどつらくない。気持ちいい。七年前の肘の根深い痛みに比べたら、痛い箇所はどこにもないのと同じだ。あの痛みが怖くて鍛練を重ねてきたからね」
秀孝が、
「バテがくると故障が起きやすくなると聞いてます。一シーズン通してやったことがないんでよくわからないんですが、いつごろバテるんですか」
菱川が、
「俺も年間通して出さしてもらった経験はないんだ。江藤さんの話では年間二回、三十試合から四十試合の周期だそうだ。神無月さんみたいに絶えず練習してる人は、バテとは無縁だけどね。バテたら練習はしないで、暇を見つけて休むのが最善だと言ってた。水原監督はそのへんの様子を見て、みんなを休ませてたね。よくわかってる」
戸板が、
「新人は張り切りすぎるからバテやすいと監督がおっしゃってました」
「中日ドラゴンズはシゴキがないから故障させられることはゼロだけど、春キャンプの特打特守くらいはまじめにやっとけよ。夏場に響くから」
「はい」
太田、私、菱川、戸板、秀孝、谷沢の縦列で走っている。太田が、
「おーい谷沢、前へ出ろ」
振り向いて声をかける。太田は後尾に回る。そうやって順繰り先導役を譲っていく。私は常に二番手を走ることになる。後尾についた太田が秀孝に、
「きょうは特打特守ですね」
「はい、十一時から四時までです。健一さんは昼めし抜きだそうです」
菱川は、
「谷沢、助六でもサンドイッチでも食っといたほうがいいぞ。くだらん張り切り方をするな」
「はい、そうします」
菱川と谷沢が二十三歳、戸板が二十一歳、私と太田が二十歳、秀孝が十九歳。まったく年齢差を感じない。
ホテル帰着。みんな自室へシャワーを浴びに上がった。私はロビーのソファでデイリースポーツを開く。
十五
背広姿の男が寄ってきて律儀な礼をした。私も礼を返し、
「松葉さんのかたですか?」
「は」
「ありがとうございます。ご苦労さまです」
「勤めですから。……昨夜のマラソン練習の件なんですが」
「あ、はい、剛ノ池を一周しました」
「よう不審者がうろつく物騒な場所なんで、何日か前の朝にみなさんが走られたときに近辺の具合は確かめておったんです。しかしきのうはひどく暗くて、追いかけてもつかまらんで、途中で目が届かんようになってまって、結局剛ノ池の口で待機しとりました。申しわけありませんでした」
「わざわざ追いかけてくださってたんですか。夜遅く気まぐれに走ってしまって。すみません、ご足労をおかけしました。あしたからは夜中に出歩かないようにします」
「いや、自由に運動なさってください。ただ、昨夜は見失ってしまったということで、お詫びを申し上げに」
もともと姿を見せないように警護しているわけだから、そんな事情など口にしなければどうということもないのに、なんと誠実な男だろう。
「詫びなんかとんでもないです。こちらへは何人ほどで?」
「四人できとります。チームのかたがたもガードしなければなりませんので。一週間交代で四人とも入れ替わります。散歩、マラソン、球場等、安心して行動なすってください」
「ありがとうございます。牧原親分さんには神無月がいつも感謝していると言っていたとお伝えください」
「は」
煙のようにフロントの脇廊下に姿を消した。
デイリースポーツに目を戻す。昭和十一年のきょう、全日本職業野球連盟が結成されたという囲み記事が載っていた。東京巨人軍、大阪タイガース、大東京軍、名古屋軍、名古屋金鯱(きんこ)軍、阪急、東京セネタースの七チーム。日本のプロ野球組織ができてまだ三十三年しか経っていないとあらためて知り、感慨が新しくなった。長嶋が現れたのでさえたった十二年前なのだ。昭和三十三年、九歳の私は長嶋しか知らなかったし、その年に初めてプロ野球の存在を知ったのだけれども、まさかその年にプロ野球が始まったと思うはずがない。それまで長い歴史があったと思うのが当然だ。自分の感覚では、百年も前からプロ野球があったものと思っていた。その歴史がたった二十二年だったとは! つまり私はプロ野球が勃興して高々二十二年目に長嶋を知ってあこがれ、それからたった十一年のあいだにプロ野球選手になったということだ。私もプロ野球草創期の一人ということになる。
詳細な記録が種々書いてある。二十二年間のうち巨人軍が十五回リーグ優勝、長嶋以降十一年間のうち巨人軍が八回リーグ優勝。三十三年間で巨人軍が二十三回リーグ優勝を果たし、十一回日本一になったという苛烈な事実は、プロ野球界にまったく群雄割拠の時代がなかったことを示している。プロ野球が始まってすぐ巨人軍が全国統一をし、三十数年にわたってその影響のもとに天下泰平がつづいているということだ。巨人軍以外のチームの優勝は単なるめずらしい事件として扱われる。伝統となり得ない事件は、一瞬のうちに忘れ去られる。
英雄もほぼすべてが巨人軍の選手だ。沢村、スタルヒン、川上、水原、藤村、別所、大友、与那嶺、藤田、長嶋、王で出尽くしてしまった。巨人軍を除いた群雄割拠の時代が訪れないかぎり、金田や村山や江夏のような、若林や小鶴や杉下のような特異の光を発する英雄が現れることは不可能だ。そしてその群雄が分担して、少しずつ連覇を繰り返さないかぎり、プロ野球界の変革は永遠に訪れないだろう。
―まず中日ドラゴンズが連覇を成し遂げなければならない。
部屋に戻らずにメールへいく。だれかれとなく握手したくなる。テーブルのあいだを渡り歩き、十も二十もの手と握手したくなる。私は衝動を抑え、江藤のテーブルにつくやいなや、
「連覇しましょう!」
と大声を上げた。バラバラと各テーブルから、
「オー!」
という胴間声がつづいた。大盛り二杯のめしを食った。
十時二十分。シャワーを浴び、ユニフォームを着てロビーに降りると、ラウンジでコーヒー片手に新聞を読んでいた仲間たちが驚いた。小川が、
「休日返上か」
「きょうはそういう気分なので」
「じゃ、あとで俺もいくよ」
「ワシもいくばい」
江藤の声に、太田や菱川や秀孝はもちろん、高木と木俣と一枝もすぐに立ち上がった。中が、
「私と小野はからだを休めます」
†
第一球場にかなりの数の報道陣がいて、監督、コーチ、トレーナーたちが特打予定の選手たちとケージの後ろに集まっていた。水原監督が、
「お、見学かい?」
「はい。見学ついでに軽く走ろうと思いまして」
彼らに挨拶をし、外野に回る。フェンス沿いを二往復したあたりで、菱川や太田や秀孝がベンチに姿を現わし、つづいてベテランたちもやってきた。やはり外野に回ってウォーミングアップをする。
新人ピッチャー四人は一、三塁側両ブルペンに分かれてキャッチボール。ようやく小川が顔を出し、ブルペンキャッチャーの後ろに立つ。
「強く投げこむなよ。立ち投げ程度にしとけ」
ベンチから門岡がマウンドに上がり、谷沢がケージに入る。残りの特打組は内野守備につく。ビデオカメラを担いだ男たちがケージ裏とセカンドベース後方に分かれる。
「お願いします!」
大柄の門岡がゆるいストレートを投げはじめる。最初の数球は内野のポップフライが多かったが、ボールのスピードが少し増すとポンポン外野に飛びだした。守備が楽しくなる。ベテランたちと走り回る。打球はヒット性のするどい当たりが多いが、オーバーフェンスはない。木俣が、
「あのスイングだと、低目は強いぜ」
彼の言葉どおり、低目を掬った最後の一球がオーバーフェンスになった。
五十球で右打ちの西田暢(とおる)に代わった。背番号39。小柄で細身の男。二十五歳。早実から早大のエリート。早大では谷沢の先輩だ。去年熊谷組からきた。守備のうまいショートとして社会人では有名だったようだ。私たちはレフトに移動。
「俺より小さいな」
高木が言う。当たらない、飛ばない。
「ヨイショって振ってるな」
一枝が言う。三十本、五十本、凡ゴロ、凡フライのまま終了。浅いレフトフライを何本か捕った。よほどのラッキーがないかぎり、今年の出場は望めないだろう。
ピッチャー若生に代わる。右バッター金山仙吉、背番号50、十八歳。岐阜にも中商があって、そこ出身の初めてのプロ野球選手ということだった。ガタイは谷沢よりある。江藤が、
「どうや、達ちゃん」
「軸がぶれるな。腰も回転が弱い」
キャッチャーで入団したのは不運だった。当分出番はない。私の目に金山の打撃はふつうに見えた。ほとんどフライになるが、ゴロになるよりはいい。芯を食う可能性が高いからだ。深いレフトフライを数本捕った。百メートルのフェンスを越える打球は一本もなかった。からだのわりには非力のようだ。
五十球で谷沢に交代。ベテランたちをライトの守備に追いやり、太田と菱川と私はレフトの芝生で柔軟とダッシュと三種の神器。
「オーイ!」
宇野ヘッドコーチがライトに散らばっていたベテラン連中を手招きする。杉山コーチがハンドマイクで、
「パートタイムよろしく。打球を上げて見せてやれ。五球ずつ、大振りなしのレベルスイングでな」
江藤はレフトフライを一本打ったあと、残りの四本ぜんぶ芝生席の外へ叩き出した。高木は左中間深くフライを二本打ち、レフト頭上へハーフライナーを三本叩きこんだ。一枝はレフト上段へ一本放りこんだあと、流し打ってフェンスぎりぎりのライトフライを三本、最後に左中間の浅いところへ高いフライで一本打ちこんだ。木俣は、センターフライを一本打ってから、ライト芝生席へ二本打ちこみ、内角高目を要求して大根切りで左翼芝生席へ一本、左翼場外へ一本叩き出した。杉山コーチは、
「サンキュー! じゃ谷沢、先輩たちの打ち方を参考にして、いまから十本のうち五本スタンドへ持っていけ。力入れずにな」
見ものだった。一球、二球、三球、どうしてもライトライナーになる。
「空手の手刀だと思ってボールを切れ!」
いいアドバイスだ。グンと打球が上がった。舞い上がり、上段で弾む。
「それだ! 若生、高目十本!」
三本に一本はスタンドインする。谷沢は上機嫌で、
「ありあたした!」
門岡に代わり、西田、金山とつづいたが、二人ともスタンドインはなかった。
昼めし。監督コーチの控室にホテルから弁当が届けられる。選手たちはベンチでそれぞれ持参した弁当を広げる。私たち飛び入り組は、廊下の売店でパンやサンドイッチを買って、一塁側内野席最上段から二層の櫓を眺めながら食う。
「週二休ゆうんは、利ちゃんや小野さんはよかばってん、ワシらにはちとゆるかな」
私は、
「金曜日と決めて、特打特守がないときは、ウォーミングアップ、ダッシュ、柔軟、素振りだけするようにしたらどうでしょう」
高木が、
「それでいいね。昼めしのあとにしよう。出かける予定があるかもしれないしね」
一時から特守。新人ピッチャー四人以外の全員、一、二塁間と三遊間の後方につく。一塁側のノッカーは杉山コーチ、三類側は森下コーチ。一、二塁間は戸板と渡辺、三遊間は松本と渋谷のカップリングで始まる。
「二十本で交代。それを五回。十五分休憩。同じく二十本で交代を五回。ボールは転がしてベンチ前へ返せ。いくぞ!」
「オス!」
ベンチ前に宇野ヘッドコーチと太田コーチが立つ。水原監督は一塁ベンチの中で立ったり座ったりしている。中、右、左のノックが延々百本つづく。戸板と渋谷は捕球の動きがスムーズだ。松本と渡辺はぎこちない。しかし、五、六十本を過ぎると、うまいへた関係なく後方へ抜けてくるボールが多くなる。私の筋肉痛もピークに達している。あしたあたりから和らぐだろう。正面に強いゴロ十本で百本終了。休憩。一時間十分かかっている。ボールをノッカーに手渡し、打って、捕って、転がすまで九、十秒。一人百球、千秒、イコール十七分。二人で三十四分。一塁側ノッカーと三塁側ノッカーがぴったり交互にとは言わないまでも、多少ずれて重なることがあるとして、六十八分前後。なるほどピッタリ合っている。特守は時間がかかるのだ。
私たちはベンチに退がった。江藤が菱川と太田に小銭を渡して人数分のコーラやジュースを買いにやらせた。
「明石焼きも売っちょったら買ってこんね」
「はーい」
全身全霊で彼らを愛していると感じる。私の脳の根深いところには、倦怠という癌のような病巣がある。その病巣に張り巡らすように、感覚と感情、信頼と不信、共感と軽蔑など、人間性を構成するうえで重要な生命現象にあこがれる血液が流れている。そんな部位をただ快適な延命を願うために脳から取り除いたらどうなるだろう。やってくるのは正真正銘の無感動だ。倦怠があるからこそ、私は人間として生きていられる。―私はその病巣を摘出せずにとっておく。
「明石焼き、売ってませんでした!」
手すきのコーチやトレーナーたちがライトとレフトへ走っていった。一、二塁間と三遊間の選手を入れ替えて二度目のノック開始。ノッカー交代。一、二塁間太田コーチ、三遊間水原監督。打球がいっそう強くなる。
「オラオラオラー!」
私たちはジュースを飲みながら声を上げる。松本が二十本でさっそくヘタリはじめる。水原監督が、
「なんだそりゃ、だらしねえな! 腰がかわいいならサッサと上がれ!」
べらんめえ調になる。愉快だ。オトコ水原の本領が垣間見える。松本幸行は両手を膝に突いてセイセイ呼吸している。渋谷は問題なく二十本をさばき終える。宇野ヘッドコーチのノックは左右に散ってきびしいが、戸板と渡辺は無難にこなす。松本が次の二十本で限界に近い様子を見せる。
「見てられん、上がれ! 池藤くん、腰椎の矯正よろしく」
松本は池藤トレーナーに腕を肩に抱えられて三塁ベンチに連れられてきた。こちらへやってくる松本の足どりを見て、なんだか嘘くさく感じた。腰など悪くないんじゃないか? この筋肉質のからだがウドのように虚弱というのは考えにくく、ほんとは強靭で、スタミナにあふれているんじゃないか?
「松本さん、腰の痛みのほとんどは原因不明で、若いうちは一時的なものがほとんどです。とっくに治ってるでしょう。バットを振りすぎたわけでもないし、激しい投げこみをしたわけでもないでしょう。気のせいですよ。ほんとに痛いと立てなくなります。きょうだって痛み止めを打って出てきたわけじゃないでしょう。四十球できたなら百球できます」
小川が、
「サボってると、金太郎さんにきついことを言われるよ。言われてるうちが花だ。そのうち目も合わせてもらえなくなる。その結果は―」
江藤が、
「恐ろしかぞ」
松本は池藤トレーナーが彼を長椅子に寝かせようとするのを断り、口をへの字に結んでグランドへ飛び出していった。ベンチの笑い声が追いかけた。松本は渋谷の後ろについて膝の屈伸運動をした。