九十二

 浅野は、この先どんなふうに話を切り出したものか、煙草を挟んだ指で下唇をこすりながら、母やサイドさんと顔を見合わせて思案に暮れていた。どこか話題を移すことに気乗りがしないといった様子が、私に疑心を生んだ。
「いずれにしても、タチの悪い女に引っかかっちまったもんだ。女というのは、神さまの鞭みたいなものだからな」
 考え考え煙草を吹かしながら言うと、また黙った。
「かあちゃんは、もういまの会社にはいられなくなるよ。そうなったら、どうすればいいんだろうね。私がいたらなかったばっかりに、おまえは上の学校に進むのを断念しなければいけなくなるかもしれない。そうするとおまえは、土方とか、水商売とか、商店の下回りみたいな仕事に就くしかないね」
 母がいやに具体的な話をした。私はすぐさま応えた。
「みんな立派な仕事だよ。ぼくは最初からそのつもりだった。野球をやらないなら、どんな仕事をしたって同じだからね」
「郷、私はね、この十五年のあいだ、おまえを教育するために、どんなつらいことも忍んできたんだよ。もうそれもおしまいだ。私はおまえが呪わしいよ。大吉と同じだ。いいかい、これがおまえのありのままの姿なの。自業自得なのよ」
 そう言って皮肉らしく笑った。彼女はおそらくこういう場に臨むふつうの母親とちがって、子供の苦しみを引き受けてなんとか愁嘆場にケリをつけるような明るい結論を捜さそうとしなかった。私は排気ガスのような悪意を嗅ぎながら、しきりにカズちゃんの顔を思い浮かべた。
 ―彼女のことさえ知られなければいい。肝心なのはそれだけだ。
「なんなの、薄ら笑いをして。私の言うことをまじめに聞こうとしないんだね。いっときの行動が、一生分ぜんぶ合わせたよりも、もっとその人間の心を表すことがあるからね。大吉もしょっちゅうそんなふうに笑ってたよ」
 母は自分が正しいことを言っていると確信して、頭が熱くなり、皺の深い目に涙さえ滲ませた。
「ぼくはとうちゃんほど立派じゃない。女を連れて逃げる勇気がないからね」
「……ヌカに釘だね。とてもじゃないけど、もうおまえは私の手に負えないよ」
 母は芯から疲れきったようなため息をついた。
「まさかと思ったが、ここまで心が荒れてるとはなあ。これは、いかん。ぜんぶ、断ち切らないと。先生、よろしくおねがいします。どうか郷を立ち直らせてやってください」
 サイドさんが言った。天才の言葉と思えなかった。天才というのは、断ち切るのではなく、抱え持つ人のことだろう。
 浅野は第三者として、部屋の一角を占領していた。彼は説教者の資格としては、たしかに自分と同等ではない人間の格下の立場で、この重大時期に私の母と気脈を通じ合おうとしていた。並外れた道徳漢の彼は、怒りとも嫌悪ともつかないまじめな感情に突き動かされながら、深刻そうな表情で言った。
「けしからんですよ、中学生の分際で、肉体関係なんて。それにしても、神無月の不徳の相棒が、きっちり晒し台に立ったわけだから、神無月も―」
 カズちゃんが言ったとおり、浅野の化けの皮が剥がれた瞬間だった。浅野の母親が叫んだ。
「まあ、あんた、晒し台なぞと―。どちらにも罪はありゃせんが!」
 浅野の母親はやさしい心根の人だった。しかし彼女の表情から見て、自分のやさしさはむしろ世間並みには甘いものだと感じているようだった。
「恋愛したこともねえ男が―」
 私は呟いた。カズちゃんが無事である以上は、だれを傷つけることも厭わなかった。
「私が恋愛しようとしまいと、おまえの知ったことではない」
「むかし〈ならした〉なんて言ったって、結局はただの勉強家じゃないか。中学生の分際でけしからんだと? 聞いて呆れるよ。羨ましくてしょうがないんだろ」
「この野郎!」
 浅野の怒声を引き取るように、浅野の母親が私を庇おうとしてにじり寄った。きっと彼のふだんの爆発の恐ろしさを知っているのだろう。それより先んじて母が私にピタリと寄った。庇うためではなかった。
「おまえは、なんで、そうなの。どれだけ人に迷惑をかけてると思ってるの」
 押し殺した声で言い、肩をつかんで揺すぶった。私は邪険に振り払った。
「あんたがぼくにかけた迷惑を考えてからものを言え。いったい何しにここにきたんだ。女が尻尾を巻いて逃げたんだから、もう、ケリがついただろ」
 怒りを抑えている浅野とまともに視線がぶつかった。彼は憐れむように私を見た。そして静かに言った。
「いまのままだと、おまえはまちがいなく転落してしまう。それを見て見ぬふりをするのは教師としてできない。きっといつか、おまえも、これでよかったんだと思い返す日がくるはずだ」
 この程度のことが並外れた珍事だろうか。なぜ、彼らは偽りの同情や大げさな謹直さを振舞う必要があるのだろう。彼らの視線は、身近な者を痛めつけようとする淫(みだ)らな悦びにあふれている。それにしても、こんな少数の人間どもに好きなようにされるとは!
 ―こんなことは大したことではないのだ。大したことでないのだから、ごくあたりまえの顔つきで受け止めればいい。よくある話だとぼんやり聞き流せば足りる。鼻歌まじりで対処すればいい。
「どこからどこへ転落するんだ。おおげさなやつらだ」
「いやはや!」
「すみませんねえ、先生。もう、どうぞ、お宅にお戻りになって。あとは私と斉藤でなんとかいたしますから。ほんとに申しわけありませんでした」
「いや、このまま引き下がるわけにはいきませんよ。彼の更生を引き受けた責任もありますからね」
 浅野は灰皿を引き寄せると、またイライラと煙草に火を点けた。そして、畳の目でも数えるように、うつむいたままキョロキョロと視線を動かした。母もまた浅野に倣って何本目かの煙草をくわえた。サイドさんもきょう初めての煙草を咥えた。私は、天才と讃えてきた人物が煙草を吸う口もとに、母を含めた人特有の平凡な世間智を見ていた。浅野の母親はじっと私を見つめたきり、目を潤ませていた。浅野が煙草をもみ消しながら言った。
「神無月の今後の話ですが―もう、うちには」
「こっちから願い下げだ。陰気くさくてたまらない」
 母の平手打ちが飛んできた。私はその手をたぐり寄せ、母の顔を殴り返した。憤激がある程度まで達すると、その憤激がかえって愉快になって、もうどうなろうとかまわないという快感へ募っていく。それを楽しみながら、その憤懣の感情に溺れてしまうということがあるのだろう。母も私も同じだった。
「親に向かってなんてことをする!」
 浅野がバネに弾かれたように立ち上がり、低い姿勢で突き進んできた。私も立ち上がった。向かってくる彼の顔に、教師らしい包容力はいっさい感じられなかった。
「くたばれ!」
 私はこぶしを固め浅野の顔めがけて振り下ろした。浅野は予想もしなかった敏捷さで身をかわすと、いったん低くしたからだを伸び上げて私のあごを殴った。意識がもぎ取られるように遠ざかり、一瞬のうちに視界が暗くなった。
         †
 気がつくと、どうやら顔を横にして倒れているらしく、くっきりと畳の目が見えた。私は頭に座布団をあてがわれ、五つの顔に覗きこまれていた。タケオさんの顔まで増えている。目の隅に古テーブルの角があり、稜面のささくれがぼんやり見える。塗り薬でも下の帳場から持ってきたのだろう、浅野の母親が私の顔に近づき、あごに軟膏のようなものを塗りつけた。みじめな静けさだった。なんとかこの場から逃げ去りたかった。しかし私には、逃げていく場所などなかった。いや、一つあったけれども、この状況から抜け出すことは不可能だった
「痛むか」
 浅野が言った。鼻をチューとすすり上げ、長広舌をふるう気配を示したので、私は顔をそむけた。母は、万事終わったとでもいうふうに穏やかな口ぶりで三人に話しかけた。
「あした、弟がきてくれることになってますから」
「仕方ないでしょう。お母さんも仕事の手が離せないことだし。私も目の回る忙しさですから」
 何の話をしているのかと思った。
「ほんとに、申しわけございませんでした」
 母の唇に鈍い笑いが浮かんだ。彼女は私のほうへ顔を向け、その笑いを同情めいた微笑に変えようとした。
「郷、向こうへいっても、ちゃんと勉強しなくちゃいけないよ。余分なことは考えちゃだめ。ものごとを理屈で攻めないようにね。人間には、どうしても基礎を固めておかなくちゃいけない時期があるから」
 恐ろしく冷静な表情をしていた。積年の復讐を果たして安堵したという顔つきだった。
「向こう? 亀島のことだろ?」
 浅野はゆっくり煙草を吸って、しばらく吸い口から唇を離さないでいた。彼は話しづらそうに言った。
「神無月、やり直そう」
「やり直すって」
「お祖父さんお祖母さんのところへいって、心を入れ替えるんだよ」
 努めて明るく言った。この奇妙な命令に私の心は急に掻き乱され、一瞬、浅野の頭がおかしくなったのだと思った。彼はまじめな顔をしていた。母が激しくうなずいている。タケオさんと浅野の母親は驚いて、口をあんぐり開けた。浅野の母親が言った。
「佐藤さん、ということは―」
「はい。転校させます。名古屋には置いておけません」
「はあ? そりゃ、まことに、あんた、ひどい……」
 浅野の家族には、私の今後の身の振り方は教えられていなかったようだ。でも、康男が強制的に転校を命じられたときから、私はどこかでこの日を予想していた。しかし、あまりの唐突さに心がざわめき、荒いため息が出た。泣きたかったけれど、涙は出てこなかった。悲しみに、干からびたようなあきらめが混じっていた。母はどんな手を使っても私を半殺しにするだろうとわかっていた。しかしいまや彼女は、一刻も早く私が完全に死んでくれることを念じているのだった。波立った心の水面がすぐに穏やかになった。
 ―やっぱり、康男と同じ運命か。カズちゃんと別れなくちゃいけないのかな。
 干上がった川床のような寒々とした感情が押し寄せてきた。私は浅野の毛穴の広がった小鼻をまっすぐ見上げながら、記憶の彼方にある青く煙った野辺地の山並を思い浮かべた。そして、紺色の空から舞い落ちてくるおびただしい雪を。私はそのなつかしい景色の中に自分を立たせ、なんとか喜ばしい未来図を想像しようとしてみた。野辺地駅に降り立つ二つの絵姿を思い描く。カズちゃんの笑顔が私を見上げている。それは最後の祈りだったかもしれない。
「切符が買ってある。あさっての夜行だ。ここにくるときに、名古屋駅で買ってきた」
 母は黒いバッグから二枚の切符を取り出して、畳に並べて置いた。
「おまえと善夫の分だ。ことと次第によっては、先生と話し合って、この切符は使わないつもりだったんだけどね……」
 サイドさんが、
「知らなかった。しかし……義姉さん、それは考え直したほうが賢明だと思いますよ。十代にありがちな春の嵐なんですよ。しばらくすれば治まります。爺さん婆さんだって受け入れるのはたいへんでしょう。ここで転校にひと月もかかったら、受験勉強なんてひとたまりもない。中学、高校と仕送りだって馬鹿にならない」
「きちんとやります。そのくらいのお金はありますから」
 浅野の母親が鬼面になった。
「いやァ、驚いてまったわ、そこまで考えとったとはね! 私とタケオを連れてきたがらんわけがようやっとわかったわ。ほやけど、それって、考えと言えるのかね。失礼ですがお母さん、ほんとに血のつながった親子なん?……。そんなことしたらキョウちゃん、何もかもなくしてまうよ! 野球も、友だちも、将来の計画もぜんぶ。あと半年もあれせんのに、なんでそんな意地の悪いことするん?」
 タケオさんがとつぜん涙を噴き出し、立ち上がって廊下に出た。
「ほんとに残念だが、本人のためだ」
 浅野が言った。少しも残念がっていない表情だった。母が気遣わしげな顔で切符を拾い上げ、自分の大きなバッグにしまった。また浅野が言った。
「神無月、おまえは、芯から勉強が似合っとる。野球は確かにすごい才能だが、おまえの性格には合わない」
「ホームラン王に向かって、何言っとるの! 分際を知りなさい!」
 母親が叫んだ。浅野は黙殺し、
「人は似合っとることをしなけりゃあかんと思う。だれも怨むな。おまえもいつか、自分以外の人間を惜しいと思う気持ちがわかるはずだ」
 浅野の声は平坦で、まるで厚い壁越しに響いてくるようだった。私は彼を見つめていたが、何も見えなかった。
「惜しいと思うなら、キョウちゃんのぜんぶを惜しいと思わんとあかんでしょ。野球も勉強も友だちも、何もかも。キョウちゃんにはぜんぶ似合っとるんよ。佐藤さん、あんた、それをぜんぶ奪うつもりですか」


         九十三
 
 母それに答えず、私に語りかけた。
「あの看護婦、病院でも鼻つまみらしくて、近いうちにクビになるらしいよ。電話かけて確かめた。そんなのと早く手を切れてよかったじゃないか。中学生をたぶらかして、ただですむわけがないんだもの」
 母は食えない女の相好をさらしながら、まったく話の水門を別の方へ開けて平然と言った。浅野の母親は呆れ顔で横を向き、太い息を吐いた。サイドさんが天井を睨みつけていた。浅野がしきりにうなずいて私の母に同調した。私は抗う気もなく、天井を見つめながら小声で言った。
「滝澤さんは自分に正直だっただけだ。ぼくのことを好きだという気持ちにね……」
 浅野が舌打ちをした。
「ああいうのは、正直とは言わん。すれっからしと言うんだ。ちゃんと目を開けてものごとを見ろ。曲がってるのはおまえの根性だ。根性が曲がると、目玉まで腐ってしまう」
 教師の言葉とは思えなかった。
「長く付き合いもしない人間のことが、なぜわかるんだ」
 私もきょうわかったばかりだった。こんなもめごとが起こらなければ、生涯わからなかったかもしれない。浅野の母親が感嘆したような声を出した。
「ほうだよ、オサムちゃん、キョウちゃんの言うとおりだよ。ものごとは長い目で見んとわからん。なあ、佐藤さん、考えて見りゃ、今回のことも、大したことじゃないでしょ。うちにはいくらおってもらってもええんよ。キョウちゃんを長い目で見ましょうよ」
 浅野はまた母親の言葉を無視した。
「長く付き合わなくてもわかる。話を聞いただけで、すぐわかる。わからないほうがおかしい。頭が沸騰しとるときには、理を諭しても無駄だな。かあさんも冷静になれよ。あの女は中学生をこんな旅館に連れてきて、一晩すごしたんだぜ」
 理? 私の苦しみは、その苦しみの中に理屈めいたものが何一つないことだった。浅野たちが少しでも理屈らしいものを説いて聞かせると、その言葉は私を鎮めるどころか、苛立たせるばかりなのだ。主義主張の明確な賢い人たちが目の前に坐っている。刺すような悲哀の気分が襲ってきた。浅野の母親がため息をつきながら言った。
「みなさんにはやっぱりわからんようやね。二人とも悪ない。ただ、女のほうの片思いやったんよ。もともとどうでもええ女やって、キョウちゃん言っとったでしょう。やさしい子やから、ほだされたんよ」
「口は重宝だな」
「教え子が信じられんの? からだの関係があったって聞いて、ようわかったわ。その女がひどいこと言ったりしたりしたのは、キョウちゃんに振り返ってもらえんからなんよ。意趣返しのつもりやね。修ちゃんこそ冷静になりなさい。被害者はキョウちゃんなんよ。なにが理かね。キョウちゃんはそんなもんで動いとるんやない。そんなもんで動く小物やない。心で動いとるんよ。どだい、悪いことしとらん人間を諭せるもんかね」
「今回のことが悪いことじゃないのか!」
「あたりまえのことや。男がいて、女がいて、出遭って、好き合って……ぜんぶあたりまえのことやろ。これで子供でもでかしたいうなら、話は大きうなる。それでもあたりまえのことや。そんな中で、キョウちゃんは野球をして、勉強して、詩まで書いて、だれがまねできるもんね。一つもまねできん。優秀すぎるから目障りで追い払うんか! 私は反対反対、大反対!」
 私の母が片手を畳に大仰につき、
「お母さんのお言葉はありがたいんですが、これは私たち母子の問題ですから、どうか、その……」
 得意の〈母子の問題〉で締めくくろうとした。
「私らが同席しとるでしょ。みんなの問題でしょが。あんたたち二人の問題なら、私らここにおらんでしょ。母子の問題、夫婦の問題、当人同士の問題、そんな、人に口出しさせん決まり文句で何が解決できるん? わざわざ人を同席させて、いままでそうやって追っ払ってきたんとちゃう? あんたら、ほんとに血がつながっとるん? 失礼さん、とうていそう見えんもんでね。なんなら、キョウちゃんをうちで引き取りましょうか? 私にはわが子よりかわいいくらいのええ子や。私は大好きや」
 手で目を覆った。もう一度タケオさんさんが襖を開けて入ってきて、母親のそばに座った。相変わらず目を手で拭っていた。
「郷くん、ぼくもきみが弟だといいな」
 私は二人に笑いかけた。
「お母さん、タケオさん、感謝します。もうじゅうぶんです。このご恩は一生忘れません。どこにいても、かならずお母さんたちを訪ねていきます」
「キョウちゃん、ほんとにこんなんでええの? うちの子になりたい言うてくれたら、すぐ引き取って手続するで」
「かあさん、非常識もはなはだしい。佐藤さんに失礼でしょ!」
「非常識なのはどっちや! 自分がどんなひどいことしとるか、わかっとるんか。キョウちゃんの人生を無茶苦茶にしようとしとるんやぞ」
「いや、更生させようとしてるんだ。口出しは無用」
 私は正座をして、母と浅野を眺めた。これほど私を驚かし、ふるえ上がらせることを平気でやってのけ、自分たちのしていることはひどく大事なことだと信じている人たち。彼らが狂っているとは思えなかった。かといって自分が狂っているとも思わなかった。重要なのは、正常か異常かではない。そんなのはどうでもいい。重要なのは、愛のない人びとが、人をかまってはいけないということだ。
「よく聞けよ、神無月」
 したり顔に浅野が鼻をすすった。教壇にいるときよりも声を張った。
「この世はね、敷かれたレールの上を走ったやつの勝ちなんだよ。おまえのこんな重大な転機に、お茶を濁してるように聞こえるかもしれんが、それが真実だ」
 ―真実? 現実のまちがいだろう。
 母が激しくうなずいた。五回、六回とうなずいた。まるで、けっしてとどまることなくうなずきつづける義務にまみれているかのようだった。この人たちは、長いあいだ、心に何の革命も起こさなかった。その類まれな無能さのせいで手厚く護られ、世間のつまらない仕組みの中で安らかに生き延びてきたのだ。彼らの問題点は、想像力を欠いていることだった。さまざまな事柄を処理するうえでは、迅速で抜かりないけれども、あくまでそれは事柄そのものの手続に関してだけで、事柄の意味については頭が働かない。浅野の母親が泣きながら言った。
「あんたたち、よくよく気が合うみたいやね。キョウちゃん、こんな馬鹿息子でも、私の腹を痛めた子なんよ。勘弁してやって。この子もキョウちゃんが好きで、張り切ってうちに連れてきたのになあ。こんなことが一回起きたくらいで大騒ぎして……情けないわ」
 うれし涙があふれてきた。涙だけが私に残されている言葉のようだった。
「兄ちゃん、それから郷くんのお母さん、それから、そこの親戚のかた、いつかきっと後悔しますよ。こんなこと、人間として許されることじゃない」
 タケオさんが唇をふるわしながら言った。母がいつものだれに向かうともない視線で、
「私は、なにもこの子を地獄に送りこもうっていうんじゃないんですよ。幼いころにも預かってもらったふるさとですからね」
 浅野がそうだというふうにうなずき、
「気を落とすな、神無月。おまえなら、どこでも立派にやっていける」
「どこでも? ここ以外の?」
 浅野は首を振り、母親とはちがった深い息を吐いた。人に聞かせるための無意味なため息だった。〈善人〉が苦しげに吐息を人に聞かせている。彼らにそんな嘘くさい息を吐かれたら、私のような〈悪人〉は、踏みつけられ、蹴られ、骨を砕かれてしまう。
「タクシーを呼んでいただけませんか」
 母が終止符を打った。浅野の母親は鬼面を和らげ、膝を突いて身を乗り出すと、私を抱き締めた。
「もうどうにもならんようやね。なんやろね、なんもかもキチガイ騒ぎや。これまでキョウちゃん、よう愚痴言わんかったな。キョウちゃんの気持ち、すっかりわかったわ。あんたはつくづくすごい人間や。こうやってここにおるのがもったいない人間や。殺されたらあかんよ。辛抱しィ。きっとすごい人になるから。すごい人は、えらくなんかならんでええんよ。そこにおって、えらくなりたがる人にいじめられんようにするだけでええ。おばさん祈っとるでな。いつも、いつも、祈っとるでな。おお、おお、おとなしうて、宝石みたいな子や。こんな宝物を、よう手離す気になるもんや」
 私を飯場に送るタクシーがきて、浅野一家が旅館の玄関に送って出た。
「おとうさんも、あんなふうに愛想なしにしとったけど、キョウちゃんを気に入っとったんよ。息子だったらええなあ言っとった。いつかかならず遊びにきてや」
 母親がもう一度私を抱き締めた。
「電話ちょうよ。番号知っとるね。都合がついて、その気になったら、顔見せてな。こっちの様子も手紙で知らせるからね。返事ちょうだい」
 私も彼女に堅く腕を回した。タケオさんはその手を握った。母が助手席に、サイドさんが私の背を抱いて後部座席に乗った。
「平畑までお願いします」
 タクシーが伏見通りに向かって走り出した。母親とタケオさんがいつまでも手を振っていた。浅野は腕組みをしていた。
 タクシーの中で、二つの声がしゃべっていた。
「サイドさん、家建てるときは言ってくださいよ。できるだけ力になりますから」
「ありがとうございます。しかし、お願いすることはありませんよ。高卒で、出世は頭打ちですが、これでもかなりの高給をいただいてますから。給料も上がりませんから、なかなか金が貯まらない」
「椙子も口うるさいからね、あなたもたいへんだ。善郎とヒロは元気なの?」
「はい。馬鹿ですけど」
「馬鹿でも、親孝行がいちばんですよ」
「……郷は、向こうに何年ほど」
「さあ、このままずっと置いとくのがいいと思いますけどねえ」
「大学は?」
「そんなもの、いける器じゃないでしょ。野辺地高校を出たら、地元で勤めて、爺婆に恩返しして」
「つまり、野辺地に埋もれてしまえと」
「埋もれるも何も、本人に能力があれば、その先は自力でなんとかするでしょう。名古屋にいたら高校だって危ういんだから、ずっとマシでしょ」
 サイドさんの顔色が蒼ざめたようだった。
「きょうは何時の電車?」
「三時半ので」
「ここを二時くらいのバスで出ればいいわね。お昼は私の部屋に店屋物とります。社員たちと食堂で食べないほうがいいわ。郷のことであれこれうるさく言うでしょうからね。弁当作って持たせますよ」
「いや、けっこうです。駅で買います。……義姉さん、郷は、高校からこちらへ呼び戻したほうがいいと思いますよ。田舎で埋もれるような人材じゃない」
「買いかぶりよ、サイドさん。だからその先は本人しだいだと言ってるでしょ」
 タクシーを降り、カズちゃんや待機社員の目につかないように、食堂を通らないで裏庭に回った。三畳の勉強部屋に帰り着くと、サイドさんは無言になった。彼はステレオと書棚とスチール机の上の教科書を切なそうに見つめた。
「郷、人生は長い。焦らないようにしなさい。郷は敵よりも味方のほうが多い人材だ。おじさんは確信した。郷はかならず成功する」
 サイドさんが最後に与えたやさしいエールは、私の耳を空しく通り過ぎた。彼は正しい裁きの権威づけのための談合要員として呼ばれたのに、何の役にも立たなかった。そのときをかぎりに彼は私の敬愛の雛壇から姿を消し、三年の余り再会することはなかった。
 母は二人分の青森行きの切符を私の机の上にわざとらしく置き、サイドさんといっしょに表の縁側から隣部屋へ去った。机に並べて載せられた小さな四角い通行証は、私の目に不思議な軟体生物の印象で執拗に迫ってきた。指先にとって見ているうちに、それは私の胸を這い上り、首から額に達して、絶望の焼印を捺した。善意の人びとは言うだろう。人生は長い、だから急ぐ必要はないと。しかし彼らはその長い人生の中に、私が希望に満ちた未来を見通して安心できるようなどんな展望台を用意してくれたのか。
 私は湿った学生服を脱ぎ、椅子の背に掛けると、蒲団を敷いて横たわった。カズちゃんを守り抜いたという達成感のせいで、からだじゅうの凝りがほどけていった。真昼から夕方まで深く眠った。だれも起こしにこなかったので、サイドさんが帰ったことも、カズちゃんやクマさんたちが覗きにきたことも気づかなかった。
 盆に載せて母が持ってきた晩めしを平らげ、すべて最後だと覚悟しながら、深夜までレコードを聴いた。母に止められているのか、カズちゃんも小山田さんたちも覗きにこなかった。


         九十四
 
 浅野は翌日、まず久住に、それからほかの教師連中に今回の一件を報告した。自分の義務、いや、権利に励まされた指導者たちはみんな、一人の不良少年の中に、彼らの信じる方針をじゃまするかたくなな心を見つけたので、それを押さえつけて、無理にも正しい道へ連れ戻さなければならないと奮い立った。才能のある教え子がいなくなるのには、やっぱり自分にも責任の一端があるのではないか、という考えに悩む教師など一人もいなかった。久住だけは、苦虫をつぶしたような顔で押し黙っていた。片腕の彼のほかには、ひょっとしたら、だれ一人として、この途方に暮れた少年が、白々とあきらめに満ちた目であたりを見回していることに気づかなかった。そしてだれも、学校と、少年の母親と、彼女を取り囲む一部の人びとの容赦のない倫理が、彼を窮地に追いやったのだということを考えなかった。
 西松建設の社員たちは、私を交えた昼めしどきに、ようやく母の口から彼女の下した判断の具体的な内容を聞かされた。
「おい、おい!」
 と小山田さんは声を荒らげ、吉冨さんは叫んだ。
「信じられねえな! スカウトを追い返しただけじゃ気がすまないのか」
 原田さんは黙々と箸を進め、西田さんは箸を止めた。所長は姿すら現さなかった。カズちゃんは何ということもなく、テーブルと流しを往復していた。ときどき微笑しながら私をチラリと見るくらいで、感想も意見もこれっぽっちも口にしなかった。彼女の顔や、肩や、尻、胸、脚、それをもう一度目にできたことだけで、私にはもう思い残すことはなかった。
「おばさんは、どこまでやりゃ気がすむんだ。キョウちゃんがいなけりゃ、ここは火が消えたも同然じゃないか。いっときのお仕置きなんだろうな。十日もしたら帰ってくるんだろう? 百叩きがすんだら、ちゃんと名古屋に戻すんだろう?」
「いえ、メドがつくまでは」
「メドだと!」
 吉冨さんは箸をテーブルに叩きつけて出ていった。
「こんな人間にはもう二度と会えないんだよ、おばさん。それにいつかおばさんが気づけばいいけどな。そうでないかぎり、おばさんはいい死に方しないよ」
 いつもとちがって憤りにまかせてしゃべる小山田さんに、母はひとことも答えなかった。
「神無月大吉、二人はたくさん」
 自分の話は聞くに値すると信じている母は、そんな社員たちの難詰にめげず、かつての結婚生活の惨めさと、息子の一連の反逆とを、自分に対する何かの復讐だと語った。いつのまにかこの考えは、彼女にとって一つの確信となっていた。
「一晩で老けましたよ」
 灰色の髪をさすりながら、だれにともなく母が言った。彼女に向かい合って坐っている息子の風体は、彼らの目に多少みすぼらしく見えないこともなかった。皺の寄った学生服や、ついぞ見かけなかった吹き出物を散らしたあごや、荒れた肌は、ひと月にわたる下宿生活の心労を物語っていた。彼らの大好きだった少年の大きな目は、子供らしいまじめで溌溂とした輝きを失っていた。
 酒井棟に報告に走った吉冨さんの口から、クマさんにもすみやかに情報が伝わった。ダンプの車輪の泥を落としていた彼は、ホースを放り出して、すぐに勉強小屋に駆けつけた。
「キョウ、島流しか!」
 目を剥いて言う。その目を見て思わずまぶたが熱くなった。
「仕方ないよ。女といるところを見つかってしまったんだから」
「それ、何も悪いことなんかしてねえだろ。大将の見舞いで知り合った女だろ。女に惚れられてどこが悪い。男が上がるってもんだ。くそ!」
「要するに、レールから外れたんだね」
「レールから外れない人間なんか、クソ食らえだ。カボチャよすぎると、ここまでいじめられるか。口惜しいじゃねえか。だれもキョウのことをわかりもしねえでよ。わからないだけですましてくれりゃいいが、ちょっかい出してきやがる。くそ!」
 熱血漢のクマさんは、私の並外れた能力と感受性が災いしてヘマをやってしまったと思っている。その私が愛しく、憐れでならないのだ。
「ありがとう、クマさん。だれだって自分と似たような人間しかわからないものだし、似てなければちょっかい出したくもなるよ。そんなふうに言ってくれるクマさんみたいな人は、何万人に一人だ。浅野のお母さんも何万人に一人だった。タケオさんも……。小山田さんや吉冨さんだってそうだよ。人の意見に優勢劣勢はないんだ。独裁者が一人いれば全体の意見は支配できるものさ。ぼくは、とっくにあきらめてる」
「くそ! キョウは面倒くさいことを、肩越しにポンと放り出しちまうなんてことはできない男だから、何でも真剣にぶつかろうとするんだ。そのくせ、ぶつかってだめだと、スッとあきらめる。その調子で生きてたら、周りから便利屋にされて、苦労のしっぱなしになるぞ」
 涙声になっている。やさしいクマさんの買いかぶりを正す気はなかったし、そんなことはもう考えたくもなかった。
「……ステレオと、テープレコーダーと、レコード、送ってくれる? かあちゃんは何もしてくれないと思うから」
「わかった。これっきり会えないなんて冗談、よしてくれよ。……堀田の現場も、あと二、三年だと思うが、夏冬の休みのときは遊びにきてくれよ」
「……年賀状出すよ。ここ宛てでいいね」
「そんなものくれなくていい。気持ちが狭っ苦しくなる。都合のいいときに会いにこい」
「うん。あの社宅からは動かないんでしょ」
「子供が学校にいくころになったら、引越しでも考えてみるけどな。……吉冨が泣いてたよ。小山田もな。二人でタクシー乗って、昼間から飲みにいった。キョウがどっかにいっちまうなんて、だれも考えたことなかったからな」
 原田さんと西田さんは食堂で母と話しこんでいて、私の顔を見にこなかった。というより、母が彼らを離さなかった。
「ぼくがもっと強い人間だったら、みんなにこんな心配かけなかったのに。……ぼくは弱すぎるんだ。ものごとを放り出すことはしないけど、戦おうとしないもの。スカウトがきたときもそうだった」
「あれは……あれは、弱いってことじゃない。かあちゃんを立てたんだろ。今回にしたってそうだ。……それとも、何もかもいやになっちゃったのか。いつだってキョウはしっかり戦ってるよ。……思いこみの激しい傲慢なやつのほうが、弱い人間なんだぜ。これ、俺と小山田と吉冨と西田からの餞別だ。四万入ってる。当座の小遣いにしろ。逃げて帰ってきたら、俺がかくまってやる」
 クマさんと入れ替わりに、愛するカズちゃんが笑顔でやってきた。
「カズちゃん! 逢いたかった! これでもういいや」
「やっぱりやられちゃったね。でも、これでさっぱりしたじゃない。お母さんからやっと離れられるんだから、天下晴れて自由になったようなものよ。これからじっくり二人で計画を立てていきましょ。さ、きょうが私たちの出発の日よ。青森なんかいつでも脱出できるわよ。私も青森にまいります。はい、これ、鶴田荘の住所と電話番号。ちゃんと連絡とり合いましょう」
「青森に……って?」
「私、今月いっぱいで、西松を辞めるつもりなの」
「え! それで青森にくるの」
「キョウちゃんのそばで暮らすのよ」
「ほんと!」
「ほんとよ。死ぬまでいっしょだって約束したでしょ。心配しないで。人目につかないようにするから。キョウちゃんも気をつけてね。お金の心配もしないで。お小遣いも、学費も、野球用具代も、ぜんぶ私にまかせて。お母さんの仕送りだけじゃ、ぜったい足りないと思うから。この封筒に十万円入れといたわ。しばらくはしのげるでしょう」
 カズちゃんは私を引き寄せて、ディープキスをした。そうして、そそくさと立ち去った。私はメモを封筒に入れ、学生服の内ポケットにしまった。
 六年生の夏から四年間すごした三畳間を見回した。畠中女史と原田さんが運んできたスチール机、クマさんのプレゼントのステレオ、カズちゃんが粟田電器店で大枚をはたいて買ったテープレコーダー、書棚いっぱいの本、森徹のホームランボール……。
 カバンに、いのちの記録と、ことばノートをしまった。抽斗を探り、いろいろな友からの年賀状もしまった。康男と節子に関係したものはすべてカズちゃんが預かってくれているので安心だった。ズボンのポケットに康男がくれた紙幣が触れた。彼に約束した未来の一部がいまで、すでに一日前の出来事が思い出のようになつかしいものになっていることに、私はあらためて驚いた。浅野の足もとにカバンを投げつけてからまだ一日しか経っていないのだ。胸の内ポケットに、クマさんとカズちゃんのくれた金と合わせて、十四万円余りをしまった。それが青森へ持っていく身の回り品のすべてだった。グローブやバットは未練なく置いていくことにした。
 机に向かって、関と世界の首都当てごっこをした地図帳の裏表紙にボールペンで即興の詩を書いた。

  激しく人生は流れ
  静かな遠い日々になる
  いつの日か思い出をさかのぼり
  その日にたどり着いて
  根を生やそうとする私に
  そよ風が やさしく吹き寄せる

         †
 翌日、私とカズちゃんの関係を知らない母は、私が遅い昼食を終えたあと、カズちゃんを監視役につけた。
「宮中へ挨拶にいってきます。五時には帰ってくるわ。買出しはしといたから、下ごしらえお願いね」
「はい」
 浅野の家に下宿して以来初めて、私はカズちゃんとノンビリ過ごした。  
「カズちゃんと逢えないまま別れることになったてたら、ずっと死んだように暮らしただろうなあ」
「かならず逢えるのよ。キョウちゃんが、節子さんの手を引いて浅野先生の前から逃げたって聞いて、さすがキョウちゃんだって思ったわ。節子さんを追い帰して、何でもありませんてとぼけて、自分だけ浅野先生のところに戻るような男だったら……そんな男だったら、私―」
「見捨ててた?」
「見捨てはしないけど、人を見る目に自信を失ってた。キョウちゃんはそういう人じゃないのよ。どうせ節子さんの押しかけで、成り行きからそうなったんでしょうから、行方がわからないって聞いてもぜんぜん心配しなかったわ。私たち二人は運命共同体だから、何も心配することはないの。行方をくらましてもいつか捜し当てるから」
「……しちゃった。ごめんね」
「謝ることないのよ。節子さんはキョウちゃんのことをほんとに愛してたのね。その愛を貫いていっしょに逃げればよかったのに」
 初めて聞く理屈だった。
「節子を連れて逃げ回りながら、カズちゃんのことばかり考えてた」
「でもキョウちゃんは節子さんを裏切らなかった。人間として、一本、筋を通したの。キョウちゃんが青森に流されたと知ったら、節子さん、この先長く後悔するにちがいないわ」
「いま、こうしてカズちゃんと話してると、この二日間何にも起こらなかったような気がする」
「起こったのよ。ふつうの人じゃ耐え切れないことがね。でもキョウちゃんは耐えたの。私がいたからということもあったでしょうけど、キョウちゃんの人間としての素質がそうさせたのね。すばらしいことだわ」
 舌を絡めたキスをした。
「カズちゃんに渡す一冊目の日記、いのちの記録、って名前をつけた。書きはじめたばかりだから、書き終えたら渡すね」
「うれしい。無理しないでね。日記って毎日書けないものよ。月記、ぐらいのつもりで書いてね。精神が自立すると、自然とつけなくなるものだし、いつやめてもいいの。そうなったら、詩とか、感想なんかを書いていけばいいわ」
「……カズちゃんは、知識といい、人間性といい、スーパーウーマンだね」
「キョウちゃんにそう言ってもらえるのは、とっても名誉なことだわ。スーパーマンのキョウちゃんと生きていく自信になる」
「ぼくがスーパーマン―」
「こんなときに、そこまで落ち着いてる十五歳なんていないわ。無意識に人間を深くあきらめてるのね。それなのに、その人間といっしょに行動して、どんな結果でも引き受けてあげる。……スーパーマンよ。私がもしスーパーウーマンなら、スーパーマンが幸福なときも、不幸なときも、いつも伴侶でいなくちゃ。スーパーウーマンか、うれしいな……」
 カズちゃんは地図帳のメモに気づき、
「あら、これ、詩ね。……なんて美しい! これ、ちょうだい。お守りにするわ」
 カズちゃんは裏表紙を丁寧に引き切り、折り畳んでスカートのポケットに入れた。




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