三章 青木小学校





         一

 そそり立つ崖の上に、棟つづきの長屋があった。すきまなく連なる板壁が、長い年月に蝕まれて黒灰色にくすんでいた。崖の下は見渡すかぎりの草むらだった。その草の中に切られた溝を、一筋の銀色のレールが貫いていた。トーヨコ線という呼び名を覚えた。草の色よりも明るい黄緑色の電車がひっきりなしに通った。
 三世帯つづきの長屋の一棟に、気難しい顔した爺さんと、何ごとにも無関心なふうの婆さんが住んでいた。父の姿はなかった。最初、私は母に言われたとおり、正座をして彼らに挨拶した。母は彼らが父の両親であることを教えたきり、何の説明もなくどこかへ出かけてしまった。障子しかない玄関から表を眺めると、だから言ったじゃないの、とか、星はなんでも知っている、と唄いながら、露地で女の子たちが石蹴りをしていた。
 黒っぽい着物姿の婆さんは、朝夕読経をするほかは、一日じゅう背中を丸めたまま縫い物にかまけていて、私に近づこうとしなかった。古い前掛けに包んで壁に吊るしてある火熨斗(ひのし)を、私は興味深く見つめた。ときどき婆さんはその柄のついたデリキみたいなものに炭火を入れ、畳の上で布きれを押し伸ばしていた。外出がちな爺さんは、まれに地下足袋姿で帰ってきて、
「かわいそうになあ」
 と、私の頭を撫でながら、一杯機嫌の安価な同情の言葉を吐いた。私は彼らが嫌いだった。
 あるとき、爺さんが大事にしている紫檀のテーブルに深い傷がついていたことがあって、その疑いが私にかかった。爺さんは煙管を振り上げて、私に自白を迫った。
「婆ちゃんがやったんだ!」
 からだを丸くして坐っていた婆さんが、意外な言葉に当てられたように、ビクッと背筋を伸ばした。目にむらむらと怒りの色が表れた。
「なにを言うか、この子は。裁ち板があるのに、わざわざそんなことをするはずがないだろ。造作なくウソついて。おまえが鉛筆でゴシゴシやったんじゃないか」
 爺さんが恐い眼で私を睨みつけた。
「ほんとうだよ。これでやったんだ」
 私は伸び上がって用箪笥の上の針箱から白いセルロイドの箆(へら)を取り出すと、爺さんに示した。
「こうやって、反物の上にギュッギュッて線を引いたんだ」
 テーブルの上にからだを乗り出し、これ見よがしにその身振りをしてみせた。
「まあ、皮肉れ者が。こんなウソつき、置いとけないよ」
「ウソついてるのは婆ちゃんじゃないか。シマッタって言って、指に唾をつけてこすってたもの。ウソ言うと、閻魔さまに舌を抜かれるんだぞ」
 彼らは私の素朴な怒りに辟易し、くさくさした表情で黙りこんだ。
「かあちゃんが帰ってきたら、ただじゃすまないからな」
 捨てぜりふを投げつけると、表へ走り出た。あてはなかったけれども、とにかく長屋から離れたかった。初めての道をずんずん歩いた。道は一本道で、下るいっぽうだった。夕暮れが近づいていた。豆腐売りのラッパの音が聞こえてくる。婆さんが夕飯を作りはじめる頃合だ。
 ―あんなやつの作ったご飯なんか食べるもんか。
 道沿いに防火用水槽があって、ゲンゴロウが浮いたり潜ったりしていた。掬い取ると、すなおに手の窪に収まった。私は憂鬱になり、崖の端に立ってレールのほうを眺めた。黄緑色の車体がちょうどカーブを描いて、反町駅につづくトンネルに向かってくるところだった。胸の中で立ち騒ぐものがあった。電車のスピードにタイミングを合わせると、草むら目がけて子供の頭ほど大きさの岩を蹴落としてやった。岩はごつごつと草をえぐりながら転がっていき、スライドして速度を上げ、最後に大きく弾んで、電車に襲いかかる寸前に草の中に吸われた。
「郷じゃないの?」
 振り返ると、母が立っていた。憔悴した顔をしていた。
「かあちゃん! どこいってたの」 
「仕事を捜しにね。……とうちゃんとの話し合いもあったし」
「とうちゃんと会ったの?」
「ちょっとだけね。ほかの女と暮らしてるんだよ」
「ふうん。ねえ、かあちゃん」
 私はさっそく彼女の袖を引き、自分に不当になすりつけられた罪と、老人たちの惨憺たる敗北を語って聞かせた。
「うまくいかないねえ……」
 母は、私を慰めるとも自分を慰めるともつかない曖昧な感想を洩らした。
「ぼく、嘘をつくと閻魔さまに舌抜かれぞって、婆ちゃんに言ってやったんだ」
「いやなところにいても仕方ないね。どこかへ移ろうか」
「うん!」
 翌日から母は、どこへも出かけなくなった。家の中で炊事をしたり、洗濯や掃除をしたりして立ち働いていた。婆さんは相変わらず仏壇のそばにうずくまったり、着物をほどいたり、座を立って糸屑を拾ったりしていた。爺さんは遅くまで出歩いて、一向家に寄りつかなかった。母がときどき婆さんと交わす会話を聞いていると、母の語り口や、婆さんの受け答えに、どこか角逐がある調子だった。しかし、総じて母のほうが弱気だった。
「こんなかわいい息子と二人きりで暮らせる幸せは、離婚でもしなければ手に入れられませんからね。私の周りの女の人たちの中にも、夫に去られた者はいたし、戦争で連れ合いを失った者はもっと多かったんですよ。女の人生はおしなべてつらいものだし、自分の人生がこんなものでもおかしくなかったんですよ」
「親子そろって、皮肉っぽいことだね」
「いえ、そんなつもりで言っているんじゃないんですよ。愛嬌があって頭のいい息子を残してくれただけで、じゅうぶんだって言いたいんです。もう大吉さんには、親子を身軽にしてくれること以外、何も望みません。こんなすばらしい子を授けてくれた男には、どこか見どころがあったのだと思って、これっきり怨むこともやめにしましょう」
 婆さんはそっぽを向いたままでいた。
 父の弟と称する頭の弱い男がときどきやってきて、女物の自転車の荷台に私を乗せ、疲れを知らない筋肉質のからだから酸っぱいにおいを撒き散らしながら、坂の多い町なかを走り回った。坂のいただきから勢いをつけ、ふもとの道路沿いに流れるどぶ川の手前まで一気に走り下り、そこでブレーキを鳴らして急カーブを切る。何度もそんなふうに似かよった道を上り下りした。そして自転車屋を見かけるたびに、片っ端からタイヤに空気を入れてまわった。
 あるとき、とうとう何軒目かの店先で空気を入れている最中に、タイヤをパンクさせてしまった。彼は空気入れを振り上げ、ものすごい形相で怒り狂った。私はあたりに集まってきた人混みをかき分け、長屋まで逃げ戻った。
 しばらくして母子は、反町トンネルを見下ろす崖の上の、破船のように傾いた一軒家に移った。そうしてそこにひと月ほどいた。爺さんも婆さんも、自転車男もだれも訪ねてこなかった。
「二人だけで生きていこうね」
 毎晩蒲団に入ると、母は暗い天井に向かって呟き、かならず私を抱きしめて泣いた。二人きりでいるほうがうれしいのに、どうして母は涙を流すのか、私は不思議でならなかった。
 ある夜、母が豆電球の明かりの下で片足を突き上げ、カサカサと紙の音を立てながら股間を拭っているのを夢うつつに目撃した。ふき取った紙に豆燭の色よりも濃い紅が染みていた。母は私の見つめる気配に気づいて険しい目で睨んだ。私は母の悲しみの秘密を覗いたような気がして、あわてて寝返りを打った。
         †
 梅雨に入ったころ、サイドさんから、岡三沢小学校で使っていたランドセルと、金ボタンのついた真新しい紺サージの学生服が送られてきた。ランドセルの中に、国際ホテルでアメリカ人の若者に撮ってもらった写真と、母宛の手紙が入っていた。写真の母は目を瞠るほど美しく、胸にビールの栓をつけた私は、小さな手を母の膝に載せ、ポカンと口を開けていた。その目鼻立ちは、母が長く誇ってきた美をいくぶん再現させていた。野辺地にいたころ、よくおまえはじっちゃに似ていると言われたが、いずれじっちゃのような骨張ったコツコツした容貌になるのだろうと思うと、子供心にいよいよ母の天性の美に感じ入った。
 母の仕事が見つかり、反町トンネルから十分ばかり登った丘の上の、鹿島建設という会社の飯場に移った。丘全体が高島台と呼ばれ、十戸ばかり寄り集まった品のいい民家の周囲には、まだ開発されない草地が広がっていた。その草地の一角に事務所を併合したバラックが建っていた。
 母は、その丘に団地を作る男たちのおさんどんをすることになった。彼女は髪をひっ詰めて働きはじめた。社員や人夫たちは、この種の仕事に不似合いに見える美貌の母を敬愛し、彼女の息子である私にこの上なくやさしく接した。なかでも西脇という所長は、よく私を執務室に呼び入れては、丸顔をほころばせながら板チョコやキャラメルをくれた。
「めずらしいな、こんなにかわいらしい子は。神無月さんも美人だけど、この子の美しさにはかなわん。神がかりだな。このあたりの子なんて、金持ちか貴族か知らんが、ぶちゃむくればっかりだ」
 彼はよく食事どきに、そんなふうに配下の男たちに言っていた。男たちも愛玩動物を見るようなやさしい眼で私を見た。
 丘の裾にある青木小学校へ転入した。眼鏡をかけた四宮という女先生が、私を転校生としてクラスに紹介した日、教室の隅にけいこちゃんに似た顔を見つけた。濡れた下歯が特別ななつかしさを私に与えた。彼女は淡いピンクの服を着て、青森では見かけない上品なたたずまいをしていた。肩までのおかっぱ髪が、横を向くたびに揺れ、大きな垂れ目がキラキラ光った。私の視線に出会うと、しばらく勝気そうにひたと見つめてから、静かにうなだれた。胸のハンカチに、福田雅子と書いてあった。
「じっとこっちを見てから、目をそらすんだ」
 母に言うと、
「都会の子は一味ちがうからね。特に青木小学校にかよってくる子は、いい家(うち)の子が多いんだよ。先生はどういう人?」
「女の先生。眼鏡をかけた、やさしそうな先生だよ。戸部本町というところに住んでて、むかしからお米屋さんをやってるんだって」
「戸部だと青木橋からは遠いねえ。お米を仕入れてあげたいけど」
「半ズボンに黒い靴下なんてヤだな。どうしても穿かなくちゃいけないの?」
「そりゃそうよ、決まりなんだから」
 国際ホテルと同じように、高島台でも独りぼっちの日がつづいた。周りに子供がいないわけではなかったけれど、私のそばにはいつも飯場の労務者や社員たちが浮標(ブイ)のように手厚くとり囲んでいた。


         二

 飯場のすぐ裏手から、土砂を搬(はこ)ぶベルトコンベアーが工事現場のほうへ昇っていき、築山の向こうへ姿を消す。私はベルトに腹ばいになり、飛行機になったつもりで両手を広げた。ベルトが築山のてっぺんに到着してクルリと裏返る寸前に跳び降りるのだ。 
 ある日、いつものようにベルトに乗って遊んでいると、生コン車の運転席から男が顔を突き出して叫んだ。
「こら、ぼうず、危ないぞ。降りろ!」
 声を聞きつけた西脇所長が事務所から飛び出し、ものすごい勢いで走ってきて私のからだを抱え上げた。そのまま私を肩に担いで食堂まで運んでいった。
「神無月さん、キョウがコンベヤに乗って遊んでたよ。ベルトに巻きこまれたらイチコロだ。目を離しちゃだめだ」
 母の謝罪をさえぎりながら、所長はやさしい口調で現場の危険を説いた。
「去年、ワイヤに片足を挟まれて引きずられた人夫がいてね、破傷風にやられて足を切断してしまった。結局、死んだよ」
 とにかく現場には近づかないように、と念を押して、所長室へ戻っていった。
 その夜、母は質流れの真空管ラジオを買ってきて、窓のない四畳半の箪笥の上に置いた。学校から帰ったら、外に出ないでこれを聴いていろという意味だった。
 それから何日間は、野辺地のじっちゃのラジオを思い出しながらダイアルのつまみを回した。もはや戦後ではない、とか、カリプソ、とか、太陽族とかいった、理解できない言葉を何度も聞いた。歌も流れてきた。若原一郎、大津美子、三橋美智也、曽根史郎、鈴木三重子。感覚に響かない歌手ばかりだった。二日で飽きた。
 私は部屋にこもっているのがとにかく不満で、学校から帰ると、相変わらず青空を呼吸するために表に出て、人目につかないようにコンベアーと並んで歩きながら、搬ばれていく黒い土をいじって遊んだ。
 横浜という街―下町に貧しい人びとが住み、それを見下ろす高台には金持ちが暮らしているという図式が、知識として自然に耳に入ってきた。この高島台にも、ブルジョアと呼ばれる少数の人びとが整然と区画をなして住み分けていて、鹿島建設の飯場はみすぼらしい異物としてまぎれこんでいる格好を曝していた。私は、飯場の男たちがたまたま人払いの役回りをしているからというのではなく、純粋な嫌悪感から、どこか気取ったふうに見える人たちに近づくのを避け、なるべく飯場の近くで遊ぶようにしていた。登校のときも住宅地を回避して、人気のない道を選んで歩いた。
 ベルトコンベアーに飽きると、毎日夕暮れに、青くはびこっている草を分けて工事現場の築山に登った。眺め下ろす青木橋の景観は、エトランゼの瞳にすがすがしかった。京浜急行の神奈川駅のホームが黄昏の中に明るく浮き上がり、左右の暗がりから光の中へ電車が進入してくる―それを見るたびに、私の胸は得体の知れない希望で満たされた。
 やがて、孤独な私にも何人かの友だちができた。ひろゆきちゃん、さぶちゃん、京子ちゃん。彼らはみんな、高島台の住人だった。受け口であごの長いひろゆきちゃんは、私のクラスの学級委員長で、おっとりとした態度にブルジョアらしさが現れていた。教室でときどき私と視線が合うと、珍しい動物をガラス越しに見ているような、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「寄ってきなよ」
 ある日、ひろゆきちゃんは下校の道で私を誘った。
「いかない」
 時分どきに人の家にいってはいけない、いやしいと思われるから、というのが母の戒めだった。
「くればいいじゃん」
 断っても強く誘うので、母の禁を破ってついていった。石造りの門から玄関まで遠く、裏手に回り縁(えん)のある大きな家だった。周囲を林が取り巻いていた。
 ひろゆきちゃんは物持ちだった。二十四インチの自転車、レールつきの電気機関車、シャープペンシル、ケンダマ、メンコ、ビー玉。何でも持っている。でも、どれにも触らせてくれない。私は広い勉強部屋の隅で、おとなしく新刊の漫画雑誌を読んだ。
「ごはん、食べていきなよ」
 漫画に夢中になって帰りそびれてい私に、ひろゆきちゃんが声をかけた。
「いい。飯場もすぐにごはんになるから」
「遊びにきた子は、みんなごはん食べてくよ。ママが友だちに会いたがるんだ」
「ふうん」
 どきどきしながら食卓につき、ひろゆきちゃんがママ、パパと呼ぶ人たちに挨拶をした。女中の年増が台所から背中を覗かせていた。彼女のめしの盛りつけはつましかった。やかましい弟が一人いたが、パパとひろゆきちゃんは静かだった。パパは細い顔に黒縁の眼鏡をかけ、ひろゆきちゃんとそっくりなしゃくれた三日月形の顔をしていた。
「お住まいはどこ?」
「鹿島建設の飯場です」
「あら、あの……」
 造り笑いのせいで、唇の端がへんに歪んだ。どんなものにも〈お〉をつける癖、化粧クリームでてらてら光っている顔、とりわけ、取ってつけたようにその顔に貼りついている微笑がイヤだった。そういう様子ぶった人種には、映画の中以外でこれまで一度も会ったことがなかった。世間にどんな習慣や流行があるか知らなくても、自分の暮らしをそれに合わせようとしなくても、野辺地のじっちゃやばっちゃのように、もともと心の中にあるものから自分なりの生活を紡ぎ出すことができるのに、彼女はでき合いのしきたりが作りあげた生活に満足しながらしゃべり、笑っていた。
「死んだおじいちゃんはワセダで、パパはトウダイなんだ」
 ひろゆきちゃんが鼻をふくらませる。ママは、私にそんなことを言ってもわからないという表情で、ひろゆきちゃんに含みのある視線を向けた。父親は眼鏡を押し上げた。
「一高の寮歌、ああ玉杯、知ってますか。五十年にGHQが学制改革をして、いまじゃとんと唄われなくなったが、むかしはよく唄ったなあ」
 意味がまったくわからなかった。私は小学校一年生だった。彼は自分の出自の古い家柄のことを言った。家の系譜は大切な話題のようだった。これも私にはまったく理解できなかった。
 それにしても、ひろゆきちゃんは日本人なのに、なぜ、とうちゃん、かあちゃんと呼ばずに、パパ、ママと呼ぶのだろう。私は、ひろゆきちゃんにそう呼ばせる男と女をしばらく観察していて、一つ一つの表情や身振りに、どことない冷やかさと、奇妙な頑迷さを感じ取った。じっちゃの言った事務派というのとも、なんとなくちがっていた。
「もう一膳、いかが?」
 母親が首をかしげた。食卓の隅にめしも食わずに控えていた年増が盛りつけに立とうとした。
「いりません」
 猫メシみたいに少ない一杯目は、箸を三、四回往復させるだけでなくなってしまった。二杯目だって同じだろうと思うと、すっかり食欲がなくなった。
「じゃ、帰ります。ごちそうさまでした」
「またいらっしゃいね」
 父親が頭を下げ、弟がバイバイと言った。とっぷり暮れた表に出ると、向かいの一郎ちゃんの家から、
「どうもどうも、高橋ケイゾウです」
 という声が聞こえた。一度も遊んだことのない子だったけれど、何かの拍子に(たぶんさぶちゃんに誘われて)彼の家の広い庭に探検に入りこんだとき、鶏頭の咲いている庭から、廊下のガラス戸にもたれて立っている彼を眺めたことを思い出した。彼の背後の茶の間で白黒テレビが瞬き、ヤンボーマーボー天気予報が流れていた。
 さぶちゃんが大好きだった。彼には、木立のあいだを透いてくる光のようなさわやかさがあった。少しも気取らずに、杉の木のようにまっすぐ立っていて、ざっくばらんな口の利き方をした。メンコを分けてくれ、やり方を教え、彼の家の庭で近所の子供たちが集まるメンコ大会があるたびに、仲間に誘ってくれた。私が腕を上げていくにつれ近所に敵がなくなると、ほうぼうの公園へ遠征試合にも連れていってくれた。校庭でだれかが私にちょっかいを出したりしたときは、きっとどこからか現れて、ゲンコを振り上げながら追い払ってくれた。そんなあと彼は、かならずはにかむように笑った。
「キョウちゃんは、男前なのに、少し言葉が訛ってるから、珍しいのさ」
 いつか竹薮に入って肥後の守を振り回しながら笹を薙いで遊んでいたとき、誤ってさぶちゃんの太ももに切りつけたことがあったけれど、彼は大きな目をクリクリ回して、
「へっちゃらだよ、こんなの」
 と言って、血の滲んでいる傷口に唾を塗りつけた。
 さぶちゃんには篤(アッ)ちゃんという二つ年上の兄さんがいて、弟とちがって意地が悪かった。上がれよ、と、さぶちゃんが私を誘うと、アッちゃんはかならず、
「だめ。そいつ、飯場の子だろ」
 と言って、玄関の式台に仁王立ちになった。さぶちゃんは残念そうに私の手を引いて裏庭へ回っていき、メンコやビーダマをして慰めてくれるのだった。私は自分を下賎な人間と思ったことがなかったので、さぶちゃんと別れた帰り道、なんだか悲しくて涙が出てきた。
 ひろゆきちゃんの家の広い庭は、古びた樹木がまばらに突っ立っていて、まるで雑木林のようだった。その外れの孟宗竹の茂みに、京子ちゃん一家が住んでいた。林の隅に貼りついた小さな平屋は、遠くから見ると番人小屋みたいに見えた。夕方になると、黄色い灯の滲んだ障子が浮かび上がっていた。
 四年生の京子ちゃんは、私よりも首ひとつ背が高かった。いつも汚れた桃色のズック靴を履き、おしっこで黄ばんだパンツを短いスカートから覗かせているような、どことなく品のない女の子だった。三日にあげず飯場のバラックに遊びにきて、探るように瞳を光らせながら、食堂のたたずまいや土工たちの様子を観察していた。そして安心したふうに侮った笑みを洩らした。母がおやつをすすめると、それには口をつけず、急な用事でも思い出したというふうにせわしなくお辞儀をして帰っていった。
 一度彼女に、ひろゆきちゃんの家の物置に誘われ、汚れたパンツの下のヌルヌルしたものを触らされたことがあった。見るともなしに見ると、京子ちゃんは目をつぶって、肩で刻むように細い息をしている。私はその物憂げに流れていく時間の意味を呑みこめないまま、しばらくそうしていた。
「内緒よ……」
 張りつめた声が汗ばんで聞こえ、顔を見せないように、ふさふさした髪をあちらに向けた。私の耳に、遠く、汽笛の音がよみがえってきた。足もとに散ったけいこちゃんの真っ白なおしっこと、草の愛撫―そして、雪の上の鮮やかな血の色や、紫立った不吉な林のたたずまいが吹きつのるように胸をひたした。あふれてくる悲しい思い出に逆らって、ささやかな幸福感が私を捉えた。けいこちゃんが長い髪の少女に成長して目の前に横たわり、あのとき私に触れさせなかったものに、いま、愛撫の許可を与えているように感じられた。
 しかし、その小さな幸福も、京子ちゃんの張りつめた声が、こうして、ね、というけいこちゃんの途切れがちの声に重なり、そして彼女の流した血が、崖の家でかさかさ鳴った母の秘密と重なり合わさったとき、とつぜん女という生きものの現実的な息づかいに吸われるように、肌を滑って消えていった。私はそっと手を引っこめた。そうして、京子ちゃんを残したまま、物置を出た。
 京子ちゃんの家族も、ひろゆきちゃんの一家も、夜に集まってお祈りをする宗教に入っていた。会合場所はひろゆきちゃんの家の十畳間だった。母も、ときどき誘われては、烏合して何やら祈っていた。私はひとり飯場の四畳半に残されるのがさびしくて、集いのあるときはいつもせがんで連れていってもらった。講話があり、祈りがあり、奇蹟の発表があり、また祈りがあった。
 ある夜、会の中でいちばん若い顔をした男が、高校生のころ自殺しようとして死ねなかった経験を語った。一人の老人が、
「若い人は、人生の困難に耐えて生きる喜びを知らないから、簡単に命を棄てようとするんですよ。いけませんね。命は仏さまに捧げなさい」
 と言った。どこにいっても、意味のわからないことばかりだった。母は神妙な顔をして聞いていた。
 柱時計が十一時を打っても、だれも腰を上げようとしない。眠たさのあまり横になろうとすると、隣の信者に肩を強く揺すられ、こんなつらい目に遭うならついてこなければよかったと後悔した。眠気で遠くなっていく耳に、
「苦労してらっしゃるのねえ」
 と、ひろゆきちゃんのママが母に言うのが聞こえた。口ぶりに実がこもりすぎていて、うさん臭い感じがした。


         三

 飯場から急坂を下っていった麓は、広い国道に面していて、港のほうからやってくる別の国道と落ち合うところに、青木橋という大きな陸橋が、何本もの線路を跨いで架かっている。その青木橋を間近に臨む坂の途中に、大きな寺があり、門柱に曹洞宗本覚寺と書いてあった。夏のスケッチ大会で境内に入ったとき、
「このお寺は、百年前の横浜開港当時は、入江の眺めがいいせいで、アメリカ領事館として使われました。ハリスという人が気に入ったんだそうです」
 と、眼鏡の奥の目をクリクリさせて四宮先生が言った。入り江などどこにも見えなかった。海岸線が長年のうちに、埋め立てか何かで遠ざかってしまったのかもしれない。
 小暗い木立に囲まれた本覚寺の境内は、私の秘密の通学路だった。急勾配の石段を登って山門をくぐり、境内を通って大小の墓石の密集する隘路を抜けると、青木小学校の裏門に出る。途中、境内の一画に、見上げるほどの金網の檻が設えてあり、いつも一匹の猿が網を揺すりながら歯を剥き出して通行人を威嚇していた。小石を拾って投げつけると、猿は金網から飛び離れて一目散に檻の隅へ逃げた。
 冬休みも近い陽気のいい午後、さぶちゃんの家の庭でメンコをしていたら、京子ちゃんが息を切らして駆けこんできた。
「お猿さんが、散歩してるよ!」
 草の中を歩いたのか、貫頭衣のような短いスカートから緑色に汚れた臑(すね)が突き出ている。物置の一件以来、私は彼女の誘いには乗らないようにしていた。
「猿が散歩するわけないじゃん」
 さぶちゃんがあしらった。
「お寺の小僧さんが、引っ張って歩いてんのよ」
 さぶちゃんはメンコの手を止め、へえ、という顔で京子ちゃんを見つめた。
「どこで?」
「お寺の裏山。見にいこうよ」
「あの猿、凶暴だよ」
 私が言うと、
「小僧さんがいっしょだから平気よ」
 京子ちゃんに導かれて坂道を下っていった。ときどき彼女は、意味ありげなやさしい目で私を振り返った。私は視線を逸らした。
「ここよ」
 坂の途中の草崖に、赤土の道が切られていて、京子ちゃんはためらわずそれを這い登った。私たちもつづいた。目の前にいつもの黄色く汚れたパンツが見えた。登りきると一面の草の原だった。遠くに涼しげな白い僧衣を着た坊主頭が見える。少し反り返るようにして、キラキラ光る鎖を引いている。ときどき小さな影がピョンピョン草の中から跳び上がった。
「おーい、お猿さーん!」
 京子ちゃんが呼んだ。小坊主の歯が光ったようだった。猿は彼を牽いてぐんぐん近づいてきた。京子ちゃんはあたりの草を束ねて待ち構えた。さぶちゃんと私も同じようにした。小僧は目の前まできて、立ち止まると、
「猿は、こわいぞ」
 分別くさい、脅すような調子で言った。猿は私たちをキョロキョロ観察している。
「へっちゃらよ。こら、サル、サル」
 京子ちゃんは草の束を打ち振った。私たちも倣った。猿がカッと目を見開き、牙を剥いた。小僧は動かない。遠目に誠実そうに見えていた笑顔が、へんに緊張した薄笑いに変わっている。少しためらうような時間が流れ、小僧は結んでいたこぶしを素早く開いた。手のひらの表面をスルスル滑る鎖が、私の眼の底にはっきりと焼きついた。草の上を目にも留まらない速さで茶色い影が飛んできて、私の顔にドンとぶつかって駆け抜けた。
 私は大の字にひっくり返り、雲と空を見つめたまま、ぼんやりしていた。草の絨毯が快く背中を冷やしている。たちまち深い空から気持ちの悪い水色が顔を圧(お)してきて、吐き気がした。
「キャー、血!」
 京子ちゃんが金切り声をあげた。首だけ起こして胸もとを見ると、シャツが鮮やかな血に染まっている。胸もとがビショビショ冷たい。小坊主が猿を鎖で牽っぱって一目散に逃げていく。ばさりと重たいものが胸の上に落ちてきた。さぶちゃんだった。
「たいへんだ、キョウちゃん、早くお医者にいかなくちゃ!」
 さぶちゃんは私を抱き起こすと、背中におぶった。彼のうなじがみるみる血で染まっていく。
「骨が見えてるゥ!」
 京子ちゃんが私の鼻のあたりを指差して叫んだ。私はたまらない恐怖に襲われ、大声で泣きだした。さぶちゃんは私をしっかり背負いなおすと、草の崖を横ざまに滑り下り、長い坂道を飯場まで駆け登った。事務所に駆けこみ、
「たいへんです、キョウちゃんがたいへんです!」
 西脇所長が執務室から顔を出した。
「なんだなんだ、どうした!」
 労務者や社員たちも集まってくる。首と頬を真っ赤に染めた少年が、同じように血まみれの少年を背負っている。
「キョウちゃんが、猿にやられました!」
 怪我をしたのが私だけであることがようやく全員に知れた。
「救急車、救急車!」
「どこの猿だ!」
「お坊さんがァ、お坊さんがァ」
 私は大声で泣きじゃくった。
「お坊さんがどうした!」
「わざと鎖を放したァ」
 だれかの太い腕が、さぶちゃんの背中から私を抱き下ろして胸に抱えた。私はむしゃぶりついた。赤い首のさぶちゃんが、悲しげな顔で立っているのが見える。彼のシャツも半ズボンも血に染まっていた。遅れてやってきた京子ちゃんが玄関から覗きこみ、みんなの視線を避けるようにさっと首を引っこめた。
「おーい、神無月さあん!」
 所長が呼んだ。
「いま買出しにいってます!」
 女の事務員が答える。硬くざらついた手のひらが私の首を支えた。みるみるあたりが暗くなっていき、気が遠くなった。
         †
 傷は二針ですんだが、運悪く傷口から破傷風菌が入り、生死の境をさまようことになった。そのいきさつを私は後日談でしか知らない。運ばれた病院の名前も知らなければ、病院のベッドに何日寝かされていたのかも知らない。意識が戻ったときには、飯場の四畳半の蒲団で寝ていた。西脇所長の話では、血清は間に合って打たれたけれども、二度も危篤状態に陥ったということだった。
「顔が風船のように腫れ上がって、髪がコンブみたいに貼りついて、お岩さんみたいだったぞ。どう見ても、化けものだったな」
 四日間、よく心臓がもった、と涙ぐむ。治療にあたった医師が、かぶりを振りながら、
「手や足なら切り落とすこともできますが、首はどうも―」
 と言ったと、彼はまじめな顔で話した。土工たちがニヤニヤしながら聞いているところを見ると、それは、夜の目も見ずに息子の看病をした母を称えようとする質のいいホラ話だっただろう。
「かあちゃんも、ほとんど寝てないんだぞ」
 とつけ加えた。いずれにせよ私は、何日ものあいだ意識を失ったまま、生よりも死に近いところをさまよい、とにもかくにもそこから生還したということなのだった。
 母は、私が危篤のとき、父に一度ならず電報を打ったと言った。しかし父も、ときおり母の給料日に姿を現していた爺さん婆さんもやってこなかった。
「突拍子もないすれっからしだ。給料を嫁から掠め取るときだけは、こそこそやってきやがって。親が親なら、子も子だ。どんな渡世をしてるか知らんが、せがれの命の心配もできないのか」
 そう所長が嘆いたということは、母から聞いた。私が一命を失いかけたということから始めて、そういったもろもろのことは聞き書きなので、実際のところはわからない。
 飯場の蒲団に移されてから数日たって、あの小坊主みずから、榮太樓飴二缶、黒砂糖味とニッキ味の詰め合わせを持って、飯場の部屋に見舞いにきた。彼は私の寝ている蒲団の足もとに正座し、
「申し訳ありませんでした」
 と消え入るような声で言った。彼はときどき、ガーゼで覆われた私の半顔へ不安そうな目を走らせた。私は蒲団の綴じ糸をいじくりながら、天井を見ていた。母は炊事場から一向に出てこようとしなかった。
「寺の責任者はこないのか。そんな危険な猿は、すぐに始末してしまえ。いつまでもトボケてると、こちらにも考えがあるぞ」
 所長が脅しつけるように言った。
「ご住持さまには、きちんと報告いたしました。ほんとにこのたびは、申し訳ないことをして……」
「わざと手を放したという件は、どうなんだ」
 ほかの社員たちにもこづかれながら、
「いえ、決してそんなことは。……手が滑ったんです」
 それきり小僧はうなだれたまま、沈黙を通した。
 その翌日、大きな果物籠を抱えた年寄りの坊さんがやってきて、母に深々と頭を下げた。西脇所長を交えた話し合いが食堂で静かに行われ、寺側が治療費をぜんぶ母に返済するということになった。それに加え、見舞金としてかなりの額を所長がむしり取ったことも、しばらく飯場の話題になった。
 蒲団から起き上がれるようになると、所長は私を事務所の玄関にしゃがませ、快気祝いの写真を撮った。ぶかぶかの木綿のパンツにランニング、素足に大人用の下駄を履き、にっこり笑いを浮かべてカメラに収まった。大きなガーゼが顔の半分を覆っていた。
「きれいな顔に傷がついちまったな」
 所長は口惜しそうに母に言った。
「傷の一つや二つ、男の子の勲章ですよ」
 母が笑いながら応えた。
「キョウは別格だよ。このからだのどこにも、傷一つあっちゃいけない。まあ、二針程度なら、いずれ目立たなくなるだろうが」
 抜糸の日、手にケンダマを握りながら、母といっしょに坂道を下っていった。鼻の脇から名残の糸が垂れ、風にそよぐたびに傷口が引っ張られて気持ちよかった。青木橋のほうから、さぶちゃんとひろゆきちゃんが登ってきた。
「キョウちゃん、平気だったかい?」
 さぶちゃんに笑顔でうなずく。ひろゆきちゃんがめずらしそうに、揺れる糸を見つめている。
「あのときは、ほんとうにありがとうございました。いずれ、きちんとお礼にお伺いしますので」
 母がさぶちゃんに深々と頭を下げた。
「いいんです。ぼくたちが悪かったんだから」
 さぶちゃんは寄ってきて傷口を覗きこみ、
「この糸、抜くの?」
 糸の先を指でおそるおそる触った。
「うん」
「痛いぜ」
 まじめな顔で脅す。
「抜かれるとき、ケンダマしてるんだ」
 さぶちゃんは感心したふうに微笑んだ。そうしてひろゆきちゃんと二人、アバ、と手を振りながら、坂道を登っていった。
 その後、金網の檻に猿の姿を見かけなくなった。灰色の光が、檻の中の空っぽの地面を照らしていた。なぜだか、猿も小僧も、とても気の毒な気がした。


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