七 

 二年生になってすぐ、父と母との離婚沙汰に正式に決着がついて、母の苗字が佐藤に変わった。私の苗字はもとのままだった。母が私といっしょに横浜に出てきたのは、私たちを置き捨てていった夫と、横浜という土地で離婚の手続きを進めるためだった。彼との生活をやり直すためではなかった。そうわかって、私はなんだか満たされない気持ちがした。
 ―なぜ〈正式〉に別れようとするのだろう。そんなにいやなら、近くに寄らないで無視すればいいのに。
 私には、合船場を除いた母以外の肉親はわずらわしいだけのもので、どんなに正式でなくても、わずらわしいものからは遠ざかっていることが肝心だと思った。しかし、人びとはそう単純に割り切らないらしいということも感じていた。正式な手続を踏まなければ母は佐藤を名乗れないのだろうし、天下晴れて息子と生活を再開するのに不都合があるのだろう。正式とはどういう仕組みのものか知らないが、じつにこまごまと面倒なもので、人の自由を拘束する恐ろしいもののように思われた。幼い私は決意した。これから先の人生、私は決して正式には生きない。いや、もっと深い底から囁きが聞こえた。
 ―ぼくには、正式に生きる能力がない。
「とうちゃんが横浜にいるって、どうしてわかったの」
「とうちゃんの妹が熊本にいるんだけど、サイドさんがそこに手紙を書いたんだって。あの爺さん婆さんの長屋の住所がわかって、それで古間木から訪ねていったわけさ。爺さんにとうちゃんのいどころを教えてもらって、会いにいったんだよ。そのうち話しにいくって、門前払い食らってね。あのトンネルの上の家でしばらく待ってたけど、とうとうこなかった」
 父も〈正式〉が不得手の人間らしい。彼も正式に生きまいと決意しているのだ。いや、正式に生きる能力がないのだ。
「どうしてあのお爺さんたち、熊本じゃなくて横浜にいたの」
「さあ、心細いから、とうちゃんを頼って出てきたんじゃないの。とうちゃんは長男だからね」
「どうして、ぼくの苗字は神無月のままなの」
「どうしてどうしてって、うるさいね。苗字を変えることは、親でも強制できないって裁判所の人が言ったんだよ。本人の自由意志なんだってさ」
「ふうん……」
 私は母に残念そうな顔を向けながらも、なぜだか安心していた。私は神無月という苗字を気に入っていた。
 梅雨の明けるころ、母はなぜか天國を辞め、浅間下の十字路の向こう側にある鉄工場へかようようになった。そして、夕方を過ぎて七時か八時ごろに帰ってきた。からだじゅうに松脂(やに)のにおいがぷんぷんした。
「かあちゃん、それ何のにおい?」
「テレビン油のにおいだよ」
「テレビン油って?」
「ボルトやナットを洗う油」
 そう言うとすぐに、炊事場で神経質そうに手と顔の汚れを洗い落とした。
 母が帰ってくる前に夕飯を炊くのは私の日課だった。一合炊きの小さな鉄釜に米を入れて、ギュッギュッと押し洗いする。三回、四回、濁った水を流す。ガスコンロに火を点けて、泡が吹いたら一センチほど蓋を開け、しばらくたってから火を止めてふかす。おかずはサーちゃんの店から、コロッケやポテトサラダやアジフライを買ってきた。それをきっちり半分に分け合って食べた。たまに母が食材を買って帰り、モヤシやキャベツの油炒めをしたり、魚を焼いたり、カレーライスを作ったりすることもあった。
 ある夜、夕食のあと、煙草を吸いながら母が言った。
「おまえの苗字は神無月のままにしてあるけど、かあちゃんは強制できないから、おまえの好きにすればいいんだよ」
 先日と同じことを言う。
「好きにするって?」
「かあちゃんのほうに変えたければ変えてもいいし、いまのままでいたければ、それでもいいし―」
 母は煙草をくゆらせながら、遠くを見つめながら言った。私はなんとなく気づまりになった。
「佐藤郷より、神無月郷のほうがなんだか感じがいいから、このままでいいや。どっちでもいいんでしょ」
 母の視線がますます遠くなった。私は不安になり、彼女の息づかいに耳をすました。
「感じがいい―か」 
「神無月って苗字が好きなんだ。……めったにないし」
「そうかい。とうちゃんの苗字は感じがいいかい」
 母はわざとらしいため息をついた。
「……とうちゃんは悪い人なの?」
「さあ、いい人か悪い人か、そんなことはいずれ、おまえが自分で判断すればいいんだよ」
 母はイライラと煙を吐き出した。私は気詰まりになって、彼女の表情を恐るおそる覗ったけれども、そんな気持ちは一瞬だけのことで、すぐ忘れてしまった。
         † 
 夕食のおかず代二十円のほかに、お小遣いとしてかならず十五円が卓袱台の上に置いてあった。学校から帰ると、毎日その十五円をポケットに、浅間神社裏にある貸本屋へ出かけていった。借りる本といえば『影』や『街』や『魔像』といった、一冊五円の日の丸文庫だった。文庫と言っても、分厚い単行本だ。月刊誌の付録本は一円か、せいぜい三円だったが、読み切りでないのでめったに借りなかった。並んでいる本全体から見ると、五円は安い部類だった。
 番台のお婆さんがまめまめしく表紙にセロハン貼りをしているあいだ、本棚の隅から隅まで見て回り、これと決めた本を二冊か三冊、番台の上に差し出した。
「あしたの夜までだよ。だいじょうぶ? こんなに」
 眼鏡を指で押し上げながら、かならず念を押す。お婆さんはどこかしっとり落ち着いていて、ふつうの年寄りみたいな気難しい感じがしなかった。
「平気だよ。学校のいき帰りにも読めるし」
「歩きながら読んじゃ危ないよ」
 合わせるように舌たるい調子で言う。
「このお店の本はぜんぶ読んじゃうんだ。それまで、お婆ちゃん死なないでね」
 お婆さんはうれしそうに笑い、
「死ぬもんかね。こう見えてもまだ六十を越えたばかりだよ。ボクはほんとにいい子だね。うんと本を読んで偉い人におなり」
 ガラス戸を引いて帰るとき、お婆さんはいつも奥の番台からにっこり笑いかけながらお辞儀をした。私も笑いながらお辞儀を返した。
 ひと月もすると、お婆さんはこんなふうに言いだした。
「毎日じゃ、お小遣いがたいへんだろう。そうだね、ボクは常連の中でもいちばんのお得意さまだから、今度から、どんな高い本でも、何冊借りても、五円でいいことにしてあげよう」
 そう言われても、私はこれ以上欲ばる気はなかった。一コマ一コマ細かく吟味しながら読んでいかないと納得しないタチなので(人間の顔はもちろん、屋根の瓦や敷石や木の葉の一枚まで)、まる一日のノルマはせいぜい三冊までにかぎられていた。ただ、五円で無制限という条件は心に留めておくことにした。一冊しか借りられなかったお金で何冊も、しかもこれまで手が出なかった月刊誌さえも借りられるのだ。
 ―読み切れなかったら、期日までに読んだ分だけ返して、残りは借り直せばいい。
 でも、一度もそんなことは実行しなかった。
 部屋に戻ると、漫画本をベッドの枕もとにきちんと積んでから、日課のご飯を炊き、サカリ屋へ惣菜を買いに出かける。魚屋とか八百屋にいっても、二十円の使い方の内訳がわからないので、いつもサーちゃんの店にしかいかなかった。とくに魚屋にはぜったい近づかなかった。鱗をまとった魚たちが、いつも口をパクパクさせながらきらめき、まだかすかに鼓動を伝える鰓が赤い血の三角形を覗かせているからだった。
 買い物から帰ってきて、散らかし屋の母を驚かせるために、力をこめて板の間に雑巾をかけ、ベッドを作り、卓袱台に皿や茶碗を並べ、彼女を迎える段取りをする。母は帰ってくると、私の努力の成果になど見向きもせず、
「ご飯より、寝たい」
 と言ってベッドに横たわる。でも、私が皿におかずを盛り、茶碗に一膳ついでやると、ベッドから起きだし、いつものいただきますになるのだった。
「もう特需でうるさかった時代じゃないのに、残業ばっかりさせられるのよ。給料だってようやく八千円。鹿島の飯場のほうがもっとくれたねえ。これじゃ、いつまでたってもお金が貯まりゃしない」
 母は金の貯まらないいまの生活が不満のようだった。
「かあちゃんお金がほしいの? ぜんぜん貧乏じゃないのに」
「おまえは極楽とんぼだね。この部屋で暮らすのも、着たり食べたりするのも、学校にかようのも、みんなタダじゃないんだよ」
 ご飯が終わると、母はどっこいしょと言って、洗いものをしに共同炊事場へ去る。私だけの時間がやってくる。二十ワットの電燈を吊るしたベッドに横たわり、枕もとに積んだ本全体の厚さを楽しむ。読む順番を決め、わくわくしながらページをめくっていく。一時間くらいは眠くならない。でもそこまでが限界で、読みさした本を手にうとうとしていると、鏡台に向かって丹念に顔や手をクリームで手入れし終えた母が、ようやくベッドにもぐりこんでくる。残りは通学途中に読もうと決める。
 隣部屋の夫婦が声を落として話し合っている。あの部屋にはまだ学校にいかない二人の兄妹がいて、いつもわがままそうに泣いたり叫んだりしている。背の低いおばさんはどことなく下品で、大きな声でくしゃみをするし、
「デーオ、ミゼデーオ、……コンミスタ、タリマン、タリミバナーナ」
 というへんな呪文みたいな歌を唄うし、このあいだも炊事場で、
「ごきぶりが飛んできて腕にとまってさあ。オシッコちびっちゃった」
 と、もの静かな母に大声で話しかけながら、下品に笑っていた。おじさんのほうはといえば、いるのかいないのかわからないくらいおとなしくて、毎朝弁当箱を手に背中を丸めて出かけていく。

「あしたは、お風呂にいかなくちゃね」
「うん」
 銭湯にいくのは一週間に一回だ。母のまねをして、腕や首の垢をボロボロとこすって落とす。面倒くさくて、カラスの行水で出ることもある。ピンクや黄色のフルーツ牛乳を買ってもらえるのは、二、三カ月にいっぺんくらいだった。
 私は枕もとの本をきちんと積み直し、野辺地のじっちゃとちがって邪険に拒まない母の暖かい脚に、両足を挟みこんで眠った。
 工場にも母を迎えにいった。浅間下の信号を渡り、工場街の細い道をくねくね曲がりながら十分ほど歩く。道の途中のドブに、五十センチ幅ほどの厚い板が渡してある。板をしならせ、張りのある反動を楽しみながら渡る。私はいつも途中で足を止めて、白く濁った水に見入った。金属と油のにおいのする流れがゆるゆると渦を巻き、ミルク色の泡に湯気が立っている。両岸の赤土に、季節と関係なく緑の草がまばらに生えていた。板を渡って五分もいくと、母の工場の門に出る。門はいつも開け放してあった。
 母は奥の大きな作業場から少し離れた空地で、四、五人の手拭をかぶった女たちに入り混じって働いていた。モンペのような紺色のズボンを穿き、しゃがんだ格好で、地面に積み上げたボルトの山から一つ一つ拾い上げて選別し、鉄籠にまとめて黒い液体に漬け洗いしていた。女たちの背後に作業場が薄暗く見えた。斜めにたすき掛けしたベルトが轟きながら廻転し、その下で男たちが鉄材を運んだり、火花を散らして研磨したり、ときどき何か叫んだりしていた。
 バラック仕立ての事務所が門のそばにあった。その入口のブロックに腰を下ろし、女たちを視つめながら仕事が退けるのを待つ。あまり退屈だと、工場の周囲を歩き回ることもした。何もめぼしいものはなかった。ただ広い道の両側に似たような工場が立ち並んでいるだけだった。
 やがて一日の仕事の終わりを告げる甲高いサイレンが鳴り、一人、二人と男たちが手や顔の油を落としに水道のところへやってくる。女たちも笑いながら腰を上げ、いっしょに水を使う。
「やっぱりあんたもおんなじ男、あたしはあたしで生きてゆく」
 という鼻歌が聞こえてきた。男たちもそれに合わせて、
「捨てちゃえ、捨てちゃえ、どうせ拾った恋だもの」
 とやっている。母の白い顔だけが、工場のくすんだ背景に溶けこまなかった。私は、いまのこの瞬間は、じつはとっくに過ぎ去ったむかしのことで、母を待ちながら半ズボン姿で腰を下ろしている自分が、記憶の中の残像のように感じた。その感覚は心地よいなつかしさをともなっていて、いつまでもつづいてほしいと思ったけれど、そう願ったとたんに消え失せてしまった。するとあたりの景色が見覚えのない新しいばらばらのものになって、人の姿も、歌声や足音も、工場の建物も、機械も、みんなよそよそしく、冷ややかに遠くへ去っていった。

「おなかへったろ」
「ぜんぜん」
 私は決まってそう答えた。
「かあちゃんもへってないよ。ご飯より、早く横になりたい……」
 いつもの決まり文句が出る。それでも、自分が迎えにいく日は、母が手まめに夕食の支度をしてくれることがわかっていた。息子に常套の愚痴を言ってみせるのは、きっといまの仕事が、これまでと比べものにならないくらいつらいからだろう、私はいつもそう感じたけれど、労わるような言葉を思いつかなかった。
 母はときどき何かの拍子に、
「冷たい子だね」
 と言った。私は彼女のことを人生の川を渡してくれるためになくてはならない人だと思っていたし、古間木以来心から慕ってもいたけれど、いざやさしい言葉をかけようとすると、なぜか自分に似合わない過剰な取り入り方をするような気がして、何も言えなくなってしまうのだった。


         八 

 きょうも母は、浅間下の交差点の煎餅屋で安売りのこわれせんべいを買った。彼女はそれを〈耳〉と呼んでいた。母は息子がそのかけらをベッドの枕もとで湿気らせて(私は乾き菓子を湿気らせて食べるのが大好きだった)、夜ごと口に含みながら本を読むのを楽しみにしていることを知っていた。
「世の中、五千円札だ、百円玉だ、なんて言ってるとき、こんなおやつしか買えないんだからね」
「ぼく、せんべいの耳、大好きだよ」
 私はべつに母を慰めるつもりもなく応えた。ほんとうにうまいと感じていたからだった。
「そうだ、木琴、買わなくちゃいけなかったね」
 学校で買うように言われていたのを、二週間ほど先延ばしにしていたのだった。母は浅間下の商店街の小さな文房具屋に入った。二オクターブ半の、かなり大き目のものを買った。緑のビニールケースもつけてもらった。ぜんぶで七百円もした。
「二、三カ月ぐらいしか使わないのに、学校というのは物入りなところだね」
 ハーモニカのときも、そろばんのときも、母は笑いながら同じことを言った。
 母一人、子一人、と言うのが彼女の口癖だった。私はその言葉が嫌いだった。何不自由なく生活し合う者が一対、ほかに何が必要なのだろう? そんなことを言うのには、きっとわけがあるにちがいない。私はおそるおそる、心当たりを探ってみた。一つの名詞がまるでこれまでの幸福を偽りのものにするように浮かび上がってきた。心の中で、だれにも呼びかけたことのないその言葉を呪文みたいに唱えてみた。そうすれば、母の言葉から不快なにおいが消えていくように思ったからだ。
 ―とうちゃん、とうちゃん、とうちゃん。
 十回、二十回と唱えているうちに、それはだんだん空ろな、気まぐれな言葉になっていった。そして、他愛のないひとつの名詞にすぎなくなった。
         †
 一度だけ、ジロちゃんのくれた自転車に乗って母の工場へいったことがあった。ミルク色のドブを、厚板を揺らしながら自転車で渡るのはスリルがあった。屋根の高い工場街を走り抜け、大きな門の前に自転車を停める。ちょうど母が、作業倉庫からボルトを入れた新しい籠を抱えて出てきた。サイレンが鳴っても、広場のだれも立ち上がろうとしない。しゃがんでいる母に近寄っていった。
「ジロちゃんの自転車できたよ」
「きょうは残業なのよ。先に帰ってなさい」
「はい。……ねえ、かあちゃん」
 私はめずらしくおねだりする気になった。
「本を買ってもいい?」
 母は立ち上がり、気前よさそうな微笑を浮かべた。
「ちゃっかりして。きょうが給料日だって知ってたんだね。いくらいるの?」
 給料日だとは知らなかった。知っていたふりをした。
「八十円」
 たまには貸し本でない新刊雑誌の本編や付録本を読んでみたかった。きら星のような雑誌の中から、どれを選ぼうか。少年はいやだな。鉄腕アトムや鉄人28号や矢車剣之助は絵がうるさくてがまんできない。これほど自分の胸を躍らせないものが大人気なのが癇に障って、一ページすら読んだことがない。ぼくらのよたろうくん、まんが王のワンパクター坊、少年クラブの月光仮面、とりわけその三つが大好きだった。ター坊の似顔絵はそっくりに描くことができたし、月光仮面のそれも上手に描けた。がっかりすることに、この三つの中のどれかが好きだという話は、青木小学校の仲間の口から出たことはなかった。
  
「手が油まみれだから、封筒開けられないのよ」
 作業エプロンの腰を突き出して、給料袋をつまみ出すように言う。私は茶色い封筒を引き抜き、二つ折りにして、しっかりズボンのポケットにしまった。
「お米とおかずも買わなくちゃいけないしね。落としたらたいへんだよ」
「うん―」
「四宮先生の店でお米を五キロ買って、肉屋で牛コマ百グラムも買ってね。ねぎと豆腐は、かあちゃん買ってくから。久しぶりにすき焼きしよう」
 母は残業の帰りにあちこち立ち寄って買い物をするのが面倒くさかったのだろう。一瞬の油断だった。私が落とすかもしれないという危惧はチラとよぎったにちがいない。しかし、まさかという気持ちのほうが強かったのだ。
「八千円も入ってるんだよ。ほんとに気をつけてね」
「うん、だいじょうぶ」
 母は忙しそうにうなずくと、またボルトの山にしゃがみこんだ。私はポケットの封筒をしっかり握りしめながら工場の門を出た。自転車でミルク色のドブを渡る。自然と朝丘雪路の歌が口をついて出てきた。
「シャッポー、シャッポー、恋の十字路さ、シャッポー、シャッポー、恋の十字路さ」
 ラジオで聴いたフレーズはそれしか憶えていないので、繰り返して何回も唄った。そのうち飽きて、よく知っている宮城まり子の歌に切りかえた。

  赤い夕日が ガードを染めて
  ビルの向こうに 沈んだら
  街にゃネオンの 花が咲く
  おいら貧しい 靴みがき
  あーあ 夜になっても帰れない

 線路を渡り、四宮先生の米屋へいく。いつものお爺さんに五キロ百円を七十円にまけてもらって、茶封筒から百円札を出した。中に千円札が何枚も見えた。お米の袋を荷台にくくりつけ、自転車を飛ばして浅間下の商店街へ戻る。
 本屋の店先で、どの雑誌を買うか迷った。ぼくら、おもしろブック、まんが王。どれもヒモを掛けた表紙がピカピカ輝き、付録がぎっしり詰まっている。読み応えがありそうだった。結局ぼくらに決め、紙袋に入れてもらった。封筒から百円出して、二十円のおつりをもらった。紙袋を大切に小脇に抱え、自転車を本屋の前に立てて置いたまま、店並びの外れの肉屋へ走っていった。ウィンドウで牛コマの値段を確かめ、半ズボンのポケットに手を入れた。手応えがなかった。学生服の上着のポケットを探った。ない! 胸が早鐘に拍ちはじめた。
 ―百円札を出してから、封筒をどうしたんだっけ? 
 おつりをもらって、それを封筒に入れ(米を買ったおつりとぶつかり合って、チャリンと音がした)すぐズボンのポケットに戻したはずだ。どうしたんだろう、その封筒がない。
 私は、ズボンや上着のポケットを探りながら、あわてて本屋へ駆け戻った。出店の前で二つ折りにしてポケットに戻すときに落としたのにちがいない。まだ二分と経っていない。期待して出店の足もとを眺めた眼に、それらしきものは飛びこんでこなかった。店棚に並んでいる色とりどりの雑誌の上もまんべんなく見ていった。見当たらない。私は地べたに目を凝らし、広い範囲をゆっくり見回した。ない。屈んで出店の下の隙間を覗きこむ。ない。とうとう腹這いになって、道の上を遠くまでくまなく見た。
「どうしたの?」
 その格好を見とがめて、さっきの店主が出てきた。私はバネに弾かれたように立ち上がった。
「お金を落としたんです! 給料袋!」
 顔が歪み、涙がこぼれそうになる。
「給料袋?」
「はい、かあちゃんの給料が入った茶色い封筒です。いまここで、封筒から百円札を出して本を買ったでしょう」
「そうだったね。たしかにそうだ。どれ、そのへんに落ちてないかな……」
 店主も腰をかがめて出店の下や店内の通路を見て廻る。私はもう一度地面に這いつくばり、肉屋のほうへ平たい視線を投げた。
「ないねえ、だれかがすぐ拾っちゃったんだねえ。……いくら入ってたの?」
「八千円―」
「ええ! そりゃ、大ごとだぞ!」
 店主はあわてて、出店の雑誌を一冊一冊めくり上げたり、店の奥まで床を睨(ね)め回しながら往復したりした。
「ないなあ―」
 彼は腕組みをして私の前に立ち、痛ましい目つきをした。
「気の毒しちゃったなあ。……また、なんで給料袋なんか持ち歩いてたの」
「買い物するように預かったんです」
 頬がぶるぶる震えてゆがんできた。もう一度、ポケットをぜんぶ捜してみた。やっぱりなかった。
「ぼく、帰ります」
 私は店主にお辞儀をすると、紙袋を片手に自転車に跨り、気もそぞろに家路についた。
「見つけたら取っといてあげるからね!」
 店主が私の背中に大声で言った。ぼろぼろ涙が噴き出してきた。
 母は九時を回って帰ってきた。絶望に打ちのめされて暗い板の間に横たわっていた私は、炊事場の明かりに照らされ、びっくりして飛び起きた。
「どうしたの? 電気も点けないで」
「うん……」
「ほんとに、人使いが荒いんだから。もう、ぐったりだよ。……ご飯炊かなかったの?」
「……ごめんなさい」
「かあちゃんは寝たいだけだから、いいんだけど。じゃ、きょうはご飯なしだよ。いまから顔の油落とさなくちゃいけないから。牛コマ、高かったろう。かあちゃん疲れちゃったよ。すき焼き、あしたにしよう」
「かあちゃん……」
「なんだい」
「お金……」
「そうだ、家賃払わなくちゃ。遅いけど、いまからいってこよう」
「お金……ないんだ」
「ないって?」
「……落としちゃった」
 母は一瞬息を呑んでから、
「落としたって、どこで!」
「本屋さんでだと思う。きっと、百円札出しておつりもらったとき。肉屋さんにいったらもうポケットに入ってなかったから。すぐ走って戻って、本の上とか、地べたとか、何度も探したんだけど、なかった。本屋さんが、落としたときに拾って持ってかれちゃったんだろうって言ってた」
 母は卓袱台の前にのろのろ腰を下ろし、深いため息をついた。
「おまえという子は……」
「ごめんなさい。ずっと封筒握ってのに、信じられない」
 母は暗い顔で卓袱台をさすっていた。
「本を買ったあとは握ってなかったんだろ?」
「うん」
「……とにかく、なんとかしなくちゃいけないね」
 母は無理に表情を明るくして、着替えもせずに庭へ出ていった。生垣越しに隣の家に呼びかける。
「福原さーん、福原さーん、いらっしゃいます?」
「ハーイ」
 返事があって、眉毛の濃いギョロ目のおばさんが窓から顔を出した。その家は坂本さんの長男が大学受験に使っていた勉強小屋を、三部屋に改築した立派な一戸建ちだった。何か月か前、福原さん一家が鹿児島から引っ越してきて入った。いずれ買い取るという約束で借りたらしいよ、と母が言っていた。彼女は彼らが入居した当初からせっせと手伝いに出かけ、けっこう親しい付き合いをするようになっていた。私もときどき、鼻の丸いご主人に呼ばれて、チロリン村とくるみの木とか、名犬ラッシーとか、少し遅い時間にはペリー・メースンやローハイド、たまにはナイター中継も観させてもらっていた。母は、シスターボーイの丸山明宏が大好きで、彼が唄う番組があるときは、かならず声をかけてもらって観にいっていた。私はその気取った歌手が好きになれなかった。ギターを抱えた男が舞台で寝そべって唄うロカビリーというやつも初めて観たけれど、何を唄っているのか聞き取れないので、やっぱり好きになれなかった。中学生と高校生ぐらいの少年が二人いて、ときどき居間に顔を出したが、口を利いたことはなかった。
「だしぬけで申し訳ないんですけど、お金、貸していただけませんか」
 福原さんはニコニコ顔で、
「おいくら?」
 と尋いた。
「五千円ほど」
「いいですよ」
 滞りのないやり取りだった。母は柴垣の門を開けて、庭から玄関のほうへ回っていった。私は心配で生垣のところまで出た。おばさんによく似た中学生が玄関の戸を開けて母を迎え入れた。奥から男の人の明るい声がした。母がこっちを見て、部屋にいなさい、という手振りをした。
 三十分ほどして帰ってきた母は、思いのほか上機嫌で、
「一万円も貸してもらっちゃった。半年払いで返せばいいって。事情を話したら、ご主人がけらけら笑ってね、あんたが悪いって言われちゃった。そうだよね、おまえみたいなウッカリ屋に給料袋ごと渡すなんてね。二人とも鹿児島出身で、ご主人は駅西の高島屋に勤めてるんだって。会計士の資格を持ってるらしいよ。いい人だね、あのご夫婦は。家を借りたばかりでお金がないのに、気前よく貸してくれた」
「本屋さんが、見つけておいてあげるって」
「……郷、こういうお金は、出てこないんだよ。スッパリあきらめないとね」
 母はそう言ったきり、炊事場へ米を研ぎにいった。十時を回っていた。私も立っていって、背中に話しかけた。
「寝たいんじゃないの、かあちゃん」
「やっぱり、おなかへっちゃった。ごはんにしよう。ショウユめしだよ」
「うん」
 それから何週間か、食卓にはめぼしいおかずが載らなかった。でも、私はすてきな食べ方を発明した。お碗に盛った炊きたてのごはんを柄杓で平たく叩き、その上にバターを塗って醤油をかけ、キャベツの塩もみや福神漬けを載せて食べるのだ。母はもともとバターが好きで、これまでもよく乾パンでこそぎ取りながら食べていたから、私の発明を大いに気に入ってくれた。
「赤貧洗うがごとしってやつだねえ。たまにはメンチぐらい買ってこようか」
 母が笑いながら言った。
「こういうごはん、ぼく大好きだよ」
 こうなったのもすべて自分が招いたことで、はた目にはみじめなものにちがいなかったけれども、私はなぜか浮き浮きと楽しかった。


         九

 お金を落とした季節はいつだったか忘れた。三年生の夏まで記憶が抜け落ちている。
 細切れには憶えている。空地でメンコをして連戦連勝だったこと。ター坊たちといっしょにサーちゃんに率いられて、夕暮れの宮谷小学校の校庭で見知らぬ少年たちと〈決闘〉をしたこと。敵味方たがいに空手家のように身構え、距離を保ちながら、ただ睨み合っていたことしか憶えていない。どういう経緯だったか、ドラムを叩く男の看板に惹かれて反町日活に入り、長嶋茂雄の四打席四三振をニュースフィルムで観たこと。音楽の時間に田中恵子ちゃんの声がとてもよかったこと。長屋の隣の部屋の女の子のパンツの下に入れた指を嗅いだら、小便のにおいがしたこと。女の子がにっこり笑った顔に女という生きものの永遠性を感じたこと。
   
 聞き書きだが、どこかに忘れてきた学生服の上着をクズ屋に拾われたこと。名札がついていたおかげで青木小学校の四宮先生に届けられ、彼女が払ったいくばくかの謝礼を母が学校に出向いて返したと聞いた。母にそんな時間があったのかどうか疑わしい。学生服をなくした覚えがないので、母の作り話が私の頭に事実として定着したのかもしれない。
 聞き書きを含めてこれくらいのものだ。とりわけ鮮やかに思い出すのは、下校の道の上に映った自分の影法師と、貸本屋の棚だ。影法師の頭部の形を美しいと感じた。また、静かな店で、一冊一冊取り出しては、差し戻し、五円の本を選ぼうとしている自分の姿をさびしいと感じた。
         †
 八月の半ばを過ぎて、母が夏の休暇を五日間とったので、いっしょに青梅の英夫兄さんのところへ遊びにいった。何時間も電車に乗った。
 青梅駅前の通りを真っすぐ出て、映画館を左折し、陽射しの強いアスファルトの街道を歩いた。道の両脇はほとんど見晴らしのいい草地で、ポツンポツンと家が建っているきりだった。
 門のある黒板塀に囲まれた広い空地があって、その外れに三棟の社宅が平たく固まっていた。どの家の便所からも、におい出しの白い換気筒が斜めに突き出ていた。真ん中の棟が叔父さんの家だった。裏手の立木雑じりの塀の向こうに、大きな二階建の民家が一軒覗いていた。その家から、パンビタンのコマーシャルソングが流れてきた。この曲がやむと月光仮面が始まることを、福原さんの家のテレビを観て知っていた。

 茶色く日焼けしたノッポの英夫兄さんは、まるで親しい友だちにやるみたいに片手を上げながら、母と私に、オッ、と挨拶した。長い顔だった。佐藤家に馬面の人はもう一人いる。椙子叔母だ。目鼻立ちは二人ともじっちゃに似ていた。
「オラも、三日の休みをとったでば」
 強い訛りにびっくりした。女房のミッちゃんと、従妹二人に初めて対面した。名前を郁子と法子といい、八歳の私より郁子は二つ、法子は三つ年下だった。郁子は母親似の象のように細い目をした四角い顔、法子は愛らしい卵形の顔をしていたけれど、左右の目が片チンバだった。
「まだ法子が生まれてないとき、野辺地にいったことがあるよ。お正月に」
 郁子が言う。
「いくつのとき?」
「二つ」
「じゃ、ぼくが四つか。覚えてないなあ」
 法子がじろじろと私の顔を眺めている。白くむくんだ顔のミッちゃんが、母に茶をついだ。私に視線を当てたとき、度の強い遠視鏡の奥に大きく歪んだ眼が見えた。
 午後遅く、叔父さんはミッちゃんと母に留守を任せ、私たちを連れて駅前へ映画を観に出た。『夜の蝶』という大人向けの映画だった。退屈だったけれども、京マチ子という人がきれいだったので、なんとか眠らないで最後まで観た。郁子と法子はからだを寄せ合って寝ていた。
  
 帰りにレストランで、生まれて初めてオムレツを食べた。甘酸っぱいケチャップが苦手だった。醤油をかけたい気がして、そう言うと、郁子に睨まれた。叔父さんは醤油を頼んでくれた。会計のとき、叔父さんが、小さな楕円形をした黒革のガマ口から小銭をつまみ出すのがめずらしかった。
 翌日も英夫兄さんは、私たちを別の映画館に連れていった。『あんときゃ土砂降り』という、きのうに輪をかけて退屈な歌謡曲映画だった。帰りに喫茶店でチョコレートサンデーを食べた。おいしかった。
 次の日は大磯ロングビーチに連れていかれた。
「大サービスね」
 と、ミッちゃんが言い、申し訳ないね、と母が頭を下げた。隣家の五年生の男の子も連れていくことになった。裏塀の切り戸からその家の玄関に回り、郁子が迎えの声をかけたとき、いやに胸を張って姿勢のいい男の子が出てきた。かわいらしい女の子も彼の背中に隠れてお辞儀をした。男の子の妹のようだった。前歯が大きかった。ビーバーというあだ名が浮かんだ。
 大磯で私は英夫兄さんの水泳パンツをはかされた。白いエナメルのベルトが格好悪かった。叔父さんはプールサイドに私と男の子を並べて、写真を撮った。坊主頭で唇の厚い男の子は、相変わらず胸を張ってカメラに収まった。私は自分がいつものしかめツラをしているののを知っていた。その子とは一日じゅうひとことも口を利かなかった。
 私はみんなから離れ、人のいない飛びこみ用のプールに、風呂に入るようにそっと浸かった。鉄の握り棒から手を離し、犬かきをしてみた。海で泳ぐようにはからだが浮いてくれず、たちまちバランスを崩して沈んでいった。死ぬかもしれないと思ったけれど、死にたいとは思わなかった。ふと、息を止めることを思いついた。目をつぶって口を結んだ。そのとたんにスーッと浮き上がっていき、頭のてっぺんが勢いよく握り棒にぶつかった。びっくりして水を飲んだ。むせながら這い上がると、胸に血がたれている。係員が気づいて私をプールサイドに横たえた。私の名前と同伴者の名前を訊いた。スピーカーで呼び出された英夫兄さんが郁子たちといっしょに走ってきて、
「なした! キョウ!」
「プールの鉄棒にぶつけちゃった」
「このプールさ入ったのな?」
「うん」
「……こわいもの知らずだな、おめは」
 薬箱を提げた係員が戻ってきて、頭のてっぺんにヨードチンキを塗った。
「だいじょうぶですよ。頭の出血は思ったよりも大げさですから」
 英夫兄さんと子供たちに見守られながら、血が止まるまでそこに横たわっていた。恥ずかしかった。
         †
 ミッちゃんにネズミを処分してくれと頼まれた。熱湯の入った薬缶を渡され、捕鼠器にかかった大きなネズミを金網ごと空地に持っていった。よく見るとネズミは真っ黒いかわいらしい目をしていた。玄関を振り返るとミッちゃんの丸い眼鏡が光った。レンズの反射に隠れてその目は見えなかった。
「うまくかけないと死なないからね」
 逃げまどうネズミの上からしつこく熱湯をかけて殺した。腹をふくらませて死んでいるネズミを見て、思わず涙があふれ出した。
 翌日、三十九度を超える熱を出して、蚊帳の中で昼下がりまで寝ていた。目玉を動かすと頭がぐらぐら回った。夕方、無理に起き出して居間に這っていった。ミッちゃんが熱を測ると、八度五分に下がっていた。
 横浜へ帰る日の昼、隣の家の子たちと遊んだ。近所の子供たちも何人か集まってきて、芝生のそばの縁側から上がりこんでトランプをした。おやつにカレーが出て、みんなで食べた。あの姿勢のいい男の子が、まじめ腐った顔で何か冗談を言ったので、私は笑いが止まらなくなり、芝の庭に裸足で走り出て、腹をよじった。つられて何人か走ってきて、ヒーヒーやった。
 女の子がポータブルプレーヤーで三波春夫の『チャンチキおけさ』と『船方さんよ』をかけた。レコードは厚いのに、薄ッぺらい音だった。
 家の前はコンクリート敷きの大きな空地になっていて、片隅に鉄棒があった。女の子が
 逆上がりをした。前歯がかわいかったので、
「ビーバーみたいだね」
 と言うと、鉄棒の上で女の子が泣いた。なぜだかわからなかった。
 結局、姿勢のいい男の子の名前も、前歯の大きい女の子の名前も知らずに、横浜へ帰った。
         †
 青梅から戻ってすぐ、
「野辺地に、一度いってきなさい。もう二年半も帰ってないでしょ」
 と母に言われた。たった二年半しか経っていないのかと思った。十年も離れていたような気がした。私はもう外出(そとで)はうんざりしていたけれども、なんだか合船場の前の道がなつかしい気がして、
「うん」
 と応えた。不思議なことに、合船場にいる人びとのことは思わなかった。だれもなつかしくなかった。
 角のこすれた母の水色のトランクに、下着と、文房具と、まだ手をつけていない神奈川県の立体地図の宿題を入れた。等高線の形をした紙を一枚一枚貼り重ねていって、県の地形を浮き上がらせるという手間の多いものだった。
「着いたらすぐにばっちゃに渡しなさい」
 と母は言って、封筒に入ったお金をトランクの隅に詰めた。
 上野駅から鈍行列車に乗せられた。
「野辺地まで二十三時間かかるからね。お腹すいたら、お弁当買って食べなさい」
 母は向かいにお婆さんが座っている席を選んだ。列車が動き出し、母に手を振ったけれど、彼女はただうなずくきりだった。ホームが消えると、お婆さんが話しかけた。
「坊やは、いくつ?」
「九つ」
「えらいねえ、そんなに小さいのに、一人で旅するなんてねえ」
 着物を着た上品そうなお婆さんはしきりに、
「かわいらしいお顔をしてるね」
 と褒め、ゆで玉子を剥いてくれた。食欲はなかったけれど、私はお礼を言い、うれしそうに頬ばった。
「盛岡に坊やと同じくらいの年の孫がいてね、毎年会いにいくのよ。お盆の時期だと人の出入りがぎょうさんだから、いつもいまごろいくの」
 興味なさそうにしていると、やがてお婆さんは編み物を始めた。
 日の高いうちは、景色を見ているだけで退屈しなかった。一ノ関という駅を過ぎたあたりから暮れはじめた。
「お腹すいたでしょ」
「うん」
「平泉でお弁当買いましょ」
 私は半ズボンのポケットから母のくれた百円札をぜんぶ出して、お婆さんに示した。
「そんなもの、しまっておきなさい」
 お婆さんが買ってくれた牛肉弁当を食べた。味つけのいい豪華な弁当だった。
「前沢牛って、有名なのよ」
「ふうん」
 お腹がくちて、うとうとした。列車が停まるたびに目を開けて駅の名前を確かめ、またうとうとした。いつのまにか乗客のほとんどは、ぼんやりしたオレンジ色の灯りの下で眠りこけていた。北上という駅を過ぎ、今度こそ深々と眠りこんだ。
 目覚めると、列車は明け方の八戸駅のホームを発車するところで、すでにお婆さんの着物姿はなかった。そろそろ野辺地が近いとわかり、窓の外の景色に目を凝らした。緑の草や木立がすぐそばを通り過ぎていった。
 思い出の古間木駅のホームを眺めながら、駅前の景色を思い浮かべた。小さなロータリーの右手に大きな立木があり、右折するとすぐ国際ホテルがある。左手は坂道になっていて、一度もいったことがない。サイドさんの家や岡三沢小学校がどこにあったか、あの当時から知らない。サイドさんが自転車を漕いだ道や、天兵童子の映画館や、善郎が額を打った松並木の道や、入学写真を撮ったときの背後の山並も実際にあったのかどうか、いまでは幻のような気がする。乙供(おっとも)、千曳(ちびき)という駅名に覚えがあった。ようやく色濃いなつかしさが押し寄せてきた。
 野辺地駅にばっちゃが迎えにきていた。彼女は私のトランクを持ち、にこにこ顔で歩いた。町並はちっとも変わっていなかった。いきすがるほとんどの顔に見覚えがあった。なぜか幼稚園の仲間には遇わなかった。
 潮風で湿った重い戸を引き、土間に入った。ばっちゃが障子を開けると、相変わらずにじっちゃが煙管を手に囲炉裏に坐り、静かに笑っていた。驚くほど大きくなった善夫が子供部屋から出てきた。善司にそっくりだった。
「ほんとに、善夫なの?」
「もう、高校二年だ。バレーボールやってるはんで、背がビョッと伸びた」
「善司は?」
「秋田で観光バスに乗ってら」
 義一の姿がなかった。
「カズは?」
「田名部さ引きとられていった」
 行方不明だった父親が帰ってきたのだと言う。
「カズのかっちゃも帰ってきたの」
 じっちゃが苦笑いしながら、
「おお、妹も一人コいら。ワも肩の荷が下りたじゃ」
 すかさずばっちゃが、
「なに語ってらんだか。ンガの荷物になってたってが」
 ばっちゃの憎まれ口に、なんだかホッとした。天井の梁を見上げた。少し黒ずみが濃くなっている。柱時計と、だるま印の薬袋は相変わらずだ。
 ばっちゃの部屋にトランクを置きに入ったとき、お金の入った封筒を渡した。彼女はたいしてありがたがりもせず、
「これでうまいものでも食(か)へるべ」
 と言った。

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