あれあ寂たえ ―夜の神話―

 筆者が15歳から約30年かけて書き貯めたという簡想集ですが、ニーチェの「人間的、あまりにも人間的」のような哲学集ともいえると思います。遺書として書き始めたということもあってか、この作品は非常に鬼気迫るところがあって、緊張感をもって読み進めないといけませんでした。人間社会のタブー、隠蔽したいところまで掘り下げてあり、だいぶ奇抜な内容であることも事実です。「薔薇の名前」の世界なら禁書扱いかも(笑)。んんーその時代なら確かに読むのも命がけ、読んだのが見つかったら最期、処刑されてもおかしくなかったかも。そう思わせる本でもありますね。結局私は一通り読むのに丸2年かかりました。時々アットランダムに開いて読むこともありますがもう一度最初から読み始めたいと思っています。断定を嫌う人が増えていると感じる現代、「あいまい」を決して許さないこの本はどこまで支持されているのか。おおっぴらに支持されなくとも心を深くえぐられることは確かです。

 さあ、今本を持っている人は私と一緒に読んでみませんか?初めて私が読んだとき「ははぁーーー」と仰天したこの段、318段。
「ピストルと思う」ここで私は、フロイトじゃないけど、ペニスそのものをイメージしてしまいました。ここからどんな論理展開がなされるのか・・・。武術や剣術を必要とする刀と、銃口を向けさえすればたやすく殺すことができるピストルとを対比させ、機械社会と技術社会のことを言おうとしているようです。ここで、刀使いが刃という器物に執心して磨きたてる「愛着」という言葉が現れます。そしてその「愛着」とはシステマティックでない一種の「思考力」であると書かれ、「思考力」という言葉が登場!その意味で、高度に思考が発展したと見なされている現代の機械文明社会は、実際のところは「技術を極めようとする愛着に基づいた思考力」のない原始社会ということができる。というくだりです。一緒に読んでくれたあなたは何を思いますか?若者は表情を失ったと言われ始めて久しいですが、筆者の言う「原始社会」と何か関係があるようで、私としては非常に感慨深いものを感じました。すごい。。。


帯文
Alea Jacta est   「ああ こんなふうに生きてしまったことだ」
―世紀末の退廃した文化を鋭く批判する川田拓矢 待望の随想録―

本文引用

1 笑い疲れているが、あしたも笑うであろうということ。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 山師にまごうかたなき挙措を、あしたも耳朶を戦わせながら繰り返すであろうということ。
 きょうと同じように、あしたもこの世の摂理に殺されつづけるであろうということ。

(近代文藝社 2300円+税)


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