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《冷飯とおさんとちゃん(1965) 監督田坂具隆 主演中村錦之助》
三話構成のオムニバスだが、第三話の『ちゃん』だけの映画と言っていい。十話オムニバスの『歌謡曲だよ、人生は』が、第九話『逢いたくて逢いたくて』だけの映画であるのと同様だ。
結晶度がものすごい。『関の弥太っぺ』のシリアスな演技とは打って変わって、錦之助がコミカルでありながら哀愁を帯びた好演をしている。
芸術とはいかなるものか? この困難な問いに、原作者の山本周五郎は、彼なりの一つの真摯な解答を与えようとした。名人かたぎと金融社会との角逐。いや、幻の角逐を押し付けるのは社会側で、名人のほうは一向気にせず因循固陋の態度に徹している。おのずと、一部の好事家以外に振り返る者はいなくなる。周五郎はそれこそが芸術だと主張している。
少数派に支持される精神性、それが創り出す美―地団太を踏みたくなるほどあたりまえのことだが、この理屈は芸術家だけのものであり、自己満足である。それでもなお、そこにしか芸術はないのである。芸術家はその事実を悲しんで、ひたすら励めばよい。
因循固陋ゆえの無名に甘んじながら、日々書き継ぐ日々、この映画ほど私に活力と諦観を与えたものはなかった。佳いものを書くこと、それだけが喫緊のことだ。ふと名望欲にゆらぐとき、私はいつも火鉢職人重吉の生き様を思い出す。